搾取さくしゅ

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搾取さくしゅ(さくしゅ)とは、第一義だいいちぎてきには動物どうぶつちち草木くさき果実かじつしるなどをしぼりとることを意味いみする言葉ことばである[1]

しかしその意味いみからてんじて第二義だいにぎてきに、「性的せいてき搾取さくしゅ」や「ちゅうあいだ搾取さくしゅ」などの慣用かんようてきれいられるように、他人たにん帰属きぞくすべき権利けんり利得りとく不正ふせい侵害しんがいしたり取得しゅとくすることや、優越ゆうえつてき立場たちば濫用らんよう他人たにん使役しえきして不当ふとう利益りえきること、労働ろうどうしゃ必要ひつよう労働ろうどう時間じかん以上いじょうはたらかせ、そこから発生はっせいする剰余じょうよ労働ろうどう生産せいさんぶつ無償むしょう取得しゅとくすることをあらわすためにも日常にちじょうてきもちいられる。一般いっぱんてきには、ひと自分じぶん本位ほんいに、または倫理りんりてき利用りようすることを[1]。なお、これらの行為こういして「ちゅう」という場合ばあいピンハネを、類語るいごとしてまる参照さんしょう

搾取さくしゅ理論りろん歴史れきし[編集へんしゅう]

搾取さくしゅは、公正こうせい経済けいざい交換こうかんというかたちをとるが、交換こうかん公正こうせい原則げんそく特定とくていするこころみは、アリストテレスにさかのぼる[2]。アリストテレスは、公正こうせい交換こうかんは、交換こうかんされるざい価値かち比例ひれいするような一種いっしゅ互恵ごけいせい体現たいげんすると『ニコマコス倫理りんりがく』で主張しゅちょうした[3]。しかし、比例ひれいという概念がいねん直感ちょっかんてきには魅力みりょくてきだが、やや不明ふめいである[2]

カトリック教会きょうかいでは、利息りそくることはつみであり、「高利貸こうりが」は禁止きんしされた[2]スコラがくでは、金銭きんせんしにともな利子りしは、あたえた以上いじょうのものをかえしてもらうという不公平ふこうへい交換こうかんであるとされた[2]

しかし、トマス・アクィナスは、"ぶつをその価値かち以上いじょう値段ねだんることは合法ごうほうか "といういにこたえて、詐欺さぎ独占どくせん利用りようして過剰かじょう価格かかく不当ふとうであるが、とく達成たっせいするために利益りえきもとめることは正当せいとうであり、あるざいった値段ねだんよりもたかること、利益りえきるために十分じゅうぶん値段ねだんをつけること、リスクや損失そんしつ回避かいひも、本質ほんしつてき罪深つみぶかいことではなく、市場いちば価格かかく正当せいとう価格かかくであるとする[4][2]。ただし、アクィナスは、必要ひつようせまられて借金しゃっきんをし、その結果けっか交換こうかんへの同意どうい完全かんぜん任意にんいではないことを懸念けねんしてもいる[5]

自然しぜん法学ほうがくしゃジョン・ロックも、正当せいとう価格かかくとは販売はんばいする場所ばしょでの市場いちば価格かかく相当そうとうするものとかんがえた[6][2]。ロックは、市場いちばでの正当せいとう価格かかく相対そうたいせいち、たとえば、商人しょうにん飢饉ききんちか都市とし通常つうじょう状況じょうきょう都市としよりもたか価格かかくでトウモロコシを販売はんばいしても不当ふとうとはえないと主張しゅちょうした。商人しょうにんたか価格かかくをつけなくとも、投機とうきがそれをえば利益りえきわたるだけであるし、商人しょうにん市場いちば損失そんしつをカバーできなければ、しょう取引とりひきおこなものはいなくなる[2]。しかし、ロックは、通常つうじょう100ポンドのいかりを、遭難そうなんした船長せんちょうに5000ポンドで販売はんばいすることは不当ふとう搾取さくしゅてき)で、とくこまっているひとに、商品しょうひん一般いっぱん市場いちば価格かかくよりもたか値段ねだん販売はんばいすることは公正こうせいだとした[2]。ロックにとって公正こうせい価格かかくとは、緊急きんきゅう事態じたいや、特定とくていよわみによって決定けっていされるものではなく、需要じゅよう供給きょうきゅう一般いっぱんてき動向どうこうによって決定けっていされる市場いちば価格かかくである[2]

リカード社会しゃかい主義しゅぎしゃトーマス・ホジスキンは、ロックと同様どうように、財産ざいさんけん自然しぜんけんであり、個人こじんは、みずからの生産せいさんぶつみずからの個別こべつ使用しよう享受きょうじゅのために所有しょゆうし、その全体ぜんたい自由じゆう処分しょぶんする権利けんりゆうし、労働ろうどうしゃ生産せいさんしたものの価値かちをすべて享受きょうじゅする権利けんりがあると主張しゅちょうした[7][2]。しかし、征服せいふく窃盗せっとう起源きげんち、政府せいふとおしてその定着ていちゃくさせた、立法りっぽう権力けんりょくにすぎない人工じんこうてき財産ざいさんけん存在そんざいし、国家こっか財産ざいさん自然しぜんけん抑圧よくあつする一方いっぽうで、人工じんこうてき財産ざいさんけん優先ゆうせんさせることがしばしばで、国家こっか搾取さくしゅ機関きかんであり、搾取さくしゅわらせるためには、国家こっかちから大幅おおはば制限せいげんし、財産ざいさん自然しぜんけん強化きょうかすべきだと主張しゅちょうした[2]

リカード社会しゃかい主義しゅぎしゃジョン・ブレイは、搾取さくしゅをなくすには、すべてのひと平等びょうどう生産せいさん手段しゅだんにアクセスできるようにし、それによって労働ろうどう価値かちせつもとづく平等びょうどう交換こうかんシステムを主張しゅちょうした[2]。ホジキンと実業じつぎょうたちが資本しほん主義しゅぎ国家こっかてき干渉かんしょうから浄化じょうかしようとしたのにたいし、ブレイとその仲間なかま社会しゃかい主義しゅぎしゃたちは、資本しほん主義しゅぎ完全かんぜん排除はいじょ目指めざした[2]

ボワギルベール、シスモンディなどのフランス古典こてん経済けいざいがくにとって、社会しゃかい生産せいさんてき労働ろうどうしゃ生産せいさんてき寄生きせい階級かいきゅうかれていた[2]生産せいさんてき労働ろうどうしゃには、肉体にくたい労働ろうどうしゃだけでなく、ざいのものより有用ゆうようにするためにはたらくすべてのもの起業きぎょう資本しほん包含ほうがんすると理解りかいされた。これにたいして、軍隊ぐんたい政府せいふ聖職せいしょくしゃなどは価値かち消費しょうひするが生産せいさんしない生産せいさんてき階級かいきゅうとみなされた[2]。シャルル・コンテやジャン=バティスト・セイによれば、生産せいさんてき階級かいきゅうは、政府せいふ強制きょうせいりょく利用りようして生産せいさんてき階級かいきゅうから資源しげん強制きょうせいてきすことによって、自己じこ維持いじする。ぜい関税かんぜいはそのような搾取さくしゅ略奪りゃくだつ明白めいはく形態けいたいであったが,おな目的もくてきは,限定げんていてき独占どくせんけん付与ふよなど、特定とくてい産業さんぎょう保護ほごによっても達成たっせいされうる[2]

マルクス主義まるくすしゅぎ[編集へんしゅう]

政治せいじがく経済けいざいがくにおける「搾取さくしゅ」は上記じょうき第二義だいにぎちか意味いみもちいられる言葉ことばであり、他人たにん労働ろうどう成果せいか無償むしょう取得しゅとくすることを術語じゅつごとなっている。以下いかほん項目こうもくにおいては、おもマルクス主義まるくすしゅぎにおける用法ようほう説明せつめいする。

マルクス主義まるくすしゅぎにおける用法ようほう[編集へんしゅう]

マルクス経済けいざいがくでは、生産せいさん手段しゅだんをもたない生産せいさん階級かいきゅう労働ろうどうしゃなど)が生産せいさんする労働ろうどう生産せいさんぶつ商品しょうひんサービスなど)のうち、その生産せいさんしゃ社会しゃかいてき生存せいぞんしていくのに必要ひつよう労働ろうどう生産せいさんぶつ以上いじょう生産せいさんぶつ剰余じょうよ生産せいさんぶつやサービスの一部いちぶ)を、生産せいさん手段しゅだん所有しょゆうする生産せいさん階級かいきゅう資本しほんなど)が無償むしょう収奪しゅうだつすることをして搾取さくしゅぶ。

資本しほんせい以前いぜん搾取さくしゅ[編集へんしゅう]

マルクス経済けいざいがくにおいては原始げんし共産きょうさんせいでは、生産せいさんりょくひくく、搾取さくしゅ存在そんざいしないとされ、奴隷どれいせいにおいて奴隷どれいぬし階級かいきゅう奴隷どれい階級かいきゅうはじめて搾取さくしゅするとされる。封建ほうけんせいでは領主りょうしゅ階級かいきゅう農奴のうど階級かいきゅう搾取さくしゅするとされる。

原始げんし共産きょうさんせいでは、生産せいさんりょくひくく、搾取さくしゅ存在そんざいしないということになっているが、搾取さくしゅとはひとつの観念かんねんであり、ひとひと労働ろうどう一部いちぶ私有しゆうするという観念かんねん発生はっせい持続じぞくしたことによって人間にんげん牛馬ぎゅうば同等どうとうもしくはそのもとかんがかた奴隷どれいせいである。

そこには他者たしゃ労働ろうどう一部いちぶ私有しゆうするという行為こういがその根底こんていにある。その観念かんねんがどのように発生はっせいしてきたのかということをかんがえれば、マルクスうところの原始げんし共産きょうさんせい社会しゃかいなかで、その萌芽ほうがあらわれていたという見方みかた現在げんざい考古学こうこがくうえからうかがれる範囲はんいではとることが出来できる。

マルクスがうところの原始げんし共産きょうさんせい社会しゃかいとは、考古学こうこがくじょうではちゅう石器せっき時代じだい後半こうはん社会しゃかい該当がいとうするものである。現在げんざい考古学こうこがくでは狩猟しゅりょう採集さいしゅう社会しゃかいであるその時代じだいを、生産せいさんりょくひくいとはけっしてていない。社会しゃかい家族かぞく関係かんけい延長線えんちょうせんじょうにある親族しんぞく社会しゃかいであり、その関係かんけい観念かんねん親族しんぞく他者たしゃとはかんがえないものとなっていることによって、この社会しゃかいでは搾取さくしゅおこなわれない。つまり、現代げんだい社会しゃかいでいえば、家族かぞくなか搾取さくしゅおこなわれない[よう出典しゅってん]こととおなじである。

搾取さくしゅ発生はっせいはじめた社会しゃかい人間にんげん栽培さいばい植物しょくぶつ発見はっけんし、本格ほんかくてき植物しょくぶつ栽培さいばいしたとき、つまり農耕のうこう発生はっせいはじまった社会しゃかいであり、そこからおおくの余剰よじょう生産せいさんぶつ発生はっせいし、本来ほんらい共同きょうどうたい全体ぜんたい労働ろうどうによる余剰よじょう生産せいさんぶつであるにもかかわらず、一部いちぶものがそれを私有しゆうとして消費しょうひした時点じてんが、他者たしゃ労働ろうどう一部いちぶ私有しゆうしたということになる。そのことが搾取さくしゅはじまりとえる。

やがて時間じかん経過けいかとも余剰よじょう生産せいさんぶつ利用りようした特別とくべつ階層かいそう固定こていされてくる。そこでは他者たしゃ労働ろうどう私有しゆう搾取さくしゅという観念かんねん)が発生はっせいしてき、共同きょうどうたいなか固定こていされてくる。

その時代じだい土地とちはいくらでもあった。そこに人間にんげん労働ろうどうりょく投下とうかすればいくらでも農耕のうこうによって生産せいさんりょくげることが出来できる。そこから部族ぶぞく土地とちねらわれ、つよ部族ぶぞくがその土地とち侵略しんりゃくした、それと同時どうじ捕虜ほりょとした部族ぶぞくみん奴隷どれいとしたということである。

搾取さくしゅとは、他者たしゃ労働ろうどう私有しゆうそのものである。現在げんざい社会しゃかいまでその観念かんねん発生はっせい時点じてんから継続けいぞくしてきたことにより、現代げんだい社会しゃかいでも人間にんげんによる人間にんげん搾取さくしゅおこなわれている。

資本しほんせいにおける搾取さくしゅ[編集へんしゅう]

資本しほんせいでは、労働ろうどうしゃ階級かいきゅうは「労働ろうどう対価たいか」としての「労賃ろうちん」を等価とうか交換こうかんっているという形態けいたいをとるので、一見いっけん搾取さくしゅ存在そんざいしないようにえる。マルクス経済けいざいがくでは、古典こてん経済けいざいがくは、労賃ろうちんを「労働ろうどう対価たいか」とたために、搾取さくしゅ存在そんざい利潤りじゅん剰余じょうよ価値かち)がどこから発生はっせいするかを見抜みぬけずに、理論りろんてき破滅はめつおちいったとされる。なぜなら、原材料げんざいりょう機械きかい費用ひようにあたる費用ひよう部分ぶぶん等価とうか交換こうかんし、「労働ろうどう」にあたる費用ひよう部分ぶぶん(いわゆる「労賃ろうちん部分ぶぶん)も等価とうか交換こうかんするのでは、どこからも利潤りじゅんまれないからである。

カール・マルクスによる資本しほんせいでの搾取さくしゅ暴露ばくろは、以下いかのようなものである。労働ろうどうしゃ労働ろうどう販売はんばいするのではなく、いちにち一定いってい期間きかん)の労働ろうどうりょく販売はんばいする。労働ろうどうりょくいちにち一定いってい期間きかん)で消尽しょうじんされる。資本しほん労働ろうどうりょくったときに、いちにち使用しようけんる。商品しょうひんおなじように、労働ろうどうりょくという商品しょうひんを、どんなふうにどれだけ使つかうかは自由じゆうである。そして、労働ろうどうりょく商品しょうひんは、商品しょうひん唯一ゆいいつちがったてんをもっている特異とくい商品しょうひんで、とみ資本しほんせいにおける価値かち)を特別とくべつ商品しょうひんである。資本しほんせいでは価値かちりょう投下とうかした労働ろうどうりょうすなわち労働ろうどう時間じかんによってはかられる。ゆえに、資本しほんは、まず、労働ろうどうしゃを、労働ろうどうしゃ社会しゃかいてききていくのに必要ひつようぶんだけはたらかせる(必要ひつよう労働ろうどう)。これが労働ろうどうりょくさい生産せいさんするのに必要ひつようとみりょう、すなわち労働ろうどうりょく商品しょうひん対価たいかであり、「労賃ろうちん」として現象げんしょうする。つづいて、資本しほん労働ろうどうりょく商品しょうひん購入こうにゅうしゃとしての権利けんり行使こうしし、その必要ひつよう労働ろうどうぶんえてはたらかせる。この必要ひつよう労働ろうどうえてはたらかせたぶん剰余じょうよ労働ろうどうであり、ここでされる価値かち剰余じょうよ価値かちという。資本しほんせいにおける搾取さくしゅは、この剰余じょうよ価値かち資本しほん階級かいきゅうによる取得しゅとくをさす。剰余じょうよ価値かち利潤りじゅん源泉げんせんである。この理論りろんモデルによって、古典こてん混迷こんめい原因げんいんとなった、商品しょうひん経済けいざい原則げんそくである等価とうか交換こうかん原則げんそく侵犯しんぱんすることなく、搾取さくしゅ解明かいめいすることが可能かのうになった。

また、生産せいさんしゃ土地とち機械きかいなどの生産せいさん手段しゅだんから「解放かいほう」され、同時どうじ封建ほうけんてき身分みぶん拘束こうそく土地とちへの緊縛きんばくから「解放かいほう」されるという、じゅう意味いみで「自由じゆう」な労働ろうどうしゃ出現しゅつげんし、労働ろうどうしゃ労働ろうどうりょく販売はんばいせざるをえないという歴史れきしてき段階だんかいになってはじめて、資本しほん主義しゅぎてき生産せいさん搾取さくしゅ可能かのうになる。

マルクスの盟友めいゆうエンゲルスは、剰余じょうよ価値かち発見はっけんを、史的してき唯物ゆいぶつろん解明かいめいとならぶ「大発見だいはっけん」としょうした。マルクスは『共産党きょうさんとう宣言せんげん』『ちん労働ろうどう資本しほん』などのころには搾取さくしゅ概念がいねんには到達とうたつしておらず、『資本しほんろん』1かんにおいてはじめてその解明かいめいたっした。『賃金ちんぎん価格かかく利潤りじゅん』にはその反映はんえいがある。

マルクスの基本きほん定理ていり[編集へんしゅう]

マルクス以前いぜんにも、リカードは、価格かかく投下とうか労働ろうどう価値かち比例ひれいする前提ぜんていのもとでは、せい利潤りじゅん源泉げんせん労働ろうどう搾取さくしゅにあることをしめしていた。

マルクスはリカードの付与ふよした条件じょうけんひろげ、価格かかく投下とうか労働ろうどう価値かちではなく、均等きんとう利潤りじゅんりつつ「生産せいさん価格かかく」になったとしても、利潤りじゅん源泉げんせん搾取さくしゅされた労働ろうどうだとえることを証明しょうめいできたとした。これがいわゆる「転化てんか問題もんだい」における「総計そうけい一致いっち命題めいだい両立りょうりつ」である。

マルクス経済けいざい学者がくしゃは、ベームバベルク以来いらい、この「転化てんか問題もんだい」についてのマルクスの解決かいけつには欠陥けっかんがあり、マルクスの主張しゅちょうりたないことを再三さいさんにわたって主張しゅちょう論証ろんしょうしてきた。

マルクス経済けいざいがくがわ反論はんろんは、マルクスが『資本しほんろん』でおこなっているのは、転化てんか問題もんだい最初さいしょのステップであり、これだけは総計そうけい一致いっち命題めいだいつにはたしかに不十分ふじゅうぶんであるが、マルクスがやろうとした計算けいさんかえしていけば、そう生産せいさん価格かかくそう価値かち一致いっちするはずだと反論はんろんした。しかし後年こうねん転化てんか問題もんだい実際じっさい最後さいごまでいてみると、「総計そうけい一致いっち命題めいだい」は両立りょうりつしないことがあきらかになった。現実げんじつ価格かかく投下とうか労働ろうどう価値かち比例ひれいするのはごくかぎられた場合ばあいであるから、これによって、以降いこう利潤りじゅん源泉げんせん労働ろうどう搾取さくしゅだとうマルクスの主張しゅちょう理論りろんてき正当せいとうできず、客観きゃっかんてき立証りっしょう不可能ふかのう信念しんねん表明ひょうめいにすぎないことになってしまった。

ところが、1954ねんおけしお信雄のぶお証明しょうめいした「マルクスの基本きほん定理ていり」(この英語えいごで『マルクスの経済けいざいがく』をあらわした森嶋もりしま通夫みちお命名めいめいしたもの。証明しょうめいしゃにちなんで、「おけしお-シートン-森嶋もりしま定理ていり」とばれることもある)は、ともかくせい利潤りじゅん発生はっせいさせるような価格かかくならどんな価格かかくであったとしても(つまり投下とうか労働ろうどう価値かち比例ひれいした価格かかくであろうとなかろうとも、また均等きんとう利潤りじゅんりつをもたらす生産せいさん価格かかくであろうとなかろうとも)、そのもとで労働ろうどう搾取さくしゅされていることを数学すうがくてき定理ていりとしてしめした。このことは、マルクス主義まるくすしゅぎ立場たちばたないをわず、厳密げんみつ客観きゃっかん命題めいだいとして、この定理ていりしめ結論けつろんを(マルクス経済けいざい学者がくしゃにも)承認しょうにんすることをせまるものである。

また、この定理ていりは、森嶋もりしま著作ちょさくとうつうじてひろまり、マルクス・ルネサンスばれるあたらしいマルクス経済けいざいがく研究けんきゅうのマイル・ストーンともなった。

1980年代ねんだいはいると、一般いっぱんてき商品しょうひん搾取さくしゅ定理ていり証明しょうめいされるようになった[8][9]。これは「マルクスの基本きほん定理ていり」を拡張かくちょうし、労働ろうどう搾取さくしゅ存在そんざい任意にんい商品しょうひん搾取さくしゅ存在そんざい同値どうちせいしめしたものである。この定理ていりにより、「マルクスの基本きほん定理ていり」がしめしたとされる、労働ろうどう搾取さくしゅせい利潤りじゅん唯一ゆいいつ源泉げんせんである主張しゅちょう根拠こんきょうしなう(労働ろうどう搾取さくしゅは、労働ろうどう商品しょうひんでない任意にんい商品しょうひんの「搾取さくしゅ」と可能かのうとなるから)、とされる。しかし,これについては,労働ろうどう以外いがいざい投下とうか価値かち規定きていは、労働ろうどう価値かちせつ立場たちばからは意味いみがないむね批判ひはんや、おけしお森嶋もりしまとはべつ定式ていしきをすることで総計そうけい一致いっち命題めいだいとマルクスの基本きほん定理ていり成立せいりつし、一般いっぱんてき商品しょうひん搾取さくしゅ定理ていり成立せいりつしないNew Interpretation学派がくは定理ていりもっと妥当だとうだとする意見いけんもあり、やはり決着けっちゃくはついていない[10]

日本にっぽんほう[編集へんしゅう]

労働ろうどう基準きじゅんほう[編集へんしゅう]

日本にっぽん労働ろうどう基準きじゅんほうでは中間ちゅうかん搾取さくしゅ禁止きんしされている(だい6じょう)。どうほうでは賃金ちんぎん労働ろうどう条件じょうけんなどについても規制きせいされている。

優越ゆうえつてき立場たちば濫用らんよう[編集へんしゅう]

日本にっぽん法的ほうてき意味合いみあいでは、独禁法どっきんほう公正こうせい取引とりひき委員いいんかいにおける「搾取さくしゅ行為こうい優越ゆうえつてき地位ちい濫用らんよう行為こうい)」として、きんじられる行為こうい。または、未成年みせいねんしゃ児童じどう)の性的せいてき搾取さくしゅとしてきんじられる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b どおり,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんない言及げんきゅう, 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ),精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん,デジタル大辞泉だいじせん,普及ふきゅうばん. “搾取さくしゅとは”. コトバンク. 2022ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Zwolinski, Matt; Wertheimer, Alan, "Exploitation", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Spring 2021 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/spr2021/entries/exploitation/>.
  3. ^ ニコマコス倫理りんりがくだい5かんだい5
  4. ^ Summa Theologiae, part 2, second part, question 77; de Roover, R., 1958, “The Concept of the Just Price: Theory and Economic Policy”, The Journal of Economic History, 18(4): 418–434.,Friedman, D., 1980, “In Defense of Thomas Aquinas and the Just Price”, History of Political Economy, 12(2): 234–242.
  5. ^ 『Summa Theologiae』だい2だい2もんだい78せつ
  6. ^ Locke, J., 1661, “Venditio”, in D. Wooton (ed.) 2004, Locke: Political Writings, Indianapolis: Hackett, p.340-342
  7. ^ Hodgskin, T., 1832, The Natural and Artificial Right of Property Contrasted, London: B. Steil : 24
  8. ^ S. Bowles; H. Gintis (1981). “Structure and practice in the labor theory of value”. Review of Radical Political Economics 12: 1-26. 
  9. ^ J. Roemer (1982). A General Theory of Exploitation and Class. Cambridge: Cambridge Univ. Press 
  10. ^ 吉原よしはら直毅なおき (2011ねん). “資本しほん主義しゅぎ分析ぶんせき基礎きそ理論りろん研究けんきゅう現状げんじょうおよび『あたらしい福祉ふくし社会しゃかい』モデルの探求たんきゅう”. 2012ねん1がつ30にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]