ビスケーわん

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ビスケーわん
河川かせん ロワールがわジロンドがわアドゥールがわビダソアがわネルビオンがわ
海洋かいよう 大西おおにしひろし
くに フランスの旗 フランス
スペインの旗 スペイン
延長えんちょう 593.7km
最大さいだいはば 511.1km
面積めんせき 225,000km2
平均へいきん水深すいしん 1,744m
最大さいだい水深すいしん 4,375m
水量すいりょう 389,000 km3
おも沿岸えんがん自治体じちたい ブレストラ・ロシェルバイヨンヌサン・セバスティアンサンタンデールヒホン
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ビスケーわん英語えいご: Bay of Biscay, [ˈbɪsk, -ki])は、きた大西おおにしひろし一部いちぶイベリア半島はんとう北岸ほくがんからフランス西岸せいがんめんするわんである。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

「ビスケーわん」とは英語えいご表記ひょうき(Bay of Biscay, [ˈbɪsk, -ki])に由来ゆらいしている。フランス語ふらんすごではGolfe de Gascogne(ガスコーニュわん)、スペインではGolfo de Vizcaya(ビスカヤわん)と、それぞれこのわんめんするガスコーニュ地方ちほうビスカヤ地方ちほうちなんだばれており、いずれもバスク地方ちほう関連かんれんする地名ちめいである。スペインではビスケーわん南部なんぶをカンタブリアうみび、これはカンタブリア地方ちほう由来ゆらいしている。

ブレトンではPleg-mor Gwaskogn、ガスコーニュではGolf de Gasconha。カンタブリクムうみ(Mare Cantabricum)、アキタニクスわん(Sinus Aquitanicus)という古称こしょうがある[1]英語えいごではガスコニーわん(Gulf of Gascony)とぶこともある[1]。フランスではこのわん大西洋たいせいよう海域かいいき区別くべつされる[1]

ガリシアしゅうエスタカ・デ・バレス英語えいごばん西端せいたんピレネー=アトランティックけんアドゥールがわ河口かこうひがしはしとして、ビスケーわん南端なんたんはスペインでカンタブリアうみ(Mar Cantábrico)とばれるが、この用語ようご英語えいごでは一般いっぱんてき使用しようされない。紀元前きげんぜん1世紀せいきにローマじんによってシヌス・カンタブロルム(Sinus Cantabrorum、カンタブリアじんうみ)と名付なづけられ、マレ・ガリャエクム(Mare Gallaecum、ガリシアじんわんともばれた。中世ちゅうせいにおけるいくつかの地図ちずでは、ビスケーわんはエル・マール・デル・ロス・バスコス(El Mar del los Vascos、バスクじんうみ)として記載きさいされている[2]

地理ちり[編集へんしゅう]

ビスケーわんとその周辺しゅうへん海底かいてい地形ちけい

地勢ちせい範囲はんい[編集へんしゅう]

かなり沖合おきあいまで大陸棚たいりくだなひろがっており、湾内わんないこう漁場ぎょじょうとされる[1]平均へいきん水深すいしんは1,744メートル、最大さいだい水深すいしんは4,735メートルである[3]大西洋たいせいようきびしい天候てんこう影響えいきょうにあり、とく冬季とうきにはビスケーわん大嵐おおあらしとなることがある。しおおおきいことでられ、最大さいだい12メートルにたっする[1]。フランス沿岸えんがん砂丘さきゅう発達はったつしており良港りょうこうめぐまれない[1]

国際こくさい水路すいろ機関きかんはビスケーわん範囲はんいを「(ガリシアしゅうの)オルテガルみさき北緯ほくい4346ふん 西経せいけい752ふん / 北緯ほくい43.767 西経せいけい7.867 / 43.767; -7.867と(ブルターニュ半島はんとう突端とったん南端なんたんの)パンマールみさき北緯ほくい4748ふん 西経せいけい422ふん / 北緯ほくい47.800 西経せいけい4.367 / 47.800; -4.367むすせんあいだ」と定義ていぎしている[4]。オルテガルみさきとブルターニュ半島はんとう沖合おきあいウェサンとうまでとされることもある[1]

気候きこう[編集へんしゅう]

海洋かいようせい気候きこう夏季かきでもどんよりとくもってすずしいのが一般いっぱんてきである。晩春ばんしゅんから初夏しょかにかけて巨大きょだいきり三角形さんかっけいがビスケーわん南西なんせい半分はんぶんおおい、またきりイベリア半島はんとうすうキロメートル内陸ないりくにまで侵入しんにゅうする。

冬季とうきはいると天候てんこうきびしくなる。西にしから頻繁ひんぱんてい気圧きあつがやってきて、北側きたがわイギリス諸島しょとうかうか、イベリア半島はんとうエブロがわ流域りゅういき侵入しんにゅうする。最終さいしゅうてきにはエブロがわ流域りゅういきけて地中海ちちゅうかいたっし、てい気圧きあつ強力きょうりょく雷雨らいうまれわる。このてい気圧きあつ海上かいじょう悪天候あくてんこうをもたらし、沿岸えんがんにはやすみなくつづあめをもたらす。このあめはオルバーリョ、シリミリ、モリーナ、オルバージュ、オルピン、カラボボスなどとばれる。気圧きあつきゅう低下ていかするときにはしばしば強力きょうりょく暴風ぼうふう形成けいせいされる。

大陸棚たいりくだな末端まったんからはん時計とけいまわりにメキシコ湾流わんりゅう湾内わんないはいり、1ねんちゅうおだやかな水温すいおんたもつ。

おもしま[編集へんしゅう]

フランス
スペイン

おも河川かせん[編集へんしゅう]

ガロンヌがわとボルドー市街地しがいち
ビダソアがわ河口かわくちのチングディわん
ナントをながれるロワールかわ

フランスには流域りゅういき面積めんせき100,000km2えるロワールがわ流域りゅういき面積めんせき50,000km2えるガロンヌがわなどのだい河川かせんがあるが、スペインのビスケー湾岸わんがん平野へいやとぼしいことからおおきな河川かせん存在そんざいしない。ビダソアがわはフランス=スペイン国境こっきょうチングディわん)でビスケーわんそそいでいる。

フランス
フランス=スペイン国境こっきょう
スペイン

おも沿岸えんがん都市とし[編集へんしゅう]

沿岸えんがん主要しゅよう都市とし
ビルバオ都市としけん
フランス
スペイン

自然しぜん[編集へんしゅう]

かつておお生息せいそくしていたタイセイヨウセミクジラ

ビスケーわん地球ちきゅうじょうでもっともおおくのイルカ・クジラるいたね生息せいそくする場所ばしょであり[5]クジライルカなどおおくの海洋かいよう哺乳類ほにゅうるいたねることができる。アカボウクジラなどのアカボウクジラ比較的ひかくてき頻繁ひんぱん観察かんさつされている数少かずすくない場所ばしょのひとつであり、ビスケーわんはアカボウクジラにとって世界せかい最高さいこう研究けんきゅう地域ちいきである。1995ねんごろからビスケーわんイルカ調査ちょうさプログラムの研究けんきゅうしゃ[5]、ポーツマスとビルバオのあいだ航行こうこうするP&Oフェリーのブリッジから定期ていきてきにイルカ・クジラるい活動かつどう観察かんさつかんしているが、湾内わんないおこなわれているトロールりょうなどがイルカ・クジラるい被害ひがいあたえているとされる[5]

タイセイヨウセミクジラはもっとも絶滅ぜつめつ危機ききひんしているクジラのたねである。かつては食事しょくじのために、またおそらく分娩ぶんべんのためにもビスケーわんにやってきたが、バスクじん民族みんぞく捕鯨ほげい活動かつどうによって1850年代ねんだい以前いぜんにほとんど一掃いっそうされた。今日きょう大西洋たいせいよう東部とうぶではこのたねはほぼ絶滅ぜつめつしたとかんがえられており、現代げんだいではわずかな目撃もくげきれいのぞいて、ビスケーわんでのこのクジラの記録きろく存在そんざいしない。わずかな事例じれいとしては、1977ねん北緯ほくい4300ふん 西経せいけい1030ふん / 北緯ほくい43.000 西経せいけい10.500 / 43.000; -10.500母子ぼしおぼしきペアが確認かくにんされ[6]、1980ねん6がつ初頭しょとう商業しょうぎょうせんからべつのペアが確認かくにんされている。1977ねん9がつにはガリシアしゅう北緯ほくい4300ふん 西経せいけい1030ふん / 北緯ほくい43.000 西経せいけい10.500 / 43.000; -10.500捕鯨ほげい会社かいしゃによって報告ほうこくされた個体こたいがおり、さらにイベリア半島はんとうから観察かんさつされたべつ個体こたい報告ほうこくされている。

スペイン国内こくないにおける最後さいご確実かくじつ目撃もくげき情報じょうほうは、1993ねん12月にエスタカ・デ・バレスみさき報告ほうこくされている[7]

歴史れきし[編集へんしゅう]

1943ねんのビスケーわんたたか

漁業ぎょぎょう[編集へんしゅう]

ビスケーわんバスクじん捕鯨ほげい揺籃ようらんである。9世紀せいきヴァイキングがビスケーわん沿岸えんがん地域ちいきのボルドーやバイヨンヌといった主要しゅよう都市とし支配しはいしたころから、この地域ちいき小舟こぶねと銛による集団しゅうだん捕鯨ほげいはじまった。以降いこう、バスクじんおもタイセイヨウセミクジラ漁獲ぎょかく、ヨーロッパ各地かくち鯨油げいゆくじらにくくじらひげ輸出ゆしゅつし、中世ちゅうせいにおいて商業しょうぎょう捕鯨ほげいがこの地域ちいき基幹きかん産業さんぎょうとなった。14世紀せいきごろにビスケーわん沿岸えんがんでの捕獲ほかくりょう減少げんしょうしたのをうけて、バスクじん漁師りょうしたちは大西洋たいせいよう北西ほくせいニューファンドランドとう近海きんかいまで進出しんしゅつし、1560年代ねんだいにバスクじん捕鯨ほげい最盛さいせいむかえた。17世紀せいきにオランダやイギリスなどが捕鯨ほげい開始かいしすると寡占かせん状態じょうたいくずれ、バスク漁業ぎょぎょうはビスケーわん基地きちとするタラ漁獲ぎょかくしおしの加工かこうへと移行いこうした。タイセイヨウセミクジラは19世紀せいきまでに個体こたいすう激減げきげんしたため、1937ねん以降いこうには捕鯨ほげい禁止きんしされている。

軍事ぐんじ[編集へんしゅう]

中世ちゅうせいから近世きんせいにはなに世紀せいきにもわたって、ビスケーわん各国かっこく海軍かいぐん交戦こうせんとなった。1592ねん、スペイン海軍かいぐんビスケーわんたたか英語えいごばんでイギリス海軍かいぐん勝利しょうりした。1795ねん6がつのビスケー作戦さくせん英語えいごばんフランス革命かくめい戦争せんそう2ねんにブルターニュ海岸かいがん南部なんぶでイギリス海峡かいきょう艦隊かんたいとフランス大西洋たいせいよう艦隊かんたいまじえた2たたかいの総称そうしょうである。

1918ねん6がつ22にちには、アメリカ海軍かいぐん装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんカリフォルニア沈没ちんぼつした[8]機雷きらい接触せっしょくしたとするせつもあるが、沈没ちんぼつ理由りゆうさだかではない。

だい世界せかい大戦たいせんにおいてフランスがナチス・ドイツに降伏ごうぶくすると、ビスケーわん沿岸えんがんドイツ海軍かいぐんにより基地きちされ、Uボート・ブンカーなどが建設けんせつされた。イギリスは海上かいじょう航路こうろまもるため、かく軍港ぐんこうへのばくげきコマンド攻撃こうげき出撃しゅつげき帰港きこうするUボートへのたいせん作戦さくせん実施じっしした。サン=ナゼールやロリアン、ラ・ロシェル、ボルドーといった港湾こうわん都市としのドイツぐん守備しゅびたいは、フランスの大半たいはん連合れんごう国軍こくぐんにより解放かいほうされたのち本国ほんごく降伏ごうぶくかその直前ちょくぜんまで抵抗ていこうつづけた。ストーンウォール作戦さくせんさなかの1943ねん12月28にち、イギリスぐんとナチス・ドイツぐんあいだビスケーわんたたか英語えいごばんこり、イギリスぐんけい巡洋艦じゅんようかんグラスゴーとエンタープライズがナチス・ドイツぐん駆逐くちく艦隊かんたいたたかった。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

今日きょうのビスケーわんクジラ海鳥うみどり生息せいそくとして、ホエールウォッチングバードウォッチングがさかんにおこなわれている。つよふうくことから、ビスケーわん沿岸えんがんにはムンダカビアリッツなどサーフィンスポットがおおくある。フランスの外洋がいようヨットレースの1つ、フィガロ・シングルハンドレース(フィガロソロ)のコースともなっている。スペインではビスケー湾岸わんがん各地かくちトライネラのレースがおこなわれる。クジラを観察かんさつするのにもっとも海域かいいき大陸棚たいりくだなえた水深すいしんふか海域かいいきであり、とくにビスケーわん南部なんぶのサンタンデール海底かいていたにとトレラベーガ海底かいていだに上方かみがたである。

1906ねんからはビスケーわん沿岸えんがんカキ養殖ようしょくおこなわれている。深海魚しんかいぎょ一種いっしゅであるヒゲナガホテイはビスケーわん海域かいいき生息せいそくしている[9]

交通こうつう[編集へんしゅう]

ビスケー湾の位置(ヨーロッパ内)
ビスケー湾
ビスケー湾
ビスケー湾
ビスケー湾
ビスケー湾
ビスケー湾
ビスケー湾
ビスケー湾
カーフェリーの就航しゅうこう都市とし

スペインのヒホンビルバオサンタンデール、フランスのナント、イギリスのポーツマスプリマスプールなどのあいだ航路こうろでカーフェリーが運航うんこうされている。

発着はっちゃく 発着はっちゃく 出典しゅってん
スペインの旗 アストゥリアスしゅうヒホン - フランスの旗 ペイ・ド・ラ・ロワール地域ちいきけんナント [10]
イギリスの旗 プール [10]
スペインの旗 バスクしゅうビルバオ - イギリスの旗 ハンプシャーしゅうポーツマス [11]
スペインの旗 カンタブリアしゅうサンタンデール - イギリスの旗 デヴォンしゅうプリマス [11]
イギリスの旗 ハンプシャーしゅうポーツマス [11]
イギリスの旗 プール
フランスの旗 ペイ・ド・ラ・ロワール地域ちいきけんナント - アイルランドの旗 ロスレア英語えいごばん [10]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g 谷岡たにおか武雄たけお 1995, p. 817.
  2. ^ El mar de los vascos, II: del Golfo de Vizcaya al Mediterráneo” (PDF). Euskomedia.org. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  3. ^ Bay of Biscay”. Eoearth.org. 2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  4. ^ Limits of Oceans and Seas, 3rd edition + corrections”. International Hydrographic Organization. p. 42 [corrections to page 13] (1971ねん). 2011ねん10がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2010ねん2がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c 地球ちきゅうじょうもっとおおたねのイルカが生息せいそくするビスケーわんで、イルカが激減げきげん”. AFP BB (2007ねん8がつ23にち). 2015ねん11月22にち閲覧えつらん
  6. ^ Reeves, R.R. and Mitchell, E. (1986). “American pelagic whaling for right whales in the North Atlantic” (PDF). Report of the International Whaling Commission (Special Issue 10): 221–254. http://iwc.int/cache/downloads/brhgc3aemagcsoos0kocgcggc/RIWC-SI10-pp221-254.pdf 2013ねん10がつ9にち閲覧えつらん. [リンク]
  7. ^ Os 25 anos da ‘resurrección’ da balea vasca en Estaca de Bares”. GCiencia. 2023ねん6がつ13にち閲覧えつらん
  8. ^ USS Californian (1918-1918)”. History.navy.mil. 2004ねん12月24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  9. ^ [1]アーカイブ 2015ねん8がつ25にち - ウェイバックマシン
  10. ^ a b c Líneas Regulares de Ferry ヒホンこう公式こうしきサイト
  11. ^ a b c Ferries desde España ブルターニュ・フェリーズ