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ボツワナ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボツワナ共和きょうわこく
Lefatshe la Botswana(ツワナ
Republic of Botswana英語えいご
ボツワナの国旗 ボツワナの国章
国旗こっき くにあきら
くに標語ひょうごPula!
(ツワナ:あめ
国歌こっかFatshe leno la rona(ツワナ
わたしたちの大地だいち
ボツワナの位置
公用こうよう ツワナ英語えいご
首都しゅと ハボローネ
最大さいだい都市とし ハボローネ
政府せいふ
大統領だいとうりょう モクウィツィ・マシシ
ふく大統領だいとうりょう スランバー・ツォグワネ
国民こくみん議会ぎかい議長ぎちょうファンドゥ・スケレマニ英語えいごばん
面積めんせき
総計そうけい 581,730[1]km247
水面すいめんせきりつ 2.7%
人口じんこう
総計そうけい2021ねん 2,384,246ひと142[1]
人口じんこう密度みつど 4.1人ひとり/km2
GDP自国じこく通貨つうか表示ひょうじ
合計ごうけい2019ねん 1784おく8000まん[2]プラ
GDP(MER
合計ごうけい2019ねん165おく9200まん[2]ドル(117
1人ひとりあたり 7,219.460[2]ドル
GDP(PPP
合計ごうけい2019ねん392おく5000まん[2]ドル(118
1人ひとりあたり 17,078.472[2]ドル
独立どくりつ
 - 日付ひづけ
イギリスより
1966ねん9月30にち
通貨つうか プラBWP
時間じかんたい UTC+2 (DST:なし)
ISO 3166-1 BW / BWA
ccTLD .bw
国際こくさい電話でんわ番号ばんごう 267

ボツワナ共和きょうわこく(ボツワナきょうわこく、えい: Republic of Botswana)、通称つうしょうボツワナは、南部なんぶアフリカ位置いちする共和きょうわせい国家こっかイギリス連邦れんぽう加盟かめいこくである。みなみみなみアフリカ共和きょうわこく西にしきたナミビアひがしジンバブエきたザンビアかこまれた内陸ないりくこくである。首都しゅとハボローネ

国民こくみんの79パーセントがツワナけい民族みんぞくで、公用こうよう英語えいごツワナである。面積めんせきは56.7まん平方へいほうキロメートル。一院制いちいんせい国民こくみん議会ぎかい設置せっちされる共和きょうわせい国家こっかで、1966ねん独立どくりつ以来いらい複数ふくすう政党せいとうせい維持いじしている[3]

国名こくめい[編集へんしゅう]

正式せいしき名称めいしょう英語えいごRepublic of Botswana(リパブリック・オブ・ボツワーナ)[3]通称つうしょうBotswanaツワナLefatshe la Botswana日本語にほんご表記ひょうきボツワナ共和きょうわこく[3]通称つうしょうボツワナ

国名こくめいは「ツワナじんくに」を意味いみしている[4]。なおツワナじんはこのくにのみにいる民族みんぞくではなく、隣国りんごくみなみアフリカ共和きょうわこくにはボツワナのそう人口じんこうすうばいおよぶツワナじん存在そんざいしている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

植民しょくみん以前いぜんのボツワナに相当そうとうする地域ちいきには、セントラル地区ちくマジョジョ遺跡いせきチョベがわ南岸なんがんニュングエ遺跡いせきノースウェスト地区ちくツォディロ・ヒルズのいわ遺跡いせきなどの遺跡いせきのこっている[5]

18世紀せいき前半ぜんはん現在げんざいみなみアフリカ共和きょうわこくトランスバール地方ちほうからツワナけい人々ひとびと現在げんざいのボツワナに相当そうとうする地域ちいき移住いじゅうし、クウェナ支族しぞくセチェレ1せい在位ざいい1831ねん-1892ねん)によるバクウェナ首長しゅちょうこくタワナ支族しぞくによるバタワナ首長しゅちょうこくなどのツワナけい首長しゅちょうこくが、先住せんじゅうサンじんイェイじんカラハリじんなどを包括ほうかつしながら成立せいりつしたが、これらのかく首長しゅちょうこく1885ねんイギリスによってベチュアナランド保護ほごりょうとされ、イギリスの保護ほごりょう一部いちぶとなった[6]。また、1840年代ねんだい以降いこうにはグレート・トレックによってトランスバール地方ちほう移住いじゅうしたボーアじん現在げんざいナミビアやボツワナに相当そうとうする地域ちいきさい移住いじゅうおこない、現在げんざいのボツワナ西部せいぶハンツィ地域ちいきとボツワナ東部とうぶトゥリーブロック地域ちいき定着ていちゃくした[7]

1905ねん時点じてんでの現在げんざいのボツワナ共和きょうわこく前身ぜんしんであるイギリスりょうベチュアナランド保護ほごりょうふくむ、南部なんぶアフリカ地図ちず

1885ねんにイギリスの保護ほごりょう宣言せんげんされた時点じてんで、カトラ、クウェナ、レテ、ングワケツェ、ングワト、チディ-ロロング、ツワナ、トロクワの8つのツワナけい首長しゅちょうこく存在そんざいしたが、19世紀せいき後半こうはんヨーロッパ列強れっきょうによるアフリカ分割ぶんかつ文脈ぶんみゃくなかで、トランスヴァール共和きょうわこくから西進せいしんねらボーアじんアフリカーナー)と、みなみナミビア保護ほごりょうしたドイツ帝国ていこくあいだはさまれたツワナけい首長しゅちょうこくが、ボーアじん進出しんしゅつドイツ帝国ていこく主義しゅぎ標的ひょうてきになったことをイギリスが憂慮ゆうりょしたため、1885ねんにイギリスはチャールズ・ウォーレン英語えいごばん将軍しょうぐんひきいる遠征えんせいたい派遣はけんしてボーアじん追放ついほうし、ひがしリンポポがわ西にしはドイツ保護ほごりょうモロポかわきたにまで領域りょういきひろげてベチュアナランド保護ほごりょう建設けんせつした。1890ねんにはドイツと協定きょうていむすんでチョベがわまできた保護ほごりょう拡大かくだいし、現在げんざいのボツワナ共和きょうわこく前身ぜんしんとなる領域りょういき確立かくりつした[8]。ベチュアナランド保護ほごりょう成立せいりつ現在げんざいみなみアフリカ共和きょうわこくウィットウォーターズランド発見はっけんされていたきむ鉱脈こうみゃくきたにも存在そんざいするとしんじた冒険ぼうけんたちはベチュアナランド保護ほごりょうにもかねもとめ、イギリスみなみアフリカ会社かいしゃセシル・ローズはベチュアナランド保護ほごりょうをイギリスみなみアフリカ会社かいしゃ移管いかんするように要求ようきゅうしたが、カーマ、セベレ、バトエンの3にんのツワナけい首長しゅちょうがこのセシル・ローズの目論もくろみに反発はんぱつしてイギリス本国ほんごく抗議こうぎおとずれたため、1895ねん11月にベチュアナランド東部とうぶ一部いちぶ割譲かつじょうすることを条件じょうけんに、イギリス帝国ていこくないでのベチュアナランド保護ほごりょう自立じりつせい保持ほじされた[9]1893ねん設立せつりつされたベチュアナランド鉄道てつどう会社かいしゃによってベチュアナランド保護ほごりょうフライバーグからげんみなみアフリカ共和きょうわこくマフェキングにまで鉄道てつどう建設けんせつされ、1899ねんローデシア鉄道てつどう会社かいしゃ運営うんえい移管いかんされたこの鉄道てつどう路線ろせん1897ねんにはげんジンバブエブラワヨ1902ねんにはハラレ当時とうじ名称めいしょうはソールズベリ)とむすばれた[10]。ベチュアナランド保護ほごりょう成立せいりつ当初とうしょ、8つのツワナけい首長しゅちょうこくへの内政ないせい干渉かんしょうおこなわれない予定よていだったが、1899ねんにイギリスの総督そうとくは8つのツワナけい首長しゅちょうこく居留きょりゅう強制きょうせい指定していし、かこみがおこなわれた[11]

20世紀せいきはいり、1910ねんにイギリスじんボーアじん共同きょうどうみなみアフリカ連邦れんぽう発足ほっそくするとベチュアナランドはスワジランドレソトともみなみアフリカ駐在ちゅうざいのイギリスの高等こうとう弁務べんむかん管轄かんかつかれ、1920ねんにはヨーロッパじん諮問しもん評議ひょうぎかいが、1921ねんにはアフリカじん諮問しもん評議ひょうぎかい設立せつりつされ、1939ねんだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつにはベチュアナランド保護ほごりょうからも1まんにん以上いじょう兵士へいしとして動員どういんされたことをて、だい世界せかい大戦たいせんの1950ねんりょう評議ひょうぎかい合併がっぺいして合同ごうどう諮問しもん評議ひょうぎかい設立せつりつされた[12][13]

1960ねん憲法けんぽう制定せいていされたのち1962ねんセレツェ・カーマによってベチュアナランド民主党みんしゅとう(BDP)が創設そうせつされ、セレツェ・カーマひきいるBDPは1965ねん3月のそう選挙せんきょ勝利しょうりしたのち首長しゅちょう会議かいぎ同意どうい1966ねん2がつロンドンでの制憲せいけん会議かいぎ1966ねん9月30にちボツワナ共和きょうわこくとして独立どくりつ達成たっせいした[14]

独立どくりつ当時とうじのボツワナは最貧さいひんこくのひとつであり、国内こくないインフラストラクチャーいにひとしい状態じょうたいにあった。初代しょだい大統領だいとうりょうセレツェ・カーマは、白人はくじん主導しゅどうのアパルトヘイト政策せいさく採用さいようするみなみアフリカ共和きょうわこくみなみアフリカ共和きょうわこく占領せんりょうするナミビアイアン・スミス白人はくじん政権せいけんローデシアかこまれた地勢ちせいなか人種じんしゅあいだ融和ゆうわおもんじ、周辺しゅうへんこくとの関係かんけい悪化あっかける慎重しんちょう政策せいさくった。幸運こううんなことに、独立どくりつ直後ちょくご1967ねん国内こくない世界せかい最大さいだい規模きぼダイヤモンド鉱山こうざんたるオラパ鉱山こうざんデビアスしゃによって発見はっけんされ、この収益しゅうえき初等しょとう教育きょういく医療いりょう・インフラ整備せいびといった分野ぶんやまわされたことが、ボツワナの経済けいざい発展はってんいしずえとなった[15]。また、独立どくりつ、セレツェ・カーマ大統領だいとうりょう1969ねん国際こくさい連合れんごう総会そうかいはん人種じんしゅ主義しゅぎ宣言せんげんしたのち1970ねんソ連それんと、1974ねん3がつ中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく国交こっこうむすび、1977ねんにはローデシアとの国境こっきょう封鎖ふうさした[16]。セレツェ・カーマ大統領だいとうりょう1980ねん死去しきょする。

いだだい2だい大統領だいとうりょうクェット・マシーレもセレツェ・カーマの政策せいさく継承けいしょうし、そのも1999ねんまでボツワナ経済けいざい非常ひじょうたか1人ひとりたり経済けいざい成長せいちょうりつ記録きろくつづけた。1990年代ねんだい以降いこう、ボツワナは深刻しんこくエイズわざわい見舞みまわれている一方いっぽう国民こくみんいちにんたりのそう所得しょとく2012ねん時点じてんで6,994ドルまで成長せいちょうしている。

1966ねん独立どくりつ以来いらい一貫いっかんしてボツワナ民主党みんしゅとう(BDP)が執政しっせいとうとなっており、1998ねんフェスタス・モハエだい3だい大統領だいとうりょう就任しゅうにんし、2008ねんイアン・カーマだい4だい大統領だいとうりょう就任しゅうにん2018ねんにはモクウィツィ・マシシだい5だい大統領だいとうりょう就任しゅうにんした[3]

地方ちほう行政ぎょうせい区分くぶん[編集へんしゅう]

ボツワナのディストリクト

ボツワナは10つの地区ちくと7つの都市とし地区ちく区分くぶんされ、さらにサブ・ディストリクトにけられる。

  1. セントラル地区ちく
  2. チョベ地区ちく
  3. ハンツィ地区ちく
  4. カラハリ地区ちく
  5. カトレン地区ちく
  6. クウェネン地区ちく
  7. ノースイースト地区ちく
  8. ノースウェスト地区ちく
  9. サウスイースト地区ちく
  10. サザン地区ちく
  11. フランシスタウン
  12. ハボローネ
  13. ジュワネン
  14. ロバツェ
  15. セレビ・ピクウェ
  16. ソワ

主要しゅよう都市とし[編集へんしゅう]

ハボローネ (Gaborone)
首都しゅとであり国内こくない最大さいだい都市としであるハボローネの大半たいはん住宅じゅうたくによって構成こうせいされている。住宅じゅうたくなか上流じょうりゅう階層かいそう高級こうきゅう住宅じゅうたくと、てい所得しょとくしゃそう住宅じゅうたくにわかれる。市内しないには多数たすうショッピングモールスーパーマーケットがある。国土こくどひろいこともあり経済けいざい規模きぼわりには高層こうそうビルはすくないが、国内こくない企業きぎょう本社ほんしゃ外国がいこく企業きぎょうのオフィスが集中しゅうちゅうしており、ITや交通こうつうインフラが整備せいびされている。
フランシスタウン (Francistown)
ノースイースト地区ちくにある国内こくないだい2の都市とし鉄道てつどうをはじめとする交通こうつう要衝ようしょうでもある。
マウン (Maun)
ノースウェスト地区ちく最大さいだい都市としチョベ国立こくりつ公園こうえんオカヴァンゴ・デルタもっとちか都市としであり、国際線こくさいせん就航しゅうこうするなど観光かんこう拠点きょてんとなっている。
セロウェ (Serowe)
セントラル地区ちく州都しゅうと。ボツワナの交通こうつう要所ようしょとなっている都市とし最大さいだい部族ぶぞくングワトの首都しゅとである。
カサネ (Kasane)
ノースウェスト地区ちくとジンバブエとの国境こっきょうにある都市とし

地理ちり[編集へんしゅう]

ボツワナの地図ちず
オカヴァンゴ・デルタ

国土こくど面積めんせき世界せかい44。なお、国土こくどやく17%が政府せいふにより指定してい保護ほごとされ、開発かいはつから手付てつかずでのこされており、世界せかい各国かっこくから観光かんこうきゃく研究けんきゅうしゃおとずれる。

ボツワナは南部なんぶアフリカの内陸ないりく位置いちし、周縁しゅうえん高地こうちかこまれ、うみからすうひゃくキロメートル以上いじょうへだたった内陸ないりくこくであり、見渡みわたかぎりの平原ひらはらひろがる盆地ぼんち中央ちゅうおうにある。また、位置いち南緯なんい18~27であり、だい部分ぶぶん熱帯ねったいぞくするが、海抜かいばつ1000メートル前後ぜんこうたかいため、とし平均へいきん気温きおんは20~23温帯おんたいみである。しかし、気温きおん変動へんどうはばおおきく、なつには酷暑こくしょがあるが、ふゆには氷点下ひょうてんかまでがるがある。ぶしは、なつ雨季うきふゆ乾季かんきとに二分にぶんされる。雨季うきは11月にはじまり、つぎとしの3がつまでつづく。乾季かんきは5月からはじまり9がつまできびしい乾燥かんそうつづく。このうちの6~8がつふゆであり、晴天せいてんつづき、にちちゅうあつく、よる気温きおん急激きゅうげきがり、氷点下ひょうてんかになることもある[17]

北部ほくぶにはサバンナ気候きこうのためサバンナおおうが、サバンナにもまばらに低木ていぼくくさしげってえてるところがある。中西部ちゅうせいぶ大半たいはんカラハリ砂漠さばくおおわれており、きたには沼地ぬまち地帯ちたいひろがる。多少たしょう降雨こううがあり、おおくはステップ気候きこう分類ぶんるいされる。南部なんぶはほぼ砂漠さばくになっており、リンポポがわモロポかわみなみアフリカとの国境こっきょうになっている。

なお、首都しゅとのハボローネをはじめとする都市としはオフィスビルもおおく、各種かくしゅ交通こうつうやITなどのインフラストラクチャーととのっているものの、政府せいふ自然しぜん保護ほご政策せいさくけておおくのみどりのこされている。

政治せいじ[編集へんしゅう]

共和きょうわせい[編集へんしゅう]

国会こっかい

ボツワナは政体せいたい共和きょうわせい採用さいようする立憲りっけん国家こっかである。両院りょういんせい国会こっかいち、現行げんこう憲法けんぽう1966ねん9月30にち公布こうふされた。

国家こっか元首げんしゅである大統領だいとうりょうは、同時どうじ行政府ぎょうせいふちょうねる。議院ぎいんないかくせいをとっており[18]大統領だいとうりょう国会こっかいにより選出せんしゅつされ、任期にんきは5ねん。3せん禁止きんしされている。ふく大統領だいとうりょうおよび閣僚かくりょう大統領だいとうりょうにより任命にんめいされる。首相しゅしょうしょくはない(独立どくりつまえのベチュアナランド自治じち政府せいふには1965ねんから1966ねんにかけて設置せっちされていたが、独立どくりつとともに廃止はいしされた)。

議会ぎかい[編集へんしゅう]

議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ施行しこうされており、立法府りっぽうふ一院制いちいんせい国民こくみん議会ぎかいである。63議席ぎせきあり、57議席ぎせき国民こくみん直接ちょくせつ選挙せんきょ、4議席ぎせき与党よとう、2議席ぎせき大統領だいとうりょう司法しほう長官ちょうかんにより任命にんめいされ、任期にんきは5ねんである。なお、国民こくみん議会ぎかい諮問しもん機関きかんとして、15議席ぎせき首長しゅちょう会議かいぎ設置せっちされている。任期にんきさだめられていないツワナぞく伝統でんとうてき首長しゅちょうたち8めいのほか、ふく首長しゅちょうなどが5ねん任期にんきで7めい任命にんめいされる。首長しゅちょう会議かいぎにはあくまで諮問しもん機関きかんとしての権限けんげんしかなく、立法りっぽうけん国民こくみん議会ぎかい存在そんざいする。

政情せいじょう[編集へんしゅう]

ボツワナはアフリカでは数少かずすくない、政情せいじょう継続けいぞくして安定あんていしているくにひとつである。複数ふくすう政党せいとうせいもとづく民主みんしゅ主義しゅぎせい機能きのうしており、独立どくりつ以来いらいクーデター内戦ないせんいちきたことがない。

1966ねん独立どくりつ以来いらい最大さいだい政党せいとうボツワナ民主党みんしゅとう(BDP)が政権せいけんたもっているが、ボツワナ国民こくみん戦線せんせん (BNF) やボツワナ会議かいぎとう (BCP) といった右派うは左派さは中道ちゅうどうかく政党せいとう国民こくみん議会ぎかい議席ぎせきち、実質じっしつった野党やとうとして活動かつどうしている。選挙せんきょ制度せいど単純たんじゅんしょう選挙せんきょせい建国けんこく以来いらい採用さいようしている[19]

国家こっか安全あんぜん保障ほしょう[編集へんしゅう]

ボツワナ国防こくぼうぐん陸軍りくぐん空軍くうぐんによって構成こうせいされており、じゅん軍事ぐんじ組織そしきとして警察けいさつ英語えいごばん機動きどうたい存在そんざいする。徴募ちょうぼ制度せいど志願しがんせい内陸ないりくこくため海軍かいぐん保有ほゆうしておらず、河川かせん湖沼こしょう哨戒しょうかいする軍事ぐんじてき組織そしき保有ほゆうしていない。3つの組織そしきわせたそう兵力へいりょくは10,500にん

ボツワナは、軍事ぐんじかんする公式こうしき予算よさんしょ入手にゅうしゅ困難こんなんくにである。2018ねん11月、ストックホルム国際こくさい平和へいわ研究所けんきゅうじょサハラ砂漠さはらさばく以南いなん地域ちいきアフリカ諸国しょこくにおける軍事ぐんじ透明とうめいせいについて報告ほうこくしたが、ボツワナは「フランススイスから武器ぶき購入こうにゅうして軍事ぐんじ急増きゅうぞうしているが、国家こっかとしての防衛ぼうえい政策せいさく武器ぶき調達ちょうたつかんする政府せいふ情報じょうほう欠落けつらくしており、透明とうめいせい悪化あっかしている」と報告ほうこくしている[20]

国際こくさい関係かんけい[編集へんしゅう]

ボツワナが外交がいこう使節しせつ派遣はけんしている諸国しょこく一覧いちらん
2011ねん3月22にちざいボツワナ日本にっぽん大使館たいしかんにて東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい犠牲ぎせいしゃ弔意ちょういあらわ記帳きちょうするボツワナの子供こどもたち。

近隣きんりん諸国しょこくのみならず、きゅう宗主そうしゅこくイギリスふくヨーロッパ諸国しょこく日本にっぽんふくアジア各国かっこくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくなどと友好ゆうこう関係かんけいたもっている。また、かつてはアパルトヘイト政策せいさくっていた隣国りんごくみなみアフリカとは対立たいりつ関係かんけいにあったが、みなみアフリカの方向ほうこう転換てんかんともない、近年きんねん友好ゆうこうてき関係かんけいたもっている。なお、イギリス連邦れんぽう加盟かめいこくである。

南部なんぶアフリカ開発かいはつ共同きょうどうたい (SADC) の議長ぎちょうこく1980年代ねんだいから1990年代ねんだいにかけて長年ながねんつとめたほか首都しゅとのハボローネに事務じむきょく設置せっちしている。また国際こくさい連合れんごう安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい常任じょうにん理事りじこくとなったこともある。

日本にっぽんとの関係かんけい[編集へんしゅう]

1966ねん独立どくりつ直後ちょくご正式せいしき外交がいこう関係かんけい樹立じゅりつし、1999ねんには、ちゅうにち大使館たいしかん東京とうきょうみなとしば4丁目ちょうめ設置せっちされたほか非常駐ひじょうちゅうちゅうボツワナ日本国にっぽんこく大使館たいしかんざいみなみアフリカ日本国にっぽんこく大使館たいしかんうち設置せっちされている[3]2002ねんムーディーズ日本にっぽん長期ちょうき国債こくさい格付かくづをA2にげ、ボツワナ国債こくさい(A1)よりしたになったことが話題わだいとなった(その日本にっぽん国債こくさい格付かくづけがふたた上位じょういになった)[21]。これをけて、当時とうじ経済けいざい産業さんぎょう大臣だいじん平沼ひらぬま赳夫たけおが、ボツワナにエイズ患者かんじゃおおいことをいにして日本にっぽん国債こくさい格付かくづげを批判ひはんし、撤回てっかいするというハプニングもあった[22]

2006ねんには国交こっこう成立せいりつ40周年しゅうねん記念きねんし、ちゅうにち大使館たいしかん主催しゅさいして「ボツワナ・ウィーク」が開催かいさいされた。また、このパーティーがえんとなり、ボツワナ政府せいふNHKグループに教育きょういく専門せんもんチャンネル設立せつりつ協力きょうりょく要請ようせいし、NHKグループはコンサルタントを派遣はけんし、番組ばんぐみ製作せいさくのノウハウをおしえた[23]

2008ねん1がつ、ボツワナの首都しゅとハボローネに日本にっぽん大使館たいしかん開設かいせつされる[3]同年どうねん6がつ民間みんかん登用とうようされた三井物産みついぶっさん九州きゅうしゅう支店してんちょう)・松山まつやま良一りょういちがハボローネ常駐じょうちゅうとしては初代しょだいとなる特命とくめい全権ぜんけん大使たいし就任しゅうにんした[24]。また、2010ねん10月にはイアン・カーマ大統領だいとうりょう実務じつむ訪問ほうもん賓客ひんきゃくとして訪日ほうにちし、天皇てんのうかん直人なおと首相しゅしょう会談かいだんするなど、きわめて友好ゆうこうてき関係かんけいにある。

なお、下記かきのようにボツワナはちゅう所得しょとくこく分類ぶんるいされ、日本にっぽん一般いっぱんプロジェクト無償むしょう資金しきん協力きょうりょく供与きょうよ基準きじゅん上回うわまわっていることから、おおくの近隣きんりん諸国しょこくことなり一般いっぱん無償むしょう資金しきん協力きょうりょく事業じぎょう対象たいしょうがいとなっている。日本にっぽんからのえん借款しゃっかん環境かんきょう対策たいさく災害さいがい対策たいさくなどにかぎられている。

  • 在留ざいりゅう日本人にっぽんじんすう - 48にん(2022ねん10がつ[3]
  • 在日ざいにちボツワナ人数にんずう - 66にん(2022ねん6がつ[3]

北朝鮮きたちょうせんとの関係かんけい[編集へんしゅう]

1974ねんにボツワナは北朝鮮きたちょうせんとの国交こっこう樹立じゅりつしたが[25]、その40ねん2014ねん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこくにおける人権じんけんかんする国連こくれん調査ちょうさ委員いいんかい報告ほうこくしょ白日はくじつしたさらされた北朝鮮きたちょうせんにおける人権じんけん蹂躙じゅうりん非難ひなんして、北朝鮮きたちょうせんとの外交がいこう関係かんけい領事りょうじ関係かんけいすべ断絶だんぜつした。そのは、いかなる形態けいたい外交がいこう関係かんけいたもたれていない[26]

経済けいざい[編集へんしゅう]

通貨つうか[編集へんしゅう]

ボツワナの通貨つうか単位たんいは「プラ」(pula)。国際こくさい通貨つうかコード (ISO 4217) は「BWP」。補助ほじょ通貨つうか単位たんいは「テベ」(thebe) で、1プラ=100テベ。プラとテベはそれぞれ、「P」と「t」にりゃくされる。

ちゅう所得しょとくこく[編集へんしゅう]

IMF統計とうけいによると、2017ねんGDPやく174おくドル。一人ひとりたりのGDPは推定すいてい7,584ドルで世界せかい水準すいじゅん比較ひかくしておよそ70%、隣国りんごくみなみアフリカ(6,180ドル)を上回うわまわりアフリカ全体ぜんたいでは、推定すいていではあるが、4というたかさに位置いちする[27]

ボツワナは1966ねん独立どくりつ以後いごゆたかな天然てんねん資源しげん手堅てがた経済けいざい政策せいさく安定あんていした政治せいじじょういわんたか教育きょういく程度ていどもとづき、世界せかい最高さいこう水準すいじゅん経済けいざい成長せいちょうりつ1980年代ねんだいすえまで維持いじつづけた。その結果けっかおおくのアフリカ諸国しょこくとはことなり1994ねんに「世界せかい最貧さいひんこくグループ」からし(指定してい解除かいじょ)、1人ひとりたりGDPモンテネグロドミニカ共和国どみにかきょうわこくどうクラスの世界せかい80前後ぜんこう位置いちし、「ちゅう所得しょとくこく」に分類ぶんるいされるなど、アフリカの優等生ゆうとうせいといわれ、堅実けんじつ経済けいざい状況じょうきょうたもつづけている。

なお、200まんにんたない人口じんこうしかないものの、そうGDP為替かわせレート)は、ボツワナより人口じんこうおおラオスジンバブエボスニア・ヘルツェゴビナなどとどう程度ていど世界せかい120前後ぜんこうとなっている。

産業さんぎょう多角たかく推進すいしん[編集へんしゅう]

2017ねんインフレりつは3.3%[28]比較的ひかくてき安定あんていしているうえどう年度ねんど経済けいざい成長せいちょうりつは2.4%[29]安定あんていした経済けいざい成長せいちょうりつたもつづけているものの、世界銀行せかいぎんこう統計とうけいでは、2010ねん失業しつぎょうりつが17.9%[29]で、2007ねん民間みんかん調査ちょうさ結果けっかでは40%ちか失業しつぎょうりつ報告ほうこくされている。このためボツワナ政府せいふ国内こくない雇用こよう所得しょとくやそうと、デビアスにはたらきかけてDiamond Trading Company Botswana(DTCB)を共同きょうどうでハボローネに設立せつりつし、かつては原石げんせきのまま輸出ゆしゅつされていたダイヤモンドの選別せんべつ販売はんばい機能きのう誘致ゆうちした[21]後述こうじゅつの「DTC」のこう参照さんしょう)。

たか国民こくみん教育きょういくレベルやインフラストラクチャー整備せいびをバックに、産業さんぎょう多角たかく外資がいし積極せっきょく導入どうにゅうおこない、これを克服こくふくしようとしている。実際じっさいに、外資がいし積極せっきょく導入どうにゅう推進すいしんするために為替かわせ自由じゆう導入どうにゅうしたほか、外国がいこく企業きぎょうたいする優遇ゆうぐう税制ぜいせい導入どうにゅうや、ひく法人ほうじん税率ぜいりつ導入どうにゅう実現じつげんし、さらに汚職おしょく防止ぼうしさく導入どうにゅう政府せいふによる職業しょくぎょう訓練くんれん導入どうにゅうなどをすすめている。しかし、長年ながねん課題かだいである経済けいざい多角たかくについては、まだおおきな成果せいかはあがっていない。

農業のうぎょうでは、牛肉ぎゅうにくする牧畜ぼくちくさかんであるものの、野菜やさい主食しゅしょくとなる穀物こくもつみなみアフリカ共和きょうわこくからの輸入ゆにゅうおお[21]

ただし、2018ねん時点じてんで、経済けいざい多角たかく失敗しっぱいしているという評価ひょうかがある。ボツワナ経済けいざい中心ちゅうしんであるダイヤモンド鉱山こうざんは、2016ねん時点じてんで、のこり20ねんほどで枯渇こかつするとかんがえられており、多角たかく推進すいしん急務きゅうむとされる[30]

インフラ整備せいび[編集へんしゅう]

これらの堅実けんじつ経済けいざい状況じょうきょうともない、ガス電気でんき水道すいどう通信つうしん交通こうつうあみなどの基本きほんインフラストラクチャーや、携帯けいたい電話でんわあみITインフラストラクチャーも都市とし中心ちゅうしんととのえられている。さらに国内こくない都市とし中心ちゅうしんとした高速こうそく道路どうろ整備せいびすすめられている。

工業こうぎょう農業のうぎょう[編集へんしゅう]

ジョワネンダイヤモンド鉱床こうしょう
モレミ野生やせい動物どうぶつ保護ほごうちやすライオン親子おやこ

農業のうぎょう部門ぶもんでは、自給じきゅう農業のうぎょううしひつじ畜産ちくさん中心ちゅうしんで、牛肉ぎゅうにく輸出ゆしゅつ割合わりあいおおきい。食品しょくひん加工かこうなどの軽工業けいこうぎょう発展はってんしているものの、現在げんざいのところ重工業じゅうこうぎょうやハイテク産業さんぎょうはほとんど発達はったつであり、しょ外国がいこくからの誘致ゆうちすすめている。

鉱物こうぶつ資源しげん[編集へんしゅう]

ダイヤモンド鉱床こうしょうが1967ねん発見はっけんされたのにつづき、1970年代ねんだい多数たすう鉱床こうしょう相次あいついで発見はっけんされたため、ダイヤモンドの採鉱さいこう事業じぎょうは、ボツワナ経済けいざい中心ちゅうしんとなっている。ダイヤモンドだけで、GDPの3ぶんの1をえ、輸出ゆしゅつ総額そうがくの75%から90%、くに歳入さいにゅうやく半分はんぶんめる。その鉱物こうぶつ資源しげんとしては、どうニッケルなどがあり、これらの輸出ゆしゅつによって外貨がいかている。

2017ねんオークション出品しゅっぴんされたボツワナさんダイアモンド、レセディ・ラ・ロナ(ツワナわたしたちのひかりという意味いみ)は、1,109カラットおおきさの原石げんせきであり、オークション出品しゅっぴんされ、ダイアモンドとしては過去かこ最大さいだいおおきさのものとして話題わだいとなった(入札にゅうさつ不調ふちょうわっている)[31]

なお、2016ねん時点じてんで、ダイヤモンド鉱山こうざんのこり20ねん枯渇こかつするという調査ちょうさがあり、経済けいざい多角たかく必要ひつようとされている[30]

DTC[編集へんしゅう]

2008ねんにロンドンにあったデビアスダイヤモンド・トレーディング・カンパニー (DTC) をロンドンからボツワナの首都しゅとハボローネへの誘致ゆうち成功せいこうした。その影響えいきょうおおくの研磨けんま工場こうじょうつくられた。

観光かんこう[編集へんしゅう]

オカバンゴ湿地しっちたいチョベ国立こくりつ公園こうえんカラハリ砂漠さばくやモレミ野生やせい動物どうぶつ保護ほごなど観光かんこう資源しげん豊富ほうふうえに、近隣きんりん諸国しょこくくら治安ちあん政情せいじょう安定あんていしていることや、政府せいふ観光かんこうちかられていることから観光かんこうきゃく堅実けんじつ増加ぞうかしており、政府せいふ主導しゅどう国内こくないホテル整備せいびすすめるなどさらなる観光かんこうきゃく誘致ゆうちおこなっている。

データ[編集へんしゅう]

CIAザ・ワールド・ファクトブック』による2000ねん輸出入ゆしゅつにゅうデータは以下いかとおり。

輸出ゆしゅつ品目ひんもく
ダイヤモンド 90%、どう、ニッケル、ソーダはい工業こうぎょうよう炭酸たんさんナトリウム)、にく織物おりもの
輸出ゆしゅつさき
欧州おうしゅう自由じゆう貿易ぼうえき連合れんごう (EFTA) 87%、南部なんぶアフリカ関税かんぜい同盟どうめい (SACU) 7%、ジンバブエ 4%。
輸入ゆにゅう品目ひんもく
食料しょくりょうひん機械きかいるい電化でんか製品せいひん輸送ゆそう設備せつび織物おりもの石油せきゆ燃料ねんりょう石油せきゆ製品せいひん木製品もくせいひんかみ製品せいひん金属きんぞく金属きんぞく製品せいひん
輸入ゆにゅうさき
南部なんぶアフリカ関税かんぜい同盟どうめい (SACU) 74%、欧州おうしゅう自由じゆう貿易ぼうえき連合れんごう (EFTA) 17%、ジンバブエ 4%。

交通こうつう[編集へんしゅう]

国内こくない[編集へんしゅう]

エア・ボツワナATR42がた

国内こくないには路線ろせんバス航空機こうくうきによる路線ろせんもう整備せいびされている。なお、路線ろせんバスや航空こうくうもう整備せいびくらべて、国内こくない鉄道てつどうあみあま整備せいびされていないものの、近隣きんりん諸国しょこくあいだとの国際こくさい列車れっしゃ運行うんこうされている。

自家用じかよう自動車じどうしゃ普及ふきゅうりつたかうえ都市とし道路どうろ整備せいびすすんでいるものの、高速こうそく道路どうろあみ整備せいび都市とし以外いがいすすんでいない。なお、きゅう宗主そうしゅこくのイギリスや日本にっぽん同様どうよう左側ひだりがわ通行つうこうである。

国際こくさい[編集へんしゅう]

ハボローネやマウンなどの複数ふくすう都市とし国際こくさい定期ていき便びんれており、ハボローネのセレツェカーマ国際こくさい空港くうこうみなみアフリカ共和きょうわこくヨハネスブルグや、ケニアナイロビあいだには頻繁ひんぱん定期ていき便びん運航うんこうされている。さらに、隣国りんごくみなみアフリカ共和きょうわこくジンバブエとのあいだには国際こくさい列車れっしゃ定期ていき長距離ちょうきょりバスが頻繁ひんぱん運行うんこうされている。

また、現在げんざい日本にっぽんとのあいだには直行ちょっこう便びん運航うんこうされていないが、ヨーロッパかく都市としみなみアフリカ共和きょうわこくからフラッグ・キャリアエア・ボツワナなどの定期ていき便びんでハボローネへはいこと一般いっぱんてきである。

国民こくみん[編集へんしゅう]

南部なんぶアフリカ地域ちいき平均へいきん寿命じゅみょう推移すいいあかがボツワナ)。エイズ蔓延まんえんにより、1990年代ねんだいにかけて平均へいきん寿命じゅみょう低下ていかしている。

人口じんこう[編集へんしゅう]

ボツワナの人口じんこうは、独立どくりつまえの1961ねんに33まん2000にんだった[32]ものが1986ねんには113まんにん[33]、2017ねんには229まんにんにまで増加ぞうかした[34]

民族みんぞく[編集へんしゅう]

もともとコイサン語族ごぞくぞくする言語げんごはな人々ひとびとんでいたが、17世紀せいきなか南部なんぶ現在げんざいみなみアフリカより移動いどうしてきたツワナじん支配しはいした。コイサンけい言語げんごもちいる人々ひとびと人口じんこうすくないが現在げんざい国内こくない各地かくちんでいる。

かれらは従来じゅうらい狩猟しゅりょう採集さいしゅうなどの移動いどう生活せいかつをしていたが、現在げんざいではくにによる定住ていじゅう政策せいさくがかなりすす以前いぜんのような生活せいかつをしているひとすくない。このくに人口じんこうやく79%をツワナじんめ、ショナけいのカランガじんが11%にはツワナじんからバサルワとばれるサンじん(グイ、ガナ、3%)、ツワナけいだが少数しょうすうカラハリじん白人はくじんなどが7%んでいる[35]

言語げんご[編集へんしゅう]

公用こうよう英語えいご話者わしゃ2.1%)である。一般いっぱんツワナ (78.2%)、ショナけいのカランガ (7.9%)、ツワナけいのカラハリ (2.8%)、その (8.6%) が使つかわれており、不明ふめいが0.4%[35]

宗教しゅうきょう[編集へんしゅう]

伝統でんとう信仰しんこうキリスト教きりすときょうがそれぞれ半分はんぶん程度ていどである。

保健ほけん[編集へんしゅう]

かつてはエイズ (HIV/AIDS) 感染かんせんりつ世界せかい最高さいこう(2000ねん調査ちょうさ成人せいじんの38.8%)となっていた。政府せいふは、くに歳入さいにゅうおおくを失業しつぎょう対策たいさくとエイズ対策たいさくそそぎこまざるをない状況じょうきょうである。かつてはアフリカでもっと平均へいきん寿命じゅみょうながくにひとつだったが、エイズが蔓延まんえんした影響えいきょう現在げんざい平均へいきん寿命じゅみょうは50さい非常ひじょうみじかい。政府せいふのエイズ対策たいさく結果けっか、2001ねんをピークに感染かんせんりつ減少げんしょうしているが、2013ねんのデータで感染かんせんりつ21.9%(世界せかい3)と依然いぜんとしてたか[36]

なお、衛生えいせい状態じょうたい近隣きんりん諸国しょこくくらべてく、水道すいどうすいむことも可能かのうである。

婚姻こんいん[編集へんしゅう]

婚姻こんいん女性じょせいは、婚前こんぜんせいをそのままもちいること(夫婦ふうふ別姓べっせい)、おっとせいへの改姓かいせい夫婦ふうふ同姓どうせい)、ふくあいせいおっと氏名しめいに「Mrs.」を追加ついかしたものとする、のうちより選択せんたくすることができる[37]

教育きょういく[編集へんしゅう]

ボツワナ政府せいふ教育きょういくちかられているうえに、安定あんていした政治せいじ経済けいざい背景はいけいに、公立こうりつ学校がっこう国立こくりつ学校がっこう私立しりつ学校がっこう全国ぜんこく規模きぼ整備せいびされている。2003ねん推計すいけいによれば、15さい以上いじょう国民こくみん識字しきじりつは81.2%である[35]。これはアフリカ諸国しょこくだけでなく、世界せかいでもたかほう分類ぶんるいされる。おも高等こうとう教育きょういく機関きかんとしては、ボツワナ大学だいがく(1982ねん開校かいこう)がげられる。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

ツォディロ

文学ぶんがく[編集へんしゅう]

ボツワナの作家さっかとして、法律ほうりつでもあるユニティ・ダウ英語えいごばんや、みなみアフリカ出身しゅっしんベッシー・ヘッドなどがいる。

音楽おんがく[編集へんしゅう]

世界せかい遺産いさん[編集へんしゅう]

ボツワナ国内こくないには、ユネスコ世界せかい遺産いさんリストに登録とうろくされた文化ぶんか遺産いさん自然しぜん遺産いさんかく1けん存在そんざいする。

祝祭日しゅくさいじつ[編集へんしゅう]

日付ひづけ 日本語にほんご表記ひょうき 現地げんち表記ひょうき 備考びこう
1がつ1にち-2にち 元日がんじつ
移動いどう祝日しゅくじつ せい金曜日きんようび 3月 - 4がつ
移動いどう祝日しゅくじつ 復活ふっかつさい後月しつき曜日ようび 3月 - 4がつ
5月1にち メーデー
移動いどう祝日しゅくじつ おも昇天しょうてん 復活ふっかつさいの40にち
7がつ1にち サー・セレツェ・カーマ 初代しょだい大統領だいとうりょう誕生たんじょう
7がつだい3月曜日げつようび 大統領だいとうりょう
大統領だいとうりょう翌日よくじつ 国民こくみん休日きゅうじつ 大統領だいとうりょうとその翌日よくじつ休日きゅうじつとなる
9月30にち 独立記念日どくりつきねんび
10月1にち 国民こくみん休日きゅうじつ 独立どくりつ記念きねんとその翌日よくじつ休日きゅうじつとなる
12月25にち クリスマス
12月26にち ボクシング・デー
祝日しゅくじつ日曜にちよう場合ばあい翌日よくじつ振替ふりかえ休日きゅうじつとなる

スポーツ[編集へんしゅう]

きゅう宗主そうしゅこくであるイギリス影響えいきょうけて、ボツワナではサッカークリケットゴルフテニスなどがさかんなスポーツとなっている。ハボローネ郊外こうがいにはゴルフコース隣接りんせつした本格ほんかくてきな「ゴルフリゾートホテル」もある。2010年代ねんだいより陸上りくじょう競技きょうぎまぐるしい活躍かつやくせており、アイザック・マクワラナイジェル・アモスといった世界せかいてき選手せんしゅ輩出はいしゅつしている。アモスは2012ねんロンドン五輪ごりん男子だんし800mぎんメダルを獲得かくとくしている。

サッカー[編集へんしゅう]

ボツワナ国内こくないサッカー圧倒的あっとうてきに1ばん人気にんきのスポーツとなっており、1966ねんにプロサッカーリーグのボツワナ・プレミアリーグ創設そうせつされた。ボツワナサッカー協会きょうかい英語えいごばんによって構成こうせいされるサッカーボツワナ代表だいひょうは、これまでFIFAワールドカップへの出場しゅつじょうれきはない。アフリカネイションズカップには2012ねん大会たいかいはつ出場しゅつじょうたしたが、グループリーグ3連敗れんぱい最下位さいかい敗退はいたいした。

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b UNdata”. 国連こくれん. 2022ねん8がつ19にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, October 2021” (英語えいご). IMF (2021ねん10がつ). 2021ねん11月2にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h ボツワナ基礎きそデータ | 外務省がいむしょう
  4. ^ ボツワナ共和きょうわこく東京とうきょう都立とりつ図書館としょかん”. 東京とうきょう都立とりつ図書館としょかん. 2023ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  5. ^ 浦野うらの義人よしひと考古こうこ遺跡いせき――いまきる文化ぶんか遺産いさん」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、192-197ぺーじ
  6. ^ 池谷いけがや和信かずのぶ首長しゅちょうこく誕生たんじょう変貌へんぼう――19世紀せいきのツワナじん」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、202-206ぺーじ
  7. ^ 池谷いけがや和信かずのぶ「アフリカーナーの移住いじゅうとハンシーの牧場ぼくじょう――カラハリ砂漠さばく白人はくじんマイノリティ」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、213-216ぺーじ
  8. ^ 北川きたがわ勝彦かつひこ植民しょくみん鉄道てつどう建設けんせつ――植民しょくみん分割ぶんかつ翻弄ほんろうされる内陸ないりくこく」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、207-208ぺーじ
  9. ^ 北川きたがわ勝彦かつひこ植民しょくみん鉄道てつどう建設けんせつ――植民しょくみん分割ぶんかつ翻弄ほんろうされる内陸ないりくこく」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、208-209ぺーじ
  10. ^ 北川きたがわ勝彦かつひこ植民しょくみん鉄道てつどう建設けんせつ――植民しょくみん分割ぶんかつ翻弄ほんろうされる内陸ないりくこく」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、209ぺーじ
  11. ^ 北川きたがわ勝彦かつひこ植民しょくみん鉄道てつどう建設けんせつ――植民しょくみん分割ぶんかつ翻弄ほんろうされる内陸ないりくこく」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、210ぺーじ
  12. ^ 北川きたがわ勝彦かつひこ植民しょくみん鉄道てつどう建設けんせつ――植民しょくみん分割ぶんかつ翻弄ほんろうされる内陸ないりくこく」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、210-211ぺーじ
  13. ^ ほしあきらはやしあきら『アフリカ現代げんだいI──総説そうせつ南部なんぶアフリカ』 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ世界せかい現代げんだい13〉、東京とうきょう、1988ねん8がつ20日はつか初版しょはんだいさんさつ、238ぺーじ
  14. ^ ほしあきらはやしあきら『アフリカ現代げんだいI──総説そうせつ南部なんぶアフリカ』 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ世界せかい現代げんだい13〉、東京とうきょう、1988ねん8がつ20日はつか初版しょはんだいさんさつ、238-239ぺーじ
  15. ^ 鈴木すずき哲夫てつお/ぬま田安たやすいさお「ボツワナにダイヤモンドあり――世界せかいほこるダイヤモンド生産せいさんこく」『ボツワナをるための52しょう池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ99〉、東京とうきょう、2012ねん5がつ31にち初版しょはんだい1さつ、244-248ぺーじ
  16. ^ ほしあきらはやしあきら『アフリカ現代げんだいI──総説そうせつ南部なんぶアフリカ』 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ世界せかい現代げんだい13〉、東京とうきょう、1988ねん8がつ20日はつか初版しょはんだいさんさつ、239ぺーじ
  17. ^ 門村かどむらひろしあつくてさむ気候きこう」/ 池谷いけがや和信かずのぶ編著へんちょ『ボツワナをるための52しょう明石書店あかししょてん 2012ねん 28–29ページ
  18. ^ 民主みんしゅ主義しゅぎたい民主みんしゅ主義しゅぎ 多数決たすうけつがたとコンセンサスがたの36カ国かこく比較ひかく研究けんきゅう原著げんちょだい2はん)」p93 アレンド・レイプハルトちょ 粕谷あらや祐子ゆうこ菊池きくち啓一けいいちやく 勁草書房しょぼう 2014ねん6がつ20日はつか原著げんちょだい2はんだい1さつ発行はっこう
  19. ^ 民主みんしゅ主義しゅぎたい民主みんしゅ主義しゅぎ 多数決たすうけつがたとコンセンサスがたの36カ国かこく比較ひかく研究けんきゅう原著げんちょだい2はん)」p113 アレンド・レイプハルトちょ 粕谷あらや祐子ゆうこ菊池きくち啓一けいいちやく 勁草書房しょぼう 2014ねん6がつ20日はつか原著げんちょだい2はんだい1さつ発行はっこう
  20. ^ “サハラ以南いなんアフリカ諸国しょこく軍事ぐんじ透明とうめいせい拡大かくだい. 産経新聞さんけいしんぶん. (2018ねん11月19にち). https://www.sankei.com/article/20181119-EJDLJ4AQYBLCXFQHUL5XMPGRFU/ 2018ねん11月26にち閲覧えつらん 
  21. ^ a b c On the scene 現場げんばたびする(38)Caborone ハボローネ、国債こくさい格付かくづ上位じょういくに現実げんじつ朝日新聞あさひしんぶんGLOBE』2013ねん1がつ6にち~19にちごう(8めん)。
  22. ^ ボツワナ発言はつげん撤回てっかい陳謝ちんしゃ平沼ひらぬまけいさんしょう四国しこく新聞しんぶんニュース(2002ねん6がつ18にち配信はいしん)2019ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  23. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』2012ねん11月7にち朝刊ちょうかん24めん
  24. ^ ざいボツワナ日本国にっぽんこく大使館たいしかん, 『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』2010ねん4がつ30にち夕刊ゆうかん1めん
  25. ^ Yonhap News Agency (2002). North Korea Handbook. Seoul: M. E. Sharpe. p. 967. ISBN 076-563-523-2  英語えいご
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  27. ^ World Economic Outlook Database, October 2018” (英語えいご). IMF (2018ねん10がつ). 2018ねん12月13にち閲覧えつらん
  28. ^ World Economic Outlook Database, October 2018” (英語えいご). IMF (2018ねん10がつ). 2018ねん12月13にち閲覧えつらん
  29. ^ a b World Development Indicators Online (September 2018)” (英語えいご). 世界銀行せかいぎんこう (2018ねん9がつ). 2018ねん12月13にち閲覧えつらん
  30. ^ a b ジェームズ・カーバイ (2016ねん9がつ29にち). “ボツワナ独立どくりつ50ねん──アフリカがた成功せいこうモデルの終焉しゅうえん?”. ニューズウィーク. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/09/50-13.php 2018ねん11月4にち閲覧えつらん 
  31. ^ 1109カラットのダイヤモンドがなぜれなかったか GIAホームページ(2016ねん7がつ15にち)2017ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  32. ^ 各国かっこくべつ 世界せかい現勢げんせいⅠ」(岩波いわなみ講座こうざ 現代げんだい 別巻べっかんⅠ)p395 1964ねん9がつ14にちだい1さつ 岩波書店いわなみしょてん
  33. ^ 『アフリカを事典じてん』、平凡社へいぼんしゃISBN 4-582-12623-5 1989ねん2がつ6にち 初版しょはんだい1さつ p.379
  34. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版ねんばん 世界せかい各国かっこく要覧ようらん最新さいしん統計とうけい」p285 二宮にのみや書店しょてん 平成へいせい30ねん1がつ10日とおか発行はっこう
  35. ^ a b c Botswana, The World Factbook, CIA, last updated on March 4, 2010. ISSN 1553-8133
  36. ^ http://www.avert.org/professionals/hiv-around-world/sub-saharan-africa/botswana
  37. ^ What’s in a Female Doctor’s last name?, Weekend POST, 22 Jan, 2018.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]