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豊橋とよはしえき

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豊橋とよはしえき*
東口ひがしぐち(2022ねん10がつ
とよはし
Toyohashi
地図みぎしん豊橋とよはしえきみぎじょう駅前えきまえ停留ていりゅうじょう
所在地しょざいち 愛知あいちけん豊橋とよはし花田はなたまち西宿にしじゅく
北緯ほくい3445ふん46.119びょう 東経とうけい13722ふん53.943びょう / 北緯ほくい34.76281083 東経とうけい137.38165083 / 34.76281083; 137.38165083 (豊橋とよはしえき)座標ざひょう: 北緯ほくい3445ふん46.119びょう 東経とうけい13722ふん53.943びょう / 北緯ほくい34.76281083 東経とうけい137.38165083 / 34.76281083; 137.38165083 (豊橋とよはしえき)
所属しょぞく事業じぎょうしゃ 東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい
日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどう(JR貨物かもつ
名古屋鉄道なごやてつどう名鉄めいてつ
電報でんぽう略号りゃくごう トヨ
えき構造こうぞう 地上ちじょうえき橋上はしかみえき
ホーム 2めん3せん通過つうかせん新幹線しんかんせん
5めん8せん在来ざいらいせん名鉄めいてつせん1せんふくむ)
乗車じょうしゃ人員じんいん
-統計とうけい年度ねんど-
(JR東海とうかい)28,783にん/降車こうしゃきゃくふくまず)
名鉄めいてつ)17,626にん/降車こうしゃきゃくふくまず)
-2019ねん-
乗降じょうこう人員じんいん
-統計とうけい年度ねんど-
名鉄めいてつ)35,285にん/にち
-2019ねん-
開業かいぎょう年月日ねんがっぴ 1888ねん明治めいじ21ねん9月1にち
乗入のりいれ路線ろせん 4 路線ろせん
所属しょぞく路線ろせん 東海道新幹線とうかいどうしんかんせん
キロほど 293.6 km(東京とうきょう起点きてん
浜松はままつ (36.5 km)
所属しょぞく路線ろせん CA 東海道本線とうかいどうほんせん
えき番号ばんごう CA  42 
キロほど 293.6 km(東京とうきょう起点きてん
CA41 二川ふたかわ (6.9 km)
所属しょぞく路線ろせん CD 飯田線いいだせん
えき番号ばんごう CD  00 
キロほど 0.0 km(豊橋とよはし起点きてん
(1.5km) 船町ふなまち CD01►
所属しょぞく路線ろせん NH 名鉄めいてつ名古屋なごや本線ほんせん
えき番号ばんごう NH  01 
キロほど 0.0 km(豊橋とよはし起点きてん
(5.0km) 伊奈いな NH02►
乗換のりかえ しん豊橋とよはしえき豊橋鉄道とよはしてつどう渥美線あつみせん
駅前えきまえ停留ていりゅうじょう豊橋鉄道とよはしてつどう東田本線あずまだほんせん
備考びこう 共同きょうどう使用しようえき(2しゃ共同きょうどう管理かんり
JR東海とうかい駅長えきちょう配置はいちえき管理かんりえき
JR東海とうかいJR全線ぜんせんきっぷうりば ゆう
名鉄めいてつ駅員えきいん配置はいちえき
* 飯田線いいだせん名鉄めいてつえき1899ねんから1943ねんまで吉田よしだえき名乗なのっていた。
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西口にしぐち(2016ねん3がつ

豊橋とよはしえき(とよはしえき)は、愛知あいちけん豊橋とよはし花田はなたまち西宿にしじゅくにある、東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい)・日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどう(JR貨物かもつ)・名古屋鉄道なごやてつどう名鉄めいてつ)のえきである。

ほん項目こうもくでは関連かんれんふかい、飯田線いいだせん名鉄めいてつきゅうえき吉田よしだえき」(1899ねん - 1943ねん)についてもれる。

概要がいよう

愛知あいちけん東部とうぶひがしさんかわ地区ちく中心ちゅうしん都市とし豊橋とよはし位置いちし、その中心ちゅうしん市街地しがいち立地りっちするえきである[1]隣接りんせつするえきふくめて多数たすう鉄道てつどう路線ろせんび、くわえて路面ろめん電車でんしゃ路線ろせんバスなどの公共こうきょう交通こうつう機関きかん集中しゅうちゅうしており、「ひがしさんかわ交通こうつう拠点きょてん」として位置いちづけられている[1]

豊橋とよはしえきはJR東海とうかい・JR貨物かもつ名鉄めいてつの3しゃ運営うんえいする。れるのはJRの東海道新幹線とうかいどうしんかんせん東海道本線とうかいどうほんせんえき番号ばんごうCA42)・飯田線いいだせんえき番号ばんごうCD00)、名鉄めいてつ名古屋なごや本線ほんせんえき番号ばんごうNH01)のけい4路線ろせんである。えき名鉄めいてつれる3番線ばんせんふくめJRの施設しせつであり、名鉄めいてつはそこに入居にゅうきょするあつかいになっている。また、隣接りんせつするしん豊橋とよはしえきからは三河みかわ田原たはらえきまでをむす豊橋鉄道とよはしてつどう渥美線あつみせん駅前えきまえ停留ていりゅうじょうからは路面ろめん電車でんしゃ豊橋鉄道とよはしてつどう東田本線あずまだほんせんの2路線ろせんがそれぞれびている。

このうち愛知あいちけん県庁けんちょう所在地しょざいち名古屋なごやへは、JR東海道新幹線とうかいどうしんかんせん東海道とうかいどう本線ほんせん名鉄めいてつ名古屋なごや本線ほんせんの3路線ろせんつうじる。この区間くかんではJR東海とうかい名鉄めいてつ両社りょうしゃから各種かくしゅ特別とくべつ企画きかく乗車じょうしゃけん発売はつばいされており、はげしいシェアあらそいが展開てんかいされている。ただし豊橋とよはしえき両社りょうしゃの「共同きょうどう使用しようえき」であり、構内こうない共有きょうゆうしている。なお、2005ねんから名鉄めいてつせんよう発車はっしゃしるべ名鉄めいてつえきでは通常つうじょう省略しょうりゃくされる名鉄めいてつ岐阜ぎふ」「名鉄めいてつ一宮いちのみや」「名鉄めいてつ名古屋なごや名鉄めいてつ省略しょうりゃくせずに表示ひょうじしている。

貨物かもつ営業えいぎょう担当たんとうするJR貨物かもつ東海道とうかいどう本線ほんせん飯田線いいだせんにおいてだい2しゅ鉄道てつどう事業じぎょうしゃとして貨物かもつ列車れっしゃ運転うんてんしているが、豊橋とよはしえき停車ていしゃする貨物かもつ列車れっしゃ存在そんざいしない。ただし、コンテナ取扱とりあつかいえきとしての機能きのう豊橋とよはしオフレールステーションとして残存ざんそんする。

えき開業かいぎょう1888ねん明治めいじ21ねん)。当初とうしょからの東海道とうかいどう本線ほんせんくわ1897ねん明治めいじ30ねん)に飯田線いいだせん1927ねん昭和しょうわ2ねん)に名鉄めいてつせんれ、1964ねん昭和しょうわ39ねん)に東海道新幹線とうかいどうしんかんせん開通かいつうして現在げんざい路線ろせんもうができあがった。JRと名鉄めいてつの2しゃ運営うんえいする現在げんざい体制たいせいになったのは1987ねん昭和しょうわ62ねん)の国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいによるものである。同年どうねん3がつ15にちまで国鉄こくてつ二俣線ふたまたせん一部いちぶ列車れっしゃ東海道本線とうかいどうほんせん経由けいゆ直通ちょくつう運転うんてんしていたが、開始かいし時期じき不明ふめい

豊橋とよはしえき事務じむかんコードは、▲520135となっている[2]

東京とうきょうえきからの場合ばあい新幹線しんかんせん定期ていきけん発売はつばい可能かのう西にしげんえきとなる。

歴史れきし

きゅう豊橋とよはしえきジオラマ(こども来館らいかん

開業かいぎょうまでの経緯けいい

豊橋とよはしえきは、1888ねん明治めいじ21ねん9月1にち鉄道てつどういん路線ろせんえきとして開業かいぎょうした[3]当時とうじ正式せいしき路線ろせん名称めいしょう設定せっていされておらず、1895ねん明治めいじ28ねん)に「東海道とうかいどうせん」の路線ろせん名称めいしょうあたえられた。

開業かいぎょう発展はってん

えき開設かいせつされた所在地しょざいちは、豊橋とよはしまちではなく渥美あつみぐん花田はなたむら西宿にしじゅくだった[6]当時とうじまち中心ちゅうしんから西南せいなんやく600メートルはなれた場所ばしょ[7] とはいえ、えき開業かいぎょう豊橋とよはし発展はってんする契機けいきになった[7]駅前えきまえから市街地しがいち上伝馬かみてんままちまで停車場ていしゃじょうどおり(常盤ときわどおり)が建設けんせつされた。そのころえきとおりの周囲しゅういには田畑たはたひろがり、駅前えきまえには旅館りょかん3けん貨物かもつあつか運送うんそう1けんという状態じょうたいだった[8]。その徐々じょじょ様相ようそう変化へんかし、えき周辺しゅうへんあらたなまち中心ちゅうしんとして発展はってんしていった[7]。ちなみに、1906ねん明治めいじ39ねん)、豊橋とよはしまち花田はなたむら合併がっぺいして名実めいじつともに豊橋とよはしえきになった(その市制しせい施行しこう豊橋とよはしになった)。

1897ねん明治めいじ30ねん7がつ15にち豊川とよかわえきまで、豊川とよかわ鉄道てつどうという私鉄してつ路線ろせん開通かいつう。これは現在げんざい飯田線いいだせん一部いちぶにあたる。同社どうしゃ元々もともと宝飯ほいぐん下地しもじまちげん豊橋とよはし豊川とよかわ(とよがわ)北側きたがわ地域ちいき)と豊川とよかわえきむす鉄道てつどう計画けいかくしていた[9] が、豊川とよかわ架橋かきょうして豊橋とよはしえき接続せつぞくした[10]。こうして豊橋とよはしえき共用きょうようしていたが、1899ねん明治めいじ32ねん)に北側きたがわ独立どくりつして「吉田よしだえき」を開設かいせつした[11]。この吉田よしだえき大正たいしょう末期まっき改築かいちく階上かいじょう食堂しょくどう併設へいせつする、三角形さんかっけい側壁そくへき特徴とくちょうとする鉄筋てっきんコンクリートづくり建物たてものになった[12]

1908ねん明治めいじ41ねん)、隣接りんせつする高師たかしむらげん豊橋とよはし)に陸軍りくぐんだい15師団しだん設置せっちされた[13]。これを契機けいき玄関げんかんこう豊橋とよはしえきにも影響えいきょうあたえ、「市制しせい施行しこう以来いらい豊橋とよはしもっとおおきく変容へんようさせた」[13]記録きろくされている。乗客じょうきゃく貨物かもつ増加ぞうかし、戦時せんじにおける師団しだん移動いどう観点かんてんからもえき拡張かくちょう希求ききゅうされた[14]1911ねん明治めいじ44ねん)、えき拡張かくちょう工事こうじ着工ちゃっこう1916ねん大正たいしょう5ねん)、しん駅舎えきしゃ完成かんせい[15]開業かいぎょうからのきゅう駅舎えきしゃ建坪たてつぼやく45つぼ(150m2)の瓦葺かわらぶ平屋ひらやてだった[6] が、しん駅舎えきしゃやく145つぼ(480m2)のいしいわ葺平てで、くちには車寄くるまよせをもうけた近代きんだいてき建物たてものになった[16]

1920年代ねんだいには、豊橋とよはしえき周辺しゅうへん相次あいついで私鉄してつ路線ろせんくわわった。1925ねん大正たいしょう14ねん)、市内しない豊橋とよはし電気でんき軌道きどうげん豊橋鉄道とよはしてつどう東田本線あずまだほんせん)の路面ろめん電車でんしゃ開通かいつう駅前えきまえ北側きたがわかられる駅前えきまえ停留ていりゅうじょう設置せっちした。1927ねん昭和しょうわ2ねん)、渥美半島あつみはんとう田原たはらとをむす渥美あつみ電鉄でんてつげん豊橋鉄道とよはしてつどう渥美線あつみせん)が豊橋とよはしえきの400mほどみなみしん豊橋とよはしえき初代しょだいげん花田はなた信号しんごうしょ)を設置せっち同年どうねん愛知あいち電気でんき鉄道てつどう豊橋とよはしせんげん名鉄めいてつ名古屋なごや本線ほんせん)が豊川とよかわ鉄道てつどう吉田よしだえきれて全通ぜんつうした(後述こうじゅつ)。

どう1927ねん昭和しょうわ2ねん)、鐵道てつどうしょう豊橋とよはしえき再度さいど駅舎えきしゃ改築かいちく1929ねん昭和しょうわ4ねん)、西口にしぐち新設しんせつされた[17]

愛知あいち電気でんき鉄道てつどう

昭和しょうわ初期しょき絵葉書えはがき豊橋とよはしえき吉田よしだえき

名鉄めいてつ前身ぜんしんにあたる愛知あいち電気でんき鉄道てつどう以下いかあいでん)は、1927ねん6月1にちより吉田よしだえきれたが、以下いかのような経緯けいいによる。

1912ねん明治めいじ45ねん)、あいでん知多半島ちたはんとう西部せいぶ路線ろせんげん常滑線とこなめせん)を開通かいつうさせた。1917ねん大正たいしょう6ねん)、起点きてん神宮前じんぐうまええき名古屋なごや)よりひがし路線ろせんばしはじめた[18]1923ねん大正たいしょう12ねん)、ひがし岡崎おかざきえき岡崎おかざき)へ到達とうたつ1926ねん大正たいしょう15ねん)、豊川とよかわ鉄道てつどう小坂井こざかいえき豊川とよかわ鉄道てつどう吉田よしだえきから当時とうじ2つえき)にれた。

豊橋とよはし方面ほうめんへは、あいでん小坂井こざかいえき南方なんぽう伊奈いなえき - 吉田よしだえきまでの単線たんせん新設しんせつうえ既存きそん豊川とよかわ鉄道てつどうせん単線たんせんわせて複線ふくせんとして両社りょうしゃ共用きょうようする方式ほうしきをとり、しんせんが1927ねん6がつ1にち開通かいつう吉田よしだえきれをたして[19]あいでん豊橋とよはしせん神宮前じんぐうまえ - 吉田よしだあいだ全通ぜんつうとなった。

全通ぜんつうした豊橋とよはしせんには高速こうそく運転うんてんをする特急とっきゅう列車れっしゃ急行きゅうこう列車れっしゃ新設しんせつされ、その所要しょよう時間じかん特急とっきゅう63ふん急行きゅうこう72ふんどう区間くかん鉄道てつどうしょう東海道とうかいどうせんして40 - 50ふんはや高速こうそく運転うんてん実施じっしした。さらに1930ねん昭和しょうわ5ねん)からは「ちょう特急とっきゅうあさひ」が1往復おうふく新設しんせつされ、神宮前じんぐうまえ - 吉田よしだあいだを57ふんむすんだ。このようなあいでん優位ゆういにより、短期間たんきかん乗客じょうきゃく東海道とうかいどうせんからあいでんながれた[20]

1935ねん昭和しょうわ10ねん)、あいでんめい鉄道てつどう合併がっぺい名古屋なごや鉄道てつどうになった。

太平洋戦争たいへいようせんそうなか1943ねん昭和しょうわ18ねん)、豊川とよかわ鉄道てつどう路線ろせん国有こくゆうされ、国鉄こくてつ飯田線いいだせん一部いちぶとなった。これにともな吉田よしだえき豊橋とよはしえき併合へいごうされ[21]吉田よしだえき共同きょうどう使用しようしていた名鉄めいてつ豊橋とよはしえきへのれ・国鉄こくてつとの共同きょうどう使用しようへと変更へんこうされた[22]同様どうよう線路せんろ共用きょうよう複線ふくせんは、買収ばいしゅう国鉄こくてつ直接的ちょくせつてきなライバル関係かんけいになったものの解消かいしょうはされず、JRになった現在げんざいでも継続けいぞくしておこなわれている。

戦災せんさい復興ふっこう

太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっき1945ねん昭和しょうわ20ねん6月19にちよる豊橋とよはしまちアメリカぐんによって空襲くうしゅうされた(豊橋とよはし空襲くうしゅう)。市街地しがいちやく90%が焼失しょうしつする被害ひがい[23]豊橋とよはしえき機関きかん配電はいでんしつのぞいて被災ひさい[24]駅舎えきしゃ全焼ぜんしょうした。東海道とうかいどう本線ほんせん平常へいじょう運転うんてんふくするのに1週間しゅうかんようし、えき一般いっぱん乗降じょうこうきゃくあつか再開さいかいは7がつ20にちだった[24]飯田線いいだせんは6がつ22にちに、名鉄めいてつせんよく23にち再開さいかいした[24]空襲くうしゅう駅舎えきしゃ東海道とうかいどう本線ほんせんがわバラック営業えいぎょうつづ[25]飯田線いいだせん名鉄めいてつせんがわきゅう吉田よしだえき)についてはコンクリートかべだけがのこった残骸ざんがいのまま使用しようされていた[26][27])。

空襲くうしゅうから5ねん1950ねん昭和しょうわ25ねん)、しん駅舎えきしゃ再建さいけんされた[28]。この駅舎えきしゃは、国鉄こくてつ以外いがい企業きぎょう自治体じちたいなどが駅舎えきしゃ改築かいちく工事こうじ分担ぶんたんし、竣工しゅんこう一部いちぶ商業しょうぎょう施設しせつなどに使用しようする「民衆みんしゅうえき」のだい1ごうとして有名ゆうめいである[29]木造もくぞう2かいて・建坪たてつぼ560つぼ(1850m2)で、1かい飲食いんしょくてん理髪りはつてん雑貨ざっかてんなど民間みんかん商業しょうぎょう施設しせつが、2かいには市民しみん出資しゅっしの「豊栄とよひで百貨店ひゃっかてん」が入居にゅうきょした[30]どう時期じきに、駅前えきまえ広場ひろば拡張かくちょう実施じっしされた。従来じゅうらい広場ひろば面積めんせきは4,000m2拡張かくちょうして18,600m2とした。広場ひろばには、防火ぼうか用水ようすい広場ひろば美化びか目的もくてき噴水ふんすい設置せっちされた[31]

戦後せんご展開てんかい

1970ねん改築かいちくの5代目だいめ駅舎えきしゃ(1992ねん

1953ねん昭和しょうわ28ねん)、東海道とうかいどう本線ほんせん電化でんか区間くかん豊橋とよはしえき名古屋なごやえきまで到達とうたつした。これにあわせて東京とうきょうえき大阪おおさかえきむす特急とっきゅうはと」が豊橋とよはしえきへの停車ていしゃ開始かいしした[32]

一方いっぽう名鉄めいてつ1948ねん昭和しょうわ23ねん)、めい岐線と豊橋とよはしせん一体化いったいかして豊橋とよはしえき新岐阜しんぎふえき岐阜ぎふけん岐阜ぎふげん名鉄めいてつ岐阜ぎふえき)をむすぶ「名古屋なごや本線ほんせん」と改称かいしょうした。ともなって豊橋とよはし岐阜ぎふむす直通ちょくつう列車れっしゃ運転うんてん開始かいし[33]

1964ねん昭和しょうわ39ねん10月1にち東海道新幹線とうかいどうしんかんせん東京とうきょうえきから新大阪しんおおさかえきまで開通かいつう。このとき、豊橋とよはしえきにも新幹線しんかんせんえき新設しんせつされた[34]新幹線しんかんせんえき建設けんせつされた豊橋とよはしえき西口にしぐち鉄筋てっきんコンクリートづくり2かいての橋上はしがみ駅舎えきしゃ改築かいちくされた[29][35]

その新幹線しんかんせん開通かいつうひがしさんかわ地域ちいき工業こうぎょう開発かいはつにより乗降じょうこう客数きゃくすうのさらなる増加ぞうか見込みこまれ、駅舎えきしゃ改築かいちく開始かいし[36][ちゅう 1]改築かいちく先立さきだち、初代しょだい民衆みんしゅうえき2かいにあった「豊栄ほうえい百貨店ひゃっかてん」は1968ねん昭和しょうわ43ねん)にえき東口ひがしぐちしんビルを地下ちか1かい地上ちじょう7かいての「シャルマン豊栄ほうえい」として移転いてんした。しかし2ねん火災かさい発生はっせい営業えいぎょう休止きゅうししている。

1970ねん昭和しょうわ45ねん)、完成かんせいされたしん駅舎えきしゃは、地下ちか1かい地上ちじょう3かい[36]鉄筋てっきんコンクリートづくりえきビルとして開業かいぎょうした[37]えきビル「豊橋とよはしステーションビル」は100あまりの店舗てんぽ入居にゅうきょする商業しょうぎょう施設しせつねており、運営うんえい会社かいしゃとして豊橋とよはし出資しゅっしする豊橋とよはしステーションビル株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつされた[36]。また、えきビル建設けんせつ平行へいこうして駅前えきまえ整備せいびにも着手ちゃくしゅ駅前えきまえ混雑こんざつ解消かいしょう歩行ほこうしゃ車両しゃりょう分離ぶんりはかり、1976ねん昭和しょうわ51ねん)までに東口ひがしぐちコンコースと駅前えきまえがいなどをむす地下道ちかどうと、西口にしぐち東口ひがしぐちむす東西とうざい連絡れんらく地下道ちかどうからなる、そう延長えんちょうやく700mの地下道ちかどう完成かんせいさせた[36]

JR発足ほっそく

1987ねん昭和しょうわ62ねん)、国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいにより国鉄こくてつ豊橋とよはしえき旅客りょかく営業えいぎょうはJR東海とうかいに、貨物かもつ営業えいぎょうはJR貨物かもつ継承けいしょうされた。

豊橋とよはしえきのJR発足ほっそくおおきな事業じぎょうとして、えきビルの再度さいど改築かいちくがある。JR東海とうかい会社かいしゃ発足ほっそく当時とうじから、1970ねん建築けんちくから20すうねん陳腐ちんぷしたえきビルのリニューアルを計画けいかくしていた。豊橋とよはしがわでも東西とうざい自由じゆう通路つうろ整備せいびえき周辺しゅうへん活性かっせいはか計画けいかくがあり、1990ねん平成へいせい2ねん)にJR東海とうかいえきビルリニューアル・自由じゆう通路つうろ整備せいびとう推進すいしん合意ごうい東西とうざい自由じゆう通路つうろ橋上はしがみ駅舎えきしゃ東口ひがしぐち駅前えきまえ広場ひろば整備せいびえきビルぞう改築かいちくからなる「豊橋とよはしえき総合そうごう開発かいはつ事業じぎょう」がすすめられることになった。1994ねん平成へいせい6ねん)に本体ほんたい工事こうじ着手ちゃくしゅ市政しせい90周年しゅうねんわせた1996ねん平成へいせい8ねん)、まずだい1段階だんかいとして自由じゆう通路つうろ橋上はしがみ駅舎えきしゃ完成かんせいだい2段階だんかいとして1997ねん平成へいせい9ねん)までに商業しょうぎょう施設しせつとホテルからなるえきビルが開業かいぎょうした[29][38]えきビルは既存きそんビルに2そう増築ぞうちくして5かいてのビルとし、その線路せんろがわに13かいてのホテルとう新築しんちくしてゆか面積めんせき従来じゅうらいの4ばいにあたるやく40,000m2とした[38]東口ひがしぐち駅前えきまえ広場ひろば整備せいび1998ねん平成へいせい10ねん)に完成かんせいやく5,000m2ペデストリアンデッキ整備せいびされ、デッキの1かい部分ぶぶんにはバスタクシー路面ろめん電車でんしゃといった公共こうきょう交通こうつう機関きかんのターミナル機能きのう集約しゅうやくされた。このうち路面ろめん電車でんしゃについては軌道きどうやく150m延伸えんしんされ、えき直結ちょっけつするかたちとなった[39]

つづいて2004ねん平成へいせい16ねん)から、東口ひがしぐち南側みなみがわ地域ちいきにおいてさい開発かいはつ事業じぎょう開始かいしされた。駅近えきちかくにありながら東海道とうかいどう本線ほんせん豊橋鉄道とよはしてつどう渥美線あつみせんはさまれているためてい利用りようだった(それまで駐車ちゅうしゃじょうとして使用しようされていた)貨物かもつえき操車そうしゃじょう跡地あとちさい開発かいはつする事業じぎょうである[40][41]2008ねん平成へいせい20ねん)3がつしん豊橋とよはしえきとの距離きょり短縮たんしゅくする南口みなみぐち自由じゆう連絡れんらく通路つうろ整備せいびされ[41]、6がつ渥美線あつみせんしん豊橋とよはしえき移設いせつ完成かんせいてい利用りよう活用かつよう渥美線あつみせんとの利便りべんせい向上こうじょう達成たっせいされた[42]

年表ねんぴょう

豊橋とよはしえき東口ひがしぐちサークルプラザ

えき構造こうぞう

ホーム・配線はいせん

豊橋とよはしえきホームは、おおきくけて東側ひがしがわにJRの在来ざいらいせん東海道とうかいどう本線ほんせん飯田線いいだせん)と名鉄めいてつせんのホームが、西側にしがわ新幹線しんかんせんのホームが配置はいちされている。新幹線しんかんせんえき高架こうかえきであるれいおおいが、豊橋とよはしえき地上ちじょうえきで、在来ざいらいせんのみならず新幹線しんかんせん線路せんろやホームがほぼ地平ちへいレベルに存在そんざいする[ちゅう 2]えき前後ぜんご高架線こうかせんであるが、豊橋とよはしえき周辺しゅうへんだけが地上ちじょうりているのは、えきのすぐ北側きたがわ新大阪しんおおさか方面ほうめん)に県道けんどう388号線ごうせんしろ海津かいづ(しろかいづ)跨線橋こせんきょうがあるためである[61]

在来ざいらいせん名鉄めいてつせん

在来ざいらいせん名鉄めいてつせんのホームはけい5めん8せん[61]。ホームの形状けいじょうは、片側かたがわのみに線路せんろせっする単式たんしきホーム(1めん1せん)、両側りょうがわ線路せんろせっするしましきホーム(2めん4せん)、そしてホームのはしどういち平面へいめんつながったあたまはししきホーム櫛形くしがたホーム・2めん3せん)が混在こんざいする[61]。ホーム番号ばんごう東側ひがしがわ起点きてんに1番線ばんせんから8番線ばんせんまであり、あたまはししきホームの3せんが1・2・3番線ばんせん単式たんしきホームの1せんが4番線ばんせんしましきホームの4せんが5・6・7・8番線ばんせんである[61]あたまはししきホームは4番線ばんせん単式たんしきホームの北側きたがわいたかたちで、どういち平面へいめんじょう移動いどう可能かのうである[61]。1 - 4番線ばんせんのホームより有効ゆうこうちょうみじかい(1・2・4番線ばんせんがJRせん6りょう、3番線ばんせん名鉄めいてつせん8りょうにそれぞれ対応たいおう)。

1・2番線ばんせん飯田線いいだせん列車れっしゃが、3番線ばんせん名鉄めいてつせん列車れっしゃ発着はっちゃく[ちゅう 3]、4 - 8番線ばんせんには東海道とうかいどう本線ほんせん列車れっしゃ発着はっちゃくする[61]。ただし、ごくわずかだが4番線ばんせん使用しようする飯田線いいだせん列車れっしゃもある[61]

飯田線いいだせん列車れっしゃが1・2番線ばんせん入線にゅうせんちゅう名鉄めいてつせん列車れっしゃ出発しゅっぱつ可能かのうだが、名鉄めいてつせん列車れっしゃ入線にゅうせんちゅうに1・2番線ばんせん飯田線いいだせん列車れっしゃ出発しゅっぱつまたは飯田線いいだせん列車れっしゃ出発しゅっぱつちゅう名鉄めいてつせん列車れっしゃ入線にゅうせん不可ふかとなっている。東海道とうかいどう本線ほんせんのぼり、くだ列車れっしゃともに4 - 8番線ばんせん各線かくせんから出発しゅっぱつはできるが、入線にゅうせんのぼ列車れっしゃが4 - 6番線ばんせんくだ列車れっしゃが7・8番線ばんせんかぎられる。

このため、浜松はままつ方面ほうめんから飯田線いいだせんれる列車れっしゃ設定せっていされる場合ばあいは、豊橋とよはしえき停車ていしゃ西小坂井にしこざかいえきまでげられ、西小坂井にしこざかいえき留置りゅうちせん方向ほうこう転換てんかんののち4番線ばんせんさい入線にゅうせんする。現在げんざいでも飯田線いいだせん特急とっきゅう伊那いな」に使用しようされる373けい電車でんしゃ浜松はままつえきから普通ふつう列車れっしゃまたは回送かいそう列車れっしゃとして豊橋とよはしえきまでおくまれるが、このさいにも豊橋とよはしえきくだせん入線にゅうせんしたのち、上述じょうじゅつ経路けいろ豊橋とよはし運輸うんゆまでてんせん余儀よぎなくされている。かつて、静岡しずおか地区ちく拠点きょてんジョイフルトレインゆうゆう東海とうかい」や急行きゅうこうがた電車でんしゃ使用しようした飯田線いいだせん直通ちょくつう運転うんてん臨時りんじ観光かんこう列車れっしゃ頻繁ひんぱん運行うんこうされた時期じきがあるが、このさいにはおおくの場合ばあい乗客じょうきゃくせたまま豊橋とよはし - 西小坂井にしこざかいあいだ往復おうふくしていた。このてんせん措置そち東海道とうかいどう本線ほんせん浜松はままつ方面ほうめんから飯田線いいだせんれる場合ばあいにのみおこなわれているものであり、飯田いいだせんから東海道とうかいどう本線ほんせん浜松はままつ方向ほうこう直通ちょくつうする場合ばあい、あるいは名古屋なごや方面ほうめん飯田線いいだせんとの相互そうごあいだ直通ちょくつう運転うんてんさいしてはこのようなてんせん措置そち不要ふようであるためおこなわれない。

ホームの使用しようじょうきょうひょうしめすと以下いかのとおりである。

豊橋とよはしえき在来ざいらいせん名鉄めいてつせんプラットホーム
番線ばんせん 路線ろせん 方向ほうこう 行先ゆくさき
1 CD 飯田線いいだせん くだ 豊川とよかわ飯田いいだ方面ほうめん
2
3 NH 名古屋なごや本線ほんせん ひがし岡崎おかざき金山かなやま名鉄めいてつ名古屋なごや方面ほうめん[63]
4 CD 飯田線いいだせん 豊川とよかわ飯田いいだ方面ほうめん
CA 東海道本線とうかいどうほんせん 名古屋なごや方面ほうめん
5 - 8 CA 東海道本線とうかいどうほんせん 名古屋なごや方面ほうめん
のぼ 浜松はままつ静岡しずおか方面ほうめん

出典しゅってんJR東海とうかい:えき構内こうない

また、ホームじょうにはICカード乗車じょうしゃけんようのJR(新幹線しんかんせん利用りようふくむ)・名鉄めいてつよう簡易かんい改札かいさつ設置せっちされている[64][65]名鉄めいてつせんのみ利用りよう場合ばあいはタッチの必要ひつようはない。

8番線ばんせん西側にしがわにもう1めんしましきホームがある。これはかつて豊橋とよはしえきまで直通ちょくつう運転うんてんしていた二俣線ふたまたせんげん天竜てんりゅう浜名湖はまなこ鉄道てつどう天竜浜名湖線てんりゅうはまなこせん、2つひがし新所原しんじょはらえき起点きてん)のホームで、直通ちょくつう運転うんてんをとりやめた現在げんざいでは留置とめおき使用しようされるのみである[61]。このため9・10番線ばんせん欠番けつばんとなっている[61]

構内こうないにはホームに隣接りんせつしない線路せんろ複数ふくすう存在そんざいする[61]。そのうち東海道とうかいどう本線ほんせん浜松はままつ東側ひがしがわびる線路せんろは、豊橋鉄道とよはしてつどう渥美線あつみせん花田はなた信号しんごうしょつながる[61]。ここはかつて渥美線あつみせんとのあいだ貨車かしゃわたしがおこなわれた場所ばしょで、新車しんしゃ搬入はんにゅうさいなどに使用しようされたことがある[61]。また構内こうない名古屋なごやり(1・2番線ばんせんホーム北側きたがわ)には豊橋とよはし運輸うんゆ設置せっちされている[66]

建設けんせつ経緯けいいから飯田線いいだせん前身ぜんしん豊川とよかわ鉄道てつどう名鉄めいてつ前身ぜんしん愛知あいち電気でんき鉄道てつどうは、豊橋とよはしえきから平井ひらい信号しんごうじょうまでのやく4kmの区間くかんにおいて線路せんろ共用きょうようしたが、これは両者りょうしゃがJR東海とうかい名鉄めいてつとなった現在げんざいでものこる。この共用きょうよう区間くかんでは、名鉄めいてつ列車れっしゃ本数ほんすうは1あいだあたり最大さいだい6ほん協定きょうていによって制限せいげんされている[61]。また駅名えきめいしるべは、名鉄めいてつせんのものについてもJRの様式ようしき設置せっちされている[67]

新幹線しんかんせん

新幹線しんかんせんのホームはけい2めん3せんで、ホームの形状けいじょう単式たんしきホーム(1めん1せん)およびしましきホーム(1めん2せん)である[61]。ホーム番号ばんごう東側ひがしがわ在来ざいらいせんがわ)から11番線ばんせん・12番線ばんせん・13番線ばんせんじゅんで、しましきホーム東側ひがしがわが11番線ばんせん、その反対はんたいがわが12番線ばんせん単式たんしきホームが13番線ばんせんである[61]基本きほんてきに、12番線ばんせんのぼ列車れっしゃが、13番線ばんせんくだ列車れっしゃ使用しようする[61]。11番線ばんせんはダイヤがみだれたさい予備よびのホームで通常つうじょう列車れっしゃ発着はっちゃくせず、工事こうじよう車両しゃりょう留置とめおききょうされる[61]。12番線ばんせんと13番線ばんせんあいだには上下じょうげ通過つうかせんとお[61]

豊橋とよはしえき新幹線しんかんせんプラットホーム
番線ばんせん 路線ろせんめい 方向ほうこう 行先ゆくさき
11・12 ■ 東海道新幹線とうかいどうしんかんせん のぼ 東京とうきょう方面ほうめん
13 くだ 新大阪しんおおさか方面ほうめん

出典しゅってんJR東海とうかい:えき構内こうない

駅舎えきしゃ

駅舎えきしゃ東西とうざい自由じゆう通路つうろ併設へいせつする橋上はしがみ駅舎えきしゃ[29] であり、ホームの上空じょうくう部分ぶぶん設置せっちされている。橋上はしがみ改札かいさつかいとホームの移動いどうよう階段かいだんのほか、エスカレーターエレベーターかくホームに設置せっちされている[68]改札かいさつこうはJRせん名鉄めいてつせん改札かいさつこう新幹線しんかんせん改札かいさつこうの2かしょで、どちらも自由じゆう通路つうろめんする[68]

JR全線ぜんせんきっぷうりば設置せっちえき。JR東海とうかいえきとしては駅長えきちょう配置はいちえき直営ちょくえいえき)であり、管理かんりえきとして二川ふたがわえき管理かんりしている[69]

名鉄めいてつせん有人ゆうじん窓口まどぐち改札かいさつまえと3番線ばんせん入口いりくち(いずれもJRせんへは業務ぎょうむ委託いたくされておらずめい鉄線てっせん係員かかりいんによる直営ちょくえい)の2ヶ所かしょ。ミューチケットはこれらの窓口まどぐちのほか、改札かいさつがいにある3だい自動じどう券売けんばい発売はつばいしている。改札かいさつないにミューチケット券売けんばい設置せっちされていない。manacaは有人ゆうじん窓口まどぐちおよび自動じどう券売けんばい常時じょうじ購入こうにゅう可能かのう

えきビル

えきビル東口ひがしぐちがわにあり、橋上はしがみ駅舎えきしゃとあわせて整備せいびされた。地下ちか1かい地上ちじょう5かいての建造けんぞうぶつと、飯田線いいだせん名鉄めいてつせん上空じょうくう部分ぶぶんふくめた地上ちじょう13かいての高層こうそうとう一体いったいとなったビルである[29]名称めいしょうは「豊橋とよはしステーションビル」で、地下ちか1かいから地上ちじょう4かいまでが商業しょうぎょう施設しせつ地上ちじょう1・2かい一部いちぶと5かいから13かいまでがホテルとして使用しようされている[70]商業しょうぎょう施設しせつ名称めいしょうは「カルミア」で豊橋とよはしステーションビル株式会社かぶしきがいしゃ運営うんえい、ホテルの名称めいしょうは「ホテルアソシア豊橋とよはし」で株式会社かぶしきがいしゃジェイアール東海とうかいホテルズ運営うんえいする。ビルの2かい部分ぶぶんえき改札かいさつこうつうじる自由じゆう通路つうろとおり、その自由じゆう通路つうろから豊橋鉄道とよはしてつどうしん豊橋とよはしえきつうじる南口みなみぐち自由じゆう連絡れんらく通路つうろかれる[71]

配線はいせん

豊橋とよはしえき 鉄道てつどう配線はいせん略図りゃくず


新横浜しんよこはま
東京とうきょう方面ほうめん







浜松はままつ
静岡しずおか方面ほうめん






高師たかし
三河みかわ田原たはら方面ほうめん
豊橋駅 鉄道配線略図

名古屋なごや
新大阪しんおおさか方面ほうめん






岡崎おかざき
名古屋なごや方面ほうめん
豊川とよかわ
飯田いいだ方面ほうめん
ひがし岡崎おかざき
名鉄めいてつ名古屋なごや方面ほうめん
赤岩あかいわくち運動公園前うんどうこうえんまえ方面ほうめん
凡例はんれい
出典しゅってん:[61]
新幹線しんかんせんがわ側線そくせん豊橋とよはし保線ほせんしょ構内こうない一部いちぶさんせん軌条きじょうとなっており、軌間きかんことなる在来ざいらいせん側線そくせんつながっている[61]


貨物かもつあつか

豊橋とよはしオフレールステーション

豊橋とよはしオフレールステーション(船町ふなまちえきより撮影さつえい

豊橋とよはしオフレールステーション略称りゃくしょう豊橋とよはしORS)は、豊橋とよはし北島きたじままち中川原なかかわはら船町ふなまちえき北東ほくとうがわ)にあるJR貨物かもつコンテナ取扱とりあつかいえきである[72]。コンテナ取扱とりあつかいえきながら貨物かもつ列車れっしゃ発着はっちゃくせず、列車れっしゃ輸送ゆそうにかえてさいよせ列車れっしゃ発着はっちゃくえきまでトラックによる代行だいこう輸送ゆそうおこなう「オフレールステーション」のひとつ[73]豊橋とよはしORSの場合ばあい、トラック便びん西にし浜松はままつえき浜松はままつ)とのあいだに1にち3往復おうふく設定せっていされている[74]大型おおがたコンテナおよび産業さんぎょう廃棄はいきぶつあつかいは豊橋とよはしORSではおこなっていない[72]

豊橋とよはしえきはかつて貨物かもつ列車れっしゃ発着はっちゃくしていたが、1998ねん平成へいせい10ねん10月3にちより発着はっちゃくのない「自動車じどうしゃ代行だいこうえき」に変更へんこうされた[50]。さらに2006ねん平成へいせい18ねん4がつ1にち、トラックで代行だいこう輸送ゆそうおこなうコンテナ基地きち名称めいしょう統一とういつしたさい、ORSとなった[75]列車れっしゃ発着はっちゃくがないものの豊橋とよはしORSには線路せんろのこる。しかし、車止くるまど設置せっちされており旅客りょかくえきがわとは分断ぶんだんされている[61]

その

国鉄こくてつ(のちJR貨物かもつ)が展開てんかいする「物資ぶっしべつ適合てきごう輸送ゆそう」の1つにかつては飼料しりょう輸送ゆそうがあり、国鉄こくてつ日本にっぽん飼料しりょうターミナル株式会社かぶしきがいしゃ1969ねん昭和しょうわ44ねん)に設立せつりつ配合はいごう飼料しりょう中継ちゅうけいサイロ基地きち養鶏ようけいさかんな場所ばしょへと設置せっちしていた。この中継ちゅうけい基地きちが1969ねん12月、豊橋とよはしえきにも新設しんせつされている。しかし、1970年代ねんだい後半こうはん以降いこう利用りよう低下ていか基地きち閉鎖へいさされ、会社かいしゃそのものも1986ねん昭和しょうわ61ねん)に解散かいさんした[76]

豊橋とよはしえき貨車かしゃ操車そうしゃじょう機能きのうっていた時期じきがある。飯田線いいだせん沿線えんせん佐久間さくまダム建設けんせつさい、ダム建設けんせつ資材しざい輸送ゆそうのための飯田線いいだせん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう一環いっかんとして、豊橋とよはしえき操車そうしゃじょう機能きのう強化きょうかされ、1955ねん昭和しょうわ30ねんえき拡張かくちょうされた[77]操車そうしゃじょうとしての分類ぶんるい1978ねん10がつダイヤ改正かいせい時点じてんで「地区ちく指定してい組成そせいえき」であった[78] が、1984ねん2がつダイヤ改正かいせいともなうヤード集結しゅうけつけい貨物かもつ輸送ゆそう廃止はいしによって役目やくめえた。

ダイヤ

名古屋なごや方面ほうめんには、JR東海道とうかいどう本線ほんせん東海道とうかいどう新幹線しんかんせん名鉄めいてつ名古屋なごや本線ほんせん競合きょうごうしているため、高速こうそく高密度こうみつどはかられている。東海道とうかいどう本線ほんせんは、2006ねん10月から平日へいじつ早朝そうちょうは8ふんおきに名古屋なごや方面ほうめんへの快速かいそく列車れっしゃ発車はっしゃし、名鉄めいてつ平日へいじつ始発しはつから7だいまですべての列車れっしゃ特急とっきゅう列車れっしゃへと改正かいせいし(2011ねん3がつより名鉄めいてつは8だいまで拡大かくだいしたが2023ねん3がつより平日へいじつ休日きゅうじつとも始発しはつ急行きゅうこう平日へいじつのみ特別とくべつしゃ開放かいほう)に格下かくさげ)、JR快速かいそく名鉄めいてつ特急とっきゅうとも名古屋なごやえき名鉄めいてつ名古屋なごやえきまで最短さいたん50ふんじゃく到達とうたつする。JR東海とうかいからは「名古屋なごや往復おうふくきっぷ」「JR名古屋なごや豊橋とよはしカルテットきっぷ」、名鉄めいてつからは「なごやとくわり2」「なごやとくわり30」という特別とくべつ企画きかく乗車じょうしゃけん発売はつばいされており、現在げんざいはげしいシェアあらそいが展開てんかいされている。東海道とうかいどう本線ほんせん運行うんこう形態けいたいはおおむね普通ふつう列車れっしゃ2ほん(30ふんヘッド)・快速かいそく列車れっしゃ4ほん各種かくしゅ15ふんヘッド)であるが、朝夕あさゆう増便ぞうびんされる。夜間やかん普通ふつう列車れっしゃわりに区間くかん快速かいそく運用うんようする[ちゅう 4]にちちゅう名鉄めいてつ運行うんこう形態けいたい急行きゅうこう列車れっしゃ2ほん(30ふんヘッド)・特急とっきゅう列車れっしゃ4ほん各種かくしゅ13・17ふんヘッド)である。名鉄めいてつとうえきへの終電しゅうでん従来じゅうらい名鉄めいてつ名古屋なごやえきを2243ふん名鉄めいてつ岐阜ぎふえき2213ふん)に発車はっしゃしていたが(とうえき2337ふん)、2021ねん5がつよりやく17ふんがり、名鉄めいてつ名古屋なごやえき23名鉄めいてつ岐阜ぎふえき2231ふんはつとなった(とうえき2351ふん)。ただし、自社じしゃえきではないので夜間やかんとどこおはくおこなわない。到着とうちゃく回送かいそう伊奈いなえきかえし、翌朝よくあさまで停泊ていはくする。また、とうえきはつ最終さいしゅう急行きゅうこう発車はっしゃ時刻じこくやく7ふんがり、2341ふんはつとなった(終点しゅうてん鳴海なるみえきには027ふん到着とうちゃく)。名鉄めいてつのミュースカイ・快速かいそく急行きゅうこう準急じゅんきゅう普通ふつう列車れっしゃとうえき発着はっちゃくしない。

浜松はままつ方面ほうめんには、東海道とうかいどう本線ほんせん普通ふつう列車れっしゃ各駅かくえき停車ていしゃおよび一部いちぶ快速かいそく列車れっしゃ直通ちょくつう距離きょり36.5 km)が、おおむね1あいだに3ほんほど運行うんこうされている[ちゅう 5]

飯田線いいだせんには、特急とっきゅう伊那いな」のほか、豊川とよかわえき以北いほく普通ふつう列車れっしゃ一部いちぶのぞ船町ふなまちえき下地しもじえき通過つうか)がおおむね1あいだに1〜2ほんほど豊川とよかわえきかえしの区間くかん列車れっしゃおおむね1あいだに2ほんほど運行うんこうされている。

東海道新幹線とうかいどうしんかんせんは、「のぞみ」はぜん列車れっしゃ通過つうかし、東京とうきょう - 名古屋なごや新大阪しんおおさかあいだの「ひかり」が上下じょうげほぼ2あいだごとと「こだま」が停車ていしゃする。「ひかり」にかんしては早朝そうちょう深夜しんやたいのぞき、豊橋とよはし発着はっちゃくする東京とうきょう方面ほうめん列車れっしゃ新横浜しんよこはままで停車ていしゃしない。

JR在来ざいらいせん優等ゆうとう列車れっしゃは、飯田線いいだせん特急とっきゅう伊那いな」(豊橋とよはしえき発着はっちゃく)が停車ていしゃする[ちゅう 6]

ぼん期間きかんと12月29にち名鉄めいてつ休日きゅうじつダイヤとなるが、JRの平日へいじつダイヤにわせるためにあさ一部いちぶ列車れっしゃにおいてとうえき発着はっちゃく時刻じこくすうふん変更へんこうされる。

利用りようじょうきょう

旅客りょかく

国鉄こくてつ・JR東海とうかい 年度ねんどべつ年間ねんかん乗車じょうしゃ人員じんいん推移すいい愛知あいちけん統計とうけい年鑑ねんかん豊橋とよはし統計とうけいしょ
定期ていき 定期ていき 定期ていき定期ていき
名古屋鉄道なごやてつどう 年度ねんどべつ年間ねんかん乗車じょうしゃ人員じんいん推移すいい愛知あいちけん統計とうけい年鑑ねんかん豊橋とよはし統計とうけいしょ
定期ていき 定期ていき 定期ていき定期ていき

愛知あいちけん統計とうけい年鑑ねんかん』、『豊橋とよはし統計とうけいしょ各号かくごうによると、いちにち平均へいきん乗車じょうしゃ人員じんいん推移すいい以下いかとおりである。

いちにち平均へいきん乗車じょうしゃ人員じんいん推移すいい
とし国鉄こくてつ
JR東海とうかい
名古屋鉄道なごやてつどう備考びこう
総数そうすう定期ていき
1976(昭和しょうわ51)年度ねんど25978[79]
1977(昭和しょうわ52)年度ねんど24771[80]
1978(昭和しょうわ53)年度ねんど240072103312823[81]
1979(昭和しょうわ54)年度ねんど235362114812660[82]
1980(昭和しょうわ55)年度ねんど235742140612777[83]
1981(昭和しょうわ56)年度ねんど231342147912942[84]
1982(昭和しょうわ57)年度ねんど228161973511740[85]
1983(昭和しょうわ58)年度ねんど224352064412642[86]
1984(昭和しょうわ59)年度ねんど223582071412734[87]
1985(昭和しょうわ60)年度ねんど216672052912625[88]
1986(昭和しょうわ61)年度ねんど221472026412496[89]
1987(昭和しょうわ62)年度ねんど219862021412615[90]
1988(昭和しょうわ63)年度ねんど236941904611560[91]
1989(平成へいせいもと年度ねんど237871919911661[92]
1990(平成へいせい02)年度ねんど252981905811874[93]
1991(平成へいせい03)年度ねんど269711899011770[94]
1992(平成へいせい04)年度ねんど275961921211998[95]
1993(平成へいせい05)年度ねんど274511977012366[96]
1994(平成へいせい06)年度ねんど270291993012659[97]
1995(平成へいせい07)年度ねんど266331954912570[98]
1996(平成へいせい08)年度ねんど269101931612248[99]
1997(平成へいせい09)年度ねんど265741867811806[100]
1998(平成へいせい10)年度ねんど259891810211430[101]
1999(平成へいせい11)年度ねんど253551763611044[102]
2000(平成へいせい12)年度ねんど257061691710499[103]
2001(平成へいせい13)年度ねんど256101641610045[104]
2002(平成へいせい14)年度ねんど19583157899594[105]
2003(平成へいせい15)年度ねんど25218158329605[106]
2004(平成へいせい16)年度ねんど25700156609659[107]
2005(平成へいせい17)年度ねんど263421749011273[108]
2006(平成へいせい18)年度ねんど265601724311096[109]
2007(平成へいせい19)年度ねんど270451708210952[110]
2008(平成へいせい20)年度ねんど273131703710992[111]
2009(平成へいせい21)年度ねんど261381643310911[112][113]
2010(平成へいせい22)年度ねんど264961665111065[114][113]
2011(平成へいせい23)年度ねんど265711700911415[115][113]
2012(平成へいせい24)年度ねんど268511655910983[116][113]
2013(平成へいせい25)年度ねんど277971711711396[117][113]
2014(平成へいせい26)年度ねんど274241699211212[118][119]
2015(平成へいせい27)年度ねんど281991737211421[120][119]
2016(平成へいせい28)年度ねんど285501749411480[121][119]
2017(平成へいせい29)年度ねんど290451763911478[122][119]
2018(平成へいせい30)年度ねんど2931617737[119]
2019(れいもと年度ねんど2878317626[123]

このほか、名古屋なごや鉄道てつどうによる名鉄めいてつ豊橋とよはしえき統計とうけいとして以下いかのものがある。

  • 名鉄めいてつ120ねんきん20ねんのあゆみ』によると2013年度ねんど当時とうじの1にち平均へいきん乗降じょうこう人員じんいんは34,320にんであり、この名鉄めいてつぜんえき(275えきちゅう 7名古屋なごや本線ほんせん(60えきちゅう 6であった[124]
  • 名古屋なごや鉄道てつどうひゃくねん』によると1992ねん当時とうじの1にち平均へいきん乗降じょうこう人員じんいんは41,639にんであり、この岐阜市内線ぎふしないせん均一きんいつ運賃うんちん区間くかんない各駅かくえき岐阜市内線ぎふしないせん田神線たがみせん美濃町線みのまちせんとおるあきらまちえき - 琴塚ことづかえきあいだ)をのぞ名鉄めいてつぜんえき(342えきちゅう8名古屋なごや本線ほんせん(61えきちゅう7であった[125]
  • 名鉄めいてつ時刻じこくひょう 1990 Vol.7』によると、1989ねん下半期しもはんきの1にち平均へいきん乗降じょうこう人員じんいんは37,827にんであり、この名鉄めいてつぜんえきちゅう9であった。[126]
  • 名鉄めいてつ 1983』によると、1981ねん当時とうじいちにち平均へいきん乗降じょうこう人員じんいんは38,343にんであり、この名鉄めいてつぜんえきちゅう8であった[127]
  • 創立そうりつ70周年しゅうねん記念きねん 今日きょう明日あした名鉄めいてつ』によると、1960ねん当時とうじいちにち平均へいきん乗降じょうこう人員じんいんは23,881にんであり、1963ねんは31,195にんであった[128]
  • 岡崎おかざき戦災せんさい復興ふっこう掲載けいさい統計とうけい資料しりょうによると、1948ねん昭和しょうわ23ねん)11月1にち - 1949ねん昭和しょうわ24ねん)4がつ30日間にちかん半期はんきにおけるいちにち平均へいきん乗降じょうこう人員じんいんは5,429にんであり、この名鉄めいてつぜんえきちゅう13であった[129]

貨物かもつ

2005年度ねんど発送はっそう貨物かもつは89,081トン、到着とうちゃく貨物かもつは51,135トンであった。

駅弁えきべん

壺屋つぼや弁当べんとうによる「稲荷いなり寿し」が元来がんらいとうえき名物めいぶつである。おも駅弁えきべん下記かきとお[130]

  • うなぎめし
  • とう花火はなび弁当べんとう
  • 秘境ひきょうえき弁当べんとう
  • 中華ちゅうかふうまくうち
  • ヒレカツ弁当べんとう
  • 駅弁えきべん弁当べんとう
  • 壺屋つぼや浪漫ろうまん
  • まくうち弁当べんとう
  • この稲荷いなり
  • ちくわ稲荷いなり寿
  • さんしょく稲荷いなり
  • 稲荷いなりもう
  • さけあじくしづくし
  • 稲荷いなり寿
  • じょろく寿

えき周辺しゅうへん

東口ひがしぐち

南口みなみぐち

2008ねん3がつ11にちオープン。6月5にち移転いてん開業かいぎょうゆたかてつ渥美線あつみせんしん豊橋とよはしえきとの接続せつぞくはかるために新設しんせつされた。

西口にしぐち西にしえき

豊橋とよはしえき西口にしぐちには西にしえき(にしえき)という通称つうしょうがある。これは豊橋とよはし西口にしぐち西口にしぐちまち)という地名ちめい存在そんざいするためである[ちゅう 7]豊橋とよはしえき西口にしぐちにあるバス停ばすていも「西駅前にしえきまえ」を名乗なのる。ちかくには、愛知あいち県立けんりつ豊橋とよはし特別とくべつ支援しえん学校がっこうBコースのバス停ばすていがある。

  • JR東海とうかい豊橋とよはし保線ほせんしょ新幹線しんかんせん) ・岡崎おかざき保線ほせん豊橋とよはし保線ほせんささえ在来ざいらいせん
  • サーラプラザ豊橋とよはし
  • 損保そんぽジャパン愛知あいちひがし支店してん
  • 成田なりた記念きねん病院びょういん
  • 豊橋とよはし第一だいいちホテル

バス路線ろせん

東口ひがしぐちのペデストリアンデッキのしたにあるバスのりばと市電しでんのりば

豊橋とよはしえきまえ東口ひがしぐち豊橋とよはしえきバスセンター)発着はっちゃくおよび西駅前にしえきまえ西口にしぐち発着はっちゃくかれている。

東口ひがしぐち

豊橋とよはし市内しないをはじめ豊川とよかわ新城しんじょう田原たはらなどひがしさんかわかく方面ほうめんへの路線ろせんバスがあるほか、東京とうきょう方面ほうめんおよび関西かんさい方面ほうめんへの高速こうそくバスがある。一般いっぱん路線ろせんバスはすべてゆたかてつバス運行うんこうする。

豊橋とよはしえきまえゆたかてつバス)

ペデストリアンデッキのしたに、7つののりばと3だいぶん降車こうしゃじょうそなえる豊橋とよはし駅前えきまえバス停ばすていがあり、ゆたかてつバスかく路線ろせん発着はっちゃくする。豊橋とよはしえきバスセンターがあり、乗車じょうしゃけん回数かいすうけん定期ていきけん購入こうにゅう時刻じこくひょう入手にゅうしゅができるほか、待合室まちあいしつ夜行やこうバス発車はっしゃまで利用りよう可能かのう)としても利用りようできる[131]豊川線とよかわせん新豊しんゆたかせん降車こうしゃじょう県道けんどう東側ひがしがわ (ローソンまえ) にあるが、ここはかつて豊川とよかわ豊橋とよはし市民しみん病院びょういん方面ほうめんからの豊橋とよはしバスターミナルきが使用しようした降車こうしゃじょうである。

以下いかしめかく路線ろせん行先ゆくさきは、原則げんそくとしてゆたかてつバスウェブサイトに掲載けいさいされた時刻じこくひょう表記ひょうきによっており、区間くかん運行うんこう系統けいとう省略しょうりゃくした。詳細しょうさいかく路線ろせん記事きじ参照さんしょうのこと。

運行うんこう事業じぎょうしゃ 路線ろせん行先ゆくさき 備考びこう 出典しゅってん
1 ゆたかてつバス 新宿しんじゅく豊橋とよはしせん渋谷しぶや新宿しんじゅく練馬ねりまえき北口きたぐち
伊良湖いらこ本線ほんせん保美やすみ
中浜なかはま大崎おおさきせん:(急行きゅうこう豊橋とよはしハートセンター / デンソーまえ / 大崎おおさき
小浜おばま大崎おおさきせん大崎おおさき
  [132][133]
2 豊橋とよはし京都きょうとせん長島ながしま温泉おんせん京都きょうとえきはちじょうこう
豊橋とよはしわざだいせんわざ大前おおまえりすぱ豊橋とよはし / 福祉ふくしむら
三本木さんぼんぎせんくすのき特別とくべつ支援しえん学校がっこう
  [134][135]
3 飯村いいむら岩崎いわさきせん赤岩あかいわくち
牛川うしかわ金田かねだせん金田かねだ住宅じゅうたくまえ
  [136]
4 岩田いわた団地だんちせん岩田いわた団地だんち方面ほうめん
西口にしぐちせん西口にしぐち
天伯てんぱく団地だんちせん天伯てんぱく団地だんち
  [137]
5 豊橋とよはし和田わだつじせん和田わだつじひがし / 嵩山すせ / 四ツ谷よつや
二川ふたかわせんシンフォニアテクノロジー
  [138]
6 豊川線とよかわせん豊川とよかわ駅前えきまえ本宮ほんぐう / 豊川市民病院とよかわしみんびょういん
新豊しんゆたかせん新城しんじょう富永とみなが
  [139]
7 豊橋とよはし市民しみん病院びょういんせん豊橋とよはし市民しみん病院びょういん総合そうごうスポーツ公園こうえん
卸団地おろしだんちせん総合そうごうスポーツ公園こうえん
  [140]

かつて、2ばんのりばをJR東海とうかいバス浜名はまなせん二川ふたがわえき新居町あらいまちえき方面ほうめん)および高速こうそく伊良湖いらこライナー(東京とうきょうえきき)が使用しようしており券売けんばいしょもあったほか、3ばんのりばをゆたかてつバスと名鉄めいてつバス東部とうぶ豊橋とよはしせん前芝まえしばじゅんかんせん前芝まえしば蒲郡がまごおりえき方面ほうめん)が共用きょうようしていた。

豊橋とよはしえき東口ひがしぐち高速こうそくバス)

駅前えきまえ大通おおどお沿いの豊橋信用金庫とよはししんようきんこ駅前えきまえ出張所しゅっちょうしょまえ設置せっち停留所ていりゅうじょ名称めいしょう豊橋とよはしえき東口ひがしぐちである。ゆたかてつバス共同きょうどう運行うんこう会社かいしゃ以外いがい高速こうそくバス運行うんこう会社かいしゃはここを発着はっちゃくする。

乗車じょうしゃのみ
降車こうしゃのみ

豊橋とよはしえきまえ豊橋とよはしかわきたバス「スマイルごう」)

駅前えきまえ大通おおどお沿いの豊橋信用金庫とよはししんようきんこ駅前えきまえ出張所しゅっちょうしょまえ設置せっち豊橋とよはしのコミュニティバスとして豊橋とよはし北部ほくぶ豊川とよかわ(とよがわ)よりも北側きたがわ地域ちいき運行うんこうする。

  • 下地したじ津田つだせん[141]平日へいじつのみ運行うんこう
  • 大村線おおむらせん[141]平日へいじつのみ運行うんこう

西口にしぐち

ゆたかてつバス、豊橋とよはしコミュニティバス「しおかぜバス」の2事業じぎょうしゃれる。バス停ばすてい名称めいしょうともに、「西駅前にしえきまえ」である。

  • ゆたかてつバス
  • 豊橋とよはしコミュニティバス「しおかぜバス」
    • 西駅前にしえきまえ - 荒木あらき西にし - 清須きよす - 前芝まえしば - 梅藪うめやぶ豊橋とよはし委託いたくにより、東海とうかい交通こうつう運行うんこう[143]

となりえき

東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい
■ 東海道新幹線とうかいどうしんかんせん(こだまをのぞかく列車れっしゃ停車駅ていしゃえき列車れっしゃ記事きじ参照さんしょう
こだま
浜松はままつえき - 豊橋とよはしえき - 三河安城みかわあんじょうえき
CA 東海道本線とうかいどうほんせん
特別とくべつ快速かいそくとうえきから二川ふたがわかた各駅かくえき停車ていしゃ
二川ふたがわえき (CA41) - 豊橋とよはしえき (CA42) - 蒲郡がまごおりえき (CA47)
しん快速かいそくとうえきから二川ふたがわかた各駅かくえき停車ていしゃ
二川ふたがわえき (CA41) - 豊橋とよはしえき (CA42) - (一部いちぶ三河大塚みかわおおつかえき (CA45) または三河みかわ三谷みたにえき (CA46)) - 蒲郡がまごおりえき (CA47)
快速かいそくとうえきから二川ふたがわかた各駅かくえき停車ていしゃ二川ふたがわかたのぼりのみ運転うんてん
二川ふたがわえき (CA41) ← 豊橋とよはしえき (CA42) - (一部いちぶ三河そうご三谷みたにえき (CA46)) - 蒲郡がまごおりえき (CA47)
区間くかん快速かいそく普通ふつう
二川ふたがわえき (CA41) - 豊橋とよはしえき (CA42) - 西小坂井にしこざかいえき (CA43)
CD 飯田線いいだせん
快速かいそく到着とうちゃく列車れっしゃのみ)・普通ふつう速達そくたつ列車れっしゃ
豊橋とよはしえき (CD00) - 小坂井こざかいえき (CD03)
普通ふつう各駅かくえき停車ていしゃ
豊橋とよはしえき (CD00) - 船町ふなまちえき (CD01)
普通ふつう列車れっしゃのうちの一部いちぶにちちゅう半数はんすうちかく)は速達そくたつ列車れっしゃであり、船町ふなまちえき下地しもじえき通過つうかし、小坂井こざかいえきまで停車ていしゃしない。
名古屋鉄道なごやてつどう
NH 名古屋なごや本線ほんせん
快速かいそく特急とっきゅう
豊橋とよはしえき (NH01) - (一部いちぶ伊奈いなえき (NH02)・国府こくふえき (NH04)) - ひがし岡崎おかざきえき (NH13)
特急とっきゅう
豊橋とよはしえき (NH01) - (一部いちぶ伊奈いなえき (NH02)) - 国府こくふえき (NH04)
急行きゅうこう
豊橋とよはしえき (NH01) - 伊奈いなえき (NH02)
通常つうじょう準急じゅんきゅう普通ふつう列車れっしゃ設定せっていはない。

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 映画えいが略称りゃくしょう連続れんぞく射殺しゃさつ』(1969ねん)に改築かいちく直前ちょくぜん豊橋とよはしえき登場とうじょうする。
  2. ^ 東海道新幹線とうかいどうしんかんせん地上ちじょうえきは、品川しながわ米原まいばら豊橋とよはしのみである。
  3. ^ 国鉄こくてつ荷物にもつ扱室が1番線ばんせんホームにめんしていた関係かんけいで、名鉄めいてつ荷物にもつしゃは1番線ばんせん発着はっちゃくしていた[62]
  4. ^ この時間じかんたいでの普通ふつう列車れっしゃ岡崎おかざき - 岐阜ぎふあいだでの運転うんてんおおく、区間くかん快速かいそくとうえき - 岡崎おかざきあいだ各駅かくえき停車ていしゃであるため。
  5. ^ ほとんどの列車れっしゃ豊橋とよはしはつ浜松はままつゆき運行うんこうされている。朝夕ちょうせき時間じかんたいには三島みしま沼津ぬまづ興津おきつ静岡しずおか掛川かけがわくだり列車れっしゃもある。また岐阜ぎふ大垣おおがき米原まいばら快速かいそく系統けいとうふくむ)からの直通ちょくつう列車れっしゃ設定せっていされている。
  6. ^ 客扱きゃくあつかいはおこなわないが、寝台しんだい特急とっきゅうサンライズ瀬戸せと」「サンライズ出雲いずも」が運転うんてん停車ていしゃをする。
  7. ^ 豊橋とよはしでタクシーに乗車じょうしゃさい西口にしぐちまで」とげると西口にしぐちまち豊橋とよはしえき西口にしぐちかを確認かくにんされることがある。そのため、地元じもとひとは「西にしえきまで」とげるのが一般いっぱんてきである。

出典しゅってん

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  2. ^ 鉄道てつどう航路こうろ旅客りょかく運賃うんちん料金りょうきん算出さんしゅつひょう 昭和しょうわ59ねん4がつ20日はつか現行げんこう日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう旅客りょかくきょく
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク