サルデーニャ

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サルデーニャ自治じちしゅう
Regione Autonoma della Sardegna  (イタリア)
Regione Autonoma de sa Sardigna  (サルデーニャ)
サルデーニャ自治州の州旗サルデーニャ自治州の紋章
サルデーニャ自治じちしゅうしゅうはたサルデーニャ自治じちしゅう紋章もんしょう
くにイタリアの旗 イタリア
地域ちいきイタリア島嶼とうしょ
州都しゅうとカリャリ(カリアリ)
面積めんせき24,089.89 [1] km²
人口じんこう1,675,411 [2] ひと 2011-01-01
人口じんこう密度みつど69.5 にん/km2
けんオリスターノオリアストラオルビア=テンピオカリャリカルボーニア=イグレージアスサッサリヌーオロメディオ・カンピダーノ
コムーネかず377 (一覧いちらん
しゅう知事ちじアレッサンドラ・トッデ英語えいごばん 2024ねん3がつ20日はつか就任しゅうにん
公式こうしきサイト[1]

サルデーニャイタリア: Sardegna[sarˈdeɲɲa])は、イタリア半島はんとう西方せいほうコルシカとうみなみ地中海ちちゅうかい位置いちするイタリアりょうしま地中海ちちゅうかいではシチリアとういで2番目ばんめおおきなしまである。サルデーニャ発音はつおん[saɾˈdiɲɲa])からサルディーニャとも表記ひょうきされる。

周辺しゅうへんしまふくめて、サルデーニャ自治じちしゅう構成こうせいしている。このしゅうは、イタリアに5つある特別とくべつ自治じちしゅうのひとつである。州都しゅうとカリャリ(カリアリ)[3]

名称めいしょう[編集へんしゅう]

サルデーニャは、サルデーニャではSardigna, Sardinna, Sardinnia 、イタリアではSardegna、カタルーニャではSardenyaとつづる。このちがいの影響えいきょうもあり、日本語にほんごではイタリアからのサルデーニャのほかラテン語らてんご英語えいごのSardiniaに由来ゆらいするサルディニアサルジニアサルヂニアサルデニアなどの表記ひょうきがある。

古代こだいにこのしまフェニキアひとによりイクヌーザ(ラテンしきつづりでIchnusa、もとはHyknusa)とばれており、現在げんざい州都しゅうとカリャリ製造せいぞうされる、サルデーニャで一番いちばんポピュラーなビールにそののこしている。また、イタリア半島はんとうあしだとすると、その足跡あしあとにあたるようなしまかたちから、古代こだいギリシャひとはサンダリオン(Sandalyon)とんでいた。さかなイワシ英語えいごめいサーディンはこのしまからている。

地理ちり[編集へんしゅう]

位置いちひろがり[編集へんしゅう]

地勢ちせい

サルデーニャとう西にし地中海ちちゅうかい中央ちゅうおう位置いちしている。しま面積めんせきは24,090km2四国しこくの1.3ばい)、人口じんこう165まんにんおなじく45%)。

ひがしイタリア半島はんとうとのあいだうみティレニアうみばれる。北側きたがわにはボニファシオ海峡かいきょうはさんでフランスりょうコルシカとう(コルスとう)をのぞむ。西側にしがわうみサルデーニャうみばれており、西にしスペインりょうバレアレス諸島しょとうがある。みなみチュニジア南東なんとうにはシチリアとうがある。

しま全体ぜんたいイタリア共和きょうわこくのサルデーニャ自治じちしゅうである。イタリア本土ほんどとの歴史れきしてき地理ちりてき文化ぶんかてき差異さいおおきいことから特別とくべつ自治じちしゅうという位置いちづけになっているが、海外かいがい領土りょうど植民しょくみん)ではなく、あくまでも本国ほんごく一部いちぶである。州都しゅうとカリャリしまみなみ海岸かいがん位置いちし、チュニジアの首都しゅとチュニスからきた北西ほくせいやく283km、シチリアとうパレルモから西北西せいほくせいやく388km、イタリアの首都しゅとローマから南西なんせいやく410km、バレアレス諸島しょとうパルマ・デ・マヨルカからひがしやく558kmの距離きょりにある。オモデオはじめとする54の貯水池ちょすいちがある。

主要しゅよう都市とし[編集へんしゅう]

オモデオ人工じんこうみずうみ

人口じんこう3まんにん以上いじょうのコムーネは以下いかとおり。人口じんこうは2011ねん1がつ1にち現在げんざい[2]

州都しゅうとカリャリ周辺しゅうへんのカリャリ都市としけん (it:Area metropolitana di Cagliariには、しま人口じんこうやく25%にあたるやく42まんにんらす。他方たほうしま東部とうぶ中心ちゅうしんとして人口じんこう稀薄きはくであり、2011ねん現在げんざいけんべつ人口じんこう密度みつどにおいて、イタリアでもっとひくオリアストラけん(31.3にん/km2)を筆頭ひっとうとして、ヌーオロけん(40.8にん/km2だい3)、オルビア=テンピオけん(46.5にん/km2だい4)、オリスターノけん(54.6にん/km2だい6)が人口じんこう密度みつどひくさの上位じょういならんでいる。

気候きこう[編集へんしゅう]

サルデーニャは地中海ちちゅうかいせい気候きこうぞくし、はるあきあたたかく、なつあつく、ふゆおだやかである。近年きんねん旱魃かんばつつづいている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

しん石器せっき時代じだいから、サルデーニャとう人類じんるい生活せいかつをはじめた。その遺跡いせきらばりぐあい、点在てんざい範囲はんい、そのおおきさを調しらべれば、しま大体だいたい人口じんこうがわかり、またかれらがこのしまのどこに上陸じょうりくし、定着ていちゃくしたかがわかる。

先史せんし時代じだいサルデーニャじんヌラーゲ(Nuraghe)にんばれ、ヌラーゲ文化ぶんか遺跡いせきのこしたが、文字もじ記号きごうなどをのこさなかった。

サルデーニャじん起源きげんかんする理論りろんは、遺伝いでんがくてきおよび民族みんぞく移動いどうじょうきょう研究けんきゅうもとづく。現在げんざいサルデーニャじん先祖せんぞについては遺伝いでんがくてき研究けんきゅうによると、およそ8000ねんまえ当時とうじのヨーロッパにひろがった農耕のうこうじん初期しょきヨーロッパ農耕のうこうみん)がしまわた農耕のうこうはじめたとかんがえられている。したがってこの系統けいとうインド=ヨーロッパ語族ごぞくかんがえられている(古代こだいイタリア地域ちいきしょ言語げんご)。

エジプト碑文ひぶんには、「うみみん」は、サルディス(リディア)を出発しゅっぱつし、ティレニアうみにたどりいた。そこで、サルデーニャにものエトルリアものかれたとある。

以下いか英語えいごばん項目こうもくen:History of Sardiniaからの翻訳ほんやくである。

先史せんし時代じだい[編集へんしゅう]

先史せんし時代じだい遺跡いせき

1979ねん、15まんねんまえにさかのぼる人類じんるい痕跡こんせき発見はっけんされた。ガッルーラからサルデーニャ北部ほくぶ居住きょじゅうした最初さいしょ人間にんげんは、おそらくイタリア半島はんとうトスカーナからわたってきたとみられている。しま中央ちゅうおうにはバレアレスうみわたり、イベリア半島はんとうから人々ひとびと居住きょじゅうしたともかんがえられている。

およそ8000ねんまえしまわたった農耕のうこうじんにより狩猟しゅりょうから農耕のうこう文化ぶんか移行いこうしたとかんがえられている。

先史せんし時代じだいじり(やく5000ねん〜6000ねんまえ)や、現在げんざいカリャリ考古学こうこがく博物館はくぶつかんおさめられている地中海ちちゅうかい地方ちほうはは神像しんぞうから、たかいレベルでいし彫刻ちょうこくつく能力のうりょくっていたと推測すいそくされる。

石器せっき文化ぶんか黒曜石こくようせき時代じだい[編集へんしゅう]

石器せっき時代じだいにはすでに、モンテ・アルチ (Monte Arci) は重要じゅうよう役割やくわりえんじていた。この休火山きゅうかざんは、黒曜石こくようせき採掘さいくつ刃物はものじりへの加工かこう中心ちゅうしんのひとつであった。現在げんざいでも山腹さんぷくでは火山かざんガラスつけることが出来できる。サッサリ考古学こうこがく博物館はくぶつかんには、紀元前きげんぜん2600ねんごろ青銅器せいどうき時代じだい(またはAneolithic Age)の土器どき展示てんじされている。

青銅器せいどうき時代じだい遺跡いせき

ヌラーゲ文化ぶんか時代じだい[編集へんしゅう]

先史せんし時代じだいのサルデーニャは、ヌラーゲばれる独特どくとく石造いしづくりの構造こうぞうぶつ特徴とくちょうづけられている。サルデーニャには複雑ふくざつ構造こうぞうのものから単純たんじゅんなものまで、大小だいしょう7000のヌラーゲが現存げんそんしている。もっと有名ゆうめいなのはカリャリけんバルーミニのヌラーゲ遺跡いせきスー・ヌラージ・ディ・バルーミニである。このヌラーゲは紀元前きげんぜん1800ねんから250ねんごろにわたってつくられ、紀元前きげんぜん1200ねんから900ねんごろ全盛期ぜんせいきむかえた。せいなるみずじょうとなりてられ(れい:Santa Cristina, Sardara)、はか構造こうぞうドルメンばれる。この時代じだいサルデーニャじんすでに、西にし地中海ちちゅうかい交易こうえきおこなっていたミケーネひと接触せっしょくしていたことがわかっている。

エジプトを侵略しんりゃくした海洋かいよう民族みんぞくシャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽しんぎうたがわしく、立証りっしょうされていない。墓場はかば (Tombe dei giganti) にはしずみかけのふねをかたどった墓石はかいしがあり、なが航海こうかいちゅう惨事さんじがあったことをしめしている。古代こだいギリシャではじめて地中海ちちゅうかい西にし航海こうかいしたエウボイアひとは、サルデーニャをHyknousaとんだ。のちにラテンしIchnus(s)a(イクヌーザ)となった。ノーラ遺跡いせき石碑せきひは、フェニキアひとがこのしまをShardenとんだ証拠しょうことなっており、これがSardiniaという名前なまえ由来ゆらいとなっている。

フェニキアじん、カルタゴじん、そしてローマじん[編集へんしゅう]

ローマ時代じだい風呂ふろ遺跡いせき

紀元前きげんぜん8世紀せいきから、Tharros(ターロス)、Bithia(ビティア)、Sulcis(スルシス)、Nora(ノーラ)、Karalis(カラリス、現在げんざいのカリャリ)と、フェニキアひと都市としとりでをいくつもサルデーニャにきずいた。フェニキアじんレバノン出身しゅっしんで、地中海ちちゅうかい交易こうえきおこなっていた。かれらはしまのあらゆるエリアに定住ていじゅうした。サルデーニャはカルタゴ現在げんざいチュニジア)、スペインローヌがわフランス)、エトルリアイタリア半島はんとう)のあいだにあったため、西にし地中海ちちゅうかい中心ちゅうしんとして特別とくべつ地位ちい獲得かくとくしていた。イグレージアス周辺しゅうへん鉱物こうぶつ地帯ちたいは、なまり亜鉛あえん産地さんちとして重要じゅうようであった。都市とし防御ぼうぎょしやすく天然てんねんみなとになる、おおくは河口かこうちか半島はんとうしまのような、戦略せんりゃくじょう重要じゅうよう地点ちてんつくられた。フェニキアじんののちに、紀元前きげんぜん500ねんごろカルタゴじん(Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺しゅうへん地中海ちちゅうかい覇権はけん確立かくりつした。カルタゴの影響えいきょうはサルデーニャのほぼ全域ぜんいきおよんでいる。

紀元前きげんぜん238ねんローマじんしま獲得かくとくした。ローマはカルタゴとだいいちポエニ戦争せんそうたたかったが、戦後せんごにカルタゴの傭兵ようへい反乱はんらんこしたため、ローマはこのとしサルデーニャに上陸じょうりくし、占領せんりょうする機会きかいた。ローマじんがサルデーニャを獲得かくとくした時点じてんで、すで社会しゃかい基盤きばんと(すくなくとも平野へいやでは)都市としされた文化ぶんかがあった。サルデーニャはシチリアとともに、エジプト征服せいふくまでのあいだローマの穀倉こくそう地帯ちたいのひとつでありつづけた。フェニキア・カルタゴ文化ぶんかは、ローマじん支配しはいにあっても紀元きげんすう世紀せいきまで根強ねづよのこった。Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)らは、建築けんちく都市とし計画けいかく調査ちょうさ非常ひじょう重要じゅうよう考古学こうこがく遺跡いせきとなっている。

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

ジュディカーティの領国りょうごく(14世紀せいき

マ帝国まていこく滅亡めつぼう、サルデーニャはなん征服せいふく対象たいしょうとされている。ひがしマ帝国まていこくによる帝国ていこく一部いちぶとしての奪還だっかん先立さきだち、456ねんきたアフリカのヴァンダルじん占領せんりょうされた。711ねんからは、サラセンじんによる沿岸えんがん都市としへの攻撃こうげきはじまった。これが原因げんいんとなり、9世紀せいきには1800ねん歴史れきしつターロスが放棄ほうきされ、内陸ないりくオリスターノってわった。アラブじん対抗たいこうするために、海洋かいよう共和きょうわこくであったピサジェノヴァによる支援しえんもとめられた。

1063ねんから、この地域ちいきひがしマ帝国まていこく政治せいじ行政ぎょうせい組織そしき踏襲とうしゅうするかたちで、審判しんぱんによる統治とうち意味いみするジュディカーティ(Giudicati)という制度せいど形成けいせいされた。中世ちゅうせい後期こうきにおいてもっと特筆とくひつすべき、いまいたるまでしまのヒロインとしたわれる人物じんぶつは、ジュディカーティであったアルボレアこくエレオノーラ・ダルボレア(Eleonora d'Arborea)である。彼女かのじょ法制ほうせい整備せいび尽力じんりょくし、1395ねん発効はっこうした先進せんしんてき民法みんぽうてんカルタ・デ・ログ(Carta de Logu)は1827ねんまで使つかわれた。

おな時代じだいアラゴン=カタルーニャ王国おうこく影響えいきょうおおきくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領せんりょうまでつづいた。アラゴンのとうばれた見張みはだい沿岸えんがん全域ぜんいきにわたってつくられ、アラブじん侵入しんにゅうふせぐことに役立やくだった。これらの見張みはだいのいくつかは、ちょうど戦略せんりゃくじょう重要じゅうよう地点ちてんにあったフェニキア都市としいし使つかってつくられた。教会きょうかい建築けんちくへのさい利用りようとしての好例こうれいは、ふる都市としオトカ(Othoca)のあとてられたサンタ・ジュスタ(Santa Giusta)教会きょうかいにみられる。当時とうじのスペインの影響えいきょうつよさは、いまでもアルゲーロ周辺しゅうへんカタルーニャ方言ほうげん使つかわれていることからもうかがえる。

サルデーニャ王国おうこく誕生たんじょうから現代げんだい[編集へんしゅう]

スペイン継承けいしょう戦争せんそう(1701ねん - 1714ねん)でサルデーニャはスペインからオーストリアわたった。しかし、旧領きゅうりょう回復かいふく目指めざすスペインは1717ねんにサルデーニャに侵攻しんこうスペインによるサルデーニャ侵攻しんこう)。四国しこく同盟どうめい戦争せんそう(1718ねん - 1720ねん)をて、1720ねんシチリアとうとの交換こうかんによりサヴォイア領有りょうゆうした。以後いごイタリア統一とういつ1861ねんまで、サルデーニャはピエモンテとともにサルデーニャ王国おうこく形成けいせいしていた。

フランス革命かくめい戦争せんそうなかの1793ねんには、フランス共和きょうわ国軍こくぐんがサルデーニャとう侵攻しんこうしたが、サルデーニャじんによって撃退げきたいされた(サルデーニャ遠征えんせい)。

サルデーニャとう社会しゃかい基盤きばん開発かいはつおくれていたが、19世紀せいき初期しょきカルロ・フェリーチェによる統治とうちのもと、みなみのカリャリからきたのサッサリにいたしま大動脈だいどうみゃく建設けんせつされ、いまでもかれがこのみちにつけられている。1861ねんにサルデーニャ王国おうこくがイタリア統一とういつたして国名こくめいを「イタリア王国おうこく」とあらためた。1883ねんにはカリャリからサッサリまでの鉄道てつどう開通かいつうした。

ムッソリーニ政権せいけんでは、オリスターノ周辺しゅうへん沼沢しょうたく干拓かんたくされ、もっと成功せいこうした農村のうそんコミュニティとなったアルボレアの基盤きばんつくられた。またムッソリーニは鉱業こうぎょう中心ちゅうしんとしてカルボーニア建設けんせつした。だい世界せかい大戦たいせん石炭せきたん重要じゅうようせい低下ていかし、観光かんこうぎょうさかんとなった。雇用こよう創出そうしゅつするための様々さまざま施策しさくは、安価あんか労働ろうどうりょくをもってもわせることの出来できないたか運送うんそうのために、これまでのところうまくいってはいない。

今日きょう、サルデーニャは自治じちしゅうであり、その歴史れきし言語げんご文化ぶんかなかにいまだいきづいている。また注目ちゅうもくすべきは沿岸えんがん内陸ないりく差異さいである。沿岸えんがんつね外部がいぶからの影響えいきょうたいしてよりオープンであった。今日きょうサルデーニャは、ふね飛行機ひこうき便びんがよい北部ほくぶ海岸かいがん島々しまじまラ・マッダレーナコスタ・ズメラルダ)と南部なんぶカリャリ周辺しゅうへん海岸かいがんによって、もっともよくられている。

行政ぎょうせい区画くかく[編集へんしゅう]

サルデーニャしゅうかくけん(2005ねん

サルデーニャしゅうは8つのけんからなる。20世紀せいきまつにはカリャリけんサッサリけんヌーオロけんオリスターノけんの4けんがあったが、2005ねんけん分割ぶんかつおこなわれ、オルビア=テンピオけんオリアストラけんカルボーニア=イグレージアスけんメディオ・カンピダーノけん設立せつりつされた。

左端ひだりはし数字すうじはISTATコード、アルファベット2文字もじけんめい略記りゃっきごうしめす。人口じんこうは2011ねん1がつ1にち現在げんざい[2]面積めんせき単位たんいはkm²。

けんめい つづ けん 面積めんせき 人口じんこう
090 SS サッサリけん Sassari サッサリ 4,281 337,237
091 NU ヌーオロけん Nuoro ヌーオロ 3,934 160,677
092 CA カリャリけん Cagliari カリャリ 4,570 563,180
095 OR オリスターノけん Oristano オリスターノ 3,040 166,244
104 OT オルビア=テンピオけん Olbia-Tempio オルビア
テンピオ・パウザーニア
3,399 157,859
105 OG オリアストラけん Ogliastra ラヌゼーイ
トルトリ
1,854 57,965
106 VS メディオ・カンピダーノけん Medio Campidano サンルーリ
ヴィッラチードロ
1,516 102,409
107 CI カルボーニア=イグレージアスけん Carbonia-Iglesias カルボーニア
イグレージアス
1,495 129,840

広域こういき行政ぎょうせい区画くかく再編さいへん[編集へんしゅう]

サルデーニャしゅうかくけん(2016ねん

サルデーニャ自治じちしゅうでは、2016ねん9がつ現在げんざいけんきゅう行政ぎょうせい区画くかく統廃合とうはいごうのプロセスがすすめられている。2016ねん2がつあらたな行政ぎょうせい区画くかく設置せっちおこなわれたが、地方ちほう自治じちじょう過渡かとである。

しん制度せいどでは、サルデーニャしゅうけんきゅう行政ぎょうせい区画くかくは5(1大都市だいとし4けん)となる。結果けっかとして2005ねん新設しんせつされたけんがすべて消滅しょうめつした。また、カリャリけんはカリャリ周辺しゅうへん大都市だいとしCittà metropolitana)として再編さいへんされ、その新設しんせつみなみサルデーニャけん一部いちぶとなった。

経済けいざい[編集へんしゅう]

イタリアの一部いちぶであるサルデーニャの現在げんざい通貨つうかユーロである。

鉱業こうぎょうでは、かつてファシズム時代じだいカルボーニア炭坑たんこう都市としとして開発かいはつされえたほか、今日きょうでもかねぎん鉱山こうざん島内とうない操業そうぎょうしている。

現在げんざいはコスタ・ズメラルダに代表だいひょうされる観光かんこうぎょう工業こうぎょう商業しょうぎょう、サービスぎょう、IT産業さんぎょうがサルデーニャの中心ちゅうしんてき産業さんぎょうとなっている。ヨーロッパのインターネットプロバイダーとしてトップ企業きぎょうとなっているティスカリ(Tiscali)は、1998ねんまえしゅう知事ちじのレナート・ソルがカリャリ設立せつりつした。またワインとローカル料理りょうり有名ゆうめいになり、しま収入しゅうにゅうげんとして成長せいちょうしている。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

サルデーニャしゅうは、州法しゅうほう住民じゅうみんに "popolo"(固有こゆう民族みんぞく集団しゅうだん)という用語ようごもちいている2つのしゅうのうちのひとつである。もうひとつのしゅうであるヴェネトしゅうヴェネツィア話者わしゃおおい)における規定きてい国法こくほう根拠こんきょをもつものではないが、特別とくべつ自治じちしゅうであるサルデーニャしゅう規定きてい国法こくほう根拠こんきょつ。なお、いずれのケースにおいても、ほかのイタリア国民こくみん市民しみん)とのあいだ権利けんり差異さいをもたらす法的ほうてき意味いみたないとされる。

言語げんご[編集へんしゅう]

イタリアとサルデーニャかれた禁煙きんえん掲示けいじ
サルデーニャとう言語げんご分布ぶんぷしめした地図ちず地名ちめいはイタリアとサルデーニャ言語げんご表記ひょうき

2006ねん国立こくりつ統計とうけい研究所けんきゅうじょ(ISTAT)統計とうけいによれば、6さい以上いじょう住民じゅうみん家庭かていないでの会話かいわにおける言語げんご状況じょうきょう以下いかとお[4]。イタリアItaliano)、地方ちほう言語げんごDialetto)、言語げんごAltra lingua)についてのデータで、ひだりれつ全国ぜんこく平均へいきんみぎれつがサルデーニャしゅう数値すうちである。

家庭かていない会話かいわにおける使用しよう言語げんご 全国ぜんこく しゅう
イタリアのみ、あるいはおもにイタリア 45.5% 52.5%
地方ちほう言語げんごのみ、あるいはおも地方ちほう言語げんご 16.0% 1.9%
イタリア地方ちほう言語げんご双方そうほう 32.5% 29.3%
言語げんご 5.1% 14.7%

イタリア全土ぜんど公用こうようとされているのはイタリアであるが、サルデーニャではサルデーニャ(Sardu)がひろ使つかわれている。

サルデーニャイタリアなどとおなじくラテン語らてんご起源きげんとするロマンスぞくする言語げんごであるが、けっして「イタリア方言ほうげん」(言語げんご変種へんしゅ)であるわけではない。この言葉ことばカタルーニャスペイン影響えいきょうけており、土着どちゃくのヌラーゲ文化ぶんか経由けいゆしてフェニキアからの影響えいきょうけているともかんがえられている。公的こうてき文書ぶんしょでの使用しようはイタリアによっておこなわれているが、2006ねんしゅう政府せいふ公文書こうぶんしょもちいるためのサルデーニャ規範きはん (it:Limba Sarda Comuna制定せいていしている。書記しょき言語げんごとしてのサルデーニャ規範きはん問題もんだい重要じゅうようせいしているが、正書法せいしょほう確立かくりつされていないことからはげしい議論ぎろんやさまざまな提案ていあんつづいている。

サルデーニャ方言ほうげん言語げんご変種へんしゅ)は、おおきくけて2つある。州都しゅうとカリャリをふくしまみなみ半分はんぶんもちいられているカンピダーノ方言ほうげん (Campidanese dialectしまなか北部ほくぶ中心ちゅうしんもちいられているログドーロ方言ほうげん (Logudorese dialectである。

しまさい北部ほくぶサッサリ付近ふきん使つかわれているサッサリ方言ほうげん (Sassarese languageや、ガッルーラ地方ちほうもちいられているガッルーラ方言ほうげん (Gallurese dialectは、コルシカ影響えいきょうおおきく、コルシカ=サルディニア方言ほうげんかたりばれる。これらさい北部ほくぶ言語げんごは、サルデーニャ一部いちぶではなく独立どくりつした言語げんごとみなされたり、あるいはコルシカ方言ほうげんとみなされることもある。

サルデーニャにはまたいくつかの言語げんごとうもみられる。北西ほくせいアルゲーロ近辺きんぺんでは、アラゴン=カタルーニャ王国おうこく支配しはい経験けいけんした歴史れきしてき背景はいけいから、中世ちゅうせい要素ようそカタルーニャ変種へんしゅであるアルゲーロ方言ほうげん (Algherese dialect使用しようされている。サルデーニャの南西なんせいおきにあるサンピエトロとう (San Pietro Islandサンタンティーオコしまでは、ジェノヴァ地域ちいきからの移民いみんくらした経緯けいいからリグリア変種へんしゅであるタバルカ方言ほうげん (it:Dialetto tabarchino使つかわれている。さらに少数しょうすう言語げんごとしてはアルボレーアやフェルティリア (Fertiliaにおいて、1920年代ねんだいから1930年代ねんだい北東ほくとうイタリアから移住いじゅうしてきた人々ひとびとによって、ヴェネトフリウリイストリアはなされている。

しょく文化ぶんか[編集へんしゅう]

カリャリのボッタルガ
マロレッドゥスをもちいた煮物にもの
パーネ・カラザウ

サルデーニャ料理りょうり (it:Cucina sardaは、イタリア料理りょうりのほか、アラブやきたアフリカなどの料理りょうり影響えいきょうけて発展はってんした。豊富ほうふ海産物かいさんぶつや、しまにおいて牧畜ぼくちくされるひつじにくなどが主要しゅよう食材しょくざいとしてもちいられる。2010ねんにユネスコの無形むけい文化ぶんか遺産いさん指定していされた「地中海ちちゅうかいしょく文化ぶんか (Mediterranean diet一部いちぶ構成こうせいする。

海産物かいさんぶつ

サルデーニャ料理りょうり主役しゅやくのひとつは、エビやマグロ、イワシ、かいなどといったさまざまな海産物かいさんぶつである。

日本にっぽんカラスミ相当そうとうするさかな卵巣らんそう加工かこうひんボッタルガ」が、カリャリトルトリサンタンティーオコなど島内とうない各地かくち生産せいさんされている。日本にっぽんのカラスミはボラ卵巣らんそう加工かこうしたものであるが、ボッタルガにはボラにかぎらず、タラやマグロなどさかな使用しようされる。

パスタ・パン

サルデーニャの特徴とくちょうてきなパスタとして、クスクス粒状りゅうじょうのパスタである「フレグラ」や、ニョッキじょうの「マロレッドゥス (it:Malloreddusなどがある。パスタは、魚介ぎょかいるいとともにトマトベースのソースでられることがおおい。

サルデーニャの伝統でんとうてきなデザートであるセアダス

かたいたうすいパン「パーネ・カラザウ」は長期ちょうき保存ほぞん可能かのう食材しょくざいでもある。これをもちいた代表だいひょうてき料理りょうりとして、パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノひつじちちのチーズ)とをラザニアじょうかさねた「パーネ・フラッタウ」 (it:Pane frattauがある。

ワイン

サルデーニャはイタリアワイン生産せいさんさかんな地域ちいきであり、おおくのワインが原産地げんさんち統制とうせい呼称こしょう(DOC)の指定していけている。サルデーニャ全域ぜんいき名称めいしょう保護ほご地域ちいきとするものには以下いかがある。

北東ほくとうガッルーラ地方ちほうオルビア=テンピオけん)、北西ほくせいアルゲーロ周辺しゅうへんサッサリけん)、中西部ちゅうせいぶオリスターノ周辺しゅうへんオリスターノけん)、南西なんせいスルチス地方ちほうカリャリけんカルボーニア=イグレージアスけん)が主要しゅよう生産せいさんであり、より限定げんていされた地域ちいき指定していしたDOCワインもおおい。ガッルーラ地方ちほう生産せいさんされるヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ (it:Vermentino di Galluraは、統制とうせい呼称こしょう最上級さいじょうきゅうにあたる保証ほしょうつき統制とうせい原産地げんさんち呼称こしょう(DOCG)に指定していされている。

チーズ
ペコリーノ・サルド

原産地げんさんち名称めいしょう保護ほご(PDO)の指定していけたチーズとして以下いかがある。

サルデーニャとうでは牧羊ぼくようさかんなことから、ひつじちちもちいたペコリーノおお生産せいさんされる、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオしゅう・トスカーナしゅうとともにサルデーニャしゅう生産せいさん地域ちいきとしての指定していけている。「ペコリーノ・サルド」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャさんのペコリーノにのみみとめられた名称めいしょうである。

このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロなども生産せいさんされる。

サルデーニャとうのユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫ようちゅうはたらきでペコリーノの発酵はっこうをすすめたカース・マルツゥがある。

文化ぶんか遺産いさん[編集へんしゅう]

サルデーニャとうには世界せかい遺産いさんがひとつある。メディオ・カンピダーノけんバルーミニにあるスー・ヌラージで、この遺跡いせき先史せんし時代じだい石造せきぞう建築けんちくであるヌラーゲ代表だいひょうするものとして評価ひょうかされた。

フェニキア・ローマ時代じだい都市とし遺跡いせきとしては、オリスターノ近郊きんこうターロス、カリアリ南郊なんこうプーラにあるノーラなどがある。

これらの文化ぶんか遺産いさんは、観光かんこう資源しげんともなっている。

観光かんこう[編集へんしゅう]

このしまには、リゾートコスタ・ズメラルダジェンナルジェントゥ山地さんちなど、おおくの観光かんこうがある。

有名ゆうめいなビーチのうつくしさだけでなく、おおくの文化ぶんか遺産いさん観光かんこう資源しげんともなっている。

スポーツ[編集へんしゅう]

サッカー[編集へんしゅう]

しゅうない本拠ほんきょくプロサッカークラブとしては以下いかがある。所属しょぞくリーグは2023-24シーズン現在げんざい

5リーグ(アマチュアさい上位じょういリーグ)のセリエDでは、ラツィオしゅうカンパニアしゅうのクラブとともにジローネGにぞくする。サルデーニャしゅう地方ちほうリーグ(6リーグ)として、エッチェッレンツァ・サルデーニャ (it:Eccellenza Sardegnaがある。

交通こうつう[編集へんしゅう]

空港くうこう空路くうろ[編集へんしゅう]

メリディアーナ・フライ

サルデーニャには3つの国際こくさい空港くうこう、2つの地方ちほう空港くうこうがある。

国際こくさい空港くうこう
地方ちほう空港くうこう

3つの国際こくさい空港くうこうは、イタリア本土ほんど主要しゅよう都市としやそののヨーロッパのしょ都市とし(とくにイギリススカンディナヴィア諸国しょこくスペインドイツ)とのあいだむすんでいる。サルデーニャ島内とうない航空こうくう便びんは、カリャリ - オルビア便びん、トルトリ - オルビア便びんている程度ていどかぎられる。

このしまではいくつかの格安かくやす航空こうくう会社かいしゃ運営うんえいされており、しま住民じゅうみん格安かくやすチケットの恩恵おんけいけている。オルビア空港くうこう本拠ほんきょメリディアーナ・フライもその代表だいひょうてきなものである。

港湾こうわん海路かいろ[編集へんしゅう]

オルビアわん航行こうこうする高速こうそくフェリー

サルデーニャにはフェリー発着はっちゃくする主要しゅよう港湾こうわんとして以下いかがある。

これらの港湾こうわん発着はっちゃくするフェリーは、イタリア本土ほんどチヴィタヴェッキアジェノヴァリヴォルノナポリピオンビーノ)、シチリアとうパレルモトラーパニ)、フランス本土ほんどマルセイユトゥーロン)、コルシカとうボニファシオプロプリアノアジャクシオ)、スペインバルセロナ)などのしょ港湾こうわんとのあいだむすんでいる。

地元じもとふね会社かいしゃとしてはサレマールしゃ (Saremarがあり、サルデーニャ本島ほんとう離島りとうラ・マッダレーナ諸島しょとう、サンピエトロとうなど)とをむすんでいる。

道路どうろ[編集へんしゅう]

サルデーニャの道路どうろもう

サルデーニャしゅうはイタリアで高速こうそく道路どうろアウトストラーダ)がはしっていない唯一ゆいいつしゅうである。しかしながら道路どうろもう発達はったつしており、スーペルストラーダ (Superstradaとよばれるこう規格きかく道路どうろ上下じょうげせん分離ぶんりした自動車じどうしゃ専用せんよう道路どうろ最高さいこう速度そくど時速じそく90 - 110 km)が主要しゅよう都市とし交通こうつう拠点きょてんむすんでいる。

しま幹線かんせんとなる道路どうろは、しまさい南部なんぶにある州都しゅうとカリャリと、北西ほくせいにあるだい都市としサッサリむすび、しま西部せいぶ南北なんぼく縦貫じゅうかんする国道こくどう131ごう「カルロ・フェリーチェ」 (it:Strada statale 131 Carlo Felice(SS131)であり、欧州おうしゅう自動車じどうしゃ道路どうろE25号線ごうせん一部いちぶにも指定していされている。国道こくどう131ごうヌーオロ中央ちゅうおう支線しせん (it:Strada statale 131 Diramazione Centrale Nuorese(SS131 d.c.n.)は、オリスターノ本線ほんせんかれ、ヌーオロけん横断おうだんして東海岸ひがしかいがんオルビアとをむすぶ。

このほかだか規格きかく道路どうろが、サッサリ - アルゲーロあいだ、サッサリ - テンピオ・パウザーニアあいだ、サッサリ - オルビアあいだ、カリャリ - トルトリあいだ、カリャリ - イグレージアスあいだヌーオロ - ラヌゼーイあいだむすんでいる。これら幹線かんせん道路どうろでは、交差点こうさてんをなくして高速こうそく道路どうろ水準すいじゅんとするための事業じぎょうすすめられている。一方いっぽう内陸ないりく山間さんかんせんきゅう道路どうろ一般いっぱん狭隘きょうあいつづらおおく、最高さいこう速度そくどひくおさえられている。

地元じもと公共こうきょうバスは、公共こうきょう交通こうつう事業じぎょうたい Azienda Regionale Sarda Trasporti  (it:ARSTによって運営うんえいされている。公共こうきょうバスは、島内とうないのすべての都市とし村落そんらくを、すくなくとも1にち1ほん以上いじょう本数ほんすうむすんでいる。しかしながら人口じんこう密度みつどひく地域ちいき一部いちぶには公共こうきょうバスがはしっておらず、自動車じどうしゃ必要ひつようとなる。

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

2008ねん3がつ時点じてんでの鉄道てつどうもうあかがFS、あおがFdS、みどりが"Trenino Verde"、廃止はいし区間くかん都市とし近郊きんこうむらさきライトレール区間くかん

サルデーニャの鉄道てつどうシステムは19世紀せいきにイギリスじん技術ぎじゅつしゃベンジャミン・パーシー (it:Benjamin Piercyによって発展はってんげた。鉄道てつどう全島ぜんとうむすんでいるが、ことなるふたつの事業じぎょうしゃ存在そんざいする。すなわち、きゅうイタリア国鉄こくてつであるトレニタリア(FS)と、狭軌きょうきサルデーニャ鉄道てつどう(FdS)である。

トレニタリア

トレニタリア(FS)の経営けいえい規模きぼおおきく、しま主要しゅよう都市とししゅ要港ようこう鉄道てつどうむすび、イタリア本土ほんどとのあいだ鉄道てつどう連絡れんらくせん運営うんえいしている。しま西部せいぶ南北なんぼく縦貫じゅうかんする鉄道てつどう路線ろせんしま幹線かんせんで、南部なんぶカリャリ北部ほくぶサッサリおよびオルビアとをむすぶ(北部ほくぶオツィエーリ・キリバニえき路線ろせん分岐ぶんきしている)。このほか、カリャリからはカルボーニアおよびイグレージアスむす路線ろせんている。

トレニタリアの車両しゃりょうは、アルストムしゃの"Minuetto"のような気動車きどうしゃ主力しゅりょくであるが、高速こうそくしき車両しゃりょうCAFの Class 598 や、タルゴ XXI)も導入どうにゅうされる。

サルデーニャ鉄道てつどう

一般いっぱんサルデーニャ鉄道てつどう(FdS)のられる狭軌きょうき鉄道てつどうは、ARSTのいち部門ぶもんであり、"ARST Gestione FdS"(ARST経営けいえいFdS)が正式せいしき名称めいしょうである。しま北部ほくぶサッサリアルゲーロポルト・トッレスなどをむす路線ろせん中部ちゅうぶマコメールヌーオロむす路線ろせん南部なんぶにカリャリとイジーリとをむす路線ろせんがあるが、カリャリやサッサリ近郊きんこう電化でんかされたトラムトレイン区間くかんのぞき、速度そくどおそい。

これら通年つうねん運行うんこう路線ろせん以外いがいにも、トレニーノ・ヴェルデTrenino Verde, 「みどりちいさな列車れっしゃ」)というぶし運行うんこう観光かんこう路線ろせんがあり、島内とうないもっと自然しぜんゆたかなエリアをはしっている。速度そくどおそぶん道路どうろからはえないような素晴すばらしい車窓しゃそうたのしむことができる。南部なんぶではカリャリ - アルバタックス(トルトリ)、西部せいぶでマコメール - ボサ・マリーナ、北部ほくぶではサッサリ - パラウあいだ運行うんこうされている。

FdSの路線ろせんはすべて狭軌きょうきであり、FSとFdSが共用きょうようするサッサリえき構内こうないにはさんせん軌条きじょう区間くかん存在そんざいする。

自然しぜん環境かんきょう[編集へんしゅう]

かわいだコルクのみき

 

サルデーニャはゆたかな自然しぜん資源しげんめぐまれており、チチュウカイモンクアザラシイノシシをはじめ、おおくの希少きしょうしゅ動植物どうしょくぶつ生息せいそくしている。一方いっぽう大陸たいりくのどこにでもいるクサリヘビやマーモットひとしおおくのたね存在そんざいしないという特徴とくちょうがある。

人間にんげんはなされて野生やせいした野生やせいジャーラ生息せいそくしている。

砂浜すなはまひろがるビーチは、風光ふうこう明媚めいびられており、観光かんこうきゃくがお土産みやげとしてすなかえれいこうたない。2018ねん政府せいふ環境かんきょう保護ほごするため、すなしまがいものたいして罰金ばっきんすことを決定けっていした[5]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

カリャリのカルロ・フェリーチェぞう

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ[編集へんしゅう]

ゆかりの人物じんぶつ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 国立こくりつ統計とうけい研究所けんきゅうじょ(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Sardegna (dettaglio provinciale) - Censimento 2001.” (イタリア). 2012ねん11月4にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c 国立こくりつ統計とうけい研究所けんきゅうじょ(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2011 by sex and marital status” (英語えいご). 2012ねん11月4にち閲覧えつらん
  3. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)の解説かいせつ”. コトバンク. 2018ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  4. ^ 国立こくりつ統計とうけい研究所けんきゅうじょ(ISTAT). “La lingua italiana, i dialetti e le lingue stranieri” (pdf) (イタリア). p. 5. 2012ねん11月3にち閲覧えつらん
  5. ^ りでけんか、水浴みずあびも 「トレビのいずみ」のなや”. CNN (2018ねん8がつ25にち). 2018ねん8がつ31にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]