現世げんせい

半保護されたページ
出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

現世げんせい(げんせ、げんせい、うつしよ)とは、現在げんざいのこと[1][2]ふるくは「げんぜ」ともむ。

概要がいよう

我々われわれ人間にんげん現在げんざいらしているとおもっている(認識にんしきしている)世界せかい、または、その認識にんしき日本語にほんごでは「あらわ(けんせ)」ともきし、「この」ともいいかえられる。

仏教ぶっきょう用語ようごとしての「現世げんせい」は「げんぜ」と(も)[1]自身じしん輪廻りんね転生てんせいしていくなかでいまきてぞくしている(せいけた)この世界せかいのことをす。彼岸ひがんたいする此岸

現世げんせい対置たいちされる世界せかいとしては、仏教ぶっきょうでは、前世ぜんせい来世らいせ(それにくわえて地獄じごくかたられることも)。神道しんとうでは常世とこよつねよる(とこよ)、かそけかくれ(かくりよ)などがある。キリストきょうでは、天国てんごく地獄じごくかげなどがある。

江戸川えどがわ乱歩らんぽは「現世げんせいゆめよるゆめこそまこと」としばしばこのんで色紙いろがみいたことでられる[3]

神道しんとう

神道しんとうでは「現世げんせい」といて古語こごとしては「うつしよ」とみ、このひときる現実げんじつ世界せかい意味いみする。それに対峙たいじして、常世とこよ(とこよ)いわゆる天国てんごく桃源郷とうげんきょう理想郷りそうきょうとしてのかみくにがあり、つねよる(とこよ)とわれるいわゆる地獄じごくとしての死者ししゃくに黄泉よみくにとらえている世界せかいかんがある。

ただし、常世とこよ現世げんせいとして二律背反にりつはいはんりつそうせい世界せかいかん基本きほんであり、常世とこよかみくにには2つの様相ようそうがあり、このことは常世とこよつねよる常世とこよよるひるともあらわされる)がかみくにとしてのめんせいつことと、こうぶるかみやわらぎるかみという日本にっぽんかみの2つのありかたにもつうじるものである[よう出典しゅってん]

神道しんとうはじまりといわれるかみませ(ひもろぎ)・いわ(いわくら)信仰しんこう森林しんりんやまいわなどの巨木きょぼく巨石きょせきは、かみだい同時どうじに、ませかき(かき)の意味いみいわいわさかい(いわさかい)ともいい、常世とこよ現世げんせいはしさかいあらわ神域しんいきでもある。神社じんじゃ神道しんとうにおいても鎮守ちんじゅもりうえ栽された広葉こうよう常緑樹じょうりょくじゅは、神域しんいきあらわすと同時どうじ結界けっかいでもあり、常世とこよ神域しんいき)と現世げんせい各々おのおの事象じしょう簡単かんたんできないようにするためのものであり、禁足きんそくになっている場所ばしょおおい。

また、集落しゅうらくにつながるみちつじかれる石造せきぞうほこら道祖神どうそじん地蔵じぞうなども、厄除やくよ祈願きがん祈念きねん信仰しんこう対象たいしょうだけでなく、現世げんせい常世とこよはしさかいにある結界けっかい意味いみするといわれる。現世げんせいにおけるひるよるはしさかいである夕刻ゆうこくつねよるとのはしさかいであるともかんがえられ、この時分じぶんを「逢魔時おうまがとき(おうまがとき)」といって、現世げんせい存在そんざいしないものと時刻じこくであるとかんがえられている。

仏教ぶっきょう

仏教ぶっきょうにおける「さんせい」のひとつであり[2]前世ぜんせいこん来世らいせ のうちのこん該当がいとうする。また、時間じかんてき前後ぜんごべつとして、浄土じょうどきょうでは「厭離えんり穢土えど欣求ごんぐ浄土じょうど」の概念がいねんがある。「穢土えど」とは「けがれ(けが)れた」という意味いみで、現世げんせいにあたる。

きむつよし般若はんにゃけい』では「一切いっさい有為ゆういほうは、夢幻むげんあわかげごとし」とあり、現世げんせい夢幻むげんあわのようにはかないものとして把握はあくしていたことがうかがえる。このように仏教ぶっきょうでは現世げんせい否定ひていてきとらえていた。

プロテスタンティズム

近代きんだいプロテスタンティズムでは造物ぞうぶつ重視じゅうしすることが徹底てっていして否定ひていされ、それによって現世げんせい否定ひていがなされ、来世らいせ指向しこうのみになったが、やがて現代げんだいするにつれて来世らいせ指向しこううしなわれ現世げんせい指向しこう傾斜けいしゃした、と池田いけだあきら解説かいせつした[4]

現世げんせい利益りえき

神仏しんぶつめぐみが現世げんせいあたえられるとする信仰しんこう日本にっぽんでは、一般いっぱんてきに、多種たしゅ多様たよう神仏しんぶつは、それぞれの特色とくしょくおうじためぐみを、生活せいかつ様々さまざま局面きょくめんのなかでさづけてくれるという世界せかいかん根付ねついている。 一般いっぱんてきに、宗教しゅうきょうにおける現世げんせい利益りえき位置いちづけは軽視けいしされがちであるが、日本にっぽんにおいては、神仏しんぶつってはれないものとして認識にんしきされている。

神道しんとう

古来こらいより、地域ちいき共同きょうどうたい守護神しゅごじんである氏神うじがみ鎮守ちんじゅしんへ、村落そんらくなどの氏子うじこ共同きょうどうたい成因せいいん集団しゅうだんてき意志いしとして、雨乞あまごい、にちい、虫送むしおくり、疫病えきびょうおくりなどの現世げんせい利益りえきることを目的もくてきとした祈願きがん行為こういおこなわれていた。現代げんだいでも、「まつり」のなかに、その伝統でんとう文化ぶんか根付ねついている。 現在げんざいでは、個人こじん心願しんがんこたえるために、神前しんぜんにて、神職しんしょく巫女ふじょにより祝詞のりと奏上そうじょう神楽かぐらまいたてまつそうがされ、祈願きがんしゃ玉串たまぐし拝礼はいれいによりられるとする。 個人こじんとしての心願しんがん種類しゅるいとしては、病気びょうきなおし(自分じぶんとその家人かじん)、家内かない安全あんぜん商売しょうばい繁盛はんじょう生活苦せいかつくからの離脱りだつ分類ぶんるいされ、そのうち、病気びょうきなおしを祈願きがんする場合ばあいがもっともおおいという[5]

仏教ぶっきょう

教典きょうてん読経どきょうしたり、真言しんごん題目だいもくとなえたり、祈祷きとうおこなう、てらとう仏像ぶつぞうなどを建立こんりゅうすることによりられるとする。

日本にっぽんでは、仏教ぶっきょう伝来でんらい以降いこう奈良なら大仏だいぶつのように国策こくさくとして仏像ぶつぞう建設けんせつをするなど、現世げんせい利益りえき政策せいさくがとられた。そして、災厄さいやくおとずれ、生活せいかつ挫折ざせつしたさい回復かいふくするためにご利益りえきねがうという民衆みんしゅう心意しんい対応たいおうし、古代こだい末期まっきから中世ちゅうせいにかけてさかんとなった真言しんごん天台てんだい密教みっきょうによる加持かじ祈祷きとうにより、民衆みんしゅうひろまった。現在げんざいでも、僧侶そうりょによる護摩ごま修行しゅぎょうなどがさかんにおこなわれている。

鎌倉かまくら仏教ぶっきょう時代じだいになると、法然ほうねんのように「いのるによりてびょうもやみ、いのちものべぶることあれば、たれかは一人ひとりとしてぬるひとあらん」(いのることで病気びょうきなお寿命じゅみょうびるなら、どこにひとがいるだろうか)として現世げんせい利益りえき否定ひていてきものあらわれた[6]

インド

インドではガネーシャ現世げんせい利益りえきをもたらすかみとされ、民間みんかんでは非常ひじょう人気にんきがある。とくに「とみ神様かみさま」として商人しょうにんからの信仰しんこうあつめている。

出典しゅってん

  1. ^ a b 広辞苑こうじえんだいはん
  2. ^ a b デジタル大辞泉だいじせん
  3. ^ ヘルスプレス - さい晩年ばんねん江戸川えどがわ乱歩らんぽは「パーキンソンびょう」とたたかいながら口述こうじゅつ筆記ひっき執筆しっぴつ佐藤さとうひろし
  4. ^ 東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい宗教しゅうきょうがく辞典じてん』 p.189-190 【現世げんせい池田いけだあきら 執筆しっぴつ
  5. ^ 文部もんぶ科学かがくしょう文部省もんぶしょう)『全国ぜんこく宗教しゅうきょう世論せろん調査ちょうさ報告ほうこく』(1953)
  6. ^ 浄土真宗じょうどしんしゅう本願寺ほんがんじ みょうかんてらいの

参考さんこう文献ぶんけん

  • 小口こぐちえらいちほか『宗教しゅうきょうがく辞典じてん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい 1973ねん
  • 竹内たけうち整一せいいち『「はかなさ」と日本人にっぽんじん平凡社へいぼんしゃ平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ〉、2007ねん3がつISBN 978-4-582-85364-3 

関連かんれん項目こうもく