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この項目 こうもく では、島 しま について説明 せつめい しています。かつての国家 こっか については「サルデーニャ王国 おうこく 」をご覧 らん ください。
サルデーニャ州 しゅう の県 けん 級 きゅう 行政 ぎょうせい 区画 くかく は再編 さいへん の過渡 かと 期 き にあり、本 ほん 項 こう の記述 きじゅつ は現状 げんじょう を反映 はんえい していない可能 かのう 性 せい があります。
サルデーニャ自治 じち 州 しゅう
Regione Autonoma della Sardegna (イタリア語 ご ) Regione Autonoma de sa Sardigna (サルデーニャ語 ご )
サルデーニャ自治 じち 州 しゅう の州 しゅう 旗 はた サルデーニャ自治 じち 州 しゅう の紋章 もんしょう
サルデーニャ (イタリア語 ご : Sardegna ,[sarˈdeɲɲa] )は、イタリア半島 はんとう 西方 せいほう 、コルシカ島 とう の南 みなみ の地中海 ちちゅうかい に位置 いち するイタリア 領 りょう の島 しま 。地中海 ちちゅうかい ではシチリア島 とう に次 つ いで2番目 ばんめ に大 おお きな島 しま である。サルデーニャ語 ご の発音 はつおん ([saɾˈdiɲɲa] )からサルディーニャ とも表記 ひょうき される。
周辺 しゅうへん の島 しま を含 ふく めて、サルデーニャ自治 じち 州 しゅう を構成 こうせい している。この州 しゅう は、イタリアに5つある特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう のひとつである。州都 しゅうと はカリャリ (カリアリ)[3] 。
サルデーニャは、サルデーニャ語 ご ではSardigna, Sardinna, Sardinnia 、イタリア語 ご ではSardegna、カタルーニャ語 ご ではSardenyaと綴 つづ る。この違 ちが いの影響 えいきょう もあり、日本語 にほんご ではイタリア語 ご からのサルデーニャの他 ほか 、ラテン語 らてんご や英語 えいご のSardiniaに由来 ゆらい するサルディニア 、サルジニア 、サルヂニア 、サルデニア などの表記 ひょうき がある。
古代 こだい にこの島 しま はフェニキア 人 ひと によりイクヌーザ(ラテン式 しき の綴 つづ りでIchnusa、もとはHyknusa)と呼 よ ばれており、現在 げんざい は州都 しゅうと カリャリ で製造 せいぞう される、サルデーニャで一番 いちばん ポピュラーなビール にその名 な を残 のこ している。また、イタリア半島 はんとう を足 あし だとすると、その足跡 あしあと にあたるような島 しま の形 かたち から、古代 こだい ギリシャ人 ひと はサンダリオン(Sandalyon)と呼 よ んでいた。魚 さかな のイワシ の英語 えいご 名 めい サーディン はこの島 しま から来 き ている。
地勢 ちせい 図 ず
サルデーニャ島 とう は西 にし 地中海 ちちゅうかい の中央 ちゅうおう に位置 いち している。島 しま の面積 めんせき は24,090km2 (四国 しこく の1.3倍 ばい )、人口 じんこう 165万 まん 人 にん (同 おな じく45%)。
東 ひがし のイタリア半島 はんとう との間 あいだ の海 うみ はティレニア海 うみ と呼 よ ばれる。北側 きたがわ にはボニファシオ海峡 かいきょう を挟 はさ んでフランス 領 りょう コルシカ島 とう (コルス島 とう )を望 のぞ む。西側 にしがわ の海 うみ はサルデーニャ海 うみ と呼 よ ばれており、真 ま 西 にし にスペイン 領 りょう バレアレス諸島 しょとう がある。南 みなみ にチュニジア 、南東 なんとう にはシチリア島 とう がある。
島 しま 全体 ぜんたい がイタリア共和 きょうわ 国 こく のサルデーニャ自治 じち 州 しゅう である。イタリア本土 ほんど との歴史 れきし 的 てき ・地理 ちり 的 てき ・文化 ぶんか 的 てき な差異 さい が大 おお きいことから特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう という位置 いち づけになっているが、海外 かいがい 領土 りょうど (植民 しょくみん 地 ち )ではなく、あくまでも本国 ほんごく の一部 いちぶ である。州都 しゅうと のカリャリ は島 しま の南 みなみ 海岸 かいがん に位置 いち し、チュニジアの首都 しゅと チュニス から北 きた 北西 ほくせい へ約 やく 283km、シチリア島 とう のパレルモ から西北西 せいほくせい へ約 やく 388km、イタリアの首都 しゅと ローマ から南西 なんせい へ約 やく 410km、バレアレス諸島 しょとう のパルマ・デ・マヨルカ から東 ひがし へ約 やく 558kmの距離 きょり にある。オモデオ湖 こ を始 はじ めとする54の貯水池 ちょすいち がある。
オモデオ人工 じんこう 湖 みずうみ
人口 じんこう 3万 まん 人 にん 以上 いじょう のコムーネは以下 いか の通 とお り。人口 じんこう は2011年 ねん 1月 がつ 1日 にち 現在 げんざい [2] 。
州都 しゅうと カリャリ周辺 しゅうへん のカリャリ都市 とし 圏 けん (it:Area metropolitana di Cagliari ) には、島 しま の人口 じんこう の約 やく 25%にあたる約 やく 42万 まん 人 にん が暮 く らす。他方 たほう 、島 しま の東部 とうぶ を中心 ちゅうしん として人口 じんこう が稀薄 きはく であり、2011年 ねん 現在 げんざい の県 けん 別 べつ 人口 じんこう 密度 みつど において、イタリアで最 もっと も低 ひく いオリアストラ県 けん (31.3人 にん /km2 )を筆頭 ひっとう として、ヌーオロ県 けん (40.8人 にん /km2 、第 だい 3位 い )、オルビア=テンピオ県 けん (46.5人 にん /km2 、第 だい 4位 い )、オリスターノ県 けん (54.6人 にん /km2 、第 だい 6位 い )が人口 じんこう 密度 みつど の低 ひく さの上位 じょうい に並 なら んでいる。
サルデーニャは地中海 ちちゅうかい 性 せい 気候 きこう に属 ぞく し、春 はる と秋 あき は暖 あたた かく、夏 なつ は暑 あつ く、冬 ふゆ は穏 おだ やかである。近年 きんねん 、旱魃 かんばつ が続 つづ いている。
新 しん 石器 せっき 時代 じだい から、サルデーニャ島 とう に人類 じんるい が生活 せいかつ をはじめた。その遺跡 いせき の散 ち らばりぐあい、点在 てんざい 範囲 はんい 、その大 おお きさを調 しら べれば、島 しま の大体 だいたい の人口 じんこう がわかり、また彼 かれ らがこの島 しま のどこに上陸 じょうりく し、定着 ていちゃく したかがわかる。
先史 せんし 時代 じだい のサルデーニャ人 じん はヌラーゲ (Nuraghe)人 にん と呼 よ ばれ、ヌラーゲ文化 ぶんか の遺跡 いせき を残 のこ したが、文字 もじ ・記号 きごう などを残 のこ さなかった。
サルデーニャ人 じん の起源 きげん に関 かん する理論 りろん は、遺伝 いでん 学 がく 的 てき および民族 みんぞく の移動 いどう 状 じょう 況 きょう の研究 けんきゅう に基 もと づく。現在 げんざい のサルデーニャ人 じん の先祖 せんぞ については遺伝 いでん 学 がく 的 てき な研究 けんきゅう によると、およそ8000年 ねん 前 まえ に当時 とうじ のヨーロッパに広 ひろ がった農耕 のうこう 人 じん (初期 しょき ヨーロッパ農耕 のうこう 民 みん )が島 しま へ渡 わた り農耕 のうこう を始 はじ めたと考 かんが えられている。したがってこの系統 けいとう は非 ひ インド=ヨーロッパ語族 ごぞく と考 かんが えられている(古代 こだい イタリア地域 ちいき 諸 しょ 言語 げんご )。
エジプト の碑文 ひぶん には、「海 うみ の民 みん 」は、サルディス(リディア )を出発 しゅっぱつ し、ティレニア海 うみ にたどり着 つ いた。そこで、サルデーニャに行 い く者 もの とエトルリア に行 い く者 もの に分 わ かれたとある。
以下 いか は英語 えいご 版 ばん の項目 こうもく en:History of Sardinia からの翻訳 ほんやく である。
先史 せんし 時代 じだい の遺跡 いせき
1979年 ねん 、15万 まん 年 ねん 前 まえ にさかのぼる人類 じんるい の痕跡 こんせき が発見 はっけん された。ガッルーラ からサルデーニャ北部 ほくぶ に居住 きょじゅう した最初 さいしょ の人間 にんげん は、おそらくイタリア半島 はんとう のトスカーナ から渡 わた ってきたとみられている。島 しま の中央 ちゅうおう 部 ぶ にはバレアレス 海 うみ を渡 わた り、イベリア半島 はんとう から来 き た人々 ひとびと が居住 きょじゅう したとも考 かんが えられている。
およそ8000年 ねん 前 まえ に島 しま へ渡 わた った農耕 のうこう 人 じん により狩猟 しゅりょう から農耕 のうこう 文化 ぶんか へ移行 いこう したと考 かんが えられている。
先史 せんし 時代 じだい の矢 や じり(約 やく 5000年 ねん 〜6000年 ねん 前 まえ )や、現在 げんざい カリャリ の考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん に納 おさ められている地中海 ちちゅうかい 地方 ちほう の母 はは 神像 しんぞう から、高 たか いレベルで石 いし の彫刻 ちょうこく を作 つく る能力 のうりょく を持 も っていたと推測 すいそく される。
石器 せっき 文化 ぶんか と黒曜石 こくようせき の時代 じだい [ 編集 へんしゅう ]
石器 せっき 時代 じだい には既 すで に、モンテ・アルチ (Monte Arci) は重要 じゅうよう な役割 やくわり を演 えん じていた。この休火山 きゅうかざん は、黒曜石 こくようせき 採掘 さいくつ と刃物 はもの ・矢 や じりへの加工 かこう の中心 ちゅうしん 地 ち のひとつであった。現在 げんざい でも山腹 さんぷく では火山 かざん ガラス を見 み つけることが出来 でき る。サッサリ の考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん には、紀元前 きげんぜん 2600年 ねん 頃 ごろ の青銅器 せいどうき 時代 じだい (またはAneolithic Age)の土器 どき が展示 てんじ されている。
青銅器 せいどうき 時代 じだい の遺跡 いせき
ヌラーゲ文化 ぶんか の時代 じだい [ 編集 へんしゅう ]
先史 せんし 時代 じだい のサルデーニャは、ヌラーゲ と呼 よ ばれる独特 どくとく の石造 いしづく りの構造 こうぞう 物 ぶつ に特徴 とくちょう づけられている。サルデーニャには複雑 ふくざつ な構造 こうぞう のものから単純 たんじゅん なものまで、大小 だいしょう 7000のヌラーゲが現存 げんそん している。最 もっと も有名 ゆうめい なのはカリャリ県 けん バルーミニのヌラーゲ遺跡 いせき 、スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ である。このヌラーゲは紀元前 きげんぜん 1800年 ねん から250年 ねん 頃 ごろ にわたって造 つく られ、紀元前 きげんぜん 1200年 ねん から900年 ねん 頃 ごろ に全盛期 ぜんせいき を迎 むか えた。聖 せい なる水 みず 場 じょう の隣 となり に建 た てられ(例 れい :Santa Cristina, Sardara)、墓 はか の構造 こうぞう はドルメン と呼 よ ばれる。この時代 じだい サルデーニャ人 じん は既 すで に、西 にし 地中海 ちちゅうかい で交易 こうえき を行 おこな っていたミケーネ 人 ひと と接触 せっしょく していたことがわかっている。
エジプトを侵略 しんりゃく した海洋 かいよう 民族 みんぞく シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽 しんぎ が疑 うたが わしく、立証 りっしょう されていない。墓場 はかば (Tombe dei giganti) には沈 しず みかけの船 ふね をかたどった墓石 はかいし があり、長 なが い航海 こうかい 中 ちゅう に惨事 さんじ があったことを示 しめ している。古代 こだい ギリシャで初 はじ めて地中海 ちちゅうかい を西 にし に航海 こうかい したエウボイア 人 ひと は、サルデーニャをHyknousaと呼 よ んだ。のちにラテン化 か しIchnus(s)a(イクヌーザ)となった。ノーラ遺跡 いせき の石碑 せきひ は、フェニキア 人 ひと がこの島 しま をShardenと呼 よ んだ証拠 しょうこ となっており、これがSardiniaという名前 なまえ の由来 ゆらい となっている。
フェニキア人 じん 、カルタゴ人 じん 、そしてローマ人 じん [ 編集 へんしゅう ]
ローマ時代 じだい の風呂 ふろ 遺跡 いせき
紀元前 きげんぜん 8世紀 せいき から、Tharros(ターロス)、Bithia(ビティア)、Sulcis(スルシス)、Nora(ノーラ)、Karalis(カラリス、現在 げんざい のカリャリ)と、フェニキア 人 ひと が都市 とし や砦 とりで をいくつもサルデーニャに築 きず いた。フェニキア人 じん はレバノン の出身 しゅっしん で、地中海 ちちゅうかい で交易 こうえき を行 おこな っていた。彼 かれ らは島 しま のあらゆるエリアに定住 ていじゅう した。サルデーニャはカルタゴ (現在 げんざい のチュニジア )、スペイン 、ローヌ川 がわ (フランス )、エトルリア (イタリア半島 はんとう )の間 あいだ にあったため、西 にし 地中海 ちちゅうかい の中心 ちゅうしん として特別 とくべつ な地位 ちい を獲得 かくとく していた。イグレージアス 周辺 しゅうへん の鉱物 こうぶつ 地帯 ちたい は、鉛 なまり や亜鉛 あえん の産地 さんち として重要 じゅうよう であった。都市 とし は防御 ぼうぎょ しやすく天然 てんねん の港 みなと になる、多 おお くは河口 かこう に近 ちか い半島 はんとう 部 ぶ や島 しま のような、戦略 せんりゃく 上 じょう の重要 じゅうよう な地点 ちてん に造 つく られた。フェニキア人 じん ののちに、紀元前 きげんぜん 500年 ねん ごろカルタゴ人 じん (Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺 しゅうへん の地中海 ちちゅうかい の覇権 はけん を確立 かくりつ した。カルタゴの影響 えいきょう はサルデーニャのほぼ全域 ぜんいき に及 およ んでいる。
紀元前 きげんぜん 238年 ねん 、ローマ人 じん が島 しま を獲得 かくとく した。ローマはカルタゴと第 だい 一 いち 次 じ ポエニ戦争 せんそう を戦 たたか ったが、戦後 せんご にカルタゴの傭兵 ようへい が反乱 はんらん を起 お こしたため、ローマはこの年 とし サルデーニャに上陸 じょうりく し、占領 せんりょう する機会 きかい を得 え た。ローマ人 じん がサルデーニャを獲得 かくとく した時点 じてん で、既 すで に社会 しゃかい 基盤 きばん と(少 すく なくとも平野 へいや 部 ぶ では)都市 とし 化 か された文化 ぶんか があった。サルデーニャはシチリア とともに、エジプト 征服 せいふく までのあいだローマの穀倉 こくそう 地帯 ちたい のひとつでありつづけた。フェニキア・カルタゴ文化 ぶんか は、ローマ人 じん の支配 しはい 下 か にあっても紀元 きげん 後 ご 数 すう 世紀 せいき まで根強 ねづよ く残 のこ った。Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)らは、建築 けんちく と都市 とし 計画 けいかく の調査 ちょうさ に非常 ひじょう に重要 じゅうよう な考古学 こうこがく 遺跡 いせき となっている。
ジュディカーティの領国 りょうごく (14世紀 せいき )
ロ ろ ーマ帝国 まていこく の滅亡 めつぼう 後 ご 、サルデーニャは何 なん 度 ど と征服 せいふく の対象 たいしょう とされている。東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく による帝国 ていこく の一部 いちぶ としての奪還 だっかん に先立 さきだ ち、456年 ねん 北 きた アフリカのヴァンダル人 じん に占領 せんりょう された。711年 ねん からは、サラセン人 じん による沿岸 えんがん 部 ぶ の都市 とし への攻撃 こうげき が始 はじ まった。これが原因 げんいん となり、9世紀 せいき には1800年 ねん の歴史 れきし を持 も つターロスが放棄 ほうき され、内陸 ないりく のオリスターノ が取 と って代 か わった。アラブ人 じん に対抗 たいこう するために、海洋 かいよう 共和 きょうわ 国 こく であったピサ とジェノヴァ による支援 しえん が求 もと められた。
1063年 ねん から、この地域 ちいき の東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく の政治 せいじ 行政 ぎょうせい 組織 そしき を踏襲 とうしゅう する形 かたち で、審判 しんぱん による統治 とうち を意味 いみ するジュディカーティ (Giudicati)という制度 せいど が形成 けいせい された。中世 ちゅうせい 後期 こうき において最 もっと も特筆 とくひつ すべき、今 いま に至 いた るまで島 しま のヒロインと慕 した われる人物 じんぶつ は、ジュディカーティであったアルボレア国 こく の妃 ひ エレオノーラ・ダルボレア (Eleonora d'Arborea)である。彼女 かのじょ は法制 ほうせい の整備 せいび に尽力 じんりょく し、1395年 ねん に発効 はっこう した先進 せんしん 的 てき な民法 みんぽう 典 てん カルタ・デ・ログ(Carta de Logu)は1827年 ねん まで使 つか われた。
同 おな じ時代 じだい 、アラゴン=カタルーニャ王国 おうこく の影響 えいきょう が大 おお きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領 せんりょう まで続 つづ いた。アラゴンの塔 とう と呼 よ ばれた見張 みは り台 だい が沿岸 えんがん 部 ぶ 全域 ぜんいき にわたって作 つく られ、アラブ人 じん の侵入 しんにゅう を防 ふせ ぐことに役立 やくだ った。これらの見張 みは り台 だい のいくつかは、ちょうど戦略 せんりゃく 上 じょう の重要 じゅうよう 地点 ちてん にあったフェニキア都市 とし の石 いし を使 つか って作 つく られた。教会 きょうかい 建築 けんちく への再 さい 利用 りよう としての好例 こうれい は、古 ふる い都市 とし オトカ(Othoca)の跡 あと に建 た てられたサンタ・ジュスタ(Santa Giusta)教会 きょうかい にみられる。当時 とうじ のスペインの影響 えいきょう の強 つよ さは、今 いま でもアルゲーロ 周辺 しゅうへん でカタルーニャ語 ご の方言 ほうげん が使 つか われていることからも窺 うかが える。
サルデーニャ王国 おうこく の誕生 たんじょう から現代 げんだい [ 編集 へんしゅう ]
スペイン継承 けいしょう 戦争 せんそう (1701年 ねん - 1714年 ねん )でサルデーニャはスペインからオーストリア に渡 わた った。しかし、旧領 きゅうりょう 回復 かいふく を目指 めざ すスペインは1717年 ねん にサルデーニャに侵攻 しんこう (スペインによるサルデーニャ侵攻 しんこう )。四国 しこく 同盟 どうめい 戦争 せんそう (1718年 ねん - 1720年 ねん )を経 へ て、1720年 ねん にシチリア島 とう との交換 こうかん によりサヴォイア家 か が領有 りょうゆう した。以後 いご 、イタリア統一 とういつ の1861年 ねん まで、サルデーニャはピエモンテ とともにサルデーニャ王国 おうこく を形成 けいせい していた。
フランス革命 かくめい 戦争 せんそう 中 なか の1793年 ねん には、フランス共和 きょうわ 国軍 こくぐん がサルデーニャ島 とう に侵攻 しんこう したが、サルデーニャ人 じん によって撃退 げきたい された(サルデーニャ遠征 えんせい )。
サルデーニャ島 とう の社会 しゃかい 基盤 きばん の開発 かいはつ は遅 おく れていたが、19世紀 せいき 初期 しょき にカルロ・フェリーチェ による統治 とうち のもと、南 みなみ のカリャリから北 きた のサッサリに至 いた る島 しま の大動脈 だいどうみゃく が建設 けんせつ され、いまでも彼 かれ の名 な がこの道 みち につけられている。1861年 ねん にサルデーニャ王国 おうこく がイタリア統一 とういつ を果 は たして国名 こくめい を「イタリア王国 おうこく 」と改 あらた めた。1883年 ねん にはカリャリからサッサリまでの鉄道 てつどう が開通 かいつう した。
ムッソリーニ 政権 せいけん 下 か では、オリスターノ周辺 しゅうへん の沼沢 しょうたく 地 ち が干拓 かんたく され、最 もっと も成功 せいこう した農村 のうそん コミュニティとなったアルボレアの基盤 きばん が作 つく られた。またムッソリーニは鉱業 こうぎょう の中心 ちゅうしん 地 ち としてカルボーニア を建設 けんせつ した。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、石炭 せきたん の重要 じゅうよう 性 せい は低下 ていか し、観光 かんこう 業 ぎょう が盛 さか んとなった。雇用 こよう を創出 そうしゅつ するための様々 さまざま な施策 しさく は、安価 あんか な労働 ろうどう 力 りょく をもっても埋 う め合 あ わせることの出来 でき ない高 たか い運送 うんそう 費 ひ のために、これまでのところうまくいってはいない。
今日 きょう 、サルデーニャは自治 じち 州 しゅう であり、その歴史 れきし は言語 げんご と文化 ぶんか の中 なか にいまだ息 いき づいている。また注目 ちゅうもく すべきは沿岸 えんがん 部 ぶ と内陸 ないりく 部 ぶ の差異 さい である。沿岸 えんがん 部 ぶ は常 つね に外部 がいぶ からの影響 えいきょう に対 たい してよりオープンであった。今日 きょう サルデーニャは、船 ふね や飛行機 ひこうき の便 びん がよい北部 ほくぶ の海岸 かいがん や島々 しまじま (ラ・マッダレーナ 、コスタ・ズメラルダ )と南部 なんぶ カリャリ周辺 しゅうへん の海岸 かいがん によって、最 もっと もよく知 し られている。
サルデーニャ州 しゅう と各 かく 県 けん (2005年 ねん )
サルデーニャ州 しゅう は8つの県 けん からなる。20世紀 せいき 末 まつ にはカリャリ県 けん 、サッサリ県 けん 、ヌーオロ県 けん 、オリスターノ県 けん の4県 けん があったが、2005年 ねん に県 けん の分割 ぶんかつ が行 おこな われ、オルビア=テンピオ県 けん 、オリアストラ県 けん 、カルボーニア=イグレージアス県 けん 、メディオ・カンピダーノ県 けん が設立 せつりつ された。
左端 ひだりはし の数字 すうじ はISTATコード、アルファベット2文字 もじ は県 けん 名 めい 略記 りゃっき 号 ごう を示 しめ す。人口 じんこう は2011年 ねん 1月 がつ 1日 にち 現在 げんざい [2] 。面積 めんせき の単位 たんい はkm²。
県 けん 名 めい
綴 つづ り
県 けん 都 と
面積 めんせき
人口 じんこう
090
SS
サッサリ県 けん
Sassari
サッサリ
4,281
337,237
091
NU
ヌーオロ県 けん
Nuoro
ヌーオロ
3,934
160,677
092
CA
カリャリ県 けん
Cagliari
カリャリ
4,570
563,180
095
OR
オリスターノ県 けん
Oristano
オリスターノ
3,040
166,244
104
OT
オルビア=テンピオ県 けん
Olbia-Tempio
オルビア テンピオ・パウザーニア
3,399
157,859
105
OG
オリアストラ県 けん
Ogliastra
ラヌゼーイ トルトリ
1,854
57,965
106
VS
メディオ・カンピダーノ県 けん
Medio Campidano
サンルーリ ヴィッラチードロ
1,516
102,409
107
CI
カルボーニア=イグレージアス県 けん
Carbonia-Iglesias
カルボーニア イグレージアス
1,495
129,840
広域 こういき 行政 ぎょうせい 区画 くかく の再編 さいへん [ 編集 へんしゅう ]
サルデーニャ州 しゅう と各 かく 県 けん (2016年 ねん )
サルデーニャ自治 じち 州 しゅう では、2016年 ねん 9月 がつ 現在 げんざい 、県 けん 級 きゅう 行政 ぎょうせい 区画 くかく の統廃合 とうはいごう のプロセスが進 すす められている。2016年 ねん 2月 がつ に新 あら たな行政 ぎょうせい 区画 くかく の設置 せっち が行 おこな われたが、地方 ちほう 自治 じち 上 じょう は過渡 かと 期 き である。
新 しん 制度 せいど では、サルデーニャ州 しゅう の県 けん 級 きゅう 行政 ぎょうせい 区画 くかく は5(1大都市 だいとし 4県 けん )となる。結果 けっか として2005年 ねん に新設 しんせつ された県 けん がすべて消滅 しょうめつ した。また、カリャリ県 けん はカリャリ市 し 周辺 しゅうへん が大都市 だいとし (Città metropolitana )として再編 さいへん され、その他 た は新設 しんせつ の南 みなみ サルデーニャ県 けん の一部 いちぶ となった。
イタリアの一部 いちぶ であるサルデーニャの現在 げんざい の通貨 つうか はユーロ である。
鉱業 こうぎょう では、かつてファシズム 時代 じだい にカルボーニア が炭坑 たんこう 都市 とし として開発 かいはつ され栄 ば えたほか、今日 きょう でも金 かね と銀 ぎん の鉱山 こうざん が島内 とうない で操業 そうぎょう している。
現在 げんざい はコスタ・ズメラルダに代表 だいひょう される観光 かんこう 業 ぎょう 、工業 こうぎょう 、商業 しょうぎょう 、サービス業 ぎょう 、IT産業 さんぎょう がサルデーニャの中心 ちゅうしん 的 てき な産業 さんぎょう となっている。ヨーロッパのインターネットプロバイダーとしてトップ企業 きぎょう となっているティスカリ (Tiscali)は、1998年 ねん に前 まえ 州 しゅう 知事 ちじ のレナート・ソルがカリャリ で設立 せつりつ した。またワイン とローカル料理 りょうり が有名 ゆうめい になり、島 しま の収入 しゅうにゅう 源 げん として成長 せいちょう している。
サルデーニャ州 しゅう は、州法 しゅうほう で住民 じゅうみん に "popolo"(固有 こゆう の民族 みんぞく 集団 しゅうだん )という用語 ようご を用 もち いている2つの州 しゅう のうちのひとつである。もうひとつの州 しゅう であるヴェネト州 しゅう (ヴェネツィア語 ご 話者 わしゃ が多 おお い)における規定 きてい は国法 こくほう に根拠 こんきょ をもつものではないが、特別 とくべつ 自治 じち 州 しゅう であるサルデーニャ州 しゅう の規定 きてい は国法 こくほう に根拠 こんきょ を持 も つ。なお、いずれのケースにおいても、ほかのイタリア国民 こくみん (市民 しみん )との間 あいだ に権利 けんり の差異 さい をもたらす法的 ほうてき な意味 いみ は持 も たないとされる。
イタリア語 ご とサルデーニャ語 ご で書 か かれた禁煙 きんえん の掲示 けいじ
サルデーニャ島 とう の言語 げんご 分布 ぶんぷ を示 しめ した地図 ちず (地名 ちめい はイタリア語 ご とサルデーニャ語 ご の二 に 言語 げんご 表記 ひょうき )
2006年 ねん の国立 こくりつ 統計 とうけい 研究所 けんきゅうじょ (ISTAT) の統計 とうけい によれば、6歳 さい 以上 いじょう の住民 じゅうみん の家庭 かてい 内 ない での会話 かいわ における言語 げんご 状況 じょうきょう は以下 いか の通 とお り[4] 。イタリア語 ご (Italiano )、地方 ちほう 言語 げんご (Dialetto )、他 た の言語 げんご (Altra lingua )についてのデータで、左 ひだり 列 れつ が全国 ぜんこく 平均 へいきん 、右 みぎ 列 れつ がサルデーニャ州 しゅう の数値 すうち である。
家庭 かてい 内 ない の会話 かいわ における使用 しよう 言語 げんご
全国 ぜんこく
州 しゅう
イタリア語 ご のみ、あるいは主 おも にイタリア語 ご
45.5%
52.5%
地方 ちほう 言語 げんご のみ、あるいは主 おも に地方 ちほう 言語 げんご
16.0%
1.9%
イタリア語 ご と地方 ちほう 言語 げんご の双方 そうほう
32.5%
29.3%
他 た の言語 げんご
5.1%
14.7%
イタリア全土 ぜんど で公用 こうよう 語 ご とされているのはイタリア語 ご であるが、サルデーニャではサルデーニャ語 ご (Sardu)が広 ひろ く使 つか われている。
サルデーニャ語 ご はイタリア語 ご などと同 おな じくラテン語 らてんご を起源 きげん とするロマンス語 ご に属 ぞく する言語 げんご であるが、決 けっ して「イタリア語 ご の方言 ほうげん 」(言語 げんご 変種 へんしゅ )であるわけではない。この言葉 ことば はカタルーニャ語 ご やスペイン語 ご の影響 えいきょう を受 う けており、土着 どちゃく のヌラーゲ文化 ぶんか を経由 けいゆ してフェニキア語 ご からの影響 えいきょう も受 う けているとも考 かんが えられている。公的 こうてき 文書 ぶんしょ での使用 しよう はイタリア語 ご によって行 おこな われているが、2006年 ねん に州 しゅう 政府 せいふ は公文書 こうぶんしょ に用 もち いるためのサルデーニャ語 ご の規範 きはん (it:Limba Sarda Comuna ) を制定 せいてい している。書記 しょき 言語 げんご としてのサルデーニャ語 ご の規範 きはん 化 か 問題 もんだい は重要 じゅうよう 性 せい を増 ま しているが、正書法 せいしょほう が確立 かくりつ されていないことから激 はげ しい議論 ぎろん やさまざまな提案 ていあん が続 つづ いている。
サルデーニャ語 ご の方言 ほうげん (言語 げんご 変種 へんしゅ )は、大 おお きく分 わ けて2つある。州都 しゅうと カリャリを含 ふく む島 しま の南 みなみ 半分 はんぶん で用 もち いられているカンピダーノ方言 ほうげん (Campidanese dialect ) 、島 しま の中 なか 北部 ほくぶ を中心 ちゅうしん に用 もち いられているログドーロ方言 ほうげん (Logudorese dialect ) である。
島 しま の最 さい 北部 ほくぶ のサッサリ 付近 ふきん で使 つか われているサッサリ方言 ほうげん (Sassarese language ) や、ガッルーラ 地方 ちほう で用 もち いられているガッルーラ方言 ほうげん (Gallurese dialect ) は、コルシカ語 ご の影響 えいきょう が大 おお きく、コルシカ=サルディニア方言 ほうげん /語 かたり と呼 よ ばれる。これら最 さい 北部 ほくぶ の言語 げんご は、サルデーニャ語 ご の一部 いちぶ ではなく独立 どくりつ した言語 げんご とみなされたり、あるいはコルシカ語 ご の方言 ほうげん とみなされることもある。
サルデーニャにはまたいくつかの言語 げんご 島 とう もみられる。北西 ほくせい 部 ぶ のアルゲーロ 近辺 きんぺん では、アラゴン=カタルーニャ王国 おうこく の支配 しはい を経験 けいけん した歴史 れきし 的 てき 背景 はいけい から、中世 ちゅうせい 期 き の要素 ようそ を受 う け継 つ ぐカタルーニャ語 ご の変種 へんしゅ であるアルゲーロ方言 ほうげん (Algherese dialect ) が使用 しよう されている。サルデーニャの南西 なんせい 沖 おき にあるサンピエトロ島 とう (San Pietro Island ) やサンタンティーオコ 島 しま では、ジェノヴァ 地域 ちいき からの移民 いみん が暮 くら した経緯 けいい からリグリア語 ご の変種 へんしゅ であるタバルカ方言 ほうげん (it:Dialetto tabarchino ) が使 つか われている。さらに少数 しょうすう の言語 げんご としてはアルボレーア やフェルティリア (Fertilia ) において、1920年代 ねんだい から1930年代 ねんだい に北東 ほくとう イタリアから移住 いじゅう してきた人々 ひとびと によって、ヴェネト語 ご 、フリウリ語 ご 、イストリア語 ご が話 はな されている。
カリャリのボッタルガ
マロレッドゥスを用 もち いた煮物 にもの
パーネ・カラザウ
サルデーニャ料理 りょうり (it:Cucina sarda ) は、イタリア料理 りょうり のほか、アラブや北 きた アフリカなどの料理 りょうり の影響 えいきょう を受 う けて発展 はってん した。豊富 ほうふ な海産物 かいさんぶつ や、島 しま において牧畜 ぼくちく される羊 ひつじ の肉 にく などが主要 しゅよう な食材 しょくざい として用 もち いられる。2010年 ねん にユネスコの無形 むけい 文化 ぶんか 遺産 いさん に指定 してい された「地中海 ちちゅうかい の食 しょく 文化 ぶんか 」 (Mediterranean diet ) の一部 いちぶ を構成 こうせい する。
海産物 かいさんぶつ
サルデーニャ料理 りょうり の主役 しゅやく のひとつは、エビやマグロ、イワシ、貝 かい などといったさまざまな海産物 かいさんぶつ である。
日本 にっぽん のカラスミ に相当 そうとう する魚 さかな の卵巣 らんそう の加工 かこう 品 ひん 「ボッタルガ 」が、カリャリ やトルトリ 、サンタンティーオコ など島内 とうない 各地 かくち で生産 せいさん されている。日本 にっぽん のカラスミはボラ の卵巣 らんそう を加工 かこう したものであるが、ボッタルガにはボラに限 かぎ らず、タラやマグロなど他 た の魚 さかな も使用 しよう される。
パスタ・パン
サルデーニャの特徴 とくちょう 的 てき なパスタとして、クスクス に似 に た粒状 りゅうじょう のパスタである「フレグラ 」や、ニョッキ 状 じょう の「マロレッドゥス 」 (it:Malloreddus ) などがある。パスタは、魚介 ぎょかい 類 るい とともにトマトベースのソースで煮 に られることが多 おお い。
サルデーニャの伝統 でんとう 的 てき なデザートであるセアダス
堅 かた く焼 や いた薄 うす いパン「パーネ・カラザウ 」は長期 ちょうき 保存 ほぞん が可能 かのう な食材 しょくざい でもある。これを用 もち いた代表 だいひょう 的 てき な料理 りょうり として、パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノ (羊 ひつじ 乳 ちち のチーズ)とをラザニア状 じょう に重 かさ ねた「パーネ・フラッタウ」 (it:Pane frattau ) がある。
ワイン
サルデーニャはイタリアワイン の生産 せいさん が盛 さか んな地域 ちいき であり、多 おお くのワインが原産地 げんさんち 統制 とうせい 呼称 こしょう (DOC)の指定 してい を受 う けている。サルデーニャ全域 ぜんいき を名称 めいしょう 保護 ほご 地域 ちいき とするものには以下 いか がある。
北東 ほくとう 部 ぶ のガッルーラ 地方 ちほう (オルビア=テンピオ県 けん )、北西 ほくせい 部 ぶ のアルゲーロ 周辺 しゅうへん (サッサリ県 けん )、中西部 ちゅうせいぶ のオリスターノ 周辺 しゅうへん (オリスターノ県 けん )、南西 なんせい 部 ぶ のスルチス 地方 ちほう (カリャリ県 けん 、カルボーニア=イグレージアス県 けん )が主要 しゅよう 生産 せいさん 地 ち であり、より限定 げんてい された地域 ちいき を指定 してい したDOCワインも多 おお い。ガッルーラ地方 ちほう で生産 せいさん されるヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ (it:Vermentino di Gallura ) は、統制 とうせい 呼称 こしょう の最上級 さいじょうきゅう にあたる保証 ほしょう つき統制 とうせい 原産地 げんさんち 呼称 こしょう (DOCG)に指定 してい されている。
チーズ
ペコリーノ・サルド
原産地 げんさんち 名称 めいしょう 保護 ほご (PDO)の指定 してい を受 う けたチーズとして以下 いか がある。
サルデーニャ島 とう では牧羊 ぼくよう が盛 さか んなことから、羊 ひつじ 乳 ちち を用 もち いたペコリーノ が多 おお く生産 せいさん される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州 しゅう ・トスカーナ州 しゅう とともにサルデーニャ州 しゅう も生産 せいさん 地域 ちいき としての指定 してい を受 う けている。「ペコリーノ・サルド」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産 さん のペコリーノにのみ認 みと められた名称 めいしょう である。
このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロ なども生産 せいさん される。
サルデーニャ島 とう のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫 ようちゅう の働 はたら きでペコリーノの発酵 はっこう をすすめたカース・マルツゥ がある。
サルデーニャ島 とう には世界 せかい 遺産 いさん がひとつある。メディオ・カンピダーノ県 けん バルーミニ にあるスー・ヌラージ で、この遺跡 いせき は先史 せんし 時代 じだい の石造 せきぞう 建築 けんちく であるヌラーゲ を代表 だいひょう するものとして評価 ひょうか された。
フェニキア・ローマ時代 じだい の都市 とし 遺跡 いせき としては、オリスターノ 近郊 きんこう のターロス 、カリアリ南郊 なんこう プーラ にあるノーラなどがある。
これらの文化 ぶんか 遺産 いさん は、観光 かんこう 資源 しげん ともなっている。
この島 しま には、リゾート地 ち コスタ・ズメラルダ やジェンナルジェントゥ 山地 さんち など、多 おお くの観光 かんこう 地 ち がある。
有名 ゆうめい なビーチの美 うつく しさだけでなく、多 おお くの文化 ぶんか 遺産 いさん は観光 かんこう 資源 しげん ともなっている。
州 しゅう 内 ない に本拠 ほんきょ を置 お くプロサッカークラブとしては以下 いか がある。所属 しょぞく リーグは2023-24シーズン現在 げんざい 。
5部 ぶ リーグ(アマチュア最 さい 上位 じょうい リーグ)のセリエD では、ラツィオ州 しゅう 、カンパニア州 しゅう のクラブとともにジローネGに属 ぞく する。サルデーニャ州 しゅう の地方 ちほう リーグ(6部 ぶ リーグ)として、エッチェッレンツァ・サルデーニャ (it:Eccellenza Sardegna ) がある。
メリディアーナ・フライ
サルデーニャには3つの国際 こくさい 空港 くうこう 、2つの地方 ちほう 空港 くうこう がある。
国際 こくさい 空港 くうこう
地方 ちほう 空港 くうこう
3つの国際 こくさい 空港 くうこう は、イタリア本土 ほんど の主要 しゅよう 都市 とし やその他 た のヨーロッパの諸 しょ 都市 とし (とくにイギリス 、スカンディナヴィア 諸国 しょこく 、スペイン 、ドイツ )との間 あいだ を結 むす んでいる。サルデーニャ島内 とうない の航空 こうくう 便 びん は、カリャリ - オルビア便 びん 、トルトリ - オルビア便 びん が出 で ている程度 ていど に限 かぎ られる。
この島 しま ではいくつかの格安 かくやす 航空 こうくう 会社 かいしゃ が運営 うんえい されており、島 しま の住民 じゅうみん は格安 かくやす チケットの恩恵 おんけい を受 う けている。オルビア空港 くうこう に本拠 ほんきょ を置 お くメリディアーナ・フライ もその代表 だいひょう 的 てき なものである。
オルビア湾 わん を航行 こうこう する高速 こうそく フェリー
サルデーニャにはフェリー が発着 はっちゃく する主要 しゅよう な港湾 こうわん として以下 いか がある。
これらの港湾 こうわん に発着 はっちゃく するフェリーは、イタリア本土 ほんど (チヴィタヴェッキア 、ジェノヴァ 、リヴォルノ 、ナポリ 、ピオンビーノ )、シチリア島 とう (パレルモ 、トラーパニ )、フランス本土 ほんど (マルセイユ 、トゥーロン )、コルシカ島 とう (ボニファシオ 、プロプリアノ 、アジャクシオ )、スペイン (バルセロナ )などの諸 しょ 港湾 こうわん との間 あいだ を結 むす んでいる。
地元 じもと の船 ふね 会社 かいしゃ としてはサレマール社 しゃ (Saremar ) があり、サルデーニャ本島 ほんとう と離島 りとう (ラ・マッダレーナ諸島 しょとう 、サンピエトロ島 とう など)とを結 むす んでいる。
サルデーニャの道路 どうろ 網 もう
サルデーニャ州 しゅう はイタリアで高速 こうそく 道路 どうろ (アウトストラーダ )が走 はし っていない唯一 ゆいいつ の州 しゅう である。しかしながら道路 どうろ 網 もう は発達 はったつ しており、スーペルストラーダ (Superstrada ) とよばれる高 こう 規格 きかく 道路 どうろ (上下 じょうげ 線 せん を分離 ぶんり した自動車 じどうしゃ 専用 せんよう 道路 どうろ 、最高 さいこう 速度 そくど は時速 じそく 90 - 110 km)が主要 しゅよう 都市 とし や交通 こうつう 拠点 きょてん を結 むす んでいる。
島 しま の幹線 かんせん となる道路 どうろ は、島 しま の最 さい 南部 なんぶ にある州都 しゅうと カリャリ と、北西 ほくせい 部 ぶ にある第 だい 二 に の都市 とし サッサリ を結 むす び、島 しま の西部 せいぶ を南北 なんぼく に縦貫 じゅうかん する国道 こくどう 131号 ごう 「カルロ・フェリーチェ」 (it:Strada statale 131 Carlo Felice ) (SS131)であり、欧州 おうしゅう 自動車 じどうしゃ 道路 どうろ E25号線 ごうせん の一部 いちぶ にも指定 してい されている。国道 こくどう 131号 ごう ヌーオロ中央 ちゅうおう 支線 しせん (it:Strada statale 131 Diramazione Centrale Nuorese ) (SS131 d.c.n.)は、オリスターノ で本線 ほんせん と分 わ かれ、ヌーオロ県 けん を横断 おうだん して東海岸 ひがしかいがん のオルビア とを結 むす ぶ。
このほか高 だか 規格 きかく の道路 どうろ が、サッサリ - アルゲーロ 間 あいだ 、サッサリ - テンピオ・パウザーニア 間 あいだ 、サッサリ - オルビア間 あいだ 、カリャリ - トルトリ 間 あいだ 、カリャリ - イグレージアス 間 あいだ 、ヌーオロ - ラヌゼーイ 間 あいだ を結 むす んでいる。これら幹線 かんせん 道路 どうろ では、交差点 こうさてん をなくして高速 こうそく 道路 どうろ 水準 すいじゅん とするための事業 じぎょう が進 すす められている。一方 いっぽう 、内陸 ないりく 部 ぶ や山間 さんかん 部 ぶ の二 に 線 せん 級 きゅう 道路 どうろ は一般 いっぱん に狭隘 きょうあい でつづら折 お れ が多 おお く、最高 さいこう 速度 そくど も低 ひく く抑 おさ えられている。
地元 じもと の公共 こうきょう バスは、公共 こうきょう 交通 こうつう 事業 じぎょう 体 たい Azienda Regionale Sarda Trasporti (it:ARST ) によって運営 うんえい されている。公共 こうきょう バスは、島内 とうない のすべての都市 とし や村落 そんらく を、少 すく なくとも1日 にち 1本 ほん 以上 いじょう の本数 ほんすう で結 むす んでいる。しかしながら人口 じんこう 密度 みつど の低 ひく い地域 ちいき の一部 いちぶ には公共 こうきょう バスが走 はし っておらず、自動車 じどうしゃ が必要 ひつよう となる。
サッサリ付近 ふきん のSS131
サッサリにおけるArstのバス
2008年 ねん 3月 がつ 時点 じてん での鉄道 てつどう 網 もう 。赤 あか がFS、青 あお がFdS、緑 みどり が"Trenino Verde"、黄 き は廃止 はいし 区間 くかん 。都市 とし 近郊 きんこう の紫 むらさき はライトレール 区間 くかん
サルデーニャの鉄道 てつどう システムは19世紀 せいき にイギリス人 じん 技術 ぎじゅつ 者 しゃ ベンジャミン・パーシー (it:Benjamin Piercy ) の手 て によって発展 はってん を遂 と げた。鉄道 てつどう は全島 ぜんとう を結 むす んでいるが、異 こと なる二 ふた つの事業 じぎょう 者 しゃ が存在 そんざい する。すなわち、旧 きゅう イタリア国鉄 こくてつ であるトレニタリア (FS)と、狭軌 きょうき のサルデーニャ鉄道 てつどう (FdS)である。
トレニタリア
トレニタリア (FS)の経営 けいえい 規模 きぼ は大 おお きく、島 しま の主要 しゅよう 都市 とし や主 しゅ 要港 ようこう を鉄道 てつどう で結 むす び、イタリア本土 ほんど との間 あいだ に鉄道 てつどう 連絡 れんらく 船 せん も運営 うんえい している。島 しま の西部 せいぶ で南北 なんぼく を縦貫 じゅうかん する鉄道 てつどう 路線 ろせん が島 しま の幹線 かんせん で、南部 なんぶ のカリャリ と北部 ほくぶ のサッサリ およびオルビア とを結 むす ぶ(北部 ほくぶ のオツィエーリ ・キリバニ駅 えき で路線 ろせん が分岐 ぶんき している)。このほか、カリャリからはカルボーニア およびイグレージアス を結 むす ぶ路線 ろせん も出 で ている。
トレニタリアの車両 しゃりょう は、アルストム 社 しゃ の"Minuetto"のような気動車 きどうしゃ が主力 しゅりょく であるが、高速 こうそく の振 ふ り子 こ 式 しき 車両 しゃりょう (CAF の Class 598 や、タルゴ XXI)も導入 どうにゅう される。
サルデーニャ鉄道 てつどう
一般 いっぱん にサルデーニャ鉄道 てつどう (FdS)の名 な で知 し られる狭軌 きょうき 鉄道 てつどう は、ARSTの一 いち 部門 ぶもん であり、"ARST Gestione FdS"(ARST経営 けいえい FdS)が正式 せいしき 名称 めいしょう である。島 しま の北部 ほくぶ にサッサリ とアルゲーロ やポルト・トッレス などを結 むす ぶ路線 ろせん 、中部 ちゅうぶ にマコメール とヌーオロ を結 むす ぶ路線 ろせん 、南部 なんぶ にカリャリとイジーリとを結 むす ぶ路線 ろせん があるが、カリャリやサッサリ近郊 きんこう の電化 でんか されたトラムトレイン 区間 くかん を除 のぞ き、速度 そくど は遅 おそ い。
これら通年 つうねん 運行 うんこう の路線 ろせん 以外 いがい にも、トレニーノ・ヴェルデ (Trenino Verde , 「緑 みどり の小 ちい さな列車 れっしゃ 」)という季 き 節 ぶし 運行 うんこう の観光 かんこう 路線 ろせん があり、島内 とうない の最 もっと も自然 しぜん 豊 ゆた かなエリアを走 はし っている。速度 そくど が遅 おそ い分 ぶん 、道路 どうろ からは見 み えないような素晴 すば らしい車窓 しゃそう を楽 たの しむことができる。南部 なんぶ ではカリャリ - アルバタックス(トルトリ )、西部 せいぶ でマコメール - ボサ・マリーナ、北部 ほくぶ ではサッサリ - パラウ 間 あいだ で運行 うんこう されている。
FdSの路線 ろせん はすべて狭軌 きょうき であり、FSとFdSが共用 きょうよう するサッサリ駅 えき 構内 こうない には三 さん 線 せん 軌条 きじょう 区間 くかん が存在 そんざい する。
皮 かわ を剥 む いだコルクの幹 みき
サルデーニャは豊 ゆた かな自然 しぜん 資源 しげん に恵 めぐ まれており、チチュウカイモンクアザラシ やイノシシ をはじめ、多 おお くの希少 きしょう 種 しゅ の動植物 どうしょくぶつ が生息 せいそく している。一方 いっぽう 、大陸 たいりく 部 ぶ のどこにでもいるクサリヘビやマーモット 等 ひとし 、多 おお くの種 たね が存在 そんざい しないという特徴 とくちょう がある。
人間 にんげん に離 はな されて野生 やせい 化 か した野生 やせい 馬 ば のジャーラ馬 ば が生息 せいそく している。
砂浜 すなはま が広 ひろ がるビーチは、風光 ふうこう 明媚 めいび で知 し られており、観光 かんこう 客 きゃく がお土産 みやげ として砂 すな を持 も ち帰 かえ る例 れい が後 こう を絶 た たない。2018年 ねん 、政府 せいふ は環境 かんきょう を保護 ほご するため、砂 すな を島 しま 外 がい へ持 も ち出 だ す者 もの に対 たい して罰金 ばっきん を科 か すことを決定 けってい した[5] 。
カリャリのカルロ・フェリーチェ像 ぞう
著名 ちょめい な出身 しゅっしん 者 しゃ [ 編集 へんしゅう ]
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