(Translated by https://www.hiragana.jp/)
今昔物語集 - Wikipedia コンテンツにスキップ

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴鹿すずかほん鎌倉かまくら中期ちゅうきうつし

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』(こんじゃくものがたりしゅう)とは、平安へいあん時代じだい末期まっき成立せいりつしたとられる説話せつわしゅうである。ぜん31かん。ただし8かん・18かん・21かんけている。 『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』という名前なまえは、かく説話せつわすべてが「こんむかし」というしからはじまっていること由来ゆらいする便宜べんぎてき通称つうしょうである。

成立せいりつ

[編集へんしゅう]

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』の成立せいりつ年代ねんだい作者さくしゃ現在げんざい不明ふめいである。

年代ねんだい

[編集へんしゅう]

11世紀せいき後半こうはんこっただい規模きぼ戦乱せんらんであるぜんきゅうねんやくこうさんねんやくかんする説話せつわ収録しゅうろくしようとした形跡けいせきられることから[ちゅう 1]1120年代ねんだい以降いこう成立せいりつであることが推測すいそくされている。一方いっぽう、『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』が資料しりょうられるようになるのは1449ねんのことである[1]成立せいりつ時期じきはこの1120年代ねんだい~1449ねんあいだということになるが、もとらん平治へいじらんうけたまわ寿ことぶきひさしらんなど、12世紀せいきなか以降いこう年代ねんだいきたひとならば驚天動地きょうてんどうちおも大事だいじだったはずの歴史れきしてき事件じけん背景はいけいとする説話せつわがいっさい収録しゅうろくされていないことから、上限じょうげんの1120年代ねんだいからあまりとおくない白河しらかわ法皇ほうおう鳥羽とば法皇ほうおうによる院政いんせい成立せいりつしたものとられている[2]成立せいりつとほぼどう時期じき写本しゃほんかんがえられる鈴鹿すずかきゅう蔵本ぞうほん鈴鹿すずかほん国宝こくほう)のていいとについて放射ほうしゃせい炭素たんそ年代ねんだい測定そくてい実施じっしした結果けっかも、もっとふるいもので1000ねんから1200ねん年代ねんだいしめしており、成立せいりつ年代ねんだい裏付うらづける結果けっかとなっている[3]

作者さくしゃ

[編集へんしゅう]

作者さくしゃについてはっきりだれいたものであるかはかっていない。

しょほん

[編集へんしゅう]

現存げんそんする『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』の写本しゃほん鈴鹿すずかほん子孫しそんである[4][5]鈴鹿すずかほん1833ねん天保てんぽう4ねん)には「奈良ならじんぼう」、1844ねん天保てんぽう15ねん)には鈴鹿すずかれんたね所有しょゆうであり、この時期じきばん信友のぶとも調査ちょうさして、しょほんほんであることを指摘してきしている。その鈴鹿すずかつたえられ、1920ねん大正たいしょう9ねん)、鈴鹿すずかさんななの『異本いほん今昔こんじゃく物語ものがたりしょう』というしょう冊子さっしによってられた。最終さいしゅうてきに、1991ねん子孫しそんから京都大学きょうとだいがく付属ふぞく図書館としょかん寄贈きぞうされ、1996ねん6月27にち国宝こくほう指定していされた[6]

内容ないよう

[編集へんしゅう]

構成こうせい

[編集へんしゅう]

天竺てんじく(インド)、ふるえだん中国ちゅうごく)、本朝ほんちょう日本にっぽん)のさん構成こうせいされる。各部かくぶでは因果応報いんがおうほうたんなどの仏教ぶっきょう説話せつわ紹介しょうかいされ、そのあとに諸々もろもろものばなしつづ体裁ていさいをとっている。

いくつかの例外れいがいのぞいて、それぞれの物語ものがたりはいずれも「今昔こんじゃく」(「いまむかし」=「いまとなってはむかしのことだが、」)というしのはじまり、「トナムでんへタルトヤ」(「と、なむかたつたえたるとや」=「〜と、このようにかたつたえられているのだという」)というむすびのわる。

その特徴とくちょうとしては、よくものばなしへん(ときにはさんへんつづけて紹介しょうかいする「一類いちるい様式ようしき」があげられる。

はらはなし

[編集へんしゅう]

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』に採録さいろくされている説話せつわは、『宇治うじ拾遺しゅうい物語ものがたり』や『古本ふるもと説話せつわしゅう』、『宇治うじ大納言だいなごん物語ものがたり[ちゅう 2]などにも採録さいろくされており、たがいによくている。共通きょうつうする説話せつわかずは『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』と『宇治うじ拾遺しゅうい物語ものがたりあいだでは81、『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』と『古本ふるもと説話せつわしゅう』のあいだでは31、『宇治うじ拾遺しゅうい物語ものがたり』と『古本ふるもと説話せつわしゅう』のあいだでは22にのぼる。だい多数たすうたがいによくており、なかには一言ひとこといち一致いっちする場合ばあいさえある。したがって、『宇治うじ大納言だいなごん物語ものがたり』をのぞくこれらの3しょがそれぞれに取材しゅざいした資料しりょうおなじであったか、そうってもよいほどちか関係かんけいにあったことをしめしているようにおもわれる。しかし、これら3しょ取材しゅざいした資料しりょう散逸さんいつした『宇治うじ大納言だいなごん物語ものがたり』ではないかとだれもがかんがえるが、その証拠しょうこなにもない。『宇治うじ大納言だいなごん物語ものがたり』の南北なんぼくあさ時代じだいさかいきゅうられなくなる。南北なんぼくあさ時代じだい以降いこう文献ぶんけんにこのしるされていても、実体じったいは『宇治うじ拾遺しゅうい物語ものがたり』や『しょう世継よつぎ』であると推定すいていできる。『宇治うじ大納言だいなごん物語ものがたり』はおそらく南北なんぼくあさ戦乱せんらん応仁おうにんらんのころに散逸さんいつしてしまい、その書名しょめいだけが作品さくひん混同こんどうされるようになったのであろう。『宇治うじ大納言だいなごん物語ものがたり』がこのからったころしくも『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』が文献ぶんけんうえはじめて姿すがたあらわしてくる[7]

本朝ほんちょう世俗せぞくはなしには典拠てんきょあきらかでない説話せつわおおふくまれる。

文体ぶんたい

[編集へんしゅう]

原文げんぶん鈴鹿すずかほん)は平易へいい漢字かんじ仮名がなじりぶん和漢混淆文わかんこんこうぶん[ちゅう 3]かれ、その文体ぶんたいはあまり修辞しゅうじこごらないものである。一方いっぽう擬態語ぎたいご多用たようなどにより、臨場りんじょうかんそなえる。芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけは『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう鑑賞かんしょう』で、「うつくしいなまなましさ」「野蛮やばんかがやいている」とひょうしている。

極力きょくりょく、どの地域ちいきの、なにというひとはなしかということを明記めいきする方針ほうしんかれ、それらがあきらかでない場合ばあいには意識いしきてき空白くうはくもうけ、他日たじつ補充ほじゅうかたち文章ぶんしょう構成こうせいされている。たとえば、典拠てんきょとなった文献ぶんけんで「むかし々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」というしからはじまる説話せつわがあり、その人名じんめい具体ぐたいてきにはつたわっていない場合ばあいであっても、そのはなしを『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』に収録しゅうろくするさいには「こんむかし、  ノくにニ  トイフじんアリケリ」とのかたち記述きじゅつされ、後日ごじつそれらの情報じょうほうあきらかになった場合ばあいにはただちに加筆かひつできる仕様しようになっている。このような編纂へんさん意図いとから発生はっせいした意識いしきてき欠落けつらく部分ぶぶん非常ひじょうおおいのが、ほん説話せつわしゅうおおきな特徴とくちょうである。

各巻かくかん内容ないよう

[編集へんしゅう]

天竺てんじく

[編集へんしゅう]

まきだいいちからまきだいよんまでは仏教ぶっきょう説話せつわまきだい仏教ぶっきょう説話せつわ釈迦しゃか前世ぜんせいたんふくむ。

  • まきだいいち 天竺てんじく釈迦しゃか降誕こうたん神話しんわされた生涯しょうがい
  • まきだい 天竺てんじく釈迦しゃかいた説法せっぽう
  • まきだいさん 天竺てんじく釈迦しゃか衆生しゅじょう教化きょうか入滅にゅうめつ
  • まきだいよん 天竺てんじくづけふつ釈迦しゃか入滅にゅうめつ仏弟子ぶつでし活動かつどう
  • まきだい 天竺てんじくづけ仏前ぶつぜん釈迦しゃかほんせいたん過去かこかかわる説話せつわ

ふるえだん

[編集へんしゅう]

まきだいろくからまきだいきゅうまでが仏教ぶっきょう説話せつわ

  • まきだいろく ふるえだんづけ仏法ぶっぽう中国ちゅうごくへの仏教ぶっきょう渡来とらい流布るふ
  • まきだいなな ふるえだんづけ仏法ぶっぽうだい般若はんにゃけい法華経ほけきょう功徳くどく霊験れいけんたん
  • まきだいはち かけまき
  • まきだいきゅう ふるえだんづけ孝養こうよう孝子たかこたん
  • まきだいじゅう ふるえだんづけ国史こくし中国ちゅうごく史書ししょ小説しょうせつられる奇異きいたん

本朝ほんちょう日本にっぽん仏法ぶっぽう

[編集へんしゅう]
  • まきだいじゅういち 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう日本にっぽんへの仏教ぶっきょう渡来とらい流布るふ
  • まきだいじゅう 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう法会ほうえ縁起えんぎ功徳くどく
  • まきだいじゅうさん 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう法華経ほけきょう読誦とくしょう功徳くどく
  • まきだいじゅうよん 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう法華経ほけきょう霊験れいけんたん
  • まきだいじゅう 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう僧侶そうりょ往生おうじょうたん
  • まきだいじゅうろく 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう観世音菩薩かんぜおんぼさつ霊験れいけんたん
  • まきだいじゅうなな 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう地蔵じぞう菩薩ぼさつ霊験れいけんたん
  • まきだいじゅうはち かけまき
  • まきだいじゅうきゅう 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう俗人ぞくじん出家しゅっけ往生おうじょう奇異きいたん
  • まきだいじゅう 本朝ほんちょうづけ仏法ぶっぽう天狗てんぐ冥界めいかい往還おうかん因果応報いんがおうほう

本朝ほんちょう世俗せぞく

[編集へんしゅう]
  • まきだいじゅういち かけまき
  • まきだいじゅう ほんあさ藤原ふじわら列伝れつでん
  • まきだいじゅうさん ほんあさ強力きょうりょくたん
  • まきだいじゅうよん 本朝ほんちょうづけ世俗せぞく芸能げいのうたん
  • まきだいじゅう 本朝ほんちょうづけ世俗せぞく合戦かっせんたけいさむたん
  • まきだいじゅうろく 本朝ほんちょうづけ宿やどほう宿やどほうたん
  • まきだいじゅうなな 本朝ほんちょうづけれいおに変化へんか怪異かいいたん
  • まきだいじゅうはち 本朝ほんちょうづけ世俗せぞく滑稽こっけいたん
  • まきだいじゅうきゅう 本朝ほんちょうづけ悪行あくぎょう盗賊とうぞくたん動物どうぶつたん
  • まきだいさんじゅう 本朝ほんちょうづけ雑事ざつじうた物語ものがたり恋愛れんあいたん
  • まきだいさんじゅういち 本朝ほんちょうづけ雑事ざつじ奇異きい怪異かいいたん追加ついか拾遺しゅうい

影響えいきょう評価ひょうか

[編集へんしゅう]

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』にそうった近代きんだい小説しょうせつおおい。なかでも大正たいしょう時代じだい芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけによる『羅生門らしょうもん』と『はな』は有名ゆうめいである。

週刊しゅうかん朝日あさひ』に1978ねんから長期ちょうき連載れんさいされた「デキゴトロジー」は、「現代げんだいの『今昔こんじゃく物語ものがたり』」を標榜ひょうぼうしていた[8]

河合かわい隼雄はやおによると、『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』の内容ないようは「むかしいま」とみかえたいほどで、ひとつひとつの物語ものがたり近代きんだいえる知恵ちえふくんでおり、その理由りゆうとしては、当時とうじ日本人にっぽんじん意識いしき外界がいかい内界ないかい区別くべつしないまま、それによって把握はあくされた現実げんじつ忠実ちゅうじつめているてんにあるとしている。ポストモダンの問題もんだい意識いしきは、それがデカルトてき心身しんしん二元論にげんろんまと切断せつだんをいかに超越ちょうえつするかにあり、そのてんで『今昔こんじゃく物語ものがたり』はしん有効ゆうこう素材そざい提供ていきょうするとしている[9]

現代げんだい注釈ちゅうしゃくしょ・テキスト

[編集へんしゅう]

日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう

[編集へんしゅう]

小学館しょうがくかんより、1971ねんから1976ねんにかけて刊行かんこうまき11から31にかけての本朝ほんちょう仏法ぶっぽう本朝ほんちょう世俗せぞくをおさめる。

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 1』 まき11~14
まき11・13・14は実践女子大学じっせんじょしだいがく蔵本ぞうほん黒川くろかわきゅうぞう)、まき12は鈴鹿すずかほん底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 2』 まき15~19(まき18かけ
まき15・16・19は実践女子大じっせんじょしだいほんまき17は鈴鹿すずかほん底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 3』 まき20~26(まき21かけ
まき20・22・24は実践女子大じっせんじょしだいほんまき23・25・26は東京大学とうきょうだいがく国語こくご研究けんきゅうしつ蔵本ぞうほん紅梅こうばい文庫ぶんこきゅうぞう)が底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 4』 まき27~31
まき27・29は鈴鹿すずかほんまき28・30・31は東大とうだいほん底本ていほん

しん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい

[編集へんしゅう]

岩波書店いわなみしょてん、1993ねんから1999ねんにかけ刊行かんこう。2001ねん索引さくいん刊行かんこう

  • 岩波いわなみ文庫ぶんこしょうばん今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』がある(池上いけがみまこといちへん天竺てんじくふるえだん/本朝ほんちょう上中かみなか)、2001ねん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 1』岩波書店いわなみしょてんISBN 4-00-240033-6 C0391。  まき1~5
まき1・3・4は東大とうだいほんまき2・5は鈴鹿すずかほん底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 2』岩波書店いわなみしょてんISBN 4-00-240034-4 C0391。  まき6~10(まき8かけ
まき7・9・10は鈴鹿すずかほんまき6は東大とうだいほん底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 3』岩波書店いわなみしょてんISBN 4-00-240035-2 C0391。  まき11~16
まき11・13・14・15・16は東大とうだいほんまき12は鈴鹿すずかほん底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 4』岩波書店いわなみしょてんISBN 4-00-240036-0 C0391。  まき17~25(まき18・21かけ
まき17は鈴鹿すずかほんまき19・22・25は東大とうだいほんまき20は実践女子大じっせんじょしだいほんまき23は静嘉堂文庫せいかどうぶんこほんまき24はカリフォルニア大学だいがくバークレーこうひがしアジア図書館としょかんほんきゅう三井みつい文庫本ぶんこぼん)が底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 5』岩波書店いわなみしょてんISBN 4-00-240037-9 C0391。  まき26~31
まき26は東大とうだいほんまき27・29は鈴鹿すずかほんまき28・30・31がよもぎひだり文庫ぶんこ蔵本ぞうほん底本ていほん

新編しんぺん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう

[編集へんしゅう]

小学館しょうがくかんより、1999ねんから2002ねんにかけて刊行かんこうまき11から31にかけての本朝ほんちょう仏法ぶっぽう本朝ほんちょう世俗せぞくをおさめる。

今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 1』 まき11~14
底本ていほん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅうおなじ。
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 2』 まき15~19(まき18かけ
底本ていほん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅうおなじ。
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 3』 まき20~26(まき21かけ
まき20・22・24・25・26は実践女子大じっせんじょしだいほんまき23は東大とうだいほん底本ていほん
今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 4』 まき27~31
底本ていほん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅうおなじ。

その 現代げんだいやく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ ただし後者こうしゃについては説話せつわめいのみのこされており、本文ほんぶんつたわっていない。
  2. ^ 散逸さんいつしている。
  3. ^ ただし、ひらがなではなくカタカナである。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 大乗だいじょういんけいさとし日記にっきけいさとしわたしよう鈔』たから徳元とくもと(1449ねんねんなながつよんにちじょうよんにち、霽、夕立ゆうだち今昔こんじゃく物語ものがたり七帖返遣貞兼僧正畢、…」
  2. ^ 修験しゅげんみち さんこく伝記でんき世界せかい』、pp.8-21 では成立せいりつねんだいは1130ねん-1150ねん推定すいていしている。
  3. ^ 小田おだひろしたか中村なかむら俊夫としお川路かわじあきら「『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』「鈴鹿すずかほん」の加速器かそくき質量しつりょう分析ぶんせきほうによる14C年代ねんだい測定そくてい」『名古屋大学なごやだいがく加速器かそくき質量しつりょう分析計ぶんせきけい業績ぎょうせき報告ほうこくしょ』6、pp. 99-117、1995ねん3がつ
  4. ^ 修験しゅげんみち さんこく伝記でんき世界せかいだいいちへん今昔こんじゃく物語ものがたり」の世界せかい池上いけがみまこといち、1999ねん、以文しゃ、pp.8-21
  5. ^ 今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう 文化ぶんか遺産いさんオンライン
  6. ^ 小田おだひろしたか中村なかむら俊夫としお川路かわじあきら「『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』「鈴鹿すずかほん」の加速器かそくき質量しつりょう分析ぶんせきほうによる14C年代ねんだい測定そくてい」『名古屋大学なごやだいがく加速器かそくき質量しつりょう分析計ぶんせきけい業績ぎょうせき報告ほうこくしょ』6、pp. 102-103、1995ねん3がつ
  7. ^ 修験しゅげんみち さんこく伝記でんき世界せかい』、pp.12-13
  8. ^ 週刊しゅうかん朝日あさひ』2023ねん4がつ14にちごう、162-165ぺーじ
  9. ^ 河合かわい隼雄はやお対話たいわするなま』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ、1992ねん新版しんぱん・だいわ文庫ぶんこ、2006ねん2がつ

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 修験しゅげんみち さんこく伝記でんき世界せかいだいいちへん今昔こんじゃく物語ものがたり」の世界せかい池上いけがみまこといち、1999ねん、以文しゃ、p.8-21

関連かんれん資料しりょう

[編集へんしゅう]
  • 佐藤さとう辰雄たつお今昔こんじゃく物語ものがたりしゅうだい日本国にっぽんこく法華ほっけ経験けいけん受容じゅようをめぐって(うえ)」、『実践じっせん女子じょし短大たんだい評論ひょうろんだい18ごう実践女子大学じっせんじょしだいがく、pp. 1-20, 1997ねん1がつ16にちNAID 110007470889
  • 佐藤さとう辰雄たつお今昔こんじゃく物語ものがたりしゅうだい日本国にっぽんこく法華ほっけ経験けいけん受容じゅようをめぐって(なか)」、『実践じっせん女子じょし短大たんだい評論ひょうろんだい19ごう実践女子大学じっせんじょしだいがく、pp. 1-21, 1998ねん1がつ16にちNAID 110007470902
  • 佐藤さとう辰雄たつお今昔こんじゃく物語ものがたりしゅうだい日本国にっぽんこく法華ほっけ経験けいけん受容じゅようをめぐって(した)」、『実践じっせん女子じょし短大たんだい評論ひょうろんだい20ごう実践女子大学じっせんじょしだいがく、pp. 1-24, 1999ねん1がつ16にちNAID 110007470914

関連かんれん作品さくひん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]