この項目 こうもく では、英語 えいご で「Private military company 」等 とう と表記 ひょうき される概念 がいねん について説明 せつめい しています。
英語 えいご で「Private military 」とも表記 ひょうき される概念 がいねん については「私兵 しへい 」をご覧 らん ください。
「民間 みんかん 警備 けいび 会社 かいしゃ 」はこの項目 こうもく へ転送 てんそう されています。日本 にっぽん の警備 けいび 会社 かいしゃ については「警備 けいび 員 いん 」をご覧 らん ください。
アフガニスタン警察 けいさつ の隊員 たいいん (左 ひだり )と握手 あくしゅ するイギリス の民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ のコントラクター(右 みぎ )。
民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ (みんかんぐんじがいしゃ)とは、直接 ちょくせつ 戦闘 せんとう 、要人 ようじん 警護 けいご や施設 しせつ 、車列 しゃれつ などの警備 けいび 、軍事 ぐんじ 教育 きょういく 、兵站 へいたん などの軍事 ぐんじ 的 てき サービス を行 おこな う企業 きぎょう 。
PMC (private military company または private military contractor)、PMF (private military firm)、PSC (private security company または private security contractor)、PMSC (private military and security company、複数 ふくすう 形 がた はPMSCs ) などと様々 さまざま な略称 りゃくしょう で呼 よ ばれる。2008年 ねん 9月 がつ 17日 にち にスイス・モントルーで採択 さいたく されたモントルー文書 ぶんしょ でその地位 ちい や法的 ほうてき 責任 せきにん などが定義 ていぎ されている。傭兵 ようへい はジュネーヴ条約 じょうやく 違反 いはん であるが、国家 こっか の法律 ほうりつ 上 じょう 、国際 こくさい 法 ほう 上 じょう は民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ も性質 せいしつ はジュネーヴ条約 じょうやく 違反 いはん である。また、存在 そんざい がジュネーヴ条約 じょうやく 違反 いはん であるために、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ にジュネーヴ条約 じょうやく を守 まも る責任 せきにん や義務 ぎむ は無 な い(責任 せきにん と義務 ぎむ は雇用 こよう 主 ぬし に発生 はっせい する)。国家 こっか の法律 ほうりつ 上 じょう と国際 こくさい 法 ほう 上 じょう の法 ほう 解釈 かいしゃく 学 がく では、存在 そんざい はグレーゾーンとされる。
1980年代 ねんだい 後半 こうはん から1990年代 ねんだい にかけて誕生 たんじょう し、2000年代 ねんだい の「対 たい テロ戦争 せんそう 」で急 きゅう 成長 せいちょう した。国家 こっか を顧客 こきゃく とし、人員 じんいん を派遣 はけん 、正規 せいき 軍 ぐん の業務 ぎょうむ を代行 だいこう したり、支援 しえん したりする企業 きぎょう であることから、新手 あらて の軍需 ぐんじゅ 産業 さんぎょう と定義 ていぎ されつつある[1] 。
主 おも な業務 ぎょうむ としては軍隊 ぐんたい や特定 とくてい の武装 ぶそう 勢力 せいりょく ・組織 そしき ・国 こく に対 たい して武装 ぶそう した社員 しゃいん を派遣 はけん しての警備 けいび ・戦闘 せんとう 業務 ぎょうむ 、武装 ぶそう 勢力 せいりょく に拘束 こうそく された人質 ひとじち の救出 きゅうしゅつ や窮地 きゅうち に陥 おちい った要人 ようじん の逃亡 とうぼう 支援 しえん など救助 きゅうじょ ・救援 きゅうえん 業務 ぎょうむ [2] 、兵站 へいたん ・整備 せいび ・訓練 くんれん 等 ひとし の後方 こうほう 支援 しえん など、戦闘 せんとう 一辺倒 いっぺんとう だった旧来 きゅうらい 型 がた の傭兵 ようへい と異 こと なり提供 ていきょう するサービスは多岐 たき に渡 わた る。
軍 ぐん の増派 ぞうは がたびたび政治 せいじ 問題 もんだい 化 か していることや、より多 おお くの正規 せいき 兵 へい を最前線 さいぜんせん に送 おく るために後方 こうほう 支援 しえん や警備 けいび 活動 かつどう の民間 みんかん 委託 いたく が進 すす んだこと、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の社員 しゃいん の死者 ししゃ は公式 こうしき な戦死 せんし 者 もの に含 ふく まれないなどの理由 りゆう で活用 かつよう が進 すす んでいる。イラクやアフガニスタンでは、従来 じゅうらい であれば正規 せいき 軍 ぐん の二 に 線 せん 級 きゅう 部隊 ぶたい が行 おこな ってきた警備 けいび や兵站 へいたん 、情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう など後方 こうほう 業務 ぎょうむ を外注 がいちゅう する民間 みんかん 組織 そしき として正規 せいき 軍 ぐん の後方 こうほう を支 ささ える役目 やくめ を担 にな い、多 おお い時 とき で約 やく 26万 まん 人 にん の民間 みんかん 人 じん が米国 べいこく 政府 せいふ の業務 ぎょうむ に関 かか わった[3] 。
その一方 いっぽう で軍人 ぐんじん 、民間 みんかん 人 じん 、傭兵 ようへい のどれにも当 あ てはまらない曖昧 あいまい な存在 そんざい であることや、需要 じゅよう が増大 ぞうだい し急速 きゅうそく に規模 きぼ が拡大 かくだい したため、管理 かんり が行 い き届 とど かず多 おお くの不祥事 ふしょうじ (2007年 ねん にブラックウォーター社 しゃ が引 ひ き起 お こした民間 みんかん 人 じん 虐殺 ぎゃくさつ 事件 じけん など)を起 お こした事 こと などが問題 もんだい になっている。2004年 ねん 3月、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の要員 よういん が民衆 みんしゅう に惨殺 ざんさつ され、町 まち を引 ひ きずり回 まわ された後 のち に焼却 しょうきゃく 、橋 はし に吊 つ るされるという事件 じけん が発生 はっせい 。これが原因 げんいん となりファルージャで多 た 国籍 こくせき 軍 ぐん と武装 ぶそう 勢力 せいりょく が軍事 ぐんじ 衝突 しょうとつ し(ファルージャの戦闘 せんとう )、4月 がつ と11月の戦闘 せんとう を合 あ わせて多 た 国籍 こくせき 軍 ぐん 側 がわ 100人 にん 以上 いじょう 、武装 ぶそう 勢力 せいりょく と民間 みんかん 人 じん にそれぞれ1000人 にん 以上 いじょう の死者 ししゃ が出 で た。2019年 ねん 末 まつ には保釈 ほしゃく 中 ちゅう のカルロス・ゴーン の国外 こくがい 逃亡 とうぼう を支援 しえん するなど、報酬 ほうしゅう 次第 しだい では明白 めいはく な違法 いほう 行為 こうい を行 おこな う者 もの も存在 そんざい する[4] 。
2008年 ねん 9月 がつ 、スイスの国際 こくさい 会議 かいぎ においてアメリカや欧州 おうしゅう 諸国 しょこく 、中国 ちゅうごく 、イラク、アフガニスタンなど17カ国 かこく は民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ に国際 こくさい 法 ほう を順守 じゅんしゅ させるため、各国 かっこく に対 たい して適切 てきせつ な監督 かんとく ・免許 めんきょ 制度 せいど の導入 どうにゅう 、採用 さいよう 時 じ の審査 しんさ の厳格 げんかく 化 か 、戦時 せんじ の民間 みんかん 人 じん 保護 ほご を規定 きてい した国際 こくさい 人道 じんどう 法 ほう や人権 じんけん 法 ほう に関 かん する社員 しゃいん 教育 きょういく の強化 きょうか など適切 てきせつ な監督 かんとく を求 もと める具体 ぐたい 的 てき な指針 ししん を盛 も り込 こ んだモントルー文書 ぶんしょ を採択 さいたく した[5] 。
日本 にっぽん では民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ 、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 請負 うけおい 企業 きぎょう などと呼称 こしょう される。
民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ について報道 ほうどう 機関 きかん や文献 ぶんけん によって異 こと なる名称 めいしょう が使用 しよう されており、PMC (private military company または private military contractor)、PMF (private military firms)とさまざまで、アメリカ国防総省 こくぼうそうしょう や民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の管理 かんり 組織 そしき であるIPOAやBAPSCはPMSCの語 かたり を使用 しよう している。
国際 こくさい 政治 せいじ 学者 がくしゃ のP・W・シンガー は『戦争 せんそう 請負 うけおい 会社 かいしゃ 』(邦訳 ほうやく 版 ばん :日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい (2004/12)原著 げんちょ :Cornell University Press (July 2003))でPMFと表記 ひょうき している。
近代 きんだい に入 はい り民間 みんかん 企業 きぎょう が巨大 きょだい 化 か すると、鉱山 こうざん で起 お きたストライキの鎮圧 ちんあつ など警備 けいび 員 いん では対処 たいしょ できない事態 じたい を素早 すばや く解消 かいしょう するため、それまで手配 てはい 師 し などに頼 たよ っていた傭兵 ようへい の募集 ぼしゅう に代 か わり、会社 かいしゃ の一部 いちぶ 門 もん として武装 ぶそう 組織 そしき (会社 かいしゃ 軍 ぐん )を編成 へんせい するようになった。これらは退役 たいえき した士官 しかん などの経験 けいけん 者 しゃ を指揮 しき 官 かん として迎 むか え、グルカ兵 へい やヨーロッパ人 じん などの傭兵 ようへい を兵 へい としていた。構成 こうせい は歩兵 ほへい 、騎兵 きへい 、砲兵 ほうへい からなるヨーロッパの伝統 でんとう 的 てき な陸軍 りくぐん を簡略 かんりゃく 化 か した組織 そしき であったが、資金 しきん 力 りょく を背景 はいけい に武装 ぶそう に関 かん しては最新 さいしん の兵器 へいき を揃 そろ えており、最新 さいしん の軍事 ぐんじ 教育 きょういく を受 う けたヨーロッパの将校 しょうこう を指導 しどう 教官 きょうかん として雇用 こよう することもあった。
ジョン・ロックフェラー は鉱山 こうざん や工場 こうじょう で発生 はっせい したストライキを鎮圧 ちんあつ するため積極 せっきょく 的 てき に会社 かいしゃ 軍 ぐん を派遣 はけん していたが、コロラド燃料 ねんりょう 製鉄 せいてつ 会社 かいしゃ のストライキを鎮圧 ちんあつ するため30人 にん 以上 いじょう を射殺 しゃさつ したことでヘレン・ケラー が新聞 しんぶん で非難 ひなん 記事 きじ を連載 れんさい したことや、社長 しゃちょう となっていたロックフェラー2世 せい が対話 たいわ 路線 ろせん に転向 てんこう したことでアメリカ国内 こくない では交渉 こうしょう で解決 かいけつ し、武力 ぶりょく が必要 ひつよう な場合 ばあい は州兵 しゅうへい に任 まか せるべきという風潮 ふうちょう となった。また私企業 しきぎょう が武力 ぶりょく を保有 ほゆう することは次第 しだい に問題 もんだい 視 し されるようになり、欧米 おうべい では国内 こくない での行動 こうどう に制約 せいやく が課 か されるようになった。
国外 こくがい において、西洋 せいよう 列強 れっきょう は東 ひがし インド会社 かいしゃ のような植民 しょくみん 地 ち を統治 とうち する勅許 ちょっきょ 会社 かいしゃ の会社 かいしゃ 軍 ぐん に対 たい し、反乱 はんらん の鎮圧 ちんあつ のみならず周辺 しゅうへん にある国 くに を植民 しょくみん 地 ち にするための戦争 せんそう (第 だい 二 に 次 じ シク戦争 せんそう など)を許可 きょか していた。自国 じこく の軍隊 ぐんたい のアウトソーシング であり、これにより遠方 えんぽう に軍隊 ぐんたい を派遣 はけん する必要 ひつよう がなくなり、低 てい コストで植民 しょくみん 地 ち を防衛 ぼうえい することが可能 かのう となった。特 とく にインド ではヴァンディヴァッシュの戦 たたか い やプラッシーの戦 たたか い のように会社 かいしゃ 軍 ぐん 同士 どうし の戦闘 せんとう が度々 どど 発生 はっせい した。植民 しょくみん 地 ち の会社 かいしゃ 軍 ぐん はスィパーヒー など地元 じもと の傭兵 ようへい が中心 ちゅうしん で兵 へい の質 しつ はまちまちだったが、イギリスはこれらの戦 たたか いで活躍 かつやく したグルカ兵 へい に注目 ちゅうもく し、イギリス東 ひがし インド会社 かいしゃ 軍 ぐん で積極 せっきょく 的 てき に雇用 こよう するようになった。
ロシア帝国 ていこく の勅許 ちょっきょ 会社 かいしゃ である露 ろ 米 べい 会社 かいしゃ はニコライ・レザノフ の部下 ぶか で軍人 ぐんじん のニコライ・フヴォストフ (ロシア語 ご 版 ばん ) が会社 かいしゃ の武装 ぶそう 勢力 せいりょく を指揮 しき し、日本 にっぽん を襲撃 しゅうげき している(文化 ぶんか 露 ろ 寇 )。
これらの会社 かいしゃ 軍 ぐん は指揮 しき 官 かん は社員 しゃいん 、傭兵 ようへい はパートタイムで雇用 こよう して指揮 しき 下 か に置 お いているが、第三者 だいさんしゃ へ兵力 へいりょく を提供 ていきょう することはなく、それまで領主 りょうしゅ が抱 かか える私兵 しへい のような自力 じりき 救済 きゅうさい の延長 えんちょう か、政府 せいふ が植民 しょくみん 地 ち を間接 かんせつ 的 てき に統制 とうせい するための組織 そしき であった。
民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の登場 とうじょう [ 編集 へんしゅう ]
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご には各国 かっこく で法 ほう が整備 せいび され会社 かいしゃ 軍 ぐん のような存在 そんざい は規制 きせい がかかり、治安 ちあん が不安定 ふあんてい な地域 ちいき での操業 そうぎょう する鉱山 こうざん や油田 ゆでん の警備 けいび に支障 ししょう を来 きた すようになった。
そこで警備 けいび 会社 かいしゃ という名目 めいもく で設立 せつりつ し、かつて会社 かいしゃ 軍 ぐん が担当 たんとう していた軍事 ぐんじ サービスを他 た の企業 きぎょう に提供 ていきょう する会社 かいしゃ が登場 とうじょう した。代表 だいひょう 的 てき な会社 かいしゃ としてはダインコープ やSAS 創始 そうし 者 しゃ のデビッド・スターリング が経営 けいえい するウォッチガード・セキュリティ があり、これには自国 じこく 企業 きぎょう を保護 ほご したいイギリス政府 せいふ も出資 しゅっし していた。民間 みんかん 企業 きぎょう でも自社 じしゃ で直接 ちょくせつ 雇用 こよう するのに比 くら べ、必要 ひつよう なときに必要 ひつよう な数 かず の人員 じんいん を確保 かくほ できるためメリットは大 おお きかった。
コンゴ動乱 どうらん やローデシア紛争 ふんそう などでは傭兵 ようへい が戦闘 せんとう や護衛 ごえい にも関 かか わっていたが、1991年 ねん のソビエト連邦 れんぽう の崩壊 ほうかい に伴 ともな う冷戦 れいせん の終結 しゅうけつ により、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく を中心 ちゅうしん とした各国 かっこく は肥大 ひだい 化 か した軍事 ぐんじ 費 ひ と兵員 へいいん の削減 さくげん を開始 かいし し、数 すう 多 おお くの退役 たいえき 軍人 ぐんじん を生 う み出 だ した。冷戦 れいせん 終結 しゅうけつ 以降 いこう の世界 せかい では超 ちょう 大国 たいこく 同士 どうし がぶつかりあう大 だい 規模 きぼ な戦闘 せんとう の可能 かのう 性 せい は大幅 おおはば に少 すく なくなったものの、テロリズム や小国 しょうこく における内戦 ないせん 、民族 みんぞく 紛争 ふんそう など小規模 しょうきぼ な戦闘 せんとう や特定 とくてい の敵国 てきこく が断定 だんてい できない非対称 ひたいしょう 戦争 せんそう が頻発 ひんぱつ 化 か 、不安定 ふあんてい な地域 ちいき で行動 こうどう する民間 みんかん 人 じん を護衛 ごえい する需要 じゅよう も増加 ぞうか した。
優秀 ゆうしゅう な軍 ぐん 歴 れき 保持 ほじ 者 しゃ は有 あ り余 あま り、軍事 ぐんじ 予算 よさん の大幅 おおはば な削減 さくげん に伴 ともな い軍隊 ぐんたい のコスト面 めん での効率 こうりつ 化 か が求 もと められ、そして小規模 しょうきぼ の紛争 ふんそう が頻発 ひんぱつ する。この3つの要素 ようそ が民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ を生 う み出 だ す土壌 どじょう を与 あた える事 こと となった。まさに戦争 せんそう のアウトソーシング である。
こうして、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の元祖 がんそ とも言 い える「エグゼクティブ・アウトカムズ 」が誕生 たんじょう し、既存 きそん の軍 ぐん 関連 かんれん 会社 かいしゃ も次々 つぎつぎ と民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ 化 か していった。
シエラレオネ軍 ぐん とグルカセキュリティー社 しゃ
1989年 ねん に南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく で誕生 たんじょう したエグゼクティブ・アウトカムズ (Executive Outcomes,略称 りゃくしょう EO)社 しゃ は、フレデリック・ウィレム・デクラーク やネルソン・マンデラ 政権 せいけん 下 か で行 おこな われたアパルトヘイト 政策 せいさく の廃止 はいし や軍縮 ぐんしゅく によって職 しょく を失 うしな った兵士 へいし を雇用 こよう することで、優秀 ゆうしゅう な社員 しゃいん を多数 たすう 有 ゆう する会社 かいしゃ となった。
特 とく に第 だい 32大隊 だいたい などの精鋭 せいえい 部隊 ぶたい に所属 しょぞく していた黒人 こくじん 兵士 へいし を多 おお く雇用 こよう していたが、彼 かれ らはアンゴラ内戦 ないせん で家族 かぞく や財産 ざいさん を失 うしな い、逃 に げ延 の びた先 さき の南 みなみ アフリカでは白人 はくじん 達 たち に周辺 しゅうへん 国 こく への軍事 ぐんじ 介入 かいにゅう や同 おな じ黒人 こくじん の弾圧 だんあつ に動員 どういん され、アパルトヘイト廃止 はいし 後 ご 行 い き場 ば を失 うしな った者 もの 達 たち だった(EO社 しゃ の解体 かいたい 後 ご はポムフレットなど辺境 へんきょう の町 まち で貧 まず しく暮 く らしている)。
EO社 しゃ はアンゴラ内戦 ないせん 中 ちゅう の1993年 ねん にアンゴラ 政府 せいふ と契約 けいやく を結 むす び、正規 せいき 軍 ぐん の訓練 くんれん と直接 ちょくせつ 戦闘 せんとう を実行 じっこう 。結果 けっか アンゴラ全面 ぜんめん 独立 どくりつ 民族 みんぞく 同盟 どうめい (UNITA)に壊滅 かいめつ 的 てき 被害 ひがい を与 あた えることに成功 せいこう し、20年 ねん 続 つづ いた内戦 ないせん をわずか1年 ねん で終結 しゅうけつ させた。その後 ご 、国際 こくさい 社会 しゃかい の圧力 あつりょく でアンゴラ政府 せいふ はEO社 しゃ との契約 けいやく を打 う ち切 き り、国連 こくれん が平和 へいわ 維持 いじ を行 おこな うことになったが平和 へいわ 維持 いじ 部隊 ぶたい は任務 にんむ に失敗 しっぱい し、アンゴラは内戦 ないせん に逆戻 ぎゃくもど りした。
また、シエラレオネ内戦 ないせん では、残虐 ざんぎゃく な行動 こうどう と少年 しょうねん 兵 へい を利用 りよう することで知 し られた反 はん 政府 せいふ 勢力 せいりょく 革命 かくめい 統一 とういつ 戦線 せんせん (RUF)の攻勢 こうせい で、先 さき に展開 てんかい したグルカ・セキュリティー・サービス社 しゃ は司令 しれい 官 かん であったロバート・C・マッケンジー が殺害 さつがい されるなど大 おお きな被害 ひがい を出 だ し撤退 てったい 、首都 しゅと フリータウン も陥落 かんらく 寸前 すんぜん の状態 じょうたい であったが、EO社 しゃ はわずか300人 にん の部隊 ぶたい でRUFに壊滅 かいめつ 的 てき 被害 ひがい を与 あた え、RUFが占拠 せんきょ していたダイヤモンド 鉱山 こうざん を奪還 だっかん することで和平 わへい 交渉 こうしょう の席 せき に着 つ かせることに成功 せいこう した。しかし、こちらもアンゴラと同様 どうよう に内戦 ないせん に逆戻 ぎゃくもど りした。
EO社 しゃ は次第 しだい に肥大 ひだい 化 か し、戦闘 せんとう 機 き 、攻撃 こうげき 機 き 、攻撃 こうげき ヘリコプター などの航空 こうくう 兵器 へいき や、戦車 せんしゃ 、歩兵 ほへい 戦闘 せんとう 車 しゃ のような強力 きょうりょく な陸上 りくじょう 兵器 へいき 、負傷 ふしょう 者 しゃ 輸送 ゆそう 用 よう のボーイング707 なども運用 うんよう するようになったが、危機 きき 感 かん を抱 だ いた南 みなみ アフリカ政府 せいふ によって1998年 ねん に解体 かいたい された。しかし、内戦 ないせん の戦局 せんきょく をも変 か えてしまう民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の登場 とうじょう は世界 せかい に衝撃 しょうげき を与 あた えた。
パプアニューギニア では、ブーゲンビル紛争 ふんそう (英語 えいご 版 ばん ) において、政府 せいふ が同国 どうこく のパプアニューギニア国防 こくぼう 軍 ぐん (英語 えいご 版 ばん ) よりも民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ のサンドライン・インターナショナル を重用 じゅうよう したため、国軍 こくぐん によるクーデター が発生 はっせい している。
元 もと グルカ兵 へい のコントラクター(アフガニスタン 、ナンガハル州 しゅう )
1990年代 ねんだい に登場 とうじょう した民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ は、その後 ご 急速 きゅうそく に業務 ぎょうむ を拡大 かくだい していき、2001年 ねん のアメリカ同時 どうじ 多発 たはつ テロ事件 じけん 以降 いこう からはイラク やアフガニスタン での活動 かつどう が注目 ちゅうもく を集 あつ めるようになった。しかし、急速 きゅうそく な組織 そしき 拡大 かくだい から法規 ほうき の作成 さくせい が追 お いつかず、管理 かんり する法律 ほうりつ も組織 そしき も無 な い無法 むほう 状態 じょうたい が続 つづ いたため、殺人 さつじん や虐待 ぎゃくたい など数々 かずかず の不祥事 ふしょうじ を起 お こしてきた。
2001年 ねん にはアメリカで民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の管理 かんり 組織 そしき であるInternational Peace Operations Association が発足 ほっそく 、2006年 ねん にはイギリス でアメリカとは異 こと なる民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ 管理 かんり 組織 そしき であるBritish Association Of Private Security Companiesが発足 ほっそく した。イギリスの場合 ばあい はアメリカよりも非常 ひじょう に厳格 げんかく で、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ にISOやBSの取得 しゅとく を義務付 ぎむづ けておりプレゼンテーション においてもイギリスの民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ はアメリカのそれとは違 ちが うことを強調 きょうちょう している。
イラクにおける管理 かんり 組織 そしき は連合 れんごう 国 こく 暫定 ざんてい 当局 とうきょく が行 おこな ってきたが解体 かいたい にともない2004年 ねん 8月 がつ に連合 れんごう 国 こく 暫定 ざんてい 当局 とうきょく から分離 ぶんり したNPO法人 ほうじん としてPrivate Security Company Association of Iraq が発足 ほっそく した。イラクでは連合 れんごう 国 こく 暫定 ざんてい 当局 とうきょく が最後 さいご に発行 はっこう したCPA Order17 という規定 きてい に基 もと づいて行動 こうどう していたが、この規定 きてい は大変 たいへん に問題 もんだい のあるもので、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ はイラクの法律 ほうりつ に従 したが う必要 ひつよう が無 な く、あらゆる免責 めんせき 特権 とっけん を認 みと め、税金 ぜいきん も免除 めんじょ するなど民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ を完全 かんぜん に治外法権 ちがいほうけん 化 か する物 もの であった。
2007年 ねん 9月にはブラックウォーターUSA のコントラクターがイラクで輸送 ゆそう 部隊 ぶたい の護衛 ごえい 中 ちゅう に市中 しちゅう で無 む 差別 さべつ 発砲 はっぽう を行 おこな いイラク人 じん を17人 にん 射殺 しゃさつ するという事件 じけん が起 お きると、イラク政府 せいふ も厳 きび しい措置 そち を取 と らざるを得 え なくなり、2009年 ねん 1月 がつ 1日 にち でCPA Order17の無効 むこう を宣言 せんげん し、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ から免責 めんせき 特権 とっけん を剥奪 はくだつ した。これ以降 いこう 、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ はイラクの国内 こくない 法 ほう に従 したが う義務 ぎむ が生 しょう じPrivate Security Company Association OF Iraqは2009年 ねん 現在 げんざい は実質 じっしつ 的 てき に活動 かつどう していない。
このような無法 むほう 状態 じょうたい を改善 かいぜん しようとする動 うご きもあり、2008年 ねん 9月17日 にち にスイス のモントルー で17ヶ国 かこく によって採択 さいたく されたモントルー文書 ぶんしょ で初 はじ めて国際 こくさい 的 てき な規制 きせい が出来 でき た。指針 ししん であり条約 じょうやく ではないため、国際 こくさい 法 ほう としての拘束 こうそく 力 りょく は無 な いが、新 あら たな条約 じょうやく 締結 ていけつ へ向 む けた活動 かつどう が行 おこな われている。
イラク戦争 せんそう 後 ご 、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ は各地 かくち の小規模 しょうきぼ 紛争 ふんそう に派遣 はけん されるようになった。リビア内戦 ないせん においては、イスラエルのグローバルCSTが主 おも にアフリカ 系 けい からなる警備 けいび 要員 よういん や東欧 とうおう ・中東 ちゅうとう 系 けい の戦闘 せんとう 機 き パイロットなど多数 たすう の要員 よういん を派遣 はけん して非 ひ 武装 ぶそう 市民 しみん への殺傷 さっしょう を含 ふく む過剰 かじょう な業務 ぎょうむ を行 おこな い、シリア内戦 ないせん では、アメリカの民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ が自由 じゆう シリア軍 ぐん など反 はん アサド派 は を訓練 くんれん するためにトルコで活動 かつどう していた。一方 いっぽう 、シリア政権 せいけん 側 がわ もロシア系 けい の民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の先駆 さきが けで香港 ほんこん を拠点 きょてん とするスラヴ軍団 ぐんだん から同様 どうよう の支援 しえん を受 う けていた[6] 。アフリカではブラックウォーター社 しゃ の設立 せつりつ 者 しゃ だったエリック・プリンス らが中国 ちゅうごく 政府 せいふ 系 けい の香港 ほんこん 企業 きぎょう フロンティア・サービス・グループ で中国 ちゅうごく の国家 こっか 戦略 せんりゃく である一帯 いったい 一路 いちろ を警備 けいび 面 めん から支援 しえん していた[7] [8] 。
また2014年 ねん 以降 いこう の騒乱 そうらん 下 した にあるウクライナ においても西欧 せいおう の民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ [注 ちゅう 1] の要員 よういん らしき外国 がいこく 人 じん が多数 たすう 確認 かくにん されたという証言 しょうげん がある。
2015年 ねん にはイエメン で、アメリカのスピアー・オペレーションズ・グループがアラブ首長 しゅちょう 国 こく 連邦 れんぽう の依頼 いらい により、イエメンにいる政敵 せいてき の暗殺 あんさつ 作戦 さくせん を実行 じっこう していた。
2022年 ねん ロシアのウクライナ侵攻 しんこう にて、ロシアのワグネル・グループ がロシア正規 せいき 軍 ぐん と並 なら んで主要 しゅよう な軍事 ぐんじ 力 りょく として機能 きのう している[9] [10] 。ワグネルは元 もと 正規 せいき 軍 ぐん 兵士 へいし だけでなくロシア国内 こくない の刑務所 けいむしょ で囚人 しゅうじん を戦闘 せんとう 員 いん として参加 さんか させ[11] 、生還 せいかん した者 もの には恩赦 おんしゃ を与 あた えていた。ドンバス地域 ちいき のバフムート を掌握 しょうあく するための戦闘 せんとう に中心 ちゅうしん 的 てき な役割 やくわり を果 は たす[12] などの戦果 せんか を上 あ げてき、それに伴 ともな いワグネルの能力 のうりょく も認 みと められ、創始 そうし 者 しゃ のエフゲニー・プリゴジン のロシアにおける政治 せいじ 的 てき な評価 ひょうか が高 たか まった[13] 。しかしやがてプリゴジンはセルゲイ・ショイグ 国防 こくぼう 大臣 だいじん やワレリー・ゲラシモフ 参謀 さんぼう 総長 そうちょう を痛烈 つうれつ に批判 ひはん するようになり、2023年 ねん 6月 がつ 23日 にち には武装 ぶそう 蜂起 ほうき を宣言 せんげん するに至 いた った[12] 。
これに対 たい しウクライナ側 がわ も外国 がいこく 人 じん 義勇 ぎゆう 兵 へい を多 おお く募集 ぼしゅう した他 ほか 、ウクライナ軍 ぐん への訓練 くんれん 及 およ び人命 じんめい 救助 きゅうじょ 活動 かつどう を実施 じっし するため、米 べい 軍 ぐん の元 もと 将兵 しょうへい などで編成 へんせい されたモーツァルト・グループ という民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ が活動 かつどう を行 おこな っている[14] [15] [16] [17] 。
1991年 ねん の湾岸 わんがん 戦争 せんそう 時 とき には全 ぜん 兵士 へいし における民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の比率 ひりつ は100:1と言 い われていたが、2003年 ねん のイラク戦争 せんそう 時 とき はおよそ10:1と言 い われている。イラクに駐留 ちゅうりゅう する民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の人員 じんいん は、一説 いっせつ にはアメリカ人 じん が3千 せん 人 にん から5千 せん 人 にん 。イギリス などのヨーロッパ人 じん や南 みなみ アフリカ人 ひと では7千 せん 人 にん から1万 まん 人 にん 。貧困 ひんこん 国 こく の出身 しゅっしん 者 しゃ では1万 まん 5千 せん 人 にん から2万 まん 人 にん 。イラク 現地 げんち で雇用 こよう された者 もの が2万 まん 5千 せん 人 にん から3万 まん 人 にん と言 い われている。また、受注 じゅちゅう した会社 かいしゃ がさらに他 た の会社 かいしゃ に仕事 しごと を丸 まる 投 な げしたり再 さい 発注 はっちゅう しており、イラクに駐留 ちゅうりゅう する民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の正確 せいかく な社員 しゃいん 数 すう を把握 はあく する事 こと の障害 しょうがい にもなっている。
1994年 ねん のルワンダ紛争 ふんそう においてはエグゼクティブ・アウトカムズ社 しゃ はいつでも1500人 にん 規模 きぼ の部隊 ぶたい を展開 てんかい 出来 でき る準備 じゅんび を整 ととの えていた(これはアフガニスタン侵攻 しんこう 時 じ のアメリカ海兵 かいへい 隊 たい の先行 せんこう 侵攻 しんこう 部隊 ぶたい と同 どう 規模 きぼ である)。作戦 さくせん 期間 きかん は4週間 しゅうかん を計画 けいかく しており、1日 にち あたりの費用 ひよう はおよそ60万 まん ドルと見積 みつ もっていたが、結局 けっきょく 依頼 いらい する組織 そしき が無 な かったため実行 じっこう されることはなかった。
アメリカ人 じん やイギリス人 じん など欧米 おうべい 圏 けん の社員 しゃいん を雇用 こよう する際 さい には、正規 せいき 軍 ぐん の兵士 へいし 経験 けいけん 者 しゃ (特 とく にデルタフォース やDEVGRU といった有名 ゆうめい 特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい に所属 しょぞく する元 もと 兵士 へいし を優遇 ゆうぐう する)を雇用 こよう することが主体 しゅたい であるが、社内 しゃない の基準 きじゅん を満 み たしていれば(厳格 げんかく な選抜 せんばつ 試験 しけん を受 う けさせる会社 かいしゃ もあれば、契約 けいやく 書 しょ にサインすれば誰 だれ でも入 い れる会社 かいしゃ もある)、警察官 けいさつかん や軍隊 ぐんたい 経験 けいけん のない一般 いっぱん 市民 しみん を雇用 こよう することもある。
先進 せんしん 国 こく の人員 じんいん だけを雇用 こよう して警備 けいび などをしては、限 かぎ られた人件 じんけん 費 ひ が高騰 こうとう することや素 もと 早 はや く効率 こうりつ 的 てき に人材 じんざい を供給 きょうきゅう できないという事情 じじょう から、フィジー 、ネパール 、フィリピン 、コロンビア などの、近年 きんねん まで内戦 ないせん や紛争 ふんそう 状態 じょうたい にあり、実戦 じっせん 経験 けいけん 者 しゃ が豊富 ほうふ な貧困 ひんこん 国 こく から元 もと 兵士 へいし が送 おく られている割合 わりあい が多 おお い。アメリカのブラックウォーター社 しゃ においては貧困 ひんこん 国 こく の出身 しゅっしん 者 しゃ が警備 けいび 要員 よういん の4割 わり 、「トリプル・キャノピー社 しゃ [注 ちゅう 2] 」に至 いた っては8割 わり を占 し めている。トリプル・キャノピー社 しゃ は設立 せつりつ 当初 とうしょ 実態 じったい のない会社 かいしゃ でありながらも大型 おおがた 契約 けいやく を取得 しゅとく し、チリ人 じん やフィジー人 じん と少数 しょうすう のアメリカ人 じん を雇 やと って、イラク全土 ぜんど にある13ヶ所 かしょ の連合 れんごう 暫定 ざんてい 施政 しせい 当局 とうきょく に1000人 にん もの警備 けいび 員 いん を派遣 はけん した。
また、イラク現地 げんち では多 おお くのイラク人 じん が雇用 こよう されている。G4Sの場合 ばあい は英国 えいこく 人 じん 2名 めい にイラク人 じん 6人 にん で身辺 しんぺん 警護 けいご 小隊 しょうたい を編成 へんせい しており、欧米 おうべい 人 じん の将校 しょうこう 下士官 かしかん に現地 げんち 人 じん の兵士 へいし という構成 こうせい が取 と られている。このような雇用 こよう 方式 ほうしき は「エリニュス社 しゃ [注 ちゅう 3] 」や「アーマー・グループ[注 ちゅう 4] 」など、他 た の英国 えいこく 系 けい 民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ でも用 もち いられる方針 ほうしん である。イラク人 じん は警備 けいび 員 いん だけではなく、空港 くうこう の荷物 にもつ チェック係 がかり といった非 ひ 戦闘 せんとう 員 いん としても雇用 こよう されている。
リクルートに関 かん しては、ピンからキリまでが実態 じったい であり、貧困 ひんこん 国 こく の新聞 しんぶん に警備 けいび 要員 よういん と称 しょう して募集 ぼしゅう 広告 こうこく をかけ、戦場 せんじょう に送 おく り込 こ むといった粗 あら っぽい手口 てぐち を講 こう じる会社 かいしゃ も存在 そんざい する[18] 。
元 もと 有名 ゆうめい 特殊 とくしゅ 部隊 ぶたい 所属 しょぞく の肩書 かたが きを持 も つ人材 じんざい は1日 にち で1000ドル 程度 ていど の収入 しゅうにゅう が見込 みこ めるが、ネパールのグルカ兵 へい が民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ で働 はたら いた場合 ばあい の給料 きゅうりょう は月給 げっきゅう 1000ドル程度 ていど である。ただ、ネパールの公務員 こうむいん の平均 へいきん 年収 ねんしゅう が1300ドルであることから考 かんが えると月給 げっきゅう 1000ドルという給料 きゅうりょう は彼 かれ らの所得 しょとく 水準 すいじゅん から見 み ると大変 たいへん に高額 こうがく である。このため、貧困 ひんこん 国 こく の兵士 へいし にとっては民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ で得 え る給料 きゅうりょう は普通 ふつう に働 はたら く場合 ばあい の10倍 ばい 以上 いじょう にもなり、一攫千金 いっかくせんきん を夢見 ゆめみ るに十分 じゅうぶん な額 がく である。
逆 ぎゃく に日本 にっぽん などの先進 せんしん 国 こく の国民 こくみん から見 み れば一般 いっぱん 企業 きぎょう の賃金 ちんぎん と大差 たいさ の無 な い、もしくはそれ以下 いか の給与 きゅうよ 水準 すいじゅん であり、危険 きけん 性 せい に比 ひ して薄給 はっきゅう で、日本人 にっぽんじん が民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ で就労 しゅうろう しても大金 たいきん を稼 かせ げるとはいえない。実際 じっさい にイラクで死亡 しぼう した日本人 にっぽんじん の年収 ねんしゅう は四 よん 百 ひゃく 数 すう 十 じゅう 万 まん 円 えん 程度 ていど で、軍 ぐん 歴 れき が長 なが く下士官 かしかん であったことから考 かんが えれば先進 せんしん 国 こく の正規 せいき 軍 ぐん と変 か わらない報酬 ほうしゅう である。このため、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ の給与 きゅうよ は裕福 ゆうふく な先進 せんしん 国 こく の国民 こくみん から見 み れば安 やす く、貧困 ひんこん 国 こく の国民 こくみん から見 み れば高給 こうきゅう ということになっている。また、軍隊 ぐんたい と比 くら べると遺族 いぞく 補償 ほしょう 、軍人 ぐんじん 恩給 おんきゅう 、褒賞 ほうしょう といった福利 ふくり 厚生 こうせい 面 めん は手薄 てうす だったり制度 せいど 自体 じたい がない事 こと も多 おお い。
なお、民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ においても兵士 へいし は兵士 へいし 、下士官 かしかん は下士官 かしかん で終 お わりという点 てん に(多少 たしょう の例外 れいがい はあるものの)変化 へんか はなく、たとえ入社 にゅうしゃ 前 まえ に歴戦 れきせん の勇士 ゆうし でも、入社 にゅうしゃ 後 ご にどれだけ実績 じっせき を重 かさ ねても、入社 にゅうしゃ 前 まえ に幕僚 ばくりょう 課程 かてい や上級 じょうきゅう 士官 しかん 課程 かてい を取得 しゅとく していない者 もの は現場 げんば 指揮 しき 官 かん 以上 いじょう に昇進 しょうしん できない。
民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ ・関連 かんれん 企業 きぎょう 一覧 いちらん [ 編集 へんしゅう ]
登場 とうじょう 作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
^ アメリカの「グレイストーン」、イギリスの「イージス」、ポーランドの「ASBCオタゴ」の名前 なまえ が挙 あ がっている
^ 元 もと グリーンベレー のトム・カーティスとマット・マンによって設立 せつりつ された民間 みんかん 軍事 ぐんじ 会社 かいしゃ 。後 のち に元 もと デルタフォース のイギー・バルデラスも経営 けいえい 陣 じん に入 はい る。
^ 元 もと イギリス軍人 ぐんじん のジョナサン・ガラットと南 みなみ アフリカの外交 がいこう 官 かん でナミビアの統治 とうち 副 ふく 責任 せきにん 者 しゃ であったショーン・クリアリーによって創設 そうせつ された会社 かいしゃ 。
^ 元 もと SAS隊員 たいいん のアルスター・モリソンによって設立 せつりつ された会社 かいしゃ 。後 のち にG4Sに吸収 きゅうしゅう される。
出典 しゅってん は列挙 れっきょ するだけでなく、脚注 きゃくちゅう などを用 もち いてどの記述 きじゅつ の情報 じょうほう 源 げん であるかを明記 めいき してください。記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく をお願 ねが いいたします。(2014年 ねん 6月 がつ )