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ジャーティ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャーティ: Jāti、「出自しゅつじ」・「まれ」の)とは、インド大陸たいりく地域ちいき社会しゃかいにおいて実際じっさいカースト制度せいど基礎きそとなる共同きょうどうたい単位たんいであり、ヒンドゥー日常にちじょう生活せいかつにおいて現実げんじつてき独自どくじ機能きのうたす排他はいたてき職業しょくぎょう地縁ちえん血縁けつえんてき社会しゃかい集団しゅうだん階層かいそうしめ用語ようごである[1]

インド社会しゃかいにおいて、現在げんざいでもうちこん集団しゅうだんとして機能きのうしており、その範囲はんいないにおけるきよしせい共有きょうゆうし、みずのやりりや共食ともぐい婚姻こんいん許容きょようする集団しゅうだんであり、また、しゅとして男系だんけいをたどる職業しょくぎょう継承けいしょうたいでもある[2]ネパールではインドのジャーティに相当そうとうする社会しゃかい集団しゅうだんジャートび、ジャーティという言葉ことば民族みんぞくという意味いみもちいられる[3]

ジャーティの枠組わくぐみと区分くぶん[編集へんしゅう]

ジャーティの枠組わくぐみはヒンディーで「ジャーティ・プラター」[4]ばれ、バラモンクシャトリヤヴァイシャシュードラよりヴァルナよん種姓すじょう)、およびその枠組わくぐみである「ヴァルナ・ヴィャワスター」[5]とならんで、いわゆるカースト構成こうせいする要素ようそのひとつである。現在げんざいでもだい多数たすうのヒンドゥーは、不可ふかさわみん[6][7]ぞくするひとびともふくめ、自分じぶんがいずれかひとつのジャーティに帰属きぞくしているとの意識いしきをもっている。

4ヴァルナの区分くぶん社会しゃかい大枠おおわくしめしたものであるのにたいし、ジャーティの区分くぶんはたとえば「つぼつくりのジャーティ」、「清掃せいそうのジャーティ」、「ひつじいのジャーティ」というように、特定とくてい伝統でんとうてき職業しょくぎょううちこん集団しゅうだんによってなされる場合ばあいおおく、そのかずインド全体ぜんたいで2,000とも3,000ともいわれている[1]。ジャーティとヴァルナのあいだには、うちこん職業しょくぎょうとの結合けつごう上下じょうげ賤の関係かんけいなど共通きょうつうする性格せいかくみとめられ、不可ふかさわみんのジャーティをのぞいたほとんどすべてのジャーティは同時どうじに4ヴァルナのいずれかに帰属きぞくしている[8]

1おくにんもいるといわれる不可ふかさわみんジャイプールにて)

ジャーティがインドの社会しゃかい秩序ちつじょにおいてどのような地位ちいめるかの基準きじゅんは、人格じんかく専門せんもんせいなどではなく、その職業しょくぎょうをおこなうにあたっての接触せっしょくする物体ぶったいきよし不浄ふじょう度合どあいによってめられているとされる。汚物おぶつ清掃せいそうじん(バンギ)、洗濯せんたくじん(ドービー)、かわなめし職人しょくにん(チャマール)などは、不浄ふじょうなものにれやすいとして、とくひく地位ちいにおかれている[9]

ジャーティについては、当初とうしょバラモンを中心ちゅうしんとしたヴァルナの枠組わくぐみがあって、後世こうせいそれが細分さいぶんされたものとする見解けんかいがある[9][10]。それにたいし、ヴァルナの枠組わくぐみが成立せいりつしていくのと平行へいこうして、ジャーティの細分さいぶんもまた進行しんこうし、あるとき両者りょうしゃ合体がったいしてヴァルナ概念がいねんにより整理せいりされ、秩序ちつじょづけられたのではないかとする見方みかたもある[11]一方いっぽう、ヴァルナの枠組わくぐみに包摂ほうせつされない不可ふかさわみん存在そんざいなどに着目ちゃくもくし、インドにおいては伝統でんとうてきに「ジャーティ・プラター」と「ヴァルナ・ヴィャワスター」とは、おたがいまったくべつのものとして把握はあくされてきたことを強調きょうちょうする立場たちばもある[2]

ジャーティの起源きげん[編集へんしゅう]

コルカタのバラモンのいえまれた詩聖しせいラビンドラナート・タゴール(23さいのとき、1883ねん撮影さつえい

ジャーティもふくめたカースト起源きげんろんには、ヴェーダ至上しじょう主義しゅぎサンスクリット典籍てんせき主義しゅぎ古代こだい家族かぞく制度せいど起源きげんろん先住民せんじゅうみん起源きげんせつ職業しょくぎょう起源きげんせつ人種じんしゅ起源きげんせつ宗教しゅうきょう起源きげんせつなどの諸説しょせつがあるが、これらはたがいに排他はいたてき意見いけんではなく、むしろ多分たぶん相互そうご補完ほかんてきである[2]

上述じょうじゅつのヴァルナの細分さいぶんがジャーティをもたらしたという見解けんかいにしたがえば、紀元前きげんぜん1500ねんころアーリアじんきたインド侵入しんにゅうにその起源きげんもとめられる。すなわち、征服せいふくしゃとなったアーリアじんドラヴィダけい先住民せんじゅうみんとのあいだの混交こんこうのぞまず、ヴァルナの枠組わくぐみをもうけ、アーリアけいとドラヴィダけいとの婚姻こんいんきんじる法律ほうりつはっしたことが端緒たんしょとなり、そののち、職業しょくぎょう差別さべつにもとづく区分くぶんがなされて階層かいそう下位かい区分くぶんしょうじていったというものである[9]。そこでは、ひとびとのしんにある区別くべつこのみと複雑ふくざつへの志向しこうがそれをうながし、いくつかの技芸ぎげい区分くぶん確立かくりつし、あたらしい移住いじゅうみんない流入りゅうにゅうによっていっそう階級かいきゅう分化ぶんかすすんだとされる[9]。また、移住いじゅうのほか、民族みんぞく侵入しんにゅう宗派しゅうは雑婚ざっこんヴァルナ・サンカラ)・慣習かんしゅうなどのふくあいにその原因げんいんもとめる見解けんかいもある[10]

ジャーティをヴァルナとはべつ発生はっせいしたものとして、その起源きげん中世ちゅうせいもとめる見解けんかいもある[12]。それによれば、ジャーティとは世襲せしゅうせいをともなった中世ちゅうせいてき身分みぶん制度せいどであり、一種いっしゅ氏族しぞく制度せいどであるゴートラなど中世ちゅうせい社会しゃかい特有とくゆうしょ要素ようそがからみってまれたものとしている。

史料しりょう不足ふそくもあって、ジャーティ相互そうご分業ぶんぎょう基礎きそをおく村落そんらくがいつ、どのようにしてまれていったのかはかならずしもあきらかではない。そうしたなかで、4世紀せいきから6世紀せいきにかけてのグプタあさ衰退すいたい以降いこう都市とし経済けいざいおとろえ、地域ちいきてき自給自足じきゅうじそくすすんだ時期じきすこしずつ形成けいせいされていったのではないかという見解けんかいしめされている[8]。また、近年きんねんでは、クラン(氏族しぞく組織そしき)や古代こだいサンスクリットにみえる「ジャナ」(部族ぶぞく)がジャーティに変化へんかしたことに起源きげんもとめ、それはインド社会しゃかい変容へんよう対応たいおうしたものであったという見方みかたしめされ、その過程かていで、食物しょくもつ生産せいさん様式ようしきだけでなく摂取せっしゅにかかわる規制きせいにも変化へんかまれ、それらがあらたな禁忌きんきんで、共食ともぐい婚姻こんいん範囲はんい制限せいげんしていったのではないかとする所論しょろん展開てんかいされている[2]

なお、在来ざいらいとしてのジャーティが、「まれ」という原義げんぎからはなれて意味いみ内容ないよう拡大かくだいし、きよし不浄ふじょう共食ともぐい(ともに食事しょくじをすること)、つうこん職業しょくぎょう継承けいしょう単位たんいとなって、さらにそこに多様たよう慣行かんこう保持ほじする主体しゅたいとしての意味いみづけがなされるようになったのは比較的ひかくてきあたらしく、19世紀せいきなかばから20世紀せいきはじめにかけてであったろうとする見解けんかいがある[2]

ジャーティの機能きのう特質とくしつ[編集へんしゅう]

ワーラーナシーにおける沐浴もくよく風景ふうけい

ジャーティは、以下いかのような伝統でんとうてき機能きのう特質とくしつをもってきた集団しゅうだん単位たんいである。

  1. ジャーティは「まれ」によって決定けっていされ、ジャーティからの追放ついほうをのぞけば一生いっしょう変更へんこうできない。ジャーティの規範きはん逸脱いつだつした場合ばあいにはジャーティからの追放ついほうせられ、それは、インド社会しゃかいにおいて破滅はめつひとしい意味いみをもってきた[11]。しかし、それは改宗かいしゅうした場合ばあいのぞけば永続えいぞくてきではなく、贖罪しょくざい行為こうい沐浴もくよくなどの浄化じょうか儀礼ぎれいをなすことを前提ぜんていにふたたびジャーティにむかえられることがおおかった[2][8]
  2. 男女だんじょとも同一どういつのジャーティのもの結婚けっこんする義務ぎむがあるとともに、そのなかの特定とくてい集団しゅうだんとは結婚けっこんできない[11]。とくに、バラモンにおいては「ジャーティないこんゴートラそとこん」が厳守げんしゅされる[2]。ただし、相対そうたいてき上位じょうい位置いちするジャーティの男性だんせい下位かい女性じょせい結婚けっこんすることはおおめにみられることがある[8][13]
  3. ジャーティは世襲せしゅうてき職業しょくぎょうくものとされ、ほかのジャーティのものはその職業しょくぎょうにはなれないとされてきた。ただし農業のうぎょうだけは、すべてのジャーティに開放かいほうされた生業せいぎょうである[8][11]
  4. きよし不浄ふじょう観念かんねんにもとづいて、ほかのジャーティとのみず食物しょくもつのやりり、共食ともぐいきょういんはきびしく制限せいげんされる。下位かい序列じょれつのジャーティにぞくするひとのつくったものべることも不浄ふじょうとされる[2][11]
  5. それぞれのジャーティは、ヒンドゥーきょうにおけるきよし不浄ふじょう観念かんねんにもとづいて、バラモン(ブラーフマナ)を頂点ちょうてんとする序列じょれつのなかに位置いちづけられる[11]

ジャーティと職業しょくぎょう[編集へんしゅう]

かくジャーティはしばしば固有こゆう職業しょくぎょうをもち、成員せいいんはその職業しょくぎょう世襲せしゅうする。そのため、ジャーティのには職業しょくぎょうにかかわるものがすくなくない。たとえば、鍛冶たんや職人しょくにんのジャーティであるローハールは「てつ」を意味いみするローハ、陶工とうこうのジャーティであるクンバールは「陶器とうき」を意味いみするクンバをそれぞれ語源ごげんとしている[8]。ただし、ジャーティと職業しょくぎょうむすびつきは固定こていしたものではなく、現実げんじつには同一どういつのジャーティにぞくするものことなる職業しょくぎょう従事じゅうじすることもすくなくない[2][8]。しかし、最下さいかそう位置いちする不可ふかさわみんのジャーティ集団しゅうだん就業しゅうぎょうじょうきょうをみれば、伝統でんとうてき職業しょくぎょう従事じゅうじしている割合わりあいはまだかなりたか[1][2]

上述じょうじゅつのように、農作業のうさぎょうはすべてのジャーティにひらかれており、したがって、様々さまざまなジャーティが様々さまざまなかたちで農業のうぎょう参加さんかする。図式ずしきてきにいえば、上層じょうそう地主じぬしとして、中層ちゅうそう自作農じさくのうとして、下層かそう小作農こさくのうとして、最下さいかそう農業のうぎょう労働ろうどうしゃとしてというようなかたちで参入さんにゅうする[11]。もちろん、むらによってその様相ようそうことなる[14]

ジャーティと食事しょくじ[編集へんしゅう]

ラッスィーみせ(ワーラーナシーにて)

ヒンドゥー教徒きょうとにとって食事しょくじ一種いっしゅ儀礼ぎれいでもあって、けがから食事しょくじまもるためには細心さいしん注意ちゅういはらわれる[8]原則げんそくてきにはことなるジャーティにぞくするものとともに飲食いんしょくすること、下位かいのジャーティにぞくするものからみずものけることはきんじられるが、ジャーティによって、また、地方ちほうによって多様たようであり、つねにこの原則げんそくまもられているわけではない。また、のジャーティからは同等どうとうとみなされるジャーティ相互そうごでは相手あいて食物しょくもつ拒否きょひしあうことがすくなくない。ここでは、よりたかきよしせいをたがいにきそ心理しんりがはたらいている[11]

飲食いんしょくぶつかんしては、たか階層かいそうほど禁忌きんきとされるものがえ、バラモンのなかには完全かんぜん菜食さいしょく主義しゅぎまもるジャーティもある。中位ちゅうい下位かいにわとり山羊やぎさかななどのにくべるが、牛肉ぎゅうにくしょく豚肉ぶたにくしょくは一部不可触民ジャーティにかぎられる[8]

ジャーティにおける自治じち機能きのう[編集へんしゅう]

それぞれのジャーティには、上述じょうじゅつしたように結婚けっこん食事しょくじ職業しょくぎょうかんするしょ慣行かんこうおきてとして存在そんざいしており、違反いはんしゃたいしては長老ちょうろう会議かいぎ成員せいいんによる集会しゅうかいによって、罰金ばっきん支払しはらいふくむさまざまな制裁せいさいくわえられた。ジャーティからの追放ついほうもそのひとつであった。一時いちじ追放ついほう場合ばあい復帰ふっき手段しゅだんもあったが、永久えいきゅう追放ついほうされた場合ばあいのジャーティかられられることもなく、家族かぞくからも見放みはなされた。こうしたおきては、ジャーティない結束けっそく地域ちいき社会しゃかいにおける地位ちい保持ほじしていくためには遵守じゅんしゅされる必要ひつようがあった。その意味いみで、個人こじん自由じゆうはきびしく制限せいげんされたが、他方たほう、ジャーティに帰属きぞくして先祖せんぞ以来いらい職業しょくぎょうかぎり、最低限さいていげん生活せいかつ保障ほしょうはなされてもいた[8]。その意味いみでは、個人こじんあってのジャーティではなく、ジャーティあっての個人こじんであった。

ジャーティあいだ分業ぶんぎょう体制たいせい[編集へんしゅう]

インドの伝統でんとうてき地域ちいき社会しゃかいにあっては、一般いっぱんに1つのむらに10から30程度ていどのジャーティ集団しゅうだんがあり、ジャーティあいだ分業ぶんぎょう体制たいせいってきた。たとえば、農村のうそんにおいて職人しょくにんは、必要ひつようとするむら成員せいいんサービス提供ていきょうする代価だいかとして、かつてはむら収穫しゅうかくされる穀物こくもつ一定いってい割合わりあいけとっていた事例じれいがある。こうしたジャーティあいだ相互そうご関係かんけいを、きたインドではジャジマーニーせい[15][16]呼称こしょうしている。しかし、近年きんねんではむら全体ぜんたいでかかえこむようなスタイルでのジャジマーニーせい姿すがたしている[11][17]

営農えいのうじょうまたは生活せいかつじょうのすべての必要ひつようむらのなかだけでまかなうとすれば、35から40という多数たすうのジャーティを必要ひつようとする。むらけっして孤立こりつしてきたのではなく、村内むらうちでまかなえない仕事しごとがあれば、ひとびとはむら々のジャーティに依頼いらいしてのう生活せいかついとなみをつづけてきたのである[11]

ジャーティ機能きのう流動りゅうどうせい[編集へんしゅう]

歴史れきしてきには、ぜん近代きんだいのヒンドゥーきょう改革かいかく運動うんどうにおいて、しん教派きょうはやジャーティの連合れんごう確立かくりつされようとするとき、ひとびとがそれまでの紐帯ちゅうたいって、しん集団しゅうだん帰属きぞくしていることをたがいに確認かくにんするため、共食ともぐいつうこんもとめられた事実じじつ確認かくにんされている。そこでは、ジャーティ・プラターの枠組わくぐみは否定ひていしないまでも、その許容きょよう範疇はんちゅうえが希求ききゅうされたこととなる[2]

また、19世紀せいききたインド内陸ないりくにおいては、けがをこうむるこわれから、海外かいがい渡航とこうたいするつよ忌避きひかん存在そんざいしていた。しかし、イギリスへの留学りゅうがく帰国きこく弁護士べんごし高等こうとう文官ぶんかんなど栄達えいたつむすびつくことが一般いっぱんられると、浄化じょうか贖罪しょくざい便法べんぽう急速きゅうそく普及ふきゅうし、やがて禁忌きんきとはされなくなった。きよし不浄ふじょう観念かんねんけっして不変ふへんのものではなかったのである[18]

ジャーティをささえてきたしょ要因よういん[編集へんしゅう]

社会しゃかい経済けいざいてき要因よういん[編集へんしゅう]

ジャーティにおける慣行かんこう序列じょれつはインド社会しゃかい停滞ていたい膠着こうちゃくさせた元凶げんきょうといわれ、封鎖ふうさてき独善どくぜんてきしょ傾向けいこう助長じょちょうし、愛郷あいきょうしん愛国心あいこくしん発達はったつ疎外そがいしたと指摘してきされることがおおい。しかしこの制度せいどは、ぜん近代きんだいにおける経済けいざい発展はってん一定いってい段階だんかいにおいては生産せいさんりょく向上こうじょうさせ、それを保持ほじしていくのに効果こうかがあった。また、特殊とくしゅ技能ぎのう高度こうど精緻せいち段階だんかいきあげる役割やくわりたし、自給自足じきゅうじそく経済けいざい呼応こおうした安定あんていせいゆうしていた。このように、為政者いせいしゃにとって都合つごうのよいものだったため、ヒンドゥー王国おうこく支配しはいしゃのみならずムガル帝国ていこくなどのイスラーム政権せいけんもこれを温存おんぞんし、そのうえ君臨くんりんするという手法しゅほう採用さいようした[8]後述こうじゅつするように、それはイギリス帝国ていこく同様どうようだったのである。

インドだい反乱はんらん1857ねん-1859ねん)のイラスト

一方いっぽう上述じょうじゅつしたように、ジャーティが自治じちてき機能きのうゆうする共同きょうどうたいであり、個人こじん最低限さいていげん生活せいかつ保障ほしょうする役割やくわりたしてきたため、支配しはいしゃであった民衆みんしゅうもまたこれを維持いじしようとしてきた側面そくめんがある。かくジャーティがもつネットワークは、婚姻こんいんつうじて拡大かくだいし、それぞれの文化ぶんか生活せいかつ習慣しゅうかん遵守じゅんしゅによって強化きょうかされ、今日きょうでもジャーティ内部ないぶあらそいの調停ちょうてい就職しゅうしょく支援しえん病人びょうにん貧困ひんこんしゃたいする扶助ふじょなどもそのなかでおこなわれている[1]個々人ここじんにおけるジャーティへの強力きょうりょく帰属きぞく意識いしきは、相互そうご直接ちょくせつ血縁けつえん関係かんけいはなくても「だい家族かぞく」の原理げんりをそのまま拡大かくだいしたにひとしいものであった。インドだい反乱はんらん契機けいきスィパーヒー使用しようするじゅう薬莢やっきょう牛脂ぎゅうしぶたあぶらられているといううわさから発生はっせいした背景はいけいには、禁忌きんきおかしてジャーティから排除はいじょされることはインド社会しゃかいでは破滅はめつであり、きるすべをうしなってしまうという事情じじょう介在かいざいしていた。

倫理りんり宗教しゅうきょうてき要因よういん[編集へんしゅう]

倫理りんりてきないし宗教しゅうきょうてき要因よういんとしては、ヒンドゥーきょうにおけるきよし不浄ふじょう観念かんねんごう輪廻りんね思想しそうがあげられる。

きよし不浄ふじょう思想しそうはいずれの宗教しゅうきょうにおいてもみられるものであるが、ヒンドゥーきょうのもとでこの思想しそう極度きょくど発達はったつし、そこでは、物理ぶつりてき不浄ふじょう不潔ふけつ精神せいしんてき価値かちとが混在こんざいしてみられる[9]。それぞれの職業しょくぎょう慣行かんこうきよし不浄ふじょう観点かんてんから評価ひょうかされ、バラモンを最高さいこうとする序列じょれつがなされている。それぞれのジャーティがもつ不浄ふじょうせい集団しゅうだんてきなものであると同時どうじに、いずれのジャーティもそれぞれにふさわしいきよしせいたもたなければならないとされてきた。そうしなければ、みずからがぞくするジャーティのインド社会しゃかいにおける序列じょれつ低下ていかをまねいてしまう。すなわち、ヒンドゥーにおける独自どくじきよし不浄ふじょう観念かんねんは、インド社会しゃかいをジャーティに分割ぶんかつする原理げんりになっているとともに、その集合しゅうごうたいから社会しゃかい秩序ちつじょ原理げんりともなってきたのである[8]

また、ヒンドゥー教徒きょうとは、霊魂れいこん前世ぜんせいになした行為こういぎょう)によってしばられ、さまざまな姿すがたとなってまれわて現世げんせい規定きていするとしんじてきた。これが輪廻りんね思想しそうであるが、同時どうじ現世げんせい自分じぶん階層かいそう職業しょくぎょう没頭ぼっとうすることで来世らいせ幸福こうふく約束やくそくされることでもあり、この思考しこう枠組わくぐみによれば、した階層かいそうはバラモンなど上位じょうい階層かいそうくすことこそが、みずからを救済きゅうさいするみちとなる。こうした徹底てっていした宿命しゅくめいかんが、きよし不浄ふじょう観念かんねんあいまってヴァルナおよびジャーティの枠組わくぐみをささえてきたといえる[8]

なお、きよし不浄ふじょう観念かんねんでカーストをとらえようとした先駆せんくしゃのひとりにフランス社会しゃかい学者がくしゃL.デュモンがいる。デュモンは、きよしをバラモンが、不浄ふじょう不可ふかさわみん体現たいげんするという両極りょうきょく設定せっていし、政治せいじ権力けんりょく経済けいざいりょく両極りょうきょくをゆるがさないとのろんとなえた。異論いろんもあったが、反響はんきょうもまたきわめておおきいものであった。ただし、ジャーティをふくむカースト機能きのうろんには、近年きんねんきよし不浄ふじょうイデオロギーではなく、よしきょうイデオロギーを重視じゅうしする立場たちばや、支配しはい従属じゅうぞく関係かんけい基本きほんじくとする王権おうけんろんでとらえようとする立場たちばまれている[2]

ジャーティの序列じょれつ[編集へんしゅう]

へび使づか生業せいぎょうとする漂泊ひょうはくみんジャーティ「ジョーギー」(19世紀せいき後半こうはんデリー

ジャーティ相互そうごには上述じょうじゅつした村落そんらくないでの分業ぶんぎょう関係かんけいのほか、上下じょうげ関係かんけい存在そんざいする。それは通常つうじょう、バラモンをさい上位じょういとし不可ふかさわみん最下位さいかいとする儀礼ぎれいてき序列じょれつである。この上下じょうげ関係かんけいには地域ちいきもあり、職人しょくにんジャーティなど中間ちゅうかんジャーティの上下じょうげ関係かんけい曖昧あいまい場合ばあいすくなくない[8]。たとえば散髪さんぱつじん序列じょれつきたインドではきわめてひくく、一般いっぱん不可ふかさわみん位置いちづけられるのにたいし、みなみインドではそれよりも上位じょうい位置いちすることがおおい。となりあうむらでさえ、序列じょれつ微妙びみょうことなることすらある[11]

ジャーティが序列じょれつされ、階層かいそうをなしていることについては、4ヴァルナがバラモンを頂点ちょうてん階層かいそうされていることの延長えんちょうないしは類推るいすいによって理解りかいしようとする場合ばあいすくなくない。しかし、どういちヴァルナに帰属きぞくするとされるジャーティあいだ相互そうご序列じょれつは、それでは、うまく説明せつめいがつかない。また、きよし不浄ふじょう観念かんねん上下じょうげ関係かんけい基準きじゅんにおくとするかんがえもある。しかし、それでは不可ふかさわみんとそれ以外いがいについては説明せつめいできても、地域ちいき社会しゃかい全体ぜんたいにおける上下じょうげ関係かんけいのすべてを説明せつめいしきれるものではない[2]

また、かくジャーティのヴァルナ帰属きぞく歴史れきしてきにみればかならずしも絶対ぜったい不変ふへんだったわけでもなかったのである。

序列じょれつ推進すいしん要因よういん[編集へんしゅう]

歴史れきしてき変遷へんせんのなかで序列じょれつ階層かいそうしょうじるのはインド社会しゃかいにかぎられない。しかし、インドでは階層かいそうされたヴァルナの枠組わくぐみと雑婚ざっこんにかかわる規定きていがすでに存在そんざいし、そこにはきよし不浄ふじょう観念かんねんまれていたため、階層かいそう上下じょうげ関係かんけい説明せつめいするさいに、これらが容易ようい参照さんしょうされていたことも事実じじつである。

ただし、それが社会しゃかいてきひろ共有きょうゆうされるにあたってはべつちから作用さようした。それは、植民しょくみん時代じだい以前いぜんにあっては在地ざいち王権おうけんであり、植民しょくみんされてのちはイギリスりょうインド帝国ていこく権力けんりょくであった。とくに後者こうしゃは、序列じょれつ調停ちょうていやくたし、国勢調査こくせいちょうさ報告ほうこくしゃ地誌ちしはジャーティの序列じょれつにしばしば言及げんきゅうし、司法しほう裁判所さいばんしょ)は、序列じょれつ証明しょうめいとなる慣行かんこう登録とうろくして、随時ずいじ裁可さいかあたえていたのである[2]序列じょれつひろ社会しゃかいてきしひろげていく要因よういんのひとつには植民しょくみん支配しはいがあった。

序列じょれつ競争きょうそう[編集へんしゅう]

1950ねん制定せいていインド憲法けんぽうではカースト差別さべつ禁止きんしされた

元来がんらい、バラモンと不可ふかさわみん両極端りょうきょくたんをのぞけば、かくジャーティあいだ序列じょれつをきめる絶対ぜったいてき基準きじゅんがあったわけではなく、あくまでも相対そうたいてきなものである。したがって、序列じょれつ近接きんせつするジャーティ相互そうごでは、その上下じょうげをしぶしぶみとっているケースもすくなくない。そこでは、相手あいてよりも序列じょれつ順位じゅんいをあげようと機会きかいをうかがう姿勢しせい顕著けんちょにみられる[11]。イギリスからの独立どくりつ運動うんどうさいしてはヴァルナやジャーティのわくえた連帯れんたいがあり、独立どくりつのインド国勢調査こくせいちょうさでは、指定していされた不可ふかさわみんトライブのぞいて人口じんこう統計とうけいはとられなくなり、ジャーティの位階いかいについても言及げんきゅうされなくなった[2]序列じょれつ社会しゃかいてき表明ひょうめいする環境かんきょうにも変化へんかしょうじたのであり、ジャーティあいだ序列じょれつ競争きょうそうがみられるようになってきた。

あるジャーティが序列じょれつにおける順位じゅんい向上こうじょうさせるためには、経済けいざいりょく上昇じょうしょう政治せいじてき地位ちい向上こうじょうだけでは不充分ふじゅうぶんであり、序列じょれつ頂点ちょうてんめると自他じたともにみとめるバラモンの生活せいかつ様式ようしき模倣もほうして、これまでの生活せいかつをよりきよしせいたか方向ほうこう変更へんこうすることがもとめられる。具体ぐたいてきには、より頻繁ひんぱん祭式さいしきをバラモンにおこなってもらうこと、肉食にくしょくをやめて菜食さいしょくえること、禁酒きんしゅなどである。こうしたかたちでの序列じょれつ上昇じょうしょうをめざすうごきは「サンスクリット」とばれている[19]。これは、一人ひとりひとりや個々ここ家族かぞくがめざしても効果こうかがなく、むらおなじジャーティにぞくするぜん家族かぞくぜん構成こうせいいん実行じっこうできなければ地位ちい向上こうじょうにはつながらない。上昇じょうしょう単位たんい個人こじんではなく、あくまでもジャーティなのである。「サンスクリット」の一方いっぽうでは、近年きんねん経済けいざい発展はってんにともなう職業しょくぎょう構造こうぞう変化へんかによって経済けいざいりょく生活せいかつ様式ようしき低落ていらくし、最下さいかそうへの編入へんにゅう余儀よぎなくされつつあるジャーティもみられる[11]

ジャーティの変容へんよう[編集へんしゅう]

プネーマハーラーシュトラしゅう)のラクシュミーどお

1970年代ねんだい以降いこう都市とし近代きんだい産業さんぎょう急速きゅうそく進展しんてんは、職業しょくぎょう選択せんたく自由じゆう拡大かくだいをもたらし、近代きんだいてき工場こうじょうはさまざまなジャーティによってになわれている。

固定こていした世襲せしゅうてき職業しょくぎょう継承けいしょうというジャーティの機能きのうのひとつは、ここではりたなくなってきている。都市としにおけるさまざまな飲食いんしょくてんでは、だれがつくったかからない料理りょうりべることになる。共食ともぐいについても、このような状況じょうきょうでは従来じゅうらい規制きせい遵守じゅんしゅすることはむずかしい[20]鉄道てつどうバスなどの公共こうきょう輸送ゆそうにおける混雑こんざつ同様どうようで、のジャーティとの皮膚ひふ接触せっしょくきよし不浄ふじょう観念かんねんからすればけるべき禁忌きんきであったが、そうもってはいられない状況じょうきょうにある[11]

近代きんだい都市とし影響えいきょう農村のうそんにもおしよせ、ジャーティの伝統でんとうてき職業しょくぎょうおおきな影響えいきょうをあたえている。

伝統でんとうてき報酬ほうしゅうわり貨幣かへい支払しはらいがもとめられるようになり[8]陶工とうこうたちは工場こうじょうせい陶磁器とうじきプラスチック製品せいひん普及ふきゅうにより職業しょくぎょう転換てんかんをせまられ、金銀きんぎん細工ざいくぞくするジャーティもむらからの需要じゅようにたよっていたものが、村人むらびとまち金銀きんぎん細工ざいく注文ちゅうもんするようになって自転車じてんしゃ修理しゅうりなどへの転業てんぎょう余儀よぎなくされた。石鹸せっけん普及ふきゅうによって、洗濯せんたく家事かじのひとつとなった結果けっか洗濯せんたくじんジャーティは注文ちゅうもんをほとんどうしない、そのおおくは農業のうぎょう労働ろうどうしゃとなった。反対はんたいに、従来じゅうらい不浄ふじょうで賤しい仕事しごととされてきた洗濯せんたくぎょう至上しじょうきよしせいをもつはずであったバラモンが進出しんしゅつしたれいがある。それは、ドライクリーニング登場とうじょうによってであった[11]技術ぎじゅつ革新かくしん伝統でんとうてききよし不浄ふじょう観念かんねんえてしまったれいといえる。


このように現実げんじつのインド社会しゃかいでは、ジャーティ集団しゅうだん伝統でんとうてき職業しょくぎょう関係かんけいはかなり稀薄きはくになってきている。その一方いっぽうで、従来じゅうらい序列じょれつ関係かんけいかならずしも政治せいじ経済けいざいてき上下じょうげ関係かんけいとも一致いっちしない。みなみインドにおいては、はんバラモン運動うんどうAnti-Brahminism)によって、中位ちゅうい集団しゅうだん政治せいじてき経済けいざいてき上昇じょうしょうしたれいがあり、村落そんらく社会しゃかいにおいて不可ふかさわみんのあるジャーティ集団しゅうだん最大さいだいめるむらでは、その不可ふかさわみんジャーティから村長そんちょう選出せんしゅつされるれいさえあった[1]

このようなうごきにたいし、上述じょうじゅつした序列じょれつ競争きょうそうとくに「サンスクリット」や選挙せんきょ制度せいど導入どうにゅう[21]結果けっか、ジャーティによる統合とうごうがかえってつよまり、各種かくしゅ規制きせい菜食さいしょく禁酒きんしゅ寡婦かふ再婚さいこん禁止きんしなど)の強化きょうかひろがるという逆行ぎゃっこう現象げんしょうしょうじており[8]複雑ふくざつ様相ようそうていしている。

独立どくりつのインド憲法けんぽうでは、カースト差別さべつ禁止きんしし、留保りゅうほせい[22]など不可ふかさわみん部落ぶらくみん社会しゃかいてき経済けいざいてき向上こうじょうはかるための特別とくべつ保護ほご政策せいさくがとられるなど、立法りっぽう行政ぎょうせいちからによる社会しゃかい改革かいかくこころみられている。ジャーティの枠組わくぐみはかつてのような機能きのうたさなくなってきているが、近代きんだいてき司法しほう制度せいど福祉ふくし政策せいさく社会しゃかいのすみずみにまできわたっていない状況じょうきょうにあっては、村落そんらく中心ちゅうしん依然いぜん根強ねづよ影響えいきょうりょくをもちつづけているのである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 三宅みやけ(1992)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 藤井ふじい(2007)
  3. ^ 青柳あおやぎまちこ国勢調査こくせいちょうさからかんがえる人種じんしゅ民族みんぞく国籍こくせき明石書店あかししょてん 2010ねん ISBN 978-4-7503-3274-1 pp.144-145.
  4. ^ 「プラター」とは、習慣しゅうかん慣習かんしゅう意味いみであり、ヴァルナの枠組わくぐみにたい変更へんこう可能かのうという含意がんいをもつ。藤井ふじい(2007)
  5. ^ 「ヴィャワスター」とは、ゆるがせにできないもの、さだめられたものという意味いみ藤井ふじい(2007)
  6. ^ アウト・カーストともしょうされる。ヴァルナの枠外わくがいにあることから「アヴァルナ」(ヴァルナをもたないもの)の呼称こしょうもある。藤井ふじい(2007)
  7. ^ 不可ふかさわみんのなかにも序列じょれつがある。うらな医師いしねるバッルバンというジャーティは、不可ふかさわみんのなかで最高さいこうめ、「賤民せんみんちゅうのバラモン」と自称じしょうすることさえある。『ミリオーネぜん世界せかい事典じてん』(1980)
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p みなみアジアを事典じてん』(1992)
  9. ^ a b c d e 『ミリオーネぜん世界せかい事典じてん』(1980)
  10. ^ a b 京大きょうだい東洋とうよう辞典じてん』(1961)
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o おう(1992)
  12. ^ 近藤こんどう(1977)
  13. ^ ケーララしゅう一部いちぶのジャーティ相互そうごでは、ことなるジャーティあいだつうこん関係かんけい慣行かんこうとして定着ていちゃくしているれいもみられる。『みなみアジアを事典じてん』(1992)
  14. ^ 三宅みやけ博之ひろゆきは、福永ふくなが正明まさあきの「きたインド村落そんらくにおける中間ちゅうかんジャーティ集団しゅうだん動向どうこう」(『アジア経済けいざいだい30かんだい3ごう、1989ねん3がつ)を引用いんようし、クシャトリアにぞくするジャーティ集団しゅうだんタークルが47パーセント、不可ふかさわみんのジャーティであるチャマールが31パーセントをめるむらで、タークルがむら土地とちの83.5パーセントを所有しょゆうし、元来がんらい皮革ひかく加工かこうにたずさわるとされるチャマールを農業のうぎょう労働ろうどうしゃとして雇用こようしている実態じったい、また、その両極りょうきょくのジャーティに圧迫あっぱくされるなかあいだしょジャーティの様相ようそうについて紹介しょうかいしている。三宅みやけ(1992)
  15. ^ イギリスの長老ちょうろう教会きょうかいカルヴァン宣教師せんきょうし社会しゃかい学者がくしゃのW.H.ワイザーが、きたインドの村落そんらく構成こうせいいん相互そうご金銭きんせん媒介ばいかいなしで生産せいさんぶつやサービスをやりりする現象げんしょう目撃もくげきして、1936ねん出版しゅっぱんした自著じちょにおいて発表はっぴょうした概念がいねん藤井ふじい(2007)
  16. ^ ジャジマーニーとは、「顧客こきゃく」「得意とくいさき」を意味いみするジャジマーンからの派生はせい。『みなみアジアを事典じてん』(1992)
  17. ^ 近年きんねんではインドの村落そんらく全体ぜんたい普遍ふへんてきにみられた現象げんしょうではなかったことも指摘してきされている。藤井ふじい(2007)
  18. ^ ただし、海外かいがい年季ねんき労働ろうどうしゃとしておくされたひとびとをふたた村落そんらくむかれることを忌避きひする傾向けいこうながつづいた。藤井ふじい(2007)
  19. ^ インドの社会しゃかい学者がくしゃシュリーニヴァースがバラモン文化ぶんか象徴しょうちょうである聖典せいてんサンスクリットにちなんで命名めいめいしたかたり。『みなみアジアを事典じてん』(1992)
  20. ^ ただし、禁忌きんき重視じゅうしするひと依然いぜんすくなくないことから、インドではコック料理りょうりウェイター、ウェイトレスは上位じょうい階層かいそうべた料理りょうりげる役目やくめ皿洗さらあらいなどは下位かいのジャーティが分担ぶんたんすることが一般いっぱんてきである。
  21. ^ インドはしばしば「世界せかい最大さいだい民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっか」としょうされる。
  22. ^ 指定していカーストと指定してい部族ぶぞく対象たいしょうに、高等こうとう学校がっこう入学にゅうがく許可きょかすう公的こうてき雇用こよう議席ぎせきすうなどを一定いってい比率ひりつ優先ゆうせんする制度せいど

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]