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奇襲きしゅう

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奇襲きしゅう(きしゅう、英語えいご: surpriseフランス語ふらんすご: coup de main)は、てき予期よきしない時期じき場所ばしょ方法ほうほうにより攻撃こうげきくわえることにより、てき混乱こんらんさせて反撃はんげき猶予ゆうよあたえない攻撃こうげき方法ほうほうをいう[1]てき混乱こんらんじょうじて士気しき減衰げんすいさせ、よりおおきな損害そんがいあたえることが期待きたいできる。

奇襲きしゅう」はてき不意ふいをつく攻撃こうげきであり、「強襲きょうしゅう」(assault)とは陣地じんち要塞ようさい防御ぼうぎょかためたてきたいする圧倒的あっとうてき戦力せんりょくもちいた攻撃こうげきであり、「急襲きゅうしゅう」(raid, sudden attack)とは不意ふいきつつの迅速じんそく攻撃こうげきであり、これらは類似るいじ概念がいねんとして区別くべつされる[1]

戦略せんりゃくてき奇襲きしゅう

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戦略せんりゃくてき奇襲きしゅうは、戦争せんそうはじまるような関係かんけいではなかった、政治せいじてきなチャネルが継続けいぞくしている、宣戦せんせん布告ふこくがない、など防御ぼうぎょがわ戦争せんそう状態じょうたいとなることを十分じゅうぶん予期よきしていなかった状況じょうきょうで、一方いっぽうてき開始かいしされる戦闘せんとう行為こういである。

開戦かいせん準備じゅんびされる作戦さくせんなどには、部隊ぶたい動員どういん集結しゅうけつ補給ほきゅう物資ぶっし調達ちょうたつなど、数ヶ月すうかげつ準備じゅんび期間きかんようする。こうしたうごきはてきがわ容易ようい察知さっちできるため、戦略せんりゃくてき奇襲きしゅうは、防御ぼうぎょがわ無知むち怠慢たいまんといった状況じょうきょうがなければちにくい。たとえば、ナチス・ドイツソ連それん侵攻しんこうバルバロッサ作戦さくせん1941ねん6月22にち)のさいは、ソ連それん情報じょうほう機関きかんドイツぐん動向どうこう察知さっちしていたにもかかわらず、スターリンはこれをドイツとソ連それんとをたたかわせるためのイギリス謀略ぼうりゃくであるとかんがえて、情報じょうほう故意こいにぎつぶしたとされている。

事例じれいとしては、カルタゴハンニバルによるだいポエニ戦争せんそう開始かいし紀元前きげんぜん219ねん)や、ナチス・ドイツおよびソ連それんぐんによるポーランド侵攻しんこう1939ねん9がつ)、日本にっぽん海軍かいぐんによる真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき1941ねん12月8にち)があげられる。

作戦さくせんてき奇襲きしゅう

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作戦さくせんてき奇襲きしゅうは、しゅとして戦闘せんとう状態じょうたいにあって

  • 予期よきしていないタイミング・方面ほうめん方角ほうがく開始かいしされた
  • 攻撃こうげきがわ速度そくどにおいつかず、守備しゅび準備じゅんびができていない
  • なんらかの推測すいそくのもとに、攻撃こうげきがないものと判断はんだんした

場合ばあい戦闘せんとう行為こういである。

ロシア陸軍りくぐん伝統でんとうてき奇襲きしゅう重視じゅうししており、作戦さくせん奇襲きしゅう前提ぜんていとしたうえてることがおおい。日本にっぽんでは、おけ狭間はざまたたかにおける織田おだ信長のぶながぐんのもの、一ノ谷いちのやたたか源義経みなもとのよしつねのそれが著名ちょめいとなっている(おけ狭間はざまについては奇襲きしゅう意図いとかったというせつもあるが、奇襲きしゅうという認識にんしき一般いっぱんてきである)。だい世界せかい大戦たいせんドイツ陸軍りくぐんおこなった電撃でんげきせんも、伝統でんとうてき塹壕ざんごうせん概念がいねんしん構想こうそう速度そくどやぶったものであり、ひろ意味いみでの奇襲きしゅうの1つとえる。

戦術せんじゅつてき奇襲きしゅう

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戦術せんじゅつてき奇襲きしゅうは、小規模しょうきぼ部隊ぶたいによっておこなわれる戦闘せんとう行為こういである。作戦さくせんてき行動こうどうにおける陽動ようどう伏兵ふくへいなどもこれにふくまれる。

ベトナム戦争せんそうにおいて、きたベトナムぐん積極せっきょくてきゲリラせんおこな戦力せんりょく士気しきいだ。また、だい世界せかい大戦たいせんドイツぐんきたアフリカ戦線せんせん指揮しきしたエルヴィン・ロンメル奇襲きしゅうたくみであり、しばしば「砂漠さばくきつね」としょうされた。

その

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  • 上記じょうきほか相手あいて予想よそうない、もしくは実用じつよう成功せいこうしていないか、重要じゅうようしていない兵器へいきなどをもちいて、有利ゆうり戦局せんきょくみちびことを「技術ぎじゅつてき奇襲きしゅう」と場合ばあいがある。
  • 考古学こうこがく研究けんきゅうしゃである藤原ふじわらあきらの2004ねん論文ろんぶん弥生やよい時代じだい戦闘せんとう戦術せんじゅつ』によれば、弥生やよい時代じだい早期そうきから中期ちゅうき西日本にしにほん)では、短剣たんけんによる背後はいごからの殺傷さっしょう弓矢ゆみやによる側面そくめん背後はいごからの殺傷さっしょう人骨じんこつおおく、すうにん単位たんい戦闘せんとうおもであり、弥生やよい中期ちゅうきまつから後期こうきてから最後さいごけんめを戦闘せんとうスタイルになったとかんがえられ、弥生やよい前半ぜんはんでは、小規模しょうきぼな「奇襲きしゅう襲撃しゅうげき裏切うらぎり」が中心ちゅうしんであり、後半こうはんからはげしい「集団しゅうだんせん」の比重ひじゅうたかまると想定そうていされた。きの神話しんわないで、奇襲きしゅう卑怯ひきょうとされないのも、西日本にしにほんでは弥生やよいから伝統でんとうてき(かつ一般いっぱんてき)な戦術せんじゅつであったためとかんがえられる。

関連かんれん

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奇襲きしゅうは、現在げんざいでは一般いっぱん用語ようごのひとつとなっている。たとえばチェス将棋しょうぎでは、意表いひょうをつくようなを、本格ほんかくてき戦法せんぽうして奇襲きしゅう戦法せんぽうなどとぶ。おにごろなどが有名ゆうめい

一般いっぱんには悪手あくしゅとされ、正確せいかく対応たいおうをされた場合ばあいには不利ふり、もしくは必敗におちいるような作戦さくせん通常つうじょうしていたが、実際じっさい調しらべてみたり実戦じっせんためしてみると正確せいかく対応たいおうさくとされてきたかたでもとがめるまでにいたらず、意外いがいにも使つかえることがかることもある。

一般いっぱんされることがすくなく、相手あいてには奇異きいうつ戦法せんぽうであっても、不利ふりかれとなる定跡じょうせき確立かくりつしていないか存在そんざいしない場合ばあいは、マイナー戦法せんぽうではあっても奇襲きしゅう戦法せんぽうとは一般いっぱんにはいわれない。

球技きゅうぎ格闘技かくとうぎでも、そのチームや選手せんしゅ通常つうじょうのスタイル・通常つうじょうかんがえられる起用きようほうからかけはなれた攻撃こうげきすことを奇襲きしゅうぶことがある。プロレスでいえば試合しあい開始かいし直後ちょくご通常つうじょうならフィニッシュ・ホールドになるような大技おおわざす、野球やきゅうならエースでもなければ有力ゆうりょく先発せんぱつ投手とうしゅでもない選手せんしゅ開幕かいまくせん・シリーズだい1せん先発せんぱつ投手とうしゅ起用きようする、相撲すもう場合ばあい立合たちあ変化へんかなど。

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 陸戦りくせん学会がっかいせん入門にゅうもんきゅうだんしゃ、199500ねん

関連かんれん項目こうもく

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