海岸かいがん電気でんき軌道きどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
海岸かいがん電気でんき軌道きどう
軌間きかん1372 mm
電圧でんあつ600V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき直流ちょくりゅう
鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう本線ほんせん
STR+l STRq eHSTq
本山もとやま
KRZo STRq STRq
東海道本線とうかいどうほんせん
KRZo STRq eBHFq
京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう本線ほんせん
STR exSTR+l exKBHFeq
0.0 総持寺そうじじ
STR exSTR2 exSTRc3
HST exSTRc1 exSTR+4
国道こくどう
STR exBHF
0.2 鶴見川つるみがわ
hKRZWae WASSERq exhKRZWae
鶴見川つるみがわ
LSTR exBHF
0.9 下野谷したのや
exBHF
1.4 潮田うしおだ
exBHF
2.0 入船いりふね
exBHF
2.4 寛政かんせい
exBHF
2.9 下新田しもしんでん
exBHF
3.4 富士電機ふじでんきまえ
LSTR exBHF
3.8
0.0*
田辺新田たなべしんでん
eABZg+l exSTRq exABZgr
eBHF exSTR
0.2* 渡田わたりだ
HST exSTR
浜川崎はまかわさき
ABZg+l HSTq xKRZo
みなみたけし鉄道てつどう
STRr exSTR
exBHF
4.5 田島たじま
exBHF
5.3 浅野あさのセメントまえ
exBHF
? アルマイト会社かいしゃまえ
exBHF
6.7 池上いけがみ新田にった
exBHF
7.2 塩浜しおはま
exHST
? 競馬場前けいばじょうまえ かりえき
exBHF
7.9 出来野できの
xABZg+r
京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ大師線だいしせん#
eBHF
8.3 大師河原だいしがわら
HST
東門前ひがしもんぜん#
BHF
9.5 大師だいし
STR
京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう大師線だいしせん
  • #: とうせん廃止はいし開業かいぎょう
  • 京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう=現在げんざい京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ

海岸かいがん電気でんき軌道きどう(かいがんでんききどう)は、神奈川かながわけん横浜よこはま総持寺そうじじえき京急けいきゅう本線ほんせん京急けいきゅう鶴見つるみえき - 花月かげつ総持寺そうじじえきあいだにあったえき)から川崎かわさき大師だいしえきまでをむすんでいた軌道きどうせん路面ろめん電車でんしゃ)、およびそれを運営うんえいしていた京浜けいひん電気でんき鉄道てつどうげん京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ)の子会社こがいしゃ名称めいしょうである。

臨海りんかい地区ちく工業こうぎょう地帯ちたい通勤つうきん輸送ゆそう目的もくてき1925ねん大正たいしょう14ねん)に開業かいぎょう。しかし世界せかい恐慌きょうこう影響えいきょう利用りよう客数きゃくすうなやみ、1930ねん昭和しょうわ5ねん)にJR鶴見線つるみせん前身ぜんしんにあたる鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう譲渡ゆずりわたされたが、鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう本線ほんせん旅客りょかく営業えいぎょうはじめた影響えいきょうけ、産業さんぎょう道路どうろ建設けんせつ1937ねん昭和しょうわ12ねん)に全線ぜんせん廃止はいしされた。

その戦時せんじの1944ねん大師だいし - 出来野できの付近ふきん現在げんざい産業さんぎょう道路どうろあいだ線路せんろあと利用りようして、現在げんざい京急けいきゅう大師線だいしせん当時とうじ東急とうきゅう大師線だいしせん)が延長えんちょうされた。

路線ろせんデータ[編集へんしゅう]

  • 路線ろせん距離きょり営業えいぎょうキロ):全長ぜんちょう9.7km
    • 総持寺そうじじ - 大師だいしあいだ9.46km
    • 田辺新田たなべしんでん - 渡田わたりだあいだ0.24km
  • 軌間きかん:1372mm
  • 複線ふくせん区間くかん:あり(ぜん区間くかん
  • 電化でんか区間くかん全線ぜんせん直流ちょくりゅう600V)

運行うんこう概要がいよう[編集へんしゅう]

1934ねん5がつ12にち改正かいせい当時とうじ

  • 運行うんこう本数ほんすう
    川崎大師かわさきだいし方面ほうめん総持寺そうじじはつ513ふん - 2230ふんまで10-20ふん間隔かんかく
    総持寺そうじじ方面ほうめん川崎大師かわさきだいしはつ537ふん - 2256ふんまで10-20ふん間隔かんかく
  • 所要しょよう時間じかん総持寺そうじじ - 川崎大師かわさきだいしあいだ24ふん

歴史れきし[編集へんしゅう]

1915ねん大正たいしょう4ねん)、京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう申請しんせいしていたなま見尾みおうみおせん特許とっきょ申請しんせい却下きゃっかされた。なま見尾みおせん京浜けいひんせんげん京急けいきゅう本線ほんせん)の総持寺そうじじえきからうみがわかれて潮田うしおだげん横浜よこはま鶴見つるみ)、田辺たなべ大師河原だいしがわらむら経由けいゆし、多摩川たまがわわたって東京とうきょう荏原えばらぐん羽田はねだまちげん大田おおた)にはいり、大鳥居おおとりいえき穴守あなもりせんげん空港線くうこうせん)と交差こうさしたのちさらに北上ほくじょう大森おおもり山谷さんやえきげん大森町おおもりまちえき)でふたた本線ほんせん合流ごうりゅうするというものだったが、当時とうじ川崎かわさき臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい浅野あさの造船ぞうせんしょげんジャパンマリンユナイテッド横浜よこはま事業じぎょうしょ鶴見つるみ工場こうじょう)や浅野あさのセメント(以前いぜん第一だいいちセメント、げんデイ・シイ川崎かわさき工場こうじょう)ですら建設けんせつはじめたばかりでまったくの開発かいはつであり、採算さいさんせいがないとされた(「田島たじままち (神奈川かながわけん)#臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい形成けいせい」、「川崎かわさき歴史れきし#工業こうぎょう公害こうがい労働ろうどう争議そうぎ」、および「京浜けいひん工業こうぎょう地帯ちたい#」も参照さんしょう)。

京浜けいひん電鉄でんてつ方針ほうしん変更へんこうし、多摩川たまがわからきた東京とうきょう府内ふない建設けんせつ断念だんねん神奈川かながわ県内けんない部分ぶぶんのみ、大師線だいしせん終点しゅうてんだった川崎大師かわさきだいしえきにつなぐというかたち変更へんこう運営うんえい京浜けいひん電鉄でんてつではなく、子会社こがいしゃ海岸かいがん電気でんき軌道きどうおこなうことにして軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ申請しんせいした。1919ねん大正たいしょう8ねん)12月に特許とっきょ下付かふされ、よく1920ねん大正たいしょう9ねん)11月に海岸かいがん電気でんき軌道きどう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつした。本社ほんしゃ当時とうじ川崎かわさき市内しないにあった京浜けいひん電鉄でんてつ社内しゃないかれ[2]社長しゃちょうはじ役員やくいんはすべて京浜けいひん電鉄でんてつ関係かんけいしゃであり、職員しょくいん出向しゅっこうしていた。

1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさい影響えいきょうもあり開通かいつうおくれ、1925ねん6がつから10がつにかけて順次じゅんじ開通かいつうした。開業かいぎょうぜん車両しゃりょう親会社おやがいしゃより譲渡ゆずりわたされたものであった。

ところが昭和しょうわ金融きんゆう恐慌きょうこうによる沿線えんせん工場こうじょう業務ぎょうむ縮小しゅくしょうによる人員じんいん削減さくげん利用りようきゃくなやみ、開業かいぎょう以来いらい赤字あかじつづきで負債ふさい増大ぞうだい海岸かいがん電気でんき軌道きどう経営けいえいなんおちいった。これにたいし1929ねん昭和しょうわ4ねん)4がつ京浜けいひん電鉄でんてつ軌道きどう財団ざいだん抵当ていとう設定せっていし190まんえん融通ゆうずうすることになった。一方いっぽう貨物かもつ専業せんぎょう並行へいこうせんであった鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう旅客りょかく営業えいぎょう開始かいしすることになった。これに対抗たいこうできない海岸かいがんでん軌は、鉄道てつどうしょうよりつけられた旅客りょかく運輸うんゆ営業えいぎょう許可きょか附帯ふたい条件じょうけん海岸かいがん電気でんき軌道きどうからの買収ばいしゅうまたは合併がっぺいもとめられたときはこれをこばず」とされたことから「出来できわる無理むりやり鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどうってもらったかたち[3]」で京浜けいひん電鉄でんてつしたはなれ、鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう吸収きゅうしゅう合併がっぺいされることになった[注釈ちゅうしゃく 1]京浜けいひん電鉄でんてつは、所有しょゆうする海岸かいがんでん軌株の払込はらいこみ総額そうがく483,750えんたいし、鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう株式かぶしき額面がくめん総額そうがく241,875えん収受しゅうじゅし、差損さそんやく24まんえん償却しょうきゃく余儀よぎなくされた[3]

合併がっぺい鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどうではこの軌道きどうせん新車しんしゃ投入とうにゅうしたり、軌道きどうせん田島新田たじましんでん鉄道てつどうせん渡田わたりだとの連絡れんらくせん開通かいつうさせるなどしたが、1930ねん昭和しょうわ5ねん)10がつより旅客りょかく営業えいぎょう開始かいしした鉄道てつどうせんげん・JR鶴見線つるみせん)により利用りよう客数きゃくすう激減げきげんしており、また鉄道てつどうせん並行へいこうしていない田辺新田たなべしんでん-大師だいしあいだ開発かいはつ沿線えんせん人口じんこうすくなく経営けいえいくるしかった。やがて徐々じょじょ乗客じょうきゃく増加ぞうかするようになっていったが、県道けんどう産業さんぎょう道路どうろ)が拡幅かくふくされることになりそれにあわせて軌道線きどうせん廃止はいしまり、1937ねん昭和しょうわ12ねん)12月に実施じっしされた。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

  • 1919ねん大正たいしょう8ねん)12月3にち せい見尾みお総持寺そうじじ) - 大師だいしあいだ軌道きどう敷設ふせつおよ営業えいぎょう特許とっきょ下付かふ[4]
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん)11月25にち 海岸かいがん電気でんき軌道きどう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ[5]
  • 1925ねん大正たいしょう14ねん
    • 6月5にち 海岸かいがん電気でんき軌道きどうにより総持寺そうじじ - 富士電機ふじでんきぜんあいだ開業かいぎょう[6]
    • 8がつ15にち 浅野あさのセメントまえ - 大師だいしあいだ開業かいぎょう[6]
    • 10月16にち 富士電機ふじでんきまえ - 浅野あさのセメントぜんあいだ開業かいぎょう全通ぜんつう[6]
    • 12月2にち 潮田うしおだまち大字だいじ潮田うしおだ潮田うしおだ)- 同町どうちょう大字だいじ市場いちば鶴見市場つるみいちばえきあいだ軌道きどう敷設ふせつおよ営業えいぎょう特許とっきょ下付かふ[7]
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん
    • 3月29にち 鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう海岸かいがん電気でんき軌道きどう合併がっぺい同社どうしゃ軌道きどうせんとなる。
    • 8がつ27にち 潮田うしおだまち大字だいじ潮田うしおだ潮田うしおだ) - 同町どうちょう大字だいじ市場いちば鶴見市場つるみいちばえきあいだ特許とっきょ失効しっこう[8]
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん5月1にち 田辺新田たなべしんでん - 渡田わたりだあいだ開業かいぎょう[6]
  • 1937ねん昭和しょうわ12ねん12月1にち 総持寺そうじじ - 大師だいしあいだ田辺新田たなべしんでん - 渡田わたりだあいだ廃止はいし[9]

輸送ゆそう収支しゅうし実績じっせき[編集へんしゅう]

年度ねんど 人員じんいんひと 貨物かもつ数量すうりょうとん 営業えいぎょう収入しゅうにゅうえん 営業えいぎょうえん 営業えいぎょう益金えききんえん 雑収入ざっしゅうにゅうえん ざつ支出ししゅつえん 支払しはらい利子りしえん
1925(大正たいしょう14) 504,802 2 12,808 15,133 ▲ 2,325 12,461
1926(昭和しょうわもと 1,399,806 169 118,563 146,067 ▲ 27,504 129,194
1927(昭和しょうわ2) 1,399,113 1,036 114,296 126,425 ▲ 12,129 139,203
1928(昭和しょうわ3) 1,562,804 3,757 124,908 125,616 ▲ 708 35,595
1929(昭和しょうわ4) 1,552,997 8,151 129,541 98,497 31,044 31,676
1930(昭和しょうわ5) 1,538,946 4,295 116,757 123,073 ▲ 6,316 地方ちほう鉄道てつどう155,562 ざつそん8,193 57,100
1931(昭和しょうわ6) 941,431 1,799 67,740 87,216 ▲ 19,476 地方ちほう鉄道てつどう74,510 ざつそん4,803 47,100
1932(昭和しょうわ7) 780,021 637 64,396 77,554 ▲ 13,158 地方ちほう鉄道てつどう30,648 自動車じどうしゃ3,162 47,100
1933(昭和しょうわ8) 758,329 66,203 74,239 ▲ 8,036 地方ちほう鉄道てつどう自動車じどうしゃ79,156 償却しょうきゃくきん20,000 47,100
1934(昭和しょうわ9) 927,378 75,345 74,984 361 地方ちほう鉄道てつどう88,185 償却しょうきゃくきん34770 47,100
1935(昭和しょうわ10) 1,113,203 69,611 83,118 ▲ 13,507 地方ちほう鉄道てつどう自動車じどうしゃ169,908 償却しょうきゃくきん17,000 47,100
1936(昭和しょうわ11) 1,413,371 85,785 88,891 ▲ 3,106 地方ちほう鉄道てつどう自動車じどうしゃ210,949 ざつそん38 47,040
1937(昭和しょうわ12) 1,637,496 102,315 87,182 15,133 地方ちほう鉄道てつどう自動車じどうしゃ315,212 40,993
  • 鉄道てつどう統計とうけい資料しりょうかく年度ねんどばんより

停留所ていりゅうじょ一覧いちらん[編集へんしゅう]

本線ほんせん
総持寺そうじじ - 鶴見つるみがわ - 下野谷したのや - 潮田うしおだ - 入船いりふね - 寛政かんせい - 下新田しもしんでん - 富士電機ふじでんきまえ - 田辺新田たなべしんでん - 田島たじま - 浅野あさのセメントまえ - 池上いけがみ新田にった - 塩浜しおはま - (かり競馬場前けいばじょうまえ - 出来野できの - 大師河原だいしがわら - 大師だいし
支線しせん
田辺新田たなべしんでん - 渡田わたりだ

接続せつぞく路線ろせん[編集へんしゅう]

呼称こしょう営業えいぎょう当時とうじのもの。総持寺そうじじえきは1944ねん廃止はいし渡田わたりだえきは1943ねん鶴見線つるみせん国有こくゆう浜川崎はまかわさきえき統合とうごう

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

車両しゃりょうすう変遷へんせん
年度ねんど 客車きゃくしゃ 貨車かしゃ 備考びこう
1926
-1930
19 2 ボギぼぎしゃ1 - 10、単車たんしゃ1 - 9
1931 16 2 廃車はいしゃ単車たんしゃ1・3・9
1932 18 2 21・22
1933 13 2 廃車はいしゃ単車たんしゃ2・4 - 7
1934 11 2 廃車はいしゃボギぼぎしゃ3、単車たんしゃ8
1935
-1936
12 2 31・32(廃車はいしゃボギぼぎしゃ1
1937 11 2 鉄道てつどうせんへ)22

開業かいぎょう親会社おやがいしゃ京浜けいひん電気でんき鉄道てつどうから車両しゃりょう調達ちょうたつしている[注釈ちゅうしゃく 2]単車たんしゃ9りょう(1-9)とボギぼぎしゃ10りょう(1-10)はいずれも木製もくせい車体しゃたい開放かいほうデッキでくるまはし救助きゅうじょもうをつけていた(詳細しょうさいは「京浜けいひん電気でんき鉄道てつどうの4りん電車でんしゃ#あらためばん履歴りれき」および「京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう1ごうがた電車でんしゃ#概要がいよう」を参照さんしょう)。

単車たんしゃはどのくるま新造しんぞうから25ねん前後ぜんこうており、なかには大師だいし電気でんき鉄道てつどう京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう)が開業かいぎょう用意よういしたものもあるなど老朽ろうきゅう目立めだったため、ほとんど活躍かつやくしないまま1927ねん昭和しょうわ2ねん)までに全車ぜんしゃきゅうしゃになった[注釈ちゅうしゃく 3]

鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどうへの合併がっぺい1931ねん昭和しょうわ6ねん)に単車たんしゃ1りょう芝浦製作所しばうらせいさくしょげん東芝とうしば)にられ、その鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう復帰ふっきした。このくるまあしまわりがのち仙台せんだい市電しでん秋保あきう電気でんき鉄道てつどうわたり、1954ねん昭和しょうわ29ねん)まで使用しようされた(「鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう電車でんしゃ#モハ10かたち参照さんしょう)。

1932ねん昭和しょうわ7ねん)にはんはがねせいボギぼぎしゃ2りょう20かたち21・22)を購入こうにゅうつづけて1934ねん昭和しょうわ9ねん)にもはんはがねせいボギぼぎしゃ2りょう30かたち31・32)をいずれも汽車きしゃ会社かいしゃげん川崎重工かわさきじゅうこう)から導入どうにゅうした。はいせん直前ちょくぜんに21が、またはいせんに22・31・32が鉄道てつどうせん移動いどうした。なお京浜けいひん電鉄でんてつからいだボギぼぎしゃ鉄道てつどうせんがれず、1937ねんはいせん路線ろせん運命うんめいともにした。

そのは21・22が福武ふくたけ電気でんき鉄道てつどうげん福井ふくい鉄道てつどう)に譲渡ゆずりわたされ、31・32は国有こくゆうされたのち茨城いばらき交通こうつう譲渡ゆずりわたされ茨城いばらきせん使用しようされた。

はいせんあととその[編集へんしゅう]

海岸かいがんでん軌廃せんあと現状げんじょう[編集へんしゅう]

横浜よこはま鶴見つるみ鶴見つるみ中央ちゅうおう5丁目ちょうめにある本山もとやまぜんさくら公園こうえんが、京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう接続せつぞくしていた総持寺そうじじえきあとである。このすぐまえからまっすぐ産業さんぎょう道路どうろまでびる市道しどうは、海岸かいがん電気でんき軌道きどう線路せんろあとつくられた。だいいち京浜けいひん下野谷したのやまち入口いりくち交差点こうさてんえ、臨港りんこう鶴見川つるみがわきょう[注釈ちゅうしゃく 4]わた直進ちょくしんみちなりにすすむと産業さんぎょう道路どうろ合流ごうりゅうする。首都高しゅとこうそくよこせん高架こうかしたをずっとひがしすすむと川崎かわさきはいって、出来野できの交番こうばんぜん交差点こうさてん付近ふきんからひだりへカーブするがわどうがある。このがわどうとまったさき京急けいきゅう大師線だいしせんにぶつかるが、そこから川崎大師かわさきだいしえきまでの大師だいしせん線路せんろわせたものが、海岸かいがん電気でんき軌道きどうはいせんあとである。

現在げんざい痕跡こんせきかるものがほとんどのこされていないが、ゆるやかなカーブなどの線形せんけいたもっている場所ばしょおおいためはいせんあと辿たどることは容易よういである。産業さんぎょう道路どうろ塩浜しおはま交差点こうさてんはさんで渡田わたりだとのあいだには川崎かわさきバスのかわ40系統けいとう、また大師だいしきょうえきあいだには川崎かわさきバスと川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバスのかわ03系統けいとうはしっており比較的ひかくてき簡単かんたんくことができる(「川崎かわさきバス塩浜しおはま営業えいぎょうしょ」を参照さんしょう)。なおりょう区間くかんとお運行うんこうする路線ろせんとして京浜急行けいひんきゅうこうバスがま45系統けいとうがあったが、2020ねんれい2ねん1がつ15にちをもって廃止はいしされた。渡田わたりだ入船いりふねあいだ川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバスのかわ26とかわ29のりょう系統けいとう現在げんざい通勤つうきん生活せいかつあしになっている。なお渡田わたりだからさき路線ろせん西側にしがわはいせんあとには、並行へいこうするJR鶴見つるみせん国道こくどうえき - 浜川崎はまかわさきえきあいだ各駅かくえきからもくことができる。

臨港りんこうバス設立せつりつ[編集へんしゅう]

鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう軌道線きどうせん廃止はいし代償だいしょうとして鶴見つるみ - 川崎大師かわさきだいしあいだのバス免許めんきょけ、これを運営うんえいする分離ぶんり子会社こがいしゃ鶴見つるみ川崎かわさき臨港りんこうバスげん川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバス)を設立せつりつした。臨港りんこうバスの資本しほん構成こうせい当初とうしょ鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどうぜん株式かぶしきの91.3%を保有ほゆうしていたが、はいせんにより京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう設定せっていした軌道きどう財団ざいだん抵当ていとう消滅しょうめつすることになるので、その財団ざいだん担保たんぽ代用だいようとして京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう株式かぶしき(8,300かぶ)を取得しゅとくすることになった。この結果けっか京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう自己じこ所有しょゆうぶんふくめれば9,464かぶ (63.1%) を保有ほゆうすることとなった[3]

京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう保有ほゆうしていた川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバスかぶ東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつがれたものの、川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバス自体じたい鉄道てつどうしょうした陸上りくじょう交通こうつう事業じぎょう調整ちょうせいほうもとづく通牒つうちょう対象たいしょうがい位置付いちづけられ、統合とうごうまぬかれた(詳細しょうさいは「神奈川中央交通かながわちゅうおうこうつう#戦時せんじ統合とうごう」を参照さんしょう)。 そして、1948ねん昭和しょうわ23ねん)12月、東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ保有ほゆうかぶ分離ぶんり独立どくりつした京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつがれ、同社どうしゃ関係かんけい会社かいしゃとなる。1954ねん昭和しょうわ29ねん)には鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう大和自動車交通だいわじどうしゃこうつう保有ほゆうしていた持株もちかぶ京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ取得しゅとくし、以降いこう川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバスは京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ連結れんけつ子会社こがいしゃとなり、2006ねん平成へいせい18ねん)には完全かんぜん子会社こがいしゃされるにいたった(詳細しょうさい川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバス#沿革えんかく参照さんしょう)。

京急けいきゅう大師だいしせん川崎かわさき市電しでん臨海りんかい延長えんちょう[編集へんしゅう]

海岸かいがんでん軌の廃止はいしによって路線ろせん東側ひがしがわにおけるせん接続せつぞくうしなった京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう大師だいしせんは、それからすう年間ねんかん京浜川崎けいひんかわさき川崎大師かわさきだいしあいだかえ運転うんてんするまりせんとなったが、だい東急とうきゅうまれたのち1944ねん昭和しょうわ19ねん)、臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたいへの通勤つうきん輸送ゆそう目的もくてき川崎大師かわさきだいしからさき入江いりえさきまで延長えんちょうされる。このさいに、すで線路せんろ撤去てっきょされ産業さんぎょう道路どうろ建設けんせつはじまっていた現在げんざい大師だいしきょうえき手前てまえまで、海岸かいがん電気でんき軌道きどう線路せんろあとがそのまま活用かつようされた。地下ちかにより現在げんざい車窓しゃそうからは確認かくにんしにくいものの、大師だいしきょうえき手前てまえからみぎへカーブする道路どうろは、海岸かいがん電気でんき軌道きどう電車でんしゃ塩浜しおはま方面ほうめんへと進行しんこう方向ほうこうえていった道筋みちすじとなる。

一方いっぽう東急とうきゅう大師だいしせん産業さんぎょう道路どうろ入江いりえさきあいだは、海岸かいがん電気でんき軌道きどう線路せんろよりもずっとうみりを辿たどるコースがられた。この途中とちゅうもうけられたのが現在げんざいえき自体じたい存続そんぞくする小島新田おじましんでんえきと、廃止はいしされた塩浜しおはまえきである。そして、1945ねん昭和しょうわ20ねん)にはいると入江いりえさきからさらに1えきびて桜本さくらほんえきたっした。このうち一部いちぶ海岸かいがん電気でんき軌道きどうはいせんあと産業さんぎょう道路どうろ)に並行へいこうするが、はいせんあとをそのまま活用かつようしたものではなく、産業さんぎょう道路どうろよりうみがわあらたに専用せんよう軌道きどうこされた。

また渡田わたりだ桜本さくらもとあいだには、川崎かわさき市電しでん渡田わたりだせん建設けんせつされ事実じじつじょう復活ふっかつした。しかし、これも海岸かいがん電気でんき軌道きどうはいせんあとをそのまま活用かつようしたものではなく、大師だいしせん同様どうよう産業さんぎょう道路どうろよりうみがわあらたに専用せんよう軌道きどうこされた。この区間くかんには国鉄こくてつ貨物かもつ列車れっしゃ運転うんてんするためのさんせん軌条きじょうかれた(「川崎かわさき市電しでん#特徴とくちょうのあった区間くかん」を参照さんしょう)。

なお鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう自身じしん海岸かいがん電気でんき軌道きどう廃止はいしに、鉄道てつどうせん拡張かくちょう計画けいかく一環いっかんとして浜川崎はまかわさきえきから京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう穴守あなもりせん穴守あなもりえき経由けいゆして京浜東北線けいひんとうほくせん大森おおもりえき東京とうきょう大田おおた)までの事業じぎょう免許めんきょ取得しゅとくしたが、鶴見線つるみせん国有こくゆう太平洋戦争たいへいようせんそう戦局せんきょく悪化あっかなどの事情じじょうによって実現じつげんせずにわっている[10](「鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう#未成みせいせん」を参照さんしょう)。

東急とうきゅう大師だいしせん1948ねん昭和しょうわ23ねん)6がつ京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう後身こうしんとして分離ぶんり独立どくりつした京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ所属しょぞくとなり、1952ねん昭和しょうわ27ねん)、塩浜しおはま桜本さくらもとあいだ川崎かわさき交通こうつう譲渡ゆずりわたされる。

塩浜しおはま操車そうしゃじょう市電しでん撤去てっきょ[編集へんしゅう]

昭和しょうわ30年代ねんだいはいると、おりからの高度こうど経済けいざい成長せいちょう川崎かわさき臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい隆盛りゅうせいをきわめることになる。国鉄こくてつ浜川崎はまかわさきえきをハブにした専用せんようせん接続せつぞく貨物かもつ輸送ゆそうはパンク寸前すんぜんとなり、一方いっぽう国鉄こくてつ通勤つうきん方面ほうめん作戦さくせんによる東海道とうかいどう本線ほんせん横須賀よこすかせん分離ぶんりSM分離ぶんり)、貨物かもつせん増強ぞうきょう急務きゅうむとなっていった(「川崎かわさき貨物かもつえき#歴史れきし」を参照さんしょう)。

国鉄こくてつでははま川崎かわさきえきわるあらたな貨物かもつヤードを川崎かわさき臨海りんかい建設けんせつすることになり、塩浜しおはま操車そうしゃじょうげん川崎かわさき貨物かもつえき)の建設けんせつ計画けいかく具体ぐたいした。これにより用地ようち供出きょうしゅつ必要ひつようとなったため、1964ねん昭和しょうわ39ねん)3がつ25にちかぎりで京急けいきゅう部分ぶぶん小島こじま新田しんでん塩浜しおはまあいだ川崎かわさき市電しでん部分ぶぶん塩浜しおはま池上いけがみ新田しんでんあいだ休止きゅうしとなった(小島新田おじましんでんえき川崎かわさきりの現在地げんざいち移転いてん)。休止きゅうし京急けいきゅう代行だいこうバスを運行うんこうしたほか、京急けいきゅう川崎かわさき鶴見つるみ臨港りんこうバス、川崎かわさきバスの既存きそんバス路線ろせん増発ぞうはつされた。しかし、1969ねん昭和しょうわ44ねん)に池上いけがみ新田しんでんからさき市電しでん全線ぜんせん廃止はいしとなったため、京急けいきゅう再開さいかい意味いみうしなったと判断はんだん1970ねん昭和しょうわ45ねん)11がつ20日はつか正式せいしき廃止はいしとする。これにより、川崎かわさきさい南部なんぶ塩浜しおはま桜本さくらもと地区ちくから軌道きどうけい交通こうつう消滅しょうめつ国鉄こくてつ川崎かわさきえき直結ちょっけつするバス輸送ゆそう主流しゅりゅうとなった(「塩浜しおはまえき (神奈川かながわけん)#休止きゅうし代替だいたいバス」および「京浜急行けいひんきゅうこうバス羽田はた営業えいぎょうしょ#1980年代ねんだい以前いぜん廃止はいしされた系統けいとう」を参照さんしょう)。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 大阪おおさか電気でんき軌道きどうしんせん建設けんせつたいする天理てんり軽便鉄道けいべんてつどう大和やまと鉄道てつどうれいがある。
  2. ^ 手続てつづきのうえでは譲渡じょうとではなくしんせいあつかい。
  3. ^ 高松たかまつ1926ねん大正たいしょう15ねん)に訪問ほうもんしているが単車たんしゃうごいているのをたことがないという。
  4. ^ 名称めいしょうこそわっていないが、1981ねんえられているため当時とうじはしそのものではない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 電気でんき事業じぎょう要覧ようらん. だい21かい 昭和しょうわ5ねん3がつ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  2. ^ 京急けいきゅうグループ年譜ねんぷ - 京急けいきゅうグループ会社かいしゃ要覧ようらんp99、京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつHP。
  3. ^ a b c 小川おがわ 116ぺーじ
  4. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1919ねん12月6にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  5. ^ 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. だい30かい取締役とりしまりやく青木あおき正太郎しょうたろう安田やすだよし兵衛ひょうえいずれも京浜けいひん電気でんき鉄道てつどう常務じょうむ人事じんじ興信録こうしんろく. 6はん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  6. ^ a b c d 地方ちほう鉄道てつどう及軌どう一覧いちらん. 昭和しょうわ10ねん4がつ1にち現在げんざい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  7. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1925ねん12月7にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  8. ^ 軌道きどう特許とっきょ失効しっこう」『官報かんぽう』1930ねん8がつ27にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  9. ^ 軌道きどう運輸うんゆ営業えいぎょう廃止はいし実施じっし」『官報かんぽう』1938ねん1がつ19にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  10. ^ 鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう物語ものがたり-しんせん計画けいかく - 東亜とうあリアルエステートHP。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 京浜急行けいひんきゅうこうはちじゅうねん京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ、1980ねん、103-104、120-121、510-516ぺーじ
  • 今尾いまおめぐみかい監修かんしゅう)『日本にっぽん鉄道てつどう旅行りょこう地図ちずちょう - 全線ぜんせんぜんえき全廃ぜんぱいせん』 4 関東かんとう2、新潮社しんちょうしゃ、2008ねんISBN 978-4-10-790022-7 
  • 小川おがわいさお京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつグループの系譜けいふ」『鉄道てつどうピクトリアル』No.656 1998ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう、115-117ぺーじ
  • 大野おおの浩光ひろみつ海岸かいがん電気でんき軌道きどうについて」『鉄道てつどうピクトリアル』No.656 1998ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう
  • 佐藤さとう良介りょうすけ京急けいきゅうクロスシートしゃ系譜けいふ』、JTBパブリッシング(JTBキャンブックス)2003ねん
  • 高松たかまつ吉太郎よしたろう東京とうきょう郊外こうがい電車でんしゃ」『鉄道てつどうピクトリアル』No.449 1985ねん6がつごう
  • 吉川よしかわ文夫ふみお鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう軌道線きどうせん」『鉄道てつどうピクトリアル』No.205 1968ねん1がつごう
  • かず久田ひさた康雄やすお鶴見つるみ臨港りんこう鉄道てつどう時代じだい車両しゃりょう」『鉄道てつどうピクトリアル』No.472 1986ねん12がつごう
  • かず久田ひさた康雄やすお日本にっぽん市内しない電車でんしゃ-1895-1945-』、 成山なりやまどう書店しょてん 、2009ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]