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播電鉄道てつどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
播電鉄道てつどう
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
広島ひろしまけん広島ひろしま紙屋かみやまち17番地ばんち[1]
設立せつりつ 1925ねん大正たいしょう14ねん)6がつ5にち[1]
業種ぎょうしゅ てつ軌道きどうぎょう
事業じぎょう内容ないよう 旅客りょかく鉄道てつどう事業じぎょうゆう園地えんち経営けいえい[1]
代表だいひょうしゃ 取締役とりしまりやく 福永ふくなが鉄之助てつのすけほか3めい[1]
資本しほんきん 650,000えん[1]
発行済はっこうずみ株式かぶしき総数そうすう 32,500かぶ[1]
主要しゅよう株主かぶぬし げい銀行ぎんこう[1]
特記とっき事項じこう:1928ねん昭和しょうわ3ねん)2がつまつ現在げんざい[1]
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播電鉄道てつどうせん
播電鉄道龍野駅
昭和しょうわ初期しょきの播電鉄道てつどう龍野たつのえき
概要がいよう
現況げんきょう 廃止はいし
おこり終点しゅうてん 起点きてん
本線ほんせん網干あぼしみなとえき
支線しせん糸井いといえき
終点しゅうてん
本線ほんせん新宮しんぐうまちえき
支線しせん網干あぼし駅前えきまええき
えきすう 22えき支線しせんふくむ)
運営うんえい
開業かいぎょう 1909ねん1がつ1にち (1909-01-01)
最終さいしゅう延伸えんしん 1915ねん7がつ21にち
廃止はいし 1934ねん12月15にち (1934-12-15)
所有しょゆうしゃ龍野たつの電気でんき鉄道てつどう新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう
→(龍野たつの電気でんき鉄道てつどう播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどう
播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどう
谷口たにぐちたかし個人こじん所有しょゆう
→播電鉄道てつどう
使用しよう車両しゃりょう 車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせんそう延長えんちょう 17.1 km (10.6 mi)(支線しせんふくむ)
軌間きかん 1,435 mm (4 ft 8+12 in)
電化でんか 直流ちょくりゅう600 V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
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停車場ていしゃじょう施設しせつ接続せつぞく路線ろせん
特記とっきなきかぎはいせん当時とうじ
exKBHFa
0.0 網干あぼしみなとえき
exBHF
0.5 余子よし浜町はまちょうえき
exBHF
1.5 みやえき
exBHF
2.6 さか出村でむらえき
exBHF
3.2 和久わぐえき
BHFq xKRZo
山陽本線さんようほんせん
exKBHFaq exABZg+r
0.4* 網干あぼしえき
exBHF
4.2
0.0*
糸井いといえき
exBHF
5.3 立岡たちおかえき
exBHF
5.8 いかるがえき
exBHF
6.7 太子たいしえき
exBHF
7.5 福田ふくだえき
exBHF
8.0 広山ひろやまえき
exBHF
9.1
0.0#
宮脇みやわきえき
STR+r exSTR
姫新線きしんせん
STR exSTR POINTERf@f
10.1 富永とみなが分岐ぶんきてん -1920
STR exABZgl+l exDSTq exKBHFeq
10.3 播電龍野たつのえき
HST exSTR
本竜野ほんたつのえき
STR exBHF
11.2
0.4#
にち飼駅
STR exBHF
12.3 島田しまだむらえき
STR exBHF
13.0 しょうえき
HST exSTR
東觜崎ひがしはしさきえき
hKRZWae exhKRZWae
揖保川いぼがわ
STR exBHF
13.8 播電觜崎はつさきえき
STR exBHF
14.9 越部こしべ北村きたむらえき
STR exBHF
15.4 越部こしべえき
STR exBHF
16.1 井野原いのはらえき
STR exKBHFe
16.9 新宮しんぐうまちえき
HST
播磨はりま新宮しんぐうえき

キロほど下段げだん「#」は堂本どうもと短絡たんらくせん経由けいゆえきあいだ距離きょり

播電鉄道てつどう(ばんでんてつどう)は、かつて兵庫ひょうごけん揖保いぼぐん網干あぼしまちげん姫路ひめじ)の網干あぼしこうえきから山陽本線さんようほんせん網干あぼしえきて、播電龍野たつのえきげんたつの中心ちゅうしん)をとお揖保いぼぐん新宮しんぐうまちげん、たつの)の新宮しんぐうまちえきまでの17.1kmをむす軌道きどうせん、のちに鉄道てつどう路線ろせん路面ろめん電車でんしゃ)を経営けいえいしていた事業じぎょうしゃである。

概要がいよう

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元々もともと鉄道てつどう新宮しんぐうまち山陽本線さんようほんせん港湾こうわん連絡れんらくするために敷設ふせつされた。網干あぼしこう網干あぼし駅前えきまえ - 觜崎はつさきの播電觜崎はつさきあいだ龍野たつの電気でんき鉄道てつどうにより、觜崎はつさき - 新宮しんぐうまちあいだ新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどうにより開業かいぎょうした。当初とうしょ経営けいえい好調こうちょうであったが、大正たいしょう時代じだい龍野たつの電気でんき鉄道てつどう新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう合併がっぺいして発足ほっそくした播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどう経営けいえいしゃおこなっていたほか事業じぎょう失敗しっぱいで、債務さいむ播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどう負担ふたんさせられた。そのため競売きょうばいにより一時いちじ広島ひろしまげい銀行ぎんこう広島銀行ひろしまぎんこう前身ぜんしん)の谷口たにぐちたかし(たにぐち せつ[2][注釈ちゅうしゃく 1])の個人こじん所有しょゆうになったが、しん会社かいしゃの播電鉄道てつどう設立せつりつされ事業じぎょういだ。

その新宮しんぐうまち龍野たつのまち重要じゅうよう交通こうつう機関きかんとしての地位ちいっていたが、1932ねん昭和しょうわ7ねん)に姫津線きしんせんげん姫新線きしんせん)が姫路ひめじえきから播磨はりま新宮しんぐうえきまで路線ろせんばすと、同線どうせんがこの付近ふきん中心ちゅうしん都市としである姫路ひめじ直結ちょっけつしていたことから乗客じょうきゃくはそちらへながれ、費用ひよう削減さくげん努力どりょくにより一時いちじてきなおっていた経営けいえい極端きょくたん悪化あっかし、結局けっきょく1934ねん昭和しょうわ9ねん)に政府せいふ補償ほしょうけてはいせんとなった。

本稿ほんこうでは、おも同社どうしゃ運行うんこうしていた路線ろせんについて記述きじゅつする。

路線ろせんデータ

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はいせん

  • 路線ろせん距離きょり網干あぼしこう - 糸井いとい - 新宮しんぐうあいだ糸井いとい - 網干あぼし駅前えきまえあいだ けい17.1km
  • 軌間きかん:1435mm(標準軌ひょうじゅんき
  • 複線ふくせん区間くかん:なし(全線ぜんせん単線たんせん
  • 電化でんか区間くかん全線ぜんせん直流ちょくりゅう600V)

運行うんこう形態けいたい

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1933ねん7がつ1にち改正かいせい

  • 所要しょよう時間じかん網干あぼしこう - 新宮しんぐうまちあいだ1あいだ3-13ふん
  • 運行うんこう本数ほんすう全線ぜんせん32往復おうふくにちちゅう毎時まいじ2ほん

歴史れきし

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龍野たつの付近ふきんはじめて鉄道てつどうばしてきたのは、現在げんざいのJR山陽本線さんようほんせんにあたる山陽さんよう鉄道てつどうで、1889ねん明治めいじ22ねん11月11にちのことであった。この時点じてんでは竜野たつのえきかりえきであったが、よく1890ねん明治めいじ23ねん7がつ10日とおかゆうねんまで開通かいつうして正式せいしき竜野たつのえき設置せっちされた。しかしこのえききゅう揖保川いぼがわまちいきにあり、龍野たつのまち中心ちゅうしんからはとおはなれていた。

これにたいして、龍野たつの名産めいさんである醤油じょうゆ素麺そうめんなどの物資ぶっし輸送ゆそう目的もくてき山陽本線さんようほんせん連絡れんらくする鉄道てつどう敷設ふせつ計画けいかくがった。地元じもと醤油じょうゆ業者ぎょうしゃらが中心ちゅうしんになって計画けいかくした「龍野たつの鉄道てつどう」は、竜野たつのえきから揖保川いぼがわ沿いに龍野たつのまちいた計画けいかくで、1906ねん明治めいじ39ねん2がつ26にち鉄道てつどう敷設ふせつ免許めんきょ申請しんせいしたが却下きゃっかされた。翌年よくねんにも申請しんせいしたがやはり却下きゃっかされ、この計画けいかく実現じつげんしなかった。計画けいかくでは、1,067mm軌間きかん蒸気じょうき鉄道てつどうで、距離きょりは6.4kmであった。

これにたいして地元じもと有力ゆうりょくしゃほり豊彦とよひこ[3]中心ちゅうしんとするグループが、「龍野たつの電気でんき鉄道てつどう[4]計画けいかくすすめていた。こちらは1905ねん明治めいじ38ねん)3がつ軌道きどう特許とっきょ申請しんせいおこな1906ねん明治めいじ39ねん8がつ28にち特許とっきょて、9月に着工ちゃっこうした。

1909ねん明治めいじ42ねん1がつ1にちに、まず網干あぼし駅前えきまえ - 龍野たつのまちあいだ5.7kmが完成かんせいした。開通かいつうしきいかるにあった本社ほんしゃまえ1がつ5にちおこなわれている。さらに龍野たつのまち - 觜崎はつさき2がつ20日はつかに、網干あぼしこう - 糸井いといあいだ3がつ20日はつか開通かいつうし、当初とうしょ計画けいかくの14.3kmが完成かんせいした。

当初とうしょ事業じぎょう好調こうちょうで、1911ねん明治めいじ44ねん)の営業えいぎょう実績じっせきでは年間ねんかん乗客じょうきゃくすう48まんにん記録きろくしている。その素麺そうめん醤油じょうゆ産業さんぎょうりゅうきょう斑鳩寺いかるがでら参詣さんけいきゃくとうによって繁忙はんぼう輸送ゆそうりょく不足ふそくしていたことから連結れんけつ運転うんてん企図きとしていたが、軌道きどう事業じぎょうでは原則げんそくとしてこれが禁止きんしされていた。くわえて、すでに免許めんきょていた山崎やまざき軽便鉄道けいべんてつどう姫路ひめじ鉄道てつどうらとの円滑えんかつ連絡れんらくといった理由りゆうから[5]1912ねん明治めいじ45ねん6月5にちづけ軽便鉄道けいべんてつどうほう準拠じゅんきょ路線ろせんへの変更へんこう申請しんせいし、1913ねん大正たいしょう2ねん5月28にち許可きょかされている。つづ事業じぎょう好調こうちょうで、1919ねん大正たいしょう8ねん)の輸送ゆそう実績じっせきは、年間ねんかん乗客じょうきゃくすう94まん9234にん手荷物てにもつ200トン、貨物かもつ3まん750トンと盛況せいきょうであった。このころ会社かいしゃ定款ていかん変更へんこうして、宍粟しさわぐん山崎やまざきまちげん宍粟しさわ)への延長えんちょうしたが、この計画けいかく結局けっきょく実現じつげんしなかった。

一方いっぽう龍野たつの電気でんき鉄道てつどう建設けんせつしたのとおなほり豊彦とよひこ中心ちゅうしんとするグループは、べつの「新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう」が敷設ふせつ免許めんきょ申請しんせい提出ていしゅつし、1913ねん大正たいしょう2ねん7がつ16にち免許めんきょされた。この計画けいかく龍野たつの電気でんき鉄道てつどう接続せつぞくしてそのさき新宮しんぐうまで延伸えんしんするもので、距離きょりは3.6km、車両しゃりょう龍野たつの電気でんき鉄道てつどうからけ、使用しようする電力でんりょく同社どうしゃから供給きょうきゅうけるというものであった。同年どうねん12月25にち会社かいしゃ設立せつりつ総会そうかいひらかれ[6]よく1914ねん大正たいしょう3ねん)11月に着工ちゃっこう1915ねん大正たいしょう4ねん7がつ21にち開業かいぎょうした。

兵庫ひょうごけん鉄道てつどうおうとよばれた伊藤いとう英一ひでかず[7][注釈ちゅうしゃく 2]龍野たつの電気でんき鉄道てつどう新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどうかぶ買収ばいしゅう経営けいえいけん掌握しょうあくすると1920ねん大正たいしょう9ねん4がつ16にち新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう株主かぶぬし総会そうかいひらいて、播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ[8]社名しゃめい変更へんこうした。また本社ほんしゃ新宮しんぐうから斑鳩いかるうつした。そして4がつ20日はつか龍野たつの電気でんき鉄道てつどう事業じぎょうを133まん2700えん買収ばいしゅうして合併がっぺいした。定款ていかんには山崎やまざきまでの延伸えんしん依然いぜんとしてのこっていたうえに、その改定かいてい赤穂あこうぐん相生あいおいまちげん相生あいおい)の相生あいおいこうから揖保いぼぐん越部こしべむらのち新宮しんぐうまちてたつの一部いちぶとなる)までと、新宮しんぐうからさき佐用さようぐん三日月みかづきむらのち三日月みかづきまち佐用さようまち一部いちぶとなる)までの延長えんちょうくわえられた。

しかし、伊藤いとうおこなっていたほか事業じぎょう失敗しっぱいで、債務さいむ播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき負担ふたんさせられ、借入金かりいれきん返済へんさいできなくなり会社かいしゃ競売きょうばいけられることになった。広島ひろしまげい銀行ぎんこう谷口たにぐちたかし[9]が60まん1100えん落札らくさつし、同時どうじ鉄道てつどう事業じぎょう承継しょうけい許可きょか申請しんせいしてみとめられ、1924ねん大正たいしょう13ねん9月18にちしん会社かいしゃ設立せつりつする原田はらだ覚一かくいち事業じぎょう免許めんきょ譲渡じょうとされ、1925ねん大正たいしょう14ねん6月5にちに播電鉄道てつどう発足ほっそくした。きゅう播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどうは、1925ねん1がつ22にち解散かいさんとなり、このあいだ一時いちじてき個人こじん所有しょゆう路線ろせんとなっていた。

播電鉄道てつどう本社ほんしゃ当初とうしょ広島ひろしまいていたが、のち斑鳩いかるもどされた。営業えいぎょう1928ねん昭和しょうわ3ねん時点じてん年間ねんかん旅客りょかく107まんにん貨物かもつ3まん4000トンと好調こうちょうであった。しかし1930年代ねんだいはいると恐慌きょうこう影響えいきょうけて営業えいぎょう成績せいせき低迷ていめいし、さらに1932ねん昭和しょうわ7ねん)に国鉄こくてつ姫津線きしんせんげん姫新線きしんせん)が姫路ひめじえきから播磨はりま新宮しんぐうえきまで路線ろせんばすと、これが致命ちめいてき打撃だげきあたえることになった。もともと標準軌ひょうじゅんき敷設ふせつしたために網干あぼしえき貨物かもつえが必要ひつようで、これに不便ふべんかんじた龍野たつの町民ちょうみん誘致ゆうちしたもので、旅客りょかくもより高速こうそく運賃うんちんやす国鉄こくてつながれて、播電鉄道てつどう経営けいえい打撃だげきあたえることになった。

これにより1933ねん昭和しょうわ8ねん11月22にち臨時りんじ株主かぶぬし総会そうかい路線ろせん廃止はいし政府せいふへの補償ほしょう申請しんせい決定けっていし、補償ほしょう[10][11]けて1934ねん昭和しょうわ9ねん12月15にち廃止はいしとなった。

1929ねん昭和しょうわ4ねん)には事業じぎょう好調こうちょうだったこともあって、あらたな事業じぎょう展開てんかいとしてバス事業じぎょう開始かいししており、はいせんには播電自動車じどうしゃとしてバス・トラック事業じぎょうおこなっている。1943ねん昭和しょうわ18ねん5月1にち戦時せんじちゅう交通こうつう調整ちょうせいけて、バス事業じぎょうかみひめ合同ごうどう自動車じどうしゃ現在げんざい神姫しんきバス)に2しゃとともに買収ばいしゅうされた。トラック部門ぶもん龍野たつの運送うんそうとして分離ぶんり独立どくりつして現存げんそんしている。これにより、播電鉄道てつどう会社かいしゃ解散かいさんされ、38ねん歴史れきしまくろしている。

年表ねんぴょう

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  • 1905ねん明治めいじ38ねん)3がつ 軌道きどう特許とっきょ出願しゅつがん
  • 1906ねん明治めいじ39ねん
  • 1909ねん明治めいじ42ねん
    • 1がつ1にち 龍野たつの電気でんき鉄道てつどう 網干あぼし駅前えきまえ - 龍野たつのまち、播電龍野たつのあいだ開業かいぎょう
    • 1がつ5にち 本社ほんしゃまえ開通かいつう式典しきてん
    • 2がつ20日はつか 龍野たつのまち - 觜崎はつさき、播電觜崎はつさきあいだ開業かいぎょう
    • 3がつ20日はつか 網干あぼしこう - 糸井いといあいだ開業かいぎょう
  • 1912ねん明治めいじ45ねん
  • 1913ねん大正たいしょう2ねん
    • 3月13にち 宮脇みやわき - にち飼間の堂本どうもと短絡たんらくせん貨物かもつ認可にんか
    • 5月28にち 軽便鉄道けいべんてつどうほう準拠じゅんきょ鉄道てつどう路線ろせん変更へんこう許可きょか[12]
    • 8がつ11にち 糸井いとい分岐ぶんきてん設置せっち網干あぼしえき支線しせん起点きてん糸井いといえきから変更へんこう
    • 7がつ16にち 新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう 觜崎はつさき - 新宮しんぐうまちあいだ免許めんきょ[13]
    • 12月25にち 新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう会社かいしゃ設立せつりつ総会そうかい
  • 1914ねん大正たいしょう3ねん)11月 新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう着工ちゃっこう
  • 1915ねん大正たいしょう4ねん7がつ21にち 新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう 觜崎はつさき - 新宮しんぐうまちあいだ開業かいぎょう[14]
  • 1918ねん大正たいしょう7ねん)4がつ22にち 新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどうたい鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ揖保いぼぐん新宮しんぐうむら-宍粟しさわぐん山崎やまざきまち[15]
  • 1919ねん大正たいしょう8ねん
    • 8がつ29にち 鉄道てつどう免許めんきょ失効しっこう揖保いぼぐん新宮しんぐうむら-宍粟しさわぐん山崎やまざきまち 指定してい期限きげんない工事こうじ施工しこう認可にんか申請しんせいためササルタメ)[16]
    • 9月29にち 新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどうたい鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ揖保いぼぐん新宮しんぐうむら-宍粟しさわぐん山崎やまざきまち[17]
    • 11月16にち 堂本どうもと短絡たんらくせん休止きゅうし
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん
    • 2がつ1にち 富永とみなが分岐ぶんきてんを播電龍野たつのえき併合へいごう堂本どうもと短絡たんらくせん廃止はいし[18]
    • 4がつ16にち 新宮しんぐう軽便鉄道けいべんてつどう社名しゃめい変更へんこうし、播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどうとなる。本社ほんしゃ斑鳩いかる移転いてん
    • 4がつ20日はつか 龍野たつの電気でんき鉄道てつどう播州ばんしゅう水力すいりょく電気でんき鉄道てつどう買収ばいしゅう[19]
  • 1924ねん大正たいしょう13ねん9月8にち 谷口たにぐちたかし個人こじん所有しょゆう路線ろせんとなる[20]
  • 1925ねん大正たいしょう14ねん
    • 6月11にち 新設しんせつ会社かいしゃ播電鉄道てつどう譲渡じょうと[20][21]
    • 11月21にち 播磨はりま電気でんき鉄道てつどう鉄道てつどう免許めんきょ譲渡じょうと(1919ねん9がつ29にち免許めんきょ新宮しんぐうむら-山崎やまざきまちあいだ[22]
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん) バス事業じぎょう開始かいし
  • 1934ねん昭和しょうわ9ねん12月15にち 政府せいふ補償ほしょうけてはいせん
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん)12月26にち 鉄道てつどう免許めんきょ取消とりけし(1919ねん9がつ29にち免許めんきょ新宮しんぐう-山崎やまざきあいだ 指定してい期限きげんマテニ工事こうじ竣工しゅんこうセサルタメ)[23]
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねん5月1にち かみひめ合同ごうどう自動車じどうしゃ買収ばいしゅうされ、会社かいしゃ解散かいさん

えき一覧いちらん

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はいせん

本線ほんせん
網干あぼしこう - 余子よし浜町はまちょう - みや - 坂出さかいでむら - 和久かずひさ - 糸井いとい - 立岡たちおか - いかる(いかるが) - 太子たいし - 福田ふくだ - 広山ひろやま - 宮脇みやわき - 播電龍野たつの - にち飼 - 島田しまだむら - しょうでん - 播電觜崎はつさき - 越部こしべ北村きたむら - 越部こしべ - 井野原いのはら - 新宮しんぐうまち
支線しせん
糸井いとい - 網干あぼし駅前えきまえ

接続せつぞく路線ろせん

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車両しゃりょう

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とう鉄道てつどう開業かいぎょうから廃止はいしまでの期間きかん在籍ざいせきした車両しゃりょう以下いかとおり。醤油じょうゆ素麺そうめん輸送ゆそうおも目的もくてきひとつとしていたことから、貨物かもつの濡損をけて有蓋ゆうがい電動でんどう貨車かしゃ比率ひりつたかいのが特徴とくちょうである。

甲種こうしゅ客車きゃくしゃ 1-7→デハ1かたち1・デハ2かたち2・3・デハ1かたち4-7
開業かいぎょう尼崎あまがさき関西かんさい木工もっこう合資ごうし会社かいしゃ製造せいぞうされたブリル21E台車だいしゃ装着そうちゃくする木造もくぞう2じく単車たんしゃ当初とうしょはオープンデッキしゃとベスティビュールつきしゃ混在こんざいしていたが、これらは開業かいぎょう翌年よくねんまでにすべてベスティビュールつきとされた。のち車体しゃたいえて簡易かんいこうからだする工事こうじすすめられたが、2・3は未成みせいのままそとばん鋼板こうはんちつけるのみにわった。デッカーせい電装でんそうひん搭載とうさい
乙種おつしゅ客車きゃくしゃ 8-10→デハ8かたち8-10
大阪おおさか電気でんききょく市電しでん開業かいぎょう用意よういした1・2・4を1909ねん譲受ゆずりうけした木造もくぞう2じく単車たんしゃ日本にっぽんではめずらしいP・ヘルブラントしゃせい台車だいしゃ装着そうちゃくし、大阪おおさかではこの台車だいしゃがボルトてで頻繁ひんぱん弛緩しかん発生はっせいしたことからきらわれ、早期そうき整理せいり対象たいしょうとなった。なお、譲受じょうじゅ大阪おおさか能見のうみ製作所せいさくしょ木造もくぞう車体しゃたい新造しんぞうしている。電装でんそうひんAEGせいであった。
へいしゅ客車きゃくしゃ 11→デハ1かたち11
1912ねん名古屋なごや電車でんしゃ製作所せいさくしょ製造せいぞうされた木造もくぞう2じく単車たんしゃ電装でんそうひん台車だいしゃ甲種こうしゅ客車きゃくしゃじゅんじる。オープンデッキの一般いっぱんてき車体しゃたいであったが、竣工しゅんこうには皇族こうぞく乗用じょうようきょうせられるために布製ぬのせいカーテンをそな絨毯じゅうたんきのゆかとし、さらに円卓えんたくをしつらえるなど特別とくべつ内装ないそうあたえられており、貴賓きひんしゃあつかいとされていた。その甲種こうしゅ客車きゃくしゃ同様どうよう改造かいぞう実施じっしされ、デハ1かたち編入へんにゅう
甲種こうしゅ有蓋ゆうがい貨車かしゃ 1-5→デワ1かたち1・2・4・5
開業かいぎょう尼崎あまがさき関西かんさい木工もっこう合資ごうし会社かいしゃ製造せいぞうされた電動でんどう貨車かしゃ機器ききるい甲種こうしゅ客車きゃくしゃじゅんじ、オープンデッキ構造こうぞう積載せきさい貨物かもつ重量じゅうりょうは5t。3は1921ねん先行せんこう廃車はいしゃ
乙種おつしゅ有蓋ゆうがい貨車かしゃ 6・7→ワ6かたち6・7
1909ねん大阪おおさか能見のうみ製作所せいさくしょ製造せいぞうされた4t有蓋ゆうがい電動でんどう貨車かしゃ台車だいしゃ電装でんそうひん乙種おつしゅ客車きゃくしゃ同様どうよう大阪おおさか電気でんききょくからの譲渡じょうとひん使用しようしている。たねしゃ大阪おおさか3・5-7のいずれか2りょうかんがえられている。その、1925ねん電装でんそう解除かいじょして付随ふずいしゃされた。
無蓋むがい貨車かしゃ 1・2→ト1かたち2
開業かいぎょう尼崎あまがさき関西かんさい木工もっこう合資ごうし会社かいしゃ製造せいぞうされた5tせき無蓋むがい貨車かしゃ。ただし、台車だいしゃとしてブリル21Eを装着そうちゃくしており、単純たんじゅん無蓋むがい貨車かしゃではない。1は1920ねん除籍じょせき
無蓋むがい貨車かしゃ 3-10
1916ねん丹羽にわ電気でんき工務こうむしょ製造せいぞうされた6tせき無蓋むがい貨車かしゃ。1927ねん廃車はいしゃ
無蓋むがい貨車かしゃ 20-29→ト20-29
1919ねん大阪おおさか伊藤いとう鉄工てっこうしょ製造せいぞうされた7tせき無蓋むがい貨車かしゃ

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 原口はらぐち隆行たかゆき日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃ』 3かんJTB、2000ねん によると「たにぐち みさお」。
  2. ^ 買収ばいしゅうまたはりをおこなった鉄道てつどう播州ばんしゅう鉄道てつどう現在げんざいのJR加古川線かこがわせん)をはじめ兵庫ひょうご電気でんき軌道きどう現在げんざい山陽電気鉄道さんようでんきてつどう本線ほんせん山陽さんよう明石あかし以東いとう)、篠山しのやま軽便鉄道けいべんてつどう北大阪きたおおさか電気でんき鉄道てつどう現在げんざい阪急はんきゅう京都きょうと本線ほんせん千里線せんりせん一部いちぶ)、大阪おおさか高野たかの鉄道てつどう現在げんざい南海なんかい高野たかのせん一部いちぶ)がある。また鬼怒川きぬがわ水力すいりょく電気でんき買収ばいしゅうでは利光としみつ鶴松つるまつ追放ついほうねらったが失敗しっぱいした。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h 地方ちほう鉄道てつどう軌道きどう営業えいぎょう年鑑ねんかん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  2. ^ 大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん1924ねん1がつ1にち記事きじによる。
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参考さんこう文献ぶんけん

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