旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう

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旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう(あさひかわしがいきどう)とは、かつて北海道ほっかいどう旭川あさひかわ存在そんざいした路面ろめん電車でんしゃバス運営うんえい会社かいしゃ

同社どうしゃ昭和しょうわ初期しょきから30年代ねんだいまで路面ろめん電車でんしゃ運行うんこうし、その旭川あさひかわバスというバス会社かいしゃとして存続そんぞくしていたが、1968ねん旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう吸収きゅうしゅう合併がっぺいされて消滅しょうめつした。

ほんこうでは、同社どうしゃ運行うんこうしていた路面ろめん電車でんしゃについておもしるす。

概要がいよう[編集へんしゅう]

黎明れいめい[編集へんしゅう]

北海道ほっかいどう中央ちゅうおう位置いちする旭川あさひかわ1901ねん明治めいじ34ねん)に陸軍りくぐんだい7師団しだん移設いせつされて以来いらいぐんとしてさかえた。師団しだん施設しせつかれた近文ちかぶみ地区ちく旭川あさひかわえきまえむす交通こうつう機関きかんとして1906ねん明治めいじ39ねん)に上川かみかわ馬車ばしゃ鉄道てつどう開業かいぎょうしたが、1917ねん大正たいしょう6ねん)に師団しだん本隊ほんたいシベリア出兵しゅっぺいのために満州まんしゅう移転いてんして利用りようきゃく激減げきげんし、だいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょうによる鉄材てつざい不足ふそく価格かかく高騰こうとうしたレール売却ばいきゃくして1918ねん大正たいしょう7ねん)には姿すがたした[1]

旭川あさひかわ電気でんき軌道きどうはしらせようという計画けいかく大正たいしょうてられ、旭川あさひかわ市会しかいにおいても市営しえい電気でんき軌道きどう建設けんせつ議決ぎけつしたが、市営しえい民営みんえい両論りょうろん対立たいりつし、具体ぐたいしなかった。昭和しょうわはいころまでに民営みんえい事業じぎょうしゃ旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう[注釈ちゅうしゃく 1]旭川あさひかわ電力でんりょく軌道きどう旭川あさひかわ電車でんしゃ旭川あさひかわ市街しがい軌道きどうの4しゃがそれぞれ別途べっと軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ申請しんせいして紛争ふんそう状態じょうたいとなったため、市会しかいは4しゃとの協約きょうやくしょ作成さくせいして収拾しゅうしゅうつとめた。その結果けっか旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう旭川あさひかわ電力でんりょく軌道きどう旭川あさひかわ電車でんしゃの3しゃ協調きょうちょう[2]してあらたに旭川あさひかわ市街しがい電鉄でんてつほどなく旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう改称かいしょう)を設立せつりつし、一条いちじょうせん四条しじょうせん師団しだんせん軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ申請しんせいして特許とっきょるにいたった。このうち、師団しだんせん近文ちかぶみ1せん1ごう - 近文ちかぶみ1せん6ごうあいだ陸軍りくぐんしょう意向いこうにより許可きょかされなかったため、師団しだんぎゃくコのがたおおきく迂回うかいする経路けいろあらためて申請しんせいし、特許とっきょている。

開業かいぎょうから終戦しゅうせん[編集へんしゅう]

旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう1929ねん昭和しょうわ4ねん11月3にちはつ路線ろせん開業かいぎょうさせた。その昭和しょうわ10年代ねんだいにかけては路線ろせん整備せいびおこなわれ、それとともに乗客じょうきゃくすう漸増ぜんぞうしてき、昭和しょうわ5年度ねんどやく302まんにん昭和しょうわ19年度ねんどにはやく1083まんにんにまでふくらんだ。昭和しょうわ20年度ねんど上半期かみはんきまではとし6ぶん株主かぶぬし配当はいとうおこなうなど、経営けいえい順調じゅんちょうであった。

終戦しゅうせんによってだい7師団しだん廃止はいしされると昭和しょうわ22年度ねんどにはやく617まんにん昭和しょうわ26年度ねんどにはやく458まんにん輸送ゆそう人員じんいん激減げきげんした。くわえて、インフレによる経営けいえい膨張ぼうちょうにより収支しゅうし悪化あっかし、昭和しょうわ22年度ねんど上半期かみはんきには資本しほんきん(135まんえん)にほぼ匹敵ひってきする120まんえんもの損失そんしつきん計上けいじょうした。一方いっぽう戦時せんじちゅう疲弊ひへいした軌道きどう施設しせつ補修ほしゅうに500まんえんあまりをようする見込みこみであったことから、戦時せんじちゅうから休止きゅうししていた路線ろせんバス事業じぎょう[注釈ちゅうしゃく 2]復活ふっかつうえ乗客じょうきゃく減少げんしょういちじるしいいちじょうせん四条しじょうせん廃止はいしし、撤去てっきょした資材しざい売却ばいきゃく代金だいきん事業じぎょう借入金かりいれきん返済へんさいてることになった。

軌道きどう事業じぎょう廃止はいしから吸収きゅうしゅう合併がっぺい[編集へんしゅう]

のこされた師団しだんせん戦後せんご近文ちかぶみせんとも呼称こしょう)は、師団しだん兵舎へいしゃ官舎かんしゃ学校がっこう工場こうじょう、引揚しゃ住宅じゅうたくなどに転用てんようされたこと、師団しだん東側ひがしがわ野球やきゅうじょう総合そうごう競技きょうぎじょうなどの公共こうきょう施設しせつ完備かんびしたことなどから輸送ゆそう需要じゅよう見込みこまれ、かつて陸軍りくぐんしょう反対はんたいによりなかった北海道ほっかいどう神社じんじゃまえ - 市営しえい球場きゅうじょうまえ - 競馬けいばじょう北口きたぐちぜんあいだあらたに建設けんせつした。昭和しょうわ27年度ねんどやく463まんにんであった旅客りょかくすう昭和しょうわ29年度ねんどには500まんにん運輸うんゆ状況じょうきょう好転こうてんしつつあったが、設備せつび老朽ろうきゅう営業えいぎょう増大ぞうだいして経営けいえい圧迫あっぱくしたために、1956ねん昭和しょうわ31ねん6月8にちかぎりで軌道きどうせん全線ぜんせん運輸うんゆ営業えいぎょう廃止はいしして路線ろせんバスに転換てんかんされた。

軌道きどう事業じぎょう廃止はいしはバス事業じぎょう専業せんぎょうとなり、旭川あさひかわバス社名しゃめい変更へんこううえ営業えいぎょう継続けいぞくしたが経営けいえい不振ふしんで、同社どうしゃ株主かぶぬし過半数かはんすう会社かいしゃ設立せつりつからえんふか旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう事業じぎょう補助ほじょねが事態じたいいたる。旭川あさひかわ電気でんき軌道きどうでは同社どうしゃ役員やくいん旭川あさひかわバスの株式かぶしき過半数かはんすう保有ほゆうして経営けいえいけん取得しゅとくし、1967ねん昭和しょうわ42ねん)4がつ両社りょうしゃ役員やくいん交換こうかんうえ1968ねん昭和しょうわ43ねん)4がつ同社どうしゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいした。旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう存続そんぞく会社かいしゃとして旭川あさひかわバスは解散かいさんし、旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう以来いらい独立どくりつした交通こうつう事業じぎょうしゃとしては消滅しょうめつした[3]旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう旭川あさひかわバスからいだバス路線ろせんはその整理せいり統合とうごうをされたが、2012ねん平成へいせい24ねん現在げんざいでも運行うんこう継続けいぞくしている。

なお旭川あさひかわ市民しみん旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう電車でんしゃ東川ひがしがわせん東旭川ひがしあさひかわせん)を「郊外こうがい電車でんしゃ」、旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう電車でんしゃを「市内しない電車でんしゃ」、とんで区別くべつしていた。

貨物かもつ運輸うんゆ事業じぎょう計画けいかく未成みせい[編集へんしゅう]

旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう市内しない輸送ゆそうにな路面ろめん電車でんしゃとしてられているが、農産のうさんである東鷹栖ひがしたかすむら(のちに旭川あさひかわ吸収きゅうしゅう)や鷹栖たかすむら農産物のうさんぶつ肥料ひりょうなどの輸送ゆそうおこな貨物かもつ運輸うんゆ営業えいぎょう目論もくろんだ時代じだいもある。この地域ちいき軌道きどう敷設ふせつ計画けいかくは、大正たいしょう末期まっきから昭和しょうわ初期しょきにかけて鷹栖たかす軌道きどう鷹栖たかす電鉄でんてつなどが軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょねがい申請しんせいしており、旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう1930ねん昭和しょうわ5ねん)に師団しだんせん終点しゅうてん一線いっせんろくごうより一線いっせんじゅうさんごうさんせんじゅうさんごう比布ひふむらきたせんろくごういたる12.7km、さんせんじゅうさんごうより鷹栖たかすむらじゅうせんじゅうさんごうじゅうせんよんごういたる8.85km、じゅうせんじゅうさんごうよりじゅうせんじゅうろくごういたる1.76kmの3せんけい23.3kmで旅客りょかく貨物かもつ運輸うんゆおこな軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょねがい申請しんせいした。貨物かもつ輸送ゆそうについては、師団しだんせん交差こうさする鷹栖たかす専用せんようせん国鉄こくてつ近文ちかぶみえき - だい7師団しだん)の利用りよう目論もくろみ、師団しだんせん大町おおまちなな丁目ちょうめ付近ふきんより分岐ぶんきして鷹栖たかす専用せんようせん2.7km付近ふきん接続せつぞくする0.5kmの貨物かもつ専用せんよう電気でんき軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょねがい申請しんせいし、札幌さっぽろ鉄道てつどうきょくたいして鷹栖たかす専用せんようせん国鉄こくてつ営業えいぎょうせん変更へんこうして貨物かもつえきもうけ、一般いっぱん貨物かもつ取扱とりあつかいをおこなうよう請願せいがんした。ところが、経済けいざいきょう既設きせつせん営業えいぎょう不振ふしん相次あいつ凶作きょうさくによる農村のうそん疲弊ひへいなどにより計画けいかく頓挫とんざ1933ねん昭和しょうわ8ねん)には計画けいかく一線いっせんろくごう - 鷹栖たかすむらじゅうせんじゅうさんごうあいだ8.89kmのみに短縮たんしゅくしてさい申請しんせいしたが、結局けっきょく取下とりさげとなった。

一方いっぽう鷹栖たかす専用せんようせん国鉄こくてつ営業えいぎょうせん旭川あさひかわ市長しちょうきそえねがいかたち別途べっと札幌さっぽろ鉄道てつどうきょく請願せいがんし、貨物かもつえき設置せっち工事こうじ市費しひとうにておこなむねしめした。こちらもだい7師団しだんとの交渉こうしょう難航なんこうして戦前せんぜんには実現じつげんしなかったが、1950ねん昭和しょうわ25ねん)に国鉄こくてつ函館本線はこだてほんせん貨物かもつ支線しせん変更へんこうして旭川あさひかわ大町おおまちえき設置せっちされることでた。

路線ろせんデータ[編集へんしゅう]

上川かみかわ馬車ばしゃ鉄道てつどう旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう 路線ろせん進展しんてん

1947ねん当時とうじ

  • 路線ろせん距離きょり:12.2km
    • 四条しじょうせん:2.4km
    • 一条いちじょうせん:3.1km
    • 近文ちかぶみせん:6.7km
  • 停留所ていりゅうじょすう:25(路線ろせん同士どうし交点こうてん停留所ていりゅうじょかんしては、わせて1としてかぞえる)
  • 車庫しゃこ:1.四条しじょういち丁目ちょうめ[注釈ちゅうしゃく 3] 2.大町おおまちなな丁目ちょうめ[注釈ちゅうしゃく 4]
  • 変電へんでんしょはちじょうはち丁目ちょうめ
  • 軌間きかん:1067mm
  • 電化でんか方式ほうしき直流ちょくりゅう600V

師団しだんせん旭川あさひかわ常盤ときわロータリーをほぼつらぬくように線路せんろかれており、1950ねん北海道開発ほっかいどうかいはつだい博覧はくらんかいわせてロータリーに「平和へいわとう」がてられたさいも、とう線路せんろ電車でんしゃをまたぐようなかたちとなった。

師団しだんせん延長線えんちょうせん敷設ふせつさいし、国鉄こくてつ近文ちかぶみえきより分岐ぶんきしてだい7師団しだんいた鷹栖たかす専用せんようせん(のちの函館本線はこだてほんせん貨物かもつ支線しせん旭川あさひかわ大町おおまちえき付近ふきん)との平面へいめん交差こうさ設置せっちされ、1930ねんあさひ橋西きょうせいつめ - 一線いっせんろくごうあいだ開業かいぎょう同時どうじ使用しようされたが、1932ねん専用せんようせん短縮たんしゅくともなって撤去てっきょされた。

停留所ていりゅうじょ[編集へんしゅう]

1947ねん当時とうじ

  • 四条しじょうせん四条しじょういち丁目ちょうめ - 四条しじょうきゅう丁目ちょうめ - 四条しじょうじゅういち丁目ちょうめ - 四条しじょうじゅうなな丁目ちょうめ
  • 一条いちじょうせんあけぼのどおり - 一条いちじょうきゅう丁目ちょうめ - 一条いちじょうじゅういち丁目ちょうめ - 一条いちじょうじゅう丁目ちょうめ - はちじょうじゅう丁目ちょうめ
  • 師団しだんせん旭川あさひかわえきまえ - 一条いちじょうきゅう丁目ちょうめ - 四条しじょうきゅう丁目ちょうめ - ろくじょうきゅう丁目ちょうめ - はちじょうはち丁目ちょうめ - 旭橋あさひばし - あさひまちさん丁目ちょうめ - 大町おおまちさん丁目ちょうめ - 北海道ほっかいどう神社じんじゃまえ - 大町おおまち丁目ちょうめ - 大町おおまちなな丁目ちょうめ - 大町おおまちきゅう丁目ちょうめ - いちまえ - まえ - さんまえ - 春光台しゅんこうだいまえ - まえ - ろくまえ - 競馬けいばじょう北口きたぐちまえ - 国立こくりつ病院びょういんまえ - 一線いっせんろくごう

運行うんこう概要がいよう[編集へんしゅう]

1934ねん11月1にち改正かいせい当時とうじ

  • 運行うんこう本数ほんすう全線ぜんせん630ふんから2330ふんまでおおむね5ふん間隔かんかく
  • 所要しょよう時間じかん全線ぜんせん四条しじょうせん12ふん一条いちじょうせん14ふん師団しだんせん30ふん

歴史れきし[編集へんしゅう]

  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん4がつ14にち 旭川あさひかわ市街しがい電鉄でんてつ旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう)がいちじょうせん一条通いちじょうどおり西にし丁目ちょうめ - 八条通はちじょうどおりじゅうろく丁目ちょうめあいだ1マイル74チェーン)、四条しじょうせん四条しじょうどおりじゅうなな丁目ちょうめ - 宮下通みやしたどおりいち丁目ちょうめあいだ1マイル50チェーン)、師団しだんせん旭川あさひかわ停車場ていしゃじょうまえ - 近文ちかぶみ一線いっせんろくごうあいだ、3マイル12チェーン)における旅客りょかくおよび貨物かもつ営業えいぎょう軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ申請しんせい
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん9月22にち 旭川あさひかわ市街しがい電鉄でんてつたいし、一条いちじょうせん四条しじょうせん、および師団しだんせんのうち旭川あさひかわ停車場ていしゃじょうまえ - 近文ちかぶみ一線いっせんいちごうあいだ軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん12月29にち 社名しゃめい旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう変更へんこう
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん7がつ2にち 師団しだんせん近文ちかぶみ一線いっせんいちごう - 師団しだん司令しれいまえ春光台しゅんこうだいまえ) - 一線いっせんろくごうあいだ2M46Cの軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん11月3にち はつ路線ろせんとして、四条しじょうせん神楽かぐらどおり四条しじょういち丁目ちょうめ) - 四条しじょうじゅうなな丁目ちょうめあいだおよび、一条いちじょうせんはちじょう北都ほくとまえはちじょうじゅう丁目ちょうめ) - あけぼのあいだけい5.5km開業かいぎょう
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん)3がつ7にち 師団しだんせん一線いっせんろくごうより東鷹栖ひがしたかすむらないおよび比布ひふまちいたる3せん23.3kmの軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ申請しんせい(1933ねん昭和しょうわ8ねん)に路線ろせん短縮たんしゅくしてさい申請しんせい
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん5月15にち 師団しだんせん旭川あさひかわ駅前えきまえ - あさひきょうあいだ開業かいぎょう
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん)10がつ3にち 師団しだんせん大町おおまちなな丁目ちょうめ付近ふきんより鷹栖たかす専用せんようせん接続せつぞくする0.5kmの貨物かもつ専用せんよう軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ申請しんせい(のちに取下とりさげ)
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん11月27にち 師団しだんせんあさひ橋西きょうせいつめ - 一線いっせんろくごうあいだ開業かいぎょう
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん)11月3にち あさひきょう代目だいめ開通かいつうともない、あさひきょう - あさひ橋西きょうせいつめ本町ほんちょう丁目ちょうめあいだ0.45km開業かいぎょう、これにより師団しだんせん全線ぜんせん完成かんせい
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん)10がつ13にち 師団しだんせん一線いっせんろくごうより鷹栖たかすむらじゅうせんじゅうさんごういたる8.89kmの軌道きどう敷設ふせつ特許とっきょ申請しんせい(1930ねん昭和しょうわ5ねん申請しんせいぶん変更へんこう、のちに取下とりさげ)
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん
    • 運輸うんゆ通信つうしんしょう昭和しょうわじゅうきゅう年度ねんど地方ちほう鉄道てつどう軌道きどうとう回収かいしゅう転用てんよう実施じっしけん」(てつぎょうかんだい1276ごう)により師団しだんせん師団しだん司令しれいまえ - 一線いっせんろくごうあいだ1.8kmを単線たんせんし、撤去てっきょ軌条きじょう芦別あしべつ炭鉱たんこう転用てんよう
    • 9月 企業きぎょう統合とうごう発足ほっそくした道北みちきた乗合のりあい自動車じどうしゃ道北みちきたバス)に営業えいぎょう休止きゅうしちゅう乗合のりあい自動車じどうしゃ車両しゃりょう8りょう譲渡じょうと
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん4がつ7にち 一条いちじょうせん3.098kmと四条しじょうせん2.465kmを廃止はいししバス、ただし四条しじょうせんよんじょうきゅう丁目ちょうめ - 四条しじょういち丁目ちょうめあいだよんじょういち丁目ちょうめ車庫しゃこ修繕しゅうぜん工場こうじょうへの出入でいりせんとして営業えいぎょう単線たんせん存置そんち[注釈ちゅうしゃく 5]
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん7がつ5にち 師団しだんせん近文ちかぶみせん春光台しゅんこうだいまえ - 競馬けいばじょう北口きたぐちぜんあいだ1.12kmを廃止はいし北海道ほっかいどう神社じんじゃまえ - 市営しえい球場きゅうじょうまえ - 競馬けいばじょう北口きたぐちぜんあいだ1.55kmの短絡たんらくせん開業かいぎょうするとともに、旭川あさひかわ駅前えきまえ - 北海道ほっかいどう神社じんじゃまえ - 春光台しゅんこうだいぜんあいだ5.28kmをろく号線ごうせん北海道ほっかいどう神社じんじゃまえ - 一線いっせんろくごうあいだ2.24kmをひがしろく号線ごうせん改称かいしょう
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん旭川あさひかわ国民こくみん体育たいいく大会たいかい旭川あさひかわ国体こくたい開催かいさいともない、はい2をたねしゃにした花電車はなでんしゃ運転うんてん[5]
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん6月9にち 全線ぜんせん廃止はいししバス

接続せつぞく路線ろせん[編集へんしゅう]

輸送ゆそう収支しゅうし実績じっせき[編集へんしゅう]

年度ねんど 乗客じょうきゃくひと 営業えいぎょう収入しゅうにゅうえん 営業えいぎょうえん 益金えききんえん その益金えききんえん その損金そんきんえん 支払しはらい利子りしえん
1929 434,804 26,257 28,979 ▲ 2,722 ざつそん720 2,002
1930 3,016,070 178,237 135,073 43,164 49,644
1931 3,605,277 206,405 157,329 49,076 54,083
1932 3,305,598 184,758 152,887 31,871 55,611
1933 3,492,370 191,393 144,469 46,924 ざつそん4,913 52,863
1934 3,773,643 214,183 149,170 65,013 ざつそん138 44,266
1935 3,868,585 214,299 152,126 62,173 ざつそん65 39,363
1936 3,881,064 209,889 150,385 59,504 ざつそん54 36,102
1937 4,460,442 232,471 162,968 69,503 31,929
1939 6,961,730 398,064 240,762 157,302 自動車じどうしゃその493 28,742
1941 8,873,715 516,907 353,341 163,566 自動車じどうしゃ146 ざつそん償却しょうきゃくきん55,796 10,673
1948 4,802,316
  • 鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけい鉄道てつどう統計とうけい年報ねんぽうかく年度ねんどばん

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

開業かいぎょうから全廃ぜんぱいまでかく車両しゃりょうともしゅうでんシングルポール使用しようし、警音フートゴング常用じょうようブレーキはハンドブレーキ使用しようした。ビューゲルエアブレーキエアホイッスルひとし使用しようしていない。

  • 1 - 20 - 川崎かわさき車輌しゃりょう、1929ねんせい開業かいぎょうさいして用意よういされた20りょうはんはがねせいよんりん電動でんどう客車きゃくしゃ設計せっけい認可にんかは1929(昭和しょうわ4)ねん10がつ4にち定員ていいん44めい座席ざせき20たてせき24)。当初とうしょ電動でんどうは22.4馬力ばりき×2であったが、戦後せんご順次じゅんじ50馬力ばりき×2にえられた。他社たしゃ譲渡ゆずりわたされた4りょうをのぞき、全線ぜんせん廃止はいしまで使用しようされた。事故じこ多発たはつした6はくるまばんを31に変更へんこうしている[6]
  • 22 - 27 - 汽車きしゃ会社かいしゃ東京とうきょう支店してん、1930ねんせい師団しだんせん延長えんちょうさいしてぞう備された6りょうはんはがねせいよんりん電動でんどう客車きゃくしゃ設計せっけい認可にんかは1930(昭和しょうわ5)ねん10がつ25にち定員ていいん44めい座席ざせき20たてせき24)。電動でんどうは30馬力ばりき×2。戦後せんご全車ぜんしゃ他社たしゃ譲渡ゆずりわたされた。
  • 28 - 30 - 京浜けいひん電気でんき工業こうぎょう合資ごうし会社かいしゃ、1925ねんせい廃止はいしされた登別温泉のぼりべつおんせん軌道きどうより譲受じょうじゅした3りょう木造もくぞうよんりん電動でんどう客車きゃくしゃ譲受じょうじゅ認可にんかは1934(昭和しょうわ9)ねん3がつ23にち入線にゅうせんさいし、ダブルポールをシングルポールに改造かいぞうしている。定員ていいん50めい座席ざせき22たてせき28)。電動でんどうは39馬力ばりき×2。戦後せんご、2りょう他社たしゃ譲渡じょうと、1りょうはいゆきしゃ改造かいぞうされた。
  • はい1 - はい2 - 汽車きしゃ会社かいしゃ東京とうきょう支店してん、1931ねんせいロータリーブルームしきはんはがねせいよんりんはいゆきしゃ電動でんどうは50馬力ばりき×2とブルームよう30馬力ばりき×1。設計せっけい認可にんかはい1が1932(昭和しょうわ7)ねん1がつ22にちはい2が同年どうねん2がつ27にちはい1はブルームシャフトをふく最大さいだいはば車輌しゃりょう定規じょうぎ超過ちょうかしたため、当初とうしょ使用しよう区間くかん道路どうろ交通こうつうりょうすくない招魂しょうこん神社じんじゃまえ - 一線いっせんろくごうあいだかぎ条件じょうけん認可にんかされた。

他社たしゃへの譲渡じょうとは、12、13、24、27が豊橋とよはし電気でんき軌道きどう、22、23、25、26が秋田あきた市電しでん、28、29が北海道ほっかいどう炭礦たんこう汽船きせん夕張ゆうばり鉱業こうぎょうしょ、3、20が北海道ほっかいどう炭礦たんこう汽船きせん平和へいわ鉱業こうぎょうしょで、いずれも1948(昭和しょうわ23)ねん6がつ18にち譲渡じょうととどけ提出ていしゅつ。このうち、28と29を譲受ゆずりうけたきたずみ夕張ゆうばり鉱業こうぎょうしょ夕張ゆうばり専用せんよう鉄道てつどうしん夕張ゆうばり - 高松たかまつ)を電化でんかして使用しようする予定よていだったが、資金しきんなんより中止ちゅうしとなり、車両しゃりょう破棄はきされた。3と20はきたずみ角田つのだ専用せんよう鉄道てつどう夕張ゆうばり鉄道てつどうしん岐駅 - 角田つのだ砿)で使用しようされた。また、全廃ぜんぱいはい1を旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう購入こうにゅうした。

戦後せんご車体しゃたい更新こうしん電動でんどう増強ぞうきょうおこなわれたさいくるまばん更新こうしん年度ねんどしたいちケタをあたまにつけて3ケタの番号ばんごうとなった[5]新旧しんきゅう番号ばんごう対照たいしょう以下いかとおり。

1→101、2→102、4→204、5→105、6→31→231、7→107、8→208、9→109、10→210、11→311、14→314、15→315、16→416、17→217、18→118、19→319

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 旭川あさひかわ電気でんき軌道きどうは、1927ねん昭和しょうわ2ねん)2がつ東川ひがしがわせん追分おいわけ - じゅうごうあいだ開業かいぎょうさせ、つづいて3がつじゅうごう - 東旭川ひがしあさひかわあいだ、4がつ四条しじょう - 追分おいわけあいだ、10月、四条しじょう - 旭川あさひかわいちじょう - 旭川あさひかわあいだ旭川あさひかわいちじょう - 旭川あさひかわあいだ貨物かもつのみ)を開業かいぎょうし、すでに電鉄でんてつ会社かいしゃとしての実績じっせきがあった。さらに追分おいわけから分岐ぶんきする東旭川ひがしあさひかわせん工事こうじにもりかかっており、積極せっきょくてき路線ろせん拡充かくじゅうはかっていた。
  2. ^ 社団しゃだん法人ほうじん北海道ほっかいどうバス協会きょうかい トップページから「バス協会きょうかいについて 北海道ほっかいどうのバス事業じぎょう歴史れきし」 2014ねん1がつ29にち閲覧えつらん当時とうじ国策こくさくであった企業きぎょう統合とうごうにより旭川あさひかわ地区ちく乗合のりあい自動車じどうしゃ事業じぎょう1944ねん昭和しょうわ19ねん)に新設しんせつされた道北みちきた乗合のりあい自動車じどうしゃげん道北みちきたバス)に統合とうごうされたが、統合とうごう時点じてん旭川あさひかわ市街しがい軌道きどう乗合のりあい自動車じどうしゃ事業じぎょうはすでに営業えいぎょう休止きゅうしちゅうであったため、車両しゃりょう譲渡じょうとのみで路線ろせん譲渡じょうとしていない。
  3. ^ 営業えいぎょう廃止はいし跡地あとち旭川あさひかわバスの車庫しゃこ転用てんようされた。1968ねん昭和しょうわ43ねん車庫しゃこ跡地あとち旭川あさひかわ電気でんき軌道きどう直営ちょくえいスーパーが開店かいてんし、あさひともストアー西にしてんて、生活協同組合せいかつきょうどうくみあいコープさっぽろ4じょうどおてん営業えいぎょうしていたが2019ねんれい元年がんねん)9がつ閉店へいてんした[4]
  4. ^ 営業えいぎょう廃止はいし跡地あとち旭川あさひかわバスの工場こうじょう転用てんようされ、ボウリング大型おおがた店舗てんぽ2019ねんれい元年がんねん現在げんざいゲオ旭川あさひかわ大町おおまちてん営業えいぎょうちゅうである。
  5. ^ 1953ねん昭和しょうわ28ねん発行はっこう地図ちずにも営業えいぎょうせん四条しじょういち丁目ちょうめ車庫しゃこ記載きさいがあるが、営業えいぎょう最終さいしゅう大町おおまち車庫しゃこ集約しゅうやくされた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 宮田みやたけんまこととお鉄道てつどう風景ふうけい-明治めいじのあるにちじんしゃ馬車ばしゃはしはじめた-』みちくさしゃ、2001ねん、17ぺーじ
  2. ^ 原口はらぐち隆行たかゆき日本にっぽん路面ろめん電車でんしゃII-廃止はいし路線ろせん東日本ひがしにっぽんへん-』〈JTBキャンブックス〉JTB、2000ねん、28ぺーじ
  3. ^ 鉄道てつどうピクトリアル臨時りんじ増刊ぞうかん全日本ぜんにほん路面ろめん電車でんしゃ現勢げんせい」、だい223ごう鉄道てつどう図書としょ刊行かんこうかい、1969ねん4がつ10日とおか発行はっこう、1976ねん6がつ10日とおか復刻ふっこく、21ぺーじ
  4. ^ 旭川あさひかわ市内しないのコープ店舗てんぽ「アモールてん」・「4じょうどおてん閉店へいてんへ」『リアルエコノミー』2019/06/242019ねん12がつ10日とおか閲覧えつらんぶんweb魚拓ぎょたく
  5. ^ a b 青木あおき栄一えいいち昭和しょうわ29ねんなつ 北海道ほっかいどう私鉄してつめぐり(うえ)』〈RM LIBRARY58〉ネコ・パブリッシング、2004ねん、33ぺーじ、37ぺーじ
  6. ^ 1ごう電車でんしゃ形式けいしき最新さいしん電動でんどう客車きゃくしゃ明細めいさいひょう及型しきしゅう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)