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あずかりゅう

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仏教ぶっきょう用語ようご
あずかりゅう
パーリ Sotapanna
サンスクリット स्रोत आपन्न
(IAST: Srotāpanna)
チベット རྒྱུན་ཞུགས
(rgyun zhugs[1])
中国ちゅうごく いれりゅう, 預入よにゅう, 須陀洹
(拼音rùliú)
日本語にほんご あずかりゅう
(マ字まじ: Yoru)
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あずかりゅう(よる、ともえ: sotāpanna ソーターパンナ, : srotāpanna スローターパンナ, स्रोत आपन्नおとうつし:須陀洹〈しゅだおん〉)とは、仏教ぶっきょうにおいて聖者せいじゃながれにはいったものであり[2]ほう(ダルマ)をいてさんゆいったものである。よんこうよんはて最初さいしょ段階だんかい[3][4]

あずかりゅう(sotāpanna)とは「ながれ(sota)にはいったもの(āpanna)」という意味いみであり、はち正道せいどうかわ涅槃ねはんをたどり広大こうだいうみとしてたとえたものである[5]

あずかりゅうはてたっすると退転たいてんすることなく、最大さいだいでも7かい人間にんげんかい天界てんかい往来おうらいするだけでさとたっする[4][6]

あずかりゅうはてぜん段階だんかいには、ほう随行ずいこう(dhammānusārī; ずいほうぎょう)としん随行ずいこう(saddhānusārī; ずい信行のぶゆき)の2つがなな聖者せいじゃひとつとしてしめされている[7][8]

原始げんし仏教ぶっきょう[編集へんしゅう]

原始げんし仏教ぶっきょうでは、ゆう(うしんけん)、戒禁(かいごんじゅけん)、うたぐの、さんゆいだんじたものくらいであった[9][10][4]

Evametaṃ bhikkhave sammā sīhanādaṃ nadatha. Katamo ca bhikkhave samaṇo?
Idha bhikkhave bhikkhu tiṇṇaṃ saṃyojanānaṃ parikkhayā sotāpanno hoti avinipātadhammo niyato sambodhiparāyaṇo. Ayaṃ bhikkhave samaṇo.

比丘びくたちよ、以下いかのようにただしく獅子吼ししくしなさい。比丘びくたちよ、いかなるものがだいいち沙門しゃもんなのか。
比丘びくたちよ、ここに比丘びくがいて、さんゆい滅尽めつじんによってあずかりゅうとなり、真理しんりからちないほうゆうするもの、正覚しょうがくへのいたりが決定けっていしている、 比丘びくたちよ、これがだいいち沙門しゃもんである。[4]

  1. ゆう - 五蘊ごうんわがとみなす見解けんかい(diṭṭhi)がられる。
  2. 戒禁 - なにかんがえず儀礼ぎれいをこなしたり、単純たんじゅん道徳どうとく固執こしつしたり、神頼かみだのみによって清浄せいじょうになるというかんがえの根絶こんぜつ
  3. うたぐ - 釈迦しゃか釈迦しゃかおしえ(ダルマ)、比丘びく共同きょうどうたいサンガ)、これら三宝さんぽうへのうたがいが根絶こんぜつされる。

上座かみざ仏教ぶっきょう理論りろんによると、釈迦しゃか涅槃ねはんの5000ねん以内いないに、よんねんしょ修行しゅぎょうによって、真理しんりさとり、あずかりゅうはて阿羅漢あらかんいたります。つ、よんねんしょ修行しゅぎょうさとりになる唯一ゆいいつ方法ほうほうです。

四預流支[編集へんしゅう]

四預流支とは、あずかりゅうはていたるまでの4ステップのこと[11]キーターギリけいなどにかれる。

Cattāro me bhikkhave, dhammā bhāvitā bahulīkatā sotāpatti phalasacchikiriyāya saṃvattanti. Katame cattāro:
sappurisasaṃsevo saddhammasavanaṃ yonisomanasikāro dhammānudhammapaṭipatti.
Ime kho bhikkhave, cattāro dhammā bhāvitā bahulīkatā sotāpattiphalasacchikiriyāya saṃvattantīti.

比丘びくたちよ、これらよっつのほう修習しゅうしゅうされおさむされると、あずかりゅうはて実証じっしょうてんじる。いかなるよんか。
善人ぜんにん親近しんきん正法しょうぼう聴聞ちょうもん、如理作意さくいほうずいほう実践じっせんである。
比丘びくたちよ、これらよっつのほう修習しゅうしゅうされおさむされると、あずかりゅうはて実証じっしょうてんじる。

  1. ぜん親近しんきん (Sappurisa-Samseva) - 師匠ししょうちかづいて、けいつかえる[11]
  2. 正法しょうぼう聴聞ちょうもん (Saddhamma-Savana) - おしえにみみかたむけてほうき、記憶きおくする[11]
  3. 如理作意さくい (Yoniso-manasikāra) - おそわって記憶きおくした、ほう意義いぎ考察こうさつして理解りかいする[11]
  4. ほうずいほうぎょう (Dhammānudhamma-ppaṭipatti) - 理解りかいしたおしえを実践じっせんする[11]

仏教ぶっきょう[編集へんしゅう]

倶舎ろんでは、どうにおいて惑のはちじゅうはちずいねむ(ずいめん)煩悩ぼんのうことわったものるとしている。

あずかりゅうはて[編集へんしゅう]

あずかりゅうはてたっすると、よん悪趣あくしゅちなくなり、ろく重罪じゅうざいおかすことができなくなる[4][6]

Ye ariyasaccāni vibhāvayanti Gambhīrapaññena sudesitāni
Kiñcāpi te honti bhusappamattā Na te bhavaṃ aṭṭhamaṃ ādiyanti,

ふか智慧ちえによりまさしくかれたる(よんひじりたい実践じっせんするものたち(あずか流者ながれもの)は、
たとい(のちに)おおいに放逸ほういつになろうとも、はちかいの(てんせいせることらず。

Sahāvassa dassanasampadāya Tayassu dhammā jahitā bhavanti,
Sakkāyadiṭṭhi vicikicchitañca Sīlabbataṃ vāpi yadatthi kiñci,
Catūhapāyehi ca vippamutto Cha cābhiṭhānāni abhabbo kātuṃ

知見ちけん四聖しせいたい明知めいち)の成就じょうじゅともに、以下いかみっつのもの(煩悩ぼんのう)はられたことになる。
ゆううたぐ、あらゆる戒禁なり。
またよん悪趣あくしゅおちいることを離脱りだつし、ろく重罪じゅうざいをなすことはあたわず。

パーリ仏典ぶってん, スッタニパータ たからけい だいきゅう, Sri Lanka Tripitaka Project [4][6]

四預流果支[編集へんしゅう]

四預流果支とは、すであずかりゅうはていたっているものそなえている、4つの特徴とくちょうのこと[11]

Catūhi bhikkhave, dhammehi samannāgato ariyasāvako sotāpanno hoti avinipātadhammo niyato sambodhiparāyano.
比丘びくたちよ、以下いかよっつを具足ぐそくしたせいなる弟子でしあずか流者ながれものである。悪趣あくしゅちることがなくなり、さとりを正覚しょうがくいたこと決定けっていしている。

  • 仏陀ぶっだたいして完璧かんぺき信頼しんらい具備ぐびしている[11]
  • ほうたいして完璧かんぺき信頼しんらい具備ぐびしている[11]
  • そうとぎたいして完璧かんぺき信頼しんらい具備ぐびしている[11]
  • 聖者せいじゃらがたのしんでいる、禅定ぜんじょうみちびそなえている[11]

抜粋ばっすい[編集へんしゅう]

地上ちじょうにおけるいちこくおうになることよりも、天上てんじょういたることよりも、この世界せかい君主くんしゅになることよりも、あずかりゅうはてのほうがすぐれている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Meditative States in Tibetan Buddhism By Lati Rinpoche, Denma Locho Rinpoche, Leah Zahler, Jeffrey Hopkins. pg 63
  2. ^ Definition of a Buddhist”. The Dhamma. 2022ねん9がつ閲覧えつらん
  3. ^ Sujato, Bhikkhu. “A Swift Pair of Messengers”. Santipada. 2012ねん8がつ閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f 藤本ふじもとあきらちょさとりの4つのステージ : あずかりゅうはていちらいはてかえはて阿羅漢あらかんはて』サンガ、2015ねん11月、Chapt.3。ISBN 9784865640267 
  5. ^ Intro the Stream: A Study Guide on the First Stage of Awakening”. Access to Insight. 2022ねん9がつ閲覧えつらん。 “Very good, Sariputta! Very good! This noble eightfold path — right view, right resolve, right speech, right action, right livelihood, right effort, right mindfulness, right concentration — is the stream.”
  6. ^ a b c アルボムッレ・スマナサーラ『たからけい法話ほうわ日本にっぽんテーラワーダ仏教ぶっきょう協会きょうかい、2015ねん12月。ASIN B0188R7QVWhttps://j-theravada.net/dhamma/sehonbunko/takarakyou/ 
  7. ^ パーリ仏典ぶってん, 中部ちゅうぶキーターギリけい, Sri Lanka Tripitaka Project
  8. ^ 藤本ふじもとあきらちょさとりの4つのステージ : あずかりゅうはていちらいはてかえはて阿羅漢あらかんはて』サンガ、2015ねん11月、Chapt.7。ISBN 9784865640267 
  9. ^ Thanissaro Bhikkhu. “Stream Entry”. Access to Insight. 2009ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  10. ^ Thanissaro Bhikkhu. “The Noble Eightfold Path”. Access to Insight. 2009ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d e f g h i j 藤本ふじもとあきらちょさとりの4つのステージ : あずかりゅうはていちらいはてかえはて阿羅漢あらかんはて』サンガ、2015ねん11月、Chapt.7。ISBN 9784865640267 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]