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矛盾むじゅん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

矛盾むじゅん(むじゅん、えい: contradiction)とは、「ふたつの物事ものごとちがっていて、辻褄つじつまわないこと」を意味いみする日本語にほんごであり、中国ちゅうごく古典こてん韓非子かんぴし』の「ほこたて」の故事こじ由来ゆらいする故事こじ成語せいご[1]。また、西洋せいよう論理ろんりがく用語ようご訳語やくごとして以下いか意味いみつ。

  • 伝統でんとうてき論理ろんりがくで、ふたつの概念がいねんまたは命題めいだい一定いってい事象じしょう同一どういつ観点かんてんから同時どうじに、一方いっぽう肯定こうてい他方たほう否定ひていする場合ばあい両者りょうしゃ関係かんけい
  • 命題めいだいろん理学りがくで、ふくあい命題めいだいからなる論理ろんりしきかく要素ようそ命題めいだいにいかなる真理しんりあたえてもかならにせとなるしき

ドイツ哲学てつがくしゃヘーゲル自身じしんの「弁証法べんしょうほう理論りろんで、物事ものごと発展はってんする原動力げんどうりょくとして矛盾むじゅん重視じゅうしした[1]

故事こじほこたて[編集へんしゅう]

韓非子かんぴしなんいちへんてくる故事こじ。「どんなたてとおほこ」と「どんなほこふせたて」をっていたすわえおとこが、きゃくから「そのほこでそのたていたらどうなるのか」とわれ、返答へんとうできなかったというはなしから。もしほこたてとおすならば、「どんなほこふせたて」はあやまり。もしとおせなければ「どんなたてとおほこ」はあやまり。したがって、どちらを肯定こうていしてもおとこ説明せつめい辻褄つじつまわない[2]

すわえじんゆう鬻楯あずかほこしゃ ほまれわれだてけん 莫能おちいまたほまれ其矛曰 われほこ 於物おちいある曰 以子ほこ おちいだて なん如 其人どるのうおう[2] — 『韓非子かんぴしなんへんいち
すわえじんたてほことをひさしゃり。これこれほまれめてはく、「われたてかたきこと、のうおちいとほすなきなり。」と。またまたほこめて曰はく、「われほこなること、ものいておちいさざるきなり。」と。あるあるひと曰はく、「ほこもって、たておちいさばなにいかん。」と。ひとおうふることのうあたはざるなり。[2]
すわえくにひとたてほこものがいた。このひとはこれをめて「わたしたて頑丈がんじょうで、つらぬくことのできるものはない」とった。また、ほこめて「わたしほこするどくて、どんなものでもとおすことができる」とった。あるひとが「あなたのほこでそのたてとおしたらどうなるのですか」といった。商人しょうにんこたえることができなかった[2]

儒家じゅか批判ひはんにおける矛盾むじゅん[編集へんしゅう]

矛盾むじゅん」は、かんが『韓非子かんぴし』のなか儒家じゅか孔子こうし孟子もうしがその代表だいひょう、ここでは孔子こうし批判ひはんのためのたとえはなしなかで、「矛盾むじゅん」という言葉ことば使つかったもの。儒家じゅか伝説でんせつ時代じだい聖王せいおうの「」と「しゅん」の政治せいじ最高さいこう理想りそうだとし、しゅんわるきをあらため、立派りっぱおこないをして人々ひとびとたすけたから堯はしゅん禅譲ぜんじょうしたとした。しかし、かんによれば、堯が名君めいくんみんおさめていたとすれば、しゅんわるきをあらため、立派りっぱおこないをして人々ひとびとたすけるということはそもそもこりえない。一方いっぽう立派りっぱ人物じんぶつだとすれば他方たほうはそうではなくなってしまう。したがって、両方りょうほうものおなじく最高さいこう人物じんぶつで、理想りそうてき政治せいじおこなったというのははなしわず、ありないという意味いみめて批判ひはんてき矛盾むじゅんたとばなしをした[3]。いわば、このはなしには、かん儒家じゅか徳治とくじ主義しゅぎ)の思想しそう批判ひはんし、自説じせつ法家ほうか法治ほうち主義しゅぎ)の思想しそう正当せいとうせい主張しゅちょうしようという意図いとがあったのである。

訳語やくご[編集へんしゅう]

英語えいごcontradictionドイツKontradiktionを「矛盾むじゅん」とやくすのは、明治めいじ時代じだい井上いのうえ哲次郎てつじろうひとしちょ哲学てつがく字彙じい』に由来ゆらいする[4][ちゅう 1]。ただし、「矛盾むじゅん」という語彙ごいはそれ以前いぜんから日本語にほんごにあった[6]翻訳ほんやくとしての「矛盾むじゅん」は中国ちゅうごくぎゃく輸入ゆにゅうされた[4]

英語えいごcontradiction語源ごげんは、ラテン語らてんごcontrādictiō ないし contrādīcō であり「反論はんろん」を意味いみした。英語えいごcontradict は「矛盾むじゅんする」のほか「~に反駁はんばくする(他動詞たどうし)」「反対はんたい意見いけんべる・反駁はんばくする(自動詞じどうし)」の意味いみ[7][8]

論理ろんりがくにおける矛盾むじゅん[編集へんしゅう]

まず命題めいだい論理ろんりにおける矛盾むじゅん定義ていぎべる:命題めいだいPにたいして、「Pかつ¬P」を矛盾むじゅんという。

矛盾むじゅん利用りようした論法ろんぽう背理法はいりほうがある。この論法ろんぽうでは、「Xである」をしめ場合ばあいに、まず「Xでない」という架空かくう設定せっていかんがえる。そして「Xでない」という架空かくう設定せっていのもと論理ろんりすすめ、なんらかの矛盾むじゅんみちびく。矛盾むじゅんこったのだからそれは「絶対ぜったいにありえないこと」だということになるので、最初さいしょの「Xでない」がおかしかったのだということになり、結論けつろんとして「Xである」をるのである。

数学すうがくてき意味いみでの)矛盾むじゅん興味深きょうみぶか性質せいしつとして、矛盾むじゅんふく体系たいけいにおいてはどんな命題めいだいみちびくこともできる、というものがある(爆発ばくはつりつ principle of explosion, ECQ)。背理法はいりほうは、

命題めいだい¬φふぁい仮定かていして矛盾むじゅんみちびけたら命題めいだいφふぁい推論すいろんできる

定式ていしきできる。かんがえている体系たいけいにおいてなんらかの矛盾むじゅん成立せいりつしていたとすると、形式けいしきてき仮定かてい「¬B」をおいても(これはまった使つかわずに)矛盾むじゅんみちびけるということになる。したがってBのじゅう否定ひてい¬¬Bが推論すいろんできることになり、じゅう否定ひてい無視むしできる(排中律はいちゅうりつ)ことから結局けっきょくBが推論すいろんできたことになる。ただし、古典こてん論理ろんりではない直観ちょっかん論理ろんりなどでは排中律はいちゅうりつ背理法はいりほう成立せいりつしない。

弁証法べんしょうほうにおける矛盾むじゅん[編集へんしゅう]

ドイツ観念論かんねんろん哲学てつがくしゃヘーゲルは、弁証法べんしょうほう定式ていしきし、「ひとつの事物じぶつ命題めいだいにはかならずそれ自身じしん否定ひていふくまれる」ということを指摘してきした[9]矛盾むじゅん重要じゅうようせい最初さいしょ指摘してきしたのはヘーゲルである[10]。 ヘーゲルは、

あるもの運動うんどうするのは、それがいまここにあり、瞬間しゅんかんにはあそこにあるためばかりでなく、同一どういつ瞬間しゅんかんにここにあるともここになく、おな場所ばしょ存在そんざいするとともに、存在そんざいしないためでもある。運動うんどう存在そんざいする矛盾むじゅんそのものである、ということになるのだ[ちゅう 2]

とした。マルクス学派がくははこのかんがえをぎ、レーニンは「弁証法べんしょうほうとはもの本質ほんしつそのものにおける矛盾むじゅん研究けんきゅうである」とべた[12]

エンゲルスは、

なにかある事物じぶつ対立たいりつ背負せおっているとすれば、それは自己じこ自身じしん矛盾むじゅんしているわけで、そのものの思想しそうてき表現ひょうげん同様どうようである。たとえばある事物じぶつが、あくまでも同一どういつでありながら、しかも同時どうじ不断ふだん変化へんかしていることと、それ自身じしんに「持続じぞく」と「変化へんか」との対立たいりつをもっていることはひとつの矛盾むじゅんである。

として、「生物せいぶつひとつの矛盾むじゅんだ」と主張しゅちょうした[12]

矛盾むじゅん人間にんげん認識にんしき[編集へんしゅう]

科学かがく史家しか科学かがく教育きょういくである板倉いたくらきよしせん矛盾むじゅんは「人間にんげん矛盾むじゅんこるようにかんがえるから矛盾むじゅんがある」のであって、「うごいているものを静止せいし論理ろんりでとらえようとする」「変化へんかしているものを静止せいしさせてかんがえる」人間にんげん思考しこう原因げんいんがある、とした[13]矛盾むじゅん人間にんげん認識にんしきしたもので、「矛盾むじゅんでとらえざるをないものがある」のであって、「矛盾むじゅんそのものが存在そんざいするのではない」「我々われわれがそこに矛盾むじゅんみとめるということは、それが運動うんどうしているか変化へんかしている」とかんがえた[14]したがって板倉いたくらは、「矛盾むじゅんとしてとらえたものは変化へんか発展はってんしているのだから、「矛盾むじゅん発展はってん原動力げんどうりょくだ」というのは当然とうぜんだ」としている[14]

敵対てきたいてき矛盾むじゅん調和ちょうわてき矛盾むじゅん[編集へんしゅう]

マルクスエンゲルスは「敵対てきたいする矛盾むじゅん調和ちょうわする矛盾むじゅん」とい、これを毛沢東もうたくとうした[15]敵対てきたいてき矛盾むじゅんとは、対立たいりつする両者りょうしゃ闘争とうそうし、止揚しようによって矛盾むじゅん克服こくふくされるもので、調和ちょうわする矛盾むじゅんとは、両者りょうしゃ調和ちょうわするように努力どりょくしなければならない、実現じつげんそのものが解決かいけつである矛盾むじゅんである[16]。これにたいして、板倉いたくらきよしせんは「矛盾むじゅんに2つの種類しゅるいはない」と否定ひていした[17]。たとえば敵対てきたいてき矛盾むじゅんとして「資本しほん労働ろうどうしゃ階級かいきゅう矛盾むじゅん」があげられているが、この矛盾むじゅんくさないといけないとすると、相手あいて打倒だとうすることになる。しかし資本しほん打倒だとうしてしまえば労働ろうどうしゃ失業しつぎょうする。矛盾むじゅんくすために資本しほん主義しゅぎ社会しゃかい本当ほんとう資本しほんたおしてしまうと労働ろうどうしゃもいなくなってしまい、社会しゃかいまってしまう。「発展はってん原動力げんどうりょく」というなら、敵対てきたいてきであろうと調和ちょうわてきであろうと矛盾むじゅんはなくしてはいけないもののなずだと批判ひはんした[18]。「矛盾むじゅん」を「敵対てきたい」と「調和ちょうわ」にける基準きじゅんはなく、めるのは権力けんりょくしゃということになってしまうてん非常ひじょうおそろしいことだと指摘してきした[18]

これにたいしてマルクス学派がくは資本しほんしゅ社会しゃかい根本こんぽんてき矛盾むじゅんは、生産せいさん社会しゃかいせい生産せいさん手段しゅだん私的してき所有しょゆうとの矛盾むじゅんであるとして、生産せいさん手段しゅだん私的してき所有しょゆう関係かんけいをぶちって生産せいさん手段しゅだんぜん国民こくみん管理かんりき、社会しゃかいてき所有しょゆうえれば解決かいけつするとした[19][ちゅう 3]

科学かがく理論りろん交代こうたいにおける矛盾むじゅん役割やくわり[編集へんしゅう]

科学かがく史家しか板倉いたくらきよしせん基本きほん理論りろん交代こうたいにおける矛盾むじゅん役割やくわり重要じゅうようせいあきらかにした[21][22]

板倉いたくら古典こてん力学りきがく電磁気でんじきがく量子力学りょうしりきがく理論りろん形成けいせい研究けんきゅうし、「理論りろん交代こうたいこるのはふる理論りろん内部ないぶ矛盾むじゅん出現しゅつげんすることである」とした。理論りろん内部ないぶ矛盾むじゅん認識にんしきされることで理論りろん危機ききおちいる。そしてその矛盾むじゅんをのりこえようとする結果けっかとして形成けいせいされるのがしん理論りろんであると主張しゅちょうした。ふる理論りろん内部ないぶ矛盾むじゅん存在そんざいは、その理論りろんふかくコミットしたひとほどより深刻しんこくにとらえられ、顕在けんざいしてくるという特徴とくちょうっている。したがってあたらしい理論りろんはしばしばふる理論りろんかけをもっている。ふる理論りろんてき説明せつめいできないデータの存在そんざいでもなく、競合きょうごうするしん理論りろん出現しゅつげんでもなく、矛盾むじゅん存在そんざいなのであると板倉いたくら主張しゅちょうした[23]たとえば、「コペルニクスは天動説てんどうせつかかえる内部ないぶ矛盾むじゅん発見はっけんし、それを解決かいけつするためにはどうしても天体てんたい回転かいてん中心ちゅうしん地球ちきゅうから太陽たいようにしなければならなかったのだ」としている[24][ちゅう 4]

物理ぶつり学者がくしゃ武谷たけや三男みつおは「量子力学りょうしりきがくにおいては波動はどう粒子りゅうしという対立たいりつした現象げんしょう形態けいたいが「状態じょうたい」という本質ほんしつてき概念がいねん統一とういつされる。けい空間くうかん限定げんていされているためには(すなわち粒子りゅうしであるためには)、ことなった波長はちょう多数たすうなみわせてなみたばつくらなければならない(なみ性質せいしつ)。かくて空間くうかんてき限定げんていされたけい自己じこなか矛盾むじゅんち、この矛盾むじゅんけい自己じこ運動うんどうとなる」と「量子力学りょうしりきがくには将来しょうらい止揚しようされるべき矛盾むじゅんちている」とべた[25]

パラダイム理論りろんとなえたトマス・クーンは、「ある個人こじんがいかにして集積しゅうせきされたすべてのデータに秩序ちつじょあたえるあたらしい方法ほうほう発明はつめいするかは、ここでははかれないものであり、永遠えいえん可知かちにとどまるであろう[26]」として、科学かがくしゃによる理論りろん選択せんたくは、もともと合理ごうりてき説明せつめいはできないのであって、宗教しゅうきょうてき回心かいしんのようなものだと主張しゅちょうしたが、板倉いたくらきよしせんは、理論りろん交代こうたい必然ひつぜんせいを「理論りろん内部ないぶ矛盾むじゅんによる自滅じめつとそののりこえ」によって説明せつめいできると批判ひはんした[27][ちゅう 5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1900年代ねんだい中国ちゅうごく翻訳ほんやくいむふくは「あいめつ」とやくしている[5]
  2. ^ ニュートン近代きんだい科学かがく力学りきがくつくりあげることができたのは、「ちから運動うんどう矛盾むじゅんちからによって運動うんどうしょうじ、運動うんどうによってちから克服こくふくされる過程かてい)」をえるために、微分びぶん積分せきぶんほうみずかつくりだすことに成功せいこうしたからである[11]
  3. ^ 実際じっさい共産きょうさん主義しゅぎ政権せいけんのもとで誕生たんじょうしたソビエト連邦れんぽうげん:ロシア)は政府せいふ経済けいざい活動かつどう停滞ていたいし、政府せいふきびしい管理かんり体制たいせいしょうじた経済けいざい失敗しっぱい崩壊ほうかいした[20]
  4. ^ たとえば、天動説てんどうせつたいしてコペルニクス地動説ちどうせつ提唱ていしょうしたとき、あたらしいデータはなに関与かんよしていなかった。一般いっぱん常識じょうしきとしてはコペルニクスは子供こどもじみた天動説てんどうせつ批判ひはんし、観測かんそくもとづく実証じっしょうてき地動説ちどうせつ提唱ていしょうしたのだということになっている。しかしコペルニクスがあたらしい観測かんそく事実じじつっていたわけではないし、当時とうじ天動説てんどうせつ観測かんそくデータにもとづいた十分じゅうぶん実証じっしょうてき理論りろんだった。コペルニクスは当時とうじ天動説てんどうせつ深刻しんこく矛盾むじゅんたのである。たとえばコペルニクスは「天動説てんどうせつ地球ちきゅううごくと破壊はかいされることを心配しんぱいしたが、なぜおなじことを地球ちきゅうよりはるかにおおきくはやく「回転かいてんするてん」に心配しんぱいしないのか」と指摘してきした。また、天動説てんどうせつ計算けいさんたしかに「惑星わくせい地球ちきゅうからえる方向ほうこう」はそれなりの予想よそう精度せいどってしめすことができる。しかし、それを「惑星わくせいあかるさの変化へんか」にもてはめようとすると矛盾むじゅんしょうじる。コペルニクスは天動説てんどうせつでは惑星わくせいえる方向ほうこうと、その惑星わくせいあかるさの変化へんかかれはそれを惑星わくせい地球ちきゅうからの距離きょり変化へんかた)は両立りょうりつできないことを、深刻しんこく矛盾むじゅん[24]
  5. ^ 板倉いたくら自身じしんの「理論りろん交代こうたいにおける矛盾むじゅん役割やくわり」の研究けんきゅう結果けっかから、「理論りろん選択せんたく基準きじゅんはその単純たんじゅんせいにある」とする「マッハ主義しゅぎ」(エルンスト・マッハはじまる実証じっしょう主義しゅぎてき認識にんしきろん立場たちばをいう。物質ぶっしつ精神せいしん実体じったいとするかんがえにつよ反対はんたいし、科学かがく目的もくてき観察かんさつされた事実じじつ記述きじゅつすることのみにあるとし、仮想かそうてき原子げんしなどをかんがえることはまった科学かがくてきであると主張しゅちょうした。)を批判ひはんした[28]。また、基本きほん理論りろん交代こうたい理論りろんがいしん事実じじつ発見はっけん理論りろん影響えいきょうこされるという「機械きかいろん」も科学かがく現実げんじつわないとした[29]。さらに、理論りろん事実じじつわせて変化へんかするという「実証じっしょう主義しゅぎ」を、「天動説てんどうせつ事実じじつわせるというてんでは十分じゅうぶん実証じっしょうてきだった。コペルニクスせつがこのてんすぐれていたわけではない」として否定ひていした[29]。また、プトレマイオスとコペルニクスは座標ざひょう変換へんかんぎず、「どっちもどっち」というような「相対そうたい主義しゅぎ」はきゅう理論りろん内部ないぶ矛盾むじゅん着目ちゃくもくすることによってえることができると主張しゅちょうした[30]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]