富士 (列車 )
EF66 | |
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1964 | |
2009 | |
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1262.3km( | |
1 | |
1・2( 41・42( | |
JR JR JR JR | |
クラス |
A |
A | |
A B | |
14 | |
1,067 mm | |
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なお
概要 [編集 ]
1964
列車 名 の由来 [編集 ]
「
廃止 直前 の運行 概況 [編集 ]
停車駅 [編集 ]
このほか、
なお、
使用 車両 ・編成 [編集 ]
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「スハネフ14 (15)
「
このため、
担当 乗務 員 区 所 [編集 ]
車掌 東京 -下関 間 …JR西日本 下関 地域 鉄道 部 下関 乗務 員 センター下関 -大分 間 …JR九州 大分 鉄道 事業 部 大分 車掌 センター
沿革 [編集 ]
寝台 特急 以前 の「富士 」[編集 ]
戦前 ・日本 初 特別 急行 1・2列車 「富士 」[編集 ]
- 1912
年 (明治 45年 )6月15日 :新橋 (駅 の位置 的 には汐留 に相当 ) -下関 間 に、一 ・二 等 車 のみで編成 された日本 初 の特別 急行 列車 として1・2列車 が運行 開始 。最 後尾 には一等 展望 車 を連結 。 - 1914
年 (大正 3年 )12月20日 :東京 駅 の開業 に伴 い、1・2列車 は東京 駅 発着 に変更 。 - 1926
年 (大正 15年 )9月 23日 :海田 市 駅 付近 の集中 豪雨 に伴 う土砂 崩壊 により1列車 が脱線 転覆 するいわゆる山陽本線 特急 列車 脱線 事故 が発生 。乗客 には社会 的 地位 の高 い者 が多 く、多数 の死傷 者 を出 したことから強度 に優 れる客車 の鋼 製 化 を促 す契機 となった。 - 1927
年 (昭和 2年 )8月 1日 :1・2列車 は山陽本線 内 を夜間 に通過 する関係 から一等 展望 車 の連結 区間 が東京 -神戸 間 に短縮 され、神戸 駅 で切 り離 された一等 展望 車 は山陽本線 内 を昼間 に通過 する急行 7・8列車 の京都 -下関 間 で使用 することとなった[9]。 - 1929
年 (昭和 4年 )9月15日 :特別 急行 列車 に列車 愛称 を鉄道 省 が公募 により初 めて命名 。1・2列車 を「富士 」とした。 - 1930
年 (昭和 5年 ) - 1934
年 (昭和 9年 )12月1日 :丹那 トンネル開通 に伴 うダイヤ改正 で、「富士 」にも三 等 車 (三 等 寝台 車 を含 む)が連結 される[10]。 - 1935
年 (昭和 10年 )7月 15日 :「富士 」に連結 していた一等 寝台 車 (現行 ではA寝台 車 に相当 する)マイネ37130号車 にシャワー室 を設置 。ただし同車 のみ1両 しか改造 されなかったため、4日 に1本 のみであった。使用 は一 ・二 等 客 に限 られ、使用 する際 は車掌 から30銭 の「浴 券 」を購入 した。しかし4日 に1本 という運用 頻度 から利用 が低迷 し、同年 9月 20日 東京 発 の列車 をもって営業 が打 ち切 られた[11]。なお、鉄道 省 年報 では10月 ごろには休止 となっている[12]。 - 1937
年 (昭和 12年 )7月 29日 、岡山 駅 で停車 中 に臨時 普通 列車 が追突 (山陽本線 特別 急行 列車 追突 事故 )。富士 側 に負傷 者 が生 じなかったことから、大破 した展望 車 を切 り離 して運転 は続行 された[13]。 - 1939
年 (昭和 14年 )11月:満 洲 国 との輸送 量 増大 による大陸 方面 への輸送 需要 が増大 したため「富士 」は京都 -下関 間 で二 等 寝台 車 ・三 等 寝台 車 各 1両 の増結 を開始 。 - 1941
年 (昭和 16年 )7月 :日 中 戦争 の激化 による輸送 力 増強 のため三 等 寝台 車 の使用 を中止 。 - 1942
年 (昭和 17年 )11月15日 :関門 トンネル開通 に伴 い、「富士 」の運行 区間 を東京 -長崎 間 に拡大 。また上海 航路 の客船 が到着 する日 には上 り列車 のみ、それとの連絡 を図 るため港 に隣接 した長崎 港 駅 を発着 駅 とした。 - 1943
年 (昭和 18年 ) - 1944
年 (昭和 19年 )4月 1日 :大 東亜 戦争 (太平洋戦争 )の激化 により運行 中止 。
戦後 における「富士 」の変遷 [編集 ]
「
- 1950
年 (昭和 25年 )ごろ:新宿 -河口湖 間 で運行 された行楽 臨時 列車 に一時 「富士 」の名称 を使用 したとされる。これについては、「富士 回遊 」も参照 されたい。 - 1961
年 (昭和 36年 )10月 1日 :東京 -神戸 ・宇野 間 の151系 電車 特別 急行 列車 に「富士 」と命名 。「つばめ」「はと」「こだま」と並 び東海道 本線 の昼 行 特急 列車 群 の一翼 を担 う。設定 当時 、「四国 特急 」の仮称 があったとされる東京 -宇野 間 を運行 した「(下 り)第 1富士 」、「(上 り)第 2富士 」は当時 夜行 急行 列車 だった「瀬戸 」と同 じく四国 連絡 列車 の1つとなり、その折 り返 し運用 として大阪 -宇野 間 を運行 する特急 「うずしお」が設定 された。しかし、東京 -神戸 間 を運行 した「(下 り)第 2富士 」、「(上 り)第 1富士 」はそれまでの「(下 り)第 2こだま」、「(上 り)第 1こだま」を名称 変更 する形 となった。- なお、
東京 -宇野 間 の765.7kmは当時 の昼 行 電車 特急 列車 運行 区間 としては最長 であった。また、「富士 」で号 数 がつく唯一 の例 となった。しかし、翌 1962年 (昭和 37年 )6月 10日 で「(下 り)第 1つばめ」、「(上 り)第 2つばめ」が広島 駅 へ延伸 されたのに伴 い「(下 り)第 1富士 」、「(上 り)第 2富士 」の持 っていた最長 記録 は同 列車 の894.2kmに更新 された。
- 1964
年 (昭和 39年 )
東京 対 日豊本線 夜行 列車 「高千穂 」「富士 」[編集 ]
1964
なお「あさかぜ」
東京 対 九州 東部 連絡 急行 「たかちほ」 → 「高千穂 」と周辺 列車 群 [編集 ]
- 1951
年 (昭和 26年 )11月25日 :東京 -都城 間 を運行 する夜行 急行 列車 として501・502列車 が運行 を開始 する。 - 1952
年 (昭和 27年 )11月:501・502列車 に「たかちほ」と命名 。同時 に31・32列車 には「阿蘇 」(あそ)の名称 が与 えられる。 - 1954
年 (昭和 29年 )10月 1日 :「たかちほ」は併結列車 を東京 -博多 間 急行 「玄海 」(げんかい)に変更 。同時 に、半 室 合 造 車 ながら二 等 寝台 車 を連結 。 - 1956
年 (昭和 31年 )11月19日 :「高千穂 」は併結を取 りやめて全 区間 単独 運転 となり、運行 距離 を延長 して東京 -西 鹿児島 間 の運行 とする。同時 に食堂 車 を連結 。また、列車 愛称 も「高千穂 」と漢字 表記 とする。- この
時 から日本 最長 距離 を走 る列車 となり、全 区間 走破 には31時 間 28分 を要 した。しかし東京 駅 ・大阪 駅 から西 鹿児島 駅 へは到達 時分 の短 い鹿児島本線 経由 が一般 的 であったため、同 列車 を全 区間 乗 り通 す客 はそれほどいなかったといわれている。
- この
- 1961
年 (昭和 36年 )10月 1日 :夜行 急行 列車 「ぶんご」が東京 -大分 間 で運行 開始 。また観光 団体 専用 列車 として、東京 -大分 ・長崎 間 を運行 する「九州 観光 団体 専用 列車 」(きゅうしゅうかんこうだんたいせんようれっしゃ)が設定 される。 - 1963
年 (昭和 38年 )6月1日 :寝台 特急 「みずほ」に20系 客車 を充当 。同時 に大分 駅 発着 編成 を連結 する。- このとき20
系 客車 を使用 するにあたり初 めての二 階 建 て列車 として運用 された。
- このとき20
最長 九州 特急 「富士 」と最長 夜行 急行 「高千穂 」[編集 ]
- 1964
年 (昭和 39年 )10月 1日 :東海道新幹線 開業 に伴 うダイヤ改正 により、以下 のように変更 。 - 1965
年 (昭和 40年 )10月 1日 :このときのダイヤ改正 により、以下 のように変更 。 - 1967
年 (昭和 42年 )10月 1日 :「九州 第 1観光 号 」の名称 を行 き先 毎 に変更 し同 列車 の長崎 駅 編成 に「五島 」(ごとう)、大分 駅 編成 に「くにさき」の名称 が与 えられる。 - 1968
年 (昭和 43年 )10月 1日 :このときのダイヤ改正 により、以下 のように変更 。- 「
富士 」は、下関 駅 発着 の編成 を大分 駅 発着 に変更 。 - 「
高千穂 」は、鹿児島本線 経由 の急行 「霧島 」との併結列車 とし、寝台 車 ・食堂 車 連結 を廃止 。[注 7] - 「くにさき」
運行 区間 を新大阪 駅 ・大阪 -大分 間 に短縮 。「べっぷ(下 り)3号 、(上 り)2号 」に名称 を変更 する。
- 「
- 1970
年 (昭和 45年 )10月 1日 :「高千穂 」に併結される鹿児島本線 急行 列車 の名称 を「桜 島 」(さくらじま)に変更 。 - 1972
年 (昭和 47年 )3月15日 :「桜 島 」の食堂 車 の連結 を終了 。 - 1975
年 (昭和 50年 )3月 10日 :山陽新幹線 博多 駅 乗 り入 れに伴 うダイヤ改正 により、以下 のように変更 。
- 「
富士 」、使用 車両 を24系 24形 客車 に変更 。このときの編成 図 はこちらを参照 されたいが「はやぶさ」「出雲 」と運用 上 も同 じとした。オシ14形 0番台 からの改造 車 オシ24形 100番台 「食堂 車 」の連結 開始 。 急行 「高千穂 」を名古屋 -宮崎 間 の臨時 列車 に格下 げ。
九州 特急 凋落 の時代 と「富士 」[編集 ]
- 1976
年 (昭和 51年 )10月 1日 :このときのダイヤ改正 により使用 車両 を24系 24形 客車 から24系 25形 客車 に置 き換 え。「はやぶさ」「出雲 」とともに東京 発着 の定期 寝台 特急 初 の2段 B寝台 車 を投入 。同時 に新形 の1人 用 個室 A寝台 、「オロネ25形 車両 」も連結 される[注 8]。「食堂 車 」は引 き続 きオシ24形 を使用 。 - 1978
年 (昭和 53年 )2月 1日 :20系 で運行 されていた「あさかぜ」1・4号 (いわゆる博多 「あさかぜ」)の24系 25形 化 に伴 い食堂 車 を捻出 するため、食堂 車 が基本 編成 から大分 回転 の付属 編成 に入 れ替 えられた。なお同様 の措置 は共通 運用 だった「はやぶさ」「出雲 」でも行 われた。 →当時 の編成 図 はこちらを参照 されたい。
- この
年 、東京 -下関 間 の牽引 機関 車 をEF65形 の500番台 (P形 )から1000番台 7次 車 に変更 。
- 1979
年 (昭和 54年 )9月 25日 :日豊本線 全線 電化 により宮崎 -西 鹿児島 間 の牽引 機 であるDF50形 ディーゼル機関 車 による牽引 を廃止 。ED76による牽引 は終点 の西 鹿児島 駅 まで延長 された。 - 1980
年 (昭和 55年 )10月 1日 :ダイヤ改正 で、利用 者 の減少 により運行 区間 を宮崎 駅 までに短縮 。これにより、日本 最長 距離 特急 の座 を「はやぶさ」に譲 る。
- 1984
年 (昭和 59年 ) - 1985
年 (昭和 60年 )3月14日 :東京 -下関 間 の牽引 機 をEF66形 に変更 。また、これを機 にヘッドマークを円形 から戦前 の「富士 」同様 の山 型 のものに変更 した。なおヘッドマークは当初 「葛飾 北斎 の赤 富士 」を模 したデザインも検討 され、運行 を担当 する下関 運転 所 内 で実際 に製作 まで行 われたがこちらは本 採用 には至 らなかった[14][注 9]。 - 1986
年 (昭和 61年 )
- 1989
年 (平成 元年 )3月11日 :オハネ25形 100番台 から改造 された1人 用 B個室 寝台 車 「ソロ」(オハネ25形 1000番台 )の連結 を開始 。編成 図 はこちらを参照 されたい。 - 1990
年 (平成 2年 )3月 10日 :運行 区間 を南 宮崎 駅 まで1駅 延長 。 - 1991
年 (平成 3年 )3月16日 :東日本旅客鉄道 (JR東日本 )東京 車掌 区 が「成田 エクスプレス」運行 開始 に伴 う人員 確保 のため「富士 」からの乗務 を降 り、JR九州 大分 車掌 区 (現 ・大分 鉄道 事業 部 大分 車掌 センター)が全 区間 を担当 することになった。 - 1993
年 (平成 5年 )3月18日 :食堂 車 が営業 中止 となり、売店 営業 のみに変更 [15]。また、博多 地区 の通勤 輸送 改善 のため、下 り列車 の東京 -小倉 間 のダイヤが「はやぶさ」と差 し替 えられて「富士 」の南 宮崎 駅 到着 が1時 間 9分 繰 り上 がった。 - 1997
年 (平成 9年 )11月29日 :運行 区間 を大分 駅 までに短縮 [16]。また、食堂 車 オシ24形 の連結 終了 。最終 的 な24系 25形 のみで運行 された編成 図 はこちらを参照 されたい。終点 大分 駅 到着 後 、編成 を2分割 にする作業 を実施 していた。これは、折返 しの清掃 等 を行 う大分 運転 所 がフル編成 で入 区 できないためであり、上 りの東京 行 きでも大分 駅 でフル編成 にする作業 を実施 していた。
-
下 り列車 が大分 駅 で「にちりん」3号 を、上 り列車 が中津 駅 で「にちりん」20号 を先行 させるダイヤとなっていた。
九州 特急 の終焉 [編集 ]
- 1999
年 (平成 11年 )12月4日 :寝台 特急 列車 の系統 整理 により、東京 駅 よりJR九州 管内 を結 ぶ寝台 特急 列車 は「さくら・はやぶさ」と「富士 」の2往復 のみとなった。また、「富士 」の担当 車掌 区 がJR西日本 下関 乗務 員 センターに変更 。ただし、上 りの広島 →東京 間 のみ広島 車掌 区 が担当 した。
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変更 概要 は以下 の通 り。
- 「さくら」は
長崎 鉄道 事業 部 長崎 運輸 センター所属 の14系 客車 の6両 編成 、「はやぶさ」は熊本 鉄道 事業 部 熊本 運輸 センター所属 の24系 客車 9両 となり、東京 駅 -鳥栖 駅 間 で「はやぶさ」「さくら」として併結運転 を行 った。 従来 「はやぶさ」「富士 」は共通 運用 であったため、「富士 」編成 は「はやぶさ」編成 の24系 25形 客車 9両 と「さくら」編成 の14系 客車 6両 を併結した15両 編成 となった。- また、
編成 単位 での14系 客車 と24系 客車 の併結運転 は史上 初 であり、サービス用 電源 はそれぞれ各 編成 の連結 する電源 車 (カニ24形 及 びスハネフ14・15形 )から供給 された。なお、14系 客車 には非常時 等 に備 え、併結運転 対応 工事 が施 された。 - 6
両 編成 となった「さくら」には、従前 「はやぶさ」及 び「富士 」に連結 されていたオハネ25形 1000番台 (1人 用 B個室 寝台 車 「ソロ」)を改造 したオハネ15形 2000番台 が連結 されたが、開放 型 A寝台 車 (オロネ14形 )と食堂 車 (オシ14形 )の連結 は終了 した。オロネ14形 、オシ14形 の運用 離脱 により、残 る14系 14形 はスハネフ14形 のみとなり、これ以降 、24系 25形 からの編入 改造 車 を含 む14系 15形 が主体 の編成 となった。 - 「
富士 」・「はやぶさ」の24系 編成 には引 き続 き個室 A寝台 車 「シングルデラックス」・「ロビーカー」が連結 されたが、「ソロ」については前述 の通 り改造 の上 で14系 編成 に移 された。また、オハネ25形 2両 をオハネ15形 1100番台 に追加 改造 し、14系 編成 に組 み込 んだ。
- 「さくら」は
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- 2004
年 (平成 16年 )2月 :九州 新幹線 開業 に伴 い西 鹿児島 駅 が鹿児島 中央 駅 に改称 するのを記念 し、東京 (品川 ) →西 鹿児島 間 を下 り列車 のみ団体 専用 列車 「懐 かしの富士 号 」として復活 運転 。なお、通常 通 りのダイヤで定期 列車 も運行 されていた。 - 2005
年 (平成 17年 )3月1日 :ダイヤ改正 で「はやぶさ」に併結していた「さくら」が廃止 、同時 に「富士 」は「はやぶさ」との併結列車 となり、使用 車両 は全車 14系 客車 となった。これに伴 い「ロビーカー」と荷物 車 の連結 がなくなり、小荷物 輸送 の「ブルートレイン便 」の取扱 いも終了 した。
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- 2009
年 (平成 21年 )
「はやぶさ・ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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復活 運転 [編集 ]
- 2014
年 - 12月19
日 :東京 駅 開業 100周年 記念 ツアーの団体 臨時 列車 として東京 →伊東 間 で下 りのみ復活 運転 [19] [20]。使用 された車両 は青森 車両 センター(現 ・盛岡 車両 センター青森 派出所 )配置 の24系 24形 客車 で、高崎 車両 センター高崎 支所 配置 のEF65 501が全 区間 を牽引 。機関 車 の区 名札 は東京 機関 区 を表 す「東 」が再現 された。
- 12月19
ギャラリー[編集 ]
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^
洋食 堂 車 と和食 堂 車 の違 いは、前者 はあくまでも洋食 専 門 で予約 制 のコース料理 を提供 していたのに対 し、和食 堂 車 は和食 だけでなく、様々 なアラカルト料理 を大衆 的 な価格 で提供 していた点 が異 なる。和食 堂 車 だからといって洋食 を提供 していなかったわけではなかった。 - ^ テールマークのアルファベット
表記 は当初 ヘボン式 ロ ーマ字 の「FUJI」だったが、後 に訓令 式 ロ ーマ字 の「HUZI」に変更 された。 - ^ それ
以降 の最 長距離 列車 については、「はやぶさ」の東京 -西 鹿児島 間 の実 運行 距離 であった山陽本線 柳井 駅 経由 の1,515.3kmであった(ただし、営業 キロ(運賃 計算 キロ)は運賃 計算 上 の経路 である岩徳線 経由 の1,493.6kmとされている)。 - ^ 1997
年 (平成 9年 )11月29日 の「はやぶさ」が東京 -熊本 発着 となり短縮 されてからは、臨時 列車 を含 めるとトワイライトエクスプレスの札幌 →大阪 間 (砂原 線 経由 )の運行 でも1,508.5kmと最長 であったが、2015年 (平成 27年 )3月 12日 始発 基準 で運行 終了 となった。 - ^ トワイライトエクスプレスの
運行 終了 後 は、上野 -札幌 間 の「北斗星 」・「カシオペア」の1,214.7kmが最長 となるが北斗星 は2015年 8月 22日 始発 基準 で臨時 列車 も含 めた運行 を終了 しており、カシオペアについても2016年 (平成 28年 )3月 20日 始発 基準 で運行 終了 となった。 - ^ カシオペア
運行 終了 後 の2016年 3月 22日 以降 では、東京 -博多 間 直通 の「のぞみ」が一般 販売 扱 いの最長 列車 となっている。 - ^ なお、
鹿児島本線 急行 「霧島 」には食堂 車 を連結 したが、食堂 車 連結 の有無 を除 くと、両 列車 とも一等 車 1両 と二 等 車 座席 車 のみの編成 となった。 - ^
実際 にはダイヤ改正 に先行 して9月 25日 東京 発 より24系 25形 に置 き換 えられた。:「ブルトレ興亡 録 」、イカロス出版 より - ^ なおこのマークはJR
化 直後 の一時期 に使用 されたことがあるほか、車両 基地 公開 など展示 イベントなどで見 ることができる。
出典 [編集 ]
- ^
ブルトレ、
東京 駅 から消 える 3月 に富士 ・はやぶさ廃止 -朝日新聞 2008年 12月19日 - ^ 2009
年 3月 ダイヤ改正 について (PDF) -東日本旅客鉄道 プレスリリース 2008年 12月19日 - ^
平成 21年 3月 ダイヤ改正 について別紙 (PDF) -東海旅客鉄道 プレスリリース 2008年 12月19日 - ^
杉山 淳一 (2014年 12月20日 ). “鉄道 トリビア (284)東京 -西 鹿児島 間 を31時間 以上 かけて走 った列車 があった”. マイナビニュース (マイナビ) 2015年 12月25日 閲覧 。 - ^ さらば
九州 ブルトレ 「はやぶさ」と「富士 」最終 便 -西日本 新聞 朝刊 2009年 3月 14日 付 ・西日本 新聞 公式 サイト 2009年 3月 15日 - ^
東京 発 ブルートレイン「はやぶさ・富士 」最終 日 - Response. 2009年 3月 13日 - ^
寝台 特急 九州 に別 れ大分 ・熊本 ―東京 「富士 」「はやぶさ」来春 廃止 -西日本 新聞 朝刊 2008年 12月20日 付 ・西日本 新聞 公式 サイト 2009年 3月 15日 - ^
鉄道 ジャーナル、鉄道 ジャーナル社 、2006年 10月 号 - ^ プレス・アイゼンバーン『レイル』No.13 1984
年 10月 、pp.69–76。古山 善之助 『蒸 機 全盛 時代 の国鉄 の特急 ・急行 列車 』 - ^ 『
鉄道 省 年報 .昭和 9年度 』(国立 国会図書館 デジタルコレクション) - ^
列車 風呂 は早々 店 じまい『東京 朝日新聞 』昭和 10年 9月 21日 (『昭和 ニュース事典 第 5巻 昭和 10年 -昭和 11年 』本編 p425昭和 ニュース事典 編纂 委員 会 毎日 コミュニケーションズ刊 1994年 ) - ^ 7
月 15日 開始 10月 1日 停止 『鉄道 省 年報 .昭和 10年度 』(国立 国会図書館 近代 デジタルライブラリー) - ^
岡山 駅 で列車 事故 、特急 「富士 」に追突 『大阪毎日新聞 』(昭和 12年 7月 29日 )『昭和 ニュース事典 第 6巻 昭和 12年 -昭和 13年 』本編 p54昭和 ニュース事典 編纂 委員 会 毎日 コミュニケーションズ刊 1994年 - ^ 「
鉄道 ファン」1986年 3月 号 p.42 - ^ “ブルトレ
食堂 車 も廃止 ”.交通 新聞 (交通 新聞 社 ): p. 2. (1993年 3月 18日 ) - ^ “「はやぶさ」「
富士 」に別 れ JR西 鹿児島 、南宮崎 運転 区間 短縮 で”.交通 新聞 (交通 新聞 社 ): p. 3. (1997年 12月2日 ) - ^
平成 21年 2月 限定 寝台 特急 「富士 」「はやぶさ」に寝台 券 なしでご乗車 になれます! Archived 2008年 12月29日 , at the Wayback Machine. -九州旅客鉄道 プレスリリース 2008年 12月25日 - ^
鉄道 ファン、交友 社 、2009年 6月 号 - ^
寝台 特急 富士 団体 臨時 列車 (ツアー) - TETSUDO COM - ^ “
寝台 特急 「富士 」復活 運転 「ブルトレブーム」再現 か”.乗 りものニュース (2014年 9月 4日 ). 2023年 10月 13日 閲覧 。