この項目 こうもく では、トマス・モアの理想郷 りそうきょう について説明 せつめい しています。
ロバート・オウエン が提案 ていあん した米国 べいこく インディアナ州 しゅう ニューハーモニー の地域 ちいき 社会 しゃかい の図 ず 、1838年 ねん 。
ユートピア (英 えい : utopia , 英語 えいご 発音 はつおん : [juːˈtoʊpiə] ユートウピア )は、イギリス の思想家 しそうか トマス・モア が1516年 ねん にラテン語 らてんご で出版 しゅっぱん した著作 ちょさく 『ユートピア 』に登場 とうじょう する架空 かくう の国家 こっか の名前 なまえ 。「理想郷 りそうきょう 」(和製 わせい 漢語 かんご )、「無 む 何 なん 有 ゆう 郷 きょう 」(無 む 何 なん 有 ゆう 之 の 郷 さと とも、『荘 そう 子 こ 』逍遙 しょうよう 遊 ゆう 篇 へん より)とも呼 よ ばれる。現実 げんじつ には決 けっ して存在 そんざい しない理想 りそう 的 てき な社会 しゃかい として描 えが かれ、その意図 いと は現実 げんじつ の社会 しゃかい と対峙 たいじ させることによって、現実 げんじつ への批判 ひはん をおこなうことであった。
ギリシア語 ご の ο おみくろん ὐ (ou, 無 な い、英語 えいご の“no”), τόπος (topos, 場所 ばしょ 、英語 えいご の“place”) を組 く み合 あ わせ「どこにも無 な い場所 ばしょ 」を意図 いと とした地名 ちめい と説明 せつめい されることが多 おお いが、記述 きじゅつ の中 なか では Eutopia としている部分 ぶぶん もあることから、eu- (良 よ い)と言 い う接頭 せっとう 語 ご もかけて「素晴 すば らしく良 よ い場所 ばしょ であるがどこにもない場所 ばしょ 」を意味 いみ するものであったとみられている。
ただし、「ユートピア」という言葉 ことば を用 もち いるときには時 とき に注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。現代 げんだい 人 じん が素朴 そぼく に「理想郷 りそうきょう 」としてイメージするユートピアとは違 ちが い、トマス・モアらによる「ユートピア」には格差 かくさ がない代 か わりに人間 にんげん の個性 こせい を否定 ひてい した非 ひ 人間 にんげん 的 てき な管理 かんり 社会 しゃかい の色彩 しきさい が強 つよ く、決 けっ して自由 じゆう 主義 しゅぎ 的 てき ・牧歌 ぼっか 的 てき な理想郷 りそうきょう (アルカディア )ではないためである(第 だい 3節 せつ 、第 だい 4節 せつ 参照 さんしょう )[1] 。従 したが って、本来 ほんらい の意味 いみ からすると、社会 しゃかい 主義 しゅぎ や共産 きょうさん 主義 しゅぎ の文脈 ぶんみゃく で用 もち いられるべき言葉 ことば である。
ユートピアの対義語 たいぎご はディストピア である。ユートピア文学 ぶんがく およびディストピア文学 ぶんがく は今 いま でも人気 にんき のジャンルとなっている。ユートピアという言葉 ことば には空想 くうそう 的 てき なイメージがあるが、実在 じつざい するジャンルや概念 がいねん に着想 ちゃくそう を得 え つつ、同時 どうじ に現実 げんじつ の実践 じっせん に着想 ちゃくそう を与 あた えてきた。その対象 たいしょう は建築 けんちく やファイルシェアリング、ホスピタリティ交換 こうかん サービス (英語 えいご 版 ばん ) 、ベーシックインカム 、コミューン、国境 こっきょう 開放 かいほう 、海賊 かいぞく 基地 きち など多岐 たき にわたる。
モアの『ユートピア』
モアの著作 ちょさく の正式 せいしき 名称 めいしょう は、Libellus vere aureus, nec minus salutaris quam festivus, de optimo rei publicae statu deque nova insula Utopia (『社会 しゃかい の最善 さいぜん 政体 せいたい とユートピア新島 にいじま についての楽 たの しく有益 ゆうえき な小 しょう 著 ちょ 』)という。
その内容 ないよう は、
第 だい 1巻 かん
第 だい 2巻 かん 、
「手紙 てがみ 」
の3部 ぶ で構成 こうせい され、「第 だい 1巻 かん 」はユートピアに行 い った男 おとこ の話 はなし 、「第 だい 2巻 かん 」は作者 さくしゃ によるユートピアの様子 ようす のまとめ、そして「手紙 てがみ 」は作者 さくしゃ がある友人 ゆうじん に送 おく った私信 ししん という体裁 ていさい を取 と る。「手紙 てがみ 」では、ユートピアについて作者 さくしゃ がこれまでまとめたことへの違和感 いわかん と共 とも に、友人 ゆうじん に対 たい しユートピアへ行 い った男 おとこ に連絡 れんらく して真意 しんい を問 と いただして欲 ほ しいと依頼 いらい して終 お わっている[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
ユートピアは500マイル×200マイルの巨大 きょだい な三日月 みかづき 型 がた の島 しま にある。元 もと は大陸 たいりく につながっていたが、建国 けんこく 者 しゃ ユートパス1世 せい によって切断 せつだん され、孤島 ことう となった。島 しま の中 なか の川 がわ はすべて改造 かいぞう されまっすぐな水路 すいろ とされ島 しま を一周 いっしゅう しており、その中 なか にさらに島 しま がある。この、海 うみ と川 かわ で二 に 重 じゅう に外界 がいかい から守 まも られた島 しま がユートピア本土 ほんど である。ユートピアには54の都市 とし があり、各 かく 都市 とし は1日 にち で行 い き着 つ ける距離 きょり に建設 けんせつ されている。都市 とし には6千 せん 戸 こ が所属 しょぞく し、計画 けいかく 的 てき に町 まち と田舎 いなか の住民 じゅうみん の入 い れ替 か えが行 おこな われる。首都 しゅと はアーモロート という。
ユートピアでの生活 せいかつ は、モアより数 すう 世紀 せいき 後 ご の概念 がいねん である共産 きょうさん 主義 しゅぎ 思想 しそう が提示 ていじ した理想 りそう 像 ぞう を想起 そうき させる。住民 じゅうみん はみな美 うつく しい清潔 せいけつ な衣装 いしょう を着 つ け、財産 ざいさん を私有 しゆう せず(貴金属 ききんぞく 、特 とく に金 きむ は軽蔑 けいべつ され、後述 こうじゅつ する奴隷 どれい の足 あし 輪 わ に使用 しよう されている)、必要 ひつよう なものがあるときには共同 きょうどう の倉庫 そうこ のものを使 つか う。人々 ひとびと は勤労 きんろう の義務 ぎむ を有 ゆう し、日頃 ひごろ は農業 のうぎょう にいそしみ(労働 ろうどう 時間 じかん は6時 じ 間 あいだ )、空 あ いた時間 じかん に芸術 げいじゅつ や科学 かがく 研究 けんきゅう をおこなうとしている。
モアの『ユートピア』の実践 じっせん [ 編集 へんしゅう ]
モアの『ユートピア』はユートピアの完成 かんせい 形 がた が示 しめ されているだけで、そこに至 いた るプロセスは示 しめ されておらず、現実 げんじつ 社会 しゃかい で実現 じつげん するのは困難 こんなん である。しかし、16世紀 せいき にスペイン帝国 ていこく が新大陸 しんたいりく に入植 にゅうしょく した際 さい に、広域 こういき 国家 こっか が崩壊 ほうかい した中央 ちゅうおう ・南 みなみ アメリカ原住民 げんじゅうみん の文化 ぶんか や秩序 ちつじょ を白紙 はくし 状態 じょうたい に戻 もど して、知識 ちしき 人 じん や宣教師 せんきょうし の思 おも いつきを実行 じっこう に移 うつ せるチャンスを得 え た[2] 。イエズス会 かい は入植 にゅうしょく 開始 かいし からパラグアイ のグアラニー人 じん を使 つか って、モアの『ユートピア』に記 しる されているとおりの生活 せいかつ を実現 じつげん させる実験 じっけん をイエズス会 かい が追放 ついほう される1767年 ねん まで行 い った[2] 。
また、初代 しょだい ミチョアカン 司教 しきょう になるフランシスコ会 かい 修道 しゅうどう 士 し バスコ・デ・キロガ は、モアの『ユートピア』に影響 えいきょう を受 う け[2] 、メキシコ市 し 郊外 こうがい に「サンタ・フェ のオスピタル」と呼 よ ばれる実験 じっけん 的 てき セツルメント を構築 こうちく した。
ユートピアという語 かたり はその後 ご 一般 いっぱん 的 てき となり、理想郷 りそうきょう を意味 いみ する一般 いっぱん 名詞 めいし にもなった。そこから架空 かくう の社会 しゃかい を題材 だいざい とした文学 ぶんがく 作品 さくひん はユートピア文学 ぶんがく と呼 よ ばれる。マルクス主義 まるくすしゅぎ からは「空想 くうそう 的 てき 」「非 ひ 科学 かがく 的 てき 」と批判 ひはん されたユートピア思想 しそう であるが、理想 りそう 社会 しゃかい を描 えが くことで現実 げんじつ の世界 せかい の欠点 けってん を照 て らす鏡 かがみ としての意義 いぎ を持 も っている[1] 。
トマス・モア以降 いこう 、イタリア のトンマーゾ・カンパネッラ は『太陽 たいよう の都 と 』(1602年 ねん )という、ルネサンス 期 き のユートピア文学 ぶんがく として『ユートピア』に匹敵 ひってき する重要 じゅうよう な作品 さくひん を書 か いている。ジョナサン・スウィフト の『ガリヴァー旅行 りょこう 記 き 』(1726年 ねん )もさまざまな空想 くうそう 都市 とし を描 えが いたユートピア小説 しょうせつ ともとれる(たとえば、音楽 おんがく と数学 すうがく を愛好 あいこう する空中 くうちゅう 都市 とし ラピュータなど)。
18世紀 せいき 、フランス 啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ の時代 じだい にはルイ・セバスティアン・メルシエの未来 みらい のパリを描 えが く『二 に 四 よん 四 よん 〇年 ねん 』ほか、ヴォルテール などさまざまな作家 さっか ・思想家 しそうか がユートピア文学 ぶんがく を執筆 しっぴつ した。『ソドムの百 ひゃく 二 に 十 じゅう 日間 にちかん 』のマルキ・ド・サド や、『愛 あい の新 しん 世界 せかい 』のシャルル・フーリエ などユートピアとは異質 いしつ と思 おも われる作家 さっか も、ユートピア的 てき 世界 せかい 観 かん ・ユートピア文学 ぶんがく の手法 しゅほう を使 つか い、閉 と ざされた世界 せかい の中 なか の地獄 じごく 絵図 えず や、行 い き着 つ くところまで行 い き着 つ いた理想 りそう 社会 しゃかい を描 えが いた[1] 。
19世紀 せいき は資本 しほん 主義 しゅぎ の勃興 ぼっこう の時代 じだい であり、その修正 しゅうせい のための社会 しゃかい 改良 かいりょう 案 あん や社会 しゃかい 主義 しゅぎ や共産 きょうさん 主義 しゅぎ が生 う まれるなど、現実 げんじつ の社会 しゃかい が加速 かそく 的 てき に繁栄 はんえい をはじめ、その社会 しゃかい を現実 げんじつ に改造 かいぞう するための各種 かくしゅ の思想 しそう に力 ちから が注 そそ がれたためか、ユートピア文学 ぶんがく は非常 ひじょう に多 おお く書 か かれたがあまり収穫 しゅうかく がない[1] 。その中 なか で、ウィリアム・モリス の『ユートピアだより』(1890年 ねん )は19世紀 せいき の優 すぐ れたユートピア小説 しょうせつ で、ほかとは異 こと なった中世 ちゅうせい 的 てき で牧歌 ぼっか 的 てき な理想郷 りそうきょう を構想 こうそう している。他 た に今日 きょう まで記憶 きおく されている作品 さくひん としてはサミュエル・バトラー の『エレホン 』(1872年 ねん )、エドワード・ベラミー の『顧 かえり みれば』(1880年 ねん )などが挙 あ げられる。
逆 ぎゃく ユートピア(ディストピア)[ 編集 へんしゅう ]
20世紀 せいき に入 はい ると、「理想郷 りそうきょう 」と宣伝 せんでん されていた社会 しゃかい 主義 しゅぎ 国家 こっか や独裁 どくさい 国家 こっか が現実 げんじつ の存在 そんざい となったが、その理想 りそう と現実 げんじつ の落差 らくさ を批判 ひはん したり、科学 かがく の負 まけ の側面 そくめん を強調 きょうちょう した小説 しょうせつ が描 えが かれた。転倒 てんとう したユートピア文学 ぶんがく であることからこれらは逆 ぎゃく ユートピア(ディストピア )と呼 よ ばれる。たとえばH・G・ウェルズ の『モダン・ユートピア (英語 えいご 版 ばん ) 』(1905年 ねん )、エヴゲーニイ・ザミャーチン の『われら 』(1924年 ねん )、オルダス・ハックスレー の『すばらしい新 しん 世界 せかい 』(1932年 ねん )、ジョージ・オーウェル の『1984年 ねん 』(1949年 ねん )や、エルンスト・ユンガー の『ヘリオーポリス』、レイ・ブラッドベリ の『華氏 かし 451度 ど 』、星 ほし 新一 しんいち の『白 しろ い服 ふく の男 おとこ 』などの小説 しょうせつ によって管理 かんり 社会 しゃかい 、全体 ぜんたい 主義 しゅぎ 体制 たいせい の恐怖 きょうふ が描 えが かれた。また、手塚 てづか 治虫 おさむ の『火 ひ の鳥 とり 未来 みらい 編 へん 』は『1984年 ねん 』を粉本 ふんぽん にしているとみられている。これらに描 えが かれた国家 こっか は、一見 いっけん すると平和 へいわ で秩序 ちつじょ 正 ただ しい理想 りそう 的 てき な社会 しゃかい であるが、徹底的 てっていてき な管理 かんり により人間 にんげん の自由 じゆう が奪 うば われている。当時 とうじ の共産 きょうさん 圏 けん や今日 きょう の管理 かんり 社会 しゃかい に対 たい する予見 よけん であり、痛烈 つうれつ な批判 ひはん である。またそれを生 う み出 だ した過去 かこ のユートピア思想 しそう や、その背景 はいけい となった文明 ぶんめい 自体 じたい も攻撃 こうげき 対象 たいしょう である[1] 。
ユートピアの特徴 とくちょう [ 編集 へんしゅう ]
ディストピアを描 えが いた小説 しょうせつ が登場 とうじょう する前 まえ に書 か かれたユートピア小説 しょうせつ も、現在 げんざい の目 め から見 み るとディストピアではないかと思 おも われるものが多 おお いという説 せつ もある。これらの理想郷 りそうきょう は、決 けっ して「自然 しぜん のなかの夢幻 むげん 郷 きょう 」ではない。それは人工 じんこう 的 てき で、規則正 きそくただ しく、滞 とどこお ることがなく、徹頭徹尾 てっとうてつび 「合理 ごうり 的 てき 」な場所 ばしょ である。西 にし ヨーロッパにおいてはこの模範 もはん はギリシャ社会 しゃかい を厳格 げんかく に解釈 かいしゃく したものに求 もと められる。こうして生 う まれた「ユートピア」自体 じたい にディストピアの種 たね が内包 ないほう されていたのであるという説 せつ もある[1] 。
以下 いか に、過去 かこ のユートピア文学 ぶんがく で表現 ひょうげん されてきた「理想郷 りそうきょう 」にしばしば共通 きょうつう する特徴 とくちょう を挙 あ げる。
周囲 しゅうい の大陸 たいりく と隔絶 かくぜつ した孤島 ことう である。
科学 かがく と土木 どぼく によってその自然 しぜん は無害 むがい かつ幾何 きか 学 がく 的 てき に改造 かいぞう され、幾何 きか 学 がく 的 てき に建設 けんせつ された城塞 じょうさい 都市 とし が中心 ちゅうしん となる。
生活 せいかつ は理性 りせい により厳格 げんかく に律 りっ せられ、質素 しっそ で規則 きそく 的 てき で一糸 いっし 乱 みだ れぬ画一 かくいつ 的 てき な社会 しゃかい である。ふしだらで豪奢 ごうしゃ な要素 ようそ は徹底的 てっていてき にそぎ落 お とされている。住民 じゅうみん の一 いち 日 にち のスケジュールは労働 ろうどう ・食事 しょくじ ・睡眠 すいみん の時刻 じこく などが厳密 げんみつ に決 き められている。長時間 ちょうじかん 労働 ろうどう はせず、余 あま った時間 じかん を科学 かがく や芸術 げいじゅつ のために使 つか う。
人間 にんげん は機能 きのう ・職能 しょくのう で分類 ぶんるい される。個々人 ここじん の立場 たちば は男女 だんじょ も含 ふく め完全 かんぜん に平等 びょうどう だが、同時 どうじ に個性 こせい はない。なお、一般 いっぱん 市民 しみん の下 した に奴隷 どれい や囚人 しゅうじん を想定 そうてい し、困難 こんなん で危険 きけん な仕事 しごと をさせている場合 ばあい がある。
物理 ぶつり 的 てき にも社会 しゃかい 的 てき にも衛生 えいせい 的 てき な場所 ばしょ である。黴菌 ばいきん などは駆除 くじょ され、社会 しゃかい のあらゆるところに監視 かんし の目 め がいきわたり犯罪 はんざい の起 お こる余地 よち はない。
変更 へんこう すべきところがもはやない理想 りそう 社会 しゃかい が完成 かんせい したので、歴史 れきし は止 と まっている。ユートピアは、ユークロニア(英 えい : uchronia , 時間 じかん のない国 くに )でもある。
以上 いじょう のような、時計 とけい のように正確 せいかく で、蜜蜂 みつばち の巣 す のように規則 きそく 的 てき な社会 しゃかい 像 ぞう は、古代 こだい ギリシアの哲学 てつがく 者 しゃ プラトン の『国家 こっか 』[注釈 ちゅうしゃく 2] 、『ティマイオス 』[注釈 ちゅうしゃく 3] 以来 いらい 、ルネサンス期 き ・啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ 期 き に流行 りゅうこう した『ユートピア』などの理想 りそう 都市 とし 案 あん から20世紀 せいき のディストピア小説 しょうせつ 、現実 げんじつ の共産 きょうさん 主義 しゅぎ 国家 こっか のあり方 かた までに共通 きょうつう するものがある[1] 。
このような社会 しゃかい の理想 りそう としてあげられるのは、西 にし ヨーロッパにおいては彼 かれ らによって再 さい 解釈 かいしゃく された「古代 こだい ギリシャ」である。一説 いっせつ によればプラトンの時代 じだい はペルシア などの脅威 きょうい によりギリシア諸国 しょこく が揺 ゆ らいだ時期 じき だったが、おそらく彼 かれ は理性 りせい を「ギリシャ的 てき 」なものと決 き めつけ理想 りそう 化 か し、それに対立 たいりつ する非理 ひり 性 せい 的 てき で欲望 よくぼう に満 み ちあふれたもう一 ひと つの世界 せかい アトランティスを思 おも い描 えが いたのであろうとしている。
こうした理性 りせい を中心 ちゅうしん としたユートピア的 てき 理想 りそう 社会 しゃかい に対 たい し、バロック 、マニエリスム 、シュルレアリスム など反発 はんぱつ する思想 しそう 的 てき 動 うご きが相次 あいつ いだ。現在 げんざい の先進 せんしん 国 こく では、ともすれば資本 しほん の効率 こうりつ 的 てき 利用 りよう や社会 しゃかい の安全 あんぜん ・健康 けんこう 増進 ぞうしん ・効率 こうりつ 化 か を名目 めいもく に、事実 じじつ 上 じょう の管理 かんり 社会 しゃかい が実現 じつげん されることもあるが、一方 いっぽう ではたとえば『ユートピア』的 てき な都市 とし ・国土 こくど 計画 けいかく よりは、いいかげんでヒューマンスケールの迷路 めいろ 的 てき な旧 きゅう 市街 しがい や、曲線 きょくせん 的 てき な街路 がいろ を持 も った商業 しょうぎょう 地 ち ・住宅 じゅうたく 地 ち の混在 こんざい が見直 みなお されてもいる。またフィクションの世界 せかい でも『ブレードランナー 』的 てき な一見 いっけん 悪夢 あくむ のような混沌 こんとん とした未来 みらい が、逆 ぎゃく に人間 にんげん 的 てき な世界 せかい として評価 ひょうか されることがある。
ユートピアとは、結局 けっきょく のところ、唯一 ゆいいつ の価値 かち 観 かん 、唯一 ゆいいつ の基準 きじゅん 、唯一 ゆいいつ の思想 しそう による全体 ぜんたい の知 ち と富 とみ の共有 きょうゆう は、たしかに反 はん するものが存在 そんざい しないという意味 いみ で平和 へいわ で理想 りそう であるという考 かんが えもあり、一方 いっぽう では、その実現 じつげん には人間 にんげん 的 てき なものや自由 じゆう をすべて完全 かんぜん に圧殺 あっさつ しなければ実現 じつげん しえないことを明確 めいかく に表 あらわ したものであり、理性 りせい 以外 いがい のすべてをそぎ落 お とした果 は てにあるものの機械 きかい 的 てき な冷酷 れいこく さを表 あらわ したものという考 かんが えもある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
カナダ のブリティッシュコロンビア州 しゅう にあるソイントゥラ。フィンランドからの移民 いみん が作 つく ったユートピア村 むら 。
21世紀 せいき になると、ユートピアをめぐる議論 ぎろん には脱 だつ 希少 きしょう 性 せい 経済 けいざい や後期 こうき 資本 しほん 主義 しゅぎ 、ベーシックインカム などの論点 ろんてん が加 くわ わってくる。ルトガー・ブレグマン は2016年 ねん の著書 ちょしょ 『隷属 れいぞく なき道 みち 』(原題 げんだい :Utopia for Realists / リアリストのためのユートピア)で「人的 じんてき 資本 しほん 主義 しゅぎ 」ユートピアを描 えが き、ベーシックインカムや週 しゅう 15時 じ 間 あいだ 労働 ろうどう 、国境 こっきょう の開放 かいほう について論 ろん じた[3] 。
北欧 ほくおう 諸国 しょこく は2019年 ねん 時点 じてん で世界 せかい 幸福 こうふく 度 ど ランキングの最 さい 上位 じょうい を占 し め、現代 げんだい のユートピアと呼 よ ばれることもある。ただし英国 えいこく のジャーナリストであるマイケル・ブース は著書 ちょしょ 『限 かぎ りなく完璧 かんぺき に近 ちか い人々 ひとびと 』(2014年 ねん )で、北欧 ほくおう の暮 く らしがそれほど完璧 かんぺき ではないと指摘 してき する[4] 。
19世紀 せいき 初頭 しょとう 、商業 しょうぎょう 主義 しゅぎ と資本 しほん 主義 しゅぎ の進展 しんてん が社会 しゃかい を混乱 こんらん に陥 おとしい れるとの危機 きき 感 かん から、数々 かずかず のユートピア思想 しそう が台頭 たいとう してきた。これらは大 おお きくは空想 くうそう 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ の流 なが れに属 ぞく する。共通 きょうつう の特徴 とくちょう として平等 びょうどう 主義 しゅぎ 的 てき な資源 しげん の分配 ぶんぱい が挙 あ げられ、金銭 きんせん のやりとりを一切 いっさい 廃 はい することも多 おお い。人々 ひとびと は公共 こうきょう の福祉 ふくし のために自分 じぶん の好 す きな仕事 しごと をし、豊富 ほうふ な余暇 よか にはアートや科学 かがく の教養 きょうよう を深 ふか める。そうしたユートピアの古典 こてん 的 てき な例 れい がエドワード・ベラミー の小説 しょうせつ 『顧 かえり みれば』に描 えが かれている。ウィリアム・モリス が『ユートピアだより』で描 えが いたのは少 すこ し異 こと なる社会 しゃかい 主義 しゅぎ ユートピアで、ベラミーのトップダウン型 がた (官僚 かんりょう 主義 しゅぎ )ユートピアへの批判 ひはん 的 てき 応答 おうとう にもなっている。ただし社会 しゃかい 主義 しゅぎ 運動 うんどう はやがてユートピア思想 しそう から離 はな れていき、なかでもマルクス はユートピア的 てき な社会 しゃかい 主義 しゅぎ 思想 しそう を厳 きび しく批判 ひはん した。唯物 ゆいぶつ 論 ろん 的 てき なユートピア社会 しゃかい を特徴 とくちょう づけるのは完璧 かんぺき な経済 けいざい であり、そこでは物価 ぶっか はつねに安定 あんてい し、経済 けいざい 的 てき にも社会 しゃかい 的 てき にも皆 みな が平等 びょうどう になると考 かんが えられる。
英国 えいこく の政治 せいじ 家 か エドワード・ギボン・ウェイクフィールド は19世紀 せいき 初頭 しょとう に植民 しょくみん 地 ち 政策 せいさく についてのユートピア的 てき 理論 りろん を提唱 ていしょう した。これも経済 けいざい 学 がく 的 てき 考察 こうさつ に主眼 しゅがん を置 お くものだが、階級 かいきゅう 格差 かくさ を温存 おんぞん する意図 いと が含 ふく まれている[5] 。ウェイクフィールドの理論 りろん はニュージーランド やオーストラリア を含 ふく むいくつかの植民 しょくみん 地 ち 政策 せいさく に影響 えいきょう を与 あた えた。
H・G・ウェルズの『モダン・ユートピア』(1905年 ねん )は広 ひろ く読 よ まれ、多 おお くの議論 ぎろん を巻 ま き起 お こした。エリック・フランク・ラッセル は『大 おお いなる爆発 ばくはつ 』(1963年 ねん )の最 さい 終章 しゅうしょう で経済 けいざい 的 てき ・社会 しゃかい 的 てき ユートピアを詳細 しょうさい に描 えが いている。地域 ちいき 交換 こうかん 取引 とりひき 制度 せいど (LETS) に初 はじ めて言及 げんきゅう したのもこの作品 さくひん である。
ソ連 それん ではフルシチョフ 政権 せいけん 下 か の雪融 ゆきど け時代 じだい [6] 、作家 さっか イワン・エフレーモフ が『アンドロメダ星雲 せいうん 』(1957年 ねん )というSF小説 しょうせつ で宇宙 うちゅう 規模 きぼ の「雪融 ゆきど け」を描 えが いた。人類 じんるい が銀河 ぎんが 規模 きぼ の集団 しゅうだん と交流 こうりゅう し、異 こと なる哲学 てつがく が活発 かっぱつ にぶつかり合 あ う社会 しゃかい 的 てき 枠組 わくぐ みのなかで科学 かがく 技術 ぎじゅつ と文化 ぶんか を発展 はってん させていくという設定 せってい である。
イギリスの政治 せいじ 哲学 てつがく 者 しゃ ジェームズ・ハリントン が1656年 ねん に書 か いたユートピア的 てき 共和 きょうわ 国論 こくろん 『オセアナ』は英国 えいこく の土着 どちゃく 政党 せいとう (Country Party)の共和 きょうわ 主義 しゅぎ を触発 しょくはつ し、アメリカ大陸 あめりかたいりく の植民 しょくみん 地 ち 経営 けいえい にも影響 えいきょう を与 あた えた。ハリントンの思想 しそう はやがてアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 建国 けんこく 者 しゃ らの理想 りそう となる。英国 えいこく の植民 しょくみん 地 ち のなかでカロライナ 、ペンシルベニア 、ジョージア の3つの植民 しょくみん 地 ち がユートピア社会 しゃかい として設計 せっけい された。ジョージアではとくに「農業 のうぎょう 的 てき 平等 びょうどう 」を重視 じゅうし して農地 のうち が平等 びょうどう に割 わ り当 あ てられ、追加 ついか で農地 のうち を購入 こうにゅう したり相続 そうぞく したりすることは禁 きん じられていた。これはのちにトーマス・ジェファーソン が思 おも い描 えが いた「自作農 じさくのう 」(ヨーマン)を基礎 きそ とする民主 みんしゅ 主義 しゅぎ の初期 しょき の試 こころ みと言 い える。
米国 べいこく では1960年代 ねんだい にコミューン が盛 さか んになり、よりよい生 い き方 かた を目指 めざ す共同 きょうどう 生活 せいかつ が広 ひろ まった。「大地 だいち へ帰 かえ れ」運動 うんどう やヒッピーたちに刺激 しげき されて、多 おお くの人 ひと が都会 とかい を離 はな れて自然 しぜん 豊 ゆた かな土地 とち に移住 いじゅう し、安 やす らかで調和 ちょうわ した暮 く らしと新 あら たな共同 きょうどう 生活 せいかつ の運営 うんえい を模索 もさく した[7] 。たとえば1967年 ねん から1973年 ねん まで存続 そんぞく したカリフラワー・コミューン (英語 えいご 版 ばん ) では、既存 きそん の社会 しゃかい 規範 きはん からの脱却 だっきゃく と理想 りそう の共同 きょうどう 体 たい 自治 じち が試 こころ みられた[8] [9] 。
そのように共同 きょうどう でよりよい生活 せいかつ を実現 じつげん するためのインテンショナル・コミュニティ を築 きず く試 こころ みは世界中 せかいじゅう に存在 そんざい する。失敗 しっぱい に終 お わったものも多 おお いが、なかには発展 はってん を続 つづ けているコミュニティもある。たとえば1972年 ねん に米国 べいこく で発足 ほっそく した十 じゅう 二 に 支族 しぞく 教団 きょうだん は、世界 せかい 各地 かくち で現在 げんざい も活動 かつどう を続 つづ けている。
エコロジカル・ユートピアは、自然 しぜん との新 あら たな関 かか わり方 かた を志向 しこう するユートピアである。アーネスト・カレンバックの著書 ちょしょ 『エコトピア 』(1975年 ねん )はエコロジカル・ユートピアを描 えが いた最初 さいしょ 期 き の小説 しょうせつ で、エコロジカル・ユートピア思想 しそう に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた[10] 。リチャード・グローブは著書 ちょしょ 『Green Imperialism』(1995年 ねん )で、エコロジカル・ユートピア思想 しそう の歴史 れきし 的 てき ルーツを探 さぐ っている[11] 。それによると、西洋 せいよう のデータ中心 ちゅうしん の科学 かがく 者 しゃ らがユートピア的 てき な熱帯 ねったい の島 しま に出会 であ ったときの衝撃 しょうげき から、初期 しょき の環境 かんきょう 主義 しゅぎ が生 う まれたという[12] 。エコロジカル・ユートピアは自然 しぜん 破壊 はかい によって成 な り立 た つ西洋 せいよう 現代 げんだい 人 じん の生活 せいかつ が[13] 、工業 こうぎょう 化 か 以前 いぜん の伝統 でんとう 的 てき な暮 く らし方 かた から大 おお きく離 はな れてしまったことを問題 もんだい にする[14] 。より持続 じぞく 可能 かのう な社会 しゃかい のあり方 かた を目指 めざ す運動 うんどう と言 い ってもよいだろう。オランダの哲学 てつがく 者 しゃ Marius de Geus によると、エコロジカル・ユートピアはグリーンポリティクス を含 ふく む社会 しゃかい ・政治 せいじ 的 てき 運動 うんどう を推進 すいしん する力 ちから になりうる[15] 。
ユートピアはジェンダーの問題 もんだい にも深 ふか い関心 かんしん を抱 だ いてきた。性別 せいべつ は社会 しゃかい 的 てき に構築 こうちく されたものか、それとも生物 せいぶつ 学 がく 的 てき に人 ひと に組 く み込 こ まれたものなのか、あるいはそれらが組 く み合 あ わさったものなのか[16] 。ユートピア思想 しそう の多 おお くは社会 しゃかい 的 てき ・経済 けいざい 的 てき な女性 じょせい の地位 ちい に関心 かんしん を持 も ち、何 なん らかのジェンダー平等 びょうどう を思想 しそう の要 よう に置 お いている。その具体 ぐたい 的 てき なビジョンは女性 じょせい 嫌悪 けんお の解消 かいしょう 、性別 せいべつ による住 す み分 わ け、男女 だんじょ の差異 さい がない中性 ちゅうせい 的 てき な平等 びょうどう など様々 さまざま である。エドワード・ベラミー は1887年 ねん の小説 しょうせつ 『顧 かえり みれば』のなかに、女性 じょせい 参政 さんせい 権 けん など当時 とうじ のフェミニスト運動 うんどう の論点 ろんてん を取 と り入 い れた。彼 かれ の描 えが いたユートピア社会 しゃかい では、体力 たいりょく の違 ちが いを考慮 こうりょ して女性 じょせい を軽工業 けいこうぎょう に就 つ かせたり、子 こ どもを産 う んでもらうための様々 さまざま な例外 れいがい 規定 きてい はあるが、基本 きほん 的 てき には男女 だんじょ は平等 びょうどう である。またフェミニストのユートピアの古典 こてん として有名 ゆうめい な作品 さくひん に、シャーロット・パーキンス・ギルマン の『フェミニジア (英語 えいご 版 ばん ) 』(原題 げんだい :Herland, 1915年 ねん )がある。
サイエンス・フィクション およびスペキュレイティブ・フィクション では、社会 しゃかい だけでなく生物 せいぶつ 学 がく 的 てき 水準 すいじゅん でもジェンダーの概念 がいねん が再考 さいこう される。マージ・ピアシー (英語 えいご 版 ばん ) の『時 どき を飛翔 ひしょう する女 おんな (英語 えいご 版 ばん ) 』(1976年 ねん )に描 えが かれる社会 しゃかい ではジェンダーだけでなくセクシュアリティも(相手 あいて のジェンダーが何 なに であれ)平等 びょうどう である。女性 じょせい の権利 けんり を語 かた る上 じょう でしばしば避 さ けがたい壁 かべ となる妊娠 にんしん ・出産 しゅっさん の問題 もんだい についても、人工 じんこう 子宮 しきゅう などの技術 ぎじゅつ によって乗 の り越 こ えられている。生 う まれた子 こ どもはほとんどの時間 じかん を親 おや ではなく他 ほか の子 こ どもたちと一緒 いっしょ に過 す ごす。1人 ひとり の子 こ どもにつき「母親 ははおや 」は3人 にん いるのが普通 ふつう で、母親 ははおや はジェンダーではなく経験 けいけん や能力 のうりょく によって選 えら ばれる(男性 だんせい も女性 じょせい も母親 ははおや になる)。そうした科学 かがく 技術 ぎじゅつ による出産 しゅっさん ・育児 いくじ からの解放 かいほう はシュラミス・ファイアストーン の『性 せい の弁証法 べんしょうほう (英語 えいご 版 ばん ) 』(1970年 ねん )でも論 ろん じられている。Mary Gentle の『Golden Witchbreed』(1984年 ねん )に出 で てくる異 い 星 ほし 人 じん は思春期 ししゅんき を迎 むか えるまでジェンダーの区別 くべつ がなく、ジェンダーで社会 しゃかい 的 てき 役割 やくわり が分 わ かれることもない。それに対 たい して、ドリス・レッシング の小説 しょうせつ 『The Marriages Between Zones Three, Four and Five』(1980年 ねん )では男性 だんせい と女性 じょせい には本質 ほんしつ 的 てき に異 こと なる価値 かち があり、両者 りょうしゃ の歩 あゆ み寄 よ りが重要 じゅうよう であることが示唆 しさ される。Elisabeth Mann Borgese が『My Own Utopia』(1961年 ねん )で描 えが いた社会 しゃかい にはジェンダーは存在 そんざい するが、生物 せいぶつ 学 がく 的 てき な性 せい に縛 しば られてはいない。ジェンダーのない子 こ どもたちがやがて女性 じょせい になり、そのうち一部 いちぶ の人 ひと がやがて男性 だんせい になる[16] 。またウィリアム・モールトン・マーストン 原作 げんさく のコミック『ワンダーウーマン 』(1941年 ねん -)にはパラダイス島 とう で暮 く らす女 おんな だけの一族 いちぞく 「アマゾン族 ぞく 」の母権 ぼけん 社会 しゃかい が描 えが かれている。
ユートピア作品 さくひん に登場 とうじょう するシングルジェンダー社会 しゃかい やシングルセックス社会 しゃかい は、昔 むかし からジェンダーの意味 いみ や差異 さい について考察 こうさつ する手段 しゅだん であり続 つづ けている。SF作品 さくひん に登場 とうじょう する女性 じょせい だけの世界 せかい は、男性 だんせい が病気 びょうき で死 し に絶 た え、技術 ぎじゅつ の進歩 しんぽ で女性 じょせい による単 たん 為 ため 生殖 せいしょく が可能 かのう になった結果 けっか として描 えが かれることが多 おお い。古 ふる くは1915年 ねん の『フェミニジア』もそうであったが、1970年代 ねんだい になってレズビアン分離 ぶんり 主義 しゅぎ の運動 うんどう に呼応 こおう し、女性 じょせい だけのユートピアが多 おお く登場 とうじょう した[17] 。ジョアンナ・ラス の『フィメール・マン』、Suzy McKee Charnas の『Walk to the End of the World』および『Motherlines』などが代表 だいひょう 的 てき である[17] 。こうした女性 じょせい だけの社会 しゃかい は、家父長制 かふちょうせい から解放 かいほう されて自立 じりつ した女性 じょせい の姿 すがた を想像 そうぞう するためのツールとなる。そこはレズビアン社会 しゃかい として描 えが かれることもあれば(Katherine V. Forrest の『Daughters of a Coral Dawn』)、セクシュアルな関係 かんけい 性 せい が存在 そんざい しない場合 ばあい もある(シャーロット・パーキンス・ギルマン の『フェミニジア』)[18] 。
SFによって未来 みらい のジェンダー役割 やくわり を探求 たんきゅう する作品 さくひん は欧州 おうしゅう などと比 くら べて米国 べいこく でとくに多 おお いという指摘 してき もあるが[16] 、ノルウェーの作家 さっか Gerd Brantenberg による『Egalias døtre』やドイツの作家 さっか クリスタ・ヴォルフ の『メディア-さまざまな声 こえ 』など、各国 かっこく の作家 さっか が影響 えいきょう 力 りょく の大 おお きな作品 さくひん を発表 はっぴょう している。
^ 『ユートピア』岩波 いわなみ 文庫 ぶんこ 版 はん (ISBN 4-00-322021-8 )の解説 かいせつ によれば、この話 はなし がフィクションであることの強調 きょうちょう と共 とも に現実 げんじつ 社会 しゃかい の批判 ひはん を和 やわ らげる意図 いと があったという。
^ 理想 りそう 国家 こっか の概念 がいねん を描 えが いた。
^ 金銀 きんぎん 財宝 ざいほう に満 み ちオリハルコン など不思議 ふしぎ な技術 ぎじゅつ を有 ゆう した豪奢 ごうしゃ な専制 せんせい 王国 おうこく アトランティス が、ギリシアを侵略 しんりゃく しようとして神 かみ の怒 いか りに触 ふ れ滅亡 めつぼう する。
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