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駄菓子だがし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
再現さいげんされた「昭和しょうわ駄菓子だがし

駄菓子だがし(だがしや)は、おも中学生ちゅうがくせい以下いか[信頼しんらいせいよう検証けんしょう]年齢ねんれいそう児童じどう対象たいしょうとした駄菓子だがし玩具おもちゃ小売こうり販売はんばいてん形態けいたいである。地域ちいきにより一文いちぶん菓子かしともぶ。

なお取扱とりあつかい商品しょうひん分野ぶんやかんしては、後述こうじゅつするように様々さまざま商店しょうてん兼業けんぎょうもあることから、店舗てんぽによっては菓子かしるい玩具おもちゃ限定げんていされない。

概要がいよう

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駄菓子だがしは、児童じどうへの菓子かし玩具おもちゃ販売はんばい目的もくてきとした商店しょうてんであり、日本にっぽんでは1980年代ねんだい以前いぜん町村ちょうそんでは普遍ふへんてきられた業態ぎょうたいである。[よう出典しゅってん]

この業態ぎょうたい成立せいりつふるく、その発祥はっしょうもはっきりしない。明治めいじ大正たいしょう時代じだいから度々どど文学ぶんがく作品さくひんなどにも登場とうじょうしていることから、日本にっぽん工業こうぎょうはじめて以降いこうに、次第しだいかずやしたようだ。なお江戸えど時代じだいにはあめという店舗てんぽあめある商人しょうにん行商ぎょうしょう)が存在そんざいしたが、かれらはかざぐるまなど簡単かんたん玩具おもちゃあつかったり客引きゃくひきのためのげいせることもあったため、お菓子かしとも玩具おもちゃ娯楽ごらく提供ていきょうする駄菓子だがしあいつうじるものがある。なおあめりはチンドン原型げんけいだともいわれている。

ギリシャのキオスク
ちいさいながらも、お菓子かしアイス煙草たばこ喫煙きつえんなどをあつかっている。

その大半たいはん個人こじん経営けいえいであり、なんらかの商売しょうばいタバコ文具ぶんぐみせ雑貨ざっかしょうけい食堂しょくどうなど)のついでに営業えいぎょうしていたみせおおかった。なお日本にっぽん国外こくがいたような業態ぎょうたいには、米国べいこくドラッグストアヨーロッパキオスクえいKiosk)がげられる。

営業えいぎょう時間じかん子供こどもらがあそあるく「から日没にちぼつまで」ではあったが、その一方いっぽう商店しょうてんがそのいえ居間いま障子しょうじいちまいへだてて隣接りんせつしていることおおく、19前後ぜんこうまでは営業えいぎょうしている場合ばあいもあった。みせそのものが住居じゅうきょとの差異さい明確めいかくだったのである。店先みせさきせい々3じょう程度ていど土間どまには、商品しょうひん陳列ちんれつようたな設置せっちされていたほか、みせ中央ちゅうおうかれたばこうえにも、商品しょうひん菓子かしなどのはいったはこやビンなどもられた。また天井てんじょうからげたフックにけられて販売はんばいされている商品しょうひんすくなくなかった。

これらのみせあつかわれていた菓子かし駄菓子だがしばれ、郷土きょうど菓子かしなどもあったが、専門せんもんメーカーによる製品せいひん流通りゅうつうしており、このなかには定番ていばんともえるいくつかの製品せいひんぐん存在そんざいする。ただし年代ねんだい地域ちいきによってげる製品せいひんにはかなりのがある場合ばあいおおく、こういった駄菓子だがし由来ゆらいの「子供こどもころおも」は、どう地域ちいきどう世代せだい共通きょうつう認識にんしきちかかたちあつかわれる(後述こうじゅつ)。かならずしも衛生えいせいてきだとはえない商店しょうてん店先みせさき販売はんばいされるために、ひとつずつ丁寧ていねい包装ほうそうされているか、あるいは多少たしょう不衛生ふえいせい店頭てんとうでもほこりかぶらないよう、おおきなガラスびんやプラスチックケース・ビニールぶくろなどにれられて販売はんばいされていた。またふるくは、ばこうえにガラスばんをはめんだケースも利用りようされていた。

子供こどもけの商品しょうひんおおいながら、自動じどう販売はんばいコンビニエンスストアかった時代じだいには、清涼飲料水せいりょういんりょうすいアイスクリームといったりょうるために利用りようする大人おとなもいた。また中学校ちゅうがっこう高校こうこう大学だいがくちかくにある駄菓子だがし場合ばあいは、やす時間じかん学校がっこうからしてたり部活ぶかつ途中とちゅうしてきた生徒せいとが、菓子かしパン清涼飲料水せいりょういんりょうすいうために利用りようすることもあった。そのような立地りっち条件じょうけんみせでは、この学生がくせいらによる需要じゅようとくしたしなそろえのみせられた。ぎゃく通学つうがく沿いのパンよろずやなかには、みせ一角いっかくがほぼ駄菓子だがししていたみせもあった。また、バス停ばすてい付近ふきんにある店舗てんぽでは、路線ろせんバス回数かいすう乗車じょうしゃけんバスカード委託いたく販売はんばいしているところもあった。 またアーケードゲームふるくは簡単かんたんメダルゲームなどのエレメカ店頭てんとう設置せっちするみせおおかった。スペースインベーダー流行りゅうこう1970年代ねんだいすえにはこれを設置せっちするだけでなく、駄菓子だがしゲームセンターわからなくなるみせ登場とうじょうし、ぞくに「駄菓子だがしゲーセン」とばれた。これらのゲームでは1かい20~30えんの、しかもROMをコピーしたようなコピーゲーム設置せっちされたみせもあった(ゼビウス関連かんれん)。なお1990ねんには複数ふくすうのゲームをいちだいのゲーム提供ていきょうするMulti Video Systemネオジオ)が登場とうじょう、これにえられたところもられた。

商売しょうばい形態けいたい

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おもセルフサービスとの形式けいしきをとっていた。きゃくである子供こどもらは商品しょうひんにとって店主てんしゅこえけ、店主てんしゅがそれらを合算がっさんして値段ねだんつたえ、その金額きんがく子供こどもらが支払しはらうというものである。たくさんうと大抵たいてい商品しょうひんれるための紙袋かみぶくろをくれたが、みせによっては店主てんしゅなどが片手間かたてま新聞紙しんぶんしつくったふくろ使つかわれていることもあった。

商品しょうひん駄菓子だがし問屋とんや玩具おもちゃ問屋とんや経由けいゆ仕入しいれられたもので、これらはおおむね6~8けで仕入しいれられ、商品しょうひん単価たんかきわめてやすいため、とにかく薄利多売はくりたばいをするしかなかった。

子供こどもたちの社交しゃこうじょう

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駄菓子だがしあつまる子供こどもたち

これらの店舗てんぽは、子供こどもらの文化ぶんか共通きょうつう基盤きばんあたえていた。これらでは、年齢ねんれいそうちが子供こどもらも一緒いっしょになって利用りようするため、そこには一種いっしゅコミュニティ成立せいりつしたほか、ながつづいた駄菓子だがしではみせ屋号やごう以外いがい世代せだいえて利用りようされた愛称あいしょう[ちゅう 1]もあり、おな地域ちいきそだったものなら共通きょうつう認識にんしきランドマークとしてみせ愛称あいしょうほどとなる。

  • 店舗てんぽ小学校しょうがっこうちかくにあることがおおく、学校がっこうじゅくかえみちるように、なにかのついでにることができた。
  • せんもん駄菓子だがしをやっているみせでは、店番みせばんはおじいさんやおばあさんなど高齢こうれいしゃ定番ていばんであったほか、おばさん(中年ちゅうねん女性じょせい)のやっているみせもあった。いまでは地方ちほうによってわか男性だんせいりするみせ存在そんざいする。
  • くじきやお菓子かしが、子供こどもかたはたきやくさむしり・お使つかいのお駄賃だちんにもらえるわずかばかりの金銭きんせんえる価格かかく多数たすう存在そんざいした。現在げんざい金銭きんせん感覚かんかくでも、500えん相当そうとうする貨幣かへいっていけばお大尽だいじん友達ともだちすうにんおごってもおりがる)ができた。
  • クジのなかにはすくなからずゲーム要素ようそふくもの存在そんざいした(輪投わなげなど)。

あつか品目ひんもく

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駄菓子だがし店先みせさき
おもちゃ花火はなび菓子かし玩具おもちゃ雑然ざつぜん陳列ちんれつされるなど、せま店先みせさきには様々さまざま商品しょうひんならべられる

駄菓子だがしるい商品しょうひん各々おのおの、2000年代ねんだい現在げんざい金銭きんせん感覚かんかくで20~100えん程度ていど当時とうじ金額きんがくでは昭和しょうわ1けたで「なにぜに」、戦後せんご高度こうど経済けいざい成長せいちょう以前いぜんは「なにぜにすうえん」、高度こうど経済けいざい成長せいちょうバブルまえころでは「10~50えん」といったところである。子供こどもなにかのお手伝てつだすう回分かいぶんもらったお駄賃だちんにぎめてけば、1~2あいだ面白おもしろおかしくたのしめるだけのお菓子かし玩具おもちゃえた。2000年代ねんだい現存げんそんする駄菓子だがしにおいても、500えんだまいち相当そうとうたのしめる傾向けいこうられる。

販売はんばいしている菓子かしでも安価あんかものかんしては、駄菓子だがしこう参照さんしょう清涼飲料水せいりょういんりょうすいやアイスクリームなどは大手おおてメーカーの製品せいひんと、駄菓子だがし専門せんもんメーカーの安価あんかもの並行へいこうして販売はんばいされており、菓子かしるい一部いちぶ大手おおてメーカーの製品せいひんかれていた。

駄菓子だがしアイテム大人気だいにんきだったのが、おみせまえったガシャポンカプセルトイ)。本格ほんかくてき流行りゅうこうはじめたのも1970ねん以降いこうおもわれる、その代表だいひょうてきなメーカーにコスモスがあった。1970年代ねんだい人気にんきアイテムにスーパーカーしゴムスライムといった当時とうじ人気にんき商品しょうひん真似まねた「パチもの」などがった。


当時とうじのアニメ、野球やきゅう選手せんしゅなどのクジブロマイドなども人気にんきがあった。このほかにも子供こども射幸しゃこうこころねらったくじけいアイテムもおおく、「アイスクリームガム」という製品せいひんでは、一回いっかい10えんでガムをって、あたりがると何処どこのメーカーのアイスクリームでも指定してい金額きんがくない範囲はんいもらえた。ガム・アイスクリーム・チョコレートといった菓子かしるいでも、あたきといった要素ようそおおられた。

なつカブトムシあきスズムシなどのものペット)をみせもあった。

玩具おもちゃるいではぎんだま鉄砲てっぽう花火はなび(カンシャクだまばくちくロケット花火はなびから花火はなびセットまで)のほか、独楽こまめんこたけとんぼ風船ふうせん/みず風船ふうせんといった素朴そぼくもの、あるいは「スパイセット」や「昆虫こんちゅう採集さいしゅうセット」と名付なづけられたセットぶつあま高価こうかではないプラモデルなど多岐たきにわたる。郷土きょうど玩具おもちゃるいするものもふくまれる場合ばあいがある。なおプラモデルでも「ててかざる」ようなものではなく、駄菓子だがしルートでしか流通りゅうつうしない「てたらうごかしてあそぶ」といったような玩具おもちゃちか魚雷ぎょらいてい飛行機ひこうきなどであった。また「てくじ」(くじきで番号ばんごうおうじて景品けいひんがもらえる)のように、一般いっぱん玩具おもちゃてんではまずられない形態けいたい製品せいひん存在そんざいする。こういった「駄菓子だがしアイテム」は、そのおおくが専門せんもんされた問屋とんや、あるいは玩具おもちゃ問屋とんやないし菓子かし問屋とんや場合ばあいによっては雑貨ざっか問屋とんや)が、せんもん流通りゅうつう経路けいろっている。

駄菓子だがし現状げんじょう

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駄菓子だがしは1980年代ねんだいからいちじるしい減少げんしょう傾向けいこうつづいている。小学校しょうがっこう近辺きんぺんにある子供こども相手あいてにしたみせなどは、とく地方ちほうにおいて少子化しょうしか過疎かそ子供こどもかず激減げきげんしたうえ、子供こどもたちのあそたいする嗜好しこう変化へんか、あるいは子供こどもらが経済けいざいてきゆたかになったことの影響えいきょうけた。衛生えいせいてき商品しょうひん豊富ほうふコンビニエンスストア増加ぞうか、またスナック菓子すなっくがしなどの人気にんきによって、駄菓子だがしそのものが「程度ていどひくいお菓子かし」として児童じどう保護ほごしゃらに敬遠けいえんされたこともある。こうした経営けいえいてきくるしさによる後継こうけいしゃ不足ふそくくわわり、典型てんけいてきな「おばあさんが住居じゅうきょ兼用けんよういとなまちちゅう駄菓子だがしさん」はかなり減少げんしょうしている。ただ2000年代ねんだいにおいても、駄菓子だがしかよってそだった世代せだい一部いちぶおもれをいているほか、駄菓子だがしふくめた「昭和しょうわレトロ」に新鮮しんせんさをかんじるわか世代せだいもいる。このため、駄菓子だがし再現さいげんしたもうけたり、個々ここ駄菓子だがし販売はんばいしたりする企業きぎょうがあるほか、駄菓子だがし関連かんれん展示てんじ施設しせつもある。

子供こども時代じだい駄菓子だがししたしんだ大人おとなたちが当時とうじなつかしみ、懐古かいこ趣味しゅみ手伝てつだってあつかいをする店舗てんぽ変化へんかしている。駄菓子だがし販路はんろかんしては、インターネットでの通信つうしん販売はんばいをはじめとして、大型おおがたショッピングセンター、コンビニにいたるまで、多様たようしている。懐古かいこブームにもり、人気にんき定番ていばんアイテムとして現在げんざいでも入手にゅうしゅ可能かのうである。またこの懐古かいこブームにった「駄菓子だがしチェーンてん」のうごきもあり、ビジネスガイド主催しゅさい「インターナショナル・ギフトショー」にもそういった業者ぎょうしゃ出品しゅっぴんられる。

埼玉さいたまけん川越かわごえの「菓子かし横丁よこちょう

上記じょうき以外いがい駄菓子だがし関連かんれん展示てんじ商品しょうひん販売はんばいなどを観光かんこう地域ちいき活性かっせいかしているれいとしては、「昭和しょうわレトロ商品しょうひん博物館はくぶつかん[1]東京とうきょう青梅おうめ)や「駄菓子だがしゲーム博物館はくぶつかん[2]東京とうきょう板橋いたばし)、伊香保いかほおもちゃと人形にんぎょう自動車じどうしゃ博物館はくぶつかんうち昭和しょうわレトロテーマパーク駄菓子だがし横丁よこちょう[3]群馬ぐんまけん吉岡よしおかまち)などがある。

駄菓子だがし問屋とんや

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駄菓子だがしあつか問屋とんやなどが多数たすう営業えいぎょうしている地域ちいきとしては、台東たいとう蔵前くらまえ名古屋なごや明道あけみちまち大阪おおさか松屋まつやまちなどがある。問屋とんやは、小売こうり業者ぎょうしゃ仕入しいけにロット(生産せいさん単位たんい)での大量たいりょう一括いっかつ販売はんばい基本きほんであるが、問屋とんや業者ぎょうしゃ店舗てんぽによっては個人こじんきゃくへの小売こうり(ばらり)におうじてくれるところもある。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく
  1. ^ フィクションではあるが『20世紀せいき少年しょうねん』では駄菓子だがし「ジジババのみせ」(通称つうしょう「ジジババ」)が登場とうじょうするも「同店どうてん経営けいえいしゃ片割かたわれであるジジ(じい)はとっくのむかし故人こじんで…」という描写びょうしゃ登場とうじょうする。
  2. ^ 様々さまざま味付あじつけでシリーズされ単価たんかやすいので、きなあじのものをまとめいするのも、いろいろなあじためすのもおこの次第しだい。コスト上昇じょうしょう事業じぎょう拡大かくだいによる製造せいぞう設備せつび拡充かくじゅうといった量産りょうさん効果こうかなどの経営けいえい努力どりょく吸収きゅうしゅうし、2022ねん3がつまで値段ねだんを10えんおさえていた。どう4がつに12えん値上ねあげしている。
  3. ^ いている玩具おもちゃかずいちかいあたりの代金だいきんによってもまちまちだが、派手はでたり景品けいひんかげには廉価れんかはず景品けいひんもあり、くじとしてえらわされたちいさな紙片しへん記載きさいされた番号ばんごうで、台紙だいしけられた所定しょてい番号ばんごう景品けいひんえるようになっている。
出典しゅってん

関連かんれん項目こうもく

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