この項目 こうもく では、ユーラシア大陸 たいりく とアフリカ大陸 たいりく に囲 かこ まれた海域 かいいき について説明 せつめい しています。一般 いっぱん 名詞 めいし としての地中海 ちちゅうかい については「地中海 ちちゅうかい (海洋 かいよう 学 がく ) 」をご覧 らん ください。
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地中海 ちちゅうかい (ちちゅうかい、ラテン語 らてんご : Mare Mediterraneum )は、北 きた と東 ひがし をユーラシア大陸 たいりく 、南 みなみ をアフリカ大陸 たいりく (両者 りょうしゃ で世界 せかい 島 とう )に囲 かこ まれた地中海 ちちゅうかい 盆地 ぼんち に位置 いち する海 うみ である。面積 めんせき は約 やく 250万 まん 平方 へいほう キロメートル、平均 へいきん 水深 すいしん は約 やく 1500メートル[2] 。海洋 かいよう 学 がく 上 じょう の地中海 ちちゅうかい の一 ひと つ。
地中海 ちちゅうかい には独立 どくりつ した呼称 こしょう を持 も ついくつかの海域 かいいき が含 ふく まれる(エ え ーゲ海 げかい 、アドリア海 あどりあかい など)。地中海 ちちゅうかい と接続 せつぞく する他 ほか の海 うみ としては、ジブラルタル海峡 かいきょう の西側 にしがわ に大西 おおにし 洋 ひろし が、ダーダネルス海峡 かいきょう を経 へ た北東 ほくとう にマルマラ海 うみ と黒海 こっかい があり、南東 なんとう はスエズ運河 うんが で紅海 こうかい と結 むす ばれている(「海域 かいいき 」「地理 ちり 」で詳述 しょうじゅつ )。
北岸 ほくがん の南 みなみ ヨーロッパ 、東岸 とうがん の中近東 ちゅうきんとう 、南岸 なんがん の北 きた アフリカ は古代 こだい から往来 おうらい が盛 さか んで、「地中海 ちちゅうかい 世界 せかい 」と総称 そうしょう されることもある[3] 。
地中海 ちちゅうかい を指 さ す Mediterranean という語 かたり は、「大地 だいち の真 ま ん中 なか 」を意味 いみ するラテン語 らてんご の mediterraneus メディテッラーネウス(medius 「真 ま ん中 なか 」 + terra 「土 ど 、大地 だいち 」)に由来 ゆらい する。またギリシア語 ご では、これと全 まった く同 おな じ造語 ぞうご 法 ほう でもって、mesogeios (μεσογειος )と呼 よ んでいた。
歴史 れきし 的 てき には、他 ほか にも各国 かっこく 語 ご で様々 さまざま に呼 よ ばれてきたことが古文書 こもんじょ などを通 つう じて明 あき らかになっている。たとえば古代 こだい ローマ時代 じだい のラテン語 らてんご では mare nostrum と呼 よ ばれたが、これは「我 われ らが海 うみ 」という意味 いみ であった。聖書 せいしょ には「偉大 いだい なる海 うみ 」あるいは「西 にし の海 うみ 」として登場 とうじょう している。近代 きんだい のヘブライ語 ご では、"ha-Yam ha-Tichon" (הים התיכון 、"the middle sea ") と呼 よ ばれ、その語義 ごぎ はドイツ語 ご Mittelmeer と変 か わるところがない。トルコ語 ご では Akdeniz と言 い い、これは「黒海 こっかい 」 Karadeniz に対 たい する「白 しろ 海 うみ 」という意味 いみ である。アラビア語 ご では Al-Baḥr Al-'Abiaḍ Al-Muttawasit (البحر الأبيض المتوسط )と呼 よ んで、「中央 ちゅうおう の白 しろ い海 うみ 」という意味合 いみあ いになっている。
近年 きんねん [いつ? ] の英語 えいご では、"The Med " という短縮 たんしゅく 語 ご が、地中海 ちちゅうかい とそれを取 と り巻 ま く周辺 しゅうへん 地域 ちいき を日常 にちじょう の会話 かいわ で語 かた る場合 ばあい の共通 きょうつう の語 かたり として用 もち いられている。
地中海 ちちゅうかい の地図 ちず
正確 せいかく には、西 にし をジブラルタル海峡 かいきょう で大西 おおにし 洋 ひろし と接 せっ し、東 ひがし はダーダネルス海峡 かいきょう とボスポラス海峡 かいきょう を挟 はさ んでマルマラ海 うみ と黒海 こっかい につながる海 うみ をいう。マルマラ海 うみ を地中海 ちちゅうかい に含 ふく めることもあるが、黒海 こっかい を含 ふく めることはしない。19世紀 せいき に掘削 くっさく されたスエズ運河 うんが の開通 かいつう 以降 いこう は紅海 こうかい を経由 けいゆ してインド洋 いんどよう につながる。
内海 うつみ であるため、比較的 ひかくてき 波 なみ が穏 おだ やかである。また沿岸 えんがん は複雑 ふくざつ な海岸 かいがん 線 せん に富 と んでいるため良港 りょうこう に恵 めぐ まれ、3つの大陸 たいりく (ヨーロッパ 、アジア 、アフリカ )を往来 おうらい することができる。こうした条件 じょうけん から、地中海 ちちゅうかい は古代 こだい から海上 かいじょう 貿易 ぼうえき が盛 さか んで、古代 こだい ギリシア文明 ぶんめい 、ロ ろ ーマ帝国 まていこく などの揺籃 ようらん となった。21世紀 せいき 初頭 しょとう の現在 げんざい も世界 せかい の海上 かいじょう 交通 こうつう の要衝 ようしょう の一 ひと つである。
地中海 ちちゅうかい の沿岸 えんがん は夏 なつ に乾燥 かんそう 、冬 ふゆ に湿潤 しつじゅん となり、地中海 ちちゅうかい 性 せい 気候 きこう と呼 よ ばれる。この気候 きこう のため、オリーブ 等 ひとし の樹木 じゅもく 性 せい 作物 さくもつ の栽培 さいばい が盛 さか んであるほか、夏 なつ のまばゆい太陽 たいよう や冬季 とうき の温和 おんわ な気候 きこう を求 もと めて太陽 たいよう に恵 めぐ まれない地域 ちいき から多 おお くの観光 かんこう 客 きゃく が訪 おとず れる。
下記 かき のように巨大 きょだい なプレート の衝突 しょうとつ によって形成 けいせい された海 うみ であるため、火山 かざん が点在 てんざい し、ヴェスヴィオ山 さん やエトナ山 さん 、サントリーニ島 とう など現代 げんだい に至 いた るまで活発 かっぱつ に活動 かつどう を続 つづ ける火山 かざん も多 おお い。地震 じしん も頻発 ひんぱつ する。
6月の地中海 ちちゅうかい 表面 ひょうめん 海流 かいりゅう
内海 うちうみ であり、西端 せいたん のジブラルタル海峡 かいきょう のみ[注 ちゅう 1] でしか外海 そとめ と接続 せつぞく のないことは、地中海 ちちゅうかい の海水 かいすい 循環 じゅんかん に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えている[4] 。ジブラルタル海峡 かいきょう は狭 せま く浅 あさ いため、北大西洋 きたたいせいよう 海流 かいりゅう のような外洋 がいよう の大 おお きな海流 かいりゅう の直接 ちょくせつ の流入 りゅうにゅう はない。大西洋 たいせいよう からの海水 かいすい の流入 りゅうにゅう と、ナイル川 がわ などの地中海 ちちゅうかい に流入 りゅうにゅう する河川 かせん の水量 すいりょう をあわせても海面 かいめん からの蒸発 じょうはつ 量 りょう が大幅 おおはば に上回 うわまわ るため、塩分 えんぶん 濃度 のうど が高 たか く、潮位 ちょうい が低 ひく くなっている。
蒸発 じょうはつ 量 りょう は気温 きおん が高 たか く乾燥 かんそう の度合 どあ いの強 つよ い地中海 ちちゅうかい 東部 とうぶ においてより激 はげ しく、そのため東部 とうぶ では水面 すいめん が低 ひく く塩分 えんぶん 濃度 のうど も高 たか い[5] 。こうして低 ひく くなった東部 とうぶ には大西洋 たいせいよう から西部 せいぶ を通 つう じて低 てい 塩分 えんぶん の海水 かいすい が流 なが れ込 こ み、東 ひがし の高塩 たかしお 分水 ぶんすい はそれによって西 にし へと押 お し出 だ され、ジブラルタル海峡 かいきょう より大西洋 たいせいよう へと戻 もど る。このため、地中海 ちちゅうかい の表層 ひょうそう の海流 かいりゅう は軽 かる い低 てい 塩 しお 分水 ぶんすい が東 ひがし へと流 なが れ、深層 しんそう 海流 かいりゅう は重 おも い高塩 たかしお 分水 ぶんすい が西 にし へと向 む かっている[6] 。地中海 ちちゅうかい から流 なが れ出 で た高塩 たかしお 分水 ぶんすい は大西洋 たいせいよう で数 すう 千 せん kmも特徴 とくちょう を保 たも ち続 つづ ける[7] 。
しかし全般 ぜんぱん 的 てき に言 い って、地中海 ちちゅうかい の潮流 ちょうりゅう は非常 ひじょう に弱 よわ い。閉鎖 へいさ 性 せい 水域 すいいき であり[2] 、海水 かいすい の循環 じゅんかん が不十分 ふじゅうぶん であるうえに、沿岸 えんがん 人口 じんこう は3億 おく 6000万 まん 人 にん を超 こ える世界 せかい でも開発 かいはつ の進 すす んだ地域 ちいき の一 ひと つであることによって、地中海 ちちゅうかい の水質 すいしつ 悪化 あっか が懸念 けねん されている[8] 。
約 やく 2億 おく 年 ねん 前 まえ ないし約 やく 1億 おく 8000万 まん 年 ねん 前 まえ 、パンゲア大陸 たいりく が南 みなみ のゴンドワナ大陸 たいりく と北 きた のローラシア大陸 たいりく へと分裂 ぶんれつ し始 はじ め,
テチス海 うみ が誕生 たんじょう した。テチス海 うみ は現在 げんざい の地中海 ちちゅうかい の原型 げんけい にあたり、古 こ 地中海 ちちゅうかい とも呼 よ ばれる。テチス海 うみ は、地殻 ちかく 変動 へんどう が繰 く り返 かえ され現在 げんざい のユーラシア大陸 たいりく やアフリカ大陸 たいりく が形成 けいせい されていく中 なか で、カスピ海 かすぴかい や黒海 こっかい を切 き り離 はな す形 かたち で縮小 しゅくしょう してきた。
中新 ちゅうしん 世 よ 末期 まっき のメッシーナ期 き (7.246±0.005百 ひゃく 万 まん 年 ねん 前 まえ - 5.332±0.005百 ひゃく 万 まん 年 ねん 前 まえ )には一時 いちじ 的 てき に大西洋 たいせいよう との間 あいだ で断絶 だんぜつ が起 お き、596万 まん 年 ねん 前 まえ から533万 まん 年 ねん 前 まえ にかけてメッシニアン塩分 えんぶん 危機 きき が起 お こり、テチス海 うみ は塩 しお 湖 みずうみ 化 か しながら縮小 しゅくしょう もしくは完全 かんぜん に干上 ひあ がった時期 じき が確認 かくにん されている。
533万 まん 年 ねん 前 まえ 、再 ふたた び大西洋 たいせいよう とジブラルタル海峡 かいきょう で繋 つな がると、200年 ねん 以上 いじょう かけて海水 かいすい が流 なが れ込 こ むザンクリアン洪水 こうずい (英語 えいご 版 ばん ) によって、地中海 ちちゅうかい が形成 けいせい された。塩 しお 湖 みずうみ からの影響 えいきょう で地中海 ちちゅうかい は現在 げんざい も大西洋 たいせいよう より塩分 えんぶん 濃度 のうど が高 たか くなっている。
地中海 ちちゅうかい 周辺 しゅうへん のケッペンの
気候 きこう 区分 くぶん 図 ず
地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん の多 おお くは、夏 なつ は南方 なんぽう のサハラ砂漠 さはらさばく 方面 ほうめん から北上 ほくじょう してくる高気圧 こうきあつ によって乾燥 かんそう し、晴天 せいてん に恵 めぐ まれる。一方 いっぽう 、冬 ふゆ は北方 ほっぽう から南下 なんか してくる低 てい 気圧 きあつ によって雨 あめ が降 ふ り、湿潤 しつじゅん な気候 きこう となる。この特徴 とくちょう 的 てき な気候 きこう はスペイン からイタリア半島 はんとう 、ギリシャ 、アナトリア半島 はんとう (トルコ共和 きょうわ 国 こく )、マグリブ 諸国 しょこく のアトラス山脈 さんみゃく 以北 いほく などに分布 ぶんぷ し、ケッペンの気候 きこう 区分 くぶん においても地中海 ちちゅうかい 性 せい 気候 きこう (Cs)と呼 よ ばれる独立 どくりつ した一 いち 区分 くぶん となっている。一方 いっぽう 、地中海 ちちゅうかい でも緯度 いど の低 ひく いリビア やエジプト 沿岸 えんがん においては、ハドレー循環 じゅんかん による北緯 ほくい 20度 ど から30度 ど にかけての亜熱帯 あねったい 高 だか 圧 あつ 帯 たい の直下 ちょっか に位置 いち し、高気圧 こうきあつ に一年中 いちねんじゅう 覆 おお われる。このため、ナフサ山地 さんち によって海風 かいふう が山 やま にぶつかるトリポリタニア 北部 ほくぶ と、同 おな じくアフダル山地 さんち にぶつかるキレナイカ 北部 ほくぶ を除 のぞ き、砂漠 さばく 地帯 ちたい が広 ひろ がっている。
また、前述 ぜんじゅつ した高気圧 こうきあつ と低 てい 気圧 きあつ の移動 いどう に伴 ともな い、地中海 ちちゅうかい は多数 たすう の局地 きょくち 風 ふう があることで知 し られる。夏 なつ に南 みなみ から吹 ふ く風 かぜ としては、イタリアのシロッコ 、リビアのギブリ などがある。ギブリは乾燥 かんそう しているが、シロッコは地中海 ちちゅうかい を越 こ えてくるために蒸 む し暑 あつ い風 ふう となる。冬 ふゆ は逆 ぎゃく に、北 きた から強風 きょうふう が吹 ふ くようになる。アドリア海 あどりあかい のボーラ 、フランス のミストラル など、寒 さむ く乾燥 かんそう した風 ふう が多 おお い。
地中海 ちちゅうかい の水温 すいおん [ 編集 へんしゅう ]
平均 へいきん 海水温 かいすいおん 度 ど (℃)
Jan
Feb
Mar
Apr
May
Jun
Jul
Aug
Sep
Oct
Nov
Dec
Year
マルセイユ [9]
13
13
13
14
16
18
21
22
21
18
16
14
16.6
ジブラルタル [10]
16
15
16
16
17
20
22
22
22
20
18
17
18.4
マラガ [11]
16
15
15
16
17
20
22
23
22
20
18
16
18.3
アテネ [12]
16
15
15
16
18
21
24
24
24
21
19
18
19.3
バルセロナ [13]
13
13
13
14
17
20
23
25
23
20
17
15
17.8
イラクリオン [14]
16
15
15
16
19
22
24
25
24
22
20
18
19.7
ヴェネツィア [15]
11
10
11
13
18
22
25
26
23
20
16
14
17.4
バレンシア [16]
14
13
14
15
17
21
24
26
24
21
18
15
18.5
マルタ [17]
16
16
15
16
18
21
24
26
25
23
21
18
19.9
アレキサンドリア [18]
18
17
17
18
20
23
25
26
26
25
22
20
21.4
ナポリ [19]
15
14
14
15
18
22
25
27
25
22
19
16
19.3
ラルナカ [20]
18
17
17
18
20
24
26
27
27
25
22
19
21.7
リマッソル [21]
18
17
17
18
20
24
26
27
27
25
22
19
21.7
アンタルヤ
17
17
17
18
21
24
27
28
27
25
22
19
21.8
テルアビブ [22]
18
17
17
18
21
24
26
28
27
26
23
20
22.1
地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん は古 ふる くより多 おお くの民族 みんぞく が栄 さか えてきた。最初 さいしょ に文明 ぶんめい が栄 さか えたのは東 ひがし 地中海 ちちゅうかい で、古代 こだい エジプト文明 ぶんめい をはじめ、アナトリアのヒッタイト やクレタ島 とう のミノア文明 ぶんめい 、古代 こだい ギリシア のミケーネ文明 ぶんめい などが盛 さか んに交易 こうえき を行 おこな っていた。中 なか でもミノア文明 ぶんめい は地中海 ちちゅうかい のただなかにあり、沿岸 えんがん の各 かく 文明 ぶんめい と盛 さか んに交易 こうえき していた。しかし、紀元前 きげんぜん 1200年 ねん 頃 ころ 、前 ぜん 1200年 ねん のカタストロフ と呼 よ ばれる大 だい 変動 へんどう がこの地域 ちいき を襲 おそ い、海 うみ の民 みん と呼 よ ばれる人々 ひとびと の襲撃 しゅうげき によってヒッタイト、ミノア、ミケーネは崩壊 ほうかい 。エジプトも大 おお きく力 ちから を落 お とした。
黄 き がフェニキア人 じん の都市 とし 、赤 あか がギリシア人 じん の都市 とし 、灰 はい はその他 た 。
やがて、紀元前 きげんぜん 12世紀 せいき 頃 ころ から、地中海 ちちゅうかい 東端 ひがしばた 、現在 げんざい のレバノン 付近 ふきん に居住 きょじゅう していたフェニキア人 じん が地中海 ちちゅうかい 交易 こうえき を開始 かいし する。ついで古代 こだい ギリシア諸 しょ 都市 とし も沿岸 えんがん 交易 こうえき を開始 かいし し、地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん にはフェニキア とギリシアの多 おお くの植民 しょくみん 都市 とし が建設 けんせつ されていった。イスタンブール (ビザンチウム)、ナポリ (ネアポリス)、マルセイユ (マッサリア)、パレルモ 、メッシーナ 、シラクサ など、この植民 しょくみん 都市 とし に起源 きげん を持 も つ都市 とし は現在 げんざい でも多 おお く残 のこ っている。この時期 じき から、地中海 ちちゅうかい においてはガレー船 せん が多用 たよう されるようになった。地中海 ちちゅうかい では風向 かざむ きが安定 あんてい しないため純 じゅん 帆船 はんせん の使用 しよう は遅 おく れ、17世紀 せいき に技術 ぎじゅつ 進歩 しんぽ によって帆船 はんせん にとってかわられるまではガレー船 せん が地中海 ちちゅうかい の船舶 せんぱく の主流 しゅりゅう となっていた。
紀元前 きげんぜん 8世紀 せいき にフェニキアが政治 せいじ 的 てき 独立 どくりつ を失 うしな ったものの、植民 しょくみん 都市 とし の一 ひと つカルタゴ が強大 きょうだい 化 か し、地中海 ちちゅうかい 西部 せいぶ に覇 は を唱 とな えるようになった。一方 いっぽう 、地中海 ちちゅうかい 中央 ちゅうおう 部 ぶ では共和 きょうわ 政 せい ローマ が強大 きょうだい 化 か し、3度 ど にわたるポエニ戦争 せんそう によってカルタゴを滅亡 めつぼう させた。ローマはさらにギリシア諸 しょ 都市 とし や沿岸 えんがん 諸国 しょこく を次々 つぎつぎ と占領 せんりょう していき、最終 さいしゅう 的 てき に紀元前 きげんぜん 30年 ねん にプトレマイオス朝 ちょう エジプト を併合 へいごう して、地中海 ちちゅうかい はロ ろ ーマ帝国 まていこく の内海 うちうみ となり、「我 われ らが海 うみ 」(Mare Nostrum)と呼 よ ばれるようになった。ローマの外港 がいこう であるオスティア は拡大 かくだい 整備 せいび され、地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 各地 かくち に広 ひろ がる属 ぞく 州 しゅう から、ローマを支 ささ える大量 たいりょう の穀物 こくもつ や各種 かくしゅ 商品 しょうひん が運 はこ び込 こ まれた。地中海 ちちゅうかい 全域 ぜんいき が統一 とういつ 政府 せいふ の下 した に置 お かれたことで海運 かいうん は活発 かっぱつ 化 か し、地中海 ちちゅうかい 全域 ぜんいき が一 ひと つの経済 けいざい 圏 けん となった。
ロ ろ ーマ帝国 まていこく の東西 とうざい 分裂 ぶんれつ と西 にし ロ ろ ーマ帝国 まていこく の崩壊 ほうかい は地中海 ちちゅうかい にも混乱 こんらん をもたらし、ゲルマン民族 みんぞく の大 だい 移動 いどう によってやって来 き たゲルマン人 じん が地中海 ちちゅうかい を渡 わた り、西 にし ゴート王国 おうこく やヴァンダル王国 おうこく を建国 けんこく した。一時 いちじ 的 てき に東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく がユスティニアヌス1世 せい の下 した でイタリア半島 はんとう や北 きた アフリカを回復 かいふく したものの、7世紀 せいき に入 はい るとイスラム帝国 ていこく が地中海 ちちゅうかい 地域 ちいき に進攻 しんこう を開始 かいし し、8世紀 せいき には地中海 ちちゅうかい 南岸 なんがん および東岸 とうがん を領域 りょういき 化 か した。これに対 たい し地中海 ちちゅうかい 北岸 ほくがん はフランク王国 おうこく の主導 しゅどう の下 した でキリスト教 きりすときょう 圏 けん に留 と まり、これによって地中海 ちちゅうかい 世界 せかい は異 こと なる二 ふた つの文明 ぶんめい 体系 たいけい に分裂 ぶんれつ することとなった。キリスト教 きょう 圏 けん においてもこの頃 ころ 、東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく のギリシア正教 せいきょう 圏 けん と、ローマ教皇 きょうこう およびフランク王国 おうこく のローマ・カトリック 圏 けん とに大 おお きく分 わ かれ、異 こと なった文明 ぶんめい となっていった。
イスラム帝国 ていこく の侵攻 しんこう とフランク王国 おうこく 経済 けいざい の重心 じゅうしん が北部 ほくぶ に移動 いどう したことにより、一時 いちじ 衰退 すいたい した地中海 ちちゅうかい 交易 こうえき は、9世紀 せいき に入 はい ると、アマルフィ 、ピサ 、ジェノヴァ 、ヴェネツィア といったイタリア半島 はんとう の諸 しょ 都市 とし が地中海 ちちゅうかい 交易 こうえき に乗 の り出 だ し、交易 こうえき が再 ふたた び盛 さか んとなった。やがて徐々 じょじょ に力 ちから を蓄 たくわ えたヨーロッパ諸国 しょこく は東方 とうほう への進出 しんしゅつ を試 こころ み、1095年 ねん に始 はじ まる第 だい 一 いち 次 じ 十字軍 じゅうじぐん によってエルサレム を中心 ちゅうしん に地中海 ちちゅうかい 東岸 とうがん にいくつかの十字軍 じゅうじぐん 国家 こっか が建設 けんせつ された。この後 のち 、7度 ど を数 かぞ える十字軍 じゅうじぐん が起 お こされたが、十字軍 じゅうじぐん 諸 しょ 国家 こっか は12世紀 せいき 末 すえ 以降 いこう 徐々 じょじょ に衰退 すいたい し、1187年 ねん にはアイユーブ朝 あさ を興 おこ したサラーフッディーン によってエルサレムがイスラム側 がわ に再 さい 占領 せんりょう された。これにより再 ふたた び十字軍 じゅうじぐん が組織 そしき されたが、第 だい 三 さん 回 かい 十字軍 じゅうじぐん はエルサレム奪回 だっかい に失敗 しっぱい 。第 だい 四 よん 回 かい 十字軍 じゅうじぐん はイスラムではなく東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく に矛先 ほこさき を向 む け、1204年 ねん に東 ひがし ローマの首都 しゅと コンスタンティノープルが陥落 かんらく して東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく が一時 いちじ 滅亡 めつぼう し、ラテン帝国 ていこく が建国 けんこく された。第 だい 一 いち 回 かい 十字軍 じゅうじぐん は陸路 りくろ を取 と ったものの、第 だい 二 に 回 かい 十字軍 じゅうじぐん 以降 いこう は海路 かいろ での侵攻 しんこう が主流 しゅりゅう となった。この軍 ぐん 輸送 ゆそう はイタリア半島 はんとう の交易 こうえき 都市 とし 群 ぐん によって負担 ふたん され、この頃 ころ までにはこの大軍 たいぐん を輸送 ゆそう するだけの輸送 ゆそう 力 りょく をこれらの諸 しょ 都市 とし が持 も っていたことをあらわしている。この十字軍 じゅうじぐん は一 いち 面 めん で地中海 ちちゅうかい の移動 いどう の活発 かっぱつ 化 か をもたらし、これ以降 いこう 交易 こうえき や文化 ぶんか 交流 こうりゅう は一層 いっそう 盛 さか んとなった。ジェノヴァやヴェネツィア、アドリア海 あどりあかい 対岸 たいがん のドゥブロヴニク (ラグーザ共和 きょうわ 国 こく )などが大 だい 貿易 ぼうえき 都市 とし として栄 さか え、この交易 こうえき によって蓄 たくわ えられた富 とみ や知識 ちしき を基 もと に、やがてイタリア半島 はんとう においてルネサンス が始 はじ まることとなった。
一方 いっぽう 、西 にし 地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん においてはアラゴン王国 おうこく が13世紀 せいき 以降 いこう 、サルデーニャ やコルシカ 、シチリア王国 おうこく 、ナポリ王国 おうこく を領有 りょうゆう し、アラゴン連合 れんごう 王国 おうこく として西 にし 地中海 ちちゅうかい の制海権 せいかいけん を握 にぎ っていた。この制海権 せいかいけん は、1479年 ねん にアラゴン王国 おうこく とカスティーリャ王国 おうこく が合同 ごうどう して成立 せいりつ したスペイン王国 おうこく へと引 ひ き継 つ がれることとなった。
レパントの戦 たたか い
15世紀 せいき には、オスマン帝国 ていこく がアナトリア半島 はんとう から勢力 せいりょく を広 ひろ げ、1453年 ねん には東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく の首都 しゅと コンスタンティノープルを攻略 こうりゃく した。これにより、ボスポラス海峡 かいきょう を通 とお って黒海 こっかい 方面 ほうめん に貿易 ぼうえき 帝国 ていこく をき上 ずきあ げていたジェノヴァ共和 きょうわ 国 こく は大 だい 打撃 だげき を受 う け、活動 かつどう を西 にし 地中海 ちちゅうかい へと移 うつ していくことになった[23] 。一方 いっぽう 、エジプトやシリア はいまだオスマン領 りょう ではなかったため、この地域 ちいき を交易 こうえき の基盤 きばん とするヴェネツィア共和 きょうわ 国 こく は東 ひがし 地中海 ちちゅうかい の支配 しはい 権 けん を握 にぎ り続 つづ けた。しかしオスマン帝国 ていこく の膨張 ぼうちょう は止 と まらず、1517年 ねん にはエジプトのマムルーク朝 あさ がオスマンに征服 せいふく され、オスマン帝国 ていこく は地中海 ちちゅうかい 東方 とうほう および南方 なんぽう を手中 しゅちゅう に収 おさ め、それまで地中海 ちちゅうかい の制海権 せいかいけん を握 にぎ っていたヴェネツィア共和 きょうわ 国 こく やスペインと激 はげ しく対立 たいりつ した。1538年 ねん のプレヴェザの海戦 かいせん によってオスマンは全 ぜん 地中海 ちちゅうかい の制海権 せいかいけん を握 にぎ ったものの、1571年 ねん のレパントの海戦 かいせん によって歯止 はど めがかけられ、西 にし 地中海 ちちゅうかい の制海権 せいかいけん はやがてスペインが奪回 だっかい した。
一方 いっぽう 、アメリカ大陸 あめりかたいりく の発見 はっけん により、ヨーロッパの交易 こうえき 中心 ちゅうしん は地中海 ちちゅうかい から大西洋 たいせいよう および北海 ほっかい へと移 うつ り、地中海 ちちゅうかい の交易 こうえき は相対 そうたい 的 てき に地位 ちい が低下 ていか した。また、15世紀 せいき 以降 いこう 、マグリブ諸国 しょこく からの海賊 かいぞく がキリスト教 きりすときょう 諸国 しょこく の脅威 きょうい となり、バルバリア海賊 かいぞく と呼 よ ばれて19世紀 せいき 初頭 しょとう まで猛威 もうい を振 ふ るった。1783年 ねん に独立 どくりつ したアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく も、1801年 ねん の第 だい 一 いち 次 じ バーバリ戦争 せんそう と1815年 ねん の第 だい 二 に 次 じ バーバリ戦争 せんそう の2度 ど にわたってバルバリア海賊 かいぞく と戦火 せんか を交 まじ えている。
スペイン継承 けいしょう 戦争 せんそう の結果 けっか 、1713年 ねん のユトレヒト条約 じょうやく においてイギリス はジブラルタル とミノルカ島 とう を獲得 かくとく する。ミノルカ島 とう はその後 ご 、アメリカ独立 どくりつ 戦争 せんそう 中 なか の1782年 ねん 、メノルカ島 とう 侵攻 しんこう によってスペインが奪還 だっかん するが、ジブラルタルは現在 げんざい までイギリスの重要 じゅうよう な軍事 ぐんじ 基地 きち となっている。
1798年 ねん には、フランス共和 きょうわ 国 こく のナポレオン・ボナパルト が海路 かいろ エジプト遠征 えんせい を行 おこな い、イギリスの地中海 ちちゅうかい と紅海 こうかい ・インド洋 いんどよう との連絡 れんらく を断 た ち切 き ろうとした。しかし海軍 かいぐん 力 りょく に勝 まさ るイギリスはホレーショ・ネルソン 指揮 しき 下 か でナイルの戦 たたか い において勝利 しょうり を収 おさ め、地中海 ちちゅうかい の制海権 せいかいけん を確立 かくりつ する。補給 ほきゅう を絶 た たれたフランス軍 ぐん は1801年 ねん に降伏 ごうぶく した。以後 いご もナポレオン戦争 せんそう 中 なか 、イギリスはマルタ島 とう やイオニア諸島 しょとう を占領 せんりょう し、地中海 ちちゅうかい における重要 じゅうよう 拠点 きょてん とした。特 とく にマルタ島 とう には地中海 ちちゅうかい 艦隊 かんたい の本部 ほんぶ が置 お かれ、イギリスの地中海 ちちゅうかい 制海権 せいかいけん を担 にな っていた。
19世紀 せいき に入 はい ると、オスマン帝国 ていこく の衰退 すいたい に乗 じょう じ、北岸 ほくがん のヨーロッパ諸国 しょこく が対岸 たいがん の北 きた アフリカを植民 しょくみん 地 ち 化 か していった。1830年 ねん にはフランスがアルジェリア侵略 しんりゃく を行 おこな い、これによりバルバリア海賊 かいぞく が完全 かんぜん に消滅 しょうめつ するとともに、以後 いご 1962年 ねん までフランスがアルジェリアを支配 しはい した。
1820年 ねん 頃 ころ から、一時 いちじ は完全 かんぜん に喜 き 望 もち 峰 ほう 回 まわ りに移 うつ っていた東西 とうざい 交易 こうえき のメインルートが、再 ふたた び地中海 ちちゅうかい 経由 けいゆ に戻 もど る兆 きざ しを見 み せ始 はじ めた。イギリス東 ひがし インド会社 かいしゃ の非 ひ 効率 こうりつ と、外洋 がいよう へ進出 しんしゅつ し始 はじ めた蒸気 じょうき 船 せん の進歩 しんぽ が、距離 きょり の短 みじか い地中海 ちちゅうかい ルートの復権 ふっけん を促 うなが したのである。1820年代 ねんだい には英 えい 領 りょう インド からイギリスまでの定期 ていき 蒸気 じょうき 船 せん 航路 こうろ の開設 かいせつ が叫 さけ ばれるようになるが、このルートには、カルカッタ 財界 ざいかい の推 お す喜 き 望 もち 峰 ほう ルートと、ボンベイ 財界 ざいかい の推 お すスエズ ルートの二 ふた つのルートが存在 そんざい した。喜 き 望 もち 峰 ほう ルートは一時 いちじ 定期 ていき 船 せん を就航 しゅうこう させたものの、燃料 ねんりょう である石炭 せきたん の補給 ほきゅう 基地 きち の開設 かいせつ に失敗 しっぱい 。結局 けっきょく 、1835年 ねん にイギリス政府 せいふ はボンベイからスエズへ蒸気 じょうき 船 せん 航路 こうろ を開設 かいせつ し、スエズからアレキサンドリア まで陸送 りくそう した後 のち 、アレキサンドリアから地中海 ちちゅうかい を西 にし へ向 む かい、マルタ島 とう を経由 けいゆ してジブラルタルで英国 えいこく 本土 ほんど 行 い きの帆船 はんせん に載 の せ替 か える郵便 ゆうびん ルートを正式 せいしき に採択 さいたく する[24] 。これにより、地中海 ちちゅうかい は再 ふたた び東西 とうざい を最速 さいそく で結 むす ぶ経路 けいろ となった。
19世紀 せいき 、スエズ運河 うんが 開通 かいつう 直後 ちょくご の風景 ふうけい
この頃 ころ 、東西 とうざい 海運 かいうん のネックとなっているスエズ地峡 ちきょう に運河 うんが を開削 かいさく する案 あん が浮上 ふじょう する。この案 あん は歴史 れきし 上 じょう 何 なん 度 ど も現 あらわ れては消 き えた案 あん であったが、産業 さんぎょう 革命 かくめい の進展 しんてん により実際 じっさい に運河 うんが を建設 けんせつ する条件 じょうけん が整 ととの ったからである。イギリスはこの案 あん に消極 しょうきょく 的 てき であったが、フランスがこの案 あん を積極 せっきょく 的 てき に進 すす め、フェルディナン・ド・レセップス によって設立 せつりつ されたスエズ運河 うんが 会社 かいしゃ によってスエズ運河 うんが は1855年 ねん 着工 ちゃっこう し、1869年 ねん に開通 かいつう した。これにより、地中海 ちちゅうかい と紅海 こうかい が一本 いっぽん の水路 すいろ でつながり、地中海 ちちゅうかい を経由 けいゆ する東西 とうざい 直航 ちょっこう ルートが可能 かのう になった。
スエズ運河 うんが 開通 かいつう で、地中海 ちちゅうかい は完全 かんぜん に東西 とうざい 交易 こうえき のメインルートへと復帰 ふっき した。地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 、特 とく に北岸 ほくがん は産業 さんぎょう 革命 かくめい の進 すす んだ先進 せんしん 地域 ちいき が多 おお く、またアフリカ大陸 たいりく を迂回 うかい する喜 き 望 もち 峰 ほう 回 まわ りルートに比 くら べ、時間 じかん ・距離 きょり ・コストともに圧倒的 あっとうてき に有利 ゆうり だったからである。蒸気 じょうき 船 せん の就航 しゅうこう により地中海 ちちゅうかい 内 ない 一般 いっぱん 航路 こうろ の時間 じかん も短縮 たんしゅく され、本数 ほんすう も増加 ぞうか して、多数 たすう の航路 こうろ が地中海 ちちゅうかい 内 ない に開設 かいせつ されるようになった。この時期 じき 、とくに19世紀 せいき に入 はい って以降 いこう 、従来 じゅうらい の地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 諸国 しょこく に加 くわ え、地中海 ちちゅうかい への入 い り口 くち を確保 かくほ したオーストリア帝国 ていこく (のちにオーストリア・ハンガリー帝国 ていこく )が、アドリア海 あどりあかい の湾 わん 奥 おく にあるトリエステ 港 みなと を整備 せいび し[25] 、ここを拠点 きょてん として地中海 ちちゅうかい 進出 しんしゅつ を進 すす めていた。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん では、地中海 ちちゅうかい は重要 じゅうよう なシーレーン と戦場 せんじょう になった。地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん に領土 りょうど や権益 けんえき を持 も つ諸国 しょこく が、英 えい 仏 ふつ 伊 い の連合 れんごう 国 こく と、オーストリア・ハンガリー帝国 ていこく とオスマン帝国 ていこく 、ドイツ帝国 ていこく の中央 ちゅうおう 同盟 どうめい 国 こく に分 わ かれたためである。特 とく にアドリア海 あどりあかい はイタリア海軍 かいぐん とオーストリア=ハンガリー帝国 ていこく 海軍 かいぐん の間 あいだ で、オトラント海峡 かいきょう 海戦 かいせん などいくつかの海戦 かいせん が起 お こった。英 えい 仏 ふつ は地中海 ちちゅうかい を経由 けいゆ してオスマン帝国 ていこく 本土 ほんど へ遠征 えんせい (ガリポリの戦 たたか い )。連合 れんごう 国 こく 側 がわ で参戦 さんせん した日本 にっぽん も第 だい 二 に 特務 とくむ 艦隊 かんたい を地中海 ちちゅうかい へ派遣 はけん した。
第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、オーストリア・ハンガリー帝国 ていこく は崩壊 ほうかい 。アドリア海 あどりあかい 沿岸 えんがん の旧領 きゅうりょう は、イタリアとセルビア王国 おうこく の後継 こうけい であるユーゴスラビア王国 おうこく が獲得 かくとく した。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん においては、地中海 ちちゅうかい は第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん よりさらに大 だい 規模 きぼ な戦 たたか いの舞台 ぶたい となった。イタリアとナチス・ドイツ を主力 しゅりょく とする枢軸 すうじく 国 こく と、イギリスなど連合 れんごう 国 こく の間 あいだ に地中海 ちちゅうかい の戦 たたか い と総称 そうしょう される多数 たすう の戦闘 せんとう が起 お きた。イギリスはマルタ島 とう を基地 きち として枢軸 すうじく 軍 ぐん の補給 ほきゅう を脅 おど かし続 つづ けた。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 終結 しゅうけつ 後 ご 、1956年 ねん のスエズ動乱 どうらん によってイギリスはスエズ運河 うんが の支配 しはい 権 けん を完全 かんぜん に喪失 そうしつ し、ガマール・アブドゥル=ナーセル 率 ひき いるエジプト政府 せいふ がスエズ運河 うんが を国有 こくゆう 化 か した。しかし1967年 ねん 、第三次中東戦争 だいさんじちゅうとうせんそう が勃発 ぼっぱつ し、大勝 たいしょう したイスラエル はシナイ半島 しないはんとう を占領 せんりょう 下 か に置 お き、スエズ運河 うんが 東岸 とうがん を支配 しはい した。これによりスエズ運河 うんが は通行 つうこう 不能 ふのう 状態 じょうたい となり、地中海 ちちゅうかい を経由 けいゆ する東西 とうざい 交易 こうえき は一時 いちじ 完全 かんぜん にストップし、古 ふる い喜 き 望 もち 峰 ほう 回 まわ りのルートへの移行 いこう を余儀 よぎ なくされた。この状態 じょうたい は1973年 ねん 10月の第 だい 四 よん 次 じ 中東 ちゅうとう 戦争 せんそう まで続 つづ いたが、この戦争 せんそう 後 ご 両国 りょうこく は歩 あゆ み寄 よ りを見 み せ、1975年 ねん に運河 うんが 通航 つうこう は再開 さいかい されて、これにより地中海 ちちゅうかい 経由 けいゆ の東西 とうざい 貿易 ぼうえき も再 ふたた び復活 ふっかつ した。
地中海 ちちゅうかい は欧州 おうしゅう 他 た 地域 ちいき と同様 どうよう に北大西洋 きたたいせいよう 条約 じょうやく 機構 きこう (NATO)とソビエト連邦 れんぽう などとの東西 とうざい 冷戦 れいせん の舞台 ぶたい ともなり、沿岸 えんがん に領土 りょうど を持 も たないアメリカが第 だい 6艦隊 かんたい を展開 てんかい するようになった。
2008年 ねん 7月 がつ に発足 ほっそく した地中海 ちちゅうかい 連合 れんごう の参加 さんか 国 こく EU加盟 かめい 国 こく
EU非 ひ 加盟 かめい 国 こく
斜線 しゃせん はオブザーバ国 こく
1995年 ねん 、バルセロナ で開 ひら かれた欧州 おうしゅう ・地中海 ちちゅうかい 会議 かいぎ において、欧州 おうしゅう と非 ひ 欧州 おうしゅう の地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 諸国 しょこく (マシュリク とマグリブ )との政治 せいじ ・経済 けいざい ・文化 ぶんか 面 めん での交流 こうりゅう を深 ふか めるべく、欧州 おうしゅう ・地中海 ちちゅうかい パートナーシップ (バルセロナ・プロセス)が発足 ほっそく した。この取 と り組 く みは一定 いってい の成果 せいか を上 あ げ、この取 と り組 く みを下敷 したじ きとして2007年 ねん 、フランス大統領 だいとうりょう のニコラ・サルコジ が地中海 ちちゅうかい 連合 れんごう を提唱 ていしょう し、2008年 ねん に欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU)および地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 諸国 しょこく の共同 きょうどう 体 たい として発足 ほっそく した。
2000年代 ねんだい より、政治 せいじ ・経済 けいざい 的 てき 混乱 こんらん が続 つづ くブラックアフリカ やアラブ諸国 しょこく から、難民 なんみん が船 ふね を仕立 した てて地中海 ちちゅうかい を渡 わた り、北岸 ほくがん のEU諸国 しょこく へと上陸 じょうりく する事例 じれい が多発 たはつ し、問題 もんだい となっている。特 とく にアフリカ大陸 たいりく に近 ちか いイタリア領 りょう のランペドゥーザ島 とう などが主 おも な目標 もくひょう となっている。ランペドゥーザ島 とう には2000年代 ねんだい 初頭 しょとう 以降 いこう ランペドゥーザ難民 なんみん 収容 しゅうよう センター が設 もう けられ、難民 なんみん を収容 しゅうよう しているが、押 お し寄 よ せる多数 たすう の難民 なんみん によって収容 しゅうよう センターは人員 じんいん を大幅 おおはば に超過 ちょうか する状態 じょうたい が続 つづ いている。これらの難民 なんみん 船 せん は老朽 ろうきゅう 化 か したものが多 おお く、海難 かいなん 事故 じこ も多発 たはつ している。2013年 ねん 10月 がつ 3日 にち には、リビア からイタリアへ向 む かう難民 なんみん 船 せん が2013年 ねん ランペドゥーザ島 とう 難民 なんみん 船 せん 沈没 ちんぼつ 事故 じこ を起 お こし、360人 にん 以上 いじょう が死亡 しぼう した。2014年 ねん 9月 がつ 10日 とおか には、マルタ沖 おき で難民 なんみん と密入国 みつにゅうこく 業者 ぎょうしゃ の間 あいだ のトラブルから業者 ぎょうしゃ が故意 こい に船 ふね を沈 しず め、難民 なんみん 500人 にん 以上 いじょう が死亡 しぼう する事故 じこ が起 お こった[26] 。
地中海 ちちゅうかい は世界 せかい で最 もっと も海上 かいじょう 交通 こうつう の盛 さか んな地域 ちいき の一 ひと つである。古代 こだい から船 ふね と港 みなと を自然 しぜん の脅威 きょうい から守 まも り貿易 ぼうえき を支 ささ えてきた。沿岸 えんがん の諸 しょ 都市 とし 間 あいだ を結 むす ぶ近距離 きんきょり 航路 こうろ 、ジブラルタル海峡 かいきょう やスエズ運河 うんが 、ミディ運河 うんが を通 とお り東西 とうざい を結 むす ぶ貿易 ぼうえき 航路 こうろ によって常 つね に混雑 こんざつ している。
近代 きんだい からは海底 かいてい ケーブル が多 おお く敷 し かれ、戦後 せんご はスーパーグリッド が一帯 いったい を電化 でんか させた。そこへスマートグリッド を応用 おうよう したスーパースマートグリッド が今 いま は世界 せかい 的 てき な開発 かいはつ 市場 いちば となっている。
また、地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん は特 とく に夏 なつ に快晴 かいせい に恵 めぐ まれ、冬 ふゆ の寒 さむ さもそれほど厳 きび しくないため、夏 なつ は海水浴 かいすいよく 、冬 ふゆ は避寒 ひかん を目的 もくてき に、陽光 ようこう の少 すく ない北 きた ヨーロッパ諸国 しょこく を中心 ちゅうしん とした世界 せかい 各国 かっこく から観光 かんこう 客 きゃく の集 あつ まる大 だい リゾート 地 ち が数多 かずおお く存在 そんざい する。こうしたリゾート開発 かいはつ は18世紀 せいき 後半 こうはん に王侯 おうこう 貴族 きぞく のものとして始 はじ まったが、鉄道 てつどう や蒸気 じょうき 船 せん の開発 かいはつ によって交通 こうつう の便 びん が著 いちじる しく向上 こうじょう した19世紀 せいき には富裕 ふゆう 層 そう 全般 ぜんぱん に拡大 かくだい 。1970年代 ねんだい に入 はい ると西欧 せいおう 諸国 しょこく の労働 ろうどう 条件 じょうけん の改善 かいぜん やバカンス 制度 せいど の導入 どうにゅう により、一般 いっぱん 市民 しみん にも手 て の届 とど くものとなり、一大 いちだい 産業 さんぎょう となった[27] 。
地中海 ちちゅうかい は観光 かんこう 地 ち やリゾート地 ち 、大都市 だいとし などが点在 てんざい するため、こうした街 まち 々を結 むす び、さらに地中海 ちちゅうかい に美 うつく しい風景 ふうけい を楽 たの しむためのクルーズ船 せん も多 おお く就航 しゅうこう している。地中海 ちちゅうかい クラブ と呼 よ ばれる観光 かんこう 企業 きぎょう も存在 そんざい する。
地中海 ちちゅうかい で面積 めんせき の広 ひろ い島 しま の上位 じょうい 10島 とう は、以下 いか のとおりである。
旗 はた
島 しま
面積 めんせき (km2 )
人口 じんこう
シチリア島 とう
25,460
5,048,995
サルディニア島 とう
23,821
1,672,804
キプロス島 とう
9,251
1,088,503
コルシカ島 とう
8,680
299,209
クレタ島 とう
8,336
623,666
エウボイア島 とう
3,655
218,000
マヨルカ島 とう
3,640
869,067
レスボス島 とう
1,632
90,643
ロドス島 とう
1,400
117,007
キオス島 とう
842
51,936
沿岸 えんがん の国家 こっか と主要 しゅよう 都市 とし [ 編集 へんしゅう ]
他 た にイギリスの海外 かいがい 領土 りょうど (イベリア半島 はんとう のジブラルタル 、キプロス島 とう のアクロティリおよびデケリア )が存在 そんざい する。また、キプロス島 とう 北部 ほくぶ はトルコのみが承認 しょうにん する北 きた キプロス が実効 じっこう 支配 しはい している。
地中海 ちちゅうかい では各国 かっこく の排他 はいた 的 てき 経済 けいざい 水域 すいいき (EEZ)が接 せっ するが、東 ひがし 地中海 ちちゅうかい においては主張 しゅちょう が一致 いっち せず対立 たいりつ が発生 はっせい している。トルコ政府 せいふ は、アナトリア半島 はんとう 沿岸 えんがん に点在 てんざい するギリシャ領 りょう の島々 しまじま 周辺 しゅうへん や、クレタ島 とう やキプロス島 とう などとの中 なか 間 あいだ 線 せん を越 こ えた海域 かいいき を自国 じこく のEEZを主張 しゅちょう している。背景 はいけい としては2009年 ねん 以降 いこう 、東 ひがし 地中海 ちちゅうかい でガス田 た が発見 はっけん されて開発 かいはつ が始 はじ まり、パイプライン 敷設 ふせつ による輸送 ゆそう を含 ふく めたイスラエル、キプロス、ギリシャによる協力 きょうりょく 枠組 わくぐ みにトルコと北 きた キプロスが含 ふく まれていないことがある。トルコはキプロスが主張 しゅちょう するEEZ内 ない で海底 かいてい 探査 たんさ を行 おこな ったり、連携 れんけい を求 もと めて対岸 たいがん にあるリビアの内戦 ないせん に介入 かいにゅう したりしている[28] [29] 。
地中海 ちちゅうかい に面 めん する人口 じんこう 20万 まん 人 にん 以上 いじょう の都市 とし は、以下 いか のとおりである。
国際 こくさい 水路 すいろ 機関 きかん は、地中海 ちちゅうかい の下位 かい にあたる海域 かいいき として以下 いか の8つを定義 ていぎ している[30] 。
このほか、次 つぎ のような海域 かいいき に分 わ けられることがある。
^ 厳密 げんみつ にはもう一 いち 箇所 かしょ 、スエズ運河 うんが を介 かい しても外海 そとめ と接続 せつぞく しているが、海 うみ 況 きょう に与 あた える影響 えいきょう は極 ごく 僅 わず かと言 い える。
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