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軽快けいかい電車でんしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

軽快けいかい電車でんしゃ(けいかいでんしゃ)とは日本にっぽん船舶せんぱく振興しんこうかい補助ほじょで、20ねんおよ路面ろめん電車でんしゃ技術ぎじゅつ空白くうはくめ、しょうエネや路面ろめん電車でんしゃ復権ふっけんのため日本にっぽん鉄道てつどう技術ぎじゅつ協会きょうかい開発かいはつされた車両しゃりょうである。

開発かいはつ前夜ぜんや

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1977ねん昭和しょうわ52ねん)に東京とうきょう都電とでん7000かたち車体しゃたい更新こうしんされた。車体しゃたいのみのしんせいであるため、技術ぎじゅつてきには従来じゅうらい技術ぎじゅつ車両しゃりょうたるが、前面ぜんめんいちまいまどをはじめ従来じゅうらい路面ろめん電車でんしゃ一線いっせんかくするデザインであり、軽快けいかい電車でんしゃ登場とうじょうおおきな影響えいきょうあたえた。

軽快けいかい電車でんしゃ開発かいはつ

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広島電鉄ひろしまでんてつ3500かたち 荒手あらて車庫しゃこ許可きょか撮影さつえい) 2004ねん6がつ撮影さつえい

1960年代ねんだい後半こうはん以降いこう日本にっぽんにおいてはモータリゼーションによる路線ろせん廃止はいしとその余剰よじょうしゃ譲受じょうじゅによって路面ろめん電車でんしゃ新造しんぞうがほぼ途絶とだえ、わずかに建造けんぞうされた新造しんぞうしゃも、労働ろうどう争議そうぎ影響えいきょうもあって従来じゅうらいのシステムを踏襲とうしゅうするにまり、技術ぎじゅつてきには完全かんぜん停滞ていたい状態じょうたいおちいっていた。このため1970年代ねんだい後半こうはんにはモータリゼーションのあらしった当時とうじ西にしドイツなどの路面ろめん電車でんしゃ先進せんしんこく比較ひかくした場合ばあい日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃいちじるしく見劣みおとりするばかりか、以後いご発生はっせいするであろう老朽ろうきゅうしゃぐん代替だいたいよう新造しんぞうしゃ製造せいぞうさえままならない、という状況じょうきょうまれていた。

この問題もんだい解決かいけつするには「完全かんぜん新規しんき設計せっけい高性能こうせいのう路面ろめん電車でんしゃ開発かいはつする必要ひつようがある」と判断はんだんされた。そこで、路面ろめん電車でんしゃ近代きんだいてき公共こうきょう交通こうつう機関きかんとして再生さいせい目指めざして1978ねん日本にっぽん鉄道てつどう技術ぎじゅつ協会きょうかいない運輸省うんゆしょう学識がくしき経験けいけんしゃてつ軌道きどう事業じぎょうしゃ、そしてメーカの代表だいひょう構成こうせいされる開発かいはつ委員いいんかい設置せっちされ、日本にっぽん船舶せんぱく振興しんこうかい資金しきん援助えんじょしたかく要素ようそ技術ぎじゅつごとの開発かいはつが、車輌しゃりょう機器ききメーカー各社かくしゃとユーザーであるいくつかの路面ろめん電車でんしゃ経営けいえい企業きぎょう共同きょうどう作業さぎょうすすめられることになった。

こうして誕生たんじょうしたのが軽快けいかい電車でんしゃである。

あしかけ3ねんおよ技術ぎじゅつ開発かいはつすえ1980ねん昭和しょうわ55ねんなつに、それらのしん開発かいはつ機器きき搭載とうさいした実用じつよう試験しけんしゃとして広島電鉄ひろしまでんてつ3500かたち3車体しゃたい連接れんせつしゃ1編成へんせい、およびその技術ぎじゅつ反映はんえいした車両しゃりょうとして長崎ながさき電気でんき軌道きどう2000かたち2りょうが、それぞれ竣工しゅんこうした[1]

軽快けいかい電車でんしゃのシステム

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軽快けいかい電車でんしゃ開発かいはつには川崎重工業かわさきじゅうこうぎょうげん川崎かわさき車両しゃりょう)・東急とうきゅう車輛しゃりょう製造せいぞうげん総合そうごう車両しゃりょう製作所せいさくしょ)・アルナ工機あるなこうきげんアルナ車両しゃりょう)・三菱電機みつびしでんき東洋電機製造とうようでんきせいぞう富士電機ふじでんき住友金属工業すみともきんぞくこうぎょうげん日本にっぽん製鉄せいてつ)・ 日本にっぽんエヤーブレーキ(げんナブテスコ)が参加さんかし、それぞれが構体や機器ききるい分担ぶんたんして製造せいぞうし、組立くみたて川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう兵庫ひょうご工場こうじょう実施じっしした。

システムてきには、直流ちょくりゅうふくまきしき電動でんどう回生かいせいブレーキ常用じょうよう[2]する電機でんきチョッパ制御せいぎょ応答おうとうせい強力きょうりょく油圧ゆあつキャリパー方式ほうしきディスクブレーキと、これを制御せいぎょする電気でんき指令しれいしきブレーキシステム、しゅ電動でんどうりょうはしじくからハイポイドギアと中空なかぞらじくカルダン継手つぎてかいして車軸しゃじく駆動くどうするモノモーター方式ほうしき直角ちょっかくカルダン駆動くどう車輪しゃりんのリムに防音ぼうおんリングを圧入あつにゅうした防音ぼうおん車輪しゃりん装備そうびするインサイドフレームしき空気くうきバネ台車だいしゃ、それに冷暖房れいだんぼう兼用けんよう可能かのうなヒートポンプしき空調くうちょう装置そうち[3]、と開発かいはつ当時とうじ高速こうそく電車でんしゃよう技術ぎじゅつ可能かのうかぎりコンパクトうえみ、さら欧米おうべい先行せんこう事例じれい参考さんこうに、路面ろめん電車でんしゃならではのしん技術ぎじゅつ採用さいようしていることうかがえる。

人間にんげん工学こうがくてき考察こうさつおこなわれ、とく運転うんてん運転うんてん作業さぎょう改善かいぜんのために1じく両手りょうてしきのワンハンドルマスコンなどが採用さいようされ、路面ろめん電車でんしゃ新造しんぞうしゃ設計せっけいなが踏襲とうしゅうされた。

もっとも、このうちチョッパ制御せいぎょやインサイドフレーム式台しきだいしゃ採用さいようは、参加さんかメーカーのひとつである東急車輌製造とうきゅうしゃりょうせいぞうがボーイング・バートルしゃ下請したうけとして1970年代ねんだい中盤ちゅうばん設計せっけいした、サンフランシスコ市営しえい鉄道てつどう(Muni:San Francisco Municipal Railway)およびマサチューセッツわん輸送ゆそう公社こうしゃ(MBTA:Massachusetts Bay Transportation Authority)標準ひょうじゅんライトレール車両しゃりょう(SLRV:Standard Light Rail Vehicle)ですで実績じっせきがあったもの[4]であり、この軽快けいかい電車でんしゃ開発かいはつたっては、そういった参加さんかかくメーカーの輸出ゆしゅつ車両しゃりょう開発かいはつ経験けいけんられ活用かつようされただけでなく、以後いご各社かくしゃ製造せいぞう担当たんとうする輸出ゆしゅつ車両しゃりょうのための技術ぎじゅつ蓄積ちくせきという意図いとふくまれていた。

その影響えいきょう

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こののち参加さんかメーカーのひとつであるアルナ工機あるなこうきが1980年代ねんだい車体しゃたい製作せいさくした岡山おかやま電気でんき軌道きどう7000かたち皮切かわきりに、日本にっぽんのこ路面ろめん電車でんしゃほとんどに、軽快けいかい電車でんしゃ影響えいきょうけた車両しゃりょう導入どうにゅうされ、現在げんざいLRV導入どうにゅううごきやライトレールブームへのならしとなった。

軽快けいかい電車でんしゃ開発かいはつされたチョッパ制御せいぎょシステムは広島電鉄ひろしまでんてつ800かたちに、車体しゃたい構造こうぞうはつVVVF制御せいぎょくるまとなった熊本くまもと市電しでん8200かたちがれた。

参考さんこう文献ぶんけん

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西尾にしお源太郎げんたろうことしのビッグニュース これがうわさの軽快けいかい電車でんしゃ
  • 交友こうゆうしゃ鉄道てつどうファン』1980ねん10がつごう Vol.20 No.234
小山こやままさき新車しんしゃガイド2 さわやかにデビュー 広島ひろしま長崎ながさき軽快けいかい電車でんしゃ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ただし営業えいぎょう運転うんてん開始かいし長崎ながさきでん軌2000かたち先行せんこう
  2. ^ 長崎ながさきでん軌2000がたではおもにコストめん判断はんだんから回生かいせいブレーキは省略しょうりゃくされた。
  3. ^ 長崎ながさきでん軌2000がたでは通常つうじょうがた冷房れいぼうとヒーターが採用さいようされた。
  4. ^ チョッパ制御せいぎょはアメリカのガーレットしゃ担当たんとうした。なお、SLRVは老朽ろうきゅうしたPCCカー代替だいたい目的もくてき開発かいはつされたものであり、そういった海外かいがい動向どうこうも、軽快けいかい電車でんしゃ開発かいはつ遠因えんいんであった。

参考さんこうサイト

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