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展覧てんらんかい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
組曲くみきょく展覧てんらんかい
だい1プロムナードの冒頭ぼうとう部分ぶぶん
ジャンル ピアノのための組曲くみきょく
作曲さっきょくしゃ モデスト・ムソルグスキー
作曲さっきょくねん 1874ねん

組曲くみきょく展覧てんらんかい』(てんらんかいのえ、: Картинки с выставки; ふつ: Tableaux d'une exposition; どく: Bilder einer Ausstellung; えい: Pictures at an Exhibition)は、1874ねんロシア作曲さっきょくモデスト・ムソルグスキーによって作曲さっきょくされたピアノのための組曲くみきょくである。ロシアの画家がかであるヴィクトル・ハルトマン(ガルトマンとも)のかなしみ、展覧てんらんかいおとずれたさい散歩さんぽ(プロムナード)の様子ようすきょくにしている。くせごとに拍子ひょうしちがうのはあるきながらているという、歩調ほちょうあらわしているともわれている。後世こうせいでは、おおくの作曲さっきょくによってオーケストラ(管弦楽かんげんがく)に編曲へんきょくされた。とりわけ、フランスのモーリス・ラヴェルによる、トランペット・ソロで開始かいしされる編曲へんきょく名高なだかい。

作品さくひん概要がいよう

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展覧てんらんかい』はムソルグスキーが、友人ゆうじんであったヴィクトル・ハルトマンの遺作いさくてんあるきながら、そこでた10まい[1]印象いんしょう音楽おんがく仕立したてたものである。ロシアにとどまらずフランス、ローマ、ポーランドなどさまざまなくに風物ふうぶつえがかれている。また、これらの10まいがただ無秩序むちつじょならぶのではなく、「プロムナード」というみじか前奏ぜんそうきょくあるいは間奏かんそうきょく[2]が5かいかえして挿入そうにゅうされるのが特徴とくちょうてきで、この「プロムナード」は展覧てんらんかい巡回じゅんかいしゃ、すなわちムソルグスキー自身じしんある姿すがた表現ひょうげんしている(使つかわれるごとに曲想きょくそうわるので、つぎきょく雰囲気ふんいき調しらべせいとを的確てきかくかんじてくことが大切たいせつである[3])といわれる。おぼえやすいメロディーと緩急かんきゅう自在じざい構成こうせい(ユーモラスなきょく優雅ゆうがきょく、おどろおどろしいきょく重々おもおもしいきょくなど)から、ムソルグスキーの作品さくひんなかでももっともられた作品さくひんひとつである。

組曲くみきょく構成こうせい

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印象いんしょうえがいた10きょくと、「プロムナード」[2]5きょく自筆じひつではだい2プロムナード、だい3プロムナード、だい4プロムナードは調しらべごうもちいずに臨時りんじ記号きごうかれている[3])、「せる言葉ことばによる死者ししゃへのびかけ」の16きょくからなる。ただし、ラヴェルばんだい6きょくだい7きょくあいだだい5プロムナードが削除さくじょされた[4]15きょくで、これと同様どうようだい5プロムナードが削除さくじょされているはんおおい。「せる言葉ことばによる死者ししゃへのびかけ」は「プロムナード」の変奏へんそうであり、6番目ばんめの「プロムナード」と位置いちづけることもできる。

なお、ムソルグスキーはかくプロムナードと直後ちょくごきょく、「リモージュの市場いちば」から「せる言葉ことばによる死者ししゃへのびかけ」、「バーバ・ヤガー」と「キエフの大門おおもん」をアタッカつな指示しじをしている[5]

曲名きょくめい 原題げんだい 拍子ひょうし 調しらべ
だい1プロムナード Promenade 5/4, 6/4 - 6/4 へん長調ちょうちょう
1 小人こども(グノーム) Gnomus 3/4 - 4/4, 3/4 - 3/4 へん短調たんちょう
だい2プロムナード [Promenade] 5/4,6/4 へんイ長調いちょうちょう
2 古城こじょう Il vecchio castello 6/8 ト短調とたんちょう
だい3プロムナード [Promenade] 5/4, 6/4 - 4/4 長調ちょうちょう
3 テュイルリーにわ - あそびののち子供こどもたちのくちげんか Tuileries - Dispute d'enfants après jeux 4/4 長調ちょうちょう
4 ビドロ(牛車うしぐるま Bydlo 2/4 ト短調とたんちょう
だい4プロムナード [Promenade] 5/4, 6/4, 7/4 - 3/4 短調たんちょう
5 たまごからをつけたひなおど Балет невылупившихся птенцов

(Ballet des poussins dans leurs coques)[6]

2/4 長調ちょうちょう
6 サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ Samuel Goldenberg und Schmuÿle 3/4 - 4/4 へん短調たんちょう
だい5プロムナード Promenade 5/4, 6/4, 7/4 へん長調ちょうちょう
7 リモージュ市場いちば Limoges - Le marché 4/4 - 3/4 - 4/4 へん長調ちょうちょう
8 カタコンベ - ローマ時代じだいはか Catacombae - Sepulchrum Romanum 3/4 短調たんちょう
せる言葉ことばによる死者ししゃへのびかけ Cum mortuis in lingua mortua 6/4 短調たんちょう
9 にわとりあしうえ小屋こや - バーバ・ヤガー Избушка на курьих ножках - Баба-Яга

(La cabane sur des pattes de poule - Baba-Yaga)[6]

2/4 - 4/4, 2/4 - 2/4 符号ふごうなし(実質じっしつト短調とたんちょう
10 キエフ(キーウ)の大門おおもん Богатырские ворота - в стольном городе во Киеве -

(La grande porte de Kiev)[6]

2/2 - 4/4 へん長調ちょうちょう

だい1プロムナード

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途中とちゅう拍子ひょうしわるが、スターソフによれば、ゆっくりとあるいたり早々そうそうあるいたりして会場かいじょううごき、ときにはかなしげに、くなったハルトマンのことをかんがえている自身じしんえがいているという。演奏えんそう時間じかんやく1ふん40びょう


    { \new PianoStaff <<
        \new Staff <<
            \new voice \relative c'' {
                \tempo "Allegro giusto, nel modo russico; senza allegrezza, ma poco sostenuto"
                \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo 4 = 112
                \clef treble \key bes \major 
				\time 5/4 
                	g4--_\f f-- bes-- c8--( f d4--)
                \time 6/4
					c8--( f d4--) bes-- c-- g-- f--
				\time 5/4
					<bes, d g>4 <a c f> <bes d bes'> \stemDown <c a'> <f a>
				\time 6/4
					\stemDown <c a'> <f bes> \stemNeutral <d g bes> <e g c> <g, c g'> <a c f>
				}
			\new Voice \relative c'' {
                \time 5/4
					s1 s4
				\time 6/4
					s1.
				\time 5/4
					s2. \stemUp c8^( f d4)
				\time 6/4
					\stemUp c8^( f d4) s1
                }
            >>
        \new Staff <<
			\clef bass \key bes \major 
            \relative c {
                \time 5/4
					R1*5/4
				\time 6/4
					R1*6/4
				\time 5/4
					<g g'>4 <a f'> <g g'> <f f'> <d d'>
                \time 6/4
					<f f'> <bes bes'> <g g'> <c, c'> <e e'> <f f'>
				}
            >>
    >> }

小人こども(グノーム)

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きゅうまったりはじまったりする旋律せんりつが、小人こどものぎこちなくはしっている様子ようすかんじさせる。演奏えんそう時間じかんやく3ふん


{\new PianoStaff << 
\new Staff  \relative c'{\clef bass \set Score.tempoHideNote = ##t \time 3/4 \key ges\major \tempo "sempre vivo" 4=286 ces8\ff (es,8 d8 ces'8 bes8 d,8) ges2.\sf\fermata ~ges2~ ges8 r8 \tempo "meno vivo" 4=166 ces8\p (es,8 d8 ces'8 bes8 d,8) ges2. ~ges2. \tempo "sempre vivo"4=286 ces8\ff (es,8 eses8 ces'8 bes8 des,8) fes4\sf bes8 (ces,8 es4\sf) bes'8 (bes,8) d4\sf (bes8) r8 \clef treble <bes' bes'>4\ottava#1  <bes'' bes'>4\ottava#0 r4\fermata}

\new Staff \relative c'{\clef bass \time 3/4 \key ges\major ces,8 (es,8 d8 ces'8 bes8 d,8) ges2.\fermata ~ges2~ ges8 r8 ces8 (es,8 d8 ces'8 bes8 d,8) ges2. ~ges2. ces8 (es,8 eses8 ces'8 bes8 des,8) fes4 bes8 (ces,8 es4) bes'8 (bes,8) d4 (bes8) r8 bes'4 \clef treble bes''4 r4\fermata}
 >> }

だい2プロムナード

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だい1プロムナードよりもひくやすらかな旋律せんりつつづく。演奏えんそう時間じかんやく1ふんじゃく


\relative c {
  \tempo "Moderato commodo e con delicatezza"
  \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo 4 = 96
  \key aes \major
  \clef bass
  \bar ""
  \time 5/4 f\p( es aes bes8 es c4
  \time 6/4 bes8 es c4 aes bes f es)
}

古城こじょう

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ひく重々おもおもしい旋律せんりつながれる。ハルトマンは建築けんちくぶつ絵画かいがには大体だいたいおおきさを見物けんぶつきゃくにもわからせるために、わざと人物じんぶつえがいたものがおおい。このきょくのもとになった絵画かいがもその1つとかんがえられており、スターソフによると「中世ちゅうせいヨーロッパ(おそらくイタリア)の古城こじょう吟遊詩人ぎんゆうしじんうたうた」を再現さいげんしたものと解釈かいしゃくしている。


{\new PianoStaff <<
\new Staff \relative c <<
{\tempo "Andante molto cantabile e con dolore" \clef bass \time 6/8 \key gis\minor \set Score.tempoHideNote=##t \tempo 4=66 dis2.~\pp dis4 dis8 dis8-. dis8-. dis8-. dis8. (e16) dis8-. fis8-. (e8-. dis8-.) cis8. (dis16) cis8-. e8-. (dis8-. cis8-.) b4 (cis8 dis8 cis8 b8) ais8. (b16) ais8-. cis8-. (b8-. ais8-.) b4. (gis4.)}
\\
{gis2.~ gis4. gis4. gis4. gis4. gis4. gis4. gis4. ~gis4 r8 gis4. ~gis4 r8 gis4 gis8}
>>
>>}

だい3プロムナード

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低音ていおん和音わおんわされ、よりくらおもみのあるものになっている。


\relative c' {
  \tempo "Moderato non tanto, pesante"
  \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo 4 = 96
  \key b \major
  \clef treble
  \bar ""
  \time 5/4 <gis gis'>\f <fis fis'> <b b'> <cis cis'>8 <fis fis'> <dis dis'>4
  \time 6/4 <cis cis'>8 <fis fis'> <dis dis'>4 <b b'> <cis cis'> <gis gis'> <fis fis'>)
}

テュイルリーのにわ - あそびののち子供こどもたちのくちげんか

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チュルイリーのにわとも表記ひょうきされる。テュルイリー宮殿きゅうでんにわあそんだのち喧嘩けんかをする子供こどもたちの様子ようす表現ひょうげんされる。


{\new PianoStaff << 
\new Staff
\relative c'{
    \clef treble 
    \set Score.tempoHideNote = ##t 
    \time 4/4 
    \key b\major 
    \tempo "Allegretto non troppo, capriccioso" 4=120
    <fis b fis'>4(\p\> <eis b' dis>8)\! r8 
    <fis b fis'>4(\> <eis b' dis>8)\! r8
    <b' fis'>(\> gis'16 fis)\! <b, eis>-. dis-. cisis-. dis-. 
    <b eis>-.\> dis-. fis-. eis-.\! <b gis'>-. fis'-. eis-. dis-.
}
\new Staff 
\relative c'{
    \clef bass 
    \time 4/4 
    \key b\major 
    <b dis>4( <gis dis'>8) r8 
    <b dis>4( <gis dis'>8) r8
    <b dis fis>4( <gis dis' eis>8) r8
    <b dis fis>4( <gis dis' eis>8) r8
}
 >> }

ビドロ(牛車うしぐるま

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ブイドロ表記ひょうきされることもある。重々おもおもしく牛車うしぐるまちかくをとおぎ、とおざかっていく様子ようす表現ひょうげんされている。


{\new PianoStaff << 
\new Staff  \relative c'
{\clef bass \key gis\minor \set Score.tempoHideNote=##t \time 2/4 \tempo "Sempre moderato pesante"4=46 \override DynamicLineSpanner.staff-padding = #2.5 r4_\ff dis,4 ~(dis8 fis16 e16) dis8-- e8-- dis8-- gis8-- ais8-- b8-- ais4-- gis8-- r8 cis4-- (gis'8) r8 cis,4-- (gis'8) gis8-- dis4-- cis4-- b8 (dis8 ais8) r8 gis4 fis8 (e8 dis8) r8}
\new Staff \relative c{\clef bass \time 2/4 \key gis\minor
\repeat unfold 8{<gis, dis' gis>8-- <b dis b'>8}
\repeat unfold 2 {<a cis a'>8 <cis e cis'>8 <e, gis e'>8 <gis b gis'>8} <fisis ais fisis'>8 <ais dis ais'>8 <fisis ais fisis'>8 <ais dis ais'>8  <gis dis' gis>8 <b dis b'>8 <fisis ais fisis'>8 <ais cis ais'>8 
<gis b gis'>8 <b dis b'>8 <a cis a'>8 <cis e cis'>8 <gis dis' gis>8 <b dis b'>8}
>>}

だい4プロムナード

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それまでのプロムナードとことなり、短調たんちょうとなっている。演奏えんそう時間じかんやく40びょう


{\new PianoStaff <<
\new Staff 
    \relative c'' <<
    { 
        \clef treble 
        \key f\major
        \set Score.tempoHideNote = ##t 
        \tempo "Tranquillo" 4=88
        \time 5/4 b2\rest \ottava #1 d'4\p( e8 a f4
        \time 6/4 e8 a f4 d e bes a)
    }
    \\
    \relative c'' {
        \time 5/4 s2 \ottava #1 <d f a>4 <c e a c>4 <d f a d>4
        \time 6/4 <c e a c> <bes d bes' f> <g bes g' bes> <e bes' d e g> <g bes d e g> <a cis e g>
    }
    >>
>>}

たまごからけたひなおど

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孵化ふかしきっていないひなねたりしておどるところをえがいている。演奏えんそう時間じかんやく1ふん10びょうほど


\relative c''' {
  \tempo "Scherzino. Vivo leggiero"
  \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo 4 = 150
  \key f \major
  \clef treble
  \bar ""
  \time 2/4
  \slashedGrace d8\pp^( <f, a c>-.) <f, a c>-. 
  \slashedGrace c''^( <f, aes b>-.) <f, aes des>-. 
  \slashedGrace d''^() <f, a! c>-.) <f, a! c>-. 
  <aes b des f aes>-.-> \slashedGrace d'^( <f, a c>-.)
  
  \slashedGrace d'^( <f, a! c>-.) <f, a! c>-. 
  \slashedGrace c''^( <f, aes b>-.) <f, aes des>-. 
  \slashedGrace d''^() <f, a! c>-.) <f, a! c>-. 
  <des' f aes>-. <aes b>-.
}

作曲さっきょく編曲へんきょく経緯けいい

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原典げんてんばん自筆じひつ

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モデスト・ムソルグスキー

ムソルグスキーは音楽おんがくなどでは「ロシア5人組にんぐみ」とばれる音楽家おんがくか集団しゅうだん1人ひとりとしてられているが、ムソルグスキー1にんかぎってると、後年こうねんになるほどウラディーミル・スターソフ影響えいきょうがきわめておおきい。スターソフはロシアの芸術げいじゅつ研究けんきゅうであり評論ひょうろんであったが、指導しどうしゃてきめんもあり、おおくのわか芸術げいじゅつ慈父じふのような役割やくわりたした。そしてかれのサロンには、音楽おんがく絵画かいが建築けんちく彫刻ちょうこくなどがあつまり、ロシア固有こゆう芸術げいじゅつ探求たんきゅうする空気くうき醸成じょうせいされていた。

ヴィクトル・ハルトマン
ファクシミリばん17ページ。「カタコンベ」と「せる言葉ことばによる死者ししゃへのびかけ」
小人こども」の冒頭ぼうとう部分ぶぶん

1870ねんころ、ムソルグスキーはヴィクトル・ハルトマンという建築けんちくであり画家がかでもある人物じんぶつ出会であい、交友こうゆうむすぶ。しかし1873ねん8がつ4にち、ハルトマンは動脈どうみゃくこぶ原因げんいん急死きゅうししてしまう。ムソルグスキーの落胆らくたんぶりはおおきく、のこされた手紙てがみなどによると、ハルトマンのからだ異常いじょうづきながら友人ゆうじんとしてなすべきことをしていなかったのではないかと、自責じせきねんにかられている様子ようすがわかる。一方いっぽう、スターソフはハルトマンの遺作いさくてんひらくことにした。ハルトマンの作品さくひん整理せいりすることと、ハルトマン未亡人みぼうじんのための資金しきん援助えんじょ目的もくてきであったとおもわれる。遺作いさくてんは、1874ねんの2がつから3がつにかけて、母校ぼこうであったサンクトペテルブルク美術びじゅつアカデミーにおいて400てん遺作いさくあつめて大々的だいだいてき開催かいさいされた。

その展覧てんらんかいから半年はんとし1874ねん7がつ4にち、ムソルグスキーは『展覧てんらんかい』を完成かんせいさせた。同年どうねん6がつ24にちづけのスターソフへの手紙てがみには、このきょくについて興奮こうふん気味ぎみに「アイディアがえたぎっていてかみひまがない」「こん間奏かんそう(プロムナード)とそれ以外いがいに(きょくしゅう前半ぜんはんの)4きょくいた」などとかれており、そのまえ作曲さっきょくしていた歌曲かきょく完成かんせいよりまだ10日とおか程度ていどしかたっていないことから、作業さぎょうおそいムソルグスキーにしてはめずらしく2 - 3週間しゅうかんらずで一挙いっきょ作曲さっきょくされたものと推測すいそくされている。この自筆じひつは、現在げんざいはレニングラード国立こくりつ公共こうきょうM. J. サルティコフ・シェッシュドリン図書館としょかん保存ほぞんされている(稿本こうほん部門ぶもん、M. P. ムソルグスキー基礎きそ資料しりょう502ばん文書ぶんしょ番号ばんごう129)。いわゆる自筆じひつとかファクシミリばんばれているものである。なお、原典げんてんばん原曲げんきょくといった場合ばあい本来ほんらいはムソルグスキーの自筆じひつ(またはファクシミリばん)をすが、ファクシミリばん1975ねんまで公開こうかいされなかったため、1931ねん出版しゅっぱんされたモスクワ音楽おんがくいん教授きょうじゅパーヴェル・ラム(Pavel Lamm)による校訂こうていばんいまでも原典げんてんばんとしてひろれられている[7]

ムソルグスキーのとリムスキー=コルサコフばん

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リムスキー=コルサコフばん初版しょはん表紙ひょうし
リムスキー=コルサコフ

展覧てんらんかい』はムソルグスキーの生前せいぜんにはいち演奏えんそうされず、出版しゅっぱんもされないままであった。そもそも作曲さっきょくしゃ本人ほんにんが、1880ねんフーゴー・リーマン編纂へんさんちゅうであった音楽おんがく事典じてんへの依頼いらいこたえていた原稿げんこうなかで「オペラ作曲さっきょくちゅう気晴きばらしに絵画かいがのような作品さくひんしゅういた」と、タイトルすらかないでべるほど関心かんしんうしなっていたようである。そして1881ねん3月28にち、ムソルグスキーはアルコール依存いぞんしょう生活苦せいかつくから衰弱すいじゃくしてこのる。今日きょうよくられるかれ肖像しょうぞうは、の3週間しゅうかんほどまえ、スターソフのもとでやはり懇意こんいであったイリヤ・レーピンふでによるものである(レーピンは『ヴォルガのふね』で有名ゆうめいロシア・リアリズム画家がか)。

さいわいにもリムスキー=コルサコフがムソルグスキーの遺稿いこう整理せいりたった。そして、『展覧てんらんかい』のピアノ1886ねん出版しゅっぱんされ、ついにる。ただしリムスキー=コルサコフの改訂かいてい目立めだつため、現在げんざいは「リムスキー=コルサコフばん」として、原典げんてんばんとは区別くべつされている。改訂かいていは、現在げんざいでは独創どくそうてき斬新ざんしんとも評価ひょうかされるムソルグスキーの原典げんてんばんが、当時とうじ感覚かんかくではあまりに荒削あらけずりで、非常識ひじょうしきとらえられる部分ぶぶんもあったためとわれており、ときにはリムスキー=コルサコフがムソルグスキーの音楽おんがく理解りかいしていなかったからだともわれている。しかし、ムソルグスキーの様々さまざま作品さくひん楽譜がくふした意味いみおおきく、5人組にんぐみなかで、リムスキー=コルサコフがもっともその音楽おんがく素晴すばらしさを認識にんしきしていた証左しょうさといってよい。

とく明確めいかく原典げんてんばんとの相違そういてんは、「ビドロ」が弱音よわねはじまって次第しだい音量おんりょうおおきくなるてん原典げんてんばんではフォルティッシモではじまる)、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」の最後さいごがC-D♭-C-B♭となるてん原典げんてんばんはC-D♭-B♭-B♭)。これらは下記かきのラヴェルばんでも踏襲とうしゅうされている。

トゥシュマロフばん

[編集へんしゅう]
トゥシュマロフばん展覧てんらんかい だい1プロムナード

ムソルグスキーののこした音楽おんがくおおくが完成かんせいのものであったが、のちにさまざまな音楽家おんがくかがこれを補筆ほひつもしくは改訂かいてい編曲へんきょくをしてした。

リムスキー=コルサコフ校訂こうていのピアノ出版しゅっぱんの5ねんの1891ねん、リムスキー=コルサコフの弟子でしであったミハイル・トゥシュマロフがこのきょく最初さいしょのオーケストラ編曲へんきょくおこなった。トゥシュマロフばんは5番目ばんめ以外いがいの「プロムナード」、「小人こども」、「ビドロ」、「テュイルリーのにわ」を省略しょうりゃくした短縮たんしゅくばんであった。トゥシュマロフばん通常つうじょう「トゥシュマロフおよびリムスキー=コルサコフへん」と表記ひょうきされているが、リムスキー=コルサコフが編曲へんきょくにどこまで関与かんよしたかはあきらかではない。ただし、トゥシュマロフばんは、発表はっぴょうとしにリムスキー=コルサコフの指揮しきによって初演しょえんされている。

ラヴェルばん

[編集へんしゅう]
モーリス・ラヴェル

1922ねん、フランスのラヴェルが、指揮しきしゃクーセヴィツキー依頼いらいで『展覧てんらんかい』を管弦楽かんげんがくへと編曲へんきょくした。この編曲へんきょくばんはクーセヴィツキーのひきいるオーケストラによって、同年どうねん10月19にち初演しょえん)と10月26にちパリのオペラ演奏えんそうされ、これをきっかけに一挙いっきょにムソルグスキーの『展覧てんらんかい』は世界せかいてき有名ゆうめいになった。

ラヴェルがこの仕事しごとけた理由りゆうとしては、報酬ほうしゅうもさることながら当時とうじフランスの音楽家おんがくかサン=サーンスドビュッシー、ラヴェルなど)にムソルグスキーの和音わおん多用たようする様式ようしき評価ひょうかされつつあったこと、ムソルグスキーのピアノきょく管弦楽かんげんがくきょくつくるための習作しゅうさくのようなつく[8]であったことなどがげられている。

ラヴェルは編曲へんきょくたり、友人ゆうじんカルヴォコレッシ譜面ふめん手配てはい依頼いらいした。その手紙てがみ(1922ねん2がつ3にちづけ)には「ムソルグスキーの自筆じひつ(の入手にゅうしゅ)を期待きたいしている。なにとかして入手にゅうしゅする方法ほうほうはないだろうか。または入手にゅうしゅ可能かのう人物じんぶつらないか」としるしており、ラヴェルが当時とうじ出版しゅっぱんされていたムソルグスキーの楽譜がくふには、リムスキー=コルサコフによる改変かいへんがあることをっており[9]自身じしんはムソルグスキーのオリジナルから編曲へんきょくをする意図いとであったことがわかっているが、カルヴォコレッシは自筆じひつ入手にゅうしゅできなかったようで、最終さいしゅうてきにはすでに出版しゅっぱんされていたリムスキー=コルサコフばんもとづき[10]、1922ねんの3がつからまず「キエフの大門おおもん」に着手ちゃくしゅして5がつ1にち完成かんせいつづけてのこりを初秋しょしゅうごろまでかけて編曲へんきょくおこなった。そのさい、ラヴェルの自作じさく編曲へんきょくにもみられるように、ダイナミクスの問題もんだいによる小節しょうせつ追加ついか[11]など一部いちぶ補筆ほひつしている。

その編曲へんきょくとく冒頭ぼうとうのトランペットのファンファーレてきな「プロムナード」に象徴しょうちょうされるように、ラヴェルの異名いみょうである「オーケストラの魔術まじゅつ」どおりの華麗かれい色彩しきさいてきなもので、原曲げんきょくのロシアてき要素ようそ重視じゅうしするよりもオーケストラ作品さくひんとしてのはなやかな色彩しきさいあたえることを企図きとし、そして成功せいこうしている。ラヴェルの編曲へんきょくはスラブしょくつよ楽曲がっきょくであった『展覧てんらんかい』にあたらしい生命せいめいあたえることに成功せいこうしたとってよい。

なお、楽譜がくふは1929ねんロシア音楽おんがく出版しゅっぱんから出版しゅっぱんされ、現在げんざい同社どうしゃ業務ぎょうむいだブージー・アンド・ホークスなどで刊行かんこうされている。

編成へんせいひょう
木管もっかん 金管きんかん つる
Fl. 3(2, 3ばんFl.picc.え) Hr. 4 Timp. Vn.1
Ob. 3(3ばんC.I.え) Trp. 3 Ptti., Tamb., Gr.C., Tam-T., Glsp., Xylo., Trg., Crec., Fouet, Camp. Vn.2
Cl. 2, Cl.b.1 Trb. 3 Va.
Fg. 2, Cfg.1 Tub. 1 Vc.
Sax.a.1Cb.
そのCel., Arpa 2

ストコフスキーばん

[編集へんしゅう]
ストコフスキー

ラヴェルばん世界せかいてき人気にんきたが、どうはん演奏えんそうけんはクーセヴィツキーが5年間ねんかん独占どくせんする契約けいやくだったことや、著作ちょさくけん問題もんだい[12]音楽家おんがくかによるオーケストラ編曲へんきょく多数たすうこころみられた。

そのなかとく有名ゆうめいなものは、指揮しきしゃストコフスキーによる編曲へんきょくばんである。冒頭ぼうとうの「プロムナード」の旋律せんりつだい1ヴァイオリンのみのユニゾン演奏えんそうされる。ラヴェルはんのフランスふう洗練せんれんされた編曲へんきょくたいし、原曲げんきょくのロシアてきひびきをかすという意図いとのもとに編曲へんきょくされている。ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー録音ろくおんするなど、本場ほんばロシア(ソビエト)でもれられていた。

ピアノばんのホロヴィッツによる編曲へんきょく

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ホロヴィッツ

ムソルグスキー自身じしん一流いちりゅうのピアニストではなかったこともあり、原曲げんきょくのピアノ書法しょほうではラヴェル編曲へんきょく管弦楽かんげんがくばんのような色彩しきさいかんとぼしいことはいなめない。1940年代ねんだいはいるころ、ロシア出身しゅっしん当時とうじアメリカに亡命ぼうめいしていたウラディミール・ホロヴィッツ独自どくじ編曲へんきょく手掛てがけ、1947ねんからコンサートでしばしば演奏えんそうするようになった。1947ねんのスタジオ録音ろくおんと1951ねんのライヴ録音ろくおんがレコードとして発売はつばいされ、おおきな話題わだいになった。

これらは編曲へんきょくとはいえ、ピアノばんの『展覧てんらんかい』の録音ろくおんとしてはもっとふる部類ぶるいぞくする。原典げんてん重視じゅうしするきには敬遠けいえんされる[13]ことがあるものの、ムソルグスキーによるピアノ原曲げんきょく世界せかいらしめるじょうで、ホロヴィッツの演奏えんそうたした役割やくわりきわめておおきい。同時どうじに、ホロヴィッツがこの編曲へんきょく楽譜がくふ公開こうかいしなかったことと、その録音ろくおんがた決定けっていばん評価ひょうかされたことが、のピアニストがピアノばんむことをけたもっとおおきな要因よういんともえる。もちろん原曲げんきょくより技巧ぎこうてきにはむずかしくなっている個所かしょおおいが、そのいくにんかが録音ろくおんされた演奏えんそうからの楽譜がくふこしをこころみた結果けっか、聴感じょうなんくらべ、非常ひじょう効率こうりつてき編曲へんきょくがなされていることがかっており、ホロヴィッツがいかにピアノ技法ぎほう熟知じゅくちしていたかをうかがいることができる。

ホロヴィッツ自身じしん、この編曲へんきょく超絶ちょうぜつ演奏えんそう技巧ぎこう披露ひろうするためではなく、ムソルグスキーの原曲げんきょくつロシアてき性格せいかく一層いっそうしつつ、ピアノの可能かのうせい最大限さいだいげんかすことを目的もくてきとした編曲へんきょくであるとべている。

リヒテルのソフィア・ライブ(原典げんてんばん復活ふっかつ

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リヒテル

ラヴェル編曲へんきょくのオーケストラばん人気にんきともない、原曲げんきょく(ピアノきょく)のほうも、すこしずつ演奏えんそうされるようになってきた。しかし難曲なんきょくであったため、これをはじけるのは「ヴィルトゥオーゾ証明しょうめい」のようなあつかいになりかけていて、むしろ管弦楽かんげんがくばん原曲げんきょくであるかのようなあつかいでもあった。また1931ねんにラムの校訂こうていばん出版しゅっぱんされてからも、演奏えんそうされることはあってもリムスキー=コルサコフばんだった。そうしたなか、ロシアのピアニスト、リヒテルのレコードがあたらしいとびらひらく。1958ねんのことである。

当時とうじはアメリカとソ連それん現在げんざいのロシア)の対立たいりつ激化げきかし、東西とうざい冷戦れいせん最中さいちゅうである。ロシアのピアニストたちはたか評価ひょうかていたが、そのレコードや演奏えんそう西側にしがわ諸国しょこくける機会きかいはなかなかなく、リヒテルもまぼろしのピアニストとわれていた。そのリヒテルのソフィア(ブルガリア)でのコンサート録音ろくおんがレコードとして発売はつばいされた。曲目きょくもくなかに『展覧てんらんかい』があった。西側にしがわ諸国しょこくではまだほとんどくことができなかった、原典げんてんばん忠実ちゅうじつ演奏えんそうであった。リヒテルのすさまじいばかりの演奏えんそう技術ぎじゅつ衝撃しょうげきてきで、これが原典げんてんばんがメジャーになるきっかけとってい。

現在げんざい入手にゅうしゅ可能かのうなCDやレコードを整理せいりすると、この1958ねんさかいにして、『展覧てんらんかい』のピアノきょく録音ろくおんが、リムスキー=コルサコフばんから原典げんてんばんへとがらりとわるのがよくわかる。原典げんてんばんは、ラヴェル編曲へんきょくばんとはちがいロシアしゅうつよく、強烈きょうれつ個性こせいがある。無論むろん演奏えんそうするには難曲なんきょくであることにわりはないが、ラヴェルばんのピアノ編曲へんきょくのようになりがちであったピアノ原曲げんきょくが、ラヴェルばんにはない魅力みりょくったものになった。そして、ラヴェルばんけずおとらぬ人気にんききょくになった。

なお、リヒテル当人とうにんはラヴェルばんかんしては「わたしはあの編曲へんきょくきらいだ」「ムソルグスキーの音楽おんがく理解りかいしていない」とひょうしており、たいへんに批判ひはんてきであった。

エマーソン、レイク&パーマーばん

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エマーソン・レイク・アンド・パーマー(1992ねんさい結成けっせいライブにて)

イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)はクラシックの楽曲がっきょくをロックにアレンジして演奏えんそうすることを得意とくいとしていた。(ロック・グループが、クラシックのきょくシンセサイザーハモンドオルガンでアレンジして演奏えんそうしたことは、当時とうじとしてはセンセーショナルなことであった。)展覧てんらんかいもレパートリーのひとつであり、1971ねんにそのライブ演奏えんそう収録しゅうろくしたレコードを発売はつばいする。ただしこのELPばん一部いちぶ抜粋ばっすいしたものであり、バンドによるオリジナル部分ぶぶん挿入そうにゅうした形式けいしきであった(それでも30ふんえる演奏えんそうである)。また、原曲げんきょくのテーマにわせたせいかんする独自どくじ歌詞かしけてうたっており、最後さいごのキエフの大門おおもんは「なまわりなし、はじまりなし、こそなまなり(There's no end to my life, no beginning to my death, Death is life.)」とめくくられている。ライブ録音ろくおんであるこのアルバムではアンコールきょく収録しゅうろくされており、そのきょくはくるみ人形にんぎょう(Nut Rocker)である。このような演奏えんそう実現じつげんしたことには、もともとクラシックの素養そようのあったリーダーのキース・エマーソンによる影響えいきょうおおきい。 ELPの展覧てんらんかいながあいだライブ録音ろくおんしか存在そんざいしなかったが、のちやく15ふん短縮たんしゅくしたバージョンをスタジオ録音ろくおんしてアルバムにおさめている。

それ以降いこう様々さまざま発展はってん

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ELP以降いこう一挙いっきょ様々さまざまなアレンジがてくる。冨田とみたいさおのシンセサイザーばん1974ねん)、山下やました和仁かずひとのギター独奏どくそうばん1981ねん)などは世界せかいてきにもおおきな影響えいきょうあたえた。このほか、オルガンばん吹奏楽すいそうがくばん、マンドリンばんなどの人気にんきたかく、現在げんざいもさまざまな録音ろくおん次々つぎつぎている。また、プログレッシブ・ロックの影響えいきょうけたドイツのヘヴィメタル・バンドであるメコン・デルタはエマーソン・レイク・アンド・パーマーばんもとにしたきょく、およびオーケストラとの共演きょうえんばん発表はっぴょうしている。

またおおくが散逸さんいつしているハルトマンのについても、1991ねん日本にっぽんNHKだん伊玖磨いくま進行しんこうでスペシャル番組ばんぐみ革命かくめいえた絵画かいが追跡ついせき・ムソルグスキー“展覧てんらんかい”』を放送ほうそうした。ハルトマンののうち『展覧てんらんかい』のモチーフとなったとされる10まいをすべてあきらかにする、という『展覧てんらんかい』のなぞきの核心かくしんにせまった番組ばんぐみであった。こちらについては絵柄えがら楽想がくそう乖離かいりや、学問がくもんてき手続てつづきが不十分ふじゅうぶんであるという批判ひはんもあり、きょくとの関連かんれんせいがすべてあきらかになったとはえないが、それまできょくくらべてハルトマンの研究けんきゅうはほとんどされていなかったので先駆せんくてき仕事しごとであったとってい。また「ビドロ」という言葉ことば意味いみ(ポーランドの"bydło"には「牛車うしぐるま」のほかに「(うしのように)しいたげられたひと」の意味いみがある。ハルトマンがポーランドでえがいたスケッチのタイトルは『ポーランドの反乱はんらん』であり、自筆じひつにも本来ほんらいのタイトルをけずってなおしたあとがあったことから、公表こうひょうはばかった可能かのうせいたかい)や音楽おんがくてき印象いんしょうなどから推理すいりしていく「面白おもしろさ」は画期的かっきてきであった。

Stern-Combo-Meißen(2011ねん6がつ19にちのライブにて)

2015ねん、ドイツのプログレッシブ・ロック・バンド Stern-Combo Meissen が "Bilder einer Ausstellung" のタイトルで『展覧てんらんかい』の全編ぜんぺんをロックした作品さくひん発表はっぴょうしている。

2022ねんロシアのウクライナ侵攻しんこうけて、ウクライナの平和へいわ犠牲ぎせいしゃへの鎮魂ちんこんおもいからキエフの大門おおもんまたは組曲くみきょく全曲ぜんきょく演奏えんそうするうごきがある[14]

さまざまな編曲へんきょく

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音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
複数ふくすう編曲へんきょくしゃによる管弦楽かんげんがくばん展覧てんらんかい
(ラヴェルばん以外いがい編曲へんきょく年代ねんだいじゅん
ラヴェルはん映像えいぞうMoussorgski : "Tableaux d'une exposition" sous la direction de Kristjan Järvi - クリスチャン・ヤルヴィ指揮しきフランス国立こくりつ管弦楽かんげんがくだんによる演奏えんそう。France Musique公式こうしきYouTube。
トゥシュマロフ/リムスキー=コルサコフはんPictures at an Exhibition - マルク・アンドレーエドイツばん指揮しきミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽かんげんがくだん演奏えんそう、Acanta提供ていきょうのYouTubeアートトラック。
ヘンリー・ウッドはんPictures at an Exhibition (Orch. H. Wood) - ニコラス・ブレイスウェイト英語えいごばん指揮しきロンドン・フィルハーモニー管弦楽かんげんがくだん演奏えんそうNAXOS of America提供ていきょうのYouTubeアートトラック。
フンテクはんPictures at an Exhibition (Arr. L. Funtek for orchestra) - レイフ・セーゲルスタム指揮しきフィンランド放送ほうそう交響こうきょう楽団がくだん演奏えんそう、NAXOS of America提供ていきょうのYouTubeアートトラック。
ストコフスキーはんMussorgsky: Pictures at an Exhibition - Symphonic transcription by Leopold Stokowski - オリヴァー・ナッセン指揮しきクリーヴランド管弦楽かんげんがくだん演奏えんそうUniversal Music Group提供ていきょうのYouTubeアートトラック。
ゴルチャコフはん映像えいぞうMussorgsky - Pictures at an Exhibition (Kurt Masur & Leipzig Gewandhaus Orchestra) - クルト・マズア指揮しきライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽かんげんがくだんによる演奏えんそう。EuroArtsChannel公式こうしきYouTube。
アシュケナージはんMussorgsky: Pictures at an Exhibition - Orchestrated by Vladimir Ashkenazyウラディーミル・アシュケナージ指揮しきフィルハーモニア管弦楽かんげんがくだん演奏えんそう、Universal Music Group提供ていきょうのYouTubeアートトラック。

もっと有名ゆうめい編曲へんきょくラヴェルオーケストレーションによるものであり、オーケストラの演奏えんそうかいげられる演目えんもくのほとんどはこのはんであるが、ほかにもおおくのはん存在そんざいする。ラヴェル以降いこうつくられた管弦楽かんげんがくばんは、ラヴェルばん(またはラヴェル以前いぜんつくられたリムスキー=コルサコフばん)を参考さんこうにしているものがおおく、その影響えいきょうはきわめておおきい。

日本にっぽん冨田とみたいさおは、シンセサイザーによる編曲へんきょく録音ろくおんおこなった。その2つの編曲へんきょくばんのうち、管弦楽かんげんがくばん手塚てづか治虫おさむ実験じっけんアニメーションのためにろした作品さくひんである。これは手塚てづかがラヴェルばんもちいようとしたところ、ムソルグスキーの著作ちょさくけん消滅しょうめつしていたもののラヴェルの著作ちょさくけんきていることが判明はんめいし(1998ねんまで)、デュランしゃから膨大ぼうだい使用しようりょう要求ようきゅうされ予算よさんえてしまったためやむなくげ、わりに冨田とみた依頼いらいしたという経緯けいいがある。冨田とみたはわずか1週間しゅうかんでこの編曲へんきょく仕上しあげたという[15]現在げんざいDVDなどでられる実験じっけんアニメーションの『展覧てんらんかい』は、完成かんせい当時とうじのものではなく、宗教しゅうきょう対立たいりつのエピソードがカットされたなどにより、きょく一部いちぶ編曲へんきょく当時とうじのものとはことなる)。

管弦楽かんげんがくばん

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協奏曲きょうそうきょく

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室内楽しつないがく

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吹奏楽すいそうがくばん

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マンドリンオーケストラ

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器楽きがくきょく

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メディア外部がいぶリンク
試聴しちょう
音楽おんがく音声おんせい
ホロヴィッツはんPictures at an Exhibition - ヴラディーミル・ホロヴィッツによる演奏えんそう、RCA Red Seal提供ていきょうのYouTubeアートトラック。
映像えいぞう
山下やました和仁かずひと編曲へんきょくのギター独奏どくそうばんMarko Topchii, Modest Mussorgsky - (FULL!) Pictures at an Exhibition (KYIV, UKRAINE) - マルコ・トプチー英語えいごばんによる演奏えんそう奏者そうしゃ自身じしん公式こうしきYouTube。

その

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  • 冨田とみたいさおシンセサイザーばん
  • 彭修ぶん(ペン・シュウェン、Peng Xiuwenばん中国ちゅうごく民族みんぞく楽器がっきだい合奏がっそう
  • 甲田こうだじゅんはん全曲ぜんきょく歌詞かしをつけた混声こんせい合唱がっしょう[17]
  • 伊藤いとうやすしえいはん(「だいはちピアノ、サクソフォーンよん重奏じゅうそう混声こんせい合唱がっしょう吹奏楽すいそうがくのための交響こうきょうてきカンタータ」とし、16きょくちゅう13きょくうたけられている)

モチーフとされているハルトマンの

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ハルトマンのはそのほとんど散逸さんいつしてしまった。このため、すくなくともだい1きょくからだい4きょくだい7きょく相当そうとうする不明ふめいなままであり、スターソフによる解説かいせつから想像そうぞうするしかない。後述こうじゅつするNHK番組ばんぐみのモチーフとなった調査ちょうさも、そもそも10まいなのか、またムソルグスキーがガルトマンのだけを題材だいざいにしているのかについては異論いろんがある。
  2. ^ a b 自筆じひつではいわゆるだい1とだい5のみが「プロムナード」とだいされている。各種かくしゅ校訂こうていばんではリムスキー=コルサコフらが出版しゅっぱんさいして一律いちりつに「プロムナード」とつけたものと判断はんだんしている。
  3. ^ a b ドレミ楽譜がくふ出版しゅっぱんしゃかん『ムソルグスキー「展覧てんらんかい全曲ぜんきょくしゅう』より。
  4. ^ 削除さくじょした理由りゆう不明ふめい。ラヴェル研究けんきゅうのアービー・オレンシュタインによる「だい1プロムナードのかえしという印象いんしょうけるためでは」という推測すいそく以外いがいにもいくつかのせつとなえられているが、どれも裏付うらづける証拠しょうこはない。確実かくじつなのは、自筆じひつ参照さんしょうできなかったラヴェルはムソルグスキーがだい1とだい5のみに「プロムナード」と指示しじしたことをらなかったてんである。
  5. ^ リムスキー=コルサコフばんではアタッカの表記ひょうきがない状態じょうたい出版しゅっぱんされた。ムソルグスキーの指示しじらなかったラヴェルは、編曲へんきょくさいして初版しょはんスコアでは「リモージュの市場いちば」から「せる言葉ことばによる死者ししゃへのびかけ」、「バーバ・ヤガー」と「キエフの大門おおもん」のみアタッカを指定していしている。
  6. ^ a b c 作曲さっきょくしゃはロシアでタイトルをつけている。フランス語ふらんすごタイトルはリムスキー=コルサコフによるもの。
  7. ^ ただしラムの校訂こうていについても、あらためて自筆じひつファクシミリばんだい2さつ底本ていほんにベーレンライター原典げんてんばん編纂へんさんしたクリストフ・フラム(Christoph Flamm)が「ラムばん文字通もじどおりの批判ひはん校訂こうていばんではない」と指摘してきしているように、問題もんだいてん多々たたあることが判明はんめいしている。
  8. ^ いちれいとして「カタコンベ」の、ばしているおとたいしてクレッシェンドをかけるというピアノでは演奏えんそう不可能ふかのう指定していげられる。
  9. ^ ラヴェルは1908ねんにパリ・オペラ初演しょえんされた、リムスキー=コルサコフによる改訂かいていばんボリス・ゴドゥノフ初演しょえんっている。
  10. ^ ラヴェルは3がつ24にちづけでカルヴォコレッシに、手配てはいしてもらった譜面ふめん到着とうちゃくらせている。
  11. ^ 展覧てんらんかい編曲へんきょく時期じきにクーセヴィツキーへおくった手紙てがみで、「(小節しょうせつ付加ふかするなどしたが)あくまでも技術ぎじゅつてき必要ひつようなものです。リムスキー・コルサコフのような改変かいへんではないからムソルグスキーもゆるしてくれるでしょう」といている。
  12. ^ ラヴェルが編曲へんきょくした当時とうじ、ムソルグスキーの著作ちょさくけんすで失効しっこうしていた。
  13. ^ なお、ホロヴィッツが編曲へんきょく底本ていほんにしたのはリムスキー=コルサコフばんである。
  14. ^ ムソルグスキー作曲さっきょく「キエフの大門おおもんしんせたいのです」…友人ゆうじんいた楽曲がっきょく音楽家おんがくか発信はっしん(2022ねん3がつ8にちづけ讀賣新聞よみうりしんぶんオンライン)
  15. ^ 冨田とみたいさお×宇川うがわ直宏なおひろ対談たいだんナタリー)での冨田とみた回想かいそうによれば、りまでの期間きかんは4にちしかなかったが、冨田とみた手塚てづかから直接ちょくせつ電話でんわで「冨田とみたさんだったら、ちょいちょいちょいのちょいですよ」とわれたために「無理むりです」とはえなかった、とかたっている。
  16. ^ 生誕せいたん120周年しゅうねん記念きねん近衞このえ秀麿ひでまろ さい発見はっけん」パネル展示てんじ”. 近衞このえ音楽おんがく研究所けんきゅうじょ (2018ねん). 2023ねん9がつ11にち閲覧えつらんパネル3 ムソルグスキー《展覧てんらんかい》(ラヴェルばん近衞このえばん)」のこう
  17. ^ 女声じょせい合唱がっしょうとオーケストラのための組曲くみきょく展覧てんらんかい」すみだ少年しょうねん少女しょうじょ合唱がっしょうだん30周年しゅうねん記念きねん演奏えんそうかいプログラム. 2016ねん3がつ20日はつか

参考さんこう文献ぶんけん

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  • だん伊玖磨いくま・NHK取材しゅざいはん追跡ついせき ムソルグスキー『展覧てんらんかい』』(1992ねん 日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかいISBN 9784140800621
  • 一柳いちりゅう富美子とみこ『ムソルグスキー 「展覧てんらんかい」の真実しんじつ』(2007ねん 東洋とうよう書店しょてんISBN 9784885957277
  • オイレンブルクスコア ムソルグスキー(ラヴェル編曲へんきょく) 組曲くみきょく展覧てんらんかい校訂こうてい:アービー・オレンシュタイン(2008ねん 全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃISBN 4118941198

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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