生霊いきりょう

生霊いきりょう（いきりょう、しょうりょう、せいれい、いきすだま）とは、生いきている人間にんげんの霊魂れいこんが体外たいがいに出でて自由じゆうに動うごき回まわるといわれているもの^[1]^[2]。

対語たいごとして死霊しりょうがある。

人間にんげんの霊れい（魂たましい）が自由じゆうに体からだから抜ぬけ出だすという事象じしょうは古来こらいより人々ひとびとの間あいだで信しんじられており、多おおくの生霊いきりょうの話はなしが文学ぶんがく作品さくひんや伝承でんしょう資料しりょうに残のこされている^[1]^[2]。広辞苑こうじえんによれば、生霊いきりょうは生いきている人ひとの怨霊おんりょうで祟たたりをするものとされているが^[3]、実際じっさいには怨うらみ以外いがいの理由りゆうで他者たしゃに憑く話はなしもあり（後述こうじゅつ）、死しの間際まぎわの人間にんげんの霊れいが生霊いきりょうとなって動うごき回まわったり、親したしい者ものに逢あいに行いったりするといった事例じれいも見みられる^[2]。

古典こてん文学ぶんがく

古典こてん文学ぶんがくでは、『源氏物語げんじものがたり』（平安へいあん時代じだい中期ちゅうき成立せいりつ）において、源みなもと氏しの愛人あいじんである六ろく条じょう御息所みやすんどころが生霊いきりょう〔いきすだま〕となって源みなもと氏しの子こを身籠みごもった葵あおいの上じょうを呪まじない殺ころす話はなしが有名ゆうめいであるが^[4]、能楽のうがくの『葵あおい上じょう』もその題材だいざいの翻案ほんあんである。

また、『今昔こんじゃく物語ものがたり集しゅう』（平安へいあん末期まっき成立せいりつ）の「近江おうみ国こくの生霊いきりょうが京きょうに来きたりて人ひとを殺ころす話はなし」では、ある身分みぶんの低ひくい（下臈げろうの）者しゃが、四よつ辻つじで女おんなに会あい、某ぼう民みん部ぶ大夫たいふの邸やしきまでの道案内みちあんないを頼たのまれるが、じつは、その女おんながその大夫たいふに捨すてられた妻つまの生霊いきりょうだったと後のちになって判明はんめいする。邸やしきにつくと、門もんが閉とざされているのに女おんなは消きえてしまい、しばらくすると中なかで泣なき騒さわぐ音おとが聞きこえた。翌朝よくあさ尋たずねると、家いえの主人しゅじんが自分じぶんを病やまいにさせていた近江おうみの妻つまの生霊いきりょうがとうとう現あらわれた、とわめきたて、まもなく死しんだという。下臈げろうが、近江おうみまでその婦人ふじんを尋たずねると、御簾みす越こしに謁見えっけんをゆるし、確たしかにそういうことがあったと認みとめ、礼れいの品しななどでもてなしたという^[5]^[6]。

憎にくらしい相手あいてや殺ころしたい相手あいてに生霊いきりょうが憑く話はなしと比くらべると数かずが少すくないが、恋こいする相手あいてに取とりつく話はなしもある。江戸えど中期ちゅうきの随筆ずいひつ集しゅう『翁草おきなぐさ』56巻かん「松任まっとう屋や幽霊ゆうれい」によれば、享とおる保ほ14か15年ねん（1729年ねん-30年ねん）、京都きょうとに松任まっとう屋や徳兵衛とくべえの14、5歳さいの息子むすこ、松之助まつのすけに近所きんじょの二人ふたりの少女しょうじょが恋こいをし、その霊れいが取とりついた。松之助まつのすけは、呵責かしゃくにさいなむ様子ようすで、宙ちゅうに浮うくなど体からだは激はげしく動うごき、霊れいの姿すがたは見みえないが、それらと会話かいわする様子ようすもくりかえされた（ただし霊れいの言葉ことばは男おとこの口くちから発はっせられていた）。家いえではついに高名こうみょうな象ぞう海うみ慧とし湛たたえ（1682-1733）にすがり折伏しゃくぶくを試こころみて、松之助まつのすけの病やまいも回復かいふくしたが、巷ちまたに噂うわさが広ひろまり好奇こうきの見物人けんぶつにんがたかるようになってしまった^[7]^[8]。

また、寛文ひろふみ時代じだいの奇談きだん集しゅう『曽そ呂りょ利り物語ものがたり』にある一いち篇へんでは、女おんなの生霊いきりょうが抜ぬけ首くびとなってさまよい歩あるく。ある夜よる、上方かみがたへの道中どうちゅうの男おとこが、越前えちぜん国こく北きたの庄しょう（現げん福井ふくい市し）の沢谷さわたにというところで、石塔せきとうの元もとから鶏にわとりが道みちに舞まい降おりたのを見みる、と思おもいきや、それは女おんなの生首なまくびであった。男おとこが斬きりつけて、その首くびを府中ふちゅう「かみひぢ」（武生たけお市し上市かみいちか？）の家いえまで追おいつめると、中なかで女房にょうぼうが悪夢あくむから目覚めざめて夫おっとを起おこし、「外そとで男おとこに斬きりつけられて逃にげまどう夢ゆめを見みた」と語かたる。このことから、かつては夢ゆめとは生霊いきりょうが遊あそび歩あるいている間あいだに見みている光景こうけいという一いち解釈かいしゃくが存在そんざいしたことが窺うかがえる^[1]^[9]^[10]^[11]^[12]。

民間みんかん信仰しんこう

死しに瀕ひんした人間にんげんの魂たましいが生霊いきりょうとなる伝承でんしょうが、日本にっぽん全国ぜんこくに見みられる。青森あおもり県けん西津軽にしつがる郡ぐんでは、死しの直前ちょくぜんの魂たましいが出歩であるいたり物音ものおとを立たてるのを「アマビト（あま人じん）」といい、逢あいたい人ひとのもとを訪たずねるという^[13]^[14]^[15]。柳田やなぎだ國男くにおによれば、「あま人じん」と同様どうよう、秋田あきた県けん仙北せんぼく郡ぐんの伝承でんしょうではこのように自分じぶんの魂たましいを遊離ゆうりさせてその光景こうけいを夢見ゆめみできる能力のうりょくを「飛とびだまし」^[13]と称しょうしていた。同おなじく秋田あきた県けんの鹿角かつの地方ちほうでは、知人ちじんを訪たずねる死際しにぎわの生霊いきりょうが「オモカゲ（面影おもかげ）」と呼よばれていたが、生前せいぜんの人間にんげんの姿すがたをして足あしが生はえており、足音あしおとを立たてたりもする^[15]^[16]。

また柳田やなぎだの著書ちょしょ『遠野とおの物語ものがたり拾遺しゅうい』によれば、岩手いわて県けん遠野とおの地方ちほうでは、「生者しょうじゃや死者ししゃの思おもいが凝こって出歩であるく姿すがたが、幻まぼろしになって人ひとの目めに見みえる」ことを「オマク」と称しょうし、その一いち例れいとして傷寒しょうかん（急性きゅうせい熱性ねっせい疾患しっかん）で重体じゅうたいなはずの娘むすめの姿すがたが死しの前日ぜんじつに、土淵つちぶち村むら光ひかり岸がん寺てらの工事こうじ現場げんばに現あらわれた話はなしを挙あげている^[17]^[18]^[15]。『遠野とおの物語ものがたり』に関かんして柳田やなぎだの主要しゅよう情報じょうほう源げんだった佐々木ささき喜き善ぜんは、このときまだ幼少ようしょうで、柳田やなぎだは目撃もくげき現場げんばにいた別べつの人物じんぶつからこの例話れいわを収録しゅうろくしたとしており、佐々木ささき当人とうにんは「オマク」という言葉ことばは知しらず、ただ「オモイオマク」（おそらく「思おもい思おもえはく」）と言いう表現ひょうげんには覚おぼえがあることを鈴木すずき棠三が尋たずね出だしている^[19]。

能登半島のとはんとうでは「シニンボウ（死人しにん坊ぼう）」といって、数日すうじつ後ごに死しを控ひかえた者ものの魂たましいが檀那寺だんなでらへお礼参れいまいりに行いくという^[20]^[16]。こうした怪異かいいはほかの地域ちいきにも見みられ、特とくに戦時せんじ中なか、はるか日本にっぽん国外こくがいの戦地せんちにいるはずの人ひとが、肉親にくしんや知人ちじんのもとへ挨拶あいさつに訪おとずれ、当人とうにんは戦地せんちで戦死せんししていたという伝承でんしょうが多おおくみられる^[16]。

また昭和しょうわ15年ねん（1940年ねん）の三重みえ県けん梅うめ戸井とい村むら（現げん・いなべ市し）の民俗みんぞく資料しりょうには前述ぜんじゅつの『曾呂利り物語ものがたり』と同様どうようの話はなしがあり、深夜しんやに男おとこたちが火ひの玉たまを見みつけて追おいかけたところ、その火ひの玉たまは酒蔵さかぐらに入はいり、中なかで眠ねむっていた女中じょちゅうが目覚めざめて「大勢おおぜいの男おとこたちに追おいかけられて逃にげて来きた」と語かたったことから、あの火ひの玉たまは女おんなの魂たましいとわかったという^[1]。

病やまいとされた生霊いきりょう

江戸えど時代じだいには生霊いきりょうが現あらわれることは病気びょうきの一種いっしゅとして「離はなれ魂たましい病びょう」（りこんびょう）、「影かげの病やまい」（かげのやまい）、「カゲワズライ」の名なで恐おそれられた。自分じぶん自身じしんと寸分すんぶん違ちがわない生霊いきりょうを目撃もくげきしたという、超ちょう常つね現象げんしょうのドッペルゲンガーを髣髴ほうふつさせる話はなしや^[10]、生霊いきりょうに自分じぶんの意識いしきが乗のり移うつり、自分じぶん自身じしんを外側そとがわから見みたと言いう体験たいけん談だんもある^[21]。また平安へいあん時代じだいには生霊いきりょうが歩あるく回まわることを「あくがる」と呼よんでおり、これが「あこがれる」という言葉ことばの由来ゆらいとされているが^[1]、あたかも体からだから霊れいだけが抜ぬけ出だして意中いちゅうの人ひとのもとへ行いったかのように、想おもいを寄よせるあまり心こころここにあらずといった状態じょうたいを「あこがれる」というためと見みられている^[22]。