法家
戦国 時代
[秦 代
[新法 の改革 をした商 鞅は反 商 鞅派によって王 に讒訴 されて謀反 の罪 を着 せられた際 には、都 から逃亡 して途中 で宿 に泊 まろうとしたが、宿 の亭主 は商 鞅である事 を知 らず「商 鞅さまの厳命 により、旅券 を持 たないお方 はお泊 めてしてはいけない法律 という事 になっております」と断 られた(商 鞅は逃亡 を続 けるも秦 に捕 まって殺害 された)。燕 の使者 である荊軻が隠 していた匕首 で秦 王 の政 (後 の始皇帝 )を殿上 で暗殺 しようとした際 には、秦 王 は慌 てて腰 の剣 が抜 けない中 で匕首 を持 った荊軻に追 い回 されていたが、臣下 が秦 王 の殿上 に武器 を持 って上 がることは法 により死罪 とされていたため対応 に難儀 した(最終 的 には御殿 医 が荊軻へ薬 箱 を投 げつけ、怯 んだ隙 に秦 王 が腰 の剣 を抜 き、荊軻を斬 り殺 した)。辺境 守備 のために徴発 された農民 兵 900名 は天候 悪化 のために期日 までの到着 が見込 めなかったが、いかなる理由 があろうとも期日 までに到着 しなければ斬首 であったと史記 に書 かれている(これが秦 を滅 ぼす戦乱 のきっかけとなる陳 勝 ・呉 広 の乱 の要因 となった)。
20
漢 代 以降
[また
法 の字義
[
「
現在 、私 たちが使 う法 という漢字 は、かつては灋(水 ・廌・去 )と表記 されていた。『説 文 解 字 』によれば、灋とは真実 を知 る廌(ち・獬豸と呼 ばれる中国 の伝説 上 の一角獣 )の判断 に基 づいて争 いを公平 (水 の平 なことに由来 )に解決 することであり、正 しくない者 を追放 することであるという。他方 水 は廌に「不 直 」と判定 された者 を放逐 するための手段 との理解 に立 つ説 や、正邪 を見分 ける廌がいなくなると治安 が乱 れることから、廌が立 ち去 らないように水堀 で囲 んだことに由来 するとの説 などがある。しかし、いずれの説 も灋とは廌が正邪 を見分 けることによって紛争 が解決 され、それにより秩序 が維持 され安定 がもたらされるという理解 に立 つ点 は共通 しており、この点 は法家 思想 の基本 的 な考 え方 につながっている。[2]
主 な法家 の人物
[脚注
[- ^
井ノ口 哲也 『入門 中国 思想 史 』勁草書房 、2012年 、32頁 。ISBN 978-4326102150。 - ^
湯浅 邦弘 編 「第 5章 法 と政治 」『テーマで読 み解 く中国 の文化 』ミネル ヴァ書房 、2016年 3月 15日 。ISBN 9784623075096。 - ^ 『
法家 』 - コトバンク
外部 リンク
[法家 著作 (中 文 )