播電鉄道
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1925 | |
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650,000 | |
32,500 | |
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播電 | |
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( ( ( ( | |
22 | |
1909 | |
1915 | |
1934 | |
( →( → → →播電 | |
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17.1 km (10.6 mi)( | |
1,435 mm (4 ft 8+1⁄2 in) | |
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( | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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播電
概要
[その
路線 データ
[運行 形態
[1933
所要 時間 :網干 港 -新宮 町 間 1時 間 3-13分 運行 本数 :全線 32往復 (日 中 毎時 2本 )
歴史
[これに
これに
1909
しかし、
播電
これにより1933
1929
年表
[- 1905
年 (明治 38年 )3月 軌道 特許 出願 - 1906
年 (明治 39年 )- 8
月 28日 軌道 特許 - 9月
着工
- 8
- 1909
年 (明治 42年 ) - 1912
年 (明治 45年 ) - 1913
年 (大正 2年 ) - 1914
年 (大正 3年 )11月新宮 軽便鉄道 着工 - 1915
年 (大正 4年 )7月 21日 新宮 軽便鉄道 觜崎 -新宮 町 間 が開業 [14] - 1918
年 (大正 7年 )4月 22日 新宮 軽便鉄道 に対 し鉄道 免許 状 下付 (揖保 郡 新宮 村 -宍粟 郡 山崎 町 )[15] - 1919
年 (大正 8年 ) - 1920
年 (大正 9年 ) - 1924
年 (大正 13年 )9月8日 谷口 節 の個人 所有 路線 となる[20] - 1925
年 (大正 14年 ) - 1929
年 (昭和 4年 ) バス事業 を開始 - 1934
年 (昭和 9年 )12月15日 政府 補償 を受 けて廃 線 - 1935
年 (昭和 10年 )12月26日 鉄道 免許 取消 (1919年 9月 29日 免許 新宮 -山崎 間 指定 ノ期限 マテニ工事 竣工 セサルタメ)[23] - 1943
年 (昭和 18年 )5月1日 神 姫 合同 自動車 に買収 され、会社 解散
駅 一覧
[本線 網干 港 -余子 浜町 -津 ノ宮 -坂出 村 -和久 -糸井 -立岡 -鵤 (いかるが) -太子 -福田 -広山 -宮脇 - 播電龍野 -日 飼 -島田 村 -小 那 田 - 播電觜崎 -越部 北村 -越部 -井野原 -新宮 町 支線 糸井 -網干 駅前
上下 線 電車 はいずれも、網干 駅前 に立 ち寄 る形 で運行 していた。- 播電
龍野 駅 は、建設 の経緯 からスイッチバック構造 であった。 - 播電
龍野 -新宮 町 間 は、ほぼ姫新線 の本竜野 駅 -播磨 新宮 駅 間 に並行 するルートで進 んでいた。
接続 路線
[車両
[甲種 客車 1-7→デハ1形 1・デハ2形 2・3・デハ1形 4-7開業 時 に尼崎 の関西 木工 合資 会社 で製造 されたブリル21E台車 を装着 する木造 2軸 単車 。当初 はオープンデッキ車 とベスティビュールつき車 が混在 していたが、これらは開業 の翌年 までに全 てベスティビュールつきとされた。後 に車体 を組 み替 えて簡易 鋼 体 化 する工事 が進 められたが、2・3は未成 のまま外 板 に鋼板 を打 ちつけるのみに終 わった。デッカー製 電装 品 を搭載 。乙種 客車 8-10→デハ8形 8-10大阪 市 電気 局 が市電 の開業 時 に用意 した1・2・4を1909年 に譲受 した木造 2軸 単車 。日本 では珍 しいP・ヘルブラント社 製 台車 を装着 し、大阪 市 ではこの台車 がボルト組 み立 てで頻繁 に弛緩 が発生 したことから嫌 われ、早期 整理 の対象 となった。なお、譲受 時 に大阪 の能見 製作所 で木造 車体 を新造 している。電装 品 はAEG製 であった。丙 種 客車 11→デハ1形 11- 1912
年 に名古屋 電車 製作所 で製造 された木造 2軸 単車 。電装 品 や台車 は甲種 客車 に準 じる。オープンデッキの一般 的 な車体 であったが、竣工 時 には皇族 の乗用 に供 せられるために布製 カーテンを備 え絨毯 敷 きの床 とし、さらに円卓 をしつらえるなど特別 な内装 を与 えられており、貴賓 車 扱 いとされていた。その後 甲種 客車 と同様 の改造 を実施 され、デハ1形 に編入 。 甲種 有蓋 貨車 1-5→デワ1形 1・2・4・5開業 時 に尼崎 の関西 木工 合資 会社 で製造 された電動 貨車 。機器 類 は甲種 客車 に準 じ、オープンデッキ構造 で積載 貨物 重量 は5t。3は1921年 に先行 廃車 。乙種 有蓋 貨車 6・7→ワ6形 6・7- 1909
年 に大阪 の能見 製作所 で製造 された4t積 み有蓋 電動 貨車 。台車 ・電装 品 は乙種 客車 と同様 、大阪 市 電気 局 からの譲渡 品 を使用 している。種 車 は大阪 市 3・5-7のいずれか2両 と考 えられている。その後 、1925年 に電装 解除 して付随 車 化 された。 無蓋 貨車 1・2→ト1形 2開業 時 に尼崎 の関西 木工 合資 会社 で製造 された5t積 無蓋 貨車 。ただし、台車 としてブリル21Eを装着 しており、単純 な無蓋 貨車 ではない。1は1920年 に除籍 。無蓋 貨車 3-10- 1916
年 に丹羽 電気 工務 所 で製造 された6t積 無蓋 貨車 。1927年 廃車 。 無蓋 貨車 20-29→ト20-29- 1919
年 に大阪 の伊藤 鉄工 所 で製造 された7t積 無蓋 貨車 。
脚注
[注釈
[出典
[- ^ a b c d e f g h 『
地方 鉄道 軌道 営業 年鑑 』(国立 国会図書館 デジタルコレクション) - ^
大阪毎日新聞 1924年 1月 1日 の記事 による。 - ^ 「ほ
之 部 」『人事 興信録 4版 』人事 興信所 、1915年 、ほ4頁 。doi:10.11501/1703995 。 - ^ 「
兵庫 県 之 部 」『日本 全国 諸 会社 役員 録 明治 41年 』商業 興信所 、1908年 、上 編 515頁 。doi:10.11501/780120 。 - ^ 「
軌道 ヲ軽便鉄道 ニ指定 ノ件 」『第 十 門 ・地方 鉄道 軌道 及陸運 ・二 、地方 鉄道 ・播電鉄道 (元 竜野 電気 鉄道 )・営業 廃止 ・大正 二 年 ~大正 五 年 』鉄道 省 、1916年 。2023年 12月8日 閲覧 。(国立 公文書 館 デジタルアーカイブ) - ^ 「
兵庫 縣 」『日本 全国 諸 会社 役員 録 第 23回 』商業 興信所 、1915年 、上 編 696頁 。doi:10.11501/936473 。 "社長 堀 豊彦 "とある - ^ 「い(ゐ)
之 部 」『人事 興信録 6版 』人事 興信所 、1921年 、い41頁 。doi:10.11501/1704027 。 - ^ 「
兵庫 縣 」『日本 全国 諸 会社 役員 録 第 29回 』商業 興信所 、1921年 、上 614頁 。doi:10.11501/936470 。 "取締役 伊藤 英一 "とある - ^ 「た
之 部 」『人事 興信録 6版 』人事 興信所 、1921年 、た61頁 。doi:10.11501/1704027 。 - ^ 「
法律 第 17号 播電鉄道 所属 鉄道 ノ経営 廃止 ニ対 スル補償 ノ為 公債 発行 ニ関 スル件 」『官報 』2168号 (1934年 03月 27日 )、大蔵省 印刷 局 、1934年 3月 27日 、746頁 。doi:10.11501/2958643 。 - ^ 「
第 3民営 鉄道 の買収 と補償 2.地方 鉄道 および軌道 の補償 地方 鉄道 ・軌道 補償 の実績 」『日本 国有 鉄道 百 年 史 』 7巻 、日本 国有 鉄道 、1971年 、172頁 。doi:10.11501/12061506 。 "補償 金額 596,625円 "とある - ^ 「
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彙報 鐵道 敷設 免許 狀 下付 北 武 鐵道 、新宮 輕便鐵道 兩 株式會社 (鐵道 院 )」『官報 』2148号 (1919年 10月 01日 )、大蔵省 印刷 局 、1919年 10月 1日 、14頁 。doi:10.11501/2954261 。 - ^ 「
彙報 地方 鐵道 分岐 點 廢止 龍野 電氣 鐵道 株式會社 (鐵道 院 )」『官報 』2260号 (1920年 02月 18日 )、大蔵省 印刷 局 、1920年 2月 18日 、300頁 。doi:10.11501/2954373 。 - ^ 「
彙報 鐵道 讓渡 龍野 電氣 鐵道 株式會社 (鐵道 省 )」『官報 』2382号 (1920年 07月 10日 )、大蔵省 印刷 局 、1920年 7月 10日 、247頁 。doi:10.11501/2954495 。 "7月 1日 許可 "とある - ^ a b 「
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彙報 鐵道 敷設 權 讓渡 播州 水力 電氣 鐵道 株式會社 (鐵道 省 ),彙報 鐵道 會社 解散 播州 水力 電氣 鐵道 株式會社 (鐵道 省 )」『官報 』3977号 (1925年 11月26日 )、大蔵省 印刷 局 、1925年 11月26日 、622頁 。doi:10.11501/2956127 。 "11月 21日 播州 水力 電気 鉄道 解散 認可 "とある - ^ 「
第 十 編 監督 第 一 章 地方 鐵道 第 二 免許 及失効 その他 (3)買収 及譲渡 」『鉄道 省 鉄道 統計 資料 大正 14年度 』鉄道 院 、1927年 、6頁 。doi:10.11501/1022015 。 - ^ 「
彙報 鐵道 免許 取消 播磨 電氣 鐵道 (元 新宮 輕便鐵道 )株式會社 (鐵道 省 )」『官報 』2698号 (1935年 12月29日 )、大蔵省 印刷 局 、1935年 12月29日 、917頁 。doi:10.11501/2959177 。 "1935年 12月26日 免許 取消 "とある
参考 文献
[木村 昌晴 「播電鉄道 盛衰 記 」『鉄道 ピクトリアル』通巻 685号 2000年 5月 臨時 増刊 号 、電気 車 研究 会 、2000年 5月 。神戸 新聞 総合 出版 センター『ひょうご懐 かしの鉄道 』神戸 新聞 総合 出版 センター、2005年 、pp. 134-141頁 。ISBN 4-343-00322-1。- 「
競売 された播州 電鉄 六 十 万 千 百 円 で広島 市 の谷 氏 に競落 新 会社 で電車 は動 く」『大阪毎日新聞 』1924年 (大正 13年 )1月 1日 。(神戸大学 附属 図書館 戦前 期 新聞 記事 文庫 ) - 「
政府 の補償 で播電鉄道 は廃 線 全国 に誇 る二 十 余 年 の歴史 も省線 に喰 われた晩年 の苦闘 」『神戸 新聞 』1933年 (昭和 8年 )11月15日 。(神戸大学 附属 図書館 戦 前期 新聞 記事 文庫 )