寝台 しんだい 特急 とっきゅう 「富士 ふじ ・はやぶさ」 (2004年 ねん 6月 がつ 15日 にち 真鶴 まなづる 駅 えき - 湯河原 ゆがわら 駅 えき 間 あいだ )
寝台 しんだい 列車 れっしゃ (しんだいれっしゃ, Sleeper trains)とは、夜行 やこう 列車 れっしゃ のうち寝台 しんだい 車 しゃ を主体 しゅたい とした列車 れっしゃ を指 さ す。
寝台 しんだい 特急 とっきゅう のシンボルマーク。寝台 しんだい 急行 きゅうこう は「JTB時刻 じこく 表 ひょう 」では白黒 しろくろ が反転 はんてん して表記 ひょうき された。
1960年代 ねんだい に発行 はっこう された日本交通公社 にほんこうつうこうしゃ の『時刻 じこく 表 ひょう 』では、「寝台 しんだい 車 しゃ を主体 しゅたい にして、全部 ぜんぶ の車両 しゃりょう が指定 してい 制 せい の列車 れっしゃ 」と定義 ていぎ していた。同 どう 時刻 じこく 表 ひょう は1963年 ねん 7月 がつ 号 ごう まで「寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ 」の表記 ひょうき を用 もち い、8月 がつ 号 ごう から「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」に変更 へんこう されている[1] 。したがって、自由 じゆう 席 せき を含 ふく む座席 ざせき 車 しゃ が主体 しゅたい で、編成 へんせい 内 ない に少数 しょうすう の寝台 しんだい 車 しゃ が含 ふく まれる「津軽 つがる 」などは「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」とされなかった。ただしその後 ご 、急行 きゅうこう 「十和田 とわだ 」(常磐線 じょうばんせん )や「狩 かり 勝 かち 」(根室本線 ねむろほんせん )のそれぞれ一部 いちぶ 列車 れっしゃ や、臨時 りんじ 列車 れっしゃ に格下 かくさ げ後 ご の急行 きゅうこう 「きたぐに」(北陸本線 ほくりくほんせん )のように、寝台 しんだい 車 しゃ 主体 しゅたい で座席 ざせき 車 しゃ は1〜3両 りょう 程度 ていど でありかつ全車 ぜんしゃ 指定 してい 制 せい の列車 れっしゃ であっても同 どう 時刻 じこく 表 ひょう で「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」として扱 あつか われなかった例 れい もあり(一方 いっぽう で、寝台 しんだい 特急 とっきゅう 「明星 みょうじょう 」や「彗星 すいせい 」の一部 いちぶ は一時期 いちじき 、普通 ふつう 車 しゃ 指定 してい 席 せき 4両 りょう 、グリーン車 しゃ 1両 りょう の計 けい 5両 りょう 座席 ざせき 車 しゃ 連結 れんけつ で運転 うんてん していたが、こちらは「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」の扱 あつか いを受 う けている)、その理由 りゆう は不明 ふめい である。
「寝台 しんだい 特急 とっきゅう 」は、「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」のうちの特急 とっきゅう 列車 れっしゃ であり、20系 けい 客車 きゃくしゃ 以降 いこう の固定 こてい 編成 へんせい 客車 きゃくしゃ による「ブルートレイン 」や、581・583系 けい 電車 でんしゃ 、285系 けい 電車 でんしゃ による寝台 しんだい 列車 れっしゃ がある。現存 げんそん するのは285系 けい 電車 でんしゃ によるものだけである。
かつて大量 たいりょう の寝台 しんだい 車 しゃ が存在 そんざい し、"all-Pullman "と呼 よ ばれる寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ が多数 たすう 存在 そんざい したアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく を例外 れいがい とすれば、世界 せかい 各国 かっこく の鉄道 てつどう で長距離 ちょうきょり を運行 うんこう する夜行 やこう 列車 れっしゃ は、優等 ゆうとう 客 きゃく と大衆 たいしゅう 乗客 じょうきゃく のいずれのニーズにも応 おう じることを目的 もくてき として、寝台 しんだい 車 しゃ と一般 いっぱん 座席 ざせき 車 しゃ の混 こん 結 ゆい 編成 へんせい を組 く むことが普通 ふつう だった。
日本 にっぽん もその例 れい に漏 も れず、1900年 ねん に山陽 さんよう 鉄道 てつどう が日本 にっぽん 初 はつ の寝台 しんだい 車 しゃ を運行 うんこう 開始 かいし して以来 いらい 、寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ というものは長 なが らく存在 そんざい しなかった。たとえ優等 ゆうとう 客 きゃく 専用 せんよう の列車 れっしゃ であっても、寝台 しんだい 車 しゃ と座席 ざせき 車 しゃ の双方 そうほう が連結 れんけつ されていた。
ただし、例外 れいがい 的 てき な存在 そんざい として、太平洋戦争 たいへいようせんそう 中 なか まで東京 とうきょう - 神戸 こうべ 間 あいだ を運転 うんてん していた夜行 やこう 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ 1往復 おうふく には、二 に 等 とう 座席 ざせき 車 しゃ 1両 りょう の他 ほか は、一等 いっとう ・二 に 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ と食堂 しょくどう 車 しゃ のみで編成 へんせい された時期 じき がある。この列車 れっしゃ には長期 ちょうき にわたり「17列車 れっしゃ ・18列車 れっしゃ 」の列車 れっしゃ 番号 ばんごう が与 あた えられ、上流 じょうりゅう 貴顕 きけん の乗 の る列車 れっしゃ として、「名士 めいし 列車 れっしゃ 」の俗称 ぞくしょう で知 し られた。この列車 れっしゃ を、日本 にっぽん 最初 さいしょ の「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」とする考 かんが え方 かた もあるが、「一 いち ・二 に 等 とう の優等 ゆうとう 客 きゃく 専用 せんよう の夜行 やこう 列車 れっしゃ 」という性格 せいかく で、三 さん 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ を連結 れんけつ した戦後 せんご の「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」とは、やや方向 ほうこう 性 せい が異 こと なる。なお、この列車 れっしゃ は太平洋戦争 たいへいようせんそう が激 はげ しさを増 ま す1943年 ねん (昭和 しょうわ 18年 ねん )に廃止 はいし されている。
戦後 せんご の1950年代 ねんだい 以降 いこう 、日本 にっぽん 国内 こくない の鉄道 てつどう では全体 ぜんたい の輸送 ゆそう 量 りょう が著 いちじる しく増大 ぞうだい した。また、1941年 ねん に一時 いちじ 廃止 はいし されていた三 さん 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ が1956年 ねん に復活 ふっかつ [2] 。比較的 ひかくてき 低廉 ていれん な運賃 うんちん で寝台 しんだい 利用 りよう が可能 かのう になったことで、寝台 しんだい 車 しゃ そのものへの需要 じゅよう も高 たか まった。なお三 さん 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ は、1960年 ねん より二 に 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ 、1969年 ねん よりB寝台 しんだい 車 しゃ となった。
東海道本線 とうかいどうほんせん 全線 ぜんせん 電化 でんか に伴 ともな う1956年 ねん 11月 のダイヤ改正 かいせい では、東京 とうきょう - 博多 はかた 間 あいだ 特急 とっきゅう 列車 れっしゃ 「あさかぜ 」が新設 しんせつ される。10両 りょう 編成 へんせい 中 ちゅう に寝台 しんだい 車 しゃ が5両 りょう を占 し め[3] 、当時 とうじ としては寝台 しんだい 車 しゃ の比率 ひりつ が高 たか かった。これは好成績 こうせいせき を収 おさ めた。更 さら に1957年 ねん 10月 からは、東京 とうきょう - 大阪 おおさか 間 あいだ 夜行 やこう 急行 きゅうこう の「彗星 すいせい 」の組成 そせい を変更 へんこう 。14両 りょう 編成 へんせい (うち1両 りょう は荷物 にもつ 車 しゃ )中 ちゅう 、座席 ざせき 車 しゃ は最 さい 後尾 こうび の三 さん 等 とう 座席 ざせき 指定 してい 車 しゃ 1両 りょう のみで、残 のこ り12両 りょう はマロネ40形 かたち など二 に 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ とナハネ10形 かたち などの三 さん 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ が半数 はんすう ずつだった。この列車 れっしゃ は、列車 れっしゃ 番号 ばんごう が戦前 せんぜん の「名士 めいし 列車 れっしゃ 」と謳 うた われた17・18列車 れっしゃ と同 おな じで、二 に 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ の割合 わりあい が他 た の列車 れっしゃ に比 くら べて高 たか かったことから「名士 めいし 列車 れっしゃ の再来 さいらい 」と言 い われた。この「彗星 すいせい 」を、「(本格 ほんかく 的 てき な)寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ の嚆矢 こうし 」と見 み る考 かんが え方 かた もある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
1958年 ねん には日本 にっぽん 初 はつ の固定 こてい 編成 へんせい 客車 きゃくしゃ として20系 けい 客車 きゃくしゃ が登場 とうじょう 、特急 とっきゅう 「あさかぜ」に投入 とうにゅう された。13両 りょう 編成 へんせい 中 ちゅう 旅客 りょかく 車 しゃ は座席 ざせき 車 しゃ が3両 りょう のみで、他 た はすべて寝台 しんだい 車 しゃ だった[4] 。なお、編成 へんせい には食堂 しょくどう 車 しゃ ・電源 でんげん 荷物 にもつ 車 しゃ 各 かく 1両 りょう が含 ふく まれた。
翌 よく 1959年 ねん 9月 には、常磐線 じょうばんせん 経由 けいゆ の上野 うえの - 青森 あおもり 間 あいだ 夜行 やこう 急行 きゅうこう 「北斗 ほくと 」が寝台 しんだい 列車 れっしゃ 化 か された。12両 りょう 編成 へんせい 中 ちゅう 、食堂 しょくどう 車 しゃ 1両 りょう 、荷物 にもつ 車 しゃ 2両 りょう のほか、二 に 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ 2両 りょう 、三 さん 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ 6両 りょう で、座席 ざせき 車 しゃ はやはり三 さん 等 とう 座席 ざせき 指定 してい 車 しゃ 1両 りょう のみだった。あぶれた座席 ざせき 利用 りよう 客 きゃく は、同 おな じ区間 くかん を雁行 がんこう する急行 きゅうこう 「十和田 とわだ 」を全車 ぜんしゃ 座席 ざせき 車 しゃ 編成 へんせい として救済 きゅうさい している。
なお、「彗星 すいせい 」・「北斗 ほくと 」に1両 りょう だけ座席 ざせき 車 しゃ が連結 れんけつ されていたのは、1950年代 ねんだい より1960年代 ねんだい 初頭 しょとう の寝台 しんだい 車 しゃ に緩急 かんきゅう 車 しゃ がほとんど存在 そんざい しなかったためである。夜行 やこう 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ の寝台 しんだい 列車 れっしゃ 化 か 措置 そち は、当初 とうしょ は列車 れっしゃ 全体 ぜんたい の居住 きょじゅう 性 せい 改善 かいぜん や保守 ほしゅ ・点検 てんけん の合理 ごうり 化 か などの目的 もくてき があったとされる[要 よう 出典 しゅってん ] 。
1956年 ねん 以降 いこう 、国鉄 こくてつ の優等 ゆうとう 旅客 りょかく 列車 れっしゃ には電車 でんしゃ ・気動車 きどうしゃ が盛 さか んに用 もち いられるようになった。
当時 とうじ の電車 でんしゃ ・気動車 きどうしゃ には寝台 しんだい 車 しゃ が存在 そんざい せず、夜行 やこう 列車 れっしゃ として運転 うんてん される場合 ばあい にも全車 ぜんしゃ 一般 いっぱん 座席 ざせき 列車 れっしゃ とならざるを得 え なかった。そこで寝台 しんだい 需要 じゅよう に対 たい しては、ほとんど寝台 しんだい 車 しゃ のみで構成 こうせい された客車 きゃくしゃ 寝台 しんだい 特急 とっきゅう ・急行 きゅうこう を運行 うんこう し、一般 いっぱん 座席 ざせき 需要 じゅよう については昼 ひる 行 ぎょう 急行 きゅうこう 用 よう の電車 でんしゃ ・気動車 きどうしゃ を夜行 やこう 列車 れっしゃ にも共用 きょうよう 、これらを別便 べつびん の急行 きゅうこう 列車 れっしゃ として雁行 がんこう させるという手法 しゅほう が採 と られるようになった。こうすれば、無 む 動力 どうりょく の寝台 しんだい 車 しゃ だけを新規 しんき 製造 せいぞう することで輸送 ゆそう 力 りょく 増強 ぞうきょう が実現 じつげん できた。
この傾向 けいこう は1961年 ねん 10月1日 にち のダイヤ改正 かいせい (いわゆるサンロクトオ )から顕著 けんちょ となった。東海道本線 とうかいどうほんせん の昼 ひる 行 ぎょう 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ が153系 けい 電車 でんしゃ の大量 たいりょう 投入 とうにゅう で電車 でんしゃ 化 か ・大 だい 増発 ぞうはつ され、夜行 やこう 列車 れっしゃ に関 かん しても棲 す み分 わ けが図 はか られた。列車 れっしゃ の増発 ぞうはつ に対 たい して、1961年 ねん から1965年 ねん にかけて旧 きゅう 形 かたち 客車 きゃくしゃ の台 たい 枠 わく を利用 りよう して製造 せいぞう された軽量 けいりょう 二 に 等 とう 寝台 しんだい (従前 じゅうぜん の三 さん 等 とう 寝台 しんだい )車 くるま オハネ17形 かたち 合計 ごうけい 302両 りょう が国鉄 こくてつ 工場 こうじょう で製造 せいぞう 、増 ぞう 備された。それでも不足 ふそく する分 ぶん は、戦前 せんぜん の旧 きゅう 三 さん 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ であり、戦時 せんじ 中 ちゅう に三 さん 等 とう 座席 ざせき 車 しゃ オハ34形 かたち に改造 かいぞう されたスハネ30形 かたち ほかを数 すう 十 じゅう 両 りょう 、寝台 しんだい 車 しゃ に復活 ふっかつ 改造 かいぞう して充当 じゅうとう したほどである。また、戦後 せんご 初 はつ の三 さん 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ として製造 せいぞう されたナハネ10形 がた については、1963年 ねん に緩急 かんきゅう 車 しゃ 化 か されてナハネフ10形 かたち となり、寝台 しんだい 列車 れっしゃ の全車 ぜんしゃ 寝台 しんだい 化 か がさらに図 はか られた。さらに寝台 しんだい 需要 じゅよう の高 たか い東海道本線 とうかいどうほんせん では、電車 でんしゃ による座席 ざせき 夜行 やこう 急行 きゅうこう の客車 きゃくしゃ 寝台 しんだい 列車 れっしゃ への置 お き換 か えも行 おこな われた。[要 よう 出典 しゅってん ]
東海道新幹線 とうかいどうしんかんせん の開業 かいぎょう で東海道 とうかいどう 本線 ほんせん の夜行 やこう 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ が衰退 すいたい した後 のち も、山陽本線 さんようほんせん や東北本線 とうほくほんせん 、北陸本線 ほくりくほんせん などでは、寝台 しんだい 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ と座席 ざせき 夜行 やこう 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ の雁行 がんこう が行 おこな われた。一方 いっぽう 、奥羽本線 おううほんせん ・山陰本線 さんいんほんせん など別 べつ 仕立 した てするほどの需要 じゅよう がない亜 あ 幹線 かんせん 級 きゅう の線区 せんく では、従来 じゅうらい 通 どお り寝台 しんだい 車 しゃ と座席 ざせき 車 しゃ を併結した客車 きゃくしゃ 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ が引 ひ き続 つづ き運転 うんてん された。
寝台 しんだい 特別 とくべつ 急行 きゅうこう 列車 れっしゃ の場合 ばあい 、当初 とうしょ の主 おも な設定 せってい 区間 くかん であった東海道 とうかいどう ・山陽 さんよう ・九州 きゅうしゅう 線 せん 、つまり東京 とうきょう 対 たい 山陽 さんよう ・九州 きゅうしゅう 各 かく 都市 とし が主 おも な利用 りよう 客 きゃく であることや、顕著 けんちょ な寝台 しんだい 車 しゃ 利用 りよう も勘案 かんあん され、東海道新幹線 とうかいどうしんかんせん 開業 かいぎょう 前 まえ である1962年 ねん より座席 ざせき 車 しゃ 連結 れんけつ を当初 とうしょ より減少 げんしょう する編成 へんせい [注釈 ちゅうしゃく 1] が現 あらわ れ、同 どう 新幹線 しんかんせん 開業 かいぎょう [注釈 ちゅうしゃく 2] から4年 ねん 後 ご の1968年 ねん までには「あさかぜ」1往復 おうふく の一等 いっとう 車 しゃ ナロ20形 かたち 1両 りょう を除 のぞ き座席 ざせき 車 しゃ の連結 れんけつ を終了 しゅうりょう した[注釈 ちゅうしゃく 3] 。
1964年 ねん に初 はつ の東京 とうきょう 駅 えき 以外 いがい の発着 はっちゃく 寝台 しんだい 特急 とっきゅう として設定 せってい された「はくつる 」には二 に 等 とう 車 しゃ が2両 りょう 連結 れんけつ され、翌 よく 1965年 ねん に最初 さいしょ の関西 かんさい 発着 はっちゃく で東海道新幹線 とうかいどうしんかんせん 接続 せつぞく 寝台 しんだい 特急 とっきゅう としても設定 せってい された「あかつき 」にも二 に 等 とう 車 しゃ 1両 りょう が設定 せってい された。
しかし、山陽 さんよう ・九州 きゅうしゅう 方面 ほうめん や東北 とうほく 方面 ほうめん でも電車 でんしゃ による昼 ひる 行 ぎょう 特急 とっきゅう 列車 れっしゃ 網 もう の整備 せいび が進 すす んだことから、20系 けい 座席 ざせき 車 しゃ の利用 りよう 者 しゃ は次第 しだい に減少 げんしょう し、「あかつき」は1968年 ねん に連結 れんけつ を廃止 はいし 。前者 ぜんしゃ でも「はくつる」の客車 きゃくしゃ を常磐線 じょうばんせん 経由 けいゆ に変更 へんこう した「ゆうづる 」に連結 れんけつ された2両 りょう が1970年 ねん に廃 はい されている。このため、20系 けい 客車 きゃくしゃ のうち、座席 ざせき 車 しゃ のほとんどは寝台 しんだい 車 しゃ へと改造 かいぞう され、座席 ざせき 車 しゃ として全 まっと うした車両 しゃりょう は「あさかぜ」用 よう ナロ20形 かたち 3両 りょう のみであった。
なお、1967年 ねん に運行 うんこう を開始 かいし した寝台 しんだい 電車 でんしゃ である581系 けい 電車 でんしゃ では、二 に 等 とう 車 しゃ は昼 ひる は座席 ざせき で夜 よる は寝台 しんだい での使用 しよう を目的 もくてき とした構造 こうぞう を用 もち いており、登場 とうじょう 当初 とうしょ こそ暫定 ざんてい 的 てき な運用 うんよう もあり一等 いっとう 車 しゃ は座席 ざせき ・寝台 しんだい ともに製造 せいぞう されなかった。しかし、本格 ほんかく 的 てき な運用 うんよう となった1968年 ねん 10月1日 にち のダイヤ改正 かいせい (いわゆるヨンサントオ )までに寝台 しんだい 兼用 けんよう の座席 ざせき の開発 かいはつ が間 ま に合 あ わなかったことから、一等 いっとう 車 しゃ (翌 よく 1969年 ねん より等級 とうきゅう 制度 せいど 廃止 はいし に伴 ともな いグリーン車 しゃ と名称 めいしょう 変更 へんこう )については一等 いっとう 寝台 しんだい (後年 こうねん のA寝台 しんだい )ではなく座席 ざせき 車 しゃ として製造 せいぞう された。そのため、昼 ひる 行列 ぎょうれつ 車 しゃ との兼 か ね合 あ いで常時 じょうじ 1両 りょう 連結 れんけつ していることが多 おお く、夜行 やこう 運転 うんてん 時 じ でも座席 ざせき 車 しゃ を連結 れんけつ する状態 じょうたい になっていた。
1974年 ねん 4月 がつ のダイヤ改正 かいせい を機 き に2段式 だんしき 寝台 しんだい の24系 けい 25形 かたち が登場 とうじょう したのを機 き に、国鉄 こくてつ は「星 ほし の寝台 しんだい 特急 とっきゅう 」のキャンペーンを行 おこな い、B寝台 しんだい の設備 せつび について星 ほし の数 かず で表記 ひょうき を行 おこな った他 ほか 、上記 じょうき の寝台 しんだい 列車 れっしゃ のシンボルマークが時刻 じこく 表 ひょう 等 とう に登場 とうじょう した。
1975年 ねん 以降 いこう は、運賃 うんちん ・各種 かくしゅ 料金 りょうきん の大幅 おおはば な値上 ねあ げに加 くわ え、新幹線 しんかんせん や高速 こうそく 道路 どうろ 網 あみ 、航空 こうくう 路線 ろせん など高速 こうそく 交通 こうつう 網 もう の整備 せいび が進 すす んだ結果 けっか 、寝台 しんだい 列車 れっしゃ を含 ふく む夜行 やこう 列車 れっしゃ 全体 ぜんたい の利用 りよう 客 きゃく (特 とく に社用 しゃよう ・公用 こうよう での出張 しゅっちょう などビジネス目的 もくてき の利用 りよう 客 きゃく )が激減 げきげん し、最盛 さいせい 期 き の1960年代 ねんだい に比 くら べ、利用 りよう 客 きゃく は大幅 おおはば に減少 げんしょう した。
なお、1980年代 ねんだい 後半 こうはん 以降 いこう 、客車 きゃくしゃ 寝台 しんだい 特急 とっきゅう では、高速 こうそく バス への対抗 たいこう を目的 もくてき として座席 ざせき 車 しゃ を1両 りょう のみ連結 れんけつ するケースが出 で てきた。純粋 じゅんすい な座席 ざせき 車 しゃ という点 てん では、「あかつき」・「なは 」の「レガートシート」があったが、「あかつき」が2008年 ねん 3月15日 にち 付 つ けで廃止 はいし になって以降 いこう 、該当 がいとう 例 れい はなくなった。また、「あけぼの 」には、寝台 しんだい 車 しゃ を使用 しよう しながら毛布 もうふ や浴衣 ゆかた を備 そな え付 つ けずに座席 ざせき 車 しゃ 扱 あつか いとした、「ゴロンとシート」という車両 しゃりょう (簡易 かんい 寝台 しんだい )が連結 れんけつ されていた。
さらに「サンライズ出雲 いずも ・瀬戸 せと 」にも、座席 ざせき 車 しゃ 扱 あつか いではあるが毛布 もうふ が備 そな え付 つ けられて横 よこ になることが可能 かのう な「ノビノビ座席 ざせき 」という車両 しゃりょう (簡易 かんい 寝台 しんだい )が連結 れんけつ されている。
青函 せいかん トンネル開通 かいつう 以降 いこう に登場 とうじょう した首都 しゅと 圏 けん ・京阪神 けいはんしん と北海道 ほっかいどう を結 むす ぶ寝台 しんだい 特急 とっきゅう 「北斗星 ほくとせい 」「トワイライトエクスプレス 」は、他 た の寝台 しんだい 列車 れっしゃ がほぼ壊滅 かいめつ 状態 じょうたい となった2013年 ねん 当時 とうじ でも、依然 いぜん として根強 ねづよ い人気 にんき を保 たも っていた。しかし、航空機 こうくうき との競争 きょうそう により利用 りよう 客 きゃく が減少 げんしょう していることや、車両 しゃりょう の老朽 ろうきゅう 化 か が進行 しんこう していることなどを理由 りゆう に、「あけぼの 」が2014年 ねん 3月 がつ 15日 にち のダイヤ改正 かいせい で廃止 はいし (定期 ていき 運行 うんこう 終了 しゅうりょう ・臨時 りんじ 列車 れっしゃ 化 か )され、「トワイライトエクスプレス」も2015年 ねん 3月 がつ 14日 にち のダイヤ改正 かいせい で廃止 はいし された。同時 どうじ に「北斗星 ほくとせい 」も定期 ていき 運行 うんこう も終了 しゅうりょう し、同年 どうねん 8月 がつ 22日 にち には「北斗星 ほくとせい 」の臨時 りんじ 運行 うんこう も終了 しゅうりょう した。
移動 いどう 手段 しゅだん としての競争 きょうそう 力 りょく を失 うしな った2010年代 ねんだい 以後 いご 、夜間 やかん の非 ひ 活動 かつどう 時間 じかん を有効 ゆうこう 利用 りよう した移動 いどう 手段 しゅだん ではなく、純粋 じゅんすい に鉄道 てつどう 旅行 りょこう を楽 たの しむ事 こと に役割 やくわり が変 か わりつつあり、そうしたコンセプトを持 も つ列車 れっしゃ (「クルーズトレイン」)が計画 けいかく ・登場 とうじょう している。JR九州 きゅうしゅう は、九州 きゅうしゅう を一周 いっしゅう する豪華 ごうか 寝台 しんだい 列車 れっしゃ 「ななつ星 ほし in 九州 きゅうしゅう 」を2013年 ねん 10月 がつ 15日 にち から運行 うんこう を開始 かいし した。同様 どうよう の列車 れっしゃ はJR東日本 ひがしにっぽん でも「TRAIN SUITE 四季 しき 島 とう (トランスイート しきしま)」が2017年 ねん 5月 がつ 1日 にち に運行 うんこう を開始 かいし したほか[5] [6] [7] 、JR西日本 にしにほん でも「TWILIGHT EXPRESS 瑞 みず 風 ふう (トワイライトエクスプレス みずかぜ)」が2017年 ねん 6月 がつ 17日 にち に運行 うんこう を開始 かいし した[8] [9] 。
また、2016年 ねん 6月 がつ 以降 いこう に、「カシオペア 」の上野 うえの - 札幌 さっぽろ 間 あいだ について「カシオペア紀行 きこう 」の名称 めいしょう でのツアー専用 せんよう 列車 れっしゃ として運行 うんこう の再開 さいかい が決定 けってい した[10] 。
JR西日本 にしにほん は、2020年 ねん 9月 がつ 11日 にち より「WEST EXPRESS 銀河 ぎんが 」の運行 うんこう を開始 かいし した。ただしこれは、寝台 しんだい に近 ちか い設備 せつび は有 ゆう するものの座席 ざせき 車 しゃ 扱 あつか いであり、「寝台 しんだい 列車 れっしゃ 」ではない。
19世紀 せいき の末 すえ から20世紀 せいき の中 なか ごろにかけてのアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では、旅客 りょかく の移動 いどう における鉄道 てつどう 輸送 ゆそう の占 し める割合 わりあい が非常 ひじょう に高 たか かった。
国土 こくど の広 ひろ さゆえ、数日 すうじつ を要 よう する鉄道 てつどう 旅行 りょこう は当 あ たり前 まえ で、経済 けいざい 水準 すいじゅん が比較的 ひかくてき 高 たか かった事 こと から寝台 しんだい 車 しゃ への需要 じゅよう も高 たか く、鉄道 てつどう 会社 かいしゃ はプルマン社 しゃ などの寝台 しんだい 車 しゃ 保有 ほゆう 会社 かいしゃ と提携 ていけい して、寝台 しんだい 車 しゃ を連結 れんけつ した旅客 りょかく 列車 れっしゃ の運行 うんこう を盛 さか んに行 い った。
中 なか でも、需要 じゅよう の高 たか かった東海岸 ひがしかいがん の路線 ろせん や、シカゴ とロサンゼルス を結 むす ぶ路線 ろせん などでは、19世紀 せいき の終 お わりごろから、座席 ざせき 車 しゃ を連結 れんけつ しないプルマン寝台 しんだい 車 しゃ のみの旅客 りょかく 列車 れっしゃ "all-Pullman"を運行 うんこう する事 こと が常態 じょうたい 化 か していた。
寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ として有名 ゆうめい な列車 れっしゃ としては、ニューヨーク とシカゴを結 むす んだ「20世紀 せいき 特急 とっきゅう (The 20th Century Limited) 」、「ブロードウェイ特急 とっきゅう (Broadway Limited) 」、ワシントン とシカゴを結 むす んだ「キャピトル特急 とっきゅう (Capitol Limited) 」、ニューヨークとニューオーリンズ を結 むす んだ「クレセント (Crescent Limited) 」、シカゴとサンフランシスコ を結 むす んだ、「オーバーランド特急 とっきゅう 」、シカゴとロサンゼルス を結 むす んだ「カリフォルニア特急 とっきゅう (California Limited) 」、「スーパー・チーフ (Super Chief) 」、ロサンゼルスとサンフランシスコを結 むす んだ「ラーク 」などが挙 あ げられる。プルマン寝台 しんだい 車 しゃ の利用 りよう には通常 つうじょう 、ファーストクラス運賃 うんちん が必要 ひつよう で、優等 ゆうとう 旅客 りょかく のみを相手 あいて にし、フルコースを提供 ていきょう する食堂 しょくどう 車 しゃ や豪華 ごうか なラウンジ車 しゃ を売 う り物 もの にしていた。いくつかの列車 れっしゃ については1930年代 ねんだい 以降 いこう 、全車 ぜんしゃ の個室 こしつ 寝台 しんだい 化 か も行 おこな われた。これらの列車 れっしゃ は座席 ざせき 車 しゃ のみならず、主 おも に西部 せいぶ に向 む かう列車 れっしゃ に連結 れんけつ されていた、通常 つうじょう 運賃 うんちん と安価 あんか な寝台 しんだい 料金 りょうきん で利用 りよう できる「ツーリスト寝台 しんだい 」すら連結 れんけつ されていなかった。
第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 後 ご の飛行機 ひこうき の普及 ふきゅう はアメリカの鉄道 てつどう 旅客 りょかく 輸送 ゆそう に大 だい 打撃 だげき を与 あた えた。旅客 りょかく 列車 れっしゃ は激減 げきげん し、従来 じゅうらい 寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ だった列車 れっしゃ にも座席 ざせき 車 しゃ が連結 れんけつ されるようになった。1967年 ねん 、最後 さいご まで"all-Pullman"として残 のこ っていた「ブロードウェイ特急 とっきゅう 」に座席 ざせき 車 しゃ が連結 れんけつ され、アメリカから寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ は消滅 しょうめつ した。現在 げんざい のアムトラックの夜行 やこう 列車 れっしゃ はすべて寝台 しんだい ・座席 ざせき 併結列車 れっしゃ である。
観光 かんこう 列車 れっしゃ を別 べつ にすれば、寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ が盛 さか んに運行 うんこう され、現在 げんざい ホテルトレインといわれる。
各 かく 小 しょう 部屋 へや にシャワー、トイレ、洗面 せんめん 台 だい まで備 そな えられており移動 いどう するホテルである。代表 だいひょう 的 てき な鉄道 てつどう にマドリッド・バルセロナとパリ・ミラノ・チューリッヒを結 むす ぶエリプソスがある。
ベルギー人 じん のジョルジュ・ナエルマーケス (Georges Nagelmackers, 1845 - 1905) が1872年 ねん に発足 ほっそく させた国際 こくさい 寝台 しんだい 車 しゃ 会社 かいしゃ (Compagnie Internationale des Wagons-Lits、日本 にっぽん での通称 つうしょう ワゴン・リ社 しゃ )は、個室 こしつ 寝台 しんだい 車 しゃ を欧州 おうしゅう 各国 かっこく の鉄道 てつどう で運行 うんこう して成功 せいこう を収 おさ めた。同社 どうしゃ の車両 しゃりょう による「オリエント急行 きゅうこう (L'Orient-Express) 」、「トラン・ブルー (Train Bleu) 」といった列車 れっしゃ は、寝台 しんだい 車 しゃ を中心 ちゅうしん に編成 へんせい され、豪華 ごうか で利便 りべん 性 せい の高 たか い列車 れっしゃ として世界 せかい 的 てき な名声 めいせい を得 え た。
その後 ご 、1960年代 ねんだい 以降 いこう は航空 こうくう 路線 ろせん 網 もう の整備 せいび が進 すす んだこともあり、1977年 ねん にオリエント急行 きゅうこう は廃止 はいし され、さらに1981年 ねん のTGV 開業 かいぎょう 以後 いご は、トラン・ブルーをはじめとしたフランス国内 こくない の寝台 しんだい 列車 れっしゃ も、クシェットと二 に 等 とう リクライニング座席 ざせき 車 しゃ からなるコライユ・ルネア に次々 つぎつぎ と置 お き換 か えられた。他 た の列車 れっしゃ も座席 ざせき 車 しゃ を連結 れんけつ するものが増 ふ え、現在 げんざい も寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ として残 のこ っているのは、ユーロナイト のアルテシアナイト (フランス - イタリア間 あいだ )、"Berlin Night Express"(ベルリン - マルメ 間 あいだ )、シティナイトライン "Aurora"(コペンハーゲン - バーゼル 間 あいだ )など、ごく一部 いちぶ となった。
2017年 ねん 、フランス国鉄 こくてつ は他 た に交通 こうつう 手段 しゅだん の選択肢 せんたくし がある路線 ろせん の寝台 しんだい 列車 れっしゃ を廃止 はいし 。わずかにパリとブリアンソン 、パリとセルベール 間 あいだ を結 むす ぶ2路線 ろせん のみが残 のこ された。一方 いっぽう で2020年代 ねんだい に二酸化炭素 にさんかたんそ の排出 はいしゅつ 量 りょう 削減 さくげん が政府 せいふ の課題 かだい になると再 ふたた び寝台 しんだい 列車 れっしゃ に注目 ちゅうもく が集 あつ まるようになり、2021年 ねん 、パリとニース 間 あいだ を結 むす ぶ寝台 しんだい 列車 れっしゃ が復活 ふっかつ した。同 どう 区間 くかん は高速 こうそく 鉄道 てつどう TGVの倍 ばい の時間 じかん を要 よう するものの運賃 うんちん は半分 はんぶん 以下 いか となっている[11] 。
国土 こくど が広大 こうだい なインド にも寝台 しんだい 専用 せんよう 列車 れっしゃ が存在 そんざい する。貧富 ひんぷ の差 さ の問題 もんだい などもあり、インドの鉄道 てつどう ではほとんどの列車 れっしゃ に座席 ざせき 車 しゃ が連結 れんけつ されているが、同時 どうじ に運転 うんてん 時間 じかん が長時間 ちょうじかん に渡 わた るため寝台 しんだい 車 しゃ の比重 ひじゅう が高 たか くなっている。
特 とく にラージダーニー急行 きゅうこう は全車 ぜんしゃ エアコン 付 つ き寝台 しんだい 車 しゃ を用 もち いた豪華 ごうか 列車 れっしゃ として知 し られてきた。最近 さいきん はインドでの中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の成長 せいちょう により利用 りよう 者 しゃ が急増 きゅうぞう している。そのため、日本 にっぽん のブルートレイン に近 ちか い寝台 しんだい 特急 とっきゅう 列車 れっしゃ に実質 じっしつ 的 てき には近 ちか づいている。
また、インドの急行 きゅうこう 列車 れっしゃ は約 やく 20両 りょう に及 およ ぶ編成 へんせい のうち、2 - 3両 りょう の座席 ざせき 車 しゃ を除 のぞ いては寝台 しんだい 車 しゃ ばかりで構成 こうせい されることが多 おお い。
^ 「みずほ」20系 けい 化 か 当初 とうしょ 編成 へんせい 図 ず を参照 さんしょう されたいが、従前 じゅうぜん より運行 うんこう している「さくら」・「はやぶさ」 に比 くら べ、一等 いっとう 座席 ざせき 車 しゃ がなく代 か わりに二 に 等 とう 寝台 しんだい 車 しゃ が連結 れんけつ されている。
^ 東海道新幹線 とうかいどうしんかんせん 開業 かいぎょう 前 まえ は東京 とうきょう - 名古屋 なごや ・京阪神 けいはんしん といった区間 くかん において、初発 しょはつ 列車 れっしゃ や最終 さいしゅう 列車 れっしゃ として20系 けい の座席 ざせき 車 しゃ を利用 りよう する者 もの も多 おお かったが、同 どう 新幹線 しんかんせん の開業 かいぎょう でそれらの利用 りよう 者 しゃ は新幹線 しんかんせん 利用 りよう に転移 てんい していった。
^ なお、「あさかぜ」の一等 いっとう 車 しゃ の後身 こうしん となるグリーン車 しゃ 連結 れんけつ は山陽新幹線 さんようしんかんせん 全通 ぜんつう となる1975年 ねん 3月 がつ に終了 しゅうりょう した。
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