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サーベル

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
19世紀せいきフランス海軍かいぐん将校しょうこうようサーベル

サーベル洋刀ようとうオランダ: sabel)は、ヨーロッパわんがたな[注釈ちゅうしゃく 1]

セイバー英語えいご: sabre, saber)、サブルフランス語ふらんすご: sabre)、ポルトガルサブレsabre)に由来ゆらい

構造こうぞう

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サーベルの部分ぶぶんいちれい おおきな「まもるこぶし」があるタイプの
海軍かいぐん長剣ちょうけんがら部分ぶぶんりゃくがたないとぐちおやつぶづけさめがわ金線きんせんく。両手りょうてにぎ大振おおぶりなもの。

にはまもるけん(ごけん、guard)とばれるわくじょう、もしくは半円はんえん半球はんきゅうおおきなつばがついており、ゆび保護ほごしている。サーベルにはさまざまなながさのものがあるが、けるときはつねこしからげたさやおさめられている。

由来ゆらい

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その起源きげんはわかっていないが、ファルシオンシミターのデザインをもとにしたとられる。もともとは騎兵きへい武器ぶきとして、それまでの直線ちょくせんじょうけんわって使つかわれはじめた。

使用しよう

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サーベルには騎兵きへい片手かたてあつかえるようにかるく、できるだけながつくられた刀剣とうけんで、けんちょくかたなタイプ、きょくがたなタイプ、はんきょくがたなタイプがあり、その用法ようほうはそれぞれとげ突、斬撃ざんげき、その両方りょうほう兼用けんよう大別たいべつできる。[1]ポーリッシュサーベルは鍔元つばもとから直線ちょくせん中心ちゅうしんあたりからおおきく湾曲わんきょくしそのカーブは日本にっぽんがたなよりもおおきい。また、おおくのサーベルは1/3ほどにうらがついていて手首てくびかえすことで先端せんたんカットができる。乗馬じょうばして使用しようする場合ばあいうまのスピードによって打撃だげきりょくつよくなるため、かた脱臼だっきゅうしたりけんけず落馬らくばすることもある。剣術けんじゅつではセンターライン、フロントライン、と2つの中心ちゅうしんせんがある。剣道けんどうではこの2つは同一どういつだが、サーベルではセンターラインはうまじくせん自分じぶんこしからしたのライン)フロントラインはてき正面しょうめんにはいないのでてきけた上半身じょうはんしんをいう。ガードにはさきしたうでばす防御ぼうぎょ突撃とつげきかまえのほか、うまくびまもるガード、うましりまもるガード、自分じぶんあしまもるガードなどがある。基本きほんてき相手あいてうまるのはマナー違反いはんとされているが、相手あいて手綱たづなことわったり、すれちがいざまにうましりることもある。

軍隊ぐんたい

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大小だいしょう火器かき戦場せんじょう普及ふきゅうした16世紀せいき以降いこう、サーベルはポピュラーな刀剣とうけんとなっていった。[1]てきろすにてきしたきょくがたながたのサーベルはけい騎兵きへい歩兵ほへいよう武器ぶきとして使つかわれ、ちょくかたながたのサーベルはるよりもつらぬ用途ようとてきしており、こちらはじゅう騎兵きへいこのまれた。[2]しかし、歩兵ほへいにとっては騎兵きへいたいしても有効ゆうこうなリーチのなが銃剣じゅうけんほうこのまれ、歩兵ほへい武器ぶきとしてサーベルを使つかうことはほとんどなかった。[2]

近世きんせい以降いこうのヨーロッパではじゅう発達はったつとともに歩兵ほへい単独たんどく強力きょうりょく火力かりょくれ、さらにパイク(ちょうやりへいとの混合こんごう陣形じんけいむようになると、騎兵きへいやり(ランス)をおも武装ぶそうとするやり騎兵きへい突撃とつげき効果こうかられなくなっていった。そのため騎兵きへいやりはポーランドやハンガリーをのぞいて[3]ヨーロッパの戦場せんじょうではすたれていった[2]。17世紀せいきになると、中世ちゅうせい以来いらい騎兵きへいやり戦場せんじょう使つかわれることはほとんどなくなった[4]が、一方いっぽうやり騎兵きへいそのものは18世紀せいきになるとポーランドやロシア、ハンガリーなどで一部いちぶ復活ふっかつしていった。[2]これは、騎兵きへいやり装備そうびしなくなったため、騎兵きへい突撃とつげき対処たいしょするためにかんがえられた方陣ほうじんなどの歩兵ほへい陣形じんけい必要ひつようなくなり、突撃とつげきたいしては脆弱ぜいじゃくだがじゅう歩兵ほへい一斉いっせい射撃しゃげきできるような横列おうれつ隊形たいけい主流しゅりゅうになったからとかんがえられる。[2]おおくの近世きんせい近代きんだいヨーロッパの騎兵きへいは、刀剣とうけんるいとピストルを同時どうじ装備そうびするようになっていった[5][6]

18世紀せいき騎兵きへいにとって、刀剣とうけんるいかれらの攻撃こうげき防御ぼうぎょもっと有効ゆうこう武器ぶきであった[4]。そのころにはサーベルはおおくの騎兵きへい主力しゅりょく武器ぶきとなり[7]、ナポレオン時代じだいには、ちょくかたながたのサーベルを装備そうびした[4]フランスのむねかぶと騎兵きへいはその時代じだい最強さいきょう騎兵きへいとしておそれられた。[8][9][2]また、ナポレオン時代じだいやり騎兵きへいもサブウェポンとしてビン銃びんじゅうほかにサーベルを装備そうびしていた。てき騎兵きへいとのたたかいでは、騎兵きへいやり乱戦らんせんあつかいにくいため、やりてて接戦せっせん格闘かくとうでより効果こうかてきなサーベルをくこともめずらしくなかった。[8]やり騎兵きへいもサブウェポンのサーベルをくことでてき騎兵きへいとの乱戦らんせん対応たいおうできた。[2]またやり騎兵きへい連隊れんたいでは一部いちぶ兵士へいし騎兵きへいやり装備そうびさせず、騎兵きへいやり兵士へいしをサーベルをおも武器ぶきとする兵士へいし援護えんごするようにしていた。[10]ナポレオン戦争せんそうは、だい規模きぼ戦争せんそうとしては刀剣とうけん活躍かつやくした最後さいご舞台ぶたいであった。[11]歩兵ほへいたい刀剣とうけん使用しようしなかったが、さきはたをつけたやり武装ぶそうする特殊とくしゅけい騎兵きへい連隊れんたいのぞき、騎兵隊きへいたい攻撃こうげきようには相変あいかわらずこのまれていた。[11]騎兵きへいのサーベルは騎兵隊きへいたい分散ぶんさんした歩兵ほへい、または集団しゅうだん歩兵ほへいたいしては非常ひじょう有効ゆうこう武器ぶきであったが[11]ちょうやりわりに銃剣じゅうけん方陣ほうじんんだ歩兵ほへい相手あいてにはなんやくにもたなかった。[11]

それでもだいいち世界せかい大戦たいせんまでは騎兵きへい刀剣とうけん重要じゅうよう武器ぶきであり、騎兵きへいやり流行りゅうこうだいいち世界せかい大戦たいせんまではつづいた。[3]騎兵きへい突撃とつげき時代遅じだいおくれと認識にんしきされたのはアメリカでは南北戦争なんぼくせんそう、ヨーロッパではだいいち世界せかい大戦たいせんである。[12]時代じだいくだると、サーベルはおおくのくに軍隊ぐんたい軍刀ぐんとうとして将校しょうこう士官しかん)の階級かいきゅうしめすシンボルともなり、銃器じゅうき主流しゅりゅう兵器へいきとなってからも精神せいしんてき装飾そうしょくてき意味合いみあいとして携帯けいたいされつづけた。20世紀せいき初頭しょとうごろまでは下士官かしかんへいあいだでも、乗馬じょうば本分ほんぶん兵種へいしゅ中心ちゅうしんに、騎兵きへい輜重しちょうへい憲兵けんぺいなどで騎兵きへいじゅうともにサーベルが装備そうびされた。だいいち世界せかい大戦たいせん以降いこう軍隊ぐんたい自体じたい戦闘せんとうドクトリンひとしさらなる近代きんだい一対一いちたいいちいではなく銃撃じゅうげきせんおもになり、モータリゼーションがすすんで「騎兵きへい部隊ぶたい」が名前なまえだけの存在そんざいになる)により、おおくのくにでは将校しょうこうじゅん士官しかんのサーベル(軍刀ぐんとう佩用はいよう正装せいそう礼装れいそうとき栄誉えいよれい観兵かんぺいしきなどの儀式ぎしきかぎられるようになり、その刀剣とうけんかならずしも真剣しんけんではなく模造もぞうがたな制作せいさく利用りようする場合ばあいてきた。

日本にっぽん

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りゃくがたないとぐちをつけた尉官いかんよう旧型きゅうがた軍刀ぐんとう尉官いかんようきん唐草からくさ模様もようがない
海軍かいぐん長剣ちょうけん海軍かいぐん旧型きゅうがた軍刀ぐんとうさやさめかわけん海軍かいぐん短剣たんけんたいして軍刀ぐんとう長剣ちょうけんぶ。
1937ねん当時とうじ日本にっぽん陸軍りくぐん手前てまえ歩兵ほへい連隊れんたいちょう日本にっぽんがたな仕込しこみのサーベル(明治めいじ19ねん制式せいしきがたな)をもって「がたな」の敬礼けいれい軍旗ぐんき敬礼けいれい

きゅう日本にっぽんぐんでは、明治めいじけんぐん当初とうしょ将校しょうこう帯刀たいとう本分ほんぶんしゃたる下士官かしかんへい上級じょうきゅう下士官かしかん騎兵きへい輜重しちょうへい憲兵けんぺいなど)が佩用はいよう装備そうびする軍刀ぐんとうとしてサーベルが採用さいようされた。この軍刀ぐんとうあつかいは、将校しょうこうよう兵器へいきではなく軍服ぐんぷくおなふくせい一部いちぶで、自弁じべん調達ちょうたつ必要ひつようがあったのにたいし、下士官かしかんへいよう官給かんきゅうひん兵器へいきであった。当初とうしょ外装がいそうのみならず刀身とうしんもサーベル(西洋せいようがた)であったが、日本人にっぽんじん片手かたてにぎり・とげきのうす刀剣とうけん馴染なじんでいなかったことや精神せいしんてき意味合いみあいから、将校しょうこうがサーベル外装がいそう日本にっぽんがたな仕込しこことおおかった。そのため明治めいじ中期ちゅうきごろには、陸軍りくぐん海軍かいぐんともに、片手かたてはんないし両手りょうて保持ほじできるながまもるこぶしそなえた「日本にっぽんがたな仕込しこみの将校しょうこうようサーベル」が登場とうじょうし、昭和しょうわ外装がいそう太刀たちかたあらためられるまで主用しゅようされていた。下士官かしかんへいよう軍刀ぐんとうも、1935ねん昭和しょうわ10ねん制式せいしきからは太刀たちがたさやのみサーベルがた)になった。一方いっぽう模造もぞう刀身とうしん仕込しこまれ、将校しょうこう常勤じょうきん演習えんしゅう佩用はいようした「指揮しきがたな」は片手かたてサーベル様式ようしきのままであった。

儀礼ぎれいがたなとしての片手かたてようサーベルは現在げんざい自衛隊じえいたいでも使用しようされている。

警察けいさつ

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19世紀せいきから20世紀せいき初頭しょとう中期ちゅうきごろまで、いくつかのくに警察けいさつでも警察官けいさつかん武器ぶきとして使用しようされたが、のちに人道的じんどうてき理由りゆうなどから徐々じょじょ警棒けいぼうなどにえられた。

日本にっぽん

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かわがたないとぐちされた官給かんきゅうひん巡査じゅんさサーベル。にはまもるこぶしいデザイン。つばきん無垢むく真鍮しんちゅうさやてつさやメッキ。巡査じゅんさサーベルはみじか脇差わきざしサイズ。外装がいそう会社かいしゃによりとう形状けいじょうちがいがある。
サーベルを明治めいじ時代じだい日本にっぽん警察官けいさつかん[13]

日本にっぽん警察けいさつ巡査じゅんさはじめて帯剣たいけんゆるされたのは1874ねん明治めいじ7ねん)8がつ5にちであるが、このときは一等いっとう巡査じゅんさ現在げんざい警部補けいぶほ相当そうとう)のみがゆるされ、とう巡査じゅんさ以下いか警棒けいぼう警杖携帯けいたいしていた。1877ねん明治めいじ10ねん)に西南せいなん戦争せんそう抜刀ばっとうたい活躍かつやくし、それをきっかけに警察けいさつ剣術けんじゅつ奨励しょうれいされたことなどにより、1883ねん明治めいじ16ねん)5がつ24にち下級かきゅう巡査じゅんさ帯剣たいけんできるようになった。幹部かんぶ刀身とうしん私物しぶつ日本にっぽんがたな場合ばあいもあり、外装がいそう高級こうきゅうであった[14]が、巡査じゅんさ官給かんきゅうひんのサーベル[15]おおかった。

戦前せんぜん戦中せんちゅう日本にっぽん警察官けいさつかん佩用はいようしていたサーベルは実戦じっせんてき武器ぶきとしてよりも国家こっか権力けんりょく権威けんい象徴しょうちょうという意味合いみあいがつよ[16][17][18]使用しようさいしては現在げんざい警察官けいさつかん拳銃けんじゅう使用しようするのとおなじぐらいきびしい制限せいげんがあった。このため、凶器きょうきった犯人はんにん素手すでらえようとして殉職じゅんしょくした警察官けいさつかんすくなくなかった。

だい世界せかい大戦たいせんこうも、治安ちあん維持いじ目的もくてき警察官けいさつかん帯剣たいけんみとめられていたが、進駐軍しんちゅうぐん兵士へいし警察官けいさつかんけん上陸じょうりく記念きねんひんとしてしがり強奪ごうだつする事件じけん相次あいついだ。 昭和しょうわ20ねん12月に、鹿児島かごしまけん鹿屋かのや農業のうぎょういとな男性だんせいから警察官けいさつかん佩剣はいけん禁止きんし請願せいがん[19]だいはちじゅうきゅうかい帝国ていこく議会ぎかい衆議院しゅうぎいん提出ていしゅつされ、昭和しょうわ21ねん7がつ31にち[20][注釈ちゅうしゃく 2]をもって日本にっぽん警察けいさつはサーベル・短剣たんけん廃止はいしし、警棒けいぼう自動じどうしきないし回転かいてんしき拳銃けんじゅう装備そうびするようになった。

武器ぶき以外いがいとして

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このサーベルから派生はせいした武器ぶきが、夏季かきオリンピック競技きょうぎひとつであるフェンシングにおいてサーブルフランス語ふらんすご: sabre)の名前なまえ使つかわれている。

また、現代げんだいでは、カラーガードおど小道具こどうぐとしても使用しようされている。

軍人ぐんじん結婚式けっこんしきにおいてサーベルでアーチをつく伝統でんとうがある(サーベルアーチ英語えいごばん

派生はせい

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 刃渡はわたりは806㎜から860㎜がこのましいとされる。
  2. ^ ただし昭和しょうわ21ねん7がつ31にち官報かんぽう警察官けいさつかんおよ消防しょうぼう官服かんぷくせいには「從前じゅうぜん規定きていによる制服せいふくは、當分とうぶんあいだ、なほこれをもちいひることができる。ただし、別表べっぴょう備考びこうだいろくごう規定きていする場合ばあいのぞいては、かたなまた短刀たんとうは、これを佩用はいようできない。(217p)」とあり、備考びこうだいろくごうでは「警備けいびじょう特別とくべつ必要ひつようがあるときは、當分とうぶんあいだ從前じゅうぜん規定きていによるかたなまた短刀たんとう佩用はいようすることができる。(218p)」とある。また「日本にっぽん警察けいさつ沿革えんかく : 維新いしんから終戦しゅうせんまで(内務省ないむしょう警保きょく昭和しょうわ21ねん10がつ)」によれば「さら終戰しゅうせん警察けいさつ民衆みんしゅうさけばれいちめん兇悪きょうあく犯罪はんざいだい規模きぼ頻發ひんぱつするにおよ全國ぜんこく警察けいさつ官吏かんりおびつるぎはい拳銃けんじゅう携行けいこうせしむべく企圖きとされつゝある。(19p)」とある。なお、昭和しょうわ22ねんにはきゅう警察けいさつほう昭和しょうわ22ねん12月17にち法律ほうりつだい196ごう)が施行しこうされて昭和しょうわ29ねん現行げんこう警察けいさつほう施行しこうされるまでは自治体じちたい警察けいさつとなっており、装備そうびかんする規定きてい従前じゅうぜんのものが適用てきようされたとかんがえられる。最終さいしゅうてき昭和しょうわじゅう九年政令第百五十一号警察法施行令(政令せいれい)、だいきゅうじょうにおいて警察官けいさつかん貸与たいよされる装備そうびひんからかたなのぞかれている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 市川いちかわじょうはる. 武器ぶき防具ぼうぐ 西洋せいようへん. しん紀元きげん文庫ぶんこ 
  2. ^ a b c d e f g 図解ずかい ナポレオンの時代じだい 武器ぶき防具ぼうぐ戦術せんじゅつ大全たいぜん. レッカしゃ 
  3. ^ a b 武器ぶき. マールしゃ 
  4. ^ a b c ハーピー・J・S・ウィザーズ. 世界せかい刀剣とうけん歴史れきし図鑑ずかん. はら書房しょぼう 
  5. ^ 松村まつむら劭. 戦争せんそうがく. 文春ぶんしゅん新書しんしょ 
  6. ^ 戦闘せんとう技術ぎじゅつ歴史れきし3 近世きんせいへん. そうもとしゃ 
  7. ^ 市川いちかわじょうはる. 武器ぶき事典じてん. しん紀元きげんしゃ 
  8. ^ a b 戦闘せんとう技術ぎじゅつ歴史れきし4 ナポレオンの時代じだいへん. そうもとしゃ 
  9. ^ 戦略せんりゃく戦術せんじゅつ兵器へいき事典じてん3 ヨーロッパ近代きんだいへん. 学研がっけん 
  10. ^ R・G・グラント. 兵士へいし歴史れきし大図おおずあきら. そうもとしゃ 
  11. ^ a b c d R・G・グラント. 戦争せんそう世界せかい大図おおずあきら. 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 
  12. ^ 武器ぶき防具ぼうぐ 中国ちゅうごくへん. しん紀元きげんしゃ 
  13. ^ 写真しゃしんでみる神奈川かながわけん警察けいさつ歴史れきし らそつ当時とうじ警察官けいさつかん明治めいじねん
  14. ^ 警察けいさつ佩刀はかせ筑前ちくぜんこくじゅう ひだり 安廣やすひろ
  15. ^ 巡査じゅんさサーベル
  16. ^ 明治めいじじゅうななねんいちがつ内務省ないむしょうたちおつさんごう巡査じゅんさ帯剣たいけん心得こころえかた
  17. ^ 陸軍りくぐん戸山とやまりゅう検証けんしょうする日本にっぽんがたな真剣しんけんり』(並木なみき書房しょぼう、2006ねん)19-20ページ参照さんしょう
  18. ^ 三重みえけん警察けいさつ だいさんかん』(三重県警察本部警務部警務課、昭和しょうわ41ねん)585ページ参照さんしょう
  19. ^ 官報かんぽう1945ねん12がつ20日はつか146p (特別とくべつ報告ほうこくだいろくさんごう)警察官けいさつかん佩劍はいけん廢止はいしせきスル請願せいがん
  20. ^ 官報かんぽう1946ねん7がつ31にち 217p-218p 警察官けいさつかんおよ消防しょうぼう官服かんぷくせい昭和しょうわ21ねん7がつ31にちみことのりれいだい367ごう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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