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東急とうきゅう玉川たまがわせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
真中まんなか - 駒沢こまざわあいだ画面がめんおく真中まんなか渋谷しぶや方面ほうめん1969ねん5がつ

玉川たまがわせん(たまがわせん)は、東京とうきょう渋谷しぶや渋谷しぶやえきと、世田谷せたがや二子ふたごだま川園かわそのえきげん二子ふたご玉川たまがわえき)をむすんでいた、東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ東急とうきゅう)の鉄道てつどう路線ろせん軌道きどう路線ろせん)である。通称つうしょう玉川たまがわ電車でんしゃ」「たまでん(たまでん)」。

1907ねん明治めいじ40ねん)に開業かいぎょう多摩川たまがわ砂利じゃり輸送ゆそう大山おおやま街道かいどう国道こくどう246ごう沿線えんせん旅客りょかく輸送ゆそうおこなっていた。戦後せんご自動車じどうしゃ交通こうつうりょう増加ぞうか道路どうろ渋滞じゅうたいはげしくなったことから、1969ねん昭和しょうわ44ねん)に支線しせんのうち下高井戸しもたかいどせんげん世田谷線せたがやせん)をのぞいて廃止はいしされ、代替だいたい路線ろせんとして地下ちかせん新玉川線しんたまがせん現在げんざい田園都市線でんえんとしせん一部いちぶ)が1977ねん昭和しょうわ52ねん)に開業かいぎょうした。

1907ねん明治めいじ40ねん)から1938ねん昭和しょうわ13ねん)までは、玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう(たまがわでんきてつどう、玉川たまがわ電鉄でんてつ)が運営うんえい同年どうねん玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう東京とうきょう横浜よこはま電鉄でんてつ合併がっぺいされ、その社名しゃめい変更へんこうにより東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ路線ろせんとなった。

ほんこうでは、玉川たまがわせん支線しせんであったきぬたせん(きぬたせん)、溝ノ口みぞのくちせん(みぞのくちせん)、天現寺てんげんじきょうせん(てんげんじばしせん)、中目黒なかめぐろせん(なかめぐろせん)、下高井戸しもたかいどせん(しもたかいどせん)についても記述きじゅつする。

路線ろせんデータ

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1930年代ねんだい玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう路線ろせん

下記かきのデータは特記とっきなければ路線ろせん廃止はいし時点じてん溝ノ口みぞのくちせんについては大井おおいまちせん編入へんにゅうまえ下高井戸しもたかいどせんについては世田谷線せたがやせん改称かいしょうまえ)のもの。

  • 路線ろせん距離きょり営業えいぎょうキロ):
    • 玉川たまがわせん渋谷しぶや - 二子ふたご玉川たまがわえんあいだ 9.1 キロメートル (km)
    • きぬたせん二子ふたご玉川たまがわえん - きぬた本村ほんそんあいだ 2.2 km
    • 溝ノ口みぞのくちせん読売よみうりえん - 溝ノ口みぞのくちあいだ 2.1 km[注釈ちゅうしゃく 1]
    • 天現寺てんげんじきょうせん渋谷しぶや - 天現寺てんげんじきょうあいだ 2.6 km[1]
    • 中目黒なかめぐろせん渋谷しぶやきょう - 中目黒なかめぐろあいだ 1.4 km
    • 下高井戸しもたかいどせん三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだ 5.0 km
  • 軌間きかん1,372 mm
  • えきすう:(おこり終点しゅうてんえきふくむ)
    • 玉川たまがわせん:15えき
    • きぬたせん:5えき
    • 溝ノ口みぞのくちせん:4えき
    • 天現寺てんげんじきょうせん:10えき
    • 中目黒なかめぐろせん:5えき
    • 下高井戸しもたかいどせん:10えき
  • 複線ふくせん区間くかん
    • 玉川たまがわせん全線ぜんせん
    • きぬたせん:なし(全線ぜんせん単線たんせん
    • 溝ノ口みぞのくちせん - 溝ノ口みぞのくちあいだ
    • 天現寺てんげんじきょうせん:?
    • 中目黒なかめぐろせん:?
    • 下高井戸しもたかいどせん全線ぜんせん
  • 電化でんか区間くかん:いずれも全線ぜんせん直流ちょくりゅう600 V)
  • 鉄道てつどう路線ろせん閉塞へいそく方式ほうしき
    • きぬたせん:スタフ閉塞へいそく
    • きぬたせん以外いがい軌道きどうせんであった。

歴史れきし

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玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
東京とうきょう渋谷しぶや大和田おおわだまちいち[2][3]
設立せつりつ 1903ねん明治めいじ36ねん)10がつ4にち[2]
業種ぎょうしゅ てつ軌道きどうぎょう
事業じぎょう内容ないよう 旅客りょかく鉄道てつどう事業じぎょう電燈でんとう電力でんりょく供給きょうきゅう自動車じどうしゃ運輸うんゆゆう園地えんち ほか[2]
代表だいひょうしゃ 社長しゃちょう 五島ごしま慶太けいた[2]
資本しほんきん 9,730,000えん払込はらいこみがく[3]
発行済はっこうずみ株式かぶしき総数そうすう 250,000かぶうち新株しんかぶ140,000)[3]
主要しゅよう株主かぶぬし
特記とっき事項じこう上記じょうきデータは1938ねん昭和しょうわ13ねん現在げんざい[3]
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さようならたまでん装飾そうしょく電車でんしゃ

たまでん玉川たまがわせん)は、1896ねん明治めいじ29ねん)、玉川たまがわ砂利じゃり電気でんき鉄道てつどうにより、二子ふたご多摩川たまがわ付近ふきん砂利じゃり東京とうきょう都心としん輸送ゆそうすることをおも目的もくてきとして、東京とうきょう麹町こうじまち三宅みやけざか玉川たまがわあいだ路線ろせん開設かいせつ出願しゅつがんされたことを起源きげんとする。1902ねん明治めいじ35ねん)に渋谷しぶや - 玉川たまがわあいだ軌道きどう敷設ふせつゆるされると、1903ねん明治めいじ36ねん玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう設立せつりつされ、1907ねん明治めいじ40ねん)に玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう渋谷しぶや - 玉川たまがわあいだ開業かいぎょうした[注釈ちゅうしゃく 2]

玉川たまがわからはこんできた砂利じゃり都心としん輸送ゆそうするため、渋谷しぶや都心としん線路せんろばしていた東京とうきょう市電しでん軌道きどう接続せつぞくされ、渋谷しぶや砂利じゃり運搬うんぱん車両しゃりょう留置とめおきせん設置せっちされた。1922ねん大正たいしょう11ねん)に玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう渋谷しぶや - 渋谷しぶやきょうあいだ天現寺てんげんじきょうせん開通かいつうさせ、玉川たまがわせん天現寺てんげんじきょうせん直通ちょくつう運転うんてんおこなった。 1924ねん大正たいしょう13ねん)に玉川たまがわ - きぬた(のちのきぬた本村ほんそんあいだきぬたせん開業かいぎょうし、二子ふたごきょう上流じょうりゅうにあたる大蔵おおくら付近ふきん東京とうきょう北多摩きたたまぐんきぬたむら)から砂利じゃり輸送ゆそう開始かいしした。このように、砂利じゃり輸送ゆそうおも目的もくてきとしたことから「ジャリでん」と俗称ぞくしょうされた。関東大震災かんとうだいしんさい市内しない復興ふっこうさいし、木材もくざいわる建築けんちく材料ざいりょうであるコンクリート材料ざいりょうとなる砂利じゃり運搬うんぱん貢献こうけんした。

玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう路線ろせん拡張かくちょうし、1925ねん大正たいしょう14ねん)、三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだ下高井戸しもたかいどせん(のちの世田谷線せたがやせん)を開業かいぎょう1927ねん昭和しょうわ2ねん)には天現寺てんげんじきょうせん渋谷しぶやきょうから中目黒なかめぐろいた中目黒なかめぐろせん玉川たまがわ - 溝ノ口みぞのくちあいだ溝ノ口みぞのくちせんをそれぞれ開業かいぎょうした。溝ノ口みぞのくちせん開業かいぎょうには、多摩川たまがわわた二子ふたごきょう建設けんせつ一部いちぶ玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう負担ふたんし、二子ふたごきょう中央ちゅうおう線路せんろ敷設ふせつされた道路どうろ軌道きどう併用へいようきょうとなった。1927ねん12月に設立せつりつされた目黒めぐろ玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう[4]株式かぶしき大半たいはん玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう保有ほゆう[5]役員やくいん玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう役員やくいんめられていた[6]。しかし目黒めぐろ-玉川たまがわあいだ[7]およ清水しみず-駒沢こまざわあいだ[8]免許めんきょは1935ねん起業きぎょう廃止はいしとなった[9]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)にきょうより下流かりゅうでは砂利じゃり採取さいしゅ全面ぜんめん禁止きんしされ、玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどうは、東京とうきょう横浜よこはま電鉄でんてつ目黒めぐろ蒲田かまた電鉄でんてつ経営けいえいする五島ごしま慶太けいたらへ経営けいえいけんうつって以降いこう砂利じゃり輸送ゆそうから撤退てったいし、軌道線きどうせん旅客りょかく輸送ゆそう中心ちゅうしんとなった。1938ねん昭和しょうわ13ねん)に玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう東京とうきょう横浜よこはま電鉄でんてつ合併がっぺいされ、1942ねん昭和しょうわ17ねん)に社名しゃめい変更へんこうともな東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつとなった。

砂利じゃり輸送ゆそうから旅客りょかく輸送ゆそうじくあしうつした玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどうは、東京とうきょう世田谷せたがや新町しんまち現在げんざい世田谷せたがや深沢ふかざわなな丁目ちょうめはち丁目ちょうめ付近ふきん)に東京とうきょう信託しんたくつうじて住宅じゅうたく開発かいはつ[注釈ちゅうしゃく 3]沿線えんせん住民じゅうみん電車でんしゃ利用りようしゃとする施策しさくった。溝ノ口みぞのくちせん開業かいぎょうさいには、溝ノ口みぞのくちえき付近ふきん久地くじ近辺きんぺん丘陵きゅうりょう開発かいはつした[注釈ちゅうしゃく 4]

玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどうおよ後身こうしん東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつは、旅客りょかく誘致ゆうち施策しさく一環いっかんとして、明治めいじから景勝けいしょうであった玉川たまがわ瀬田せた地区ちくに、多摩川たまがわかわぎょ料亭りょうてい演芸えんげいじょう玉川たまがわかく」(ぎょくせんかく)をようする「玉川たまがわゆう園地えんち」を開設かいせつしたほか、「玉川たまがわだいゆう園地えんち」(のちのよみうり遊園ゆうえん、「二子ふたご玉川たまがわえん」)や「玉川たまがわプール」(世田谷せたがや上野毛かみのげ東京とうきょう多摩たま移転いてんするまえ東急とうきゅう自動車じどうしゃ学校がっこうがあった場所ばしょ)を瀬田せた河原かわら開設かいせつし、二子ふたご玉川たまがわ兵庫ひょうごとう久地くじ梅林ばいりんももりんなどとあわせて、玉川たまがわせん溝ノ口みぞのくちせん都心としんからの行楽こうらく輸送ゆそうあしとしても機能きのうさせている。

玉川たまがわせん支線しせんとして開設かいせつされた下高井戸しもたかいどせん三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだは、渋谷しぶや - 下高井戸しもたかいどあいだ直通ちょくつう運転うんてんされた。溝ノ口みぞのくちせんは、1943ねん昭和しょうわ18ねん)、溝口みぞぐち周辺しゅうへん軍需ぐんじゅ工場こうじょう関連かんれん輸送ゆそう対応たいおうする輸送ゆそうりょく確保かくほするため狭軌きょうきあらためしたうえ大井おおいまちから玉川たまがわえんいた鉄道てつどうせん大井おおいまちせん編入へんにゅうされ、二子ふたごきょう併用へいよう軌道きどううえ大井おおいまちせん電車でんしゃはし溝ノ口みぞのくちまでれた。天現寺てんげんじきょうせんは、戦前せんぜん渋谷しぶやでレールがつながり直通ちょくつう運転うんてんされた時期じきもあったが、たまでんビルディング(のちの東急とうきゅう百貨店ひゃっかてん東横ひがしよこてん西館にしだて)の建設けんせつともな分断ぶんだんされ、東京とうきょう市電しでんへの運営うんえい委託いたくて、1948ねん昭和しょうわ23ねん)に東京とうきょう譲渡ゆずりわたされた。

1969ねん昭和しょうわ44ねん)5がつ11にち国道こくどう246ごう玉川たまがわどおり)じょうへの首都高しゅとこうそく3ごう渋谷しぶやせん建設けんせつ営団えいだん地下鉄ちかてつ銀座ぎんざせん接続せつぞくする地下鉄ちかてつ(のちの新玉川線しんたまがせん、2000ねん8がつ以降いこう田園都市線でんえんとしせん渋谷しぶや - 二子ふたご玉川たまがわあいだ建設けんせつ計画けいかくとうにより、下高井戸しもたかいどせんのぞいて、玉川たまがわせんきぬたせん全線ぜんせん廃止はいしされた。玉川たまがわせんきぬたせん廃止はいしどう区間くかん代替だいたい交通こうつうとして代行だいこうバス運行うんこうされた(後述こうじゅつ)。

下高井戸しもたかいどせんさんけん茶屋ちゃや - 下高井戸しもたかいどあいだ廃止はいしされずに世田谷線せたがやせんあらため、2023ねん現在げんざい東急とうきゅう電鉄でんてつ唯一ゆいいつ軌道きどうせんとして存続そんぞくしている。

年表ねんぴょう

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  • 1896ねん明治めいじ29ねん
    • 7がつ15にちきゅう玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう同名どうめいべつ会社かいしゃ)が渋谷しぶや - 溝ノ口みぞのくちあいだ路線ろせん敷設ふせつ出願しゅつがん[10]
    • 11月18にち 玉川たまがわ砂利じゃり電気でんき鉄道てつどう三宅みやけざか - 玉川たまがわあいだ路線ろせん敷設ふせつ出願しゅつがん[10]
  • 1902ねん明治めいじ35ねん
    • 2がつ8にち 玉川たまがわ砂利じゃり電気でんき鉄道てつどうたいし、渋谷しぶや - 玉川たまがわあいだ路線ろせん敷設ふせつゆるされる[10]
    • 3がつ20日はつか 玉川たまがわ砂利じゃり電気でんき鉄道てつどう社名しゃめい玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう改称かいしょう[10]
  • 1903ねん明治めいじ36ねん)10がつ4にち - 玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう資本しほんきん40まんえん創立そうりつされる[10]
  • 1907ねん明治めいじ40ねん
    • 3月6にち 玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう路線ろせんとして道玄坂どうげんざかじょう - 三軒茶屋さんげんぢゃやあいだ開業かいぎょう[10]
    • 4がつ1にち 三軒茶屋さんげんぢゃや - 玉川たまがわあいだ開業かいぎょう[10]
    • 8がつ11にち 渋谷しぶや - 道玄坂どうげんざか上間うえま開業かいぎょう[10]
  • 1920ねん大正たいしょう9ねん)3がつ27にち - 駒沢こまざわ - 用賀ようがあいだ複線ふくせん[10]
  • 1922ねん大正たいしょう11ねん)6がつ11にち 天現寺てんげんじきょうせん渋谷しぶや - 渋谷しぶやきょうあいだ部分ぶぶん開業かいぎょう[11]
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん)2がつ18にち さんけん茶屋ちゃや - 上馬かみうまあいだ複線ふくせん全線ぜんせん複線ふくせん完成かんせい[10]
  • 1924ねん大正たいしょう13ねん
    • 3月1にち きぬたせん玉川たまがわ - きぬたあいだ開業かいぎょう[12]
    • 5月21にち 天現寺てんげんじきょうせん渋谷しぶやきょう - 天現寺てんげんじきょう延伸えんしん開業かいぎょう[13]
  • 1925ねん大正たいしょう14ねん
    • 1がつ18にち 下高井戸しもたかいどせん三軒茶屋さんげんぢゃや - 世田谷せたがやあいだ部分ぶぶん開業かいぎょう[13]
    • 5月1にち 下高井戸しもたかいどせん世田谷せたがや - 下高井戸しもたかいど延伸えんしん開業かいぎょう[14]
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん
    • 3月29にち ちゅう目黒めぐろせん渋谷しぶやきょう - 中目黒なかめぐろあいだ開業かいぎょう[15]
    • 7がつ15にち 溝ノ口みぞのくちせん玉川たまがわ - 溝ノ口みぞのくちあいだ開業かいぎょう玉川たまがわせん全通ぜんつう[16]
  • 1937ねん昭和しょうわ12ねん
    • 7がつ27にち 玉川たまがわせん天現寺てんげんじきょうせん軌道きどう分離ぶんり。これにより、渋谷しぶや以東いとう東横ひがしよこ百貨店ひゃっかてん(のちの東急とうきゅう百貨店ひゃっかてん東横ひがしよこてん東館ひがしたてまえ新設しんせつされた東横ひがしよこ百貨店ひゃっかてんまえでんとま発着はっちゃくすることになる(現在げんざい渋谷しぶやえき東口ひがしぐちバスターミナル)。
  • 1938ねん昭和しょうわ13ねん
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん
    • 3がつ10日とおか 玉川たまがわせん玉川たまがわをよみうり遊園ゆうえん改称かいしょう
    • 6月1にち 渋谷しぶやえき建設けんせつちゅうたまでんビル2かい移転いてん
  • 1940ねん昭和しょうわ15ねん)12月1にち 大井おおいまちせん玉川たまがわ玉川たまがわせんよみうり遊園ゆうえん統合とうごう読売よみうりえん改称かいしょう
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねん)7がつ1にち 溝ノ口みぞのくちせん読売よみうりえん - 溝ノ口みぞのくちあいだ)を1067mmにあらため軌のうえ大井おおいまちせん編入へんにゅう
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん)10がつ20日はつか 読売よみうりえん玉川たまがわ改称かいしょう
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にち きぬたせんおよきゅう溝ノ口みぞのくちせん区間くかんを、軌道きどうほうによる軌道きどうから地方ちほう鉄道てつどうほうによる地方ちほう鉄道てつどう変更へんこう
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん)3がつ10日とおか すでに東京とうきょう運行うんこう委託いたくみだった天現寺てんげんじきょうせん渋谷しぶや - 天現寺てんげんじあいだ)と中目黒なかめぐろせん渋谷しぶやきょう - 中目黒なかめぐろあいだ)を東京とうきょう交通こうつうきょく譲渡じょうとし、正式せいしき都電とでん路線ろせんもうれられる。
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん)8がつ1にち 玉川たまがわ玉川たまがわえん改称かいしょう
  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん)5がつ11にち 下高井戸しもたかいどせん三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだ)をのぞいて廃止はいし存置そんち区間くかん世田谷線せたがやせんとなる。廃止はいし区間くかん代行だいこうバス運行うんこう開始かいし

路線ろせん概要がいよう

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玉川たまがわせん

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路線ろせん

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開設かいせつ当初とうしょ渋谷しぶやえきは、現在げんざい渋谷しぶやえきハチ公はちこうこう付近ふきん地平ちへいにあり、省線しょうせん山手やまてせんのガードをくぐってハチ公はちこうこういたっていた東京とうきょう市電しでん線路せんろがつながっていた。玉川たまがわ電車でんしゃもまた省線しょうせん山手やまてせんのガードをくぐって東口ひがしぐちけ、直角ちょっかく南下なんかして稲荷いなりきょうから並木なみききょうへと明治めいじどお天現寺てんげんじきょうまですすんでいた。1937ねん昭和しょうわ12ねん)7がつたまでんビル建設けんせつのため、たまでん渋谷しぶやえき道玄坂どうげんざか方向ほうこう後退こうたいした仮設かせつえき移設いせつ建設けんせつともなうくいちのため、山手やまてせんをくぐる隧道すいどう使用しよう不能ふのうとなり、分断ぶんだんされた天現寺てんげんじきょうせん運営うんえい東京とうきょう委託いたくする。よく1938ねん昭和しょうわ13ねん)12月に東京とうきょう高速こうそく鉄道てつどうげん東京とうきょうメトロ銀座ぎんざせん渋谷しぶやえき仮設かせつのようなかたちたまでんビル3かい設置せっちされ、つづいて2かいたまでん渋谷しぶやえき移設いせつされる。時局じきょく悪化あっかのため、7かいてで設計せっけいされたたまでんビルは3かいまでで建設けんせつ中止ちゅうし戦後せんご1952ねん昭和しょうわ27ねん)から工事こうじ再開さいかいされ、東急東横とうきゅうとうよこてん西館にしだてとなる。たまでん渋谷しぶやえき廃止はいし位置いちは、現在げんざい岡本おかもと太郎たろう壁画へきが明日あした神話しんわ」の設置せっち位置いちから渋谷しぶやマークシティ東端ひがしばた部分ぶぶんであり、ホームは対面たいめんしき2めん2せん一方いっぽう降車こうしゃ専用せんよう、もう一方いっぽう手前てまえ下高井戸しもたかいど方面ほうめん前方ぜんぽう玉川たまがわ方面ほうめんけられていた。

なお、JR渋谷しぶやえきに2020ねん9がつまで存在そんざいした「玉川口たまがわぐち」および「玉川たまがわ改札かいさつ」の名称めいしょう玉川たまがわせんはしっていた当時とうじ名残なごりである[18]

渋谷しぶや - 道玄坂どうげんざかじょうあいだには44.7勾配こうばい存在そんざいしていた。上通かみとおり - 大橋おおはしあいだ東京とうきょう交通こうつうきょくトロリーバス102系統けいとう)がなみそうし、交差こうさする架線かせん部分ぶぶんにはデッドセクションもうけられた[19]

道玄坂どうげんざかからさきはほぼ併用へいよう路面ろめん軌道きどうであったが、渋谷しぶや - 上通かみとおりあいだ三軒茶屋さんげんぢゃや - たまでん中里なかさと - 上馬かみうまあいだ桜新さくらしんまち - 用賀ようがあいだたまでん瀬田せた - 二子ふたご玉川たまがわえんあいだ支線しせん三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだ現在げんざい世田谷線せたがやせん)に専用せんよう軌道きどう存在そんざいした。用賀ようが付近ふきん専用せんよう軌道きどうあと1990ねん平成へいせい2ねんごろまで東急とうきゅう物置ものおじょうとしてしずかなたたずまいをのこしていたが、その東京とうきょう都道とどう427ごう瀬田せた貫井ぬくいせん転用てんようされた。たまでん中里なかさと駒沢こまざわ用賀ようがには駅舎えきしゃ売店ばいてんもうけられていた(駒沢こまざわ東京とうきょうオリンピックそなえた道路どうろ拡張かくちょうさい消滅しょうめつ)。

併用へいよう軌道きどう大坂おおさかくだり、目黒めぐろがわわたり、大橋おおはし車庫しゃこぎ、三軒茶屋さんげんぢゃや三叉路さんさろ国道こくどう246ごう世田谷せたがやどお交点こうてん)にいたる。三叉路さんさろ中央ちゅうおう信号しんごうとう設置せっちされ、ここでポイント操作そうさおこなわれ玉川たまがわせん本線ほんせん)と支線しせん下高井戸しもたかいどせん分岐ぶんきし、本線ほんせん国道こくどう246ごう進行しんこうした。

本線ほんせんは、三軒茶屋さんげんぢゃや通過つうか道路どうろ拡幅かくふく上下じょうげせんとものぼ車線しゃせんじょうかれた併用へいよう軌道きどうじょう走行そうこうたまでん中里なかさと付近ふきんから上馬かみうままで専用せんよう軌道きどうはいり、駒沢こまざわぎるときゅう大山おおやま街道かいどうすすむ。新町しんまち付近ふきんでは疏水そすい品川しながわ用水ようすい)にい、桜新さくらしんまちさくら並木なみきをみて、やがて用賀ようが付近ふきんふたた専用せんよう軌道きどうよういたった。用賀ようがさき併用へいよう軌道きどうもど瀬田せた交差点こうさてんたまきはちとお横断おうだんたまでん瀬田せたからさき右手みぎて多摩川たまがわ河原かわらながめつつ国分寺こくぶんじがけせん専用せんよう軌道きどうくだり、二子ふたご玉川たまがわえん到達とうたつした。

車庫しゃこ

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車庫しゃこ大橋おおはしもうけられ、わたせん大橋おおはし三軒茶屋さんげんぢゃやたまでん中里なかさと駒沢こまざわ用賀ようがもうけられた。用賀ようがにも車両しゃりょう基地きち予定よてい存在そんざいし、だい世界せかい大戦たいせん末期まっきには空襲くうしゅうそな大橋おおはし車庫しゃこ車両しゃりょう一部いちぶ疎開そかいしていた。また、最後さいご新型しんがた車両しゃりょう150がた入線にゅうせんもここのせんからおこなわれた。大橋おおはし車庫しゃこでは当初とうしょ電気でんき供給きょうきゅう事業じぎょうおこなっていた。大橋おおはし車庫しゃこはのち東急とうきゅうバス大橋おおはし営業えいぎょうしょ転用てんようされ、現在げんざい首都高しゅとこうそく道路どうろ大橋おおはしジャンクションになっている。二子ふたご玉川たまがわえんえきにあった留置とめおきせん玉川たまがわ髙島用地ようちとなった。用賀ようが玉川たまがわせん車両しゃりょう基地きち予定よていは、玉川たまがわせん廃止はいし一時いちじ新玉川線しんたまがせん構想こうそう銀座ぎんざせん延伸えんしんあん)の車庫しゃことして構想こうそうされたこともあったが転用てんようされることなく、ひさしくであった。新玉川線しんたまがせん起工式きこうしき1964ねん昭和しょうわ39ねん)2がつ、ここでおこなわれた。1993ねん、この用地ようち世田谷せたがやビジネススクエア竣工しゅんこうした。

車両しゃりょう

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1920ねんあらため軌で開業かいぎょう以来いらいじく単車たんしゃ淘汰とうたされ、木造もくぞうボギぼぎしゃえられた。そのは、はがねせいボギぼぎしゃがそれにつづいた。

これらは単純たんじゅん直接ちょくせつ制御せいぎょ搭載とうさいしており、連結れんけつ運転うんてん総括そうかつ制御せいぎょおこなえず1りょう編成へんせいでの運転うんてんながつづいたが、デハ70かたち間接かんせつ自動じどう制御せいぎょ(HL方式ほうしき)を搭載とうさいしたのを皮切かわきりに、デハ80かたちしんせい木造もくぞうしゃであるデハ120かたちのデハ80がたへの車体しゃたい更新こうしん、さらにははがねせいしゃデハ304060かたちたいする連結れんけつ改造かいぞうともな総括そうかつ制御せいぎょ可能かのう間接かんせつ制御せいぎょへのえがすすみ、だい世界せかい大戦たいせん、2りょう連結れんけつ運転うんてんによるラッシュ輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう実現じつげんした。

また、一軸いちじく台車だいしゃによる2車体しゃたい連接れんせつ構造こうぞう奇抜きばつ流線型りゅうせんけい高性能こうせいのう電車でんしゃデハ200かたち1955ねん昭和しょうわ30ねん)に導入どうにゅう。「タルゴ」「ペコちゃん」の愛称あいしょう普及ふきゅうした。また芋虫いもむしがたえたことから「イモでん」「いもむし」とばれることもあった。

その地下鉄ちかてつ建設けんせつ計画けいかく推移すいいもあって車両しゃりょう更新こうしんすすまず、東横線とうよこせんデハ7000かたち米国べいこくバッドしゃライセンスによるオールステンレス車体しゃたい技法ぎほうれたはがねせいしゃデハ150かたち4りょう新造しんぞうされるにとどまった。

行先ゆくさきしるべ横長よこながもの正面しょうめん中央ちゅうおうけられ、本線ほんせん系統けいとう白地しろじ黒文字くろもじで「渋谷しぶや」「二子ふたご玉川たまがわ」など、支線しせん系統けいとう赤地あかじしろ文字もじで「渋谷しぶや」「下高井戸しもたかいど」などとかれていた。なお、行先いきさきしるべのちおこり終点しゅうてん矢印やじるしむすんだものに変更へんこうされた。また150かたち行先ゆくさきしるべわりに同様どうよう方向ほうこうまく上部じょうぶいていた。

2りょう連結れんけつ場合ばあい1967ねん昭和しょうわ42ねん)より合理ごうり一環いっかんとしてデハ70・80・150・200がたの4形式けいしきについて「連結れんけつ2にんのり」の標識ひょうしき車外しゃがいけられ、乗客じょうきゃく車両しゃりょうまえ最後さいご乗車じょうしゃし、各車かくしゃ中央ちゅうおう連結れんけつとびら降車こうしゃするようにあらためられた。乗務じょうむいん運転うんてん(1りょう)と車掌しゃしょう(2りょう)だけであった。この方式ほうしき現在げんざい世田谷線せたがやせん実施じっしされている。

遺構いこう

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併用へいよう軌道きどう区間くかんながかった玉川たまがわせんは、廃止はいし併用へいよう軌道きどう区間くかん道路どうろ整備せいびすすみ、また、大橋おおはし車庫しゃこあと首都高しゅとこうそく道路どうろ大橋おおはしジャンクション用地ようち転用てんようされるなどし[注釈ちゅうしゃく 5]構築こうちくぶつ撤去てっきょすすんだ。

はいせん渋谷しぶやえきあとはバス転換てんかんされ、東名とうめい急行きゅうこうバス現在げんざい解散かいさん)、大井おおいまちえき世田谷せたがや野沢のざわ方面かたもきなどの路線ろせんバスや東急とうきゅう百貨店ひゃっかてん東横ひがしよこてん東急とうきゅう百貨店ひゃっかてん本店ほんてん連絡れんらくする無料むりょう送迎そうげいバス、高速こうそくバス・ミルキーウェイ発着はっちゃくした。終端しゅうたん部分ぶぶんターンテーブルによりバスのきを転換てんかんする方式ほうしきであった。また、渋谷しぶやえき道玄坂どうげんざか中腹ちゅうふくむすきゅう専用せんよう軌道きどう部分ぶぶんバス専用せんよう道路どうろとなった。渋谷しぶやえきさい開発かいはつ事業じぎょうともな渋谷しぶやマークシティ建設けんせつにより、現在げんざいはこのターンテーブルのあるバスとバス専用せんよう道路どうろはほぼ消滅しょうめつし、えき構内こうない京王けいおう頭線かしらせん渋谷しぶやえき拡幅かくふくされそのコンコース線路せんろじきになったが、道玄坂どうげんざか玉川たまがわせん専用せんよう軌道きどう入口いりくち部分ぶぶん現在げんざいマークシティへの接続せつぞく道路どうろとなっている。一方いっぽう前述ぜんじゅつのとおりかつての玉川たまがわせん渋谷しぶやえきかいにあったJR山手やまてせん改札かいさつに「玉川たまがわ改札かいさつ」ののこっていた[20]

三軒茶屋さんげんぢゃやからたまでん中里なかさと上馬かみうまにかけての専用せんよう軌道きどうは、そのまま並行へいこうする国道こくどう246号線ごうせん拡幅かくふくされて渋谷しぶや方面ほうめんしゃになっている。

きゅう用賀ようがえきあと周辺しゅうへん廃止はいし以降いこうしばら更地さらち状態じょうたいとなっていたが、東京とうきょう都道とどう427ごう瀬田せた貫井ぬくいせん転用てんようされた。沿道えんどうのホーム跡地あとちには、かつてえきがあったことをしめ石柱せきちゅう設置せっちされている。

たまでん瀬田せたからだま川園かわそのえきにかけての専用せんよう軌道きどうは、世田谷せたがやどう軌道きどうあと並行へいこうして整備せいびされ、軌道きどうあとうえ栽や一部いちぶ公園こうえんとなり、くだざか途中とちゅうからは田園都市線でんえんとしせんのトンネル坑口こうこうあらわれ、以降いこう軌道きどうあとはそのまま田園都市線でんえんとしせん高架こうか線路せんろ敷地しきち転用てんようされている。また、二子ふたごだま川園かわそのえきあとながらく東急とうきゅうストア設置せっちされていたが、さい開発かいはつのため撤去てっきょされ、2011ねん平成へいせい23ねん)3がつ二子ふたご玉川たまがわライズ・ドッグウッドプラザった。

そのたまでん名残なごりとして、東急とうきゅうバス停留所ていりゅうじょめいきゅうでんとま名称めいしょうもちいられているれいられる(道玄坂どうげんざかじょう大橋おおはし池尻いけじり三宿みしゅく三軒茶屋さんげんぢゃや中里なかさと上馬かみうま駒沢こまざわ用賀ようが瀬田せた身延山みのぶさん別院べついん二子ふたご玉川たまがわ中耕地なかごうち吉沢よしざわきぬた本村ほんそん)。

きぬたせん

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路線ろせん

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きぬたせん軌道線きどうせんとして敷設ふせつされたが、1945ねん昭和しょうわ20ねん)に地方ちほう鉄道てつどうほうもとづく鉄道てつどうせん転換てんかんされた路線ろせんである。

きぬたせんは、二子ふたご玉川たまがわえん発車はっしゃ、ほぼ90のカーブをえがいて[注釈ちゅうしゃく 6]国道こくどう246ごう玉川たまがわどおり)横断おうだん北緯ほくい3536ふん54びょう 東経とうけい13937ふん39びょう / 北緯ほくい35.614922 東経とうけい139.627385 / 35.614922; 139.627385 (玉川たまがわどお))、きょう西小学校にししょうがっこう分校ぶんこう現在げんざい二子ふたご玉川たまがわ小学校しょうがっこう南側みなみがわ存在そんざいした中耕地なかごうち停留所ていりゅうじょ北緯ほくい3536ふん57びょう 東経とうけい13937ふん32びょう / 北緯ほくい35.615750 東経とうけい139.625542 / 35.615750; 139.625542 (中耕地なかごうち))を西進せいしん多摩たまつつみどお平面へいめん交差こうさして吉沢よしざわ停留所ていりゅうじょいたり、吉沢よしざわきょう北緯ほくい3537ふん02びょう 東経とうけい13937ふん08びょう / 北緯ほくい35.617326 東経とうけい139.619011 / 35.617326; 139.619011 (吉沢よしざわきょう))で野川のがわわたり、東京とうきょう水道局すいどうきょくきぬた浄水じょうすいしょきゅう渋谷しぶやまちたて浄水じょうすいじょうわきとおり、きぬた本村ほんそん北緯ほくい3537ふん07びょう 東経とうけい13936ふん32びょう / 北緯ほくい35.618562 東経とうけい139.608982 / 35.618562; 139.608982 (きぬた本村ほんそん))へいたっていた。

はやしじゅんしん編著へんちょたまでんはしったまち 今昔こんじゃく』によれば、吉沢よしざわ - きぬた本村ほんそんあいだ伊勢宮いせみや河原かわら側線そくせんあり交換こうかん可能かのう)、大蔵おおくらの2つの停留所ていりゅうじょ太平洋戦争たいへいようせんそうまえ廃止はいしされ、戦後せんご吉沢よしざわ側線そくせん撤去てっきょされた。

終点しゅうてんきぬた本村ほんそん停留所ていりゅうじょは、開設かいせつ東京とうきょう北多摩きたたまぐんきぬたむらにあり、停留所ていりゅうじょもうけられた付近ふきんきぬたむら本村もとむらであったことから、きぬた本村ほんそんけられたものである。しかし、きぬた本村ほんそん停留所ていりゅうじょきぬたむら中心ちゅうしんからはおおきくはなれていた場所ばしょにあった(きぬたむら中心ちゅうしん小田急おだきゅう小田原おだわらせん祖師そしだに大蔵おおくらえきであり、きぬた本村ほんそん停留所ていりゅうじょからはかなりとお位置いちである)。停留所ていりゅうじょまえには切符きっぷ委託いたく販売はんばいねた売店ばいてんがあり、行商ぎょうしょうあきな姿すがたもみられた。戦前せんぜんきぬた本村ほんそん停留所ていりゅうじょまえわかもと製薬せいやく工場こうじょうがあり、きぬたせんはその通勤つうきんあしとしてももちいられた。わかもと製薬せいやく跡地あとち現在げんざい駒澤大学こまざわだいがく玉川たまがわ校舎こうしゃとなっている。

かつてとう路線ろせん狛江こまえまで延伸えんしんさせる計画けいかくがあったが、1952ねん特許とっきょ失効しっこうしている[21]

はいせん代替だいたい交通こうつうとして、二子ふたご玉川たまがわきぬた本村ほんそんあいだに、多摩たまつつみどおりや天神森てんじんもりきょう経由けいゆする東急とうきゅうバスの路線ろせん開設かいせつされた。そのさいきゅうきぬた本村ほんそん駅前えきまえは「東急とうきゅうバスおりかえししょ」となった[22]二子ふたご玉川たまがわまでの路線ろせん現在げんざいいたるまで運行うんこうされている(#たまでん廃止はいしのバス交通こうつう参照さんしょう)。

車両しゃりょう

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車両しゃりょう玉川たまがわせん同型どうけいもちいられた。

1950年代ねんだいまではおもデハ30かたち以後いご廃止はいしまではデハ60かたちもちいられ、デハ60かたち中耕地なかごうち-吉沢よしざわあいだきゅう曲線きょくせん連結れんけつして通過つうかするため、京浜急行電鉄けいひんきゅうこうでんてつ発生はっせいひんくび角度かくどおおきいK-2A密着みっちゃく連結れんけつ交換こうかんする改造かいぞうおこなわれた。

運賃うんちんは、軌道きどうせんである玉川たまがわせんせんないのみの運賃うんちん体系たいけいであったのにたいし、鉄道てつどうせんとなったきぬたせん鉄道てつどうせんとおしで計算けいさんされた。閉塞へいそくはスタフ閉塞へいそくもちいていた。

遺構いこう

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きぬたせん線路せんろ跡地あとちはおおむね道路どうろ一部いちぶ歩行ほこうしゃ専用せんようどう)として整備せいびされた。中耕地なかごうち停留所ていりゅうじょ跡地あとち歩道ほどうじょうには、きぬたせんはしったことをしめレリーフまれ、えきあとには石碑せきひてられている。中耕地なかごうちえきあと周辺しゅうへんきぬたせんあとは「きぬたせんあと歩道ほどう」として整備せいびされている[23]吉沢よしざわきょう東側ひがしがわ吉沢よしざわ停留所ていりゅうじょあとつクリニックの敷地しきちには、東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつきゅうしゃもんはいった境界きょうかいしるべのこる(写真しゃしん参照さんしょう)。2007ねん平成へいせい19ねん上流じょうりゅうしん吉沢よしざわきょうわせて架橋かきょうなおされた吉沢よしざわきょうには、吉沢よしざわきょうわたたまでん写真しゃしんはやしじゅんしんちょたまでんはしったまち 今昔こんじゃく』より転載てんさいされたもの)とたまでんについての解説かいせつぶん掲載けいさいされたいしぶみもうけられ、欄干らんかんにはたまでんのレリーフがまれた。

きぬた本村ほんそんえき跡地あとち整備せいびされ、現在げんざい世田谷せたがや区立くりつ鎌田かまた丁目ちょうめ南公園みなみこうえん東急とうきゅうバスおりかえししょになった。きゅうきぬた本村ほんそん駅前えきまえ広場ひろばである東急とうきゅうバス待合まちあいしょ付近ふきんには、きゅう線路せんろわきしがらみのこされているが、かつてここがえきであったことを明示めいじするものはない。なお、きぬた本村ほんそんえきのプラットホーム上屋うわやとベンチはバス待合まちあいしょ転用てんようされた[24]が、2022ねんれい4ねん)12月7にち老朽ろうきゅうのため撤去てっきょされた。

溝ノ口みぞのくちせん

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二子ふたごきょう溝ノ口みぞのくちせんはここをわたっていた。

1927ねん昭和しょうわ2ねん7がつ15にち開業かいぎょう当初とうしょ玉川たまがわせん線路せんろ接続せつぞくし、区間くかん便びんのほか玉川たまがわせんとの直通ちょくつう運転うんてんもされていた。玉川たまがわ - 二子ふたごあいだ併用へいよう軌道きどう二子ふたごきょう参照さんしょう)だが、 - 溝ノ口みぞのくちあいだ専用せんよう軌道きどう開業かいぎょうした。1943ねん昭和しょうわ18ねん)に東急とうきゅう大井おおいまちせん編入へんにゅうされたのち1945ねん昭和しょうわ20ねん)に軌道きどうせんから地方ちほう鉄道てつどう転換てんかん1966ねん昭和しょうわ41ねん)に高架こうかされてきょう併用へいよう軌道きどう解消かいしょうされ、現在げんざい東急とうきゅう田園都市線でんえんとしせん一部いちぶ区間くかんとなっている。二子ふたご橋西きょうせいつめから二子ふたご新地しんじえきにかけてわずかに遺構いこう)が確認かくにんできる。また、二子ふたご新地しんじえきからみぞくちえき高架こうかされたが、高架こうかきょうした玉川たまがわせん地上ちじょう時代じだい大井おおいまちせん遺構いこう橋梁きょうりょうなど)が確認かくにんできる。溝ノ口みぞのくち終点しゅうてん現在げんざいみぞくちえき位置いちことなり、国鉄こくてつ南武線なんぶせん平行へいこうするかたち設置せっちされており、その跡地あとち駅前えきまえ広場ひろばとなっている。

天現寺てんげんじきょうせん中目黒なかめぐろせん

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1938ねん昭和しょうわ13ねん)まで、玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどう東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつは、天現寺てんげんじきょうせん中目黒なかめぐろせんの2路線ろせんを、渋谷しぶや以東いとう運行うんこうしていた。

天現寺てんげんじきょうせんは、渋谷しぶやると、山手やまてせん内側うちがわ渋谷しぶやがわ沿って南下なんかし、ちゅうどおり現在げんざい明治めいじどおじょうはしりながら天現寺てんげんじきょういた路線ろせんであった。中目黒なかめぐろせんは、天現寺てんげんじきょうせん渋谷しぶやきょうから西進せいしんし、下通しもとおり現在げんざい駒沢こまざわどおじょう中目黒なかめぐろいたった。中目黒なかめぐろは、東急東横とうきゅうとうよこせん中目黒なかめぐろえきとは接続せつぞくしておらず、現在げんざい山手やまてどお駒沢こまざわどおりの交差点こうさてん中目黒なかめぐろ立体りったい交差こうさ手前てまえにあった。

渋谷しぶや発着はっちゃくする天現寺てんげんじきょうせんは、玉川たまがわせん渋谷しぶやえき地平ちへい発着はっちゃくしていた1937ねん昭和しょうわ12ねん)7がつまで、線路せんろ敷設ふせつしゅ目的もくてきでもあった砂利じゃり輸送ゆそうのため玉川たまがわせん線路せんろがつながっていたが、同年どうねんだまでんビル建設けんせつにより玉川たまがわせん分離ぶんりされている。

分断ぶんだん以降いこう天現寺てんげんじきょうせん渋谷しぶやえき東横線とうよこせん渋谷しぶや駅前えきまえ東京とうきょう高速こうそく鉄道てつどう現在げんざい東京とうきょうメトロ銀座ぎんざせん)ガード直下ちょっかかれていた。のち1957ねん昭和しょうわ32ねん)3がつ26にちハチ公はちこうこうにあった都電とでん青山あおやません渋谷しぶや駅前えきまえでんとまがこの隣接りんせつ都電とでん天現寺てんげんじきょうせん共々ともども移設いせつしてターミナルを形成けいせい都電とでん廃止はいし東口ひがしぐちバスとなっていたが、さい開発かいはつともな東横線とうよこせん渋谷しぶやえきあとどもにビルが建設けんせつされている。また山手やまてせんのガードあとながらく東急とうきゅう百貨店ひゃっかてん東横ひがしよこてん西にしかんひがしかんむす連絡れんらく通路つうろとなっていた。

1938ねん昭和しょうわ13ねん)、りょう路線ろせん東京とうきょう市電しでん運営うんえい委託いたくされ、1948ねん昭和しょうわ23ねん)に東京とうきょう譲渡ゆずりわたされた。東京とうきょう譲渡じょうとは、天現寺てんげんじきょう - 渋谷しぶやきょう - 中目黒なかめぐろあいだが8系統けいとう築地つきじ始発しはつ)、天現寺てんげんじきょう - 渋谷しぶやきょう - 渋谷しぶや駅前えきまえあいだが34系統けいとう金杉かなすぎきょう始発しはつ)として運行うんこうされた。その都電とでん撤去てっきょ計画けいかくにより、渋谷しぶやきょう - 中目黒なかめぐろあいだ1967ねん昭和しょうわ42ねん12月9にち天現寺てんげんじきょう - 渋谷しぶやきょう - 渋谷しぶや駅前えきまえあいだ1969ねん昭和しょうわ44ねん10月25にちにそれぞれ廃止はいしされている。

下高井戸しもたかいどせん

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三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだむす下高井戸しもたかいどせんは1969ねん玉川たまがわせん廃止はいし世田谷線せたがやせん(せたがやせん)に改称かいしょうされて現存げんそんする。

1969ねんまでは玉川たまがわせん本線ほんせん)の渋谷しぶや方面ほうめんから直通ちょくつう運転うんてんおこなっており、下高井戸しもたかいどせん前述ぜんじゅつした三軒茶屋さんげんぢゃや三叉路さんさろから世田谷せたがやどおがわ専用せんよう軌道きどうはいり、西太子堂にしたいしどうから下高井戸しもたかいどへとかっていった。

運行うんこう形態けいたい

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廃止はいし間際まぎわのダイヤは全線ぜんせんでのとお運転うんてん基本きほんで、玉川たまがわせん渋谷しぶや - 三軒茶屋さんげんぢゃや - 二子ふたご玉川たまがわえんあいだ下高井戸しもたかいどせん直通ちょくつう渋谷しぶや - 三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだ電車でんしゃ交互こうご運行うんこうされていたが、大橋おおはしえき車庫しゃこがあった関係かんけい早朝そうちょう深夜しんや中心ちゅうしん大橋おおはし発着はっちゃく区間くかん電車でんしゃ渋谷しぶやへのおくみの回送かいそう電車でんしゃ多数たすう設定せっていされていた。このほか朝夕ちょうせきラッシュには一部いちぶ電車でんしゃ渋谷しぶや - 三軒茶屋さんげんぢゃやたまでん中里なかさと駒沢こまざわ用賀ようがあいだかえ運転うんてんおこなっており、下高井戸しもたかいどせんでも渋谷しぶや - 三軒茶屋さんげんぢゃや - たまでん山下やましたげん山下やましたあいだ区間くかん電車でんしゃ設定せっていされていた。きぬたせんせんないとお運転うんてんのみで玉川たまがわせんへの直通ちょくつう運転うんてんく、二子ふたご玉川たまがわえん - きぬた本村ほんそんあいだ終日しゅうじつ折返おりかえ運転うんてんしていた。

たまでん廃止はいしのバス交通こうつう

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代替だいたいバス

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1969ねん昭和しょうわ44ねん5月11にち専用せんよう軌道きどうのみの三軒茶屋さんげんぢゃや - 下高井戸しもたかいどあいだ下高井戸しもたかいどせんのぞぜん路線ろせん廃止はいしされ、同日どうじつより東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつげん東急とうきゅうバス)が代替だいたいバスを運行うんこうした。代替だいたいバスは、きゅう玉川たまがわせんみぞくちせんきぬたせん区間くかんをおおむねなぞるものと、玉川たまがわせんとおらなかった新町しんまち - 瀬田せたあいだ国道こくどう246ごう玉川たまがわどおり)の新道しんどうすすむものとがもうけられ、旅客りょかく案内あんないじょう新町しんまち - 瀬田せたあいだ桜新さくらしんまち経由けいゆするせん旧道きゅうどう経由けいゆと、どう区間くかんにおける現在げんざい国道こくどう246ごう新道しんどう経由けいゆしょうした。

新設しんせつされた代替だいたいバス路線ろせんおよ補完ほかん路線ろせん系統けいとう番号ばんごうさきつぎのとおりである。

  • しぶ01 渋谷しぶやえき - 三軒茶屋さんげんぢゃや(ノンストップ運転うんてんあり)
  • しぶ02 渋谷しぶやえき - 用賀ようがおりかえししょきゅう用賀ようが停留所ていりゅうじょ裏手うらてにあたる。急行きゅうこうあり)
  • しぶ03 渋谷しぶやえき - 二子ふたごだま川園かわそのえき旧道きゅうどう経由けいゆ
  • しぶ04 渋谷しぶやえき - みぞくちえき旧道きゅうどう経由けいゆ
  • しぶ12 渋谷しぶやえき - 二子ふたごだま川園かわそのえき高津たかつ営業えいぎょうしょ新道しんどう経由けいゆ急行きゅうこうあり)
  • しぶ13 渋谷しぶやえき - きぬた本村ほんそん新道しんどう二子ふたご玉川たまがわ経由けいゆ
  • しぶ14 渋谷しぶやえき - 向ヶ丘むこうがおか遊園ゆうえんえき新道しんどう二子ふたご玉川たまがわ経由けいゆ
  • しぶ21 渋谷しぶやえき - 上町うえまちえき
  • たま06 玉川たまがわ - きぬた本村ほんそん
  • くろ03 目黒めぐろえき - きぬた本村ほんそん清水しみずせん玉川たまがわえん - きぬた本村ほんそんあいだ延長えんちょう

目黒めぐろ大橋おおはしにあった大橋おおはし車庫しゃこは、玉川たまがわせん廃止はいしとともに、東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ自動車じどうしゃ大橋おおはし営業えいぎょうしょ転換てんかんされ、どう営業えいぎょうしょ代替だいたいバスの運行うんこうった。ただししぶ04としぶ14は高津たかつ営業えいぎょうしょ所管しょかんした。「東急とうきゅうバス大橋おおはし営業えいぎょうしょ#たまでん代替だいたいからの出発しゅっぱつ」「東急とうきゅうバス高津たかつ営業えいぎょうしょ#用賀ようがせん」を参照さんしょう

二子ふたごだま川園かわそのえき - きぬた本村ほんそんあいだのルートは、きぬた本村ほんそん方向ほうこうはいせんあと南側みなみがわ玉川たまがわ高島屋たかしまや北側きたがわどう吉沢よしざわまですすみ、吉沢よしざわからはいせんあと転換てんかんされた道路どうろすすきぬた本村ほんそんにいたるルートで、二子ふたご玉川たまがわ方向ほうこうは、はいせんあとからはず天神森てんじんもりきょうわた多摩たまつつみどおりを橋東詰はしひがしづめまですすむルートをり、8のがた運行うんこう形態けいたいとなった。「東急とうきゅうバス大橋おおはし営業えいぎょうしょ#新道しんどうせんきぬたせん」「東急とうきゅうバス高津たかつ営業えいぎょうしょ#新道しんどうせん」を参照さんしょう

1977ねん昭和しょうわ52ねん)、渋谷しぶや - 二子ふたご玉川たまがわえんあいだ新玉川線しんたまがせん開通かいつうし、これにより、上記じょうき列挙れっきょした系統けいとうのうちしぶ01、しぶ02、しぶ03、しぶ14およびしぶ12の急行きゅうこう運転うんてん廃止はいしされ、しぶ13、くろ03ものち廃止はいしされた。しぶ04は渋谷しぶやえき - 二子ふたごだま川園かわそのえき短縮たんしゅくしぶ04→しぶ03)されたのち廃止はいしされている。しぶ14は用賀ようがえき - 向ヶ丘むこうがおか遊園ゆうえんえき短縮たんしゅく変更へんこうされ(しぶ14→こう02)、のちだま川園かわそのえき - 向ヶ丘むこうがおか遊園ゆうえんえき短縮たんしゅくされた。たま06は玉川たまがわ発着はっちゃく駅前えきまえはいらない)から、のちだま川園かわそのえき発着はっちゃく変更へんこうされた。

代替だいたいバス以外いがいのバス路線ろせん

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玉川たまがわどおりには、たまでん代替だいたい路線ろせん以外いがいにもおおくのバス路線ろせんがあり、それらもたまでん代替だいたい一翼いちよくになった。

ひがし82
玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどうは、駒沢こまざわえきからかれて深沢ふかさわ方面ほうめんかうバス路線ろせん運行うんこうした。この路線ろせん戦後せんご復旧ふっきゅうさい東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ東京とうきょう交通こうつうきょく都営とえいバス)との共同きょうどう運行うんこうとなり、玉川たまがわせん廃止はいし等々力とどろきせんひがし82系統けいとう)として、等々力とどろき東京とうきょうえき八重洲やえすこうあいだ運行うんこうされていた。どう路線ろせんは、渋谷しぶやえき駒沢こまざわあいだ玉川たまがわせん完全かんぜん並行へいこうしていた。「東急とうきゅうバス瀬田せた営業えいぎょうしょ#等々力とどろきせん」「都営とえいバス渋谷しぶや営業えいぎょうしょ#ひがし82系統けいとう」を参照さんしょう
ひがし83
東京とうきょうえき桜新さくらしんまちあいだ片道かたみち首都高しゅとこうそく道路どうろ経由けいゆむすひがし83系統けいとう東急とうきゅう都営とえい共同きょうどう運行うんこうされた。「都営とえいバス渋谷しぶや営業えいぎょうしょ#ひがし83系統けいとう」「東急とうきゅうバス駒沢こまざわ営業えいぎょうしょ#高速こうそく渋谷しぶやせん」を参照さんしょう
しぶ11
東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ駒沢こまざわオリンピック公園こうえんへのアクセスとなるグランドせんしぶ11系統けいとう)を運行うんこうしており、渋谷しぶや真中まんなかあいだ玉川たまがわせんこうむっていた。「東急とうきゅうバス淡島あわしま営業えいぎょうしょ#グランドせん」を参照さんしょう
三軒茶屋さんげんぢゃやより世田谷せたがやどお方面ほうめん
渋谷しぶや三軒茶屋さんげんぢゃやあいだには、三軒茶屋さんげんぢゃやから世田谷せたがやどおはい東急とうきゅうバス・小田急おだきゅうバス路線ろせんおお運行うんこうされ、1974ねん昭和しょうわ49ねん)までは都営とえいバス共管きょうかん路線ろせん存在そんざいした。現在げんざいしぶ23、しぶ24、しぶ26などが運行うんこうされている。「東急とうきゅうバス弦巻つるまき営業えいぎょうしょ#松陰まつかげせん」を参照さんしょう

えき一覧いちらん

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〔〕ない路線ろせん廃止はいし以前いぜん廃止はいしされたでんとまえき[注釈ちゅうしゃく 7]

玉川たまがわせん

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渋谷しぶや(しぶや) - 〔道玄坂どうげんざかうえ〕(どうげんざかうえ) - 上通かみとおり(かみどおり)- 〔大坂上おおさかうえ〕(おおさかうえ) - 大橋おおはし(おおはし) - たま電池でんちしり(たまでんいけじり/旧名きゅうめい世田谷せたがや池尻いけじり) - 三宿みしゅく(みしゅく/旧名きゅうめい池尻いけじり) - 〔東太子ひがしたいしどう〕(ひがしたいしどう/旧名きゅうめい太子堂たいしどう) - 三軒茶屋さんげんぢゃや(さんげんぢゃや) - たまでん中里なかさと(たまでんなかざと/旧名きゅうめい中里なかさと) - 上馬かみうま(かみうま/旧名きゅうめいうえ馬引沢うまひきざわ) - 真中まんなか(まなか) - 駒沢こまざわ(こまざわ) - 新町しんまち(しんまち/東京とうきょう横浜よこはま電鉄でんてつ合併がっぺいまえ弦巻つるまき) - 桜新さくらしんまち(さくらしんまち/旧名きゅうめい新町しんまち) - 用賀ようが(ようが) - たまでん瀬田せた(たまでんせた/旧名きゅうめい瀬田せたまえ瀬田せた) - 〔玉川たまがわ遊園ゆうえん〕(たまがわゆうえん/旧名きゅうめい身延山みのぶさん別院べついんまえ) - 二子ふたご玉川たまがわえん(ふたこたまがわえん/旧名きゅうめい玉川たまがわ→よみうり遊園ゆうえん読売よみうりえん二子ふたご玉川たまがわ[注釈ちゅうしゃく 8]

きぬたせん

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二子ふたご玉川たまがわえん - 中耕地なかごうち(なかこうち) - 吉沢よしざわ(よしざわ) - 〔伊勢宮いせみや河原かわら〕(いせみやがわら) - 〔大蔵おおくら〕(おおくら)- きぬた本村ほんそん(きぬたほんむら/旧名きゅうめいきぬた

溝ノ口みぞのくちせん

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読売よみうりえん - (ふたこ) - 高津たかつ(たかつ) - 溝ノ口みぞのくち(みぞのくち)

天現寺てんげんじきょうせん

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渋谷しぶや - 稲荷いなりきょう(いなりばし) - 並木なみききょう(なみきばし) - 渋谷しぶや区役所くやくしょまえ(しぶやくやくしょまえ/旧名きゅうめい渋谷しぶやまち役場やくばまえ[注釈ちゅうしゃく 9] - 比丘びくきょう(びくばし)- 渋谷しぶやきょう(しぶやばし/旧名きゅうめい恵比寿えびす駅前えきまえ[注釈ちゅうしゃく 10] - 恵比寿えびすきょう(えびすばし) - 新橋しんばし(しんばし) - 豊沢とよさわきょう(とよさわばし) - 天現寺てんげんじきょう(てんげんじばし)

中目黒なかめぐろせん

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渋谷しぶやきょう - 恵比寿えびす駅前えきまえ(えびすえきまえ)[注釈ちゅうしゃく 11] - 長谷ながたに(ながやと) - 鎗ヶさき(やりがさき) - 中目黒なかめぐろ(なかめぐろ)

下高井戸しもたかいどせん

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たまでん廃止はいしのイベント

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2017ねんたまでん開業かいぎょう110周年しゅうねんむかえたことを記念きねんして、世田谷線せたがやせん300けいによる「たまでん110周年しゅうねん幸運こううんまねねこ」としょうするラッピング電車でんしゃ同年どうねん9がつ25にちから2018ねん3がつまつまで運行うんこうしている[25]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 溝ノ口みぞのくちせんについては、原口はらぐち隆行たかゆき日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃII』p.97(JTBISBN 4-533-03459-4)に記載きさいのキロほど天現寺てんげんじきょう - 溝ノ口みぞのくちあいだ13.9 km、渋谷しぶや - 天現寺てんげんじきょうあいだ2.7 km)、および上記じょうき玉川たまがわせんのキロほどより算出さんしゅつ
  2. ^ 開通かいつう当初とうしょ道玄坂どうげんざかじょう起点きてんとした暫定ざんてい開業かいぎょう同年どうねん全通ぜんつう
  3. ^ さくら並木なみきもうけ、のち新町しんまち桜新さくらしんまち改称かいしょうされている。
  4. ^ この地区ちくは、当時とうじ玉川たまがわ電気でんき鉄道てつどうしゃ長津田ながつたきょうをとり、のち津田つださんばれるようになった。
  5. ^ 大橋おおはしジャンクションよこに、たまでん大橋おおはし車庫しゃこあとのプラットホームが再現さいげんされている。
  6. ^ 現在げんざい玉川たまがわ高島屋たかしまやS.Cひがしかん駐車ちゅうしゃじょうとう区画くかくじょうななめにつのは、これがかつての軌道きどうじょう位置いちするため。
  7. ^ 通常つうじょう軌道線きどうせんは「えき」(「停車場ていしゃじょう」)ではく「停留ていりゅうじょう」「でんとま」とぶが、「えき」とばれることもある。ただし、運行うんこう当時とうじたまでん沿線えんせんでは用賀ようがひとしえき」とばれていたでんとまおおかった。現在げんざい世田谷線せたがやせん同様どうようである。
  8. ^ 1955年代ねんだい - 1965年代ねんだいには200がたようして「プールき」「直通ちょくつう」なる表示ひょうじばんかかげた急行きゅうこう夏期かき運行うんこうされた。停車駅ていしゃえき渋谷しぶや三軒茶屋さんげんぢゃや駒沢こまざわ用賀ようが玉川たまがわであった。
  9. ^ 1932ねん昭和しょうわ7ねん)にだい東京とうきょう市制しせい施行しこう拡大かくだい・35せい施行しこう)により渋谷しぶや誕生たんじょうすると、渋谷しぶやまち役場やくば渋谷しぶや区役所くやくしょかれたため、停留所ていりゅうじょめい変更へんこうされた。
  10. ^ 1927ねん昭和しょうわ2ねん)に中目黒なかめぐろせん開通かいつうしたさい恵比寿えびす駅前えきまえ停留所ていりゅうじょ新設しんせつされそれまでの恵比寿えびす駅前えきまえ停車ていしゃじょう渋谷しぶやきょう停車場ていしゃじょう名称めいしょう変更へんこうした。
  11. ^ 中目黒なかめぐろせん開通かいつうまえ恵比寿えびす駅前えきまえ名乗なのっていた渋谷しぶやきょう停留ていりゅうじょうとはことなる。

出典しゅってん

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  1. ^ はやしじゅんしんじたまでんはしったまち 今昔こんじゃくISBN 4-533-03305-9 より。
  2. ^ a b c d 地方ちほう鉄道てつどう及軌どう一覧いちらん. 昭和しょうわ12ねん4がつ1にち現在げんざい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  3. ^ a b c d e f g h i 株式かぶしき年鑑ねんかん 昭和しょうわ13年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  4. ^ 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. だい36かい(昭和しょうわ3ねん)』国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  5. ^ 株式かぶしき社債しゃさい年鑑ねんかん. 昭和しょうわ7年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  6. ^ 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. だい36かい(昭和しょうわ3ねん)』国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  7. ^ 鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1927ねん4がつ23にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  8. ^ 鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1929ねん5がつ22にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  9. ^ 鉄道てつどう起業きぎょう廃止はいし許可きょか」『官報かんぽう』1935ねん8がつ22にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  10. ^ a b c d e f g h i j k 宮脇みやわき俊三しゅんぞう宮田みやた道一みちかず世田谷せたがやたまでん時代じだい大正たいしょう出版しゅっぱん、154ぺーじ
  11. ^ 鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 大正たいしょう11年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  12. ^ 鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 大正たいしょう12年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  13. ^ a b 鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 大正たいしょう13年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  14. ^ 鉄道てつどうしょう鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 大正たいしょう14年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  15. ^ 鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 昭和しょうわ元年がんねん だい3へん 監督かんとく国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  16. ^ 鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 昭和しょうわ2ねん だい3へん 監督かんとく国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  17. ^ 東横ひがしよこ百貨店ひゃっかてん百貨店ひゃっかてん日日ひび新聞しんぶんしゃ 1939ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  18. ^ ちょうど50ねんまえ廃止はいしされた「たまでん最終さいしゅうの「三軒茶屋さんげんぢゃや”. AERA.dot (2019ねん5がつ18にち). 2019ねん5がつ18にち閲覧えつらん
  19. ^ はやしたまでんはしったまち 今昔こんじゃく』12ぺーじ勾配こうばい)、28-29ぺーじ(トロリーバスなみはし
  20. ^ 廃止はいしされる渋谷しぶやえき玉川たまがわ改札かいさつ」の由来ゆらいは、かつてった路面ろめん電車でんしゃ - 鉄道てつどうコム、2020ねん9がつ25にち
  21. ^ 森口もりぐち誠之せいし鉄道てつどう未成みせいせんあるく〈私鉄してつへん〉』JTB、2001ねん、p.186
  22. ^ Setagaya100 2020, p. 159.
  23. ^ a b Setagaya100 2020, p. 153.
  24. ^ 『BJハンドブックシリーズ R69 東急とうきゅうバス』p.14、BJエディターズ/星雲せいうんしゃISBN 978-4-434-11564-6
  25. ^ たまでん開通かいつう110周年しゅうねん記念きねんイベントを実施じっしまねねこのラッピングやまねねこがたしゅの「幸福こうふくまねねこ電車でんしゃ」を運行うんこう (PDF) - 東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ、2017ねん8がつ31にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 写真しゃしんかた世田谷せたがやの100ねん』いき出版しゅっぱん、2020ねん1がつ31にちISBN 978-4-86672-044-9 

関連かんれん項目こうもく

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  • こちら葛飾かつしか亀有かめあり公園前こうえんまえ派出所はしゅつじょ - 主人公しゅじんこう両津りょうつかんきち上司じょうし大原おおはら大次郎だいじろう部長ぶちょう学生がくせい時代じだい玉川たまがわせん沿線えんせんんでおり、この玉川たまがわせんって通学つうがくしていたエピソードがある(コミックス158かん嗚呼ああ!青春せいしゅん電車でんしゃまき」)。
  • カラフル (2010ねん映画えいが) - 登場とうじょう人物じんぶつきぬたせんはいせんあと探索たんさくする場面ばめん登場とうじょうし、はいせんまえ様子ようす作中さくちゅう再現さいげんされている。

外部がいぶリンク

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