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ヴァーラーナシー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァーラーナシー
वाराणसी
位置いち
の位置図
位置いち
ヴァーラーナシーの位置(インド内)
ヴァーラーナシー
ヴァーラーナシー
ヴァーラーナシー (インド)
ヴァーラーナシーの位置(ウッタル・プラデーシュ州内)
ヴァーラーナシー
ヴァーラーナシー
ヴァーラーナシー (ウッタル・プラデーシュしゅう)
地図
座標ざひょう : 北緯ほくい2519ふん30びょう 東経とうけい830ふん25びょう / 北緯ほくい25.32500 東経とうけい83.00694 / 25.32500; 83.00694
行政ぎょうせい
くに インドの旗 インド
 しゅう ウッタル・プラデーシュしゅう
 けん ヴァーラーナシーけん
  ヴァーラーナシー
市長しちょう タキシュウィル
地理ちり
面積めんせき  
  市域しいき 1,550 km2 (598 mi2)
標高ひょうこう 80.71 m (265 ft)
人口じんこう
人口じんこう (2011ねん現在げんざい
  市域しいき 1,201,815にん
その
ひとしときおび IST (UTC+5:30)
Pincode 221 0** (** area code)
市外しがい局番きょくばん +0542
ナンバープレート UP-65

ヴァーラーナシーVaranasiヒンディー: वाराणसी, [ʋäː.ɾä̃ːɳ.s̪iː]; サンスクリット: काशी vārāṇasī)は、インドウッタル・プラデーシュしゅうヴァーラーナシーけん都市としどうけんけんでもある。人口じんこうやく120まんにん(2011ねん)。

ガンジスがわ沿いに位置いちヒンドゥーきょう一大いちだい聖地せいちとして、インド国内外こくないがいからおおくの信者しんじゃ巡礼じゅんれいしゃ観光かんこうきゃくあつめるインド最大さいだい宗教しゅうきょう都市としである。まち郊外こうがいには、釈迦しゃかはじめて説法せっぽうおこなったサールナート鹿野かのえん)がある。またふるくは「カーシーこく」ともしょうされ、なみ奈国ともしょうされた。ヒンドゥーきょう仏教ぶっきょう聖地せいちとして重要じゅうよう都市とし

名称めいしょう[編集へんしゅう]

ヴァーラーナシーのほかに、ワーラーナシーヴァーラーナスィーとも表記ひょうきされる。ちょう母音ぼいん無視むししたヴァラナシバラナシワラナシ表記ひょうきもある。古名こみょうカーシー(Kashi)。ヴァーラーナシーはサンスクリットみであり、連邦れんぽう公用こうようヒンディーではバナーラス(Banāras)。かつてはえいりょう植民しょくみん時代じだい制定せいていされた英語えいご表記ひょうきBenares誤読ごどくにより、ベナレスとも日本語にほんごしょうされた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ヴァーラーナシーの歴史れきし大変たいへんふるく、インドの叙事詩じょじしマハーバーラタ』にもその存在そんざいしるされている。紀元前きげんぜん6世紀せいきになると、カーシー王国おうこくは、ガンジスがわ中流ちゅうりゅう位置いちするヴァーラーナシー首都しゅととし、釈迦しゃかより以前いぜん時代じだいにはじゅうろく大国たいこくちゅう最大さいだい勢力せいりょくったくにであった。ヴァーラーナシーはガンジス川中かわなか流域りゅういき政治せいじ経済けいざい文化ぶんか宗教しゅうきょう中心ちゅうしんとなる。バラモンが修行しゅぎょうする宗教しゅうきょうてき拠点きょてんでもあった。このくにおうはその巨大きょだい経済けいざいりょく軍事ぐんじりょくをもって一切いっさい諸王しょおう帝王ていおう(サッバラージューナム・アッガラージャ)たることを目指めざした。

紀元前きげんぜん4世紀せいきには、インドはつ統一とういつ王朝おうちょうとなるマウリヤあさ成立せいりつするとその支配しはいにおかれた。4世紀せいき以降いこうおもにヒンドゥーきょう保護ほごする王朝おうちょうつづグプタあさ治下ちかかれ、6世紀せいきにはカナウジ王国おうこく(マウカリあさ)に併合へいごうされた。7世紀せいき前半ぜんはんには、ハルシャおうヴァルダナあさ一部いちぶ形成けいせいした。428ねんにはカーシー・ヴィシュヴァナート寺院じいん建設けんせつされるとう、ヴァーラーナシーおけるシヴァ崇拝すうはい決定的けっていてきになる。こうしてこの時代じだいヴァーラーナシーは聖地せいちとして重要じゅうようせい決定的けっていてきになった。ラージプート時代じだい混乱こんらんつづけちゅうヴァーラーナシー11世紀せいき最後さいごの25年間ねんかんは、ガーハダヴァーラあさ首都しゅとであった。

12世紀せいきすえアフガニスタンゴールあさイスラームきょう勢力せいりょく征服せいふくされた。そのデリー・スルターンあさ時代じだいにおいても、トゥグルクあさローディーあさによる破壊はかいけた。イスラームの勢力せいりょくおおきくなり、侵略しんりゃく破壊はかいおこなわれ、ヒンドゥーきょう寺院じいん仏教ぶっきょう寺院じいんジャイナきょう寺院じいんなどが破壊はかいされた。16世紀せいきいたるまでイスラーム勢力せいりょくによる侵略しんりゃく破壊はかいかえされる。破壊はかいされた寺院じいんあとにはモスク建設けんせつされた。

16世紀せいき成立せいりつしたムガル帝国ていこくのもとでは、3だい皇帝こうていアクバル宗教しゅうきょう寛容かんようさくったことでられるように、イスラーム教徒きょうと、ヒンドゥー教徒きょうと共存きょうぞんはかられたため、ヴァーラーナシーの再建さいけんすすんだ。

だが、17世紀せいき厳格げんかくなスンナである6だい皇帝こうていアウラングゼーブ即位そくいすると、ふたたひじりぞう崇拝すうはい禁止きんし方針ほうしんがとられ、まちおおくの宗教しゅうきょう施設しせつ破壊はかいされた。カーシー・ヴィシュヴァナート寺院じいんもこのとき破壊はかいされ、わりにギャーンヴァーピー・モスク建設けんせつされた。

18世紀せいき初頭しょとう、アウラングゼーブが逝去せいきょしムガル帝国ていこく弱体じゃくたいすると、帝国ていこくちゅう無法むほう行為こうい横行おうこうはじめた。ムガル帝国ていこく没落ぼつらくマラーター王国おうこく隆盛りゅうせい同時どうじきた。ヒンドゥーきょうふか信仰しんこうしていたマラーター人達ひとたちは、ヒンドゥー帝国ていこく支持しじしゃであり、ヴァーラーナシーに格別かくべつ愛着あいちゃくっていた。かれらはイスラーム教徒きょうと支配しはいによってひどい損害そんがいこうむったその都市とし名声めいせい栄光えいこう回復かいふくしたいとのねがいをいていた。マラーター王国おうこくはヴァーラーナシーを領有りょうゆうすることはなかったが、様々さまざま宗教しゅうきょう活動かつどうとおしヴァーラーナシーにとみそそぎ、寺院じいんとガート(沐浴もくよくじょう)の建設けんせつほどこせしょくしょ設置せっち支援しえんおこなった。マラーター王国おうこく関係かんけいによる建設けんせつおよ再建さいけんは、ダシャーシュワメーダ・ガート、マニカルニカー・ガート、ハリシュチャンドラ・ガート等々とうとう数多かずおおい。

1725ねんにムガル皇帝こうてい徴税ちょうぜいけんみとめられたマーナス・ラーム(ヒンドゥー教徒きょうと)のもとで、徐々じょじょまち復興ふっこうすすんでいき、息子むすこのバルワント・シング(バルワーン・シング)のだいにヴァーラーナシーは復興ふっこうした。かれ1750ねん居城きょじょうラームナガルじょう建設けんせつした。

1780ねんには、マラーター諸侯しょこうアヒリヤー・バーイー・ホールカルによって、カーシー・ヴィシュヴァナート寺院じいん再建さいけんされた。また、ヴァーラーナシーのアヒリヤー・ガートは彼女かのじょにちなむ。

しかし、18世紀せいき後半こうはんよりイギリスひがしインド会社かいしゃ進出しんしゅつ本格ほんかくし、ヴァーラーナシーははん王国おうこくとしてイギリス統治とうちにおかれた。ベナレスという呼称こしょうは、このイギリス統治とうち時代じだいのものである。現存げんそんしている建物たてものおおくは、8世紀せいき以降いこうてられたものである。

地勢ちせい 産業さんぎょう[編集へんしゅう]

ヴァーラーナシー・シルク

ヴァーラーナシーというまち呼称こしょうは、「ヴァルナーとアッスィーにはさまれたまち」から由来ゆらいするという見解けんかい有力ゆうりょくである。しゅたる産業さんぎょうだい3産業さんぎょうで、だい2産業さんぎょう工業こうぎょうやく50%が軽工業けいこうぎょう紡績ぼうせきである。伝統でんとうてき小規模しょうきぼ産業さんぎょうとしてきぬぎょう工芸こうげいひん真鍮しんちゅう製品せいひんどう製品せいひん粘土ねんど玩具おもちゃかね装飾そうしょくひん、キンマの乳製品にゅうせいひんなどである。きぬサリー生産せいさん代表だいひょうてきである。

近隣きんりん都市としとしては、やく50キロ南西なんせいミールザープル、120キロ西にしアラーハーバードなどがげられる。

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プージャー(礼拝れいはい

ヴァーラーナシーは、ヒンドゥーきょうにおけるななせいさんれい供養くようしょ両方りょうほうつらねる。またインド国内外こくないがいから多数たすう人々ひとびと大勢おおぜいやってくるだい巡礼じゅんれいである。

ガートという傾斜けいしゃした階段かいだんじょう沐浴もくよくじょうがあり、ガンジスがわ西岸せいがんやく 6.4 kmあいだを 84 のガートにより形成けいせいされている。沐浴もくよくとはヒンドゥーきょうきよめる儀式ぎしきで、まずかわはいり、太陽たいようかい聖水せいすいみ、いのりの言葉ことばをつぶやきながら太陽たいようささげ、その自分じぶんあたまからだみずをかけてきよめる。沐浴もくよく朝日あさひかっておこなうのがもっといとされており、そのためヒンドゥーきょう巡礼じゅんれいしゃたちは早朝そうちょうから、このガートからガンジスのみずなかひたり、朝日あさひいのりをささげる。これが聖地せいちヴァーラーナシーを代表だいひょうする光景こうけいとなっている。 また、洗濯せんたくするひとヨーガおこなじんがいたり、しょう広場ひろば祝祭しゅくさい、レスリングの会場かいじょうにもなるなど、宗教しゅうきょうのみならず生活せいかつにも密着みっちゃくした日常にちじょう生活せいかつ社交しゃこうとして機能きのうしている。

パンチャティルティー・ヤートラ」という巡礼じゅんれいがあり、いつつの聖地せいち川辺かわべめぐるという。めぐいつつの聖地せいちが、最南端さいなんたんアッシー・ガート中央ちゅうおうダシャーシュワメーダ・ガート最北端さいほくたんアディ・ケーシャヴァ・ガートをまわり、南下なんかしてパンチャガンガー・ガートマニカルニカー・ガート構成こうせいされている。とくダシャーシュワメード・ガートは、つねおおくの巡礼じゅんれいしゃあつまり、毎晩まいばん日没にちぼつおこなわれるヒンドゥーきょう礼拝れいはい儀式ぎしきプージャーは、ドラと太鼓たいこおとわせてうつくしいうたのようないのりが朗々ろうろうひびきわたり(独唱どくしょう)、僧侶そうりょはなかべ、かわにむかってしょくだいかかげていのりをささげる。礼拝れいはいわると信者しんじゃ僧侶そうりょ祝福しゅくふくけ、こめをいただき、ろうそくをたてたはなかごをかわかべる。

マニカルニカー・ガート

ヴァーラーナシーのガンガーちかくでんだものは、輪廻りんねから解脱げだつできるとかんがえられている。このためインド各地かくちからおおは100たいちか遺体いたい金銀きんぎんのあでやかなぬのにくるまれはこまれる。また、インドちゅうからこのあつまりひたすら人々ひとびともいる。かれらはムクティ・バワン解脱げだつかん)という施設しせつつ。ここでは24時間じかんえることなくヒンドゥーきょうかみとなえられる。くなるひと最期さいごのときにかみこえるようにとの配慮はいりょである。ここで家族かぞく見守みまもられながら最期さいごときごす。

マニカルニカー・ガートとハリシュチャンドラ・ガートは、火葬かそうじょうとしての役割やくわりたしており、死者ししゃはここでガンガーにひたされたのちにガートで荼毘だびされ、のこはいはガンガーへながされる。あかぼうにんへびまれてんだひとは、黄色きいろぬのつつまれたままふねせられ、かわ中程なかほどまでたところでいてこないように、おもしとなるいしあしにくくりつけかわながされる。2つの火葬かそうじょうはドームというおな一族いちぞく仕切しきっており、はたら人々ひとびと共通きょうつうであり、交代こうたい勤務きんむやく650にんはたらいている。火葬かそうじょう見下みおろす一角いっかくには、火葬かそうじょう仕切しきってきた一族いちぞくドームのちょうすわ場所ばしょがある。ここにはせいなるばれるたねかれ、人々ひとびとはこのより火葬かそうにする火種ひだねをもらう。ヴァーラーナシーは別名べつめいおおいなる火葬かそうじょう」ともばれており、年中ねんじゅうけむりえることはない。なお、火葬かそうじょう写真しゃしん撮影さつえい厳格げんかく禁止きんしされている。インドのおおくの人々ひとびと一生いっしょういち、この巡礼じゅんれいあるくことをゆめかんがえている。

かつて、イギリスとインドの価値かちかんおもヒンズひんずきょうキリスト教きりすときょうたいするもの)のちがいからイギリスじんによる火葬かそうじょう郊外こうがいへの移転いてんくわだてられた。これにたいしベナレスの人々ひとびとつよ異議いぎとなえた。火葬かそう論争ろんそうは30ねんにわたってつづいた。このさい記録きろくベナレス公文書こうぶんしょかんのこされている。「ベナレス市制しせい報告ほうこくしょ(1925ねん)」がそれであるが、ここにはこうしるされている。「火葬かそうじょうまちのために存在そんざいするのではない。まち火葬かそうじょうのために存在そんざいするのである」。イギリス政府せいふみとめざるをなかった、ベナレスの伝統でんとうである[1]

ガンジスがわ西岸せいがんやく 6.4 ㎞あいだを 84 のガートにより形成けいせいされたガートぐん

鹿野かのえん[編集へんしゅう]

ダメーク・ストゥーパ(法眼ほうげんとう
ムルガンダ・クティー寺院じいんはつてん法輪寺ほうりんじ

サールナートは、ヴァーラーナシーの北方ほっぽうやく6kmに位置いちする。釈迦しゃかさとひらいたのちはじめて説法せっぽういたとされるはつてん法輪ほうりん仏教ぶっきょうよんだい聖地せいちのひとつである。鹿しかおおくいたことから、鹿野かのえん(ろくやおん)ともあらわされる。発掘はっくつ結果けっか、アショーカおうぜん3世紀せいき中葉ちゅうよう)のころから12世紀せいきまでののこ多数たすう彫刻ちょうこく出土しゅつどし、ダルマラージカーとう根本こんぽん精舎しょうじゃ中心ちゅうしんにグプタ時代じだいもっとさかえたことがあきらかになった。現在げんざいはインド政府せいふによって整理せいりされ遺跡いせき公園こうえんになっている。またこの周辺しゅうへんからは「サールナートふつ」とばれる仏像ぶつぞう多数たすう出土しゅつどし、最高さいこう傑作けっさくともひょうされる「はつてん法輪ほうりんぞう」がサールナート考古こうこ博物館はくぶつかん収蔵しゅうぞうされている。

ゴータマのちちであるスッドダーナ(きよしめしおう)が出家しゅっけしたゴータマの身辺しんぺん警護けいごのため派遣はけんした比丘びくは、修行しゅぎょうてた釈迦しゃかとおくからるのを軽蔑けいべつねんいだ歓迎かんげいこばむことをめた。しかし釈迦しゃか徐々じょじょちかづくにつれ、その堂々どうどうとした姿すがた畏敬いけいねんいだき、自然しぜんがってむかえた。みずからが阿羅漢あらかんでありただしひとしさとししゃ仏陀ぶっだ)であることを宣言せんげんした釈迦しゃかは、なおおしえをけることをこばむ5にん説得せっとくして、最初さいしょ説法せっぽうした。このときかれたおしえは、中道ちゅうどうとその実践じっせんほうたるはち正道せいどうしゅうめつどう四諦したい四諦したい完成かんせいにいたるさんてんじゅうぎょうしょう、であったとされる。5にん修行しゅぎょうしゃ釈迦しゃか説法せっぽう歓喜かんきしてけた。また、このとき、5にんのうちコンダンニャに「しょうずるものはすべてめっするものである」という法眼ほうげんしょうじた(さとりをた)。伝統でんとうてきに、これはよん沙門しゃもんはてだいいちあずかりゅうはてたっしたことと説明せつめいされている。釈迦しゃかによる比丘びくへの教導きょうどう比丘びくが3にんずつじゅん托鉢たくはつおこない6にんしょくする合宿がっしゅくしきつづけられ、ワッパバッディヤマハーナーマンアッサジの4めいにも次々つぎつぎ法眼ほうげんしょうじた。釈迦しゃかつぎに「無我むがしょう」のおしえをき、にん比丘びく五蘊ごうん無我むが修習しゅうしゅう指導しどうした。にんはじき阿羅漢あらかんはてよん沙門しゃもんはてだいよん)にたっして、釈迦しゃかふくめて6にん阿羅漢あらかん誕生たんじょうした。かれらは釈迦しゃかとも初期しょき仏教ぶっきょう教団きょうだん創設そうせつし、インド各地かくち布教ふきょう活動かつどうおこなったことから、「説法せっぽう奈」(せっぽうはらな)として釈迦しゃか人生じんせいの4つの転機てんきの1つにかぞえられている。

   釈尊しゃくそんはつてん法輪ほうりんつ。

   野生やせいつかさ香雪こうせつえがいた壁画へきががある。

   よんとう獅子ししぞうがあしらわれている。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

アーユルヴェーダ(インド医学いがく)の医学いがくしょで、インドだい古典こてん医学いがくしょひとつにもげられる『スシュルタ・サンヒター英語えいごばん』は、当地とうち根拠こんきょくダンバンタリ学派がくは医師いしスシュルタによってあらわされた。

北西ほくせいインドのタキシラ中心ちゅうしんとするアートレーヤ学派がくは古典こてん医学いがくしょチャラカ・サンヒター徹底てっていして内科ないかてき治療ちりょうくのにたいし、スシュルタ・サンヒターには外科げかてき治療ちりょうほうくわしくかたられている。

広大こうだい敷地しきちなかに、しんヴィシュヴァナート寺院じいんてられる。

バナーラス・ヒンドゥー大学だいがく英語えいごばん通称つうしょうBHU は、1916ねんパンディト・マーラヴィーヤによって設立せつりつされた、インドの民族みんぞく文化ぶんか総合そうごうてき研究けんきゅうするために設立せつりつされた歴史れきしのあるおおきな国立こくりつ大学だいがくである。やく2まんにん学生がくせいすうほこる。広大こうだい敷地しきちなかに、いくつものキャンパスが林立りんりつして、キャンパスないにはインド美術館びじゅつかんや、あたらしくてたヴィシュヴァナート寺院じいんがある。近代きんだいヒンドゥーきょう寺院じいん代表だいひょうてき建造けんぞうぶつとしてられる。美術館びじゅつかんでは彫刻ちょうこく細密さいみつなどが展示てんじされている。

その大学だいがく下記かきとおり。

観光かんこう[編集へんしゅう]

ドゥルガー寺院じいん

おも観光かんこう下記かきとおり。

交通こうつう[編集へんしゅう]

航空こうくう[編集へんしゅう]

ヴァーラーナシー空港くうこう

ヴァーラーナシー空港くうこう (Varanasi Babatpur Airport) :中心ちゅうしんから北西ほくせいに25キロのところにある。国内線こくないせんおおく、デリーアーグラジャイプルなどからの定期ていき航路こうろがある。また国際線こくさいせんではネパールカトマンズからの便びん運航うんこうしている。IATA空港くうこうコードはVNS。

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

中心ちゅうしんとなるえききゅう市街地しがいち北部ほくぶにあるインド国鉄こくてつのヴァーラーナシー・ジャンクションえき(Varanasi Junction)で、インド各地かくちむすいちにちちゅう多数たすう発着はっちゃくする。このえき始発しはつ終着しゅうちゃくとする列車れっしゃおおい。このえき西側にしがわ路線ろせんさん方向ほうこうかれ、東側ひがしがわでは方向ほうこうかれる。西にし方向ほうこうかう路線ろせんのうち2ほん西にしとなり大都市だいとし宗教しゅうきょう都市としでもあるプラヤガラージ(Prayagaraj、旧称きゅうしょうAllahabad)へつづいており、ガンジスがわ左岸さがんとおてん一緒いっしょであるが別々べつべつのルートをとおる。のこる1ほん北西ほくせいつづ州都しゅうとラクナウ(Lucknow)へつづく。東側ひがしがわかう路線ろせんのうち1ほんはガンジスがわ左岸さがん沿ってはし北上ほくじょうゴーラクプル(Gorakpur)などへかう。のこ一本いっぽん早々そうそうにガンジスがわわたり、ムガル・サラーイえき(Mughal Sarai)へつながっている。このほかにいくつかのえきがある。

デリーまではプラヤガラージ経由けいゆ、もしくはラクナウ経由けいゆで750-800㎞程度ていど距離きょりとなっており、プラヤガラージ経由けいゆ急行きゅうこう列車れっしゃ最速さいそく8あいだ程度ていどむすぶ。東部とうぶ大都市だいとしコルカタまでもほぼどう程度ていど距離きょり時間じかんである。デリーとのあいだには従来じゅうらい機関きかんしゃ寝台しんだいしゃ中心ちゅうしんとした客車きゃくしゃ編成へんせいわり、電車でんしゃがた車両しゃりょう最高さいこう速度そくど160km/hかつ座席ざせきしゃだけで構成こうせいされた車両しゃりょうもちいたバンデバラト・エクスプレス(Vande Bharat express)が運転うんてん開始かいしした。この列車れっしゃはデリーを早朝そうちょう出発しゅっぱつし8あいだでジャンクションえき午後ごごおなじルートをかえしてデリーに深夜しんやもどるという各地かくちシャターブディー急行きゅうこう(Shatabdi Express)のようなダイヤで運転うんてんされており、デリーから列車れっしゃ日帰ひがえりでの往復おうふく可能かのうとなった。

ヴァーラーナシー・ジャンクションえき(Varanasi Junction、国鉄こくてつ略称りゃくしょう BSB)
きゅう市街地しがいち北部ほくぶにある中心ちゅうしんえきでホームは5めん9せん下記かきのように発着はっちゃく容量ようりょう問題もんだいもあり一部いちぶ列車れっしゃとうえきではなくそのえき発着はっちゃく運転うんてんされる。えき構内こうない観光かんこう案内あんないしょのほか、外国がいこくじん対象たいしょうにした国鉄こくてつ切符きっぷもうけられており、寝台しんだい指定していせきをインドじんわくよりも購入こうにゅうしやすい外国がいこくじんわく切符きっぷ購入こうにゅうすることが可能かのう

デリーと各地かくち州都しゅうとむすラージダーニー急行きゅうこう(Rajdhani Express)のうち、当地とうち周辺しゅうへんはし列車れっしゃほとんどが後述こうじゅつのムガールサライえき経由けいゆ運転うんてんされるが、ごく東部とうぶアッサムしゅうとデリーをむすぶラージダーニー急行きゅうこうだけはラクナウからとうえき経由けいゆして運転うんてんされるものがある。

バラナスえき(Baranas、国鉄こくてつ略称りゃくしょうBSBS)(旧称きゅうしょう:マンデュワディえき Manduadih、きゅう略称りゃくしょう MUV)
きゅう市街地しがいち西部せいぶにあり、プラヤガラージとジャンクションえきむすぶ2せんのうち南側みなみがわとお路線ろせんじょう位置いちする。えき北側きたがわ小規模しょうきぼながら操車そうしゃじょうち、西方せいほう各地かくちへとかう列車れっしゃ中心ちゅうしん混雑こんざつするジャンクションえきまでれずにとうえき発着はっちゃく運転うんてんされるものがある。デリー当地とうちむす寝台しんだい列車れっしゃシヴァ・ガンガエクスプレス(Shiv Ganga express)やプネー当地とうちむすぶギャン・ガンガエクスプレス(Gyan Ganga express)など長距離ちょうきょり急行きゅうこう列車れっしゃ10ほんあまりはとうえき発着はっちゃくである。えき構内こうないふくめプラヤガラージまでの区間くかん電化でんかであったが上記じょうき電車でんしゃがた特急とっきゅうとうえき経由けいゆ運転うんてんさせるために電化でんか工事こうじおこなわれた。また、この区間くかん全線ぜんせん単線たんせんであったが、部分ぶぶんてき複線ふくせん工事こうじすすめられている[2]
えき西方せいほう国鉄こくてつ機関きかんしゃ工場こうじょうBanaras Locomotive Worksがありとうえきせんでつながっている。ここでは電気でんき機関きかんしゃ電気でんき・ディーゼル両用りょうよう車両しゃりょう中心ちゅうしん製造せいぞうしている。かつてはディーゼル機関きかんしゃ製造せいぞうおおく、2019ねんまではDiesel Locomotive Worksとばれていたが、上記じょうき電車でんしゃがた特急とっきゅう運転うんてん開始かいしともな周辺しゅうへん電化でんか進展しんてんとともに主力しゅりょく製品せいひん変更へんこうおよ改称かいしょうおこなった。
ヴァーラーナシー・シティーえき(Varanasi City、国鉄こくてつ略称りゃくしょう BCY)
きゅう市街地しがいち北部ほくぶにあるえきでジャンクションえき東側ひがしがわにあるえき日本にっぽんてらがあることでられるサールナートえき(Sarnath)のある路線ろせんじょう位置いちする。このさきでガンジスがわ左岸さがん沿いながらバルリア(Ballia)とう経由けいゆしてビハールしゅうかう路線ろせんと、きたかいへゴーラクプル(Gorakhpur)かう路線ろせんかれる。普通ふつう列車れっしゃ短距離たんきょり急行きゅうこう列車れっしゃ中心ちゅうしんにバルリア・ゴーラクプル方向ほうこうへの始発しはつ列車れっしゃなんほん設定せっていされている。
カーシーえき(Kashi、国鉄こくてつ略称りゃくしょうKEI)
きゅう市街しがい北東ほくとう、ガンジスがわたもとにあり、ジャンクションえき下記かきパンディーディーンデヤルえきとをむす路線ろせんじょうにあるえき停車ていしゃ列車れっしゃすくない。
パンディ・ディーンデヤル・アッパダーヤえき (Pt. Deen Dayal Upadhyaya Junctiron 国鉄こくてつ略称りゃくしょう DDU )
2018ねん6がつ現在げんざい名前なまえ改称かいしょうされたが、それまではムガルサライえき(Mughalsarai Junction、略称りゃくしょう MGS)とばれていたえき現在げんざい駅名えきめいはいるDeendayal Upadhyaya(1916-1968)は人名じんめいでインドの政治せいじ活動かつどう、「Pt.」はパンディット(Pandit)のりゃくサンスクリット学者がくしゃ教師きょうししめ敬称けいしょうである。
ガンジスがわ左岸さがんひろがるヴァラーシーとは対岸たいがんがわかわ右岸うがんがわのムガルサライ地区ちくにある巨大きょだいなターミナルえきである。プラヤガラージ(イラーハーバード)からとうえきまでの区間くかんはいくつかルートがあるが、かわ左岸さがんがわとおるヴァラーナーシ経由けいゆよりも右岸うがんがわミールザープル(Mirzapur)経由けいゆほう本線ほんせんあつかいになっており、電化でんか複線ふくせんなどの改良かいりょう早期そうきおこなわれた。このためデリーとコルカタをむすぶラージダーニー急行きゅうこう(Rajdhani Express)をはじめとしてヴァラーナシーを終点しゅうてんとしない列車れっしゃかわ右岸うがん経由けいゆ運転うんてんされる場合ばあいおおく、右岸うがんにあるこのえきもヴァラーナシーの玄関げんかんこうひとつとなっている。アジア最大さいだいとされる操車そうしゃじょう機関きかん併設へいせつし、機関きかんしゃえも終日しゅうじつにわたって頻繁ひんぱんおこなわれる国鉄こくてつ要衝ようしょうである。

事故じこ[編集へんしゅう]

出身しゅっしん人物じんぶつ[編集へんしゅう]

姉妹しまい都市とし提携ていけい都市とし[編集へんしゅう]

姉妹しまい都市とし
パートナーシティ

日本にっぽんとの関係かんけい[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ NHKスペシャル アジア古都こと物語ものがたり―ベナレス せい聖地せいち (NHKスペシャルアジア古都こと物語ものがたり) 単行たんこうほん – 2002/6
  2. ^ CRS to inspect Gyanpur Road-Handia Khas doubling on February 24. Rail Post.in
  3. ^ 建設けんせつちゅう高架こうか道路どうろ崩落くずれおち、18にん死亡しぼう インド北部ほくぶバラナシ”. AFP (2018ねん5がつ16にち). 2018ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  4. ^ 京都きょうと しるし・バラナシ民間みんかん文化ぶんか交流こうりゅうへ”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2014ねん8がつ31にち). オリジナルの2014ねん8がつ31にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140830214854/http://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20140830-OYTNT50453.html 
  5. ^ 京都きょうと・バナラシ協定きょうてい

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]