馬車ばしゃ鉄道てつどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬車ばしゃ軌道きどうから転送てんそう
英国えいこくマンチェスターの馬車ばしゃ鉄道てつどう
馬車ばしゃ鉄道てつどう大正たいしょう時代じだい

馬車ばしゃ鉄道てつどう(ばしゃてつどう、えい: horsecarhorse-drawn tramhorse-drawn railwaystreetcar)とは、うま線路せんろうえはし車両しゃりょう鉄道てつどうである。

19世紀せいきイギリス誕生たんじょうし、通常つうじょう馬車ばしゃくらべて心地ごこちもよく輸送ゆそうりょくおおきいことからひろ使つかわれた。蒸気じょうき機関きかんしゃ路面ろめん電車でんしゃ発展はってんによりえられた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

馬車ばしゃ鉄道てつどうは19世紀せいきはじめのイギリスで登場とうじょう乗合のりあい馬車ばしゃ事業じぎょうしゃ道路どうろてつレール敷設ふせつすることで馬車ばしゃ心地ごこち改善かいぜんする目的もくてき整備せいびされたものである[1]馬車ばしゃ鉄道てつどう使用しようされた線路せんろインフラとして注目ちゅうもくされ、うまではなく炭鉱たんこう排水はいすいもちいられていた蒸気じょうき機関きかん動力どうりょくみなもととすることがかんがされ、蒸気じょうき機関きかんしゃ登場とうじょうすることとなる[1]

世界せかい馬車ばしゃ鉄道てつどう[編集へんしゅう]

イギリス[編集へんしゅう]

世界せかい最初さいしょ公共こうきょう目的もくてき馬車ばしゃ鉄道てつどうは1803ねん開業かいぎょうしたサリー鉄道てつどうである。サリー鉄道てつどう会社かいしゃは、当時とうじ運河うんがのモデルにならい線路せんろ保有ほゆうするのみで、輸送ゆそう必要ひつよう貨車かしゃうま利用りようしゃ用意よういした。[2] 最初さいしょ旅客りょかく輸送ゆそうおこなった馬車ばしゃ鉄道てつどうは、1807ねん開業かいぎょうしたウェールズ地方ちほうオイスターマス鉄道てつどうで、既存きそん路面ろめん軌道きどうもちいた馬車ばしゃ鉄道てつどうであった。 マンチェスターからリヴァプール綿めん製品せいひん輸送ゆそうするさいにも馬車ばしゃ利用りようされていた。しかしあめると路面ろめんがぬかるみとなり運行うんこう影響えいきょうきたしていたため、鋼鉄こうてつせいのレールを敷設ふせつすることで効率こうりつてき輸送ゆそう実現じつげんできるようになった[1]マンとうダグラス・ベイ馬車ばしゃ軌道きどう英語えいごばん現在げんざいでも運行うんこうされている。

フランス[編集へんしゅう]

1827ねんLigne de Saint-Étienne à Andrézieux開業かいぎょうした。開業かいぎょう貨物かもつ専用せんようであったが、1832ねんより旅客りょかく輸送ゆそうおこなった。

オーストリア[編集へんしゅう]

1827ねんPferdeeisenbahn Budweis–Linz–Gmunden開業かいぎょうした。1836ねんから旅客りょかく列車れっしゃ運行うんこうされた。[3]

アメリカ[編集へんしゅう]

アメリカでは1832ねんニューヨーク開業かいぎょうした。ただし事故じこ多発たはつしたために一旦いったん撤去てっきょされている。しかし1852ねんにニューヨークにて復活ふっかつ、その全米ぜんべいかく都市とし急速きゅうそく普及ふきゅうした[4]

オーストラリア[編集へんしゅう]

1867ねんにはヴィクターハーバーグラニットとうむすぶ、ヴィクターハーバー馬車ばしゃ鉄道てつどう英語えいごばん開通かいつうした。

日本にっぽん馬車ばしゃ鉄道てつどう[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

北海道ほっかいどう開拓かいたくむら再現さいげんされた馬車ばしゃ鉄道てつどう2006ねん5月撮影さつえい
馬車ばしゃ鉄道てつどうなど車輪しゃりんもちいた様々さまざま輸送ゆそう機関きかんえがかれた1889ねん明治めいじ22ねん)の浮世絵うきよえ

明治めいじはじめの日本にっぽんにおける鉄道てつどう導入どうにゅう時期じきには、鉄道てつどうとは蒸気じょうきりょくかつ専用せんよう軌道きどうじきつものとされていた。そのてん道路どうろじょう敷設ふせつし、速度そくど低速ていそくであった馬車ばしゃ鉄道てつどう道路どうろ行政ぎょうせいとして、ひとしゃ軌道きどう電気でんき軌道きどう同様どうように「軌道きどう」に位置付いちづけられた[5](「軌道きどう条例じょうれい」および「軌道きどうほう」を参照さんしょう)。

日新にっしんこと1873ねん明治めいじ6ねん)12月19にち)の記事きじによると、日本にっぽんでは1873ねん明治めいじ6ねん)に高島たかしま嘉右衛門かえもん新橋しんばしえき周辺しゅうへん出願しゅつがんした。篠原しのはらひろしによるとこの計画けいかく許可きょかされなかったとしている[6] 。その理由りゆう先行せんこうして開業かいぎょうした道路どうろじょうはし馬車ばしゃ危険きけんせいなどから問題もんだいになっていたからである。一方いっぽう近代きんだい国家こっか首都しゅととして面目めんぼく一新いっしんする目的もくてきもあり、東京とうきょう府知事ふちじ松田まつだ道之みちゆき評価ひょうかし、市街しがい交通こうつう中軸ちゅうじく位置付いちづけたことが開業かいぎょうへのかぜになった[7]。その1882ねん明治めいじ15ねん)に「東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう」が最初さいしょ馬車ばしゃ鉄道てつどうとして運行うんこう開始かいし[8][7]みなみ沖縄おきなわからきた北海道ほっかいどうまでの全国ぜんこくにもひろまっていった。しかし、糞尿ふんにょう処理しょり給餌きゅうじなどの手間てまがかからない電気でんき動力どうりょく転換てんかんされるかたち馬車ばしゃ鉄道てつどう衰退すいたいしていった。前述ぜんじゅつ東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう1903ねん明治めいじ36ねん)に電化でんかされ東京とうきょう電車でんしゃ鉄道てつどうとなった。また、電気でんきのほか蒸気じょうきなどに動力どうりょく変更へんこうしたものや、路線ろせん廃止はいしになったものも存在そんざいする。日本にっぽん最後さいごまで営業えいぎょうしていた民営みんえい馬車ばしゃ鉄道てつどうは、1949ねん昭和しょうわ24ねん)に廃止はいしされた宮崎みやざきけん銀鏡しろみ軌道きどうだが[ちゅう 1]北海道ほっかいどう殖民しょくみん軌道きどうなどでは昭和しょうわ30年代ねんだいまで存続そんぞくしたものもある。

神津こうづ康人やすひと[9]によると、1936ねん昭和しょうわ11ねん)2がつ鉄道てつどうしょう調査ちょうさによれば、軌間きかん 762mm のものは軽石かるいし軌道きどう北海道ほっかいどう) 8.4 km 、早来はやきた軌道きどう北海道ほっかいどう) 18.6 km 、田名部たなべ軌道きどう青森あおもりけん) 4 km 、勿来なこそ軌道きどう福島ふくしまけん) 6 km 、日向ひなた軌道きどう宮崎みやざきけん) 23 km 、軌間きかん 666mm のものは本郷ほんごう軌道きどう福井ふくいけん) 5.2 km 、軌間きかん 914mm のものは博多湾はかたわん鉄道てつどう汽船きせん軌道きどう福岡ふくおかけん) 3.9 km であった。

馬車ばしゃ併用へいよう軌道きどうじょう運転うんてん軌道きどう運転うんてん規則きそくによってのみ規定きていされていたが、現在げんざいでは道路どうろ交通こうつうほう路面ろめん電車でんしゃ[10][ちゅう 2]としての規制きせいける。

殖民しょくみん軌道きどう[編集へんしゅう]

1920年代ねんだいごろより、きゅう北海道庁ほっかいどうちょうにより殖民しょくみん軌道きどう建設けんせつされた。これは地方ちほう鉄道てつどうほう軌道きどうほうもとづく鉄道てつどう軌道きどうではなく北海道庁ほっかいどうちょう敷設ふせつした線路せんろじょう入植にゅうしょくしゃ所有しょゆうするうま台車だいしゃくものである。浜中はまなか町営ちょうえい軌道きどうなどのち動力どうりょくおこなわれて通常つうじょう軌道きどうとして運行うんこうされた路線ろせんもあるが、一部いちぶ路線ろせん廃止はいしまでうまによる運行うんこうおこなわれた。

統計とうけい[編集へんしゅう]

年度ねんど 軌道きどうすう 開業かいぎょうまいるほどまいるくさり 乗客じょうきゃくひと 貨物かもつりょう(トン) 客車きゃくしゃりょう 貨車かしゃりょう
1908 37 259.23 8,885,366 559,869 456 656
1909 39 273.64 8,430,599 319,238 471 649
1910 38 262.39 8,103,828 380,541 457 678
1911 41 277.15 8,730,524 341,512 513 639
1912 40 291.19 8,967,253 287,890 561 676
1913 35 269.72 9,212,380 229,829 536 578
1914 33 243.07 4,125,114 174,760 429 544
1915 34 244.18 4,064,980 134,181 437 577
1916 37 260.03 4,612,078 214,283 441 646
1917 36 243.19 4,923,044 342,017 401 604
1918 34 195.17 4,184,665 347,812 357 495
1919 35 201.01 4,370,630 419,388 378 517
1920 36 200.50 3,840,632 343,879 317 527
1921 34 177.78 3,000,184 214,188 249 350
1922 30 158.04 2,984,613 147,209 240 273
1923 29 177.63 2,777,515 331,435 233 715
1924 29 174.20 2,529,017 347,198 221 704
1925 25 140.69 1,846,813 180,449 164 694
1926 22 139.77 1,066,298 187,376 137 688
1927 18 178.27 827,648 202,116 120 698
1928 18 165.37 624,636 98,725 98 175
1929 15 123.76 456,074 108,498 90 157
1930 14 123.07 420,732 92,044 66 157
1931 16 145.04 236,582 68,956 58 107
1932 16 145.04 202,507 76,956 45 110
1933 14 137.45 187,595 108,016 42 111
1934 15 150.47 154,909 90,006 40 115
1935 15 150.47 143,610 105,385 37 109
1936 13 130.10 78,944 97,113 37 102
  • 鉄道てつどういん年報ねんぽう鉄道てつどうしょう年報ねんぽうかく年度ねんどばんおよ日本にっぽん鉄道てつどう下巻げかん
  • 開業かいぎょうまいるほど単位たんいは1927年度ねんど以降いこうはKm
  • 東京とうきょう馬車ばしゃ鉄道てつどう1しゃ車両しゃりょう307りょう乗客じょうきゃくすう42,206,917にんであった(1902ねん

復元ふくげん運行うんこう状況じょうきょう[編集へんしゅう]

復元ふくげん運行うんこう詳細しょうさいは、かく施設しせつ項目こうもく参照さんしょう

現在げんざい日本にっぽんでは、北海道ほっかいどうにある野幌のっぽろ森林公園しんりんこうえんうち北海道ほっかいどう開拓かいたくむら岩手いわてけん小岩井こいわい農場のうじょううちにある「まきばえん」で、観光かんこうよう復元ふくげんした馬車ばしゃ鉄道てつどう運行うんこうされている。

おも馬車ばしゃ鉄道てつどう[編集へんしゅう]

全国ぜんこく鉄道馬車てつどうばしゃ会社かいしゃ一覧いちらんひょう(『明治めいじ郵便ゆうびん鉄道馬車てつどうばしゃ篠原しのはらひろし 雄松おまつどう出版しゅっぱん p133-135)とWikipedia記事きじらしわせて作成さくせい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 一方いっぽう日本にっぽん最後さいごまで営業えいぎょうしていた民営みんえいひとしゃ軌道きどうは、1955ねん昭和しょうわ30ねん休止きゅうし1959ねん昭和しょうわ34ねん廃止はいし島田しまだ軌道きどうであるため、日本にっぽんにおいては民営みんえい馬車ばしゃ鉄道てつどう民営みんえいひとしゃ軌道きどうよりはやくに消滅しょうめつしたことになる。
  2. ^ 前身ぜんしんほう道路どうろ交通こうつう取締とりしまりほう2じょう6こう軌道きどうしゃ」の概念がいねんいだもので、狭義きょうぎ路面ろめん電車でんしゃ意味合いみあいではなく軌道きどうほう準拠じゅんきょしたものをしている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 三宅みやけ秀道ひでみちあたらしい市場いちばつくかた』2012ねん東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、32ぺーじ
  2. ^ 青木あおき 2008, pp. 19–20
  3. ^ Riehs: Jahrbuch Nr.16 des Musealvereines. Wels 1969/70.
  4. ^ 東京とうきょう鉄道てつどう発達はったつ 今尾いまおめぐみかい JTBパブリッシング p21
  5. ^ 官報かんぽう』1890ねん08がつ25にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  6. ^ 明治めいじ郵便ゆうびん馬車ばしゃ鉄道てつどう 篠原しのはらひろし 雄松おまつどう出版しゅっぱん p111
  7. ^ a b 東京とうきょう鉄道てつどう発達はったつ 今尾いまおめぐみかい JTBパブリッシング p22
  8. ^ 明治めいじ郵便ゆうびん馬車ばしゃ鉄道てつどう 篠原しのはらひろし 雄松おまつどう出版しゅっぱん p112
  9. ^ 東京とうきょう鉄道てつどうきょく工作こうさく部長ぶちょう人事じんじ興信録こうしんろく. だい13はん(昭和しょうわ16ねん) じょう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  10. ^ 道路どうろ交通こうつうほう2じょう1こう13ごう

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 明治めいじ郵便ゆうびん鉄道馬車てつどうばしゃ 篠原しのはらひろし 雄松おまつどう出版しゅっぱん 1987ねん ISBN 4-8419-0034-9
  • 地図ちず解明かいめい東京とうきょう鉄道てつどう発達はったつ 今尾いまおめぐみかい JTBパブリッシング 2016ねん ISBN 978-4-533-10954-6
  • 青木あおき栄一えいいち鉄道てつどう地理ちりがくWAVE出版しゅっぱん、2008ねんISBN 978-4-87290-376-8 
  • Pierre Dauzet, Le siècle des chemins de fer en France, 1821-1938, Fontenay-aux-Roses, Bellenand, 1948.
  • Elmar Oberegger: Kurze Geschichte der Budweiser-Bahn. Č.Budějovice – Gaisbach-Wartberg – Linz/St. Valentin. –Sattledt 2007 (Veröffentlichungen des Info-Büros für österr. Eisenbahngeschichte 13).

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]