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重要じゅうよう美術びじゅつひん

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認定にんてい物件ぶっけんれいほんちょしょく秋草あきくさ きょく屏風びょうぶ 尾形おがた光琳こうりんふで サントリー美術館びじゅつかんぞう 1935ねん5がつ10日とおか認定にんてい[1]
認定にんてい物件ぶっけんれい色絵いろえおおとりぶんすみきりぜん でん奥田おくだ頴川さく 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう 1935ねん5がつ10日とおか認定にんてい[2]
認定にんてい物件ぶっけんれい色絵いろえおおとりはな大皿おおざら伊万里いまり九谷くたに様式ようしき東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう 1935ねん9がつ4にち認定にんてい[3]
認定にんてい物件ぶっけんれい絹本けんぽんちょしょく月下げっか 渡辺わたなべ崋山かざんふで おのれうしねん(1841ねん静嘉堂文庫せいかどうぶんこ美術館びじゅつかんぞう 1933ねん7がつ25にち認定にんてい[4]

重要じゅうよう美術びじゅつひん(じゅうようびじゅつひん)は、文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこう以前いぜん、「重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ」にもとづき日本国にっぽんこく政府せいふ文部もんぶ大臣だいじん)が、日本にっぽん国外こくがいへの美術びじゅつひん流出りゅうしゅつ防止ぼうしおも目的もくてきとして認定にんていした有形ゆうけい文化財ぶんかざいのことである。

重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい開始かいし経緯けいい[編集へんしゅう]

1921ねん大正たいしょう10ねん)、日本にっぽん絵巻物えまきもの代表だいひょうさくの1つである吉備きび大臣だいじん入唐にっとう絵巻えまきが、海外かいがい流出りゅうしゅつした(どう絵巻えまき現在げんざいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくボストン美術館びじゅつかん所蔵しょぞう)。このことをきっかけとして、日本にっぽん美術びじゅつひん海外かいがい流出りゅうしゅつ防止ぼうしするためのほう整備せいび必要ひつようせい論議ろんぎされるようになった。当時とうじも、国宝こくほう当時とうじ社寺しゃじ保存ほぞんほうもとづく「国宝こくほう」は、文化財ぶんかざい保護ほごほうにおける「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」に相当そうとう指定してい物件ぶっけんについては、日本にっぽん国外こくがいへのしは禁止きんしされていたが、指定してい文化財ぶんかざいについては、国外こくがいへのしをきんずる法的ほうてき根拠こんきょはなかった。

そこで、1933ねん昭和しょうわ8ねん)に「重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ」が制定せいていされた。この法律ほうりつによれば、歴史れきしじょうまたは美術びじゅつじょうとく重要じゅうよう価値かちのある物件ぶっけん海外かいがい輸出ゆしゅつには文部もんぶ大臣だいじん許可きょかようすることとされ、許可きょかようする物件ぶっけんは、文部もんぶ大臣だいじん認定にんていし、官報かんぽう告示こくじすることとなった。この法律ほうりつもとづいて認定にんていされ、官報かんぽう告示こくじされた物件ぶっけんを「重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん」または「重要じゅうよう美術びじゅつひん」としょうし、りゃくして「重美しげみ」としょうしている。なお、重要じゅうよう美術びじゅつひんについては「指定してい」とわず、一貫いっかんして「認定にんてい」のかたりもちいられている。

認定にんてい物件ぶっけん概要がいよう[編集へんしゅう]

重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけんは、「重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ施行しこう規則きそく」(昭和しょうわ8ねん4がつ1にち文部省もんぶしょうれいだい10ごうだい1じょうにより、絵画かいが彫刻ちょうこく建造けんぞうぶつ文書ぶんしょ典籍てんせき書跡しょせき刀剣とうけん工芸こうげいひん考古学こうこがく資料しりょうおおむね9分野ぶんやより認定にんていされることとなっていたが[5]当時とうじ国宝こくほう指定してい物件ぶっけん文化財ぶんかざい保護ほごほうにおける「重要じゅうよう文化財ぶんかざい」に相当そうとう)にして、いくつかの際立きわだった特色とくしょくがある。まず、国宝こくほう指定してい物件ぶっけん社寺しゃじ所有しょゆうひんだい部分ぶぶんであるのにたいし、重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん圧倒的あっとうてき個人こじん所蔵しょぞうひんおおい。また、重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけんは、分野ぶんやてきには、刀剣とうけん浮世絵うきよえ古筆こひつしゅとして平安へいあん鎌倉かまくら筆跡ひっせきす)、宸翰しんかん(しんかん:天皇てんのう筆跡ひっせき)など、いくつかの特定とくてい分野ぶんや物件ぶっけん認定にんてい際立きわだっておおいのも特色とくしょくである。美術びじゅつひん海外かいがい流出りゅうしゅつ防止ぼうしということを第一義だいいちぎに、迅速じんそく認定にんてい作業さぎょうすすめられたことも、特定とくてい分野ぶんや認定にんていひんかたよっていることの一因いちいんとされている。美術びじゅつひん海外かいがい流出りゅうしゅつ防止ぼうしするための緊急きんきゅう措置そちとして認定にんていされたため,その価値かちさだまっていないものも多数たすう混入こんにゅうすることになった。

なお、制作せいさくから50ねんていない美術びじゅつひん認定にんてい対象たいしょうとなっておらず、たとえば明治天皇めいじてんのうしょなどは1けん認定にんていされていない。また、当時とうじその価値かち一般いっぱんにはほとんど認識にんしきされていなかった民芸みんげいひん円空えんくうふつくえふつなどは認定にんてい対象たいしょうになっていない。一方いっぽうで、だい大戦たいせん文化財ぶんかざい保護ほごほうでは指定してい対象たいしょうとなっていない西洋せいよう絵画かいががわずかながら重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけんとなっていることは注目ちゅうもくされる。たとえば、大原おおはら美術館びじゅつかん所蔵しょぞうひんのうち、エル・グレコ受胎じゅたい告知こくち』をはじめ、ミレーモローピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(2てん)、ピサロふくむ6てん西洋せいよう絵画かいが1934ねん重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんていされている。

重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんていは、1933ねん7がつ25にちに504けん認定にんていされたのが最初さいしょである。その認定にんてい作業さぎょう戦時せんじ色濃いろこ世相せそうのなかで淡々たんたんすすめられ、だい大戦たいせん終結しゅうけつ直前ちょくぜん1945ねん8がつ4にちにも200けん以上いじょう重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんていされている。最後さいご重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい告示こくじされたのは1949ねん昭和しょうわ24ねん5月28にちで、このときにも200けん以上いじょう認定にんていされている。

1950ねん昭和しょうわ25ねん)の文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこう時点じてんにおいて、認定にんてい効力こうりょくたもっていた重要じゅうよう美術びじゅつひんやく8,200けんであった。なお、正確せいかく認定にんてい件数けんすうについては、資料しりょうによって若干じゃっかんがあり、正確せいかく件数けんすうしょうである[注釈ちゅうしゃく 1]

文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこう重要じゅうよう美術びじゅつひん[編集へんしゅう]

重要じゅうよう文化財ぶんかざいへの「格上かくあげ」指定していとう[編集へんしゅう]

1950ねん文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこうをもって、きゅう重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ」は廃止はいしされた。しかし、きゅう重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ」によって認定にんていされた物件ぶっけんについては、文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこうも、どうほう附則ふそく規定きていもとづき、当分とうぶんあいだその認定にんてい効力こうりょくたもつこととされている。重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい取消とりけされるのは、(1)重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん重要じゅうよう文化財ぶんかざいに「格上かくあげ」指定していされた場合ばあいと、(2)重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん海外かいがい輸出ゆしゅつ許可きょかされた場合ばあいの2つにかぎられている。

1950ねん以降いこう文化財ぶんかざい保護ほごほうもとづき指定していされた重要じゅうよう文化財ぶんかざいには、くに指定してい認定にんていけていなかった文化財ぶんかざいから指定していされたものと、重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい物件ぶっけん重要じゅうよう文化財ぶんかざいに「格上かくあげ」指定していしたものとが存在そんざいする。重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい官報かんぽう告示こくじにおいてはこれら2種類しゅるい厳密げんみつ区分くぶんしており、どの文化財ぶんかざいきゅう重美しげみであるかは告示こくじからあきらかにることができる。

重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけんについては、だい大戦たいせん混乱こんらん所在しょざい不明ふめいとなったもの、写真しゃしんやデータののこっていないものとうおおい。

国宝こくほうになった重要じゅうよう美術びじゅつひん[編集へんしゅう]

だい大戦たいせん重要じゅうよう美術びじゅつひんから重要じゅうよう文化財ぶんかざい国宝こくほう指定していされた物件ぶっけんもある。五島ごしま美術館びじゅつかんくら国宝こくほう源氏物語げんじものがたり絵巻えまきは、実業じつぎょう益田ますだたかしどんおきな)のきゅうぞうで、1935ねん5がつ20日はつか重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい、1952ねん3がつ29にちづけ官報かんぽう告示こくじ同年どうねん10がつ16にち)で重要じゅうよう文化財ぶんかざい同日どうじつづけ国宝こくほう指定していされた。平安へいあん仏画ぶつが代表だいひょうさくである奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかんくら国宝こくほう絹本けんぽんちょしょくじゅう一面観いちめんかん音像おんぞう井上いのうえかおるおよ益田ますだたかしきゅうぞうで、1935ねん5がつ20日はつか重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい戦後せんごべつ個人こじん所有しょゆうとなり、ながらく重要じゅうよう美術びじゅつひんのままであったが、1992ねん重要じゅうよう文化財ぶんかざい、1994ねん国宝こくほう指定していされた。

現状げんじょう[編集へんしゅう]

重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ」の廃止はいしも「当分とうぶんあいだ」その認定にんてい効力こうりょくたもつとされていた重要じゅうよう美術びじゅつひんは、法律ほうりつ廃止はいし後半こうはん世紀せいき経過けいかした現在げんざいでも重要じゅうよう文化財ぶんかざい格上かくあげにならなかったもののだい部分ぶぶん認定にんてい効力こうりょくたもつづけている。文化庁ぶんかちょう今後こんご重要じゅうよう美術びじゅつひん調査ちょうさおこない、重要じゅうよう文化財ぶんかざいへの格上かくあげか指定していしのいずれかを推進すいしんすることとしているが、これまでもたびたび問題もんだいになりながらも実行じっこうされておらず、実現じつげんできるかは不透明ふとうめいである。

重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけんのうち、海外かいがいへの輸出ゆしゅつ許可きょかされて、認定にんてい取消とりけされたものは、1950ねんから2008ねん平成へいせい20ねん)までのあいだけい25けんある。2016ねんには2015ねん認定にんていされた黒田くろだ伝来でんらいきゅう安宅あたかコレクションのあぶらしずく天目てんもく米国べいこくクリスティーズオークションにおいて12おくえん落札らくさつされた[6]。2008ねん現在げんざいきゅう重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう保存ほぞんせきスル法律ほうりつ」による認定にんてい効力こうりょくゆうする物件ぶっけんは、6せんすうひゃくけん推定すいていされる。なお、厳密げんみつ件数けんすうについては、文化庁ぶんかちょうから公式こうしき目録もくろく図録ずろく公表こうひょうされていないためしょうである[7]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1950ねん時点じてんでの重美しげみ認定にんてい件数けんすうについて、建造けんぞうぶつ件数けんすうが299けんであることはしょ資料しりょう一致いっちしているが、美術びじゅつ工芸こうげいひん件数けんすうについては、以下いかのように資料しりょうによってまちまちである。
    • 文化財ぶんかざい保護ほごあゆみ』(文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい、1960) - 7,938けん
    • 文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい年報ねんぽう 昭和しょうわ38・39年版ねんばん』 - 7,937けん
    • 文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい年報ねんぽう 昭和しょうわ40年版ねんばん』 - 7,898けん
    • 近藤こんどうあつし三郎さぶろう文化財ぶんかざい保護ほご実務じつむ』(柏書房かしわしょぼう、1979) - 7,983けん(p62)
    • 文化庁ぶんかちょうへんくに文化ぶんか文化ぶんか行政ぎょうせい』(ぎょうせい、1988) - 7,983けん
    • 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい保護ほご美術びじゅつ工芸こうげい監修かんしゅう文化財ぶんかざい保護ほご行政ぎょうせいハンドブック美術びじゅつ工芸こうげいひんへん』(ぎょうせい、1998) - 7,898けん(p5)
    • 『「重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい作品さくひん総覧そうらん』 (日外にちがいアソシエーツ編集へんしゅう発行はっこう、2016) - 8326けん(p.(4)、昭和しょうわ17ねん3がつ末日まつじつ以前いぜんきゅう国宝こくほう指定していされた作品さくひん対象たいしょうがい

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん目録もくろく』(おもえぶんかく、1972)、p.168
  2. ^ 重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん目録もくろく』(おもえぶんかく、1972)、p.165
  3. ^ 重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん目録もくろく』(おもえぶんかく、1972)、p.235
  4. ^ 重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん目録もくろく』(おもえぶんかく、1972)、p.96
  5. ^ 官報かんぽう文部省もんぶしょうれいだい10ごう昭和しょうわ8ねん4がつ1にち、2015ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  6. ^ THE KURODA FAMILY YUTEKI TENMOKU A HIGHLY IMPORTANT AND VERY RARE ‘OIL SPOT’ JIAN TEA BOWL. クリスティーズ2016ねん9がつ
  7. ^ 近藤こんどうあつし三郎さぶろう文化財ぶんかざい保護ほご実務じつむ』(柏書房かしわしょぼう、1979)p62には「6,699けん」、文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい保護ほご美術びじゅつ工芸こうげい監修かんしゅう文化財ぶんかざい保護ほご行政ぎょうせいハンドブック美術びじゅつ工芸こうげいひんへん』(ぎょうせい、1998)p5には「6,623けん」とある

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 重要じゅうよう美術びじゅつ品等ひんとう認定にんてい物件ぶっけん目録もくろくおもえぶんかく、1972ねん
文部省もんぶしょう教化きょうかきょくへん昭和しょうわ18年刊ねんかん目録もくろく国立こくりつ博物館はくぶつかんへん昭和しょうわ23年刊ねんかん目録もくろく、および昭和しょうわ24ねん官報かんぽう告示こくじ掲載けいさいぶん複製ふくせい合本がっぽんしたもの。ぜん認定にんてい物件ぶっけん確認かくにんできるが、収録しゅうろく分野ぶんやべつではなく所有しょゆうしゃべつになっているため、特定とくてい作者さくしゃ、ジャンルとうかぎっての検索けんさく困難こんなん
  • 広井ひろい雄一ゆういちへん本間ほんま順治じゅんじ監修かんしゅう日本にっぽんがたな重要じゅうよう美術びじゅつひん全集ぜんしゅうぜん8かんあおしょうしゃ、1985 -1986ねんISBN 4-943876-02-1
刀剣とうけん部門ぶもん重美しげみ認定にんていひん図版ずはん解説かいせつ全集ぜんしゅう(ただし、写真しゃしんやデータが現存げんそんせず、図版ずはん解説かいせつ掲載けいさいできなかった物件ぶっけん相当そうとうすうある)。重美しげみ認定にんてい制度せいどかんするくわしい解説かいせつがある。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]