(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ロビーカー - Wikipedia コンテンツにスキップ

ロビーカー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロビーカーラウンジカー、「ビュッフェ・ラウンジ」、「ビュッフェ・カー」、「クラブ・カー」などとも)は客車きゃくしゃ一種いっしゅであり、乗客じょうきゃく飲食いんしょくぶつ購入こうにゅうできるスペースである[1]。これらの車両しゃりょうおおきなまどガラス快適かいてき座席ざせきそなえ、通常つうじょう客席きゃくせきことなるリラックスできる空間くうかんゆうしている。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく場合ばあい

[編集へんしゅう]
1960年代ねんだいの「サン・ラウンジ英語えいごばん」の車内しゃない
現代げんだい米国べいこく長距離ちょうきょり列車れっしゃひろもちいられるスーパーライナーのラウンジカーの車内しゃない

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは、この車輌しゃりょうのことを一般いっぱんてきに「ラウンジカー」(Lounge car)と呼称こしょうする。初期しょきのラウンジカー(およびとくに「ネームド・トレイン」とばれた列車れっしゃめいつきのめい列車れっしゃたち)においては、ちいさなキッチンそなえ、限定げんていメニューを提供ていきょうしていた。このスタイルは2018ねん寝台しんだい利用りようしゃ専用せんようラウンジカーの「パシフィック・パーラーカー」が引退いんたいするまで、アムトラックの「コースト・スターライトごうでも継続けいぞくされていた。

これらの車輌しゃりょうプルマンしゃによって運営うんえいされることがおおかったが、場合ばあいによってはアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道てつどうフレッド・ハーヴィ・カンパニーのように専用せんよう運営うんえい会社かいしゃによるところもあった。

プルマンしゃ営業えいぎょうするラウンジカーは寝台しんだい利用りようしゃ専用せんようであったが、鉄道てつどう会社かいしゃ運営うんえいするものは一等いっとうしゃ旅客りょかく同様どうよう普通ふつう座席ざせきしゃ旅客りょかく利用りようできた。「ビュッフェ・ラウンジカー」はフルサービスを提供ていきょうする食堂しょくどうしゃ連結れんけつされない列車れっしゃでしばしばもちいられた。現在げんざいニューヨークマイアミむす列車れっしゃひとつであるアムトラックのシルバー・スターごう英語えいごばんがこのスタイルをとっている[2]。 「ビュッフェ・ラウンジカー」とばれるには飲料いんりょう食品しょくひん両方りょうほう提供ていきょうされる車輌しゃりょうであることが条件じょうけんになっている。これらの車輌しゃりょうでは簡単かんたん食事しょくじ提供ていきょうされる[3]

イギリスの場合ばあい

[編集へんしゅう]

イギリスでは、プルマンしゃにちなんで豪華ごうかなラウンジカーのことを「プルマンカー」とぶ。

日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう・JRの場合ばあい

[編集へんしゅう]

ロビーカーとは、おも日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうおよびJR各社かくしゃ所有しょゆうする夜行やこう列車れっしゃ寝台しんだい列車れっしゃジョイフルトレインなどにおも乗客じょうきゃくきょうされる目的もくてき連結れんけつし、乗車じょうしゃ定員ていいんぶん運賃うんちん料金りょうきん収受しゅうじゅしない車両しゃりょう空間くうかんのこと。列車れっしゃ車両しゃりょうによってサロンカーラウンジカーなどともしょうされる。

用途ようと形式けいしき記号きごうとく規定きていされておらず、ぜんしつこの用途ようときょうする場合ばあいには普通ふつうしゃあつかいとして「」がもちいられることがおお[注釈ちゅうしゃく 1]

概要がいよう沿革えんかく

[編集へんしゅう]

前史ぜんしとしての「展望てんぼうしつ」・「談話だんわしつ

[編集へんしゅう]

日本にっぽん鉄道てつどうにおいては、1910ねんより東海道とうかいどう山陽本線さんようほんせん運行うんこうされた特別とくべつ急行きゅうこう列車れっしゃ1・2列車れっしゃ1932ねんには「富士ふじ」の名称めいしょうあたえられる)の一等いっとう展望てんぼうしゃ展望てんぼうしつ談話だんわしつがそれとなる。しかし、モデルとなったアメリカにおける長距離ちょうきょり乗客じょうきゃくへのフリースペースきょうすることからもうけられたものであるが、実際じっさいには列車れっしゃ編成へんせいじょう一等いっとうしゃ利用りようきゃくのみの利用りようするサロンちかあつかいであった。なお、このあつかいはだい世界せかい大戦たいせんによる特別とくべつ急行きゅうこう列車れっしゃ運行うんこう中止ちゅうしによる中断ちゅうだんはあるものの戦後せんご「つばめ」・「はと」電車でんしゃまでつづいていた。

オシ16かたち食堂しょくどうしゃ「サロンカー」

[編集へんしゅう]

一般いっぱん乗客じょうきゃくにフリースペースを確保かくほするというてんでは、1960年代ねんだいにおいて、夜行やこう列車れっしゃ寝台しんだい列車れっしゃ連結れんけつされた寝台しんだいしゃ寝台しんだいをセッティングするため一時いちじてき座席ざせきからはなれる利用りようしゃ避難ひなんしょてき便びんはかるために、当時とうじ夜行やこう急行きゅうこう列車れっしゃ簡易かんい食堂しょくどうしゃとして10けい客車きゃくしゃいち車種しゃしゅ位置いちづけるかたち設計せっけい製造せいぞうされたオシ16かたちが「サロンカー」の名称めいしょう使用しようした。

この車両しゃりょうは、寝台しんだい急行きゅうこう列車れっしゃ専用せんよう食堂しょくどうしゃとして設計せっけい製造せいぞうしたこともあり、食堂しょくどうとしてきょうしたものとして飲料いんりょう軽食けいしょく中心ちゅうしんのメニューであったことや、食堂しょくどうしゃ調理ちょうり設備せつびとして電子でんしレンジ採用さいようしたてん画期的かっきてきとされる。しかし、食堂しょくどうしゃという「列車れっしゃ給食きゅうしょく設備せつび」の体裁ていさいであり、かならずしも冒頭ぼうとうかかげられた「フリースペースをきょうする」にはてはめがたいものであった。なお、この食堂しょくどうしゃは「ビュッフェ」としてあつかわれた。

北斗星ほくとせい3・4ごう当時とうじ)に連結れんけつされていたロビーカー内部ないぶ(オハ25 2006ねん撮影さつえい
北斗星ほくとせい3・4ごう当時とうじ)に連結れんけつされていたロビーカーに設置せっちされていたシャワーしつ。(オハ25 2006ねん撮影さつえい
カシオペアのラウンジ(カハフE26かたち 2007ねん撮影さつえい

フリースペースとしての「ロビーカー」の登場とうじょう

[編集へんしゅう]

簡易かんいながら「列車れっしゃ給食きゅうしょく設備せつび」の体裁ていさいったものではなく、冒頭ぼうとうにあげたもののいとぐちとしては1985ねんに(東京とうきょうたい)"九州きゅうしゅうブルトレ"「はやぶさ」に連結れんけつされた24けい客車きゃくしゃオハ24かたち(700番台ばんだい)が最初さいしょとされる。

これは、当時とうじすでに乗客じょうきゃく漸減ぜんげん傾向けいこうにあった九州きゅうしゅうブルトレぐんへのてこれの一環いっかんとして当時とうじさい長距離ちょうきょり運行うんこうされていた「はやぶさ」に、列車れっしゃ連結れんけつ中止ちゅうししていた食堂しょくどうしゃなどの余剰よじょう車両しゃりょう活用かつようすることで、利用りようしゃへのゆとりのある空間くうかん提供ていきょうしたものである。

名称めいしょうおよび目的もくてきにおいてホテルロビーラウンジるいするものであるが、ホテルのそれとことなりかならずしも車掌しゃしょうないしは客室きゃくしつ乗務じょうむいんちか役割やくわりゆうする人員じんいん常時じょうじめていたり、そういった担当たんとう人員じんいんがいるものではなく、たんなる「フリースペース」であった。しかし、食堂しょくどうしゃ連結れんけつがあったものの、さきのオシ16かたち同様どうよう山陽本線さんようほんせんおよび鹿児島本線かごしまほんせんでは「ヒルネ」ともしょうされる寝台しんだい座席ざせき使用しようおこなわれることもあり、寝台しんだい利用りようきゃくきょうすることが目的もくてきであった。そのため、この車両しゃりょう利用りようしゃにはおおむね好評こうひょうであったとされる。

そのことから、よく1986ねんには「はやぶさ」と車両しゃりょう共用きょうよう使用しようした日豊本線にっぽうほんせん直通ちょくつうの「富士ふじ」に、1987ねんJR東日本ひがしにっぽん運行うんこう車両しゃりょう担当たんとうした「あさかぜ1・4ごう」(当時とうじ)に連結れんけつ開始かいしする。

ちなみに後者こうしゃには、よく1988ねん運行うんこう予定よていしていた(東京とうきょうたい青函せいかんトンネル北海道ほっかいどうブルトレへの利用りようしゃへの反響はんきょう試験しけんねておこなわれたとされ、実際じっさい同社どうしゃ運行うんこう車両しゃりょう担当たんとうした「北斗星ほくとせい5・6ごう」(当時とうじ)にも連結れんけつ開始かいしした。

「ロビーカー」の変容へんよう食堂しょくどうしゃの「ロビーカー」

[編集へんしゅう]

1990ねんには、当時とうじJR西日本にしにほん運行うんこうしていた「あさかぜ2・3ごう」・「瀬戸せと」にスハ25かたち(300番台ばんだい)の連結れんけつ開始かいしする。

詳細しょうさいこちらにあるが、要諦ようたいとしては、従来じゅうらい編成へんせいはし連結れんけつしていた電源でんげんしゃ代替だいたいとして車内しゃないサービスよう電源でんげん収集しゅうしゅうよう菱形ひしがたパンタグラフ電源でんげん発生はっせい装置そうちである静止せいしがたインバータ(SIV)をもうけ、自動じどう販売はんばい売店ばいてんシャワールーム車内しゃないそなえた車両しゃりょうとして余剰よじょう客車きゃくしゃから改造かいぞうした。

なお、「あさかぜ2・3ごう」・「瀬戸せと」のりょう列車れっしゃ連結れんけつ開始かいしする1989ねん時点じてんまでは開放かいほうしきB寝台しんだいくるまのみの編成へんせいであったことから、乗客じょうきゃくへのフリースペースの提供ていきょうだけでなく、乗客じょうきゃく給食きゅうしょくサービスの補完ほかんおこな車両しゃりょう位置いちづけられる地位ちいにあるといえた[注釈ちゅうしゃく 2]

このながれのなかで、1999ねんには「カシオペアようとして新規しんき製造せいぞうされたJR東日本ひがしにっぽんE26けい客車きゃくしゃには展望てんぼうしきハイデッキ"ラウンジカー"「カハフE26かたち車両しゃりょう」がもうけられた。こちらは、電源でんげんしゃとしてはディーゼル発電はつでんもちいて車内しゃないサービスよう電源でんげん供給きょうきゅうおこなっている。

またこれとともに、1993ねん東京とうきょうえき発着はっちゃくのブルトレぐん連結れんけつされていた食堂しょくどうしゃ営業えいぎょう終了しゅうりょうともない、給食きゅうしょく設備せつびとしての役割やくわりえた食堂しょくどうしゃを「フリースペース(車両しゃりょう)」としょうして使用しようすることもあった。この事例じれいとしては1999ねんまで連結れんけつしていた「さくら」と2006ねんまで運行うんこうされた山陰さんいん客車きゃくしゃ寝台しんだい特急とっきゅう出雲いずも」がこの体裁ていさいっていた。

「ロビーカー」連結れんけつ終了しゅうりょう

[編集へんしゅう]

だが、最初さいしょ登場とうじょうした東京とうきょうたい九州きゅうしゅうブルトレ系統けいとうでは、1990年代ねんだい後半こうはん以降いこう運行うんこうする列車れっしゃそのものが廃止はいしされ、運行うんこうする本数ほんすう自体じたい減少げんしょう当初とうしょは、利用りようしゃ減少げんしょう車両しゃりょう老朽ろうきゅう対応たいおうするため、単純たんじゅん列車れっしゃ編成へんせい短縮たんしゅく列車れっしゃ本数ほんすう系統けいとう統合とうごうおこなった。

しかし、それだけではわず、2005ねんには「はやぶさ」と「富士ふじ」の併結運転うんてん実施じっしするようになった。このさい東京とうきょうえき - 門司もじえきあいだを1列車れっしゃとして同一どういつ編成へんせいを2編成へんせい連結れんけつする運用うんようおこなダイヤんだことや、最低限さいていげん需要じゅようたすために使用しよう車種しゃしゅ変更へんこう寝台しんだいしゃのみで組成そせいされることとなり、同年どうねん連結れんけつ終了しゅうりょうした。

また「北斗星ほくとせい」も2008ねん3がつ15にちをもって1往復おうふくとなり、客車きゃくしゃ持分もちぶんもJR東日本ひがしにっぽん北海道旅客鉄道ほっかいどうりょかくてつどう(JR北海道ほっかいどう)が1編成へんせい折半せっぱんするかたちあらためた。このさい、ロビーカーのあつかいも「ミニロビー」を設置せっちしていたJR北海道ほっかいどう所有しょゆう車両しゃりょうもちいることとなり、単独たんどくでのロビーカー連結れんけつ終了しゅうりょうした。その、「北斗星ほくとせい」が2015ねん臨時りんじ列車れっしゃ変更へんこうとなり、車両しゃりょうもJR東日本ひがしにっぽん所有しょゆう車両しゃりょう統一とういつされたため、単独たんどくでのロビーカー連結れんけつ再開さいかいしたのち同年どうねん8がつ23にち運行うんこうをもって営業えいぎょう終了しゅうりょうした。

フリースペースとしての「ミニロビー」など

[編集へんしゅう]
北斗星ほくとせい連結れんけつされていたミニロビー内部ないぶ(スハネ25 2010ねん撮影さつえい現在げんざい引退いんたい

たんなるフリースペースとして座席ざせき改修かいしゅう寝台しんだいしゃ個室こしつ寝台しんだいへの改造かいぞうさいして車両しゃりょう一部いちぶをこの空間くうかんてるケースもあり、これを「ミニロビー」としょうする場合ばあいもある。ひる行列ぎょうれつしゃでもこうしたケースはおおく、完全かんぜん禁煙きんえんともなってこれまで喫煙きつえんスペースとして使つかわれていた場所ばしょ禁煙きんえんのフリースペースに変更へんこうした車両しゃりょうもある。

わりだねとしては磐越西線ばんえつさいせん運行うんこうされていた「ビバあいづ」で会津あいづ地方ちほう地域ちいき観光かんこう情報じょうほうなどを展示てんじした「インビテーションカー」を連結れんけつしていたケースが存在そんざいした。

ジョイフルトレイン場合ばあい団体だんたい専用せんよう列車れっしゃとしての運用うんようおもであることから、展望てんぼうしゃじゅんじた列車れっしゃ後方こうほう中間なかま側面そくめんからの眺望ちょうぼうもとめるための車両しゃりょう団体だんたいでのパーティーなどで使用しようするスペースとしてカラオケ機材きざいなどをもうけているものもすくなくない。

こどもしつ・こどもサロン

[編集へんしゅう]

なお、一部いちぶには幼児ようじけのおもちゃをおいたり遊具ゆうぐ設置せっちした車両しゃりょうもうけられることもあり、通例つうれい1りょうの1/3 - 2/3程度ていどのスペースがあてがわれる。

代表だいひょうてきれいとして、四国旅客鉄道しこくりょかくてつどう自社じしゃ保有ほゆうキハ185けい気動車きどうしゃ2000けい気動車きどうしゃ一部いちぶ車両しゃりょうアンパンマンのキャラクターをえがいた車両しゃりょう走行そうこうさせている「アンパンマン列車れっしゃ」がある。しかし、これは作者さくしゃやなせたかし同社どうしゃ運行うんこう地域ちいきにあたる高知こうちけん出身しゅっしんであり、観光かんこう列車れっしゃとしての側面そくめんつよい。同種どうしゅれいとしては、北海道旅客鉄道ほっかいどうりょかくてつどうドラえもん使用しようして観光かんこう資源しげんとしている青函せいかんトンネル運行うんこうされていた「ドラえもん海底かいてい列車れっしゃ」もげられる。

純粋じゅんすいな「どもしつ」としては東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう所有しょゆうする「スーパービューおど」に使用しようしていた251けい電車でんしゃ東京とうきょうかた先頭せんとう車両しゃりょうもうけていた。これは、伊豆いずきゅう下田しもだかた先頭せんとう車両しゃりょう同一どういつ設計せっけい2かいけん車両しゃりょうであるが、座席ざせき設定せってい前者ぜんしゃが"家族かぞくけの普通ふつう座席ざせき"とし、後者こうしゃを"グリーンせき"としたうえで1かいスペースをグリーンせき専用せんようの「サロンしつ」とした関係かんけいであろうが、いずれにせよフリースペースという側面そくめんではおなじである。

このれいでは、西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう0けい新幹線しんかんせん車両しゃりょう余剰よじょうビュッフェしゃのビュッフェ部分ぶぶん改修かいしゅうし「こどもサロン」として新大阪しんおおさかえき - 博多はかたえきあいだで1995ねん - 2003ねん夏休なつやす期間きかんなど列車れっしゃ混雑こんざつする時期じき運行うんこうした。

また、九州旅客鉄道きゅうしゅうりょかくてつどう2004ねん現在げんざいゆふDX」に使用しようしているキハ183けい気動車きどうしゃに「オランダむら特急とっきゅう時代じだいの1989ねんふえ備されたなかあいだ車両しゃりょうにこのスペースをもうけ、1992ねんの「ゆふいんのもり転用てんようまで使用しようした。また、さきげたJR四国しこくの「アンパンマン列車れっしゃ」にも同様どうよう設備せつびそなえられた車両しゃりょうがある。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ ただし、ジョイフルトレイングリーンしゃ中心ちゅうしんとした編成へんせい設置せっちされている場合ばあいは「」がもちいられる。また、「ななつほし in 九州きゅうしゅう」では「」を、「TWILIGHT EXPRESS みずふう」では「」をもちいている。
  2. ^ なお、「あさかぜ2・3ごう」・「瀬戸せとようにスハ25がた(300番台ばんだい)と同等どうとう設備せつびゆうするオハ25かたち客車きゃくしゃ(300番台ばんだい存在そんざいし、こちらは給電きゅうでん設備せつびゆうしていないため、編成へんせいはし従来じゅうらい荷物にもつしゃあつかいをねた電源でんげんしゃ連結れんけつしていた。なお、当初とうしょ編成へんせいとしてはこちら参照さんしょうされたい。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]