ボリス・ゴドゥノフ (オペラ)
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/db/Modest_Musorgskiy%2C_1870.jpg/200px-Modest_Musorgskiy%2C_1870.jpg)
『ボリス・ゴドゥノフ』 (ロシア
ロシアの
概要 [編集 ]
1868
1868
ムソルグスキーはオペラの
-
ニコライ・カラムジーン
(1766–1826) -
アレクサンドル・プーシキン
(1799–1837) -
ウラディーミル・スターソフ
(1824–1906)
初演 [編集 ]
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/Eduard_Napravnik_2.jpg/200px-Eduard_Napravnik_2.jpg)
抜粋 版 [編集 ]
戴冠 式 の場 - 1872
年 2月 5日 、サンクトペテルブルク、ロシア音楽 協会 の演奏 会 でエドゥアルド・ナープラヴニーク指揮 による。
- 1872
- ポロネーズ(
噴水 の場 より) - 3つの
場面 -旅籠 の場 、マリーナの部屋 、噴水 の場 - いずれもボリスが登場 しない場 [3]
ダリヤ・レオノヴァ | |
グリゴリー・オトレピエフ( |
フョードル・コミッサルジェフスキー |
ヴァルラーム | オシップ・ペトロフ |
ミサイール | ヴァシリー・ヴァシリエフ(ヴァシリエフ2 |
警吏 | ミハイル・サリオッティ |
マリーナ・ムニーシェク | ユリヤ・プラトノヴァ |
ランゴーニ | ヨゼフ・パレチェク |
全曲 初演 [編集 ]
1874
-
イヴァン・メルニコフ
ボリス・ゴドゥノフ -
F.コミッサルジェフスキー 偽 ドミトリー -
ユリヤ・プラトノヴァ
マリーナ・ムニーシェク -
コンドラチエフとペトロフ
ミサイールとヴァルラーム
ボリス・ゴドゥノフ | イヴァン・メルニコフ |
フョードル | アレクサンドラ・クルチコヴァ |
クセニヤ | ヴィルヘルミナ・ラーブ |
オルガ・シュレーダー | |
ヴァシリー・シュイスキー |
ヴァシリー・ヴァシリエフ(ヴァシリエフ2 |
グリゴリー・オトレピエフ( |
フョードル・コミッサルジェフスキー |
アンドレイ・シチェルカーロフ | ソボレフ |
ピーメン | ウラディーミル・ヴァシリエフ(ヴァシリエフ1 |
マリーナ・ムニーシェク | ユリヤ・プラトノヴァ |
ランゴーニ | ヨゼフ・パレチェク |
ヴァルラーム | オシップ・ペトロフ |
ミサイール | パーヴェル・デュジコフ |
ニキーティチ | ミハイル・サリオッティ |
ミチューハ | リャードフ |
ソボレフ | |
フルシチョフ | マトヴェーエフ |
アントニーナ・アバリノヴァ | |
ロヴィツキ | ウラディーミル・ヴァシリエフ(ヴァシリエフ1 |
チェルニコフスキ | ソボレフ |
パーヴェル・ブラーホフ |
モスクワ
ムソルグスキーによる2つの版 [編集 ]
原典 版 - 1869年 改訂 版 - 1872年 (ヴォーカルスコアは1874年 出版 )[4]
1869 |
1872 | ||
---|---|---|---|
モスクワ |
ノヴォデヴィチ |
プロローグ | |
モスクワクレムリン |
プロローグ | ||
モスクワクレムリンチュードフ |
|||
リトアニア |
|||
モスクワクレムリンのテレムノイ |
クレムリンの |
||
ポーランドサンドミエシュ |
- | - | |
サンドミエシュ |
- | ||
モスクワ |
- | ||
モスクワクレムリンのグラノヴィータヤ |
ボリスの |
||
クロームィ |
- |
1869
1.ノヴォデヴィチ |
2. |
3. 4. |
5.クレムリンの |
6.マリーナの 7. |
8.ボリスの |
9. |
---|---|---|---|---|---|---|
ボリス・ゴドゥノフ | グリゴリー ( |
ボリス・ゴドゥノフ | グリゴリー ( |
ボリス・ゴドゥノフ |
この
- 「ノヴォデヴィチ
修道院 の場 」の最後 、巡礼 の一団 が去 った後 のミチューハら民衆 、警吏ニキーティチのやり取 りが削除 された。 - 「
僧坊 の場 」で、ウグリチで殺人 者 達 がボリスの命令 でドミトリーを殺 した、と白状 するのをピーメン自身 が実際 に現地 で見 たという部分 が削除 された。修道 僧 が舞台裏 で歌 う合唱 が追加 された。 - 「
旅籠 の場 」で女 主人 が歌 う「私 は雄 鴨 を捕 まえた」が改訂 版 で追加 された。 - 「クレムリンの
場 」で、乳母 とフョードルが歌 う歌 が追加 された。また、改訂 版 からオウムと時計 が登場 するようになる[11]。 - 「ボリスの
死 」の冒頭 、シチェルカーロフが貴族 達 にボリスの言葉 を伝 える部分 が削除 された。
楽器 編成 [編集 ]
- ムソルグスキーによるオーケストレーション
- リムスキー=コルサコフによるオーケストレーション
- フルート3(
第 3はピッコロ持 ち替 え)、オーボエ2(第 2はコーラングレ持 ち替 え)、クラリネット3(第 3はバスクラリネット持 ち替 え)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、タンブリン、ハープ、ピアノ、弦 五 部 舞台裏 でトランペット1、鐘 、タムタム
- フルート3(
- ショスタコーヴィチによるオーケストレーション
演奏 時間 [編集 ]
- 1869
年 原典 版 第 1部 25分 、第 2部 35分 、第 3部 25分 、第 4部 35分 およそ2時 間
- 1872
年 改訂 版 - プロローグ25
分 、第 1幕 35分 、第 2幕 35分 、第 3幕 45分 、第 4幕 45分 およそ3時 間 5分
- プロローグ25
- リムスキー=コルサコフ
版 - プロローグ20
分 、第 1幕 40分 、第 2幕 30分 、第 3幕 40分 、第 4幕 60分 およそ3時 間 10分 - (イッポリトフ=イワノフ
編曲 による聖 ワシリイ大 聖堂 の場 を第 4幕 に追加 した場合 の時間 )
- プロローグ20
原作 と台本 [編集 ]
原作 はアレクサンドル・プーシキンの歴史 的 悲劇 に基 づく。改訂 版 はさらにニコライ・カラムジーンの「ロシア国家 史 」による。台本 はムソルグスキー自身 による。またウラディーミル・スターソフも協力 している。
登場 人物 [編集 ]
ボリス・ゴドゥノフ | バス(またはバリトン) | ロシアのツァーリ |
フョードル | メゾソプラノ | ボリスの |
クセニヤ | ソプラノ | ボリスの |
アルト | クセニヤの | |
ヴァシリー・シュイスキー | テノール | ボリスの |
グリゴリー・オトレピエフ | テノール | |
アンドレイ・シチェルカーロフ | バリトン | |
ピーメン | バス | |
マリーナ・ムニーシェク | ソプラノ(またはメゾソプラノ) | ポーランド |
ランゴーニ | バス | イエズス |
ヴァルラーム | バス | |
ミサイール | テノール | |
ニキーティチ | バス | 警吏 |
ミチューハ | バリトン | |
テノール | ||
フルシチョフ | テノール | |
メゾソプラノ | ||
ロヴィツキ | バス | イエズス |
チェルニコフスキ | バス | イエズス |
テノール |
その
歴史 的 背景 [編集 ]
-
ボリス・ゴドゥノフ
(1551–1605) -
ヴァシリー・シュイスキー
(1552–1612) -
偽 のドミトリー
(1581–1606) -
マリーナ・ムニーシェク
(1588–1614)
『ボリス・ゴドゥノフ』を
- 1584
年 、イヴァン4世 (イヴァン雷 帝 )が没 する。後 には雷 帝 の二人 の息子 、病弱 で軽度 の知的 障害 を持 つフョードルとその異母弟 ドミトリーが残 される。雷 帝 の寵臣 であるボリス・ゴドゥノフの妹 を妻 に迎 えていたフョードルがフョードル1世 として戴冠 する。
- フョードル1
世 戴冠 直後 にモスクワで暴動 が発生 する。ドミトリーをツァーリにしようとする一部 の大 貴族 によるものだったらしく、暴動 鎮圧 後 、ドミトリーとその母親 マリヤ・ナガヤ、マリヤの一族 はウグリチに追放 される。
- 1591
年 、ドミトリーがウグリチで謎 の死 を遂 げる(母親 であるマリヤ・ナガヤが城 の中庭 で喉 を切 り裂 かれ横 たわっている息子 を発見 した)。ヴァシリー・シュイスキーが率 いる調査 団 が派遣 され、「ドミトリーは、ナイフ遊 びの最中 にてんかんの発作 を起 こし自 らを傷 つけた」と結論 付 ける。マリヤ・ナガヤは息子 の死 に過失 ありとされ、修道院 に幽閉 、一族 も投獄 される。民衆 の間 では摂政 であるボリスがドミトリーを殺害 したという噂 が広 まる。
- 1601
年 から1603年 にかけて、ロシアを大 飢饉 が襲 う。この飢饉 はドミトリーを殺 した者 が帝位 に就 いているために起 こった天罰 だという噂 が広 まる。同 じ頃 、ボリスの娘 クセニヤ・ゴドゥノヴァの許婚 であるデンマーク王子 が急死 したのも天罰 とされる。疫病 、暴動 が頻発 する。
- 1604
年 、ポーランドに皇子 ドミトリーを名乗 る若者 が登場 し、ポーランド・リトアニア共和 国 、カトリック教会 の支持 を得 てモスクワへ進軍 を開始 する。ボリスはドミトリーの正体 は逃亡 修道 士 グレゴリー・オトレピエフと宣言 するが、国内 の不満 分子 はドミトリーを支持 し、ロシア南部 のコサック等 がドミトリー軍 に参加 する。
- 1605
年 、ボリスが急死 する。息子 フョードルが後 を継 ぎフョードル2世 となるが、ドミトリー支持 に回 る者 が後 を絶 たず、間 もなくその母親 とともに殺害 される。ドミトリーがモスクワ入城 を果 たし戴冠 する。ボリスの娘 クセニヤはその妾 とされた後 、修道院 に入 れられる。
- 1606
年 、ドミトリーがポーランド貴族 の娘 マリーナ・ムニーシェクと結婚 する。しかし、皇 妃 は正教会 に改宗 するという慣例 を破 り、カトリックのままだったため、大 貴族 や民衆 、ロシア正教会 の反感 を買 い、婚礼 を挙 げて直 ぐに反乱 が勃発 、ドミトリーは殺害 される。ヴァシーリー・シュイスキーが即位 しヴァシーリー4世 となる。
- 1607
年 、モスクワで殺害 されたはずのドミトリーが「奇跡 的 に助 かった」という噂 が流 れ、第 2のドミトリーが登場 、モスクワ進軍 を開始 する。モスクワ占領 はできなかったもののモスクワ近郊 トゥシノに陣 を構 える。
- 1612
年 、第 3のドミトリー処刑 される。義勇軍 によりモスクワ開放 される。
あらすじ[編集 ]
- 【】
内 は1872年 改訂 版 において削除 または追加 された部分 を示 す。
- モスクワ
近郊 ノヴォデヴィチ修道院 の中庭 (1598年 ) - ノヴォデヴィチ修道院 の場
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/05/Shishkov_-_Novodevichiy.jpg/250px-Shishkov_-_Novodevichiy.jpg)
序曲 は無 く短 い緊迫 した感 じの前奏 で始 まる。幕 が上 がると修道院 の中庭 をモスクワの人々 が大勢 うろつき廻 っている。警吏ニキーティチが登場 し、警棒 で脅 しながら人々 に突 っ立 ってないで跪 いてお願 いしろと命令 する。人々 はそれに応 じ大声 で請願 する(民衆 の合唱 「何故 我 等 を見棄 てられるのか、我 等 が父 よ!」)が、その実 、何 をお願 いしているのかよくわからず、ニキーティチの姿 が見 えなくなると、ミチューハを始 めそれぞれ勝手 にお喋 りを始 める。再度 、ニキーティチが姿 を現 し人々 を脅 すので、また大声 を上 げてお願 いし始 める。貴族 会議 の書記官 であるシチェルカーロフが現 れると、ニキーティチは人々 を制 し話 を聴 くように命 じる。シチェルカーロフは、ボリス・ゴドゥノフが人々 の願 いも空 しく、頑 として帝位 に就 こうとしない(シチェルカーロフのアリア「正 教徒 たちよ!公 はき入 れて下 さらない」)と語 り修道院 に消 える。続 いて巡礼 の一団 が登場 し、「神 の栄光 を称 え、聖 像 を持 ってツァーリをお迎 えに行 くのだ」と合唱 し修道院 に入 っていく。
- 【1869
年 原典 版 のみ:巡礼 の一団 が去 った後 、ミチューハ達 が「聖 像 を持 ってどんなツァーリを迎 えに行 くんだ?誰 を?ボリスか?」などと話 していると、ニキーティチが修道院 から出 てきて、明日 の朝 、クレムリンに行 き命令 を待 て、と伝 える。人々 はなるほどクレムリンでも大声 上 げろってことか、と呟 く。】
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6e/Bocharov_-_Cathedral_Square.jpg/250px-Bocharov_-_Cathedral_Square.jpg)
- ウスペンスキー
大 聖堂 とアルハンゲルスキー大 聖堂 に挟 まれた広場 [12]にモスクワの民衆 が集 まっている。鐘 が鳴 り響 く中 、大 貴族 ヴァシリー・シュイスキー公 が登場 し、「ツァーリ・ボリス・フョードロヴィチ万 歳 !」と叫 ぶ。民衆 がそれに応 えて「長寿 と健康 を我 等 が父 なるツァーリに!」と叫 ぶ。シュイスキー公 の音頭取 りで、民衆 はツァーリを称 える大 合唱 をする(民衆 の合唱 「空 には既 に輝 く太陽 が」[13])。やがて戴冠 式 を終 えたボリスが王 笏 と権 標 を手 に持 ち、貴族 やその子弟 を従 えてウスペンスキー大 聖堂 から姿 を現 す。貴族 も一緒 になり万 歳 が繰 り返 される中 、ボリスは権力 者 の責任 を痛感 し独白 する(ボリスのモノローグ「我 が魂 は悲 しむ」)。再 び歓喜 の声 が沸 き上 がり(民衆 の合唱 「光栄 あれ!光栄 あれ!光栄 あれ!」)、アルハンゲルスキー大 聖堂 から出 てきたボリスが宮廷 へ向 うところで幕 。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/47/Catherinechurch-kreml.jpg/250px-Catherinechurch-kreml.jpg)
真夜中 の僧坊 で修道 僧 ピーメンがランプの灯 りを頼 りに年代 記 を書 き綴 っている(ピーメンのアリア「あと一 つ物語 を書 き終 えて」)[14]。若 い修道 僧 グリゴリーはその横 で眠 っているが、悪夢 に魘 されて目覚 める。それは何 度 も見 ている夢 で、高 い塔 に登 った自分 が下 を見 ると、モスクワの群集 が自分 を指差 し嘲笑 っている。いたたまれなくなった自分 が塔 から真 っ逆様 に落 ちるとそこで目覚 めるというものであった[15]。ピーメンは若 い血 がたぎるせいであろうと宥 め、自分 が書 き終 えた年代 記 の恐 ろしい内容 (ボリスによる皇子 ドミトリーの殺害 )について語 る。【1869年 原典 版 のみ:ピーメンは実際 にウグリチに赴 き、殺人 者 達 がボリスの指示 でドミトリーを殺害 したと白状 するのを目撃 したという。】ピーメンの話 を聴 いているうちにグリゴリーは死 んだ皇子 ドミトリーが生 きていれば自分 と同 い年 であることを知 る。やがて夜 が明 け、朝 の勤行 のためピーメンは立 ち去 るが、野心 家 のグリゴリーは心中 密 かにボリス打倒 を企 てる。
- リトアニア
国境 付近 の旅籠 (1603年 )-旅籠 の場
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c7/Shishkov_-_Inn.jpg/250px-Shishkov_-_Inn.jpg)
- この
場 で奏 される3つの主題 からなる前奏 で始 まる。【1872年 改訂 版 で追加 :旅籠 屋 の女 主人 が「私 は雄 鴨 を捕 まえた[16]」と歌 っていると、屋外 で声 がして逃亡 僧 であるヴァルラームとミサイールが女 主人 に喜捨 を求 めるので、扉 を開 け中 に招 き入 れる。】二 人 に続 いて道案内 になりすましたグリゴリーが旅籠 へ入 って来 る。彼 はモスクワに居 られなくなり、ここまで逃 げてきたのである。リトアニアへ入 るまで安心 できないと言 うグリゴリーに、ヴァルラームは酒 さえあればどこでもいいと言 い、女 主人 が持 ってきた酒 を飲 み干 して豪快 に歌 い始 める(ヴァルラームの歌 「昔 カザンの町 でイヴァン雷 帝 は」[17])。やがて酔 いが回 ったヴァルラームは「奴 は馬 で走 る[18]」という曲 をぶつぶつ歌 いながら眠 り込 んでしまう。その横 でグリゴリーは女 主人 にリトアニアまでどれ位 かかるか尋 ねる。関所 があって警吏が見張 っていると言 われてグリゴリーは青 ざめるが、女 主人 は脇道 へ逸 れれば大丈夫 と言 う。やがて扉 がたたかれ、警吏たち[19]が入 って来 る。警吏は三 人 を尋問 し、根拠 も無 いままヴァルラームをお尋 ね者 であるグリゴリー・オトレピエフと決 めつける。無論 、ヴァルラームは否定 する。モスクワから届 いた命令 書 にはお尋 ね者 の人相 が書 かれているのだが、警吏たちは誰 も文字 が読 めない。するとグリゴリーが自分 が読 めると言 い、内容 を偽 ってお尋 ね者 の人相 をヴァルラームそっくりに読 むので、警吏たちはヴァルラームに飛 びかかる。びっくりしたヴァルラームは、命令 書 をグリゴリーから引 ったくり、一文字 一文字 たどたどしく読 み始 める。読 んでいくうちにお尋 ね者 の人相 がグリゴリーそっくりであることに気 がつくが、グリゴリーは持 っていたナイフを振 りかざし、旅籠 の窓 から飛 び出 していく。ヴァルラーム、ミサイール、警吏たちが「奴 を捕 まえろ!」と叫 びながら後 を追 っていくところで幕 。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ea/Godunov_map.jpg/200px-Godunov_map.jpg)
- ボリスの
娘 クセニヤが、急死 した許婚 の肖像 画 を見 て泣 いている。【1872年 改訂 版 で追加 :弟 のフョードルと乳母 が慰 めるが、なかなか笑顔 を見 せない。楽 しくさせようと二人 で滑稽 な踊 り歌 を歌 っているところへ】ボリスが登場 し、クセニヤを慰 め、乳母 とともに別室 へ下 がらせる。残 ったフョードルに何 をしているか尋 ねると、地図 を見 て地理 の勉強 をしているという答 えが返 って来 る。ボリスはこの国 全 てがお前 の物 になる、勉強 を続 けなさいと言 い、物思 いに沈 む。自分 は権力 を手 に入 れ、6年 の間 、国 を無事 治 めてきたが、心 に幸福 はない。許婚 の急死 、大 貴族 の裏切 り、外国 の陰謀 、飢饉 や疫病 が続 き、全 ての罪 が自分 にあると国中 で怨嗟 の声 が上 がっていると歌 う(ボリスのモノローグ「私 は最高 の権力 を手 にした」)。
- 【1872
年 改訂 版 で追加 :突然 、舞台裏 で悲鳴 が上 がり、ボリスはフョードルに様子 を見 に行 かせる。】入 れ替 わりに侍従 がやって来 て、シュイスキー公 が目通 りの許可 を求 めてきたことを伝 える(同時 に彼 が何 か企 んでいることも伝 える)。【1872年 改訂 版 で追加 :戻 ってきたフョードルは、騒 ぎはオウムが乳母 達 に飛 びついただけと報告 する。手際 よく報告 した息子 をボリスは褒 めるが、将来 ツァーリになったら信頼 出来 る相談役 を持 たねば駄目 だ、と丁度 入 って来 たシュイスキー公 に当 て付 ける様 に言 う。】シュイスキー公 は、リトアニアに僭称 者 が現 れ、ドミトリーの名 を騙 っていると報告 する。驚愕 したボリスはフョードルを下 がらせ、シュイスキー公 に対応 策 を与 え、出発 させる。が、思 い直 して、シュイスキー公 がウグリチで確認 した子供 の遺体 は本当 に皇子 ドミトリーだったのか訊 ねる。シュイスキー公 が「血 にまみれ、恐 ろしい傷 が口 を開 けているにもかかわらず、清 らかで輝 くばかりのお顔 は、確 かに皇子 のもの」と答 えると、ボリスは気分 が悪 くなり、シュイスキー公 を下 がらせ、ソファーに倒 れ込 んでしまう。
- 【1872
年 改訂 版 で追加 :この時 、居間 に置 かれていた大 時計 が時 を告 げ始 める。】ボリスは錯乱 状態 になり、血 だらけの子供 の幻 を見 る(時計 の場 )。自分 は人民 に選 ばれたツァーリだとボリスは叫 び、神 に救 いを求 める。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/Shishkov_-_Marina_Boudoir.jpg/250px-Shishkov_-_Marina_Boudoir.jpg)
- マリーナは
鏡 の前 に座 り、小間使 いに髪 を梳 かさせている。サンドミエシュの娘 達 が、マリーナの前 で彼女 の美 しさを称 えて歌 を歌 っているが、マリーナはそれが気 に入 らず、小間使 いも娘 達 も下 がらせてしまう。独 りになった彼女 は、自分 は権力 が欲 しい、名誉 が欲 しい、そのために僭称 者 ドミトリーに近 づいて、やがてはツァーリの后 になってやると歌 う(マリーナのアリア「なんて悩 ましく物憂 く」)[20]。そこへイエズス会 士 のランゴーニが現 れ、マリーナに対 して、異教 が蔓延 るロシアの地 にカトリック信仰 を広 めなさい、そのために貴女 の美貌 を生 かして僭称 者 ドミトリーに近 づき、虜 にしてしまいなさい、と嗾ける。
- サンドミエシュ
城内 。噴水 のある月夜 の庭園 (1604年 )-噴水 の場 【1872年 改訂 版 で追加 された場 】
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/db/Shishkov_-_Night_Garden_Fountain.jpg/250px-Shishkov_-_Night_Garden_Fountain.jpg)
僭称 者 ドミトリーとなったグリゴリーが庭 でマリーナを待 ち侘 びている。そこへランゴーニが登場 する。ランゴーニは、ロシアへカトリック信仰 を広 めるという彼 の陰謀 を更 に確実 なものとさせるため、マリーナとグリゴリーの仲介 者 となろうとしている。ランゴーニは、マリーナがグリゴリー、否 、ドミトリーを愛 していると告 げる。間 もなくポロネーズの音楽 が聞 こえて来 て、マリーナが客人 達 を伴 って登場 する。グリゴリーとランゴーニは物陰 に隠 れる。客人 達 が城内 へ戻 ると、マリーナが一人 庭 へやって来 る。グリゴリーはマリーナの実家 の武力 を借 りてモスクワへ進軍 する野望 を、マリーナはツァーリの后 になり権力 を握 る野望 をそれぞれ心 に秘 めながら、愛 の二重唱 を歌 う(偽 ドミトリーとマリーナの二 重唱 「おお皇子 様 、お願 い」)。そんな二人 を陰 で窺 いながら、ランゴーニもまた野望 実現 に一 歩 近 づいたことを喜 ぶ。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ec/St_Basils_Cathedral-500px.jpg/200px-St_Basils_Cathedral-500px.jpg)
飢 えた群衆 が辺 りを歩 き回 っている。ミチューハを先頭 にして一 群 の男 達 が大 聖堂 から出 て来 る。ミチューハは、内部 でグリゴリー・オトレピエフの破門 、亡 きドミトリー皇子 への追善 の祈 りがなされていたことを皆 に語 る。皆 は生 きているドミトリー皇子 に追善 の祈 りだなんて罰当 たりめ、皇子 の軍隊 がもうすぐやって来 て、ボリス達 に死 を下 される!と息巻 くが、老人 達 にだまって待 っていろと窘 められる。
- そこへ
子供 達 とともに白痴 が登場 、子供 達 は白痴 が持 っていた銅貨 を取 り上 げてしまう。白痴 が泣 いているところへボリスがお供 を連 れて大 聖堂 から出 て来 る。人々 は跪 きツァーリにパンを請 う。お供 の貴族 達 が施 し物 を与 えるが全体 には行 き渡 らない。人々 は大地 にひれ伏 す。その時 、白痴 がボリスに対 して訴 える。
- 「
子供 達 が自分 の銅貨 を取 った。子供 達 を殺 してくれ。あのかわいそうな皇子 を殺 すよう命 じたように。」
横 にいたシュイスキー公 が白痴 を捕 らえるよう護衛 に言 うが、ボリスはそれを制 して、白痴 に自分 のため祈 ってくれと頼 む。しかし、白痴 はヘロデ王 のために祈 ることは聖母 様 が許 さない、と言 ってこれを断 る。ボリスも群集 も立 ち去 り、一人 寂 しく歌 う(白痴 の歌 「流 れよ、流 れよ、苦 い涙 !」)。
- モスクワクレムリンのグラノヴィータヤ
宮殿 (1605年 ) - ボリスの死
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e6/Shishkov_-_Palace_of_Facets.jpg/250px-Shishkov_-_Palace_of_Facets.jpg)
- ボリスは
貴族 達 を招集 し偽 ドミトリーへの対応 策 を協議 させる。【1869年 原典 版 のみ:会議 の冒頭 、シチェルカーロフがボリスの言葉 を伝 えるが、】ボリスは姿 を見 せない。貴族 達 は威勢 良 く、偽 ドミトリーは拷問 し、死刑 にし、死体 を晒 し者 にする、と票決 する(貴族 たちの合唱 「さて諸君 、票決 と行 こう」)。シュイスキー公 が遅 れて入 って来 る。彼 は貴族 達 に子供 の幻 に怯 えて錯乱 するボリスの様子 を自身 で真似 をしながら話 す。丁度 その時 、ボリスがまさにそのままの狂態 で議場 へ入 って来 る。一旦 、気 が静 まったボリスだが、シュイスキー公 が連 れてきたピーメンが語 る、ドミトリーの墓 の前 で起 きた奇蹟 の話 (ピーメンのアリア「ある日 の晩 のこと」)を聞 くうちに再 びおかしくなる。死 を悟 ったボリスは、フョードルを呼 び、別 れを告 げる(ボリスの別 れ「さらば我 が子 よ、わしはもう死 ぬ」)。弔 いの鐘 が鳴 り、哀悼 の歌 が流 れる中 、ボリスは死 ぬ(ボリスの死 「鐘 だ!弔 いの鐘 だ!」)。貴族 達 の「身罷 られた」という呟 きとともに幕 。
- クロームィ
近 くの森 の中 の空 き地 (1605年 ) -革命 の場 【1872年 改訂 版 で追加 された場 】
- ボリスの
軍隊 の司令 官 だった大 貴族 フルシチョフが、蜂起 した群集 に捕 らえられ、嘲弄 されている。そこへ子供 達 とともに白痴 が登場 、子供 達 は白痴 が持 っていた銅貨 を取 り上 げてしまう。白痴 は泣 き喚 く。
遠 くからヴァルラームとミサイールが、ボリスの悪行 のため、宇宙 全体 がおかしくなった、と歌 いながらやって来 る。彼等 は扇動 者 となり、群集 とともに「ボリスに死 を!」と叫 ぶ。続 いてイエズス会 士 のロヴィツキとチェルニコフスキが神 を称 えながらやって来 るが、ヴァルラーム等 に異端 の魔法使 いと看做 され、捕 らえられてしまう。最後 に軍勢 とともに偽 ドミトリー(グリゴリー)が登場 、フルシチョフの戒 めを解 き、軍勢 、ヴァルラーム等 放浪 者 、群集 、イエズス会 士 とともにモスクワへ向 けて進 んでいく。
- その
後姿 を見 ながら、白痴 はこれからロシアを襲 う混乱 を憂 いて一人 寂 しく歌 う(白痴 の歌 「流 れよ、流 れよ、苦 い涙 !」)。空 は真 っ赤 に焼 け、警鐘 と群衆 の叫 びが聞 こえる。
主要 曲 [編集 ]
民衆 の合唱 「何故 我 等 を見棄 てられるのか、我 等 が父 よ!」(ロシア語 : На кого ты нас покидаешь, отец наш!)- シチェルカーロフのアリア「
正 教徒 たちよ!公 はき入 れて下 さらない」(ロシア語 : Православные! Неумолим боярин!) 民衆 の合唱 「空 には既 に輝 く太陽 が」(ロシア語 : Уж как на небе солнцу красному)- ボリスのモノローグ「
我 が魂 は悲 しむ」(ロシア語 : Скорбит душа) 民衆 の合唱 「光栄 あれ!光栄 あれ!光栄 あれ!」(ロシア語 : Слава! Слава! Слава!)- ピーメンのアリア「あと
一 つ物語 を書 き終 えて」(ロシア語 : Еще одно, последнее сказанье) - ヴァルラームの
歌 「昔 カザンの町 でイヴァン雷 帝 は」(ロシア語 : Как во городе было во Казани) - ボリスのモノローグ「
私 は最高 の権力 を手 にした」(ロシア語 : Достиг я высшей власти) 時計 の場 (ロシア語 : Сцена с курантами)- マリーナのアリア「なんて
悩 ましく物憂 く」(ロシア語 : Как томительно и вяло) - ポロネーズ(ロシア
語 : Полонез) 偽 ドミトリーとマリーナの二 重唱 「おお皇子 様 、お願 い」(ロシア語 : О царевич, умоляю)貴族 たちの合唱 「さて諸君 、票決 と行 こう」(ロシア語 : Что ж? Пойдём на голоса, бояре)- ピーメンのアリア「ある
日 の晩 のこと」(ロシア語 : Однажды, в вечерний час) - ボリスの
別 れ「さらば我 が子 よ、わしはもう死 ぬ」(ロシア語 : Прощай, мой сын, умираю...) - ボリスの
死 「鐘 だ!弔 いの鐘 だ!」(ロシア語 : Звон! Погребальный звон!) 白痴 の歌 「流 れよ、流 れよ、苦 い涙 !」(ロシア語 : Лейтесь, лейтесь, слёзы горькие!)
他者 による版 [編集 ]
リムスキー=コルサコフ版 [編集 ]
ムソルグスキーの
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Chaliapin_Godunov_1912.jpg/200px-Chaliapin_Godunov_1912.jpg)
1889
1906
リムスキー=コルサコフによる
ボリショイ劇場 版 [編集 ]
リムスキー=コルサコフの
第 3幕 のポーランドの場 は、第 1場 を全 て削除 、第 2場 も短縮 しランゴーニのパートを全 て削除 。この結果 、ランゴーニ役 は歌 わず、偽 ドミトリーとマリーナの二重唱 の終 わった後 に姿 だけを見 せる(あるいは全 く登場 しない)ことになる。子供 達 が白痴 が持 っていた銅貨 を取 り上 げてしまう場面 は、重複 するため、聖 ワシリイ大 聖堂 の場 で演 じ、革命 の場 では削除 。
なお、オペラ
ショスタコーヴィチ版 [編集 ]
リムスキー=コルサコフの
1939
その他 の版 [編集 ]
- 1925
年 のラトビアの首都 リガにおける上演 では、同国 の作曲 家 メリガイリスによる編曲 版 が用 いられた。 - 1953
年 のニューヨークメトロポリタン歌劇 場 における上演 では、カロル・ラートハウスによる編曲 版 が用 いられた。
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主 な録音 ・映像 [編集 ]
主 な録音 [編集 ]
ボリス |
レーベル | ||||
---|---|---|---|---|---|
ゴロワノフ | ボリショイ |
レイゼン | 1948 | メロディア Aquarius |
1908 |
ゴロワノフ | ボリショイ |
ピロゴフ | 1949 | メロディア | 1908 |
ドブローウェン | フランス |
クリストフ | 1952 | EMI | 1908 |
バラノヴィッチ | ベオグラード |
チャンガロヴィッチ | 1954 | デッカ | 1908 |
クリュイタンス | パリ |
クリストフ | 1962 | EMI | 1908 |
メリク=パシャーエフ | ボリショイ |
ペトロフ | 1962 | メロディア | 1908 |
メリク=パシャーエフ | ボリショイ |
ロンドン | 1963 | ソニー | 1908 |
カラヤン | ウィーン・フィルハーモニー ウィーン |
ギャウロフ | 1970 | デッカ | 1908 |
セムコフ | ポーランド |
タルヴェラ | 1976 | EMI | 1872 |
フェドセーエフ | モスクワ |
ヴェデルニコフ | 1983 | フィリップス | 1872 |
エルムレル | ボリショイ |
ネステレンコ | 1985 | メロディア | 1908 |
キタエンコ | DR |
ハウグランド | 1986 | Kontrapunkt | 1872 |
チャカロフ | ソフィア |
ギャウロフ | 1986 | ソニー | 1872 |
ロストロポーヴィチ | ワシントン・ナショナル |
ライモンディ | 1987 | エラート | 1872 |
アバド | ベルリン・フィルハーモニー ベルリン |
コチェルガ | 1993 | ソニー | 1872 |
ゲルギエフ | キーロフ |
プチーリン | 1997 | フィリップス | 1869 |
ゲルギエフ | キーロフ |
ヴァネーエフ | 1997 | フィリップス | 1872 |
主 な映像 [編集 ]
ボリス |
|||||
---|---|---|---|---|---|
ネボルシン | ボリショイ |
ピロゴフ | 1954 | 1908 | |
ハイキン | ボリショイ |
ネステレンコ | 1978 | 1908 | |
モロゾワ | ラザレフ | ボリショイ |
ネステレンコ | 1987 | 1908 |
タルコフスキー | ゲルギエフ | キーロフ |
ロイド | 1990 | 1872 |
デッカー | ヴァイグル | バルセロナ・リセウ |
サルミネン | 2004 | 1869 |
脚注 [編集 ]
- ^ 『アイルランドのハン』は
計画 のみで草稿 が紛失 、『サランボー』は断片 のみが現存 している。この他 計画 のみに終 わったオペラは複数 存在 する(詳細 はムソルグスキーの楽曲 一覧 を参照 ) - ^
合唱 なしの管弦楽 曲 として演奏 された。 - チャンパイ p.222 - ^
同時 に『ローエングリン』と『魔 弾 の射手 』の抜粋 が上演 された。 - チャンパイ p.225 - ^
厳密 に言 えば1872年 版 と1874年版 にも細 かな差 はある。桑野 p.17 - ^
最終 的 に主 な指揮 者 、奏者 からなる7名 による投票 が行 われ、賛成 1、反対 6の結果 により不 採用 となった。唯一 の賛成 票 はナープラヴニークによるものだった。 - チャンパイ p.219 - ^ リュドミラ・シェスタコーワの
記録 - チャンパイ p.220 - ^
偽 ドミトリーとマリーナの登場 する愛 の場面 は、原典 版 作曲 の際 、既 に取 り上 げられていたが、最終 的 に放棄 された。 -田辺 p.84 - ^ 「
革命 の場 」で終了 するというアイディアはニコルスキーにより提案 された。 - チャンパイ p.224 - ^ C.エマーソン&R.W.オルダーニ『モデスト・ムソルグスキーと「ボリス・ゴドゥノフ」』(1994
年 ) -田辺 p.89 - ^
一柳 富美子 が提唱 している。 - ^ オウム、
時計 ともボリス・ゴドゥノフの治世 の頃 、ロシアに入 ってきた。 - ^ ツァーリは、ウスペンスキー
大 聖堂 で戴冠 式 を行 った後 、代々 のツァーリが祀 られているアルハンゲルスキー大 聖堂 に移 り、祝福 を受 ける。 -桑野 p.55-59 - ^
有名 な民謡 「スラヴァ(光栄 あれ、ロシア語 : Слава)」のメロディに基 づく。ベートーヴェンの弦楽 四 重奏 曲 第 8番 、リムスキー=コルサコフのオペラ『皇帝 の花嫁 』チャイコフスキーのオペラ『マゼッパ』などにも使 われている。 - ^
年代 記 の編纂 はイヴァン雷 帝 の時代 には禁止 令 が出 されており、ボリスの時代 も引 き続 き厳重 に監 視 されていた。ピーメンが深夜 に年代 記 を綴 るのも、命 がけの行為 でありその行為 からもピーメンが反 ボリスであることがわかる。 -桑野 p.126 - ^
偽 ドミトリーの最期 は、反乱 軍 から逃 げようとして窓 から飛 び降 りて脚 を骨折 したところを射殺 される、というものであった。 - ^ シャインの
収集 した「ロシア歌謡 集 」から曲 を借用 。 - ^ ムソルグスキーの
依頼 によりスターソフが「大 ロシア歴史 歌謡 集 」から詞 を探 し出 してきた。 -桑野 p.192 - ^
古 い婚礼 歌 「鐘 は鳴 るノヴゴロド」を基 にしている。 - ^ 1874
年 の全曲 初演 の時 から、モスクワのノヴォデヴィチ修道院 の場 に登場 した警吏ニキーティチとおよそ300キロメートル離 れたリトアニア国境 の警吏を同 一 歌手 が演 じるという慣例 が続 いている。 - チャンパイ p.229-230 - ^ マリーナは、
偽 ドミトリーが殺害 された後 、一時 投獄 されるが助命 されポーランドに帰国 した。その後 、第 2のドミトリーと結婚 し彼 の子 を産 む。第 2のドミトリーも殺害 されると、コサックのアタマンであるザルツキーに取 り入 り、息子 をツァーリにしようと企 てるが失敗 し、最後 は獄死 した。 - ^ ルイ14
世 の宮廷 管弦楽 団 「王 の24本 のヴァイオリン」を模 したのだと言 われる。 - チャンパイ p.252 - ^ ただし、ムソルグスキーのオーケストレーションは
抜粋 上演 ではラローシから激賞 されており、全曲 初演 の際 も批評 家 から好意 的 に受 け止 められていた。 - ^
後 の編曲 作業 で用 いたオーケストラの規模 は標準 サイズのものであったため、ワーグナー・サイズのオーケストラで編曲 されたポロネーズは再度 編曲 し直 されている。 - ^
序文 で強調 した復活 させた場面 とは、政治 的 な理由 で省略 されるようになった「革命 の場 」のことをさすと思 われる。なお、1896年版 のサンクトペテルブルク音楽 院 での初演 時 も「革命 の場 」は政治 的 配慮 により削除 された。 - ^
最終 幕 の場面 入 れ替 えの理由 をリムスキー=コルサコフは説明 していない。 - ^ ロシア
国内 では、1898年 にサーヴァ・マモントフのモスクワ私立 歌劇 団 でボリスを演 じて成功 を収 めている。 - ^ 1874
年 の全曲 初演 の際 、悪意 ある批評 を行 いムソルグスキーを悲 しませたキュイも原点 回帰 を提唱 した。
参考 文献 [編集 ]
作曲 家 別 名曲 解説 ライブラリー22「ロシア国民 楽 派 」(1995年 音楽之友社 )ISBN 4276010624- 「
最新 名曲 解説 全集 19歌劇 II」(音楽之友社 ) 永 竹 由幸 「オペラ名曲 百科 (下 )」(1984年 音楽之友社 )ISBN 4276003121一柳 富美子 「ムソルグスキー 「展覧 会 の絵 」の真実 」(2007年 東洋 書店 )ISBN 9784885957277桑野 隆 「ボリス・ゴドゥノフ」(2000年 ありな書房 )ISBN 4756600662- アッティラ・チャンパイ「ボリス・ゴドゥノフ」(1988
年 音楽之友社 )ISBN 427637524X 田辺 佐保子 「プーシキンとロシア・オペラ」(2003年 未知 谷 )ISBN 4-89642-089-6