共産党きょうさんとう宣言せんげん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
共産党きょうさんとう宣言せんげん[1]
Manifest der Kommunistischen Partei[1]
1848年2月、ロンドンで 出版された『共産党宣言』表紙
1848ねん2がつ、ロンドンで
出版しゅっぱんされた『共産党きょうさんとう宣言せんげん表紙ひょうし
著者ちょしゃ カール・マルクス[1]
フリードリヒ・エンゲルス[1]
発行はっこう 1848ねん2がつ[1]
くに イギリスの旗 イギリスロンドン[1]
言語げんご ドイツ[1]
形態けいたい しょう冊子さっし[1]
ページすう 23ページ[1]
[ ウィキデータ項目こうもく編集へんしゅう ]
テンプレートを表示ひょうじ

共産党きょうさんとう宣言せんげん』(きょうさんとうせんげん、ドイツ: Manifest der Kommunistischen Partei)または『共産きょうさん主義しゅぎしゃ宣言せんげん』(ドイツ: Das Kommunistische Manifest)は、1848ねんカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによってかれた書籍しょせきマルクス主義まるくすしゅぎものによる国際こくさい秘密ひみつ結社けっしゃ共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい」の綱領こうりょうであり、共産きょうさん主義しゅぎ目的もくてき見解けんかいはじめてあきらかにした文書ぶんしょである。2013ねん6がつ、『資本しほんろんだいいちかん初版しょはんとも国際こくさい連合れんごう教育きょういく科学かがく文化ぶんか機関きかん(UNESCO)の世界せかい記憶きおく草稿そうこう登録とうろくされた[2]

経緯けいい[編集へんしゅう]

だい1かい大会たいかいと『信条しんじょう表明ひょうめい』『原理げんり

正義せいぎしゃ同盟どうめいべつ訳語やくご義人ぎじん同盟どうめい)は1836ねんパリまれた亡命ぼうめいドイツじん中心ちゅうしんとした組織そしきである。エンゲルスは『ドイツにおける社会しゃかい主義しゅぎ』という論文ろんぶんのなかで、正義せいぎしゃ同盟どうめいフランス革命かくめいであるフランソワ・ノエル・バブーフ以来いらいユートピアてき共産きょうさん主義しゅぎ伝統でんとうをひくもので、財貨ざいか全体ぜんたい共有きょうゆうすることや秘密ひみつ結社けっしゃとしての色合いろあいがかったことを回顧かいこしている。

おなじくエンゲルスの回顧かいこ共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい歴史れきしによせて』によれば、マルクスとエンゲルスはこの組織そしきから接触せっしょくし、同盟どうめい首脳しゅのうぜん欧州おうしゅう同盟どうめいいんをもつ組織そしき発展はってんする過程かてい秘密ひみつ結社けっしゃてき・バブーフてき共産きょうさん主義しゅぎ結社けっしゃからの脱出だっしゅつ模索もさくしていた。同盟どうめい首脳しゅのう幹部かんぶ具体ぐたいてきにはカール・シャッパー)は、ヴァイトリング抵抗ていこうするため、当時とうじ孤立こりつじょうきょうにあったマルクスとエンゲルスと提携ていけいすることを決断けつだん。シャッパーはマルクスたちに加盟かめいをすすめ、同盟どうめい危機ききてき状況じょうきょう打破だはする理論りろんてき宣言せんげん執筆しっぴつするよう依頼いらいした(1847ねんあき)。1847ねん6がつおこなわれた共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめいだい1かい大会たいかいでは『共産きょうさん主義しゅぎ信条しんじょう表明ひょうめい』(ドイツ: Kommunistisches Glaubensbekenntnis)が暫定ざんていてき綱領こうりょう草案そうあんとして採択さいたくされる。『共産きょうさん主義しゅぎ信条しんじょう表明ひょうめい』は全文ぜんぶんがエンゲルスによってかれており、書記しょきヴィルヘルム・ヴォルフ(de:Wilhelm Wolff (Publizist))と議長ぎちょうシャッパーの署名しょめいがある。

共産きょうさん主義しゅぎ信条しんじょう表明ひょうめい草案そうあんは22の問答もんどう体形たいけいしきかれたが、同盟どうめいブリュッセルはんでも賛成さんせいられなかった。またモーゼス・ヘス上記じょうき草案そうあん修正しゅうせいあん提出ていしゅつする。エンゲルスはこれを徹底的てっていてき批判ひはん同盟どうめいよりしん草案そうあん作成さくせい一任いちにんされる。このため、エンゲルスはふたたび10がつ下旬げじゅんから11がつにかけて問答もんどうたい草案そうあんくことになった。これがいわゆる『共産きょうさん主義しゅぎ原理げんり』(ドイツ: Grundsätze des Kommunismus)である。以前いぜんの『共産きょうさん主義しゅぎ信条しんじょう表明ひょうめい草案そうあんが22の問答もんどう形式けいしきかれたのにたいし、そのかれた『共産きょうさん主義しゅぎ原理げんり』は25の問答もんどうになっている。服部はっとり文男ふみお論考ろんこうによれば、これらのエンゲルスの手書てがきの草案そうあん以外いがいに、あらたなべつあん作成さくせいされていた可能かのうせいがある。

だい2かい大会たいかいと『宣言せんげん準備じゅんび開始かいし

6月のだい1かい大会たいかい半年はんとし同盟どうめいだい2かい大会たいかい1847ねん11月29にちから12月8にちにかけてロンドンおこなわれた(これにはマルクス、エンゲルスも出席しゅっせきしている)。エンゲルスは大会たいかい直前ちょくぜん1847ねん11月23にちづけ書簡しょかんで「問答もんどう形式けいしきをやめ、共産きょうさん主義しゅぎしゃ宣言せんげんというだいにするほうがよい」という趣旨しゅしをマルクスにつたえた。それにたい同盟どうめい幹部かんぶ1847ねん11月の組織そしき再編さいへん大会たいかい採択さいたくした規約きやくにおいて「とうのもとに宣言せんげん発布はっぷする」としていた。

ところがヨーロッパ革命かくめいてき情勢じょうせいがますます切迫せっぱくしたものになっていたにもかかわらず、マルクスの『宣言せんげん執筆しっぴつ遅々ちちとしていた。そのため1848ねん1がつ25にちづけ共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい中央ちゅうおう委員いいんかい(ロンドン)からブリュッセル地区ちく委員いいんかい(マルクスである)にてた通信つうしん「1がつ24にち中央ちゅうおう委員いいんかい決議けつぎ」では、マルクスにたいしん綱領こうりょうとなる『宣言せんげん』を2がつ1にちまでにロンドンに発送はっそうするように督促とくそくしている。

宣言せんげん』の完成かんせい

マルクスはなんとか1がつ綱領こうりょうあんだつ稿こうし、そのロンドンへ発送はっそう翌月よくげつ21にちカール・シャッパー校閲こうえつて、ロンドン印刷いんさつ発行はっこうされた。このとき著者ちょしゃめいがつけられていないのは同盟どうめい方針ほうしんである。また共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい中心ちゅうしんしゃ上述じょうじゅつのようにマルクスではなく、カール・シャッパーと、その反対はんたい急先鋒きゅうせんぽうヴィルヘルム・ヴァイトリングであった。したがってこの文書ぶんしょにはマルクス、エンゲルスの思想しそうとはべつ共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい幹部かんぶたちや職人しょくにん革命かくめいたち(ヴァイトリング、シャッパーとう)の政治せいじてき見地けんち社会しゃかいてき意識いしき反映はんえいしている。このためマルクス研究けんきゅうしゃあいだでは、この文書ぶんしょ厳密げんみつ意味いみではマルクス自身じしん著作ちょさくではないという見解けんかいもある。

後年こうねん、『共産党きょうさんとう宣言せんげん』がなん再版さいはんされたときにマルクスもエンゲルスも自著じちょ共著きょうちょ)としてこれをあつかい、序文じょぶんいている。

構成こうせい[編集へんしゅう]

  • 序文じょぶん
  • 冒頭ぼうとうぶん
  • だい1しょう ブルジョワプロレタリア
  • だい2しょう プロレタリアと共産きょうさん主義しゅぎしゃ
  • だい3しょう 社会しゃかい主義しゅぎてきおよび共産きょうさん主義しゅぎてき文献ぶんけん
    • だい1せつ 反動はんどうてき社会しゃかい主義しゅぎ
      • a. 封建ほうけんてき社会しゃかい主義しゅぎ
      • b. しょうブルジョワてき社会しゃかい主義しゅぎ
      • c. ドイツ社会しゃかい主義しゅぎまたは「真正しんせい社会しゃかい主義しゅぎ
    • だい2せつ 保守ほしゅてき社会しゃかい主義しゅぎまたはブルジョワ社会しゃかい主義しゅぎ
    • だい3せつ 批判ひはんてきユートピアてき社会しゃかい主義しゅぎおよび共産きょうさん主義しゅぎ
  • だい4しょう 種々しゅじゅ反対はんたいとうたいする共産きょうさん主義しゅぎしゃ立場たちば

内容ないよう[編集へんしゅう]

序文じょぶん[編集へんしゅう]

エンゲルスは本書ほんしょ全体ぜんたいぞうについて、1883ねんドイツはん序文じょぶんのなかで「『宣言せんげん』をつらぬ根本こんぽん思想しそう」として以下いか諸点しょてんげた。

なお、マルクスにもエンゲルスにも経済けいざいてき土台どだい上部じょうぶ構造こうぞう決定けってい唯一ゆいいつ契機けいきとするかんがかたはない。

冒頭ぼうとうぶん[編集へんしゅう]

宣言せんげん冒頭ぼうとう有名ゆうめい一文いちぶん「ヨーロッパに幽霊ゆうれいる――共産きょうさん主義しゅぎという幽霊ゆうれいである」は、ローレンツ・フォン・シュタイン著作ちょさく今日きょうのフランスにおける社会しゃかい主義しゅぎ共産きょうさん主義しゅぎ』(1842ねんちゅうのフランス共産きょうさん主義しゅぎかんする文章ぶんしょう酷似こくじしている。

マルクスはこの著作ちょさく大変たいへん熱意ねついんでいるが、マルクス自身じしんがここから直接ちょくせつにヒントをけて「共産きょうさん主義しゅぎ幽霊ゆうれい」としたと断言だんげんしているわけではない。しかし『宣言せんげん』にはシュタインの著作ちょさく影響えいきょうけた共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい幹部かんぶ職人しょくにん革命かくめいたちの政治せいじてき意識いしき見地けんち反映はんえいされている。

だい1しょう(ブルジョワとプロレタリア)[編集へんしゅう]

だい1しょうは、「これまでの社会しゃかいのすべての歴史れきし階級かいきゅう闘争とうそう歴史れきしである」という有名ゆうめい章句しょうくはじまり、ブルジョワジーの時代じだい(まだこのときはマルクスもエンゲルスも「資本しほん主義しゅぎてき生産せいさん様式ようしき」という言葉ことば使つかっていない)は生産せいさん社会しゃかいをどうえてしまったかをべ、現代げんだい生産せいさんりょく生産せいさん関係かんけい矛盾むじゅん激化げきかした社会しゃかい革命かくめい時代じだいであるとして、プロレタリアートという勢力せいりょくがその革命かくめいになう、という内容ないようべている。

また一方いっぽうでは商人しょうにん資本しほん産業さんぎょう資本しほんへと展開てんかいされるヨーロッパ各国かっこく経済けいざい発展はってんとその生産せいさん関係かんけい変革へんかくべながら、ブルジョワ階級かいきゅう政治せいじてき支配しはいしゃとしての台頭たいとう、そしてそれによる近代きんだいてき代議だいぎせい国家こっか確立かくりつ政治せいじてき意志いし中央ちゅうおう集権しゅうけん過程かていについてべている。賃金ちんぎんせいによる労働ろうどう本質ほんしつ変貌へんぼう反動はんどう主義しゅぎしゃ落胆らくたんする世界せかい市場いちばくに独自どくじせいうば世界せかい主義しゅぎてき性質せいしつについてもべられる。

さらに社会しゃかいてきしょ関係かんけい変化へんかから、いちの“商品しょうひん”としてあらわれる労働ろうどうりょく存在そんざいへと議論ぎろん発展はってんしていく。「暴力ぼうりょくによるブルジョワジーの転覆てんぷく」という内容ないようもここに登場とうじょうするが、ここの論旨ろんしはプロレタリアートによって「競争きょうそうによる孤立こりつわりに、協同きょうどうAssoziation)による革命かくめいてき団結だんけつつくす」ことにあるとえる。

だい2しょう(プロレタリアと共産きょうさん主義しゅぎしゃ[編集へんしゅう]

だい2しょうは、共産きょうさん主義しゅぎしゃ運動うんどう目的もくてきせいかくづけがおこなわれている。正義せいぎしゃ同盟どうめいをバブーフてきなものからマルクスてきなものへえるという当初とうしょのねらいからすれば、重要じゅうよう意味いみをもつ箇所かしょだった。とくにあらゆる財貨ざいか共有きょうゆうし、完全かんぜん平等びょうどうはかるというバブーフてき共産きょうさん主義しゅぎ(そして今日きょうでもひろ共産きょうさん主義しゅぎはそういうものだとおもわれている)を「粗野そや平等びょうどう」(だい3しょう)と批判ひはんし、所有しょゆう一般いっぱん廃絶はいぜつではなく「ブルジョワてき所有しょゆう廃止はいし」が目標もくひょうされた。

ブルジョアてき所有しょゆうたいしては「専制せんせいてき侵害しんがい」なくしてプロレタリアの支配しはい達成たっせいできないとし、れいとして所得しょとくぜい強力きょうりょく累進るいしん課税かぜい相続そうぞくけん廃止はいし亡命ぼうめい貴族きぞく財産ざいさん没収ぼっしゅう土地とち銀行ぎんこうから工場こうじょうなどの国有こくゆう生産せいさん手段しゅだん共有きょうゆう農業のうぎょう工業こうぎょう融合ゆうごう児童じどう労働ろうどう廃絶はいぜつ無償むしょうおおやけ教育きょういくげ、プロレタリアが支配しはい階級かいきゅうとして組織そしきされたあかつきにはやがてみずか階級かいきゅう支配しはいはいし、国家こっか権力けんりょくも「政治せいじてき性格せいかくうしなう」こと、そして「ひとりひとりの自由じゆう発展はってんが、すべての人々ひとびと自由じゆう発展はってん条件じょうけんとなる、ひとつの共同きょうどうたいあらわれる」という見通みとおしをべた。

だい3しょう社会しゃかい主義しゅぎてきおよび共産きょうさん主義しゅぎてき文献ぶんけん[編集へんしゅう]

だい3しょうはさらにつぎの3つのふしかれて構成こうせいされている。

  • だい1せつ反動はんどうてき社会しゃかい主義しゅぎ
    • a.封建ほうけんてき社会しゃかい主義しゅぎ
    • b.しょうブルジョワてき社会しゃかい主義しゅぎ
    • c.ドイツ社会しゃかい主義しゅぎまたは「真正しんせい社会しゃかい主義しゅぎ
  • だい2せつ保守ほしゅてき社会しゃかい主義しゅぎまたはブルジョワ社会しゃかい主義しゅぎ
  • だい3せつ批判ひはんてきユートピアてき社会しゃかい主義しゅぎおよび共産きょうさん主義しゅぎ

ここでは18世紀せいきから19世紀せいきにかけてヨーロッパに存在そんざいした多様たよう社会しゃかい主義しゅぎてき潮流ちょうりゅうをどうみるか、という問題もんだいにあてられている。当時とうじは「社会しゃかい主義しゅぎ」「共産きょうさん主義しゅぎ」を名乗なのることが流行りゅうこうのようにおこなわれていたので、さまざまな流派りゅうは存在そんざいしていた。そのおも検討けんとう批判ひはん対象たいしょうだい1せつcのドイツの真正しんしょう社会しゃかい主義しゅぎであり、モーゼス・ヘスカール・グリューン名指なざしで批判ひはんされる。

また、しょうブルジョワてき社会しゃかい主義しゅぎ(だい1せつb)や空想くうそうてき社会しゃかい主義しゅぎ(だい3せつサン=シモンフーリエプルードンひとし)について、その歴史れきしてき意義いぎ積極せっきょくてきしめすとともに、その限界げんかい批判ひはんてきろんじられる。

だい4しょう種々しゅじゅ反対はんたいとうたいする共産きょうさん主義しゅぎしゃ立場たちば[編集へんしゅう]

だい4しょうは、共産きょうさん主義しゅぎしゃではない政治せいじ勢力せいりょくたいする共産きょうさん主義しゅぎしゃ政治せいじスタンスのとりかたである。「一言ひとことえば、共産きょうさん主義しゅぎしゃは、いたるところでげん存在そんざいする社会しゃかいてき政治せいじてき状態じょうたいたいするどの革命かくめい運動うんどうをも支持しじする」とあるように、ブルジョワジーが中心ちゅうしん運動うんどうであってもそれが民主みんしゅ主義しゅぎ社会しゃかい発展はってんにかなっていれば支持しじをすべきという立場たちば表明ひょうめいした。つまり「ドイツがブルジョワ革命かくめい前夜ぜんやにある」としたうえで、共産きょうさん主義しゅぎしゃはドイツにたいしてプロレタリア革命かくめいではなく、ブルジョワ革命かくめい展望てんぼうすべきとしているのである。

他方たほうで、末文まつぶんは「共産きょうさん主義しゅぎしゃみずからの意図いと信条しんじょうかくすことを軽蔑けいべつする。かれらの目的もくてきは、既存きそん社会しゃかい秩序ちつじょ暴力ぼうりょくてき転覆てんぷくすることによってのみ達成たっせいできると公然こうぜん宣言せんげんする。支配しはい階級かいきゅう共産きょうさん主義しゅぎ革命かくめいまえに慄くように。プロレタリアはこの革命かくめいにおいて鉄鎖てっさのほかにうしななにものをもたない。かれらが獲得かくとくするのは世界せかいである。万国ばんこくのプロレタリア、団結だんけつせよ」という有名ゆうめい章句しょうくじられ、暴力ぼうりょく革命かくめいたからかに宣言せんげんされる[3]

本書ほんしょたいする批評ひひょう批判ひはん[編集へんしゅう]

本書ほんしょマルクス主義まるくすしゅぎ文献ぶんけんなかでも、もっと広範こうはんまれていた文献ぶんけんのひとつである。そして反対はんたいしゃ批判ひはんしゃからこれを典拠てんきょとする批判ひはん数多かずおおおこなわれている。そのうちのもっとおおいもののひとつが「共産きょうさん主義しゅぎしゃは、これまでのすべての社会しゃかい秩序ちつじょ暴力ぼうりょくてき転覆てんぷくによってのみ、自分じぶん目的もくてきたっせられることを、公然こうぜん宣言せんげんする」という叙述じょじゅつへの批判ひはんである。

また、バブーフの財貨ざいか共有きょうゆうせい批判ひはんしたものの、生産せいさん手段しゅだん生活せいかつ手段しゅだん区別くべつがなく「ブルジョアてき所有しょゆう廃止はいし」というスローガンとならんで「私的してき所有しょゆう廃止はいし」という目標もくひょうかかげられていることが、「共産きょうさん主義しゅぎ私有しゆう財産ざいさんをとりあげる」という批判ひはん根拠こんきょになった(しかしとうしょには、宣言せんげんにおける私有しゆう財産ざいさん廃止はいしとはすなわち、ブルジョアてき所有しょゆう廃止はいしのことであるとする趣旨しゅし内容ないようかれている)。

マルキストがわからは、その前文ぜんぶんには「共産きょうさん主義しゅぎしゃはどこでも、あらゆるくに民主みんしゅ主義しゅぎ政党せいとうとの同盟どうめい協調きょうちょうつとめる」としるされており、さらに暴力ぼうりょく革命かくめいは、ヨーロッパにおける議会ぎかい状況じょうきょう反映はんえいしたものであること、マルクスらは後年こうねんこれらの見地けんちてたこと[4][5]などが反駁はんばくとしてあげられている。

しかしながら、正義せいぎしゃ同盟どうめい共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめいも、民主みんしゅてき方法ほうほう社会しゃかい変革へんかく目指めざひとつの秘密ひみつ結社けっしゃであったので、実際じっさい方法ほうほうろんとしてはマルクスも、シャッパーやヴァイトリングも、暴力ぼうりょく革命かくめい路線ろせん一時いちじてきにせよとったであろうことは推測すいそくされる。なおもっと明確めいかく最後さいごまで暴力ぼうりょく革命かくめい路線ろせんちつづけた同盟どうめい関係かんけいしゃは、ヴァイトリングであった。

共産党きょうさんとう」という表題ひょうだい[編集へんしゅう]

ソ連それん発行はっこうされた「共産党きょうさんとう宣言せんげん」100ねん記念きねん切手きって、1948ねん
幸徳こうとく秋水しゅうすいさかい利彦としひこわけ共産党きょうさんとう宣言せんげんあきらこう書院しょいん、1946ねん

共産党きょうさんとう」という言葉ことば現在げんざいでは20世紀せいきコミンテルン以来いらい特殊とくしゅ政党せいとうのことをすが、19世紀せいきのマルクスのきた時代じだい文脈ぶんみゃくにおいては、様々さまざま思想しそうてき傾向けいこう人々ひとびと構成こうせいされる労働ろうどうしゃとう存在そんざいしたが、共産きょうさん主義しゅぎしゃだけで構成こうせいされるいわゆる“共産党きょうさんとう”という政党せいとう存在そんざいしなかった。1848ねん2がつまでロンドン存在そんざいした“共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい”はのちの社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎ勢力せいりょくのような近代きんだいてき議会ぎかい政党せいとうでもなく、当然とうぜん20世紀せいきてき国民こくみん政党せいとうでもなかった。当時とうじのそれは議会ぎかいではなく直接ちょくせつ行動こうどうによって社会しゃかい革命かくめい企図きとする秘密ひみつ結社けっしゃであった。このため、現在げんざいではこの文書ぶんしょを『共産党きょうさんとう宣言せんげん』(ドイツ: Manifest der Kommunistischen Partei)ではなく『共産きょうさん主義しゅぎしゃ宣言せんげん』(ドイツ: Das Kommunistische Manifest)とぶべきとする見解けんかいがある(石塚いしづか正英まさひで篠原しのはら敏昭としあき大藪おおやぶ龍介りゅうすけ金塚かなつか貞文さだふみ)。

その[編集へんしゅう]

日本語にほんごやく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i 安藤あんどうみのる. “共産党きょうさんとう宣言せんげん きょうさんとうせんげん Manifest der Kommunistischen Partei”. 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ. 小学館しょうがくかん. 2018ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ Schriften von Karl Marx: "Das Manifest der Kommunistischen Partei" (1848) und "Das Kapital", ernster Band (1867)
  3. ^ Manifest der Kommunistischen Partei,IV.
  4. ^ 「ハーグ大会たいかいについての演説えんぜつ」1872ねん9がつ マルクス・エンゲルス全集ぜんしゅう(18) 158ページ、不破ふわ哲三てつぞう科学かがくてき社会しゃかい主義しゅぎにおける民主みんしゅ主義しゅぎ探求たんきゅう』40ページ
  5. ^ エンゲルス「フランスにおける階級かいきゅう闘争とうそう 序文じょぶん」、マルクス『フランスにおける階級かいきゅう闘争とうそう所収しょしゅう大月書店おおつきしょてん 国民こくみん文庫ぶんこ18ページ
  6. ^ 共産党きょうさんとう宣言せんげん邦訳ほうやく - 経済けいざいがく学会がっかい

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

当時とうじ事情じじょう
共産党きょうさんとう宣言せんげん以前いぜん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]