東武とうぶ日光にっこう軌道線きどうせん

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東武鉄道 日光にっこう軌道線きどうせん
神橋しんきょう付近ふきん走行そうこうする日光にっこう軌道線きどうせん
概要がいよう
現況げんきょう 廃止はいし
おこり終点しゅうてん 起点きてん日光にっこう駅前えきまえ
終点しゅうてんうまかえし
えきすう 19えき
運営うんえい
開業かいぎょう 1910ねん8がつ10日とおか (1910-08-10)
廃止はいし 1968ねん2がつ25にち (1968-2-25)
所有しょゆうしゃ 日光にっこう電気でんき軌道きどう日光にっこう自動車じどうしゃ電車でんしゃ日光にっこう軌道きどう東武鉄道とうぶてつどう
車両しゃりょう基地きち 東武とうぶ日光にっこうえきまえきゅう車庫しゃこ)、清滝きよたき
使用しよう車両しゃりょう 車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせんそう延長えんちょう 10.6 km (6.6 mi)
軌間きかん 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化でんか 直流ちょくりゅう600 V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
運行うんこう速度そくど 最高さいこう35 km/h (22 mph)
さいきゅう勾配こうばい 60
テンプレートを表示ひょうじ
停留所ていりゅうじょ施設しせつ接続せつぞく路線ろせん
STR
東武とうぶ日光にっこうせん
STR+l STRq STRr STR
国鉄こくてつ日光にっこうせん
emABZgl uexABZ+lr uexSTRq emABZgr
ENDEaq KRZo uxmKRZo
STRr
日光にっこうえき 標高ひょうこう
STR uexABZg+l
uexSTR+r
0.000 日光にっこう駅前えきまえ 533m
STR uexSTRg uexSTRg
STR uexSTRf uexSTR
←←東武とうぶ日光にっこうえき
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東武とうぶ駅前えきまえ
uexABZg+l uexKDSTeq uexSTR
きゅう車庫しゃこ
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石屋いしやまち
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1.150 警察署前けいさつしょまえ 572m
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市役所前しやくしょまえ
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神橋しんきょう
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きゅう経路けいろ
uexhKRZWae uexhKRZWae
神橋しんきょう
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2.020 下河原しもかわら 593m
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きゅう経路けいろ
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公会堂前こうかいどうまえ
uexABZg+l uexSTRr
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西にし参道さんどうまえ
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3.110 田母沢たもざわ 640m
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花石はないしまち
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4.230 荒沢あらさわ 672m
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5.110 電車でんしゃまえ 702m
uexSTRl uexABZg+r
uexSTR
uexABZgl uexKHSTeq
古河電工ふるかわでんこう
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5.880 古河ふるかわアルミまえ 694m
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丹勢たんぜ
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6.840 清滝きよたきえき 715m
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古河電工ふるかわでんこう
uexBHF
いわはな
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8.430 横手よこて 785m
9.600 うまかえしえき 838m
日光にっこう鋼索こうさく鉄道てつどうせん
exFUNI exSTR

日光にっこう軌道線きどうせん(にっこうきどうせん)は、栃木とちぎけん日光にっこう日光にっこう駅前えきまえからうまかえしまでをむすんでいた、東武鉄道とうぶてつどう運営うんえい路面ろめん電車でんしゃである。愛称あいしょうは「日光にっこう電車でんしゃ[1]1968ねん昭和しょうわ43ねん)に廃止はいしされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

当時とうじ日光にっこうまち古河ふるかわ合名ごうめい現在げんざい古河電気工業ふるかわでんきこうぎょう以下いか古河電工ふるかわでんこうりゃくす)と合弁ごうべん1908ねん明治めいじ41ねん)に日光にっこう電気でんき軌道きどう設立せつりつして1910ねん明治めいじ43ねん)に開業かいぎょうした。日光にっこう東照宮とうしょうぐうはなわ王寺おうじ二荒ふたあらさん神社じんじゃひとし観光かんこうへの旅客りょかく輸送ゆそう古河ふるかわ精銅せいどうしょからの貨物かもつ輸送ゆそう目的もくてき建設けんせつされた。

開業かいぎょう電動でんどう客車きゃくしゃ3りょう電動でんどう貨車かしゃ2りょう客車きゃくしゃ貨車かしゃあわせて9りょうけい14りょう所有しょゆうしていた。山道さんどうめずらしい路面ろめん電車でんしゃで、沿線えんせん標高ひょうこう停車場ていしゃじょうまえ(のちの国鉄こくてつ駅前えきまえ)が533m、うまかえしが838mで、日本にっぽん国内こくない路面ろめん電車でんしゃでは一番いちばんたかかった。軌道きどういたところきゅう勾配こうばいで、さいきゅう勾配こうばいは60‰(パーミル[2]、50‰以上いじょう多数たすう存在そんざいした[3]

1932ねん昭和しょうわ7ねん)に傍系ぼうけい日光にっこう登山とざん鉄道てつどうによるケーブルカー(のちの東武とうぶ日光にっこう鋼索こうさく鉄道てつどうせん)が終点しゅうてんかえしから明智めいちたいらまでび、翌年よくねんから明智めいちたいらでは同社どうしゃロープウェイ(のちの明智あけちひらロープウェイ)に接続せつぞくして華厳けごんたき中禅寺湖ちゅうぜんじこへの観光かんこう輸送ゆそうおこなった。

1928ねん昭和しょうわ3ねん)、日光にっこう進出しんしゅつした東武鉄道とうぶてつどう傘下さんかはいり、戦時せんじ統制とうせい日光にっこう地区ちく交通こうつう機関きかん統合とうごうする。古河ふるかわ精銅せいどうしょ軍需ぐんじゅ輸送ゆそう通勤つうきん輸送ゆそう繁忙はんぼういちじるしく不足ふそくした輸送ゆそうりょく強化きょうかするために中古ちゅうこ電車でんしゃ客車きゃくしゃ導入どうにゅうし、さらに鉄道てつどうしょう(のちの日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう)から電気でんき機関きかんしゃれて軌道きどう改良かいりょううえ貨物かもつ列車れっしゃ直通ちょくつう運転うんてんできるようになり飛躍ひやくてき輸送ゆそう効率こうりつ向上こうじょうさせ、このとし1944ねん昭和しょうわ19ねん)の貨物かもつ運輸うんゆ実績じっせきじつに18まんトンをえている。

1947ねん昭和しょうわ22ねん親会社おやがいしゃ東武鉄道とうぶてつどう合併がっぺいされた。合併がっぺい、76りょう車両しゃりょうがあったがなかには創業そうぎょう当時とうじ車両しゃりょうまであり、いずれも旧態きゅうたい依然いぜんかつ老朽ろうきゅうしていた。車両しゃりょうのみならず、軌道きどう電路でんろなどの状態じょうたい軍需ぐんじゅ輸送ゆそうのために整備せいびされていたとはいえ戦中せんちゅう戦後せんご酷使こくしたたって深刻しんこく疲弊ひへいぶりで、東武鉄道とうぶてつどうでは安全あんぜん確保かくほ観光かんこう輸送ゆそう回復かいふくをにらんでの設備せつび投資とうし順次じゅんじった。1953ねん昭和しょうわ28ねん)、新車しんしゃボギぼぎしゃが10りょう翌年よくねんには大型おおがた連接れんせつしゃが6編成へんせい就役しゅうえきする。旧型きゅうがたしゃ駆逐くちく面目めんぼく一新いっしんした。古河電工ふるかわでんこう工場こうじょうへの通勤つうきんきゃく戦後せんご観光かんこうブームで輸送ゆそう旅客りょかくすうもピークを記録きろく貨物かもつ輸送ゆそう増加ぞうかして戦後せんご黄金おうごんむかえる。

しかし、モータリゼーション到来とうらい道路どうろ整備せいびされ、自動車じどうしゃ交通こうつうりょう増加ぞうかする。さらにだいいちだいいろはざか開通かいつうにより自家用車じかようしゃ・バスがちゅうぜんてら方面ほうめん直通ちょくつう可能かのう軌道線きどうせん経由けいゆ場合ばあいうまかえし明智あけちたいらの2箇所かしょえが必要ひつよう)になり、古河ふるかわ関連かんれん貨物かもつ輸送ゆそう貨物かもつ自動車じどうしゃえられ、旅客りょかく貨物かもつともに輸送ゆそう実績じっせき激減げきげん収支しゅうし悪化あっかし、電車でんしゃ存在そんざい意義いぎうすれる結果けっかとなった。日光にっこう市内しない交通こうつう渋滞じゅうたい発生はっせいはじめており、地元じもとからの撤去てっきょ要請ようせいけた東武鉄道とうぶてつどう日光にっこう軌道きどうせん廃止はいし決定けっていする。1968ねん昭和しょうわ43ねん)1がつ末日まつじつ廃止はいし予定よていしたが労働ろうどう組合くみあいとの折衝せっしょう手間取てまどり、廃止はいし時期じき若干じゃっかん延期えんきすることを余儀よぎなくされ[4]1968ねん昭和しょうわ43ねん)2がつ24にちかぎりで全線ぜんせん営業えいぎょう廃止はいし[5]、おわかれの装飾そうしょくほどこした電車でんしゃ最後さいごの2日間にちかんはしって58ねん歴史れきしじた。

東武鉄道とうぶてつどうはかつて伊香保いかほ軌道線きどうせんという路面ろめん電車でんしゃ運行うんこうしていたが1956ねん昭和しょうわ31ねん)に廃止はいしされており、日光にっこう軌道線きどうせん廃止はいしによって同社どうしゃ保有ほゆう軌道きどうせん全廃ぜんぱいとなった。

路線ろせんデータ[編集へんしゅう]

  • 区間くかん営業えいぎょうキロ):けい10.6 km
    • 日光にっこう駅前えきまえ - うまかえし 9.6 km
    • 日光にっこう駅前えきまえ - 松原まつばらまち(ループ) 0.3 km[6]
    • 松原まつばらまち - 日光にっこうえき構内こうない貨物かもつせん) 0.7 km[6]
  • 軌間きかん:1067 mm
  • えきすう:19えきおこり終点しゅうてんえきふくむ)
  • 複線ふくせん区間くかん:なし(全線ぜんせん単線たんせん
  • 電化でんか区間くかん全線ぜんせん直流ちょくりゅう600 V架空かくう単線たんせんしき

車庫しゃこ[編集へんしゅう]

  • 清滝きよたきさいよせ停留所ていりゅうじょ電車でんしゃまえ) - 跡地あとち現在げんざい幸福こうふく科学かがく総本山そうほんざん日光にっこう精舎しょうじゃ
  • 東武とうぶ日光にっこうえきまえきゅう車庫しゃこ)- 跡地あとち東武とうぶバスターミナル。

廃止はいし軌道きどう関係かんけいやく150めい従業じゅうぎょういんがいた。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

  • 1907ねん明治めいじ41ねん
  • 1910ねん明治めいじ43ねん8がつ10日とおか - 日光にっこう電気でんき軌道きどうにより日光にっこう停車場ていしゃじょうまえ - いわはなあいだ開通かいつう
  • 1913ねん大正たいしょう2ねん10月15にち - いわはな - うまかえしあいだ開通かいつう
  • 1919ねん大正たいしょう8ねん)4がつ19にち - 午後ごご430ふん清滝きよたき発車はっしゃした工員こういんすうじゅうめい満載まんさいした電車でんしゃ制動せいどう故障こしょうによりさか暴走ぼうそう荒沢あらさわきょうわたったさきのカーブで脱線だっせん転覆てんぷく。4にん即死そくし、39にん重軽傷じゅうけいしょうしゃをだす[7]
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん
    • 8がつ28にち - 日光にっこう登山とざん鉄道てつどうがケーブルカーをうまかえし - 明智めいちたいら開通かいつう電車でんしゃうまかえしえき移転いてんしてケーブルカーのえき共用きょうよう接続せつぞく便びんをはかる。
    • 11月30にち - 日光にっこう自動車じどうしゃ合併がっぺい日光にっこう自動車じどうしゃ電車でんしゃ株式会社かぶしきがいしゃ商号しょうごう変更へんこう
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん
    • 5月12にち - 日光にっこう駅前えきまえ線形せんけい変更へんこうしループ運転うんてん開始かいし
    • 11月3にち - 日光にっこう登山とざん鉄道てつどう明智めいちたいら - 展望てんぼうだいあいだにロープウェイを開通かいつう軌道線きどうせん、ケーブルカー、ロープウェイの接続せつぞく完成かんせい
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん)10がつ12にち - 午後ごご7ごろ古河ふるかわ精銅せいどうしょ付近ふきんで2りょう編成へんせい電車でんしゃ脱線だっせんがけ精銅せいどうしょ職工しょっこう死傷ししょう100にんをだす[8]
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん
    • 8がつ1にち - 日光にっこう軌道きどう株式会社かぶしきがいしゃ商号しょうごう変更へんこう[9]
    • 9月15にち - 古河電工ふるかわでんこう日光にっこう電気でんき精銅せいどうしょ貨物かもつ列車れっしゃ直通ちょくつうのための専用せんようきょう神橋しんきょうのとなりに完成かんせい翌日よくじつ電気でんき機関きかんしゃ使用しよう開始かいし最大さいだい4りょう貨車かしゃ連結れんけつして運行うんこう
  • 1947ねん昭和しょうわ22ねん6月1にち - 東武鉄道とうぶてつどう株式会社かぶしきがいしゃ合併がっぺい
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん)- 100かたちボギぼぎしゃ10りょう就役しゅうえき
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん)- 200かたち連接れんせつしゃ6編成へんせい就役しゅうえき輸送ゆそう体制たいせいととのう。観光かんこうきゃく増加ぞうか旅客りょかく運輸うんゆ実績じっせき最大さいだい記録きろく(551まんにん)するが、同年どうねんだいいちいろはざか開通かいつうし、以降いこう自動車じどうしゃ相手あいて苦戦くせんいられる。
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん2がつ1にち - 荒沢あらさわ工場こうじょう開設かいせつ
  • 1957ねん昭和しょうわ32ねん) - 女性じょせい車掌しゃしょう入社にゅうしゃ観光かんこう案内あんないもおこなう。
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん)8がつ1にち - 日光にっこう車両しゃりょう車庫しゃこ)を荒沢あらさわ工場こうじょう併設へいせつ東武とうぶ駅前えきまえきゅう車庫しゃこ電車でんしゃ留置りゅうちせんとして存置そんち
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねん11月17にち - えき停留所ていりゅうじょ7ヶ所かしょ改称かいしょう
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん) - 東武とうぶ駅前えきまえ - 国鉄こくてつ駅前えきまえあいだのループせん運転うんてん中止ちゅうし国道こくどう119ごうせん渋滞じゅうたい緩和かんわのため。
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん10月6にち - だいいろはざかきむきよし道路どうろ開通かいつう
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん
    • 5月 - 軌道きどう運輸うんゆ廃止はいし申請しんせい
    • このとし旅客りょかく運輸うんゆ実績じっせきが350まんにんる。
    • 11月6にち - 軌道きどう運輸うんゆ事業じぎょう廃止はいし許可きょかにつき運輸うんゆ審議しんぎかい件名けんめいひょう登載とうさい[10]
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん
    • 1がつ19にち - 運輸うんゆ審議しんぎかいが、廃止はいし許可きょかすることが適当てきとうであるむね運輸うんゆ大臣だいじん答申とうしん[6]
    • 1がつ31にち - 本日ほんじつかぎりで貨物かもつ運輸うんゆ営業えいぎょう終了しゅうりょう[11]
    • 2がつ23にち - このから2日間にちかん日光にっこうえき - 清滝きよたきあいだで100かたち電車でんしゃ3りょうでんかざり200やモールをけた装飾そうしょく電車でんしゃ運行うんこう。23にちには東武とうぶ駅前えきまえ清滝きよたき地元じもと小学生しょうがくせい乗務じょうむいん花束はなたば感謝かんしゃじょう贈呈ぞうてい、24にちには東武とうぶ駅前えきまえ栃木とちぎ県知事けんちじ日光にっこう市長しちょう市議会しぎかい議長ぎちょう出席しゅっせきして廃止はいし記念きねん式典しきてん実施じっし終列車しゅうれっしゃ入庫にゅうこですべての営業えいぎょう運転うんてん終了しゅうりょう
    • 2がつ25にち - 全線ぜんせん廃止はいし[5]神主かんぬしにより日光にっこう軌道きどう収納しゅうのうしきおこなわれる。

運輸うんゆ実績じっせき[編集へんしゅう]

運輸うんゆ実績じっせきは、以下いかのとおり[6]

  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん - 旅客りょかく450まんにん貨物かもつ80,968トン
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん - 旅客りょかく469まん3,000にん貨物かもつ77,625トン
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん - 旅客りょかく393まんにん貨物かもつ57,797トン

運賃うんちん[編集へんしゅう]

廃止はいし時点じてん日光にっこう駅前えきまえ-うまかえしあいだ運賃うんちんは、以下いかのとおり[6]

  • 普通ふつう旅客りょかく - 70えん
  • 通勤つうきん定期ていきいちげつ - 1,980えん
  • 通学つうがく定期ていきいちげつ - 1,340えん

運行うんこう形態けいたい[編集へんしゅう]

全線ぜんせん単線たんせんで、スタフ使用しようして列車れっしゃ交換こうかんちがい)をしていた。始発しはつは、東武とうぶ駅前えきまえ5:25、清滝きよたき5:50、うまかえしはつ7:11。終発しゅうはつは、東武とうぶ駅前えきまえはつ23:20、清滝きよたきはつ24:15、うまかえしはつ20:10。1958ねん昭和しょうわ33ねん)3がつ現在げんざい早朝そうちょう深夜しんや通勤つうきん輸送ゆそうおもになるので、清滝きよたき-うまかえしあいだうごいていなかった。観光かんこうシーズンは増発ぞうはつし、多客たきゃくは2列車れっしゃ以上いじょうがつづく続行ぞっこう運転うんてん実施じっしした。旧型きゅうがたしゃ運転うんてんだい正面しょうめんかってひだり円盤えんばんじょう続行ぞっこう標識ひょうしき黄色おうしょくあか縁取へりとり)を提示ていじし、100かたちと200かたち運転うんてんだい正面しょうめんかって左上ひだりうえ続行ぞっこう表示ひょうじ使用しようした。続行ぞっこう表示ひょうじは、「続行ぞっこう開始かいし」が赤色あかいろ、「続行ぞっこう終了しゅうりょう」が白色はくしょくげんしめした。「続行ぞっこうなし」は車体しゃたいしきそのまま。電気でんき機関きかんしゃは、ED600かたち円盤えんばんじょう続行ぞっこう標識ひょうしき、ED610かたち運転うんてんだい正面しょうめんかって左上ひだりうえ続行ぞっこう表示ひょうじとう当初とうしょ白色はくしょく、のちに赤色あかいろ)を使用しようした。増発ぞうはつには電車でんしゃ正面しょうめんかって右側みぎがわまど番号ばんごうさつけて列車れっしゃ番号ばんごう代用だいようとしていた(運行うんこう系統けいとう番号ばんごうではない)。

軌道きどう併用へいよう軌道きどう専用せんよう軌道きどう混在こんざいしており、併用へいよう軌道きどう道路どうろ中心ちゅうしん通行つうこうする場所ばしょ道路どうろ片側かたがわっている場所ばしょ、また敷石しきいし舗装ほそうした場所ばしょ土砂どしゃ舗装ほそうした場所ばしょがあった。連結れんけつ運転うんてんしていた旧型きゅうがたしゃかえしで車両しゃりょうえ、片方かたがたにしか運転うんてんだいのない電動でんどう貨車かしゃ清滝きよたきえき構内こうない東武とうぶ日光にっこう駅前えきまえ三角形さんかっけい線路せんろ配置はいちにポイントをさんしょ設置せっちして(いわゆるデルタせん方向ほうこう転換てんかんしていたが、日光にっこう駅前えきまえループせん完成かんせい以降いこう駅前えきまえではその必要ひつようがなくなった。

えき停留所ていりゅうじょ一覧いちらん[編集へんしゅう]

国鉄こくてつ駅前えきまえ停車場ていしゃじょうまえ) - 東武とうぶ駅前えきまえ松原まつばらまち)- 石屋いしやまち - 御幸みゆきまち - *警察署前けいさつしょまえ警察けいさつまえ) - 市役所前しやくしょまえ中鉢石なかはついし) - 神橋しんきょう上鉢石かみはついし) - *下河原しもかわら - 公会堂前こうかいどうまえ - 西にし参道さんどう日光にっこうホテルまえ) - *田母沢たもざわ - 花石はないしまち - *あん良沢りょうたくうら荒沢あらさわ) - *電車でんしゃまえ地蔵じぞう) - *古河ふるかわアルミまえしろがけ) - 丹勢たんぜ - *清滝きよたきせいどうじょうまえ) - 横手よこて - うまかえし

  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん現在げんざい。「東武鉄道とうぶてつどうひゃくねん 資料しりょうへん」(1998ねん9がつ)210-211ぺーじ参考さんこうとした。
  • ( )ない旧称きゅうしょう
  • しるし列車れっしゃ交換こうかんちがい)可能かのうえき
  • うまかえし清滝きよたき駅舎えきしゃがあり駅員えきいん配置はいちしていた。
  • うまかえし開業かいぎょう灯篭どうろうのある庭園ていえんきのえきで、道路どうろ東側ひがしがわ位置いちしたがケーブルカー開業かいぎょう道路どうろわたって西側にしがわ移設いせつされた。また、昭和しょうわ初期しょきには「ちゅうぜん寺口てらぐち」に改称かいしょうされたが、まもなく「うまかえし」にさい改称かいしょうしている。
  • 過去かこには、警察署前けいさつしょまえ - 市役所前しやくしょまえあいだに「下鉢石しもはついし」、下河原しもかわら - 公会堂前こうかいどうまえあいだに「安川やすかわまち」、西にし参道さんどう - 田母沢たもざわあいだに「四軒しけんまち」、電車でんしゃまえ - 古河ふるかわアルミぜんあいだに「割山わりやま」、丹勢たんぜ - 清滝きよたきあいだに「明神みょうじんはたけ」、清滝きよたき - 横手よこてあいだに「いわはな」「べつくら」、横手よこて - うまかえしあいだに「坂下さかした」が存在そんざいした。
  • えき停留所ていりゅうじょはたびたび改廃かいはい改称かいしょうされ、東武とうぶしゃでも時期じきしょうとされているものもある。

接続せつぞく路線ろせん[編集へんしゅう]

事業じぎょうしゃめい日光にっこう軌道線きどうせん廃止はいし当時とうじ

沿線えんせん特徴とくちょうのあった場所ばしょ[編集へんしゅう]

神橋しんきょうまえのこ橋台きょうだい
東武とうぶ駅前えきまえ - 国鉄こくてつ駅前えきまえのループせん
はん時計とけいまわりの一方いっぽう通行つうこう国鉄こくてつ駅前えきまえきが国道こくどう119号線ごうせん日光にっこうすぎ並木なみきなかとおっていた。
神橋しんきょう付近ふきん
当初とうしょ日光にっこうきょう自動車じどうしゃ一緒いっしょ大谷川おおたにがわわたっていたが、機関きかんしゃ牽引けんいん貨物かもつ列車れっしゃ直通ちょくつう運行うんこうするさい重量じゅうりょう制限せいげん曲線きょくせん緩和かんわのため、神橋しんきょう日光にっこうきょうあいだななめにわただい谷川たにがわ橋梁きょうりょう専用せんようきょう)を架設かせつ。ここで撮影さつえい発表はっぴょうされた写真しゃしん数多かずおおく、戦前せんぜんから観光かんこうよう絵葉書えはがき発売はつばいされていた。2012ねん平成へいせい24ねん現在げんざい大谷川おおたにがわ橋梁きょうりょう橋台きょうだい橋脚きょうきゃく一部いちぶ残存ざんそんしており、橋台きょうだい部分ぶぶんには神橋しんきょうライトアップよう照明しょうめいけられている。
荒沢あらさわ橋梁きょうりょう
あん良沢りょうたく橋梁きょうりょう」とも表記ひょうきする。3ヒンジ上路あげろがたはがねソリッドリブ・アーチきょう[12]で、あん良沢りょうたく - 電車でんしゃまえにあった。道路どうろをはずれた専用せんよう軌道きどう荒沢あらさわがわながれるふかさのある谷間たにまわたっており、これより東側ひがしがわ田母沢たもざわわた田母沢たもざわ橋梁きょうりょう現存げんそん)と同様どうよう形状けいじょうだった。現地げんちきゅう勾配こうばい前後ぜんごきゅうカーブが存在そんざいしており、1919ねん大正たいしょう8ねん)と1939ねん昭和しょうわ14ねん)の2脱線だっせん死亡しぼう事故じこ発生はっせい[13]した難所なんしょだった。2012ねん平成へいせい24ねん現在げんざい現存げんそんしているが通行つうこう禁止きんしされている。
清滝きよたき
古河電工ふるかわでんこう日光にっこう電気でんき精銅せいどうしょ構内こうないにあった。国鉄こくてつ貨物かもつ列車れっしゃ直通ちょくつう運転うんてんをしており、せん構内こうない各所かくしょびていた。年間ねんかんつうじて通勤つうきんきゃくでにぎわった。えきあと現在げんざい古河電工ふるかわでんこう敷地しきちないであり部外ぶがいしゃ立入禁止たちいりきんしとなっている。なお、せん古河ふるかわアルミまえにも存在そんざいした。
うまかえし
軌道きどうせん終点しゅうてん洋風ようふう駅舎えきしゃがありケーブルカーとの接続せつぞくえき設備せつび共用きょうようしていた。はばひろプラットホーム左右さゆう線路せんろごと屋根やねかっていた。屋根やねともつるしされた架線かせんたかさがひくく、屋根やねしたでは電車でんしゃビューゲル反転はんてんできずに屋根やねしたから架線かせんたかさが確保かくほされたあたりで反転はんてんしていた。たにがわ連結れんけつ運転うんてんをしていた旧型きゅうがたしゃ使用しようしていたまわせん一本いっぽんあった。廃止はいし駅舎えきしゃは1980年代ねんだいなかばまでケーブルカーの設備せつびとも廃墟はいきょとなって残存ざんそんしていたが、現在げんざい更地さらちとなっている。

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

東武とうぶ日光にっこう駅前えきまえ保存ほぞんされた100かたち電車でんしゃ
東武とうぶ博物館はくぶつかん保存ほぞんされた200かたち電車でんしゃ

路線ろせん廃止はいしのもの。

100かたち
1953ねん昭和しょうわ28ねん宇都宮うつのみや車両しゃりょう製造せいぞうされたボギぼぎしゃ最大さいだい寸法すんぽうながさ12,350×はば2,200×たかさ3,552mm。定員ていいん96めい。101 - 110の10りょう在籍ざいせきしていたとうせん主力しゅりょく車両しゃりょうである。日光にっこう軌道線きどうせん廃止はいし全車ぜんしゃ岡山おかやま電気でんき軌道きどう譲渡ゆずりわたされ3000かたちとなる。現在げんざい2りょう(108→3007・110→3005)が現役げんえきで、うち1りょう(110→3005)が日光にっこう軌道線きどうせん時代じだい塗装とそう復元ふくげんされている。保存ほぞんしゃについては、栃木とちぎ県内けんないのレジャー施設しせつ保存ほぞん日光にっこう軌道線きどうせん時代じだい塗装とそう復元ふくげん2020ねん3がつ東武とうぶ日光にっこうえき駅前えきまえ広場ひろば移動いどう)された1りょう(103→3009)と、栃木とちぎ県内けんない個人こじん所有しょゆうの1りょう(109→3010)がある。
200かたち
1954ねん昭和しょうわ29ねん製造せいぞうの2車体しゃたい連接れんせつしゃ。201 - 204が汽車きしゃ会社かいしゃ東京とうきょう支店してん、205 - 206が宇都宮うつのみや車両しゃりょう製造せいぞうされた。最大さいだい寸法すんぽうながさ18,550×はば2,200×たかさ3,702mm。定員ていいん150めい。6編成へんせい在籍ざいせきしていた。車掌しゃしょう2めいで3にん乗務じょうむ大量たいりょう輸送ゆそう活用かつようされた。現在げんざい東武とうぶ博物館はくぶつかんに1編成へんせい(203)が保存ほぞんされている。
ED600かたち
1944ねん昭和しょうわ19ねん古河電工ふるかわでんこう日光にっこう電気でんき精銅せいどうしょ貨物かもつ列車れっしゃ直通ちょくつう運転うんてんのため鉄道てつどうしょう(のちの日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう)より貸与たいよされ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)に譲渡ゆずりわたされたきゅうED40かたち電気でんき機関きかんしゃで、当初とうしょED4000かたちED4001・ED4002を名乗なのった。ED601とED602の2りょう在籍ざいせきしていた。従前じゅうぜんとうせん貨物かもつ輸送ゆそう電動でんどう貨車かしゃ付随ふずい貨車かしゃのみで慢性まんせいてき輸送ゆそう力不足ちからぶそくだったがこの機関きかんしゃ入線にゅうせん一挙いっきょ輸送ゆそうりょく向上こうじょうした。戦中せんちゅう戦後せんご電車でんしゃ不足ふそくをおぎなうべく付随ふずい客車きゃくしゃ連結れんけつしたきゃく混合こんごう通勤つうきん輸送ゆそうにも使用しようした。ED610がた竣工しゅんこうED601は1956ねん昭和しょうわ31ねん廃車はいしゃし、ED602は1964ねん昭和しょうわ39ねん)に使用しよう停止ていしになった[14]最後さいごまで予備よびしゃとしてのこり、国鉄こくてつED4010に復元ふくげんのうえJR東日本ひがしにっぽん大宮おおみや総合そうごう車両しゃりょうセンター保存ほぞんされていたが、現在げんざいは、さいたま鉄道てつどう博物館はくぶつかん収蔵しゅうぞうしている。
ED610かたち
1955ねん昭和しょうわ30ねん東洋とうようこうせい貨物かもつ輸送ゆそうよう電気でんき機関きかんしゃ。ED611の1りょうのみ。運転うんてんだい片側かたがわのみで速度そくどひくいED600かたちよりも使つか勝手がってがよく、電気でんき機関きかんしゃ主力しゅりょくになる。本線ほんせんじょうではつね機関きかんしゃ先頭せんとうにして使用しようし、推進すいしん運転うんてんやバック運転うんてんおこなわなかった。日光にっこう軌道線きどうせん廃止はいし栗原くりはら電鉄でんてつくりはら田園でんえん鉄道てつどう)に譲渡ゆずりわたされた。現在げんざい栃木とちぎ県内けんない個人こじん保存ほぞんちゅうである。
テ10かたち
1929ねん昭和しょうわ4ねん製造せいぞうはんはがねせい車体しゃたいじくたん台車だいしゃきで、100かたち登場とうじょう以前いぜん主力しゅりょく車両しゃりょう多客たきゃく付随ふずい客車きゃくしゃ連結れんけつして運行うんこうした。事業じぎょうようとしてテ12が最後さいごまでのこり、工事こうじスノープロウけたデト40ごう電動でんどう貨車かしゃ連結れんけつして除雪じょせつ使用しようされた。

開業かいぎょうは、電動でんどう客車きゃくしゃ3りょう付随ふずい客車きゃくしゃ2りょう電動でんどう貨車かしゃ2りょう付随ふずい貨車かしゃ7りょうがあった。以降いこう順次じゅんじぞう備し戦時せんじちゅう車両しゃりょう不足ふそくおりには別府べっぷ大分おおいた電鉄でんてつ大分おおいた交通こうつう別大べつだいせん)や出石いずし鉄道てつどうみなみ鉄道てつどう(のちの鹿児島かごしま交通こうつう)から電動でんどう客車きゃくしゃ付随ふずい客車きゃくしゃ購入こうにゅうして軍需ぐんじゅ工場こうじょうへの通勤つうきん輸送ゆそうをしのいでいた。貨物かもつ輸送ゆそう電動でんどう貨車かしゃ付随ふずい貨車かしゃのみの運行うんこうから電気でんき機関きかんしゃ導入どうにゅうして貨物かもつ列車れっしゃ直通ちょくつう運転うんてんできるようになった。100かたち以前いぜん車両しゃりょうはED600かたち以外いがいすべてハンドブレーキ常用じょうようエアブレーキ装備そうびしておらず、勾配こうばいおお路線ろせんでは安全あんぜんせい問題もんだいがあった。荒沢あらさわ橋梁きょうりょうでは1939ねん昭和しょうわ14ねん)10がつ12にち19:00ごろブレーキ故障こしょうのために通勤つうきんきゃく満員まんいん付随ふずい客車きゃくしゃ脱線だっせんして連結れんけつした電車でんしゃごとたにそこ転落てんらくし、死者ししゃ20めい重軽傷じゅうけいしょうしゃ86めい事故じこきている[15]。100かたち・200かたち投入とうにゅうによる車両しゃりょう更新こうしんで、安全あんぜんせい格段かくだん向上こうじょうした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日光にっこう電気でんき軌道きどうによって開業かいぎょう以来いらい運営うんえいしゃ対外たいがいてき使用しようした愛称あいしょうで、日光にっこう市民しみんには「市内しない電車でんしゃ」「日光にっこう市内しない電車でんしゃ」とばれていた。
  2. ^ ここでは勾配こうばいあらわ単位たんい。60‰ののぼ勾配こうばいは1,000mすすむと60m上昇じょうしょうする。軌道きどう建設けんせつ規程きていだい16じょう  本線ほんせん勾配こうばいハ1000ぶんノ40ヨリきゅうナルコトヲただし特殊とくしゅ箇所かしょニ於テハ1000ぶんノ67までためスコトヲとく とさだめられており特認とくにんによるもの。
  3. ^ 東武とうぶ博物館はくぶつかん東武とうぶ博物館はくぶつかんだより」No.108、2010ねん
  4. ^ 東武鉄道とうぶてつどう日光にっこう軌道線きどうせん廃止はいし」151ぺーじ
  5. ^ a b 日光にっこう市電しでん、24にち廃止はいし」『交通こうつう新聞しんぶん交通こうつう協力きょうりょくかい、1968ねん2がつ20日はつか、2めん
  6. ^ a b c d e 1968ねん昭和しょうわ43ねん3月29にち運輸省うんゆしょう告示こくじだい93ごう運輸うんゆ審議しんぎかい答申とうしんがあつたけんうんしんだい2ごう答申とうしん:東武鉄道とうぶてつどう株式会社かぶしきがいしゃ日光にっこう軌道きどうせん運輸うんゆ事業じぎょう廃止はいし許可きょか申請しんせいについて
  7. ^ 精銅せいどうしょじゅうねん古河電気工業ふるかわでんきこうぎょう日光にっこう電気でんき精銅せいどうしょ、1954ねん、16-17ぺーじ
  8. ^ 死者ししゃは18-20にん東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん』1939ねん10がつ13にち朝刊ちょうかん、14にち夕刊ゆうかん聞蔵きくぞうIIビジュアル
  9. ^ 小林こばやし (1962) では1945ねん4がつ
  10. ^ 同日どうじつ運輸省うんゆしょう告示こくじだい318ごう運輸うんゆ審議しんぎかい件名けんめいひょう登載とうさいされたけん番号ばんごう:あきら42だい3219ごう
  11. ^ 「きょうから貨物かもつ廃止はいし 東武とうぶ日光にっこう市内しない電車でんしゃ 旅客りょかく輸送ゆそうは25にちごろ」『交通こうつう新聞しんぶん交通こうつう協力きょうりょくかい、1968ねん2がつ1にち、2めん
  12. ^ 土木どぼく学会がっかい 関東かんとう支部しぶ 栃木とちぎかい 栃木とちぎけん近代きんだい土木どぼく遺産いさん 田母沢たもざわ橋梁きょうりょうあん良沢りょうたく橋梁きょうりょう 2015ねん11月22にち閲覧えつらん
  13. ^ 1948ねん昭和しょうわ23ねん)10がつ24にち付近ふきん発生はっせいした死亡しぼう事故じこ日光にっこう軌道きどう直接ちょくせつ関係かんけいはない。砂利じゃり荒沢あらさわがわ河岸かわぎしからがけうえ運搬うんぱんするトロッコによる事故じこで、ようのワイヤーロープが破断はだんして暴走ぼうそうしたトロッコが脱線だっせんして激突げきとつして大破たいはし、ってあそんでいた子供こども16めいされて重軽傷じゅうけいしょうい2めい即死そくしした。
  14. ^ ED600がた運転うんてんだい片側かたがわだい1エンドがわ)にしかなくつね清滝きよたきがわいていた。4ほんどうじくがロッドで連結れんけつされておりきゅうカーブにはよわく、電動でんどう貨車かしゃちがってデルタせんやループせんでの方向ほうこう転換てんかん原則げんそくとしておこなわなかった。清滝きよたき方面ほうめんきは貨車かしゃ先頭せんとうにした推進すいしん運転うんてん日光にっこうえき方面かたもきは運転うんてんだいのないだい2エンドがわ先頭せんとうにしたバック運転うんてんいられるので列車れっしゃ前方ぜんぽう見通みとおしがきわめてわるく、機関きかん車掌しゃしょうによる機関きかんしゃ左右さゆうからの安全あんぜん確認かくにんくわえて列車れっしゃ先頭せんとう添乗てんじょうした係員かかりいん手旗てばた信号しんごう指令しれいして運転うんてんしていたが、交通こうつうりょう増加ぞうかした併用へいよう軌道きどうじょうでの安全あんぜん確保かくほ次第しだい困難こんなんになり、地元じもとからのもうれもあって使用しよう停止ていしした。以降いこう予備よびしゃとして日光にっこう車両しゃりょう保管ほかんされてED610の検査けんさ使用しようされた。
  15. ^ 高松たかまつ吉太郎よしたろう日光にっこう電車でんしゃ逆様さかさま一瞬いっしゅん死傷ししょう100めい」『写真しゃしんでつづる日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃ変遷へんせん』144 - 145ぺーじ死傷ししょうしゃ人数にんずうについて、上記じょうき#沿革えんかくうち1939ねん昭和しょうわ14ねん)10がつ12にちの「死傷ししょう100にん」および参考さんこう文献ぶんけんない記事きじタイトル「日光にっこう電車でんしゃ逆様さかさま一瞬いっしゅん死傷ししょう100めい」と、記事きじないの「死者ししゃ20めい重軽傷じゅうけいしょうしゃ86めい」が合致がっちしないが、参考さんこう文献ぶんけんない表記ひょうきった。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 青木あおき栄一えいいち ちょ昭和しょうわ52ねん5がつ1にち現在げんざいにおける補遺ほい」、鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 1かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん補遺ほい6ぺーじぺーじ 
  • 小林こばやししげる (1962). “東武鉄道とうぶてつどう 日光にっこう軌道線きどうせん”. 鉄道てつどうピクトリアル No. 135 (1962ねん8がつごう臨時りんじ増刊ぞうかん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり3): pp. 6-7, 27-33. さいろく鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 1かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん 
  • 東武鉄道とうぶてつどう日光にっこう軌道線きどうせん廃止はいし」『鉄道てつどうピクトリアル-別冊べっさつ 路面ろめん電車でんしゃ時代じだい-』〈アーカイブスセレクション12 〉、鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい、2007ねん
  • 高松たかまつ吉太郎よしたろう写真しゃしんでつづる日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃ変遷へんせん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1978ねん 
  • 鉄道てつどうしょう昭和しょうわ12ねん10がつ1にち現在げんざい鉄道てつどう停車場ていしゃじょう一覧いちらん鉄道てつどうしょう覆刻ふっこく鉄道てつどう資料しりょう保存ほぞんかい)、東京とうきょう覆刻ふっこく大阪おおさか)、1937ねん(1986ねん覆刻ふっこく)、p. 446ぺーじISBN 4-88540-048-1 
  • 東武とうぶ博物館はくぶつかん学芸がくげい ちょ東武とうぶ博物館はくぶつかん へん『なつかしの日光にっこう軌道きどう東京とうきょう、2010ねん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

東武とうぶバス日光にっこう日光にっこう軌道線きどうせんタイプバス

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]