アルプス山脈あるぷすさんみゃく

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アルプス山脈あるぷすさんみゃく
アルプス山脈あるぷすさんみゃく衛星えいせい写真しゃしん (2002ねん5がつ撮影さつえい
所在地しょざいち  オーストリア
スロベニアの旗 スロベニア
イタリアの旗 イタリア
スイスの旗 スイス
リヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタイン
ドイツの旗 ドイツ
フランスの旗 フランス
位置いち 北緯ほくい4633ふん0びょう 東経とうけい104ふん0びょう / 北緯ほくい46.55000 東経とうけい10.06667 / 46.55000; 10.06667座標ざひょう: 北緯ほくい4633ふん0びょう 東経とうけい104ふん0びょう / 北緯ほくい46.55000 東経とうけい10.06667 / 46.55000; 10.06667
最高峰さいこうほう モンブラン(4,810.9 m
延長えんちょう 1,200 km
はば 100-400 km
プロジェクト やま
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アルプス山脈あるぷすさんみゃく最高峰さいこうほう モンブランさん
ツェルマットからたマッターホルンさん

アルプス山脈あるぷすさんみゃく(アルプスさんみゃく; : Alpes (アルペース)/ふつ: Alpes/: Alpi/どく: Alpen/えい: Alps)は、アルプス・ヒマラヤ造山つくりやまたいぞくし、ヨーロッパ中央ちゅうおう東西とうざい横切よこぎ山脈さんみゃくである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

オーストリアスロベニアひがしはしとし、イタリアドイツリヒテンシュタインスイス各国かっこくにまたがり、フランス南西なんせいはしとするおおくのくににまたがっている。

アルプ(スイスの高山たかやま山腹さんぷく夏季かき放牧ほうぼくじょう英語えいご: alpフランス語ふらんすご: alpeドイツ: Alpe)がいっぱいであるからアルプスであるとかんがえるせつと、ケルトの alp「岩山いわやま」を語源ごげんとし、ラテン語らてんご経由けいゆしたとかんがえるせつがある。言語げんご学者がくしゃ 泉井いずみい久之助きゅうのすけは、大陸たいりくケルトの alpes「たか山々やまやま」からとかんがえられる、としている[1]

最高峰さいこうほうモンブラン標高ひょうこう4,810.9 m (2007ねん) で、フランスとイタリアの国境こっきょうをなし、西にしヨーロッパ最高峰さいこうほう[注釈ちゅうしゃく 1]でもある。

アルプス山脈あるぷすさんみゃくはヨーロッパの多数たすう河川かせん水源すいげんとなっており、ここからドナウがわラインがわローヌがわがわ、といっただい河川かせんながて、それぞれ黒海こっかい北海ほっかい地中海ちちゅうかいアドリア海あどりあかいへとそそぐ。

地理ちり[編集へんしゅう]

フランススイスリヒテンシュタインドイツオーストリアイタリアスロベニア各国かっこくわたアルプス山脈あるぷすさんみゃく                     東西とうざいアルプスの境界きょうかい

アルプス山脈あるぷすさんみゃくは、イタリアのコモみずうみからスイスとリヒテンシュタインおよびオーストリア国境こっきょう(ラインがわ)をむすせんひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃく西にしアルプス山脈あるぷすさんみゃくけられている。これ以外いがいにも南北なんぼくでわけるなどさまざまな区分くぶん存在そんざいする。

西にしアルプス山脈あるぷすさんみゃく[編集へんしゅう]

さらに西にしアルプス山脈あるぷすさんみゃくグルノーブルトリノむすせんさかいとして、みなみ南西なんせいアルプス山脈あるぷすさんみゃくきた北西ほくせいアルプス山脈あるぷすさんみゃくしょうする。南西なんせいアルプス山脈あるぷすさんみゃく地中海ちちゅうかいにまでびている。また、北西ほくせいアルプス山脈あるぷすさんみゃくはスイスアルプス全域ぜんいきふくむ。また、このりょう山脈さんみゃくもさらにこまかい山脈さんみゃくへと細分さいぶんされており、北西ほくせいアルプス山脈あるぷすさんみゃくにはモンブランをふくグライエアルプス山脈さんみゃくや、モンテ・ローザやマッターホルンをふくペンニネアルプス山脈さんみゃくなどがふくまれている。

南西なんせいアルプス山脈あるぷすさんみゃく高度こうどげながら地中海ちちゅうかい至近しきんまでせまっている。高峰こうほうとしてはモンテ・ヴィーゾさんなどがある。アルプスでもっと標高ひょうこうたかいのは北西ほくせいアルプスであり、アルプスの4000m以降いこう高峰こうほうはすべてこの山脈さんみゃくちゅう位置いちする。北西ほくせいアルプスは東西とうざい並行へいこうしてはしふたつの山系さんけいによっておおきくかれている。みなみはし山系さんけいには、西にしからモンブランエギーユ・デュ・ミディグランド・ジョラスなどをふくグライエアルプス山脈さんみゃくや、モンテ・ローザマッターホルンなどをふくペンニネアルプス山脈さんみゃくなどがふくまれる。きた山系さんけいには、 アイガーユングフラウメンヒなどをふくむベルナー・オーバーラント山脈さんみゃくやグラルナー・アルプス山脈さんみゃくなどがふくまれる。このりょう山系さんけいあいだにはローヌがわ河谷こうだにがあり、細長ほそながいヴァリス渓谷けいこく形成けいせいしている。マッターホルンきたふもとにあるツェルマットと、ユングフラウのきたふもとにあるグリンデルヴァルトはそれぞれの地域ちいき観光かんこう登山とざん拠点きょてん都市としとなっている。また、ベルナー・オーバーラント東側ひがしがわ位置いちするルツェルン(フィーアヴァルトシュテッテ周辺しゅうへんの4しゅう(ルツェルンしゅう・ウーリしゅう・シュヴィーツしゅう・ウンターヴァルデンしゅう (ニトヴァルデンじゅんしゅうおよびオプヴァルデンじゅんしゅう))は、スイス発祥はっしょうであり、ウィリアム・テル伝説でんせつられる地域ちいきである。スイスの国土こくど面積めんせきにおけるアルプスの割合わりあいは60%にものぼり、スイスの経済けいざい文化ぶんかおおきな影響えいきょうあたえている。また、みなみふもとのほとんどはイタリアりょうであるが、一部いちぶはスイスりょうティチーノしゅうとなっている。このみなみふもとには、ルガーノマッジョーレコモみずうみといった南北なんぼく細長ほそなが氷河ひょうがみずうみ点在てんざいし、その湖畔こはんルガーノロカルノコモといったリゾート点在てんざいする。

ひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃく[編集へんしゅう]

ひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃくは、東西とうざいではなく南北なんぼくけられている。すなわち、もっともきたはしりドイツとオーストリアの国境こっきょう一部いちぶ北東ほくとうアルプス山脈あるぷすさんみゃく中央ちゅうおうはしりオーストリアとイタリアの国境こっきょうおもになす中央ちゅうおうひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃく、そしてイタリア北部ほくぶからオーストリア南部なんぶケルンテンしゅうへとび、ケルンテンしゅうシュタイエルマルクしゅうとスロベニア共和きょうわこくあいだ国境こっきょうをなす南東なんとうアルプス山脈あるぷすさんみゃくの3つである。南東なんとうアルプス山脈あるぷすさんみゃくにはドロミティ山脈さんみゃくジュリアアルプス山脈あるぷすさんみゃくなどがふくまれている。

北東ほくとうアルプス山脈あるぷすさんみゃく西部せいぶ、ドイツ・オーストリア国境こっきょう部分ぶぶんのドイツがわきたふもとは、もっと西にしにありレヒがわ以西いせい領域りょういきとするアルゴイ・アルプス、レヒがわとインかわはさまれた中部ちゅうぶのバイエルン・アルプス、もっとひがしにあるインかわ以東いとうのザルツブルク・アルプスの3つにけられる。アルゴイ・アルプスは牧歌ぼっかてき風景ふうけいられる。バイエルン・アルプスにはドイツ最高峰さいこうほうであるツークシュピッツェ (2,962 m) があり、またガルミッシュ=パルテンキルヒェンなどのスキーリゾートがおお存在そんざいする[2]。また、バイエルンおうルートヴィヒ2せいによって19世紀せいき後半こうはん建設けんせつされたノイシュヴァンシュタインじょうはアルプスでももっと人気にんきのある観光かんこうひとつである。ルートヴィヒ2せいはほかにもこの地域ちいきに、ホーエンシュヴァンガウじょうリンダーホーフじょうふたつのしろ建設けんせつしている。ザルツブルク・アルプスにあるベルヒテスガーデン保養ほようとしてられている。このアルプスきたふもとにはドイツ観光かんこう街道かいどうひとつであるドイツ・アルペン街道かいどうがボーデン湖畔こはんのリンダウからベルヒテスガーデンまで450 kmにわたってはしっており、おおくの観光かんこうきゃくおとずれる。ザルツブルク南方なんぽうでドイツとの国境こっきょう部分ぶぶんわるが、北東ほくとうアルプスはなおもひがしへとびる。ザルツブルク東方とうほうのザルツカマーグート地方ちほうけ、ウィーン周辺しゅうへんひろがるウィーンのもりがこの山脈さんみゃく末端まったんとなる。ザルツブルクしゅうザンクト・ヨーハン・イム・ポンガウぐんにあるアルプス山脈あるぷすさんみゃく一部いちぶユネスコ世界せかいジオパーク指定していされる[3]

北東ほくとうアルプス山脈あるぷすさんみゃく中央東ちゅうおうひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃくあいだにはインかわたにひろがり、スイス・グラウビュンデンしゅう東部とうぶとおったのちチロル地方ちほう中心ちゅうしんをなしている。イン川上かわかみりゅうエンガディン地方ちほうはその風景ふうけいうつくしさでられ、とくにその上流じょうりゅうであるオーバーエンガディン中心ちゅうしんであるサン・モリッツはスキーリゾートを中心ちゅうしんさかえる観光かんこう都市としである。またサン・モリッツのきたやく30 kmのところにあるダヴォスもスキーリゾートとしてられ、またこの環境かんきょう宿泊しゅくはく施設しせつとう充実じゅうじつぶりから世界せかい経済けいざいフォーラム(ダヴォス会議かいぎ)の開催かいさいえらばれ、毎年まいとし会議かいぎおこなわれている。このたに中央ちゅうおうにあるインスブルックは、このたにとおって東西とうざいへとびる交易こうえきと、中央東ちゅうおうひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃくブレンナーとうげとおって南北なんぼくびる交易こうえき結節けっせつてんとしてさかえてきた。

中央東ちゅうおうひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃくはオーストリアとイタリアの国境こっきょうをなしながらひがしへとびる。中央ちゅうおうのブレンナーとうげはドイツとイタリアとをむす交通こうつうなかでももっと利用りようされたもののひとつであり、アルプス東部とうぶもっと重要じゅうようとうげだった。やがてオーストリア領内りょうないへとはいり、オーストリア最高峰さいこうほうグロースグロックナーさんはこの山脈さんみゃく存在そんざいする。グロースグロックナーさん中心ちゅうしんとするホーエ・タウエルン国立こくりつ公園こうえん中央ちゅうおうヨーロッパで最大さいだい国立こくりつ公園こうえんとなっている。

中央東ちゅうおうひがしアルプス山脈あるぷすさんみゃく南東なんとうアルプス山脈あるぷすさんみゃくあいだにはみなみチロル地方ちほうボルツァーノ自治じちけんケルンテンしゅうなどがひろがる。

南東なんとうアルプス山脈あるぷすさんみゃくドロミティ山脈さんみゃくなどをふくむイタリア領内りょうない東西とうざいびたのち、オーストリアとスロヴェニアの国境こっきょうをなす。スロヴェニア最高峰さいこうほうトリグラウ (2,864 m) もこの山脈さんみゃくないジュリアアルプス山脈あるぷすさんみゃく存在そんざいする。みなみふもとにはガルダがあり、レードロ付近ふきん一部いちぶおよびアダメッロ・ブレンタ国立こくりつ公園こうえん英語えいごばんはユネスコの生物せいぶつけん保護ほご指定していされている[4]

主要しゅようほう[編集へんしゅう]

アルプス山脈あるぷすさんみゃくひとつ、スロベニアのヤロヴェツ

さん大北おおきたかべもこの山脈さんみゃくにある。

とうげ一覧いちらん[編集へんしゅう]

フーネス, ドロミーティ, イタリア
アルプスの主要しゅようとうげひとつ、グラン・サン・ベルナールとうげ

地質ちしつがくてき成因せいいん[編集へんしゅう]

 やく6000まんねんまえあかつきしんのころから北欧ほくおう大陸棚たいりくだな堆積たいせきたいがアフリカ大陸たいりく下部かぶしずみを開始かいしした。つまりヨーロッパ大陸たいりくがアフリカ大陸たいりくしずかたちでの大陸たいりく衝突しょうとつがた造山つくりやまたいとなった。やく1500まんねんまえ中新ちゅうしんにドームじょう地層ちそうがって出来できた。

 つよ圧力あつりょくは衝上断層だんそうにより地層ちそうにナッペとばれる壮大そうだい遠方えんぽう移動いどうしょうじさせた。最下位さいかいのHelvetic nappeは北欧ほくおう大陸たいりくのなごり、Pennine nappeはちょう高圧こうあつ-こうあつ変成へんせいたいでアルプス造山つくりやまたい中核ちゅうかくさい上位じょういのAustroalpine nappeはアフリカ大陸たいりくのなごりで、このみっつがほぼ水平すいへい断層だんそうせっしている。これらがさらに高角こうかくせい断層だんそう切断せつだんされている。

 現在げんざいはプレートの相対そうたい運動うんどう変化へんかで、高角こうかくせい断層だんそう一部いちぶだい規模きぼよこずれ運動うんどうをともなう、マイクロプレート境界きょうかいへとてんじ、Innsbruk Lineとなっている。

 今日きょう景観けいかん過去かこ2ひゃくまん年間ねんかんにあったすくなくとも5かいこおり氷河ひょうが作用さようつくげたものである。最後さいごこおりわった1まんねんまえ気候きこうおおきく変化へんかし、氷河ひょうが山脈さんみゃくおく後退こうたいし、アルプスの森林しんりん巨大きょだい花崗岩かこうがんのこいしのこした。また、こおりしょくによってえぐりとられ、Uだにとなった渓谷けいこくはしには氷河ひょうが堆積たいせきぶつがたまって渓谷けいこくをふさぎ、コモみずうみボーデンルガーノレマンルツェルンといった細長ほそなが氷河ひょうがみずうみがアルプス全域ぜんいき散在さんざいすることとなった。現在げんざいでも、アルプスには大小だいしょう1,300の氷河ひょうが存在そんざいし、アルプス全体ぜんたいの2%をめている[5]

歴史れきし[編集へんしゅう]

古代こだい[編集へんしゅう]

アルプス山脈あるぷすさんみゃくえるハンニバルのぐん

アルプス山脈あるぷすさんみゃくには、非常ひじょうふるくから人類じんるい居住きょじゅうしていた。1991ねんには、オーストリア・イタリア国境こっきょうエッツ渓谷けいこくにおいて、紀元前きげんぜん3300ねんころのミイラした遺体いたいけた氷河ひょうがしたから発見はっけんされた。この遺体いたいアイスマンばれ、解剖かいぼう遺伝子いでんし調査ちょうさによっておおくの科学かがくてき知見ちけんをもたらした。

アルプス山脈あるぷすさんみゃく居住きょじゅうした人々ひとびとなかで、最初さいしょ記録きろくのこっている人々ひとびとケルトじんである。紀元前きげんぜん8世紀せいきごろにはすでにケルトじん祖先そせんがアルプス全域ぜんいき居住きょじゅうしていた。やがてアルプスみなみふもとのイタリア半島はんとうローマ共和きょうわこく支配しはいはいる。紀元前きげんぜん218ねん、ローマ共和きょうわこく奇襲きしゅうするためカルタゴハンニバル・バルカ現在げんざいのフランスから、せんぞう先頭せんとうててアルプスをえた。歴史れきしじょう著名ちょめいな、ハンニバルのアルプスえである。かれだい規模きぼぐんひきいてはじめてアルプスをえた将軍しょうぐんであり、この予想よそうだにせぬ方向ほうこうからの奇襲きしゅうによってローマ衝撃しょうげきあたえた。ただ、ハンニバルが実際じっさいとおった場所ばしょがどこだったかについてはいまだに定説ていせつがない。これによってだいポエニ戦争せんそうがはじまった。

だいポエニ戦争せんそうがローマの勝利しょうりわったのちもなお1世紀せいき以上いじょうはアルプスはケルトじん領土りょうどであったが、紀元前きげんぜん58ねんからどう51ねんにかけて、ローマのガイウス・ユリウス・カエサルがガリア戦争せんそうこし、ヘルウェティぞくなど西にしアルプスのケルトじんたちは敗北はいぼくしてローマの支配しはいまれた。そのマ帝国まていこく北進ほくしんつづき、紀元きげん15ねんから16ねんにかけてラエティアノリクム征服せいふく。これによってマ帝国まていこく防衛ぼうえいせんラインがわドナウがわをつなぐせんまで拡大かくだいし、アルプス山脈あるぷすさんみゃく全域ぜんいきマ帝国まていこく支配しはいかれた。

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

ザンクト・ゴットハルトとうげきょう

やがてマ帝国まていこく衰微すいびし、375ねんからはじまるゲルマン民族みんぞくだい移動いどうによってアルプスのローマ支配しはい崩壊ほうかいする。到来とうらいしたゲルマンじんたちはひがしアルプスおよびスイスのひがしはんにおいて多数たすうとなった。それにたいし、ふるくからむローマじんたちは西にしアルプス西部せいぶならびにみなみふもとにおいて多数たすう維持いじした。この民族みんぞく分布ぶんぷは9世紀せいきごろに最終さいしゅうてき固定こていし、基本きほんてきにはほぼ現代げんだい民族みんぞく分布ぶんぷとなった。411ねんにはアルプス西部せいぶ定着ていちゃくしたブルグントぞくブルグント王国おうこく建国けんこくし、一度いちど滅亡めつぼうしたものの443ねん再興さいこうしてアルプス西部せいぶ全域ぜんいき支配しはいにおさめた。しかし、やがてゲルマンじんなかからフランク王国おうこくがライン流域りゅういきより勢力せいりょく拡大かくだいし、534ねんにはブルグント王国おうこくほろぼして西にしアルプスきたふもとをほぼ支配しはいにおさめた。さらにカール大帝たいてい773ねんにイタリア半島はんとう北部ほくぶランゴバルド王国おうこくたたかうためにアルプスをえ、よく774ねんにランゴバルド王国おうこく滅亡めつぼう。さらにカールは東方とうほうへと勢力せいりょくばし、791ねんにはハンガリー平原へいげんアヴァールじんってひがしアルプス全域ぜんいき占領せんりょうし、ここにふたたびアルプスは単一たんいつ政府せいふ支配しはいかれた。しかし、カールの息子むすこであるルートヴィヒ(ルイ)1せい死後しご、フランク王国おうこくは3つに分裂ぶんれつ843ねんヴェルダン条約じょうやくにより、西にしアルプスとアルプスみなみふもとなかフランク王国おうこくに、ひがしアルプスはあずまフランク王国おうこくりょうとなった。さらに870ねんメルセン条約じょうやくによって、なかフランク王国おうこくイタリア王国おうこくとなってアルプスみなみふもとを、あずまフランク王国おうこくはアルプスきたふもとりょうするようになる。この混乱こんらんなかでブルグントぞく勢力せいりょくふたた拡大かくだいしていき、879ねんにはプロヴァンス地方ちほう中心ちゅうしんキスユラブルグント王国おうこく低地ていちブルグント王国おうこくしもブルグント王国おうこく)、888ねんには現在げんざいのスイス西部せいぶ中心ちゅうしんユーラブルグント王国おうこく高地こうちブルグント王国おうこくうえブルグント王国おうこく)を建国けんこく933ねんにはユーラブルグント王国おうこくがキスユラブルグント王国おうこく進攻しんこうしてこれをほろぼし、ブルグントをふたた統一とういつ。ブルグント王国おうこくアルル王国おうこく)としょうした。963ねんには、あずまフランク王国おうこく後身こうしんであるかみきよしマ帝国まていこくはイタリア王国おうこく併合へいごうし、ふたたびアルプスの南北なんぼく統一とういつ王権おうけんによって支配しはいされることとなった。さらに1032ねんには最後さいごのブルグントおうであるルドルフ3せい死去しきょし、ルドルフ3せいめい結婚けっこんしたローマ皇帝こうていコンラート2せいがブルグントおうとなることで、ブルグント王国おうこく神聖しんせいマ帝国まていこく併合へいごうされた。

歴代れきだい神聖しんせいマ帝国まていこくイタリアおう称号しょうごうつことから積極せっきょくてきイタリア政策せいさくおこない、アルプスの南北なんぼく統一とういつ支配しはいつとめたが、1254ねんホーエンシュタウフェンあさ断絶だんぜつすると20ねん以上いじょうにわたりだい空位くうい時代じだいとなり、この時期じき各地かくちりょうくにくんぬし自律じりつせいち、かみきよしマ帝国まていこくはなかばりょうくに君主くんしゅ連合体れんごうたいとなっていった。この時期じきには、アルプスにも2つの有力ゆうりょくりょうくに登場とうじょうしてくる。オーストリアとスイスである。もともと現在げんざいのスイス北部ほくぶ領主りょうしゅだったハプスブルクは、1273ねんルドルフ1せい神聖しんせいローマ皇帝こうてい選出せんしゅつされたのを勢力せいりょく拡大かくだいしていき、1278ねんにはオーストリア公国こうこく獲得かくとく以後いごハプスブルクはここを拠点きょてんとして西にしへと進出しんしゅつし、1335ねんにはケルンテン公国こうこく獲得かくとく1363ねんにはチロルはくりょう獲得かくとくしてひがしアルプス全域ぜんいき支配しはいいた。一方いっぽう西にしアルプス東部とうぶにおいては、13世紀せいきザンクト・ゴットハルトとうげ開通かいつうしたことで、そのふもとたるウーリしゅうシュヴィーツしゅうウンターヴァルデンしゅうの3しゅう経済けいざいりょくたくわえ、1291ねん8がつ1にちにスイス誓約せいやく同盟どうめい結成けっせいした[6]。この同盟どうめいとうげ支配しはい自治じちをめぐってハプスブルク対立たいりつしたが、1315ねんのモルガルテンのたたかいで誓約せいやく同盟どうめいぐんはオーストリアぐんやぶり、以後いご誓約せいやく同盟どうめいルツェルンベルンなど近隣きんりんしゅう次々つぎつぎ盟約めいやくむすび、勢力せいりょく拡大かくだいしていった。これを警戒けいかいしたハプスブルクレオポルト3せい1386ねんのゼンパッハのたたかいではいさせ、誓約せいやく同盟どうめいはアルプス中央ちゅうおう主要しゅよう勢力せいりょくへとおどる。1415ねんにはハプスブルク父祖ふそであるアールガウしゅう誓約せいやく同盟どうめい獲得かくとくし、アルプス中央ちゅうおうからハプスブルク勢力せいりょく一掃いっそうされた。その誓約せいやく同盟どうめい拡大かくだいまらず、16世紀せいき初頭しょとうにはアルプス中央ちゅうおうをほぼ支配しはいにおさめた。また、南西なんせいアルプスにおいてはフランス王国おうこく1349ねんドーフィネ獲得かくとくし、さらにプロヴァンス獲得かくとくしてアルプス西端せいたん勢力せいりょく範囲はんいとしていた。

近代きんだい[編集へんしゅう]

アルプスをえるボナパルト』(1801ねん

17世紀せいき初頭しょとうさんじゅうねん戦争せんそうによりかみきよしマ帝国まていこく事実じじつじょう形骸けいがいし、またイタリアとスイスは神聖しんせいマ帝国まていこくから分離ぶんりすることとなった。フランス革命かくめいはこの地域ちいき政治せいじ情勢じょうせいおおきな変化へんかをもたらした。1798ねんにはスイスはフランスに屈服くっぷくし、ヘルヴェティア共和きょうわこくとしてフランスの衛星えいせいこくとなった。1800ねん5月にはナポレオン1せいがイタリア遠征えんせいのためにジュネーブ進発しんぱつし、グラン・サン・ベルナールとうげきたイタリアへ進出しんしゅつした。このときナポレオンはみずからをハンニバルになぞらえて鼓舞こぶしたという。このアルプスえのときのナポレオンの雄姿ゆうし白馬はくば騎乗きじょうした姿すがた)を、ナポレオンにつかえた宮廷きゅうてい画家がかジャック=ルイ・ダヴィッドが、「ベルナールとうげからアルプスをえるボナパルト」としてえがいている。これによってきたイタリアもフランスのち、1805ねんプレスブルクのやくによってオーストリアもチロルなどアルプスの主要しゅよう部分ぶぶんをフランスへと割譲かつじょうさせられた。しかしナポレオン没落ぼつらく1815ねんウィーン議定ぎていしょによってアルプスの国境こっきょうせん基本きほんてきには戦前せんぜん境界きょうかいもどされた。ただし、リヒテンシュタイン公国こうこく独立どくりつし、ヴェネトおよびロンバルディアはオーストリアりょうとなり、スイスかくくにでもナポレオン戦争せんそうちゅう独立どくりつしたしんくにはそのまま連邦れんぽう加盟かめいみとめられた。

近世きんせい後期こうきより、アルプス山脈あるぷすさんみゃくかく高峰こうほういど登山とざんあらわれた。1760ねんジュネーヴ大学だいがく教授きょうじゅであったオラス=ベネディクト・ド・ソシュール当時とうじ未踏みとうほうであったモン・ブランへのはつ登頂とうちょうたいして20ターラー懸賞けんしょうをつけたことが近代きんだい登山とざん創始そうしとされる。ソシュール自身じしん1785ねん登頂とうちょう挑戦ちょうせんしたものの失敗しっぱいし、結局けっきょくよく1786ねんにシャモニーの医師いしミシェル・パカールとポーターのジャック・バルマによってモンブランの登頂とうちょうげられた[7]。こののちもソシュールは研究けんきゅう目的もくてきとしてアルプスの高峰こうほうのぼつづけた。このほか、ルイ・アガシーなども研究けんきゅう目的もくてき登山とざんおこなっている。

19世紀せいき中盤ちゅうばんはいると、アルプス周辺しゅうへん国境こっきょうせんふたたおおきく変動へんどうする。1847ねん分離ぶんり同盟どうめい戦争せんそうによってスイスは国家こっか連合れんごうから連邦れんぽう国家こっかとなり、1859ねんにはサルディニア王国おうこくがオーストリアをやぶってロンバルディア併合へいごうした。このさいに、1858ねんにフランスとサルディニアでむすばれたプロンビエールの密約みつやくさい履行りこうによって、レマン南岸なんがんサヴォワ地方ちほうがフランスへと割譲かつじょうされた。サルディニアは1860ねんにはイタリア王国おうこくとなる。1866ねんにはひろしおう戦争せんそうによってヴェネト地方ちほう獲得かくとくしたものの、なお両国りょうこくあいだにはみなみチロルなどをめぐって紛争ふんそう火種ひだねのこった。1870ねんにはプロイセン王国おうこくバイエルン王国おうこくなどのみなみドイツしょくに吸収きゅうしゅうするかたちドイツ帝国ていこく成立せいりつし、ここにひがしアルプスきたふもとはドイツりょう、アルプスみなみふもとはほぼイタリアりょうとなった。

こののち19世紀せいきなかばにスポーツ登山とざんがはじまる。1854ねんにはイギリスじんのウィルスがウェッターホルン登頂とうちょう[8]1857ねんにはイギリス英国えいこく山岳さんがくかい(アルパイン・クラブ=アルプスのクラブ)が発足ほっそくする。1865ねんにはエドワード・ウィンパーによってマッターホルン登頂とうちょうされ、この時期じきにスポーツとしての登山とざんがアルプスを舞台ぶたいとして成立せいりつした。

だいいち世界せかい大戦たいせん、オーストリア・ハンガリー帝国ていこく解体かいたいされ、イタリアはみなみチロルを、またアルプス東南とうなんはしユーゴスラビア王国おうこくりょうとなった。だい世界せかい大戦たいせんちゅうは、1938ねんアンシュルス1940ねんのフランスの敗北はいぼくによって一時いちじだい部分ぶぶん枢軸すうじくがわとなるなか、スイスはアンリ・ギザン指導しどうでアルプスを要塞ようさい防衛ぼうえいせんとした徹底的てっていてき防衛ぼうえい態勢たいせいき、終戦しゅうせんまで中立ちゅうりつまもいた。冷戦れいせん終結しゅうけつ1991ねんじゅう日間にちかん戦争せんそうによってスロヴェニア共和きょうわこくユーゴスラビアから独立どくりつし、アルプスの現在げんざい領域りょういき確定かくていした。

産業さんぎょう[編集へんしゅう]

農業のうぎょうおも標高ひょうこうひく温暖おんだん渓谷けいこく部分ぶぶんおこなわれているが、アルプスでは酪農らくのうひろおこなわれている。かつてはふゆあいだ渓谷けいこくにあるうし小屋こやうしい、はるになると中腹ちゅうふく牧草ぼくそうで、なつにはさらにたかいところにある牧草ぼくそうへとうし移動いどうさせ、あきるとまたうし低地ていちへと移動いどうさせるうつりまきさかんにおこなわれていたが、手間てまがかかるため近年きんねんでは姿すがたしつつある。まつチーズつくりなどの様々さまざま文化ぶんかてき要素ようそはあるため、2023ねんにスイスのアルプス山脈あるぷすさんみゃく牧草ぼくそうぶしユネスコ無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされた[9]。また、林業りんぎょうやそれを基盤きばんとした製材せいざいぎょうおこなわれている。製材せいざいぎょうのほかにも、時計とけいなどの精密せいみつ機械きかい工業こうぎょうなどの工場こうじょうおお立地りっちしている。こうした工場こうじょううごかすエネルギーげんは、山脈さんみゃくちゅうのダムやたき設置せっちされた水力すいりょく発電はつでんしょからられる豊富ほうふ電力でんりょく利用りようしている。

19世紀せいきなかばより、アルプス山脈あるぷすさんみゃく避暑ひしょとして注目ちゅうもくされるようになり、観光かんこう産業さんぎょうおおきく発展はってんした。避暑ひしょのほかにも、19世紀せいきはいると氷河ひょうがたきけわしい山岳さんがくといったきびしい自然しぜん光景こうけいがヨーロッパにおいてうつくしいとかんじられるようになり、このような風景ふうけいおおつアルプスは観光かんこうとして脚光きゃっこうびるようになった[10]普通ふつう観光かんこうのほか、空気くうき療養りょうようなど医学いがくてき見地けんちでも注目ちゅうもくされ、ダヴォスをはじめとして各地かくちサナトリウム建設けんせつされた[11]20世紀せいきにはいるとスキーがこの地域ちいき導入どうにゅうされ、1930年代ねんだい施設しせつ器具きぐ改良かいりょうおこなわれて大衆たいしゅうすすみ、各地かくちにスキーじょう開設かいせつされるようになった。現在げんざいではなつ冷涼れいりょう気候きこううつくしい自然しぜんもとめる観光かんこうきゃくおとずれ、ふゆはスキーなどウィンタースポーツたのしむおおくの観光かんこうきゃくあつめる一大いちだい観光かんこうとなり、観光かんこう産業さんぎょうがこの地域ちいき主要しゅよう産業さんぎょうのひとつとなった。かつてはなつもっと観光かんこうきゃくおおいシーズンであったが、近年きんねんではスキーきゃく増加ぞうかするふゆ観光かんこう収入しゅうにゅうたかくなってきている[12]。スキー種目しゅもくのうち滑降かっこう競技きょうぎ別名べつめい「アルペン競技きょうぎ」(Alpine(s)) のはアルプスに由来ゆらいする。

アルプス山脈あるぷすさんみゃく山麓さんろくおよび山中さんちゅう都市としは、しばしば冬季とうきオリンピック開催かいさいとなっている。フランスのシャモニー開催かいさいされただい1かいシャモニーオリンピック(1924ねん)から、だい2かいのスイス・ サンモリッツ(1928ねん)、だい4かいのドイツ・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン (1936ねん)、だい5かいサンモリッツ (1948ねん)、だい7かいのイタリア・ コルティナダンペッツォ (1956ねん)、だい9かいのオーストリア・インスブルック (1964ねん)、だい10かいのフランス・グルノーブル (1968ねん)、だい12かいインスブルック (1976ねん)、だい16かいのフランス・アルベールビル (1992ねん)、だい20かいのイタリア・トリノ (2006ねん)と、2010ねん現在げんざいの21かいのうち10かいアルプス山脈あるぷすさんみゃくおこなわれており、この地域ちいきのウィンタースポーツのさかんさと施設しせつ充実じゅうじつしめしている。

交通こうつう[編集へんしゅう]

ゼメリング鉄道てつどう(1900ねんごろ)

アルプスは、モンブランほかマッターホルンユングフラウなどの高峰こうほうゆうし、最高さいこう氷河ひょうがおおわれる交通こうつう難所なんしょである。しかしイタリアよりヨーロッパかく地域ちいきつうじる要路ようろ位置いちするため、戦争せんそう交易こうえきのための移動いどう経路けいろとなり、中世ちゅうせいには巡礼じゅんれい大学生だいがくせい近世きんせいにおいてはまた各地かくち見物けんぶつするための旅行りょこうしゃなど、おおくのものがアルプスえをおこなった。古代こだいから中世ちゅうせいにかけておももちいられたとうげ西にしから列挙れっきょすれば、シンプロンとうげ(サンプロンとうげまれることもある)、ジュネーヴ山越やまごえのみちグラン・サン・ベルナールとうげ、シュプルーゲンとうげ、ゼプティマーとうげブレンナーとうげ、ラートシュタッター・タウラーンとうげ、ゾルクシャルテとうげ、プロッケンとうげ、ポンテッバーとうげ別名べつめいをザイフニッツとうげ)である。歴史れきしつうじてもっと多用たようされてきたとうげはジュネーヴ山越やまごえのみちおよびブレンナーとうげであるが、かく時代じだいによって、愛用あいようされるとうげ若干じゃっかんことなる。13世紀せいきにはザンクト・ゴットハルトとうげ開通かいつうしたことで、そのふもとたるウーリしゅうシュヴィーツしゅうウンターヴァルデンしゅうの3しゅうちからをつけ、この地方ちほう地盤じばんとしていたハプスブルクぐんやぶってスイス誓約せいやく同盟どうめい結成けっせいするなど、アルプスの交通こうつうおおきな利益りえきみ、とき争奪そうだつ対象たいしょうとなった。また、各地かくち点在てんざいする氷河ひょうがみずうみけわしい陸路りくろ補完ほかんする格好かっこう交通こうつうとなっており、スイス誓約せいやく同盟どうめいルツェルン湖上こじょう交通こうつうをもう一方いっぽうはしらとして拡大かくだいつづけた。しかし各地かくちとうげえることは危険きけんともない、グラン・サン・ベルナールとうげには救護きゅうごしょねた修道院しゅうどういん建設けんせつされており、この修道院しゅうどういん18世紀せいきごろから旅人たびびと救護きゅうご活動かつどうをしていたいぬしゅが、やがてセント・バーナードいぬとして世界中せかいじゅうひろまっていった。18世紀せいきはいると各地かくちとうげ馬車ばしゃ通行つうこうできるようにとうげ改修かいしゅうおこなわれ、ザンクト・ゴットハルトとうげでは1775ねん[13]、シンプロンとうげでは1805ねん馬車ばしゃ通行つうこう可能かのうとなった[14]

なおこれらのとうげのうちいくつかのしたには、近代きんだいいたってトンネル掘削くっさくされ、各国かっこく国境こっきょうをまたがる鉄道てつどう線路せんろおよび自動車じどうしゃ道路どうろ敷設ふせつされている。はじめてアルプスをえた鉄道てつどう建設けんせつされたのは、アルプスのほぼひがしはしにあたるゼメリングとうげで、1854ねんのことだった。この路線ろせんゼメリング鉄道てつどうばれ、オーストリア帝国ていこく首都しゅとウィーンと帝国ていこく唯一ゆいいつだい規模きぼ港湾こうわんトリエステむす路線ろせん一部いちぶだった。この路線ろせんオーストリア南部なんぶ鉄道てつどうからオーストリア連邦れんぽう鉄道てつどうへとがれ、現在げんざいでもオーストリアとアドリア海あどりあかいむすだい幹線かんせんとなっているが、ゼメリング鉄道てつどう部分ぶぶん開業かいぎょう当時とうじのままの姿すがたのこされており、1998ねんには文化ぶんか遺産いさんとして世界せかい遺産いさん登録とうろくされている。また、1867ねんには古来こらいよりつねにアルプスえの主要しゅようルートであったブレンナーとうげブレンナー・トンネル開通かいつう[15]南北なんぼくチロルの交通こうつう大幅おおはば改善かいぜんされた。

19世紀せいき後半こうはんはいると、スイス国内こくない鉄道てつどう建設けんせつさかんになり、アルプス中部ちゅうぶおよび西部せいぶえる鉄道てつどうトンネルも構想こうそうされはじめた。1871ねんには、フランスとイタリアをむすフレジュス鉄道てつどうトンネル開通かいつうする。これはモン・スニとうげ代替だいたいするもので、そのためモン・スニとうげからはやや南西なんせいにはずれているものの、フランスではモン・スニ鉄道てつどうトンネルともばれる。この鉄道てつどう開通かいつうによってトリノリヨンむすばれるようになった。1882ねんにはゴッタルドとうげしたゴッタルド鉄道てつどうトンネル開通かいつうし、スイス・アルプス中央ちゅうおう南北なんぼくつらぬはつ鉄道てつどう開通かいつうした。1906ねんにはスイスのブリークとイタリアのドモドッソラむすシンプロントンネル開通かいつうし、ローザンヌなどのスイス西部せいぶミラノむすばれるようになる。このシンプロントンネルは、1982ねん日本にっぽん大清水おおしみずトンネル開通かいつうするまでの76年間ねんかん世界せかい最長さいちょう鉄道てつどうトンネルであった。1911ねんにはベルンからシンプロントンネルまでの経路けいろ短縮たんしゅくするため、ベルンしゅうとヴァレーしゅうむすレッチュベルクトンネル開通かいつうし、ここにアルプスの南北なんぼくむす鉄道てつどう路線ろせんもうはほぼ完成かんせいした[16]。また、幹線かんせん鉄道てつどうもうのほかに、1912ねん開通かいつうしたユングフラウ鉄道てつどうなどの観光かんこうよう登山とざん鉄道てつどうも、主要しゅよう高峰こうほう整備せいびされた。これらの鉄道てつどうのほとんどは現在げんざいでも運行うんこうしており、ツェルマットとサン・モリッツをむす氷河ひょうが急行きゅうこうや、クールからサンモリッツをとおりイタリアのティラーノまでをむすベルニナ急行きゅうこう観光かんこう列車れっしゃとして名高なだかく、世界中せかいじゅうからおおくの観光かんこうきゃくおとずれる。ユングフラウ鉄道てつどう終点しゅうてんであるユングフラウヨッホえきは、ヨーロッパでもっとたかいところに位置いちするえきである。

だい世界せかい大戦たいせん自動車じどうしゃ利用りよう激増げきぞうによってアルプスを南北なんぼくむす道路どうろトンネルの建設けんせつさけばれるようになり、1965ねんにはイタリアのアオスタとフランスのシャモニーむすモンブラントンネル開通かいつうし、1980ねんにはゴッタルド道路どうろトンネル開通かいつうした。しかしこのころから、アルプスを縦断じゅうだんする自動車じどうしゃとくにトラックの激増げきぞうによりアルプスの植生しょくせい自然しぜん環境かんきょう重大じゅうだい影響えいきょうがあらわれてくるようになった。これをふせぐため、スイス政府せいふヨーロッパ連合れんごうにトラック輸送ゆそう制限せいげん要求ようきゅう。この要求ようきゅう通行つうこうぜい増額ぞうがくというかたちいたが、この過程かていでスイス政府せいふは、モーダルシフト推進すいしん自動車じどうしゃ輸送ゆそう軽減けいげんするため、アルプスを縦断じゅうだんするしん高速こうそく鉄道てつどうトンネルの建設けんせつ計画けいかくした。この計画けいかくアルプトランジット計画けいかくばれ、現在げんざいあるひがしのゴッタルドトンネルと西にしのレッチュベルクトンネルのすうひゃくメートルあたらしいトンネル(基底きていトンネルとばれる)を建設けんせつして高速こうそくおこなうものだった。この計画けいかくのうちレッチュベルクベーストンネル2008ねん開通かいつう[17]ゴッタルドベーストンネル2016ねん6がつ開通かいつうした[18]。また、同様どうよう問題もんだいかかえるオーストリア政府せいふも、ブレンナーとうげしたブレンナーベーストンネル建設けんせつする決定けっていくだし、2015ねん現在げんざい建設けんせつちゅうである[19]。また、こうした事情じじょうにより、とくにスイスにおいてはカートレイン利用りようさかんであり、アルプスえのさいによく利用りようされる。

アルプスを題材だいざいにした作品さくひん[編集へんしゅう]

クラシック音楽おんがく[編集へんしゅう]

絵画かいが[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

児童じどう作品さくひん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ヨーロッパとアジアさかいにあるカフカース山脈さんみゃくエルブルース (5,642 m) をヨーロッパ最高峰さいこうほうとするかんがかたもある。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 泉井いずみい久之助きゅうのすけ『ヨーロッパの言語げんご岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ699)1968ねん、2さつ 1969ねん、163ぺーじ
  2. ^ 事典じてん現代げんだいのドイツ』p38(大修館書店たいしゅうかんしょてん、1998ねん
  3. ^ Ore of the Alps UNESCO Global Geopark” (英語えいご). UNESCO (2021ねん7がつ26にち). 2022ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  4. ^ Ledro Alps and Judicaria Biosphere Reserve, Italy” (英語えいご). UNESCO (2022ねん4がつ). 2023ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  5. ^ 「ビジュアルシリーズ世界せかいさい発見はっけん4 イギリス・中央ちゅうおうヨーロッパ」p124 ベルテルスマンしゃ、ミッチェル・ビーズリーしゃへん 同朋どうほうしゃ出版しゅっぱん 1992ねん5がつ20日はつかだい1はんだい1さつ発行はっこう
  6. ^ 図説ずせつスイスの歴史れきし」p30 おどりども 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 2011ねん8がつ30にち初版しょはん発行はっこう
  7. ^ 観光かんこう大国たいこくスイスの誕生たんじょう辺境へんきょう」から「崇高すうこうなるくに」へ』p54 河村かわむら秀和ひでかず 平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ 2013ねん7がつ12にち初版しょはんだい1さつ
  8. ^ 国民こくみん百科ひゃっか事典じてん1」平凡社へいぼんしゃ p122 1961ねん2がつ1にち初版しょはん発行はっこう
  9. ^ UNESCO - Alpine pasture season” (英語えいご). ich.unesco.org. 2024ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  10. ^ 観光かんこう大国たいこくスイスの誕生たんじょう辺境へんきょう」から「崇高すうこうなるくに」へ』p50 河村かわむら秀和ひでかず 平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ 2013ねん7がつ12にち初版しょはんだい1さつ
  11. ^ 観光かんこう大国たいこくスイスの誕生たんじょう辺境へんきょう」から「崇高すうこうなるくに」へ』p155 河村かわむら秀和ひでかず 平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ 2013ねん7がつ12にち初版しょはんだい1さつ
  12. ^ 「ビジュアルシリーズ世界せかいさい発見はっけん4 イギリス・中央ちゅうおうヨーロッパ」p126 ベルテルスマンしゃ、ミッチェル・ビーズリーしゃへん 同朋どうほうしゃ出版しゅっぱん 1992ねん5がつ20日はつかだい1はんだい1さつ発行はっこう
  13. ^ 観光かんこう大国たいこくスイスの誕生たんじょう辺境へんきょう」から「崇高すうこうなるくに」へ』p42 河村かわむら秀和ひでかず 平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ 2013ねん7がつ12にち初版しょはんだい1さつ
  14. ^ 観光かんこう大国たいこくスイスの誕生たんじょう辺境へんきょう」から「崇高すうこうなるくに」へ』p40-41 河村かわむら秀和ひでかず 平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ 2013ねん7がつ12にち初版しょはんだい1さつ
  15. ^ 森田もりた安一やすいち物語ものがたり スイスの歴史れきし中公新書ちゅうこうしんしょ p203 2000ねん7がつ25にち発行はっこう
  16. ^ スイス文学ぶんがく研究けんきゅうかい『スイスをるための60しょう明石書店あかししょてん、2014ねん、p348
  17. ^ スイス文学ぶんがく研究けんきゅうかい『スイスをるための60しょう明石書店あかししょてん、2014ねん、p350
  18. ^ アルプス縦貫じゅうかんの「ゴッタルド鉄道てつどうトンネル」開通かいつう世界せかい最長さいちょう57キロ”. ロイター (2016ねん6がつ1にち). 2018ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  19. ^ 「ウィーン・オーストリアをるための57しょう だい2はん」p54 2011ねん4がつ25にち 明石書店あかししょてん 広瀬ひろせ佳一よしかず今井いまいあきら編著へんちょ
  20. ^ アルプスの画家がか セガンティーニ ーこうやま”. SOMPO美術館びじゅつかん. 2024ねん4がつ4にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

アルプス山脈あるぷすさんみゃく関連かんれんした項目こうもく
その「アルプス」をかんした項目こうもく
アルプス山脈あるぷすさんみゃく関連かんれんした日本人にっぽんじん
  • 栗本くりもと鋤雲じょううん - 幕末ばくまつ外国がいこく奉行ぶぎょう趣味しゅみ登山とざん日本人にっぽんじんとしてははじめてアルプスにれる。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]