山陽さんよう電気でんき軌道きどう

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山陽さんよう電気でんき軌道きどう
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
山口やまぐちけん下関しものせき羽山はやままち1ばん12ごう
設立せつりつ 1924ねん大正たいしょう13ねん)7がつ9にち
業種ぎょうしゅ てつ軌道きどうぎょう
事業じぎょう内容ないよう 旅客りょかく鉄道てつどう事業じぎょう、バス事業じぎょう不動産ふどうさん航空こうくう代理だいりぎょう ほか
代表だいひょうしゃ 社長しゃちょう はやし佳介けいすけ
資本しほんきん 366,364,250えん
発行済はっこうずみ株式かぶしき総数そうすう 7,327,285かぶ
特記とっき事項じこう:1970年度ねんど現在げんざい(『私鉄してつ要覧ようらん 昭和しょうわ45年度ねんどばん』 155ぺーじ
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概要がいよう
現況げんきょう 廃止はいし
運営うんえい
開業かいぎょう 1926ねん12月25にち (1926-12-25)
廃止はいし 1971ねん2がつ7にち (1971-2-7)
所有しょゆうしゃ 山陽さんよう電気でんき軌道きどう
使用しよう車両しゃりょう 車両しゃりょうふし参照さんしょう
路線ろせんしょもと
路線ろせんそう延長えんちょう 17.57 km (10.92 mi)
軌間きかん 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小さいしょう曲線きょくせん半径はんけい 20 m
電化でんか 直流ちょくりゅう600 V 架空かくう電車でんしゃせん方式ほうしき
さいきゅう勾配こうばい 50
路線ろせん

ちょうかんせん大和やまとまちせん

STRq BHFq STRq
ちょうえき 山陽本線さんようほんせん
uexKBHFa
0.00 ちょうえき停留ていりゅうじょう
uexHST
競艇きょうていじょう停留ていりゅうじょう(臨)
uexBHF
0.61 松小田まつおだ停留ていりゅうじょう
uexBHF
長浜ながはま停留ていりゅうじょう -1952?
uexBHF
1.14 江下えした停留ていりゅうじょう
uexBHF
1.88 ぜん八幡やはた停留ていりゅうじょう
uexBHF
八幡やはた停留ていりゅうじょう -1942
uexBHF
2.12 印内いんない停留ていりゅうじょう
uexBHF
なかまち停留ていりゅうじょう -1941?
uexBHF
2.67 鳥居とりいぜん停留ていりゅうじょう
uexBHF
3.31 松原まつばら停留ていりゅうじょう
uexBHF
3.61 外浦そとうら停留ていりゅうじょう
uexBHF
4.51 黒門くろもん停留ていりゅうじょう
uexBHF
5.70 自動車じどうしゃ学校がっこう停留ていりゅうじょう
uexBHF
6.54 前田まえだ停留ていりゅうじょう
uexBHF
7.81 裳川しょうせん停留ていりゅうじょう
uexBHF
8.69 壇之浦だんのうら停留ていりゅうじょう
uexBHF
9.05 赤間あかま神宮じんぐう停留ていりゅうじょう
uexBHF
亀山かめやま神社じんじゃ停留ていりゅうじょう -1943
uexSTR
唐戸からとせん
uexSTRq uexTBHFxeq exKDSTa
9.60 唐戸からと停留ていりゅうじょう 下関しものせきみなとえき
uexBHF exSTR
9.96 西南せいなん停留ていりゅうじょう
uexBHF exSTR
10.20 観音崎かんのんざき停留ていりゅうじょう
uexBHF exSTR
10.47 さんひゃくもく停留ていりゅうじょう
uexBHF exSTR
10.72 入江いりえこう停留ていりゅうじょう
uexBHF exBHF
11.04 西にし細江ほそえ停留ていりゅうじょう 下関しものせきえき (I)
uexBHF exSTR
11.36 茶山ちゃやまくち停留ていりゅうじょう
xABZq+r uexmKRZ exABZgr
ちょうかんせん
STR uexBHF exSTR
11.70 下関しものせきえき停留ていりゅうじょう
STRl uxmKRZu xABZg+r
大和やまとまちせん
uexSTR BHF
下関しものせきえき (II)
uexBHF STR
11.91 えき西口にしぐち停留ていりゅうじょう
uexBHF STR
水産すいさん会館かいかん停留ていりゅうじょう
uexBHF STR
12.19 漁協ぎょきょうぜん停留ていりゅうじょう
uexBHF STR
12.58 大和やまとまち停留ていりゅうじょう
uexBHF STR
12.88 ひやぜん停留ていりゅうじょう
uexKBHFe STR
13.08 彦島ひこじまこう停留ていりゅうじょう
WASSERq WASSERq hKRZWae
関門海峡かんもんかいきょう小瀬戸こせと
tSTRa
山陽本線さんようほんせん

幡生はたぶせん唐戸からとせん

STR
山陰本線さんいんほんせん
STRl ABZ+lr STRq
山陽本線さんようほんせん
eABZgl exSTR+r
BHF exSTR
幡生はたぶえき 1928-
uexBHF+l eKRZ exSTRr
0.00 幡生はたぶ停留ていりゅうじょう
uexSTR eABZg+l exHSTq
山陽本線さんようほんせんきゅうせん -1928
uexBHF STR
0.41 武久たけひさ停留ていりゅうじょう
uexBHF STR
0.92 金比羅こんぴら停留ていりゅうじょう
uexSTRl emKRZu uexSTR+r
STR3 uexBHF
1.66 大坪おおつぼ八幡やはた停留ていりゅうじょう
uexSTR
幡生はたぶせん
uexBHF
2.18 東下関ひがししもぜき停留ていりゅうじょう
uexSTR
唐戸からとせん
uexHST
陸軍りくぐん病院びょういんぜん停留ていりゅうじょう(臨) -?
uexBHF
2.70 山之口やまのくち停留ていりゅうじょう
uexBHF
3.14 新町しんまちよん丁目ちょうめ停留ていりゅうじょう
uexBHF
3.46 新町しんまちさん丁目ちょうめ停留ていりゅうじょう
uexBHF
あかがんこう停留ていりゅうじょう -1941
uexBHF
3.78 新町しんまちいち丁目ちょうめ停留ていりゅうじょう
uexSTR+l uexABZgr
uexBHF uexSTR
本町ほんまちなな丁目ちょうめこう停留ていりゅうじょう -1941
uexBHF uexSTR
田中たなかまち停留ていりゅうじょう -1951
uexSTR uexBHF
4.16 西之にしのはし停留ていりゅうじょう 1951-
uexBHF uexSTR
取引とりひきしょぜん停留ていりゅうじょう -1949
uexABZg+l uexSTRr
uexSTRq uexTBHFxe uexSTRq
4.49 唐戸からと停留ていりゅうじょう
exSTRq exKDSTeq
下関しものせきみなとえき 山陽本線さんようほんせん貨物かもつ支線しせん
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山陽さんよう電気でんき軌道きどう(さんようでんききどう)は、かつて山口やまぐちけん下関しものせきにおいて路面ろめん電車でんしゃ運行うんこうしていた会社かいしゃ路面ろめん電車でんしゃ全廃ぜんぱい社名しゃめいサンデン交通さんでんこうつう改称かいしょうされてバス会社かいしゃとなった。ほんこうでは、おも同社どうしゃ運営うんえいした路面ろめん電車でんしゃせんについてべる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

下関しものせきでの軌道きどう敷設ふせつ計画けいかく1924ねんがった。当時とうじ同市どうし都市とし開発かいはつ計画けいかくがっており、その一環いっかんとして建設けんせつしようということになったものである。同年どうねん山陽さんよう電気でんき軌道きどう設立せつりつされて軌道きどう運営うんえいたることにした。

1926ねん12月25にちはつ路線ろせんとして、松原まつばら - 壇ノ浦だんのうらあいだ開業かいぎょうさせた。当初とうしょ日本にっぽん車輌しゃりょうせい新造しんぞうしゃを8りょう投入とうにゅうした。どう区間くかんには並行へいこうしてすでにバスがはしっていたが、運賃うんちんがバスの半分はんぶん以下いかということもあって人気にんきたかかった。その1932ねんまでにちょうかんせん唐戸からとせん全通ぜんつうさせる。

その一方いっぽうで、下関しものせきから山陽本線さんようほんせん通過つうかしなかった山陰さんいん地方ちほうへの便びんはかろうと、1911ねん長州ちょうしゅう軽便鉄道けいべんてつどうという会社かいしゃ東下関ひがししもぜき - 正明まさあきげん長門ながとあいだ鉄道てつどう敷設ふせつ目論もくろんで設立せつりつされた。同社どうしゃのち長州ちょうしゅう鉄道てつどう改称かいしょうし、1914ねん東下関ひがししもぜき - 小串こぐしあいだ開業かいぎょうさせた。だが、ここからさき建設けんせつ資金しきん都合つごう頓挫とんざしてしまった。

その現在げんざい山陰本線さんいんほんせん計画けいかくがった。官営かんえい鉄道てつどうでは長州ちょうしゅう鉄道てつどう路線ろせんうち、そのルートじょうにあった小串おぐし - 幡生はたぶあいだ国有こくゆうすることになった。1925ねんにこれが実施じっしされると、長州ちょうしゅう鉄道てつどうでは残存ざんそん区間くかんである東下関ひがししもぜき - 幡生はたぶあいだ2.3 km営業えいぎょう維持いじするため、伊那いな電気でんき鉄道てつどうげん飯田線いいだせん)から車両しゃりょう購入こうにゅうして1926ねんより電車でんしゃ運転うんてん開始かいしされた。

そして、山陽さんよう電気でんき軌道きどう長州ちょうしゅう鉄道てつどうには共通きょうつうした出資しゅっししゃおおかったことから、長州ちょうしゅう鉄道てつどう1928ねん山陽さんよう電気でんき軌道きどう路線ろせん譲渡じょうとした。山陽さんよう電気でんき軌道きどうではこれを幡生はたぶせんとし、それと連絡れんらくさせるために唐戸からと - 東下関ひがししもぜき(「東駅ひがしえき」と通称つうしょうあいだ1929ねん唐戸からとせん建設けんせつした。1932ねんにはちょうかんせん唐戸からとまでびてきたこともあって、3路線ろせん線路せんろ一本いっぽんにつながった。

山陽さんよう電気でんき軌道きどうでは、今度こんど下関しものせきえきまえ経由けいゆして彦島ひこしまへの連絡れんらくはか路線ろせん建設けんせつしようとした。1938ねん下関しものせき駅前えきまえへのれをたすが、1942ねんにその下関しものせきえき関門かんもん鉄道てつどうトンネル開業かいぎょうやく700 m西にし移転いてんしたため、1946ねんふたた新駅しんえきまえまで路線ろせん延伸えんしんする。そして、1954ねん大和やまとまちせんとして彦島ひこじまこうまでを開通かいつうさせた。

だが、山陽さんよう電気でんき軌道きどう昭和しょうわ初期しょきからバスを運営うんえいしており[1]昭和しょうわ20年代ねんだい以降いこうそれは急速きゅうそく拡大かくだいし、昭和しょうわ30年代ねんだいになると電車でんしゃ乗客じょうきゃく凌駕りょうがするようになった。そしてモータリゼーション発達はったつ市街しがい混雑こんざつはげしくなった。また、同社どうしゃせき彦橋をわた彦島ひこじま下関しものせき市街地しがいちあいだ直通ちょくつうするバスを運行うんこうしており、彦島ひこじまわたらず彦島ひこじまくちまりであった電車でんしゃ乗客じょうきゃくいちじるしく減少げんしょうしていたことから、1967ねんから大和やまとまちせんかんしては平日へいじつ朝夕あさゆう通勤つうきん通学つうがく時間じかんたいのみ運行うんこうという状態じょうたいになった。電車でんしゃ乗客じょうきゃく減少げんしょうまらず、累積るいせき赤字あかじが1おくえんたっするという事態じたいにもなったことから、会社かいしゃではつい全廃ぜんぱい決定けっていした。1969ねん大和やまとまちせん下関しものせき駅前えきまえ - 彦島ひこじまこうあいだちょうせきせん唐戸からと - ちょう駅前えきまえあいだ廃止はいしされ、1971ねんには下関しものせき駅前えきまえ - 唐戸からと - 東下関ひがししもぜき - 幡生はたぶあいだ残存ざんそん路線ろせん廃止はいし、これによって45ねんつづいた電車でんしゃ歴史れきしまくりた。

この軌道きどうせん廃止はいしともない、山口やまぐちけん私鉄してつ事業じぎょうしゃ一旦いったん消滅しょうめつして国鉄こくてつせん(→JRせん)のみになったが、1987ねん7がつ25にち西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう(JR西日本にしにほん岩日線がんにちせん錦川にしきがわ鉄道てつどう錦川清流線にしきがわせいりゅうせん転換てんかんされたため、16ねんぶりに山口やまぐちけんにJR以外いがい鉄道てつどう路線ろせん復活ふっかつした。

長州ちょうしゅう鉄道てつどう[編集へんしゅう]

  • 1914ねん大正たいしょう3ねん4がつ22にち 長州ちょうしゅう鉄道てつどう東下関ひがししもぜき - 小串おぐし蒸気じょうき鉄道てつどうとして開業かいぎょう[2]
  • 1925ねん大正たいしょう14ねん6月1にち 幡生はたぶ - 小串おぐし小串線こぐしせん山陰本線さんいんほんせん)として国有こくゆう[3]
  • 1926ねん昭和しょうわ2ねん)3がつ 残存ざんそん区間くかん東下関ひがししもぜき - 幡生はたぶ電化でんか
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん10月30にち 山陽さんよう電気でんき軌道きどう譲渡じょうと認可にんか[4]
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん)12月18にち 山陽さんよう電気でんき軌道きどう事業じぎょう資産しさん譲渡じょうと

山陽さんよう電気でんき軌道きどう[編集へんしゅう]

  • 1923ねん大正たいしょう12ねん)7がつ6にち ちょうより下関しものせき市街地しがいち彦島ひこしま海峡かいきょうわた彦島福浦ひこしまふくうらまちたっする本線ほんせん彦島ひこじまない支線しせんわせてやく20.9 kmの軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ[5]
  • 1924ねん大正たいしょう13ねん)7がつ9にち 山陽さんよう電気でんき軌道きどう会社かいしゃ設立せつりつ
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん)2がつ24にち 東下関ひがししもぜき - 唐戸からとやく2.4 kmの軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ[6]
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん昭和しょうわ元年がんねん12月25にち 松原まつばら - 壇ノ浦だんのうら (5.38 km) 開業かいぎょう
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん4がつ17にち 松原まつばら - 鳥居前とりいまえ (0.64 km) 開業かいぎょう
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん7がつ30にち 東下関ひがししもぜき - 田中たなかまち 開業かいぎょう
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん8がつ16にち 田中たなかまち - 唐戸からと 開業かいぎょう
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん9月7にち ちょうえき - 鳥居前とりいまえ (2.67 km) 開業かいぎょう
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん10月21にち 壇ノ浦だんのうら - 唐戸からと (0.91 km) 開業かいぎょう
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん)10がつ3にち 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ豊浦とようらぐんちょうまち-どうぐん小月おづきむらあいだ[7](1942ねん12がつ10日とおか地方ちほう鉄道てつどう変更へんこう[8]
  • 1938ねん昭和しょうわ13ねんちょうえき - 鳥居前とりいまえ単線たんせん資材しざい下関しものせきえき延長線えんちょうせん充当じゅうとう
  • 1938ねん昭和しょうわ13ねん11月27にち 唐戸からと - (きゅう下関しものせきえき西にし細江ほそえ) (1.44 km) 開業かいぎょう
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん)3がつ24にち ちょうえき - 鳥居前とりいまえ複線ふくせん、このころちょうえき配線はいせん変更へんこう山陽さんよう本線ほんせん貨車かしゃ直通ちょくつう
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん11月1にち 小月おづき - 西市さいちあいだ鉄道てつどう路線ろせんゆうしていた長門ながと鉄道てつどう合併がっぺい同社どうしゃ鉄道てつどうせんとなる
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん)12月28にち 彦島ひこじまこうまでの延長えんちょう路線ろせん軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ[9][10]
  • 1946ねん昭和しょうわ21ねん12月25にち 西にし細江ほそえ - (しん下関しものせきえき (0.68 km) 開業かいぎょう
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん4がつ1にち 長門ながと鉄道てつどうさい分離ぶんり
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん)4がつ 新町しんまちよん丁目ちょうめ - 西之にしのはしやく1.2 kmを線路せんろ移設いせつ
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん)12月25にち 新町しんまちよん丁目ちょうめ - 西之にしのはし複線ふくせん
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん4がつ28にち 下関しものせきえき - 彦島ひこじまこう (1.38 km) 開業かいぎょう
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん5月29にち 交差点こうさてん交通こうつう区分くぶん改良かいりょうともな唐戸からと分岐ぶんき変更へんこう
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん8がつ12にち 下関しものせきえき - 彦島ひこじまこうを、平日へいじつ朝夕ちょうせきのみの営業えいぎょうとする
  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん10月30にち 下関しものせきえき - 彦島ひこじまこう唐戸からと - ちょうえき廃止はいし
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん2がつ7にち 下関しものせきえき - 唐戸からと - 東下関ひがししもぜき - 幡生はたぶ廃止はいしてつ軌道きどう事業じぎょう全廃ぜんぱい
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん)6がつ 山陽さんよう電気でんき軌道きどう社名しゃめいサンデン交通さんでんこうつう改称かいしょう

路線ろせんデータ[編集へんしゅう]

1967ねん現在げんざい[11]成立せいりつ経緯けいいから幡生はたぶせん鉄道てつどうとそれ以外いがい軌道きどうかれるがここでは区別くべつしない。

  • 路線ろせん距離きょりそう延長えんちょう17.57 km
    • ちょうかんせんちょうえき - 下関しものせきえき 11.72 km
    • 大和やまとまちせん下関しものせきえき - 彦島ひこじまこう 1.37 km
    • 幡生はたぶせん幡生はたぶ - 東下関ひがししもぜき 2.18 km
    • 唐戸からとせん東下関ひがししもぜき - 唐戸からと 2.31 km
  • 軌間きかん:1067 mm
  • 電化でんか方式ほうしき直流ちょくりゅう 600 V
  • 複線ふくせん区間くかん幡生はたぶせんのぞ全線ぜんせん

運行うんこう[編集へんしゅう]

1967ねん当時とうじ

  • 運行うんこう本数ほんすう
    • ちょうかんせん:5 - 20ふん間隔かんかく
    • 幡生はたぶせん:10 - 30ふん間隔かんかく
    • 市内しないせん東駅ひがしえき - 下関しものせきえき):5 - 10ふん間隔かんかく
    • 大和やまとまちせん平日へいじつ朝夕ちょうせきのみ5 - 10ふん間隔かんかく

停留ていりゅうじょう[編集へんしゅう]

1969ねん当時とうじ

ちょうかんせん
ちょうえき - 競艇きょうていじょう(臨) - 松小田まつおだ - ぜん八幡やはた - 印内いんない - 鳥居前とりいまえ - 松原まつばら - 外浦そとうら - 黒門くろもん - 自動車じどうしゃ学校がっこう - 前田まえだ - 裳川しょうせん - 壇之浦だんのうら - 赤間あかま神宮じんぐう - 唐戸からと - 西南せいなん - 観音崎かんのんざき - さんひゃくもく - 入江いりえこう - 西にし細江ほそえ - 茶山ちゃやまこう - 下関しものせきえき
大和やまとまちせん
下関しものせきえき - えき西口にしぐち - 漁協ぎょきょうまえ - 大和やまとまち - ひやまえ - 彦島ひこじまこう
幡生はたぶせん唐戸からとせん
幡生はたぶ - 武久たけひさ - 金比羅こんぴら - 大坪おおつぼ八幡やはた - 東下関ひがししもぜき - 山之口やまのくち - 新町しんまちよん丁目ちょうめ - 新町しんまちさん丁目ちょうめ - 新町しんまちいち丁目ちょうめ - 西之にしのはし - 唐戸からと

接続せつぞく路線ろせん[編集へんしゅう]

未成みせいせん[編集へんしゅう]

  • 下関しものせきえき - 新地しんち
  • ちょう - 小月おづき

宇部うべ鉄道てつどうとの直通ちょくつう延伸えんしん構想こうそう[編集へんしゅう]

下関しものせき財界ざいかい構成こうせいする「だい下関しものせきこう拡築期成きせいかい」では、上記じょうき未成みせい区間くかん終点しゅうてんである小月おづきえきからさら東側ひがしがわ電車でんしゃ延伸えんしんし、厚狭あさ海岸かいがん経由けいゆして宇部うべ宇部うべ電気でんき鉄道てつどう宇部うべ鉄道てつどう直通ちょくつうする「海岸かいがん電気でんき鉄道てつどう構想こうそうっていた[12]どうかい1934ねん昭和しょうわ9ねん)に出版しゅっぱんした提言ていげんしょだい下関しものせきこう』では「山陽さんようでん軌と宇部うべ電鉄でんてつ最短さいたん距離きょり区間くかん」の直結ちょっけつ連絡れんらく提言ていげんし、海岸かいがん電気でんき鉄道てつどう形成けいせいすることで産業さんぎょう発展はってんするのみならず、風光ふうこう明媚めいび海岸かいがん遊覧ゆうらん電車でんしゃとして観光かんこう誘致ゆうち構想こうそうしていた[12]

このしん電車でんしゃには宇部うべ電気でんき鉄道てつどうおなじく宇部うべ財界ざいかい出資しゅっしする電力でんりょく会社かいしゃ宇部うべ電気でんきから移管いかんした山口やまぐち県営けんえい宇部うべ発電はつでんしょ電力でんりょく活用かつようすることで、「低廉ていれん豊富ほうふ電力でんりょく送電そうでんける経済けいざいてき電力でんりょく消費しょうひ」と「開発かいはつ裨益ひえき」の両立りょうりつ可能かのうであるとした[12]宇部うべ財界ざいかい下関しものせきがわ山陽さんよう電気でんき軌道きどうにも出資しゅっししており、サンデン交通さんでんこうつうにも宇部興産うべこうさん宇部うべ財界ざいかい各社かくしゃ合併がっぺい発足ほっそく)をUBEによる出資しゅっし関係かんけいがれている[13]

1938ねん昭和しょうわ13ねん)に陸上りくじょう交通こうつう事業じぎょう調整ちょうせいほう施行しこうされると、山陽さんようでん軌と宇部うべ鉄道てつどう合併がっぺいして資本しほんきん3せんまんえんしん会社かいしゃ設立せつりつし「下関しものせき宇部うべ高速度こうそくど電車でんしゃ」を敷設ふせつする計画けいかく具体ぐたいし、この計画けいかくだいいち段階だんかいとして両社りょうしゃふく山口やまぐち県内けんない私鉄してつ6しゃ山陽さんよう電気でんき軌道きどう長門ながと鉄道てつどう船木ふなき鉄道てつどう小野田おのだ鉄道てつどう宇部うべ鉄道てつどう宇部うべ電気でんき鉄道てつどう)の統合とうごう協議きょうぎはじまった[14]

6しゃ1940ねん昭和しょうわ15ねん6月25にち山口やまぐちひらいた関係かんけいしゃ懇談こんだんかい統合とうごうについて合意ごういし、山口やまぐちけんおよび鉄道てつどうしょうたいして合併がっぺい斡旋あっせん一任いちにん、「ろくしゃ統合とうごう委員いいんかい」を設置せっちして具体ぐたいてき作業さぎょうはいることとされた[14]統合とうごう協議きょうぎ参加さんかする鉄道てつどうしょう監督かんとくきょくも、交通こうつう時間じかん短縮たんしゅく輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう観点かんてんから下関しものせき宇部うべ高速度こうそくど電車でんしゃ実現じつげんを「有望ゆうぼう」と評価ひょうかしていた[14]

1941ねん昭和しょうわ16ねん)には前述ぜんじゅつ構想こうそう拡大かくだいするかたち下関しものせきから徳山とくやま付近ふきんいたる「山陽さんよう急行きゅうこう電鉄でんてつ構想こうそう浮上ふじょうし、山口やまぐちけん中心ちゅうしんとなり鉄道てつどうしょう協力きょうりょく調査ちょうさ研究けんきゅうすすめた[15]。このなか合併がっぺいについては宇部うべがわ2しゃ宇部うべ鉄道てつどう宇部うべ電気でんき鉄道てつどう)を先行せんこうし、つづいて下関しものせきがわ2しゃ山陽さんよう電気でんき軌道きどう長門ながと鉄道てつどう)、将来しょうらいてき船木ふなき鉄道てつどう小野田おのだ鉄道てつどうふくめた一元化いちげんか目指めざすことになった[15]

宇部うべ電気でんき鉄道てつどう統合とうごうあらたに発足ほっそくした宇部うべ鉄道てつどうは、工業こうぎょう生産せいさん拠点きょてん直結ちょっけつして貨物かもつ輸送ゆそうになっていたことから戦時せんじ体制たいせい強化きょうかともな国有こくゆうされることになり、1943ねん昭和しょうわ18ねん)に鉄道てつどう事業じぎょう国有こくゆう鉄道てつどう移管いかん[16]のこったバス事業じぎょう宇部うべ移管いかんして1944ねん昭和しょうわ19ねん)に会社かいしゃ解散かいさんし、山陽さんよう宇部うべりょう鉄道てつどうかくとした都市としあいだ高速こうそく鉄道てつどう敷設ふせつ構想こうそう実現じつげんしなかった。

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

山陽さんようでん軌の塗装とそう復元ふくげんされた土佐とさでん702ごう

形式けいしき称号しょうごうさだめはなかったという[11] が、記述きじゅつ便宜上べんぎじょう番号ばんごうごとに区分くぶんする

2じくしゃ[編集へんしゅう]

台車だいしゃブリル21-Eけい使用しよう制動せいどうよう

1-3
長州ちょうしゅう鉄道てつどうからぎのもと伊那いな電気でんき鉄道てつどう9-11。電動でんどう50 HP (37.3 kW)×2。木造もくぞうのダブルルーフ、とびらしと推定すいてい[11]。1937ねん昭和しょうわ12ねん)2がつ27にちづけ廃止はいし
100 - 116
101 - 108は1928ねん日本にっぽん車輌しゃりょう製造せいぞう木造もくぞうしゃ。(ダブルルーフでない)丸屋まるやとびらき。山陽さんよう電気でんき軌道きどう開業かいぎょう車両しゃりょう電動でんどう30 HP (22.4 kW)×2。1948ねんから1950ねんにかけて広瀬ひろせ車輌しゃりょう水野みずの造船ぞうせんしょたいわく使用しようしてはがねたい
109 - 116は1929ねんうめはち鉄工てっこうしょ製造せいぞうはんはがねせいしゃ丸屋まるやとびらき、電動でんどう35 HP (26.1 kW)×2

ボギぼぎしゃ[編集へんしゅう]

いずれも直接ちょくせつ制御せいぎょ空気くうき制動せいどう電動でんどう37.3 kW×2

201 - 205
2とびらはんはがねせい丸屋まるや。201, 204, 205は1930、32ねん藤永ふじなが造船ぞうせんしょ製造せいぞう、202, 203は1930ねんうめはち鉄工てっこうしょ製造せいぞう神鋼しんこうSAがた鋳鋼ちゅうこうわくじくばね式台しきだいしゃ
206, 207
3とびらはんはがねせい丸屋まるやで201-205よりやや大型おおがた定員ていいんおおかった。1936ねん日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞうにちしゃC-10けい(ブリル76-2Eけい台車だいしゃ。1954ねん昭和しょうわ29ねん)から2とびら
301 - 305、501 - 506
はんはがねせい丸屋まるや設計せっけいは300が1939ねん、500が翌年よくねん認可にんかでほぼ同一どういつ。301 - 305は1940ねん日本にっぽん車輌しゃりょうのこりは発注はっちゅう戦後せんごになり501, 502は1947ねん日本にっぽん鉄道てつどう自動車じどうしゃ、503 - 506は1949、50ねん日立製作所ひたちせいさくしょ製造せいぞう台車だいしゃ日立ひたちせいの2りょうが76-2Eけいにちしゃにちてつ自動車じどうしゃせいの7りょうはK-10けい西鉄にしてつ北方ほっぽうせん321, 322は501, 502と同形どうけい注文流ちゅうもんなが
511 - 515
はんはがねせい丸屋まるや、2まいちがとびら。511 - 513は1951ねん昭和しょうわ26ねん)、514, 515は翌年よくねん三重交通みえこうつう神都しんとせんから譲受じょうじゅ譲受じょうじゅまえ記号きごう番号ばんごうはセ36 - セ40 → モ511 - モ515。511・512は三重みえ合同ごうどう電気でんき時代じだいの1926ねん大正たいしょう15ねん)12月に汽車きしゃ製造せいぞう東京とうきょう支店してんで、513・514は1928ねん昭和しょうわ3ねん)1がつ日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう本店ほんてんで、515は1928ねん11月におなじく日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう本店ほんてんで、それぞれ製造せいぞうされた。いずれも1953ねん昭和しょうわ28ねん認可にんか入線にゅうせんしゅうでん装置そうちをポールからビューゲルに変更へんこう台車だいしゃはブリル76-2Eを模倣もほうしたかたちこう組立くみたてづくりじくばね式台しきだいしゃで、汽車きしゃ製造せいぞうせいのものもふくめてにちしゃCかたち台車だいしゃ呼称こしょうした。
531, 532
木造もくぞう丸屋まるや三重みえ交通こうつう神都しんとせんから1957ねん昭和しょうわ32ねん譲受じょうじゅ翌年よくねん認可にんか譲受じょうじゅまえ記号きごう番号ばんごうはセ27・セ28 → モ531・モ532で伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう初代しょだい時代じだいの1906ねん明治めいじ39ねん)5がつ日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう製造せいぞうされた、同社どうしゃはつの2じくボギぼぎしゃ入線にゅうせんりつけ。台車だいしゃ新造しんぞう時点じてんではブリル22Eマキシマム・トラクション台車だいしゃ装着そうちゃくしていたが、1931ねん昭和しょうわ6ねん)7がつ田中たなか車輌しゃりょう新造しんぞうされたにちしゃCかたち台車だいしゃ交換こうかんされ、この状態じょうたい譲渡じょうとされた。譲渡じょうと時点じてんでのしゅ電動でんどう日立製作所ひたちせいさくしょHS-172-A(端子たんし電圧でんあつ600 V、1あいだていかく出力しゅつりょく37 kW)。1962ねん昭和しょうわ37ねん名義めいぎ主要しゅよう機器ききを811, 812にゆずり、車体しゃたい一時いちじ倉庫そうこ使用しよう
601 - 605
はんはがねせいまる屋根やね、2まい当初とうしょ前面ぜんめん曲面きょくめんガラスを使用しよう。1954ねん汽車きしゃ会社かいしゃ支店してん製造せいぞう車体しゃたい大栄おおえ車輌しゃりょう台車だいしゃ汽車きしゃ会社かいしゃKS-13かたちかたちこう溶接ようせつづくりじくばねしきコイルばねダンパー併用へいよう
701 - 704, 801 - 805
ほぼぜん金属きんぞくせいまる屋根やね、2まい。1958ねん昭和しょうわ33ねん)に701 - 704が室内しつない照明しょうめい白熱はくねつとうで、翌年よくねんに801 - 805が蛍光けいこうとうで、ナニワこう製造せいぞう台車だいしゃは700かたちがナニワせいNK-11、800かたちがその改良かいりょうがたたるNK-12を装着そうちゃくする。
811, 812
531, 532の名義めいぎ台車だいしゃはじめ主要しゅよう機器きき使用しようして1962ねん昭和しょうわ37ねん)にナニワこう製造せいぞう車体しゃたいは801 - 805にほぼおな

譲渡じょうとしゃおよび保存ほぞんしゃ[編集へんしゅう]

701, 702, 704, 801-804が廃止はいし土佐とさ電気でんき鉄道てつどうげんとさでん交通こうつう)に譲渡ゆずりわたされ、現在げんざい運行うんこうちゅうである。このうち702ごうは、2005ねん山陽さんよう電気でんき軌道きどう時代じだい塗装とそう復元ふくげんされた。これらの譲渡じょうと車両しゃりょうについては、土佐とさ電気でんき鉄道てつどう700かたち電車でんしゃ参照さんしょうされたい。

301が1969ねん部分ぶぶん廃止はいしみや神社じんじゃ保存ほぞんされたが、荒廃こうはいしたため1974ねん解体かいたい撤去てっきょされた。また全線ぜんせん廃止はいしに601が下関しものせき市立しりつ図書館としょかん保存ほぞんされ読書どくしょしつとして利用りようされていたが[17]、1996ねん11月11にち解体かいたいされた[18]。このため現在げんざい保存ほぞん車両しゃりょうはない。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 全国ぜんこく乗合のりあい自動車じどうしゃ総覧そうらん』1934ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  2. ^ 軽便鉄道けいべんてつどう運輸うんゆ開始かいし」『官報かんぽう』1914ねん4がつ28にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  3. ^ 鉄道てつどうしょう告示こくじだい85ごう」『官報かんぽう』1925ねん5がつ26にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  4. ^ 鉄道てつどう鉄道てつどう敷設ふせつけん譲渡じょうと」『官報かんぽう』1928ねん11月7にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  5. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1923ねん7がつ12にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  6. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1927ねん2がつ28にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  7. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1933ねん10がつ5にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  8. ^ 軌道きどう地方ちほう鉄道てつどう変更へんこう許可きょか」『官報かんぽう』1942ねん12月29にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  9. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1943ねん1がつ13にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  10. ^ 軌道きどう特許とっきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1943ねん2がつ1にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  11. ^ a b c 谷口たにぐち (1967)
  12. ^ a b c だい下関しものせきこう拡築期成きせいかいだい下関しものせきこうだい下関しものせきこう拡築期成きせいかい、1934ねん、115-116ぺーじ 
  13. ^ サンデン交通さんでんこうつう株式会社かぶしきがいしゃ 有価ゆうか証券しょうけん報告ほうこくしょ だい146』(レポート)サンデン交通さんでんこうつう、2023ねん6がつ30にちhttps://www.nikkei.com/markets/ir/irftp/ednr/20230630/S100R9A3/20230630S100R9A3.pdf2023ねん8がつ31にち閲覧えつらん 
  14. ^ a b c 山口やまぐちろく私鉄してつ統合とうごう」『陸運りくうんだい5かんだい7ごう陸運りくうん研究けんきゅうしゃ、1940ねん7がつ、33ぺーじ2024ねん2がつ25にち閲覧えつらん 
  15. ^ a b 山口やまぐちけん調整ちょうせい」『内外ないがい交通こうつう研究けんきゅうだい189ごう交通こうつう研究所けんきゅうじょ、1942ねん5がつ、47ぺーじ2024ねん2がつ25にち閲覧えつらん 
  16. ^ 宇部線うべせん国鉄こくてつ移管いかん」『宇部うべ時報じほう宇部時報社うべじほうしゃ、1943ねん5がつ1にち2024ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  17. ^ 交友こうゆうしゃ鉄道てつどうファン』1996ねん7がつごう 通巻つうかん423ごう p.151
  18. ^ 交友こうゆうしゃ鉄道てつどうファン』1997ねん2がつごう 通巻つうかん430ごう p.114

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 今尾いまおめぐみかい地形ちけいでたどる鉄道てつどう 西日本にしにほんへんJTB、2000ねん、pp.117-120ぺーじISBN 4-533-03533-7 
  • 今尾いまおめぐみかい監修かんしゅう)『中国ちゅうごく四国しこく新潮社しんちょうしゃ日本にっぽん鉄道てつどう旅行りょこう地図ちずちょう〉、2009ねんISBN 978-4-10-790029-6 
  • 青木あおき栄一えいいち ちょ昭和しょうわ52ねん5がつ1にち現在げんざいにおける補遺ほい」、鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 1かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん補遺ほい5ぺーじぺーじ 
  • 谷口たにぐち良忠よしただ山陽さんよう電気でんき軌道きどう」『鉄道てつどうピクトリアル』No. 2121968ねん7がつごう臨時りんじ増刊ぞうかん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり9、1968ねん、pp. 96-106, 112-113。 さいろく鉄道てつどうピクトリアル編集へんしゅう へん私鉄してつ車両しゃりょうめぐり特輯とくしゅう』 2かん鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい東京とうきょう、1977ねん