秋田あきた市電しでん

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秋田あきた市電しでん
路線ろせんそう延長えんちょう7.7 km
軌間きかん1067 mm
電圧でんあつ600 V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき直流ちょくりゅう
最大さいだい勾配こうばい 18.5 パーミル
最小さいしょう半径はんけい20 m
国鉄こくてつ奥羽本線おううほんせん羽越本線うえつほんせん
0.0 秋田あきた駅前えきまえ
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連隊れんたいまえ
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0.6 公園前こうえんまえ
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0.9 木内きうちまえ
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産業さんぎょう会館かいかんまえ
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旭川あさひかわ橋梁きょうりょう丁目ちょうめきょう
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1.1 大町おおまち丁目ちょうめ
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1.5 田中たなかまち
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2.0 県庁けんちょうまえ
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2.2 おもて鉄砲てっぽうまち
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-
0.5
新大工しんだいくまち
uexSTRl uexABZg+r
uexDST
2.5
0.0
おもて鉄砲てっぽうまち信号しんごうしょ
uexBHF
3.5 日吉ひよし
uexBHF
外旭川そとあさひかわ
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5.2 八柳やつやなぎ
uexhKRZWae
草生津くそうづがわ橋梁きょうりょう 22m
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6.0 将軍野しょうぐんの
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6.3 自衛隊前じえいたいまえ
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6.9 竜神りゅうじんとおる
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7.3 土崎つちざき

秋田あきた市電しでん(あきたしでん)は、かつて秋田あきた秋田あきた交通こうつうきょく)が経営けいえいしていた路面ろめん電車でんしゃである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

秋田あきた馬車ばしゃ鉄道てつどうという会社かいしゃ経営けいえいしていた軌間きかん1391mmの馬車ばしゃ鉄道てつどうが、のち秋田あきた電気でんき軌道きどう改称かいしょうして軌間きかんを1067mmにあらためたうえ路面ろめん電車でんしゃされたものが創始そうしである。その戦時せんじ体制たいせいした1941ねん昭和しょうわ16ねん)に交通こうつう統制とうせいのため市営しえいされ、秋田あきた市電しでんとなった。市営しえい以前いぜん新大工しんだいくまち経由けいゆ土崎つちざきまでの直通ちょくつうをめざすも、秋田あきたえきがわ市内しないせん)と土崎つちざきえきがわ市外しがいせん)の中間ちゅうかんにできた開業かいぎょう区間くかん道路どうろせま既存きそん建物たてもの撤去てっきょ必要ひつよう[1]用地ようち買収ばいしゅう失敗しっぱいしたため直通ちょくつう断念だんねん市内しないせん撤去てっきょするというにもったが、戦後せんごになると撤去てっきょされた市内しないせん再建さいけんし、路線ろせんちょう利用りようきゃくともに順調じゅんちょうびをせた。

1951ねん昭和しょうわ26ねん)には、戦前せんぜんできなかった秋田あきた駅前えきまえ土崎つちざきあいだ直通ちょくつう一部いちぶルート変更へんこううえでようやくたし、翌年よくねん平均へいきん乗客じょうきゃくすうは1にち11,000にん[2]にものぼる。ラッシュ最大さいだい6りょう続行ぞっこう運転うんてん大量たいりょう輸送ゆそうおこない、最盛さいせいむかえた。

だがモータリゼーションすすんだ1960年代ねんだいはいると、並行へいこうして秋田あきた中央ちゅうおう交通こうつうバスはしらせるようになり、さらには市営しえいバスや国鉄こくてつせんとも競合きょうごうすることになったため、1965ねん昭和しょうわ40ねん12月31にちかぎりで休止きゅうし翌年よくねん3月31にち正式せいしき廃止はいしとなった。

路線ろせんデータ[編集へんしゅう]

べいぐん作成さくせい土崎つちざき地図ちず
べいぐん作成さくせい秋田あきた地図ちず

1959ねん当時とうじ

  • 路線ろせん距離きょりそう延長えんちょう7.7km(全線ぜんせん単線たんせん
    • 秋田あきた市内しないせん秋田あきた駅前えきまえ - 土崎つちざきあいだ7.3km
    • 新大工しんだいくまちせんひょう鉄砲てっぽうまち - 新大工しんだいくまちあいだ0.4km
  • 電化でんか方式ほうしき直流ちょくりゅう600V架空かくう単線たんせんしき
  • 車庫しゃこひょう鉄砲てっぽうまち信号しんごうしょ東側ひがしがわにバス車庫しゃこ併設へいせつ現在げんざい秋田あきた中央ちゅうおう郵便ゆうびんきょく保戸野ほどの保育ほいくしょ位置いち

沿革えんかく[編集へんしゅう]

  • 1888ねん明治めいじ21ねん6月28にち - 軌道きどう特許とっきょ下付かふ[4]
  • 1889ねん明治めいじ22ねん
    • 7がつ3にち - 本社ほんしゃにおいて開業かいぎょうしき挙行きょこう[5]
    • 7がつ14にち - 秋田あきた馬車ばしゃ鉄道てつどう[6]秋田あきた新大工しんだいくまち) - 土崎つちざきあいだ営業えいぎょう開始かいし[7]うま14とう客車きゃくしゃ5りょう使用しよう[8]
  • 1902ねん明治めいじ35ねん10月21にち - 競合きょうごう路線ろせんとなる奥羽北線おううほくせん五城目ごじょうめ - 秋田あきたあいだ開通かいつう
  • 1909ねん明治めいじ42ねん) - 秋田あきた軌道きどう[9]改称かいしょう[10]
  • 1916ねん大正たいしょう5ねん10月24にち - 秋田あきた軌道きどうたい軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ秋田あきた新大工しんだいくまち-南秋田みなみあきたぐん土崎つちざき港町みなとちょうあいだ 動力どうりょく馬力ばりき[11]
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん) - 秋田あきた電気でんき軌道きどう本社ほんしゃ所在地しょざいち大阪おおさか西にし[12]改称かいしょう[13]
  • 1921ねん大正たいしょう10ねん4がつ11にち - 動力どうりょく変更へんこう許可きょか動力どうりょく 電気でんき[13]
  • 1922ねん大正たいしょう11ねん1がつ21にち - 全線ぜんせん電化でんかし、路面ろめん電車でんしゃとなる[注釈ちゅうしゃく 1]
  • 1925ねん大正たいしょう14ねん) - 新大工しんだいくまちより市内しない各所かくしょへの乗合のりあい自動車じどうしゃ営業えいぎょう開始かいし[15]
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん4がつ27にち - 秋田あきた電気でんき軌道きどうたい軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ[16]
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん
    • 5月26にち - 秋田あきた電車でんしゃ株式会社かぶしきがいしゃ[7][17]設立せつりつ代表だいひょう取締役とりしまりやく栗原くりはら源蔵げんぞう[18]
    • 9月12にち - 秋田あきた電車でんしゃ軌道きどう敷設ふせつけん譲渡じょうと[19]
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん12月17にち - 秋田あきた駅前えきまえ - 県庁けんちょうぜんあいだ開通かいつう[7]開通かいつう区間くかん市内しないせん既存きそん路線ろせん市外しがいせんとする
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん2がつ15にち - 県庁けんちょうまえ - 大町おおまち丁目ちょうめあいだ開通かいつう[7]
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん8がつ17にち - 軌道きどう特許とっきょ失効しっこう昭和しょうわ3ねん4がつ27にち軌道きどう特許とっきょぶん 指定してい期限きげんマテニ工事こうじ施工しこう認可にんか申請しんせいためササルタメ)[20]
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん
    • 10月7にち - 起業きぎょう廃止はいし許可きょか秋田あきた大町おおまち丁目ちょうめ-同市どうし新大工しんだいくまちあいだ[21]
    • 11月7にち - 秋田あきた駅前えきまえ-大町おおまち丁目ちょうめあいだ廃止はいし[22]
  • 1940ねん昭和しょうわ15ねん4がつ - 秋田あきた駅前えきまえ - 大町おおまち丁目ちょうめあいだ軌道きどう撤去てっきょ
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん
    • 3月29にち - 秋田あきた譲渡じょうと許可きょか[4]
    • 4がつ1にち - 秋田あきた交通こうつう路線ろせん車両しゃりょう設備せつび譲渡じょうと
    • 10月 - 秋田あきた電車でんしゃ会社かいしゃ解散かいさん[14]
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん9月21にち - 運輸うんゆ改称かいしょう
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん
    • 9月1にち - 保戸野ほどの信号しんごうしょおもて鉄砲てっぽうまち) - 県庁けんちょうぜんあいだ開通かいつう
    • 12月19にち - ゆう園地えんち停留所ていりゅうじょ将軍野しょうぐんの停留所ていりゅうじょ改称かいしょう[23]
  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん
    • 2がつ7にち - 秋田あきた駅前えきまえ - 県庁けんちょうぜんあいだ再開さいかいどおり秋田あきた - 土崎つちざきあいだ直通ちょくつう運転うんてんとしどう区間くかん秋田あきた市内しないせん支線しせんしたひょう鉄砲てっぽうまち - 新大工しんだいくまちあいだ新大工しんだいくまちせんとする
    • 8がつ - 交通こうつうきょく改称かいしょう
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん
    • 7がつ1にち - 保安ほあんたいぜん停留所ていりゅうじょ自衛隊じえいたいぜん停留所ていりゅうじょ改称かいしょう[23]
    • 8がつ1にち - しん国道こくどう停留所ていりゅうじょをスポーツセンターぜん停留所ていりゅうじょ改称かいしょう[23]
    • 12月11にち - スポーツセンターぜん停留所ていりゅうじょ体育館前たいいくかんまえ停留所ていりゅうじょ改称かいしょう[23]
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん7がつ1にち - 秋田あきた交通こうつうきょく保戸野ほどのてらこししん庁舎ちょうしゃ移転いてん電車でんしゃ新大工しんだいくまちからしん庁舎ちょうしゃ移転いてん[26]
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん
    • 4がつ1にち - 新大工しんだいくまちせん廃止はいし[27][28]新大工しんだいくまち停留所ていりゅうじょ付属ふぞく建物たてもの車庫しゃこ付属ふぞく整備せいび工場こうじょうになる[注釈ちゅうしゃく 4]
    • 9月1にち - 電車でんしゃしん車庫しゃこ落成らくせい[30]
    • つき不明ふめい - 県庁けんちょうぜん停留所ていりゅうじょ大町おおまち丁目ちょうめ停留所ていりゅうじょに、体育館前たいいくかんまえ停留所ていりゅうじょ県庁けんちょうぜん停留所ていりゅうじょ改称かいしょう[23]
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん10月 - だい16かい国民こくみん体育たいいく大会たいかい関係かんけいしゃのバス輸送ゆそうのため、早朝そうちょうよるあいだのぞ秋田あきた駅前えきまえ - 交通局前こうつうきょくまえ仮設かせつ停留所ていりゅうじょあいだ運休うんきゅうする。利用りようしゃからの不評ふひょうよりも好評こうひょうこえおおく、市電しでん不要ふようろん拍車はくしゃけた[32]
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん9月 - 木内きうちぜん停留所ていりゅうじょ大町おおまち丁目ちょうめ停留所ていりゅうじょ廃止はいし産業さんぎょう会館かいかんぜん停留所ていりゅうじょ新設しんせつ[23]
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん7がつ - ひょう鉄砲てっぽうまち停留所ていりゅうじょ廃止はいし[23]
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん

停留所ていりゅうじょ一覧いちらん[編集へんしゅう]

1962ねん昭和しょうわ37ねん当時とうじ営業えいぎょうキロが「*.*」となっているものは、1962ねん以前いぜん廃止はいしまたは以後いご新設しんせつ停留所ていりゅうじょ

停留所ていりゅうじょめい 営業えいぎょうキロ 接続せつぞく路線ろせん 備考びこう
秋田あきた駅前えきまえ 0.0 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう奥羽本線おううほんせん羽越本線うえつほんせん秋田あきたえき 停留所ていりゅうじょ所在地しょざいち秋田あきたえき西口にしぐちバスターミナル付近ふきん相当そうとう
連隊れんたいまえ *.*    
公園前こうえんまえ 0.6    
木内きうちまえ 0.9   1963ねん昭和しょうわ38ねん)9がつ廃止はいし[23]
産業さんぎょう会館かいかんまえ *.*   木内きうちぜん大町おおまち丁目ちょうめ廃止はいしともな新設しんせつ[23]
大町おおまち丁目ちょうめ 1.1   県庁けんちょうまえ→1959ねん昭和しょうわ34ねん大町おおまち丁目ちょうめ、1963ねん昭和しょうわ38ねん)9がつ廃止はいし[23]
田中たなかまち 1.5    
県庁けんちょうまえ 2.0   新国にいくにみち→1954ねん昭和しょうわ29ねん)8がつ1にちスポーツセンターまえ→12月11にち体育館前たいいくかんまえ県庁けんちょうまえ[23]
おもて鉄砲てっぽうまち 2.2   1965ねん昭和しょうわ40ねん)7がつ廃止はいし[23]
日吉ひよし 3.5    
外旭川そとあさひかわ *.*    
八柳やつやなぎ 5.2    
将軍野しょうぐんの 6.0   交換こうかんえき向山むかいやまゆう園地えんち→1950ねん昭和しょうわ25ねん)12月19にち将軍野しょうぐんの[23]
自衛隊前じえいたいまえ 6.3   1953ねん昭和しょうわ28ねん)8がつ1にち保安ほあんたいまえ→1954ねん昭和しょうわ29ねん)7がつ1にち自衛隊前じえいたいまえ
竜神りゅうじんとおる 6.9    
土崎つちざき 7.3   奥羽本線おううほんせん土崎つちざきえきからやく900mほどみなみはなれたべつえきである。しましき1めん2せんプラットホーム駅舎えきしゃゆうした。
  • このほかにおもて鉄砲てっぽうまち交通こうつうきょく庁舎ちょうしゃ北側きたがわからひがし分岐ぶんきしていた新大工しんだいくまちせん単線たんせん0.5km[28]。)の起点きてん新大工しんだいくまちがあったが1959ねん昭和しょうわ34ねん)4がつ1にち廃止はいしされている 。新大工しんだいくまち秋田あきた駅前えきまえ - 土崎つちざき全通ぜんつう以前いぜん秋田あきた市街しがいがわのターミナルであった。

輸送ゆそう収支しゅうし実績じっせき[編集へんしゅう]

年度ねんど 輸送ゆそう人員じんいんひと 貨物かもつりょう(トン) 営業えいぎょう収入しゅうにゅうえん 営業えいぎょうえん 営業えいぎょう益金えききんえん その益金えききんえん その損金そんきんえん 支払しはらい利子りしえん
1908 124,250 10,110 9,210 900
1909 139,374 10,866 9,377 1,489 389
1910 156,179 12,608 10,958 1,650
1911 174,009 13,708 12,057 1,651
1912 16,863[33] 13,220 11,468 1,752
1913 133,360 13,639 10,734 2,905 利子りし95
1914 132,526 13,370 9,920 3,450 利子りし50
1915 116,645 12,490 8,916 3,574 利子りし51
1916 130,208 13,569 9,693 3,876
1917 145,230 15,244 11,386 3,858
1918 143,645 19,963 15,707 4,256
1919 115,204 20,533 17,183 3,350
1920 124,670 25,541 19,027 6,514
1921 80,052 1,362 15,429 11,927 3,502
1922 175,273 44,763 19,611 25,152
1923 183,124 59,310 58,955 355
1924 366,648 51,476 42,599 8,877
1925 394,897 610 53,580 42,507 11,073 償却しょうきゃくきん7,171
1926 418,077 90 52,712 39,753 12,959 償却しょうきゃくきん11,500 203
1927 422,576 717 50,201 39,244 10,957 償却しょうきゃくきん5,000 2,165
1928 494,991 272 54,723 42,845 11,878 10,768
1929 484,451 651 51,504 39,304 12,200 11,988
1930 513,859 495 47,614 43,876 3,738 7,744
1931 646,512 366 46,909 34,792 12,117 償却しょうきゃくきん2,208 7,270
1932 908,441 343 62,088 42,157 19,931 自動車じどうしゃ及雑そん17,225 7,021
1933 899,178 263 58,839 41,299 17,540 自動車じどうしゃ6償却しょうきゃくきんざつそん17,912 6,217
1934 926,116 322 61,634 46,136 15,498 自動車じどうしゃ4,797 償却しょうきゃくきん11,395 6,792
1935 833,732 217 53,876 43,930 9,946 自動車じどうしゃ2,071 償却しょうきゃくきん5,143 5,838
1936 714,249 115 44,249 38,128 6,121 自動車じどうしゃ112償却しょうきゃくきん1,572 5,576
1937 756,472 142 46,227 39,254 6,973 自動車じどうしゃ1,293 償却しょうきゃくきん3,824 6,973
  • 鉄道てつどういん年報ねんぽう鉄道てつどういん鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけいかく年度ねんどばん

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

全廃ぜんぱいまでしゅうでん装置そうちトロリーポール使用しようしていた。公営こうえい路面ろめん電車でんしゃでは最後さいご使用しよう路線ろせんである。主幹しゅかん制御せいぎょ全車ぜんしゃ直接ちょくせつしき使用しようした。単車たんしゃハンドブレーキ常用じょうようし、ボギぼぎしゃエアブレーキ常用じょうようした。ボギぼぎしゃはいずれも東京とうきょう都電とでんからの中古ちゅうこしゃどう系列けいれつ設計せっけいしんせいされた車両しゃりょうで、塗装とそうしょく東京とうきょう都電とでん類似るいじしていた。冬季とうき積雪せきせつ営業えいぎょうしゃスノープロウけて除雪じょせつしていた[注釈ちゅうしゃく 5]

馬車ばしゃ鉄道てつどう車両しゃりょう[編集へんしゅう]

開業かいぎょうにあたり三田みた機械きかい製作所せいさくしょ客車きゃくしゃ注文ちゅうもんしている[注釈ちゅうしゃく 6]

1890ねん明治めいじ23ねん下期しもき営業えいぎょう報告ほうこくしょ[5]によれば下記かき車両しゃりょう保有ほゆうしていた。

  • きゃく馬車ばしゃだい1・2ごう、2とう曳、36にんり、2りょう
  • きゃく馬車ばしゃだい1ごう、1とう曳、16にんり、1りょう
  • きゃく馬車ばしゃなつようだい1ごう、2とう曳、36にんり、1りょう
  • 荷馬にうましゃだい2ごう、2とう曳、2トンはん、1りょう
  • 母衣ほろ馬車ばしゃ、1とう曳、6にんり、1りょう
  • ドコービルかたちゆきはらい兼用けんよう、1りょう
  • 荷車にぐるまだい1・2ごう、2りょう

市営しえい以前いぜんからの車両しゃりょう[編集へんしゅう]

100かたち
1921ねん大正たいしょう10ねん日本にっぽん電機でんき車輌しゃりょうせい木造もくぞう単車たんしゃ。このうち101 - 104(秋田あきた交通こうつう時点じてんでは1 - 4。のちにあらためばんした。)は秋田あきた電気でんき鉄道てつどう電車でんしゃ運転うんてん開始かいし導入どうにゅうした。丸屋まるやでドアがいており寒冷かんれい考慮こうりょした構造こうぞうである。新造しんぞうされた1 - 6の6りょう入線にゅうせんしたがわずか8ねん1929ねん昭和しょうわ4ねん京浜けいひん自動車じどうしゃ工業こうぎょうにて4りょう車体しゃたい更新こうしんおこなった[注釈ちゅうしゃく 7]市営しえい以前いぜんの1930ねん昭和しょうわ5ねん)にいたみがひどく修理しゅうり不能ふのうな2りょう廃車はいしゃするために車両しゃりょうしんせいぞう備を申請しんせいしているが、廃車はいしゃされた2りょうがどの車両しゃりょうしめすのか不明ふめい定員ていいん46めいだが資料しりょうには36めいしるされている[35]
110かたち
廃車はいしゃ予定よてい車両しゃりょうようしんせいされた。111、112は1930ねん昭和しょうわ5ねん新潟鐵工所にいがたてっこうじょ製造せいぞう定員ていいん50にん。113は111、112と同型どうけいしゃで1931ねん昭和しょうわ6ねん新潟鐵工所にいがたてっこうじょ製造せいぞう路線ろせん延長えんちょう計画けいかく考慮こうりょしてのぞう[35]。101 - 104、112は1953ねん昭和しょうわ28ねん) - 1955ねん昭和しょうわ30ねん)に廃車はいしゃ。111、113は20かたち混用こんようされ、1959ねん昭和しょうわ34ねん新大工しんだいくまちせん廃止はいしと200がた登場とうじょうでラッシュ専用せんよう予備よびしゃになって1962ねん昭和しょうわ37ねんごろまで使用しようされた[36]

市営しえい以降いこう入線にゅうせん車両しゃりょう[編集へんしゅう]

20かたち
1930ねん昭和しょうわ5ねん汽車きしゃ製造せいぞうせいはんはがねせい単車たんしゃもと旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう22がた1948ねん昭和しょうわ23ねん) に22・23・25・26が入線にゅうせんした。寒冷かんれい旭川あさひかわ使用しようされていたので丸屋まるやで、ドアがいた密閉みっぺいしき運転うんてんだいをもっている。はいせん、もはやじく単車たんしゃ時代じだいでなかったため、他社たしゃ譲渡ゆずりわたされることもなく廃車はいしゃとなった。
80かたち
もと京都きょうと電気でんき鉄道てつどう京都きょうと市電しでん)の木造もくぞう単車たんしゃで、うめはち鐵工てっこうしょせい製造せいぞうねんしょう[注釈ちゅうしゃく 8]名古屋なごや市電しでんて1946ねん昭和しょうわ21ねん)にN85(またはN98)・N86・N88・N89・N93・N95・N97が入線にゅうせんくるまばんからNをはずして使用しようした(N85とN98については名古屋鉄道なごやてつどう譲渡じょうとぶんとの情報じょうほう錯綜さくそうがあり、N85を名鉄めいてつ、N98を秋田あきた交とするせつあり。名鉄めいてつモ90かたち電車でんしゃ (2だい)参照さんしょう[37]寒冷かんれい使用しようすることからオープンデッキ設置せっちした。1950ねん昭和しょうわ25ねん) - 1953ねん昭和しょうわ28ねん)に廃車はいしゃ
30かたち
1953ねん昭和しょうわ28ねん)に東京とうきょう都電とでん中古ちゅうこ車体しゃたい日本にっぽんたててつ改造かいぞうして入線にゅうせんしたはんはがねせいボギぼぎしゃ東京とうきょう都電とでんでは3000かたち改造かいぞう[注釈ちゅうしゃく 9]さいはんはがねせい車体しゃたい新造しんぞうして電装でんそうひん台車だいしゃさい利用りようしたので、不要ふようとなった車体しゃたいゆずけて高床たかゆか式台しきだいしゃわせた。31 - 35が在籍ざいせきした。このうち31・32はもと東京とうきょう都電とでん3000かたち3233・3234[注釈ちゅうしゃく 10]もと木造もくぞう車体しゃたいをなぞるかたちでのはがねたいおこなった。33 - 35はもと都電とでん150かたち当初とうしょからはんこうせい車体しゃたいである。元来がんらい車輪しゃりんみち660mmのていゆか式台しきだいしゃ装備そうびしていた車体しゃたい車輪しゃりんみち790mmの高床たかゆか式台しきだいしゃわせたため、ぜんこうたかかった。くるまだかがったぶん停留所ていりゅうじょのホームにたかさをわせるためステップをぎたし、ドアは交換こうかんしていた。秋田あきた市電しでん全廃ぜんぱい同時どうじ廃車はいしゃ。33号車ごうしゃ秋田あきた市内しない幼稚園ようちえん寄贈きぞうされ図書館としょかんとして使用しようされたが昭和しょうわ60ねんごろまでに老朽ろうきゅうのため解体かいたいされた。
60かたち
1951ねん昭和しょうわ26ねん日立製作所ひたちせいさくしょせいはんはがねせいボギぼぎしゃ各地かくち存在そんざいした東京とうきょう都電とでん6000かたちのコピー車両しゃりょうひとつだが、ぜんあきらとうはオリジナルの前面ぜんめんまどことなり前面ぜんめんまどじょう設置せっちされていた。廃止はいし、4りょう南海電気鉄道なんかいでんきてつどう譲渡ゆずりわたされ、同社どうしゃ和歌山わかやま軌道線きどうせんの251かたちとなった。しゅうでん装置そうちパンタグラフえ、和歌山わかやま軌道きどうせんおおくの車両しゃりょう同様どうようぜんあきらとうを2とうしたが、同線どうせん廃止はいしにより譲渡じょうとからわずか5ねん廃車はいしゃとなっている。
200かたち
岡山おかやま電気でんき軌道きどう譲渡ゆずりわたされて車体しゃたい更新こうしんけ7100かたちになったきゅう秋田あきた市電しでん200かたち
1959ねん昭和しょうわ34ねん日本にっぽん車輌しゃりょうせいぜん金属きんぞくせいボギぼぎしゃ。60がた近代きんだい改良かいりょうがたアルミサッシ鋼板こうはんプレスドアを採用さいようし、ドアエンジンを装備そうびした。側面そくめんまど上段じょうだんとドアのガラスはHゴムで支持しじしていた。前面ぜんめん中央ちゅうおうまどが60かたちよりひろい。台車だいしゃ日本にっぽん車輌しゃりょうせいで201がNS-14、202はしょう改良かいりょうほどこしたNS-14A。いずれもローラーベアリング軸受じくうけきで一体いったい鋳鋼ちゅうこうフレームにまくらばね・じくばねどもにコイルばねを使用しようし、弾性だんせい車輪しゃりん装備そうびして防音ぼうおんぼう配慮はいりょした[38]全廃ぜんぱい、201、202の2りょうとも岡山おかやま電気でんき軌道きどう譲渡ゆずりわたされ1000かたちとなった(そのさいあつまりでん装置そうちをトロリーポールから石津いしづしきパンタグラフ変更へんこう)。1981ねん昭和しょうわ56ねん)に車体しゃたいえて7100かたち更新こうしんされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 諸説しょせつ大正たいしょう11ねん1がつ17にち動力どうりょく変更へんこう鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 大正たいしょう11年度ねんど)あるが吉川よしかわ大正たいしょう11ねん1がつ発行はっこう秋田あきたいさお新報しんぽう掲載けいさいされた電車でんしゃ開通かいつう広告こうこくにより1がつ21にちせいとしている[14]
  2. ^ 秋田あきた写真しゃしんかん がいおも 路面ろめん電車でんしゃ秋田あきた企画きかく財政ざいせい広報こうほうこう聴課、2012ねん1がつ19にち閲覧えつらん)に建都けんと350ねん花電車はなでんしゃ写真しゃしんがある。なお、秋田あきた公式こうしきホームページ-「市民しみんのかたへ」ない広報こうほう 映写えいしゃしつ動画どうが配信はいしん)」コーナーに「秋田あきたニュース 建都けんと350ねんさい」の動画どうががあり、後半こうはん花電車はなでんしゃうつっている。
  3. ^ 写真しゃしん一見いっけんして車両しゃりょう限界げんかい突破とっぱしていることはあきらかで(とくおくの2だい電車でんしゃ)、いかなる許認可きょにんか運転うんてんしたか不明ふめい
  4. ^ 新大工しんだいくまち廃止はいし年月日ねんがっぴについて参考さんこう文献ぶんけん写真しゃしんじょう 秋田あきた路面ろめん電車でんしゃ』は、[29]では1955ねん昭和しょうわ30ねん)4がつ1にち廃止はいしとしているが、[30]年表ねんぴょうでは昭和しょうわさんじゅうねんらん昭和しょうわさんじゅうよんねんらんにそれぞれ「新大工しんだいくまちせん廃止はいし」「新大工しんだいくまち停留所ていりゅうじょさんがつさんじゅういちにちかぎりで廃止はいし」としるすなどとき系列けいれつ混乱こんらんられる。[31]著者ちょしゃ撮影さつえい新大工しんだいくまち停留所ていりゅうじょ停車ていしゃする22・23・113の写真しゃしん掲載けいさいされているが、23はダッシュボードに「土崎つちざき - 新大工しんだいくまち」の行先いきさき表示ひょうじばん装着そうちゃくしており、撮影さつえい場所ばしょ交通こうつうきょく車庫しゃこ撮影さつえい年月日ねんがっぴ昭和しょうわ34ねん1がつ5にちとしている。
  5. ^ 日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃ 都市とし生活せいかつささえてひゃくねん 秋田あきた市電しでんのラッセルしゃ 1952(昭和しょうわ27)ねん12月[リンク]毎日まいにちjp 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2012ねん1がつ16にち閲覧えつらん)の写真しゃしんでは、日本にっぽん勧業かんぎょう銀行ぎんこうまえ大町おおまち丁目ちょうめでんとまで20かたち25ごうがスノープロウをけている。
  6. ^ 12りょう注文ちゅうもんしており2りょう完成かんせい工場こうじょう試運転しうんてんをしたとの記事きじ掲載けいさい[34]
  7. ^ 吉川よしかわによると竣工しゅんこう図表ずひょうには「日本にっぽん車輌しゃりょう」とある。しかしこの時期じき日本にっぽん車輌しゃりょう木造もくぞうとはいえわずか8ねん車体しゃたい更新こうしんとなるような粗雑そざつ車体しゃたい製造せいぞうしたことについては疑問ぎもんがあり、鉄道てつどうしょう提出ていしゅつした改造かいぞう設計せっけい認可にんか書類しょるいには「日本にっぽん電機でんき車輛しゃりょうしゅ電動でんどうをウェスチングハウスせい交換こうかん」とあることから、実際じっさい製造せいぞう日本にっぽん電機でんき車輛しゃりょうであったとられている。日本にっぽん電機でんき車輛しゃりょうせい車両しゃりょうとしては信貴しぎ生駒いこま電鉄でんてつ100かたちがあるが、こちらも製造せいぞうわずか4ねんきゅうしゃ、12ねんで「老朽ろうきゅうのため」廃車はいしゃとなっている。
  8. ^ 京都きょうと交通こうつうきょくおよび監督かんとく官庁かんちょう所蔵しょぞう資料しりょうでは京都きょうと電気でんき鉄道てつどうからの車両しゃりょうはすべて「1918ねん大正たいしょう7ねん製造せいぞう」とぎされたとし製造せいぞうねんしるされており、製造せいぞうねん直接ちょくせつ断定だんていできる資料しりょう発見はっけんされていない。
  9. ^ 名義めいぎじょうのことで、実質じっしつてきには部品ぶひん流用りゅうようしたしんせいである。
  10. ^ どちらも戦後せんごきゅうしゃから復旧ふっきゅうするさい木造もくぞう車体しゃたいしんせいした車両しゃりょうであった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 写真しゃしんじょう 秋田あきた路面ろめん電車でんしゃ」p.7。
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  3. ^ 金沢かなざわ二郎じろう秋田あきた交通こうつうきょく」『私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』1、24ぺーじ
  4. ^ a b 軌道きどう譲渡じょうと」『官報かんぽう』1941ねん4がつ2にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
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  6. ^ 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. 明治めいじ28ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  7. ^ a b c d 地方ちほう鉄道てつどう及軌どう一覧いちらん 昭和しょうわ10ねん4がつ1にち現在げんざい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
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  9. ^ 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. 明治めいじ43ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  10. ^ 秋田あきただい4かん、369ぺーじ
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  12. ^ 銀行ぎんこう会社かいしゃ要録ようろく : 役員やくいんろく. 25はん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  13. ^ a b 秋田あきただい4かん、585ぺーじ
  14. ^ a b 回想かいそう秋田あきた市電しでん」114ぺーじ
  15. ^ 秋田あきただい4かん、586ぺーじ
  16. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1928ねん4がつ30にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  17. ^ 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. だい39かい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  18. ^ 秋田あきたけん多額たがく納税のうぜいしゃ土木どぼく建築けんちく請負うけおいぎょう人事じんじ興信録こうしんろく. 9はん(昭和しょうわ6ねん)』国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
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  23. ^ a b c d e f g h i j k l m n 写真しゃしんじょう 秋田あきた路面ろめん電車でんしゃ」p.9。
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • 原口はらぐち隆行たかゆき日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃII-廃止はいし路線ろせん東日本ひがしにっぽんへん-』〈JTBキャンブックス〉JTB、2000ねん
  • 宮松みやまつ丈夫じょうふ路面ろめん電車でんしゃ-チン・チンでんしゃ-はしりつづけて90ねん-』コーキ出版しゅっぱん、1980ねん
  • 吉川よしかわ文夫ふみお回想かいそう秋田あきた市電しでん」『鉄道てつどうファン』 No.189、1977ねん
  • 吉川よしかわ文夫ふみお路面ろめん電車でんしゃ時代じだい大正たいしょう出版しゅっぱん、1995ねん 
  • 『シュタットバーン9ごう日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃ同好どうこうかい、1985ねん 
  • 『とろりい・らいんず No.48』日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃ同好どうこうかい、1985ねん 
  • かず久田ひさた康雄やすお ちょ昭和しょうわ52ねん5がつ1にち現在げんざいにおける補遺ほい」、鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 1かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん補遺ほい6ぺーじぺーじ 
  • かず久田ひさた康雄やすお (1962). “くれ交通こうつうきょく”. 鉄道てつどうピクトリアル (1962ねん8がつごう臨時りんじ増刊ぞうかん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり3): pp. 61-65, 97. さいろく鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 1かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん 
  • かず久田ひさた康雄やすお日本にっぽん市内しない電車でんしゃ ―1895 - 1945―』成山なりやまどう書店しょてん、2009ねん
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