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『デーヴィー・マーハートミャ 』の現存 げんそん する最古 さいこ の複製 ふくせい 。11世紀 せいき のネパール で、ブジモール (英語 えいご 版 ばん ) という書体 しょたい を使 つか って書 か かれており、椰子 やし の葉 は からできている (貝 かい 葉 は )。
サンスクリット (梵 : संस्कृतम् saṃskṛtam 、英 えい : Sanskrit [11] )は、古代 こだい インド・アーリア語 ご に属 ぞく する言語 げんご 。北西 ほくせい 方 かた からインド を訪 おとず れたとされるアーリア人 じん によって話 はな された古代 こだい 語 ご 。後 のち に文法 ぶんぽう 家 か パーニニ が文法 ぶんぽう を詳細 しょうさい に研究 けんきゅう した。
アーリア人 じん らが定住 ていじゅう した北 きた インド を中心 ちゅうしん に南 みなみ アジア で用 もち いられ、その影響 えいきょう を受 う けた東 ひがし アジア 、東南 とうなん アジア の一部 いちぶ でも使用 しよう された。文学 ぶんがく 、哲学 てつがく 、学術 がくじゅつ 、宗教 しゅうきょう などの分野 ぶんや で広 ひろ く用 もち いられ、特 とく に大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう の多 おお くの仏典 ぶってん がこの言語 げんご で記 しる され、ヒンドゥー教 きょう では現在 げんざい でも礼拝 れいはい 用 よう 言語 げんご である。現在 げんざい では母語 ぼご 話者 わしゃ は少 すく ないが権威 けんい は大 おお きく、現代 げんだい インド では憲法 けんぽう 第 だい 8附則 ふそく で当初 とうしょ から公用 こうよう 語 ご に指定 してい されており、紙幣 しへい での金額 きんがく 記載 きさい にも含 ふく まれる[12] 。
サンスクリットは「正 まさ しく構成 こうせい された(言語 げんご 、雅語 がご )」を意味 いみ する[13] 。ただし、この言語 げんご が「サンスクリット」と呼 よ ばれるようになったのが確認 かくにん できるのは5世紀 せいき から6世紀 せいき ごろのことである。
また、「サンスクリット」のみで言語 げんご 自体 じたい を指 さ すが、日本語 にほんご では言語 げんご であることを明示 めいじ するためサンスクリット語 ご とも呼 よ ばれる。
漢字 かんじ 表記 ひょうき の梵語 ぼんご (ぼんご)は漢字 かんじ 文化 ぶんか 圏 けん でのサンスクリットの異称 いしょう 。サンスクリットの起源 きげん を造物 ぞうぶつ 神 しん 梵天 ぼんてん (ブラフマー )とするインドの伝承 でんしょう を基 もと にした言葉 ことば である。日本 にっぽん でも近代 きんだい 以前 いぜん から漢 かん 訳 やく 経典 きょうてん を通 つう じて「梵語 ぼんご 」が使 つか われた。
サンスクリットはインド・ヨーロッパ語族 ごぞく のインド・イラン語 ご 派 は インド語 ご 群 ぐん に属 ぞく する古代 こだい 語 ご である。
リグ・ヴェーダ (最古 さいこ 部 ぶ は紀元前 きげんぜん 1500年 ねん 頃 ごろ )をはじめとするヴェーダ文献 ぶんけん に用 もち いられていたヴェーダ語 ご をその祖 そ とする。ヴェーダ語 ご の最 さい 古層 こそう は、インド・イラン語 ご 派 は イラン語 ご 群 ぐん に属 ぞく する古典 こてん 語 ご であるアヴェスター語 ご のガーサーの言語 げんご (古 こ アヴェスター語 ご )と非常 ひじょう に近 ちか い。
ヴェーダ語 ご は紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき から紀元前 きげんぜん 4世紀 せいき にパーニニ がその文法 ぶんぽう を規定 きてい し、体系 たいけい が固定 こてい された。その後 ご 、彼 かれ の学 がく 統 みつる に属 ぞく するカーティヤーヤナおよびパタンジャリ がこの理論 りろん の補遺 ほい 及 およ び修正 しゅうせい を行 おこな い、最終 さいしゅう 的 てき に整備 せいび された。この3人 にん 、とくにパタンジャリ以後 いご の言語 げんご は古典 こてん サンスクリットと呼 よ ばれる。古典 こてん サンスクリット成立 せいりつ 後 ご も、5世紀 せいき のバルトリハリ などの優 すぐ れた文法 ぶんぽう 学者 がくしゃ が輩出 はいしゅつ し、文法 ぶんぽう 学 がく の伝統 でんとう は続 つづ いていった[19] 。
パーニニの記述 きじゅつ からはサンスクリットが北 きた インド の広 ひろ い領域 りょういき で使用 しよう されていたことがうかがえるが、この時期 じき にはすでにサンスクリットは文語 ぶんご 化 か しており、インド各地 かくち の地方 ちほう 口語 こうご (プラークリット と呼 よ ばれる)が用 もち いられるようになっていた。紀元前 きげんぜん 3世紀 せいき にマウリヤ朝 あさ のアショーカ王 おう によって刻 きざ まれたインド現存 げんそん 最古 さいこ の碑文 ひぶん であるアショーカ王 おう 碑文 ひぶん はサンスクリットでなくプラークリットで刻 きざ まれており、また上座 かみざ 部 ぶ 仏教 ぶっきょう (南 みなみ 伝 でん 仏教 ぶっきょう )の仏典 ぶってん もプラークリットに属 ぞく するパーリ語 ご で記 しる されている[22] のは、この言語 げんご 交代 こうたい が当時 とうじ すでに起 お こっていたことを示 しめ している。しかしサンスクリットは典礼 てんれい 言語 げんご として定着 ていちゃく しており、宗教 しゅうきょう (ヒンドゥー教 きょう ・仏教 ぶっきょう など)・学術 がくじゅつ ・文学 ぶんがく 等 ひとし の分野 ぶんや で幅広 はばひろ く長 なが い期間 きかん にわたって用 もち いられた。こうしたサンスクリット文化 ぶんか の伝承 でんしょう 者 しゃ はおもにパンディット と呼 よ ばれる学者 がくしゃ であり、彼 かれ らは膨大 ぼうだい な文章 ぶんしょう の暗記 あんき を行 おこな い、それを読誦 とくしょう し、口伝 くでん によって後世 こうせい へと伝 つた えていった。
グプタ朝 あさ ではサンスクリットを公用 こうよう 語 ご とし[24] 、カーリダーサ などに代表 だいひょう されるサンスクリット文学 ぶんがく が花開 はなひら いた[25] 。この時期 じき には碑文 ひぶん は完全 かんぜん にプラークリットからサンスクリットで刻 きざ まれるように変化 へんか しており、また7世紀 せいき ごろには外交 がいこう 用語 ようご として使用 しよう されるようになっていた。10世紀 せいき 末 まつ のガズナ朝 あさ 以降 いこう 、デリー・スルターン朝 あさ やムガル帝国 ていこく といった、北 きた インド で交代 こうたい を繰 く り返 かえ した中央 ちゅうおう アジア起源 きげん のインド王朝 おうちょう はペルシア語 ご を公用 こうよう 語 ご としたが、この時期 じき にもサンスクリットの学術 がくじゅつ 的 てき ・文化 ぶんか 的 てき 地位 ちい は揺 ゆ らぐことはなかった[28] 。
13世紀 せいき 以降 いこう のイスラム王朝 おうちょう 支配 しはい の時代 じだい (アラビア語 ご 、ペルシア語 ご の時代 じだい )から、大 だい 英 えい 帝国 ていこく 支配 しはい による英語 えいご の時代 じだい を経 へ て、その地位 ちい は相当 そうとう に低下 ていか したが、今 いま でも知識 ちしき 階級 かいきゅう において習得 しゅうとく する人 ひと も多 おお く、学問 がくもん や宗教 しゅうきょう の場 ば で生 い き続 つづ けている。1972年 ねん にデリー で第 だい 1回 かい 国際 こくさい サンスクリット会議 かいぎ が開 ひら かれたが、討論 とうろん から喧嘩 けんか までサンスクリットで行 おこな われたという。また、従来 じゅうらい はサンスクリットは男性 だんせい が使 つか うものであったが、現代 げんだい では女性 じょせい がサンスクリットを使 つか うようになってきている[29] 。
インドで実施 じっし される国勢調査 こくせいちょうさ においては現代 げんだい でもサンスクリットを母語 ぼご として申告 しんこく する人 ひと びとが少数 しょうすう ながら存在 そんざい し、2001年 ねん にはインドで14,135人 にん が[30] 、2011年 ねん にはインドで24,821人 にん [1] 、ネパールで1,669人 にん [2] がサンスクリットを母語 ぼご とすると回答 かいとう しているが、日常 にちじょう 語 ご として使用 しよう されているかについては疑問 ぎもん が呈 てい されている[31] 。
ただし日常 にちじょう 語 ご としての使用 しよう はなくともサンスクリット自体 じたい はいまだに生 い きている言語 げんご であり、インドではヴァーラーナシー はじめ数 すう か所 しょ にサンスクリットを教授 きょうじゅ 言語 げんご とする大学 だいがく が存在 そんざい するほか、テレビ でもサンスクリットによるニュース番組 ばんぐみ が存在 そんざい し、サンスクリットの雑誌 ざっし も発行 はっこう されており、さらにサンスクリット語 ご 映画 えいが も1983年 ねん から2019年 ねん までの間 あいだ に8本 ほん 製作 せいさく されている。
多 おお くの古代 こだい 語 ご と同様 どうよう 、サンスクリットが古代 こだい にどのように発音 はつおん されていたかは、かならずしも明 あき らかではない。
母音 ぼいん には、短 たん 母音 ぼいん a i u 、長 ちょう 母音 ぼいん ā ī ū e o 、二 に 重母音 じゅうぼいん ai au がある。e o がつねに長 なが いことに注意 ちゅうい 。短 みじか い a は、[ə] のようなあいまいな母音 ぼいん であった。ほかに音節 おんせつ 主音 しゅおん 的 てき な r̥ r̥̄ l̥ があったが、現代 げんだい ではそれぞれ ri rī li のように発音 はつおん される。r̥̄ l̥ は使用 しよう 頻度 ひんど が少 すく なく、前者 ぜんしゃ は r̥ で終 お わる名詞 めいし の複数 ふくすう 対格 たいかく ・属 ぞく 格 かく 形 かたち (例 れい :pitr̥̄n 「父 ちち たちを」)、後者 こうしゃ は kl̥p- 「よく合 あ う、適合 てきごう する」という動詞 どうし のみに現 あらわ れる。
音節 おんせつ 頭 あたま 子音 しいん は以下 いか の33種類 しゅるい があった。
そり舌 した 音 おん が発達 はったつ していることと、調音 ちょうおん 位置 いち を等 ひと しくする破裂 はれつ 音 おん に無声 むせい 無 む 気 き 音 おん ・無 む 声帯 せいたい 気 き 音 おん ・有 ゆう 声 ごえ 無 む 気 き 音 おん ・有 ゆう 声帯 せいたい 気 き 音 おん の4種類 しゅるい があることがサンスクリットの特徴 とくちょう である。このうち有 ゆう 声帯 せいたい 気 き 音 おん は実際 じっさい には息 いき もれ声 ごえ であり、これらの音 おと は現在 げんざい のヒンディー語 ご などにも存在 そんざい する。ヴェーダ語 ご には、ほかに ḷ もあった。リグ・ヴェーダでは、ḷ は母音 ぼいん に挟 はさ まれたときの ḍ の異 い 音 おと として現 あらわ れる。
c ch j jh は破裂 はれつ 音 おん [c cʰ ɟ ɟʱ] であったとする説 せつ と、破 やぶ 擦 ず 音 おと であったとする説 せつ がある。現代 げんだい では破 やぶ 擦 ず 音 おと として発音 はつおん する。ñ ([ɲ] ) と ṅ ([ŋ] ) は、つづりの上 うえ ではほかの鼻音 びおん と区別 くべつ して書 か かれるが、音韻 おんいん 的 てき には n の異 い 音 おと とみなされる。
音節 おんせつ 末 まつ のみに立 た つ子音 しいん としては、ṃ (同 どう 器官 きかん 的 てき な鼻音 びおん 、アヌスヴァーラ )と ḥ (無声音 むせいおん の[h] 、ヴィサルガ )がある。
ヴェーダ語 ご は高低 こうてい アクセント を持 も ち、単語 たんご によりアクセント の位置 いち が定 さだ まっていた。古典 こてん 時代 じだい のアクセントは不明 ふめい である。現代 げんだい においては、後 うし ろから4音節 おんせつ め(単語 たんご が4音節 おんせつ 未満 みまん なら先頭 せんとう )に強 つよ 勢 いきおい があり、ただし後 うし ろから2番目 ばんめ さもなくば3番目 ばんめ の音節 おんせつ が長 なが い(長 ちょう 母音 ぼいん ・二 に 重母音 じゅうぼいん を含 ふく む音節 おんせつ 、または閉音節 ぶし )場合 ばあい 、その音節 おんせつ に強 つよ 勢 ぜい が置 お かれる。
連声 れんじょう (連 れん 音 おん 、sandhi )はサンスクリットの大 おお きな特徴 とくちょう で、2つの形態素 けいたいそ が並 なら んだときに起 お きる音 おと 変化 へんか のことである。連 れん 音 おん 変化 へんか 自体 じたい はほかの言語 げんご にも見 み られるものだが、サンスクリットでは変化 へんか が規則 きそく 的 てき に起 お きることと、変化 へんか した後 のち の形 かたち で表記 ひょうき されることに特徴 とくちょう があり、連声 れんじょう の起 お きた後 のち の形 かたち から元 もと の形 かたち に戻 もど さなければ、辞書 じしょ を引 ひ くこともできない。
単語 たんご 間 あいだ の連声 れんじょう を外連 けれん 声 ごえ 、語幹 ごかん (または語根 ごこん )と語尾 ごび の間 あいだ の連声 れんじょう を内 うち 連声 れんじょう と言 い う。両者 りょうしゃ は共通 きょうつう する部分 ぶぶん もあるが、違 ちが いも大 おお きい。
外連 けれん 声 ごえ の例 れい として、a語幹 ごかん の名詞 めいし の単数 たんすう 主格 しゅかく の語尾 ごび である -aḥ の例 れい をあげる。
無声 むせい 子音 しいん が後続 こうぞく するとき、硬 かた 口蓋 こうがい 音 おん の前 まえ では -aś 、そり舌 した 音 おん の前 まえ では -aṣ 、歯音 しおん の前 まえ で -as に変化 へんか する。それ以外 いがい は -aḥ のまま[36] 。
有 ゆう 声 ごえ 子音 しいん が後続 こうぞく するときには -o に変化 へんか する。
a 以外 いがい の母音 ぼいん が後続 こうぞく するときには -a に変化 へんか する。
a が後続 こうぞく するときには、後続 こうぞく 母音 ぼいん と融合 ゆうごう して -o に変化 へんか する。
名詞 めいし は性 せい の区別 くべつ があり、数 かず と格 かく によって変化 へんか する。性 せい は男性 だんせい 、女性 じょせい 、中性 ちゅうせい があり、数 かず には単数 たんすう 、双 そう 数 すう 、複数 ふくすう に分 わ かれる。格 かく は主格 しゅかく 、呼 よび 格 かく 、対格 たいかく 、具 ぐ 格 かく 、与格 よかく 、奪 だつ 格 かく 、属 ぞく 格 かく 、処 しょ 格 かく の8つある。形容詞 けいようし は名詞 めいし と性 せい ・数 かず ・格 かく において一致 いっち する。代名詞 だいめいし は独特 どくとく の活用 かつよう を行 おこな う。
名詞 めいし ・形容詞 けいようし は語幹 ごかん の末尾 まつび によって変化 へんか の仕方 しかた が異 こと なる。とくに子音 しいん で終 お わる語幹 ごかん は、連 れん 音 おん による変化 へんか があるほか、語幹 ごかん そのものが変化 へんか することがある。
動詞 どうし は、人称 にんしょう と数 かず によって変化 へんか する。伝統 でんとう 的 てき な文法 ぶんぽう では、動詞 どうし は語根 ごこん (dhātu )によって示 しめ され、語根 ごこん から現在 げんざい 語幹 ごかん を作 つく る方法 ほうほう によって10種 しゅ に分 わ けられている。時制 じせい 組織 そしき は現在 げんざい ・未来 みらい ・不 ふ 完了 かんりょう 過去 かこ ・完了 かんりょう ・アオリスト を区別 くべつ するが、古典 こてん サンスクリットでは完了 かんりょう やアオリストは衰退 すいたい しつつあった。態 たい には、能動態 のうどうたい (Parasmaipada )と反射 はんしゃ 態 たい (Ātmanepada , ギリシア語 ご の中 ちゅう 動態 どうたい に相当 そうとう する。行為 こうい 者 しゃ 自身 じしん のために行 おこな われることを表 あらわ す)が存在 そんざい するが、実際 じっさい には両者 りょうしゃ の意味 いみ 上 じょう の違 ちが いは必 かなら ずしも明 あき らかでない。受身 うけみ はこれと異 こと なり、使役 しえき などとともに、動詞 どうし に接尾 せつび 辞 じ を付加 ふか することによって表 あらわ される。
動詞 どうし の法 ほう には直 ちょく 説法 せっぽう 、命令 めいれい 法 ほう 、希求 ききゅう 法 ほう (願望 がんぼう 法 ほう )、条件 じょうけん 法 ほう 、祈願 きがん 法 ほう (希求 ききゅう 法 ほう のアオリスト)がある。ヴェーダ語 ご にはほかに接続 せつぞく 法 ほう と指令 しれい 法 ほう があったが、パーニニの時代 じだい には(固定 こてい した表現 ひょうげん を除 のぞ き)失 うしな われていた。条件 じょうけん 法 ほう と祈願 きがん 法 ほう も古典 こてん サンスクリットでは衰退 すいたい している。
サンスクリットでは不定 ふてい 詞 し 、分詞 ぶんし 、動詞 どうし 的 てき 形容詞 けいようし (gerundive )などの準 じゅん 動詞 どうし が非常 ひじょう に発達 はったつ している。
サンスクリットでは複合語 ふくごうご が異常 いじょう に発達 はったつ し、他 た の言語 げんご では従属 じゅうぞく 節 ぶし を使 つか うところを、複合語 ふくごうご によって表現 ひょうげん する。
サンスクリットの語彙 ごい は非常 ひじょう に豊富 ほうふ であり、また複合語 ふくごうご を簡単 かんたん に作 つく ることができる。多義 たぎ 語 ご が多 おお い一方 いっぽう 、同義語 どうぎご ・類義語 るいぎご も多 おお い。
一 いち 例 れい として数詞 すうし をIAST方式 ほうしき のロ ろ ーマ字 まじ 表記 ひょうき で挙 あ げる。なお、サンスクリットでは語形 ごけい 変化 へんか や連 れん 音 おん によってさまざまな形 かたち をとるが、単語 たんご は語尾 ごび を除 のぞ いた語幹 ごかん の形 かたち であげるのが普通 ふつう であり、ここでもその慣習 かんしゅう による。
数詞 すうし
サンスクリット
ギリシア語 ご (参考 さんこう )倍数 ばいすう 接頭 せっとう 辞 じ
1
eka- , エーカ
hen-
2
dvi- , ドゥヴィ
di-
3
tri- , トゥリ
tri-
4
catur- , チャトゥル
tetra-
5
pañca- , パンチャ
penta-
6
ṣaṣ- , シャシュ
hexa-
7
sapta- , サプタ
hepta-
8
aṣṭa- , アシュタ
octa-
9
nava- , ナヴァ
ennea-
10
daśa- , ダシャ
deca-
実際 じっさい にはこれに語尾 ごび がつく。たとえば、tri- 「3」は i- 語幹 ごかん であるので、(複数 ふくすう )男性 だんせい 主格 しゅかく 形 がた は trayaḥ になる。さらにこの語 かたり が aśva- 「馬 うま 」を修飾 しゅうしょく する場合 ばあい は、連 れん 音 おん 変化 へんか によって trayo 'śvāḥ となる。
円形 えんけい グランタ文字 もじ による「ヨハネによる福音 ふくいん 書 しょ 」3章 しょう 16節 せつ 。言語 げんご はサンスクリット。19世紀 せいき 半 なか ば。
サンスクリットは本来 ほんらい 文字 もじ を持 も たない言語 げんご であり、その後 ご も近代 きんだい までは書記 しょき よりも読誦 とくしょう を主 おも とする文化 ぶんか が続 つづ いていた。このことが逆 ぎゃく に、時代 じだい ・地域 ちいき によって異 こと なる様々 さまざま な表記 ひょうき 法 ほう をサンスクリットにもたらした[44] 。サンスクリットが文字 もじ 表記 ひょうき されるようになるのは4世紀 せいき ごろにインド系 けい 文字 もじ の祖 そ であるブラーフミー文字 もじ がサンスクリット表記 ひょうき に使用 しよう されるようになってからであるが、この文字 もじ は本来 ほんらい より新 あたら しい言語 げんご であるプラークリット の表記 ひょうき のために開発 かいはつ された文字 もじ であり、正確 せいかく な表記 ひょうき のために新 あら たな表記 ひょうき 法 ほう が開発 かいはつ された[45] 。さらにブラーフミー文字 もじ 表記 ひょうき のサンスクリットはインド文化 ぶんか とともに東南 とうなん アジア諸国 しょこく に伝播 でんぱ し、この地 ち に多様 たよう なブラーフミー系 けい 文字 もじ を生 う み出 だ すこととなった[46] 。日本 にっぽん では伝統 でんとう 的 てき に悉曇 しったん 文字 もじ (シッダマートリカー文字 もじ の一種 いっしゅ 、いわゆる「梵字 ぼんじ 」)が使 つか われてきたし、南 みなみ インド ではグランタ文字 もじ による筆記 ひっき が、その使用 しよう 者 しゃ は少 すく なくなったものの現在 げんざい も伝 つた えられている[44] 。
現在 げんざい では、地域 ちいき を問 と わずインド全般 ぜんぱん にデーヴァナーガリー を使 つか ってサンスクリットを書 か くことが行 おこな われているが、このようになったのは最近 さいきん のことである。ラテン文字 もじ による翻 こぼし 字 じ 方式 ほうしき としてはIAST が一般 いっぱん 的 てき である。
情報 じょうほう 化 か の進展 しんてん により、コンピュータ やインターネット が普及 ふきゅう するようになってからは、子音 しいん の表現 ひょうげん が複雑 ふくざつ なデーヴァナーガリー に代 か わり、入力 にゅうりょく が比較的 ひかくてき 容易 ようい なIASTなどの表記 ひょうき が用 もち いられるようになっている[48] 。インド国内 こくない 向 む けのサイトを除 のぞ き、基本 きほん 的 てき にはIAST表記 ひょうき が中心 ちゅうしん である。
他 た 言語 げんご ・言語 げんご 学 がく への影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
300年 ねん から1800年 ねん にかけてのサンスクリットの文書 ぶんしょ や碑文 ひぶん が発見 はっけん されている地域 ちいき 。こうした歴史 れきし 的 てき な文書 ぶんしょ や碑文 ひぶん は南 みなみ アジア、東南 とうなん アジア、東 ひがし アジアの広 ひろ い地域 ちいき に存在 そんざい している
サンスクリットは近代 きんだい インド亜 あ 大陸 たいりく の諸 しょ 言語 げんご にも大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた言語 げんご であり、ドラヴィダ語族 ごぞく に属 ぞく する南 みなみ インド諸語 しょご に対 たい しても借用 しゃくよう 語 ご などを通 つう じて多大 ただい な影響 えいきょう を与 あた えた。さらには主 おも に宗教 しゅうきょう を通 つう じて東南 とうなん アジア や東 ひがし アジア にも影響 えいきょう を与 あた えた。東南 とうなん アジアへの伝播 でんぱ は主 おも にヒンドゥー教 きょう を通 つう じてのものであり、クメール王国 おうこく では15世紀 せいき ごろまでサンスクリットの碑文 ひぶん が多 おお く作 つく られた。また東 ひがし アジアへは大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう を通 つう じて中国 ちゅうごく やチベット に伝播 でんぱ した。
また、サンスクリットはヒンディー語 ご の成立 せいりつ に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた。もともと北 きた インドの広 ひろ い範囲 はんい ではヒンドゥスターニー語 ご を基盤 きばん としてペルシア語 ご やアラビア語 ご の語彙 ごい や文法 ぶんぽう を取 と り入 い れたウルドゥー語 ご が使用 しよう されていたのだが、19世紀 せいき に入 はい りイスラム教徒 きょうと とヒンドゥー教徒 きょうと の対立 たいりつ が激 はげ しくなると、ヒンドゥー教徒 きょうと 側 がわ はウルドゥー語 ご からペルシア語 ご やアラビア語 ご の借用 しゃくよう 語 ご を取 と り除 のぞ いてサンスクリットへと変 か える言語 げんご 純化 じゅんか を行 おこな い、ヒンディー語 ご が成立 せいりつ することとなった[52] 。この動 うご きは、1947年 ねん のインド・パキスタン分離 ぶんり 独立 どくりつ によってさらに強 つよ まった[53] 。
また、サンスクリットの研究 けんきゅう は言語 げんご 学 がく の成立 せいりつ と深 ふか くかかわっている。イギリスの裁判官 さいばんかん であったウィリアム・ジョーンズ は、ベンガル最高法院 さいこうほういん に赴任 ふにん していた1786年 ねん 、サンスクリットとギリシア語 ご やラテン語 らてんご といった欧州 おうしゅう 系 けい 諸 しょ 言語 げんご 、さらに古代 こだい ペルシア語 ご との文法 ぶんぽう の類似 るいじ 点 てん に気 き づき、これら諸語 しょご が共通 きょうつう の祖語 そご から分岐 ぶんき したとの説 せつ をベンガル・アジア協会 きょうかい において発表 はっぴょう した。この発表 はっぴょう は後世 こうせい に大 おお きな影響 えいきょう を及 およ ぼし、これをもって言語 げんご 学 がく が誕生 たんじょう したと一般 いっぱん 的 てき に考 かんが えられている。
さらにジョーンズの発見 はっけん はインド学 がく の発展 はってん を促 うなが し、1814年 ねん にはコレージュ・ド・フランス にヨーロッパ初 はつ のサンスクリット講座 こうざ が開設 かいせつ されてアントワーヌ=レオナール・ド・シェジー が教授 きょうじゅ に就任 しゅうにん し、1818年 ねん にはドイツのボン大学 だいがく にも開設 かいせつ され、以後 いご 徐々 じょじょ にヨーロッパ各地 かくち の大学 だいがく にサンスクリット講座 こうざ が開設 かいせつ され研究 けんきゅう が進 すす むようになった。
仏教 ぶっきょう および日本 にっぽん への影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
仏教 ぶっきょう では最初 さいしょ 、日常 にちじょう 言語 げんご であるプラークリットを用 もち いて布教 ふきょう を行 おこな っており、仏典 ぶってん もまたプラークリットでパーリ語 ご 仏典 ぶってん として書 か かれていた。しかし4世紀 せいき に入 はい り、グプタ朝 あさ が学術 がくじゅつ 振興 しんこう を行 おこな うとともにサンスクリットを公用 こうよう 語 ご とすると、他 た 宗教 しゅうきょう との論争 ろんそう や教理 きょうり の整備 せいび の関係 かんけい 上 じょう 、仏教 ぶっきょう でもサンスクリットが使用 しよう されるようになり[57] 、また仏典 ぶってん がサンスクリットに翻訳 ほんやく されるようになった。この動 うご きは特 とく に大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう において盛 さか んとなり、以後 いご 大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう はサンスクリット仏典 ぶってん が主流 しゅりゅう となっていった。この過程 かてい で、一時 いちじ 的 てき に言語 げんご の混淆 こんこう が起 お き、仏教 ぶっきょう 混淆 こんこう サンスクリット と呼 よ ばれるサンスクリットとプラークリットの混 こん 合体 がったい が出現 しゅつげん して仏典 ぶってん に一時期 いちじき 用 もち いられた[58] 。
上座 かみざ 部 ぶ 仏教 ぶっきょう がプラークリット(パーリ語 ご )の仏典 ぶってん を保持 ほじ したまま東南 とうなん アジア方面 ほうめん へ教 きょう 線 せん を伸 の ばしていったのに対 たい し、大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう は北 きた のシルクロード 回 まわ りで東 ひがし アジア へと到達 とうたつ し、仏教 ぶっきょう の伝播 でんぱ とともにサンスクリットはこれら諸国 しょこく に伝 つた えられていった。ただし初期 しょき の漢 かん 訳 やく 仏典 ぶってん の原典 げんてん はかならずしもサンスクリットではなかったと考 かんが えられており、ガンダーラ語 ご のようなプラークリットに由来 ゆらい する可能 かのう 性 せい もある[59] 。しかし中国 ちゅうごく で仏教 ぶっきょう が広 ひろ まるに従 したが い、巡礼 じゅんれい や仏典 ぶってん を求 もと めて仏教 ぶっきょう 発祥 はっしょう の地 ち であるインドへと赴 おもむ く、いわゆる入 にゅう 竺求法 ほう 僧 そう が現 あら われはじめた。この時期 じき にはインドの大乗 だいじょう 仏教 ぶっきょう の仏典 ぶってん はほぼサンスクリット化 か されており、このため彼 かれ らによって持 も ち帰 かえ られた仏典 ぶってん の大半 たいはん はサンスクリットによるものだった[60] 。5世紀 せいき の法 ほう 顕 あらわ や7世紀 せいき の義 よし 浄 きよし などが入 にゅう 竺求法 ほう 僧 そう として知 し られるが、なかでもこうした僧 そう の中 なか で最 もっと も著名 ちょめい なものは7世紀 せいき 、唐 とう の玄 げん 奘 であり、持 も ち帰 かえ った膨大 ぼうだい なサンスクリット仏典 ぶってん の漢 かん 訳 やく を行 おこな って訳 わけ 経 けい 史 し に画 が 期 き をなした。彼 かれ 以降 いこう の仏典 ぶってん 訳 やく は訳 わけ 経 けい 史 し 区分 くぶん 上新 かみしん 訳 やく と呼 よ ばれ[61] 、それ以前 いぜん の鳩 ばと 摩 ま 羅 ら 什 らによる古 ふる い、しばしばサンスクリットからではない[62] 旧訳 きゅうやく と区分 くぶん されている[61] 。
日本 にっぽん へは中国 ちゅうごく 経由 けいゆ で、仏教 ぶっきょう 、仏典 ぶってん とともにサンスクリットにまつわる知識 ちしき や単語 たんご などを取 と り入 い れてきた。その時期 じき は遅 おそ くとも真言宗 しんごんしゅう の開祖 かいそ 空海 くうかい まではさかのぼることができる。仏教 ぶっきょう 用語 ようご の多 おお くはサンスクリットの漢字 かんじ による音訳 おんやく であり、"僧 そう "、"盂蘭盆 うらぼん "、"卒塔婆 そとうば "、"南無 なむ ・阿弥陀 あみだ ・仏 ふつ [63] "などがある。"檀那 だんな (旦那 だんな )"など日常 にちじょう 語 ご 化 か しているものもある。また、陀羅尼 だらに (だらに、ダーラニー)、真言 しんごん (マントラ )は漢 かん 訳 やく されず、サンスクリットを音 おと 写 うつ した漢字 かんじ で表記 ひょうき され、直接 ちょくせつ 読誦 とくしょう される。陀羅尼 だらに は現代 げんだい 日本 にっぽん のいくつかの文学 ぶんがく 作品 さくひん にも登場 とうじょう する(泉 いずみ 鏡花 きょうか 「高野 たかの 聖 きよし 」など)。卒塔婆 そとうば や護符 ごふ などに描 えが かれる文字 もじ については梵字 ぼんじ を参照 さんしょう 。日本語 にほんご の五十音 ごじゅうおん 図 ず の配列 はいれつ は、サンスクリットの伝統 でんとう 的 てき な音韻 おんいん 表 ひょう の配列 はいれつ に影響 えいきょう を受 う けていると考 かんが えられ、サンスクリット音韻 おんいん 学 がく である悉曇 しったん 学 がく に由来 ゆらい するとされる。
こうした仏教 ぶっきょう とのつながりのため、明治 めいじ 以後 いご 、日本 にっぽん でのサンスクリット研究 けんきゅう は仏教 ぶっきょう 学 がく と深 ふか く結 むす びついてきた。1876年 ねん には真宗 しんしゅう 大谷 おおや 派 は の南條 なんじょう 文雄 ふみお がインド学 がく 研究 けんきゅう のためオックスフォ おっくすふぉ ード大学 どだいがく に派遣 はけん され[64] 、1885年 ねん に帰国 きこく すると東京 とうきょう 帝国 ていこく 大学 だいがく で梵語 ぼんご 講座 こうざ を開設 かいせつ し、以後 いご いくつかの大学 だいがく でサンスクリットが教 おし えられるようになった。
著名 ちょめい な文学 ぶんがく ・哲学 てつがく ・宗教 しゅうきょう 文献 ぶんけん [ 編集 へんしゅう ]
映画 えいが 音楽 おんがく とサンスクリット[ 編集 へんしゅう ]
母音 ぼいん の響 ひび きがよいという理由 りゆう で映画 えいが 音楽 おんがく でコーラスを投入 とうにゅう する際 さい に使用 しよう されるケースが有 あ る。
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