網干
あぼし | |
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13.38km² | |
11,553 | |
29,295 | |
2,189.46 | |
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〒671-1253 | |
「あぼし」が
また
地理
[網干 区 は揖保川 下流 東岸 と大津 茂 川 下流 西岸 に挟 まれた一帯 で、ほぼ平坦 である。東部 で大津 区 と、北東 部 で勝原 区 及 び揖保 郡 太子 町 と、西部 で余部 区 と接 する。また南西 部 で揖保川 支流 の中川 を挟 み、たつの市 御津 町 (旧 ・揖保 郡 御津 町 )と向 き合 う。南方 は播磨灘 に面 しているものの、海岸 線 のほぼ全 てが工場 地帯 。沿岸 は遠浅 のため、イカナゴ漁 などの沿岸 漁業 が行 われる。なお興 浜 の北半 と浜田 は、揖保川 の中州 を占 める。区 中 南部 を国道 250号 (浜 国道 )が東西 に走 り、また北方 へ伸 びる兵庫 県 道 27号 太子 御津 線 が、国道 179号 を経 てたつの市 中心 部 とを結 んでいる。網干 旧 市街 は、古 くからの狭 い道 が交錯 する街並 。臨海 部 にダイセル、西芝電機 、日本触媒 などの大 規模 工場 が並 び、播磨 臨海 工業 地帯 の一角 を成 している。また播磨灘 に面 する網干 港 は姫路 港 (特定 重要 港湾 指定 )の一端 として、工業 港湾 の役割 を果 たす。区 北部 は広 い市街 化 調整 区域 を有 する[1]農村 地帯 であるが、JR網干 駅 が神戸 ・大阪 方面 へのアクセスの良 さから、住宅 地 としての需要 も根強 い。近畿 一 円 で「網干 」と言 えば、狭義 の網干 よりもむしろ「JR西日本 『アーバンネットワーク』の西 の拠点 」として有名 である。JR網干 駅 の西 隣 には大 規模 な車庫 (網干 総合 車両 所 )があり、同 駅 を行 き先 とする京阪神 方面 からの近郊 電車 が多数 運行 されているためである[2]。但 し、JR網干 駅 は旧 市街 から北 へ約 3km離 れていて(「網干 」駅 を名乗 りながらも開業 時 は旭 陽 村 域 であった)、狭義 の網干 からすればいわば街 外 れと言 える。また、網干 総合 車両 所 自体 も、姫路 市 網干 区 ではなく揖保 郡 太子 町 に所在 する。西 で接 するたつの市 御津 町内 には綾部 山 梅林 や新舞子 海水浴 場 、古 くから摂 播五 泊 の一 つとして栄 えた室津 があり、網干 は観光 の玄関 口 。山陽 網干 駅前 から神姫 バスが連絡 する(梅林 や海水浴 場 へは季 節 便 )。
歴史
[先述 のように、遠浅 の海 を利用 した沿海 漁業 のほか、海苔 の養殖 も古 くから盛 んだった。地名 の由来 は、721年 (養老 5年 )の放生会 の式日 に、殺生 を禁 じられた氏子 の漁師 が、網 を干 して、社 参 したことだと言 われている[3]。- 1919
年 (大正 8年 )、臨海 部 に大 日本 セルロイド(現 ・ダイセル)の工場 が進出 、工業 都市 としての性格 も持 ち合 わせるようになった。 - 1889
年 (明治 22年 )の町村 制 施行 により、現在 の区域 に揖保 郡 網干 町 及 び旭 陽 村 が成立 した。網干 町 と旭 陽 村 の合併 を経 て、終戦 間 もない1946年 (昭和 21年 )3月 、進駐軍 の方針 もあって姫路 市 と合併 した。現在 網干 区 を名乗 る地名 は、姫路 市 との合併 時 に網干 町 であった区域 の名残 である[4]。 網干 中心 部 へ伸 びる山陽電気鉄道 網干線 は本線 の飾磨 駅 から延長線 のようにまっすぐ西 へ伸 びているが、網干線 の全線 開業 は本線 姫路 開業 より18年 も後 の1941年 (昭和 16年 )7月 である。1909年 (明治 42年 )1月 、国鉄 網干 駅 から網干 市街 まで龍野 電気 鉄道 (のちの播電鉄道 )が路面 電車 を開業 させ、更 に北方 は龍野 町 ・新宮 町 まで延伸 したものの、1934年 (昭和 9年 )12月に廃止 されている。
網干 区内 の公共 施設
[警察 署
[郵便 局
[姫路 網干 郵便 局 網干 本町 郵便 局 網干 駅前 郵便 局 姫路 田井 郵便 局 網干 宮内 郵便 局 姫路 浜田 郵便 局
かつては
市 関係
[教育
[社寺
[名所 ・旧跡
[- ダイセル
異人 館 -経済 産業 省 近代 化 産業 遺産 。 旧 網干 銀行 本店 [5] -姫路 市 の都市 景観 重要 建築 物 。改修 工事 を経 てレストランになった。魚 吹八幡 神社 旧 赤穂 塩 務 局 網干 出張所 庁舎 -兵庫 県 近代 化 遺産 丸亀 藩 網干 陣屋 -丸亀 藩 が領有 していた陣屋 。現在 は歴史 資料 館 になっている。旧 龍野 藩 南組 大 庄屋 片岡 家 住宅 -1702年 建築 加藤 家 住宅 -登録 有形 文化財 。旧 山 本家 住宅 - 1922年 に材木 問屋 の住居 として建 てられた建築 。旧 水井 家 住宅 網干 商工会 館 - 1940年 に竣工 された洋風 建築 。当時 のままの会議 室 や丸 窓 などが残 っている。
交通
[鉄道
[バス
[道路
[網干 区 に本社 を置 く企業
[地名
[南部
[網干区大江島 網干区大江島 古川 町 網干区大江島 寺前 町 網干 区 垣内北 町 網干 区 垣内東 町 網干 区 垣内中 町 網干 区 垣内本 町 網干 区 垣内西 町 網干 区 垣内南 町 網干区余子浜 網干区北新在家 網干区新在家 網干区興浜 網干区浜田
北部
[網干区和久 網干区高田 網干区坂出 網干区福井 網干区田井 網干区宮内 網干区坂上 網干区津市場
余部 区
[よべ | |
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2.08km² | |
1,844 | |
4,895 | |
2,353.37 | |
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概要
[姫路 市 南西 部 、揖保川 下流 の北東 岸 に沿 った田園 地帯 を指 す地域 名 。区 北東 部 には東芝 姫路工 場 (1943年 操業 開始 )が立地 する。東部 ・南部 で網干 区 と、北部 で揖保 郡 太子 町 と、西部 で揖保川 を挟 みたつの市 と接 する。戦前 には揖保 郡 内 の「余部 村 」だったが、1946年 (昭和 21年 )3月 、網干 と同様 に姫路 市 と合併 し姫路 市 余部 区 となった。現在 余部 区 を名乗 る地名 は、姫路 市 との合併 時 に余部 村 であった区域 の名残 である[4]。経済 的 ・人的 交流 としては網干 区 と一体 として扱 われることも多 く(姫路 市 と余部 村 との合併 の際 も、余部 村 は網干 町 と一体 としてみなされていた)、余部 区 にありながら「網干 店 」を名乗 る店 (マツモトキヨシ[6]、ヤマダストアー[7]ほか)もみられる。また余部 小学校 の進学 先 は網干 区内 にある朝日 中学校 である。姫新線 余部 駅 は北東 へ直線 距離 で約 9km離 れた夢前川 西岸 に位置 し、飾磨 郡 にかつて存在 した余部 村 にあり当 区 とは無関係 である。
公共 施設
[姫路 余部 郵便 局 姫路 市立 余部 小学校
交通
[鉄道 は走 っていない。かつて北沢産業 網干 鉄道 が区内 を走 っていたが、廃止 された。市営 バス全線 廃止 。神姫 バス(ウイング神 姫 )は山陽 網干 駅 とJR網干 駅 とを結 ぶ55系統 の一部 が余部 区内 を縦断 する。揖保川 東岸 に兵庫 県 道 29号 網干 竜野 線 が沿 い、区 北部 を兵庫 県 道 133号 網干 停車場 新舞子 線 がよぎる。区 のメインストリートは区 を南北 に貫 く市道 「余部 新道 」である。
地名
[余部区上川原 余部区上余部 余部区下余部
網干 を舞台 とする作品
[- さくらDISCORD -
増田 英二 による漫画 。
脚注
[- ^
都市 計画 区域 、市街化区域 および市街 化 調整 区域 姫路 市 - ^
関西 の“ナゾの終着駅 ”真 反対 の「網干 駅 」と「野洲 駅 」には何 がある?文春 オンライン - ^ 『コンパクト
版 日本 地名 百科 事典 』、監修 :浮田 典 良 、中村 和郎 、高橋 伸夫 、小学館 、1998年 - ^ a b
姫路 の雑学 姫路 市 公式 サイト - ^ “
歴史 的 建物 「旧 網干 銀行 本店 」、大 正風 レストランに再生 :朝日新聞 デジタル”.朝日新聞 デジタル. 2020年 4月 28日 閲覧 。 - ^ マツモトキヨシ
網干 店 - ^
店舗 情報