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寝台しんだい列車れっしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
寝台しんだい特急とっきゅう富士ふじ・はやぶさ」
(2004ねん6がつ15にち 真鶴まなづるえき - 湯河原ゆがわらえきあいだ

寝台しんだい列車れっしゃ(しんだいれっしゃ, Sleeper trains)とは、夜行やこう列車れっしゃのうち寝台しんだいしゃ主体しゅたいとした列車れっしゃす。

日本にっぽん

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寝台しんだい列車れっしゃ定義ていぎ

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寝台しんだい特急とっきゅうのシンボルマーク。寝台しんだい急行きゅうこうは「JTB時刻じこくひょう」では白黒しろくろ反転はんてんして表記ひょうきされた。

1960年代ねんだい発行はっこうされた日本交通公社にほんこうつうこうしゃの『時刻じこくひょう』では、「寝台しんだいしゃ主体しゅたいにして、全部ぜんぶ車両しゃりょう指定していせい列車れっしゃ」と定義ていぎしていた。どう時刻じこくひょうは1963ねん7がつごうまで「寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃ」の表記ひょうきもちい、8がつごうから「寝台しんだい列車れっしゃ」に変更へんこうされている[1]。したがって、自由じゆうせきふく座席ざせきしゃ主体しゅたいで、編成へんせいない少数しょうすう寝台しんだいしゃふくまれる「津軽つがる」などは「寝台しんだい列車れっしゃ」とされなかった。ただしその急行きゅうこう十和田とわだ」(常磐線じょうばんせん)や「かりかち」(根室本線ねむろほんせん)のそれぞれ一部いちぶ列車れっしゃや、臨時りんじ列車れっしゃ格下かくさ急行きゅうこう「きたぐに」(北陸本線ほくりくほんせん)のように、寝台しんだいしゃ主体しゅたい座席ざせきしゃは1〜3りょう程度ていどでありかつ全車ぜんしゃ指定していせい列車れっしゃであってもどう時刻じこくひょうで「寝台しんだい列車れっしゃ」としてあつかわれなかったれいもあり(一方いっぽうで、寝台しんだい特急とっきゅう明星みょうじょう」や「彗星すいせい」の一部いちぶ一時期いちじき普通ふつうしゃ指定していせき4りょう、グリーンしゃ1りょうけい5りょう座席ざせきしゃ連結れんけつ運転うんてんしていたが、こちらは「寝台しんだい列車れっしゃ」のあつかいをけている)、その理由りゆう不明ふめいである。

寝台しんだい特急とっきゅう」は、「寝台しんだい列車れっしゃ」のうちの特急とっきゅう列車れっしゃであり、20けい客車きゃくしゃ以降いこう固定こてい編成へんせい客車きゃくしゃによる「ブルートレイン」や、581・583けい電車でんしゃ285けい電車でんしゃによる寝台しんだい列車れっしゃがある。現存げんそんするのは285けい電車でんしゃによるものだけである。

歴史れきし

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前史ぜんし

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かつて大量たいりょう寝台しんだいしゃ存在そんざいし、"all-Pullman"とばれる寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃ多数たすう存在そんざいしたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく例外れいがいとすれば、世界せかい各国かっこく鉄道てつどう長距離ちょうきょり運行うんこうする夜行やこう列車れっしゃは、優等ゆうとうきゃく大衆たいしゅう乗客じょうきゃくのいずれのニーズにもおうじることを目的もくてきとして、寝台しんだいしゃ一般いっぱん座席ざせきしゃこんゆい編成へんせいむことが普通ふつうだった。

日本にっぽんもそのれいれず、1900ねん山陽さんよう鉄道てつどう日本にっぽんはつ寝台しんだいしゃ運行うんこう開始かいしして以来いらい寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃというものはながらく存在そんざいしなかった。たとえ優等ゆうとうきゃく専用せんよう列車れっしゃであっても、寝台しんだいしゃ座席ざせきしゃ双方そうほう連結れんけつされていた。

ただし、例外れいがいてき存在そんざいとして、太平洋戦争たいへいようせんそうなかまで東京とうきょう - 神戸こうべあいだ運転うんてんしていた夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ1往復おうふくには、とう座席ざせきしゃ1りょうほかは、一等いっとうとう寝台しんだいしゃ食堂しょくどうしゃのみで編成へんせいされた時期じきがある。この列車れっしゃには長期ちょうきにわたり「17列車れっしゃ・18列車れっしゃ」の列車れっしゃ番号ばんごうあたえられ、上流じょうりゅう貴顕きけん列車れっしゃとして、「名士めいし列車れっしゃ」の俗称ぞくしょうられた。この列車れっしゃを、日本にっぽん最初さいしょの「寝台しんだい列車れっしゃ」とするかんがかたもあるが、「いちとう優等ゆうとうきゃく専用せんよう夜行やこう列車れっしゃ」という性格せいかくで、さんとう寝台しんだいしゃ連結れんけつした戦後せんごの「寝台しんだい列車れっしゃ」とは、やや方向ほうこうせいことなる。なお、この列車れっしゃ太平洋戦争たいへいようせんそうはげしさを1943ねん昭和しょうわ18ねん)に廃止はいしされている。

寝台しんだい列車れっしゃ出現しゅつげん

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戦後せんご1950年代ねんだい以降いこう日本にっぽん国内こくない鉄道てつどうでは全体ぜんたい輸送ゆそうりょういちじるしく増大ぞうだいした。また、1941ねん一時いちじ廃止はいしされていたさんとう寝台しんだいしゃ1956ねん復活ふっかつ[2]比較的ひかくてき低廉ていれん運賃うんちん寝台しんだい利用りよう可能かのうになったことで、寝台しんだいしゃそのものへの需要じゅようたかまった。なおさんとう寝台しんだいしゃは、1960ねんよりとう寝台しんだいしゃ1969ねんよりB寝台しんだいしゃとなった。

東海道本線とうかいどうほんせん全線ぜんせん電化でんかともなう1956ねん11月ダイヤ改正かいせいでは、東京とうきょう - 博多はかたあいだ特急とっきゅう列車れっしゃあさかぜ」が新設しんせつされる。10りょう編成へんせいちゅう寝台しんだいしゃが5りょう[3]当時とうじとしては寝台しんだいしゃ比率ひりつたかかった。これは好成績こうせいせきおさめた。さら1957ねん10月からは、東京とうきょう - 大阪おおさかあいだ夜行やこう急行きゅうこうの「彗星すいせい」の組成そせい変更へんこう。14りょう編成へんせい(うち1りょう荷物にもつしゃちゅう座席ざせきしゃさい後尾こうびさんとう座席ざせき指定していしゃ1りょうのみで、のこり12りょうマロネ40かたちなどとう寝台しんだいしゃナハネ10かたちなどのさんとう寝台しんだいしゃ半数はんすうずつだった。この列車れっしゃは、列車れっしゃ番号ばんごう戦前せんぜんの「名士めいし列車れっしゃ」とうたわれた17・18列車れっしゃおなじで、とう寝台しんだいしゃ割合わりあい列車れっしゃくらべてたかかったことから「名士めいし列車れっしゃ再来さいらい」とわれた。この「彗星すいせい」を、「(本格ほんかくてきな)寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃ嚆矢こうし」とかんがかたもある[よう出典しゅってん]

1958ねんには日本にっぽんはつ固定こてい編成へんせい客車きゃくしゃとして20けい客車きゃくしゃ登場とうじょう特急とっきゅう「あさかぜ」に投入とうにゅうされた。13りょう編成へんせいちゅう旅客りょかくしゃ座席ざせきしゃが3りょうのみで、はすべて寝台しんだいしゃだった[4]。なお、編成へんせいには食堂しょくどうしゃ電源でんげん荷物にもつしゃかく1りょうふくまれた。

よく1959ねん9月には、常磐線じょうばんせん経由けいゆ上野うえの - 青森あおもりあいだ夜行やこう急行きゅうこう北斗ほくと」が寝台しんだい列車れっしゃされた。12りょう編成へんせいちゅう食堂しょくどうしゃ1りょう荷物にもつしゃ2りょうのほか、とう寝台しんだいしゃ2りょうさんとう寝台しんだいしゃ6りょうで、座席ざせきしゃはやはりさんとう座席ざせき指定していしゃ1りょうのみだった。あぶれた座席ざせき利用りようきゃくは、おな区間くかん雁行がんこうする急行きゅうこう十和田とわだ」を全車ぜんしゃ座席ざせきしゃ編成へんせいとして救済きゅうさいしている。

なお、「彗星すいせい」・「北斗ほくと」に1りょうだけ座席ざせきしゃ連結れんけつされていたのは、1950年代ねんだいより1960年代ねんだい初頭しょとう寝台しんだいしゃ緩急かんきゅうしゃがほとんど存在そんざいしなかったためである。夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ寝台しんだい列車れっしゃ措置そちは、当初とうしょ列車れっしゃ全体ぜんたい居住きょじゅうせい改善かいぜん保守ほしゅ点検てんけん合理ごうりなどの目的もくてきがあったとされる[よう出典しゅってん]

増加ぞうか

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1956ねん以降いこう国鉄こくてつ優等ゆうとう旅客りょかく列車れっしゃには電車でんしゃ気動車きどうしゃさかんにもちいられるようになった。

当時とうじ電車でんしゃ気動車きどうしゃには寝台しんだいしゃ存在そんざいせず、夜行やこう列車れっしゃとして運転うんてんされる場合ばあいにも全車ぜんしゃ一般いっぱん座席ざせき列車れっしゃとならざるをなかった。そこで寝台しんだい需要じゅようたいしては、ほとんど寝台しんだいしゃのみで構成こうせいされた客車きゃくしゃ寝台しんだい特急とっきゅう急行きゅうこう運行うんこうし、一般いっぱん座席ざせき需要じゅようについてはひるぎょう急行きゅうこうよう電車でんしゃ気動車きどうしゃ夜行やこう列車れっしゃにも共用きょうよう、これらを別便べつびん急行きゅうこう列車れっしゃとして雁行がんこうさせるという手法しゅほうられるようになった。こうすれば、動力どうりょく寝台しんだいしゃだけを新規しんき製造せいぞうすることで輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう実現じつげんできた。

この傾向けいこう1961ねん10月1にちのダイヤ改正かいせい(いわゆるサンロクトオ)から顕著けんちょとなった。東海道本線とうかいどうほんせんひるぎょう急行きゅうこう列車れっしゃ153けい電車でんしゃ大量たいりょう投入とうにゅう電車でんしゃだい増発ぞうはつされ、夜行やこう列車れっしゃかんしてもけがはかられた。列車れっしゃ増発ぞうはつたいして、1961ねんから1965ねんにかけてきゅうかたち客車きゃくしゃたいわく利用りようして製造せいぞうされた軽量けいりょうとう寝台しんだい従前じゅうぜんさんとう寝台しんだいくるまオハネ17かたち合計ごうけい302りょう国鉄こくてつ工場こうじょう製造せいぞうぞう備された。それでも不足ふそくするぶんは、戦前せんぜんきゅうさんとう寝台しんだいしゃであり、戦時せんじちゅうさんとう座席ざせきしゃオハ34かたち改造かいぞうされたスハネ30かたちほかをすうじゅうりょう寝台しんだいしゃ復活ふっかつ改造かいぞうして充当じゅうとうしたほどである。また、戦後せんごはつさんとう寝台しんだいしゃとして製造せいぞうされたナハネ10がたについては、1963ねん緩急かんきゅうしゃされてナハネフ10かたちとなり、寝台しんだい列車れっしゃ全車ぜんしゃ寝台しんだいがさらにはかられた。さらに寝台しんだい需要じゅようたか東海道本線とうかいどうほんせんでは、電車でんしゃによる座席ざせき夜行やこう急行きゅうこう客車きゃくしゃ寝台しんだい列車れっしゃへのえもおこなわれた。[よう出典しゅってん]

東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょう東海道とうかいどう本線ほんせん夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ衰退すいたいしたのちも、山陽本線さんようほんせん東北本線とうほくほんせん北陸本線ほくりくほんせんなどでは、寝台しんだい急行きゅうこう列車れっしゃ座席ざせき夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ雁行がんこうおこなわれた。一方いっぽう奥羽本線おううほんせん山陰本線さんいんほんせんなどべつ仕立したてするほどの需要じゅようがない幹線かんせんきゅう線区せんくでは、従来じゅうらいどお寝台しんだいしゃ座席ざせきしゃを併結した客車きゃくしゃ急行きゅうこう列車れっしゃつづ運転うんてんされた。

一般いっぱん

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寝台しんだい特別とくべつ急行きゅうこう列車れっしゃ場合ばあい当初とうしょおも設定せってい区間くかんであった東海道とうかいどう山陽さんよう九州きゅうしゅうせん、つまり東京とうきょうたい山陽さんよう九州きゅうしゅうかく都市としおも利用りようきゃくであることや、顕著けんちょ寝台しんだいしゃ利用りよう勘案かんあんされ、東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょうまえである1962ねんより座席ざせきしゃ連結れんけつ当初とうしょより減少げんしょうする編成へんせい[注釈ちゅうしゃく 1]あらわれ、どう新幹線しんかんせん開業かいぎょう[注釈ちゅうしゃく 2]から4ねん1968ねんまでには「あさかぜ」1往復おうふく一等いっとうしゃナロ20かたち1りょうのぞ座席ざせきしゃ連結れんけつ終了しゅうりょうした[注釈ちゅうしゃく 3]

1964ねんはつ東京とうきょうえき以外いがい発着はっちゃく寝台しんだい特急とっきゅうとして設定せっていされた「はくつる」にはとうしゃが2りょう連結れんけつされ、よく1965ねん最初さいしょ関西かんさい発着はっちゃく東海道新幹線とうかいどうしんかんせん接続せつぞく寝台しんだい特急とっきゅうとしても設定せっていされた「あかつき」にもとうしゃ1りょう設定せっていされた。

しかし、山陽さんよう九州きゅうしゅう方面ほうめん東北とうほく方面ほうめんでも電車でんしゃによるひるぎょう特急とっきゅう列車れっしゃもう整備せいびすすんだことから、20けい座席ざせきしゃ利用りようしゃ次第しだい減少げんしょうし、「あかつき」は1968ねん連結れんけつ廃止はいし前者ぜんしゃでも「はくつる」の客車きゃくしゃ常磐線じょうばんせん経由けいゆ変更へんこうした「ゆうづる」に連結れんけつされた2りょう1970ねんはいされている。このため、20けい客車きゃくしゃのうち、座席ざせきしゃのほとんどは寝台しんだいしゃへと改造かいぞうされ、座席ざせきしゃとしてまっとうした車両しゃりょうは「あさかぜ」ようナロ20かたち3りょうのみであった。

なお、1967ねん運行うんこう開始かいしした寝台しんだい電車でんしゃである581けい電車でんしゃでは、とうしゃひる座席ざせきよる寝台しんだいでの使用しよう目的もくてきとした構造こうぞうもちいており、登場とうじょう当初とうしょこそ暫定ざんていてき運用うんようもあり一等いっとうしゃ座席ざせき寝台しんだいともに製造せいぞうされなかった。しかし、本格ほんかくてき運用うんようとなった1968ねん10月1にちのダイヤ改正かいせい(いわゆるヨンサントオ)までに寝台しんだい兼用けんよう座席ざせき開発かいはつわなかったことから、一等いっとうしゃよく1969ねんより等級とうきゅう制度せいど廃止はいしともなグリーンしゃ名称めいしょう変更へんこう)については一等いっとう寝台しんだい後年こうねんA寝台しんだい)ではなく座席ざせきしゃとして製造せいぞうされた。そのため、ひる行列ぎょうれつしゃとのいで常時じょうじ1りょう連結れんけつしていることがおおく、夜行やこう運転うんてんでも座席ざせきしゃ連結れんけつする状態じょうたいになっていた。

1974ねん4がつのダイヤ改正かいせいに2段式だんしき寝台しんだいの24けい25かたち登場とうじょうしたのをに、国鉄こくてつは「ほし寝台しんだい特急とっきゅう」のキャンペーンをおこない、B寝台しんだい設備せつびについてほしかず表記ひょうきおこなったほか上記じょうき寝台しんだい列車れっしゃのシンボルマークが時刻じこくひょうとう登場とうじょうした。

衰退すいたい

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1975ねん以降いこうは、運賃うんちん各種かくしゅ料金りょうきん大幅おおはば値上ねあげにくわえ、新幹線しんかんせん高速こうそく道路どうろあみ航空こうくう路線ろせんなど高速こうそく交通こうつうもう整備せいびすすんだ結果けっか寝台しんだい列車れっしゃふく夜行やこう列車れっしゃ全体ぜんたい利用りようきゃくとく社用しゃよう公用こうようでの出張しゅっちょうなどビジネス目的もくてき利用りようきゃく)が激減げきげんし、最盛さいせいの1960年代ねんだいくらべ、利用りようきゃく大幅おおはば減少げんしょうした。

なお、1980年代ねんだい後半こうはん以降いこう客車きゃくしゃ寝台しんだい特急とっきゅうでは、高速こうそくバスへの対抗たいこう目的もくてきとして座席ざせきしゃを1りょうのみ連結れんけつするケースがてきた。純粋じゅんすい座席ざせきしゃというてんでは、「あかつき」・「なは」の「レガートシート」があったが、「あかつき」が2008ねん3月15にちけで廃止はいしになって以降いこう該当がいとうれいはなくなった。また、「あけぼの」には、寝台しんだいしゃ使用しようしながら毛布もうふ浴衣ゆかたそなけずに座席ざせきしゃあつかいとした、「ゴロンとシート」という車両しゃりょう簡易かんい寝台しんだい)が連結れんけつされていた。

さらに「サンライズ出雲いずも瀬戸せと」にも、座席ざせきしゃあつかいではあるが毛布もうふそなけられてよこになることが可能かのうな「ノビノビ座席ざせき」という車両しゃりょう簡易かんい寝台しんだい)が連結れんけつされている。

青函せいかんトンネル開通かいつう以降いこう登場とうじょうした首都しゅとけん京阪神けいはんしん北海道ほっかいどうむす寝台しんだい特急とっきゅう北斗星ほくとせい」「トワイライトエクスプレス」は、寝台しんだい列車れっしゃがほぼ壊滅かいめつ状態じょうたいとなった2013ねん当時とうじでも、依然いぜんとして根強ねづよ人気にんきたもっていた。しかし、航空機こうくうきとの競争きょうそうにより利用りようきゃく減少げんしょうしていることや、車両しゃりょう老朽ろうきゅう進行しんこうしていることなどを理由りゆうに、「あけぼの」が2014ねん3がつ15にちのダイヤ改正かいせい廃止はいし定期ていき運行うんこう終了しゅうりょう臨時りんじ列車れっしゃ)され、「トワイライトエクスプレス」も2015ねん3がつ14にちのダイヤ改正かいせい廃止はいしされた。同時どうじに「北斗星ほくとせい」も定期ていき運行うんこう終了しゅうりょうし、同年どうねん8がつ22にちには「北斗星ほくとせい」の臨時りんじ運行うんこう終了しゅうりょうした。

旅行りょこう目的もくてきへのとく

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移動いどう手段しゅだんとしての競争きょうそうりょくうしなった2010年代ねんだい以後いご夜間やかん活動かつどう時間じかん有効ゆうこう利用りようした移動いどう手段しゅだんではなく、純粋じゅんすい鉄道てつどう旅行りょこうたのしむこと役割やくわりわりつつあり、そうしたコンセプトを列車れっしゃ(「クルーズトレイン」)が計画けいかく登場とうじょうしている。JR九州きゅうしゅうは、九州きゅうしゅう一周いっしゅうする豪華ごうか寝台しんだい列車れっしゃななつほし in 九州きゅうしゅう」を2013ねん10がつ15にちから運行うんこう開始かいしした。同様どうよう列車れっしゃはJR東日本ひがしにっぽんでも「TRAIN SUITE 四季しきとう(トランスイート しきしま)」が2017ねん5がつ1にち運行うんこう開始かいししたほか[5][6][7]、JR西日本にしにほんでも「TWILIGHT EXPRESS みずふう(トワイライトエクスプレス みずかぜ)」が2017ねん6がつ17にち運行うんこう開始かいしした[8][9]

また、2016ねん6がつ以降いこうに、「カシオペア」の上野うえの - 札幌さっぽろあいだについて「カシオペア紀行きこう」の名称めいしょうでのツアー専用せんよう列車れっしゃとして運行うんこう再開さいかい決定けっていした[10]

JR西日本にしにほんは、2020ねん9がつ11にちより「WEST EXPRESS 銀河ぎんが」の運行うんこう開始かいしした。ただしこれは、寝台しんだいちか設備せつびゆうするものの座席ざせきしゃあつかいであり、「寝台しんだい列車れっしゃ」ではない。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

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19世紀せいきすえから20世紀せいきなかごろにかけてのアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは、旅客りょかく移動いどうにおける鉄道てつどう輸送ゆそうめる割合わりあい非常ひじょうたかかった。

国土こくどひろさゆえ、数日すうじつようする鉄道てつどう旅行りょこうたりまえで、経済けいざい水準すいじゅん比較的ひかくてきたかかったことから寝台しんだいしゃへの需要じゅようたかく、鉄道てつどう会社かいしゃプルマンしゃなどの寝台しんだいしゃ保有ほゆう会社かいしゃ提携ていけいして、寝台しんだいしゃ連結れんけつした旅客りょかく列車れっしゃ運行うんこうさかんにった。

なかでも、需要じゅようたかかった東海岸ひがしかいがん路線ろせんや、シカゴロサンゼルスむす路線ろせんなどでは、19世紀せいきわりごろから、座席ざせきしゃ連結れんけつしないプルマン寝台しんだいしゃのみの旅客りょかく列車れっしゃ"all-Pullman"を運行うんこうすること常態じょうたいしていた。

寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃとして有名ゆうめい列車れっしゃとしては、ニューヨークとシカゴをむすんだ「20世紀せいき特急とっきゅう (The 20th Century Limited) 」、「ブロードウェイ特急とっきゅう (Broadway Limited) 」、ワシントンとシカゴをむすんだ「キャピトル特急とっきゅう (Capitol Limited) 」、ニューヨークとニューオーリンズむすんだ「クレセント (Crescent Limited) 」、シカゴとサンフランシスコむすんだ、「オーバーランド特急とっきゅう」、シカゴとロサンゼルスむすんだ「カリフォルニア特急とっきゅう (California Limited) 」、「スーパー・チーフ (Super Chief) 」、ロサンゼルスとサンフランシスコをむすんだ「ラーク」などがげられる。プルマン寝台しんだいしゃ利用りようには通常つうじょう、ファーストクラス運賃うんちん必要ひつようで、優等ゆうとう旅客りょかくのみを相手あいてにし、フルコースを提供ていきょうする食堂しょくどうしゃ豪華ごうかなラウンジしゃものにしていた。いくつかの列車れっしゃについては1930年代ねんだい以降いこう全車ぜんしゃ個室こしつ寝台しんだいおこなわれた。これらの列車れっしゃ座席ざせきしゃのみならず、おも西部せいぶかう列車れっしゃ連結れんけつされていた、通常つうじょう運賃うんちん安価あんか寝台しんだい料金りょうきん利用りようできる「ツーリスト寝台しんだい」すら連結れんけつされていなかった。

だい2大戦たいせん飛行機ひこうき普及ふきゅうはアメリカの鉄道てつどう旅客りょかく輸送ゆそうだい打撃だげきあたえた。旅客りょかく列車れっしゃ激減げきげんし、従来じゅうらい寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃだった列車れっしゃにも座席ざせきしゃ連結れんけつされるようになった。1967ねん最後さいごまで"all-Pullman"としてのこっていた「ブロードウェイ特急とっきゅう」に座席ざせきしゃ連結れんけつされ、アメリカから寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃ消滅しょうめつした。現在げんざいのアムトラックの夜行やこう列車れっしゃはすべて寝台しんだい座席ざせき併結列車れっしゃである。

ヨーロッパ諸国しょこく

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観光かんこう列車れっしゃべつにすれば、寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃさかんに運行うんこうされ、現在げんざいホテルトレインといわれる。 かくしょう部屋へやにシャワー、トイレ、洗面せんめんだいまでそなえられており移動いどうするホテルである。代表だいひょうてき鉄道てつどうにマドリッド・バルセロナとパリ・ミラノ・チューリッヒをむすぶエリプソスがある。

ベルギーじんのジョルジュ・ナエルマーケス (Georges Nagelmackers, 1845 - 1905) が1872ねん発足ほっそくさせた国際こくさい寝台しんだいしゃ会社かいしゃ(Compagnie Internationale des Wagons-Lits、日本にっぽんでの通称つうしょうワゴン・リしゃ)は、個室こしつ寝台しんだいしゃ欧州おうしゅう各国かっこく鉄道てつどう運行うんこうして成功せいこうおさめた。同社どうしゃ車両しゃりょうによる「オリエント急行きゅうこう (L'Orient-Express) 」、「トラン・ブルー (Train Bleu) 」といった列車れっしゃは、寝台しんだいしゃ中心ちゅうしん編成へんせいされ、豪華ごうか利便りべんせいたか列車れっしゃとして世界せかいてき名声めいせいた。

その、1960年代ねんだい以降いこう航空こうくう路線ろせんもう整備せいびすすんだこともあり、1977ねんにオリエント急行きゅうこう廃止はいしされ、さらに1981ねんTGV開業かいぎょう以後いごは、トラン・ブルーをはじめとしたフランス国内こくない寝台しんだい列車れっしゃも、クシェットととうリクライニング座席ざせきしゃからなるコライユ・ルネア次々つぎつぎえられた。列車れっしゃ座席ざせきしゃ連結れんけつするものがえ、現在げんざい寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃとしてのこっているのは、ユーロナイトアルテシアナイト(フランス - イタリアあいだ)、"Berlin Night Express"(ベルリン - マルメあいだ)、シティナイトライン"Aurora"(コペンハーゲン - バーゼルあいだ)など、ごく一部いちぶとなった。

2017ねん、フランス国鉄こくてつ交通こうつう手段しゅだん選択肢せんたくしがある路線ろせん寝台しんだい列車れっしゃ廃止はいし。わずかにパリとブリアンソン、パリとセルベールあいだむすぶ2路線ろせんのみがのこされた。一方いっぽうで2020年代ねんだい二酸化炭素にさんかたんそ排出はいしゅつりょう削減さくげん政府せいふ課題かだいになるとふたた寝台しんだい列車れっしゃ注目ちゅうもくあつまるようになり、2021ねん、パリとニースあいだむす寝台しんだい列車れっしゃ復活ふっかつした。どう区間くかん高速こうそく鉄道てつどうTGVのばい時間じかんようするものの運賃うんちん半分はんぶん以下いかとなっている[11]

国土こくど広大こうだいインドにも寝台しんだい専用せんよう列車れっしゃ存在そんざいする。貧富ひんぷ問題もんだいなどもあり、インドの鉄道てつどうではほとんどの列車れっしゃ座席ざせきしゃ連結れんけつされているが、同時どうじ運転うんてん時間じかん長時間ちょうじかんわたるため寝台しんだいしゃ比重ひじゅうたかくなっている。

とくラージダーニー急行きゅうこう全車ぜんしゃエアコン寝台しんだいしゃもちいた豪華ごうか列車れっしゃとしてられてきた。最近さいきんはインドでの中産ちゅうさん階級かいきゅう成長せいちょうにより利用りようしゃ急増きゅうぞうしている。そのため、日本にっぽんのブルートレインちか寝台しんだい特急とっきゅう列車れっしゃ実質じっしつてきにはちかづいている。

また、インドの急行きゅうこう列車れっしゃやく20りょうおよ編成へんせいのうち、2 - 3りょう座席ざせきしゃのぞいては寝台しんだいしゃばかりで構成こうせいされることがおおい。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 「みずほ」20けい当初とうしょ編成へんせい参照さんしょうされたいが、従前じゅうぜんより運行うんこうしている「さくら」・「はやぶさ」くらべ、一等いっとう座席ざせきしゃがなくわりにとう寝台しんだいしゃ連結れんけつされている。
  2. ^ 東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょうまえ東京とうきょう - 名古屋なごや京阪神けいはんしんといった区間くかんにおいて、初発しょはつ列車れっしゃ最終さいしゅう列車れっしゃとして20けい座席ざせきしゃ利用りようするものおおかったが、どう新幹線しんかんせん開業かいぎょうでそれらの利用りようしゃ新幹線しんかんせん利用りよう転移てんいしていった。
  3. ^ なお、「あさかぜ」の一等いっとうしゃ後身こうしんとなるグリーンしゃ連結れんけつ山陽新幹線さんようしんかんせん全通ぜんつうとなる1975ねん3がつ終了しゅうりょうした。

出典しゅってん

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  1. ^ 日本交通公社にほんこうつうこうしゃ時刻じこくひょう各号かくごう参照さんしょう。1963ねん8がつごうで56ぺーじぞうえがおこなわれたさい変更へんこう
  2. ^ 「これでいいのか、夜行やこう列車れっしゃ」p.24
  3. ^ あさかぜ (列車れっしゃ)#19561119
  4. ^ あさかぜ (列車れっしゃ)#19581001
  5. ^ 日本にっぽんたのしむあなただけの上質じょうしつ体験たいけん」をかんじるたびはじまります。〜 クルーズトレインの新造しんぞうについて 〜 2013ねん6がつ4にち JR東日本ひがしにっぽんプレスリリース
  6. ^ 日本にっぽんたのしむあなただけの上質じょうしつ体験たいけん」をかんじるたびはじまります。〜クルーズトレインの列車れっしゃめいについて〜』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう、2014ねん10がつ7にちhttp://www.jreast.co.jp/press/2014/20141005.pdf2014ねん10がつ7にち閲覧えつらん 
  7. ^ 日本にっぽんたのしむあなただけの上質じょうしつ体験たいけん」をかんじるたびはじまります。「TRAIN SUITE 四季しきとう」 〜運行うんこう開始かいし運行うんこう日程にってい運行うんこうルートの詳細しょうさい旅行りょこう商品しょうひん受付うけつけ開始かいしについて〜』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう、2016ねん5がつ10日とおかhttp://www.jreast.co.jp/press/2016/20160502.pdf2016ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん 
  8. ^ 鉄道てつどう豪華ごうか寝台しんだい列車れっしゃめぐ世界せかい遺産いさん…JR西日本にしにほん計画けいかく 読売新聞よみうりしんぶん 2013ねん5がつ4にち
  9. ^ あらたな寝台しんだい列車れっしゃ列車れっしゃめいしょく監修かんしゅうする料理人りょうりにんについて』(プレスリリース)西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう、2015ねん2がつ19にちhttp://www.westjr.co.jp/press/article/2015/02/page_6815.html2015ねん2がつ19にち閲覧えつらん 
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