この項目 こうもく では、ギリシャの首都 しゅと について説明 せつめい しています。
古代 こだい ギリシアのポリスについては「アテナイ 」をご覧 らん ください。
ギリシャ神話 しんわ の神 かみ については「アテーナー 」をご覧 らん ください。
アテネ Αθήνα
上 うえ 左 ひだり からアクロポリス 、国会 こっかい 議事堂 ぎじどう 、ザッペイオン 、アクロポリス博物館 はくぶつかん 、モナスティラキ広場 ひろば 、山側 やまがわ から海 うみ へと俯瞰 ふかん したアテネ
市 し 章 あきら
位置 いち
アテネの位置 いち
位置 いち
アテネ (アテネ中心 ちゅうしん 部 ぶ )
アテネ中心 ちゅうしん 部 ぶ の地図 ちず を表示 ひょうじ アテネ (ギリシャ)
ギリシャの地図 ちず を表示 ひょうじ アテネ (バルカン半島 ばるかんはんとう )
バルカン半島 ばるかんはんとう の地図 ちず を表示 ひょうじ アテネ (ヨーロッパ)
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座標 ざひょう : 北緯 ほくい 37度 ど 58分 ふん 東経 とうけい 23度 ど 43分 ふん / 北緯 ほくい 37.967度 ど 東経 とうけい 23.717度 ど / 37.967; 23.717
行政 ぎょうせい
国 くに
ギリシャ
地方 ちほう
アッティカ地方 ちほう
県 けん
中央 ちゅうおう アテネ県 けん
市 し
アテネ
市長 しちょう
Kostas Bakoyannis [1] (新 しん 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 党 とう )
地理 ちり
面積 めんせき
市域 しいき
38.964 km2 (15 mi2 )
市街地 しがいち
411.717 km2 (159 mi2 )
都市 とし 圏 けん
2,928.717 km2 (1,131 mi2 )
標高 ひょうこう
70 - 338 m
人口 じんこう
人口 じんこう
(2011年 ねん 現在 げんざい )
市域 しいき
655,780人 にん
人口 じんこう 密度 みつど
16,830人 にん /km2 (43,591人 にん /mi2 )
市街地 しがいち
3,074,160人 にん
市街地 しがいち 人口 じんこう 密度 みつど
7,462人 にん /km2 (19,325人 にん /mi2 )
都市 とし 圏 けん
3,737,550人 にん
都市 とし 圏 けん 人口 じんこう 密度 みつど
1,276人 にん /km2 (3,305人 にん /mi2 )
その他 た
等 ひとし 時 とき 帯 おび
東 ひがし ヨーロッパ時間 じかん (UTC+2 )
夏時間 なつじかん
東 ひがし ヨーロッパ夏時間 なつじかん (UTC+3 )
郵便 ゆうびん 番号 ばんごう
10x xx, 11x xx, 120 xx
市外 しがい 局番 きょくばん
210
ナンバープレート
Yxx, Zxx, Ixx (ZAx・INxは除 のぞ く)
公式 こうしき ウェブサイト : http://www.cityofathens.gr/
アテネ (現代 げんだい ギリシア語 ご : Αθήνα ; Athína ; [aˈθ しーた ina] ( 音声 おんせい ファイル ) ; カサレヴサ : Ἀθ しーた ῆν にゅー α あるふぁ ι いおた , Athinai ; 古代 こだい ギリシア語 ご : Ἀθ しーた ῆν にゅー α あるふぁ ι いおた , Athēnai )は、ギリシャ共和 きょうわ 国 こく の首都 しゅと で同国 どうこく 最大 さいだい の都市 とし である。
アテネはアッティカ 地方 ちほう にあり、世界 せかい 最古 さいこ の都市 とし の一 ひと つで約 やく 3,400年 ねん の歴史 れきし がある。古代 こだい のアテネであるアテナイ は強力 きょうりょく な都市 とし 国家 こっか であったことで知 し られる。芸術 げいじゅつ や学問 がくもん 、哲学 てつがく の中心 ちゅうしん で、プラトン が創建 そうけん したアカデメイア やアリストテレス のリュケイオン [2] [3] があり、西洋 せいよう 文明 ぶんめい の揺籃 ようらん や民主 みんしゅ 主義 しゅぎ の発祥 はっしょう 地 ち として広 ひろ く言及 げんきゅう されており[4] [5] 、その大 だい 部分 ぶぶん は紀元前 きげんぜん 4-5世紀 せいき の文化 ぶんか 的 てき 、政治 せいじ 的 てき な功績 こうせき により後 のち の世紀 せいき にヨーロッパに大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えたことが知 し られている[6] 。今日 きょう の現代 げんだい 的 てき なアテネは世界 せかい 都市 とし としてギリシャの経済 けいざい 、金融 きんゆう 、産業 さんぎょう 、政治 せいじ 、文化 ぶんか 生活 せいかつ の中心 ちゅうしん である。2008年 ねん にアテネは世界 せかい で32番目 ばんめ に富 と める都市 とし に位置 いち し[7] 、UBS の調査 ちょうさ では25番目 ばんめ に物価 ぶっか が高 たか い都市 とし [8] に位置 いち している。
アテネ市 し の人口 じんこう は655,780人 にん [9] (2004年 ねん は796,442人 にん )[10] 、市域 しいき 面積 めんせき は39 km2 (15 sq mi)[11] である。アテネの都市 とし 的 てき 地域 ちいき (大 だい アテネや大 だい ピラエウス)は市域 しいき を超 こ えて広 ひろ がっており、人口 じんこう は2011年 ねん 現在 げんざい 3,074,160人 にん に達 たっ し[12] 、都市 とし 的 てき 地域 ちいき の面積 めんせき は412 km2 (159 sq mi)[11] である。ユーロスタット によれば大都市 だいとし 圏 けん 地域 ちいき (Larger Urban Zones,LUZ) (en ) の人口 じんこう は欧州 おうしゅう 連合 れんごう 域内 いきない では7番目 ばんめ に大 おお きい。
古典 こてん ギリシア の文化 ぶんか 的 てき 遺産 いさん は今 いま でもはっきりとしており、多 おお くの古代 こだい 遺跡 いせき や芸術 げいじゅつ 作品 さくひん が象徴 しょうちょう している。もっとも有名 ゆうめい で代表 だいひょう 的 てき なものにはパルテノン神殿 しんでん があり初期 しょき の西洋 せいよう 文明 ぶんめい の鍵 かぎ となるランドマークと見 み なされる場合 ばあい もある。アテネにはロ ろ ーマ帝国 まていこく 支配 しはい 下 か のギリシャ や東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく の遺跡 いせき もあり同様 どうよう に少数 しょうすう のオスマン帝国 ていこく の遺跡 いせき も残 のこ されているなど、何 なに 世紀 せいき にもわたる長 なが い歴史 れきし を投影 とうえい するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界 せかい 遺産 いさん がありアテナイのアクロポリス と中世 ちゅうせい のダフニ修道院 しゅうどういん がそうである。現代 げんだい のランドマークはギリシアが1833年 ねん に独立 どくりつ 国 こく となりアテネが首都 しゅと になった以降 いこう に建設 けんせつ された国会 こっかい 議事堂 ぎじどう や「三 さん 部 ぶ 作 さく 」(Trilogy)と呼 よ ばれるギリシア国立 こくりつ 図書館 としょかん (英語 えいご 版 ばん ) 、アテネ大学 だいがく 、アテネアカデミー (英語 えいご 版 ばん ) が含 ふく まれる。アテネは、最初 さいしょ の近代 きんだい オリンピックであるアテネオリンピック と、その108年 ねん 後 ご に開催 かいさい されたアテネオリンピック (2004年 ねん ) の2度 ど のオリンピックの舞台 ぶたい である[13] 。アテネにはアテネ国立 こくりつ 考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん があり、世界 せかい 最大 さいだい の古代 こだい ギリシアの遺品 いひん の収蔵 しゅうぞう を特徴 とくちょう とし新 あたら しい2008年 ねん に完成 かんせい したアクロポリス博物館 はくぶつかん もある。ギリシャ正教会 せいきょうかい の首長 しゅちょう であるアテネ大 だい 主教 しゅきょう が所在 しょざい し、精神 せいしん 的 てき な中心 ちゅうしん 地 ち でもある(ギリシャ正教会 せいきょうかい は正教会 せいきょうかい に属 ぞく し、クレタ島 とう を除 のぞ くギリシャ一 いち 国 こく を管轄 かんかつ する)。正教会 せいきょうかい の定 さだ めるアテネの守護 しゅご 聖人 せいじん は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス 、イェロテオス、フィロセイ 。1985年 ねん には欧州 おうしゅう 文化 ぶんか 首都 しゅと に選 えら ばれた。
アテネの守護神 しゅごじん であるアテナ
古代 こだい ギリシア語 ご では、アテネ市 し は Ἀθ しーた ῆν にゅー α あるふぁ ι いおた アテーナイ(Athēnai、[a.tʰɛ̂ː.nai̯] )と呼 よ ばれていた。このアテーナイは複数 ふくすう 形 がた であり、単数 たんすう 形 がた の Ἀθήνη アテーネー(Athēnē)はホメロス の詩文 しぶん など古代 こだい ギリシア語 ご 以前 いぜん (en )にみることができるが[14] 、のちに Θ しーた ῆβ べーた α あるふぁ ι いおた テーバイ や Μ みゅー υ うぷしろん κ かっぱ ῆν にゅー α あるふぁ ι いおた ミュケーナイ 同様 どうよう 複数 ふくすう 形 がた に変 か わった。アテネの語源 ごげん はおそらくギリシア語 ご でも印欧語 いんおうご 系 けい でさえもなく、この都市 とし と常 つね に結 むす びついている女神 めがみ アテナ の語源 ごげん がそうであるように[注釈 ちゅうしゃく 1] 、アッティカ地方 ちほう にギリシア語 ご が入 はい り込 こ む以前 いぜん に存在 そんざい した言語 げんご (en )に遡 さかのぼ ると考 かんが えられている[15] 。中世 ちゅうせい にはこの都市 とし の名前 なまえ はふたたび単数 たんすう 形 がた の Ἀθήνα となり、以来 いらい 一貫 いっかん してこの名 な が用 もち いられてきたが、書 か き言葉 ことば では古体 こたい が尊 たっと ばれたため、1970年代 ねんだい にカサレヴサ (文語 ぶんご )の使用 しよう が停止 ていし されるまで同市 どうし の公式 こうしき 名称 めいしょう は Ἀθ しーた ῆν にゅー α あるふぁ ι いおた アシネ([aˈθ しーた ine] )であった。カサレヴサ廃止 はいし 以降 いこう は Ἀθήνα アシナとなり現在 げんざい に至 いた る。
また、かつて19世紀 せいき には上記 じょうき とは異 こと なる語源 ごげん も唱 とな えられた。ドイツの古典 こてん 学者 がくしゃ Lobeck は「花 はな 」を意味 いみ する ἄθος (athos)ないし ἄνθος (anthos)をアテネの語源 ごげん として提唱 ていしょう し、アテネの名 な を「花 はな ざかりの都 と 」と解 かい したほか、同 おな じくドイツの文献 ぶんけん 学者 がくしゃ Döderlein は動詞 どうし θάω (thaō)「吸 す う」の語幹 ごかん θ しーた η いーた - (thē-)を語源 ごげん と考 かんが え、肥沃 ひよく な土壌 どじょう から滋養 じよう を汲 く み取 と ることに関連付 かんれんづ けている[16] 。
アテネ市 し がアテネと呼 よ ばれるようになった経緯 けいい を語 かた る起源 きげん 神話 しんわ は古代 こだい のアテネ市民 しみん に広 ひろ く知 し られており、パルテノン神殿 しんでん の西 にし 面 めん のペディメント彫刻 ちょうこく のモチーフともなっている。智慧 ちえ の女神 めがみ アテナ と海神 わたつみ ポセイドン はさまざまな諍 いさか いや争 あらそ いを重 かさ ねるが、その1つがこの都市 とし の守護神 しゅごじん の座 ざ をめぐるものであった。人々 ひとびと を従 したが わせようとポセイドンは三叉 みつまた の槍 やり (海軍 かいぐん 力 りょく の象徴 しょうちょう )で地 ち を突 とっ き海水 かいすい を湧 わ き出 で させたが、アテナがオリーヴ の木 き (平和 へいわ と繁栄 はんえい の象徴 しょうちょう )を生 お いたせると、国王 こくおう ケクロプス 以下 いか の住民 じゅうみん はオリーヴの木 き を択 えら び、アテナの名 な を都市 とし の名 な として押 お し戴 いただ いた。
アテネ市 し はギリシア語 ご で τ たう ὸ κλεινὸν にゅー ἄσ しぐま τ たう υ うぷしろん 「栄光 えいこう の都 と 」と呼 よ ばれることがあるほか、単 たん に η いーた πρωτεύουσα 「首都 しゅと 」とも呼 よ ばれる。文学 ぶんがく 的 てき 表現 ひょうげん としては、古代 こだい ギリシアの詩人 しじん ピンダロス が ἰοστέφανοι Ἀθ しーた ᾶν にゅー α あるふぁ ι いおた と呼 よ んで以来 いらい 、「紫 むらさき 冠 かんむり の都 と 」(en:City of the Violet Crown )と呼 よ び習 なら わされてきた。
古代 こだい から近代 きんだい までの変遷 へんせん が収 おさ められた風景 ふうけい 。アクロポリスの神殿 しんでん と手前 てまえ の円柱 えんちゅう は古代 こだい を、丸屋 まるや 根 ね の教会 きょうかい は中世 ちゅうせい を、新 しん 古典 こてん 様式 ようしき の家々 いえいえ は近代 きんだい を代表 だいひょう する。
現在 げんざい のところ、アテネにおける最古 さいこ の人類 じんるい の痕跡 こんせき は同市 どうし を象徴 しょうちょう するアクロポリスの下部 かぶ にあいた片岩 かたいわ 地質 ちしつ (Athens Schist)の洞窟 どうくつ 内 ない から発見 はっけん されたもので、時期 じき は前 まえ 6000年 ねん から前 まえ 11000年 ねん と推定 すいてい されている[17] 。アテネでは少 すく なくとも7000年間 ねんかん 継続 けいぞく して定住 ていじゅう が行 おこな われている[18] [19] 。前 ぜん 1400年 ねん にはこの地 ち の集落 しゅうらく はミケーネ文明 ぶんめい における中心 ちゅうしん 的 てき 地域 ちいき の1つとなっており、アクロポリスはミケーネ市 し にとっての主要 しゅよう な砦 とりで であった。この砦 とりで の遺構 いこう は特徴 とくちょう 的 てき なキュクロプス式 しき (英語 えいご 版 ばん ) の城壁 じょうへき に今 いま でもうかがうことができる[20] 。ミケーネやピュロス といったミケーネ文明 ぶんめい の他 ほか の中心 ちゅうしん 地 ち と異 こと なり、アテネが前 まえ 1200年 ねん ごろ滅亡 めつぼう を被 こうむ ったかどうかはわかっていない。東 ひがし 地中海 ちちゅうかい 全域 ぜんいき を襲 おそ ったこの危機 きき は、ミケーネ文明 ぶんめい に関 かん してはドリス人 じん の侵略 しんりゃく にその咎 とがめ が帰 かえ せられることが多 おお いが、アテネ人 じん はドリス的 てき 要素 ようそ の混 ま ざらない純粋 じゅんすい なイオニア人 じん であることにこだわりつづけた。いずれにせよアテネも他 た の多 おお くの集落 しゅうらく 同様 どうよう に、以後 いご 150年 ねん ほど経済 けいざい 的 てき 停滞 ていたい に沈 しず んでいる。
鉄器 てっき 時代 じだい に入 はい ると、ケラメイコス の墓地 ぼち をはじめとして多人数 たにんずう を収 おさ める墓地 ぼち が少 すく なからず設 もう けられており、前 ぜん 900年 ねん 以降 いこう アテネがギリシアにおける交易 こうえき と繁栄 はんえい の先進 せんしん 的中 てきちゅう 心地 ごこち の1つとなっていたことがわかる[21] 。アテネの先進 せんしん 的 てき 地位 ちい は、ギリシア世界 せかい の中心 ちゅうしん に位置 いち したこと、アクロポリスの砦 とりで を擁 よう し防衛 ぼうえい に優 すぐ れたこと、海上 かいじょう 交通 こうつう の便 びん が良 よ いことから享受 きょうじゅ できたと考 かんが えられる。特 とく に第 だい 3の点 てん はテバイ やスパルタ といった内陸 ないりく の競合 きょうごう 相手 あいて に対 たい し天与 てんよ の利点 りてん となった。
前 ぜん 6世紀 せいき にはギリシア世界 せかい に広 ひろ まった不穏 ふおん な社会 しゃかい 情勢 じょうせい からソロン の改革 かいかく に至 いた り、この改革 かいかく は結果 けっか 的 てき に前 まえ 508年 ねん のクレイステネス による民主 みんしゅ 政 せい の導入 どうにゅう を招来 しょうらい した。この時期 じき 以降 いこう アテネは大 だい 艦隊 かんたい を保有 ほゆう する一大 いちだい 海軍 かいぐん 力 りょく となり、ペルシア の支配 しはい に抗 こう するイオニア諸 しょ 都市 とし を支援 しえん することとなる。その後 ご に勃発 ぼっぱつ したペルシアとの戦争 せんそう では、アテネはスパルタとともにギリシア諸 しょ 都市 とし の連合 れんごう を率 ひき いて戦 たたか い、ついにはペルシアを撃退 げきたい している(前 ぜん 490年 ねん のマラトンの戦 たたか い ・前 ぜん 480年 ねん のサラミス海戦 かいせん の勝利 しょうり が決定的 けっていてき となった)。とはいえ、最終 さいしゅう 的 てき に勝利 しょうり こそしたものの、レオニダス1世 せい 麾下 きか のスパルタ兵 へい が英雄 えいゆう 的 てき に敗北 はいぼく した際 さい と[22] 、ボイオティア とアッティカ がともにペルシアの手 て に落 お ちた際 さい との都合 つごう 2度 ど 、アテネはペルシアによる占領 せんりょう と略奪 りゃくだつ を受 う けることを余儀 よぎ なくされている。
ペロポネソス戦争 せんそう 勃発 ぼっぱつ 直前 ちょくぜん のデロス同盟 どうめい (前 ぜん 431年 ねん )。
ペルシア戦争 せんそう 後 ご の数 すう 十 じゅう 年 ねん は、民主 みんしゅ 政 せい アテネの黄金 おうごん 時代 じだい (en )として知 し られる。前 ぜん 5世紀 せいき のこの時代 じだい 、アテネは古代 こだい ギリシア世界 せかい の先頭 せんとう を走 はし り、さまざまな文化 ぶんか 的 てき 達成 たっせい は以後 いご の西洋 せいよう 文明 ぶんめい の礎 いしずえ となった。アイスキュロス 、ソポクレス 、エウリピデス といった劇 げき 作家 さっか 、歴史 れきし 家 か のヘロドトス とトゥキディデス 、医師 いし ヒポクラテス 、哲学 てつがく 者 しゃ ソクラテス がこの時期 じき のアテネで活躍 かつやく している。優 すぐ れた指導 しどう 者 しゃ であったペリクレス は諸 しょ 芸 げい の振興 しんこう と民主 みんしゅ 主義 しゅぎ の庇護 ひご をこととしたが、この指導 しどう 者 しゃ のもとでアテネは野心 やしん 的 てき 計画 けいかく に乗 の り出 だ し、パルテノン神殿 しんでん をはじめとするアクロポリスの壮観 そうかん と、デロス同盟 どうめい を通 つう じた帝国 ていこく の樹立 じゅりつ を見 み ることとなった。デロス同盟 どうめい はもともとはペルシアへの抵抗 ていこう を継続 けいぞく するギリシアの諸 しょ 都市 とし が相互 そうご に結 むす んだ同盟 どうめい 関係 かんけい というべきものであったが、ほどなくアテネの帝国 ていこく 的 てき 野望 やぼう のための手段 しゅだん となった。このアテネの傲岸 ごうがん がもたらした緊張 きんちょう はペロポネソス戦争 せんそう (前 ぜん 431年 ねん - 前 ぜん 404年 ねん )の開戦 かいせん を招 まね き、宿敵 しゅくてき スパルタに敗北 はいぼく したアテネはギリシアにおける覇権 はけん を失 うしな った。
前 ぜん 4世紀 せいき 半 なか ばには北方 ほっぽう のギリシャ系 けい 国家 こっか であるマケドニア王国 おうこく がアテネ周辺 しゅうへん へも影響 えいきょう 力 りょく を及 およ ぼしはじめ、前 ぜん 338年 ねん にはピリッポス2世 せい 率 ひき いるマケドニア軍 ぐん がアテネとテバイを中核 ちゅうかく とする都市 とし 同盟 どうめい 軍 ぐん をカイロネイアの戦 たたか い で打 う ち破 やぶ っている。この敗戦 はいせん の結果 けっか アテネの独立 どくりつ には終止符 しゅうしふ が打 う たれることとなった。のち、ローマ が地中海 ちちゅうかい 世界 せかい の覇権 はけん を握 にぎ ると、アカデメイアに代表 だいひょう される市内 しない の名高 なだか い学校 がっこう のためアテネは自由 じゆう 都市 とし の地位 ちい を与 あた えられた。2世紀 せいき のローマ皇帝 こうてい ハドリアヌス は図書館 としょかん 、競技 きょうぎ 場 じょう 、水道橋 すいどうばし (現役 げんえき )、寺院 じいん など宗教 しゅうきょう 施設 しせつ をいくつかと橋 はし を建設 けんせつ したほか、ゼウス神殿 しんでん 完成 かんせい のため予算 よさん をつけている。
古代 こだい 末 まつ にはアテネも衰退 すいたい していく。東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく の下 した でもしばらくは学芸 がくげい の中心 ちゅうしん であったが、6世紀 せいき 後半 こうはん になるとスラヴ人 じん やアヴァール人 じん の侵略 しんりゃく を受 う けるようになり、529年 ねん にキリストの教 おし え以外 いがい が禁 きん じられるとアカデメイアも閉鎖 へいさ に至 いた った[23] 。その後 ご 、9世紀 せいき から10世紀 せいき には回復 かいふく を見 み 、十字軍 じゅうじぐん 時代 じだい にはイタリアとの交易 こうえき から利益 りえき を得 え てある程度 ていど 繁栄 はんえい する。1040年 ねん に東 ひがし ロ ろ ーマ帝国 まていこく に反乱 はんらん を起 お こすも鎮圧 ちんあつ され、1147年 ねん にはシチリア王国 おうこく 軍 ぐん の略奪 りゃくだつ により大 おお きな被害 ひがい を受 う けている。第 だい 4回 かい 十字軍 じゅうじぐん 後 ご の1205年 ねん にはアテネ公国 こうこく が建国 けんこく された。1458年 ねん アテネ公国 こうこく はオスマン帝国 ていこく に征服 せいふく され、アテネは長 なが い停滞 ていたい の時代 じだい に入 はい った。
ギリシア独立 どくりつ 戦争 せんそう を経 へ てギリシア王国 おうこく が成立 せいりつ すると、1834年 ねん にアテネはこの新生 しんせい 独立 どくりつ 国 こく の首都 しゅと に選 えら ばれている(なお近代 きんだい ギリシア初 はつ の首都 しゅと はナフプリオ とされる)。アテネが同国 どうこく の首都 しゅと に選 えら ばれたのは、主 しゅ として歴史 れきし 的 てき 栄光 えいこう と国民 こくみん 感情 かんじょう を鑑 かんが みたものであり、この当時 とうじ のアテネはアクロポリスの裾野 すその を取 と り巻 ま く小規模 しょうきぼ な町 まち に過 す ぎなかった。初代 しょだい 国王 こくおう オソン1世 せい は建築 けんちく 家 か クレアンティス(en )とシャウベルト(en )の両人 りょうにん に命 めい じて一 いち 国 こく の首都 しゅと にふさわしい都市 とし 計画 けいかく をデザインさせている。
ギリシア初 はつ の近代 きんだい 都市 とし は、アクロポリス、ケラメイコスの古代 こだい 墓地 ぼち 、国王 こくおう の新 しん 宮殿 きゅうでん (現 げん ・国会 こっかい 議事堂 ぎじどう )を頂点 ちょうてん とする三角形 さんかっけい としてデザインされ、古代 こだい から現在 げんざい までの連続 れんぞく 性 せい を強調 きょうちょう するものとなっている。この時代 じだい の国際 こくさい 標準 ひょうじゅん であった新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ はまさに古代 こだい アテネをはじめとする古典 こてん 古代 こだい に範 はん をとるものだが、この新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ に基 もと づき各国 かっこく の建築 けんちく 家 か が主要 しゅよう 公共 こうきょう 施設 しせつ の設計 せっけい に腕 うで を揮 ふる った。なお、新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ は西欧 せいおう ではほどなく衰 おとろ えるが、ギリシアでは「古代 こだい ギリシアの復興 ふっこう 」という理念 りねん から1920年代 ねんだい まで新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ による建築 けんちく が続 つづ いた[24] 。1896年 ねん には近代 きんだい オリンピック の第 だい 1回 かい 大会 たいかい がアテネで開催 かいさい されている。1920年代 ねんだい の希 まれ 土 ど 戦争 せんそう の際 さい にはアナトリア半島 はんとう から追 お い立 た てられた大量 たいりょう のギリシア難民 なんみん がアテネになだれこみ人口 じんこう がふくれあがった。もっとも、人口 じんこう 増大 ぞうだい のピークは第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 後 ご の1950年代 ねんだい から1960年代 ねんだい にかけてであり、この時期 じき に市域 しいき は拡大 かくだい を続 つづ けた。
1980年代 ねんだい には、工場 こうじょう からの排 はい ガス、かつてなく増 ふ えた自動車 じどうしゃ 、人口 じんこう 過密 かみつ による利用 りよう 可能 かのう な空間 くうかん の減少 げんしょう から、アテネは非常 ひじょう に深刻 しんこく な課題 かだい に直面 ちょくめん することとなった。1990年代 ねんだい の市 し 当局 とうきょく による汚染 おせん 対策 たいさく 事業 じぎょう とインフラの抜本 ばっぽん 的 てき 改善 かいぜん (自動車 じどうしゃ 道 どう (en )の建設 けんせつ ・地下鉄 ちかてつ の拡充 かくじゅう ・国際 こくさい 空港 くうこう の新設 しんせつ )によって、汚染 おせん はかなり軽減 けいげん されアテネは従来 じゅうらい に比 くら べずっと機能 きのう 的 てき な都市 とし に生 う まれ変 か わった。2004年 ねん にはふたたび夏季 かき オリンピック が開催 かいさい される。2010年代 ねんだい 初頭 しょとう 以降 いこう ギリシアは経済 けいざい 的 てき な困難 こんなん に見舞 みま われており、その対策 たいさく が今後 こんご の課題 かだい となっている。アテネ市 し を対象 たいしょう とするものとしては、アテネ近郊 きんこう の経済 けいざい 特区 とっく 設定 せってい [25] や、アテネメトロの路線 ろせん 拡張 かくちょう などのインフラ整備 せいび [26] が経済 けいざい 対策 たいさく として検討 けんとう されている。
アテネはアッティカ中央 ちゅうおう 部 ぶ の平野 へいや に広 ひろ がり、アッティカ盆地 ぼんち (Λεκανοπέδιο Αττικής )と呼 よ ばれる。平野 へいや の周辺 しゅうへん 部 ぶ は4つの山 やま に囲 かこ まれた範囲 はんい で、西側 にしがわ はエガレオ山 さん (Αιγάλεω )、北側 きたがわ はパルニサ山 さん (英語 えいご 版 ばん ) (Πάρνηθα )、北東 ほくとう 側 がわ にはペンテリ山 さん (Πεντέλη )、東側 ひがしがわ にはイミトス山 さん (Υμηττός )がそびえる[27] 。エガレオ山 さん を超 こ えてスリアシアン平野 へいや (英語 えいご 版 ばん ) が広 ひろ がり、西 にし へ中央 ちゅうおう 部 ぶ の平野 へいや の広 ひろ がりを形成 けいせい している。パルニサ山 さん は4つの山 やま の中 なか では一番 いちばん 高 たか く標高 ひょうこう 1,413 m (4,636 ft)で[28] 、国立 こくりつ 公園 こうえん に指定 してい されている。アテネは周辺 しゅうへん 部 ぶ の丘陵 きゅうりょう 地 ち に築 きず かれている。リカヴィトスの丘 おか (Λυκαβηττός )は市内 しない では一番 いちばん 高 たか い丘 おか の一 ひと つで、アッティカ平野 へいや を一望 いちぼう することが出来 でき る。アテネの地形 ちけい は周辺 しゅうへん 部 ぶ の山々 やまやま の影響 えいきょう により、世界 せかい でも最 もっと も複雑 ふくざつ な地形 ちけい で、逆転 ぎゃくてん 層 そう 現象 げんしょう が起 お こりそれと並 なら びギリシャ政府 せいふ の産業 さんぎょう や人口 じんこう の統制 とうせい 政策 せいさく の失敗 しっぱい により大気 たいき 汚染 おせん の問題 もんだい にアテネは現在 げんざい 直面 ちょくめん している[19] [29] 。この問題 もんだい はアテネだけの問題 もんだい ではなく、ロサンゼルス やメキシコシティ など似 に たような地形 ちけい の都市 とし では逆転 ぎゃくてん 層 そう 現象 げんしょう の問題 もんだい を抱 かか えている[19] 。
アテネの気候 きこう はケッペンの気候 きこう 区分 くぶん では高温 こうおん ステップ気候 きこう (BSh)に当 あ たる。従来 じゅうらい は亜熱帯 あねったい 西岸 せいがん 気候 きこう の地中海 ちちゅうかい 性 せい 気候 きこう (ケッペンの気候 きこう 区分 くぶん ではCsa)に属 ぞく していたが、1981年 ねん -2010年 ねん の平年 へいねん 値 ち ではステップ気候 きこう に変 か わった[30] 。いずれにしても数値 すうち の変化 へんか はわずかで、温帯 おんたい と乾燥 かんそう 帯 たい の境界 きょうかい 線 せん 上 じょう に位置 いち していると言 い える。アテネの気候 きこう の特徴 とくちょう は長 なが く続 つづ く暑 あつ くて乾燥 かんそう した夏 なつ の気候 きこう から穏 おだ やかで湿気 しっけ がある冬 ふゆ である[31] 。年 とし 平均 へいきん 降水 こうすい 量 りょう は414.1mmで、これはほとんどが10月から4月 がつ にかけて記録 きろく されるものである。7月 がつ や8月 がつ は乾燥 かんそう した月 つき で雷雨 らいう が月 つき に1、2回 かい 、ときたま発生 はっせい する。冬 ふゆ は冷涼 れいりょう で、雨 あめ が降 お り1月 がつ の平均 へいきん 気温 きおん はアテネ北郊 ほっこう のネア・フィラデルフィア (英語 えいご 版 ばん ) (Νέα Φιλαδέλφεια )で8.9℃、エリニコン (英語 えいご 版 ばん ) で 10.3℃である。
アテネで吹雪 ふぶき は滅多 めった に起 お こらないが、発生 はっせい した場合 ばあい は大 おお きな混乱 こんらん に陥 おちい る。降雪 こうせつ はアテネ北郊 ほっこう では良 よ く見 み られる[32] 。パルニサ山 さん はアテネの街 まち に雨 あめ 蔭 かげ を作 つく り、その結果 けっか 他 た のバルカン地域 ちいき よりも降水 こうすい 量 りょう が少 すく ない状況 じょうきょう を作 つく り出 だ す。例 たと えばアルバニア のティラナ ではアテネの3倍 ばい 、シュコドラ では5倍 ばい 以上 いじょう の降水 こうすい 量 りょう がある。7月の日々 ひび の平均 へいきん 最高 さいこう 気温 きおん (1955–2004)は観測 かんそく 所 しょ があるネア・フィラデルフィアでは33.7℃であるが[33] 、他 た の市内 しない ではこれよりも暑 あつ くとくに西側 にしがわ の地区 ちく は産業 さんぎょう 化 か や主 おも にいくつかの自然 しぜん 的 てき な理由 りゆう により暑 あつ い[34] [35] [36] 。気温 きおん はしばしば、38℃を超 こ えアテネは熱 ねつ 波 は で知 し られる[27] [37] 。
アテネは都市 とし 活動 かつどう によりヒートアイランド 現象 げんしょう の影響 えいきょう を多 おお くの地区 ちく で受 う け[38] [39] 、気温 きおん は周辺 しゅうへん の田園 でんえん 地域 ちいき とは異 こと なり[40] [41] [42] [43] 冷却 れいきゃく のために必要 ひつよう なエネルギーの使用 しよう や[44] [45] 健康 けんこう に悪影響 あくえいきょう がある[39] 。都市 とし のヒートアイランドには特定 とくてい のアテネの気象 きしょう 観測 かんそく 所 しょ の気候 きこう 学 がく 的 てき な気温 きおん の時 とき 系列 けいれつ 変化 へんか の一部 いちぶ に原因 げんいん が見 み い出 だ せる[46] [47] [48] [49] [50] 。一方 いっぽう で、国立 こくりつ 庭園 ていえん やシセイオ気象 きしょう 観測 かんそく 所 しょ などの特定 とくてい の観測 かんそく 所 しょ では若干 じゃっかん かまったくヒートアイランド現象 げんしょう の影響 えいきょう が見 み られない[40] [51] 。
アテネは世界 せかい 気象 きしょう 機関 きかん のヨーロッパでの最高 さいこう 気温 きおん の記録 きろく を保持 ほじ しており48℃を1977年 ねん 7月 がつ 10日 とおか にエレウシス とタトイの観測 かんそく 所 しょ で記録 きろく している[52] 。
アテネ国立 こくりつ 気象台 きしょうだい (Thiseio), 海抜 かいばつ 107 m (1971–2000 気温 きおん ; 1961–1990 降雨 こうう 量 りょう )の気候 きこう
月 つき
1月 がつ
2月 がつ
3月 がつ
4月 がつ
5月
6月 がつ
7月 がつ
8月 がつ
9月
10月
11月
12月
年 とし
平均 へいきん 最高 さいこう 気温 きおん °C (°F )
13.3 (55.9)
12.7 (54.9)
14.4 (57.9)
18.3 (64.9)
22.7 (72.9)
30.6 (87.1)
33.1 (91.6)
32.8 (91)
30.5 (86.9)
25.5 (77.9)
20.0 (68)
16.1 (61)
22.5 (72.5)
日 にち 平均 へいきん 気温 きおん °C (°F )
10.0 (50)
9.4 (48.9)
11.1 (52)
13.8 (56.8)
17.7 (63.9)
25.5 (77.9)
28.0 (82.4)
27.7 (81.9)
25.0 (77)
20.5 (68.9)
16.1 (61)
12.7 (54.9)
18.12 (64.63)
平均 へいきん 最低 さいてい 気温 きおん °C (°F )
6.7 (44.1)
6.8 (44.2)
8.2 (46.8)
11.6 (52.9)
16.0 (60.8)
20.4 (68.7)
22.8 (73)
22.5 (72.5)
19.4 (66.9)
15.1 (59.2)
11.2 (52.2)
8.2 (46.8)
14.07 (57.34)
雨量 うりょう mm (inch)
44.6 (1.756)
48.3 (1.902)
42.6 (1.677)
28.2 (1.11)
17.2 (0.677)
9.7 (0.382)
4.2 (0.165)
4.6 (0.181)
11.9 (0.469)
47.7 (1.878)
50.6 (1.992)
66.6 (2.622)
376.2 (14.811)
出典 しゅってん :National Observatory of Athens[53]
下段 げだん はアテネ北郊 ほっこう のネア・フィラデルフィアの観測 かんそく 所 しょ のデータである。
アテネの気候 きこう
月 つき
1月 がつ
2月 がつ
3月 がつ
4月 がつ
5月
6月 がつ
7月 がつ
8月 がつ
9月
10月
11月
12月
年 とし
平均 へいきん 最高 さいこう 気温 きおん °C (°F )
12.5 (54.5)
13.5 (56.3)
15.7 (60.3)
20.2 (68.4)
26.0 (78.8)
31.1 (88)
33.5 (92.3)
33.2 (91.8)
29.2 (84.6)
23.3 (73.9)
18.1 (64.6)
14.1 (57.4)
22.5 (72.5)
日 にち 平均 へいきん 気温 きおん °C (°F )
8.9 (48)
9.5 (49.1)
11.2 (52.2)
14.9 (58.8)
20.0 (68)
24.7 (76.5)
27.2 (81)
27.0 (80.6)
23.3 (73.9)
18.4 (65.1)
14.0 (57.2)
10.5 (50.9)
17.4 (63.3)
平均 へいきん 最低 さいてい 気温 きおん °C (°F )
5.2 (41.4)
5.4 (41.7)
6.7 (44.1)
9.6 (49.3)
13.9 (57)
18.2 (64.8)
20.8 (69.4)
20.7 (69.3)
17.3 (63.1)
13.4 (56.1)
9.8 (49.6)
6.8 (44.2)
12.3 (54.1)
雨量 うりょう mm (inch)
56.9 (2.24)
46.7 (1.839)
40.7 (1.602)
30.8 (1.213)
22.7 (0.894)
10.6 (0.417)
5.8 (0.228)
6.0 (0.236)
13.9 (0.547)
52.6 (2.071)
58.3 (2.295)
69.1 (2.72)
414.1 (16.303)
平均 へいきん 降雨 こうう 日数 にっすう
12.6
10.4
10.2
8.1
6.2
3.7
1.9
1.7
3.3
7.2
9.7
12.1
87.1
% 湿度 しつど
74.5
72.2
68.8
61.7
53.9
46.1
43.1
45.3
53.7
66.1
74.3
76.1
60.8
平均 へいきん 月間 げっかん 日照 ひでり 時間 じかん
130.2
139.2
182.9
231.0
291.4
336.0
362.7
341.0
276.0
207.7
153.0
127.1
2,778.2
出典 しゅってん :世界 せかい 気象 きしょう 機関 きかん (国連 こくれん ),[54] 香港 ほんこん 天文台 てんもんだい [55] for data of sunshine hours
アテネ市内 しない には様々 さまざま な異 こと なった建築 けんちく 様式 ようしき の建物 たてもの が含 ふく まれ、その範囲 はんい は古代 こだい ギリシャ・ローマ世界 せかい や新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ 建築 けんちく 、現代 げんだい 建築 けんちく と幅広 はばひろ い。これらは同一 どういつ の地区 ちく で見 み ることが出来 でき 、アテネでは建築 けんちく 様式 ようしき に一貫 いっかん 性 せい があるわけではない。アテネでもっとも多 おお くを占 し めている建築 けんちく 物 ぶつ にはグレコ・ローマンや新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ 建築 けんちく のスタイルである。いくつかの新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ 建築 けんちく の建物 たてもの は19世紀 せいき 半 なか ばに公共 こうきょう 的 てき な建物 たてもの として、テオフィル・ハンセン (英語 えいご 版 ばん ) やエルンスト・ツィラー (ドイツ語 ご 版 ばん ) らの指導 しどう の下 した 建 た てられた。新 しん 古典 こてん 様式 ようしき 建築 けんちく の中 なか にはアテネアカデミー (英語 えいご 版 ばん ) 、アテネ市庁舎 しちょうしゃ 、国会 こっかい 議事堂 ぎじどう 、アテネ旧 きゅう 議会 ぎかい 議事堂 ぎじどう (英語 えいご 版 ばん ) (1835-1832、現在 げんざい のアテネ国立 こくりつ 博物館 はくぶつかん )[56] 、アテネ大学 だいがく 、ザッペイオン ホールなどが含 ふく まれる。
1920年代 ねんだい には近代 きんだい 建築 けんちく が興 おこ り、その中 なか にはバウハウス やアール・デコ が含 ふく まれほとんど全 すべ てのギリシャの建築 けんちく 家 か に影響 えいきょう を与 あた え多 おお くの公共 こうきょう や民間 みんかん の両方 りょうほう の建築 けんちく 物 ぶつ は一致 いっち してこのような建築 けんちく 様式 ようしき で建 た てられた。近隣 きんりん では非常 ひじょう に多 おお くの近代 きんだい 的 てき な建築 けんちく が見 み られ、コロナキ (英語 えいご 版 ばん ) や他 た のアテネ中心 ちゅうしん 部 ぶ の地区 ちく も含 ふく まれておりこの時代 じだい に開発 かいはつ されたキプセリ (英語 えいご 版 ばん ) も含 ふく まれる[57] 。
1950年代 ねんだい から1960年代 ねんだい の期間 きかん はアテネは大 おお きな開発 かいはつ により都市 とし が拡大 かくだい した時期 じき で、他 た の新 あたら しい動 うご きとしてインターナショナル・スタイル が大 おお きな役割 やくわり を演 えん じていた。アテネの中心 ちゅうしん 部 ぶ は大 だい 規模 きぼ な建 た て直 なお しが行 おこな われ多 おお くの新 しん 古典 こてん 様式 ようしき の建物 たてもの が取 と り壊 こわ されている。インターナショナル・スタイル時代 じだい の建築 けんちく 家 か は建築 けんちく 材 ざい にガラスや大理石 だいりせき 、アルミニウムを用 もち いクラシカルな要素 ようそ と多 おお く融合 ゆうごう させている[58] 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、国際 こくさい 的 てき に知 し られた建築 けんちく 家 か でアテネ市内 しない の建築 けんちく や設計 せっけい に携 たずさ わった人物 じんぶつ にはアメリカ大使館 あめりかたいしかん を手掛 てが けたヴァルター・グロピウス や現在 げんざい あるアテネ国際 こくさい 空港 くうこう 以前 いぜん のエリニコン国際 こくさい 空港 くうこう (英語 えいご 版 ばん ) の東 ひがし 旅客 りょかく ターミナルを手掛 てが けたエーロ・サーリネン が含 ふく まれる。
1930年代 ねんだい から1960年代 ねんだい にかけての著名 ちょめい なギリシャの建築 けんちく 家 か や都市 とし 計画 けいかく 家 か にはコンスタンティノス・ドキシアディス 、ディミトリス・ピキオニス (英語 えいご 版 ばん ) 、ペリキリス・セキレリオス (英語 えいご 版 ばん ) 、アリス・コンスタンティニディス (英語 えいご 版 ばん ) などがいる。
夜 よる のリカベッテウス山 さん
アテネ首都 しゅと 圏 けん の中心 ちゅうしん 部 ぶ であるアテネ市 し は以下 いか のような地区 ちく に分 わ けられている。
オモノイア、シンタグマ、エグザルチア、アギオス・ニコラオス、ネアポリス、リカヴィトス、ロフォス・ストレフィ、ロフォス・フィノプロウ、ロフォス・フィロパッポウ、ペディオン・アレオス、メタクスルギオアギオス・コスタンティノス、ラリッサバーンホフ、ケラメイコス、プシリ、モナスティラキ、ガジ、ティシオン、カプニカレア、 アギア・イリニ、エアリデス、アナフィオティカ、プラカ・アクロポリス、プニキス、マクリギアンニ、ロフォス・アルディトゥ、ザッペイオン、アギオス・スピリドン、パングラティ、コロナキ、デクサメニ、エヴァゲリスモス、グーヴァ、アギオス・イオアニス、ネオス・コスモス、コウカキ、キノサルゴス、フィックス、アノ・ペトラロナ カト・ペトラロナ、ルーフ、ヴォタニコス、プロフィティス・ダニール、アカディミア・プラトノス、コロノス、コロキントウ・アティキス・プラッツ、ロフォス・スクーズ、セポリア、キプセリ、アギオス・メレティオス、ネア・キプセリ、ギジ、ポリゴノ、アンペロキポイ、パノルムー・ゲロコメイオ、ペンタゴノ・エリノロソン カト・フィロテイ、アノ・キプセリ、トゥルコヴォウニア-ロフォス・パタツウ、ロフォス・エリコノス、コリアツウ、ティマラキア、カト・パティシア、トレイス・ゲフィレス、アギオス・エレフテリオス、アノ・パティシア、キプリアドゥ、プロンポナ、アギオス・パンテレイモナス、パングラティ、ゴーディ、イリシア、カイサリアニ
シンタグマ広場 ひろば
パネピスティミオ通 どお り
プラカ通 どお り
19世紀 せいき の新 しん 古典 こてん 主義 しゅぎ の邸宅 ていたく 。アール・ヌーヴォーと折衷 せっちゅう 主義 しゅぎ の要素 ようそ が含 ふく まれる。マクリギアンニ地区 ちく
オモニア ,オモニア広場 ひろば (英語 えいご 版 ばん ) (ギリシア語 ご : Πλατεία Ομονοίας ) はアテネでは一番 いちばん 古 ふる い広場 ひろば で周辺 しゅうへん 部 ぶ にはホテルやファーストフード店 てん が立地 りっち しており、アテネメトロや電鉄 でんてつ の駅 えき であるオモニア駅 えき がある。オモニア広場 ひろば はギリシャが優勝 ゆうしょう したEuro 2004やEurobasket 2005 トーナメントの祝賀 しゅくが で注目 ちゅうもく を集 あつ めた。
メタクスルギオ (ギリシア語 ご : Μεταξουργείο ) はアテネの地区 ちく のうちの一 ひと つで、コロノスの東 ひがし 、ケラメイコスの西 にし 、ガジの北 きた にある。メタクスルギオは過渡 かと 期 き にある地域 ちいき であると描写 びょうしゃ され20世紀 せいき 後半 こうはん は長 なが い期間 きかん 見捨 みす てられていたが、美術館 びじゅつかん や博物館 はくぶつかん 、レストランやカフェがオープンしてからは芸術 げいじゅつ 的 てき でファッショナブルな地域 ちいき であるという評判 ひょうばん を得 え ている。地元 じもと の美化 びか や活気 かっき づける努力 どりょく により、共同 きょうどう 体 たい の意識 いしき と芸術 げいじゅつ 的 てき 表現 ひょうげん を確固 かっこ たるものとした。無名 むめい のアート作品 さくひん が英語 えいご と古代 こだい ギリシャ語 ご 両方 りょうほう のセンテンス「芸術 げいじゅつ のための芸術 げいじゅつ 」(Τέχνη τέχνης χάριν ) が取 と り込 こ まれて引用 いんよう され地区 ちく のあちこちに広 ひろ がっている。花 はな ゲリラ も地域 ちいき の美化 びか を助 たす けている。
プシリ (英語 えいご 版 ばん ) (ギリシア語 ご : Ψυρρή ) はアテネの「精肉 せいにく 地区 ちく 」として知 し られ以前 いぜん の邸宅 ていたく がアーティストのスペースや小 ちい さな美術館 びじゅつかん に刷新 さっしん され点在 てんざい している。多 おお くの建物 たてもの は改修 かいしゅう されファッショナブルなバーとなり、ここ数 すう 十 じゅう 年 ねん でアテネの街 まち でも活発 かっぱつ な場所 ばしょ となりギリシャの音楽 おんがく レベティコ に因 ちな んだ音楽 おんがく レストラン "rebetadika"などが知 し られ、1920年代 ねんだい から1960年代 ねんだい にかけてシロスやアテネで開花 かいか した独特 どくとく な音楽 おんがく の形 かたち で、見付 みつ けることができる。 レベティコは多 おお くの人々 ひとびと によって賞賛 しょうさん され、結果 けっか としてレベタディカではしばしば、歌 うた ったり踊 おど ったりして夜明 よあ けまで飲 の まれ、すべての年齢 ねんれい 層 そう の人々 ひとびと が所 ところ 狭 せま しと楽 たの しんでいる。
ガジ (ギリシア語 ご : Γκάζι ) は最近 さいきん 全面 ぜんめん 的 てき に再 さい 開発 かいはつ された地区 ちく の一 ひと つで周辺 しゅうへん には歴史 れきし 的 てき なガス工場 こうじょう があった。現在 げんざい ではテクノポリスや文化 ぶんか 複 ふく 合 あい 施設 しせつ 、アーティスト地区 ちく 、小 ちい さなクラブやバー、レストランに転換 てんかん されアテネのゲイ・タウン として芽生 めば えつつある。地下鉄 ちかてつ は市 し の西 にし 郊まで2007年 ねん 春 はる に延伸 えんしん されアクセスし易 やす くなり、現在 げんざい ではガジにはブルーラインのケラメイコス駅 えき がある。
シンタグマ , シンタグマ広場 ひろば (ギリシア語 ご : Σύνταγμα /憲法 けんぽう 広場 ひろば )は首都 しゅと の中央 ちゅうおう 広場 ひろば でアテネ一 いち 広 ひろ い広場 ひろば である。周辺 しゅうへん 部 ぶ には国会 こっかい 議事堂 ぎじどう (旧 きゅう 王宮 おうきゅう )やアテネでもっとも有名 ゆうめい なホテルグランドブルターニュがある。エルモウ通 どお りは約 やく 1kmの歩行 ほこう 者 しゃ 用 よう の通 とお りでシンタグマ広場 ひろば からモナスティラキを結 むす びアテネ市民 しみん や観光 かんこう 客 きゃく 両方 りょうほう の買 か い物 もの 客 きゃく にとって憩 いこ いの場 ば となっている。ファッションの店 みせ やショッピングモールが揃 そろ っており、ほとんどの国際 こくさい 的 てき なブランドが販売 はんばい を促進 そくしん しており、現在 げんざい では欧州 おうしゅう でも五指 ごし に入 はい る高級 こうきゅう なショッピングストリートに入 はい り、世界 せかい でも10番目 ばんめ に高級 こうきゅう なショッピングストリートに入 はい る[59] 。近 ちか くの刷新 さっしん されたパネピスティミオウ通 どお りの軍 ぐん の建物 たてもの にはアッティカデパートやいくつかの高級 こうきゅう 指向 しこう のデザイナーストアーが入 はい っている。
プラカ, モナスティラキ, ティシオ – プラカ (英語 えいご 版 ばん ) (ギリシア語 ご : Πλάκα )はアクロポリスの丁度 ちょうど 真下 ました にあり、豊富 ほうふ な新 しん 古典 こてん 様式 ようしき の建築 けんちく 物 ぶつ で知 し られアテネでもっとも美 うつく しい地区 ちく の一 ひと つを構成 こうせい している。主要 しゅよう な観光 かんこう 地 ち としてタヴェルナ やライブパフォーマンス、露店 ろてん が残 のこ っている。近 ちか くのモナスティラキ (ギリシア語 ご : Μοναστηράκι ) は小 ちい さな店舗 てんぽ や市場 いちば が連 つら なっていることで知 し られ、賑 にぎ やかなの市 みのいち やスブラキ 専 せん 門 もん のタヴェルナなどでも知 し られている。他 た の地区 ちく では学生 がくせい が多 おお いスタイリッシュなカフェがモナスティラキの西側 にしがわ のティシオ (ギリシア語 ご : Θησείο ) にある。ティシオにはヘファイストス神殿 しんでん があり、小 ちい さな丘 おか の上 うえ にある。この地区 ちく は絵 え のように美 うつく しい11世紀 せいき のビザンティンの教会 きょうかい だけでなく、15世紀 せいき のオスマンのモスクもある。
エクサルヒア (英語 えいご 版 ばん ) (ギリシア語 ご : Εξάρχεια ) はコロナキの北側 きたがわ に位置 いち しカファやバー、書店 しょてん があるアナーキストや学生 がくせい の地区 ちく である。アテネ国立 こくりつ 技術 ぎじゅつ 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) やアテネ国立 こくりつ 考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん などが周辺 しゅうへん にある。
コロナキ (英語 えいご 版 ばん ) (ギリシア語 ご : Κολωνάκι ) はリカヴィトスの丘 おか の南 みなみ にある地区 ちく で、高級 こうきゅう ブティックやファッショナブルなバー、レストランが多 おお くある他 ほか 、美術館 びじゅつかん や博物館 はくぶつかん がある。アテネでは評判 ひょうばん が高 たか い地区 ちく の一 ひと つと考 かんが えられている。
典型 てんけい 的 てき なアテネの郊外 こうがい 地区 ちく (Cholargos)
アテネ首都 しゅと 圏 けん はアッティカ地方 ちほう の島嶼 とうしょ 部 ぶ の自治体 じちたい を除 のぞ いた58の人口 じんこう が密集 みっしゅう した自治体 じちたい で構成 こうせい されていたが、2011年 ねん 以降 いこう の行政 ぎょうせい 改革 かいかく により自治体 じちたい 間 あいだ の合併 がっぺい が進 すす んでいる。これらは中心 ちゅうしん 部 ぶ のアテネ市 し のすべての周辺 しゅうへん 部 ぶ に広 ひろ がっており、アテネ市 し との地理 ちり 的 てき な位置 いち 関係 かんけい により郊外 こうがい は4つの地域 ちいき に分 わ けられる。北郊 ほっこう にはエカリ (英語 えいご 版 ばん ) 、ネア・エリトリア (英語 えいご 版 ばん ) 、アギオス・ステファノス (英語 えいご 版 ばん ) 、ドロシア (英語 えいご 版 ばん ) 、ディオニューソス、キオネリ (英語 えいご 版 ばん ) 、キフィシア (英語 えいご 版 ばん ) 、マルーシ (英語 えいご 版 ばん ) 、ペフキ (英語 えいご 版 ばん ) 、リコヴリシ (英語 えいご 版 ばん ) 、ヘラクリオ、グリカ・ネラ (英語 えいご 版 ばん ) 、ヴリリッシア (英語 えいご 版 ばん ) 、マルーシ (英語 えいご 版 ばん ) 、ペンテリコ山 さん 、ハランドリ (英語 えいご 版 ばん ) 、アギア・パラスカヴィ (英語 えいご 版 ばん ) 、シヒコ (英語 えいご 版 ばん ) 、フィロセイ (英語 えいご 版 ばん ) が、南郊 なんこう にはアリモス (英語 えいご 版 ばん ) 、ネア・ズミルニ (英語 えいご 版 ばん ) 、アギオス・ディミトリオス (英語 えいご 版 ばん ) 、パライオ・ファリロ (英語 えいご 版 ばん ) 、エリニコ (英語 えいご 版 ばん ) 、グリファダ (英語 えいご 版 ばん ) 、ヴーラ (英語 えいご 版 ばん ) 、アリゲロポリ (英語 えいご 版 ばん ) 、イリオポリ (英語 えいご 版 ばん ) 、最南端 さいなんたん の郊外 こうがい ヴォウリアグメニ (英語 えいご 版 ばん ) 、東郊 とうこう にはアハルネス (英語 えいご 版 ばん ) 、ゾグラフォウ (英語 えいご 版 ばん ) 、ケサラニアニ (英語 えいご 版 ばん ) 、ホレロゴーシュ (英語 えいご 版 ばん ) 、パパーゴー (英語 えいご 版 ばん ) 、西 にし 郊にはペリステーリ (英語 えいご 版 ばん ) 、イリオン (自治体 じちたい ) (英語 えいご 版 ばん ) 、ペトロポリ (英語 えいご 版 ばん ) 、ニカイア (自治体 じちたい ) (英語 えいご 版 ばん ) がある。アテネ都市 とし 圏 けん の海岸 かいがん 線 せん は主要 しゅよう な商業 しょうぎょう 港 みなと があるピレウスから最 さい 南部 なんぶ のヴァルキザ (英語 えいご 版 ばん ) まで 25 km (20 mi)続 つづ き[60] アテネの中心 ちゅうしん 部 ぶ とはトラムで結 むす ばれている。
北郊 ほっこう のマルーシには アップグレードされたメイン会場 かいじょう であったアテネオリンピックスポーツコンプレックス (OAKA)がありスカイラインを占 し めている。スポーツコンプレックスはスペインの建築 けんちく 家 か サンティアゴ・カラトラヴァ により設計 せっけい され、鋼 はがね のアーチや美 うつく しい庭園 ていえん 、噴水 ふんすい 、未来 みらい 的 てき なガラス、また画期的 かっきてき な新 しん 青 あお ガラス屋根 やね がメインスタジアムに加 くわ えられた。二 ふた つ目 め のオリンピックの複 ふく 合 あい 施設 しせつ はカリテアのビーチの隣 となり にあり、モダンな競技 きょうぎ 施設 しせつ と店舗 てんぽ や高 たか い位置 いち の遊歩道 ゆうほどう を特徴 とくちょう とする。エルニコン国際 こくさい 空港 くうこう と呼 よ ばれた古 ふる いアテネの空港 くうこう は現在 げんざい 公園 こうえん に転換 てんかん 中 ちゅう で、完成 かんせい すると欧州 おうしゅう 最大 さいだい 規模 きぼ の公園 こうえん エルニコン都市 とし 公園 こうえん (英語 えいご 版 ばん ) になる予定 よてい である[61] 。アテネ南郊 なんこう のアリモスやパライオ・ファリオ、エリニコン、ヴォーラ、ヴォウリアグメニ、ヴァルキザなどには多 おお くのビーチがあり、ギリシャ政府 せいふ 観光 かんこう 局 きょく (英語 えいご 版 ばん ) により運営 うんえい されておりほとんどの場合 ばあい は若干 じゃっかん の入場 にゅうじょう 料 りょう が必要 ひつよう となる。
公園 こうえん ・動物 どうぶつ 園 えん [ 編集 へんしゅう ]
国立 こくりつ 庭園 ていえん
アゴラからのアクロポリスの丘 おか の眺 なが め
パルニサ国立 こくりつ 公園 こうえん は散策 さんさく 路 ろ や泉 いずみ 、峡谷 きょうこく 、保護 ほご 地域 ちいき に点在 てんざい する洞窟 どうくつ により特徴付 とくちょうづ けられる。ハイキングやマウンテンバイクにとってアテネ周辺 しゅうへん 部 ぶ の4つの山 やま すべてはアテネ市民 しみん にとってポピュラーなアウトドア活動 かつどう の場 ば となっている。アテネ国立 こくりつ 庭園 ていえん は1840年 ねん に竣工 しゅんこう し、15.5ヘクタールの緑地 りょくち が保護 ほご されている。国立 こくりつ 庭園 ていえん は国会 こっかい 議事堂 ぎじどう とザッペイオン の間 あいだ にあり、後者 こうしゃ は独自 どくじ に7ヘクタールの庭園 ていえん がある。2012年 ねん 現在 げんざい 、ギリシャの経済 けいざい は不透明 ふとうめい な状況 じょうきょう にあるが中心 ちゅうしん 部 ぶ では「アテネの遺跡 いせき の統一 とういつ 」 Unification of Archeological Sites of Athens と呼 よ ばれる再 さい 開発 かいはつ の基本 きほん 計画 けいかく があり、計画 けいかく を強化 きょうか するために欧州 おうしゅう 連合 れんごう から資金 しきん を集 あつ めている[62] [63] 。ディオニシウ・アレオパギドゥ通 どお りはランドマークとなる歩行 ほこう 者 しゃ 用 よう の通 とお りで景色 けしき の良 よ い通 とお りとなっている。通 とお りはゼウス神殿 しんでん のあるヴァッシリッシス・オルガス通 どお り(Vasilissis Olgas)からアクロポリスの麓 ふもと の南 みなみ 斜面 しゃめん 近 ちか くのプラカ (英語 えいご 版 ばん ) へ続 つづ き、
ティシオ (英語 えいご 版 ばん ) のヘーパイストス神殿 しんでん の先 さき へ達 たっ している。賑 にぎ やかな中心 ちゅうしん 部 ぶ から離 はな れたこの通 とお りは全体 ぜんたい がパルテノン神殿 しんでん やアテネの古代 こだい アゴラ などの景色 けしき を観光 かんこう 客 きゃく に楽 たの しませている。アテネの丘陵 きゅうりょう 地 ち は緑地 りょくち の空間 くうかん となっている。リカヴィトスの丘 おか やフィロパポスの丘 おか (英語 えいご 版 ばん ) をはじめプニュクス を含 ふく め、松 まつ や他 た の種類 しゅるい の樹木 じゅもく が生 は えており典型 てんけい 的 てき な都市 とし の都市 とし の緑地 りょくち と言 い うよりは小 ちい さな森林 しんりん といった趣 おもむき になっている。アテネ国立 こくりつ 考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん の近 ちか くには27.7ヘクタールの公園 こうえん ペディオン・トゥ・アレオス (英語 えいご 版 ばん ) を見付 みつ けることが出来 でき る。
アテネ最大 さいだい の動物 どうぶつ 園 えん はアッティカ動物 どうぶつ 公園 こうえん (英語 えいご 版 ばん ) で20ヘクタールあり、郊外 こうがい のスパタにある。園内 えんない には400種 しゅ 2,000の動物 どうぶつ がおり、365日 にち 開園 かいえん している。小規模 しょうきぼ な動物 どうぶつ 園 えん は国立 こくりつ 庭園 ていえん などの公共 こうきょう の庭園 ていえん や公園 こうえん 内 ない にある。
青 あお い部分 ぶぶん が以前 いぜん のアテネ県 けん 。グレーの部分 ぶぶん がアッティカ地方 ちほう の範囲 はんい
アテネがギリシャの首都 しゅと になったのは1829年 ねん にナフプリオ に一時 いちじ 的 てき な首都 しゅと が置 お かれた後 のち の1834年 ねん のことである。アテネ市 し はアッティカ 地域 ちいき の主 しゅ 都 と でもある。「アテネ」は自治体 じちたい としてのアテネそのものかアテネの都市 とし 的 てき 地域 ちいき どちらかを言及 げんきゅう しており、アテネの都市 とし はアッティカ盆地 ぼんち に広 ひろ がっている。
アテネ大都市 だいとし 圏 けん 地域 ちいき は2,928.717 km2 (1,131 sq mi)の範囲 はんい で広 ひろ がり、その範囲 はんい は3,808 km2 (1,470 sq mi) のアッティカ地方 ちほう の域内 いきない である。アテッティカ地方 ちほう はギリシャでは最 もっと も人口 じんこう が多 おお い地域 ちいき で2011年 ねん 現在 げんざい 、3,812,330人 にん に達 たっ するが[9] 、ギリシャでは一番 いちばん 小 ちい さな地域 ちいき (広域 こういき 自治体 じちたい のペリフェリアとして)である。
アッティカ地方 ちほう 自体 じたい は8つの県 けん で構成 こうせい され、そのうち4つが大 だい アテネを構成 こうせい しピレウス県 けん は大 だい ピレウスを構成 こうせい している。大 だい アテネと大 だい ピレウスにより隣接 りんせつ した都市 とし 的 てき 地域 ちいき であるアテネ首都 しゅと 圏 けん を構成 こうせい し、 412 km2 (159 sq mi)の範囲 はんい で広 ひろ がる[64] 。
2010年 ねん まで、最初 さいしょ の4つの県 けん は共 とも に廃止 はいし されたアテネ県 けん (英語 えいご 版 ばん ) (大 だい アテネとも呼 よ ばれた)を構成 こうせい したもっとも人口 じんこう が多 おお いギリシャの県 けん であった。2001年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ による人口 じんこう は2,664,776人 にん で[9] 面積 めんせき は361 km2 (139 sq mi)であった[11] 。
アテネ市 し (自治体 じちたい ) [ 編集 へんしゅう ]
アテネ市 し の7つの行政 ぎょうせい 区 く
アテネ市 し の人口 じんこう は2011年 ねん 現在 げんざい 、655,780人 にん でギリシャでは最 もっと も人口 じんこう が多 おお い自治体 じちたい で[9] 、市域 しいき 面積 めんせき は39 km2 (15 sq mi)[11] である[11] 。2003年 ねん 1月 がつ から2006年 ねん 2月 がつ まで、保守 ほしゅ 派 は 新 しん 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 党 とう のドラ・バコヤンニ が市長 しちょう を務 つと めた。彼女 かのじょ はアテネ史上 しじょう 初 はつ の女性 じょせい 市長 しちょう であり、オリンピック開催 かいさい 都市 とし の首長 しゅちょう が女性 じょせい であったのも、2004年 ねん のアテネが初 はじ めてであった。その後 ご 、2007年 ねん 1月 がつ に新 しん 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 党 とう のニキタス・カクラマニス が就任 しゅうにん した後 のち 、2009年 ねん にはイオルゴス・カミニス (英語 えいご 版 ばん ) (Γεώργιος Καμίνης )が市長 しちょう に就任 しゅうにん した。アテネ市 し は7つの行政 ぎょうせい 区域 くいき に分 わ けられており、行政 ぎょうせい 上 じょう の目的 もくてき に利用 りよう されている。アテネ市 し はパグラティ (英語 えいご 版 ばん ) (Παγκράτι )やアベロキピ (英語 えいご 版 ばん ) 、イリッシア (英語 えいご 版 ばん ) (Ιλίσια )、ペトラロナ (英語 えいご 版 ばん ) (Πετράλωνα )、コカーキ (英語 えいご 版 ばん ) (Κουκάκι )、キプセリ (英語 えいご 版 ばん ) (Κυψέλη )など独特 どくとく な歴史 れきし と特徴 とくちょう を持 も った住 じゅう 区 く に分 わ かれている。
大 だい アテネの自治体 じちたい
ギリシャのGDPに占 し めるアッティカ地方 ちほう の割合 わりあい
アテネはテッサロニキ 以前 いぜん に経済 けいざい 的 てき にギリシャでは最 もっと も重要 じゅうよう な都市 とし ある。主 おも にサービス産業 さんぎょう の多 おお くの企業 きぎょう が、市内 しない に本社 ほんしゃ または主要 しゅよう なオフィスを構 かま えている。本社 ほんしゃ がしばしば租税 そぜい 回避 かいひ 地 ち に位置 いち しているものの、商船 しょうせん はギリシャとっては未 いま だに重要 じゅうよう であるが、再 ふたた びピレウスなど近隣 きんりん 都市 とし で見 み つけることが出来 でき る。ギリシャの経済 けいざい 活動 かつどう はアテネおよびその周辺 しゅうへん 地域 ちいき に集中 しゅうちゅう している。アテネ首都 しゅと 圏 けん にある大 だい 企業 きぎょう にはコングロマリット で冶金 やきん やエネルギー関連 かんれん のミティリネオスホールディング (英語 えいご 版 ばん ) (Μυτιληναίος Α あるふぁ .Ε いぷしろん . )や鉱業 こうぎょう や重工業 じゅうこうぎょう 関連 かんれん のヴィオファルコ (英語 えいご 版 ばん ) (Βιοχάλκο Α あるふぁ .Ε いぷしろん . )、世界 せかい 的 てき な飲料 いんりょう メーカーコカ・コーラ のギリシャ法人 ほうじん ギリシャ・コカ・コーラ (英語 えいご 版 ばん ) (Coca-Cola Ελληνική Εταιρεία Εμφιαλώσεως Α あるふぁ .Ε いぷしろん . )、建築 けんちく 原材料 げんざいりょう メーカーのタイタン・セメント (英語 えいご 版 ばん ) (Τσιμέντα Titan)や投資 とうし 会社 かいしゃ のマフィン・インベストメントグループ (英語 えいご 版 ばん ) (Marfin Α あるふぁ .Ε いぷしろん .Π ぱい .Ε いぷしろん .Υ うぷしろん . )などがある。20の大 だい 企業 きぎょう はアテネ証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ のFTSE / Athexにリストされている。製造 せいぞう 業 ぎょう の意義 いぎ はアテネでは失 うしな われてしまっているが、今 いま でもアテネ首都 しゅと 圏 けん ではギリシャの総 そう 生産 せいさん の50%前後 ぜんご を占 し める。伝統 でんとう 的 てき な工業 こうぎょう 品 ひん には陶器 とうき や繊維 せんい 産業 さんぎょう であるが現在 げんざい ではあまり意義 いぎ がなくなっている。良 よ く知 し られた商品 しょうひん にはフェージのヨーグルト、Metaxaのブランデー、チョコレート、化粧 けしょう 品 ひん などがある。2005年 ねん には年間 ねんかん 600万 まん 人 にん の海外 かいがい からの観光 かんこう 客 きゃく が訪 おとず れ、アテネにとって観光 かんこう 収入 しゅうにゅう は無視 むし できない収入 しゅうにゅう 源 げん となっている。ドイツからの訪問 ほうもん 客 きゃく も多 おお くいるが、現在 げんざい ではギリシャに関 かん して否定 ひてい 的 てき な報道 ほうどう もあるため落 お ち込 こ む場合 ばあい もあり、最近 さいきん では東 ひがし アジアでもとくに中国 ちゅうごく からの訪問 ほうもん 客 きゃく が増加 ぞうか している[65] 。なお、日本 にっぽん からギリシャへの観光 かんこう 客数 きゃくすう は2005年 ねん 以降 いこう 、変動 へんどう 幅 はば が大 おお きい[66] 。
アッティカ盆地 ぼんち 内 ない のアテネの都市 とし 的 てき 地域 ちいき
アテネの人口 じんこう 分布 ぶんぷ
4つの県 けん により大 だい アテネが構成 こうせい され合計 ごうけい 人口 じんこう は2,625,090人 にん に達 たっ する。ピレウス県 けん (大 だい ピレウス)と共 とも に密度 みつど が高 たか いアテネの都市 とし 的 てき 地域 ちいき が形成 けいせい され2011年 ねん 現在 げんざい の人口 じんこう は3,074,160人 にん にである[12] 。古代 こだい のアテネの中心 ちゅうしん はアクロポリス の岩 いわ の多 おお い丘 おか であった。古代 こだい のピレウスの港 みなと は都市 とし とは分離 ぶんり されていたが、現代 げんだい ではアテネの都市 とし 的 てき 地域 ちいき に吸収 きゅうしゅう されている。アテネの都市 とし は急速 きゅうそく に拡大 かくだい し、その傾向 けいこう は現在 げんざい でも続 つづ いておりとくに1950年代 ねんだい から1960年代 ねんだい にギリシャの経済 けいざい が農業 のうぎょう から工業 こうぎょう 化 か された先進 せんしん 国 こく へ変化 へんか する過程 かてい で起 お こった[67] 。都市 とし の拡大 かくだい は現在 げんざい 、特 とく に東側 ひがしがわ や北東 ほくとう 側 がわ に向 む かっておりこれは高速 こうそく 道路 どうろ (Attiki Odos)の整備 せいび や新 あたら しい国際 こくさい 空港 くうこう の整備 せいび と関連 かんれん している。この過程 かてい はアッティカの多 おお くの以前 いぜん からの郊外 こうがい や村 むら も覆 おお い、続 つづ いている。長 なが い歴史 れきし を通 つう じて、アテネは多 おお くの異 こと なった人口 じんこう レベルを経験 けいけん している。以下 いか の表 ひょう は19世紀 せいき 以降 いこう のアテネの人口 じんこう を示 しめ したものである。
年 とし
アテネ市 し の人口 じんこう
都市 とし 的 てき 地域 ちいき の人口 じんこう
大都市 だいとし 圏 けん の人口 じんこう
1833
4,000[68]
–
–
1870
44,500[68]
–
–
1896
123,000[68]
–
–
1921(人口 じんこう 交換 こうかん 前 まえ )
473,000[19]
–
–
1921(トルコとギリシャの人口 じんこう 交換 こうかん 後 ご )
718,000[68]
–
–
1971
867,023[69]
–
–
1981
885,737
–
–
1991
772,072
–
3,444,358[70]
2001
745,514[71]
3,165,823[71]
3,761,810[71]
2011
655,780
3,074,160
3,737,550[12]
アテネの中心 ちゅうしん 部 ぶ はギリシャの首都 しゅと であり直接 ちょくせつ 、アテネ市 し の範囲 はんい に含 ふく まれギリシャの都市 とし では最多 さいた の人口 じんこう である。ピレウスもまた大 おお きな中心 ちゅうしん 部 ぶ を形成 けいせい し、アテネの都市 とし 的 てき 地域 ちいき に含 ふく まれ都市 とし 圏 けん では2番目 ばんめ に人口 じんこう が多 おお い自治体 じちたい でその後 ご にペリステーリ (英語 えいご 版 ばん ) (Περιστέρι )とカリテア (Καλλιθέα )が続 つづ く。アテネ都市 とし 圏 けん は今日 きょう 、35の自治体 じちたい に400万 まん 人 にん が居住 きょじゅう し「大 だい アテネの自治体 じちたい 」とも呼 よ ばれる北 きた アテネ県 けん 、西 にし アテネ県 けん 、中央 ちゅうおう アテネ県 けん 、南 みなみ アテネ県 けん とさらに「大 だい ピレウスの自治体 じちたい 」と呼 よ ばれるピレウス県 けん の自治体 じちたい で構成 こうせい されている。アテネの都市 とし 的 てき 地域 ちいき は 412 km2 (159 sq mi)[11] の範囲 はんい でアッティカ盆地 ぼんち に広 ひろ がり人口 じんこう は2011年 ねん 現在 げんざい 3,074,160人 にん である。
アテネ大都市 だいとし 圏 けん は2,928.717 km2 (1,131 sq mi) の範囲 はんい でこれはアッティカ地方 ちほう に属 ぞく する58の自治体 じちたい が含 ふく まれ先 さき の5つの県 けん に東 ひがし アッティカ県 けん 、西 にし アッティカ県 けん を合 あ わせた7つの県 けん で構成 こうせい され人口 じんこう は2011年 ねん 現在 げんざい 、3,737,550人 にん である。アテネとピレウスはアテネ大都市 だいとし 圏 けん 地域 ちいき の2つの都市 とし 圏 けん の中心 ちゅうしん 都市 とし である[72] [73] 。いくつかの自治体 じちたい は自治体 じちたい 間 あいだ の特定 とくてい の地域 ちいき の中心 ちゅうしん 地 ち の役割 やくわり を果 は たしている。マルーシ (英語 えいご 版 ばん ) (Μαρούσι )、キフィシア (英語 えいご 版 ばん ) (Κηφισιά )、グリファダ (英語 えいご 版 ばん ) はそれぞれ北 きた やさらに北 きた 、アテネ南郊 なんこう のそれぞれの中心 ちゅうしん 地 ち でペリステーリは西 にし 郊の中心 ちゅうしん である。
ローマのアゴラ
カリアティード のポーチ エレクテイオン
聖 せい エレフェリオス教会 きょうかい 。ビザンティンの教会 きょうかい で生神 うるかみ 女 おんな 福音 ふくいん 大 だい 聖堂 せいどう の隣 となり
アテネは古代 こだい から旅行 りょこう 者 しゃ にとりポピュラーな目的 もくてき 地 ち である。ここ10年間 ねんかん でアテネの都市 とし インフラや都市 とし の快適 かいてき 性 せい は改善 かいぜん されてきており、2004年 ねん のアテネオリンピック の招致 しょうち にも成功 せいこう している。ギリシャ政府 せいふ が欧州 おうしゅう 連合 れんごう の援助 えんじょ を受 う けて大 だい 規模 きぼ なインフラプロジェクトであるアテネ国際 こくさい 空港 くうこう [74] やアテネ地下鉄 ちかてつ の拡張 かくちょう [62] 、新 あたら しい高速 こうそく 道路 どうろ Attiki Odos の整備 せいび が進 すす められた[62] 。昨今 さっこん の厳 きび しい経済 けいざい 状況 じょうきょう からアテネ国際 こくさい 空港 くうこう の旅客 りょかく 数 すう は減 へ り続 つづ けている[75] 。
考古学 こうこがく の中心 ちゅうしん [ 編集 へんしゅう ]
アテネは考古学 こうこがく 調査 ちょうさ の世界 せかい 的 てき な中心 ちゅうしん である。アテネ大学 だいがく やアテネ考古学 こうこがく 学会 がっかい のような国家 こっか 的 てき な機関 きかん 、アテネ国立 こくりつ 考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん やキクラデス芸術 げいじゅつ ゴーラドリス美術館 びじゅつかん (英語 えいご 版 ばん ) 、金石 かねいし 学 まなぶ 博物館 はくぶつかん 、ビザンティン 博物館 はくぶつかん 、古代 こだい のアゴラ 、アクロポリス博物館 はくぶつかん 、ケラメイコス などの考古学 こうこがく に関 かん する博物館 はくぶつかん が含 ふく まれる。アテネには考古学 こうこがく 科学 かがく (英語 えいご 版 ばん ) のデモクリトス 研究所 けんきゅうじょ やギリシャ文化 ぶんか 省 しょう (英語 えいご 版 ばん ) を構成 こうせい する地域 ちいき や国 くに の考古学 こうこがく に関 かん する機関 きかん がある。これに加 くわ えて、17の海外 かいがい の考古学 こうこがく に関 かん する機関 きかん がありそれぞれの国 くに の出身 しゅっしん の研究 けんきゅう 者 しゃ により研究 けんきゅう が促進 そくしん されている。その結果 けっか 、アテネでは多 おお くの考古学 こうこがく 図書館 としょかん や3つの考古学 こうこがく に特 とく 化 か した研究所 けんきゅうじょ があり、会議 かいぎ やセミナー、多 おお くの展示 てんじ 会 かい も毎年 まいとし 開催 かいさい されている。催 もよお しが開 ひら かれる時 とき には多 おお くの国際 こくさい 的 てき な学者 がくしゃ や研究 けんきゅう 者 しゃ がアテネに集 あつ まる。
アテネ中心 ちゅうしん 部 ぶ にあるアテネ国立 こくりつ 考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん
アテネ考古学 こうこがく 博物館 はくぶつかん はギリシャでは最大 さいだい の考古学 こうこがく に関 かん する博物館 はくぶつかん で、国際 こくさい 的 てき にも重要 じゅうよう な位置 いち を占 し めている。収蔵 しゅうぞう 品 ひん には幅広 はばひろ いコレクションがあり、5,000年 ねん 以上 いじょう 前 まえ の新 しん 石器 せっき 時代 じだい からロ ろ ーマ帝国 まていこく 支配 しはい 下 か のギリシャ の時代 じだい の遺産 いさん を網羅 もうら している。ベナキ博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) はいくつかの分野 ぶんや のコレクションが含 ふく まれ、古代 こだい やビザンティン、オスマン時代 ときよ 、中国 ちゅうごく 美術 びじゅつ など様々 さまざま である。ビザンティン・クリスチャン博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) はビザンティン美術 びじゅつ に関 かん してもっとも重要 じゅうよう な博物館 はくぶつかん である。アテネ貨幣 かへい 博物館 はくぶつかん は豊富 ほうふ な古代 こだい や現代 げんだい の硬貨 こうか のコレクションが収蔵 しゅうぞう されている。キクラデス芸術 げいじゅつ ゴーラドリス美術館 びじゅつかん (英語 えいご 版 ばん ) はキクラデス芸術 げいじゅつ (英語 えいご 版 ばん ) に関 かん する幅広 はばひろ いコレクションが収蔵 しゅうぞう され、この中 なか には白 しろ い大理石 だいりせき で出来 でき た像 ぞう が含 ふく まれる。アクロポリス博物館 はくぶつかん は2009年 ねん に開館 かいかん し、アクロポリスの古 ふる い博物館 はくぶつかん を置 お き換 か えている。新 あたら しい博物館 はくぶつかん はかなりの人気 にんき ぶりを証明 しょうめい し、2009年 ねん 6月 がつ から10月 がつ までの夏 なつ の期間 きかん には100万 まん 人 にん の来場 らいじょう 者 しゃ があった。アテネには多 おお くの小規模 しょうきぼ なものや私立 しりつ のギリシャの文化 ぶんか に焦点 しょうてん を当 あ てた博物館 はくぶつかん があり美術館 びじゅつかん もある。
パルテノン神殿 しんでん
エンターテイメント・舞台 ぶたい 芸術 げいじゅつ [ 編集 へんしゅう ]
ヘロドス・アッティクス音楽 おんがく 堂 どう
アテネプラネタリウム
アテネには148の演劇 えんげき ステージがあり、世界 せかい のどの都市 とし よりも有名 ゆうめい な古代 こだい からのヘロディス・アッティコス音楽 おんがく 堂 どう がありアテネ祭 さい が毎年 まいとし 10月 がつ に開催 かいさい される[76] [77] 。
多 おお くの大 だい 規模 きぼ な複 ふく 合 あい 施設 しせつ があり、アテネはロマンティックな野外 やがい 劇 げき の会場 かいじょう にもなっている。また、幅広 はばひろ い多 おお くのコンサート会場 かいじょう もありその中 なか にはアテネコンサートホール (英語 えいご 版 ばん ) (Megaron Moussikis )も含 ふく まれ世界中 せかいじゅう の著名 ちょめい なアーティストを年中 ねんじゅう 集 あつ めている[78] 。アテネプラネタリウム[79] はアンドリュー通 どお りにあり世界 せかい でも最大 さいだい 規模 きぼ のデジタルプラネタリウムである[80] [81] 。
アテネには長 なが いスポーツとスポーツイベントの歴史 れきし がありギリシャのスポーツには重要 じゅうよう な役割 やくわり を担 にな うスポーツクラブや競技 きょうぎ 施設 しせつ が集 あつ まっている。アテネでは誰 だれ もが知 し る有名 ゆうめい な国際 こくさい 的 てき なスポーツの祭典 さいてん も多 おお く開催 かいさい されている。夏季 かき オリンピック は1896年 ねん と2004年 ねん の2度 ど 開催 かいさい されている。2004年 ねん の夏季 かき オリンピック開催 かいさい 時 じ にはアテネ・オリンピックスタジアム の大 だい 改修 かいしゅう が必要 ひつよう になり、それ以来 いらい 世界 せかい でももっとも美 うつく しいスタジアムの一 ひと つであるという評判 ひょうばん を得 え ており、興味 きょうみ が惹 ひ かれる現代 げんだい のモニュメントの一 ひと つである[82] 。ギリシャで一番 いちばん 大 おお きなスタジアムとしてUEFAチャンピオンズリーグ では1994年 ねん と2007年 ねん に2度 ど の決勝 けっしょう が行 おこな われている。アテネの都市 とし 圏 けん で他 た に大 おお きなスタジアムはピレウス にあるスタディオ・ヨルギオス・カライスカキス で2004年 ねん に改修 かいしゅう されている。1971年 ねん にはUEFAカップウィナーズカップ が開催 かいさい されている。2004年 ねん にはサッカーギリシャ代表 だいひょう がUEFA EURO 2004 の決勝 けっしょう でポルトガル に1-0で勝利 しょうり している。
ユーロリーグ の決勝 けっしょう は3度 ど 開催 かいさい され、最初 さいしょ は1985年 ねん に開催 かいさい され2度目 どめ は1993年 ねん に開催 かいさい され両方 りょうほう とも通称 つうしょう SEFで知 し られる平和 へいわ 友好 ゆうこう スタジアム(英語 えいご 版 ばん ) で開 ひら かれている。このスタジアムはヨーロッパでも最大 さいだい 規模 きぼ で魅力 みりょく 的 てき な室内 しつない 競技 きょうぎ 場 じょう の一 ひと つである[83] 。3度目 どめ は2006-07年 ねん のシーズンにオリンピック・インドアホール (英語 えいご 版 ばん ) で開催 かいさい された。この他 ほか にも陸上 りくじょう 競技 きょうぎ やバレーボール、水球 すいきゅう など多 おお くのスポール競技 きょうぎ の大会 たいかい がアテネを会場 かいじょう としている。
アテネは様々 さまざま な地形 ちけい が含 ふく まれており、周辺 しゅうへん 部 ぶ の丘陵 きゅうりょう 地 ち や山 やま はとくに知 し られヨーロッパの主要 しゅよう な首都 しゅと の街 まち としては唯一 ゆいいつ 、山 やま が交 まじ わっている。周辺 しゅうへん 部 ぶ の地形 ちけい から多種 たしゅ 多様 たよう な、スキー、ロッククライミング、ハンググライダー、ウィンドサーフィンなどの野外 やがい スポーツを楽 たの しむことが出来 でき る。
2004年 ねん アテネオリンピック 開会 かいかい 式 しき の聖火 せいか
アテネを本拠地 ほんきょち とするスポーツクラブとして、以下 いか のチームがある。
アテネアカデミー
デンマーク人 じん 建築 けんちく 家 か テオフィル・ハンセンによる記念 きねん 館 かん (Propylaea)。式典 しきてん 会場 かいじょう やアテネ大学 だいがく のレクトリーに使 つか われる。
ギリシャ国立 こくりつ 図書館 としょかん エントランス
パネピスティミーウ通 どお り (英語 えいご 版 ばん ) には古 ふる いアテネ大学 だいがく のキャンパスがあり、ギリシャ国立 こくりつ 図書館 としょかん (英語 えいご 版 ばん ) やアテネアカデミー (英語 えいご 版 ばん ) はアテネ三 さん 部 ぶ 作 さく "Athens Trilogy"を形作 かたちづく り、19世紀 せいき 半 なか ばに建 た てられた。ほとんどの大学 だいがく の運営 うんえい は東郊 とうこう のゾグラフォウ (英語 えいご 版 ばん ) のより大 おお きな近代 きんだい 的 てき なキャンパスに移転 いてん している。アテネ第 だい 2の高等 こうとう 教育 きょういく 機関 きかん である、アテネ工科 こうか 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) はパティシオン通 どお りにある。1973年 ねん 11月17日 にち に、13人 にん の学生 がくせい が死亡 しぼう し多数 たすう のけが人 にん が出 で たアテネポリテクニック暴動 ぼうどう (英語 えいご 版 ばん ) が学内 がくない で発生 はっせい している[84] 。この暴動 ぼうどう は1967年 ねん 4月 がつ 21日 にち から1974年 ねん 7月 がつ 23日 にち の、トルコのキプロス侵攻 しんこう まで続 つづ いたギリシャ軍事 ぐんじ 政権 せいけん に抵抗 ていこう するものであった。アテネ首都 しゅと 圏 けん には11の国立 こくりつ の高等 こうとう 教育 きょういく や職業 しょくぎょう 専門 せんもん 校 こう などの機関 きかん がある。設立 せつりつ が古 ふる い順 じゅん にアテネ美術 びじゅつ 学校 がっこう (英語 えいご 版 ばん ) (1837)、アテネ工科 こうか 大学 だいがく (1837)、アテネ大学 だいがく (1837)、アテネ農業 のうぎょう 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) (1920)、アテネ経済 けいざい 商科 しょうか 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) (1920)、パンティオン大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) (1927)、ピレウス大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) (1938)、ピレウス技術 ぎじゅつ 教育 きょういく 研究所 けんきゅうじょ (英語 えいご 版 ばん ) 、アテネ技術 ぎじゅつ 教育 きょういく 研究所 けんきゅうじょ (英語 えいご 版 ばん ) (1983)、ヘロコピポ大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) (1990)、教育 きょういく 法 ほう ・技術 ぎじゅつ 教育 きょういく 大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) (2002)である。ギリシャでは私立 しりつ の大学 だいがく の設立 せつりつ が憲法 けんぽう により禁止 きんし されているが、いくつかのカレッジと呼 よ ばれる私立 しりつ の教育 きょういく 機関 きかん はある。それらの多 おお くは外国 がいこく の大学 だいがく により設立 せつりつ され、ギリシャアメリカンカレッジ (英語 えいご 版 ばん ) 、インディアナポリス大学 だいがく (英語 えいご 版 ばん ) が運営 うんえい するインディアナポリス大学 だいがく ・アテネキャンパス (英語 えいご 版 ばん ) がある。
環境 かんきょう 問題 もんだい [ 編集 へんしゅう ]
アテネのリサイクル回収 かいしゅう 機 き
1970年代 ねんだい 後半 こうはん まで、アテネの公害 こうがい は有害 ゆうがい なものになっておりギリシャ文化 ぶんか 省 しょう の大臣 だいじん (英語 えいご 版 ばん ) コンスタンティノ・トリパニス(Constantine Trypanis)によれば「エレクテイオン の5つの女 おんな 像 ぞう 柱 ばしら の細部 さいぶ の退化 たいか が深刻 しんこく で、一方 いっぽう パルテノン西側 にしがわ の騎手 きしゅ の顔 かお はほとんど消失 しょうしつ している」とされる[85] 。1990年代 ねんだい に行 おこな われた一連 いちれん の市 し 当局 とうきょく による厳 きび しい措置 そち により大気 たいき 汚染 おせん は改善 かいぜん され、スモッグ(アテネではネフォスnefos と呼 よ ばれることも)の発生 はっせい は少 すく なくなった。ギリシャ当局 とうきょく により大気 たいき 汚染 おせん 改善 かいぜん の措置 そち は1990年代 ねんだい を通 つう じて広範囲 こうはんい に行 おこな われ、空気 くうき の質 しつ はアッティカ平原 へいげん 全体 ぜんたい で改善 かいぜん されている。それでもやはり、アテネでは大気 たいき 汚染 おせん の問題 もんだい はとくに暑 あつ い夏 なつ の日 ひ の期間 きかん には残 のこ っている。2007年 ねん 6月 がつ 後半 こうはん [86] にアッティカ地域 ちいき はでは多 おお くの山 やま 火事 かじ [86] が発生 はっせい し、火災 かさい の延焼 えんしょう 箇所 かしょ にはパルニサ山 さん の国立 こくりつ 公園 こうえん 内 ない の森林 しんりん の多 おお くの部分 ぶぶん が含 ふく まれており[87] 、森林 しんりん は年間 ねんかん を通 つう じてアテネの空気 くうき の質 しつ を維持 いじ する為 ため に重要 じゅうよう と考 かんが えられている[86] 。大 おお きな排出 はいしゅつ 管理 かんり の努力 どりょく は残 のこ りの10年 ねん で実施 じっし され、プラントの整備 せいび などによりサロニク湾 わん やアテネ首都 しゅと 圏 けん 沿岸 えんがん 部 ぶ の水質 すいしつ は改善 かいぜん され、現在 げんざい では再 ふたた びスイマーなどが訪 おとず れることが出来 でき るようになっている。2007年 ねん 1月 がつ にアテネは郊外 こうがい のアノ・リオシア (英語 えいご 版 ばん ) の最終 さいしゅう 処分 しょぶん 場 じょう が満杯 まんぱい になる排出 はいしゅつ 管理 かんり の問題 もんだい に直面 ちょくめん している[88] 。危機 きき は1月 がつ 半 なか ば当局 とうきょく により一時 いちじ 的 てき な最終 さいしゅう 処分 しょぶん 場 じょう にゴミを処分 しょぶん することにより緩和 かんわ された[88] 。
アテネの交通 こうつう は様々 さまざま な交通 こうつう 機関 きかん により提供 ていきょう されており、ギリシャでは最大 さいだい の大量 たいりょう 輸送 ゆそう システムを形成 けいせい している。アテネの大量 たいりょう 輸送 ゆそう 機関 きかん は特 とく にバスやトロリーバスで構成 こうせい され主 おも にアテネ中心 ちゅうしん 部 ぶ をカバーしている。地下鉄 ちかてつ や通勤 つうきん 鉄道 てつどう も運行 うんこう され[89] 、トラムの路線 ろせん 網 もう は南郊 なんこう と中心 ちゅうしん 部 ぶ を結 むす んでいる[90] 。
Etaireia Thermikon Leoforeion (Ε いぷしろん Θ しーた Ε いぷしろん Λ らむだ )やThermal バス会社 かいしゃ がアテネにおける主 しゅ たる路線 ろせん バス事業 じぎょう 者 しゃ である。300路線 ろせん によりネットワークが構成 こうせい され、路線 ろせん はアテネ大都市 だいとし 圏 けん 地域 ちいき に広 ひろ がっており[91] 、5,327人 にん のスタッフにより1,839台 だい のバスが運行 うんこう されている[92] 。1,839台 だい のバスのうち、416台 だい は圧縮 あっしゅく 天然 てんねん ガス が使 つか われ[92] 、ヨーロッパでは最大 さいだい の天然 てんねん ガスを燃料 ねんりょう とするバス車両 しゃりょう で構成 こうせい されている[93] 。
バスの車両 しゃりょう は天然 てんねん ガスと並 なら んでディーゼルエンジンのバスが使 つか われており、アテネ都市 とし 圏 けん ではトロリーバスも使 つか われ運行 うんこう 会社 かいしゃ の名称 めいしょう が呼 よ ばれている。トロリーバスはアテネとピレウス 地域 ちいき でILPAP (英語 えいご 版 ばん ) により22の路線 ろせん が1,137人 にん のスタッフにより運行 うんこう されている[94] 。全部 ぜんぶ で366台 だい のトロリーバスの車両 しゃりょう があり、これらは停電 ていでん など何 なん らかの不具合 ふぐあい があった場合 ばあい にはディーゼルエンジンで走行 そうこう が可能 かのう である[94] 。
アテネには2箇所 かしょ の長距離 ちょうきょり バスターミナルがある。ペロポネソス半島 はんとう 方面 ほうめん を中心 ちゅうしん にギリシャ全土 ぜんど への長距離 ちょうきょり バスが発着 はっちゃく するキフィソウ通 どお りバスターミナル (通称 つうしょう 、ターミナル A)と、バルカン半島 ばるかんはんとう 方面 ほうめん への短 たん ・中距離 ちゅうきょり バスが発着 はっちゃく するリオシオン=バスターミナル (通称 つうしょう 、ターミナル B)である。ターミナルAと市内 しない 中心 ちゅうしん 部 ぶ との交通 こうつう 機関 きかん は市内 しない バス51系統 けいとう であり、地下鉄 ちかてつ 2号線 ごうせん メタクスルギオ駅 えき やオモニア駅 えき 付近 ふきん との間 あいだ を結 むす んでいる。また、ターミナルBは地下鉄 ちかてつ 1号線 ごうせん アギオス・ニコラオス駅 えき の500m北西 ほくせい にある。また、アテネ国際 こくさい 空港 くうこう とターミナルAおよびBを結 むす ぶ空港 くうこう バスX93系統 けいとう も運行 うんこう されている。アルバニア 、ブルガリア 、マケドニア 、ルーマニア 方面 ほうめん へのバスがアテネから運行 うんこう されている。地下鉄 ちかてつ 2号線 ごうせん メタクスルギオ駅 えき とギリシャ国鉄 こくてつ アテネ駅 えき を結 むす ぶテオドリアス・ディミトリアス通 どお り沿 ぞ いに、国際 こくさい バスを運行 うんこう する民間 みんかん 会社 かいしゃ のオフィスがある。バスはオフィス前 まえ あるいは会社 かいしゃ が指定 してい する乗降 じょうこう 場所 ばしょ から出発 しゅっぱつ する。
アテネ地下鉄 ちかてつ はギリシャではより一般 いっぱん 的 てき にはアッティカメトロ (ギリシア語 ご : Αττικό Mετρό )として知 し られアテネ都市 とし 圏 けん 地域 ちいき をカバーする公共 こうきょう 交通 こうつう 機関 きかん として運行 うんこう されている。大量 たいりょう 輸送 ゆそう 機関 きかん としての目的 もくてき が主 おも であるが、建設 けんせつ 時 じ に発見 はっけん されたギリシャの遺跡 いせき も収容 しゅうよう している[95] 。アテネメトロは387人 にん のスタッフにより2つの路線 ろせん が運行 うんこう され、2号線 ごうせん が赤 あか 、3号線 ごうせん が青 あお とそれぞれの路線 ろせん は色 いろ で区別 くべつ されている。最初 さいしょ の区間 くかん は2000年 ねん 1月 がつ に運行 うんこう が開始 かいし された。すべての区間 くかん が現在地 げんざいち 下 か で、42編成 へんせい 252両 りょう の車両 しゃりょう で全 ぜん 路線 ろせん が運行 うんこう され[96] 、1日 にち あたりの旅客 りょかく 数 すう は550,000人 にん である[96] 。
レッドライン (2号線 ごうせん )はアギオス・アントニオス(Άγιος Αντώνιος )からアギオス・ディミトリス(Άγιος Δημήτριος )までの営業 えいぎょう 距離 きょり 11.6km[96] 。現在 げんざい 、それぞれの方向 ほうこう に延伸 えんしん 工事 こうじ 中 ちゅう で西側 にしがわ はピレウス、南側 みなみがわ は旧 きゅう エリニコン国際 こくさい 空港 くうこう 、さらにエリニコンメトロポリタン公園 こうえん まで。
ブルーライン (3号線 ごうせん )は西 にし 郊のエガレオから中心 ちゅうしん 部 ぶ のモナスティラキ(Μοναστηράκι )とシンタグマ駅 えき 、北東 ほくとう 部 ぶ 郊外 こうがい のハランディのドゥキシス・プラケンティアス駅 えき までの16kmをカバーし[96] 、その後 ご 地上 ちじょう 区間 くかん に入 はい り郊外 こうがい 鉄道 てつどう のインフラを利用 りよう しアテネ国際 こくさい 空港 くうこう まで乗 の り入 い れている。これを含 ふく めると営業 えいぎょう 距離 きょり は39kmになる[96] 。
電鉄 でんてつ (ISAP)[ 編集 へんしゅう ]
アテネ中心 ちゅうしん 部 ぶ のアッタロスの下 した を行 い くISAPの電車 でんしゃ
アテネに地下鉄 ちかてつ 会社 かいしゃ がなかった頃 ころ はISAP (ギリシア語 ご : Η いーた Σ しぐま Α あるふぁ Π ぱい ) が長年 ながねん アテネの主要 しゅよう な都市 とし 圏 けん 鉄道 てつどう の機能 きのう を担 にな っていた。今日 きょう ではグリーンライン (1号線 ごうせん )と呼 よ ばれアテネメトロの路線 ろせん 図 ず に表示 ひょうじ されるが、他 た の地下鉄 ちかてつ 路線 ろせん と異 こと なりISAPは大 だい 部分 ぶぶん の区間 くかん が地上 ちじょう を走 はし っている。この路線 ろせん はピレウスからキフィシアまでの22駅 えき [97] 25.6kmの営業 えいぎょう 距離 きょり [97] を730人 にん のスタッフと44編成 へんせい 243両 りょう の車両 しゃりょう で運行 うんこう している[97] 。1日 にち あたりの旅客 りょかく 数 すう は600,000人 にん である[97] 。アテネメトロはISAPとアッティカメトロの異 こと なった2社 しゃ により運営 うんえい されている。
アテネメトロの路線 ろせん 網 もう
郊外 こうがい 鉄道 てつどう
通勤 つうきん ・郊外 こうがい 鉄道 てつどう (プロアスティアコス)[ 編集 へんしゅう ]
アテネの通勤 つうきん 鉄道 てつどう はプロアスティアコス (Προαστιακός )と呼 よ ばれアテネ国際 こくさい 空港 くうこう とコリントス の80kmとアテネの西 にし からラリッサ駅 えき を経由 けいゆ してピレウス港 こう とを結 むす ぶ。4つ目 め のアテネメトロの路線 ろせん と見 み なされる時 とき もある。現在 げんざい のアテネ通勤 つうきん 鉄道 てつどう の路線 ろせん 網 もう は120kmで[98] 、2010年 ねん までに281kmまで路線 ろせん が延伸 えんしん されると予想 よそう されていた[98] 。
モダンなアテネトラムの車両 しゃりょう と電 でん 停 とま
アテネトラム会社 かいしゃ により35編成 へんせい の車両 しゃりょう と[99] 48の駅 えき [99] 、345人 にん のスタッフによりトラム路線 ろせん が運行 うんこう されている。1日 にち あたりの旅客 りょかく 数 すう は65,000人 にん である[99] 。トラムの路線 ろせん 網 もう は27kmで10のアテネ郊外 こうがい 部 ぶ をカバーしている。トラムの路線 ろせん はシンタグマ広場 ひろば から南西 なんせい 部 ぶ 郊外 こうがい のパレオ・ファリオ (英語 えいご 版 ばん ) を結 むす び二 ふた つの支線 しせん に別 わか れ、一 ひと つはアテネの沿岸 えんがん 部 ぶ を走 はし り南郊 なんこう のヴーラ (英語 えいご 版 ばん ) に達 たっ し、もう一方 いっぽう はピレウスのネオ・ファリオに達 たっ する。路線 ろせん 網 もう の大 だい 部分 ぶぶん はサロニクの沿岸 えんがん 部 ぶ をカバーしている[100] 。さらにピレウス港 みなと まで延 の ばす計画 けいかく もあり[99] 、12の新 あたら しい駅 えき を含 ふく む5.4kmの路線 ろせん 延長 えんちょう 計画 けいかく がある[101] 。
アテネはギリシャ国鉄 こくてつ の輸送 ゆそう 拠点 きょてん で、ギリシャの主要 しゅよう 都市 とし の他 ほか 、イスタンブールやソフィア、ブカレストなど国際 こくさい 的 てき な連絡 れんらく もあったが金融 きんゆう 危機 きき の影響 えいきょう により2011年 ねん 以来 いらい 休止 きゅうし されている。ピレウス港 みなと からはエ え ーゲ海 げかい の島々 しまじま とを結 むす ぶ航路 こうろ が就航 しゅうこう し、夏 なつ には多 おお くのフェリーが発着 はっちゃく する他 ほか 多 おお くのクルーズ船 せん もやって来 く る。
リカヴィトスの丘 おか には観光 かんこう 路線 ろせん のリカヴィトス・ケーブルカー が運行 うんこう されている。
エレフテリオス・ ヴェニゼロス国際 こくさい 空港 くうこう のチェックインエリア
アテネには最高 さいこう 水準 すいじゅん の空港 くうこう であるアテネ国際 こくさい 空港 くうこう (エレフテリオス・ ヴェニゼロス国際 こくさい 空港 くうこう ,AIA)がメッソギハ平原 へいげん の東側 ひがしがわ でアテネから35km離 はな れた郊外 こうがい の町 まち スパタ (英語 えいご 版 ばん ) にある[102] 。この空港 くうこう は"European Airport of the Year 2004"を受賞 じゅしょう しており、南東 なんとう ヨーロッパのハブ空港 くうこう として22億 おく ユーロをかけ51ヶ月 かげつ の工期 こうき で完成 かんせい している。14,000人 にん が空港 くうこう のスタッフとして雇用 こよう されている[103] 。
空港 くうこう にはアテネメトロ、郊外 こうがい 鉄道 てつどう の他 た ピレウス港 みなと やアテネ中心 ちゅうしん 部 ぶ や郊外 こうがい からは路線 ろせん バスが乗 の り入 い れタクシーも利用 りよう できる。アテネ国際 こくさい 空港 くうこう は1時 じ 間 あいだ 当 あ たり65回 かい の離着陸 りちゃくりく が出来 でき [102] 、24の搭乗 とうじょう 橋 きょう [102] と144のチェックインカウンターと15万 まん m2のメインターミナル、7000m2の商業 しょうぎょう エリアを備 そな え免税 めんぜい 店 てん や小 ちい さなミュージアムも備 そな える。2007年 ねん には1,653万 まん 8,390人 にん の旅客 りょかく 数 すう があり前年 ぜんねん の2006年 ねん より9.7%増加 ぞうか した[104] 。このうち、595万 まん 5,387人 にん [104] は国内線 こくないせん 利用 りよう 者 しゃ で1,058万 まん 3,003人 にん は国際線 こくさいせん の利用 りよう 者 しゃ であった[104] 。2007年 ねん には205,294回 かい の離着陸 りちゃくりく 回数 かいすう があり、毎日 まいにち 562機 き が利用 りよう していた[105] 。2012年 ねん 現在 げんざい ではギリシャの経済 けいざい 危機 きき の影響 えいきょう により旅客 りょかく 数 すう は大 おお きく落 お ち込 こ んでいる[106] 。
Attiki Odos のインター、空港 くうこう 入口 いりくち
二 ふた つの主要 しゅよう な高速 こうそく 道路 どうろ がアテネを起点 きてん としている。A1/E75号線 ごうせん はピレウスからアテネ都市 とし 圏 けん を通 とお り、ギリシャ第 だい 二 に の都市 とし テッサロニキへ向 む かう。A8/E94は西側 にしがわ のパトラス方向 ほうこう に向 む かい国道 こくどう のGR-8Aと統合 とうごう されている。完成 かんせい するまではGR-1やGR-8が多 おお く使 つか われていた。さらにアテネ首都 しゅと 圏 けん では規格 きかく が良 よ い 高速 こうそく 道路 どうろ Attiki Odos が整備 せいび されている。主 あるじ となる区間 くかん は西 にし 郊の産業 さんぎょう 地区 ちく エレウシスからアテネ国際 こくさい 空港 くうこう まで二 ふた つの環状 かんじょう 道路 どうろ はアイガレオ環状 かんじょう 道路 どうろ (A65)とイメットゥス環状 かんじょう 道路 どうろ (A64)と名付 なづ けられ、それぞれアテネの西側 にしがわ と東側 ひがしがわ で供用 きょうよう されている。Attiki Odos の総 そう 延長 えんちょう は65kmで[107] これはギリシャの都市 とし 圏 けん 高速 こうそく 道路 どうろ では最大 さいだい である。
アテネは以下 いか の姉妹 しまい 都市 とし を有 ゆう している:
協力 きょうりょく 協定 きょうてい [ 編集 へんしゅう ]
また、以下 いか の都市 とし とは協力 きょうりょく 協定 きょうてい を結 むす んでいる。
^ 女神 めがみ アテナの名 な は古代 こだい ギリシア語 ご の各 かく 方言 ほうげん では次 つぎ のようになる。アッティカ方言 ほうげん :Ἀθ しーた η いーた ν にゅー ᾶ (Athēnā)、イオニア方言 ほうげん :Ἀθήνη (Athēnē)、ドーリス方言 ほうげん (en ):Ἀθάνα (Athānā)
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