ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ Дмитрий Дмитриевич Шостакович | |
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1950 | |
ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ Дмитрий Дмитриевич Шостакович | |
1906 ロシア | |
1975 ソビエト | |
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ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(ロシア
シベリウス、プロコフィエフと
生涯
[略歴
[- 1906
年 9月25日 、ロシア帝国 の首都 サンクトペテルブルクに生 まれる。 - 1915
年 春 、両親 に連 れられて初 めて劇場 を訪 れ、オペラ(リムスキー=コルサコフの《サルタン王 の物語 》)を観 る。夏 には母親 から初 めてのピアノのレッスンを受 ける。秋 、シドルフスカヤ商業 学校 に入学 。作曲 を始 める。 - 1916
年 グリャッセール音楽 学校 に入学 。 - 1917
年 2月 、第 一 次 世界 大戦 の敗戦 が濃厚 となる中 で起 こったロシア革命 (2月 革命 (1917年 ))を経験 。その最中 に、街路 上 で同 年配 の少年 が警官 に殺害 されるのを眼前 で見 る。同月 、グリャッセールへ通 う興味 を失 う。 - 1918
年 秋 、ローザノヴァにピアノを師事 。(1917年 とも) - 1919
年 第 108労働 学校 が閉鎖 。ユストニナ校 に転校 。秋 、サンクトペテルブルク音楽 院 に入学 。グラズノフに師事 する。 - 1921
年 ユストニナ校 を中退 。 - 1922
年 父 が死去 。 - 1923
年 音楽 院 のピアノ科 を修了 。夏休 みを利用 した結核 療養 のために訪 れたクリミアで、初 のピアノ・リサイタルを開 く。 - 1924
年 ヨシフ・スターリンがソビエト連邦 の最高 指導 者 となり、スターリンのイデオロギー(スターリニズム)がその後 の作曲 活動 に大 きな影響 を与 えることとなる。11月、映画 館 「スヴェトラーヤ・フィリム」でピアノ伴奏 のアルバイトを始 める。 - 1925
年 作曲 科 の修了 にともない、音楽 院 を卒業 。修了 制作 として交響 曲 第 1番 を作曲 。 - 1926
年 5月16日 、交響 曲 第 1番 初演 。秋 、音楽 院 の大学院 課程 に進学 。 - 1927
年 1月 、第 1回 ショパン国際 ピアノコンクールに出場 。 - 1928
年 メイエルホリド劇場 の音楽 部長 として1月 から3月 まで務 める。 - 1930
年 バレエ『黄金 時代 』を作曲 。 - 1931
年 バレエ『ボルト』を作曲 。『黄金 時代 』と『ボルト』は両 曲 ともレニングラードで初演 し失敗 したものの、ショスタコーヴィチの音楽 は好評 であった。 - 1932
年 科学 者 ニーナ・ヴァルザルと結婚 。婚約 記念 として書 き始 められた歌劇 『ムツェンスク郡 のマクベス夫人 』を彼女 に献呈 。8月、作曲 家 同盟 レニングラード支部 の運営 委員 に選出 。 - 1933
年 軽音楽 に関 するレニングラード市 の委員 会 の委員 になる。ピアノ協奏曲 第 1番 初演 。 - 1934
年 スターリンによる大 粛清 が吹 き荒 れる情勢 化 にあって、レニングラード市 アクチャーブリ区 の区 議会 議員 に選出 される。同年 は、第 17回 党 大会 の1,966人 の代議員 中 、1,108人 が逮捕 され、その大半 が銃殺 刑 となった年 。1930年代 の大 粛清 は議員 のみならず一般 市民 にまで及 び、強制 収容 所 送 りや即決 裁判 による死刑 が横行 し、ショスタコーヴィチの作曲 活動 にも暗 い影 を落 とす。 - 1936
年 歌劇 『ムツェンスク郡 のマクベス夫人 』(1月 )とバレエ『明 るい小川 』(2月 )に対 するプラウダ批判 。5月30日 、長女 ガリーナ生誕 。 - 1937
年 春 (一説 には1月 )、レニングラード音楽 院 に講師 として勤務 (後 に教授 )。交響 曲 第 5番 を作曲 、初演 (11月21日 )。この作品 の成功 により名誉 を回復 。 - 1938
年 5月 10日 、長男 マクシム生誕 。 - 1939
年 ムソルグスキー生誕 100周年 記念 祭 の準備 委員 会 の委員 長 となる。音楽 院 で教授 に就任 。 - 1940
年 5月、労働 赤旗 勲章 受章 。ピアノ五 重奏 曲 がスターリン賞 を受賞 。 - 1941
年 交響 曲 第 7番 を作曲 。翌年 の初演 は成功 を収 め、同年 アメリカでも演奏 された。レニングラード音楽 院 教授 を辞任 。 - 1942
年 1月 、交響 曲 第 7番 がスターリン賞 第 1席 受賞 。ロシア共和 国 功労 芸術 家 の称号 を授与 。 - 1943
年 3月、モスクワ音楽 院 教授 に就任 。国歌 コンクールに参加 。 - 1946
年 ピアノ三 重奏 曲 第 2番 がスターリン賞 第 2席 を受賞 。12月、レーニン勲章 受章 。 - 1947
年 2月 、レニングラード音楽 院 教授 に復職 。同月 、作曲 家 同盟 レニングラード支部 の支部 長 に選出 。10月、ロシア共和 国 人民 芸術 家 の称号 を授与 。ロシア共和 国 最高 議会 代議員 に選出 。 - 1948
年 、社会 主義 リアリズム路線 に反 するとして、アラム・ハチャトゥリアン、セルゲイ・プロコフィエフと共 に国家 によるジダーノフ批判 の対象 となる。9月、レニングラード音楽 院 、モスクワ音楽 院 ともに教授 の職 を解任 。 - 1948
年 3月、世界 平和 文化 科学 会議 出席 のため渡米 (ニューヨーク)。 - 1949
年 オラトリオ「森 の歌 」作曲 ・初演 。 - 1950
年 「森 の歌 」がスターリン賞 第 1席 を受賞 。10月、ソヴィエト平和 擁護 委員 会 の委員 となる。11月、世界 平和 会議 出席 のためワルシャワ入 り。 - 1952
年 「革命 詩人 の詩 による10の詩 曲 」がスターリン賞 第 2席 を受賞 。12月、世界 平和 会議 出席 のためウィーンへ。 - 1953
年 交響 曲 第 10番 作曲 、初演 (12月17日 )。6月、文化 代表 団 の一員 としてオーストリアに派遣 される。 - 1954
年 交響 曲 第 10番 に関 する討議 会 (いわゆる第 10論争 )が作曲 家 同盟 で開 かれる。8月、ソ連 人民 芸術 家 の称号 を授与 。9月、国際 平和 賞 受賞 。12月、妻 ニーナ死去 。同月 、スウェーデン王立 音楽 アカデミーの名誉 会員 に選出 される。 - 1955
年 東 ドイツ芸術 アカデミーの準 会員 に選出 される。11月、母 ソーフィヤ死去 。 - 1956
年 1月 、サンタ・チェチーリア芸術 アカデミーの名誉 会員 に選出 される。9月、レーニン勲章 受章 。 - 1957
年 春 に開 かれた第 2回 作曲 家 同盟 大会 において作曲 家 同盟 初 委員 長 となる。交響 曲 第 11番 がレーニン賞 受賞 。 - 1958
年 オックスフォ ード大学 より名誉 博士 の学位 を授与 、イギリス王立 音楽 アカデミー会員 に選出 。国際 シベリウス記念 賞 受賞 。9月、右手 の麻痺 (後 に脊椎 性 小児 麻痺 であることが判明 )で入院 。 - 1959
年 9月、米 国務省 主催 による文化 交流 プログラムでワシントンで開催 されたソヴィエト祭 に、ソヴィエト代表 団 の一員 として派遣 される。メキシコ音楽 院 名誉 教授 の称号 を受 ける。 - 1960
年 2月 、再 び右手 の治療 のため入院 。10月、息子 マクシムの結婚式 で転倒 、右足 を骨折 、入院 。作曲 家 同盟 第 1書記 に任命 。 - 1961
年 9月、ソビエト共産党 員 となる。12月、入党 と引 き替 えにレニングラード音楽 院 大学院 での教育 活動 に復帰 する。交響 曲 第 4番 初演 (12月30日 )。 - 1962
年 交響 曲 第 13番 作曲 、初演 。ソヴィエト連邦 最高 会議 代議員 に選出 される。第 2回 チャイコフスキー国際 コンクールの組織 委員 会 委員 長 に任命 される。6月、右手 の治療 のため三 度 入院 。月 、イリーナ・スピーンスカヤと再婚 。11月、ゴーリキー市 で行 われたコンサートで「祝典 序曲 」を指揮 。 - 1963
年 ユネスコ国際 音楽 評議 会 名誉 会員 に選出 。 - 1964
年 バシキール自治 共和 国 人民 芸術 家 の称号 を受 ける。 - 1965
年 心臓 病 の悪化 で入院 。ソヴィエト芸術 学 名誉 博士 の学位 を授与 。 - 1966
年 5月、生誕 60周年 記念 演奏 会 出演 後 、心筋梗塞 を起 こし入院 。第 3回 チャイコフスキー国際 コンクールの組織 委員 会 委員 長 に任命 される。8月、イギリス・ロイヤル・フィルハーモニック協会 金賞 受賞 。10月、レーニン勲章 受章 。社会 主義 労働 英雄 の称号 を授与 。 - 1967
年 3月、オーストリア共和 国 名誉 銀 記章 授与 。9月、右足 骨折 で入院 。 - 1968
年 5月、シャルル・クロ記念 フランス・レコード協会 1等 賞 受賞 。ロシア共和 国 作曲 家 同盟 理事 に選出 。《ステパン・ラージンの処刑 》がグリンカ賞 受賞 。世界 平和 擁護 委員 会 の委員 に選出 。 - 1969
年 交響 曲 第 14番 作曲 、初演 。ウィーン・モーツァルト協会 がモーツァルト記念 メダルを授与 。 - 1970
年 クルガンのサナトリウムで8月 まで療養 生活 を送 る。ベートーヴェン生誕 200年 祭 のソヴィエト連邦 実行 委員 会 委員 長 に就任 。8月、治療 のため再 入院 。11月、《ソヴィエト民 警の行進 》がソヴィエト文学 ・芸術 コンクール1等 賞 受賞 。フィンランド作曲 家 協会 名誉 会員 に任命 。 - 1971
年 3月、第 24回 共産党 大会 代議員 を務 める。9月、2回 目 の心筋梗塞 で入院 。10月革命 勲章 受章 。 - 1972
年 5月、東 ドイツ友好 の星 金賞 受賞 。7月、聖 トリニティー大学 より名誉 音楽 博士 の学位 を授与 される。スクリャービン生誕 100周年 祭 実行 委員 会 委員 長 に選出 。 - 1973
年 デンマーク・ゾンニング基金 名誉 賞 受賞 。6月、ノース・ウェスタン大学 より芸術 名誉 博士 の学位 を授与 。8月、サハロフ非難 書簡 に署名 。姉 マリア死去 。ラフマニノフ生誕 100周年 祭 実行 委員 会 委員 長 に選出 。 - 1974
年 男声 合唱 曲 《忠誠 》、弦楽 四 重奏 曲 第 14番 がグリンカ賞 受賞 。ソ連邦 最高 会議 民族 ソヴィエト〈国民 教育 ・科学 ・文化 委員 会 〉委員 長 を務 める。 - 1975
年 4月 、フランス芸術 アカデミーの名誉 会員 となる。最後 の作品 「ヴィオラソナタ作品 147」完成 。7月、体 の不調 を訴 え入院 。8月4日 に再 入院 の後 、8月 9日 、ソ連 の首都 モスクワの病院 にて肺 がんで逝去 。8月14日 、ノヴォジェヴィチ墓地 に埋葬 される。
1906
その
1919
1920
1930
1936
1937
1941
1948
1953
この
1960
1960
ショスタコーヴィチの
1975
作風
[ショスタコーヴィチの
初期 ・前衛 的 な作品 群
[社会 主義 リアリズム
[ユダヤ音楽 への傾倒
[ショスタコーヴィチの
スターリン死後
[「雪 どけ」後
[ブレジネフ
作品
[ショスタコーヴィチの
交響曲
[交響 曲 第 1番 ヘ短調 作品 10(1925年 )交響 曲 第 2番 ロ長調 作品 14「十 月 革命 に捧 ぐ」(1927年 )交響 曲 第 3番 変 ホ長調 作品 20「メーデー」(1929年 )交響 曲 第 4番 ハ短調 作品 43(1936年 )交響 曲 第 5番 ニ短調 作品 47(1937年 )交響 曲 第 6番 ロ短調 作品 54(1939年 )交響 曲 第 7番 ハ長調 作品 60「レニングラード」(1941年 )交響 曲 第 8番 ハ短調 作品 65(1943年 )交響 曲 第 9番 変 ホ長調 作品 70(1945年 )交響 曲 第 10番 ホ短調 作品 93(1953年 )交響 曲 第 11番 ト短調 作品 103「1905年 」(1957年 )交響 曲 第 12番 ニ短調 作品 112「1917年 」(1961年 )交響 曲 第 13番 変 ロ短調 作品 113(1962年 )交響 曲 第 14番 ト短調 作品 135(1969年 )交響 曲 第 15番 イ長調 作品 141(1971年 )
弦楽 四 重奏 曲
[弦楽 四 重奏 曲 第 1番 ハ長調 作品 49(1938年 )弦楽 四 重奏 曲 第 2番 イ長調 作品 68(1944年 )弦楽 四 重奏 曲 第 3番 ヘ長調 作品 73(1946年 )弦楽 四 重奏 曲 第 4番 ニ長調 作品 83(1949年 )弦楽 四 重奏 曲 第 5番 変 ロ長調 作品 92(1952年 )弦楽 四 重奏 曲 第 6番 ト長調 作品 101(1956年 )弦楽 四 重奏 曲 第 7番 嬰ヘ短調 作品 108(1960年 )弦楽 四 重奏 曲 第 8番 ハ短調 作品 110(1960年 )弦楽 四 重奏 曲 第 9番 変 ホ長調 作品 117(1964年 )弦楽 四 重奏 曲 第 10番 変 イ長調 作品 118(1964年 )弦楽 四 重奏 曲 第 11番 ヘ短調 作品 122(1966年 )弦楽 四 重奏 曲 第 12番 変 ニ長調 作品 133(1968年 )弦楽 四 重奏 曲 第 13番 変 ロ短調 作品 138(1970年 )弦楽 四 重奏 曲 第 14番 嬰ヘ長調 作品 142(1973年 )弦楽 四 重奏 曲 第 15番 変 ホ短調 作品 144(1974年 )弦楽 のためのレクィエム作品 144bis(原曲 は第 15番 )
管弦楽 曲 ・吹奏楽 曲
[- スケルツォ
第 1番 嬰ヘ短調 作品 1(1919年 ) 主題 と変奏 変 ロ長調 (1922年 )- スケルツォ
第 2番 変 ホ長調 (1924年 ) - タヒチ・トロット(1928
年 ) - E・ドレッセルの
歌劇 『コロンブス』のための2つの小品 (1929年 ) - ジャズ・オーケストラのための
第 1組 曲 (1934年 ) - 5つの
断章 (1935年 ) - ジャズ・オーケストラのための
第 2組 曲 (1938年 ) 荘厳 な行進曲 (1941年 )- バレエ
組曲 第 1 - 4番 (1950年 - 53年 ) 祝典 序曲 (1954年 )- ノヴォロシースクの
鐘 (1960年 ) - ロシアとキルギスの
主題 による序曲 (1963年 ) 交響 詩 「十 月 革命 」(1967年 )交響 的 哀悼 前奏 曲 (1967年 )- ソヴィエト
民 警の行進曲 (1970年 ) - インターヴィジョン(1971
年 ) - 「
緑 の工場 」のための序曲 - 2つの
前奏 曲 (アルフレート・シュニトケ編曲 )
協奏曲
[- ピアノ
協奏曲 第 1番 ハ短調 作品 35(1933年 ) - ピアノ
協奏曲 第 2番 ヘ長調 作品 102(1957年 ) - ヴァイオリン
協奏曲 第 1番 イ短調 作品 77(99)(1948年 ) - ヴァイオリン
協奏曲 第 2番 嬰ハ短調 作品 129(1967年 ) - チェロ
協奏曲 第 1番 変 ホ長調 作品 107(1959年 ) - チェロ
協奏曲 第 2番 ト短調 作品 126(1966年 )
室内楽 曲
[弦楽 八 重奏 のための2つの小品 作品 11(1927年 )- チェロ・ソナタ ニ
短調 作品 40(1934年 ) - ピアノ
五 重奏 曲 ト短調 作品 57(1940年 ) - ピアノ
三 重奏 曲 第 1番 ハ短調 作品 8(1923年 ) - ピアノ
三 重奏 曲 第 2番 ホ短調 作品 67(1944年 ) - ヴァイオリン・ソナタ
ト長調 作品 134(1968年 ) - ヴィオラ・ソナタ ハ
長調 作品 147(1975年 ) 弦楽 四 重奏 のための2つの小品 (1931年 )- ヴァイオリン・ソナタ(1945
年 に着手 したが未完 ) - チェロとピアノのためのモデラート
- 3つのヴァイオリン
二 重奏 曲 - ハープ
二 重奏 のためのポルカ 嬰ヘ長調 - 3つの
小品
オペラ
[鼻 (1928年 )大 きな稲妻 - オランゴ(1932
年 ) - ムツェンスク
郡 のマクベス夫人 (1934年 )Op.29 賭博 師 (1941年 )- カテリーナ・イズマイロヴァ(1963
年 ) - 「ムツェンスク郡 のマクベス夫人 」の改訂 版 。Op.114
オペレッタ
[- モスクワ・チェリョームシキ(1958
年 )Op.105
合唱 曲
[- オラトリオ「
森 の歌 」(1949年 ) - カンタータ「わが
祖国 に太陽 は輝 く」(1952年 ) 混声 合唱 のための無 伴奏 合唱 曲 十 の詩 曲 (1951年 )- バラード「ステパン・ラージンの
処刑 」(1964年 ) - 8つのバラード「
忠誠 」作品 136(1970年 ) 反 形式 主義 的 ラヨーク
声楽 曲
[日本 の詩人 の詞 による6つの歌 作品 21(1928年 ) オーケストラ伴奏 版 あり- プーシキンの
詩 による4つのロマンス作品 46 オーケストラ伴奏 版 あり 歌曲 集 「ユダヤの民族 詩 より」作品 79 オーケストラ伴奏 版 あり- レールモントフの
詩 による2つのロマンス作品 84 - エフゲニー・ドルマトーフスキーの
詩 による4つの歌曲 作品 86 - プーシキンの
詩 による4つのモノローグ作品 91 - エフゲニー・ドルマトーフスキーの
詩 による5つのロマンス作品 98 - スペインの
歌 作品 100(1956年 ) 風刺 作品 109(1960年 )自作 全集 への序文 とその序文 についての短 い考察 作品 123- アレクサンドル・ブロークの
詩 による7つの歌曲 作品 127 - マリーナ・ツヴェタエワの
詩 による6つの歌曲 作品 143 オーケストラ伴奏 版 あり - ミケランジェロの
詩 による組曲 作品 145 オーケストラ伴奏 版 あり
バレエ音楽
[映画 音楽
[新 バビロン作品 18(1929年 )女 一 人 作品 26(1931年 )黄金 の丘 作品 30(1931年 )呼応 計画 作品 33(1932年 )司祭 とその下男 バルダの物語 作品 36(1935年 )愛 と憎 しみ作品 38(1934年 )- マクシムの
青年 時代 作品 41(1935年 ) 女 友達 (1935年 )- マクシムの
帰還 (1937年 ) - ヴォロチャーエフの
日々 (1937年 ) - ヴィボルグ
地区 (1938年 ) 友人 たち(1938年 )偉大 なる市民 第 1部 (1937年 )銃 を取 る人 作品 50(1938年 )偉大 なる市民 第 2部 作品 55(1939年 )- おろかな
子 ねずみ作品 56(1939年 ) - コルジンキナの
冒険 作品 59(1940年 ) - ゾーヤ
作品 64(1944年 ) 素朴 な人々 (1945年 )若 き親衛隊 作品 75(1948年 )- ピロゴーフ(1947
年 ) - ミチューリン
作品 78(1948年 ) - エルベ
河 の邂逅 作品 80(1948年 ) - ベルリン
陥落 作品 82(1949年 ) - ベリンスキー(1950
年 ) 忘 れがたき1919年 (1951年 )偉大 な川 の歌 ・ユニティ作品 95(1954年 )馬 あぶ作品 97(1955年 )第 1軍用 列車 (1956年 )- 5
昼夜 作品 111(1960年 ) - ハムレット
作品 116(1964年 ) 生涯 のような1年 (1965年 )- ソフィア・ペロフスカヤ
作品 132(1967年 ) - リア
王 作品 137(1970年 ) 永遠 の使者 戦艦 ポチョムキン(この映画 のために曲 が作 られたわけではなく、1976年 の復刻 時 に既存 の交響曲 が使用 された)- チェリョームシキ
劇 付随 音楽
[南京虫 作品 19(1929年 )射撃 作品 24(1929年 )- ルーレ・ブリタニア
作品 28(1931年 ) - ハムレット
作品 32(1932年 ) - スペインにサリュー
作品 44(1936年 ) 人間 喜劇 作品 37(1933年 - 1934年 )- リア
王 作品 58a(1941年 ) 母国 作品 63(1942年 )- ロシアの
川 作品 66(1944年 ) 勝利 の春 作品 72(1946年 )
ピアノ曲
[- 5つの
前奏 曲 (1921年 ) - 3つの
幻想 的 な舞曲 (1925年 ) - 2
台 のピアノのための組曲 嬰ヘ短調 (1925年 ) - ピアノ・ソナタ
第 1番 (1926年 ) - 10の
格言 集 (1927年 ) - ピアノ・ソナタ
第 2番 (1943年 ) - 24の
前奏 曲 (1933年 ) 子供 のノート(1944年 )陽気 な行進曲 (1949年 )- 24の
前奏 曲 とフーガ(1952年 ) - 2
台 のピアノのための小 協奏曲 (1954年 ) - グリンカの
主題 による変奏曲 (1957年 )
編曲 作品
[- ドメニコ・スカルラッティの2つの
小品 作品 17 - ムソルグスキー
歌劇 「ボリス・ゴドゥノフ」の管弦楽 編曲 作品 58 - ムソルグスキー
歌劇 「ホヴァーンシチナ」の管弦楽 編曲 作品 106 - ムソルグスキー
歌曲 集 「死 の歌 と踊 り」の管弦楽 編曲 - A.ダヴィデンゴの2つの
合唱 曲 の管弦楽 編曲 作品 124 - ロベルト・シューマン チェロ
協奏曲 イ短調 の編曲 作品 125 - ストラヴィンスキー
詩篇 交響 曲 の4手 ピアノ用 編曲 - リムスキー・コルサコフ
私 はほら穴 で君 を待 っていたの管弦楽 編曲 - チシチェンコ チェロ
協奏曲 第 1番 の再 オーケストレーション - ヨハン・シュトラウス2
世 「ウィーン気質 」の編曲 - ヨハン・シュトラウス2
世 「観光 列車 」の編曲 - オネゲル
交響 曲 第 3番 典礼 風 の4手 ピアノ用 編曲 - ベートーヴェン
蚤 の歌 の管弦楽 伴奏 用 編曲 - ベートーヴェン ピアノソナタ
第 8番 悲愴 の第 2楽章 の管弦楽 編曲 - ベートーヴェン ピアノソナタ
第 32番 の第 1楽章 の管弦楽 編曲 - マーラー
交響 曲 第 10番 の4手 ピアノ用 編曲 - シューベルト
軍隊 行進曲 の管弦楽 編曲 - ロシア
民謡 「ヴォルガの舟歌 」のオーケストレーション
自作 の編曲
[歌劇 「鼻 」のピアノ編曲 交響 曲 第 3番 のピアノと声楽 用 編曲 - バレエ「
明 るい小川 」よりモデラート 主題 と変奏 作品 3のピアノ用 編曲 交響 曲 第 4番 の2台 ピアノ用 編曲 交響 曲 第 10番 の2台 ピアノ用 編曲
その他 の作品
[兵士 (1917年 頃 )森 の中 にて自由 の讃歌 - ソヴィエト
讃歌 国歌 (ソヴィエト連邦 )赤軍 の歌 (アラム・ハチャトゥリアンとの共 作 )- ポルカ
- 4つのワルツ
平和 の鳥 儀式 用 行進曲 - 2つのマズルカ
我 が祖国 の栄光 を歌 う
著作
[ショスタコーヴィチはさまざまな
2006
なお
その他
[脚注
[- ^ a b
音楽 学者 の千葉 潤 は、発表 以来 続 いた『ショスタコーヴィチの証言 』の真贋 論争 は現在 では偽書 でほぼ決着 しているとの見解 を示 している。(千葉 潤 『ショスタコーヴィチ』音楽之友社 、2005年 。181 - 182頁 。ISBN 4-276-22193-5。) - ^
千葉 2005, p. 8. - ^
千葉 2005, p. 12-13. - ^
千葉 2005, p. 13-14. - ^
千葉 2005, p. 14-15. - ^ a b
千葉 2005, p. 16. - ^
千葉 2005, p. 19. - ^
千葉 2005, p. 21. - ^
千葉 2005, p. 34. - ^
千葉 2005, p. 46-48. - ^
千葉 2005, p. 51-52. - ^
千葉 2005, p. 52-55. - ^
千葉 2005, p. 57-60. - ^
千葉 2005, p. 63. - ^
千葉 2005, p. 66. - ^
千葉 2005, p. 73-75. - ^
千葉 2005, p. 78-79. - ^
千葉 2005, p. 83. - ^
千葉 2005, p. 91-94. - ^
千葉 2005, p. 102-103. - ^
千葉 2005, p. 106-109. - ^
千葉 2005, p. 110-115. - ^
千葉 2005, p. 125-128. - ^
千葉 2005, p. 129. - ^ a b
千葉 2005, p. 130. - ^
千葉 2005, p. 131. - ^
千葉 2005, p. 132-137. - ^
千葉 2005, p. 139-142. - ^
千葉 2005, p. 147-152. - ^
千葉 2005, p. 152. - ^
千葉 2005, p. 155-157. - ^
千葉 2005, p. 176. - ^ a b Gregor Tassie (2022). The Three Apostles of Russian Music: The Soviet Avant-Garde. Lexington Books
- ^ Sofia Moshevich (2015). Shostakovich's Music for Piano Solo: Interpretation and Performance. Indiana University Press. p. 16
- ^ ローレル・フェイ 『ショスタコーヴィチ ある
生涯 』 アルファベータ、2005年 (改訂 新版 )、135頁 。ISBN 978-4-87198-534-5。 - ^ イアン マクドナルド The new Shostakovich p73
- ^ エリザベス・ウイルソン『Shostakovich A LIFE Remembered』2006
年 、225頁 。ISBN 978-0-571-22050-2。 - ^ a b ヨアヒム ブラン Double meaning of Jewish Element in Domitori Shostakovich1985 p68~80
- ^ ティモシー ジャクソン、Ho, Allan B. and Feofanov, (ed.): Shostakovich Reconsidered. Toccata Press 1998.251. ISBN 0-907689-56-6 p618
- ^ エリザベス・ウイルソン『Shostakovich A LIFE Remembered』2006
年 、267頁 。ISBN 978-0-571-22050-2。 - ^ ヨアヒム ブラン Double meaning of Jewish Element in Domitori Shostakovich1985 p78
- ^ “(2669) Shostakovich = 1976 YQ2 = 1980 RW”. MPC. 2021
年 9月 30日 閲覧 。
参考 文献
[千葉 潤 『ショスタコーヴィチ人 と作品 』音楽之友社 、2005年 。
関連 項目
[- ショスタコーヴィチの
楽曲 一覧 - DSCH
音 型 - プラウダ
批判 - ジダーノフ
批判 - ショスタコーヴィチ
国際 作曲 コンクール - 2006年 のショスタコーヴィチ生誕 100年 を記念 してモスクワで開催 。 - ショスタコーヴィチの
証言 日 露 友好 ショスタコーヴィチ交響曲 全曲 演奏 プロジェクト2007- オーケストラ・ダスビダーニャ - ドミートリイ・ショスタコーヴィチの
曲 を演奏 するために結成 されたアマチュアオーケストラ - マクシム・ショスタコーヴィチ -
息子 にして、指揮 者 ・ピアニスト。 - モルゴーア・クァルテット -
日本 の弦楽 四 重奏 団 。1992年 に結成 。元来 は、15曲 あるショスタコーヴィチの弦楽 四 重奏 曲 を全 て演奏 する為 に結成 された。
外部 リンク
[- ドミートリイ・ショスタコーヴィチの
楽譜 -国際 楽譜 ライブラリープロジェクト - ドミトリー・ショスタコーヴィチ、
中根 宏 「ショスタコーヴィチの手紙 」(1931年 3月 8日 ) - ARCHIVE日本 の音楽 評論 家 に宛 てたショスタコーヴィチの手紙 およびその経緯 - Dmitri Dmitorievich Shostakovich
反 形式 主義 的 ショスタコーヴィチ研究 会 - SHOSTAKOVI.CH - The Page of Shostakovich
- Music under Soviet rule: Shostakovichiana
- BBC - Radio 3 - Shostakovich feature
- BBC - Radio 3 - Discovering Music - Listening Library
- SovMusic.ru
日本 国内 のショスタコーヴィチ関係 のコンサート一覧 - ショスタコーヴィッチ(
国立 国会図書館 デジタルコレクション、デジタル化 資料 送信 サービス限定 公開 )井上 頼 豊 著 、音楽之友社 -内容 的 には古 さもあるが、ショスタコーヴィチを研究 する上 での基礎 文献 。
- ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
- ロシアの
作曲 家 近 現代 の作曲 家 - オペラ
作曲 家 - ロシアのバレエ
作曲 家 合唱 音楽 の作曲 家 - ソビエト
連邦 の映画 音楽 の作曲 家 - ソビエト
連邦 作曲 家 同盟 の人物 社会 主義 労働 英雄 - レーニン
勲章 受章 者 十 月 革命 勲章 受章 者 労働 赤旗 勲章 受章 者 人民 友好 勲章 受章 者 ソ連 人民 芸術 家 - ロシア・ソビエト
連邦 社会 主義 共和 国 人民 芸術 家 - レーニン
賞 受賞 者 - スターリン
賞 受賞 者 - ソビエト
連邦 国家 賞 受賞 者 - ロシア・ソビエト
連邦 社会 主義 共和 国 国家 賞 受賞 者 第 6回 ソビエト連邦 最高 会議 の代議員 第 7回 ソビエト連邦 最高 会議 の代議員 第 8回 ソビエト連邦 最高 会議 の代議員 第 9回 ソビエト連邦 最高 会議 の代議員 - アメリカ
芸術 文学 アカデミー会員 - ベルギー
王立 アカデミー会員 - ロシア
革命 の人物 - モスクワ
音楽 院 の教員 - サンクトペテルブルク
音楽 院 の教員 - サンクトペテルブルク
音楽 院 出身 の人物 - ベラルーシ
系 ロシア人 - ポーランド
系 ロシア人 - サンクトペテルブルク
県 出身 の人物 - サンクトペテルブルク
出身 の人物 - 1906
年生 - 1975
年 没