荊軻

荊軻
秦はた王政おうせい（左ひだり）を襲撃しゅうげきする荊軻（右みぎ）。
プロフィール
出生しゅっしょう：	不ふ詳しょう
死去しきょ：	紀元前きげんぜん227年ねん
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ：	荊軻
簡体字かんたいじ：	荆轲
拼音：	Jīng Kē
英語えいご名めい：	Jing Ke

荊 軻（けい か、拼音: Jīng Kē、? - 紀元前きげんぜん227年ねん）は、中国ちゅうごく戦国せんごく時代じだい末期まっきの刺客しかく。燕つばめの太子たいし丹にの命いのちを受うけて秦はたに赴おもむき、秦はた王政おうせい（後ごの始皇帝しこうてい）を策略さくりゃくを用もちいて暗殺あんさつしようとするが、失敗しっぱいして逆ぎゃくに殺ころされた。

生涯しょうがい

出生しゅっしょう

衛まもるの人ひと。読書どくしょと剣術けんじゅつを好このんで修行しゅぎょう、日々ひび酒さけを酌くみ交かわし、若わかくして諸国しょこくを放浪ほうろうして遊説ゆうぜい術じゅつを学まなんでいた。

荊軻は、諸国しょこくの旅たびから衛まもるに帰国きこくした後のちに官僚かんりょうを志こころざして、衛まもるの元もと君きみに謁見えっけんし、旅たびで学まなんだ遊説ゆうぜい術じゅつに基もとづいた国家こっか議論ぎろんを大おおいに述のべたが、元げん君くんは全まったく聞きき容いれなかった。こうして荊軻は挫折ざせつしそれ以来いらい遊侠ゆうきょうに身みを投とうじた。ある時ときに剣術けんじゅつ論ろんのことで智さとし蓋ぶた聶（ち こうじょう）という者ものとい争いあらそって喧嘩けんかになりかけたが、智さとし蓋ぶた聶が荊軻を睨にらむと荊軻はすぐに退散たいさんした。また邯鄲かんたんを訪おとずれたとき、六ろく博はくの規定きていをめぐって魯句践（ろ こうせん）という者ものと喧嘩けんかになりかけたが、魯句践が凄すごんで荊軻に対たいして大声おおごえを出だすと荊軻はすぐに退散たいさんした。こうして荊軻は臆病者おくびょうものと笑わらわれたが、荊軻はいたずらに些細ささいな事ことで命いのちを落おとす危険きけんを冒おかすことはしなかった（『史記しき』「刺客しかく列伝れつでん」）。

その後ご、燕つばめに入はいり、一人ひとりの狗いぬ殺人さつじんと高こう漸すすむ離はなれという筑（ちく、弦楽器げんがっきの一種いっしゅ）を良よく奏かなでる者ものと親したしくつきあった。燕つばめの市しに行いっては酒さけを飲のみ酔よいしれ、高こう漸すすむ離はなれの筑の伴奏ばんそうで市中しちゅうで歌うたい楽たのしみ、やがては泣なき始はじめるという有様ありさまは、あたかも周まわりに誰だれも存在そんざいしないかのようであった（傍若無人ぼうじゃくぶじん）。酒飲さけのみとつきあう状況じょうきょうでも荊軻は読書どくしょを好このみ、各地かくちの賢人けんじんや豪傑ごうけつ・有徳うとく者しゃたちと相あい結むすび、やがて当地とうちの実力じつりょく者しゃの田光たこうに賓客ひんきゃくとして遇ぐうされた。

刺客しかくとして

紀元前きげんぜん233年ねん、燕つばめの太子たいし丹にが人質ひとじちになっていた秦はたから逃にげ帰かえってきた。丹には秦はた王政おうせい（後ごの始皇帝しこうてい）と子供こどもの頃ころに親したしくしていたが、大人おとなになってから秦しんで出会であうと政せいは丹にを見下みくだし冷遇れいぐうしたので、怒おこった丹には燕つばめに逃にげ帰かえり復讐ふくしゅうを考かんがえた。秦はたをどうにかしたいという願ねがいは、丹にの私怨しえんだけでもなく、当時とうじ圧倒的あっとうてきに秦はたが強つよ勢ぜいであり、何なにか手てを打うたなければ燕つばめも遠とおざからず滅ほろぼされることが明あきらかであった。

政せいに対たいして刺客しかくを送おくることを考かんがえた丹には田光たこうに相談そうだんし、田光たこうは荊軻を推挙すいきょした。丹にが帰かえる時ときに「この事ことはご内密ないみつに」と言いったことで、田光たこうは荊軻に話はなしを告つげた後のちで「太子たいしに疑念ぎねんを持もたせたのは私わたしの不徳ふとくの為なすところだ」と自害じがいした。

刺客しかくの依頼いらいを受うけた荊軻は、用心深ようじんぶかい政せいに謁見えっけんするための策さくを考かんがえた。その策さくとは、一ひとつが、燕つばめでも最もっとも肥沃ひよくな土地とちである督とく亢（とくごう、現在げんざいの河北かほく省しょう保ほ定てい市し涿州市し・高こう碑いしぶみ店てん市し）を差さし出だすこと。もう一ひとつが、もとは秦はたの将軍しょうぐんで、政せいが提案ていあんした軍ぐんの少数しょうすう精鋭せいえい化かに対たいし諫めたために政せいの怒いかりに触ふれ一族いちぞくを処刑しょけいされ、燕つばめへ逃亡とうぼうしてきていた樊於期き（はん おき）の首くびを差さし出だすこと。

これをすれば政せいも喜よろこんで荊軻に会あうだろうと丹にに提案ていあんするが、丹には領地りょうち割譲かつじょうはともかく、自分じぶんたちを頼たよって逃にげてきた人間にんげんを殺ころすことはできないと断ことわった。彼かれの苦悩くのうをおもんぱかった荊軻は直接ちょくせつ、樊於期きに会あい「褒美ほうびのかかっているあなたの首くびを手土産てみやげに、私わたしが秦はた王おうにうまく近ちかづき殺ころすことができたならば、きっと無念むねんも恥はじもそそぐことができるでしょう」と頼たのんだところ、樊於期きは復讐ふくしゅうのためにこれを承知しょうちして自刎じふんし、己おのれの首くびを荊軻に与あたえた。

丹には暗殺あんさつに使つかうための鋭するどい匕首ひしゅを天下てんかに求もとめ、遂ついに古代こだい中国ちゅうごくの越えつ国こくにいた伝説でんせつ的てきな刀匠とうしょうの徐じょ夫人ふじんの匕首ひしゅを百ひゃく金きんを出だして手てに入いれた。この匕首ひしゅに毒どくで焼やきを入いれさせ死刑しけい囚しゅうで試ためし斬ぎりを行おこなったところ、斬きられて死しなぬ者ものはいなかった。

荊軻の旅立たびだち

紀元前きげんぜん227年ねん、丹には刺客しかくの相棒あいぼうとして秦はた舞まい陽ひを荊軻に付つけようとした。秦はた舞まい陽ひは13歳さいで人ひとを殺ころし、壮士そうしとして有名ゆうめいであったが、荊軻は秦はた舞まい陽ひのことを頼たよりにならないと見抜みぬき、遠とおくに住すむ旧友きゅうゆうを同行どうこう者しゃに加くわえようと待機たいきしていた。しかし丹にが荊軻の出発しゅっぱつをたびたび急せかし、怖気おじけづいたのではないかと疑うたがいはじめたため、荊軻は仕方しかたなく秦はた舞まい陽ひを連つれて出発しゅっぱつすることに決きめた。

やがて出発しゅっぱつの日ひが訪おとずれる。丹にをはじめ、事情じじょうを知しる見送みおくりの者ものは全すべて喪服もふくとされる白装束しろしょうぞくを纏まとい、易えき水すい（えきすい、黄河こうがの北きたを流ながれる）のほとりまで荊軻たちにつき従したがった。彼かれらは全すべて涙なみだを流ながし、荊軻の親友しんゆうの高こう漸すすむ離はなれは筑を奏かなでて見送みおくった。この時ときに荊軻が生還せいかんを期きさない覚悟かくごを詠よんだ

風ふう蕭しょう蕭しょう兮易水すい寒かん
壮士そうし一去兮不復還

風ふう蕭しょう々（しょうしょう）として易えき水みず寒さむし。
壮士そうしひとたび去さって復ふく（ま）た還かえ（かえ）らず。

という詩句しくは、史記しきの中なかで最もっとも有名ゆうめいな場面ばめんの一ひとつとされる。

これを聴きいた士したちは、だれもが感情かんじょうの昂のぼるぶりの余あまりに凄すさまじい形相ぎょうそうとなった。そして荊軻は車くるまに乗のって去ざり、ついに後うしろを振ふり向むくことは無なかった。

暗殺あんさつ失敗しっぱい・荊軻の最期さいご

荊軻たちは咸陽に着ついた。荊軻の目論見もくろみどおり、領地りょうち割譲かつじょうの証あかしである地図ちずと樊於期きの首くびに政せいは大おおいに喜よろこび、九きゅう賓まろうどの礼れいをもって荊軻たちに接見せっけんした。政せいの前まえに出でると秦はた舞まい陽ひは恐怖きょうふから全身ぜんしんが震ふるえ始はじめ、不審ふしんに思おもった群臣ぐんしんが尋たずねると、荊軻は「北方ほっぽうの田舎者いなかものゆえ、天子てんしの前まえにて恐おそれおののいています」とごまかした。

荊軻は地図ちずを持もって政せいに献上けんじょうし、政せいは地図ちずを開ひらき始はじめた。地図ちずが開ひらき終おわる所ところに匕首ひしゅが巻まき込こんであった。荊軻は匕首ひしゅをつかみ、政せいの袖そでを取とって政せいを刺さそうとした。しかし、間一髪かんいっぱつの所ところで政せいの袖そでがちぎれ、政せいは逃のがれることができた。

政せいは慌あわてて腰こしの剣けんを抜ぬこうとしたが、剣けんが長ながすぎて鞘さやに引ひっかかり抜ぬけなくなってしまった。群臣ぐんしんと衛兵えいへいたちも慌あわてたが、臣下しんかが政せいの殿上てんじょうに武器ぶきを持もって上あがることは法ほうにより禁きんじられており、破やぶれば死刑しけいであった。

荊軻は匕首ひしゅを持もって政せいを追おい回まわし、政せいは必死ひっしで柱はしらの周まわりを逃にげ回まわり、剣けんを抜ぬこうとするがあせればあせるほど剣けんは抜ぬけなくなる。群臣ぐんしんたちは素手すでで荊軻を取とり押おさえようとし、侍医じいの夏なつ無む且（か むしょ）は薬くすり箱ばこを荊軻に投なげつけた。荊軻がひるんだ隙すきに左右さゆうから「王おうよ、剣けんを背負しょわれよ」と声こえが飛とび、政せいは剣けんを背中せなかの方ほうへ回まわして、背負せおうような形かたちでやっと剣けんを抜ぬくことができた。

抜ぬいてしまえば長剣ちょうけんと匕首ひしゅでは勝負しょうぶにならず、荊軻は脚あしを斬きられた傷きずで歩あるく事ことももはや不可能ふかのうになり、最後さいごに匕首ひしゅを政せいに投とうじたものの、外はずれて柱はしらに刺ささった。そして暗殺あんさつの失敗しっぱいを悟さとったのか、柱はしらにもたれ床ゆかに座すわり込こみ「わが事ことが成ならなかったのは、秦しん王おうを殺ころさずに脅おどし、土地とちの返還へんかんを約束やくそくさせようとしていたからだ」と笑わらいながら罵ののしった後のち、斬ぎり殺ころされた（激昂げっこうした政せいは荊軻の全身ぜんしんをズタズタに斬ぎり刻きざみ、荊軻が死しんだ後のちも死体したいを斬きり続つづけたと言いわれている）。秦はた舞まい陽ひは最初さいしょから最後さいごまで震ふるえているだけであった。

その後ご

政せいは激怒げきどし、燕つばめを攻せめて、燕つばめ・代だい連合れんごう軍ぐんを易えき水すいの西にしで破やぶり、翌よく紀元前きげんぜん226年ねんには首都しゅとの薊あざみを陥落かんらくさせた。暗殺あんさつ事件じけんの首謀しゅぼう者しゃである丹にもまた、代だい王おう嘉よしみに勧すすめられた燕つばめ王おう喜きの命令めいれいにより、講和こうわの材料ざいりょうとして殺ころされた。だが、秦はたは結局けっきょく攻撃こうげきを止とめず、紀元前きげんぜん222年ねんに完全かんぜんに燕つばめを滅ほろぼした。

高こう漸すすむ離はなれは丹にの食客しょっきゃくと荊軻ゆかりの人々ひとびとと共ともに放逐ほうちくされ、政せいへの復讐ふくしゅうを目論もくろみ、徐じょ卓たくと名なを変かえ、宋そう子こに潜ひそんでいた。やがて政せいは始皇帝しこうていとなり、東ひがしへ巡業じゅんぎょうして山東さんとうの瑯琊にいた。彼かれの耳みみに「宋そう子こに筑の名手めいしゅあり」という噂うわさが入はいり、高こう漸すすむ離はなれは始皇帝しこうていのいる行宮あんぐうに参内さんだいすることになった。始皇帝しこうていは荊軻の事件じけんがあってから用心深ようじんぶかくなっていたので、特殊とくしゅな凶器きょうきを考案こうあんした。一見いっけんすると、ただの簪かんざしだが、先端せんたん部ぶに巧妙こうみょうに鞘さやを被かぶせており、一いち振ふりすると鞘さやはとれ、なかから鋭利えいりな錐きり状じょうの凶器きょうきが現あらわれるという仕掛しかけになっていた。しかし宦官かんがんの趙ちょう高だかに高こう漸すすむ離はなれであることを見破みやぶられ、凶器きょうきが発見はっけんされて捕とらえられた。始皇帝しこうていは高こう漸すすむ離はなれの筑の腕うでを惜おしみ、眼めを潰つぶすにとどめた。眼めを潰つぶした以上いじょう、安全あんぜんと思おもい、何なん回かいと召めして筑を打うたせた。高こう漸すすむ離はなれは愛用あいようの筑を凶器きょうきとすることを思おもい付つき、筑のなかに鉛なまりを仕込しこみ、機会きかいを待まった。決行けっこうの夜よる、声こえから始皇帝しこうていの位置いちを確認かくにんし、筑を投なげたが、狙ねらいはわずかにはずれた。高こう漸すすむ離はなれは捕とらえられ、車くるま裂さきの刑けいにされた。その後ごも張ちょう良りょうなど始皇帝しこうてい暗殺あんさつを目論もくろむ者ものが多数たすう出でてきたが、結局けっきょく暗殺あんさつは成功せいこうしなかった。

評価ひょうか

司馬しば遷は「刺客しかく列伝れつでん」の最後さいごで、夏なつ無む且と付つき合あいのあった公孫こうそん弘ひろしや董ただし仲なか舒からこの事件じけんの話はなしを聞きいたと述のべ、荊軻は暗殺あんさつは成功せいこうしなかったものの、その意思いしと志こころざしの高たかさにより名なを残のこしたのだ、と評価ひょうかしている。また、かつて双六すごろくのことで騒動そうどうとなった魯句践が、秦しん王おう暗殺あんさつ事件じけんの話はなしを聞きき「彼かれが刺とげ剣けんの術じゅつを修おさめていなかったのは、なんとも惜おしいことだ。そして、そのような人物じんぶつを叱しかり飛とばすとは私わたしも人ひとを見みる目めが無なかった。さぞや私わたしを憎にくんでいただろう」と嘆なげいたエピソードも記しるしている。また詩人しじんの陶とう潜せんは「詠えい荊軻」という詩しの中なかで「すでに荊軻は死しんだがその思おもいは残のこっている」とうたっている。

一方いっぽうで、北きた宋そうの司馬しば光ひかりは、「荊軻は太子たいし丹にの私的してきに養やしなわれた立場たちばから、（自分じぶんの）親族しんぞくを顧かえりみず、一いち尺しゃく八はち寸すん程度ていどの匕首ひしゅで燕つばめを強つよくし秦はたを弱よわめようとした。なんと愚おろかなことだ」と述のべ、さらに揚あげ雄ゆうの「君子くんしの道みちからすれば、荊軻は盗賊とうぞくの輩やからにすぎない」などの評価ひょうかを引用いんようし、彼かれの行為こういを批判ひはんしている（『資し治ち通どおり鑑かん』「秦はた紀おさむ二に・始皇帝しこうてい下か」二に十じゅう五ご年ねん）。

荊軻に関かんするメディア

• 『史記しき』「刺客しかく列伝れつでん」
• 陶とう淵ふかし明あきら『詠えい荊軻』
• 映画えいが『秦はた・始皇帝しこうてい』(1962年ねん)　市川いちかわ雷蔵らいぞうが荊軻を演えんじた。
• 映画えいが『始皇帝しこうてい暗殺あんさつ』（1998年ねん）
• テレビドラマ『始皇帝しこうてい暗殺あんさつ 荊軻』（2004年ねん）
• テレビドラマ『麗うらら姫ひめと始皇帝しこうてい～月下げっかの誓ちかい～』（2017年ねん、原題げんだい『麗うらら姫ひめ伝つたえ』） リウ・チャン（劉りゅう暢とおる）が荊軻を演えんじた。
• 小説しょうせつ『刺客しかく荊軻』（塚本つかもと靑史せいし、日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱん社しゃ、2005年ねん）

関連かんれん項目こうもく

• 史記しき - 刺客しかく列伝れつでん
• 始皇帝しこうてい
• 燕つばめ太子たいし丹に
• 張ちょう良りょう
• 白虹はくこう事件じけん

外部がいぶリンク

• 『荊軻』 - コトバンク