ザグレブ (クロアチア語 ご : Zagreb [zǎːɡreb] ( 音声 おんせい ファイル ) )は、クロアチア の首都 しゅと 。同国 どうこく 最大 さいだい の都市 とし である。国 くに の北西 ほくせい 部 ぶ 、サヴァ川 がわ に沿 そ うメドヴェドニツァ山 さん (英語 えいご 版 ばん ) の南 みなみ 斜面 しゃめん に位置 いち し。海抜 かいばつ は122mである。2011年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ による人口 じんこう はザグレブ市街 しがい が686,568人 にん 、ザグレブ市域 しいき では792,875人 にん であった。ザグレブ市 し と周辺 しゅうへん の行政 ぎょうせい 的 てき に分 わ かれているザグレブ郡 ぐん の人口 じんこう 317,642人 にん を合 あ わせたザグレブ都市 とし 圏 けん の人口 じんこう は1,110,517人 にん である。ザグレブはクロアチアでは唯一 ゆいいつ 、100万 まん 人 にん を超 こ える都市 とし 圏 けん を形成 けいせい している[5] 。
アルプス やディナルアルプス 、アドリア海 あどりあかい 方向 ほうこう へ広 ひろ がるパンノニア平原 へいげん 南西 なんせい 部 ぶ の有利 ゆうり な地理 ちり 的 てき な条件 じょうけん により、中央 ちゅうおう ヨーロッパとアドリア海 あどりあかい を結 むす ぶ良 よ く整備 せいび された交通 こうつう 回廊 かいろう によって周辺 しゅうへん 地域 ちいき と結 むす ばれている。ザグレブは交通 こうつう の要衝 ようしょう である他 ほか 、産業 さんぎょう の集積 しゅうせき や科学 かがく 研究 けんきゅう 機関 きかん 、伝統 でんとう 的 てき な産業 さんぎょう などでクロアチアで先導 せんどう する地位 ちい にある。また、首都 しゅと としてクロアチアの中央 ちゅうおう 政府 せいふ や行政 ぎょうせい 機関 きかん 、省庁 しょうちょう のほとんどがザグレブに拠点 きょてん を置 お いている。
Sentinel-2A よりザグレブを撮影 さつえい 2016年 ねん
ザグレブ新 しん 市街 しがい は、南 みなみ のザグレブ中央 ちゅうおう 駅 えき からバン・ヨシップ・イェラチッチ広場 ひろば (共和 きょうわ 国 こく 広場 ひろば )まで碁盤 ごばん の目 め 状 じょう に広 ひろ がる。創立 そうりつ 300年 ねん 以上 いじょう の歴史 れきし をもつザグレブ大学 だいがく 、主要 しゅよう 官庁 かんちょう などのネオクラシック調 ちょう の建物 たてもの とユーゴスラビア時代 じだい の建物 たてもの 、新 あたら しい高層 こうそう ビルが混 こん 然 しか としている。共和 きょうわ 国 こく 広場 ひろば から坂 さか を上 あ がると(世界一 せかいいち 短距離 たんきょり のケーブルカーあり)、ザグレブ大 だい 聖堂 せいどう 、サン・マルコ教会 きょうかい がある。そこから北 きた に向 む かって旧 きゅう 市街 しがい が広 ひろ がる。ここにはゴシック様式 ようしき とバロック様式 ようしき の建物 たてもの が多 おお く、中世 ちゅうせい の町並 まちな みがよく残 のこ っている。
メドヴェドニツァ山脈 さんみゃく (Zagrebacka gora) は最高峰 さいこうほう スリェメ山 さん (1,033m) をいただき、そこからザグレブ都市 とし 圏 けん 、サヴァ川 がわ 、クーパ谷 だに 、フルヴァツコ・ザゴリェ (Hrvatsko Zagorje) 地方 ちほう を望 のぞ むすばらしいパノラマ展望 てんぼう を得 え られる。天候 てんこう がよければ山頂 さんちょう からは、ヴェレビト山 さん (Velebit) や、スロベニア 近 ちか くにある雪 ゆき をかぶったジュリアンアルプスまで望 のぞ むことが出来 でき る。ハイカーに宿 やど とレストランを提供 ていきょう する山小屋 やまごや がいくつかある。スキーヤーならば、4本 ほん のスキーコースと3つのスキーリフト、1つのチェアリフト を持 も つスリェメを訪 おとず れる。
古都 こと メドヴェドグラード (Medvedgrad) は13世紀 せいき に建 た てられた中世 ちゅうせい の城塞 じょうさい 都市 とし で、最近 さいきん 修復 しゅうふく されたものだが、メドヴェドニツァの丘 おか の特別 とくべつ な観光 かんこう 名所 めいしょ である。そこから市内 しない の西側 にしがわ を見下 みお ろすことができ、また「祖国 そこく の殿堂 でんどう 」がある。これは絶 た えず灯明 とうみょう が灯 とも っている記念 きねん 建造 けんぞう 物 ぶつ で、通例 つうれい は国民 こくみん の祝日 しゅくじつ に、歴史 れきし 上 じょう 祖国 そこく のために倒 たお れた全 すべ ての英雄 えいゆう にクロアチアが崇敬 すうけい を払 はら うための場所 ばしょ である。
温暖 おんだん 湿潤 しつじゅん 気候 きこう でケッペンの気候 きこう 区分 くぶん ではCfaに属 ぞく し、湿潤 しつじゅん 大陸 たいりく 性 せい 気候 きこう との境界 きょうかい 近 ちか くに位置 いち する。ザグレブは四季 しき がはっきりしており、夏 なつ は暑 あつ く冬 ふゆ は寒 さむ くなり乾季 かんき は無 な い。平均 へいきん 気温 きおん は冬季 とうき で-0.5℃、夏季 かき は22.0℃で、特 とく に5月 がつ 以降 いこう は暑 あつ さが増 ま し30℃以上 いじょう の日 ひ が毎年 まいとし 夏 なつ には年 とし 平均 へいきん 17日 にち 程度 ていど ある[6] 。
冬季 とうき には降雪 こうせつ が12月から3月 がつ にかけて見 み られ、同様 どうよう に降雨 こうう もあり10月 がつ から12月 がつ にかけての秋季 しゅうき には霧 きり が発生 はっせい する[7] 。
今 いま までの最高 さいこう 気温 きおん は1950年 ねん 7月 がつ に40.4℃を記録 きろく し、最低 さいてい 気温 きおん は-27.3℃を1956年 ねん 2月 がつ に記録 きろく している[6] 。
ザグレブの気候 きこう
月 つき
1月 がつ
2月 がつ
3月 がつ
4月 がつ
5月
6月 がつ
7月 がつ
8月 がつ
9月
10月
11月
12月
年 とし
最高 さいこう 気温 きおん 記録 きろく °C (°F )
19.4 (66.9)
22 (72)
26 (79)
29.4 (84.9)
33.4 (92.1)
37.6 (99.7)
40.4 (104.7)
39.8 (103.6)
32.8 (91)
28.3 (82.9)
25.4 (77.7)
22.5 (72.5)
40.4 (104.7)
平均 へいきん 最高 さいこう 気温 きおん °C (°F )
3.1 (37.6)
6.1 (43)
11.3 (52.3)
16.4 (61.5)
21.3 (70.3)
24.6 (76.3)
26.7 (80.1)
26.2 (79.2)
22.3 (72.1)
16.2 (61.2)
9.3 (48.7)
4.4 (39.9)
15.7 (60.3)
日 にち 平均 へいきん 気温 きおん °C (°F )
−0.1 (31.8)
2.0 (35.6)
6.2 (43.2)
10.9 (51.6)
15.7 (60.3)
19.1 (66.4)
20.8 (69.4)
20.0 (68)
16.0 (60.8)
10.8 (51.4)
5.7 (42.3)
1.3 (34.3)
10.7 (51.26)
平均 へいきん 最低 さいてい 気温 きおん °C (°F )
−4.0 (24.8)
−2.5 (27.5)
0.9 (33.6)
4.9 (40.8)
9.2 (48.6)
12.7 (54.9)
14.2 (57.6)
13.7 (56.7)
10.4 (50.7)
5.8 (42.4)
1.8 (35.2)
−1.9 (28.6)
5.4 (41.7)
最低 さいてい 気温 きおん 記録 きろく °C (°F )
−24.3 (−11.7)
−27.3 (−17.1)
−18.3 (−0.9)
−4.4 (24.1)
−1.8 (28.8)
2.5 (36.5)
5.4 (41.7)
3.7 (38.7)
−0.6 (30.9)
−5.6 (21.9)
−13.5 (7.7)
−19.8 (−3.6)
−27.5 (−17.5)
降水 こうすい 量 りょう mm (inch)
48.6 (1.913)
41.9 (1.65)
51.6 (2.031)
61.5 (2.421)
78.8 (3.102)
99.3 (3.909)
81.0 (3.189)
90.5 (3.563)
82.7 (3.256)
71.6 (2.819)
84.8 (3.339)
63.8 (2.512)
856.1 (33.705)
平均 へいきん 降雨 こうう 日数 にっすう
10.8
10.0
11.2
12.7
13.2
13.6
10.9
10.4
9.8
10.2
12.2
12.1
137.1
平均 へいきん 降雪 こうせつ 日数 にっすう
6
5
4
1
0
0
0
0
0
0
2
5
23
平均 へいきん 月間 げっかん 日照 ひでり 時間 じかん
59.4
95.7
140.1
175.4
234.0
243.7
281.0
256.0
186.7
130.8
65.6
44.9
1,913.3
出典 しゅってん 1:World Meteorological Organisation (UN) [8]
出典 しゅってん 2:Croatian Meteorological and Hydrological Service[6]
ザグレブはクロアチア最大 さいだい の都市 とし で、そのほとんどが市街 しがい に居住 きょじゅう している。2001年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ による公式 こうしき 統計 とうけい では人口 じんこう は779,145人 にん で[9] [10] 、ザグレブ市 し の推計 すいけい によれば2006年 ねん 時点 じてん では804,900人 にん に増加 ぞうか している[11] 。ザグレブ首都 しゅと 圏 けん の人口 じんこう は約 やく 120万 まん 人 にん である[12] 。1997年 ねん よりザグレブ市 し は特別 とくべつ 市 し の地位 ちい を得 え て、ザグレブ郡 ぐん から分離 ぶんり されたが商業 しょうぎょう や歴史 れきし 的 てき なつながりは続 つづ いている。2001年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ によれば人口 じんこう のほとんどはクロアチア人 じん が占 し めその割合 わりあい は92%であった。60,066人 にん はマイノリティ が占 し め、セルビア人 じん が18,811人 にん (2.41%)、ボシュニャク人 じん が6,204人 にん (0.80%)、ムスリム系 けい が8,030人 にん (1.02%)、アルバニア人 じん が6,389人 にん (0.83%)、スロベニア人 じん が3,225人 にん (0.41%)、モンテネグロ人 じん が2,315人 にん (0.27%)、ロマ が3,946人 にん (0.55%)、マケドニア人 じん が2,315人 にん (0.27%)等 とう で、他 ほか にもドイツ系 けい などの少数 しょうすう のマイノリティのコミュニティが出来 でき ている[13] 。
クロアチア航空 こうくう 本社 ほんしゃ
アルプス地方 ちほう 、ディナル・アルプス地方 ちほう 、アドリア海 あどりあかい 沿岸 えんがん 地方 ちほう 、パンノニア地方 ちほう へ伸 の びるパンノニア平原 へいげん 南西 なんせい 部 ぶ の、地理 ちり 的 てき に恵 めぐ まれた場所 ばしょ にあり、中央 ちゅうおう ヨーロッパとアドリア海 あどりあかい を繋 つな ぐ優 すぐ れた交通 こうつう の要衝 ようしょう となっている。交通 こうつう の上 うえ で立地 りっち が恵 めぐ まれていること、産業 さんぎょう が集中 しゅうちゅう していること(金属 きんぞく 加工 かこう 、電器 でんき 、織物 おりもの 、化学 かがく 、製薬 せいやく (Pilva)、印刷 いんさつ 、皮革 ひかく 、木材 もくざい 加工 かこう 、製紙 せいし 等 とう )、科学 かがく 研究 けんきゅう 施設 しせつ 、工業 こうぎょう の伝統 でんとう により、クロアチアの経済 けいざい の主導 しゅどう 的 てき な位置 いち を占 し めている。 ザグレブは東 ひがし ヨーロッパの標準 ひょうじゅん から見 み れば比較的 ひかくてき 裕福 ゆうふく だが、それでも平均 へいきん 収入 しゅうにゅう や物価 ぶっか は西側 にしがわ よりもなお低 ひく い[14] 。
ザグレブはクロアチアの都市 とし ではもっとも高 たか いGDP を誇 ほこ り、2005年 ねん の1人 ひとり 当 あ たりのGDPは19,132ドル であった。同 どう 時期 じき のクロアチア平均 へいきん は10,431ドルである[15] 。2004年 ねん の購買 こうばい 力 りょく 平価 へいか は28,261ドルであった[16] 。
2008年 ねん 7月 がつ 現在 げんざい の、ザグレブでの平均 へいきん 月収 げっしゅう は6,228クーナ (約 やく 1,356ドル)で、クロアチア平均 へいきん は5,234クーナ(約 やく 1,140ドル)である[17] 。
2006年 ねん 現在 げんざい の平均 へいきん 失業 しつぎょう 率 りつ は8.6%であった
[18] 。
クロアチアの34%の企業 きぎょう はザグレブに本社 ほんしゃ を置 お いており、クロアチアの労働 ろうどう 人口 じんこう の38.4%は銀行 ぎんこう や公共 こうきょう 部門 ぶもん 、公共 こうきょう 交通 こうつう 機関 きかん を含 ふく めザグレブで勤務 きんむ をしている。2006年 ねん 現在 げんざい 、ザグレブの企業 きぎょう はクロアチア全体 ぜんたい での52%の取引 とりひき 高 だか と60%の利益 りえき を生 う み出 だ し、クロアチア全体 ぜんたい での輸出 ゆしゅつ の35%、輸入 ゆにゅう の57%を占 し めている
[16] [19] 。
ザグレブの2010年 ねん の観光 かんこう 客数 きゃくすう は60万 まん 人 にん 以上 いじょう [20] で、2011年 ねん には10%増加 ぞうか が見込 みこ まれているなど[21] 、増加 ぞうか 傾向 けいこう にある。
19世紀 せいき 頃 ごろ の聖母 せいぼ 被 ひ 昇天 しょうてん 大 だい 聖堂 せいどう
先史 せんし 時代 じだい 以来 いらい 、ザグレブとその一帯 いったい には人間 にんげん が居住 きょじゅう していた。旧石器時代 きゅうせっきじだい のヴェテルニツァ洞窟 どうくつ (Veternica) での発見 はっけん 物 ぶつ や、今 いま のヴェリカ・ゴリツァ のスツィタリェヴォ地区 ちく (Scitarjevo) 近 ちか くにあるローマ時代 じだい の紀元前 きげんぜん 1世紀 せいき に遡 さかのぼ るアンダウトニア (Andautonia) の街 まち の遺構 いこう がその証拠 しょうこ である[22] 。メドヴェドニツァ山脈 さんみゃく の斜面 しゃめん には絵 え のように美 うつく しいかつての村 むら (Sestine, Gracani、およびRemete)がネックレスの珠 たま のように市 し を囲 かこ んでいて、今日 きょう でも豊 ゆた かな伝統 でんとう を守 まも っている(民族 みんぞく 衣装 いしょう 、Sestineの傘 かさ 、ジンジャーブレッド など)。
13世紀 せいき 以来 いらい の聖 ひじり マルコ教会 きょうかい
ザグレブの名 な が現 あらわ れたのは1094年 ねん 頃 ころ であるが、その起源 きげん についてはあまりはっきりとしていない。クロアチア語 ご で ザグラビティ"zagrabiti" は柄杓 ひしゃく を意味 いみ し、それを基 もと にいくつかの伝説 でんせつ もある。あるクロアチア人 じん が答 こた えた物 もの には、クロアチアのバン (総督 そうとく )が喉 のど が渇 かわ いた兵士 へいし たちを連 つ れて荒地 あれち を横切 よこぎ った際 さい 、バンは失望 しつぼう から自分 じぶん のサーベル を地面 じめん に突 つ いた所 ところ 、水 みず が流 なが れ出 だ した為 ため 兵士 へいし に命 めい じて水 みず を掘 ほ らせたとされる。この水 みず を掘 ほ り出 だ したとされる伝説 でんせつ は科学 かがく 者 しゃ により居住 きょじゅう 地 ち が設立 せつりつ され、水 みず で満 み たされた穴 あな やシデ graba などから来 く る名称 めいしょう とする提唱 ていしょう によって支 ささ えられている[23] 。いくつか提唱 ていしょう されている説 せつ には丘 おか を意味 いみ する'za breg'や丘 おか の向 む こう側 がわ を意味 いみ するものである。現在 げんざい 、中心 ちゅうしん 部 ぶ の近 ちか くにある丘 おか も以前 いぜん はより近 ちか くを流 なが れていたサヴァ川 がわ の河岸 かわぎし だったと言 い う可能 かのう 性 せい もある。これらの単語 たんご から、一 ひと つの単語 たんご が形成 けいせい され現在 げんざい の地名 ちめい であるザグレブが生 う まれたとされる。他 た の伝説 でんせつ ではある支配 しはい 者 しゃ がマンダ (Manda) と言 い う少女 しょうじょ に喉 のど が渇 かわ いたので、現在 げんざい は泉 いずみ であるマデュセヴァツの湖 みずうみ に水 みず を汲 く みに行 い かせたとされるもので、"Zagrabi, Mando!" 「マンダ、それをすくって!」のセンテンスから来 き ているともされるものや[24] 、クロアチアのイラン 起源 きげん 説 せつ と関連 かんれん してザグロス山脈 さんみゃく と関連付 かんれんづ けるものもある[25] 。現代 げんだい のクロアチア語 ご 以外 いがい での呼称 こしょう はハンガリー語 ご でザーグラーブ Zágráb 、ドイツ語 ご でアグラム Agram 、イタリア語 ご でザガブリア Zagabria である。
初期 しょき から18世紀 せいき まで[ 編集 へんしゅう ]
ザグレブの名 な が初 はじ めて現 あらわ れた年 とし 、ハンガリー王 おう ラースロー1世 せい はカプトル (英語 えいご 版 ばん ) 丘 おか の上 うえ に司教 しきょう 区 く を設 もう けた。それとは別 べつ の独立 どくりつ した(砦 とりで のような)集落 しゅうらく が、近隣 きんりん のグラデツ (英語 えいご 版 ばん ) の丘 おか に出来 でき た。これらの居住 きょじゅう 地 ち は1242年 ねん のタタール 侵攻 しんこう に苦 くる しめられるが、彼 かれ らが去 さ った後 のち 、ベーラ4世 せい はグラデッツを王 おう の自治 じち 市 し と宣言 せんげん し大砲 たいほう を寄贈 きぞう し、外国 がいこく の職工 しょっこう を集 あつ めた。14世紀 せいき から15世紀 せいき にかけて、二 ふた つの集落 しゅうらく は経済 けいざい 的 てき および政治 せいじ 的 てき に競 きそ い合 あ った。司教 しきょう 区 く はグラデッツを破門 はもん し、その報復 ほうふく にグラデッツはカプトルに火 ひ を放 はな ったりしたものだった。彼 かれ らが共 とも に手 て を取 と り合 あ ったのは、臨時 りんじ の大 だい 規模 きぼ 経済 けいざい 投機 とうき だけだった。例 たと えば3年 ねん に一 いち 度 ど のそれぞれ2週間 しゅうかん 続 つづ く祭 まつ りなど。これら二 ふた つの中世 ちゅうせい の丘 おか グラデッツとカプトルは、1850年 ねん 、最終 さいしゅう 的 てき に合併 がっぺい してひとつのザグレブとなり、クロアチア そしてスラヴォニア の政治 せいじ 的中 てきちゅう 心地 ごこち となった。2つの地区 ちく は、今 いま やこの近代 きんだい 都市 とし の文化 ぶんか 的 てき 中心 ちゅうしん を形成 けいせい している(経済 けいざい 的 てき 中心 ちゅうしん と交通 こうつう の中心 ちゅうしん は、それから南 みなみ に移動 いどう したが)。カプトルの司教 しきょう 区 く は、それからザグレブ大司教 だいしきょう 区 く になった。
1669年 ねん には大学 だいがく も設立 せつりつ され、1776年 ねん 、王国 おうこく の議会 ぎかい もヴァラジュディン から移 うつ された。またグラマースクール の設立 せつりつ や聖 せい カタリナ教会 きょうかい や修道院 しゅうどういん なども建 た てられている。17世紀 せいき から18世紀 せいき にかけ、ザグレブでは大火 たいか や疫病 えきびょう などの悪 わる い状況 じょうきょう も経験 けいけん した。
19世紀 せいき から20世紀 せいき [ 編集 へんしゅう ]
1930年 ねん 頃 ごろ のブルザ広場 ひろば
19世紀 せいき のザグレブはクロアチア再生 さいせい 運動 うんどう (イリュリア運動 うんどう )の中心 ちゅうしん 地 ち となり重要 じゅうよう な文化 ぶんか 的 てき 、歴史 れきし 的 てき な団体 だんたい の創設 そうせつ が見 み られた。最初 さいしょ の鉄道 てつどう がザグレブとズィダニモスト (Zidani Most)、シサク 間 あいだ に1862年 ねん に開業 かいぎょう し、1863年 ねん にザグレブではガスも導入 どうにゅう されている。ザグレブでの水道 すいどう の導入 どうにゅう は1878年 ねん で、馬車 ばしゃ 軌道 きどう によるトラムの導入 どうにゅう は1891年 ねん からである。鉄道 てつどう の建設 けんせつ によって、古 ふる くからの郊外 こうがい 部分 ぶぶん は徐々 じょじょ にドニ・グラードを特徴付 とくちょうづ ける中央 ちゅうおう ヨーロッパの都市 とし では広 ひろ く一般 いっぱん 的 てき な規則 きそく 的 てき なブロックパターンに、吸収 きゅうしゅう されていった。賑 にぎ やかな中心 ちゅうしん 部 ぶ では多 おお くを印象 いんしょう 付 つ けるモニュメントや公園 こうえん 、多 おお くの博物館 はくぶつかん 、劇場 げきじょう 、映画 えいが 館 かん などが多 おお くあった。発電 はつでん 所 しょ が1907年 ねん に造 つく られ、1880年 ねん から1914年 ねん には大 おお いに繁栄 はんえい した。地震 じしん の後 のち 、ザグレブの街 まち は今日 きょう も続 つづ く特徴 とくちょう 的 てき な街路 がいろ となっている。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう 地区 ちく が鉄道 てつどう 線路 せんろ とサヴァ川 がわ の間 あいだ の地域 ちいき に現 あらわ れたが、丘 おか の南 みなみ 斜面 しゃめん のメドヴェディツァの住宅 じゅうたく 地区 ちく の建設 けんせつ は戦 せん 間 あいだ 期 き に終 お えている。1920年代 ねんだい 、人口 じんこう は70%も増加 ぞうか しザグレブ史上 しじょう 最高 さいこう の伸 の びとなっている。1926年 ねん 、最初 さいしょ のラジオ局 きょく が開業 かいぎょう し放送 ほうそう を開始 かいし した。
20世紀 せいき の最初 さいしょ の50年間 ねんかん でザグレブは大 おお きく拡大 かくだい した。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 前 まえ 、都市 とし や街 まち 区 く は東 ひがし はスタラ・ペシュチェニツァ (Stara Peščenica)、西 にし はチェルノメレツ (Črnomerec) まで造 つく られている。オーストリア・ハンガリー帝国 ていこく 時代 じだい には、ザグレブはドイツ式 しき にアグラムと呼 よ ばれていた。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか の1941年 ねん から1945年 ねん まではナチス の傀儡 かいらい 国家 こっか であるクロアチア独 どく 立国 りっこく の首都 しゅと がおかれていたが、同国 どうこく はドイツ の敗戦 はいせん と共 とも に崩壊 ほうかい した。戦時 せんじ 中 ちゅう 、アメリカ軍 ぐん より爆 ばく 撃 げき を受 う けている。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 以降 いこう [ 編集 へんしゅう ]
ヨーロッパ最大 さいだい 規模 きぼ のマムティツァの団地 だんち
ユーゴスラビア社会 しゃかい 主義 しゅぎ 連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく となった戦後 せんご 、1947年 ねん にザグレブ見本市 みほんいち が開 ひら かれている[26] 。
その後 ご 、1950年代 ねんだい の中頃 なかごろ からサヴァ川 がわ の南 みなみ に、いわゆるNovi Zagreb(新 しん ザグレブ)と呼 よ ばれる新興 しんこう 住宅 じゅうたく 地 ち ができた。市街 しがい は東西 とうざい 方向 ほうこう にも拡大 かくだい し、かつてはただの村 むら に過 す ぎなかったドゥブラヴァ (Dubrava)、ポドシセド (Podsused)、ヤルン (Jarun)、ブラト (Blato) などを飲 の み込 こ んでいった。貨物 かもつ 鉄道 てつどう のハブとザグレブ国際 こくさい 空港 くうこう がサヴァ川 がわ の南 みなみ に作 つく られた。南東 なんとう にある最大 さいだい の工業 こうぎょう 地帯 ちたい (Zitnjak) は、サヴァ川 がわ とプリゴリェ地方 ちほう (Prigorje) の間 あいだ にある市 し の東側 ひがしがわ 郊外 こうがい での工業 こうぎょう 地帯 ちたい の拡大 かくだい を代表 だいひょう する。1987年 ねん 、ザグレブはユニバーシアード の開催 かいさい 都市 とし となった。1991年 ねん から1995年 ねん にかけて起 お こったクロアチア紛争 ふんそう 時 とき には散発 さんぱつ 的 てき な戦闘 せんとう がユーゴスラビア人民 じんみん 軍 ぐん (JNA) のバラック 周辺 しゅうへん で発生 はっせい しているが大 だい 規模 きぼ な戦災 せんさい からは逃 のが れている。しかし、1995年 ねん 5月にセルビア側 がわ の攻撃 こうげき 目標 もくひょう とされ2発 はつ のロケット砲 ほう の攻撃 こうげき であるザグレブロケット砲撃 ほうげき (英語 えいご 版 ばん ) に遭 あ い7人 にん の市民 しみん が死亡 しぼう している[27] [28] 。
ザグレブ初 はつ の高層 こうそう ビルはバン・イェラチッチ広場 ひろば に面 めん して建 た てられたネボデル (英語 えいご 版 ばん ) (Neboder) で、1957年 ねん から1958年 ねん にかけて建設 けんせつ され1959年 ねん 8月 がつ 22日 にち にオフィスビルとして開業 かいぎょう している。当時 とうじ のユーゴスラビアでは一番 いちばん 高 たか いビルであった。その後 ご 、1970年代 ねんだい から1980年代 ねんだい にかけてザグレブでは高層 こうそう ビルが次々 つぎつぎ と建 た てられていった。サヴァスカ通 どお りのザグレブチャンカ (英語 えいご 版 ばん ) (Zagrepčanka,1976年 ねん )、ツィボナタワー (英語 えいご 版 ばん ) (1987年 ねん )、スリェメ (Sljeme) にあるザグレブテレビタワー (英語 えいご 版 ばん ) (1973年 ねん )などがある。2000年代 ねんだい 、市議会 しぎかい は新 あら たに計画 けいかく された多 おお くの高層 こうそう 建築 けんちく 物 ぶつ に対 たい して認可 にんか を出 だ しており21世紀 せいき に入 はい ってからのザグレブにはユーロタワーやザグレブタワーなど多 おお くの高層 こうそう ビルが増 ふ えている。長年 ながねん 、ザグレブでは10階 かい 建 だ て以上 いじょう の高層 こうそう 建築 けんちく 物 ぶつ の建設 けんせつ は禁止 きんし されており、現在 げんざい 見 み られる高層 こうそう 建築 けんちく 物 ぶつ のほとんどは1970年代 ねんだい から1980年代 ねんだい に遡 さかのぼ り、新 あら たな郊外 こうがい 部 ぶ の住宅 じゅうたく は通常 つうじょう 4階 かい から8階 かい 建 だ てである。制限 せいげん の緩和 かんわ により高層 こうそう 建築 けんちく 物 ぶつ は増 ふ える傾向 けいこう にある[29] 。
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クロアチアの憲法 けんぽう によりザグレブは首都 しゅと として特別 とくべつ 市 し としての地位 ちい を得 え ている。ザグレブでは郡 ぐん と同等 どうとう の権利 けんり を有 ゆう し、市 し の自治 じち とザグレブ郡 ぐん 両方 りょうほう の業務 ぎょうむ を行 おこな っており、ザグレブ郡 ぐん の郡 こおり 都 と はザグレブに置 お かれている。市 し の行政 ぎょうせい 機関 きかん は市議会 しぎかい と代表 だいひょう としての市長 しちょう 、実行 じっこう 機関 きかん としての市役所 しやくしょ である。市議会 しぎかい の議員 ぎいん は直接 ちょくせつ 選挙 せんきょ により選出 せんしゅつ され、前回 ぜんかい の2009年 ねん に市長 しちょう は市議会 しぎかい で選出 せんしゅつ された。2009年 ねん から直接 ちょくせつ 選挙 せんきょ に変 か えられており、市長 しちょう と市政 しせい の構成 こうせい 員 いん は多数 たすう 票 ひょう によって選 えら ばれる。市 し 当局 とうきょく の11人 にん の市長 しちょう 候補者 こうほしゃ の中 なか から議会 ぎかい の多数 たすう 票 ひょう によって市長 しちょう は選 えら ばれる。市長 しちょう は市政 しせい の長 ちょう で、他 た に2人 ふたり の代理 だいり 者 しゃ が就 つ く。市 し の管理 かんり 機構 きこう は12の支所 ししょ 、3つの都市 とし 局 きょく 、行政 ぎょうせい サービスを担 にな う3つの部署 ぶしょ がある。それらは市長 しちょう と市 し 当局 とうきょく に対 たい し責任 せきにん を負 お っている。ザグレブでは17の行政 ぎょうせい 区 く に組織 そしき されており、市 し 行政 ぎょうせい 区 く 委員 いいん 会 かい によって表 あらわ されている[30] 。
2021年 ねん の地方 ちほう 選挙 せんきょ の結果 けっか 、現在 げんざい のザグレブ市長 しちょう はトミスラヴ・トマシェヴィッチ (Tomislav Tomašević) である。市議会 しぎかい は47議席 ぎせき から成 な っている。勢力 せいりょく は以下 いか の通 とお り[31] [32] 。
ザグレブの都市 とし 区域 くいき (クロアチア語 ご : gradska četvrt )は以下 いか の通 とお りである[33] 。
No.
地区 ちく
面積 めんせき (km²)
人口 じんこう (2011)
人口 じんこう (2001)
人口 じんこう 密度 みつど (2001)
1.
ドニィ・グラード (英語 えいご 版 ばん ) (Donji Grad)
3.01
37,123
45,108
14,956.2
2.
ゴルニィ・グラード - メドヴェシュチャク (英語 えいご 版 ばん ) (Gornji Grad – Medveščak)
10.12
31,279
36,384
3,593.5
3.
トルニェ (英語 えいご 版 ばん ) (Trnje)
7.37
42,126
45,267
6,146.2
4.
マクスミル (英語 えいご 版 ばん ) (Maksimir)
14.35
49,448
49,750
3,467.1
5.
ペシュツェニツァ=ジティニャク (英語 えいご 版 ばん ) (Peščenica – Žitnjak)
35.30
56,446
58,283
1,651.3
6.
ノヴィ・ザグレブ=イストク (英語 えいご 版 ばん ) (Novi Zagreb – istok)
16.54
59,227
65,301
3,947.1
7.
ノヴィ・ザグレブ=ザパド (英語 えいご 版 ばん ) (Novi Zagreb - zapad)
62.59
58,025
48,981
782.5
8.
トレシュニェヴカ=シェヴェル (英語 えいご 版 ばん ) (Trešnjevka - sjever)
5.83
55,342
55,358
9,498.6
9.
トレシュニェヴカ=ユグ (英語 えいご 版 ばん ) (Trešnjevka - jug)
9.84
66,595
67,162
6,828.1
10.
C チェルノメレツ (英語 えいご 版 ばん ) (Črnomerec)
24.33
39,040
38,762
1,593.4
11.
ゴルニャ・ドゥブロヴァ (英語 えいご 版 ばん ) (Gornja Dubrava)
40.28
62,221
61,388
1,524.1
12.
ドニャ・ドゥブロヴァ (英語 えいご 版 ばん ) (Donja Dubrava)
10.82
36,461
35,944
3,321.1
13.
ステニェヴェツ (英語 えいご 版 ばん ) (Stenjevec)
12.18
51,849
41,257
3,387.3
14.
ポドスセド=ヴラプチェ (英語 えいご 版 ばん ) (Podsused – Vrapče)
36.05
45,771
42,360
1,175.1
15.
ポドスリェメ (英語 えいご 版 ばん ) (Podsljeme)
60.11
19,249
17,744
295.2
16.
セスヴェテ (英語 えいご 版 ばん )
165.26
70,633
59,212
358.3
17.
ブレゾヴィツァ (ザグレブ) (英語 えいご 版 ばん ) (Brezovica)
127.45
12,040
10,884
85.4
合計 ごうけい
641.43
792,875
779,145
1,214.9
広 ひろ いザグレバチュカ通 どお り
スラヴォニアを通 とお ってベオグラード へ流 なが れるサヴァ川 がわ に沿 そ う鉄道 てつどう と高速 こうそく 道路 どうろ は国内 こくない で最 もっと も速 はや い交通 こうつう 手段 しゅだん である。
この都市 とし は最大 さいだい 4車線 しゃせん の幹線 かんせん 道路 どうろ と、市 し のほとんどの部分 ぶぶん を囲 かこ むザグレブバイパスなどやフル規格 きかく 高速 こうそく 道路 どうろ を含 ふく む、よく発達 はったつ した道路 どうろ 網 もう を持 も っている。市内 しない 中央 ちゅうおう 部 ぶ ではいくぶん渋滞 じゅうたい があり、また駐車 ちゅうしゃ が問題 もんだい になっている。歩道 ほどう に駐車 ちゅうしゃ した自動車 じどうしゃ が歩行 ほこう 者 しゃ の通行 つうこう を妨 さまた げることがしばしばである。
ザグレブバイパス
ザグレブはクロアチアの5つの主要 しゅよう 高速 こうそく 道路 どうろ の要衝 ようしょう で、ここ数 すう 年来 ねんらい すべてのクロアチアの高速 こうそく 道路 どうろ はザグレブを起 おこり 終点 しゅうてん としている。A6号線 ごうせん は2008年 ねん 10月に改良 かいりょう 工事 こうじ が完了 かんりょう し、リエカ と結 むす ばれてこの146.5kmの区間 くかん は汎 ひろし ヨーロッパ回廊 かいろう 5b号 ごう 線 せん (Pan-European Corridor Vb) を構成 こうせい している。改良 かいりょう と同時 どうじ にA4号線 ごうせん のムラ橋 きょう やA4号線 ごうせん に続 つづ くハンガリー のM7号線 ごうせん が開業 かいぎょう しブダペスト とも結 むす ばれリエカ、ブダペスト間 あいだ での最初 さいしょ の高速 こうそく 道路 どうろ による交通 こうつう 回廊 かいろう として開業 かいぎょう した[34] 。
A1号線 ごうせん はノヴィ・ザグレブのルチェコ を起点 きてん に、ボシリェヴォ2インターチェンジで始 はじ まるA6号線 ごうせん と別 わか れ、ザグレブとスプリト を結 むす んでいる。A1号線 ごうせん はさらにドゥブロヴニク 方面 ほうめん に向 む けて延伸 えんしん 工事 こうじ が進 すす められている。クロアチアの高速 こうそく 道路 どうろ 当局 とうきょく は両 りょう 高速 こうそく 道路 どうろ をアウトツェスタリエカ - ザグレブ (Autocesta Rijeka - Zagreb)、フルヴァツケ・アウトツェステ (Hrvatske autoceste) の2つの政府 せいふ 出資 しゅっし の特殊 とくしゅ 会社 かいしゃ に料金 りょうきん 徴収 ちょうしゅう や維持 いじ 管理 かんり を行 おこな わせている。
A3号線 ごうせん はユーゴスラビア 時代 じだい を表 あらわ す物 もの として、クロアチアでは一番 いちばん 古 ふる くからある高速 こうそく 道路 どうろ で以前 いぜん は兄弟 きょうだい 愛 あい と統一 とういつ 道路 どうろ と名付 なづ けられていた。また、A3号線 ごうせん は汎 ひろし ヨーロッパ回廊 かいろう 10号線 ごうせん (英語 えいご 版 ばん ) を構成 こうせい している。A3号線 ごうせん はスロベニア との国境 こっきょう の町 まち ブレガナ (英語 えいご 版 ばん ) を起点 きてん としているが、その先 さき さらにスロベニアの高速 こうそく 道路 どうろ A2号線 ごうせん やオーストリア のアウトバーン A11号線 ごうせん やA2号線 ごうせん 、A10号線 ごうせん などへ続 つづ いておりリュブリャナ やウィーン 、ザルツブルク 等 ひとし に達 たっ することも出来 でき る。A3号線 ごうせん はザグレブバイパスの南側 みなみがわ を構成 こうせい しており、終点 しゅうてん はリポヴァツ (英語 えいご 版 ばん ) 近 ちか くのセルビアとの国境 こっきょう であるバヤコヴォ (Bajakovo) だが、その先 さき はセルビアの高速 こうそく 道路 どうろ A1号線 ごうせん (欧州 おうしゅう 自動車 じどうしゃ 道路 どうろ 70号線 ごうせん )としてベオグラード へ続 つづ いている。
A2号線 ごうせん は汎 ひろし ヨーロッパ回廊 かいろう 10a号 ごう 線 せん (英語 えいご 版 ばん ) の一部分 いちぶぶん となっており[35] ザグレブと良 よ く混雑 こんざつ するスロベニアとの国境 こっきょう であるマツェリを結 むす び、連続 れんぞく 的 てき にザグレブと西 にし ヨーロッパの間 あいだ を高速 こうそく 道路 どうろ クラスの道路 どうろ 網 もう で結 むす んでいる[36] 。
公共 こうきょう 交通 こうつう [ 編集 へんしゅう ]
クロアチア鉄道 てつどう の通勤 つうきん 電車 でんしゃ HŽ 6111
ZET運営 うんえい の路面 ろめん 鉄道 てつどう クロトラム (TMK 2200)
ザグレブでの公共 こうきょう 交通 こうつう 機関 きかん は、二 に 層 そう から成 な っている:市内 しない はおおむね路面 ろめん 電車 でんしゃ がカバーしており、郊外 こうがい へは路面 ろめん 電車 でんしゃ 終点 しゅうてん でバスが接続 せつぞく していることが多 おお い。公共 こうきょう 交通 こうつう 会社 かいしゃ ZET,Zagrebački električni tramvaj(ザグレブ電気 でんき 路面 ろめん 鉄道 てつどう )は市議会 しぎかい から委託 いたく を受 う けているので、料金 りょうきん は比較的 ひかくてき 廉価 れんか であるが、ピーク時 じ には非常 ひじょう に混雑 こんざつ する。
同 おな じくZETが運営 うんえい する市 し の中央 ちゅうおう 近 ちか くにある1890年 ねん 開業 かいぎょう のケーブルカー は、市内 しない 最古 さいこ の公共 こうきょう 交通 こうつう 機関 きかん であるとともに、全長 ぜんちょう 66mで世界 せかい 最短 さいたん のケーブルカーと言 い われ、一種 いっしゅ の観光 かんこう スポットとなっている[37] 。
タクシー は数 かず は多 おお く容易 ようい に利用 りよう できるがクロアチアの他 ほか の都市 とし より高額 こうがく なためあまり一般 いっぱん 的 てき ではない。その為 ため 、市内 しない と空港 くうこう を結 むす ぶ手段 しゅだん として使 つか われることが多 おお い。近年 きんねん では国営 こくえい の鉄道 てつどう 会社 かいしゃ 「クロアチア鉄道 てつどう 」がザグレブ都市 とし 圏 けん 郊外 こうがい の鉄道 てつどう 網 もう を組織 そしき 化 か しようとしているが、2004年 ねん の時点 じてん では東西 とうざい 方向 ほうこう の一部 いちぶ が組織 そしき 化 か されている。
ザグレブの路面 ろめん 電車 でんしゃ (トラム)の系統 けいとう は昼間 ひるま の15系統 けいとう と夜 よる 間 あいだ 帯 たい の4系統 けいとう が設定 せってい されており、市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ と市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ に近 ちか い郊外 こうがい 部 ぶ をカバーしている。ザグレブにトラムが最初 さいしょ に開業 かいぎょう し運行 うんこう を開始 かいし したのは1891年 ねん 9月5日 にち からで、それ以来 いらい ザグレブでの大量 たいりょう 輸送 ゆそう 機関 きかん として機能 きのう している。トラムは通常 つうじょう 、最高 さいこう 速度 そくど 30 - 70km/hで運行 うんこう されるがラッシュ時間 じかん 帯 たい などではゆっくりと走 はし っている。路線 ろせん 網 もう は独特 どくとく でその多 おお くは曲線 きょくせん 区間 くかん である。現在 げんざい 、旧式 きゅうしき の車両 しゃりょう をザグレブに本拠地 ほんきょち を置 お く企業 きぎょう コンソシーアム (Končar elektroindustrija) が製造 せいぞう する新 あら たなモダンな車両 しゃりょう であるクロトラム とTŽV Gredeljの車両 しゃりょう に置 お き換 か える計画 けいかく が進 すす んでいる。"TMK 2200"と呼 よ ばれる70編成 へんせい の車両 しゃりょう が2005年 ねん から2007年 ねん かけ導入 どうにゅう され、さらに70編成 へんせい の車両 しゃりょう を導入 どうにゅう する契約 けいやく がすでに始 はじ まっている[38] 。
都市 とし 圏 けん 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
Sバーン のような都市 とし 圏 けん 鉄道 てつどう の路線 ろせん 網 もう はザグレブにおいては1992年 ねん 以来 いらい 広 ひろ がっている。2005年 ねん にザグレブ中央 ちゅうおう 駅 えき を中心 ちゅうしん に郊外 こうがい と結 むす ばれる鉄道 てつどう では15分 ふん 間隔 かんかく での運行 うんこう が開始 かいし された。ザグレブ中心 ちゅうしん 部 ぶ と東西 とうざい 方向 ほうこう に広 ひろ がる郊外 こうがい は都市 とし 圏 けん 鉄道 てつどう によって結 むす ばれ、運行 うんこう 回数 かいすう の増加 ぞうか により通勤 つうきん 者 しゃ の利便 りべん 性 せい が向上 こうじょう している[39] 。
新 あら たな路線 ろせん として2009年 ねん にサモボル とを結 むす ぶ路線 ろせん の建設 けんせつ も発表 はっぴょう された。この鉄道 てつどう はクロアチア鉄道 てつどう によって運行 うんこう される計画 けいかく がある。1970年代 ねんだい までザグレブとサモボルを結 むす ぶ狭軌 きょうき 鉄道 てつどう Samoborček が存在 そんざい した[40] 。
ザグレブ中央 ちゅうおう 駅 えき
ザグレブはクロアチア鉄道 てつどう にとって重要 じゅうよう な結節 けっせつ 点 てん である。メインとなるザグレブ中央 ちゅうおう 駅 えき は市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ の南側 みなみがわ のトミスラヴ広場 ひろば に面 めん した場所 ばしょ にあり、この駅 えき からは国際 こくさい 列車 れっしゃ が運行 うんこう されリュブリャナ (2時 じ 間 あいだ 30分 ふん )、ブダペスト (6時 じ 間 あいだ )、ベオグラード (6時 じ 間 あいだ )、ウィーン (6時 じ 間 あいだ )と結 むす ばれている。夜行 やこう 列車 れっしゃ も運行 うんこう されミュンヘン までは9時 じ 間 あいだ 、チューリッヒ までは約 やく 14時 じ 間 あいだ かかる。
2004年 ねん にはスプリトとの間 あいだ に振 ふ り子 こ 式 しき のディーゼル列車 れっしゃ が導入 どうにゅう され[41] 、所要 しょよう 時間 じかん が大幅 おおはば に短縮 たんしゅく された。サヴァ川 がわ の南側 みなみがわ には大 だい 規模 きぼ な貨物 かもつ 操車 そうしゃ 場 じょう が整備 せいび されている。
ザグレブ中心 ちゅうしん 部 ぶ の南東 なんとう 側 がわ にあるバスステーション Autobusni kolodvor Zagreb からはクロアチア国内 こくない をはじめ、欧州 おうしゅう の主要 しゅよう 都市 とし に向 む けて長距離 ちょうきょり バスが運行 うんこう されている[42] 。ザグレブ国際 こくさい 空港 くうこう へ向 む かう空港 くうこう 連絡 れんらく バスもこのバスステーションから運行 うんこう されている。
ザグレブ国際 こくさい 空港 くうこう はザグレブから17km離 はな れた南東 なんとう 部 ぶ のプレソ (Pleso) に位置 いち しクロアチア航空 こうくう のハブ空港 くうこう である。プレソ空港 くうこう とも呼 よ ばれ、2013年 ねん 現在 げんざい 、欧州 おうしゅう やカタール航空 こうくう など一部 いちぶ 中東 ちゅうとう の短 たん ・中距離 ちゅうきょり 便 びん が乗 の り入 い れている。クロアチア航空 こうくう は大型 おおがた 機 き を保有 ほゆう しておらず、長距離 ちょうきょり 便 びん はチャ ちゃ ータ た ー便 びん に限 かぎ られる。ザグレブ国際 こくさい 空港 くうこう にはクロアチア軍 ぐん の主要 しゅよう 空軍 くうぐん 基地 きち でもあり、戦闘 せんとう 機 き や軍用 ぐんよう ヘリコプターなども常駐 じょうちゅう する。新 あたら しい旅客 りょかく ターミナルが計画 けいかく 中 ちゅう で、2011年 ねん 以降 いこう 現在 げんざい の機能 きのう 不足 ふそく の旅客 りょかく ターミナルビルを置 お き換 か える。2008年 ねん より事業 じぎょう が開始 かいし された[43] 。ザグレブには国際 こくさい 空港 くうこう の他 ほか にルチェコ空港 くうこう (ICAO: LDZL)があり、スポーツ用 よう の飛行機 ひこうき やクロアチア警察 けいさつ の特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい 、陸軍 りくぐん のヘリコプターが常駐 じょうちゅう する。この空港 くうこう はザグレブの主要 しゅよう 空港 くうこう として1947年 ねん から1959年 ねん まで使 つか われていた[44] 。
ザグレブの数 すう 多 おお くの博物館 はくぶつかん はザグレブとクロアチアの歴史 れきし 、美術 びじゅつ および文化 ぶんか を反映 はんえい しているばかりでなく、ヨーロッパや世界 せかい のものも収 おさ めている。教会 きょうかい と個人 こじん 所有 しょゆう のものを除 のぞ き、およそ30件 けん ある博物館 はくぶつかん 、美術館 びじゅつかん に360万 まん 点 てん を越 こ えるさまざまな展示 てんじ 品 ひん が収 おさ められている。
ザグレブ考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん
ザグレブ考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) (19 Nikola Šubić Zrinski Square)には今日 きょう 、45万 まん 種 しゅ 近 ちか い考古学 こうこがく 的 てき 遺産 いさん やモニュメントがあり長年 ながねん にわたり様々 さまざま な箇所 かしょ から収蔵 しゅうぞう された品 しな である。収蔵 しゅうぞう 品 ひん の中 なか にはこの地域 ちいき でのクロアチア人 じん の存在 そんざい の証拠 しょうこ も含 ふく まれている[45] 。この博物館 はくぶつかん が世界 せかい に知 し られることになったきっかけになった極 きわ めて珍 めずら しいサンプルがある。中 なか でももっとも有名 ゆうめい なのは、エジプトコレクション、ザグレブミイラと包帯 ほうたい 、世界 せかい 最古 さいこ のエトルリア碑文 ひぶん (ライバー・リンテウス (英語 えいご 版 ばん ) Liber Linteus Zagrabiensis )、および硬貨 こうか のコレクションである。博物館 はくぶつかん の一角 いっかく は主 おも にローマ時代 じだい に遡 さかのぼ る石 いし のモニュメントのコレクションに割 わ り当 あ てられている。
ザグレブ近 きん 現代 げんだい 美術館 びじゅつかん
ザグレブ近 きん 現代 げんだい 美術館 びじゅつかん (英語 えいご 版 ばん ) には19世紀 せいき から20世紀 せいき にかけての最 もっと も重要 じゅうよう なクロアチア人 じん 芸術 げいじゅつ 家 か による絵画 かいが や彫刻 ちょうこく 、デッサン が収蔵 しゅうぞう されている。美術館 びじゅつかん には1万 まん を超 こ える作品 さくひん が収蔵 しゅうぞう されており、1934年 ねん 以来 いらい 、ザグレブ中心 ちゅうしん のヅリンイェヴァツ公園 こうえん を臨 のぞ む歴史 れきし 的 てき なヴラニツザニ宮 みや にある。
クロアチア自然 しぜん 史 し 博物館 はくぶつかん (クロアチア語 ご 版 ばん ) にはネアンデルタール人 じん の遺物 いぶつ の世界 せかい で最 もっと も網羅 もうら 的 てき なコレクションがある[46] 。先史 せんし 時代 じだい のクラピナ人 じん の遺体 いたい や石 いし の武器 ぶき や道具 どうぐ が収蔵 しゅうぞう されている。自然 しぜん 史 し 博物館 はくぶつかん には25万 まん を超 こ える様々 さまざま な標本 ひょうほん のコレクションも含 ふく まれている。
ザグレブ技術 ぎじゅつ 博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) は1954年 ねん に設立 せつりつ され、館内 かんない には1830年 ねん からの古 ふる い機械 きかい が保存 ほぞん され現在 げんざい でも動 うご くようになっている。博物館 はくぶつかん には歴史 れきし 的 てき な飛行機 ひこうき や自動車 じどうしゃ 、機械 きかい 、装置 そうち などが展示 てんじ されている。博物館 はくぶつかん はプラネタリウム、鉱山 こうざん などそれぞれの分野 ぶんや ごとに分 わ けられている[47] [48] 。
ザグレブ市立 しりつ 博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) は1907年 ねん に歴史 れきし 文化 ぶんか 団体 だんたい であるクロアチアドラゴン兄弟 きょうだい 協会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) Braća hrvatskoga zmaja により設立 せつりつ された。博物館 はくぶつかん は以前 いぜん の1650年 ねん のクララ会 かい の女子 じょし 修道院 しゅうどういん の復元 ふくげん された歴史 れきし 的 てき な複 ふく 合 あい 施設 しせつ (Popov toranj, 天文台 てんもんだい , Zakmardi Granary)に位置 いち している[49] 。博物館 はくぶつかん ではザグレブのローマの発見 はっけん から現代 げんだい までの文化 ぶんか 、芸術 げいじゅつ 、経済 けいざい 、政治 せいじ 史 し を扱 あつか っている。所蔵 しょぞう 品 ひん は、都市 とし とその歴史 れきし に特有 とくゆう の芸術 げいじゅつ 的 てき や日常 にちじょう 的 てき なコレクションが体系 たいけい 的 てき に整 ととの えられ80,000以上 いじょう の品 しな から成 な っている。
美術 びじゅつ 工芸 こうげい 博物館 はくぶつかん
ザグレブ民俗 みんぞく 学 がく 博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) は1919年 ねん に設立 せつりつ された。 博物館 はくぶつかん はかつてトレードホールであった立派 りっぱ な1903年 ねん の分離 ぶんり 派 は の建物 たてもの にある。8万 まん 点 てん を超 こ える豊富 ほうふ なクロアチアの民族 みんぞく 学 がく 的 てき 文化財 ぶんかざい をカバーしており、館内 かんない はパンノニア、ディナル、アドリアと3つの文化 ぶんか ゾーンに分 わ けられている[51] 。
ミマラ博物館 はくぶつかん
ザグレブ現代 げんだい 美術館 びじゅつかん
ザグレブ現代 げんだい 美術館 びじゅつかん (英語 えいご 版 ばん ) は1954年 ねん に設立 せつりつ された。新 あたら しい館内 かんない にはクロアチアや海外 かいがい の1950年代 ねんだい から現代 げんだい までの芸術 げいじゅつ 作品 さくひん が収蔵 しゅうぞう されている。美術館 びじゅつかん は装 よそお いを新 あら たに2009年 ねん にノヴィ・ザグレブ (英語 えいご 版 ばん ) に開設 かいせつ された。もともとはゴルニィ・グラードのクルメル邸 てい (2 St. Catherine's Square)にあった[54] 。
リシンスキコンサートホール
ザグレブには約 やく 20の常設 じょうせつ や季 き 節 ぶし 的 てき な劇場 げきじょう やステージがある。ザグレブクロアチア国立 こくりつ 劇場 げきじょう (英語 えいご 版 ばん ) は1895年 ねん に建 た てられ、フランツ・ヨーゼフ1世 せい によって開 ひら かれた。ザグレブでもっとも知 し られたコンサートホールはヴァトロスラヴ・リシンスキコンサートホール (英語 えいご 版 ばん ) で初 はつ のクロアチアのオペラ作曲 さっきょく 家 か であるヴァトロスラヴ・リシンスキ (英語 えいご 版 ばん ) (1819-1854)に因 ちな んで1973年 ねん に建 た てられた。
アニマフェストAnimafest は国際 こくさい 的 てき なアニメ映画 えいが の祭典 さいてん で偶数 ぐうすう 年 ねん に開催 かいさい され、ミュージック・ビエンナーレ Music Bienniale は国際 こくさい 的 てき な前衛 ぜんえい 的 てき な音楽 おんがく の祭典 さいてん で毎回 まいかい 奇 き 数 すう 年 ねん に開催 かいさい されている。毎年 まいとし 開催 かいさい されるザグレブドックス (英語 えいご 版 ばん ) ZagrebDox はドキュメンタリー 映画 えいが の祭典 さいてん である。ザグレブオーケストラ祭 さい や花 はな の展示 てんじ 会 かい であるFloraart 、Old-timer Rally も毎年 まいとし 行 おこな われている。夏 なつ には上町 うえまち のゴルニィ・グラードで演劇 えんげき やコンサートが屋内 おくない 外 がい で開催 かいさい されている。オパトヴィナOpatovina ではシアターイベントであるZagreb Histrionic Summer が開催 かいさい される。
ザグレブではまたザグレブフェストZagrebfest と呼 よ ばれるクロアチアでは最古 さいこ のポップ・ミュージックの音楽 おんがく 祭 さい が開催 かいさい される他 ほか 、国際 こくさい 的 てき な伝統 でんとう あるスポーツイベントやトーナメントも開催 かいさい されている。Day of the City of Zagreb は11月16日 にち に毎年 まいとし 開催 かいさい される特別 とくべつ な祭典 さいてん で、特 とく にヤルン湖 みずうみ 周辺 しゅうへん で催 もよお されている。
ザグレブ大学 だいがく 法学部 ほうがくぶ
ザグレブには136校 こう の小学校 しょうがっこう と30のギムナジウム を含 ふく む100校 こう の中等 ちゅうとう 教育 きょういく 学校 がっこう がある[62] [63] 。また市内 しない には5つの公立 こうりつ の高等 こうとう 教育 きょういく 機関 きかん と9つの私立 しりつ のプロの高等 こうとう 教育 きょういく の学校 がっこう がある[64] 。
ザグレブ大学 だいがく は1669年 ねん に設立 せつりつ された現存 げんそん するクロアチアの大学 だいがく の中 なか では最古 さいこ の大学 だいがく で、南東 なんとう ヨーロッパでも古 ふる い大学 だいがく の一 ひと つである。大学 だいがく は成長 せいちょう を続 つづ け、21世紀 せいき 初頭 しょとう には、28の学部 がくぶ と3つの芸術 げいじゅつ 学院 がくいん 、教員 きょういん 学院 がくいん 、クロアチア研究 けんきゅう センターを擁 よう する総合大学 そうごうだいがく となっており、それまでに20万 まん 人 にん を超 こ える学生 がくせい がこの大学 だいがく で学位 がくい を取得 しゅとく し、18,000人 にん が修士 しゅうし を取得 しゅとく し、8,000人 にん が博士 はかせ 号 ごう を取得 しゅとく している[65] 。
2011年 ねん 、ザグレブ大学 だいがく は世界 せかい のベスト500の大学 だいがく の中 なか に含 ふく まれている[66] 。
ザグレブには多 おお くのスポーツやレクレーション施設 しせつ があり、ヤルンスポーツセンターは市 し の南西 なんせい にあるヤルン湖 こ (英語 えいご 版 ばん ) に位置 いち し、砂浜 すなはま と世界 せかい クラスのレガッタ コースや湖 みずうみ 周囲 しゅうい のジョギングレーンがある。ドム・スポルトヴァ (英語 えいご 版 ばん ) は北部 ほくぶ のトレシュニェヴカ (英語 えいご 版 ばん ) にあるスポーツの中心 ちゅうしん で6つのホールを特徴 とくちょう としている。2つの最大 さいだい の施設 しせつ はそれぞれ7,358人 にん [67] と3,900人 にん を収容 しゅうよう することが出来 でき る。主 おも にバスケットボールやハンドボール、バレーボール、ホッケー、体操 たいそう 、テニスなど様々 さまざま な屋内 おくない 競技 きょうぎ に使 つか われている他 ほか 、コンサートにも使 つか われる。
アリーナ・ザグレブ は2008年 ねん に完成 かんせい し、アイスホッケーやバレーボールでは16,200人 にん [68] の収容 しゅうよう が可能 かのう で、2009年 ねん には2009年 ねん 世界 せかい 男子 だんし ハンドボール選手権 せんしゅけん が開催 かいさい された。
ドラジェン・ペトロヴィッチバスケットボールホール (英語 えいご 版 ばん ) は5,400人 にん が収容 しゅうよう 可能 かのう で、高 たか さ94mの高層 こうそう ビルツィボナタワー (英語 えいご 版 ばん ) の並 なら びにある。ムラドストスポーツパーク (英語 えいご 版 ばん ) はサヴァ川 かわ 沿 ぞ いにあり、オリンピックサイズ・プール と小 ちい さな屋内 おくない 外 がい のプール、日光浴 にっこうよく 用 よう のテラス、16のテニスコートやバスケットボール、バレーボール、ハンドボール、サッカー、フィールドホッケーのコートがある。
シャラタスポーツレクレーションセンターはシャラタ (英語 えいご 版 ばん ) にあり、イェラチッチ広場 ひろば Trg bana Josipa Jelačića からは僅 わず か数 すう 百 ひゃく メートルの場所 ばしょ にあり、テニスプレーヤーには最 もっと も魅力 みりょく 的 てき である。センターには大 おお きなテニスコートと8つの小 ちい さなコートがあり、そのうち2つはバルーンで覆 おお われ他 ほか の2つは照明 しょうめい が備 そな えられている。その他 た にもスイミングプールやバスケットボールコート、サッカー場 じょう 、ジム、フィットネスセンター、4つのボーリングレーンが備 そな えられている。
マクスミルテニスセンターはドニィ・グラード (英語 えいご 版 ばん ) の東側 ひがしがわ のラヴェノウスにあり2つのスポーツ施設 しせつ の区画 くかく で構成 こうせい されている。1つは4つのコートを備 そな えるテニスホールから成 な るテニスセンターで、22の照明 しょうめい 施設 しせつ を備 そな えた屋外 おくがい テニスコートもある。他 た の区画 くかく は多目的 たもくてき のスポーツ施設 しせつ でテニスコートとは別 べつ に、ハンドボールやバスケットボール、インドア・サッカー (英語 えいご 版 ばん ) のグラウンドや陸上 りくじょう 競技 きょうぎ 施設 しせつ 、ボッチボール (英語 えいご 版 ばん ) 場 ば 、卓球 たっきゅう などがある。
38,079人 にん [69] を収容 しゅうよう 可能 かのう なスタディオン・マクシミール は改修 かいしゅう が行 おこな われている。スタジアムは市 し の北東 ほくとう 部 ぶ のマクシミール (英語 えいご 版 ばん ) に位置 いち する。スタジアムは巨大 きょだい なすベティツェレクレーショナル・スポーツコンプレックス (ŠRC Svetice) の一部 いちぶ でマクスミール公園 こうえん の南側 みなみがわ にある。コンプレックスは276,440 m2 (68エーカー)あり、メドヴェドニツァ山 さん から北 きた から南 みなみ へ向 む かって来 く る緑地 りょくち の重要 じゅうよう な一部 いちぶ である。2000年代 ねんだい に入 はい ってから完成 かんせい したレクレーション施設 しせつ にはブンデク (英語 えいご 版 ばん ) があり、ノヴィ・ザグレブ (英語 えいご 版 ばん ) のサヴァ川 がわ 近 ちか くの小 ちい さな湖 みずうみ の一群 いちぐん で、部分 ぶぶん 的 てき に森林公園 しんりんこうえん 囲 かこ まれている。この場所 ばしょ は1970年代 ねんだい 以前 いぜん まで使 つか われていたが、その後 ご 打 う ち捨 す てられていた。2006年 ねん に再 さい 改修 かいしゅう されている。
ザグレブの著名 ちょめい なスポーツクラブにはサッカーのNKディナモ・ザグレブ 、アイスホッケーのKHLメドヴェシュチャク・ザグレブ (英語 えいご 版 ばん ) 、ハンドボールのRKザグレブ (英語 えいご 版 ばん ) 、バスケットボールのKKツィボナ 、KKツェデヴィタ (英語 えいご 版 ばん ) などがある。
ザグレブは以下 いか の都市 とし と姉妹 しまい 都市 とし の関係 かんけい にある[70] 。
以下 いか の都市 とし と提携 ていけい 関係 かんけい を結 むす んでいる。
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初期 しょき 加盟 かめい 国 こく 第 だい 一 いち 次 じ 拡張 かくちょう (1973)第 だい 二 に 次 じ 拡張 かくちょう (1981)第 だい 三 さん 次 じ 拡張 かくちょう (1986)第 だい 四 よん 次 じ 拡張 かくちょう (1995)第 だい 五 ご 次 じ 拡張 かくちょう (2004)第 だい 六 ろく 次 じ 拡張 かくちょう (2007)第 だい 七 なな 次 じ 拡張 かくちょう (2013)
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