軌間 きかん
軌間 きかん の一覧 いちらん
最小 さいしょう 軌間 きかん
15インチ
381 mm
(15 in)
狭軌 きょうき
2フィート、600 mm
597 mm 600 mm 603 mm 610 mm
(1 ft 11+ 1 ⁄2 in) (1 ft 11+ 5 ⁄8 in) (1 ft 11+ 3 ⁄4 in) (2 ft)
750 mm ,ボスニア ,2フィート6インチ ,800 mm
750 mm 760 mm 762 mm 800 mm
(2 ft 5+ 1 ⁄2 in) (2 ft 5+ 15 ⁄16 in) (2 ft 6 in) (2 ft 7+ 1 ⁄2 in)
スウェーデン3フィート 900 mm 3フィート
891 mm 900 mm 914 mm
(2 ft11+ 3 ⁄32 in) (2 ft 11+ 7 ⁄16 ) (3 ft)
1m軌間 きかん
1,000 mm
(3 ft 3+ 3 ⁄8 in)
3フィート6インチ
1,067 mm
(3 ft 6 in)
4フィート6インチ
1,372 mm
(4 ft 6 in)
標準軌 ひょうじゅんき
1,435 mm
(4 ft 8+ 1 ⁄2 in)
広軌 こうき
ロシア軌間 きかん
1,520 mm 1,524 mm
(4 ft 11+ 27 ⁄32 in) (5 ft)
アイルランド軌間 きかん
1,600 mm
(5 ft 3 in)
イベリア軌間 きかん
1,668 mm
(5 ft 5+ 21 ⁄32 in)
インド軌間 きかん
1,676 mm
(5 ft 6 in)
ブルネル軌間 きかん
2,140 mm
(7 ft 1 ⁄4 in)
軌間 きかん の差異 さい
軌間 きかん 不連続 ふれんぞく 点 てん · 三 さん 線 せん 軌条 きじょう · 改 あらため 軌 · 台車 だいしゃ 交換 こうかん · 軌間 きかん 可変 かへん
地域 ちいき 別 べつ
狭軌 きょうき (きょうき、英 えい : Narrow gauge ナローゲージ)とは、鉄道 てつどう における線路 せんろ のレール 間隔 かんかく をあらわす軌間 きかん が、標準軌 ひょうじゅんき の1,435 mm (4フィート 8+ 1 ⁄2 インチ )未満 みまん のものを指 さ す。軽便鉄道 けいべんてつどう も参照 さんしょう 。
標準軌 ひょうじゅんき (青 あお )と狭軌 きょうき (赤 あか )の幅 はば の比較 ひかく
元々 もともと 「狭軌 きょうき 」はより広 ひろ い軌間 きかん に対 たい する相対 そうたい 的 てき ない方 いかた であり、現在 げんざい 「標準軌 ひょうじゅんき 」と呼 よ ばれる4 ft8+ 1 ⁄2 in(1,435 mm)軌間 きかん も、イギリス で1846年 ねん に勅 みことのり 裁 さい された「鉄道 てつどう のゲージ規制 きせい に関 かん する法律 ほうりつ 」ができる前 まえ は、2 m以上 いじょう あるブルネル の軌間 きかん に比 くら べて狭 せま く「標準 ひょうじゅん 」ではなかったため、法律 ほうりつ が適用 てきよう される以前 いぜん はもちろん、適用 てきよう 後 ご の1850年代 ねんだい 頃 ころ までは狭軌 きょうき と呼 よ ばれていた。1870年 ねん 頃 ころ においても、現在 げんざい の標準軌 ひょうじゅんき を狭軌 きょうき と呼 よ ぶことが残 のこ っていたと言 い われる[1] 。
現在 げんざい でも旧 きゅう 大 だい 英 えい 帝国 ていこく 領 りょう (植民 しょくみん 地 ち )等 とう の3 ft6 in(1,067 mm)軌間 きかん を使用 しよう する地域 ちいき では、その地域 ちいき でこれよりも広 ひろ い軌間 きかん が存在 そんざい しないため、これを狭軌 きょうき と呼 よ ばずに標準軌 ひょうじゅんき と呼 よ ぶことがある。これは1,000 mm軌間 きかん (メーターゲージ)についても同様 どうよう である。このような事情 じじょう により、今日 きょう では「1,000 mm未満 みまん は確実 かくじつ に狭軌 きょうき 」とみなされているが、これ以上 いじょう は状況 じょうきょう によっては狭軌 きょうき に入 い れない場合 ばあい もある[2] 。
日本 にっぽん の場合 ばあい 、かつての日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう (国鉄 こくてつ )の軌間 きかん は1,067 mmが標準 ひょうじゅん であったためこれを「狭軌 きょうき 」と呼 よ ぶことは少 すく なく、新幹線 しんかんせん やいくつかの私鉄 してつ で使用 しよう されている1,435 mm軌間 きかん (標準軌 ひょうじゅんき )の方 ほう を誤 あやま って「広軌 こうき 」と呼 よ ぶ人 ひと が多 おお かったという[3] [注 ちゅう 1] 。国鉄 こくてつ の中 なか で買収 ばいしゅう ・国有 こくゆう 化 か 路線 ろせん の中 なか に存在 そんざい した762 mm軌間 きかん の路線 ろせん (ナローゲージ)については特殊 とくしゅ 狭軌 きょうき 線 せん と呼称 こしょう され、同 おな じく日本 にっぽん の私鉄 してつ でも、三 さん 岐鉄道 てつどう 北勢線 ほくせいせん や四日市 よっかいち あすなろう鉄道 てつどう などの現存 げんそん する該当 がいとう 路線 ろせん に対 たい して、同様 どうよう の呼 よ び方 かた をする。
なお、特殊 とくしゅ 狭軌 きょうき 線 せん と軽便鉄道 けいべんてつどう は混同 こんどう されやすいが、特殊 とくしゅ 狭軌 きょうき 線 せん は軌間 きかん が762 mmの線路 せんろ を意味 いみ し、軽便鉄道 けいべんてつどう 法 ほう に従 したが って敷設 ふせつ された鉄道 てつどう という意味 いみ である。軽便鉄道 けいべんてつどう 法 ほう もまた軌間 きかん を762 mm以上 いじょう と定 さだ めているため、軽便鉄道 けいべんてつどう の大半 たいはん は特殊 とくしゅ 狭軌 きょうき 線 せん ではあるが、西大寺 さいだいじ 鉄道 てつどう (914 mm)や新宮 しんぐう 軽便鉄道 けいべんてつどう (1,435 mm)などの例 れい もあり、必 かなら ずしも一致 いっち するものではない。
狭軌 きょうき の特性 とくせい と採用 さいよう されやすい場所 ばしょ [ 編集 へんしゅう ]
意図 いと 的 てき に狭 せま い軌間 きかん を選択 せんたく する鉄道 てつどう は、元々 もともと 機関 きかん 車 しゃ さえもない時代 じだい の人力 じんりき や家畜 かちく 動力 どうりょく のトロッコ のような路線 ろせん から生 う まれた。こうした鉄道 てつどう で使用 しよう される車両 しゃりょう はホイールベースや軌間 きかん が小 ちい さくても不安定 ふあんてい ではなく、むしろ急 きゅう カーブ(障害 しょうがい 物 ぶつ を避 さ けられるのでトンネルなどの施設 しせつ 費用 ひよう を抑 おさ えられる)を曲 ま がりやすくなって好都合 こうつごう であったため、機関 きかん 車 しゃ が開発 かいはつ されてからも鉱山 こうざん 鉄道 てつどう や[4] 、線路 せんろ 施設 しせつ が簡易 かんい 的 てき なもので済 す むことから木材 もくざい の伐採 ばっさい が終 お わったら線路 せんろ を移動 いどう しなくてはならない森林 しんりん 鉄道 てつどう に採用 さいよう 例 れい が多 おお い。
また、枕木 まくらぎ および砂利 じゃり などの道床 どうしょう にかかるコストも最低限 さいていげん 軌間 きかん 分 ぶん の幅 はば が必要 ひつよう となるため、標準軌 ひょうじゅんき であれば「1,435mm+レールの厚 あつ み」の枕木 まくらぎ が必要 ひつよう となるところ、狭軌 きょうき であればそれだけ短縮 たんしゅく でき[注 ちゅう 2] 、より低 てい 規格 きかく かつ低 ひく コスト の路線 ろせん を作 つく ることが可能 かのう である。そのため第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 とき には、同盟 どうめい 国 こく と連合 れんごう 国 こく の双方 そうほう とも前線 ぜんせん (en:front line )での輸送 ゆそう 用 よう に狭軌 きょうき の鉄道 てつどう を盛 さか んに建設 けんせつ した。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 戦後 せんご (en:Aftermath of World War I )のヨーロッパでは、その資材 しざい を流用 りゅうよう した狭軌 きょうき 鉄道 てつどう が一時 いちじ 流行 りゅうこう した。
De re metallica の木版 もくはん 画 が より。鉱山 こうざん 内 ない に人力 じんりき の鉄道 てつどう が描 えが かれている
750 mm軌間 きかん の鉄道 てつどう であるヴァルデンブルク鉄道 てつどう バッド・ブベンドルフ駅 えき に停車 ていしゃ 中 ちゅう の列車 れっしゃ
初 はじ めて記録 きろく された鉄道 てつどう は、ゲオルク・アグリーコラ の1556年 ねん 作 さく 「デ・レ・メタリカ 」(日本語 にほんご で「金属 きんぞく について」)に登場 とうじょう している。この書籍 しょせき に登場 とうじょう する鉄道 てつどう は、ボヘミア の鉱山 こうざん にあり、軌間 きかん は約 やく 2フィート(約 やく 610mm)であった。16世紀 せいき 、鉄道 てつどう は主 おも にヨーロッパ中 ちゅう の鉱山 こうざん で手押 てお しされた狭軌 きょうき の線路 せんろ に限 かぎ られていた。17世紀 せいき 、鉱山 こうざん 鉄道 てつどう は地上 ちじょう への輸送 ゆそう を提供 ていきょう するために拡張 かくちょう された。これらの路線 ろせん は鉱山 こうざん を近 ちか くの輸送 ゆそう ポイント(通常 つうじょう は運河 うんが または他 た の水路 すいろ )に接続 せつぞく する工業 こうぎょう 用 よう であった。これらの鉄道 てつどう は通常 つうじょう 、開発元 かいはつもと の鉱山 こうざん 鉄道 てつどう と同 おな じ軌間 きかん で建設 けんせつ された[5] 。
1802年 ねん にリチャード・トレビシック によってコールブルックデールカンパニーのため製造 せいぞう された世界 せかい 初 はつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ は、914mm軌間 きかん のプレートウェイ を走行 そうこう した。商業 しょうぎょう 的 てき に初 はじ めての蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ は、1812年 ねん に製造 せいぞう されたマシュー・マレー のサラマンカ (英語 えいご 版 ばん ) で、リーズ にあるミドルトン鉄道 てつどう (軌間 きかん 1245 mm)で利用 りよう された。サラマンカは初 はじ めてのラック式 しき 鉄道 てつどう の機関 きかん 車 しゃ でもあった。1820年代 ねんだい と1830年代 ねんだい 、イギリスの多 おお くの産業 さんぎょう 向 む けの狭軌 きょうき 鉄道 てつどう が蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ を使用 しよう していた。1842年 ねん 、イギリス国外 こくがい で初 はじ めての狭軌 きょうき の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ がベルギー にあるアントワープ - ゲント鉄道 てつどう [6] (軌間 きかん 1100 mm)で製造 せいぞう された。旅客 りょかく 輸送 ゆそう 用 よう の狭軌 きょうき 鉄道 てつどう で蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ が初 はじ めて使用 しよう されたのは1865年 ねん で、フェスティニオグ鉄道 てつどう が、旅客 りょかく 輸送 ゆそう のために導入 どうにゅう した[7] 。
多 おお くの狭軌 きょうき 鉄道 てつどう は工業 こうぎょう 企業 きぎょう の一部 いちぶ であり、一般 いっぱん 輸送 ゆそう ではなく、主 おも に専用 せんよう 鉄道 てつどう として機能 きのう していた。これらの産業 さんぎょう 用 よう 狭軌 きょうき 鉄道 てつどう の一般 いっぱん 的 てき な用途 ようと には、採掘 さいくつ 、伐採 ばっさい 、建設 けんせつ 、トンネル掘削 くっさく 、採石 さいせき 、および農産物 のうさんぶつ の運搬 うんぱん が含 ふく まれている。狭軌 きょうき による広範囲 こうはんい のネットワークが世界 せかい の多 おお くの地域 ちいき で構築 こうちく された。19世紀 せいき の森林 しんりん 伐採 ばっさい 作業 さぎょう では、製材 せいざい 所 しょ から市場 いちば に丸太 まるた を輸送 ゆそう するために狭軌 きょうき の鉄道 てつどう がよく使 つか われていた。キューバ 、フィジー 、ジャワ 、フィリピン 、オーストラリア クイーンズランド州 しゅう では、現在 げんざい も重要 じゅうよう なサトウキビ鉄道 てつどう が運行 うんこう されており、トンネルの建設 けんせつ には狭軌 きょうき の鉄道 てつどう が一般 いっぱん 的 てき に使用 しよう されている。
狭軌 きょうき の機関 きかん 車 しゃ の動力 どうりょく に内燃 ないねん 機関 きかん を初 はじ めて使用 しよう したのは1902年 ねん であった。フランシス・クロード・ブレイク (英語 えいご 版 ばん ) は、イギリスのロンドン リッチモンド・アポン・テムズ区 く モートレイク (英語 えいご 版 ばん ) にあるリッチモンドメイン下水道 げすいどう 委員 いいん 会 かい の下水 げすい プラント用 よう に7馬力 ばりき のガソリン機関 きかん 車 しゃ を製造 せいぞう した。この機関 きかん 車 しゃ の軌間 きかん は838 mmであり、3気筒 きとう ガソリンエンジンを搭載 とうさい していた[8] 。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では、広範 こうはん な狭軌 きょうき の鉄道 てつどう システム が両 りょう 陣 じん の最前線 さいぜんせん の塹壕 ざんごう 戦 せん に貢献 こうけん した[9] [10] 。それらは短期間 たんきかん の軍事 ぐんじ 用途 ようと であり、戦後 せんご 、余剰 よじょう 設備 せつび はヨーロッパの狭軌 きょうき 鉄道 てつどう の建設 けんせつ に小 ちい さなブームをもたらした。
狭軌 きょうき の鉄道 てつどう は通常 つうじょう 、小 ちい さい客車 きゃくしゃ や機関 きかん 車 しゃ (小 ちい さい車両 しゃりょう 限界 げんかい )、小 ちい さい橋 はし やトンネル(小 ちい さい建築 けんちく 限界 げんかい )、および、急 きゅう 曲線 きょくせん を使用 しよう しているため、建設 けんせつ 費用 ひよう が少 すく なくなる[11] 。狭軌 きょうき は、技術 ぎじゅつ 的 てき に大幅 おおはば に節約 せつやく できる可能 かのう 性 せい のある山岳 さんがく 地帯 ちたい でよく使用 しよう されるほか、経済 けいざい 的 てき に成 な り立 た つための潜在 せんざい 的 てき な需要 じゅよう の低 ひく い人口 じんこう の少 すく ない地域 ちいき でも使用 しよう される。これは不毛 ふもう の大地 だいち のため人口 じんこう 密度 みつど が低 ひく く、標準軌 ひょうじゅんき の鉄道 てつどう の運行 うんこう が厳 きび しいオーストラリアの一部 いちぶ と南部 なんぶ アフリカにほとんどの場合 ばあい 当 あ てはまる。
伐採 ばっさい 、鉱業 こうぎょう 、または大 だい 規模 きぼ な建設 けんせつ プロジェクト(特 とく に、英仏海峡 えいふつかいきょう トンネル などの限 かぎ られたスペース)のような短期間 たんきかん の使用 しよう 後 ご に撤去 てっきょ される仮設 かせつ 鉄道 てつどう の場合 ばあい 、狭軌 きょうき の鉄道 てつどう は大幅 おおはば にコストが安 やす く容易 ようい に設置 せっち ・撤去 てっきょ することができる。しかし、そのような鉄道 てつどう は、現代 げんだい のトラックの性能 せいのう の向上 こうじょう によりほとんど姿 すがた を消 け した。
多 おお くの国 くに では、建設 けんせつ コストが低 ひく いため、狭軌 きょうき の鉄道 てつどう が支線 しせん として建設 けんせつ され、標準軌 ひょうじゅんき の鉄道 てつどう に乗 の り換 か えてきた。多 おお くの場合 ばあい 、狭軌 きょうき か標準軌 ひょうじゅんき かの鉄道 てつどう の選択 せんたく ではなく、狭軌 きょうき の鉄道 てつどう か敷設 ふせつ しないかの間 あいだ で選択 せんたく であった。
狭軌 きょうき の鉄道 てつどう は、鉄道 てつどう 車両 しゃりょう (客車 きゃくしゃ など)を標準軌 ひょうじゅんき または広軌 こうき の鉄道 てつどう にそのまま乗 の り入 い れることはできない。また、旅客 りょかく と貨物 かもつ の移動 いどう には、旅客 りょかく の乗 の り換 か えや、貨物 かもつ の積 つ み替 か えが必要 ひつよう となる[12] 。石炭 せきたん 、鉱石 こうせき 、砂利 じゃり などの一部 いちぶ のバルク商品 しょうひん は機械 きかい 的 てき に積 つ み替 か えることができるが、この方法 ほうほう だと時間 じかん がかかり、積 つ み替 か えに必要 ひつよう な設備 せつび の維持 いじ に手間 てま がかかる。
鉄道 てつどう 網 もう 内 ない に異 こと なる軌間 きかん がある場合 ばあい 、ピーク需要 じゅよう 時 じ に異 こと なる軌間 きかん の区域 くいき を超 こ えて車両 しゃりょう を移動 いどう させることができないので、必要 ひつよう な場所 ばしょ に車両 しゃりょう を移動 いどう することは困難 こんなん となる。狭軌 きょうき の鉄道 てつどう のピーク需要 じゅよう を満 み たすために十分 じゅうぶん な車両 しゃりょう が利用 りよう 可能 かのう である必要 ひつよう があり、需要 じゅよう が少 すく ない期間 きかん には余剰 よじょう 設備 せつび となりキャッシュフローを生成 せいせい しない。狭軌 きょうき が鉄道 てつどう 網 もう のごく一部 いちぶ を形成 けいせい している地域 ちいき では(かつてのロシア のサハリン地方 ちほう の鉄道 てつどう のように)、狭軌 きょうき の設備 せつび の設計 せっけい 、製造 せいぞう 、または輸入 ゆにゅう には追加 ついか の費用 ひよう が必要 ひつよう となる。
互換 ごかん 性 せい の問題 もんだい に対 たい する解決 かいけつ 策 さく には、輪 わ 軸 じく あるいは台車 だいしゃ の交換 こうかん 、ロールボック 、軌間 きかん 可変 かへん 、デュアルゲージ 、または改 あらため 軌 がある。
歴史 れきし 的 てき に、多 おお くの狭軌 きょうき の鉄道 てつどう は、安 やす くて早 はや く建設 けんせつ することを優先 ゆうせん するために低 てい 水準 すいじゅん で建設 けんせつ された。その結果 けっか 、多 おお くの狭軌 きょうき 鉄道 てつどう は、重量 じゅうりょう 化 か または高速 こうそく 化 か の制約 せいやく を受 う けることがよくある。例 れい として、急 きゅう カーブが使 つか われるため、最大 さいだい 許容 きょよう 速度 そくど が制限 せいげん される。日本 にっぽん では、田沢湖線 たざわこせん 、奥羽本線 おううほんせん の一部 いちぶ の在来 ざいらい 線 せん (軌間 きかん 1067 mm)を標準軌 ひょうじゅんき のミニ新幹線 しんかんせん に改 あらため 軌し、標準軌 ひょうじゅんき の新幹線 しんかんせん が直通 ちょくつう するようにした。ただし、路線 ろせん の形状 けいじょう により、最大 さいだい 速度 そくど は元 もと の狭軌 きょうき の路線 ろせん と同 おな じである。日本 にっぽん の提案 ていあん するスーパー特急 とっきゅう のように、狭軌 きょうき の線路 せんろ が高水準 こうすいじゅん に建設 けんせつ されている場合 ばあい 、この問題 もんだい を最小限 さいしょうげん に抑 おさ えることができる。
狭軌 きょうき の線路 せんろ が潜在 せんざい 的 てき な成長 せいちょう を考慮 こうりょ して(または標準軌 ひょうじゅんき と同 おな じ基準 きじゅん で)設計 せっけい されている場合 ばあい 、将来 しょうらい の成長 せいちょう に対 たい する障害 しょうがい は他 た の軌間 きかん と同様 どうよう になる。低 てい 水準 すいじゅん で建設 けんせつ された路線 ろせん の場合 ばあい 、線路 せんろ を再 さい 調整 ちょうせい してカーブを緩 ゆる やかにし、踏切 ふみきり の数 かず を減 へ らし、車体 しゃたい 傾斜 けいしゃ 式 しき 車両 しゃりょう を導入 どうにゅう することで、速度 そくど を上 あ げることができる。
高水準 こうすいじゅん 化 か した狭軌 きょうき の鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
クイーンズランド州 しゅう の車体 しゃたい 傾斜 けいしゃ 式 しき 電車 でんしゃ 。オーストラリアクイーンズランド州 しゅう の鉄道 てつどう 網 もう は軌間 きかん 1067 mmの鉄道 てつどう で構成 こうせい されている
オーストラリアクイーンズランド州 しゅう 、南 みなみ アフリカ、およびニュージーランドの1067 mm軌間 きかん の鉄道 てつどう は、線路 せんろ が標準軌 ひょうじゅんき の水準 すいじゅん と同 おな じ基準 きじゅん に合 あ わせて建設 けんせつ された場合 ばあい 、標準軌 ひょうじゅんき の線路 せんろ とほぼ同 おな じ性能 せいのう が可能 かのう であることを示 しめ している。200両 りょう 編成 へんせい の列車 れっしゃ が南 みなみ アフリカの鉄鉱 てっこう 石 せき 線 せん で運行 うんこう され、高速 こうそく ティルト列車 れっしゃ がオーストラリアクイーンズランド州 しゅう で運行 うんこう されている。もう1つの例 れい は、ブラジルのヴィトーリア・ミナス鉄道 てつどう (ポルトガル語 ご 版 ばん ) である。1000 mm軌間 きかん で、100ポンド超 ちょう のレール(100 lb/ydまたは49.6 kg/m)を敷設 ふせつ している。この路線 ろせん には、4000馬力 ばりき (3000 kW)の機関 きかん 車 しゃ と200両 りょう 以上 いじょう の貨車 かしゃ を連結 れんけつ した列車 れっしゃ が運行 うんこう している。南 みなみ アフリカとニュージーランドでは、車両 しゃりょう 限界 げんかい は制約 せいやく されたイギリスの車両 しゃりょう 限界 げんかい と類似 るいじ している。ニュージーランドでは、イギリスのレールマーク2の車両 しゃりょう が新 あたら しい台車 だいしゃ で再 さい 構築 こうちく され、トランツ・シーニック(ウェリントン-パーマストンノース)、トランツ・メトロ(ウェリントン-マスタートン)、トランス・デヴ・オークランド(オークランド郊外 こうがい )で使用 しよう されている。
狭軌 きょうき では安定 あんてい 性 せい が低下 ていか することは、その列車 れっしゃ が広軌 こうき と同 おな じくらいの速度 そくど で走 はし ることができないことを意味 いみ する。たとえば、標準軌 ひょうじゅんき の線路 せんろ のカーブが時速 じそく 145 kmまで走行 そうこう できる場合 ばあい 、狭軌 きょうき の同 おな じカーブは時速 じそく 130 kmまでの速度 そくど しか走行 そうこう できない[13] 。
ただし、19世紀 せいき 半 なか ば(1865年 ねん )の時点 じてん でもノルウェー の1067㎜軌間 きかん で最高 さいこう 時速 じそく 56㎞ほど(標準軌 ひょうじゅんき のイギリスでも当時 とうじ のロ ろ ーカル線 かるせん はこの程度 ていど )の走行 そうこう が可能 かのう であると分 わ かっており[14] 、さらに狭軌 きょうき でも20世紀 せいき 前半 ぜんはん では朝鮮 ちょうせん 鉄道 てつどう の黄海 こうかい 線 せん (762㎜軌間 きかん )で1935年 ねん から最高 さいこう 時速 じそく 70kmの列車 れっしゃ を走 はし らせている[15] など、蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 時代 じだい でもこれより広軌 こうき のローカル路線 ろせん と比 くら べてもそこまで変 か わらないケースもあった。
日本 にっぽん とオーストラリア のクイーンズランド州 しゅう では、最近 さいきん の路線 ろせん 改良 かいりょう により、軌間 きかん 1067mmの線路 せんろ で、時速 じそく 160 kmを超 こ えることができた。クイーンズランド鉄道 てつどう の車体 しゃたい 傾斜 けいしゃ 式 しき 電車 でんしゃ は、オーストラリアで最速 さいそく の電車 でんしゃ であり、世界 せかい 最速 さいそく の1067 mm軌間 きかん の列車 れっしゃ で、時速 じそく 210 kmの記録 きろく を樹立 じゅりつ した[16] 。1067 mm軌間 きかん の線路 せんろ での速度 そくど 記録 きろく は、1978年 ねん に南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく で記録 きろく された時速 じそく 245 kmである[17] [18] [19] 。
設計 せっけい 速度 そくど が時速 じそく 137 kmの610 mm軌間 きかん の鉄道 てつどう 車両 しゃりょう が、オタヴィ鉱山 こうざん 鉄道 てつどう 会社 かいしゃ (英語 えいご 版 ばん ) のために製造 せいぞう された[20] 。
狭軌 きょうき の主 おも な軌間 きかん と採用 さいよう 国 こく の傾向 けいこう [ 編集 へんしゅう ]
381mm(15インチ)
508mm(20インチ)
597mm
600mm
610mm(24インチ=2フィート)
750mm
762mm(30インチ=2フィート6インチ)「ニブロク」・「特殊 とくしゅ 狭軌 きょうき 」
800mm
914mm(3フィート)
1000mm「メーターゲージ」
1050mm
1067mm(3フィート6インチ)「三 さん 六 ろく 軌間 きかん 」・「サブロク」
1372mm(4フィート6インチ)「馬車 ばしゃ 軌間 きかん 」
このうち幹線 かんせん 鉄道 てつどう に用 もち いられるのは914mm以上 いじょう のもので、英語 えいご では「medium gauge ミディアム・ゲージ」とも呼 よ ばれる。
イギリスから鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ を導入 どうにゅう した国々 くにぐに (日本 にっぽん も含 ふく む)では1067mmが主 おも に用 もち いられ、フランス などのヨーロッパ大陸 たいりく 諸国 しょこく の影響 えいきょう 下 か の国 くに では1000mmが、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の影響 えいきょう 下 か にあった国 くに では914mmが用 もち いられる傾向 けいこう にある。
なお、営業 えいぎょう 用 よう として運行 うんこう される鉄道 てつどう で最 もっと も狭 せま いゲージは381mm(15インチ)で、イギリスのロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道 てつどう が有名 ゆうめい である。日本 にっぽん の静岡 しずおか 県 けん 伊豆 いず 市 し 修善寺 しゅぜんじ にある虹 にじ の郷 さと には、この鉄道 てつどう と同 どう 規格 きかく の車両 しゃりょう による園内 えんない 路線 ろせん が敷設 ふせつ ・運行 うんこう されている。
914 mm(3フィート)はアメリカ大陸 あめりかたいりく でよく見 み られる軌間 きかん で、「American Narrow アメリカンナロー」とも呼 よ ばれる。
日本 にっぽん では、北陸 ほくりく 地方 ちほう や九州 きゅうしゅう 地方 ちほう などで見 み られた。後 のち に両備 りょうび バス となった岡山 おかやま 県 けん の西大寺 さいだいじ 鉄道 てつどう が廃止 はいし されて以来 いらい 、普通 ふつう 鉄道 てつどう ・軌道 きどう としては日本 にっぽん に存在 そんざい しないが、青森 あおもり 県 けん の青函 せいかん トンネル記念 きねん 館 かん にあるケーブルカー の青函 せいかん トンネル竜 りゅう 飛 ひ 斜坑 しゃこう 線 せん で営業 えいぎょう 用 よう として使用 しよう されている。東京 とうきょう ディズニーランド にかつて存在 そんざい した路面 ろめん 電車 でんしゃ のアトラクションである「ジョリートロリー 」やかつて存在 そんざい したテーマパーク「ウェスタン村 むら 」の村内 むらうち 鉄道 てつどう アトラクション「ウェスタン村 むら 鉄道 てつどう 」でも使用 しよう されていた。
1067mm(3フィート6インチ・「三 さん 六 ろく 軌間 きかん 」)[ 編集 へんしゅう ]
イギリス帝国 ていこく の植民 しょくみん 地 ち で広 ひろ く用 もち いられたことから「British imperial gauge(イギリス帝国 ていこく 軌間 きかん )」という呼称 こしょう も存在 そんざい した。特 とく にケープ植民 しょくみん 地 ち (後 ご の南 みなみ アフリカ)で用 もち いられたことから「Cape gauge」と呼 よ ばれるほか、この軌間 きかん を最初 さいしょ に用 もち いたノルウェー人 じん カール・アブラハム・ピル のイニシャルにちなんで「CAP gauge」あるいは「Kapspur」(ドイツ語 ご :CがKに書 か き換 か えられている)とも呼 よ ばれる。
後述 こうじゅつ するように、日本 にっぽん で多 おお く用 もち いられている軌間 きかん はこの1067mm、3フィート6インチである。日本 にっぽん 国内 こくない では「三 さん 六 ろく 軌間 きかん 」と呼 よ ばれている(「三 さん 六 ろく 」は3フィート6インチから)。→#日本 にっぽん の三 さん 六 ろく 軌間 きかん
世界 せかい で1067mm、3フィート6インチを用 もち いた国々 くにぐに ・地域 ちいき [ 編集 へんしゅう ]
1067mmの軌間 きかん を採用 さいよう したことのある国 くに ・地域 ちいき 、現在 げんざい もしている国 くに ・地域 ちいき の例 れい は以下 いか の通 とお り。
アフリカ
オセアニア
南 みなみ アメリカ
北 きた アメリカ
アジア
なおノルウェー やスウェーデン では19世紀 せいき に1067mm軌間 きかん の鉄道 てつどう 網 もう が作 つく られたが、後 のち に1435mmへ改 あらため 軌された。
1372mm(4フィート6インチ・「馬車 ばしゃ 軌間 きかん 」)[ 編集 へんしゅう ]
1,372mm軌間 きかん の京王線 けいおうせん
1,372 mm(4フィート6インチ)軌間 きかん は、かつてスコットランド の一部 いちぶ で採用 さいよう されていた[注 ちゅう 3] ため、英語 えいご ではスコッチ・ゲージ (Scotch gauge )と呼 よ ばれる。
日本 にっぽん では東京 とうきょう とその周辺 しゅうへん で一時 いちじ 広 ひろ く採用 さいよう されたのに対 たい し、日本 にっぽん 国内 こくない のみならず世界 せかい 的 てき に見 み ても、東京 とうきょう (とその周辺 しゅうへん )以外 いがい での使用 しよう 例 れい がきわめて少 すく ないことから、これを東京 とうきょう ゲージ と呼 よ ぶ鉄道 てつどう 史家 しか もいる[21] [22] 。
日本 にっぽん 国内 こくない ではその出自 しゅつじ から「馬車 ばしゃ 軌間 きかん 」とも呼 よ ばれ、標準軌 ひょうじゅんき ・旧 きゅう 国鉄 こくてつ 採用 さいよう 軌間 きかん とも違 ちが うことや日本 にっぽん で使用 しよう された線区 せんく の特殊 とくしゅ 性 せい から、日本 にっぽん では「偏 へん 軌 」・「変則 へんそく 軌道 きどう 」とも言 い われる。 →#日本 にっぽん 国内 こくない の1372mm
この
節 ふし の
加筆 かひつ が
望 のぞ まれています。
(2019年 ねん 9月 がつ )
1,067mm軌間 きかん のJR線 せん
1,067mm軌間 きかん と蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 。杉並 すぎなみ 児童 じどう 交通 こうつう 公園 こうえん のD51
日本 にっぽん で3ft6in軌間 きかん (三 さん 六 ろく 軌間 きかん )を選択 せんたく した理由 りゆう について、「イギリスから植民 しょくみん 地 ち 扱 あつか いされていた」「山 やま が多 おお いから急 きゅう 曲線 きょくせん に強 つよ い」という説 せつ がしばしば提唱 ていしょう されるが両 りょう 説 せつ とも穴 あな がある。
前者 ぜんしゃ は標準軌 ひょうじゅんき であるイギリス本土 ほんど においても、1860年代 ねんだい 後半 こうはん から1870年代 ねんだい 初頭 しょとう にかけて新規 しんき 路線 ろせん に限 かぎ らず既存 きそん 路線 ろせん も狭軌 きょうき 化 か した方 ほう が経済 けいざい 的 てき [注 ちゅう 4] という説 せつ が提唱 ていしょう されており、フェアリー式 しき 関節 かんせつ 式 しき 機関 きかん 車 しゃ の開発 かいはつ 者 しゃ であるロバート・フランシス・フェアリーは1870年 ねん 9月 がつ の英国 えいこく 学術 がくじゅつ 協会 きょうかい の会合 かいごう で「西海岸 にしかいがん 本線 ほんせん のLNWRの路線 ろせん を4ft8in軌間 きかん から3ft軌間 きかん にしても同 おな じ貨物 かもつ 輸送 ゆそう が可能 かのう で車両 しゃりょう を小型 こがた 化 か できる分 ぶん コストは半分 はんぶん に抑 おさ えられる。」という説 せつ を上 あ げている[23] 。
後者 こうしゃ についても、日本 にっぽん の路線 ろせん は急 きゅう 曲線 きょくせん ・急 きゅう 勾配 こうばい どころかむしろ緩 ゆる やかで、1929年 ねん (昭和 しょうわ 4年 ねん )の線路 せんろ 等級 とうきゅう 制定 せいてい 以前 いぜん は本線 ほんせん は一律 いちりつ 半径 はんけい 300 m以上 いじょう ・勾配 こうばい は25 ‰以下 いか [注 ちゅう 5] (等級 とうきゅう 制定 せいてい 後 ご の甲 かぶと 線 せん と同 おな じ)であり、同 おな じ軌間 きかん のノルウェーと南 みなみ アフリカの最小 さいしょう 半径 はんけい が150 mと100 mだが、日本 にっぽん の場合 ばあい はこれはのちに制定 せいてい された線路 せんろ 等級 とうきゅう で認 みと められた一番 いちばん 程度 ていど が低 ひく い簡易 かんい 線 せん (本線 ほんせん 半径 はんけい 160 m以上 いじょう )以下 いか になる[注 ちゅう 6] 。また、当初 とうしょ 導入 どうにゅう された機関 きかん 車 しゃ もノルウェー ・クイーンズランド州 しゅう (オーストラリア)・ニュージーランド ・インド の3ft6in軌間 きかん の路線 ろせん では動輪 どうりん 直径 ちょっけい が3ftほどなのに対 たい し、日本 にっぽん は4ftから4ft6inと大 おお きく(機関 きかん 車 しゃ 自体 じたい も大 おお きい)、先 さき 従 したがえ 輪 わ が付 つ いていても固定 こてい でホイールベースが長 なが いことからも急 きゅう 曲線 きょくせん 通過 つうか のために狭軌 きょうき 採用 さいよう ではないことが読 よ み取 と れる[24] 。
もっとも、以上 いじょう の数値 すうち は鉄道 てつどう 需要 じゅよう が先進 せんしん 国 こく を上回 うわまわ るようになり設定 せってい された数値 すうち である。明治 めいじ 33 年 ねん 制定 せいてい の建設 けんせつ 規程 きてい では半径 はんけい いかほどの曲線 きょくせん を通過 つうか しうべきかについては明示 めいじ していなかったが、線路 せんろ の最小 さいしょう 曲線 きょくせん 半径 はんけい が 200 フィート (61m。テッサに附帯 ふたい の曲線 きょくせん )以上 いじょう とされているので、この程度 ていど の曲線 きょくせん を通過 つうか しうるものとされた[25] 。機関 きかん 車 しゃ は 18mm のスラックを有 ゆう する半径 はんけい 100mの曲線 きょくせん が支障 ししょう なく通過 つうか することが求 もと められ[26] 、日本 にっぽん の最小 さいしょう 曲線 きょくせん 半径 はんけい は緩 ゆる やかどころか100m程度 ていど と小 ちい さい[27] 。9600形 かたち やD51を運用 うんよう していた根室本線 ねむろほんせん 旧 きゅう 線 せん では半径 はんけい 225.31m、181.05m、181.05m、最小 さいしょう 179.04mの連続 れんぞく カーブが1966年 ねん の新 しん 線 せん 開業 かいぎょう まで残 のこ っていた。[28] [29]
勾配 こうばい に関 かん しても当初 とうしょ は25 ‰を目安 めやす として40‰まで認 みと められ、急 きゅう 勾配 こうばい が輸送 ゆそう の隘路 あいろ となると勾配 こうばい を緩 ゆる やかにするようになった経緯 けいい がある[30] 。
イギリスもゲージ法 ほう で1,435mmが「標準 ひょうじゅん 」になり一 いち 時 じ 他 た の軌間 きかん 敷設 ふせつ が認 みと められなくなったが、日本 にっぽん では1900年 ねん (明治 めいじ 33年 ねん )の私設 しせつ 鉄道 てつどう 法 ほう 第 だい 40条 じょう に「軌間 きかん は特例 とくれい を除 のぞ き三 さん 尺 しゃく 六 ろく 寸 すん に限 かぎ る」と明記 めいき されていた[注 ちゅう 7] ため、国鉄 こくてつ だけではなく私鉄 してつ も含 ふく めてこれに定 さだ められた1,067 mm軌間 きかん が日本 にっぽん の標準 ひょうじゅん になったが、軌道 きどう 法 ほう は軌間 きかん 制限 せいげん が特 とく になかったため、特 とく に近畿 きんき 地方 ちほう の私鉄 してつ ではこれを拡大 かくだい 解釈 かいしゃく して標準軌 ひょうじゅんき の専用 せんよう 軌道 きどう を敷設 ふせつ した路線 ろせん がいくつもあったほか、東京 とうきょう でも馬車 ばしゃ 鉄道 てつどう から開業 かいぎょう した東京 とうきょう 馬車 ばしゃ 鉄道 てつどう (現在 げんざい の東京 とうきょう 都 と 電車 でんしゃ )などは1,372 mm軌間 きかん (後述 こうじゅつ )であった。その後 ご 、軌間 きかん 以外 いがい も規制 きせい が厳 きび しすぎたことで私鉄 してつ が作 つく られなくなったため、1910年 ねん に基準 きじゅん の緩 ゆる い軽便鉄道 けいべんてつどう 法 ほう が施行 しこう され、これやこの後継 こうけい に当 あ たる地方 ちほう 鉄道 てつどう 法 ほう (1919年 ねん )では異 こと なる軌間 きかん を認 みと めていたため、下限 かげん の762 mm軌間 きかん (多数 たすう )から標準軌 ひょうじゅんき の1,435 mm軌間 きかん (新宮 しんぐう 軽便鉄道 けいべんてつどう や塩江 しおのえ 温泉 おんせん 鉄道 てつどう など)までのさまざまな軌間 きかん が建設 けんせつ されている。
なお、国鉄 こくてつ では鉄道 てつどう 院 いん 時代 じだい に後藤 ごとう 新平 しんぺい 総裁 そうさい の指示 しじ で島 しま 安次郎 やすじろう らによって標準軌 ひょうじゅんき への改 あらため 軌の技術 ぎじゅつ 的 てき な検討 けんとう もされたが、改 あらため 軌は狭 せま くするのは容易 ようい だが広 ひろ くするのは難 むずか しく[注 ちゅう 8] 、島 しま 自身 じしん もなるべく改 あらため 軌中のゲージ分断 ぶんだん による悪影響 あくえいきょう が出 で ないように配慮 はいりょ するなどの具体 ぐたい 案 あん を研究 けんきゅう したものの、膨大 ぼうだい な経費 けいひ の壁 かべ は政党 せいとう 間 あいだ の政争 せいそう の具 ぐ となり、1919年 ねん に原内 はらうち 閣 かく によって路線 ろせん 網 もう を広 ひろ げる方 ほう を優先 ゆうせん (建 けん 主 ぬし 改 あらため 従 したがえ )、幹線 かんせん の輸送 ゆそう 力 りょく 増大 ぞうだい は狭軌 きょうき のまま補強 ほきょう (強度 きょうど 狭軌 きょうき )するとされ、ここで改 あらため 軌の根 ね は完全 かんぜん に絶 た たれた[31] (日本 にっぽん の改 あらため 軌論争 そう も参照 さんしょう )。また、この前後 ぜんご 期 き に日本 にっぽん が支配 しはい していた現在 げんざい の台湾 たいわん では、当時 とうじ の日本国 にっぽんこく 政府 せいふ により鉄道 てつどう 網 もう の構築 こうちく が台湾 たいわん の近代 きんだい 化 か において最 さい 重要 じゅうよう 施策 しさく とされ、狭軌 きょうき による鉄道 てつどう 網 もう が構築 こうちく された。現在 げんざい でも在来 ざいらい 線 せん は狭軌 きょうき のまま運用 うんよう され有効 ゆうこう に活用 かつよう されている。
その後 ご 、未完 みかん に終 お わったが既存 きそん 路線 ろせん と無関係 むかんけい に敷設 ふせつ される弾丸 だんがん 列車 れっしゃ 計画 けいかく においては車両 しゃりょう 限界 げんかい や軸 じく 重 じゅう などのしがらみもなく[注 ちゅう 9] [32] 、南 みなみ 満州 まんしゅう 鉄道 てつどう (満 まん 鉄 てつ )などのような大 おお きな車両 しゃりょう 限界 げんかい を持 も った標準軌 ひょうじゅんき で建設 けんせつ される予定 よてい で、この流 なが れを汲 く んだ戦後 せんご の新幹線 しんかんせん 計画 けいかく は国鉄 こくてつ 初 はつ となる標準軌 ひょうじゅんき で建設 けんせつ された。
日本 にっぽん で1,067mm軌間 きかん を採用 さいよう する主 おも な路線 ろせん は次 つぎ の通 とお り。
762 mm軌間 きかん の内部 ないぶ ・八王子 はちおうじ 線 せん
日本 にっぽん で1,067 mm未満 みまん の軌間 きかん を採用 さいよう している路線 ろせん で、現存 げんそん するものには次 つぎ のものがある。
工事 こうじ 用 よう 軌道 きどう ・森林 しんりん 軌道 きどう ・専用 せんよう 軌道 きどう
かつて存在 そんざい した路線 ろせん は非常 ひじょう に多 おお く、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか に不要 ふよう 不急 ふきゅう 線 せん として廃止 はいし されたもの、1960年代 ねんだい 前後 ぜんご に道路 どうろ 交通 こうつう の整備 せいび により役目 やくめ を終 お えて廃止 はいし されたものがある。なお、国鉄 こくてつ に存在 そんざい した特殊 とくしゅ 狭軌 きょうき 線 せん については国鉄 こくてつ の特殊 とくしゅ 狭軌 きょうき 線 せん を参照 さんしょう 。
日本 にっぽん 国内 こくない の鉱山 こうざん や、工事 こうじ 現場 げんば で使用 しよう された手押 てお しトロッコ の軌間 きかん は主 おも に610 mmと508 mmであり、機関 きかん 車 しゃ を用 もち いた工事 こうじ 用 よう 軌道 きどう は610 mmと762 mmが多 おお い。
日本 にっぽん における狭軌 きょうき の保存 ほぞん 鉄道 てつどう [ 編集 へんしゅう ]
^ 「弾丸 だんがん 鉄道 てつどう 計画 けいかく 」など
^ 逆 ぎゃく に狭軌 きょうき で広 ひろ い道床 どうしょう を使 つか うことも可能 かのう である。
^ 1846年 ねん の法 ほう 整備 せいび によってブリテン島 とう の軌間 きかん が標準軌 ひょうじゅんき に統一 とういつ されたため、スコットランドに1,372mm軌間 きかん の実用 じつよう 鉄道 てつどう は現存 げんそん していない。
^ 既存 きそん の客車 きゃくしゃ や貨車 かしゃ は大 おお きすぎて重量 じゅうりょう 過多 かた なため小型 こがた 化 か した方 ほう がよく、技術 ぎじゅつ 革新 かくしん によって狭軌 きょうき でもこれに十分 じゅうぶん な機関 きかん 車 しゃ は製造 せいぞう できるようになっていた。
^ 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 建設 けんせつ 規定 きてい (大正 たいしょう 十 じゅう 年 ねん 十 じゅう 月 がつ 十 じゅう 四 よん 日 にち )には、第 だい 十 じゅう 三 さん 条 じょう 「本線 ほんせん における曲線 きょくせん の最小 さいしょう 半径 はんけい は三 さん 百 ひゃく メートル以上 いじょう たることを要 よう す」、同 おな じく第 だい 十 じゅう 四 よん 条 じょう 「本線 ほんせん 路 ろ における勾配 こうばい は千 せん 分 ぶん の二 に 十 じゅう 五 ご より急 きゅう ならざることを要 よう す」とある。(『官報 かんぽう 1921年 ねん 10月 がつ 14日 にち 』P.2 )国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん デジタルコレクションより
^ 『蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 200年 ねん 史 し 』P148では「簡易 かんい 線 せん の最小 さいしょう 半径 はんけい が300m」とあるが「甲 かぶと 線 せん 」の誤記 ごき か直径 ちょっけい と半径 はんけい の誤 あやま りと判断 はんだん 。
^ この制限 せいげん は、後 あと で政府 せいふ が私鉄 してつ を買 か い上 あ げて国有 こくゆう 鉄道 てつどう に一体化 いったいか することを前提 ぜんてい としていたからである。また、国有 こくゆう 鉄道 てつどう が狭軌 きょうき であることから、貨物 かもつ 輸送 ゆそう を行 おこな う場合 ばあい は貨車 かしゃ の直通 ちょくつう が不可能 ふかのう になることを避 さ ける目的 もくてき もある。この法律 ほうりつ そのものは1900年 ねん (明治 めいじ 33年 ねん )施行 しこう だが、1887年 ねん (明治 めいじ 20年 ねん )の私設 しせつ 鉄道 てつどう 条例 じょうれい にすでに私鉄 してつ の軌間 きかん も三 さん 尺 しゃく 六 ろく 寸 すん 規定 きてい の説明 せつめい がある
^ 短期間 たんきかん で広 ひろ げた例 れい としては、南 みなみ 満州 まんしゅう 鉄道 てつどう (満 まん 鉄 てつ )の最初 さいしょ 期 き に1年間 ねんかん で3ft6inを4ft8inにした事 こと はあるが、これは元々 もともと ロシアが5ft軌間 きかん で敷 し いた広軌 こうき を日 にち 露 ろ 戦争 せんそう 中 ちゅう に日本 にっぽん の機関 きかん 車 しゃ を使 つか えるように軌間 きかん が3ft6inになるようにレールを中央 ちゅうおう にずらして敷 し き直 なお したのをまたずらしたものであり、元 もと をたどるとむしろ狭軌 きょうき 化 か である。
^ 島 しま が改 あらため 軌論争 そう の際 さい に描 えが いた標準軌 ひょうじゅんき 機関 きかん 車 しゃ の計画 けいかく はイギリスの車両 しゃりょう 限界 げんかい を参考 さんこう にしていたらしく、アメリカどころかヨーロッパ大陸 たいりく の機関 きかん 車 しゃ と比 くら べても一 いち 回 まわ り小 ちい さく、軸 じく 重 じゅう に至 いた っては14.37 tと、強度 きょうど 狭軌 きょうき 後 ご の日本 にっぽん の機関 きかん 車 しゃ と比 くら べても低 ひく い。
齋藤 さいとう 晃 あきら 『蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 200年 ねん 史 し 』NTT出版 しゅっぱん 、2007年 ねん 。ISBN 978-4-7571-4151-3 。
ジョン・ウェストウッド「世界 せかい の鉄道 てつどう の歴史 れきし 図鑑 ずかん 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ から超 ちょう 高速 こうそく 列車 れっしゃ までの200年 ねん ビジュアル版 ばん 」、柊 ひいらぎ 風 ふう 舎 しゃ 、2010年 ねん 9月 がつ 、ISBN 978-4-903530-39-0 。
青木 あおき 栄一 えいいち 「3フィート6インチ・ゲージ採用 さいよう についてのノート 」『文化 ぶんか 情報 じょうほう 学 がく : 駿河台大学 するがだいだいがく 文化 ぶんか 情報 じょうほう 学部 がくぶ 紀要 きよう 』第 だい 9巻 かん 、第 だい 1号 ごう 、駿河台大学 するがだいだいがく 、29-39頁 ぺーじ 、2002年 ねん 。https://www.surugadai.ac.jp/sogo/media/bulletin/Bunjo09-01_AOKI.pdf 。
『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 第 だい 1 p273』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 2篇 へん 第 だい 1施設 しせつ 』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
『鉄道 てつどう ジャーナル : 鉄道 てつどう の将来 しょうらい を考 かんが える専門 せんもん 情報 じょうほう 誌 し 3(13)(29)座談 ざだん 会 かい 戦中 せんちゅう 戦後 せんご の鉄道 てつどう 輸送 ゆそう と蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ / 衣 ころも 笠 りゅう 敦雄 あつお ; 明石 あかし 孝 たかし ; 高田 たかだ 隆雄 たかお /p19~29』鉄道 てつどう ジャーナル社 しゃ 成美 せいび 堂 どう 出版 しゅっぱん 、1969年 ねん 。