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京王けいおう御陵ごりょうせん

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京王帝都電鉄 御陵ごりょうせん
住宅街の中に残る橋脚
住宅じゅうたくがいなかのこ橋脚きょうきゃく
基本きほん情報じょうほう
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 東京とうきょう八王子はちおうじ
起点きてん 北野きたのえき
終点しゅうてん 多摩たま御陵前ごりょうまええき
えきすう 5えき
開業かいぎょう 1931ねん3がつ20日はつか
休止きゅうし 1945ねん1がつ21にち
廃止はいし 1964ねん11月26にち
所有しょゆうしゃ 東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ休止きゅうし
京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ廃止はいし
運営うんえいしゃ 東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ休止きゅうし
京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ廃止はいし
使用しよう車両しゃりょう 使用しよう車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせん距離きょり 6.3 km
軌間きかん 1,372 mm
線路せんろすう 単線たんせん
電化でんか方式ほうしき 直流ちょくりゅう600 V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
テンプレートを表示ひょうじ
停車場ていしゃじょう施設しせつ接続せつぞく路線ろせん廃止はいし当時とうじ
京王線けいおうせん
ABZq+l BHFq
0.0 北野きたのえき
KRZo
国鉄こくてつ横浜よこはません
BHF
1.7 片倉かたくらえき
BHF
3.2 山田やまだえき
xABZgl
高尾線たかおせん 1967-
xKRZo STRq STRq STR+r
国鉄こくてつ中央ちゅうおう本線ほんせん
HUBlg STR
5.1 武蔵むさし横山よこやまえき
exmKRZo
uexSTR+r STR
武蔵むさし横山よこやま駅前えきまえ停留ていりゅうじょう
exSTR
STR
京王けいおう電気でんき軌道きどう高尾線たかおせん -1939
exKBHFe uexSTR STR
6.3 多摩たま御陵前ごりょうまええき
uexHST eHST
ひだり御陵前ごりょうまえ停留ていりゅうじょうみぎ東浅川ひがしあさかわえきかり

御陵ごりょうせん(ごりょうせん)は、1931ねん昭和しょうわ6ねん)から1945ねん昭和しょうわ20ねん)まで営業えいぎょうしていた京王けいおう電気でんき軌道きどう(→東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ京王帝都電鉄けいおうていとでんてつげん京王けいおう電鉄でんてつ〉)の鉄道てつどう路線ろせんである。一部いちぶ区間くかん現在げんざい高尾線たかおせんとなっている。

概要がいよう

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大正天皇たいしょうてんのう埋葬まいそうされた天皇てんのうはつ関東かんとう地区ちくでの多摩たま御陵ごりょう話題わだいとなり、参拝さんぱいしゃ移動いどう手段しゅだんとして京王けいおう電気でんき軌道きどうにより敷設ふせつされた。開通かいつう当時とうじには参拝さんぱい最盛さいせいぎており、普段ふだん北野きたの - 多摩たま御陵前ごりょうまえあいだかえ運転うんてんであったが、土日どにちになると四谷よつや新宿しんじゅく当時とうじ)からの直通ちょくつう運転うんてんおこなわれることもあった。

戦局せんきょく悪化あっかともな不要ふよう不急ふきゅうせんとして1945ねん昭和しょうわ20ねん1がつ21にち休止きゅうし休止きゅうし駅舎えきしゃ、レール、バラスト、架線かせんばしら大半たいはん順次じゅんじ撤去てっきょされたほか同年どうねん8がつ2にち八王子はちおうじ空襲くうしゅう多摩たま御陵前ごりょうまえ駅舎えきしゃ焼失しょうしつするなど甚大じんだい被害ひがいけた。

そのあと雑草ざっそう繁茂はんもするなど事実じじつじょうはいせんとなっていたが、築堤ちくてい一部いちぶ架線かせんばしら橋梁きょうりょうとうはそのままのこされ、高尾線たかおせん建設けんせつ活用かつようされた。

戦後せんごいたり、京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ当時とうじ)による宅地たくち開発かいはつともなうアクセス路線ろせんとして高尾線たかおせん計画けいかくされ、北野きたの - 山田やまだあいだ同線どうせん一部いちぶとして復活ふっかつすることとなり1967ねん昭和しょうわ42ねん10月1にち開業かいぎょうのこ山田やまだ - 多摩たま御陵前ごりょうまえあいだ高尾線たかおせん新設しんせつ区間くかん山田やまだ - 高尾山口たかおさんぐちあいだ)の免許めんきょ認可にんか1964ねん昭和しょうわ39ねん11月26にちづけ正式せいしき廃止はいしとなった。

路線ろせんデータ

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  • 路線ろせん距離きょり:6.3km
  • 軌間きかん:1372mm
  • えきすう:5えきおこり終点しゅうてんえきふくむ)
  • 複線ふくせん区間くかん:なし(全線ぜんせん単線たんせん
  • 電化でんか区間くかん全線ぜんせん直流ちょくりゅう600V) - 営業えいぎょう当時とうじ京王けいおうせん直流ちょくりゅう600V電化でんか

歴史れきし

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  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん12月13にち 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ八王子はちおうじ明神みょうじんまち-南多摩みなみたまぐん横山よこやまむらあいだ[1]
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん3がつ20日はつか 京王けいおう電気でんき軌道きどうにより御陵ごりょうせん 北野きたの - 御陵前ごりょうまえあいだ開業かいぎょう[2]
  • 1937ねん昭和しょうわ12ねん5月1にち 横山よこやまえき武蔵むさし横山よこやまえきに、御陵前ごりょうまええき多摩たま御陵前ごりょうまええき改称かいしょう[2]
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん5月31にち 京王けいおう電気でんき軌道きどう東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ合併がっぺい同社どうしゃ路線ろせんとなる[2]
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん6月1にち 東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつから京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ分離ぶんり同社どうしゃ路線ろせんとなる[2]
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん
    • 6月17にち 高尾線たかおせん山田やまだ北野きたの起点きてん3k760m) - 高尾山口たかおさんぐちあいだ免許めんきょ
    • 11月26にち 山田やまだ北野きたの起点きてん3k760m) - 多摩たま御陵前ごりょうまえあいだ廃止はいし[2]
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん10月1にち 高尾たかおせんとして北野きたの - 山田やまだあいだ復活ふっかつ片倉かたくらえき京王けいおう片倉かたくらえき改称かいしょう[2]

北回きたまわあん南回みなみまわあん

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御陵ごりょうせんのルートには、ふたつのあんがあった。ひとつは当時とうじひがし八王子はちおうじえきげん京王けいおう八王子はちおうじえき)を高架こうかして、府立ふりつだいよん高等こうとう女学校じょがっこうげん東京とうきょう都立とりつ南多摩みなみたま中等ちゅうとう教育きょういく学校がっこう)の西側にしがわ甲州こうしゅう街道かいどうをまたぎ、浅川あさがわ沿って八王子はちおうじまち北部ほくぶ同市どうし横川よこがわまち付近ふきん経由けいゆし、多摩たま御陵ごりょう付近ふきん京王線けいおうせん延伸えんしんするいわゆる北回きたまわあん。もうひとつは北野きたのえきから分岐ぶんきして片倉かたくら経由けいゆし、国鉄こくてつ中央ちゅうおう本線ほんせん甲州こうしゅう街道かいどう高架こうかでオーバークロスして、多摩たま御陵ごりょう付近ふきんいたるいわゆる南回みなみまわあんである。

京王けいおう元々もともと八王子はちおうじ市街地しがいち乗客じょうきゃくむため、北回きたまわあん軌道きどう特許とっきょ取得しゅとくしていたが、市街地しがいち路線ろせん分断ぶんだんされるとの理由りゆう八王子はちおうじ市議会しぎかい反対はんたい、また用地ようち買収ばいしゅうすすまなかったために方針ほうしん変更へんこう御陵ごりょうせん最終さいしゅうてき南回みなみまわあん建設けんせつされた。人家じんかすくない地域ちいきはし路線ろせんだったことは、不要ふよう不急ふきゅうせんとして廃止はいしになるおおきな要因よういんとなった。

えき一覧いちらん

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接続せつぞく路線ろせん

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京王けいおう電気でんき軌道きどう時代じだい

  • 武蔵むさし横山よこやまえき高尾線たかおせん武蔵むさし横山よこやま駅前えきまええき

現状げんじょう

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橋脚きょうきゃくへいわりになっている

上記じょうきとおり、北野きたの - 山田やまだあいだ高尾線たかおせん用地ようち一部いちぶとなっている。京王けいおう片倉かたくらえき北野きたのりにある国道こくどう16ごうくだせんどうきょうは、御陵ごりょうせん開業かいぎょうのものを現在げんざいまで使用しようしており、プレートガーターには「昭和しょうわねん 株式會社かぶしきがいしゃよこかわ橋梁きょうりょう製作所せいさくしょ」の銘板めいばんがある。

山田やまだ - めじろだいあいだにある都市とし計画けいかく道路どうろ山田やまだまち並木なみきせん跨線橋こせんきょう手前てまえ高尾たかおせん分岐ぶんきするが、すぐに山田やまだまち並木なみきせん合流ごうりゅうする。このはいせんあと農地のうち転用てんようされているが、敷地しきちないには京王帝都電鉄けいおうていとでんてつ当時とうじ)の境界きょうかいしるべ残存ざんそんする。そのさき中央ちゅうおう本線ほんせんえて国道こくどう20ごう甲州こうしゅう街道かいどう)までのはいせんあとは、上記じょうき山田やまだまち並木なみきせん道路どうろ用地ようち一部いちぶとなっており、中央ちゅうおう本線ほんせんまた跨線橋こせんきょう築堤ちくてい撤去てっきょ整地せいちされている。

国道こくどう20ごうから武蔵むさし横山よこやまえき跡地あとち南浅川みなみあさかわまでのはいせんあと住宅じゅうたく転用てんようされているが、はいせんあと住宅じゅうたく配置はいち名残なごりのこほか撤去てっきょされた橋脚きょうきゃく基礎きそ一部いちぶ残存ざんそんする。そのさき南浅川みなみあさかわ左岸さがん住宅じゅうたくないには、橋脚きょうきゃく2撤去てっきょされずに残存ざんそんしており、御陵ごりょうせん最大さいだい遺構いこうとなっている。過去かこには撤去てっきょうごきもあったが、当時とうじの(橋脚きょうきゃく敷地しきちの)家人かじんが「貴重きちょう鉄道てつどう遺産いさんなので、のこしておきたい」とことわったという[4]

そのさきはいせんあとは、都営とえい長房ながぶさ団地だんち住宅じゅうたく転用てんようされており、多摩たま御陵前ごりょうまええき跡地あとちのある陵南りょうなん公園こうえん正面しょうめん東京とうきょう都道とどう187ごう多摩たま御陵ごりょうせんまでつづいている。営業えいぎょう当時とうじ神社じんじゃ社殿しゃでん風格ふうかくかんじさせる駅舎えきしゃとも駅前えきまえ広場ひろばようしていたが、現在げんざい痕跡こんせき辿たどることはむずかしい。

はいせんあとのうち、高尾線たかおせん分岐ぶんきおよ南浅川みなみあさかわ左岸さがん橋脚きょうきゃくについては、NHK総合そうごうテレビブラタモリ』(2016ねん9がつ17にち放送ほうそう・「#47 高尾山たかおさんかい)で紹介しょうかいされた[5]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1927ねん12月16にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  2. ^ a b c d e f 今尾いまおめぐみかい監修かんしゅう)『日本にっぽん鉄道てつどう旅行りょこう地図ちずちょう』 4 関東かんとう2、新潮社しんちょうしゃ、2008ねん、46ぺーじISBN 978-4-10-790022-7 
  3. ^ 軌道きどう地方ちほう鉄道てつどう変更へんこう許可きょか」『官報かんぽう』1945ねん10がつ1にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  4. ^ 中村なかむら建治けんじちょ東京とうきょうえた!ぜん97えき』、イカロス出版いかろすしゅっぱん、2015ねん、138ぺーじISBN 978-4-8022-0071-4
  5. ^ ブラタモリ これまでの放送ほうそう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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