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地中海ちちゅうかい

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地中海ちちゅうかい
人工じんこう衛星えいせいからの映像えいぞう
座標ざひょう 北緯ほくい35 東経とうけい18 / 北緯ほくい35 東経とうけい18 / 35; 18座標ざひょう: 北緯ほくい35 東経とうけい18 / 北緯ほくい35 東経とうけい18 / 35; 18
面積めんせき 2500000km2
平均へいきん水深すいしん 1500m
最大さいだい水深すいしん 5267m
滞留たいりゅう時間じかん 80ねんから100ねん[1]
しま 3300以上いじょう
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地中海ちちゅうかい(ちちゅうかい、ラテン語らてんご: Mare Mediterraneum)は、きたひがしユーラシア大陸たいりくみなみアフリカ大陸たいりく両者りょうしゃ世界せかいとう)にかこまれた地中海ちちゅうかい盆地ぼんち位置いちするうみである。面積めんせきやく250まん平方へいほうキロメートル、平均へいきん水深すいしんやく1500メートル[2]海洋かいようがくじょう地中海ちちゅうかいひとつ。

地中海ちちゅうかいには独立どくりつした呼称こしょうついくつかの海域かいいきふくまれる(ゲ海げかいアドリア海あどりあかいなど)。地中海ちちゅうかい接続せつぞくするほかうみとしては、ジブラルタル海峡かいきょう西側にしがわ大西おおにしひろしが、ダーダネルス海峡かいきょう北東ほくとうマルマラうみ黒海こっかいがあり、南東なんとうスエズ運河うんが紅海こうかいむすばれている(「海域かいいき」「地理ちり」で詳述しょうじゅつ)。

北岸ほくがんみなみヨーロッパ東岸とうがん中近東ちゅうきんとう南岸なんがんきたアフリカ古代こだいから往来おうらいさかんで、「地中海ちちゅうかい世界せかい」と総称そうしょうされることもある[3]

名称めいしょう[編集へんしゅう]

地中海ちちゅうかいMediterranean というかたりは、「大地だいちなか」を意味いみするラテン語らてんごmediterraneus メディテッラーネウス(mediusなか」 + terra大地だいち」)に由来ゆらいする。またギリシアでは、これとまったおな造語ぞうごほうでもって、mesogeiosμεσογειος)とんでいた。

歴史れきしてきには、ほかにも各国かっこく様々さまざまばれてきたことが古文書こもんじょなどをつうじてあきらかになっている。たとえば古代こだいローマ時代じだいラテン語らてんごでは mare nostrumばれたが、これは「われらがうみ」という意味いみであった。聖書せいしょには「偉大いだいなるうみ」あるいは「西にしうみ」として登場とうじょうしている。近代きんだいヘブライでは、"ha-Yam ha-Tichon"הים התיכון、"the middle sea") とばれ、その語義ごぎドイツ Mittelmeerわるところがない。トルコでは Akdenizい、これは「黒海こっかいKaradenizたいする「しろうみ」という意味いみである。アラビアでは Al-Baḥr Al-'Abiaḍ Al-Muttawasitالبحر الأبيض المتوسط)とんで、「中央ちゅうおうしろうみ」という意味合いみあいになっている。

近年きんねん[いつ?]英語えいごでは、"The Med" という短縮たんしゅくが、地中海ちちゅうかいとそれを周辺しゅうへん地域ちいき日常にちじょう会話かいわかた場合ばあい共通きょうつうかたりとしてもちいられている。

地理ちり[編集へんしゅう]

地中海ちちゅうかい地図ちず

正確せいかくには、西にしジブラルタル海峡かいきょう大西おおにしひろしせっし、ひがしダーダネルス海峡かいきょうボスポラス海峡かいきょうはさんでマルマラうみ黒海こっかいにつながるうみをいう。マルマラうみ地中海ちちゅうかいふくめることもあるが、黒海こっかいふくめることはしない。19世紀せいき掘削くっさくされたスエズ運河うんが開通かいつう以降いこう紅海こうかい経由けいゆしてインド洋いんどようにつながる。

内海うつみであるため、比較的ひかくてきなみおだやかである。また沿岸えんがん複雑ふくざつ海岸かいがんせんんでいるため良港りょうこうめぐまれ、3つの大陸たいりくヨーロッパアジアアフリカ)を往来おうらいすることができる。こうした条件じょうけんから、地中海ちちゅうかい古代こだいから海上かいじょう貿易ぼうえきさかんで、古代こだいギリシア文明ぶんめいマ帝国まていこくなどの揺籃ようらんとなった。21世紀せいき初頭しょとう現在げんざい世界せかい海上かいじょう交通こうつう要衝ようしょうひとつである。

地中海ちちゅうかい沿岸えんがんなつ乾燥かんそうふゆ湿潤しつじゅんとなり、地中海ちちゅうかいせい気候きこうばれる。この気候きこうのため、オリーブひとし樹木じゅもくせい作物さくもつ栽培さいばいさかんであるほか、なつのまばゆい太陽たいよう冬季とうき温和おんわ気候きこうもとめて太陽たいようめぐまれない地域ちいきからおおくの観光かんこうきゃくおとずれる。

下記かきのように巨大きょだいプレート衝突しょうとつによって形成けいせいされたうみであるため、火山かざん点在てんざいし、ヴェスヴィオさんエトナさんサントリーニとうなど現代げんだいいたるまで活発かっぱつ活動かつどうつづける火山かざんおおい。地震じしん頻発ひんぱつする。

うみきょう[編集へんしゅう]

6月の地中海ちちゅうかい表面ひょうめん海流かいりゅう

内海うちうみであり、西端せいたんのジブラルタル海峡かいきょうのみ[ちゅう 1] でしか外海そとめ接続せつぞくのないことは、地中海ちちゅうかい海水かいすい循環じゅんかんおおきな影響えいきょうあたえている[4]。ジブラルタル海峡かいきょうせまあさいため、北大西洋きたたいせいよう海流かいりゅうのような外洋がいようおおきな海流かいりゅう直接ちょくせつ流入りゅうにゅうはない。大西洋たいせいようからの海水かいすい流入りゅうにゅうと、ナイルがわなどの地中海ちちゅうかい流入りゅうにゅうする河川かせん水量すいりょうをあわせても海面かいめんからの蒸発じょうはつりょう大幅おおはば上回うわまわるため、塩分えんぶん濃度のうどたかく、潮位ちょういひくくなっている。

蒸発じょうはつりょう気温きおんたか乾燥かんそう度合どあいのつよ地中海ちちゅうかい東部とうぶにおいてよりはげしく、そのため東部とうぶでは水面すいめんひく塩分えんぶん濃度のうどたか[5]。こうしてひくくなった東部とうぶには大西洋たいせいようから西部せいぶつうじててい塩分えんぶん海水かいすいながみ、ひがし高塩たかしお分水ぶんすいはそれによって西にしへとされ、ジブラルタル海峡かいきょうより大西洋たいせいようへともどる。このため、地中海ちちゅうかい表層ひょうそう海流かいりゅうかるていしお分水ぶんすいひがしへとながれ、深層しんそう海流かいりゅうおも高塩たかしお分水ぶんすい西にしへとかっている[6]地中海ちちゅうかいからなが高塩たかしお分水ぶんすい大西洋たいせいようすうせんkmも特徴とくちょうたもつづける[7]

しかし全般ぜんぱんてきって、地中海ちちゅうかい潮流ちょうりゅう非常ひじょうよわい。閉鎖へいさせい水域すいいきであり[2]海水かいすい循環じゅんかん不十分ふじゅうぶんであるうえに、沿岸えんがん人口じんこうは3おく6000まんにんえる世界せかいでも開発かいはつすすんだ地域ちいきひとつであることによって、地中海ちちゅうかい水質すいしつ悪化あっか懸念けねんされている[8]

形成けいせい[編集へんしゅう]

やく2おくねんまえないしやく1おく8000まんねんまえパンゲア大陸たいりくみなみゴンドワナ大陸たいりくきたローラシア大陸たいりくへと分裂ぶんれつはじめ, テチスうみ誕生たんじょうした。テチスうみ現在げんざい地中海ちちゅうかい原型げんけいにあたり、地中海ちちゅうかいともばれる。テチスうみは、地殻ちかく変動へんどうかえされ現在げんざいユーラシア大陸たいりくアフリカ大陸たいりく形成けいせいされていくなかで、カスピ海かすぴかい黒海こっかいはなかたち縮小しゅくしょうしてきた。

中新ちゅうしん末期まっきメッシーナ(7.246±0.005ひゃくまんねんまえ - 5.332±0.005ひゃくまんねんまえ)には一時いちじてき大西洋たいせいようとのあいだ断絶だんぜつき、596まんねんまえから533まんねんまえにかけてメッシニアン塩分えんぶん危機ききこり、テチスうみしおみずうみしながら縮小しゅくしょうもしくは完全かんぜん干上ひあがった時期じき確認かくにんされている。

533まんねんまえふたた大西洋たいせいようとジブラルタル海峡かいきょうつながると、200ねん以上いじょうかけて海水かいすいながザンクリアン洪水こうずい英語えいごばんによって、地中海ちちゅうかい形成けいせいされた。しおみずうみからの影響えいきょう地中海ちちゅうかい現在げんざい大西洋たいせいようより塩分えんぶん濃度のうどたかくなっている。

気候きこう[編集へんしゅう]

地中海ちちゅうかい周辺しゅうへんのケッペンの気候きこう区分くぶん

地中海ちちゅうかい沿岸えんがんおおくは、なつ南方なんぽうサハラ砂漠さはらさばく方面ほうめんから北上ほくじょうしてくる高気圧こうきあつによって乾燥かんそうし、晴天せいてんめぐまれる。一方いっぽうふゆ北方ほっぽうから南下なんかしてくるてい気圧きあつによってあめり、湿潤しつじゅん気候きこうとなる。この特徴とくちょうてき気候きこうスペインからイタリア半島はんとうギリシャアナトリア半島はんとうトルコ共和きょうわこく)、マグリブ諸国しょこくアトラス山脈さんみゃく以北いほくなどに分布ぶんぷし、ケッペンの気候きこう区分くぶんにおいても地中海ちちゅうかいせい気候きこう(Cs)とばれる独立どくりつしたいち区分くぶんとなっている。一方いっぽう地中海ちちゅうかいでも緯度いどひくリビアエジプト沿岸えんがんにおいては、ハドレー循環じゅんかんによる北緯ほくい20から30にかけての亜熱帯あねったいだかあつたい直下ちょっか位置いちし、高気圧こうきあつ一年中いちねんじゅうおおわれる。このため、ナフサ山地さんちによって海風かいふうやまにぶつかるトリポリタニア北部ほくぶと、おなじくアフダル山地さんちにぶつかるキレナイカ北部ほくぶのぞき、砂漠さばく地帯ちたいひろがっている。

また、前述ぜんじゅつした高気圧こうきあつてい気圧きあつ移動いどうともない、地中海ちちゅうかい多数たすう局地きょくちふうがあることでられる。なつみなみからかぜとしては、イタリアのシロッコ、リビアのギブリなどがある。ギブリは乾燥かんそうしているが、シロッコは地中海ちちゅうかいえてくるためにあつふうとなる。ふゆぎゃくに、きたから強風きょうふうくようになる。アドリア海あどりあかいボーラフランスミストラルなど、さむ乾燥かんそうしたふうおおい。

地中海ちちゅうかい水温すいおん[編集へんしゅう]

平均へいきん海水温かいすいおん (℃)
Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep Oct Nov Dec Year
マルセイユ[9] 13 13 13 14 16 18 21 22 21 18 16 14 16.6
ジブラルタル[10] 16 15 16 16 17 20 22 22 22 20 18 17 18.4
マラガ[11] 16 15 15 16 17 20 22 23 22 20 18 16 18.3
アテネ[12] 16 15 15 16 18 21 24 24 24 21 19 18 19.3
バルセロナ[13] 13 13 13 14 17 20 23 25 23 20 17 15 17.8
イラクリオン[14] 16 15 15 16 19 22 24 25 24 22 20 18 19.7
ヴェネツィア[15] 11 10 11 13 18 22 25 26 23 20 16 14 17.4
バレンシア[16] 14 13 14 15 17 21 24 26 24 21 18 15 18.5
マルタ[17] 16 16 15 16 18 21 24 26 25 23 21 18 19.9
アレキサンドリア[18] 18 17 17 18 20 23 25 26 26 25 22 20 21.4
ナポリ[19] 15 14 14 15 18 22 25 27 25 22 19 16 19.3
ラルナカ[20] 18 17 17 18 20 24 26 27 27 25 22 19 21.7
リマッソル[21] 18 17 17 18 20 24 26 27 27 25 22 19 21.7
アンタルヤ 17 17 17 18 21 24 27 28 27 25 22 19 21.8
テルアビブ[22] 18 17 17 18 21 24 26 28 27 26 23 20 22.1

人類じんるい[編集へんしゅう]

古代こだい[編集へんしゅう]

地中海ちちゅうかい沿岸えんがんふるくよりおおくの民族みんぞくさかえてきた。最初さいしょ文明ぶんめいさかえたのはひがし地中海ちちゅうかいで、古代こだいエジプト文明ぶんめいをはじめ、アナトリアのヒッタイトクレタとうミノア文明ぶんめい古代こだいギリシアミケーネ文明ぶんめいなどがさかんに交易こうえきおこなっていた。なかでもミノア文明ぶんめい地中海ちちゅうかいのただなかにあり、沿岸えんがんかく文明ぶんめいさかんに交易こうえきしていた。しかし、紀元前きげんぜん1200ねんころぜん1200ねんのカタストロフばれるだい変動へんどうがこの地域ちいきおそい、うみみんばれる人々ひとびと襲撃しゅうげきによってヒッタイト、ミノア、ミケーネは崩壊ほうかい。エジプトもおおきくちからとした。

がフェニキアじん都市としあかがギリシアじん都市としはいはその

やがて、紀元前きげんぜん12世紀せいきころから、地中海ちちゅうかい東端ひがしばた現在げんざいレバノン付近ふきん居住きょじゅうしていたフェニキアじん地中海ちちゅうかい交易こうえき開始かいしする。ついで古代こだいギリシアしょ都市とし沿岸えんがん交易こうえき開始かいしし、地中海ちちゅうかい沿岸えんがんにはフェニキアとギリシアのおおくの植民しょくみん都市とし建設けんせつされていった。イスタンブール(ビザンチウム)、ナポリ(ネアポリス)、マルセイユ(マッサリア)、パレルモメッシーナシラクサなど、この植民しょくみん都市とし起源きげん都市とし現在げんざいでもおおのこっている。この時期じきから、地中海ちちゅうかいにおいてはガレーせん多用たようされるようになった。地中海ちちゅうかいでは風向かざむきが安定あんていしないためじゅん帆船はんせん使用しようおくれ、17世紀せいき技術ぎじゅつ進歩しんぽによって帆船はんせんにとってかわられるまではガレーせん地中海ちちゅうかい船舶せんぱく主流しゅりゅうとなっていた。

紀元前きげんぜん8世紀せいきにフェニキアが政治せいじてき独立どくりつうしなったものの、植民しょくみん都市としひとカルタゴ強大きょうだいし、地中海ちちゅうかい西部せいぶとなえるようになった。一方いっぽう地中海ちちゅうかい中央ちゅうおうでは共和きょうわせいローマ強大きょうだいし、3にわたるポエニ戦争せんそうによってカルタゴを滅亡めつぼうさせた。ローマはさらにギリシアしょ都市とし沿岸えんがん諸国しょこく次々つぎつぎ占領せんりょうしていき、最終さいしゅうてき紀元前きげんぜん30ねんプトレマイオスちょうエジプト併合へいごうして、地中海ちちゅうかいマ帝国まていこく内海うちうみとなり、「われらがうみ」(Mare Nostrum)とばれるようになった。ローマの外港がいこうであるオスティア拡大かくだい整備せいびされ、地中海ちちゅうかい沿岸えんがん各地かくちひろがるぞくしゅうから、ローマをささえる大量たいりょう穀物こくもつ各種かくしゅ商品しょうひんはこまれた。地中海ちちゅうかい全域ぜんいき統一とういつ政府せいふしたかれたことで海運かいうん活発かっぱつし、地中海ちちゅうかい全域ぜんいきひとつの経済けいざいけんとなった。

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

マ帝国まていこく東西とうざい分裂ぶんれつ西にしマ帝国まていこく崩壊ほうかい地中海ちちゅうかいにも混乱こんらんをもたらし、ゲルマン民族みんぞくだい移動いどうによってやってたゲルマンじん地中海ちちゅうかいわたり、西にしゴート王国おうこくやヴァンダル王国おうこく建国けんこくした。一時いちじてきひがしマ帝国まていこくユスティニアヌス1せいしたでイタリア半島はんとうきたアフリカを回復かいふくしたものの、7世紀せいきはいるとイスラム帝国ていこく地中海ちちゅうかい地域ちいき進攻しんこう開始かいしし、8世紀せいきには地中海ちちゅうかい南岸なんがんおよび東岸とうがん領域りょういきした。これにたい地中海ちちゅうかい北岸ほくがんフランク王国おうこく主導しゅどうしたキリスト教きりすときょうけんまり、これによって地中海ちちゅうかい世界せかいことなるふたつの文明ぶんめい体系たいけい分裂ぶんれつすることとなった。キリストきょうけんにおいてもこのころひがしマ帝国まていこくギリシア正教せいきょうけんと、ローマ教皇きょうこうおよびフランク王国おうこくローマ・カトリックけんとにおおきくかれ、ことなった文明ぶんめいとなっていった。

イスラム帝国ていこく侵攻しんこうとフランク王国おうこく経済けいざい重心じゅうしん北部ほくぶ移動いどうしたことにより、一時いちじ衰退すいたいした地中海ちちゅうかい交易こうえきは、9世紀せいきはいると、アマルフィピサジェノヴァヴェネツィアといったイタリア半島はんとうしょ都市とし地中海ちちゅうかい交易こうえきし、交易こうえきふたたさかんとなった。やがて徐々じょじょちからたくわえたヨーロッパ諸国しょこく東方とうほうへの進出しんしゅつこころみ、1095ねんはじまるだいいち十字軍じゅうじぐんによってエルサレム中心ちゅうしん地中海ちちゅうかい東岸とうがんにいくつかの十字軍じゅうじぐん国家こっか建設けんせつされた。こののち、7かぞえる十字軍じゅうじぐんこされたが、十字軍じゅうじぐんしょ国家こっか12世紀せいきすえ以降いこう徐々じょじょ衰退すいたいし、1187ねんにはアイユーブあさおこしたサラーフッディーンによってエルサレムがイスラムがわさい占領せんりょうされた。これによりふたた十字軍じゅうじぐん組織そしきされたが、だいさんかい十字軍じゅうじぐんはエルサレム奪回だっかい失敗しっぱいだいよんかい十字軍じゅうじぐんはイスラムではなくひがしマ帝国まていこく矛先ほこさきけ、1204ねんひがしローマの首都しゅとコンスタンティノープルが陥落かんらくしてひがしマ帝国まていこく一時いちじ滅亡めつぼうし、ラテン帝国ていこく建国けんこくされた。だいいちかい十字軍じゅうじぐん陸路りくろったものの、だいかい十字軍じゅうじぐん以降いこう海路かいろでの侵攻しんこう主流しゅりゅうとなった。このぐん輸送ゆそうはイタリア半島はんとう交易こうえき都市としぐんによって負担ふたんされ、このころまでにはこの大軍たいぐん輸送ゆそうするだけの輸送ゆそうりょくをこれらのしょ都市としっていたことをあらわしている。この十字軍じゅうじぐんいちめん地中海ちちゅうかい移動いどう活発かっぱつをもたらし、これ以降いこう交易こうえき文化ぶんか交流こうりゅう一層いっそうさかんとなった。ジェノヴァやヴェネツィア、アドリア海あどりあかい対岸たいがんドゥブロヴニクラグーザ共和きょうわこく)などがだい貿易ぼうえき都市としとしてさかえ、この交易こうえきによってたくわえられたとみ知識ちしきもとに、やがてイタリア半島はんとうにおいてルネサンスはじまることとなった。

一方いっぽう西にし地中海ちちゅうかい沿岸えんがんにおいてはアラゴン王国おうこくが13世紀せいき以降いこうサルデーニャコルシカシチリア王国おうこくナポリ王国おうこく領有りょうゆうし、アラゴン連合れんごう王国おうこくとして西にし地中海ちちゅうかい制海権せいかいけんにぎっていた。この制海権せいかいけんは、1479ねんにアラゴン王国おうこくカスティーリャ王国おうこく合同ごうどうして成立せいりつしたスペイン王国おうこくへとがれることとなった。

近世きんせい[編集へんしゅう]

レパントのたたか

15世紀せいきには、オスマン帝国ていこくアナトリア半島はんとうから勢力せいりょくひろげ、1453ねんにはひがしマ帝国まていこく首都しゅとコンスタンティノープルを攻略こうりゃくした。これにより、ボスポラス海峡かいきょうとおって黒海こっかい方面ほうめん貿易ぼうえき帝国ていこくをきずきあげていたジェノヴァ共和きょうわこくだい打撃だげきけ、活動かつどう西にし地中海ちちゅうかいへとうつしていくことになった[23]一方いっぽう、エジプトやシリアはいまだオスマンりょうではなかったため、この地域ちいき交易こうえき基盤きばんとするヴェネツィア共和きょうわこくひがし地中海ちちゅうかい支配しはいけんにぎつづけた。しかしオスマン帝国ていこく膨張ぼうちょうまらず、1517ねんにはエジプトのマムルークあさがオスマンに征服せいふくされ、オスマン帝国ていこく地中海ちちゅうかい東方とうほうおよび南方なんぽう手中しゅちゅうおさめ、それまで地中海ちちゅうかい制海権せいかいけんにぎっていたヴェネツィア共和きょうわこくやスペインとはげしく対立たいりつした。1538ねんプレヴェザの海戦かいせんによってオスマンはぜん地中海ちちゅうかい制海権せいかいけんにぎったものの、1571ねんレパントの海戦かいせんによって歯止はどめがかけられ、西にし地中海ちちゅうかい制海権せいかいけんはやがてスペインが奪回だっかいした。

一方いっぽうアメリカ大陸あめりかたいりく発見はっけんにより、ヨーロッパの交易こうえき中心ちゅうしん地中海ちちゅうかいから大西洋たいせいようおよび北海ほっかいへとうつり、地中海ちちゅうかい交易こうえき相対そうたいてき地位ちい低下ていかした。また、15世紀せいき以降いこう、マグリブ諸国しょこくからの海賊かいぞくキリスト教きりすときょう諸国しょこく脅威きょういとなり、バルバリア海賊かいぞくばれて19世紀せいき初頭しょとうまで猛威もういるった。1783ねん独立どくりつしたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくも、1801ねんだいいちバーバリ戦争せんそう1815ねんだいバーバリ戦争せんそうの2にわたってバルバリア海賊かいぞく戦火せんかまじえている。

スペイン継承けいしょう戦争せんそう結果けっか1713ねんユトレヒト条約じょうやくにおいてイギリスジブラルタルミノルカとう獲得かくとくする。ミノルカとうはそのアメリカ独立どくりつ戦争せんそうなか1782ねんメノルカとう侵攻しんこうによってスペインが奪還だっかんするが、ジブラルタルは現在げんざいまでイギリスの重要じゅうよう軍事ぐんじ基地きちとなっている。

1798ねんには、フランス共和きょうわこくナポレオン・ボナパルト海路かいろエジプト遠征えんせいおこない、イギリスの地中海ちちゅうかい紅海こうかいインド洋いんどようとの連絡れんらくろうとした。しかし海軍かいぐんりょくまさるイギリスはホレーショ・ネルソン指揮しきナイルのたたかにおいて勝利しょうりおさめ、地中海ちちゅうかい制海権せいかいけん確立かくりつする。補給ほきゅうたれたフランスぐん1801ねん降伏ごうぶくした。以後いごナポレオン戦争せんそうなか、イギリスはマルタとうイオニア諸島しょとう占領せんりょうし、地中海ちちゅうかいにおける重要じゅうよう拠点きょてんとした。とくにマルタとうには地中海ちちゅうかい艦隊かんたい本部ほんぶかれ、イギリスの地中海ちちゅうかい制海権せいかいけんになっていた。

近代きんだい[編集へんしゅう]

19世紀せいきはいると、オスマン帝国ていこく衰退すいたいじょうじ、北岸ほくがんのヨーロッパ諸国しょこく対岸たいがんきたアフリカを植民しょくみんしていった。1830ねんにはフランスがアルジェリア侵略しんりゃくおこない、これによりバルバリア海賊かいぞく完全かんぜん消滅しょうめつするとともに、以後いご1962ねんまでフランスがアルジェリアを支配しはいした。

1820ねんころから、一時いちじ完全かんぜんもちほうまわりにうつっていた東西とうざい交易こうえきのメインルートが、ふたた地中海ちちゅうかい経由けいゆもどきざしをはじめた。イギリスひがしインド会社かいしゃ効率こうりつと、外洋がいよう進出しんしゅつはじめた蒸気じょうきせん進歩しんぽが、距離きょりみじか地中海ちちゅうかいルートの復権ふっけんうながしたのである。1820年代ねんだいにはえいりょうインドからイギリスまでの定期ていき蒸気じょうきせん航路こうろ開設かいせつさけばれるようになるが、このルートには、カルカッタ財界ざいかいもちほうルートと、ボンベイ財界ざいかいスエズルートのふたつのルートが存在そんざいした。もちほうルートは一時いちじ定期ていきせん就航しゅうこうさせたものの、燃料ねんりょうである石炭せきたん補給ほきゅう基地きち開設かいせつ失敗しっぱい結局けっきょく1835ねんにイギリス政府せいふはボンベイからスエズへ蒸気じょうきせん航路こうろ開設かいせつし、スエズからアレキサンドリアまで陸送りくそうしたのち、アレキサンドリアから地中海ちちゅうかい西にしかい、マルタとう経由けいゆしてジブラルタルで英国えいこく本土ほんどきの帆船はんせんえる郵便ゆうびんルートを正式せいしき採択さいたくする[24]。これにより、地中海ちちゅうかいふたた東西とうざい最速さいそくむす経路けいろとなった。

19世紀せいき、スエズ運河うんが開通かいつう直後ちょくご風景ふうけい

このころ東西とうざい海運かいうんのネックとなっているスエズ地峡ちきょう運河うんが開削かいさくするあん浮上ふじょうする。このあん歴史れきしじょうなんあらわれてはえたあんであったが、産業さんぎょう革命かくめい進展しんてんにより実際じっさい運河うんが建設けんせつする条件じょうけんととのったからである。イギリスはこのあん消極しょうきょくてきであったが、フランスがこのあん積極せっきょくてきすすめ、フェルディナン・ド・レセップスによって設立せつりつされたスエズ運河うんが会社かいしゃによってスエズ運河うんが1855ねん着工ちゃっこうし、1869ねん開通かいつうした。これにより、地中海ちちゅうかい紅海こうかい一本いっぽん水路すいろでつながり、地中海ちちゅうかい経由けいゆする東西とうざい直航ちょっこうルートが可能かのうになった。

スエズ運河うんが開通かいつうで、地中海ちちゅうかい完全かんぜん東西とうざい交易こうえきのメインルートへと復帰ふっきした。地中海ちちゅうかい沿岸えんがんとく北岸ほくがん産業さんぎょう革命かくめいすすんだ先進せんしん地域ちいきおおく、またアフリカ大陸たいりく迂回うかいするもちほうまわりルートにくらべ、時間じかん距離きょり・コストともに圧倒的あっとうてき有利ゆうりだったからである。蒸気じょうきせん就航しゅうこうにより地中海ちちゅうかいない一般いっぱん航路こうろ時間じかん短縮たんしゅくされ、本数ほんすう増加ぞうかして、多数たすう航路こうろ地中海ちちゅうかいない開設かいせつされるようになった。この時期じき、とくに19世紀せいきはいって以降いこう従来じゅうらい地中海ちちゅうかい沿岸えんがん諸国しょこくくわえ、地中海ちちゅうかいへのくち確保かくほしたオーストリア帝国ていこく(のちにオーストリア・ハンガリー帝国ていこく)が、アドリア海あどりあかいわんおくにあるトリエステみなと整備せいび[25]、ここを拠点きょてんとして地中海ちちゅうかい進出しんしゅつすすめていた。

現代げんだい[編集へんしゅう]

だいいち世界せかい大戦たいせんでは、地中海ちちゅうかい重要じゅうようシーレーン戦場せんじょうになった。地中海ちちゅうかい沿岸えんがん領土りょうど権益けんえき諸国しょこくが、えいふつ連合れんごうこくと、オーストリア・ハンガリー帝国ていこくとオスマン帝国ていこくドイツ帝国ていこく中央ちゅうおう同盟どうめいこくかれたためである。とくアドリア海あどりあかいイタリア海軍かいぐんオーストリア=ハンガリー帝国ていこく海軍かいぐんあいだで、オトラント海峡かいきょう海戦かいせんなどいくつかの海戦かいせんこった。えいふつ地中海ちちゅうかい経由けいゆしてオスマン帝国ていこく本土ほんど遠征えんせいガリポリのたたか)。連合れんごうこくがわ参戦さんせんした日本にっぽんだい特務とくむ艦隊かんたい地中海ちちゅうかい派遣はけんした。

だいいち世界せかい大戦たいせん、オーストリア・ハンガリー帝国ていこく崩壊ほうかいアドリア海あどりあかい沿岸えんがん旧領きゅうりょうは、イタリアとセルビア王国おうこく後継こうけいであるユーゴスラビア王国おうこく獲得かくとくした。

だい世界せかい大戦たいせんにおいては、地中海ちちゅうかいだいいち世界せかい大戦たいせんよりさらにだい規模きぼたたかいの舞台ぶたいとなった。イタリアとナチス・ドイツ主力しゅりょくとする枢軸すうじくこくと、イギリスなど連合れんごうこくあいだ地中海ちちゅうかいたたか総称そうしょうされる多数たすう戦闘せんとうきた。イギリスはマルタとう基地きちとして枢軸すうじくぐん補給ほきゅうおどかしつづけた。

だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつ1956ねんスエズ動乱どうらんによってイギリスはスエズ運河うんが支配しはいけん完全かんぜん喪失そうしつし、ガマール・アブドゥル=ナーセルひきいるエジプト政府せいふがスエズ運河うんが国有こくゆうした。しかし1967ねん第三次中東戦争だいさんじちゅうとうせんそう勃発ぼっぱつし、大勝たいしょうしたイスラエルシナイ半島しないはんとう占領せんりょうき、スエズ運河うんが東岸とうがん支配しはいした。これによりスエズ運河うんが通行つうこう不能ふのう状態じょうたいとなり、地中海ちちゅうかい経由けいゆする東西とうざい交易こうえき一時いちじ完全かんぜんにストップし、ふるもちほうまわりのルートへの移行いこう余儀よぎなくされた。この状態じょうたい1973ねん10月のだいよん中東ちゅうとう戦争せんそうまでつづいたが、この戦争せんそう両国りょうこくあゆりをせ、1975ねん運河うんが通航つうこう再開さいかいされて、これにより地中海ちちゅうかい経由けいゆ東西とうざい貿易ぼうえきふたた復活ふっかつした。

地中海ちちゅうかい欧州おうしゅう地域ちいき同様どうよう北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこう(NATO)とソビエト連邦れんぽうなどとの東西とうざい冷戦れいせん舞台ぶたいともなり、沿岸えんがん領土りょうどたないアメリカがだい6艦隊かんたい展開てんかいするようになった。

政治せいじ[編集へんしゅう]

2008ねん7がつ発足ほっそくした地中海ちちゅうかい連合れんごう参加さんかこく
  EU加盟かめいこく
  EU加盟かめいこく
  斜線しゃせんはオブザーバこく

1995ねんバルセロナひらかれた欧州おうしゅう地中海ちちゅうかい会議かいぎにおいて、欧州おうしゅう欧州おうしゅう地中海ちちゅうかい沿岸えんがん諸国しょこくマシュリクマグリブ)との政治せいじ経済けいざい文化ぶんかめんでの交流こうりゅうふかめるべく、欧州おうしゅう地中海ちちゅうかいパートナーシップ(バルセロナ・プロセス)が発足ほっそくした。このみは一定いってい成果せいかげ、このみを下敷したじきとして2007ねんフランス大統領だいとうりょうニコラ・サルコジ地中海ちちゅうかい連合れんごう提唱ていしょうし、2008ねん欧州おうしゅう連合れんごう(EU)および地中海ちちゅうかい沿岸えんがん諸国しょこく共同きょうどうたいとして発足ほっそくした。

2000年代ねんだいより、政治せいじ経済けいざいてき混乱こんらんつづブラックアフリカアラブ諸国しょこくから、難民なんみんふね仕立したてて地中海ちちゅうかいわたり、北岸ほくがんのEU諸国しょこくへと上陸じょうりくする事例じれい多発たはつし、問題もんだいとなっている。とくにアフリカ大陸たいりくちかいイタリアりょうランペドゥーザとうなどがおも目標もくひょうとなっている。ランペドゥーザとうには2000年代ねんだい初頭しょとう以降いこうランペドゥーザ難民なんみん収容しゅうようセンターもうけられ、難民なんみん収容しゅうようしているが、せる多数たすう難民なんみんによって収容しゅうようセンターは人員じんいん大幅おおはば超過ちょうかする状態じょうたいつづいている。これらの難民なんみんせん老朽ろうきゅうしたものがおおく、海難かいなん事故じこ多発たはつしている。2013ねん10がつ3にちには、リビアからイタリアへかう難民なんみんせん2013ねんランペドゥーザとう難民なんみんせん沈没ちんぼつ事故じここし、360にん以上いじょう死亡しぼうした。2014ねん9がつ10日とおかには、マルタおき難民なんみん密入国みつにゅうこく業者ぎょうしゃあいだのトラブルから業者ぎょうしゃ故意こいふねしずめ、難民なんみん500にん以上いじょう死亡しぼうする事故じここった[26]

経済けいざい[編集へんしゅう]

地中海ちちゅうかい世界せかいもっと海上かいじょう交通こうつうさかんな地域ちいきひとつである。古代こだいからふねみなと自然しぜん脅威きょういからまも貿易ぼうえきささえてきた。沿岸えんがんしょ都市としあいだむす近距離きんきょり航路こうろ、ジブラルタル海峡かいきょうやスエズ運河うんがミディ運河うんがとお東西とうざいむす貿易ぼうえき航路こうろによってつね混雑こんざつしている。

近代きんだいからは海底かいていケーブルおおかれ、戦後せんごスーパーグリッド一帯いったい電化でんかさせた。そこへスマートグリッド応用おうようしたスーパースマートグリッドいま世界せかいてき開発かいはつ市場いちばとなっている。

また、地中海ちちゅうかい沿岸えんがんとくなつ快晴かいせいめぐまれ、ふゆさむさもそれほどきびしくないため、なつ海水浴かいすいよくふゆ避寒ひかん目的もくてきに、陽光ようこうすくないきたヨーロッパ諸国しょこく中心ちゅうしんとした世界せかい各国かっこくから観光かんこうきゃくあつまるだいリゾート数多かずおお存在そんざいする。こうしたリゾート開発かいはつ18世紀せいき後半こうはん王侯おうこう貴族きぞくのものとしてはじまったが、鉄道てつどう蒸気じょうきせん開発かいはつによって交通こうつう便びんいちじるしく向上こうじょうした19世紀せいきには富裕ふゆうそう全般ぜんぱん拡大かくだい1970年代ねんだいはいると西欧せいおう諸国しょこく労働ろうどう条件じょうけん改善かいぜんバカンス制度せいど導入どうにゅうにより、一般いっぱん市民しみんにもとどくものとなり、一大いちだい産業さんぎょうとなった[27]

地中海ちちゅうかい観光かんこうやリゾート大都市だいとしなどが点在てんざいするため、こうしたまち々をむすび、さらに地中海ちちゅうかいうつくしい風景ふうけいたのしむためのクルーズせんおお就航しゅうこうしている。地中海ちちゅうかいクラブばれる観光かんこう企業きぎょう存在そんざいする。

主要しゅようしま[編集へんしゅう]

地中海ちちゅうかい面積めんせきひろしま上位じょうい10とうは、以下いかのとおりである。

はた しま 面積めんせき(km2 人口じんこう
イタリアの旗 シチリアの旗 シチリアとう 25,460 5,048,995
イタリアの旗 サルデーニャの旗 サルディニアとう 23,821 1,672,804
キプロスの旗 北キプロス・トルコ共和国の旗 キプロスとう 9,251 1,088,503
フランスの旗 コルシカとう 8,680 299,209
ギリシャの旗 クレタとう 8,336 623,666
ギリシャの旗 エウボイアとう 3,655 218,000
スペインの旗 マヨルカ島の旗 マヨルカとう 3,640 869,067
ギリシャの旗 レスボスとう 1,632 90,643
ギリシャの旗 ロドスとう 1,400 117,007
ギリシャの旗 キオスとう 842 51,936

沿岸えんがん国家こっか主要しゅよう都市とし[編集へんしゅう]

イギリスの海外かいがい領土りょうどイベリア半島はんとうジブラルタルキプロスとうアクロティリおよびデケリア)が存在そんざいする。また、キプロスとう北部ほくぶはトルコのみが承認しょうにんするきたキプロス実効じっこう支配しはいしている。

地中海ちちゅうかいでは各国かっこく排他はいたてき経済けいざい水域すいいき(EEZ)がせっするが、ひがし地中海ちちゅうかいにおいては主張しゅちょう一致いっちせず対立たいりつ発生はっせいしている。トルコ政府せいふは、アナトリア半島はんとう沿岸えんがん点在てんざいするギリシャりょう島々しまじま周辺しゅうへんや、クレタとうやキプロスとうなどとのなかあいだせんえた海域かいいき自国じこくのEEZを主張しゅちょうしている。背景はいけいとしては2009ねん以降いこうひがし地中海ちちゅうかいガス発見はっけんされて開発かいはつはじまり、パイプライン敷設ふせつによる輸送ゆそうふくめたイスラエル、キプロス、ギリシャによる協力きょうりょく枠組わくぐみにトルコときたキプロスがふくまれていないことがある。トルコはキプロスが主張しゅちょうするEEZない海底かいてい探査たんさおこなったり、連携れんけいもとめて対岸たいがんにあるリビアの内戦ないせん介入かいにゅうしたりしている[28][29]

地中海ちちゅうかいめんする人口じんこう20まんにん以上いじょう都市としは、以下いかのとおりである。

くに 都市とし
アルバニアの旗 アルバニア ドゥラス
アルジェリアの旗 アルジェリア アルジェアンナバオラン
クロアチアの旗 クロアチア スプリトリエカ
エジプトの旗 エジプト アレキサンドリアポートサイド
フランスの旗 フランス マルセイユニース
ギリシャの旗 ギリシャ アテネイラクリオンパトラステッサロニキ
イスラエルの旗 イスラエル アシュドッドハイファテルアビブ
イタリアの旗 イタリア バーリカターニアジェノヴァメッシーナナポリパレルモローマターラントトリエステヴェネツィア
レバノンの旗 レバノン ベイルートトリポリ
リビアの旗 リビア ベンガジホムスミスラタトリポリザーウィヤズリテン
モロッコの旗 モロッコ テトゥアンタンジェ
スペインの旗 スペイン アリカンテバダロナバルセロナカルタヘナマラガパルマバレンシア
パレスチナ国の旗 パレスチナ ガザ
シリアの旗 シリア ラタキア
チュニジアの旗 チュニジア ビゼルトスファックスチュニス
トルコの旗 トルコ アンタルヤイスケンデルンイズミールメルスィン

海域かいいき[編集へんしゅう]

国際こくさい水路すいろ機関きかんは、地中海ちちゅうかい下位かいにあたる海域かいいきとして以下いかの8つを定義ていぎしている[30]

このほか、つぎのような海域かいいきけられることがある。

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 厳密げんみつにはもういち箇所かしょ、スエズ運河うんがかいしても外海そとめ接続せつぞくしているが、うみきょうあたえる影響えいきょうごくわずかとえる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Pinet, Paul R. (2008). Invitation to Oceanography. Jones & Barlett Learning. p. 220. ISBN 0763759937. https://books.google.co.jp/books?id=6TCm8Xy-sLUC&pg=PA220&lpg=PA220&redir_esc=y&hl=ja 
  2. ^ a b 世界せかい代表だいひょうてき閉鎖へいさせい海域かいいき環境省かんきょうしょうせとうちネット」(2020ねん8がつ22にち閲覧えつらん
  3. ^ 弓削ゆげいたる地中海ちちゅうかい世界せかい ギリシア・ローマの歴史れきし』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ)。
  4. ^ Pinet, Paul R. (1996), Invitation to Oceanography (3rd ed.), St Paul, Minnesota: West Publishing Co., p. 202, ISBN 0-314-06339-0 
  5. ^ Pinet 1996, p. 206.
  6. ^ Pinet 1996, pp. 206–207.
  7. ^ Pinet 1996, p. 207.
  8. ^ ベルテルスマンしゃ、ミッチェル・ビーズリーしゃへん『ビジュアルシリーズ 世界せかいさい発見はっけん1 フランス・みなみヨーロッパ』(同朋どうほうしゃ出版しゅっぱん、1992ねん5がつ20日はつかだい1はんだい1さつ)p84。
  9. ^ Marseille Climate and Weather Averages, France
  10. ^ Gibraltar Climate and Weather Averages
  11. ^ Malaga Climate and Weather Averages, Costa del Sol
  12. ^ Athens Climate and Weather Averages, Greece
  13. ^ Barcelona Climate and Weather Averages, Spain
  14. ^ Iraklion Climate and Weather Averages, Crete
  15. ^ Venice Climate and Weather Averages, Venetian Riviera
  16. ^ Valencia Climate and Weather Averages, Spain
  17. ^ Valletta Climate and Weather Averages, Malta
  18. ^ Alexandria Climate and Weather Averages, Egypt
  19. ^ Naples Climate and Weather Averages, Neapolitan Riviera
  20. ^ Larnaca Climate and Weather Averages, Cyprus
  21. ^ Limassol Climate and Weather Averages, Cyprus
  22. ^ Tel Aviv Climate and Weather Averages, Israel
  23. ^ 石坂いしざか昭雄あきおことぶきえい欣三郎きんざぶろう諸田もろたみのる山下やました幸夫ゆきおちょ商業しょうぎょう』(有斐閣ゆうひかく、1980ねん11月20にち初版しょはんだい1さつ)p.67。
  24. ^ 園田そのだ英弘ひでひろ世界せかい一周いっしゅう誕生たんじょう――グローバリズムの起源きげん』(文春ぶんしゅん新書しんしょ、 2003ねん)p62。
  25. ^ 加賀かがよしまさひろし『ハプスブルク帝国ていこくたびする』(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ、1997ねん6がつ20日はつか)p99 
  26. ^ 地中海ちちゅうかいで「近年きんねん最悪さいあく海難かいなん事件じけん」、難民なんみん500にん水死すいしおそれ”. AFPBB News. (2014ねん9がつ16にち). https://www.afpbb.com/articles/-/3025947 2016ねん11月28にち閲覧えつらん 
  27. ^ 地球ちきゅうたびする地理ちりほん4 西にしヨーロッパ』(大月書店おおつきしょてん 1993ねん2がつ19にちだい1さつ)p.43-44
  28. ^ 「トルコ・ギリシャ対立たいりつ激化げきか ひがし地中海ちちゅうかいガス開発かいはつ」『読売新聞よみうりしんぶん朝刊ちょうかん2020ねん8がつ26にち国際こくさいめん
  29. ^ 佐々木ささきしんほし槎大がく大学院だいがくいん教授きょうじゅ中東ちゅうとうく】トルコ、リビア内戦ないせんに“私兵しへい軍団ぐんだん背景はいけい天然てんねんガスめぐる資源しげんあらそ WEDGE Infinity(2019ねん12月28にち)2020ねん8がつ26にち閲覧えつらん
  30. ^ Limits of Oceans and Seas, 3rd edition”. International Hydrographic Organization. p. 15-18 (1953ねん). 2011ねん10がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]