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ローマ教皇きょうこうちょう

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教皇きょうこうちょうから転送てんそう

ローマ教皇きょうこうちょう(ローマきょうこうちょう、ラテン語らてんご: Curia Romana)は、使徒しとペトロ由来ゆらいするとされる使徒しと継承けいしょう教会きょうかい首長しゅちょうとしての地位ちい継承けいしょうしゃとして存続そんぞくするカトリック教会きょうかいせい使徒しとの(統治とうち機関きかんのこと(Can. 360 CIC 1983)。また、ローマ教皇きょうこうしたぜん世界せかいのカトリック教会きょうかい統率とうそつする組織そしきであり、国際こくさいほうじょう主権しゅけん実体じったいとして外交がいこう使節しせつ派遣はけん大使館たいしかん設置せっちおこなう(バチカンこく基本きほんほうだいじょう)。現在げんざい所在地しょざいちローマバチカンであり、バチカンこくという世界せかい最小さいしょう主権しゅけん国家こっかなかかれている。

かつて教皇きょうこう世俗せぞく領主りょうしゅのようにみずからの領地りょうち教皇きょうこうりょう)をっており、事実じじつじょう国家こっか同様どうよう独立どくりつした行政ぎょうせいけん領地りょうちない行使こうししていたが、19世紀せいきすえイタリア統一とういつ運動うんどうなかうしなっている。ラテラノ条約じょうやくによって成立せいりつしたバチカンは、せい支配しはいする国際こくさいほうじょう主権しゅけん国家こっかであるが、かつての教皇きょうこうりょうのような世俗せぞくてき支配しはいおこな領地りょうちではなく、国民こくみん教会きょうかい関係かんけいしゃのみである。

なお、14世紀せいきのいわゆる「アヴィニョンしゅう」の時代じだい教皇きょうこうちょうみなみフランスのアヴィニョン遷座せんざされた(アヴィニョン教皇きょうこうちょう)。

日本語にほんご呼称こしょうについて

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日本にっぽんにおいて教皇きょうこうちょうかたとして「教皇きょうこうちょう」と「法王ほうおうちょう」が混用こんようされてきた。

日本にっぽんのカトリック教会きょうかい中央ちゅうおう団体だんたいであるカトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかいでは、1981ねんヨハネ・パウロ2せい来日らいにちに、それまで混用こんようされてきた「教皇きょうこう」と「法王ほうおう」のかた統一とういつしようと、世俗せぞくてき君主くんしゅおもわせる「おう」のはいる「法王ほうおう」でなく、「教皇きょうこう」というかたへの統一とういつさだめた。教会きょうかい歴史れきし関係かんけいでは、それ以前いぜんにも「教皇きょうこう」のほうおおもちいられていたようである。

その、カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかいは、マスメディアとう一般いっぱんに「教皇きょうこう」の名称めいしょう使用しようするようびかけてきた。カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかいは、東京とうきょう大使館たいしかんにおいても「法王ほうおうちょう」から「教皇きょうこうちょう」への名称めいしょう変更へんこうおこなおうとしたが、日本にっぽん政府せいふから「日本にっぽんにおける各国かっこく公館こうかん名称めいしょう変更へんこうはクーデターなどによる国名こくめい変更へんこうなど特別とくべつ場合ばあい以外いがいみとめられない」との理由りゆうからほとんど即答そくとうちかかたち却下きゃっかされ、「マ法王まほうおうちょう大使館たいしかん」の名称めいしょうのこったとしている[1]。このため日本にっぽんのカトリック教会きょうかいが「教皇きょうこう」という名称めいしょう統一とういつしている現在げんざいにおいても、マスメディアでは日本にっぽん外交がいこうかいにおける公式こうしき名称めいしょうである「マ法王まほうおうちょう」がもちいられることがおおいとしている[1]

2018ねんには、山内やまうち康一やすいち立憲りっけん民主党みんしゅとう衆議院しゅうぎいん議員ぎいん)が衆議院しゅうぎいん予算よさん委員いいんかいにおいて「教皇きょうこう」に変更へんこうするべきではないかと質問しつもんおこなっている。これをけて外務省がいむしょうはバチカンとマ法王まほうおうちょう大使館たいしかんわせをおこなったが、いずれも変更へんこうもとめていないという回答かいとうている。河野こうの太郎たろう外務がいむ大臣だいじんグルジアからジョージア変更へんこうおこなった事例じれいのように、変更へんこう要求ようきゅうがあった場合ばあいにはしっかりと対応たいおうしていくと答弁とうべんしている[2]

2019ねん11月23にち教皇きょうこうフランシスコ日本にっぽん訪問ほうもんすることをけ、政府せいふは11月20にちに「教皇きょうこう」への呼称こしょう変更へんこう発表はっぴょうした[3][4]

マスメディアの呼称こしょう

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NHKでは、「マ法王まほうおう」「法王ほうおう」が慣用かんようてき使つかわれ、一般いっぱん定着ていちゃくしているとして原則げんそくてきには「法王ほうおう」の呼称こしょうもちいるとしていた[5]が、日本にっぽんのカトリック関係かんけいしゃ中心ちゅうしんに「教皇きょうこう」とばれていること、2019ねん11月22にち教皇きょうこうフランシスコの訪日ほうにちにあわせて日本にっぽん政府せいふが「教皇きょうこう」に呼称こしょう変更へんこうしたことをまえ、「ローマ教皇きょうこう」の呼称こしょう変更へんこうした[6]。また、読売新聞よみうりしんぶん朝日新聞あさひしんぶん毎日新聞まいにちしんぶん産経新聞さんけいしんぶん日本経済新聞にほんけいざいしんぶんといった主要しゅよう共同通信きょうどうつうしん時事通信じじつうしんも「ローマ教皇きょうこう」の呼称こしょう表記ひょうき変更へんこうした[7][8]

組織そしき概要がいよう

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2023ねん7がつ現在げんざい教皇きょうこうちょう組織そしき以下いかのような構成こうせいになっている[9]

  • 弁護士べんごし
    • 教皇きょうこうちょう弁護士べんごし名簿めいぼ
    • せい弁護べんごだん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 国務省こくむしょうというとアメリカにられるように外務省がいむしょうのイメージがつよいが、バチカンでは日本にっぽん内閣ないかく相当そうとうである。ただし外務省がいむしょう相当そうとう職務しょくむ担当たんとうしている。
  2. ^ 大司教だいしきょう任命にんめいされる場合ばあいもあるが、ほどなく枢機卿すうききょうにあげられる。

出典しゅってん

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  1. ^ a b マ法王まほうおう」「ローマ教皇きょうこう」というふたつの呼称こしょうについて”. カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかい. 2018ねん4がつ23にち閲覧えつらん
  2. ^ だい196かい国会こっかい 予算よさん委員いいんかい だい9ごう 国会こっかい会議かいぎろく
  3. ^ 外務省がいむしょう、「ローマ教皇きょうこう」に呼称こしょう変更へんこう 安倍あべ首相しゅしょうと25にち会談かいだん”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 2019ねん11月24にち閲覧えつらん
  4. ^ 記者きしゃ会見かいけん大鷹おおたか外務がいむ報道ほうどうかん会見かいけん記録きろく”. 外務省がいむしょう. 2019ねん11月24にち閲覧えつらん
  5. ^ 法王ほうおう」と「教皇きょうこう」 | ことば(放送ほうそう用語ようご) - 放送ほうそう現場げんば疑問ぎもん視聴しちょうしゃ疑問ぎもん | NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ”. 2013ねん2がつ27にち閲覧えつらん[リンク]
  6. ^ 【おらせ】今後こんごは「ローマ教皇きょうこう」とおつたえします”. NHK (2019ねん11月22にち). 2019ねん11月22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん11月22にち閲覧えつらん
  7. ^ “ローマ教皇きょうこう、26にちまで滞在たいざい長崎ながさき広島ひろしま訪問ほうもんかく廃絶はいぜつへメッセージ”. 読売新聞よみうりしんぶん. (2019ねん11月22にち). https://www.yomiuri.co.jp/world/20191122-OYT1T50231/ 2019ねん11月22にち閲覧えつらん 
  8. ^ “「マ法王まほうおう」が「ローマ教皇きょうこう」に変更へんこう 政府せいふ発表はっぴょうれるメディアの対応たいおう. J-CAST. (2019ねん11月22にち). https://www.j-cast.com/2019/11/22373392.html 2019ねん11月23にち閲覧えつらん 
  9. ^ バチカンの組織そしき”. カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかい (2023ねん7がつ3にち). 2023ねん12月30にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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