富士ふじ (列車れっしゃ)

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富士ふじ
EF66牽引 寝台特急「富士」
EF66牽引けんいん 寝台しんだい特急とっきゅう富士ふじ
概要がいよう
くに 日本の旗 日本にっぽん
種類しゅるい 特別とくべつ急行きゅうこう列車れっしゃ
現況げんきょう 廃止はいし
地域ちいき 東京とうきょう神奈川かながわけん静岡しずおかけん愛知あいちけん岐阜ぎふけん滋賀しがけん京都きょうと大阪おおさか兵庫ひょうごけん岡山おかやまけん広島ひろしまけん山口やまぐちけん福岡ふくおかけん大分おおいたけん
運行うんこう開始かいし 1964ねん10月1にち
運行うんこう終了しゅうりょう 2009ねん3月13にち
運営うんえいしゃ 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ) →
東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん
東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい
西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう(JR西日本にしにほん
九州旅客鉄道きゅうしゅうりょかくてつどう(JR九州きゅうしゅう
路線ろせん
起点きてん 東京とうきょうえき
終点しゅうてん 大分おおいたえき
営業えいぎょう距離きょり 1262.3km(東京とうきょう - 大分おおいたあいだ
運行うんこう間隔かんかく 1往復おうふく
列車れっしゃ番号ばんごう 1・2(東京とうきょう - 門司もじあいだ
41・42(門司もじ - 大分おおいたあいだ
使用しよう路線ろせん JR東日本ひがしにっぽん東海道本線とうかいどうほんせん東海道とうかいどうせん (JR東日本ひがしにっぽん)
JR東海とうかい東海道とうかいどう本線ほんせん東海道とうかいどうせん (静岡しずおか地区ちく)東海道とうかいどうせん (名古屋なごや地区ちく)
JR西日本にしにほん東海道とうかいどう本線ほんせん琵琶湖びわこせんJR京都きょうとせんJR神戸こうべせん)・山陽本線さんようほんせん一部いちぶJR神戸こうべせん
JR九州きゅうしゅう山陽本線さんようほんせん鹿児島本線かごしまほんせん日豊本線にっぽうほんせん
車内しゃないサービス
クラス A寝台しんだいB寝台しんだい
座席ざせき A寝台しんだい、B寝台しんだい
就寝しゅうしん A寝台しんだい「シングルデラックス」:2 / 8号車ごうしゃ
B寝台しんだい「ソロ」:3 / 9号車ごうしゃ
開放かいほうしきB寝台しんだい:1・4 - 6 / 7・10 - 12号車ごうしゃ
技術ぎじゅつ
車両しゃりょう 14けい客車きゃくしゃ(JR九州きゅうしゅう熊本くまもと車両しゃりょうセンター
軌間きかん 1,067 mm
電化でんか 直流ちょくりゅう1,500 V東京とうきょう - 門司もじあいだ
交流こうりゅう20,000 V・60 Hz門司もじ - 大分おおいたあいだ
備考びこう
廃止はいし時点じてんのデータ
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「はやぶさ」との併結運転うんてん

富士ふじ(ふじ)は、九州旅客鉄道きゅうしゅうりょかくてつどう(JR九州きゅうしゅう)、西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう(JR西日本にしにほん)、東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん)、東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい)が東京とうきょうえき - 大分おおいたえきあいだ東海道本線とうかいどうほんせん山陽本線さんようほんせん日豊本線にっぽうほんせん経由けいゆで、2009ねん3月14にちのダイヤ改正かいせいまで運行うんこうしていた寝台しんだい特急とっきゅう列車れっしゃブルートレイン)である。なお、同日どうじつのダイヤ改正かいせいで併結する「はやぶさ」とともに廃止はいしされた[1][2][3]

なおほんこうでは、「富士ふじ」としての名称めいしょう沿革えんかくと、東京とうきょう九州きゅうしゅう東部とうぶ日豊本線にっぽうほんせん経由けいゆ運行うんこうされていた夜行やこう列車れっしゃ沿革えんかくについても記述きじゅつする。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1964ねん10がつ1にち東京とうきょう - 大分おおいたあいだ運行うんこう開始かいしした。翌年よくねん10がつには日豊本線にっぽうほんせん経由けいゆ西にし鹿児島かごしまえきげん鹿児島かごしま中央ちゅうおうえき)まで延長えんちょうし、東京とうきょう - 西にし鹿児島かごしまあいだ1,574.2kmを24時間じかん以上いじょうかけて運行うんこうする日本にっぽん最長さいちょう運転うんてん定期ていき旅客りょかく列車れっしゃとなった[4]。 1980ねん10がつには運行うんこう区間くかん宮崎みやざきえきまでに短縮たんしゅく、1990ねん3がつにはみなみ宮崎みやざきえきまでに変更へんこうされたが、利用りようしゃ減少げんしょうつづき、1997ねん11月には大分おおいたえきまで短縮たんしゅくされた。2005ねん3がつには東京とうきょう - 門司もじあいだで「はやぶさ」との併結運転うんてん開始かいししたが、運行うんこう後期こうき乗車じょうしゃりつ低迷ていめい[5] JR九州きゅうしゅうによると2007年度ねんど平均へいきん乗車じょうしゃりつやく20%(1989ねん時点じてんくらやく4ぶんの1)[6]、1にち平均へいきん利用りようしゃひゃくすうじゅうにんにまで減少げんしょう[7]、2009ねん3がつ14にちに「はやぶさ」とともに廃止はいしされた。

列車れっしゃめい由来ゆらい[編集へんしゅう]

富士ふじ」ヘッドマーク
客車きゃくしゃさい後尾こうびとテールマーク

列車れっしゃめい由来ゆらい日本にっぽん代表だいひょうする富士山ふじさんとされるが、1929ねん昭和しょうわ4ねん)9がつ鉄道てつどうしょう公募こうぼによりはじめて列車れっしゃ愛称あいしょう命名めいめいしたもので、「日本にっぽん最古さいこ列車れっしゃ愛称あいしょう」でもある。

富士ふじ」の愛称あいしょうは、戦後せんご復活ふっかつして以来いらい1964ねん10がつ1にち国鉄こくてつダイヤ改正かいせいまで四国しこく連絡れんらくふく東海道とうかいどう本線ほんせん電車でんしゃ特急とっきゅう使用しようされていた。

廃止はいし直前ちょくぜん運行うんこう概況がいきょう[編集へんしゅう]

列車れっしゃ番号ばんごうくだりが 1のぼりが 2 としてぜん区間くかん運行うんこうされた。

停車駅ていしゃえき[編集へんしゅう]

東京とうきょうえき - 横浜よこはまえき - 熱海あたみえき - 沼津ぬまづえき - 富士ふじえき - 静岡しずおかえき - 浜松はままつえき - (豊橋とよはしえき) - 名古屋なごやえき - (岐阜ぎふえき) - (京都きょうとえき) - (大阪おおさかえき) - [岡山おかやまえき] - [福山ふくやまえき] - [尾道おのみちえき] - 広島ひろしまえき - 岩国いわくにえき - 柳井やないえき - 下松しもまつえき - 徳山とくやまえき - 防府ほうふえき - しん山口やまぐちえき - 宇部うべえき - 下関しものせきえき - 門司もじえき - 小倉こくらえき - 行橋ゆくはしえき - 中津なかつえき - 宇佐うさえき - 別府べっぷえき - 大分おおいたえき

このほか、くだ列車れっしゃ米原まいばらえき姫路ひめじえき岡山おかやまえき杵築きづきえきのぼ列車れっしゃ大阪おおさかえき米原まいばらえき運転うんてん停車ていしゃをおこなっていた。なお、のぼりは中津なかつえきで「ソニック」48ごうくだりは杵築きづきえきで「ソニック」9ごう待避たいひおこなっていた。

なお、大幅おおはば遅延ちえんなどで品川しながわえきまりとなった場合ばあい小田原おだわらえき臨時りんじ停車ていしゃし、小田原おだわら - 品川しながわあいだ東海道とうかいどう貨物かもつせん経由けいゆでの運転うんてんとなり横浜よこはまえき経由けいゆしなかった。

使用しよう車両しゃりょう編成へんせい[編集へんしゅう]

2005ねん3がつ15にち以降いこう廃止はいしまでの編成へんせい
ひょうへんはなしれきPJRPJRNC
富士ふじ・はやぶさ
大分おおいた熊本くまもと
東京とうきょう
号車ごうしゃ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
座席ざせき種類しゅるい B A1 B1 B B B B A1 B1 B B B
形式けいしき スハネフ
14かたち[* 1]
オロネ15かたち
3000番台ばんだい
オハネ15かたち
2000番台ばんだい
オハネ15かたち オハネ15かたち スハネフ
14かたち[* 1]
スハネフ
14かたち[* 1]
オロネ15かたち
3000番台ばんだい
オハネ15かたち
2000番台ばんだい
オハネ15かたち オハネ15かたち スハネフ
14かたち[* 1]
くだ 「はやぶさ」 富士ふじ
のぼ 富士ふじ 「はやぶさ」
  1. ^ a b c d スハネフ14かたちはスハネフ15がた場合ばあいもある。
凡例はんれい
A1=A寝台しんだい1人ひとりよう個室こしつ寝台しんだい「シングルデラックス」
B1=B寝台しんだい1にんよう個室こしつ寝台しんだい「ソロ」
B=開放かいほうしきB寝台しんだい
禁煙=禁煙きんえんしゃ

熊本くまもと車両しゃりょうセンター所属しょぞくする14けい客車きゃくしゃ使用しようされた。

「スハネフ14 (15) かたち - オロネ15かたち3000番台ばんだい - オハネ15かたち2000番台ばんだい - オハネ15かたち - オハネ15かたち - スハネフ14 (15) かたち」1編成へんせいのぼり「はやぶさ」 → くだり「富士ふじ」 → のぼり「富士ふじ」 → くだり「はやぶさ」とする運用うんようわせるかたち使用しようされていた。

富士ふじ」「はやぶさ」に使用しようされた14けい製造せいぞう形式けいしきは、14けい14かたちが5りょう(スハネフ14かたち0番台ばんだい)、14けい15かたちが9りょう(スハネフ15かたち、オハネ15かたち0番台ばんだい)、24けい24かたちが1りょう(オハネフ24かたち改造かいぞうしたスハネフ14 101)、24けい25かたちが16りょう(オロネ15かたち3000番台ばんだい、オハネ15かたち2000番台ばんだい、オハネ15かたち1100番台ばんだい)と20けいのぞきゅう国鉄こくてつ設計せっけい製造せいぞうした寝台しんだい特急とっきゅうよう客車きゃくしゃぜん形式けいしきにわたった。

このため、ぎんたい車両しゃりょう多数たすうとなっているが、もともとしろたいであるスハネフ14かたちくわえ、更新こうしん改造かいぞうステンレスによるぎんたいしろたい塗装とそう変更へんこうした15かたち車両しゃりょう存在そんざいするため、おびいろ統一とういつされた編成へんせいとなることはほとんどなかった。運行うんこう廃止はいし直前ちょくぜん時点じてんでは、スハネフ14かたち、スハネフ15がた一部いちぶ、オハネ15かたち1100番台ばんだいしろたい、スハネフ15がた一部いちぶ、オハネ15かたち0番台ばんだい、オハネ15かたち2000番台ばんだい、オロネ15かたち3000番台ばんだいぎんたいとなっていた。

富士ふじ」「はやぶさ」に使用しようされていた14けい客車きゃくしゃ

牽引けんいん機関きかんしゃは、東京とうきょう - 下関しものせきあいだ西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう(JR西日本にしにほん)の下関しものせき地域ちいき鉄道てつどう下関しものせき車両しゃりょう管理かんりしつ所属しょぞくしていたEF66かたち電気でんき機関きかんしゃ使用しようし、下関しものせき - 門司もじあいだではJR九州きゅうしゅう大分おおいた鉄道てつどう事業じぎょう大分おおいた車両しゃりょうセンター所属しょぞくするEF81かたち電気でんき機関きかんしゃ門司もじ - 大分おおいたあいだどうセンターに所属しょぞくするED76かたち電気でんき機関きかんしゃ使用しようされていた。

担当たんとう乗務じょうむいんしょ[編集へんしゅう]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

寝台しんだい特急とっきゅう以前いぜんの「富士ふじ[編集へんしゅう]

戦前せんぜん日本にっぽんはつ 特別とくべつ急行きゅうこう1・2列車れっしゃ富士ふじ[編集へんしゅう]

1列車れっしゃ富士ふじ
(1936ねん8がつ4にち

戦後せんごにおける「富士ふじ」の変遷へんせん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせんにおける「富士ふじ」の名称めいしょうは、戦前せんぜん日本にっぽん代表だいひょうする列車れっしゃ名称めいしょうであったことから「それにふさわしい列車れっしゃるまでは」と使用しよう慎重しんちょう姿勢しせいつづいた。

結局けっきょく1961ねん10月のダイヤ改正かいせいで、列車れっしゃ増発ぞうはつにより、富士ふじ本拠地ほんきょちである静岡しずおかけん山梨やまなしけんとは無関係むかんけいである、岡山おかやまけん宇野うのかい、また四国しこく連絡れんらく特急とっきゅうである列車れっしゃ使用しようされたが「機会きかいいっした」との意見いけんすくなからずあったとされる。

機会きかいいっした」とは、たとえば「九州きゅうしゅう特急とっきゅう」の仮称かしょうがあった「あさかぜ」の設定せっていに「富士ふじ」の名称めいしょうもちいることが検討けんとうされたが採用さいようされず、「ビジネス特急とっきゅう」の仮称かしょうがあった「こだま」の名称めいしょう公募こうぼさいも"「富士ふじ」は将来しょうらい別途べっと使用しよう計画けいかくがある"という理由りゆう温存おんぞんされ投票とうひょう対象たいしょうから除外じょがいされた。

  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん)ごろ:新宿しんじゅく - 河口湖かわぐちこあいだ運行うんこうされた行楽こうらく臨時りんじ列車れっしゃ一時いちじ富士ふじ」の名称めいしょう使用しようしたとされる。これについては、「富士ふじ回遊かいゆう」も参照さんしょうされたい。
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん)10がつ1にち東京とうきょう - 神戸こうべ宇野うのあいだ151けい電車でんしゃ特別とくべつ急行きゅうこう列車れっしゃに「富士ふじ」と命名めいめい「つばめ」「はと」こだま」となら東海道とうかいどう本線ほんせんひるぎょう特急とっきゅう列車れっしゃぐん一翼いちよくになう。
    設定せってい当時とうじ、「四国しこく特急とっきゅう」の仮称かしょうがあったとされる東京とうきょう - 宇野うのあいだ運行うんこうした「(くだり)だい1富士ふじ」、「(のぼり)だい2富士ふじ」は当時とうじ夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃだった「瀬戸せと」とおなじく四国しこく連絡れんらく列車れっしゃの1つとなり、そのかえ運用うんようとして大阪おおさか - 宇野うのあいだ運行うんこうする特急とっきゅううずしお」が設定せっていされた。しかし、東京とうきょう - 神戸こうべあいだ運行うんこうした「(くだり)だい2富士ふじ」、「(のぼり)だい1富士ふじ」はそれまでの「(くだり)だい2こだま」、「(のぼり)だい1こだま」を名称めいしょう変更へんこうするかたちとなった。
    なお、東京とうきょう - 宇野うのあいだの765.7kmは当時とうじひるぎょう電車でんしゃ特急とっきゅう列車れっしゃ運行うんこう区間くかんとしては最長さいちょうであった。また、「富士ふじ」でごうすうがつく唯一ゆいいつれいとなった。しかし、よく1962ねん昭和しょうわ37ねん6がつ10日とおかで「(くだり)だい1つばめ」、「(のぼり)だい2つばめ」が広島ひろしまえき延伸えんしんされたのにともない「(くだり)だい1富士ふじ」、「(のぼり)だい2富士ふじ」のっていた最長さいちょう記録きろくどう列車れっしゃの894.2kmに更新こうしんされた。
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん

東京とうきょうたい日豊本線にっぽうほんせん夜行やこう列車れっしゃ高千穂たかちほ」「富士ふじ[編集へんしゅう]

1964ねん昭和しょうわ39ねん)10がつ以降いこう、「富士ふじ」は日豊本線にっぽうほんせん直通ちょくつう寝台しんだい特急とっきゅうとなりそれ以前いぜんからすで運行うんこうされていた東京とうきょう - 西にし鹿児島かごしまあいだ急行きゅうこう列車れっしゃ高千穂たかちほ」の上位じょういかく列車れっしゃとなった。よく1965ねん昭和しょうわ40ねん)10がつ1にちには宮崎みやざきけんれ、はつどうけんたい東京とうきょう直通ちょくつう特急とっきゅうとなった。

なお「あさかぜ」以来いらい東京とうきょう九州きゅうしゅう各地かくちむす寝台しんだい特急とっきゅう列車れっしゃ国鉄こくてつでの呼称こしょうとして"九州きゅうしゅう特急とっきゅう"られるが「富士ふじ」はそのうち愛称あいしょう個別こべつあたえられた最後さいごはつ列車れっしゃとなった。

東京とうきょうたい九州きゅうしゅう東部とうぶ連絡れんらく急行きゅうこう「たかちほ」 → 「高千穂たかちほ」と周辺しゅうへん列車れっしゃぐん[編集へんしゅう]

  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん11月25にち東京とうきょう - 都城みやこのじょうあいだ運行うんこうする夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃとして501・502列車れっしゃ運行うんこう開始かいしする。
    東京とうきょう - 門司もじあいだは、東京とうきょう - 熊本くまもとあいだ急行きゅうこう31・32列車れっしゃとの併結。大分おおいたけん宮崎みやざきけんからははつ東京とうきょう直通ちょくつう列車れっしゃでもあった。
  • 1952ねん昭和しょうわ27ねん)11月:501・502列車れっしゃに「たかちほ」と命名めいめい同時どうじに31・32列車れっしゃには「阿蘇あそ」(あそ)の名称めいしょうあたえられる。
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん)10がつ1にち:「たかちほ」は併結列車れっしゃ東京とうきょう - 博多はかたあいだ急行きゅうこう玄海げんかい」(げんかい)に変更へんこう同時どうじに、はんしつごうづくりしゃながらとう寝台しんだいしゃ連結れんけつ
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん11月19にち:「高千穂たかちほ」は併結をりやめてぜん区間くかん単独たんどく運転うんてんとなり、運行うんこう距離きょり延長えんちょうして東京とうきょう - 西にし鹿児島かごしまあいだ運行うんこうとする。同時どうじ食堂しょくどうしゃ連結れんけつ。また、列車れっしゃ愛称あいしょうも「高千穂たかちほ」と漢字かんじ表記ひょうきとする。
    このときから日本にっぽん最長さいちょう距離きょりはし列車れっしゃとなり、ぜん区間くかん走破そうはには31あいだ28ふんようした。しかし東京とうきょうえき大阪おおさかえきから西にし鹿児島かごしまえきへは到達とうたつ時分じぶんみじか鹿児島本線かごしまほんせん経由けいゆ一般いっぱんてきであったため、どう列車れっしゃぜん区間くかんとおきゃくはそれほどいなかったといわれている。
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん)10がつ1にち夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃぶんご」が東京とうきょう - 大分おおいたあいだ運行うんこう開始かいし。また観光かんこう団体だんたい専用せんよう列車れっしゃとして、東京とうきょう - 大分おおいた長崎ながさきあいだ運行うんこうする「九州きゅうしゅう観光かんこう団体だんたい専用せんよう列車れっしゃ」(きゅうしゅうかんこうだんたいせんようれっしゃ)が設定せっていされる。
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん6月1にち寝台しんだい特急とっきゅうみずほ」に20けい客車きゃくしゃ充当じゅうとう同時どうじ大分おおいたえき発着はっちゃく編成へんせい連結れんけつする。
    このとき20けい客車きゃくしゃ使用しようするにあたりはじめてのかい列車れっしゃとして運用うんようされた。

最長さいちょう九州きゅうしゅう特急とっきゅう富士ふじ」と最長さいちょう夜行やこう急行きゅうこう高千穂たかちほ[編集へんしゅう]

  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん)10がつ1にち東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開業かいぎょうともなダイヤ改正かいせいにより、以下いかのように変更へんこう
    1. 特急とっきゅう「みずほ」の大分おおいたえき発着はっちゃく編成へんせいれを終了しゅうりょうわりに東京とうきょう - 大分おおいたあいだ運行うんこうする寝台しんだい特急とっきゅう列車れっしゃとして「富士ふじ」の運行うんこうあらたに開始かいし。「富士ふじ」には20けい客車きゃくしゃ使用しようする。
      • このとき「富士ふじ」の一部いちぶ客車きゃくしゃ下関しものせきえきぞうかいゆいおこない、大分おおいたえき編成へんせい従前じゅうぜんの「みずほ」とおなじく8りょうであった。
    2. 「ぶんご」運行うんこう終了しゅうりょうする。
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん)10がつ1にち:このときのダイヤ改正かいせいにより、以下いかのように変更へんこう
    1. 特急とっきゅう富士ふじ」、運行うんこう区間くかん日豊本線にっぽうほんせん経由けいゆ西にし鹿児島かごしまえきまで延長えんちょう
      東京とうきょう - 西にし鹿児島かごしまあいだ1,574.2kmをじつに24時間じかん以上いじょうかけて運行うんこうすることからおな区間くかんはしる「高千穂たかちほ」とならび、日本にっぽん最長さいちょう運転うんてん定期ていき旅客りょかく列車れっしゃとなった。なお、この日本にっぽん記録きろくは「高千穂たかちほ」が1975ねん昭和しょうわ50ねん3がつ10日とおか廃止はいしされ、「富士ふじ」が1980ねん昭和しょうわ55ねん)10がつ1にち運行うんこう区間くかん短縮たんしゅくして以降いこうやぶられていない[ちゅう 3][ちゅう 4][ちゅう 5][ちゅう 6]
    2. 九州きゅうしゅう観光かんこう列車れっしゃ」の名称めいしょうを「九州きゅうしゅうだい1観光かんこうごう」に変更へんこう。また、大分おおいたえきはつのぼりのみ運行うんこうとなる。
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん)10がつ1にち:「九州きゅうしゅうだい1観光かんこうごう」の名称めいしょうさきごと変更へんこうどう列車れっしゃ長崎ながさきえき編成へんせいに「五島ごしま」(ごとう)、大分おおいたえき編成へんせいに「くにさき」の名称めいしょうあたえられる。
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん)10がつ1にちこのときのダイヤ改正かいせいにより、以下いかのように変更へんこう
    1. 富士ふじ」は、下関しものせきえき発着はっちゃく編成へんせい大分おおいたえき発着はっちゃく変更へんこう
    2. 高千穂たかちほ」は、鹿児島本線かごしまほんせん経由けいゆ急行きゅうこう霧島きりしま」との併結列車れっしゃとし、寝台しんだいしゃ食堂しょくどうしゃ連結れんけつ廃止はいし[ちゅう 7]
    3. 「くにさき」運行うんこう区間くかん新大阪しんおおさかえき大阪おおさか - 大分おおいたあいだ短縮たんしゅく。「べっぷ(くだり)3ごう、(のぼり)2ごう」に名称めいしょう変更へんこうする。
  • 1970ねん昭和しょうわ45ねん)10がつ1にち:「高千穂たかちほ」に併結される鹿児島本線かごしまほんせん急行きゅうこう列車れっしゃ名称めいしょうを「さくらとう」(さくらじま)に変更へんこう
  • 1972ねん昭和しょうわ47ねん3月15にち:「さくらとう」の食堂しょくどうしゃ連結れんけつ終了しゅうりょう
  • 1975ねん昭和しょうわ50ねん3がつ10日とおか山陽新幹線さんようしんかんせん博多はかたえきれにともなダイヤ改正かいせいにより、以下いかのように変更へんこう
  1. 富士ふじ」、使用しよう車両しゃりょう24けい24かたち客車きゃくしゃ変更へんこう。このときの編成へんせいこちら参照さんしょうされたいが「はやぶさ」「出雲いずも」と運用うんようじょうおなじとした。オシ14かたち0番台ばんだいからの改造かいぞうしゃオシ24かたち100番台ばんだい食堂しょくどうしゃ」の連結れんけつ開始かいし
  2. 急行きゅうこう高千穂たかちほ」を名古屋なごや - 宮崎みやざきあいだ臨時りんじ列車れっしゃ格下かくさげ。

九州きゅうしゅう特急とっきゅう凋落ちょうらく時代じだいと「富士ふじ[編集へんしゅう]

  • 1976ねん昭和しょうわ51ねん)10がつ1にち:このときのダイヤ改正かいせいにより使用しよう車両しゃりょうを24けい24かたち客車きゃくしゃから24けい25かたち客車きゃくしゃえ。「はやぶさ」「出雲いずも」とともに東京とうきょう発着はっちゃく定期ていき寝台しんだい特急とっきゅうはつの2だんB寝台しんだいしゃ投入とうにゅう同時どうじ新形しんがた1人ひとりよう個室こしつA寝台しんだい、「オロネ25かたち車両しゃりょう」も連結れんけつされる[ちゅう 8]。「食堂しょくどうしゃ」はつづきオシ24かたち使用しよう
  • 1978ねん昭和しょうわ53ねん2がつ1にち:20けい運行うんこうされていた「あさかぜ」1・4ごう(いわゆる博多はかた「あさかぜ」)の24けい25かたちともな食堂しょくどうしゃ捻出ねんしゅつするため、食堂しょくどうしゃ基本きほん編成へんせいから大分おおいた回転かいてん付属ふぞく編成へんせいえられた。なお同様どうよう措置そち共通きょうつう運用うんようだった「はやぶさ」「出雲いずも」でもおこなわれた。 → 当時とうじ編成へんせいこちら参照さんしょうされたい。
    当時とうじ国鉄こくてつでは需要じゅようげんつづいていた在来ざいらいせん食堂しょくどうしゃしんせいしない方針ほうしんであったため、このころにはすで九州きゅうしゅう南部なんぶ末端まったん区間くかんにおける食堂しょくどう利用りようりつ極端きょくたん低下ていかしていたことから、運行うんこう時間じかんがほぼまるいちにちとなる「富士ふじ」「はやぶさ」の食堂しょくどうしゃ途中とちゅうえきかえしとすることで終着駅しゅうちゃくえきでのとどこおはくをなくし、車両しゃりょう基地きちであった品川しながわ客車きゃくしゃもどいちにちずつはやめることで、博多はかた「あさかぜ」よう必要ひつよう車両しゃりょうすう確保かくほした。
このとし東京とうきょう - 下関しものせきあいだ牽引けんいん機関きかんしゃEF65かたちの500番台ばんだい(Pかたち)から1000番台ばんだい7しゃ変更へんこう
  • 1979ねん昭和しょうわ54ねん)9がつ25にち日豊本線にっぽうほんせん全線ぜんせん電化でんかにより宮崎みやざき - 西にし鹿児島かごしまあいだ牽引けんいんであるDF50かたちディーゼル機関きかんしゃによる牽引けんいん廃止はいし。ED76による牽引けんいん終点しゅうてん西にし鹿児島かごしまえきまで延長えんちょうされた。
  • 1980ねん昭和しょうわ55ねん)10がつ1にちダイヤ改正かいせいで、利用りようしゃ減少げんしょうにより運行うんこう区間くかん宮崎みやざきえきまでに短縮たんしゅく。これにより、日本にっぽん最長さいちょう距離きょり特急とっきゅうを「はやぶさ」にゆずる。
宮崎みやざき - 西にし鹿児島かごしまあいだ廃止はいし停車駅ていしゃえき
宮崎みやざきえき - 都城みやこのじょうえき - 霧島きりしま神宮じんぐうえき - 隼人はやとえき - 鹿児島かごしまえき - 西にし鹿児島かごしまえき
富士ふじごう特急とっきゅうけん・B寝台しんだいけん
  • 1989ねん平成へいせい元年がんねん3月11にち:オハネ25かたち100番台ばんだいから改造かいぞうされた1人ひとりようB個室こしつ寝台しんだいしゃ「ソロ」(オハネ25かたち1000番台ばんだい)の連結れんけつ開始かいし編成へんせいこちら参照さんしょうされたい。
  • 1990ねん平成へいせい2ねん3がつ10日とおか運行うんこう区間くかんみなみ宮崎みやざきえきまで1えき延長えんちょう
  • 1991ねん平成へいせい3ねん3月16にち東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん東京とうきょう車掌しゃしょうが「成田なりたエクスプレス運行うんこう開始かいしともな人員じんいん確保かくほのため「富士ふじ」からの乗務じょうむり、JR九州きゅうしゅう大分おおいた車掌しゃしょうげん大分おおいた鉄道てつどう事業じぎょう大分おおいた車掌しゃしょうセンター)がぜん区間くかん担当たんとうすることになった。
  • 1993ねん平成へいせい5ねん3月18にち食堂しょくどうしゃ営業えいぎょう中止ちゅうしとなり、売店ばいてん営業えいぎょうのみに変更へんこう[15]。また、博多はかた地区ちく通勤つうきん輸送ゆそう改善かいぜんのため、くだ列車れっしゃ東京とうきょう - 小倉おぐらあいだのダイヤが「はやぶさ」とえられて「富士ふじ」のみなみ宮崎みやざきえき到着とうちゃくが1あいだ9ふんがった。
  • 1997ねん平成へいせい9ねん11月29にち運行うんこう区間くかん大分おおいたえきまでに短縮たんしゅく[16]。また、食堂しょくどうしゃオシ24がた連結れんけつ終了しゅうりょう最終さいしゅうてきな24けい25かたちのみで運行うんこうされた編成へんせいこちら参照さんしょうされたい。
    終点しゅうてん大分おおいたえき到着とうちゃく編成へんせいを2分割ぶんかつにする作業さぎょう実施じっししていた。これは、折返おりかえしの清掃せいそうとうおこな大分おおいた運転うんてんしょがフル編成へんせいいりできないためであり、のぼりの東京とうきょうきでも大分おおいたえきでフル編成へんせいにする作業さぎょう実施じっししていた。
大分おおいた - 南宮崎みなみみやざきあいだ廃止はいし停車駅ていしゃえき
大分おおいたえき - 臼杵きゅうしょえき - 津久見つくみえき - 佐伯さいきえき - 延岡のべおかえき - 日向ひなたえき - 高鍋たかなべえき - 宮崎みやざきえき - みなみ宮崎みやざきえき
  • くだ列車れっしゃ大分おおいたえきで「にちりん」3ごうを、のぼ列車れっしゃ中津なかつえきで「にちりん」20ごう先行せんこうさせるダイヤとなっていた。

九州きゅうしゅう特急とっきゅう終焉しゅうえん[編集へんしゅう]

  • 1999ねん平成へいせい11ねん12月4にち寝台しんだい特急とっきゅう列車れっしゃ系統けいとう整理せいりにより、東京とうきょうえきよりJR九州きゅうしゅう管内かんないむす寝台しんだい特急とっきゅう列車れっしゃは「さくら・はやぶさ」と「富士ふじ」の2往復おうふくのみとなった。また、「富士ふじ」の担当たんとう車掌しゃしょうがJR西日本にしにほん下関しものせき乗務じょうむいんセンターに変更へんこう。ただし、のぼりの広島ひろしま東京とうきょうあいだのみ広島ひろしま車掌しゃしょう担当たんとうした。
1999ねん12月 - 2002ねん3がつ編成へんせい
ひょうへんはなしれきPJRPJRNC
富士ふじ・はやぶさ・さくら
大分おおいた熊本くまもと長崎ながさき
東京とうきょう
列車れっしゃめい
運行うんこう区間くかん
富士ふじ大分おおいたえき - 東京とうきょうえきあいだ
はやぶさ
熊本くまもとえき - 東京とうきょうえきあいだ
さくら
長崎ながさきえき - 東京とうきょうえきあいだ
号車ごうしゃ   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
座席ざせき種別しゅべつ C B B B B B L A1 B B B1 B B B B
使用しよう車両しゃりょう 24けい客車きゃくしゃ 14けい客車きゃくしゃ
凡例はんれい
A1=1人ひとりよう個室こしつA寝台しんだい「シングルデラックス」
B1=1人ひとりよう個室こしつB寝台しんだい「ソロ」
B=開放かいほうしきB寝台しんだい
L=ロビーカー
C=電源でんげん荷物にもつしゃ
  • 変更へんこう概要がいよう以下いかとおり。
  • 「さくら」は長崎ながさき鉄道てつどう事業じぎょう長崎ながさき運輸うんゆセンター所属しょぞくの14けい客車きゃくしゃの6りょう編成へんせい、「はやぶさ」は熊本くまもと鉄道てつどう事業じぎょう熊本くまもと運輸うんゆセンター所属しょぞくの24けい客車きゃくしゃ9りょうとなり、東京とうきょうえき - 鳥栖とすえきあいだで「はやぶさ」「さくら」として併結運転うんてんおこなった。
  • 従来じゅうらい「はやぶさ」「富士ふじ」は共通きょうつう運用うんようであったため、「富士ふじ編成へんせいは「はやぶさ」編成へんせい24けい25かたち客車きゃくしゃ9りょうと「さくら」編成へんせい14けい客車きゃくしゃ6りょうを併結した15りょう編成へんせいとなった。
  • また、編成へんせい単位たんいでの14けい客車きゃくしゃと24けい客車きゃくしゃの併結運転うんてん史上しじょうはつであり、サービスよう電源でんげんはそれぞれかく編成へんせい連結れんけつする電源でんげんしゃ(カニ24かたちおよびスハネフ14・15かたち)から供給きょうきゅうされた。なお、14けい客車きゃくしゃには非常時ひじょうじとうそなえ、併結運転うんてん対応たいおう工事こうじほどこされた。
  • 6りょう編成へんせいとなった「さくら」には、従前じゅうぜん「はやぶさ」および「富士ふじ」に連結れんけつされていたオハネ25かたち1000番台ばんだい1人ひとりようB個室こしつ寝台しんだいしゃ「ソロ」)を改造かいぞうしたオハネ15かたち2000番台ばんだい連結れんけつされたが、開放かいほうがたA寝台しんだいしゃ(オロネ14かたち)と食堂しょくどうしゃ(オシ14かたち)の連結れんけつ終了しゅうりょうした。オロネ14かたち、オシ14がた運用うんよう離脱りだつにより、のこる14けい14かたちはスハネフ14かたちのみとなり、これ以降いこう、24けい25がたからの編入へんにゅう改造かいぞうしゃふくむ14けい15かたち主体しゅたい編成へんせいとなった。
  • 富士ふじ」・「はやぶさ」の24けい編成へんせいにはつづ個室こしつA寝台しんだいしゃ「シングルデラックス」・「ロビーカー」が連結れんけつされたが、「ソロ」については前述ぜんじゅつとお改造かいぞううえで14けい編成へんせいうつされた。また、オハネ25かたち2りょうをオハネ15かたち1100番台ばんだい追加ついか改造かいぞうし、14けい編成へんせいんだ。
  • 2002ねん平成へいせい14ねん3月23にち:「さくら」の開放かいほうしきB寝台しんだいを1りょう、「はやぶさ」は2りょう減車げんしゃ。「さくら」は5りょう編成へんせい、「はやぶさ」は7りょう編成へんせい、「富士ふじ」は12りょう編成へんせいでの運行うんこうとなる。
2002ねんから2005ねんまでの編成へんせい
ひょうへんはなしれきPJRPJRNC
富士ふじ・はやぶさ・さくら
大分おおいた熊本くまもと長崎ながさき
東京とうきょう
列車れっしゃめい
運行うんこう区間くかん
富士ふじ東京とうきょうえき - 大分おおいたえきあいだ
はやぶさ
東京とうきょうえき - 熊本くまもとえきあいだ
さくら
東京とうきょうえき - 長崎ながさきえきあいだ
号車ごうしゃ   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
座席ざせき種別しゅべつ C B B B A1 L B B B1 B B B
使用しよう車両しゃりょう 24けい客車きゃくしゃ 14けい客車きゃくしゃ
凡例はんれい
A1=1人ひとりよう個室こしつA寝台しんだい「シングルデラックス」
B1=1人ひとりよう個室こしつB寝台しんだい「ソロ」
B=開放かいほうしきB寝台しんだい
L=ロビーカー
C=電源でんげん荷物にもつしゃ
  • 2004ねん平成へいせい16ねん)2がつ九州きゅうしゅう新幹線しんかんせん開業かいぎょうともな西にし鹿児島かごしまえき鹿児島かごしま中央ちゅうおうえき改称かいしょうするのを記念きねんし、東京とうきょう品川しながわ) → 西にし鹿児島かごしまあいだくだ列車れっしゃのみ団体だんたい専用せんよう列車れっしゃなつかしの富士ふじごう」として復活ふっかつ運転うんてん。なお、通常つうじょうどおりのダイヤで定期ていき列車れっしゃ運行うんこうされていた。
  • 2005ねん平成へいせい17ねん3月1にち:ダイヤ改正かいせいで「はやぶさ」に併結していた「さくら」が廃止はいし同時どうじに「富士ふじ」は「はやぶさ」との併結列車れっしゃとなり、使用しよう車両しゃりょう全車ぜんしゃ14けい客車きゃくしゃとなった。これにともない「ロビーカー」と荷物にもつしゃ連結れんけつがなくなり、小荷物こにもつ輸送ゆそうの「ブルートレイン便びん」の取扱とりあつかいも終了しゅうりょうした。
    改正かいせい先立さきだち、オロネ25かたちをオロネ15かたち3000番台ばんだい改造かいぞうするためくだりは1がつ12にちから2がつ22にちまで、のぼりは1がつ13にちから2がつ23にちまでのあいだ個室こしつA寝台しんだい「シングルデラックス」の連結れんけつ中止ちゅうししていた。
    また、運行うんこう変更へんこうともな車両しゃりょう回送かいそう列車れっしゃ以下いかのような手順てじゅんおこなわれた。
    • 2005ねん3がつ1にち東京とうきょうえき到着とうちゃく田町たまち車両しゃりょうセンター回送かいそうきゅう「さくら・はやぶさ」、きゅう富士ふじ」の14けい客車きゃくしゃ分割ぶんかつ、2編成へんせい併結のうえくだり「富士ふじ・はやぶさ」となった。24けい客車きゃくしゃについては3月2にちはつ品川しながわから熊本くまもとへ2編成へんせい併結で返却へんきゃく回送かいそうされた。3月1にちくだり「富士ふじ」の24けい客車きゃくしゃについては大分おおいたえき分割ぶんかつ熊本くまもと回送かいそうされた。
富士ふじ単独たんどく運転うんてん最終さいしゅう編成へんせい
大分おおいた
東京とうきょう
くだ編成へんせい(2がつ28にち東京とうきょうはつ
所属しょぞく 熊本くまもと鉄道てつどう事業じぎょう 長崎ながさき鉄道てつどう事業じぎょう
号車ごうしゃ 電源でんげんしゃ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
客車きゃくしゃ形式けいしき カニ24
9
オハネフ25
112
オハネ25
183
オハネ25
244
かけしゃ オハ24
701
オハネフ25
144
スハネフ14
6
オロネ15
3004
オハネ15
2003
オハネ15
1202
オハネ15
1201
スハネフ15
21
機関きかんしゃ 東京とうきょう下関しものせきあいだ:EF66 47(下関しものせき 下関しものせき門司もじあいだ:EF81(大分おおいた 門司もじ大分おおいたあいだ:ED76(大分おおいた
のぼ編成へんせい(2がつ28にち大分おおいたはつ
所属しょぞく 熊本くまもと鉄道てつどう事業じぎょう 長崎ながさき鉄道てつどう事業じぎょう
号車ごうしゃ 電源でんげんしゃ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
客車きゃくしゃ形式けいしき カニ24
3
オハネフ25
149
オハネ25
113
オハネ25
182
かけしゃ オハ24
703
オハネフ25
110
スハネフ15
2
オロネ15
3001
オハネ15
2001
オハネ15
1102
オハネ15
3
スハネフ15
20
機関きかんしゃ 大分おおいた門司もじあいだ:ED76(大分おおいた 門司もじ下関しものせきあいだ:EF81(大分おおいた 下関しものせき東京とうきょうあいだ:EF66 50(下関しものせき
「はやぶさ・富士ふじ最終さいしゅう編成へんせい
熊本くまもと大分おおいた
東京とうきょう
くだ編成へんせい(3がつ13にち東京とうきょうはつ
編成へんせい はやぶさ編成へんせい東京とうきょう熊本くまもとあいだ 富士ふじ編成へんせい東京とうきょう大分おおいたあいだ
所属しょぞく 熊本くまもと鉄道てつどう事業じぎょう
号車ごうしゃ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
客車きゃくしゃ形式けいしき スハネフ15
1
オロネ15
3004
オハネ15
2005
オハネ15
1202
オハネ15
1122
スハネフ14
12
スハネフ15
2
オロネ15
3001
オハネ15
2004
オハネ15
1246
オハネ15
1102
スハネフ14
6
機関きかんしゃ 東京とうきょう下関しものせきあいだ:EF66 53(下関しものせき 下関しものせき門司もじあいだ:EF81 411(大分おおいた 門司もじ熊本くまもとあいだ:ED76 94(大分おおいた 門司もじ大分おおいたあいだ:ED76 90(大分おおいた
のぼ編成へんせい(3がつ13にち熊本くまもと大分おおいたはつ
編成へんせい 富士ふじ編成へんせい大分おおいた東京とうきょうあいだ はやぶさ編成へんせい熊本くまもと東京とうきょうあいだ
所属しょぞく 熊本くまもと鉄道てつどう事業じぎょう
号車ごうしゃ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
客車きゃくしゃ形式けいしき スハネフ15
20
オロネ15
3006
オハネ15
2003
オハネ15
4
オハネ15
2
スハネフ14
11
スハネフ15
21
オロネ15
3002
オハネ15
2002
オハネ15
3
オハネ15
1
スハネフ14
3
機関きかんしゃ 熊本くまもと門司もじあいだ:ED76 90(大分おおいた 大分おおいた門司もじあいだ:ED76 94(大分おおいた 門司もじ下関しものせきあいだ:EF81 411(大分おおいた 下関しものせき東京とうきょうあいだ:EF66 42(下関しものせき

復活ふっかつ運転うんてん[編集へんしゅう]

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 洋食ようしょくどうしゃ和食わしょくどうしゃちがいは、前者ぜんしゃはあくまでも洋食ようしょくせんもん予約よやくせいのコース料理りょうり提供ていきょうしていたのにたいし、和食わしょくどうしゃ和食わしょくだけでなく、様々さまざまアラカルト料理りょうり大衆たいしゅうてき価格かかく提供ていきょうしていたてんことなる。和食わしょくどうしゃだからといって洋食ようしょく提供ていきょうしていなかったわけではなかった。
  2. ^ テールマークのアルファベット表記ひょうき当初とうしょヘボンしきマ字まじの「FUJI」だったが、のち訓令くんれいしきマ字まじの「HUZI」に変更へんこうされた。
  3. ^ それ以降いこうさい長距離ちょうきょり列車れっしゃについては、「はやぶさ」の 東京とうきょう - 西にし鹿児島かごしまあいだじつ運行うんこう距離きょりであった山陽本線さんようほんせん柳井やないえき経由けいゆの1,515.3kmであった(ただし、営業えいぎょうキロ運賃うんちん計算けいさんキロ)は運賃うんちん計算けいさんじょう経路けいろである岩徳線がんとくせん経由けいゆの1,493.6kmとされている)。
  4. ^ 1997ねん平成へいせい9ねん)11月29にちの「はやぶさ」が東京とうきょう - 熊本くまもと発着はっちゃくとなり短縮たんしゅくされてからは、臨時りんじ列車れっしゃふくめるとトワイライトエクスプレス札幌さっぽろ大阪おおさかあいだ砂原すなはらせん経由けいゆ)の運行うんこうでも1,508.5kmと最長さいちょうであったが、2015ねん平成へいせい27ねん)3がつ12にち始発しはつ基準きじゅん運行うんこう終了しゅうりょうとなった。
  5. ^ トワイライトエクスプレスの運行うんこう終了しゅうりょうは、上野うえの - 札幌さっぽろあいだの「北斗星ほくとせい」・「カシオペア」の1,214.7kmが最長さいちょうとなるが北斗星ほくとせいは2015ねん8がつ22にち始発しはつ基準きじゅん臨時りんじ列車れっしゃふくめた運行うんこう終了しゅうりょうしており、カシオペアについても2016ねん平成へいせい28ねん)3がつ20日はつか始発しはつ基準きじゅん運行うんこう終了しゅうりょうとなった。
  6. ^ カシオペア運行うんこう終了しゅうりょうの2016ねん3がつ22にち以降いこうでは、東京とうきょう - 博多はかたあいだ直通ちょくつうの「のぞみ」が一般いっぱん販売はんばいあつかいの最長さいちょう列車れっしゃとなっている。
  7. ^ なお、鹿児島本線かごしまほんせん急行きゅうこう霧島きりしま」には食堂しょくどうしゃ連結れんけつしたが、食堂しょくどうしゃ連結れんけつ有無うむのぞくと、りょう列車れっしゃとも一等いっとうしゃ1りょうとうしゃ座席ざせきしゃのみの編成へんせいとなった。
  8. ^ 実際じっさいにはダイヤ改正かいせい先行せんこうして9がつ25にち東京とうきょうはつより24けい25かたちえられた。:「ブルトレ興亡こうぼうろく」、イカロス出版いかろすしゅっぱんより
  9. ^ なおこのマークはJR直後ちょくご一時期いちじき使用しようされたことがあるほか、車両しゃりょう基地きち公開こうかいなど展示てんじイベントなどでることができる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ ブルトレ、東京とうきょうえきからえる 3がつ富士ふじ・はやぶさ廃止はいし - 朝日新聞あさひしんぶん 2008ねん12月19にち
  2. ^ 2009ねん3がつダイヤ改正かいせいについて (PDF) - 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどうプレスリリース 2008ねん12月19にち
  3. ^ 平成へいせい21ねん3がつダイヤ改正かいせいについて 別紙べっし (PDF) - 東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどうプレスリリース 2008ねん12月19にち
  4. ^ 杉山すぎやま淳一じゅんいち (2014ねん12月20にち). 鉄道てつどうトリビア (284) 東京とうきょう - 西にし鹿児島かごしまあいだを31時間じかん以上いじょうかけてはしった列車れっしゃがあった”. マイナビニュース (マイナビ). https://news.mynavi.jp/article/trivia-284/ 2015ねん12月25にち閲覧えつらん 
  5. ^ さらば九州きゅうしゅうブルトレ 「はやぶさ」と「富士ふじ最終さいしゅう便びん - 西日本にしにほん新聞しんぶん朝刊ちょうかん 2009ねん3がつ14にちづけ西日本にしにほん新聞しんぶん公式こうしきサイト 2009ねん3がつ15にち
  6. ^ 東京とうきょうはつブルートレイン「はやぶさ・富士ふじ最終さいしゅう - Response. 2009ねん3がつ13にち
  7. ^ 寝台しんだい特急とっきゅう九州きゅうしゅうわか大分おおいた熊本くまもと東京とうきょう富士ふじ」「はやぶさ」来春らいしゅん廃止はいし - 西日本にしにほん新聞しんぶん朝刊ちょうかん 2008ねん12月20にちづけ西日本にしにほん新聞しんぶん公式こうしきサイト 2009ねん3がつ15にち
  8. ^ 鉄道てつどうジャーナル鉄道てつどうジャーナルしゃ、2006ねん10がつごう
  9. ^ プレス・アイゼンバーン『レイル』No.13 1984ねん10がつ、pp.69–76。古山ふるやま善之助ぜんのすけふけ全盛ぜんせい時代じだい国鉄こくてつ特急とっきゅう急行きゅうこう列車れっしゃ
  10. ^ 鉄道てつどうしょう年報ねんぽう. 昭和しょうわ9年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  11. ^ 列車れっしゃ風呂ふろ早々そうそうみせじまい『東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ10ねん9がつ21にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい5かん 昭和しょうわ10ねん-昭和しょうわ11ねん本編ほんぺんp425 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  12. ^ 7がつ15にち開始かいし10がつ1にち停止ていし鉄道てつどうしょう年報ねんぽう. 昭和しょうわ10年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん近代きんだいデジタルライブラリー)
  13. ^ 岡山おかやまえき列車れっしゃ事故じこ特急とっきゅう富士ふじ」に追突ついとつ大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん』(昭和しょうわ12ねん7がつ29にち)『昭和しょうわニュース事典じてんだい6かん 昭和しょうわ12ねん-昭和しょうわ13ねん本編ほんぺんp54 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  14. ^ 鉄道てつどうファン」1986ねん3がつごうp.42
  15. ^ “ブルトレ食堂しょくどうしゃ廃止はいし”. 交通こうつう新聞しんぶん (交通こうつう新聞しんぶんしゃ): p. 2. (1993ねん3がつ18にち) 
  16. ^ “「はやぶさ」「富士ふじ」にわかれ JR西にし鹿児島かごしま南宮崎みなみみやざき 運転うんてん区間くかん短縮たんしゅくで”. 交通こうつう新聞しんぶん (交通こうつう新聞しんぶんしゃ): p. 3. (1997ねん12月2にち) 
  17. ^ 平成へいせい21ねん2がつ限定げんてい 寝台しんだい特急とっきゅう富士ふじ」「はやぶさ」に寝台しんだいけんなしでご乗車じょうしゃになれます! Archived 2008ねん12月29にち, at the Wayback Machine. - 九州旅客鉄道きゅうしゅうりょかくてつどうプレスリリース 2008ねん12月25にち
  18. ^ 鉄道てつどうファン交友こうゆうしゃ、2009ねん6がつごう
  19. ^ 寝台しんだい特急とっきゅう 富士ふじ 団体だんたい臨時りんじ列車れっしゃ(ツアー) - TETSUDO COM
  20. ^ 寝台しんだい特急とっきゅう富士ふじ復活ふっかつ運転うんてん 「ブルトレブーム」再現さいげん”. りものニュース (2014ねん9がつ4にち). 2023ねん10がつ13にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]