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舎利しゃりどる

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舎利しゃりどる

Śāriputra、Śāradvatīputra(梵)

Sāriputta(ともえ
釈迦十大弟子像 舎利弗尊者、快慶作
釈迦しゃかじゅうだい弟子でしぞう 舎利しゃりどる尊者そんじゃ快慶かいけいさく
幼名ようみょう ゆう抵沙(ウパティッサ)
尊称そんしょう 智慧ちえだいいち
生地きじ マガダこくナーランダーけん
ぼつ マガダこくナーランダーけん
宗派しゅうは 初期しょき仏教ぶっきょう

サンジャヤ・ベーラッティプッタろく外道げどう

釈迦しゃかほとけ仏教ぶっきょう
弟子でし 睺羅(ラーフラ)
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舎利しゃりどる(しゃりほつ、: ŚāriputraŚāradvatīputra[1]ともえ: Sāriputta)は仏教ぶっきょう開祖かいそ釈迦しゃかほとけじゅうだい弟子でし一人ひとりである。

梵語ぼんごめいシャーリプトラのシャーリ(ともえ: サーリ)は母親ははおや名前なまえ「シャーリー(鶖鷺)」からられており、プトラ(ともえ: プッタ)は「息子むすこ」を意味いみするため、かんやくでは舎利しゃり(しゃりし)や鶖鷺(しゅうろし)とも表記ひょうきされる。

舎利しゃりどる釈迦しゃか直弟子じきでしなかでもうえくびした。とくじゅうだい弟子でし筆頭ひっとうげられ智慧ちえだいいちしょうされ、親友しんゆうかつ修行しゅぎょうしゃとして同期どうきであった神通じんずうだいいちれんあわせてだい弟子でしともばれる。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

インド、ビハールしゅう、ナーランダーてら舎利しゃりどるのストゥーパ

舎利しゃりどるきたインドのマガダこく首都しゅとおうしゃじょうラージャグリハ北部ほくぶナーラカむら出身しゅっしん司祭しさい階級かいきゅうバラモン)の家柄いえがらであり、幼名ようみょうはウパティッサ(ともえ: Upatissa[2]といった。

かれ生来せいらい聡明そうめいであったのでバラモンの跡継あとつぎとして期待きたいされながらヴェーダ聖典せいてん着実ちゃくじつおさめていたが、次第しだいバラモン教ばらもんきょうへの不信ふしんかんつのらせるようになり、となりむらんでいた親友しんゆうれんともバラモン教ばらもんきょうにとらわれず自由じゆう思考しこうめぐらせて真実しんじつ理法りほうもとめる出家しゅっけ修行しゅぎょうしゃ、すなわち沙門しゃもんになった。はじにんおうしゃじょうせていた自由じゆう思想家しそうかろく外道げどう)の一人ひとり不可知論ふかちろんしゃサンジャヤ・ベーラッティプッタ師事しじする。舎利しゃりどるはすぐにサンジャヤの教義きょうぎ体得たいとくしてサンジャヤ教団きょうだん高弟こうていとなったが、ある釈迦しゃか弟子でし一人ひとりアッサジ(おもね説示せつじ出会であい、アッサジをつうじて釈迦しゃかおしえの一部いちぶ[3]いたとたんにあずかりゅうはてさとりの最初さいしょ段位だんい)にたっしたとつたえられる。舎利しゃりどるれん相談そうだんして釈迦しゃか教団きょうだんへの改宗かいしゅう決断けつだんすると、サンジャヤ教団きょうだん弟子でし信徒しんと250にんにん追従ついしょうしてサンジャヤのしたはなれて、釈迦しゃかぼとけ帰依きえした。おうしゃじょう名声めいせい勢力せいりょくほこっていたサンジャヤ教団きょうだんから高弟こうてい2人ふたり徒弟とてい250にん離脱りだつしたことにたいする世間せけん動揺どうようおおきく、釈迦しゃか教団きょうだん存在そんざいわた一因いちいんにもなった。

釈迦しゃか弟子でしとなった舎利しゃりどるはすぐに最高さいこうさと教団きょうだんうえくびとなった。釈迦しゃかからの信任しんにんあつく、ときには釈迦しゃかわって説法せっぽうゆだねられることもあり、釈迦しゃか実子じっしである睺羅(ラーフラ)師僧しそうまかされていた。またあるとき教団きょうだんうえくび一人ひとりデーヴァダッタ(ひさげばばたちほう臈のあさ比丘びく500にんぞうあたま(ガヤ)やまこも釈迦しゃか教団きょうだんからの分離ぶんり独立どくりつはかった事件じけんやぶ和合わごうそうざい)では、そこに舎利しゃりどる出向でむいて説法せっぽうをしたことによって下臈げろう比丘びくたちをもどすことに成功せいこうしており、そのさいかれ説法せっぽうをしたとききたブロッケン現象げんしょう比丘びくたちがおどろいたことがもど契機けいきになったともいわれる。

舎利しゃりどるれんだい弟子でしは、釈迦しゃかよりも年長ねんちょうではあったものの教団きょうだん後継こうけいしゃになるであろう人物じんぶつとして注目ちゅうもくされていた。しかしさい有力ゆうりょくとされたれん外道げどう撲殺ぼくさつされてしまい、相次あいついで舎利しゃりどるもまた晩年ばんねんおもやまいかかると、釈迦しゃかゆるしを侍者じしゃチュンダとともにナーラカむら(Nālakagāma)[4]帰郷ききょうし、はは看取みとられながら病没びょうぼつした[5]実際じっさい釈迦しゃか入滅にゅうめつ教団きょうだん後継こうけいしゃとなったのはじゅうだい弟子でし頭陀ずだだいいちしょうされた訶迦であった。

家族かぞく[編集へんしゅう]

かれ親族しんぞく兄弟きょうだい、またそれらの名前なまえなどはしょけいによって差異さいがある。それぞれ、

  1. ちちヴァンガンタ(Vanganta)[6]ははルーパサーリー(Rūpasārī)[4]したに、男子だんしウパティッサ舎利しゃりどる)、ウパセーナ(Upasena)、マハーチュンダ(Mahācunda)、末弟ばっていレーヴァタ・カディラヴァニヤ(Revata Khadiravaniya, はなればばおお[7]女子じょしいもうとチャーラー(Cālā)[8]、ウパチャーラー(Upacālā)[9]、シスーパチャーラー(Sisūpacālā)[10]という7にん兄弟きょうだい姉妹しまいであった。(ダンマパダやテーラガーターのせつ)。
  2. ちちだんじょう耶那(檀那だんなたち、ダーニャヤナ)のしたに、ゆうてい舎利しゃりどる)、だいひざ訶・倶絺)、じゅん陀(ふつ入滅にゅうめつじゅん陀とは別人べつじん)、きょうまた頡利拔多(レーヴァタ)、闡陀、閻浮呵迦、憍陳あまいたるはなれしゃはちなん、またいちじょしかばねわたる迦がいたとする。(『ふつほんぎょうしゅうけい』47のせつ
  3. 父母ちちはは記載きさいなし、長男ちょうなんからじゅんに、いたるいたるゆうなみたち、抵沙、ゆう抵沙舎利しゃりどる)、頡利拔多、ゆうなみはなれ拔多とする。(訶僧祇師せつせつによる)
  4. ちちそこすなはは鸚鵡おうむ祖父そふ吒羅、鄔波ていすな舎利しゃりどる)とする。(ゆう出家しゅっけごとせつ
  5. ははサーリーのに、ダルマ、ウパダルマ、サタダルマ、シャハスラダルマ、ティッシャ、ウパティッシャ舎利しゃりどる)とする。(マハーヴァストゥせつ

なお、

  • ゆう出家しゅっけごと、『大智たいちろん』は訶・倶絺ながつま梵士として、舎利しゃりどる叔父おじとする。
  • ふつほんぎょうしゅうけい』ではだいひざ(倶絺)を舎利しゃりどるおとうととする。
  • パーリ文献ぶんけんでは、訶倶絺羅をながつま梵士と関係かんけいせしめず、ちょうつめ舎利しゃりどるおいとする。
  • テーリーガーター(長老ちょうろうあま)では、チャーラー、ウパチャーラー、シスーパチャーラーはみな釈迦しゃかぼとけ帰依きえし、比丘尼びくにとして出家しゅっけしたとされる。

大乗だいじょう経典きょうてん舎利しゃりどる[編集へんしゅう]

釈迦しゃかからおしえをける舎利しゃりどる。『法華ほっけ自我じがしょう続編ぞくへん』1818ねん

般若はんにゃけい』などの大乗だいじょう経典きょうてんにおいて、舎利しゃりどる声聞しょうもんじょう(śrāvakayāna)[11]代表だいひょうしゃ聴衆ちょうしゅう代弁だいべんしゃとして、ふつ菩薩ぼさつ対話たいわをする役割やくわりにな人物じんぶつとして登場とうじょうすることがおおい。

般若はんにゃ波羅蜜はらみつしんけい』 4ぎょうと8ぎょう最初さいしょ舎利しゃり文字もじがある。
法華経ほけきょう方便ほうべんひんだい(「じゅう如是にょぜ」まで)。わずか292のうち「舎利しゃりどる」が5かいてくる
  • 法華経ほけきょう』のだいさんしょう譬喩ひゆひん」において、舎利しゃりどる釈迦牟尼しゃかむにほとけからさくぼとけべつさずかった。いわ舎利しゃりどるは、延々のびのび来世らいせにおいても修行しゅぎょうはげつづけて、そのさいすえ凡夫ぼんぷとしての最後さいご転生てんせい)においていちこく王子おうじとしてまれてもなおすべてをすて出家しゅっけ修行しゅぎょうすると、ついに成仏じょうぶつたして「はなひかり」(けこう, 梵:Padmaprabha パドマプラバ[12])というふつさく(な)ることが予言よげんされている。はなひかり如来にょらい浄土じょうどは「はなれあか」、その時代じだいは「大宝たいほう荘厳しょうごん」とごうされる。はなひかり如来にょらい後継こうけいとなる弟子でしけんまん菩薩ぼさつ(Dhṛti-paripūrṇa ドリティパリプールナ)といい、かれもまたはなあし安行あんぎょうふつ(Padma-vṛṣabha-vikrāmin パドマヴリシャバヴィクラーミン[13])とばれるほとけるという。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 蒋忠しん, 大江おおえ平和へいわ梵文ぼんぶん法華経ほけきょうのテキストにかんする若干じゃっかん問題もんだい特集とくしゅう法華経ほけきょう」とシルクロード)」『東洋とうよう学術がくじゅつ研究けんきゅうだい38かんだい1ごう東洋とうよう哲学てつがく研究所けんきゅうじょ、1999ねん5がつ、184-170ぺーじISSN 02876086NAID 40002651597 
  2. ^ 1. Sāriputta Thera - Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
  3. ^ そのときおもね説示せつじ舎利しゃりどるかたったのが「縁起えんぎほう」だとされる。『縁起えんぎほう頌・・・諸法しょほういんよりしょうじる。それら諸法しょほうよし如来にょらいいた。また、それら諸法しょほうめつをも。だい沙門しゃもんはこのようにきたもう。(律蔵りつぞうだいしな』)』
  4. ^ a b Rūpasārī - Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
  5. ^ 田上たうえふとししゅう (監修かんしゅう)『いちばんやさしい ブッダのおし』、西東さいとうしゃ、2014ねん5がつISBN 978-4791622870、pp. 102-103
  6. ^ Vanganta - Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
  7. ^ 3. Revata (called Khadiravaniya) - Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
  8. ^ 1. Cālā Therī - Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
  9. ^ 1. Upacālā - Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
  10. ^ Sīsupacalā Therī - Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
  11. ^ 小乗しょうじょうhīnayāna)ともばれるが、ヒーナ(hīna)は「てられた、いやしい」を意味いみし、蔑称べっしょうであることに注意ちゅうい
  12. ^ 紅蓮ぐれん光輝こうきをもつもの」の。『妙法みょうほう蓮華れんげけい』では「はなひかり如来にょらい」、『せい法華経ほけきょう』では「蓮華れんげこう如来にょらい」とかんやくされる。(坂本さかもと幸雄ゆきお岩本いわもとひろし 訳注やくちゅう法華経ほけきょううえ)』ワイドばん岩波いわなみ文庫ぶんこ41,岩波書店いわなみしょてん,1991ねん6がつ26にち,393ぺーじ
  13. ^ けんまん」は「決心けっしん完全かんぜん成就じょうじゅしたもの」の。「はなあし安行あんぎょう」は「紅蓮地獄ぐれんじごく雄々おおしくえてもの」のであり、『せい法華経ほけきょう』では「蓮華れんげかい」とかんやくされる。(坂本さかもと岩本いわもと法華経ほけきょううえ)』,394ぺーじ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]