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網干町(あぼしちょう)は、かつて兵庫県に存在していた町である。1946年に姫路市などと合併し消滅した。現在は姫路市網干区となっている。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い、揖東郡新在家村、興濱村、余子濱村、大江島村、揖西郡濱田村が合併し、揖東郡網干町発足。新在家字網干浜687番地に町役場を置いた。
- 1896年(明治29年)4月1日 揖東郡、揖西郡が合併し揖保郡に。
- 1898年(明治31年)2月 町役場を新在家戎濱町366番地に町役場を移転。
- 1914年(大正3年)7月 町役場を新在家586、587、並に興濱26の1番地に町役場を移転。町政廃止まで使用した。
- 1928年(昭和3年) 網干町歌(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)を制定。
- 1942年(昭和17年)4月1日 揖保郡旭陽村を編入。
- 1946年(昭和21年)3月1日 (旧)姫路市、飾磨市、白浜町、広畑町、余部村、勝原村、大津村とともに姫路市を新設し消滅。
- 加藤邦太郎(1889年(明治22年)4月-1894年(明治27年)4月)
- 中圓尾善左衛門(1894年(明治27年)4月-1895年(明治28年)7月)
- 加藤邦太郎(1895年(明治28年)8月-1895年(明治28年)12月)
- 中圓尾善左衛門(1896年(明治29年)9月-1898年(明治31年)6月)
- 山内武平(1898年(明治31年)8月-1902年(明治35年)9月)
- 近藤弥五郎(1903年(明治36年)2月-1903年(明治36年)7月)
- 加藤邦太郎(1903年(明治36年)11月-1905年(明治38年)9月)
- 中圓尾善左衛門(1905年(明治38年)12月-1907年(明治40年)1月)
- 中圓尾善左衛門(1907年(明治40年)6月-1908年(明治41年)6月)
- 奥本傳吉(1908年(明治41年)6月-1927年(昭和2年)11月)
- 山本真蔵(1929年(昭和4年)4月-1934年(昭和9年)9月)
- 宮垣幸吉(1934年(昭和9年)9月-1946年(昭和21年)2月)
当時の制度では町長の任期は6年であるが、第2代~第9代まで短期での交代が相次いだ。また町長不在期間も長い時には1年以上に及んでいる。網干町は幕藩時代にその管轄が三分されていた関係から、各村ごとに気風を異にし融和を欠き、これは町政上の一大難関として存在した[3]。
- ^ 一名・自治体の紋章 近藤春夫 著, 行水社出版, 21頁
- ^ 国勢調査後に編入した旧旭陽村域を除く
- ^ 川嶋右次・藤本槌重編『網干町史』網干町史刊行会、1951年(昭和26年)1月1日発行、p.664~666