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無明むみょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
仏教ぶっきょう用語ようご
無明むみょう
パーリ avijjā
(Dev: अविज्जा)
サンスクリット avidyā
(Dev: अविद्या)
チベット མ་རིག་པ
(Wylie: ma rig pa;
THL: ma rigpa
)
ビルマ အဝိဇ္ဇာ
(IPA: [əweɪʔzà])
中国ちゅうごく 無明むみょう
(拼音wú míng)
日本語にほんご 無明むみょう
(マ字まじ: mumyō)
朝鮮ちょうせん (Hangeul) 무명
(Hanja) 無明むみょう

(RR: mu myeong)
英語えいご ignorance, spritual ignorance[1]
クメール អវិជ្ជា
(Avichea)
シンハラ අවිද්යා
タイ อวิชชา
ベトナム vô minh
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無明むみょう(むみょう、: avidyā)とは、仏教ぶっきょう用語ようごで、無知むちのこと[2][3][4][1]。とくに仏教ぶっきょうほう真理しんり)にくらいことをいう[1]

この概念がいねんは、形而上学けいじじょうがくてき世界せかい性質せいしつ、とりわけ世界せかい無常むじょうおよび無我むがであることの教義きょうぎについての無知むち[3][5][6]無明むみょう根源こんげんであり、最初さいしょ因縁いんねんむすびつき、かえ転生てんせいはじまりとなる[7]

無明むみょう仏教ぶっきょうおしえのなかで、様々さまざま文脈ぶんみゃくでの無知むち誤解ごかいとしてげられている。

概説がいせつ

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無常むじょうなものにつねをいだき、であるものにらくをいだき、無我むがなものにをいだき、不浄ふじょうなものにきよしをいだく。[11]

無明むみょうとは情報じょうほう欠如けつじょではなく「現実げんじつについての根深ねぶか部分ぶぶんでの誤解ごかい」であると、ピーター・ハーヴェイはべている[8]じゅう因縁いんねんでは、すべてのは、無明むみょうまよい)を原因げんいんとする煩悩ぼんのうから発生はっせいし、智慧ちえによって無明むみょうやぶることにより消滅しょうめつするとく。

わがというものが存在そんざいするという見解けんかいゆう)も無明むみょうである。無常むじょうであるものを常住じょうじゅうるが、それがうしなわれるとくるしみをしょうじる。すべてのくるしみはこの無明むみょう原因げんいんとして発生はっせいするとく。このくるしみを消滅しょうめつする方法ほうほうは、初期しょき経典きょうてんには定型ていけい文句もんくとして四諦したいはち正道せいどうであるとかれている[12]。この四諦したい、およびその意味いみ理解りかいしていないことも無明むみょうである[13]

四諦したいについての無知むち

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無明むみょう滅尽めつじんによって滅尽めつじんがあると[1]

Yaṃ kho bhikkhu, dukkhe aññāṇaṃ, dukkhasamudaye aññāṇaṃ, dukkhanirodhe aññāṇaṃ, dukkhanirodhagāminiyā paṭipadāya aññāṇaṃ ayaṃ vuccati bhikkhu, avijjā, ettāvatā ca avijjāgato hoti.

比丘びくたちよ、たいする無知むちしゅうたいする無知むちめつたいする無知むちめつみちびみちたいする無知むち[注釈ちゅうしゃく 1]
比丘びくたちよ、これらを無明むみょうという。これらのてんをもって、無明むみょういたったものということができる。

パーリ仏典ぶってん, 経蔵きょうぞう相応そうおうみち相応そうおう無明むみょうひん 無明むみょうけい Avijjāsuttaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project [1]

は「なり」と如実にょじつ知見ちけんし、「しゅうなり」と如実にょじつ知見ちけんし、「めつなりと如実にょじつ知見ちけんし、「めつみちびみちなり」と如実にょじつ知見ちけんせり。「とうなり」と如実にょじつ知見ちけんし、「しゅうなり」と如実にょじつ知見ちけんし、「うらめつなり」と如実にょじつ知見ちけんし、「めつみちびみちなり」と如実にょじつ知見ちけんせり。

ごとこれごとるがゆえに、しんほしより解脱げだつゆうより解脱げだつ無明むみょうより解脱げだつして、「解脱げだつおい解脱げだつせり」のさとししょうじ、「せいきぬ、梵行はしゅうせられたり、すべきはされたり、さらせいを受くることなし」と知見ちけんせり。婆羅門ばらもん、これよる後刻ごこくおいて、わがだいさん智慧ちえ體得たいとくし、無明むみょうりてあかりやみりてあかりたるなり。

みなみでん大蔵経だいぞうきょう 律蔵りつぞう 大分おおいたべつ だいいち不浄ふじょう戒 p.8

転生てんせいはじまり

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  じゅう因縁いんねん  
無明むみょう無知むち
くだり
名色なしき
ろくしょ
さわ
あい
ゆう存在そんざい
せい誕生たんじょう
老死ろうしいと
 

じゅう因縁いんねんにおいて、最初さいしょ要因よういんである[15]清浄せいじょうどうろんにおいては、じゅうなかさい重要じゅうようであるとの位置いちづけであり、時間じかんてき最初さいしょこったものではないとブッダゴーサ注記ちゅうきしている[15]はじめ(Anamataggo)とは「はじまりがることができない」との意味いみ[15]

Anamataggoyaṃ bhikkhave saṃsāro. Pubbākoṭi na paññāyati avijjānīvaraṇānaṃ sattānaṃ taṇhāsaṃyojanānaṃ sandhāvataṃ saṃsarataṃ.

比丘びくたちよ、この輪廻りんねはじめ(Anamataggo)である。無明むみょうというぶたがあって、渇愛むすびいて流転るてんする衆生しゅじょうらの輪廻りんねわりは、ることができない。

Avijjānīvaraṇassa bhikkhave, paṇḍitassa taṇhāya sampayuttassa evamayaṃ kāyo samudāgato.
比丘びくたちよ、愚者ぐしゃには無明むみょうというぶたがあって、渇愛むすびついたため、いまこのような身体しんたい(kaya)がまれたのである。

Na hi bhikkhave, bālo acari brahmacariyaṃ sammā dukkhakkhayāya. Tasmā bālo kāyassa bhedā kāyūpago hoti. So kāyūpago samāno na parimuccati jātiyā jarāmaraṇena sokehi paridevehi dukkhehi domanassehi upāyāsehi na parimuccati dukkhasmā'ti vadāmi.
比丘びくたちよ、愚者ぐしゃまさしく滅尽めつじんするための、清浄せいじょうぎょうおこなっていないのだ。それゆえ愚者ぐしゃは、身体しんたい崩壊ほうかいしても、あらたな身体しんたい存在そんざいし、あらたな身体しんたいいたるため、なま老死ろうし・悲・悲嘆ひたんゆう・悩より解放かいほうされず、より解放かいほうされないとわたしく。

煩悩ぼんのうのひとつとして

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仏典ぶってんにおいては、熟語じゅくごされた煩悩ぼんのうとして記載きさいされる[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ この一文いちぶん四諦したいについての「無知むち」を「さとし」にえたものは、せいをさす[14]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 服部はっとりひろしみず原始げんし仏教ぶっきょうける無明むみょう (avijja) の語義ごぎいて」『パーリがく仏教ぶっきょう文化ぶんかがくだい10かん、1997ねん、105-111ぺーじ 
  2. ^ Keown 2013, p. 73.
  3. ^ a b Trainor 2004, p. 74.
  4. ^ Robert Buswell & Donald Lopez 2013, pp. 1070.
  5. ^ Dan Lusthaus (2014). Buddhist Phenomenology: A Philosophical Investigation of Yogacara Buddhism and the Ch'eng Wei-shih Lun. Routledge. pp. 533–534. ISBN 978-1-317-97342-3. https://books.google.com/books?id=j0TKAgAAQBAJ 
  6. ^ Conze 2013, pp. 39–40.
  7. ^ David Webster (31 December 2004). The Philosophy of Desire in the Buddhist Pali Canon. Routledge. p. 206. ISBN 978-1-134-27941-8. https://books.google.com/books?id=S89fgAUG2AEC 
  8. ^ a b Harvey 1990, p. 67.
  9. ^ パーリ仏典ぶってん, 経蔵きょうぞう相応そうおうみち相応そうおう, 無明むみょうけい Avijjāsuttaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project
  10. ^ パーリ仏典ぶってん, 相応そうおう 46.さとしささえ相応そうおう 暴流ひん, Sri Lanka Tripitaka Project
  11. ^ パーリ仏典ぶってん, ぞう支部しぶよんしゅうあかひん, 顚倒けい, Sri Lanka Tripitaka Project
  12. ^ はつてん法輪ほうりん, パーリ仏典ぶってん, だい犍度, Sri Lanka Tripitaka Project
  13. ^ Ajahn Sucitto (2010). Turning the Wheel of Truth: Commentary on the Buddha's First Teaching. Shambhala, Kindle Locations 1125-1132.
  14. ^ パーリ仏典ぶってん, 相応そうおうみち相応そうおう 無明むみょうひん 8.分別ふんべつけい, Sri Lanka Tripitaka Project
  15. ^ a b c 佐々木ささきげんじゅん「「はじめらい」 の原語げんご思想しそう--anamatagga と anādikāla」『大谷おおやまなぶほう』1978ねん 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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