『共産党 きょうさんとう 宣言 せんげん 』(きょうさんとうせんげん、ドイツ語 ご : Manifest der Kommunistischen Partei )または『共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 宣言 せんげん 』(ドイツ語 ご : Das Kommunistische Manifest )は、1848年 ねん にカール・マルクス とフリードリヒ・エンゲルス によって書 か かれた書籍 しょせき 。マルクス主義 まるくすしゅぎ 者 もの による国際 こくさい 秘密 ひみつ 結社 けっしゃ 「共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい 」の綱領 こうりょう であり、共産 きょうさん 主義 しゅぎ の目的 もくてき と見解 けんかい を初 はじ めて明 あき らかにした文書 ぶんしょ である。2013年 ねん 6月 がつ 、『資本 しほん 論 ろん 』第 だい 一 いち 巻 かん の初版 しょはん と共 とも に国際 こくさい 連合 れんごう 教育 きょういく 科学 かがく 文化 ぶんか 機関 きかん (UNESCO)の「世界 せかい の記憶 きおく 」 に草稿 そうこう が登録 とうろく された[2] 。
第 だい 1回 かい 大会 たいかい と『信条 しんじょう 表明 ひょうめい 』『原理 げんり 』
正義 せいぎ 者 しゃ 同盟 どうめい (別 べつ 訳語 やくご :義人 ぎじん 同盟 どうめい )は1836年 ねん にパリ で生 う まれた亡命 ぼうめい ドイツ人 じん を中心 ちゅうしん とした組織 そしき である。エンゲルスは『ドイツにおける社会 しゃかい 主義 しゅぎ 』という論文 ろんぶん のなかで、正義 せいぎ 者 しゃ 同盟 どうめい はフランス の革命 かくめい 家 か であるフランソワ・ノエル・バブーフ 以来 いらい のユートピア 的 てき な共産 きょうさん 主義 しゅぎ の伝統 でんとう をひくもので、財貨 ざいか 全体 ぜんたい を共有 きょうゆう することや秘密 ひみつ 結社 けっしゃ としての色合 いろあ いが濃 こ かったことを回顧 かいこ している。
同 おな じくエンゲルスの回顧 かいこ 『共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい の歴史 れきし によせて 』によれば、マルクスとエンゲルスはこの組織 そしき に後 ご から接触 せっしょく し、同盟 どうめい の首脳 しゅのう 部 ぶ も全 ぜん 欧州 おうしゅう に同盟 どうめい 員 いん をもつ組織 そしき に発展 はってん する過程 かてい で秘密 ひみつ 結社 けっしゃ 的 てき ・バブーフ的 てき な共産 きょうさん 主義 しゅぎ 結社 けっしゃ からの脱出 だっしゅつ を模索 もさく していた。同盟 どうめい の首脳 しゅのう 部 ぶ 幹部 かんぶ (具体 ぐたい 的 てき にはカール・シャッパー )は、ヴァイトリング 派 は に抵抗 ていこう するため、当時 とうじ 孤立 こりつ 状 じょう 況 きょう にあったマルクスとエンゲルスと提携 ていけい することを決断 けつだん 。シャッパーはマルクスたちに加盟 かめい をすすめ、同盟 どうめい の危機 きき 的 てき 状況 じょうきょう を打破 だは する理論 りろん 的 てき 宣言 せんげん を執筆 しっぴつ するよう依頼 いらい した(1847年 ねん 秋 あき )。1847年 ねん 6月 がつ に行 おこな われた共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい の第 だい 1回 かい 大会 たいかい では『共産 きょうさん 主義 しゅぎ の信条 しんじょう 表明 ひょうめい 』(ドイツ語 ご : Kommunistisches Glaubensbekenntnis )が暫定 ざんてい 的 てき な綱領 こうりょう 草案 そうあん として採択 さいたく される。『共産 きょうさん 主義 しゅぎ の信条 しんじょう 表明 ひょうめい 』は全文 ぜんぶん がエンゲルスによって書 か かれており、書記 しょき のヴィルヘルム・ヴォルフ (de:Wilhelm Wolff (Publizist) )と議長 ぎちょう シャッパーの署名 しょめい がある。
『共産 きょうさん 主義 しゅぎ の信条 しんじょう 表明 ひょうめい 』草案 そうあん は22の問答 もんどう 体形 たいけい 式 しき で書 か かれたが、同盟 どうめい のブリュッセル 班 はん でも賛成 さんせい が得 え られなかった。またモーゼス・ヘス は上記 じょうき 草案 そうあん の修正 しゅうせい 案 あん を提出 ていしゅつ する。エンゲルスはこれを徹底的 てっていてき に批判 ひはん 、同盟 どうめい より新 しん 草案 そうあん の作成 さくせい を一任 いちにん される。このため、エンゲルスは再 ふたた び10月 がつ 下旬 げじゅん から11月 がつ にかけて問答 もんどう 体 たい の草案 そうあん を書 か くことになった。これがいわゆる『共産 きょうさん 主義 しゅぎ の原理 げんり 』(ドイツ語 ご : Grundsätze des Kommunismus )である。以前 いぜん の『共産 きょうさん 主義 しゅぎ の信条 しんじょう 表明 ひょうめい 』草案 そうあん が22の問答 もんどう 形式 けいしき で書 か かれたのに対 たい し、その後 ご に書 か かれた『共産 きょうさん 主義 しゅぎ の原理 げんり 』は25の問答 もんどう になっている。服部 はっとり 文男 ふみお の論考 ろんこう によれば、これらのエンゲルスの手書 てが きの草案 そうあん 以外 いがい に、新 あら たな別 べつ の案 あん が作成 さくせい されていた可能 かのう 性 せい がある。
第 だい 2回 かい 大会 たいかい と『宣言 せんげん 』準備 じゅんび 開始 かいし
6月の第 だい 1回 かい 大会 たいかい の半年 はんとし 後 ご 、同盟 どうめい の第 だい 2回 かい 大会 たいかい が1847年 ねん 11月29日 にち から12月8日 にち にかけてロンドン で行 おこな われた(これにはマルクス、エンゲルスも出席 しゅっせき している)。エンゲルスは大会 たいかい 直前 ちょくぜん の1847年 ねん 11月23日 にち 付 づけ の書簡 しょかん で「問答 もんどう 形式 けいしき をやめ、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 宣言 せんげん という題 だい にする方 ほう がよい」という趣旨 しゅし をマルクスに伝 つた えた。それに対 たい し同盟 どうめい 幹部 かんぶ は1847年 ねん 11月の組織 そしき 再編 さいへん 大会 たいかい で採択 さいたく した規約 きやく において「党 とう の名 な のもとに宣言 せんげん を発布 はっぷ する」としていた。
ところがヨーロッパ の革命 かくめい 的 てき 情勢 じょうせい がますます切迫 せっぱく したものになっていたにもかかわらず、マルクスの『宣言 せんげん 』執筆 しっぴつ は遅々 ちち としていた。そのため1848年 ねん 1月 がつ 25日 にち 付 づけ の共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい 中央 ちゅうおう 委員 いいん 会 かい (ロンドン)からブリュッセル 地区 ちく 委員 いいん 会 かい (マルクスである)に宛 あ てた通信 つうしん 「1月 がつ 24日 にち の中央 ちゅうおう 委員 いいん 会 かい 決議 けつぎ 」では、マルクスに対 たい し新 しん 綱領 こうりょう となる『宣言 せんげん 』を2月 がつ 1日 にち までにロンドンに発送 はっそう するように督促 とくそく している。
『宣言 せんげん 』の完成 かんせい
マルクスはなんとか1月 がつ に綱領 こうりょう 案 あん を脱 だつ 稿 こう し、その後 ご ロンドンへ発送 はっそう 。翌月 よくげつ 21日 にち 、カール・シャッパー の校閲 こうえつ を経 へ て、ロンドン で印刷 いんさつ ・発行 はっこう された。この時 とき に著者 ちょしゃ 名 めい がつけられていないのは同盟 どうめい の方針 ほうしん である。また共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい の中心 ちゅうしん 者 しゃ は上述 じょうじゅつ のようにマルクスではなく、カール・シャッパー と、その反対 はんたい 派 は の急先鋒 きゅうせんぽう ヴィルヘルム・ヴァイトリング であった。したがってこの文書 ぶんしょ にはマルクス、エンゲルスの思想 しそう とは別 べつ に共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい 幹部 かんぶ たちや職人 しょくにん 革命 かくめい 家 か たち(ヴァイトリング、シャッパー等 とう )の政治 せいじ 的 てき 見地 けんち や社会 しゃかい 的 てき 意識 いしき が反映 はんえい している。このためマルクス研究 けんきゅう 者 しゃ の間 あいだ では、この文書 ぶんしょ は厳密 げんみつ な意味 いみ ではマルクス自身 じしん の著作 ちょさく ではないという見解 けんかい もある。
後年 こうねん 、『共産党 きょうさんとう 宣言 せんげん 』が何 なん 度 ど も再版 さいはん された時 とき にマルクスもエンゲルスも自著 じちょ (共著 きょうちょ )としてこれを扱 あつか い、序文 じょぶん を書 か いている。
序文 じょぶん
冒頭 ぼうとう 文 ぶん
第 だい 1章 しょう ブルジョワ とプロレタリア
第 だい 2章 しょう プロレタリアと共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ
第 だい 3章 しょう 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 的 てき および共産 きょうさん 主義 しゅぎ 的 てき 文献 ぶんけん
第 だい 1節 せつ 反動 はんどう 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ
a. 封建 ほうけん 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ
b. 小 しょう ブルジョワ的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ
c. ドイツ社会 しゃかい 主義 しゅぎ または「真正 しんせい 」社会 しゃかい 主義 しゅぎ
第 だい 2節 せつ 保守 ほしゅ 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ またはブルジョワ社会 しゃかい 主義 しゅぎ
第 だい 3節 せつ 批判 ひはん 的 てき ユートピア的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ および共産 きょうさん 主義 しゅぎ
第 だい 4章 しょう 種々 しゅじゅ の反対 はんたい 党 とう に対 たい する共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ の立場 たちば
エンゲルスは本書 ほんしょ の全体 ぜんたい 像 ぞう について、1883年 ねん のドイツ語 ご 版 はん 序文 じょぶん のなかで「『宣言 せんげん 』を貫 つらぬ く根本 こんぽん 思想 しそう 」として以下 いか の諸点 しょてん を挙 あ げた。
なお、マルクスにもエンゲルスにも経済 けいざい 的 てき 土台 どだい を上部 じょうぶ 構造 こうぞう 決定 けってい の唯一 ゆいいつ の契機 けいき とする考 かんが え方 かた はない。
『宣言 せんげん 』冒頭 ぼうとう の有名 ゆうめい な一文 いちぶん 「ヨーロッパに幽霊 ゆうれい が出 で る――共産 きょうさん 主義 しゅぎ という幽霊 ゆうれい である」は、ローレンツ・フォン・シュタイン の著作 ちょさく 『今日 きょう のフランスにおける社会 しゃかい 主義 しゅぎ と共産 きょうさん 主義 しゅぎ 』(1842年 ねん )中 ちゅう のフランス共産 きょうさん 主義 しゅぎ に関 かん する文章 ぶんしょう に酷似 こくじ している。
マルクスはこの著作 ちょさく を大変 たいへん な熱意 ねつい で読 よ んでいるが、マルクス自身 じしん がここから直接 ちょくせつ にヒントを受 う けて「共産 きょうさん 主義 しゅぎ =幽霊 ゆうれい 」としたと断言 だんげん しているわけではない。しかし『宣言 せんげん 』にはシュタインの著作 ちょさく に影響 えいきょう を受 う けた共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい 幹部 かんぶ の職人 しょくにん 革命 かくめい 家 か たちの政治 せいじ 的 てき な意識 いしき や見地 けんち が反映 はんえい されている。
第 だい 1章 しょう (ブルジョワとプロレタリア)[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 1章 しょう は、「これまでの社会 しゃかい のすべての歴史 れきし は階級 かいきゅう 闘争 とうそう の歴史 れきし である」という有名 ゆうめい な章句 しょうく で始 はじ まり、ブルジョワジーの時代 じだい (まだこのときはマルクスもエンゲルスも「資本 しほん 主義 しゅぎ 的 てき 生産 せいさん 様式 ようしき 」という言葉 ことば を使 つか っていない)は生産 せいさん と社会 しゃかい をどう変 か えてしまったかを述 の べ、現代 げんだい は生産 せいさん 力 りょく と生産 せいさん 関係 かんけい の矛盾 むじゅん が激化 げきか した社会 しゃかい 革命 かくめい の時代 じだい であるとして、プロレタリアートという勢力 せいりょく がその革命 かくめい を担 にな う、という内容 ないよう を述 の べている。
また一方 いっぽう では商人 しょうにん 資本 しほん ・産業 さんぎょう 資本 しほん へと展開 てんかい されるヨーロッパ 各国 かっこく の経済 けいざい 発展 はってん とその生産 せいさん 関係 かんけい の変革 へんかく を述 の べながら、ブルジョワ階級 かいきゅう の政治 せいじ 的 てき 支配 しはい 者 しゃ としての台頭 たいとう 、そしてそれによる近代 きんだい 的 てき 代議 だいぎ 制 せい 国家 こっか の確立 かくりつ 、政治 せいじ 的 てき 意志 いし の中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん 化 か の過程 かてい について述 の べている。賃金 ちんぎん 制 せい による労働 ろうどう の本質 ほんしつ の変貌 へんぼう 、反動 はんどう 主義 しゅぎ 者 しゃ も落胆 らくたん する世界 せかい 市場 いちば の国 くに の独自 どくじ 性 せい を奪 うば う世界 せかい 主義 しゅぎ 的 てき 性質 せいしつ についても述 の べられる。
さらに社会 しゃかい 的 てき 諸 しょ 関係 かんけい の変化 へんか から、一 いち 個 こ の“商品 しょうひん ”として現 あらわ れる労働 ろうどう 力 りょく の存在 そんざい へと議論 ぎろん が発展 はってん していく。「暴力 ぼうりょく によるブルジョワジーの転覆 てんぷく 」という内容 ないよう もここに登場 とうじょう するが、ここの論旨 ろんし はプロレタリアートによって「競争 きょうそう による孤立 こりつ 化 か の代 か わりに、協同 きょうどう (Assoziation )による革命 かくめい 的 てき 団結 だんけつ を作 つく り出 だ す」ことにあると言 い える。
第 だい 2章 しょう (プロレタリアと共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ )[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 2章 しょう は、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ の運動 うんどう の目的 もくてき ・性 せい 格 かく づけが行 おこな われている。正義 せいぎ 者 しゃ 同盟 どうめい をバブーフ的 てき なものからマルクス的 てき なものへ変 か えるという当初 とうしょ のねらいからすれば、重要 じゅうよう な意味 いみ をもつ箇所 かしょ だった。特 とく にあらゆる財貨 ざいか を共有 きょうゆう し、完全 かんぜん 平等 びょうどう を図 はか るというバブーフ的 てき な共産 きょうさん 主義 しゅぎ (そして今日 きょう でも広 ひろ く共産 きょうさん 主義 しゅぎ はそういうものだと思 おも われている)を「粗野 そや な平等 びょうどう 化 か 」(第 だい 3章 しょう )と批判 ひはん し、所有 しょゆう 一般 いっぱん の廃絶 はいぜつ ではなく「ブルジョワ的 てき 所有 しょゆう の廃止 はいし 」が目標 もくひょう 化 か された。
ブルジョア的 てき 所有 しょゆう に対 たい しては「専制 せんせい 的 てき な侵害 しんがい 」なくしてプロレタリアの支配 しはい は達成 たっせい できないとし、例 れい として所得 しょとく 税 ぜい の強力 きょうりょく な累進 るいしん 課税 かぜい 、相続 そうぞく 権 けん の廃止 はいし 、亡命 ぼうめい 貴族 きぞく の財産 ざいさん 没収 ぼっしゅう 、土地 とち や銀行 ぎんこう から工場 こうじょう などの国有 こくゆう 化 か 、生産 せいさん 手段 しゅだん の共有 きょうゆう 化 か 、農業 のうぎょう と工業 こうぎょう の融合 ゆうごう 、児童 じどう 労働 ろうどう の廃絶 はいぜつ 、無償 むしょう の公 おおやけ 教育 きょういく を挙 あ げ、プロレタリアが支配 しはい 階級 かいきゅう として組織 そしき 化 か された暁 あかつき にはやがて自 みずか ら階級 かいきゅう 支配 しはい を廃 はい し、国家 こっか 権力 けんりょく も「政治 せいじ 的 てき 性格 せいかく を失 うしな う」こと、そして「ひとりひとりの自由 じゆう な発展 はってん が、すべての人々 ひとびと の自由 じゆう な発展 はってん の条件 じょうけん となる、一 ひと つの共同 きょうどう 体 たい が現 あらわ れる」という見通 みとお しを述 の べた。
第 だい 3章 しょう (社会 しゃかい 主義 しゅぎ 的 てき および共産 きょうさん 主義 しゅぎ 的 てき 文献 ぶんけん )[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 3章 しょう はさらに次 つぎ の3つの節 ふし に分 わ かれて構成 こうせい されている。
第 だい 1節 せつ 「反動 はんどう 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 」
a.封建 ほうけん 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ
b.小 しょう ブルジョワ的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ
c.ドイツ社会 しゃかい 主義 しゅぎ または「真正 しんせい 」社会 しゃかい 主義 しゅぎ
第 だい 2節 せつ 「保守 ほしゅ 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ またはブルジョワ社会 しゃかい 主義 しゅぎ 」
第 だい 3節 せつ 「批判 ひはん 的 てき ユートピア的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ および共産 きょうさん 主義 しゅぎ 」
ここでは18世紀 せいき から19世紀 せいき にかけてヨーロッパに存在 そんざい した多様 たよう な社会 しゃかい 主義 しゅぎ 的 てき 潮流 ちょうりゅう をどうみるか、という問題 もんだい にあてられている。当時 とうじ は「社会 しゃかい 主義 しゅぎ 」「共産 きょうさん 主義 しゅぎ 」を名乗 なの ることが流行 りゅうこう のように行 おこな われていたので、さまざまな流派 りゅうは が存在 そんざい していた。その主 おも な検討 けんとう ・批判 ひはん の対象 たいしょう は第 だい 1節 せつ cのドイツの真正 しんしょう 社会 しゃかい 主義 しゅぎ であり、モーゼス・ヘス とカール・グリューン が名指 なざ しで批判 ひはん される。
また、小 しょう ブルジョワ的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ (第 だい 1節 せつ b)や空想 くうそう 的 てき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ (第 だい 3節 せつ 。サン=シモン 、フーリエ 、プルードン 等 ひとし )について、その歴史 れきし 的 てき 意義 いぎ を積極 せっきょく 的 てき に示 しめ すと共 とも に、その限界 げんかい が批判 ひはん 的 てき に論 ろん じられる。
第 だい 4章 しょう (種々 しゅじゅ の反対 はんたい 党 とう に対 たい する共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ の立場 たちば )[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 4章 しょう は、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ ではない政治 せいじ 勢力 せいりょく に対 たい する共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ の政治 せいじ スタンスのとり方 かた である。「一言 ひとこと で言 い えば、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ は、いたるところで現 げん に存在 そんざい する社会 しゃかい 的 てき ・政治 せいじ 的 てき 状態 じょうたい に対 たい するどの革命 かくめい 運動 うんどう をも支持 しじ する」とあるように、ブルジョワジーが中心 ちゅうしん の運動 うんどう であってもそれが民主 みんしゅ 主義 しゅぎ や社会 しゃかい 発展 はってん にかなっていれば支持 しじ をすべきという立場 たちば を表明 ひょうめい した。つまり「ドイツがブルジョワ革命 かくめい の前夜 ぜんや にある」とした上 うえ で、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ はドイツに対 たい してプロレタリア革命 かくめい ではなく、ブルジョワ革命 かくめい を展望 てんぼう すべきとしているのである。
他方 たほう で、末文 まつぶん は「共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ は自 みずか らの意図 いと や信条 しんじょう を隠 かく すことを軽蔑 けいべつ する。彼 かれ らの目的 もくてき は、既存 きそん の社会 しゃかい 秩序 ちつじょ を暴力 ぼうりょく 的 てき に転覆 てんぷく することによってのみ達成 たっせい できると公然 こうぜん と宣言 せんげん する。支配 しはい 階級 かいきゅう が共産 きょうさん 主義 しゅぎ 革命 かくめい の前 まえ に慄くように。プロレタリアはこの革命 かくめい において鉄鎖 てっさ のほかに失 うしな う何 なに ものをも持 も たない。彼 かれ らが獲得 かくとく するのは世界 せかい である。万国 ばんこく のプロレタリア、団結 だんけつ せよ 」という有名 ゆうめい な章句 しょうく で閉 と じられ、暴力 ぼうりょく 革命 かくめい が高 たか らかに宣言 せんげん される[3] 。
本書 ほんしょ に対 たい する批評 ひひょう ・批判 ひはん [ 編集 へんしゅう ]
本書 ほんしょ はマルクス主義 まるくすしゅぎ の文献 ぶんけん の中 なか でも、最 もっと も広範 こうはん に読 よ まれていた文献 ぶんけん のひとつである。そして反対 はんたい 者 しゃ ・批判 ひはん 者 しゃ からこれを典拠 てんきょ とする批判 ひはん も数多 かずおお く行 おこな われている。そのうちの最 もっと も多 おお いものの一 ひと つが「共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ は、これまでのすべての社会 しゃかい 秩序 ちつじょ の暴力 ぼうりょく 的 てき 転覆 てんぷく によってのみ、自分 じぶん の目的 もくてき が達 たっ せられることを、公然 こうぜん と宣言 せんげん する」という叙述 じょじゅつ への批判 ひはん である。
また、バブーフの財貨 ざいか 共有 きょうゆう 制 せい を批判 ひはん したものの、生産 せいさん 手段 しゅだん と生活 せいかつ 手段 しゅだん の区別 くべつ がなく「ブルジョア的 てき 所有 しょゆう の廃止 はいし 」というスローガンと並 なら んで「私的 してき 所有 しょゆう の廃止 はいし 」という目標 もくひょう も掲 かか げられていることが、「共産 きょうさん 主義 しゅぎ は私有 しゆう 財産 ざいさん をとりあげる」という批判 ひはん の根拠 こんきょ になった(しかし当 とう 書 しょ には、宣言 せんげん における私有 しゆう 財産 ざいさん の廃止 はいし とは即 すなわ ち、ブルジョア的 てき 所有 しょゆう の廃止 はいし のことであるとする趣旨 しゅし の内容 ないよう が書 か かれている)。
マルキスト側 がわ からは、その前文 ぜんぶん には「共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ はどこでも、あらゆる国 くに の民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 政党 せいとう との同盟 どうめい と協調 きょうちょう に努 つと める」と記 しる されており、さらに暴力 ぼうりょく 革命 かくめい は、ヨーロッパ における議会 ぎかい 状況 じょうきょう を反映 はんえい したものであること、マルクスらは後年 こうねん これらの見地 けんち を捨 す てたこと[4] [5] などが反駁 はんばく としてあげられている。
しかしながら、正義 せいぎ 者 しゃ 同盟 どうめい も共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい も、非 ひ 民主 みんしゅ 的 てき な方法 ほうほう で社会 しゃかい の変革 へんかく を目指 めざ す一 ひと つの秘密 ひみつ 結社 けっしゃ であったので、実際 じっさい の方法 ほうほう 論 ろん としてはマルクスも、シャッパーやヴァイトリングも、暴力 ぼうりょく 革命 かくめい の路線 ろせん を一時 いちじ 的 てき にせよとったであろうことは推測 すいそく される。なお最 もっと も明確 めいかく に最後 さいご まで暴力 ぼうりょく 革命 かくめい 路線 ろせん を持 も ちつづけた同盟 どうめい 関係 かんけい 者 しゃ は、ヴァイトリングであった。
「共産党 きょうさんとう 」という表題 ひょうだい [ 編集 へんしゅう ]
ソ連 それん で発行 はっこう された「共産党 きょうさんとう 宣言 せんげん 」100年 ねん 記念 きねん 切手 きって 、1948年 ねん
幸徳 こうとく 秋水 しゅうすい ・堺 さかい 利彦 としひこ 訳 わけ 『共産党 きょうさんとう 宣言 せんげん 』彰 あきら 考 こう 書院 しょいん 、1946年 ねん
「共産党 きょうさんとう 」という言葉 ことば は現在 げんざい では20世紀 せいき コミンテルン 以来 いらい の特殊 とくしゅ な政党 せいとう のことを指 さ すが、19世紀 せいき のマルクスの生 い きた時代 じだい の文脈 ぶんみゃく においては、様々 さまざま な思想 しそう 的 てき 傾向 けいこう の人々 ひとびと で構成 こうせい される労働 ろうどう 者 しゃ 党 とう は存在 そんざい したが、共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ だけで構成 こうせい されるいわゆる“共産党 きょうさんとう ”という政党 せいとう は存在 そんざい しなかった。1848年 ねん 2月 がつ までロンドン に存在 そんざい した“共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 同盟 どうめい ”はのちの社会 しゃかい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 勢力 せいりょく のような近代 きんだい 的 てき な議会 ぎかい 政党 せいとう でもなく、当然 とうぜん 20世紀 せいき 的 てき な国民 こくみん 政党 せいとう でもなかった。当時 とうじ のそれは議会 ぎかい ではなく直接 ちょくせつ 行動 こうどう によって社会 しゃかい 革命 かくめい を企図 きと する秘密 ひみつ 結社 けっしゃ であった。このため、現在 げんざい ではこの文書 ぶんしょ を『共産党 きょうさんとう 宣言 せんげん 』(ドイツ語 ご : Manifest der Kommunistischen Partei )ではなく『共産 きょうさん 主義 しゅぎ 者 しゃ 宣言 せんげん 』(ドイツ語 ご : Das Kommunistische Manifest )と呼 よ ぶべきとする見解 けんかい がある(石塚 いしづか 正英 まさひで 、篠原 しのはら 敏昭 としあき 、大藪 おおやぶ 龍介 りゅうすけ 、金塚 かなつか 貞文 さだふみ 他 た )。
当時 とうじ の事情 じじょう
「共産党 きょうさんとう 宣言 せんげん 」以前 いぜん
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