キーウ

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キーウ
Київ
キーウの市旗 キーウの市章
特別とくべつはた 特別とくべつあきら
愛称あいしょう : 「ルーシまち々のはは[ちゅう 1]、「だいのエルサレム」[ちゅう 2]、「ぐり」のまち[ちゅう 3]
位置いち
の位置図
位置いち
キーウの位置(キーウ内)
キーウ
キーウ
キーウ (キーウ)
キーウの位置(ウクライナ内)
キーウ
キーウ
キーウ (ウクライナ)
キーウの位置(ヨーロッパ内)
キーウ
キーウ
キーウ (ヨーロッパ)
地図
座標ざひょう : 北緯ほくい5027ふん0びょう 東経とうけい3030ふん0びょう / 北緯ほくい50.45000 東経とうけい30.50000 / 50.45000; 30.50000
歴史れきし
建設けんせつ 482ねん[3]
行政ぎょうせい
くに  ウクライナ
 特別とくべつ キーウ
市長しちょう ヴィタリ・クリチコ[4]
地理ちり
面積めんせき  
  特別とくべついき 836[5] km2
標高ひょうこう 179 m (587 ft)
人口じんこう
人口じんこう (2022ねん2がつ1にち現在げんざい
  特別とくべついき 2,950,702にん
    人口じんこう密度みつど   3,530にん/km2
  備考びこう 現在げんざい人口じんこう推定すいてい[6]
その
ひとしときおび ひがしヨーロッパ時間じかん (UTC+2)
夏時間なつじかん ひがしヨーロッパ夏時間なつじかん (UTC+3)
郵便ゆうびん番号ばんごう 01000—06999
市外しがい局番きょくばん +380-44
ナンバープレート АА
公式こうしきウェブサイト : https://kyivcity.gov.ua/

キーウウクライナ: Київ, 発音はつおん [ˈkɪjiu̯] ( 音声おんせいファイル))またはキエフロシア: Киев [ˈkʲi(j)ɪf] ( 音声おんせいファイル))は、ウクライナ首都しゅと[7]ウクライナ憲法けんぽうセヴァストポリとも特別とくべつ規定きていされており、しゅうぞくさず独立どくりつした自治じちけんゆうする。

同国どうこく最大さいだい都市としでウクライナの政治せいじ経済けいざい文化ぶんか中心ちゅうしんである[8]市街しがいドニエプルがわ中流ちゅうりゅう右岸うがん高台たかだい発達はったつしている。人口じんこうはキーウ市内しない人口じんこうやく295まんにん、キーウ首都しゅとけん人口じんこうやく350まんにんであり、ヨーロッパ有数ゆうすう大都市だいとしである[9]週末しゅうまつになると、歩行ほこうしゃ天国てんごくになる中心ちゅうしんとおフレシチャーティクとおりや独立どくりつ広場ひろばなどが人々ひとびとにぎわう。別名べつめいみどり」ともばれ、市内しないには広大こうだい植物しょくぶつえんがあるほかみどりゆたかな公園こうえん点在てんざいし、ライラックやカシュタン(ぐり一種いっしゅ)のはなみだれるはる街路がいろじゅべにまるあきなど、四季しき折々おりおりにさまざまな姿すがたせる[10]

5世紀せいき後半こうはんから6世紀せいき前半ぜんはん建設けんせつつたえられ、9世紀せいきまつキエフ・ルーシ成立せいりつともないその首都しゅととなり12世紀せいきまで繁栄はんえいした[11]。13世紀せいきモンゴル襲来しゅうらい荒廃こうはい、14世紀せいき以降いこうリトアニア、ポーランド、17世紀せいきにはモスクワへの従属じゅうぞくあまんじた。20世紀せいきにはウクライナ民族みんぞく主義しゅぎ拠点きょてん都市としとして[8]ウクライナ人民じんみん共和きょうわこくウクライナこく首都しゅととなり、1991ねんソビエト連邦れんぽう解体かいたいつづいて独立どくりつしたウクライナの首都しゅととなった。

キエフ・ルーシ時代じだいせいソフィアだい聖堂せいどうキエフ・ペチェールシクだい修道院しゅうどういん世界せかい遺産いさん登録とうろくされている[12]。ほかにもどう時期じき建築けんちくぶつ多数たすうのこされているが、戦火せんか共産党きょうさんとう政権せいけんなどによって破壊はかいされたものもおおく、黄金おうごんもんのように復元ふくげんされたものも存在そんざいする。

名称めいしょうとその表記ひょうき[編集へんしゅう]

キーウという名称めいしょうは「キーイの都市とし」を意味いみし、キーウを創建そうけんした伝説でんせつじょう人物じんぶつであるキーイウクライナ: Кий)の名前なまえ由来ゆらいする[13][14]英語えいごはじめとするラテン文字もじ使用しようする言語げんごではウクライナ発音はつおんもとづく「Kyiv」(キーウ)のほかに、ロシア発音はつおんもとづく「Kiev」(キエフ)がよく使つかわれていた。「Kyiv」はウクライナ独立どくりつの1995ねん公式こうしきのラテン文字もじ表記ひょうきとしてさだめられた比較的ひかくてきあたらしいつづかたである[15]。2006ねん10がつ19にちアメリカ地名ちめい委員いいんかいがウクライナの首都しゅと公式こうしき表記ひょうきをKyivに変更へんこうする決定けってい発表はっぴょう[16]したが、一方いっぽうで、文脈ぶんみゃくじょう必然ひつぜんせいによってはKiev表記ひょうき排除はいじょしないとする公式こうしき見解けんかいしめした[17]

2014ねんウクライナ紛争ふんそう以降いこう英語えいごけんではきゅうソ連それん時代じだい想起そうきさせる「Kiev」表記ひょうきけられるようになった。2018ねん10がつウクライナ外務省がいむしょうは「KyivNotKiev」キャンペーンを開始かいし[18]し、2019ねん6がつ11にちべい内務省ないむしょうアメリカ地名ちめい委員いいんかいがKyiv表記ひょうき標準ひょうじゅん決定けっていした[19]どう委員いいんかい米国べいこく連邦れんぽう政府せいふ作成さくせい文書ぶんしょない使用しようされる地名ちめい統一とういつするために設立せつりつされたものだが[19][20]どう委員いいんかい運営うんえいする地名ちめいのデータベースは国際こくさい航空こうくう運送うんそう協会きょうかい(IATA)など民間みんかん団体だんたい利用りようしており[ちゅう 4]、IATA加盟かめい航空こうくう会社かいしゃ運航うんこうさき表記ひょうきにも影響えいきょうおよぼすため、この決定けっていべい連邦れんぽう政府せいふない文書ぶんしょ米国べいこくないだけにとどまらず国際こくさいてき波及はきゅうをもたらすこととなった[21]。また文脈ぶんみゃくによって「キエフ」とする必要ひつようがある場合ばあいは、「キエフ」表記ひょうき禁止きんしするわけではないこともこめ国務省こくむしょうから後日ごじつ言及げんきゅうされた[20]。2022ねん現在げんざいは「Kyiv」表記ひょうき定着ていちゃくしている[22][23][24]

日本にっぽんではロシア由来ゆらいするキエフ表記ひょうき浸透しんとうしていた[25]。2009ねん3がつ1にち、かねてよりウクライナ言語げんご文化ぶんか研究けんきゅうかい論文ろんぶんでキーウ表記ひょうきもちいていた言語げんご学者がくしゃ中澤なかざわ英彦ひでひこ[26]同日どうじつ出版しゅっぱん著書ちょしょ普及ふきゅう提唱ていしょう[27]。2018ねん9がつごろよりウクライナの国営こくえい通信つうしんしゃウクルインフォルム日本語にほんごばんにおいてキーウ表記ひょうきまたは「キーウ(キエフ)」とした併記へいきはじめた[28][29]

2019ねん7がつ17にちちゅうにちウクライナ大使館たいしかん公開こうかい書簡しょかんによって日本語にほんご表記ひょうきについての問題もんだい提起ていきがなされ、その時点じてんではどう大使館たいしかんこぼしやく方式ほうしきもとづく「クィイヴ」の片仮名かたかな表記ひょうき提唱ていしょうしていた[30]同年どうねん9がつひらかれた岡部おかべ芳彦よしひこ座長ざちょうとする「ウクライナの地名ちめいのカタカナ表記ひょうきかんする有識者ゆうしきしゃ会議かいぎ」では「ウクライナの地名ちめいカタカナ表記ひょうきかんしてはできるかぎりウクライナちかづけることを目指めざ[31]」との結論けつろんしめされたものの、「Київ」においてはクィとヴは義務ぎむ教育きょういくでは使用しようしないため表記ひょうきさいにはけるのがこのましいという一般いっぱん意見いけんや、日本人にっぽんじん実際じっさい発音はつおんしたときのこと、ウクライナ長期ちょうき滞在たいざい邦人ほうじんがウクライナ固有名詞こゆうめいし長音ちょうおんなしで発音はつおんすることがおおいことを考慮こうりょして、発音はつおん表記ひょうき音声おんせい表記ひょうきのクィーイウからキーイウ、キーイウを日本人にっぽんじん発音はつおんした場合ばあいにはキーウとなるという結論けつろんいたった[31]。また、キーウ以外いがいにもキイフ、キエフの3れい併用へいようとすることも全会ぜんかい一致いっち合意ごういした[31]

同年どうねん11がつごろよりBBCニュースが日本語にほんごばんにおいて「キーウ(キエフ)」とした併記へいきはじめた[32]以降いこう歴史れきし地理ちりあつか新書しんしょとう一般いっぱんてき刊行かんこうぶつにおいて、ウクライナもとづく独自どくじ表記ひょうきとしたうえでキーウに言及げんきゅうするれい散見さんけんされるようになった[33]。しかし「キーウ」表記ひょうき一般いっぱんひろまることはなく、日本にっぽん政府せいふによる表記ひょうき変更へんこうされなかった。

2022ねんロシアのウクライナ侵攻しんこうともない、英語えいごけん同様どうよう理由りゆう日本にっぽん国内こくない報道ほうどう機関きかん国会こっかい与野党よやとう議員ぎいん積極せっきょくてきに「キエフ」表記ひょうきを「キーウ」にあらためるうごきをせるようになり[34][35]同年どうねん3がつ31にちには日本にっぽん政府せいふ日本語にほんご表記ひょうきを「キーウ」へ変更へんこうすることを正式せいしき発表はっぴょうした[36][37]。これにならい、マスメディアもキーウ表記ひょうきへの変更へんこうおこなった[37]にキイフ、キーフ、キーイフとも表記ひょうきされる[31][38][39]

地理ちり[編集へんしゅう]

キーウ航空こうくう写真しゃしんまち中心ちゅうしんをドニプロがわながれ、西岸せいがんにはきゅう市街しがいが、東岸とうがんにはしん市街しがいひろがる。

キーウはウクライナの北部ほくぶ位置いちし、ドニプロがわ(ドニプエルがわ)をはさんでひろがっているが、きゅう市街しがいはドニプロがわ右岸うがん小高こだかおかうえにある。それにたい低地ていちである東岸とうがんがわ高層こうそう建築けんちくぶつ目立めだしん市街しがいとなっている。かわ中州なかすにはかつてドイツぐん破壊はかいされたむらあと娯楽ごらく施設しせつヒドロパールクウクライナばん英語えいごばんがつくられている[40]

西部せいぶにはコチュビンスケというキーウしゅうブチャ地区ちく存在そんざいする。ウクライナ鉄道てつどう南西なんせい鉄道てつどうウクライナばんキエフ=コーベリせんはこのをまたいでいる。

ソフィア広場ひろば、キーウの中心地ちゅうしんち

北方ほっぽうやく20キロメートルには、ドニプエルがわをせきめてつくられたキーウ貯水池ちょすいちウクライナばん英語えいごばんがある。貯水池ちょすいちながさ110キロメートルにわたる広大こうだいなもので、そのこうはベラルーシである[11]

ベラルーシとの国境こっきょうちかくにはチェルノブイリ原子力げんしりょく発電はつでんしょがある。1986ねん4がつ26にちきたチェルノブイリ原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこでは、ソビエト連邦れんぽう上層じょうそうによってぜん住民じゅうみん350まんにん疎開そかい検討けんとうされたが、風向かざむきの関係かんけい健康けんこうへの影響えいきょうはないと判断はんだんされ、疎開そかい中止ちゅうしされた。2011ねんからはキエフを起点きてんとしたチェルノブイリの観光かんこうツアーが催行さいこうされるようになり、事故じここした4ごう間近まぢかることや発電はつでんしょ周辺しゅうへん遊覧ゆうらん飛行ひこう可能かのうであったが[41][42]ロシアのウクライナ侵攻しんこう兆候ちょうこうせまった2022ねん2がつ20日はつかには「専門せんもんてき理由りゆう」から当局とうきょくによって観光かんこうツアーは中止ちゅうしされている[43]

北緯ほくい5025ふん位置いちし、樺太からふと北部ほくぶ、ドイツのフランクフルト、カナダのウィニペグとほぼどう緯度いどにある[10]

気候きこう[編集へんしゅう]

大陸たいりくせい気候きこうであり、ケッペンの気候きこう区分くぶんでは湿潤しつじゅん大陸たいりくせい気候きこう (Dfb) にぞくし、日本にっぽん旭川あさひかわ北海道ほっかいどう)や仙北せんぼく秋田あきたけん)、軽井沢かるいざわまち長野ながのけん)などとほぼおな気候きこうである。もっとあつい7がつ平均へいきん気温きおんは20.5°Cで、30°Cをえることもすくなくない。もっとさむい1がつ平均へいきん気温きおんは−3.5°Cで急速きゅうそく平年へいねん上昇じょうしょうしたものの、近年きんねんかんふゆになることもおおく、とき零下れいか20下回したまわることもめずらしくない。過去かこ最高さいこう気温きおんは1936ねん7がつ31にち観測かんそくされた39.4°C、過去かこ最低さいてい気温きおんは1929ねん2がつ7にちと9にち観測かんそくされた−32.2 °Cである。年間ねんかん降雪こうせつりょうは355cmと欧州おうしゅう大都市だいとしなかではかなりおおほうである。

キーウの気候きこう
つき 1がつ 2がつ 3がつ 4がつ 5月 6がつ 7がつ 8がつ 9月 10月 11月 12月 とし
最高さいこう気温きおん記録きろく °C°F 11.1
(52)
17.3
(63.1)
22.4
(72.3)
30.2
(86.4)
33.6
(92.5)
35.0
(95)
39.4
(102.9)
39.9
(103.8)
33.8
(92.8)
27.9
(82.2)
23.2
(73.8)
14.7
(58.5)
39.9
(103.8)
平均へいきん最高さいこう気温きおん °C°F −0.9
(30.4)
0.0
(32)
5.6
(42.1)
14.0
(57.2)
20.7
(69.3)
23.5
(74.3)
25.6
(78.1)
24.9
(76.8)
19.0
(66.2)
12.5
(54.5)
4.9
(40.8)
0.0
(32)
12.5
(54.5)
にち平均へいきん気温きおん °C°F −3.5
(25.7)
−3
(27)
1.8
(35.2)
9.3
(48.7)
15.5
(59.9)
18.5
(65.3)
20.5
(68.9)
19.7
(67.5)
14.2
(57.6)
8.4
(47.1)
1.9
(35.4)
−2.3
(27.9)
8.4
(47.1)
平均へいきん最低さいてい気温きおん °C°F −5.8
(21.6)
−5.7
(21.7)
−1.4
(29.5)
5.1
(41.2)
10.8
(51.4)
14.2
(57.6)
16.1
(61)
15.2
(59.4)
10.2
(50.4)
4.9
(40.8)
0.0
(32)
−4.6
(23.7)
4.9
(40.8)
最低さいてい気温きおん記録きろく °C°F −31.1
(−24)
−32.2
(−26)
−24.9
(−12.8)
−10.4
(13.3)
−2.4
(27.7)
2.4
(36.3)
5.8
(42.4)
3.3
(37.9)
−2.9
(26.8)
−17.8
(0)
−21.9
(−7.4)
−30.0
(−22)
−32.2
(−26)
降水こうすいりょう mm (inch) 36
(1.42)
39
(1.54)
36
(1.42)
46
(1.81)
57
(2.24)
82
(3.23)
72
(2.83)
61
(2.4)
58
(2.28)
40
(1.57)
48
(1.89)
44
(1.73)
619
(24.37)
平均へいきん降水こうすい日数にっすう 8 7 9 13 14 15 14 11 14 12 12 9 138
湿度しつど 83 80 74 64 62 67 68 67 74 77 85 86 74
平均へいきん月間げっかん日照ひでり時間じかん 31.0 56.5 124.0 180.0 279.0 270.0 310.0 248.0 210.0 155.0 60.0 31.0 1,954.5
出典しゅってん1:Pogoda.ru.net[44]
出典しゅってん2:BBC weather (sun values).[45]

歴史れきし[編集へんしゅう]

中世ちゅうせい前期ぜんき[編集へんしゅう]

中世ちゅうせいのキーウの象徴しょうちょうせいミハイール黄金おうごんドーム修道院しゅうどういん

ウクライナ最古さいこ記録きろくルーシ年代ねんだい』の伝説でんせつによれば、キーウはポリャーネぞく公爵こうしゃくキーイ、ならびにかれ兄弟きょうだいシュテーク(シチェク)、ホリーウ(ホリフ)とリービジによって創建そうけんされたという[46]。しかし、年代ねんだいには創建そうけん年代ねんだい記載きさいされていない。考古学こうこがく資料しりょうによると、キーウは5世紀せいきすえから6世紀せいき初頭しょとう形成けいせいした集落しゅうらくとして発展はってんしてきたという[46]当時とうじ集落しゅうらく中心ちゅうしんドニプロがわ右岸うがん位置いちする城山しろやまにあったとされる[46]。6世紀せいきから7世紀せいきにかけて集落しゅうらく城山しろやまからまわりの丘陵きゅうりょうへの拡大かくだいしたのである[46]。キーウはドニプロがわ貿易ぼうえきルート、森林しんりん草原そうげんせっする地帯ちたい、そして民族みんぞくまじわる境界きょうかい位置いちしていたため、ドニプロがわ中流ちゅうりゅうにおける政治せいじ経済けいざい文化ぶんかてき拠点きょてんとして成長せいちょうした[46]。6世紀せいきゴートじん歴史れきしヨルダネスは、「ドニプロがわまち」という意味いみのダナピルスタディル (Danapirstadir) という記録きろくしている。

8世紀せいきすえにキーウは、「ルーシの」とばれる南方なんぽうひがしスラヴじん共同きょうどうたい中核ちゅうかくてき都市としであった[46]。882ねん北欧ほくおうヴァリャーグヴァイキング)がその都市とし征服せいふくすると、キーウは「キエフ・ルーシ国家こっか首都しゅと、いわゆる「ルーシの都市としはは[ちゅう 5]となった[46]。8世紀せいきから9世紀せいきにかけてキーウでは、キエフさんにあるやまキエフ)と山麓さんろくにある下町したまちポジール)というの2つの区域くいき形成けいせいされた。前者ぜんしゃでは貴族きぞく聖職せいしょくしゃ後者こうしゃでは庶民しょみんらしていた[46]当時とうじのキーウは、ひがしマ帝国まていこく北欧ほくおう西欧せいおうイスラムけい諸国しょこく貿易ぼうえきをし、国際こくさい都市としとして発展はってんした。10世紀せいき前半ぜんはんにキーウでははじめてのキリスト教きりすときょう聖堂せいどう建立こんりゅうされた[46]

ヴォロディーミルひじりこうだい(980ねん–1015ねん)には、キーウのやま範囲はんい拡大かくだいされ、防衛ぼうえい強化きょうかされた。研究けんきゅうでは改善かいぜんされたやまは「ヴォロディーミルのまち」と[46][47]やまたかるいによってかこまれて、るいには3つの大門おおもんもうけられた。正門せいもんであるソフィアもんまち南方なんぽうかれた[47]。988ねんにルーシがキリスト教きりすときょう国教こっきょうにすると、キーウはコンスタンディヌーポリそう主教しゅきょうちょうキエフ主教しゅきょう中心ちゅうしんとなった。キーウの最大さいだい教会きょうかいは、「ぞう」とばれる市場いちば大公たいこう宮殿きゅうでんとなり建立こんりゅうされた什一聖堂せいどうであった[47]。ヴォロディーミルせいおおやけ子息しそくヤロスラーウけんこう(1019ねん–1054ねん)は、さらにやまをおよそ80ヘクタールまで拡大かくだいさせ、いわゆる「ヤロスラーウのまち」を建設けんせつした[47]本城ほんじょうかこ城壁じょうへきながさは3.5キロメートまでたっした[47]。これによってキーウは東欧とうおう最大さいだい都市としとなった[47]。ヤロスラーウけんこうはキエフの正門せいもん黄金おうごんもんあらため、キエフ主教しゅきょうとしてせいソフィアだい聖堂せいどう建立こんりゅうした。ヤロスラーウけんこう子孫しそんイジャスラーウ (1054ねん–1068ねん, 1069ねん–1073ねん)とスヴャトポールク (1093ねん–1113ねん)はあらたな「イジャスラーウ・スヴャトポールクのまち」を建設けんせつした。このまちにおける中心ちゅうしんてき建造けんぞうぶつになったのはせいミハイール黄金おうごんドームだい聖堂せいどうであった[47]

キーウの最大さいだい地区ちく下町したまちポジールであった。12世紀せいきから13世紀せいき前半ぜんはんにかけてポジールの面積めんせきやく200ヘクタールにおよんでおり、るいしがらみによってかこまれていた[47]。ポジールの中央ちゅうおうにはキーウ最大さいだい市場いちば」(トルホーヴィシュチェ)が位置いちしており、そのまわりにピロゴシチャ聖母せいぼ聖堂せいどうウクライナばん英語えいごばん、ボリス・フリブ聖堂せいどう、ミハイール聖堂せいどうなどがならんでいた[47]キエフの西部せいぶではコープィルすみという地区ちくがあり、スヴャトスラーウ2せいだい(1073ねん–1076ねん)にはそこでせいシメオン修道院しゅうどういん建立こんりゅうされた[47]。キーウ郊外こうがいではキリーロ修道院しゅうどういんクローウ修道院しゅうどういん洞窟どうくつ修道院しゅうどういん(1598ねん以降いこうキエフ洞窟どうくつだい修道院しゅうどういん)、ヴィードゥビチ修道院しゅうどういんなどの正教会せいきょうかい修道院しゅうどういんかれた[47]。キーウのまわりにプレドスラーヴィネむらベレストーヴェむら公爵こうしゃく貴族きぞく別荘べっそうドロホジチだにハンガリーだにがあった[47]

12世紀せいきなかばにキーウはやく5まんにん人口じんこう、400の教会きょうかいと8つの市場いちばゆうしていた。キーウの総合そうごう面積めんせきはおよそ400ヘクタールであった[47]

中世ちゅうせい後期こうき[編集へんしゅう]

12世紀せいき後半こうはん以降いこう、キーウはルーシの聖地せいち役割やくわりたもちながら、政治せいじてき中心ちゅうしんとして衰退すいたいした。ムスチスラーウ大公たいこう(1125ねん–1132ねん)ののち、キーウをおさめる有能ゆうのう統治とうちしゃがなく、ルーシを構成こうせいしていたしょ公国こうこく独立どくりつしはじめた[48]。1169ねんウラジーミル・スーズダリ公国こうこく公爵こうしゃくアンドレイ武力ぶりょくでキーウを占領せんりょうして掠奪りゃくだつし、キエフ大公たいこう即位そくいせず帰国きこくした。さらに、1203ねんチェルニーヒウ公国こうこく公爵こうしゃくリューリク2せいはキーウを攻略こうりゃくして同様どうよう掠奪りゃくだつおこなった。このような事件じけんによってキエフ大公たいこう地位ちい威厳いげんおおきくそこなわれた。また、1223ねんにキーウの軍勢ぐんぜいカルカ河畔かはんたたかでモンゴルぐん敗北はいぼくし、1235ねんにチェルニーヒウの公爵こうしゃくミハイール2せいキプチャクれてキーウを陥落かんらくさせた。1239ねんハリーチ公国こうこく公爵こうしゃくダニーロはキーウを獲得かくとくし、最後さいごキエフ大公たいこうとなった。

1240ねんキエフのたたかにおいて、モンゴル帝国ていこく軍勢ぐんぜいはキーウを包囲ほうい破壊はかいさせた。決定的けっていてき打撃だげきけたキエフは全滅ぜんめつとなり、キエフ・ルーシというくに名実めいじつども亡国ぼうこくとなった。キーウの中心ちゅうしん下町したまちポジールへうつった。

支配しはいする勢力せいりょくは、1264ねんまでのハールィチ・ヴォルィーニ大公たいこうこくからスラヴけい国家こっかリトアニア大公たいこうこくうつり、1569ねんにリトアニアが同君どうくん連合れんごうむすんでいたポーランド王国おうこくルブリン合同ごうどうむすんでポーランド・リトアニア共和きょうわこく形成けいせいすると、ウクライナ貴族きぞくシュラフタとして共和きょうわこくのうちのポーランド王国おうこくへの帰属きぞく移動いどうもとめ、キエフけんとしてポーランド王国おうこく加盟かめいした。その、ドニプロがわ中流ちゅうりゅうおこったザポロージャ・コサック統治とうち地域ちいきくわわった。コサックたちはポーランド・リトアニア共和きょうわこく中央ちゅうおう政界せいかいセイム)との対立たいりつふかめ、1648ねんにはけん全体ぜんたいヘーチマン国家こっか(コサック国家こっか)の一部いちぶとしてポーランド・リトアニア共和きょうわこくからの自治じちけんた。キーウはヘーチマン国家こっか文化ぶんかてき中心ちゅうしんとしてふたたさかえ、ウクライナ・バロック文化ぶんかやしなわれた。

近世きんせい[編集へんしゅう]

コサックの頭領とうりょうによって復元ふくげんされたキエフ洞窟どうくつだい修道院しゅうどういんにおけるいたりひじりさんしゃ大門おおもん教会きょうかい

1654ねん、ヘーチマン国家こっかモスクワ大公たいこうこくロシア帝国ていこくたいする政治せいじてき闘争とうそうやぶれ、その宗主そうしゅけんはいることとなった。1667ねん、ウクライナ・コサックをめぐるポーランドとロシアの戦争せんそう講和こうわむかえ、キーウをふくむヘーチマン国家こっか正式せいしきにロシア帝国ていこく版図はんとさだめられた。

その、キーウは徐々じょじょにロシアのいち地方ちほう地位ちいとしていったが、それでもやはりウクライナ文化ぶんか政治せいじ運動うんどう中心ちゅうしんのひとつとしての機能きのうになっていた。そのため、モスクワ政府せいふはキーウを強力きょうりょく監視かんしくようになり、時期じきにより差異さいはあるとはいえ、ウクライナの文化ぶんかてきあるいは政治せいじてき運動うんどうは「マゼッパ主義しゅぎ」や「裏切うらぎ独立どくりつ主義しゅぎ」などとばれ弾圧だんあつくわえられた。

近代きんだい[編集へんしゅう]

キーウにおけるウクライナ人民じんみん共和きょうわこく士官しかん

1917ねんロシア革命かくめい同年どうねんあき、キーウのウクライナ中央ちゅうおうラーダウクライナ人民じんみん共和きょうわこく事実じじつじょう独立どくりつ宣言せんげんをするとロシアのボリシェヴィキはウクライナに侵攻しんこうはじめ、ソビエト・ウクライナ戦争せんそう開始かいしされた。共和きょうわこく首都しゅととなったキーウは赤軍せきぐんによる攻撃こうげきけた。1918ねん1がつ29にちウクライナ人民じんみん共和きょうわ国軍こくぐんはキーウ郊外こうがいクルトィえきたたか赤軍せきぐんやぶれ、ウクライナ勢力せいりょく劣勢れっせい決定的けっていてきになった。その、1918ねん2がつ8にちにロシアの占領せんりょうぐんによってキーウの住民じゅうみん虐殺ぎゃくさつおこなわれた。

この戦闘せんとうで、ウクライナの古都ことキーウはウクライナ民族みんぞく主義しゅぎ拠点きょてんとなった。一方いっぽう赤軍せきぐん協力きょうりょくするウクライナ人民じんみん共和きょうわこく(ウクライナ・ソビエト共和きょうわこく)の首府しゅふは、ロシアじんユダヤじんおおハルキウかれた。

1918ねん4がつ29にちにはドイツ帝国ていこく軍事ぐんじりょく農民のうみんそう支持しじうしたてとするヘーチマンの政変せいへんキーウ・サーカスじょうにて発生はっせいし、キーウを首都しゅととするウクライナこく建設けんせつされた。だが、12月にはドイツぐん撤退てったいにより同国どうこくディレクトーリヤたおされ、ディレクトーリヤはウクライナ人民じんみん共和きょうわこく再建さいけんした。

1918ねんにウクライナからの要請ようせいによってはじめられたポーランド・ソビエト戦争せんそうでも、キーウは主戦しゅせんじょうひとつとなった。1920ねんには、ポーランドぐん合同ごうどうしたディレクトーリヤぐんによるキエフ攻勢こうせい奏功そうこういちはキーウを奪還だっかんしたが、最終さいしゅうてきには赤軍せきぐんやぶれた。

結局けっきょく、ウクライナの独立どくりつ各派かくは相互そうご協力きょうりょく失敗しっぱいし、またイギリスフランス、そしてポーランドなどのような外国がいこく勢力せいりょく協力きょうりょくてきであったことからソビエト政府せいふたいして敗北はいぼくきっし、ウクライナの独立どくりつついえた。それにともない、ソ連それん時代じだい初期しょきウクライナ社会しゃかい主義しゅぎソビエト共和きょうわこく首都しゅと民族みんぞく主義しゅぎねつたかかったキーウをけ、1934ねん6がつ24にちにキーウにもどるまでハリコフにかれた[49]。1937ねん国号こくごうは「ウクライナ・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく」に改称かいしょうされたが、キーウはそのおもでありつづけた。

だい世界せかい大戦たいせんなかの1941ねん6がつ22にちナチス・ドイツはソビエト連邦れんぽうたいして宣戦せんせん布告ふこく直後ちょくご、キーウにドイツ空軍くうぐん飛来ひらいしてキーウにたいしてばくげきおこなった[50]。9月19にちには侵攻しんこうしてたドイツぐんバルバロッサ作戦さくせん一環いっかんとしてキーウを占領せんりょうした。同年どうねんの9がつ29にちと30にちに、キーウ近郊きんこうバビ・ヤールで、ナチス親衛隊しんえいたい特別とくべつ殺戮さつりく部隊ぶたいが、33771にんユダヤじん虐殺ぎゃくさつした。キーウは1943ねん11月6にち赤軍せきぐんによって奪還だっかんされるまでドイツの占領せんりょうにあった。市街しがい郊外こうがいはドイツぐんによるはげしい破壊はかいけたが、戦後せんご復興ふっこうちかられられ、比較的ひかくてきはや時期じき復興ふっこうたした。1941ねんはげしいたたかいを記念きねんし、戦後せんごの1965ねんにキーウは「英雄えいゆう都市とし」の称号しょうごうおくられた[51][52]

現代げんだい[編集へんしゅう]

1991ねん8がつ24にち、ウクライナは独立どくりつ宣言せんげんし、キーウはあらたな独立どくりつウクライナの首都しゅととなった。

21世紀せいきはいると、キーウはたびたび抗議こうぎ活動かつどう舞台ぶたいとなった。2000ねんまつから2001ねん初頭しょとうにかけて、キーウは「クチマのいないウクライナ」という抗議こうぎ活動かつどう中心ちゅうしんとなった。2004ねん11月から2005ねん1がつにかけては、2004ねんウクライナ大統領だいとうりょう選挙せんきょ不正ふせいがあったとするだい規模きぼ抗議こうぎ活動かつどうであるオレンジ革命かくめいこった。さらに2013ねん11月から2014ねん2がつにかけ、キーウの独立どくりつ広場ひろばマイダン革命かくめい中心ちゅうしんとなり、特殊とくしゅ部隊ぶたい市民しみんとの衝突しょうとつで100にん以上いじょう抗議こうぎ参加さんかしゃ死亡しぼうし、すうひゃくにん重傷じゅうしょう事件じけんこった。

2016ねん3がつ11にちだつ共産きょうさん主義しゅぎほうウクライナばん施行しこう一環いっかんとして、キーウ市内しないの79の大通おおどおり、とおり、広場ひろば路地ろじあたらしい名前なまえけられた。

2022ねん2がつ24にちはじまったロシアのウクライナ侵攻しんこうにおいて戦闘せんとう舞台ぶたいとなった(キーウのたたか)。

言語げんご[編集へんしゅう]

母語ぼご話者わしゃ(2001ねん
ウクライナ
  
72.1%
ロシア
  
25.4%

ロシア帝国ていこく支配しはいソ連それん時代じだいのロシア優遇ゆうぐう政策せいさく影響えいきょう地方ちほう各地かくちから様々さまざまひと流入りゅうにゅうしてきた結果けっか、ロシア共通きょうつうとしての地位ちいきずいてきた。これは、ウクライナ農村のうそん言語げんご、ロシア都市とし言語げんごとしてのみわけがおこなわれていたためである。そのため、住民じゅうみんおおくがロシアもしくはロシアとウクライナスルジク)を併用へいようしており、ウクライナのみの住民じゅうみん少数しょうすうといわれる。民族みんぞくてきにはロシアじんやく13%でウクライナじんが80%きょうめている[8]住民じゅうみんにとってはロシア、ウクライナ区別くべつして使つかけるというよりは混合こんごうして使つかってるのが現状げんじょうでありスルジク主流しゅりゅうともいえ母語ぼご調査ちょうさ選択せんたくでは政治せいじ状況じょうきょうによっておおきく左右さゆうされる。

2003ねん調査ちょうさによると、日常にちじょう生活せいかつでロシアおも使つかひとが52%、ロシアとウクライナ両方りょうほうが32%、おもにウクライナが14%、大半たいはんがウクライナは4.3%にぎず、ウクライナのみで生活せいかつしているひとはむしろ圧倒的あっとうてき少数しょうすうである[53]

独立どくりつはそれまでのロシア優遇ゆうぐう政策せいさくあらためられ、市内しない表記ひょうき広告こうこくとうふくめすべウクライナ制限せいげんされるようになった。テレビ放送ほうそう放送ほうそうほうにより、外国がいこく放映ほうえいかんしてはウクライナ字幕じまくをかぶせなければならなくなった。そのためロシアで製作せいさくされたロシア番組ばんぐみはウクライナ字幕じまくつきロシア放送ほうそうとなっていたが、マイダン革命かくめい以降いこう全面ぜんめん放送ほうそう禁止きんしとなっている。地下鉄ちかてつもウクライナのみのアナウンスとなっている。それでもなおおおくの市民しみん独立どくりつから30ねん経過けいかしてもなお学校がっこう公的こうてき機関きかん以外いがいでは日常にちじょうてきにロシア生活せいかつしてるのが現状げんじょうであり、ウクライナ使用しようりつ比較的ひかくてきたかいウクライナ中部ちゅうぶ地方ちほうにあってはロシアけんもといえる。マイダン革命かくめい以降いこう強力きょうりょくなウクライナ政策せいさくすすめられており、ロシア使用しようりつ低下ていかしている。

学校がっこう教育きょういく使つかわれる教授きょうじゅ言語げんごソ連それん時代じだい1991ねんはロシアが69.1%、ウクライナが30.9%と圧倒的あっとうてきにロシア主流しゅりゅうめていたが、2012ねんにはウクライナが97.1%と大半たいはんめるまでになりロシアは2.9%にまで低下ていかした。マイダン革命かくめい以降いこうはロシアでの教育きょういく禁止きんしとなった。このことはキーウのウクライナおおきく影響えいきょうあたえており、中高年ちゅうこうねん世代せだいがロシアでも若者わかもの世代せだいがウクライナへと使用しよう言語げんごわりつつある。それでもなお日常にちじょうてき言語げんごとして家族かぞく友人ゆうじんとの会話かいわ、SNSとうではロシアをメインとして使用しようする若者わかもの非常ひじょうおおくみられ一般いっぱんてきである。

ロシアのウクライナ侵攻しんこうの2023ねんおこなわれたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく連邦れんぽう政府せいふ営利えいり組織そしきIRI調査ちょうさによると家庭かていはなされる言語げんごのうち、ウクライナが59%、ロシアが38%となっており、以前いぜんくらべるとウクライナ割合わりあい大幅おおはば増加ぞうかしている[54]

行政ぎょうせい区分くぶん[編集へんしゅう]

10のラヨン)に分割ぶんかつされる。

面積めんせき(km2[55] 人口じんこう(2021ねん[55]
ドニプロがわ右岸うがん西部せいぶ): Правий берег
ホロシーイウ Голосіївський район 156 254,014
オボローニ Оболонський район 110 318,137
ペチェールシク Печерський район 20 163,672
ポジルウクライナばん Подільський район 34 209,133
スヴィアトシン(スヴィアトシンスキー)ウクライナばん Святошинський район 103 341,886
ソロムヤンシク Солом'янський район 40 384,616
シェウチェンコ Шевченківський район 27 215,924
ドニプロがわ左岸さがん東部とうぶ): Лівий берег
ダルニツヤウクライナばん Дарницький район 134 348,401
デスナウクライナばん Деснянський район 148 368,461
ドニプロウクライナばん Дніпровський район 67 357,936

人口じんこう[編集へんしゅう]

人口じんこうは2021ねん1がつ1にち推計すいけい民族みんぞく構成こうせい2001ねんウクライナ国勢調査こくせいちょうさによる。

民族みんぞく構成こうせい(2001ねん[58]
ウクライナじん
  
2,110,800にん (82.2%)
ロシアじん
  
337,300にん (13.1%)
ユダヤじん
  
17,900にん (0.7%)
ベラルーシじん
  
16,500にん (0.6%)
ポーランドじん
  
6,900にん (0.3%)
アルメニアじん
  
4,900にん (0.2%)

交通こうつう[編集へんしゅう]

キーウ地下鉄ちかてつ
インターシティよう電車でんしゃ
キーウ河川かせんみなと
ボルィースピリ国際こくさい空港くうこう

市内しない交通こうつう[編集へんしゅう]

公共こうきょう機関きかんとしてキーウ地下鉄ちかてつキーウ市電しでんキーウ・ライトレールのほか、トロリーバス路線ろせんバスがある。

キーウ地下鉄ちかてつは3路線ろせんあり、現在げんざい建設けんせつちゅう路線ろせんすうそう延長えんちょうども拡大かくだいする予定よていである。きゅう市街しがいしん市街しがいにそれぞれキーウ市電しでんが、またきゅう市街しがい南西なんせい郊外こうがいむすぶキーウ・ライトレールが運行うんこうされている。また、1905ねん開業かいぎょうしたキーウ・ケーブルカーウクライナばん英語えいごばんが、ヴォロディミールおか斜面しゃめん設置せっちされている[59]

これらにくわえ、はん公共こうきょう交通こうつう機関きかんといえる営業えいぎょう免許めんきょせいマルシュルートカ(ワゴンしゃマイクロバスひとし利用りようした個人こじん経営けいえいのバス・いタクシー)が無数むすう運行うんこうされている。これは、料金りょうきん乗車じょうしゃ距離きょりおうじた運賃うんちん制度せいど公共こうきょう交通こうつう機関きかんよりかなり割高わりだかであるとはえ、低速ていそく路線ろせんバスなどにくら所要しょよう時間じかん運用うんよう本数ほんすう路線ろせんすうおおきなメリットがあり、やはり市民しみんにとってはかせない交通こうつう手段しゅだんである。

地下鉄ちかてつ車両しゃりょう路面ろめん電車でんしゃ、バスやトロリーバスには、ソ連それん時代じだい製造せいぞうされたソ連それんせいチェコスロヴァキアせいハンガリーせい車両しゃりょうほか新型しんがたのウクライナせいドイツせいのものもおおられる。

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

郊外こうがいかって運行うんこうされる交通こうつう機関きかんには、キーウ旅客りょかくえきなどから発着はっちゃくするウクライナ鉄道てつどうがある。鉄道てつどうには近距離きんきょりの「エレクトルィーチュカ」と長距離ちょうきょりの「ポーイズド」があり、夜行やこう列車れっしゃ国際こくさい列車れっしゃ運行うんこうされている。このほか鉄道てつどうのない地域ちいきおぎなうための長距離ちょうきょりバスが地下鉄ちかてつスヴャトーシンえきウクライナばんぜんターミナルなどから発着はっちゃくしている。

水運すいうん[編集へんしゅう]

キーウはドニプロがわ水運すいうん発展はってんしたまちっても過言かごんではなく、川岸かわぎし船着場ふなつきばキーウ河川かせんみなと鉄道てつどう道路どうろ整備せいびされる以前いぜんはキーウの玄関げんかんこうであった。現在げんざいでは水上すいじょう交通こうつう重要じゅうようせい低下ていかしたものの、貨物かもつせん航行こうこうおこなわれており、観光かんこうよう遊覧ゆうらんせん発着はっちゃくする。

空港くうこう[編集へんしゅう]

ボルィースピリ国際こくさい空港くうこうまちひがし28kmに位置いちする。ひがしとなりボルィースピリ所在しょざいするが、通常つうじょう「キーウ空港くうこう」とばれる。おも国際線こくさいせんれる国際こくさい空港くうこうである。ながらく鉄道てつどう地下鉄ちかてつのアクセスがなく、バスやタクシーが必要ひつようになるなどキーウ市内しないからのアクセスは不便ふべんであったが、近年きんねんはキーウ旅客りょかくえきから定期ていきてきにシャトルバスが運行うんこうされて利便りべんせい向上こうじょうした。所要しょよう時間じかんは1あいだほど。また2018ねん11月にキーウ旅客りょかくえきとのあいだむす空港くうこう連絡れんらく鉄道てつどう開業かいぎょうした。こちらの所要しょよう時間じかんは40ふんほどで、深夜しんやたい運行うんこうされている。

市内しないにあるキーウ・ジュリャーヌィ国際こくさい空港くうこうは、かつてはウクライナのそら玄関げんかんこうとして機能きのうした空港くうこうであるが、現在げんざいではおも国内線こくないせん近距離きんきょり国際線こくさいせんれている。このほか個人こじん所有しょゆうするビジネスジェットなども数多かずおおくこの空港くうこう利用りようしている。これについては、空港くうこう私物しぶつとの批判ひはんがある。このほか空港くうこうにはウクライナ空軍くうぐん使用しようとう展示てんじする国立こくりつ航空こうくう博物館はくぶつかんウクライナばん併設へいせつされている。この空港くうこうは、市内しないにあり利用りよう便びん非常ひじょうによいが、安全あんぜんめん土地とち問題もんだいから本格ほんかくてき国際こくさい空港くうこうへの拡張かくちょう困難こんなんである。

スヴィアトシン(スヴィアトシンスキー)ウクライナばん所在しょざいするスヴィアトシン飛行場ひこうじょうウクライナばん英語えいごばんは、ウクライナの航空こうくう産業さんぎょう初期しょきから存在そんざいする空港くうこうであるが規模きぼちいさく、またまち隣接りんせつしているため拡張かくちょうできない。現在げんざいでは、O・K・アントーノウ記念きねん航空こうくう科学かがく技術ぎじゅつふく合体がったいアントノフ連続れんぞく生産せいさん工場こうじょうウクライナばん英語えいごばん使用しようする小規模しょうきぼ飛行場ひこうじょうとなっている。

キーウ市外しがい隣接りんせつするキーウ・チャイカ空港くうこうは、民間みんかんのスポーツよう小規模しょうきぼ空港くうこうである。

ホストーメリ空港くうこうもキーウ所在しょざいする空港くうこうではなく、近郊きんこうホストメリ所在しょざいする。小規模しょうきぼ空港くうこうで、別名べつめいアントーノフ空港くうこうばれるとおり、アントーノフの機体きたい試験しけん貨物かもつよう空港くうこうとして使用しようされている[60]

教育きょういく[編集へんしゅう]

スポーツ[編集へんしゅう]

キーウではサッカーもっと重要じゅうようスポーツであり、ウクライナ・プレミアリーグ所属しょぞくする名門めいもんクラブのFCディナモ・キーウ存在そんざいしている。どうリーグでは最多さいた優勝ゆうしょうほこり、ウクライナ・カップウクライナ・スーパーカップでも最多さいた優勝ゆうしょうかざっている。ディナモ・キーウはウクライナ最大さいだいのスタジアムである、オリンピスキ・スタジアム本拠地ほんきょちとしている。同地どうちUEFA EURO 2012決勝けっしょうおこなわれた場所ばしょでもある。なお、2リーグにはFCアルセナル・キーウ存在そんざいする。

どころ[編集へんしゅう]

建造けんぞうぶつ[編集へんしゅう]

美術館びじゅつかん博物館はくぶつかん[編集へんしゅう]

劇場げきじょう[編集へんしゅう]

ギャラリー[編集へんしゅう]


著名ちょめい出身しゅっしんしゃ[編集へんしゅう]

姉妹しまい都市とし[編集へんしゅう]

2018ねん時点じてん[70]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ルーシ年代ねんだい』の882ねんじょうに、ルーシぞくおおやけオレーグルーシをキーウにさだめたとき、キーウを「ルーシのまち々のはは」とづけた(Полное собрание русских летописей (ПСРЛ). — Т. 2. Ипатьевская летопись. — СПб., 1908. — c. 17.)。
  2. ^ キーウは東欧とうおうキリスト教きりすときょう発祥はっしょうで、1453ねんコンスタンティノープルの陥落かんらくエルサレム正教会せいきょうかい聖地せいちであると主張しゅちょうしたウクライナの聖職せいしょくしゃ概念がいねん。キーウ、ハールィチおよびぜんルーシの主教しゅきょうヨフ・ボレツキーウクライナばん英語えいごばんによる1622ねん書状しょじょう、1633ねんにその後継こうけいしゃとなったペトロー・モヒーラによる『洞窟どうくつだい修道院しゅうどういんのアテナイオス』、またキエフ・モヒラ・アカデミー校長こうちょうおよびロシア正教会せいきょうかい会議かいぎ会長かいちょうつとめたフェオファン・プロコポーヴィチウクライナばんなどマゼーパ時代じだい聖職せいしょくしゃ文人ぶんじん著作ちょさくなどにおいてしばしばられる(Рибалка І. К. Історія України (частина перша) — К.,1994 — 7. Культура в Україні у XVIII ст. )。
  3. ^ まち並木なみきどおりには「ぐり」の実際じっさいセイヨウトチノキAesculus hippocastanum)がえられ、春先はるさきにははないてまちいろどるため[1][2]
  4. ^ べい連邦れんぽう政府せいふ作成さくせいしているのでパブリック・ドメインとなり、民間みんかん企業きぎょう団体だんたい自由じゆう情報じょうほう使用しようできる。
  5. ^ 都市としはは」とは、スラヴ翻訳ほんやく借用しゃくようで、ギリシアメトロポリス(「メトロ」(はは)・「ポリス(都市とし)」)に由来ゆらいする。
  6. ^ 古代こだいギリシャἉγία Σοφίαより。Ἁγίαせいなる[61]Σοφία知恵ちえ意味いみ[62]
  7. ^ せいソフィアだい聖堂せいどう場合ばあいようナシ (pear) かたちともわれる[63]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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