軽快 けいかい 電車 でんしゃ (けいかいでんしゃ)とは日本 にっぽん 船舶 せんぱく 振興 しんこう 会 かい の補助 ほじょ で、20年 ねん に及 およ ぶ路面 ろめん 電車 でんしゃ の技術 ぎじゅつ 空白 くうはく 期 き を埋 う め、省 しょう エネや路面 ろめん 電車 でんしゃ 復権 ふっけん のため日本 にっぽん 鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 協会 きょうかい で開発 かいはつ された車両 しゃりょう の呼 よ び名 な である。
1977年 ねん (昭和 しょうわ 52年 ねん )に東京 とうきょう 都電 とでん 7000形 かたち が車体 しゃたい 更新 こうしん された。車体 しゃたい のみの新 しん 製 せい であるため、技術 ぎじゅつ 的 てき には従来 じゅうらい 技術 ぎじゅつ の車両 しゃりょう に当 あ たるが、前面 ぜんめん 一 いち 枚 まい 窓 まど をはじめ従来 じゅうらい の路面 ろめん 電車 でんしゃ と一線 いっせん を画 かく するデザインであり、軽快 けいかい 電車 でんしゃ の登場 とうじょう に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた。
広島電鉄 ひろしまでんてつ 3500形 かたち 荒手 あらて 車庫 しゃこ (許可 きょか を得 え て撮影 さつえい ) 2004年 ねん 6月 がつ 撮影 さつえい
1960年代 ねんだい 後半 こうはん 以降 いこう 、日本 にっぽん においてはモータリゼーションによる路線 ろせん 廃止 はいし とその余剰 よじょう 車 しゃ の譲受 じょうじゅ によって路面 ろめん 電車 でんしゃ の新造 しんぞう がほぼ途絶 とだ え、僅 わず かに建造 けんぞう された新造 しんぞう 車 しゃ も、労働 ろうどう 争議 そうぎ の影響 えいきょう もあって従来 じゅうらい のシステムを踏襲 とうしゅう するに留 と まり、技術 ぎじゅつ 的 てき には完全 かんぜん に停滞 ていたい 状態 じょうたい に陥 おちい っていた。このため1970年代 ねんだい 後半 こうはん にはモータリゼーションの嵐 あらし を乗 の り切 き った当時 とうじ の西 にし ドイツなどの路面 ろめん 電車 でんしゃ 先進 せんしん 国 こく と比較 ひかく した場合 ばあい 、日本 にっぽん の路面 ろめん 電車 でんしゃ は著 いちじる しく見劣 みおと りするばかりか、以後 いご 発生 はっせい するであろう老朽 ろうきゅう 車 しゃ 群 ぐん の代替 だいたい 用 よう 新造 しんぞう 車 しゃ の製造 せいぞう さえままならない、という状況 じょうきょう に追 お い込 こ まれていた。
この問題 もんだい を解決 かいけつ するには「完全 かんぜん 新規 しんき 設計 せっけい で高性能 こうせいのう 路面 ろめん 電車 でんしゃ を開発 かいはつ する必要 ひつよう がある」と判断 はんだん された。そこで、路面 ろめん 電車 でんしゃ を近代 きんだい 的 てき な公共 こうきょう 交通 こうつう 機関 きかん として再生 さいせい を目指 めざ して1978年 ねん 、日本 にっぽん 鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 協会 きょうかい 内 ない に運輸省 うんゆしょう ・学識 がくしき 経験 けいけん 者 しゃ ・鉄 てつ 軌道 きどう 事業 じぎょう 者 しゃ 、そしてメーカの代表 だいひょう で構成 こうせい される開発 かいはつ 委員 いいん 会 かい が設置 せっち され、日本 にっぽん 船舶 せんぱく 振興 しんこう 会 かい の資金 しきん 援助 えんじょ の下 した で各 かく 要素 ようそ 技術 ぎじゅつ ごとの開発 かいはつ が、車輌 しゃりょう ・機器 きき メーカー各社 かくしゃ とユーザーである幾 いく つかの路面 ろめん 電車 でんしゃ 経営 けいえい 企業 きぎょう の共同 きょうどう 作業 さぎょう で進 すす められることになった。
こうして誕生 たんじょう したのが軽快 けいかい 電車 でんしゃ である。
足 あし かけ3年 ねん に及 およ ぶ技術 ぎじゅつ 開発 かいはつ の末 すえ 1980年 ねん (昭和 しょうわ 55年 ねん )夏 なつ に、それらの新 しん 開発 かいはつ 機器 きき を搭載 とうさい した実用 じつよう 試験 しけん 車 しゃ として広島電鉄 ひろしまでんてつ 3500形 かたち 3車体 しゃたい 連接 れんせつ 車 しゃ 1編成 へんせい 、およびその技術 ぎじゅつ を反映 はんえい した車両 しゃりょう として長崎 ながさき 電気 でんき 軌道 きどう 2000形 かたち 2両 りょう が、それぞれ竣工 しゅんこう した[ 1] 。
軽快 けいかい 電車 でんしゃ の開発 かいはつ には川崎重工業 かわさきじゅうこうぎょう (現 げん :川崎 かわさき 車両 しゃりょう )・東急 とうきゅう 車輛 しゃりょう 製造 せいぞう (現 げん :総合 そうごう 車両 しゃりょう 製作所 せいさくしょ )・アルナ工機 あるなこうき (現 げん :アルナ車両 しゃりょう )・三菱電機 みつびしでんき ・東洋電機製造 とうようでんきせいぞう ・富士電機 ふじでんき ・住友金属工業 すみともきんぞくこうぎょう (現 げん :日本 にっぽん 製鉄 せいてつ )・
日本 にっぽん エヤーブレーキ(現 げん ナブテスコ )が参加 さんか し、それぞれが構体や機器 きき 類 るい を分担 ぶんたん して製造 せいぞう し、組立 くみたて を川崎重工業 かわさきじゅうこうぎょう 兵庫 ひょうご 工場 こうじょう で実施 じっし した。
システム的 てき には、直流 ちょくりゅう 複 ふく 巻 まき 式 しき 電動 でんどう 機 き で回生 かいせい ブレーキ を常用 じょうよう [ 2] する電機 でんき 子 こ チョッパ制御 せいぎょ 、応答 おうとう 性 せい が良 よ く強力 きょうりょく な油圧 ゆあつ キャリパー方式 ほうしき ディスクブレーキ と、これを制御 せいぎょ する電気 でんき 指令 しれい 式 しき ブレーキ システム、主 しゅ 電動 でんどう 機 き の両 りょう 端 はし 軸 じく からハイポイドギアと中空 なかぞら 軸 じく カルダン継手 つぎて を介 かい して車軸 しゃじく を駆動 くどう するモノモーター方式 ほうしき 直角 ちょっかく カルダン駆動 くどう 、車輪 しゃりん のリムに防音 ぼうおん リングを圧入 あつにゅう した防音 ぼうおん 車輪 しゃりん を装備 そうび するインサイドフレーム式 しき 空気 くうき バネ台車 だいしゃ 、それに冷暖房 れいだんぼう 兼用 けんよう 可能 かのう なヒートポンプ式 しき 空調 くうちょう 装置 そうち [ 3] 、と開発 かいはつ 当時 とうじ の高速 こうそく 電車 でんしゃ 用 よう 技術 ぎじゅつ を可能 かのう な限 かぎ りコンパクト化 か の上 うえ で持 も ち込 こ み、更 さら に欧米 おうべい の先行 せんこう 事例 じれい を参考 さんこう に、路面 ろめん 電車 でんしゃ ならではの新 しん 技術 ぎじゅつ を採用 さいよう している事 こと が窺 うかが える。
人間 にんげん 工学 こうがく 的 てき 考察 こうさつ も行 おこな われ、特 とく に運転 うんてん 士 し の運転 うんてん 作業 さぎょう 改善 かいぜん のために1軸 じく 両手 りょうて 式 しき のワンハンドルマスコンなどが採用 さいよう され、後 ご の路面 ろめん 電車 でんしゃ の新造 しんぞう 車 しゃ 設計 せっけい に長 なが く踏襲 とうしゅう された。
もっとも、この内 うち チョッパ制御 せいぎょ やインサイドフレーム式台 しきだい 車 しゃ の採用 さいよう は、参加 さんか メーカーの一 ひと つである東急車輌製造 とうきゅうしゃりょうせいぞう がボーイング・バートル社 しゃ の下請 したう けとして1970年代 ねんだい 中盤 ちゅうばん に設計 せっけい した、サンフランシスコ市営 しえい 鉄道 てつどう (Muni:San Francisco Municipal Railway)およびマサチューセッツ湾 わん 輸送 ゆそう 公社 こうしゃ (MBTA:Massachusetts Bay Transportation Authority)向 む け標準 ひょうじゅん ライトレール車両 しゃりょう (SLRV:Standard Light Rail Vehicle)で既 すで に実績 じっせき があったもの[ 4] であり、この軽快 けいかい 電車 でんしゃ の開発 かいはつ に当 あ たっては、そういった参加 さんか 各 かく メーカーの輸出 ゆしゅつ 車両 しゃりょう 開発 かいはつ 経験 けいけん が持 も ち寄 よ られ活用 かつよう されただけでなく、以後 いご 、各社 かくしゃ が製造 せいぞう を担当 たんとう する輸出 ゆしゅつ 向 む け車両 しゃりょう のための技術 ぎじゅつ 蓄積 ちくせき という意図 いと も含 ふく まれていた。
この後 のち 、参加 さんか メーカーの一 ひと つであるアルナ工機 あるなこうき が1980年代 ねんだい に車体 しゃたい を製作 せいさく した岡山 おかやま 電気 でんき 軌道 きどう 7000形 かたち を皮切 かわき りに、日本 にっぽん に残 のこ る路面 ろめん 電車 でんしゃ の殆 ほとん どに、軽快 けいかい 電車 でんしゃ の影響 えいきょう を受 う けた車両 しゃりょう が導入 どうにゅう され、現在 げんざい のLRV 導入 どうにゅう の動 うご きやライトレール ブームへの地 じ ならしとなった。
軽快 けいかい 電車 でんしゃ で開発 かいはつ されたチョッパ制御 せいぎょ システムは広島電鉄 ひろしまでんてつ 800形 かたち に、車体 しゃたい 構造 こうぞう は初 はつ のVVVF制御 せいぎょ 車 くるま となった熊本 くまもと 市電 しでん 8200形 かたち に引 ひ き継 つ がれた。
交友 こうゆう 社 しゃ 『鉄道 てつどう ファン 』1980年 ねん 5月 がつ 号 ごう Vol.20 No.229
西尾 にしお 源太郎 げんたろう 「ことしのビッグニュース これがうわさの軽快 けいかい 電車 でんしゃ 」
交友 こうゆう 社 しゃ 『鉄道 てつどう ファン』1980年 ねん 10月 がつ 号 ごう Vol.20 No.234
小山 こやま 柾 まさき 「新車 しんしゃ ガイド2 さわやかにデビュー 広島 ひろしま ・長崎 ながさき に軽快 けいかい 電車 でんしゃ 」
^ ただし営業 えいぎょう 運転 うんてん 開始 かいし は長崎 ながさき 電 でん 軌2000形 かたち が先行 せんこう
^ 長崎 ながさき 電 でん 軌2000形 がた では主 おも にコスト面 めん の判断 はんだん から回生 かいせい ブレーキは省略 しょうりゃく された。
^ 長崎 ながさき 電 でん 軌2000形 がた では通常 つうじょう 型 がた 冷房 れいぼう 機 き とヒーターが採用 さいよう された。
^ チョッパ制御 せいぎょ 器 き はアメリカのガーレット社 しゃ が担当 たんとう した。なお、SLRVは老朽 ろうきゅう 化 か したPCCカー の代替 だいたい が目的 もくてき で開発 かいはつ されたものであり、そういった海外 かいがい の動向 どうこう も、軽快 けいかい 電車 でんしゃ 開発 かいはつ の遠因 えんいん であった。