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傭兵ようへい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スイスルツェルンてられている「なげきのライオン」ぞう
フランス革命かくめいさい国王こくおうルイ16せい命令めいれいまもり、降伏ごうぶく市民しみん無抵抗むていこうのまま殺害さつがいされたスイスじん傭兵ようへいいたる慰霊いれいである。
国土こくど大半たいはん山岳さんがく地帯ちたいであるため、農業のうぎょう産業さんぎょうそだたないまずしいくにだったかつてのスイスをささえていたのは「輸出ゆしゅつ」とばれる傭兵ようへいぎょうであった。

傭兵ようへい(ようへい、えい: mercenary)は、金銭きんせんなどの利益りえきによりやとわれ、直接ちょくせつ利害りがい関係かんけい戦争せんそう参加さんかするへいまたはその集団しゅうだんである。

やとい」という漢字かんじ常用漢字じょうようかんじおよび新聞しんぶん漢字かんじひょうふくまれないため、一部いちぶ新聞しんぶんとう報道ほうどうでは「やとへい」と表記ひょうきされる[1]

傭兵ようへい現代げんだいでも存在そんざいしており、民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃのようなあたらしい形態けいたい傭兵ようへい登場とうじょうしている。

概説がいせつ

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さんじゅうねん戦争せんそう虐殺ぎゃくさつえがいた
戦争せんそう参加さんかした傭兵ようへいたちおこなった残虐ざんぎゃく行動こうどう略奪りゃくだつ原因げんいんとなり、当時とうじのドイツでは人口じんこう激減げきげんした。
この惨禍さんか教訓きょうくんフーゴー・グローティウスが『戦争せんそう平和へいわほう』をあらわ国際こくさいほう基礎きそきずかれた。

直接ちょくせつ利害りがい関係かんけいのない第三者だいさんしゃでも、大義たいぎ信念しんねん信仰しんこうなどにもとづく、金銭きんせん主要しゅよう目的もくてきでないものは義勇ぎゆうへいぶが、両者りょうしゃ区別くべつはさほど厳密げんみつではない。また国軍こくぐん職業しょくぎょう軍人ぐんじん金銭きんせんやとわれているが、利害りがい関係かんけいのある自国じこくのためにたたかうため傭兵ようへいとはばない。もっとも、近代きんだい国家こっか成立せいりつ以前いぜんは、給料きゅうりょうをもらう職業しょくぎょう軍人ぐんじんはしばしば傭兵ようへいしょうされた。

19世紀せいき近代きんだい国民こくみん国家こっか成立せいりつ以前いぜんにおいては、傭兵ようへいは、市民しみんへい封建ほうけんへい徴集ちょうしゅうへい奴隷どれいへいなら主要しゅようへいひとつであった。

17 - 18世紀せいき近世きんせいはい各国かっこく中央ちゅうおう集権しゅうけんすすむと、国民こくみんから構成こうせいされる常備じょうびぐん創設そうせつされるようになり、従来じゅうらい比較ひかくすると傭兵ようへい需要じゅようったが、継続けいぞくてき戦争せんそうおこなわれるなか傭兵ようへい常備じょうびぐんならび、封建ほうけんぐんわる兵力へいりょくとして使用しようされた(さんじゅうねん戦争せんそうなど)。しかし、ニッコロ・マキャヴェッリは『君主くんしゅろん』のなかで、その当時とうじフィレンツェ傭兵ようへい依存いぞんしている状況じょうきょう批判ひはんして市民しみんぐん創設そうせつすべきであると主張しゅちょうし、また、実際じっさい近代きんだい国家こっか成立せいりつ国民こくみんぐんつくられるなどしており、傭兵ようへい国家こっか忠誠ちゅうせいくさずに金銭きんせんのために戦争せんそうをする戦争せんそうであるとして、傭兵ようへいたよることが問題もんだいされるようになり、また傭兵ようへい自体じたい戦争せんそうなどとして非難ひなんされることがある。

近代きんだい帝国ていこく主義しゅぎ時代じだいには、正規せいき軍事ぐんじ行動こうどう母国ぼこく思惑おもわくしたがって実施じっしする私兵しへい民兵みんぺいいち類型るいけい組織そしき傭兵ようへいてき利用りようされた。

現在げんざいでは、傭兵ようへい国際こくさいほううえ戦闘せんとういんとしてみとめられていないが、アフリカ紛争ふんそうでは、民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃやとわれた事実じじつじょう傭兵ようへい暗躍あんやくしていると指摘してきされている[2]。また、その地域ちいき民族みんぞく宗教しゅうきょう紛争ふんそうなどでも、義勇ぎゆうへい傭兵ようへいりょう要素ようそをもったもの参加さんかしているれいおおい。イラク戦争せんそうにおいては、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく連邦れんぽう政府せいふが「民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ」を大々的だいだいてき導入どうにゅうした。2007ねん10がつ現在げんざい各社かくしゃわせてべい正規せいきぐんえる18まんにん[よう出典しゅってん]活動かつどうちゅうといわれる。そのうちのすくなからぬ部分ぶぶん事実じじつじょう傭兵ようへいであるとおもわれるが、業務ぎょうむ性質せいしつじょう詳細しょうさいおおやけになっていない。2022ねんロシアのウクライナ侵攻しんこうにおいては、「ワグネル・グループ」の活動かつどう国際こくさいてきられている。

国家こっか傭兵ようへい使用しようあるいは支援しえん禁止きんしすることを明文化めいぶんかした傭兵ようへい募集ぼしゅう使用しよう資金しきん供与きょうよおよ訓練くんれん禁止きんしする条約じょうやくは1989ねん国際こくさい連合れんごう総会そうかいにおいて採択さいたくされ、2001ねん発効はっこうしたが、2008ねん11がつ現在げんざい締約ていやくこくは32ヶ国かこくにとどまっている。

歴史れきしてき傭兵ようへい雇用こよう困難こんなんは、解雇かいこする場合ばあいしょうじる場合ばあいおおい。紀元前きげんぜん240ねんだいいちポエニ戦争せんそう終結しゅうけつカルタゴ解雇かいこ条件じょうけん不満ふまんしめした傭兵ようへい反乱はんらんなやまされ、ハミルカル・バルカめい鎮圧ちんあつおこなわせている[3]豊臣とよとみ大坂おおさかふゆじんにおいてやとれた浪人ろうにん処断しょだん難渋なんじゅうし、それが遠因えんいんとなり大坂おおさかなつじんまねいている[4][5]

一般いっぱんてき傭兵ようへいは「かね次第しだい雇主やといぬし裏切うらぎるならずもの」、「規律きりつまもらない乱暴らんぼうしゃ」、「一匹狼いっぴきおおかみ」といったイメージをたれがちであるが、傭兵ようへいれの形態けいたい当該とうがい組織そしき関連かんれん組織そしきからの接触せっしょく、もしくは過去かこ行動こうどうともにした仲間なかまからの紹介しょうかいなど(直接ちょくせつ武装ぶそう組織そしき接触せっしょくしてみをかける方法ほうほうもある)が大半たいはんであるため、技術ぎじゅつもとより雇主やといぬしどう業者ぎょうしゃからの信用しんよう交渉こうしょう対人たいじん能力のうりょくもとめられており、悪質あくしつもの排斥はいせきされるというのが実際じっさいである。ただし、それは雇用こようぬしたいしての場合ばあいであり、傭兵ようへいによるてきがわへの略奪りゃくだつ残虐ざんぎゃく行為こういなどが歴史れきしてきすくなからず記録きろくされているのも事実じじつである。軍事ぐんじ史家しかのクレーナー[だれ?]は、傭兵ようへい戦争せんそう当事とうじしゃであると同時どうじ犠牲ぎせいしゃでもあるとひょうしている[6]

定義ていぎ

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1977ねんジュネーブ条約じょうやくだいいち追加ついか議定ぎていしょだい47じょうでは「傭兵ようへい」を以下いかにあげる事柄ことがらすべたす場合ばあい定義ていぎし、該当がいとうする傭兵ようへいにはジュネーブ条約じょうやくだい47じょう規定きていする「戦闘せんとういん」としての待遇たいぐうみとめていない。

  • 武力ぶりょく紛争ふんそうにおいてたたかうために現地げんちまた国外こくがい特別とくべつ採用さいようされていること。
  • 実際じっさい敵対てきたい行為こうい直接ちょくせつ参加さんかしていること。
  • しゅとして私的してき利益りえきたいとの願望がんぼうにより敵対てきたい行為こうい参加さんかし、ならびに紛争ふんそう当事とうじしゃによりまた紛争ふんそう当事とうじしゃにおいて、当該とうがい紛争ふんそう当事とうじしゃ軍隊ぐんたいにおいて類似るいじ階級かいきゅうぞくおよ類似るいじ任務にんむゆうする戦闘せんとういんたいして約束やくそくされまた支払しはらわれるがく相当そうとう上回うわまわ物質ぶっしつてき報酬ほうしゅう実際じっさい約束やくそくされていること。
  • 紛争ふんそう当事とうじしゃ国民こくみんでなく、また、紛争ふんそう当事とうじしゃ支配しはいしている地域ちいき居住きょじゅうしゃでないこと。
  • 紛争ふんそう当事とうじしゃ軍隊ぐんたい構成こうせいいんでなく、また、紛争ふんそう当事とうじしゃでないくに自国じこく軍隊ぐんたい構成こうせいいんとしておおやけ任務にんむ派遣はけんしたものでないこと。

傭兵ようへい募集ぼしゅう使用しよう資金しきん供与きょうよおよ訓練くんれん禁止きんしする条約じょうやくでは、武力ぶりょく紛争ふんそう目的もくてき以外いがいとして政府せいふ転覆てんぷく目的もくてき憲法けんぽう秩序ちつじょ弱体じゃくたい目的もくてき領土りょうど保全ほぜん妨害ぼうがい目的もくてきでも傭兵ようへい対象たいしょうとしている。

国民こくみんぐんとのちが

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徴兵ちょうへいせいまたは志願しがんせいによる国民こくみんぐん軍人ぐんじんも、そのおおくは報酬ほうしゅうっているが、かれらを傭兵ようへいぶことはない。それは、その歴史れきしてき経緯けいい由来ゆらいする。

元来がんらい兵役へいえき自己じこぞくする共同きょうどうたい維持いじするための義務ぎむであり報酬ほうしゅうであった。このことから兵役へいえきあがなぜいという意味いみ血税けつぜいという言葉ことばまれている。
おおくのくにでは初期しょきにあっては装備そうびひんですら各人かくじん負担ふたんであった。しかし長期ちょうき戦争せんそうたたかい、国土こくど拡大かくだい、あるいは防衛ぼうえいするためには、兵役へいえきつとめるものとその家族かぞく生活せいかつ保障ほしょうする必要ひつようがある。この生活せいかつ保障ほしょう必要ひつようせいから、兵役へいえき報酬ほうしゅう支払しはらわれるようになったのである」

このように、国民こくみんぐん軍人ぐんじん元来がんらい報酬ほうしゅう義勇ぎゆうへい現在げんざいでいうボランティア)であり、純粋じゅんすい職業しょくぎょうとしてではなく、共同きょうどうたいぞくするものとしての義務ぎむたしているという性質せいしつじょうから、給与きゅうよ支払しはらわれていてもこれを傭兵ようへいとはぶことはない。

長期ちょうきせんたたかうには、上記じょうきのように国民こくみんぐん編成へんせいする以外いがい方法ほうほうもある。それが傭兵ようへいである。国民こくみんぐんはある程度ていど義務ぎむもの編成へんせいされるが、傭兵ようへいはその義務ぎむわず、しゅとして報酬ほうしゅう目的もくてきとするもの構成こうせいされるというちがいがあるだけである。

歴史れきしじょう傭兵ようへい

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傭兵ようへいみずからの肉体にくたいしか財産ざいさんたない男性だんせい数少かずすくない職業しょくぎょうでもあったため、その歴史れきし非常ひじょうふるく、身分みぶん職業しょくぎょう分化ぶんかはじめたころにはすでに戦争せんそう従事じゅうじして日々ひびかて人々ひとびとがいたと推測すいそくされる。古代こだいオリエントでは徴兵ちょうへいぐん傭兵ようへいぐん奴隷どれいぐん軍隊ぐんたい構成こうせい要素ようそであった。

傭兵ようへいとその兵種へいしゅ区別くべつ容易よういになる古代こだい以降いこうでは、へいのなりすくない文化ぶんか程度ていどたかゆたかなくに[よう出典しゅってん]古代こだいギリシアローマひがしマ帝国まていこく、イタリア都市とし国家こっか)がやとれいや、直属ちょくぞくぐんすくない封建ほうけんせい国家こっか君主くんしゅが、直属ちょくぞくぐん補強ほきょうとして使つかれいがある。また、一般いっぱんてき戦闘せんとうさい臨時りんじ援軍えんぐんとして使つかわれた。

日本にっぽん

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山田やまだ長政ながまさ

日本にっぽん武士ぶしふる段階だんかいにおいては傭兵ようへいてき要素ようそ多分たぶんゆうしていたとわれている。律令制りつりょうせい衰微すいびともなって軍団ぐんだんわってもうけられた健児けんじいさお調しらべ免除めんじょけたうえへいなどの名目めいもく多額たがくかねまい支給しきゅうされていた。その軍団ぐんだんせい復活ふっかつするものの、実態じったい徴兵ちょうへいせいてきなものから傭兵ようへいてき制度せいど移行いこうしていくことになる。 たとえば、天平てんぺい12ねんきた藤原ふじわらひろ嗣のらんにおいて、戦闘せんとう帰趨きすうけっしたのは徴兵ちょうへいあつめた軍団ぐんだんへいではなく、隼人はやと私兵しへいとして郡司ぐんじやとわれていた騎馬きばへいだった[7]

大同だいどう元年がんねん10がつに、蝦夷えぞ俘囚ふしゅう640にん太宰府だざいふ移動いどうさせて防人さきもりにしたのをはじめとして、9世紀せいきつうじて朝廷ちょうてい東国とうごく戦争せんそう捕虜ほりょ給養きゅうようし、防人さきもり海賊かいぞく対策たいさくとして西国さいこく活用かつようした[7]大同だいどう4ねん6月11にち太政官だじょうかんには京都きょうと守備しゅびへい増員ぞういんさいに、徴兵ちょうへいされたものが「兵士へいしりょう兵士へいしぜに)」をおさめてこれをまぬかれ、わりに兵士へいしとなるものを雇用こようしている実態じったいあきらかにされている。 また、もとけい7ねんあらたな海賊かいぞく対策たいさくとして、募集ぼしゅうあつめた浪人ろうにん官費かんぴ装備そうびあたえ、要害ようがい守備しゅびさせる「禦賊兵士へいし制度せいど」をもうけている。これらの職業しょくぎょう軍人ぐんじん募集ぼしゅうは、10世紀せいき諸国しょこく実力じつりょくしゃが「諸家しょか兵士へいし」「諸国しょこく兵士へいし」とばれる私兵しへいたくわえて組織そしきしていく傭兵ようへい制度せいどもととなった[7]

また、地方ちほうかんとなった受領じゅりょういたるには一般いっぱんてきには自分じぶんたちまも兵力へいりょくゆうしていなかったために武芸ぶげいすぐれたものを一時いちじてきに「郎党ろうとう」としてやとれていることがあった。『枕草子まくらのそうし』には除目じもくさい受領じゅりょう候補者こうほしゃとされるひとしたひとあつまってきたが、受領じゅりょうになれなかったといてっていったという描写びょうしゃがあるが、こうしたひとなかには「郎党ろうとう」となってその経済けいざいてき恩恵おんけいまえあずかろうとした人達ひとたちふくまれていたとかんがえられている。『くもしゅう消息しょうそく』にも「参議さんぎ藤原ふじわらぼうよりぜん将軍しょうぐんひらぼう護衛ごえいへいける」書簡しょかん文例ぶんれいせられているが、これもこうした傭兵ようへいてき慣習かんしゅう存在そんざい裏付うらづけている。

中世ちゅうせい以後いご武士ぶし土地とちとのつながりが密接みっせつだったほか、しばしば長期ちょうき平和へいわ戦争せんそう途絶とだえることがあったため、傭兵ようへいてき要素ようそ次第しだいうしなわれていくことになるが、規模きぼちいさかったものの南北なんぼくあさ時代じだいには海賊かいぞくしゅわれる水軍すいぐん勢力せいりょく悪党あくとう野伏のぶせり野武士のぶしばれるはんのう武装ぶそう集団しゅうだん雑兵ぞうひょう広義こうぎてき足軽あしがるなかには、せんつぎにして、らんさまたげばかりおこなうケースがおお存在そんざいした。)などが比較的ひかくてきポピュラーであったほか、雑賀さいか根来ねごろなどの鉄砲てっぽう伊賀いが甲賀こうが忍術にんじゅつといった特殊とくしゅ技能ぎのう集団しゅうだん傭兵ようへいてきやとわれた。応仁おうにんらんにはほねかわどうけん代表だいひょうされるきょうちゅう悪党あくとうばれる集団しゅうだん屏風びょうぶにもえがかれている。

また、出自しゅつじいやしくても、当時とうじ器用きようじん」とばれた有能ゆうのう武士ぶし主人しゅじん幾度いくどえ、自分じぶん才能さいのうみ、藤堂とうどう高虎たかとらのように大名だいみょうにまで出世しゅっせしたものもおり、事実じじつじょう傭兵ようへいともえる。かれらの目的もくてき金銭きんせんてき恩賞おんしょうというよりは、むしろ功績こうせきたいして主君しゅくんからされる感状かんじょうにあり、これをけることで、つぎ仕官しかんにおいてたか報酬ほうしゅうることが可能かのうとなった。また、身分みぶんべつなく、みずからを戦力せんりょくとして大名だいみょうりするものもいた。かれらはじんい、みずか武具ぶぐ兵糧ひょうろう用意よういして戦場せんじょうけつけ、せん参加さんかした。恩賞おんしょう確実かくじつもらえたわけではないが、これによってげた武士ぶしもいる。

このようなもののもっとだい規模きぼれい大坂おおさかじんだい坂城さかき入城にゅうじょうした浪人ろうにんであろう。しかしこのせん大坂おおさかかたけ、日本にっぽんでは徳川とくがわ幕府ばくふによる天下てんか統一とういつげられた。

せんくなった国内こくない活動かつどう余地よちがなくなり、日本にっぽん武士ぶし多数たすう海外かいがい流出りゅうしゅつしたのが当時とうじ現象げんしょうであった。浪人ろうにんなかには、山田やまだ長政ながまさのようにアユタヤプノンペンなどにわた現地げんち王朝おうちょうやとわれるものあらわれた。ピーター・ウォーレン・シンガーによるとイギリスひがしインド会社かいしゃ傭兵ようへい半数はんすう日本人にっぽんじんであったとのことである。また、アンボイナ事件じけんにおいて日本人にっぽんじん傭兵ようへい殺害さつがいされる事件じけんがおきている。こうしたことから海外かいがいでの日本人にっぽんじん傭兵ようへい活動かつどう片鱗へんりんをうかがうことができる。

近世きんせいになると、臨時りんじやとへい雑兵ぞうひょうは、足軽あしがる大名だいみょうに「常勤じょうきん」による同心どうしん身分みぶんとしてやとわれることがおおかったのと比較ひかくすると、不利ふり部分ぶぶんおおもと中間ちゅうかん下人げにんばれる身分みぶん武家ぶけ奉公人ほうこうにんとして必要ひつようだけやとわれる「正規せいき雇用こよう」の身分みぶんとなることがおおかった。

そして、明治維新めいじいしんて、武士ぶし集団しゅうだん解体かいたいされ近代きんだい国家こっかとして徴兵ちょうへいによる国民こくみんぐん形成けいせいされるにいたり、金銭きんせん雇用こようされる兵員へいいんという身分みぶん日本にっぽんからは消滅しょうめつした。

ヨーロッパ

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「コンドッティエーレ」(レオナルド・ダ・ヴィンチ

古代こだいギリシア、ローマでは当初とうしょ市民しみんけんゆうするもの自発じはつてきぐん参加さんかする市民しみんへい主力しゅりょくであったが、やがて市民しみん兵制へいせい衰退すいたいし、傭兵ようへいたよ割合わりあい増加ぞうかしていった。辺境へんきょう民族みんぞく傭兵ようへいとなることがおおく、きたアフリカしょ部族ぶぞくガリアじんなど、のちにゲルマンじん移動いどうはじまると、これをさかんに傭兵ようへいとしてやとったが、のちには国境こっきょう近辺きんぺん定住ていじゅうさせ、屯田とんでんへいのようなかたちにすることがおおくなった。

またマラトンのたたかじゅうそう歩兵ほへい威力いりょくったペルシア帝国ていこくにおいても、多数たすうのギリシアじん傭兵ようへい雇用こようされた時期じきがある[8]兵士へいし不足ふそくしたマ帝国まていこくでは市民しみんけんるために補助ほじょへいとなる植民しょくみん市民しみんぞく州民しゅうみん多数たすう存在そんざいしたが、カラカラみかどによるアントニヌスみことのりれいけてそうした自由じゆうみん市民しみんけんると、へいのなり不足ふそくして、マ帝国まていこくはその兵力へいりょくおおくを同盟どうめい部族ぶぞくフォエデラティ)や傭兵ようへいたよることとなった。

中世ちゅうせいにおいては、西欧せいおう戦闘せんとう主力しゅりょく騎士きし中心ちゅうしんとした封建ほうけんぐんであったが、国王こくおう直属ちょくぞくぐん補強ほきょう戦争せんそう臨時りんじ援軍えんぐんとして傭兵ようへい利用りようされた。

傭兵ようへいとなるのは初期しょきにはノルマンじんのちには王制おうせい発達はったつフランドルスペインブルゴーニュイタリアひとなどがおおかった。ビザンティン帝国ていこくでは主力しゅりょくとしてフランクじんノルマンじんアングロ・サクソンじん傭兵ようへい使つかわれた。この時期じき傭兵ようへいてきたおして雇用こようぬしから報酬ほうしゅうだけでなく、戦場せんじょうでの略奪りゃくだつてき有力ゆうりょくしゃ誘拐ゆうかい身代金みのしろきんなども収入しゅうにゅうとしていて、戦争せんそう長引ながびかせるヤラセ戦争せんそうおこなっていた。傭兵ようへい雇用こよう契約けいやくによって成立せいりつしていたので、てき味方みかた陣営じんえいかかわらずもっと高値たかね雇用こようぬし契約けいやくすることなどもおこなわれ、「主君しゅくん主君しゅくん主君しゅくんではない」という言葉ことばがこの時代じだい傭兵ようへい立場たちばあらわしている[8]

国家こっか傭兵ようへい個人こじんとではなく、複数ふくすう兵士へいしあつまった傭兵ようへいだんフリーカンパニー)と契約けいやくしていたが、傭兵ようへいだん補強ほきょうのため正式せいしき叙勲じょくんされていない自称じしょう騎士きしくろ騎士きし)やフリーランサー傭兵ようへいやとれていた。

中世ちゅうせいわりから近世きんせいにかけてイタリアの都市とし国家こっか独立どくりつせいたかめ、傭兵ようへい需要じゅようびたため、シニョーレばれるイタリアのしょう君主くんしゅ私兵しへいごとんだ。これらの契約けいやく形態けいたいコンドッティエーレばれる。

近世きんせいはいると王権おうけんつよくなり、軍隊ぐんたい維持いじ能力のうりょくのあるくにおう傭兵ようへい部隊ぶたい中心ちゅうしんとした直轄ちょっかつぐん拡大かくだいさせるようになる(フランス王国おうこくにおけるスイス傭兵ようへいひとし)。やがて常備じょうびぐん自国じこくへい中心ちゅうしんとなるが、戦争せんそう定常ていじょうてきこるなか傭兵ようへいおおきな役割やくわりたした(ドイツ傭兵ようへいランツクネヒトなど)。オラニエこうウィレムひきいたスペインにたいする反乱はんらんぐんも、初期しょきはほとんどがドイツじん傭兵ようへいめられていた。

海軍かいぐんだい規模きぼ常備じょうびされるようになる以前いぜんは、海戦かいせん主力しゅりょく臨時りんじやとわれる海賊かいぞく海運かいうん業者ぎょうしゃたちであった。16世紀せいきから18世紀せいきさかんになったわたしかすめせん民間みんかんせん臨時りんじわたしかすめ免許めんきょあたえていただけで、うみ傭兵ようへいともいえる。

近代きんだい以降いこうは、フランス革命かくめいにより国民こくみん国家こっか創設そうせつされると、国民こくみん愛国心あいこくしんうったえた軍制ぐんせいである国民こくみんぐんという発想はっそうてくる。国民こくみんぐん傭兵ようへいより維持いじ安価あんかで、大量たいりょう動員どういんできることや国家こっか国民こくみんとの一体化いったいかはかることができるなどの利点りてんから、傭兵ようへい重要じゅうようせいひくくなった。しかし、アジア、アフリカ、みなみアメリカとう植民しょくみんにおいて、傭兵ようへいてき性格せいかく正規せいきぐん民兵みんぺい)が利用りようされた。えいしるしぐんグルカへいシク教徒きょうとたちもそのるいだが、19世紀せいきにはスイスが国民こくみん傭兵ようへい活動かつどうきんじたことからカナダ出身しゅっしんしゃ傭兵ようへいおおく、クリミア戦争せんそうをはじめイタリア統一とういつ戦争せんそう南北戦争なんぼくせんそうメキシコ干渉かんしょうにも多数たすう参加さんかしていたという記録きろくもある。また、フランスでは1831ねんに、実質じっしつじょう傭兵ようへい部隊ぶたいである「フランス外人がいじん部隊ぶたい」が創設そうせつされ、現在げんざいいたっている。

植民しょくみん経営けいえい傭兵ようへい

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ヨーロッパに傭兵ようへい地位ちい低下ていか目立めだってきた一方いっぽう、17世紀せいきには各国かっこくひがしインド会社かいしゃ自国じこく権益けんえき現地げんちじん他国たこくひがしインド会社かいしゃからまもるために会社かいしゃぐん編成へんせいしていた。これはヨーロッパじんもと士官しかん指揮しきかんとしてむかれ、兵卒へいそつ臨時りんじ雇用こようした傭兵ようへい構成こうせいされていた。おどした地域ちいきはインド大陸たいりくにおいてで、そのおもな構成こうせいいんはドイツやスイスの傭兵ようへい部隊ぶたい、そして現地げんちつのったスィパーヒーグルカへいなどの傭兵ようへいであった。植民しょくみん主義しゅぎ各国かっこくおこり、植民しょくみん経営けいえいひがしインド会社かいしゃから帝国ていこくへとうつっても基本きほんてき傭兵ようへい使用しようかんしてはわらなかった[9]

この時代じだいには近代きんだいてき軍隊ぐんたい国民こくみんぐん)を組織そしきしていたのはヨーロッパの先進せんしんこくのみで、おおくのくにでは臨時りんじ編成へんせいした民兵みんぺい部隊ぶたい傭兵ようへい支配しはい階級かいきゅう指揮しきする旧来きゅうらいてき組織そしきのこっていた。これらのくにではぐん近代きんだいのため、友好国ゆうこうこくから軍事ぐんじ顧問こもんだん派遣はけんしてもらうこともあったが、一部いちぶでは軍事ぐんじ教育きょういくけたヨーロッパの将校しょうこう指導しどう教官きょうかんとして直接ちょくせつ雇用こようすることもおこなわれた。やとわれた将校しょうこう外国がいこくじんであるため自国じこく軍人ぐんじんではなく、『指南しなんやくとして雇用こようした傭兵ようへい』であった。また火砲かほうあつかいなど近代きんだい兵器へいき運用うんようほう習得しゅうとくするため技術ぎじゅつ将校しょうこう招聘しょうへいおこなわれており、れいとしてイギリスぐん技術ぎじゅつ将校しょうこう測量そくりょう技師ぎし)だったウィリアム・ライトは、退役たいえきにエジプトぐん砲撃ほうげき指揮しきかんとしてむかれられている。日本にっぽんでは幕府ばくふ陸軍りくぐん創設そうせつにヨーロッパへの視察しさつなどで独自どくじ研究けんきゅうおこなったほか、フランス軍事ぐんじ顧問こもんだん指導しどうけ、幕府ばくふ海軍かいぐんオランダ海軍かいぐんから教官きょうかん派遣はけんけたが、エジプトのように個人こじん直接ちょくせつ契約けいやくすることはなかった。ただし、フランス軍事ぐんじ顧問こもんだん一部いちぶ義勇ぎゆうへいとして戊辰戦争ぼしんせんそう参加さんかした。

だい世界せかい大戦たいせん国際こくさい連合れんごう総会そうかいにおいて、1960ねん植民しょくみん独立どくりつ付与ふよ宣言せんげんがなされると、こうした植民しょくみん保有ほゆうこく直接的ちょくせつてき植民しょくみん経営けいえい困難こんなんとなった。そのため各国かっこく自国じこくへいではなく間接かんせつてきに、傭兵ようへい使つかって自国じこく権益けんえきまもろうとした。たとえば、コンゴから分離ぶんりしたカタンガこくのベルギーによる傭兵ようへい派遣はけんである。(またこの傭兵ようへいビアフラ内戦ないせんにおいてもイギリスやとわれている。このときイギリス目的もくてきイボぞくおお地域ちいきビアフラ共和きょうわこくとして独立どくりつさせることによる石油せきゆ利権りけん獲得かくとくであった[10]。)こうした傭兵ようへい派遣はけん国連こくれんにおいても問題もんだいとされた。この問題もんだいこう傭兵ようへい募集ぼしゅう使用しよう資金しきん供与きょうよおよ訓練くんれん禁止きんしする条約じょうやくにつながる。(参考さんこう安全あんぜん保障ほしょう理事りじかい決議けつぎ161、169など)

著名ちょめい傭兵ようへい

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傭兵ようへい分類ぶんるい

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厳密げんみつ分類ぶんるいすることはできず、実際じっさいには、以下いかのいくつかの特徴とくちょうねている場合ばあいおおい。

ヴァイキングノルマンじん)やゲルマンじんのように移動いどうしてきた、あるいは周辺しゅうへん民族みんぞく
戦闘せんとうには勇猛ゆうもうであるが、土地とちしがり、ときには雇用こようぬしがのっとられたり、略奪りゃくだつされる場合ばあいがある。辺境へんきょう土地とちあたえて屯田とんでんへいのように定住ていじゅうさせることもおおい。
イタリアしょう領主りょうしゅのように本拠地ほんきょちつもの
収入しゅうにゅう補完ほかんとして傭兵ようへい稼業かぎょうおこなう。統制とうせいれており、技術ぎじゅつたかい。職業しょくぎょう倫理りんりもありやとぬしをあからさまに裏切うらぎることはすくないが、政治せいじてきうら取引とりひきおこなったり、手抜てぬきをすることはある。またドイツのしょう領主りょうしゅのように、封建ほうけん領主りょうしゅでありながら(つまり主君しゅくんちながら)複数ふくすう相手あいて参戦さんせん契約けいやくむすものもあった。
強盗ごうとう騎士きし山賊さんぞくとうのたぐい
領地りょうちすくない(ほとんどい)しょう貴族きぞく騎士きしなどをリーダーとした、あぶれものアウトロー)の集団しゅうだんせんがあるときは傭兵ようへいとしてやとわれ、くなると略奪りゃくだつ強盗ごうとうなどをおこなうため庶民しょみん迷惑めいわくもととなった。
常備じょうび契約けいやくによるもの
まった相手あいて定常ていじょうてき雇用こようされる職業しょくぎょう軍人ぐんじん教皇きょうこうちょうフランス王国おうこくやとわれたスイスじん傭兵ようへいなど。常備じょうびぐん先駆せんくともいえるが、外国がいこくじんであるがためにうたがいのけられることもおおく、立場たちば不安定ふあんていであった。
みずからの意志いしによらないもの
さんじゅうねん戦争せんそうときには傭兵ようへいぐん勢力せいりょく維持いじのために、たびたび募兵ぼへいおこなわれていたが、体格たいかくめぐまれたもの強制きょうせい徴募ちょうぼされることもすくなくなかった。また領主りょうしゅ領民りょうみん徴兵ちょうへいして「傭兵ようへい」としてはらうこともあった。

現代げんだい傭兵ようへい

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概要がいよう

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20 - 21世紀せいき現代げんだいにおいても各地かくち戦争せんそう紛争ふんそうにおいて傭兵ようへい存在そんざいし、とく民族みんぞく宗教しゅうきょう紛争ふんそうなどでは傭兵ようへい存在そんざいがちらつく。これには当事とうじしゃ集団しゅうだん近代きんだいせんおこなうだけの能力のうりょく不足ふそくしていたり、敵対てきたい勢力せいりょくより戦力せんりょくじょう優位ゆうい素早すばや獲得かくとくするため傭兵ようへいやとうほうが便宜べんぎであるといった雇用こようしゃがわ事情じじょうや、経済けいざいてき理由りゆうにより危険きけんはあるもののこれにおうじようとする傭兵ようへいがわ事情じじょうがある。しかし現代げんだいでは 兵器へいきるい自前じまえ用意よういしなくてはならず 機密きみつ情報じょうほう流出りゅうしゅつ懸念けねんがあったり そもそも兵器へいき高度こうどして 傭兵ようへいでも訓練くんれん必要ひつようになったりと、すくなくとも先進せんしんこくにおいては下火したびとなっている。

広義こうぎでは、やとわれて戦争せんそうかんする仕事しごとおこなものすべてを傭兵ようへいぶこともあるが、ジュネーブしょ条約じょうやくだいいち追加ついか議定ぎていしょ傭兵ようへい定義ていぎ要約ようやくすると、「おも金銭きんせん利益りえき目的もくてきとして雇用こようされ、戦闘せんとう行為こういおこな第三国だいさんごくじん、およびその集団しゅうだんで、紛争ふんそう当事とうじこく軍隊ぐんたい構成こうせいいんとならないもの」に限定げんていされる。

したがって、狭義きょうぎ傭兵ようへいでは、アフリカなどで活躍かつやくした「個人こじんしょうグループの傭兵ようへい」のみがあてはまる。

傭兵ようへいたもの

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の「傭兵ようへいたもの」としては以下いかのものがげられる。 正規せいきぐんとしてあつかわれる外人がいじん部隊ぶたいについてはフランス外人がいじん部隊ぶたいなどを参照さんしょうのこと。

スイスじん傭兵ようへい

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バチカンこくのスイスじん傭兵ようへいれいは、中世ちゅうせいからの慣例かんれいもとづく儀仗ぎじょうへいである。現在げんざいスイス法律ほうりつでは傭兵ようへいとなることを禁止きんししており、儀仗ぎじょうへい唯一ゆいいつ例外れいがいとされている(バチカンの聖職せいしょくしゃ自力じりき領域りょういきまもこと出来できない)。

個人こじんまたはしょうグループの傭兵ようへい

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通常つうじょう著名ちょめい傭兵ようへいやとぬし契約けいやくわし、その傭兵ようへいもと以前いぜんからのグループやフリーランス傭兵ようへいあつまるという形態けいたいる。現代げんだい傭兵ようへい金銭きんせん利益りえきのためだけではなく、しばしば自己じこ支持しじする主義しゅぎ宗教しゅうきょうなどのがわってたたかうというてんで、歴史れきしてき傭兵ようへいとはちがい、義勇ぎゆうへいてき側面そくめんっている。

アンゴラ内戦ないせん参加さんかした「ワイルドギース」だい5コマンドのベレーぼう

傭兵ようへいくわわったおも紛争ふんそう

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著名ちょめい傭兵ようへい

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マイク・ホアー(1919ねん - 2020ねん
インドまれのアイルランドじんでイギリス軍人ぐんじんだい世界せかい大戦たいせんちゅうビルマ戦線せんせん日本にっぽんぐんたたかう。退役たいえきみなみアフリカ移住いじゅう。1961ねんだいいちコンゴ動乱どうらん白人はくじん傭兵ようへい企業きぎょうインターナショナル・カンパニーを設立せつりつだいコンゴ動乱どうらんではだい5コマンド「ワイルド・ギース」をひきいて活躍かつやく。その、コンゴでの経験けいけんから「無能むのう」とおもんでいたディナール(後述こうじゅつ)が、コモロでクーデターに成功せいこうしたことに刺激しげきされ、1981ねんのセーシェルのクーデターに参加さんかするが失敗しっぱい脱出だっしゅつ民間みんかん航空機こうくうき強奪ごうだつしたため、ハイジャック容疑ようぎはん傭兵ようへいほう違反いはんで10ねんけいけ、1988ねん釈放しゃくほうされる。みずからをモデルとした映画えいがワイルド・ギース』の監修かんしゅうもした。
アリステアー・ウィックス
イギリスでまれローデシア移住いじゅう。ローデシア軍人ぐんじんオックスフォおっくすふぉド大学どだいがく出身しゅっしんだいいちコンゴ動乱どうらんでインターナショナル・カンパニーに参加さんかだいコンゴ動乱どうらんではマイク・ホァーの副官ふっかんつとめる。マイク・ホァーはウィックスをもっと信頼しんらい出来でき副官ふっかんひょうしている。コンゴ動乱どうらん終結しゅうけつビアフラ戦争せんそうへビアフラがわとして参加さんか画策かくさくするがジョン・ピータースの妨害ぼうがいによって失敗しっぱいし、その行方ゆくえ不明ふめい
ロジャー・ファルケス英語えいごばん(1924ねん - 2011ねん)
フランスじん。レジスタンスとしてだい世界せかい大戦たいせんたたかってからサン・シール陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう卒業そつぎょうし、フランス外人がいじん部隊ぶたい士官しかんとしてインドシナやアルジェリアでたたかう。ぐんしてからは傭兵ようへいとなり、イエメンやカタンガ共和きょうわこくたたかう。
ジークフリート・ミュラー(1920ねん - 1983ねん
ドイツじんだい世界せかい大戦たいせんにはドイツ国防こくぼうぐん戦車せんしゃりょうへいとして参加さんかした。戦後せんご、アメリカ陸軍りくぐん軍属ぐんぞくさい軍備ぐんび委員いいんなどをてコンゴ動乱どうらんおり傭兵ようへいとなる。マイク・ホアーのもとたたかった。のちにいくつかの映画えいが登場とうじょう人物じんぶつのモデルにされた。
ジョン・ピータース
イギリスでまれローデシアに移住いじゅう。ローデシア軍人ぐんじんローデシアSAS所属しょぞく。1964ねんだい5コマンドに入隊にゅうたいし、ホァーの右腕うわんとして活躍かつやく。1965ねんには、ホァーよりだい5コマンドの指揮しきけんぐ。そのビアフラ戦争せんそうナイジェリア政府せいふがわとして参加さんか画策かくさくするが失敗しっぱいし、行方ゆくえ不明ふめい
ボブ・ディナール(1929ねん - 2007ねん
フランスじん。フランス軍人ぐんじんとしてインドシナモロッコたたかう。以降いこう傭兵ようへいとしてジンバブエイエメンイランナイジェリアベニンガボンアンゴラザイールげん・コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこく)、コモロたたかう(おも共産きょうさん勢力せいりょくたたかい、フランス政府せいふ暗黙あんもく支持しじがあったとかんがえられている)。ディナールの指揮しきするだい6コマンドの戦闘せんとうりょくには問題もんだいおおく、ホァーからは無能むのう指揮しきかんひょうされていたが、これはだい6コマンドの任務にんむ後方こうほう治安ちあん維持いじおものため、性質せいしつじょう、ホァーの部隊ぶたいのような迅速じんそく行動こうどうができなかったうえに、そもそもディナールは中間ちゅうかん管理かんりしょくであり、指揮しきけんはベルギー大使館たいしかん武官ぶかんにあったことをらなかった誤解ごかいからとおもわれる。ディナールにわせれば、ホァーは(人質ひとじち救出きゅうしゅついそがねばならない事情じじょうもあるにせよ)慎重しんちょうさをき、事実じじつだい5コマンドは戦果せんかえに死傷ししょうりつは40%にのぼっている。けっして無能むのう人物じんぶつではなく、大統領だいとうりょう警護けいご隊長たいちょうという立場たちばながコモロ実質じっしつてき支配しはいしゃとなっていた。1995ねん、コモロで逮捕たいほされたのち、フランスへ送還そうかんされ、10ヶ月かげつ服役ふくえきする。晩年ばんねんアルツハイマーびょうわずらっていた。
ジャン・シュラム(1929ねん - 1988ねん
ベルギーじんでマイク・ホアー、ボブ・ディナールなどとともにコンゴでたたかう。元々もともと軍人ぐんじんではなく、地元じもと裕福ゆうふく農場のうじょうぬし実業じつぎょうだい10コマンドの指揮しきかんで「ブラック・ジャック」の異名いみょうつ。1967ねん7がつ独裁どくさいしたモブツ政権せいけんに、コンゴでの白人はくじん資産しさん接収せっしゅう危惧きぐし、また部下ぶかとして苦楽くらくともにしてきたカタンガじんへの迫害はくがい現実げんじつのものとなったため、ディナールとんで、カタンガのもと首相しゅしょうチョンべをかつぎあげた傭兵ようへいによる反乱はんらんこすが、チョンべが誘拐ゆうかいされてばなをくじかれ、反乱はんらん失敗しっぱいする。なお、ディナールはこの反乱はんらんのための武器ぶきはこさいながだま負傷ふしょうしたり、アンゴラで騒動そうどうまれて足止あしどめされたりして、反乱はんらんには参加さんかできなかった。1968ねんにはベルギー帰国きこくするが、コンゴでモブツに反乱はんらん計画けいかくらそうとしたベルギーじん殺害さつがいしたとされ、その容疑ようぎ逮捕たいほされる。保釈ほしゃくちゅうの1969ねんにベルギーを出国しゅっこくしその行方ゆくえ不明ふめいとなる。その、1988ねんにブラジルで死去しきょしたとわれている。
コスタス・ゲオルギウ英語えいごばん(1951ねん - 1976ねん
キプロスじん。「カラン大佐たいさ」の異名いみょうつ。イギリス陸軍りくぐん落下傘らっかさん連隊れんたい所属しょぞくし、部隊ぶたいでは射撃しゃげき名手めいしゅとしてられるも素行そこう不良ふりょう除隊じょたい銀行ぎんこう強盗ごうとう服役ふくえきする。アンゴラ内戦ないせん最初さいしょ看護かんごとしてボランティア活動かつどう参加さんかし、このとき周囲しゅういからはかなりしたわれていたようである。しかしアンゴラ民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんのためにたたか傭兵ようへい部隊ぶたいひきいるようになると、性格せいかく異常いじょうさが明白めいはくになる。個人こじんてきには非常ひじょう勇敢ゆうかんであり、おそらく一人ひとりで100にん以上いじょうてきたおしているが、指揮しきかんとしての能力のうりょく不足ふそくと、残虐ざんぎゃく独裁どくさいてき性格せいかくにより、白人はくじん傭兵ようへいふくむ100にん以上いじょう隊員たいいん命令めいれい無視むしのかどで処刑しょけいしており、結局けっきょくはこのことが原因げんいん味方みかたからも見限みかぎられ、てきちゅう孤立こりつしてしまったとき救援きゅうえんることが出来できずにアンゴラ政府せいふぐんおよび顧問こもんのキューバぐん逮捕たいほされ、裁判さいばんすえ銃殺じゅうさつけいしょされた。
ピーター・マッカリース英語えいごばん(1942ねん - )
イギリスじん。イギリスぐんではSAS配属はいぞくされ、アンゴラ内戦ないせん傭兵ようへいとして参加さんかしたのちローデシアSAS、みなみアフリカ国防こくぼうぐんだい44空挺くうてい部隊ぶたい参加さんかする。そのCOINセキュリティ・グループの一員いちいんとしてコロンビアでメデジン・カルテルをスポンサーとするじゅん軍事ぐんじ組織そしき訓練くんれんし、のちパブロ・エスコバル暗殺あんさつ作戦さくせん参加さんか。ロシアではボディーガード養成ようせいおこなった。そのアルジェリア、イラクでも活動かつどうした。
ヤイール・クライン
イスラエルじん。イスラエル国防こくぼうぐん所属しょぞく、スピアヘッド・リミテッドを設立せつりつ。コロンビアのメデジン・カルテルのじゅん軍事ぐんじ組織そしき右翼うよく武装ぶそう集団しゅうだん武器ぶき訓練くんれんサービスを提供ていきょうした。その革命かくめい統一とういつ戦線せんせん武器ぶき供給きょうきゅうした容疑ようぎでシエラレオネ当局とうきょく拘束こうそくされるも脱走だっそう。2007ねんにコロンビアでのテロ支援しえん容疑ようぎからインターポールより国際こくさい指名しめい手配てはいけ、同年どうねん8がつにロシアのモスクワで逮捕たいほされる。
サイモン・マン(1952ねん - )
イギリスじん、イギリス軍人ぐんじん裕福ゆうふく家庭かていまれ、イートンこう卒業そつぎょう陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう入学にゅうがく近衛このえ歩兵ほへいだいさん連隊れんたい配属はいぞくされるが、SAS志願しがんぐん退役たいえきしたのち傭兵ようへいになる。アンゴラとシエラレオネ傭兵ようへい企業きぎょうエグゼクティブ・アウトカムズ」を派遣はけんし、のち傭兵ようへい企業きぎょうサンドライン・インターナショナル」を設立せつりつパプアニューギニア政府せいふやとわれブーゲンビルとう反乱はんらん鎮圧ちんあつ依頼いらいされる。1997ねん引退いんたいみなみアフリカへ移住いじゅう近所きんじょにはスペンサー伯爵はくしゃくマーク・サッチャーマーガレット・サッチャー息子むすこ)などのイギリス上流じょうりゅう階級かいきゅう邸宅ていたくならんでいた。2004ねん、ジンバブエで赤道せきどうギニアのクーデターを計画けいかくした容疑ようぎ逮捕たいほ、7ねんけいけた。この作戦さくせんはマーク・サッチャーが資金しきん援助えんじょくわわったとされる。くち達者たっしゃだが指導しどうしゃとしての能力のうりょくはからっきしだと評判ひょうばんわるい。
ニック・ドゥトワ
みなみアフリカじんぐん時代じだいだい32大隊だいたい特殊とくしゅ部隊ぶたい旅団りょだん所属しょぞくする。エグゼクティブ・アウトカムズの一員いちいんとしてリベリア・アンゴラ・シエラレオネでたたかい、武器ぶき売買ばいばいやダイヤモンド取引とりひきなどの事業じぎょうにもかかわるようになる。しかしその、サイモン・マンのクーデター未遂みすい事件じけん逮捕たいほされる。
コバス・クラセンス
みなみアフリカじんみなみアフリカ陸軍りくぐん除隊じょたいエグゼクティブ・アウトカムズに所属しょぞく同社どうしゃったのち警備けいび会社かいしゃ起業きぎょうし、ヘリテージ・グループ社長しゃちょう紛争ふんそう地帯ちたいにおける鉱山こうざん利権りけん興味きょうみしめしていたと発言はつげんする。映画えいがブラッド・ダイアモンド」でレオナルド・ディカプリオえんじていたもと傭兵ようへいのモデルとわれている。
フレッド・マラファノ英語えいごばん(1940ねん - 2013ねん
フィジーりょうロツマとう出身しゅっしんで、イギリス陸軍りくぐん入隊にゅうたいSASの隊員たいいんとなる。シエラレオネ内戦ないせんにおいてはエグゼクティブ・アウトカムズ入社にゅうしゃしたほか自警じけいだんカマジョーひきいて革命かくめい統一とういつ戦線せんせんたたかう。
ニール・エリス英語えいごばん(1949ねん -)
みなみアフリカじん。ローデシアぐん所属しょぞくし、そのみなみアフリカ空軍くうぐん所属しょぞく。エグゼクティブ・アウトカムズとサンドライン・インターナショナルに所属しょぞくして、40だいなかばと比較的ひかくてき高齢こうれいだったにもかかわらず、シエラレオネでは、助手じょしゅにんとともに、それぞれ国内こくないにたったいちしかなかった飛行ひこう可能かのうMi-24およびMi-8ヘリコプターを操縦そうじゅうして奮戦ふんせんし、にわたってRUFの首都しゅと攻撃こうげき阻止そしして、政府せいふ崩壊ほうかいふせいだ。このとき活躍かつやくで「ガンシップエース」の異名いみょうっている。その、50だいはいっても精力せいりょくてき活動かつどうしており、イギリス特殊とくしゅ空挺くうてい部隊ぶたいイギリスぐん兵士へいし救出きゅうしゅつ作戦さくせんにも参加さんかする。
ボブ・マッケンジー(1948ねん - 1995ねん
アメリカじんアメリカ陸軍りくぐん軍人ぐんじんとして、ベトナムたたかう。そのローデシアSASの隊員たいいんとしてローデシアでたたかい、以降いこう傭兵ようへいとしてエルサルバドルボスニアブーゲンビルとうなどで活躍かつやく。1995ねんシエラレオネはん政府せいふ勢力せいりょく革命かくめい統一とういつ戦線せんせん (RUF) をダイヤモンド鉱山こうざんなどからはらうため、「グルカ・セキュリティー・グループ」(GSG) の司令しれいかんとしてグルカへいれて、シエラレオネに到着とうちゃくするが、到着とうちゃくすぐにRUFぐん攻撃こうげきい、RUFのゲリラとの戦闘せんとう死亡しぼう遺体いたいせしめとしてRUFのゲリラべられた。
ロルフ・シュタイナー英語えいごばん(1933ねん - )
ドイツじんだい世界せかい大戦たいせんときにはヒトラー・ユーゲント参加さんかしたため、この世代せだいのドイツじんとしては当然とうぜんのことなのだが、「ナチス亡霊ぼうれいばわりされる。なお、国民こくみん突撃とつげきたい参加さんかしたともいわれているが、それは誤解ごかいらしい。戦後せんごフランス外人がいじん部隊ぶたいくわわりだいいちインドシナ戦争せんそうアルジェリア戦争せんそう参加さんか除隊じょたいこう傭兵ようへいとなり、カタンガこくやとわれコンゴ動乱どうらんにもかかわる。フランス政府せいふ紹介しょうかいビアフラ共和きょうわこくやとわれる。シュタイナーは傭兵ようへいとビアフラへいで「シュタイナー軍団ぐんだん」とばれただい4奇襲きしゅう旅団りょだん編成へんせいしておおきな成果せいかをあげるが、ストレスから精神せいしんにやや異常いじょうきたしていたという。泥酔でいすいした状態じょうたいでビアフラの指導しどうしゃチュクエメカ・オジュクのところにしかけて無礼ぶれいはたらいたとのことで、なかわるくなって追放ついほうされた。1969ねんには、スーダン内戦ないせんで、南部なんぶ黒人こくじんはん政府せいふ勢力せいりょく支援しえんするが失敗しっぱいウガンダ怪我けが療養りょうようをしていたところ、ウガンダ政府せいふ拘束こうそくされ、スーダン政府せいふ身柄みがらわたされる。死刑しけい宣告せんこくされたが、西にしドイツ政府せいふ尽力じんりょくにより、国外こくがい追放ついほう西にしドイツに帰国きこく体調たいちょうくずし、現役げんえきから引退いんたいした。フレデリック・フォーサイス小説しょうせつ戦争せんそういぬたち』に同名どうめい傭兵ようへい登場とうじょうし、そのモデルにもなっている。
ジョン・バンクス(1946ねん - ?)
イギリスじんイギリス空挺くうてい部隊ぶたい参加さんか除隊じょたい傭兵ようへいになる。1975ねん傭兵ようへい会社かいしゃインター・ナショナル・セキュリティー・オーガナイゼーション」を設立せつりつし、ローデシア仕事しごとをするために大々的だいだいてき傭兵ようへい募集ぼしゅうおこなう。しかし、土壇場どたんば金主きんしゅがキャンセルしたため、募集ぼしゅう中止ちゅうしまれる。金主きんしゅはイギリス政府せいふで、ローデシアへの交渉こうしょう圧力あつりょくカードとして利用りようされたといわれている。そのアンゴラ内戦ないせん参加さんかするが、行方ゆくえ不明ふめいとなる。
カール・グスタフ・フォン・ローゼン(1909ねん - 1977ねん
スウェーデンじんスウェーデン貴族きぞくで、伯爵はくしゃくである。傭兵ようへいうよりもしかけ義勇ぎゆうへい性格せいかくつよい。ナチス・ドイツ国家こっか元帥げんすいヘルマン・ゲーリング夫人ふじんカリン・フォン・カンツォフあねちちエリック・フォン・ローゼン1916ねんフィンランド独立どくりつ戦争せんそう義勇ぎゆうへいとして参戦さんせんし、その功績こうせきをたたえられてエリックが使用しようしていたあおスワスチカくにあきらとして使用しようされる。カールは民間みんかん航空こうくう会社かいしゃのパイロットであったが、ビアフラ戦争せんそうビアフラ共和きょうわこくへの支援しえん物資ぶっし運搬うんぱんしたことを契機けいきに、ビアフラ空軍くうぐん再建さいけんかかわり、みずか作戦さくせん指揮しきる。さらに、エチオピア内戦ないせん飢餓きがくるしむ難民なんみん支援しえん物資ぶっし投下とうかする「エチオピアのばくげき」をおこなう。しかし、1977ねんにエチオピアで地上ちじょう待機たいきちゅうソマリアじんゲリラに襲撃しゅうげきされ死亡しぼうした。
ウィリアム・アレクサンダー・モーガン(1928ねん - 1961ねん
キューバ革命かくめい勢力せいりょく7がつ26にち運動うんどう」に参加さんかしたアメリカじんで、社会しゃかい主義しゅぎ目指めざしたカストロ政権せいけんで、処刑しょけいされる。
ヤン・ズムバッハ(1915ねん - 1986ねん
ポーランドひとだい世界せかい大戦たいせんにおいてはだい303戦闘せんとう中隊ちゅうたい所属しょぞくしたエースパイロット。戦後せんご共産きょうさんした祖国そこく帰国きこくできず、スイスに居住きょじゅう。コンゴ動乱どうらんやビアフラ戦争せんそう関与かんよする。
毛利もうりもとさだ
自衛隊じえいたいだつしがらみフランス外人がいじん部隊ぶたい脱走だっそうした、危機きき管理かんり能力のうりょくたかもと傭兵ようへい軍事ぐんじアドバイザー、作家さっか
柘植つげひさけい
コンゴ動乱どうらん参加さんか自称じしょうであり、事実じじつであるかは不明ふめい
高部たかべ正樹まさき
アフガニスタン紛争ふんそうにてはつ実戦じっせん経験けいけん。そのカレンぞくともたたかい、またクロアチア傭兵ようへい部隊ぶたい「ビッグ・エレファント」の一員いちいんとして、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ふんそう参戦さんせんした経験けいけんつ。著書ちょしょによると「日本にっぽん資金しきんあつめて、(自分じぶんきたえるために)海外かいがいたたかう」がモットーである。高部たかべによれば、前線ぜんせん軍隊ぐんたいでは自分じぶんらないものを銃殺じゅうさつするあやまよそおった同士討どうしう頻発ひんぱつしており、自分じぶんいのちまもじょう重要じゅうようなことは、軍隊ぐんたいないてきつくらないことだという[11]
斎藤さいとう昭彦あきひこ(1961ねん1がつ5にち - 2005ねん5がつ
だい1空挺くうていだん所属しょぞくする陸上りくじょう自衛じえいかんであったが退職たいしょくし、1983ねん6がつから2004ねん12がつまでフランス外人がいじん部隊ぶたい在籍ざいせき部隊ぶたいでの最終さいしゅうてき肩書かたがきは上級じょうきゅう特務とくむ曹長そうちょう民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ「ハート・セキュリティ」しゃ傭兵ようへいとしてやとわれイラクで活動かつどうしていたところをイスラーム武装ぶそう組織そしきアンサール・スンナぐん」に拉致らちされ、殺害さつがいされた。(民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃこう参照さんしょうのこと)
テッド・新井あらい(1931ねん - 2007ねん2がつ5にち)
朝鮮ちょうせん戦争せんそう参加さんかみなみアフリカの傭兵ようへいチーム「LBRT」に所属しょぞく。その射撃しゃげきのインストラクターとなり、ボリビアに活動かつどう拠点きょてんうつした直後ちょくご観光かんこう旅行りょこうちゅう強盗ごうとう射殺しゃさつされる。
傭兵ようへい企業きぎょうばれた会社かいしゃ

航空機こうくうき艦艇かんていなどの操縦そうじゅう整備せいび訓練くんれん専門せんもんタイプ

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これは、冷戦れいせん時代じだい数多かずおおられたケースで、航空機こうくうき艦艇かんてい製造せいぞうこくである先進せんしんこくのパイロットや技術ぎじゅつしゃが、発展はってん途上とじょうこく空軍くうぐん海軍かいぐん派遣はけんされて技術ぎじゅつ指導しどう訓練くんれんばかりでなく、実戦じっせんにも参加さんかするケースである。現在げんざい兵器へいききわめて精密せいみつ緻密ちみつなために、高度こうど技術ぎじゅつ保有ほゆうしなければ運用うんよう整備せいびができなくなっているためということおおきい。

たとえば、リビア空軍くうぐんスーダン空軍くうぐん初期しょきエジプト空軍くうぐんなどではきゅうソビエト連邦れんぽうから派遣はけんされたパイロットが航空機こうくうき運用うんようしていた。また、だい世界せかい大戦たいせん以前いぜんタイ海軍かいぐん外国がいこくじん海軍かいぐん士官しかんおお存在そんざいしており、かれらが艦艇かんてい運用うんようとタイじん海軍かいぐん兵士へいし訓練くんれん担当たんとうしていた。また、やはりだい大戦たいせんちゅうのアメリカが、にちちゅう戦争せんそう中国ちゅうごく支援しえんため義勇ぎゆう部隊ぶたいそら賞金しょうきんかせぎ)「フライング・タイガース」を活動かつどうさせようとしていた(結局けっきょく実際じっさい部隊ぶたい戦闘せんとう参加さんかしたのは日米にちべい開戦かいせんになった)。このほか中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくフランス北朝鮮きたちょうせんなどがパイロットや教官きょうかん発展はってん途上とじょうこくおお派遣はけんしているといわれる。ベトナム戦争せんそうなかCIAかかわった「エア・アメリカ」もこのいちえよう。

アフリカ諸国しょこくなど発展はってん途上とじょうこくにおいては空軍くうぐん装備そうびばかりでなく訓練くんれんシステムも貧弱ひんじゃくであり、国民こくみんのパイロットが育成いくせいできない場合ばあいおおい。この場合ばあい内戦ないせん・クーデターなど緊急きんきゅう事態じたいにおいては傭兵ようへいのパイロットが航空機こうくうき運用うんようかかわることがしばしばある。チャド内戦ないせんにおいては、チャド空軍くうぐんA-1スカイレイダー攻撃こうげきはもっぱらフランスじん傭兵ようへい運用うんようしていた。

この場合ばあい契約けいやく国家こっかあいだもしくはそれにメーカーをくわえたケースがおおい。もっとも、国家こっかあいだ協定きょうていがなされ専門せんもん派遣はけんされるような場合ばあいに、実質じっしつてきにそれをどこまでが傭兵ようへいであり、どこからが軍事ぐんじ支援しえんぐん派遣はけんなどであるととらえるかの線引せんひきは、あきらかなものではない。

さらに、先進せんしん諸国しょこくであっても、ぐん合理ごうりさくとして比較的ひかくてき機密きみつ事項じこうすくない輸送ゆそう訓練くんれん支援しえん給油きゅうゆなど)を民間みんかん企業きぎょうもと軍人ぐんじん経営けいえいすることおおい)に委託いたくすることもあり、このてんでも線引せんひきは曖昧あいまいになりつつある。(くわしくは民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ参照さんしょうのこと。)

退役たいえき軍人ぐんじんとく特殊とくしゅ部隊ぶたいいん)を中心ちゅうしん構成こうせいされる「民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ」タイプ

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このタイプの傭兵ようへいについては民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ (PMC) のこう参照さんしょう

純粋じゅんすい営利えいり目的もくてきとして内戦ないせんクーデターかかわるということで、歴史れきしてき意味いみでの傭兵ようへいにもっともちかいといえる。ただし、特殊とくしゅ作戦さくせん航空こうくう作戦さくせんのぞいて直接ちょくせつ実戦じっせん参加さんかすることすくなく、顧問こもん教官きょうかんというかたち間接かんせつてき実戦じっせん参加さんかする。「雇用こようぬし」は正規せいき政府せいふおおく、ときには油田ゆでん鉱山こうざんなどそのくに利権りけんだい企業きぎょうである場合ばあいもある。

こうした傭兵ようへいもと特殊とくしゅ部隊ぶたいいんなどの軍人ぐんじん出身しゅっしんしゃ退役たいえき軍人ぐんじん)がおおく、組織そしきされて企業きぎょうされていることもある。イギリス、アメリカ、みなみアフリカ(現在げんざい非合法ひごうほう)などにこうした企業きぎょう存在そんざいする。大手おおて企業きぎょう一部いちぶには戦車せんしゃ装甲そうこう兵員へいいん輸送ゆそうしゃ榴弾りゅうだんほう攻撃こうげきヘリコプターといった、正規せいきぐん大差たいさない装備そうび独自どくじ保有ほゆうしていることもある。

ただし、表向おもてむきは「民間みんかん警備けいび支援しえんサービス」などとしょうする場合ばあいがほとんどである(さらに、民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ所属しょぞく傭兵ようへいは、「警備けいびいん」「警備けいび会社かいしゃ社員しゃいん」としょうすこともおおい)。実際じっさいに、当初とうしょ発展はってん途上とじょうこく治安ちあん悪化あっかしているくににおいてオフィス・工場こうじょう鉱山こうざんなどの警備けいびをしていたものを、発展はってん途上とじょうこく政府せいふ見込みこんで依頼いらいをしたというケースがおおい。

需要じゅようしゃとしては発展はってん途上とじょうこくおおい。これらのくに政府せいふぐん技術ぎじゅつ装備そうびとぼしく、また士気しき問題もんだいがあることもあって兵士へいしとしての十分じゅうぶん行動こうどう期待きたいできない場合ばあいがある。とく内戦ないせんかかえる発展はってん途上とじょうこく冷戦れいせん時代じだいにはかく陣営じんえいから支援しえんけて軍事ぐんじりょくでそれをおさんでいたが、冷戦れいせんわりそれもなくなってしまうと、そうした発展はってん途上とじょうこく反乱はんらん分子ぶんし鎮圧ちんあつ民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃたよるようになった。

さらに、内政ないせい不干渉ふかんしょう原則げんそくなどにより正規せいきぐん兵士へいし身分みぶんものかかわること困難こんなん任務にんむ存在そんざいする。このような場合ばあい政治せいじてきリスクがちいさい傭兵ようへいれるということになる。アフリカ諸国しょこくではきゅう宗主そうしゅこく思惑おもわくがからむ場合ばあいおおく、たとえば、アンゴラ内戦ないせんにおいては、冷戦れいせんてきであったみなみアフリカぐんもと兵士へいしたち主力しゅりょくとする傭兵ようへい企業きぎょうエグゼクティブ・アウトカムズ」が、1990年代ねんだい政府せいふぐん支援しえんおこない、一定いってい成果せいかげたといわれる[よう出典しゅってん]。また、西側にしがわ先進せんしんこく政府せいふ雇用こようぬしであることもおおい。この場合ばあい世論せろん動向どうこうから表立おもてだって軍事ぐんじ介入かいにゅうはできないが、国益こくえきやビジネスのためのかなり「ダーティー」な解決かいけつほうとして利用りようされる。当然とうぜん露見ろけんした場合ばあいのリスクはかなりたか[よう出典しゅってん]

さらに近年きんねん軍事ぐんじ予算よさん削減さくげん正規せいきぐん兵士へいし戦死せんし世論せろんから非難ひなんけるという傾向けいこうまえ、危険きけんせいたか地域ちいきでのパトロール任務にんむ民間みんかん警備けいび会社かいしゃ委託いたくするケースも見受みうけられるようになっている。イラク戦争せんそうにおいても正規せいきぐん以外いがい要人ようじん警護けいご特殊とくしゅ任務にんむ参加さんかしている「民間みんかんじん」が確認かくにんされている。これらもこうした傭兵ようへいひとつとかんがえられる。

傭兵ようへいになった場合ばあい法的ほうてき問題もんだい

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国家こっか編成へんせいした軍隊ぐんたい外人がいじん部隊ぶたい入隊にゅうたいしたものくに身分みぶん保障ほしょうするため、法的ほうてきには傭兵ようへいではなく正式せいしき軍人ぐんじんとしてあつかわれる。一方いっぽうで、企業きぎょう個人こじん雇用こようする傭兵ようへい場合ばあいは、「非合法ひごうほう戦闘せんとういん」あるいはたんなる犯罪はんざいしゃ解釈かいしゃくされ、捕虜ほりょになったとしてもジュネーブ条約じょうやくにおける捕虜ほりょ規定きてい適用てきようされずに処罰しょばつされる可能かのうせいたかい。また、自国じこく在外ざいがい機関きかんぐん救難きゅうなん部隊ぶたい援助えんじょもとめることは困難こんなんである。さらに、後者こうしゃてき戦闘せんとういんやテロリストとう殺害さつがいした場合ばあい、たとえ無事ぶじ帰国きこくしても、殺人さつじんざい国外こくがいはんとして自国じこく政府せいふばっせられる可能かのうせいがある。

くにによっては傭兵ようへいになること自体じたい犯罪はんざい行為こういとしているくにもあり、マイク・ホアーサイモン・マンのようにはん傭兵ようへいほう実刑じっけいけたれいもある。はん傭兵ようへいほうでは傭兵ようへい雇用こようしゃ資金しきん提供ていきょうしゃ処罰しょばつ対象たいしょうとしており、2005ねん1がつマーガレット・サッチャー長男ちょうなんであるマーク・サッチャーが赤道せきどうギニアのクーデターをたくらんでいた傭兵ようへいサイモン・マン資金しきん援助えんじょおこなった容疑ようぎ逮捕たいほされはん傭兵ようへいほう起訴きそ有罪ゆうざいになっている。日本にっぽんではISIL戦闘せんとういんとしてシリアかうことを計画けいかくした大学生だいがくせいわたしせん予備よびざいわたしせん陰謀いんぼうざい捜査そうさ対象たいしょうとされた[12]

このように現代げんだいでは法的ほうてき民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ立場たちば非常ひじょう明確めいかくであることが問題もんだいとなり、2008ねん9がつ17にちモントルー文書ぶんしょとして民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ人員じんいんたいする指針ししん作成さくせいされた。指針ししんであり条約じょうやくではないため、批准ひじゅんこくであってもまも義務ぎむいがどうあつかうべきか判断はんだんする基準きじゅんとなっている。2009ねん9がつ現在げんざい、スイスのモントルーでモントルー文書ぶんしょ正規せいき条約じょうやくとするための会議かいぎおこなわれている。

末端まったん兵士へいし賃金ちんぎん

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2010年代ねんだいリビアナゴルノカラバフおくられたシリアじん傭兵ようへいれいでは、月給げっきゅう3000ドルと死亡しぼう遺族いぞく補償ほしょうきん7まん5000ドルで契約けいやくおこなうものの、実際じっさいはブローカーのによりちゅうきがおこなわれ月給げっきゅうは800-1400ドルとなることが報告ほうこくされている[13]。とはいえ、遺族いぞく補償ほしょうがあるのは良心りょうしんてきで、有名ゆうめいなPMCのアメリカじん傭兵ようへいであっても、採用さいようには死亡しぼう補償ほしょういと警告けいこくされることがおおい。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ しん・ことば事情じじょう 4313「『傭兵ようへい』と『やとへい』」読売よみうりテレビ道浦みちうら俊彦としひこTIME、2011ねん2がつ23にち
  2. ^ ロバート・ヤング・ペルトン『ドキュメント 現代げんだい傭兵ようへいたち』すみ敦子あつこ(わけ)、はら書房しょぼう、2006ねんISBN 4562040440 
  3. ^ Wise, Terence (1982). Armies of the Carthaginian Wars 265-146 BC. Osprey Publishing. ISBN 0850454301 
  4. ^ 二木ふたき謙一けんいち大坂おおさかじん証言しょうげん史上しじょう最大さいだい攻防こうぼうせん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1983ねんISBN 4121007115 
  5. ^ りゅうたに和比古かずひこ関ヶ原せきがはら合戦かっせん大坂おおさかじん吉川弘文館よしかわこうぶんかん戦争せんそう日本にっぽん〉、2007ねんISBN 4642063277 
  6. ^ 鈴木すずき直志ただし『ヨーロッパの傭兵ようへい山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ世界せかいリブレット〉、2003ねん、30-31ぺーじISBN 4634348004 
  7. ^ a b c 福田ふくだ豊彦とよひこ福田ふくだ豊彦とよひこへん)、1993、「戦士せんしとその集団しゅうだん」、『いくさ』、中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中世ちゅうせいかんがえる〉 ISBN 4642027041 pp.72-81.
  8. ^ a b 阿部あべ琢磨たくま民間みんかん軍事ぐんじ会社かいしゃ世界せかい展開てんかい」『軍事ぐんじ研究けんきゅう2008ねん6がつごう』、ジャパン・ミリタリー・レビュー、2008ねん6がつ1にち 
  9. ^ #菊池きくち
  10. ^ #シンガー
  11. ^ 20ねん異国いこく戦場せんじょうたたかったもと日本人にっぽんじん傭兵ようへい/ミサイルばくげきひん⚫︎/同僚どうりょうあたまかれそく⚫︎/高部たかべ正樹まさき”. まちろくch〜あなたの人生じんせいおしえてください〜 (2022ねん12月27にち). 2022ねん12月27にち閲覧えつらん
  12. ^ わたしせん予備よびおよび陰謀いんぼう」とはどんなつみなのか イスラムこく参加さんか計画けいかく大学生だいがくせい事情じじょう聴取ちょうしゅ法曹ほうそう関係かんけいしゃおどろ”. J-CAST (2014ねん10がつ7にち). 2018ねん6がつ2にち閲覧えつらん
  13. ^ 月給げっきゅう33まんえんのはずが…賃金ちんぎん搾取さくしゅされるシリアじん傭兵ようへい 報告ほうこくしょ”. AFP (2021ねん5がつ30にち). 2021ねん5がつ30にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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